クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ガリシア

 Qobuz の無料トライアルからの有料版への移行をやめる。確かに Tidal より音は良いが、タイトル数が少ない。あたしが聴きたいものが Tidal にはあるが、Qobuz には無いことが多い。逆のケースは1か月試す間には無かった。例外は Charlotte Planchou だが、Apple Music で聴ける。いくら音が良くても、聴きたいものが無いのでは話にならない。あたしは音楽が聴きたいので、いい音が聴きたいわけじゃない。それにひと月 1,280円のはずが、なぜか自動的に Apple のサブスクリプションにされて 2,100円になるのも気に入らない。

 Tidal などのストリーミング・サーヴィスに一度は出すが、後でひっこめる場合があることに最近気がついた。ひっこめたものは Bandcamp で売っていたりする。Bandcamp に出したものをプロモーションのために Tidal に出したものだろうか。Bandcamp の音もだいぶマシになってきて、比べなければ問題ない。購入と同時にダウンロードできるファイルも 24/44.1 以上のものが増えてきた。

 今月はシンガーに収獲。Brigitte Beraha と Charlotte Planchou。こういう出会いがあるから、やめられない。それに Sue Rynhart のセカンドでの化け方に喜ぶ。


John-Paul Muir, Home Now
 ニュージーランド出身のピアニストの新作。かなり良い。とりわけ、シンガーの Brigitte Beraha がすばらしい。この人はギタリストとの新作も良かったことを思い出し、あらためて見直す。トルコ人の父親、トルコ系ブリテン人の母親のもとミラノに生まれ、コートダジュールに育つ。父親はピアニストでシンガー。ベースはイングランドで、歌も基本は英語で作り、歌っている。歌もうまいが即興がいい。録音はソロも含め、かなりある。追いかけてみよう。


Carmela, Carme Lopez, Vinde todas
 スペイン、ガリシアの伝統歌謡を調査、研究して歌う人。すばらしい。ただし、Bandcamp の説明も全部スペイン語かガリシア語。macOS による英訳も細かいところは要領を得ない。Carme Lopez としてはこの前にパイプのソロがあり、シンガー Carmela としてはファーストになる、ということのようだ。アルバム・タイトルは "Come All" の意味。これは Carmela 自身のソロというよりも、様々なソースから集めた生きている伝統の録音を中心に、Carmela が脚色しているようだ。どの歌もうたい手もすばらしい。Carmela の脚色はアレンジではなく、その周囲にサウンドケープを配置したり、声そのものに効果をつけたりして、歌とうたい手を押し出す。録音年月日はないが、元の録音からしてすばらしい。各トラックの情報をクリックすると個々のページに飛び、そちらに背景情報がある。スペイン語であろう。macOS で英訳すると、名詞代名詞などのジェンダーがおかしい。

Carme Lopez, Quintela
 そのカルメ・ロペスのファースト。こちらはパイプ・オンリー。これは凄い。ガリシアのバグパイプはスコットランドのハイランド・パイプと楽器そのものは同じはずで、あれからどうやってこんな音を出しているのかわからん。III ではドローンでメロディを演奏しているようでもある。IV では打楽器としても使う。Epilogue は多重録音。フーガ風。バッハのポリフォニーを想わせる。パイプの限界を破っていることは認める。ではそれが音楽として面白いか、と言われると、もう一度聴きたいと思うほどではない。一度は聴いて、こういうものもあると確認できればそれでいい。


Ganavya, Daughter Of A Temple
 マンチェスター在住のインド人シンガー、ベース奏者。声からすると女性。ヴィジェイ・アイヤーとかシャバカ・ハッチングスとかが参加している。ベースは仏教系のマントラ、詠唱を音楽にしたてている。[04]は明らかに日本語の「南無妙法蓮華経」の念仏を複数の男女が称えているフィールド録音。確かに巧まずして音楽になっていないこともない。が、それらしいクレジットは無い。全体として今ひとつピンとこないのだが、聞き流してしまうにはひっかかるものがある。後半の大半はコルトレーンの A love supreme の変奏。気になって聴いてしまい、途中でやめたくなることもない。一聴面白いという類のものではない。これはむしろ集中して聴くよりも、流れに身を任せて浸る類のものだろう。UK Jazz のレヴューによればライヴで録ったずっと長い録音を編集して短かくしているそうな。


Chloe Matharu, Small Voyages 2024 edition
Chloe Matharu, Sailors And Rolling Stones
  Simon Thoumire が今週のスコットランド音楽のお薦めにした人。インド系ということで発音、発声がちがう。声はユニーク。セカンドの電子音を使った方が面白い。以前はタンカーの幹部船員として世界中を回っていて、その体験を元に歌をつくりうたっている由。

 歌詞がわかると面白い。後者は歌詞が Bandcamp にも出ていないので、何を歌っているのか、まったくわからない。発音が独得で、前者でも歌詞として掲げられているとおりに歌っているとは、信じられない。

 ファーストは自身のクラルサッハとわずかなフィドル、アコーディオン、バゥロンらしき打楽器ぐらい。後者はグラスゴーの Tonekeeper Production が電子音のバックをつけている。いろいろやっているのだが、今ひとつ単調に聞える。発音と発声もずっと同じなのも単調に聞える理由の一つか。ユニークなのだが、その声を活かす表現には思いいたらないらしい。声のユニークさに頼っているように聞える。


A paradise in the hold, Yazz Ahmed, A Paradise In The Hold; 0:10:04
 待ってました。ヤズ・アーメドの来年発売予定の新作から先行配信。すばらしい。楽しみ。来年のベスト・アルバムの一枚は当確。

Christy Moore, A Terrible Beauty
 前作よりも元気な感じ。前作はようやく声を出しているようなところがあったが、今回は余裕がある。息子のコーラスがいい。

Clare Sands, Gormacha
 4曲オリジナル。なかなか面白い。歌が入るのはいい。この人はもう少し聴こう。

High Place Phenomenon > Rat Horns, Ross Ainslie, Pool;
 新作から3曲先行リリース。あいかわらず面白い。ただ、ますますミュージック・メーカーになってきて、本人の演奏の比率は少ない。

Ride on, Lack of Limits, Just Live; 0:07:01
 ドイツ、ブレーメンのフォーク・バンド。アイルランド、ブリテンの伝統歌を演奏。Tidal に1998年から2007年まで5枚ほど。フルートの前奏から歌に入る。初めはおとなしく歌っているが、途中からテンポを上げ、アグレッシヴになり、最後はまた静かに終る。コーラスには女声もいる。途中盛り上げようとするのはジャーマン・プログレに通ずるか。

Vazesh, Tapestry
 タール、サックス&バスクラ、ベースのオーストラリアのトリオによる即興。ストリーミングでは曲間が切れるが実質は全曲1本につながる。なかなか良い。しかし、ずっと同じ調子ではあり、ここがハイライトと紹介しにくい。ラストに向かって多少盛り上がる。タールの人はイランからの移民らしい。

Ben Wendel, Understory
 ベテランのサックス奏者がリーダーのカルテット。演奏はかなり面白い。型破りの曲と演奏。4人とも面白い。今風、というのとも少し違う感じ。コルトレーンが源流なのだろうが、遊びがある。サックスのソロの時も集団即興の感覚がある。

Sue Rynhart, Say Pluto
 アイルランドのシンガーのセカンド。ヒュー・ウォレンとベースの3人。冒頭のトラディショナルがまずいい。この歌の解釈として出色。2曲目以下の自作も面白い。ファーストよりずっと良い。ヒュー・ウォレンのおかげもあるか。Christine Tobin に続く存在になることを期待。

John Faulkner, Storm In My Heart
 同じタイトルの回想録が出たというので聞き逃がしていたのを聴く。一聴惚れこむわけではないが、一線は超えている。やはりCDは買わねばならない。

Kathryn Tickell, Return To Kielderside
 16歳で出したファーストの再演。最近のものよりずっとゆったりしている。ホーンパイプがいい。

Maire Carroll, Philip Glass: complete piano etudes
 面白い曲のまっとうな演奏。JM のレヴューによるとかなり破格な解釈らしいが、まっとうに聞える方がはずれているのか。かなり集中させられる曲と演奏で、一度に聴くには3曲が限度。


 アルジェリアのウード奏者、シンガー。シンガーとしても一級。かなりのスターらしい。バック・バンドはフィドルが両端、右からダラブッカ、小型のタンバリン、左にいって短かい縦笛、斜めに構えているようには見えない。ギター、カーヌーン。ヴァイオリンはどちらも膝に立て、前で弾く。右は左利き。右が冒頭にソロ。笛以外はコーラスもうたう。本人は中央手前に右足を台の上に置いて立つ。

 短かいヌゥバ、大衆歌謡としてのヌゥバ? 構成は同じ。バンドも楽器を一人にしている。ヴァイオリンは二人。YouTube にあるものを3本ほど聴く。

Jow Music Live = Habibi (?), Abbas Righi, 0:08:43
 上の曲の別ヴァージョンらしい。

 音声のみ。ヴァイオリン、カーヌーン、ウード、パーカッション、笛。


High Horse, High Horse
 ボストンのグループ。fiddler Carson McHaney, cellist Karl Henry, guitarist G Rockwell, and bassist Noah Harrington. 女声シンガー。コーラスも。かなり面白い。テンポが自在に変わる。フィドラーか、マンドリンもある。ストリング・バンドの変形。アルバムは12月発売。

Dougie McCance, Composed
 Red Hot Chili Pipers のパイパーのソロ。Ali Hutton と Katie MacFarlane がゲスト。曲のコーダ、ドラムスを思いきり利かせた部分の録音に疑問が残る。Bandcamp の限界か。

Lisa Rigby, Lore EP
 エディンバラのシンガー・ソング・ライター。なかなかのシンガー。面白い。

Mohammad Syfkhan, I Am Kurdish
 レバノンでミュージシャンとして成功していたが、内戦で国を出て、なぜかアイルランドに落ち着く。息子たちもミュージシャンでドイツにいる由。やっているのはアラブとマグレブの伝統的大衆音楽。ヴォーカルとブズーキ。録音はリズム・マシーンをバックに歌い、弾く。録音が粗いが、音楽はすばらしい。

Wayfaring Stranger, Scroggins & Rose, Speranza; 0:05:00
 ボストンのデュオ。Alissa Rose のマンドリン、Tristan Scroggins のフィドルのみ。即興がいい。ジャズにまでなっていない。フォーク・ミュージックの範疇でなおかつ飄々としている。マンドリンは妙な音をたてる。これが三枚目。Bandcamp では初。High Horse にも通じる。こういう形のアコースティック・バンドが一種の流行なのだろうか。

Jawari, Road Rasa
 シタール奏者をリーダーとする多国籍というよりは超国籍バンドの超国籍音楽。UK Jazz では手放しの絶賛だが、確かに面白い。〈桜〉はあの「さくらあ、さくらあ、やよいのそらはあ」なのだが、ものの見事に換骨奪胎されて、明瞭に土着性を残しながらローカルなアイデンティティをはるかに超える音楽になっている。しかも陳腐になる寸前でひらりと身をかわす軽業に目ではなく耳を奪われる。

Charlotte Planchou feat. Mark Priore, Le Carillon
 ストリーミング・オンリーのリリース。ただし Tidal には無し。イントロに続く〈Greensleaves〉でノックアウト。すばらしいシンガーとピアニストの組合せ。どちらにとってもこれがファーストらしいが、これ1枚だけでも歴史に残る。UK Jazz のレヴューによれば最低でも5つの言語で歌っている。英仏独西はわかる。何語かわからないものもある。〈Mack the knife〉はドイツ語だ。とんでもないうたい手。(ゆ)

 NHKホールは初めて入る。原宿からも渋谷からも距離がある。一番近いのは地下鉄の代々木公園か。あまり使い勝手の良い駅ではない。

 2階中央前から8列目。ステージをまっすぐ見おろす位置。視野の中央3分の1に全ステージが収まる。2階席はだいたい埋まり、1階席も前の方は埋まっていた。定員4,000で2,500入った由。

 ステージ右手の壁にパイプ・オルガン。斜めにつけてあるのは聞く方からは異様に見える。すみだトリフォニー・ホールや品川の教会のように正面にあるのが本来だろう。

 ステージ正面のホリゾントにはふだんは何もなく、講演中時おりスクリーンが降りてきて、映画『ゲド戦記』の、演奏している曲に合わせたシーンを映しだす。絵はさすがにジブリ。風にさやぐ髪、宙を舞う竜、アニメとも思えない。

 映画シーンのこの連動からも、プログラムはかなり綿密に組まれている。もともとカルロスは入念にステージを組み立てるが、今回は出演者も多く、さらに緻密に練ったことが伺える。「イマージュ」のために来日し、そのまま滞日していたそうで、その時間を存分に利用したのだろう。

 20分の休憩をはさんで前半はタイトル通り『ゲド戦記』の音楽でかため、手島葵の2曲の唄も続けて聞かせた。
 後半の前半は『ゲド』とは直接関係のない曲。〈アランフェス協奏曲〉の最も有名なメロディ、カルロスが参加したもう一つの「日本」映画『星になった少年』のテーマ(坂本龍一作曲)、ガリシアン・ダンス・チューンなどを披露。矢野顕子が入って、ジブリの『となりの山田くん』の挿入歌(矢野自身の曲)、そしてショーン・オ・リアダの〈アイルランドの女たち〉を日本語歌詞でうたう。ジブリの鈴木プロデューサーが狂言まわしをつとめてもう一度『ゲド』の音楽にもどる。映画の舞台挨拶とコンサートはやはり別の世界と改めて思う。
 最後はアイリッシュ・チューンで締め、アンコールでは〈シェナンドー〉を矢野、手島、2人のコーラス、で聞かせ、ブルターニュのいつもの曲。最後の最後はまたブルターニュで、鎖になって踊らせる。やはりあまり多くは参加しない。するのは若い女性ばかり。出でよ、男ども。

 『ゲド戦記』の音楽は今夜はむしろサントラに近い。もう少し《メロディーズ》の方を期待したので今ひとつ物足りない。
 それよりもリアルだったのはまず〈アランフェス〉、そして〈アイルランドの女たち〉だった。この2曲をもって今夜のハイライト。
 〈アランフェス〉自体スペインの音階を使っているのか。カルロスのガイタの技が隔絶しているのか。持続音楽器の特性をフルに活かし、ある音は長く引張って変奏を展開し、ある音は微妙に変化させて地中海へと飛び立たせる。ギターがリード楽器としてはいかに不自由か、思い知らされる。「野獣」としてのガイタではなく、竜となって大きく宇宙を駆けめぐる。
 〈アイルランドの女たち〉を矢野さんは沖縄スタイルのヴォーカルで唄った。むろん沖縄そのものではない。琉球唱法をベースとした矢野唱法。そのいわば「沖縄もどき」が、アイリッシュのメロディに載せられた日本語の詞というハイブリッドにちょうど適切なのである。おかげでアイルランドの女たちをうたったうたは日本の女たちをうたうことになり、さらに世にあるすべての女たちの唄へと昇華してゆく。アイルランドと日本と、就中矢野顕子という個を掘下げることで普遍性を帯びた。男でも十分日常から離される唄だったが、女にとってはもっと切実に、存在の根柢を揺さぶられたのではないか。

 終演後、楽屋で挨拶した際、カルロスにはぜひ〈アランフェス〉全曲録音をガイタでやってくれと頼む。矢野さんにもご挨拶できたので、〈アイルランドの女たち〉の録音をお願いする。

 今日のイベントは日本テレビが主催者のひとつで、カメラが入っていたから、なんらかの番組が作られ、そこでこの2曲も聞けるかもしれない。

 今日の観客はほとんどがカルロスの音楽に初めて接するのだろう。これで少しでもファンが増えてくれることを祈る。10月の日本ツアーも会場で配られたチラシで発表になった。10/13(土)の北九州市から、三鷹、名古屋、滋賀県びわ湖ホール、福井県立音楽堂の10/20(土)まで。千秋楽の福井ではパイプ・オルガンと共演するらしい。

 配られたチラシでは、今日も8名のストリングスを率いていたヴァイオリンの金子飛鳥の新作《AVE》にドーナル・ラニィ、トゥリーナ・ニ・ゴゥナルが参加している。6月上旬発売。05/20以降、公式サイトで詳細発表。

 もう1人、山瀬理桜という「ハルゲンダル・ヴァイオリン」の演奏家のライヴが06/30、代々木八幡の HAKUJU ホールである。こちらはクラシック・ベースの人で、レパートリィもグリーグの曲など。グリーグ没後百年記念事業のひとつ。

 「ハルゲンダル・ヴァイオリン」という呼称があったのか。現地語に近い表記は「ハルゲンダルフェーレ」の筈だが、チラシには「ハーディング・フェーレ」とも表記されている。不思議。「ハーダンガー・ヴァイオリン」ならまだ筋が通る。

 夕食は新宿西口の「渡辺」で鴨せいろ。先日ネットで見つけて、初めて入る。まずまずの蕎麦。場所柄か、価格は高い。

 昨夜から読みさし、往復と開幕前、幕間の間も読みつづけ、鈴木道彦『プルーストを読む』集英社新書読了。本を読むことだけでは精神生活にはならぬ、と著者が引いているプルーストの言葉に粛然となる。

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 「ライヴ・イマージュ5」に出演のため、来日中のカルロス・ヌニェスが、明日の夜、新宿のタワー・レコードでインストア・イベントに出るそうです。連休明け、05/09 のNHKホールでの《メロディーズ・フロム・ゲド戦記》ライヴのための前振り。


 19:00 スタートで、カルロスの他、映画『ゲド戦記』監督の宮崎吾朗と作曲の寺嶋民哉の両氏が出演。ミニ・ライヴとトークショーとサイン会。カルロスの《メロディーズ》を買った人か、映画のDVDの予約をした人に、先着順でサイン会があるそうな。問合せはタワー・レコード新宿店 03-5360-7811 まで。

 このアルバムは出ていることがあまり知られていなかったり、知っていてもサントラと思われているようですが、中身はぜんぜんちがいます。映画の音楽に感激したカルロスが、映画からは離れて、自由に、思う存分、音楽的想像の翼を広げ、その天才をつぎこんでフルに展開したもの。分類から言えば、いわゆるイメージ・アルバムなんでしょうが、だとすれば、イメージ・アルバムの定義も変えるぐらいの出来。

 これについては、昨日、ちょっと取材もしてきましたので、今度の号に記事を書きます。
 えー、20日配信予定の今月号ですが、またまた諸般の事情により、2日ぐらい遅れると思います。乞う、ご容赦。


 もうひとつ、カルロス関連のイベント。ケルト研究の鶴岡真弓さんがお務めの多摩美大でおこなう公開講座に出演するそうです。こちらはイマージュが終わってからかな。04/25(水)の16:30〜18:30。場所は多摩美大・八王子キャンパス、レクチャー棟Bホール。入場無料で、先着順で200名まで。予約などは必要ないらしい。正式タイトルは

多摩美術大学公開講座「21世紀文化論」
2007年度 第1回講演「ケルトの隣人、ガリシアからの響き」


 だそうです。

 不勉強で知りませんでしたが、鶴岡さんは今は多摩美の教授で、しかも中沢新一氏が所長をつとめる芸術人類学研究所の所員でもある由。中沢氏もカルロスの演奏を聞かれるかな。もし、聞かれたら、感想など聞いてみたいもんです。中沢氏は音楽への造詣も並々ならぬものがありますが、カルロスの音楽こそは氏の説く「野生の思考」の音楽化として、最高のもののひとつと思うんですがねえ。

 しかし、これは見たいなあ。八王子は遠いが、行く価値は十分ありそうですね。(ゆ)

 「百人町音楽夜噺」無事、終了しました。ご来場くださった方々、ありがとうございました。

 上野洋子さんが実に要領よくベーシックかつ鋭い話をしてくださったので、大いに助けられました。やはり、実作者は視点が違うので、音楽が立体的に見えてきます。

 選曲は後でお話しを聞いた方々から、一応面白いと言っていただけたので、まず及第点でしょうか。

 選曲も含め、詳しい内容は後日、公式サイトに載ります。音源もなるべく入手しやすいものを選んだつもりです。

 また来年ぐらいに何かできるかもしれません。こんなことをやってくれというリクエストは、公式サイトでも、ここでもかまいませんので、ご遠慮なくお寄せください。

 スコットランドとか、北欧とか、地域別もあるんですが、昨日もちょっと話題になっていた「倍音」とか、あるいは「リード楽器」とか、さらには「モード(旋法)」といった切口でやってみるのも面白そうです。(ゆ)

 新宿百人町に会場を移した「音楽夜噺」通算17回目、今月22日(木)の「ケルト・ミュージックの正体」ですが、予約があんまり入っていないと連絡がありました。ぼく自身はむしろほっとしてるところもありますが、そのおかげで「音楽夜噺」自体の今後の存続が危うくなるのは困るので、御用とお急ぎでない方は、どうぞ、本来のゲスト、上野洋子さんのお話を聞くつもりおいでください。「ネイキッド・ロフト」まで予約を入れていただくとさらにありがたく存じます。

ネイキッド・ロフト
Tel: 03-3205-1556

 あまり、ふだん、聞けないようなものが聞けると思います。お気に召すかどうかはまた別ですが(爆)、ケルトはアイルランドだけではないですから。

 平日の夜ではありますが、「ハナ木」でありますし、会場はなかなかおいしい酒があり、食べ物もシブイ、いや旨い。(ゆ)

 来月17日に発売になるカルロスの新作について、ミクシのカルロスとケルティック・ミュージックのコミュに書きこんだが、みごとに反応がない。映画の評判があまりに悪いので、それにつられて、みな眉に唾をつけているのだろうか。それとも、あんなやつの言うことなんぞ、誰も相手にせんよということか。

 後者ならばまだいい。これは映画の中身とはまったく関係なく、音楽だけで独立しているからだ。映画はついに見る気が起きなかったが、これは映画から生まれた最大の成果として、映画そのものを救うかもしれない。

 カルロスのうまさはどんな曲でもそれなりに聞かせてしまうところがあるが、曲との交感が成立する時の演奏は、天と地を結びつける。技量とか、センスとか、そういう個々の要素ではなく、ミュージシャンとしての魂とでも呼ぶしかない何かの作用だ。壮大な曲はどこまでも広がってゆくし、微妙に震えるコブシを効かせるリコーダーからは宇宙のため息が聞こえる。

 そのカルロスがノりにノッている。全身全霊で曲に惚れこんでいる。冒頭、〈テルーの唄〉のガイタの音を一発聞いただけでわかる。もう歌詞は要らない。手嶌葵の唄と比べてどうこうなのではない。カルロスのパイプの音が響いていれば、他にもう何も要らなくなるだけである。相対的な価値ではない。絶対的な音。

 もともとここでの寺島民哉の曲はケルトの影響が明らかだが、カルロスの手にかかることで、さらに一層大陸的な音楽に熟成している。そのものずばりの〈スパニッシュ・ドラゴン〉はもちろんだが、全体を通して、スペイン、それもアラブのルーツにまで根を下ろしたスペインの風も吹いている。

 カルロスはこれまでに吸収してきた音楽言語を総動員している。アイリッシュはもちろん、スコティッシュもブルターニュも、日本すらもある。アルメニア特産の特異なリード楽器であるデュデュックまで使う。録音テクニックも様々に利用し、メロディのシンプルさを最大限に活用して、重層的立体的な作品を生みだした。言い古された表現だが、聞くたびに発見がある。再生システムの質を上げてゆけば、いくらでも応えるはずだ。

 ただし寺島のパレットにあったのは、アイリッシュやガリシアという具体的なものではなく、抽象化された「ケルト」だったろう。一種の折衷であり、様々な要素を溶けあわせ、洗練させて生みだされたものだ。そしてそこがまたカルロスの資質と共鳴していることも確かだ。カルロスがめざすのはあくまでもルーツに根ざし、けっしてそこから浮きあがりはしないものの、ローカルな枠を越えた領域ではある。ことばの本来の意味での「メジャー」だ。

 カルロスが偉いのは、その領域に到達することで商業的成功だけでなく、音楽的にもそこでしか手に入らない成果をめざしていることだ。言いかえれば、音楽的に妥協することなく、メジャーとしても成功しようと努めている。

 そんなことが可能かと言えば、実例はある。

 チーフテンズである。

 カルロスはあらゆる点でパディ・モローニの手法、「商売のやり方」を盗み、己のものとしている。そのことは多少とも身を入れてかれの活動を追いかけてみれば、誰にでもわかろう。

 そして、このアルバムは、そうした努力の現時点での集大成である。この録音が商業的にも成功するかどうかはわからないし、問題でもない。要は、ルーツをベースとして、可能なかぎり広い範囲の人びとに訴えようと努めることでも、質の高い音楽を作ることは可能であることを証明してみせたのだ。しかもローカルな聴衆だけを相手にするときにはできない質の音楽を作ってみせた。素材が伝統曲だろうと、たまたま作者がわかっている曲だろうと、もう関係はない。

 音楽家としてのカルロス・ヌニェスの姿は、録音の上では十分に花開いていない、と言うのがこれまでのぼくの見方だった。その見方自体は間違っていないと思う。見立てが違っていたのは、花開かない理由を、めざす方向が間違っているからとしたことだ。そうではなく、素材との共鳴が十分でなかった、あるいは持続しなかったためだった。

 カルロスは悪戦苦闘していたのだろう。額の髪の生えぎわがどんどん上がっていったのは、その苦闘の証かもしれない。しかし、その苦闘の蓄積があったからこそ、格好の素材を得たとき、思う存分に展開することができた。

 最後に置かれたカルロスのオリジナルは、映画(なんと言っても今回の映画化がなければこの音楽は生まれなかったのだから)と、それを通して原作へのオマージュとして美しくもあり、そしてカルロスらしく、ちょっとお茶目なものでもある。

 それにしても、このアルバムを聞くたびに、ひととおり全部聞いてから、また最初にもどらずにはいられない。このガイタ、と言うよりはハイランド・パイプの高音、小指を駆使する細かな装飾音のアクセント、ドローンのふくらみ、弟シュルシャの叩きだすスネア……。(ゆ)

   *   *   *   *   *

《MELODIES FROM GEDO SENKI》
Sony SICP 1151

01. Song Of Therru / 谷山浩子
02. Beyond The Darkness (Anthem From Earthsea) / 寺嶋民哉
03. The Misty Land / 寺嶋民哉
04. Spanish Dragon / 寺嶋民哉
05. The Bounty Of The Land / 寺嶋民哉
06. Town Jig / 寺嶋民哉
07. Arren's Way (Gedo Senki Overture) / 寺嶋民哉
08. The End Of The Land / 寺嶋民哉
09. Song Of Time / A Arai & H Hogari
10. Over Nine Waves / Carlos Nunez

Carlos Nunez: gaita, uillean pipes, highland pipes, recorders, whistles, ocarinas, bombards, jewish harp, duduk
Xurxo Nunez: percussions, marimba, guitars, bass, keyboards, accordion
Triona Marshall: Irish harp
Paloma Trigas: violin, viola
Luis Robisco: flamenco guitar
Tamiya Terashima: piano, electronic effects
Masatsugu Shinozaki Strings
Tokyo Chamber Orchestra Society, conducted by Chikako Takahashi

 雨男になったのは、ここに引越してからの気もする。上京の頻度が減ったので目立つのかもしれないが、それにしても、だ。

 まず中野のフジヤエービック。メールで取置いてもらった Proline 2500 の中古とそれにショート・ケーブルを買い、iCans を修理に出す。iCans はなぜか左のユニットがはずれてしまった。買ってちょうどひと月経っていたので、交換ではなく、修理。ようやく基本的エージングがすんだ頃なので、むしろありがたい。

 先日出た iCans のゴールド版があれば試聴しようと訊いてみたら、在庫は置いていないそうな。音に変化はなく、見栄えだけのことらしい。ちょっとがっかり。もっとも、ハウジングをほんとうに純金で作ったら、あんな値段ではすまないだろうし、そもそも重くなりすぎるだろう。

 この時点でもう雨ざんざん。フジヤエービックはサンロードの奥でずっとアーケードがあるから駅からはほとんど濡れずにすむが、店の入っている建物の入り口でアーケードがとぎれていて、ほんの一瞬なのに、傘を差したくなる。しかしなぜあそこだけとぎれているのか。

 渋谷に出てまずは無印良品。雨とわかっているのにハンカチを忘れたので、木綿のタオル・ハンカチとフェイス・タオルを買う。無印良品に入るまでに、靴もズボンの裾も背中のリュックもぐっしょりになる。昼過ぎだったが、店内はがらがら。

 ハチ公前交叉点角で買った甘栗を土産に、プランクトンを訪ねる。長く借りっぱなしだった、チーフテンズの古い資料返却のため。10分ほど歩いたので、ますますぐしょ濡れ。少し休ませてもらう。が、次々に面白い話が出てくるのでついつい長居をしてしまう。

 7月にザンジバルのターラブを呼ぶ予定だそうだが、これが1990年の「東京ムラムラ」で初来日し、やはり初来日だったチーフテンズと同じ日に共演した、その同じグループ。あの時もいいかげん高齢だった婆さんシンガーが健在。推定94歳のあの婆さんがまた来るのだそうだ。奇しくもともに初来日した二つのグループが、17年経って、再び相前後して来日する。これもまた不思議な縁なり。

 そのチーフテンズの来日では、日本側のゲストに意外な人がいて、しかも先日チーフテンズと録音までしたそうな。まだ秘密のその録音も聞かせてもらったが、心底たまげた。本人とチーフテンズと、どちらも凄い。

 デレクの代役であるトゥリーナ・マーシャルはデレクと同じくクラシック出身で、ブライアン・マスターソンの紹介でチーフテンズと会うや意気投合し、トラディショナルにもすっかりはまりこんでしまった由。今ではトゥリーナ、ジョン・ピラツキともう一人のギタリストに、キャラ・バトラーとネイサン(こちらの方が兄と判明)のダンスが加わったバンドでも活動している。1曲だけ収めたそのライヴ・ビデオも見せてもらったが、この組合せでのライヴもぜひ見たい。チーフテンズ来日にほば全員同行してくるのだから、幕間で15分ぐらいでも、できないものか。

 先の録音でもトゥリーナは大活躍で、立派にデレクの穴を埋めている。ハープだけとれば、ひょっとするとデレクより良いかもしれない。デレクはすばらしい後継者を得て、安んじて眠れるだろう。ハープだけのソロ・アルバムが、来年早々予定されていて、これもたいへん楽しみ。この人、ビート感が抜群。

 そのうちにKさんもやってきて、聞かせてくれたのが、カルロス・ヌニェスの新作。01/17に発売になる『ゲド戦記』サントラをやりなおしたもの。カルロスの演奏をもっと聴きたいとジブリ側が言い出して実現したのだそうだ。サントラでは中途半端で切らざるをえない曲を、オケも含めて思う存分展開している。いやあ、拍手。これはカルロスの資質が一番良く現れたものではないか。寺嶋氏のメロディもケルト的でもあり、スペイン的でもあって、カルロスのパイプや笛に実に良く合う。「紅白」には手島葵も出るとか聞いたが、本来ならカルロスがサポートすべきだろう。もうずいぶん前に伊藤多喜雄が出た時、坂田明がサックスでサポートした時のように。

 あまりに話が面白くてふと気がつくともう4時。あわてて辞去し、汐留のマイスペースにむかう。日本版が始まったマイスペースの活用法のレクチャーを受ける。再び雨の中、新橋に電車で出て、歩く。ここへ来たのは久しぶりで、すっかり様変わりしている。新しいビルはどこもそうだが、ものものしいセキュリティ。こんなにまでして何を守るのか。

 30分の遅刻だったので、マイスペースの基本的な説明は終っていて、いろいろな成功例を見せられる。ディランの最新作のヒットも MySpace で本人が行った活動で、従来聞かなかった若者たちが聞くようになったからだそうだ。音楽の世界では、マイスペースはもはやデフォルトで、ページを持っていないと相手にすらされなくなっている。ページを開くと自動的にアップされている音源の演奏が始まること、「フレンド」になるのが気安く、簡単なこと(成功例として見せられたのには「フレンド」の数が150万というのもあった)、一斉通知がやりやすい等々。オーディオと、これから展開するヴィジュアルに特化した SNS という位置づけだろう。

 5時半に終了になり、下のスタバでちょっとお茶してから、Nさん、Oさん、後から来たIさんと八重洲の「やなぎ」で忘年会。特製煮込みハンバーグ、通称NHKはじめ、さんざん食べて幸せ。10時半過ぎ、さらに激しくなった雨の中を帰る。もうラスト・オーダーという頃にかなり年配の男性客が入ってくる。相当な常連らしいが、こんな天気の日に飲んで帰ったら足下が危ない、酒は出さないよ、早くお帰りとマスターに叱られて、しおしおと帰っていった。いい店だ。

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