エストニアにも音楽伝統はしっかりあることは知識としてはもってはいても、まともに聞いたことはない。Curly Strings は愛聴盤だが、フィンランドだとばかり思い込んでいた。ここにもバグパイプがあり、それは昔は海豹の皮で造られていたとも読んでいた。今回 Trad.Attack! の女性パイパーが吹いているのを目の当たりにできたのは、まず収獲のひとつ。バッグが尻尾のように下に伸び、そこから真横に、ほぼ水平に3本、ドローンが出ている。上が短かく、下が長い。ドローンのこの形は他では見たことがない。やはり、海豹の皮の名残りだろうか。
エストニアが独立国となってから今年で百周年で、その記念のイベントを世界中で展開中。この音楽祭もその一環でもあるそうだ。音楽だけでなく、テキスタイルやジュエリーのブランド紹介もされるらしく、音楽演奏の前に3人、いずれも女性のデザイナーが紹介された。会場では現物も販売されている。正式には池袋の西武で来週、展示即売される由。ジュエリーには縁はないが、植物の葉を紋様化した、布製の肩掛けカバンはちょっと惹かれる。これに続いて、在日大使の挨拶もあった。アイルランドでも思うことだが、人口130万そこそこの国が全世界と交際するのは、なかなかたいへんなことだろう。わが国のこのあたりでいえば、川崎市の住民が九州よりひと周り大きな土地に住んでいる形だ。
ミュージシャンは3組。
まずはアコーディオンの Tuulikki Bartosik。手許の記録を後で見たら、この人の録音は聴いていたはずだが、まったく記憶に無い。なので白紙状態で臨んだわけだが、これがすばらしかった。とりわけ、後半、かとうかなことのアコーディオンのデュエットが鳥肌もの。昨年もバルトシクは来日していて、その時、初めてかとうとライヴをしたそうだが、おたがい一目惚れしたらしい。たがいに相手の良いところを引き出しているのだ、たぶん。バルトシクは鍵盤、かとうはボタンだが大型のもので、異なる音色、テクスチュアが、あるいは重なり、あるいは隙間を埋めてからみ合う。二人のフェアリーが、楽しく遊んでいるけしき。北国のきりりとしたサウンドが基調だが、冷たさよりも陽の光を感じる。かとうの〈あかね雲〉からバルシトクが息子が生まれた時に作ったポルスカをメドレーにしたのがハイライト。ぜひこの二人で1枚、録音を作って欲しい。
真ん中が Mari Kalkun。まったくのソロ。主な楽器はカネレで2種類。一つは小形で肩から吊るし、爪弾いたり、ストロークしたり、かなり多彩な音を出す。もう一つはそれよりも大振りで、座って膝の上に置く。音域が広く、響きも深い。サウンドとしてはこちらの方がカンテレに近い。カネレを使うのも実はそれほど多くはないそうだ。ましてや、ギターないしオートハープのような使い方はどうやら彼女の独創らしい。
とはいえ、この人は楽器の腕をこれみよがしにやるのではない。むしろ、声と器楽の組合せで独自の空間を紡ぎだす。伝統どっぷりとは半歩距離をとって、伝統は伝統として尊重しながら、その上に自分なりの音楽を構築する。声は伝統音楽のもので、個性を強烈に打ち出すよりは、受け継がれてきたものを形にする。中心になるのは中域から低域なのも、伝統音楽のうたい手だ。
この人の資質は一聴して、あるいは一目見て、即座にいいと言えるようなものでもない。その良さがわかるには時間がかかる。ライヴでも30分では短かすぎた。
Trad.Attack! は一番期待していたし、その期待に十分以上応えてくれるものではあったが、一方で、いわば想定内のものではある。トリオの柔軟性とパワーを自家薬籠中のものとして、実に楽しいライヴを聞かせてくれる。こういうものは30分でも楽しめるし、1時間あれば、それにふさわしい楽しさを味わわせてくれるだろう。
3人とも、まあ巧い。こういうバンドではドラムスが鍵だが、第一級のドラマーで、こういう人がいれば、どんなミュージシャンがフロントに来ても、音楽的成功は保証される。ここでも12弦ギターというのが、やはり北欧だろうかと思ってもしまう。つまり、かれらは共鳴がことのほかお好みなのだ。ハーダンガー・フェレ然り、ニッケルハルパ然り。ヴェーセンのローゲル・タルロートも12弦。このギタリストはローゲルにも負けない巧者で、ソロまで披露する。パイプの音はこの組合せではそれほど特徴的な音には聞えない。ドローンの音がほとんど聞えなかったこともある。最後に1曲、セリフロイトを吹いたのは面白かった。ヴォーカルにアーカイヴ録音のサンプリングを使ったり、自分たちの声もわざとアーカイヴ風にしたりするのも、楽しい試み。ヒップホップ・スタイルのうたをアーカイヴの音にする(あるいはその逆?)のには笑ってしまった。エストニアはIT産業が盛んだというが、確かにここまでプログラミングを自在に使うのは、イングランドやアイルランドでは望むべくもない。
もちろん、この3組だけでエストニア音楽を云々するつもりは毛頭無いが、もっとじっくり聴いていきたいと思わせるだけのものはある。Mari Kalkun の3作めのような、アコースティックのバンドも聴いてみたい。
カルクンによれば、今回の3組はエストニアの中でも南部、東部の地域の伝統音楽がベースになっているらしい。そしてこのエストニア南部、ラトヴィアとの国境に近い一帯は、ヴォル語やセト語という独自の、より古い言語を持ち、音楽的にも古いのだそうだ。アイルランドで言えばコネマラ、わが国で言えば沖縄のような位置付けになるらしい。となると、その地域の、より伝統のコアに近いものも聴いてみたくなる。
ラトヴィアにも Ilgi のようなバンドがあり、この辺りもいろいろ面白そうだ。エストニアは音楽伝統の吸引力が他の、たとえばフィンランドほど強くないようなのも面白い。カルクンの伝統との距離の取り方は、他の地域では聴いたことがない。全体として一定の距離をとっている、のでもないようだ。ある部分は深く分け入り、その隣りではあえて離れてみる、というようにも見える。
それにしても、こうした地域の音楽を粘り強く紹介しつづけてくれているハーモニーフィールズには頭が下がる。ありがたや、ありがたや。(ゆ)