クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:カンカラ三線

 今回は「ボーイズバラエティ協会企画/今宵の主役シリーズ第4弾」として

「★岡大介のカンカラ夏まつり★〜令和の浅草より、明治・大正・昭和のオッペケペー!」

という公演。ゲストにのまど舎(チンドン)、風呂わく三(漫談・司会)、上の助空五郎(ボードビル)という面子。ボーイズバラエティ協会が主体なので、いつもの木馬亭ではなく、東洋館。マップにしたがって行きは田原町で降りたけれど、木馬亭からそう遠いわけでもなく、帰りは浅草に出た。東洋館は収容人員は木馬亭と同じくらいか。ただ、こちらの方が横に広く、一番後ろに座ってもステージへの距離が近い。面白いのは、ステージには皆さん靴下で出てくる。上の助空五郎だけタップ・ダンスをするので靴を履いていた。

 銀座線は観光電車になったようで、乗客の半分とはいわないが3分の1は海外からのお客さん。残りの本朝ネイティヴも半分は観光に来ている感じ。表参道のホームは長蛇の列。銀座でどっと降りてどっと乗ってくる。乗ってきた人たちのほとんどは浅草まで降りない。帰りも神田まで銀座線に乗ると、まだ観光客が多い。浅草駅に出る途中雷門の前を通ったら、仲見世はすっかり閉まっているのに、門の周辺だけ人だかり。ライトアップされていることもあって、そこだけぽっかりと異空間になったようだ。

 ボーイズバラエティ協会というのは一般社団法人で、幅広い芸の人たちが集まっているらしい。ボーイズと名がついているが、女性会員ももちろんいる。このボーイズは男子というよりは「あきれたボーイズ」から来ているそうな。まず川田会長が出てきて挨拶。次に司会の風呂わく三が出てきて岡さんを呼びだす。風呂わく三は後で自分でも漫談をする。

 岡さんが出てくるけど、客電を落とさないのはこのハコのしきたりか。客席の反応を舞台上の芸人にも見えるようにする配慮かもしれない。

 岡さんはまずは一発唖蝉坊の〈カネカネ節〉。この唄はとんでもなく長くて、いい加減終りかと思ったころ、「これで半分です、あと半分、がんばるぞー」。途中で歌詞が出てこなくてつっかえることもあるが、今回はまったくミスらずに完唱。岡さんはこれ1曲で引込み、ゲストが続く。

 坊主頭の爺さんが大きな正方形の板を運んできてマイクの後に敷く。その動作が可笑しい。芸になっている。と思ったら、この人、実は劇場のスタッフではなく、れっきとした芸人で、今宵の主役シリーズ次の第5弾の主役だそうだ。おそらくは人件費節約のため、芸人同士がたがいにスタッフを勤めているのだろう。ボードは上の助空五郎がタップ・ダンスをするためのもの。

 空五郎は前回横浜でも見て感嘆したのを再現してくれる。こうしてまた見られるのは嬉しいが、内容が横浜の時とまったく同じなのにはあれれ。ほんのちょっとでいいから、変えてほしかった。他人の舞台にゲストで出るときの演目として決めているのかもしれない。一種のサンプラーか。とはいえ、この人、リズム感が抜群とあらためて感嘆する。

 次はちんどん・のまど舎。本拠は中野だそうだ。男性のちんどんに女性がアコーディオン。どちらも歌う。アコーディオンなのは唄ったりしゃべったりするためもあるだろう。街頭宣伝ではクラリネット担当が加わったりするらしい。今回の芸は唄が中心。男性がメインで、この人、第一級のシンガー。木暮みわぞうとタメを張る。演奏の腕も確かで〈In the Mood〉のちんどん版はみごとだし、〈アルプス一万尺〉をボサノヴァから始めて様々なフォーマットにアレンジしてつなげるのは聞き物。とりわけ、カチャーシー版と宝塚版が凄い。やはりちんどんは一級のミュージシャンだ。この二人は後で岡さんのステージでもすばらしいサポートで盛り上げた。

 休憩が入って、後半まずは風呂わく三の漫談。面白いんだが、この人、どこか自分でも笑っているように見えるのは損をしている。

 そして真打ち、岡大介のステージ。
浅草節
ダイナマイト節
オッペケッペー節
ああ、わからない
 といつものレパートリィが続く。その次、
大震災の唄
 はあたしは初めて聴くバラッド。もっと聴きたい。

 そして次の〈東京節〉から最後まで、のまど舎が加わる。岡さんはソロが良いから並のサポートでは効果が無いが、このデュオが加わったトリオでの演奏はすばらしい。以下、

石巻の女
 「いしのまきのひと」と読ませる。〈北国の春〉の替え歌ないし本歌取り。
磐城石川自由民権節
 地元の人の詞に岡さんが曲をつけた。
大東京音頭

 アンコールは空五郎、わく三も加わり、〈地球の上に朝が来る〉から「のんだのんだのんだ」「唄う心も風まかせ」のメドレー。わく三はウクレレ。

 いつもながら楽しい岡さんのライヴだが、今回はのまど舎がハイライト。こういう人たちのステージはなかなか見るチャンスが無いが、またどこかで遭遇したいものだ。

 東洋館のあるあたりはいわゆる「六区」になるらしい。その昔、荷風が通ったのもこのあたりだろうか。一時はさびれたとも聞くが、今は結構人も集まり、生まれかわっているようでもある。ここでも子ども連れが目につく。COVID-19が指定分類を変更されてから出てくる人たちは、子ども連れが増えているように見える。夏休みということもあろうが、パンデミックで家族とのつながりが太くなってもいるのかもしれない。終って出てみればまだ9時前。夏の夜はこれからよという人たちも多そうだ。さすがにダブルヘッダーでくたびれて、半月のもと、あたしはとっとと帰宅の途についたのだった。(ゆ)

 ここも3年ぶりだろうか。パンデミックの間にも近隣に変化があったようで、通りの向い側の店が一新された印象。明瞭な記憶があるわけではないが、もっと雑然として、寂れてもいたように思う。それが新しく、かなりシャレた店になっている。

 もっとも木馬亭はあいかわらずで、手作りの公演もあいかわらず。開演直後、客席脇の天井にとりつけられた、舞台を照らす照明にスイッチが入っていなかったのも、スタッフのミスです、と岡さんが言うと、担当者が舞台袖に出てきて一礼してあやまったのも頬笑ましい。

 パンデミック後のライヴ通いを再開してから岡さんを見るのは2度目。まず印象的なのは声がよく通ること。マイクは立ててあるが、やや距離をとり、オフマイク気味。それでも軽々と声が通ってくる。ノーマイクでもいけるんじゃないかと思えるほど。ギターのコード・ストロークの音もシャープかつ豊かな響き。ハーモニカも巧い。つまり、ミュージシャンとしてのレベルがパンデミック前より1枚か2枚、剥けた感覚だ。器もひとまわりは大きくなっている。

 今回は「添田唖蝉坊生誕150周年」記念に《かんからソング IV》として出したCDのレコ発でもある。三部構成で、第一部はギターとハーモニカを伴奏に、「フォーク・ロック」を歌う。第二部はゲストの三遊亭兼好師匠による一席。第三部がカンカラ三線伴奏で唖蝉坊演歌。

 第一部は歓迎のうたから浅草のうた、〈風に吹かれて〉の日本語による替え歌。さらに〈Hard Times Come Again No More〉の日本語版。この2曲がすばらしかった。前者のコーラス、「何度でも言ってくれ、世界が破滅の前夜だなんてウソだろう、ってよ」が心に響く。唖蝉坊もいいが、岡さんには1度、高田渡のカヴァー・アルバムも作ってほしい。

 兼好師匠の噺は終ったばかりの葬式から円楽亡き後の笑点、そして本題はドケチな商人が跡継ぎを決めようと、三人の息子各々に自分が死んだらどんな葬式を出すかを問う。長男は超豪華、次男は盛大なお祭り、そして三男はドケチ。次男のところで祭の囃子を口だけでやってみせるのが見所。この人はこれが得意技なのだろう。あるいはコンサートの客という要素も考えてのことか。リズム感もすばらしく、これだけでも堪能。ちょとホラーなオチまでおおいに笑わせていただきました。

 第三部は明治の演歌師のコスプレです、という扮装で出てくる。あまり特殊なものには見えない。オリジナルに岡さんがオリジナルの詞を付けまくる。〈東京節〉、ラーメチャンタラ、ギッチョンチョンノは〈デタラメ節〉、〈オッペケペー〉は〈オリンピック節〉になる。ラスト前の〈カンカラ節〉も唖蝉坊のメロディにオリジナルのメロディ。

 〈ハテナ・ソング〉というのは1920年、前回の世界的パンデミック、スペイン風邪の時の歌。〈むさらき節〉は一番のみ当時のスタイル、つまりアカペラで歌い、〈四季の唄〉に続けるのがまずハイライト。前回、横浜でのライヴでも披露した唖蝉坊の故郷、大磯の地元自慢のうた〈磯自慢〉は15番まである歌詞のうち6番まで。国立劇場でもうたったという〈鉄道唱歌〉の元歌である〈汽車の旅〉。これも唖蝉坊だそうな。そして、これも横浜でハイライトだった〈ヤカ節〉。今回のベスト・シンギング。シンガーとしての岡大介の良いところが全部、ベストの形で出ていた。うーん、こうなると、沖縄島唄でも1枚、ぜひ作ってほしい。アンコールの〈月ぬかいしゃ〉がまたすばらしい。カンカラ三線のコード・ソトロークにぞくぞくする。

 木馬亭は唖蝉坊の息子の知道が出演したことがあるそうで、岡さんがここにこだわるのもそのためという。実際、こうして何度も見ていると、こちらもここで見るのが一番しっくりする。出るともうまだ温もりの残る夜。浅草寺の境内を抜けてゆくと、外国からのお客さんの姿も増えてきたようだ。(ゆ)

 今年で九年め。来年は十周年。2018年9月30日。何をやるのか、今から楽しみ。

 実に久し振りの岡さんのライヴ。一部は演歌をさらっと4曲。〈復興節〉の現代版から始まり、次の〈ストトン節〉がまずはハイライト。岡大介入魂のオリジナル歌詞をこれでもかとぶちこんだスペシャル版で、うたい終って、今日はもうこれで終りという気分です、という。全国回りながらうたううちに好きな歌謡曲が2つできました、とうたったのが〈王将〉と〈大東京音頭〉。

 前者は大阪のうたということで登場したのが、桂九雀師匠。落語はそれほど好きではないが、大いに笑わせていただきました。教養の無い成金の隠居がステイタスが欲しくてデタラメにやる茶の湯で皆が迷惑する噺。上方の方だけど、あんまり関西弁は強くない。あるいは東京というので手加減されたのかもしれない。

 シンガーのライヴに落語家が出るというのも、岡さんのものくらいではないか。確かに諷刺を旨とするところで演歌と落語は通底するところもあるし、パフォーマンス、それもコトバと声によるものという点では似ているが、普通はストレートにはつながらない。あるいは寄席というのは本来こういうものなのかもしれない。うたも落語も同列なのかもしれない。落語にはリズムやメロディは一見無いが、間のとりかたや声の抑揚は無ければ文字どおり噺は始まらない。とすれば、演歌は落語のエッセンスをぎゅっと絞りこんだもので、落語は演歌をある典型的具体的状況のもとに展開したものとも言える。両方続けて体験すると、それぞれがより深く訴える。

 第三部は唖蝉坊を中心とした、明治大正昭和の演歌乱れ撃ち。もちろん、原曲そのままではなく、時に岡さんのオリジナルの歌詞が入る。〈炭坑節〉の後に、この元歌をやったのは面白かった。

 十年、うたい続けて、それもほとんどストリートや流しでうたい続けて、これだけうたえる人は、今ちょっといないのではないか。マイクからはずれてうたっても、声はよく通る。貫禄がついてきたと言ってもいい。その割にステージングがあまり上達していないのは、あるいはこれが岡大介のキャラかもしれない。客の煽りに乗ってしまうのも、ひょっとすると芸人としては失格と言われかねないが、本質的にシャイな若者、年齡とは関係ない永遠の若者が、好きな唄をうたいたい一心でひたすらうたっている潔さをあたしは見る。

 うたにもいろいろあるが、岡さんの唄はコトバで勝負するタイプだ。聞いて歌詞が明瞭にわかることが命。そしてその歌詞で筋の通らないことを笑いとばす。聴く者にカタルシスを与え、元気をもたらす。

 舞台に現れず、袖で叩いて岡さんを支えた打楽器も良かった。

 頭の方で「ぼくがやっているのはうたです、音楽じゃありません」と言い切ったのには一瞬えっと思ったけど、聴いてゆくうちに、納得させられた。このうたは、音楽というよりも落語のような話芸にずっと近いのだ。そして、それはうたというものの本質の一つであろうとも教えられる。ひょっとすると、うたと音楽を同じ範疇に含めるのは、勘違いなのかもしれない。

 すっかり元気をもらって出てみれば、浅草寺はライトアップされていて、まだまだ観光客もたくさん歩いている。半月が鮮やか。(ゆ)

このページのトップヘ