前回アウラを聴いたのはここ同じ会場で3年前のクリスマス・コンサートだった。3年ぶりに聴く彼女たちのハーモニーはやはりすばらしい。コーラスで歌うことが愉しくてたまらないのが手にとるようにわかるので、見て聴いてこちらも愉しくなるのはいつもの通り。そこに巧まざるユーモアが滲みでるのもこのグループならではだろう。
3年のご無沙汰の間に大きな変化が起きていた。池田有希氏が卒業して、クインテットからカルテットになった。同じ卒業でも、アイドル・グループのものとは次元が異なる。50人近くいる中で1人抜けても、全体の姿形には響かない。5人から1人抜けるのは、量にして2割減。音にしては数字では測れない。単に音量が減るとかいう話ではない。アレンジもすべてゼロからやりなおしになる。
1人抜けることになった時点で、あえて後を補充せず、減ったままのカルテットでやると決めるのは並大抵のことではなかっただろう。アウラもすでに10年選手。ここで新たなメンバーを加えるのは、入る人、迎える人たち双方にとってハードルは高い。おそらくはそれ以前に、適切な人が見つからなかったのかもしれない。ソロでも十分やっていける実力をもち、なおかつ、アカペラ・コーラスでもやろうという積極的な意欲があり、さらに、他のメンバーとも気が合う、という条件を満たす人となると、おいそれとは見つかるまい。あるいはやむをえぬ選択だったのかもしれない。
とはいえ、その結果は、雨降って地固まる、災い転じて福となる。カルテットのアウラはまことに新鮮だった。クラシックの世界ではクインテットは珍しくないのかもしれないが、あたしは他では五人組のアカペラ・コーラス・グループは聴いたことがない。だからだろうか、アウラのハーモニーはどこか不安定、というと言過ぎだろうが、どっしり安定しきったわけではないところを感じていて、そこが魅力の一つでもあった。聴いていると、4+1になったり3+2になったり、1対4、2対3になったりして、しかもその変化が規則的ではなく、千変万化していた。つまり五声であることでどこかが均衡が破れる。それが面白かったのだ。
四声は安定する。それが最も明瞭にわかるのはコーダ、歌が終る最後の終止音のところ。そしてそこのハーモニーにアウラがクラシックとして歌っていることもまた最も明瞭に出る。先日のカルデミンミットのハーモニーとの違いがまざまざと現れる。たまたま二つの、女声4人の形は同じながら、まったく性格の異なるハーモニーをたて続けに聴くことができて、いろいろ発見があり、これまたたいへん面白かった。
五声が安定しないことが魅力であったことはたぶん自覚されていたのだろう。四声の安定を、破るのではなく、一部をはずして傾むける試みも随所にされていたと聞えた。一番はっきりしていたのは歌詞を歌わず、スキャットを多用すること。1人ないし2人が歌詞を歌い、他のメンバーが声だけでハーモニーをつけたり、あるいは全員が声だけで「演奏」することもある。これはおそらく、全体の音量減をカヴァーして、瘠せて聞えるのを防ぐ効果も狙ってのことではないかとも思われる。そして、うまく一石で二鳥をとらえていたと思う。あたしの耳には、ドローンのように一つの音を長くひっぱるのがことによい効果を上げていた。
〈芭蕉布〉では、沖縄の歌ということもあってか、発声法もクラシック標準のものからは変えていたように聞えたけれど、これはあたしの耳のせいかもしれない。
1人減ったことの影響は必ずしも悪いものだけではない。良い効果とあたしには思えたのは、一人ひとりの声がよりはっきり聞えるようになったことだ。星野氏の低音がより大きくはっきり響いてきたのは、とりわけ嬉しかった。リードをとる場面も増えている。他のメンバーのソプラノと彼女の低音の対比もまたアウラの魅力の一つなので、ここがより増幅されたのは大きいと思える。こうなると、奈加靖子さんが歌詞を書いた〈ダニー・ボーイ〉の日本語版を、あの低いキーのままアウラが歌うのを聴いてみたくなる。
カルデミンミットとの対比で面白いと感じられたことの一つは、さっきも言ったが、とりわけコーダのハーモニーに現れていた。カルデミンミットのハーモニーは倍音をより大きく響かせて解放しようとする。歌う方も聴く方も倍音に溺れようとする。アウラの、ということはクラシックのやり方は倍音が響くのにまかせず、響きをコントロールしようとする。ある点にむかって収斂しようとする。一点に向かうのはクラシックをクラシックたらしめる特性で、ここもその基本特性にしたがっている。倍音に溺れこまずに醒めようとする。音楽には演る方も聴く方も呑みこもうとする習性があって、そこにあらがおうとするところに西欧クラシックの面白みがあることが、このコーダを聴いていると浮上してきた。
アレンジをまったくやりなおし、それを完全にモノにするのは、さぞかし大変だったろうなあ、とあらためて思う。一人ひとりの負担も当然増える。バッハやヴィヴァルディなど「新曲」もあったけれど、ほとんどはお馴染のレパートリィ。それを1人減ったと感じさせず、むしろより大きなスケールで歌われたのには感服する。どれも良かったけれど、個人的にはアンコールの〈アニー・ローリー〉日本語版がハイライト。つくづくこれは歌詞が良い。
次はやはりこのカルテットでの新譜を期待してしまう。それも「新曲」で固めたもの。1曲ぐらいはアレンジ違いのセルフ・カヴァーがあってもいい。
それにしても人間の声はええのう、とこれまたあらためて染々思い知らされたことでありました。(ゆ)
アウラ
畠山真央
菊地薫音
奥脇泉
星野典子