クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:クレツマー

 村井さんの「時空を超えるジャズ史」4回目は「移民都市、ニューヨークの音楽:世紀末から1930年代まで」。

 ニューヨークが移民都市として発展する要因は主に二つあると思う。エリー運河とエリス島だ。

 1825年に開通したエリー運河はエリー湖東端バッファローの近くからほぼ真東にハドソン川の上流オルバニー近くまで、全長565キロ。これによって五大湖地方が大西洋と結ばれ、内陸との人、モノの流通の量、スピードが格段によくなり、コストもぐんと下がった。ニューヨークが他の大西洋沿岸諸都市を後に置いて商業センターになるのはこの運河のおかげだ。

 エリス島はニュー・ジャージー州ジャージー・シティ沿岸の島で、マンハタン南端バッテリー・パークから自由の女神像に向かうとほぼ中間右手にある。天然の島を埋立で拡張していて、長方形の真ん中に沖側から切れ込みが入る形。切れ込みの中はフェリーの発着場。1892年から1954年まで、ここに移民の検疫、受入れのセンターが置かれ、計1,200万人がここを通って USA に入った。島には伝染病患者などを収容する病院があった。今は史跡として保存され、一般公開されている。

 村井さんが紹介したニューヨーク市(マンハタン、ブルックリン、クィーンズ、ブロンクス、スタテン島)の人口の変化をみるとエリス島の影響の大きさがよくわかる。Wikipedia によれば、こんな具合だ。

1840          391,114
1850          696,115          +305001
1860          1,174,779          +478664
1870          1,478,103          +303324
1880          1,911,698          +433595
1890          2,507,414          +595716
1900          3,437,202          +929788
1910          4,766,883          +1329681
1920          5,620,048          +853165
1930          6,930,446          +1310398
1940          7,454,995          +524549
1950          7,891,957          +436962

 1900年からの30年間に倍増し、350万人増えている。一つの都市でこれだけの短期間にこれだけの人口増加したのは、空前にして絶後だろう。しかもその内実はヨーロッパ各地からやってきた言語からして異なる人たちだ。英語を話せなかった人たちが大半だっただろう。アイルランドからの移民について、村井さんはダブリン周辺からの人たちと言っていたが、ダブリンのようなアイルランドにしては都会からよりも農村出身がほとんど、アイルランド語のネイティヴで英語は話せない人たちだった。

 移民たちはニューヨークの中で出身地毎に固まって住む傾向があった。アイルランド、イタリア、ギリシャ、ユダヤという具合だが、各地域の間に壁があったわけでもなく、往来は自由だから、「ルツボ」になる。各々がもってきた音楽はごった煮になる。

 第一部はこの移民たち、ヨーロッパからの「新移民」たちの音楽。なのだが、各々の音楽そのものというよりは移民たちを題材にした音楽の趣。

 最初の〈Street piano medley〉は Len Spencer, Bill Murray という当時有名だったアイルランド系シンガーを August Molinari というピアニストが伴奏する。ピアニストは名前からしてイタリア系だろう。やっている音楽はラグタイムといっていい。

 次はそのビル・マレィによる〈Yes! We have no bananas〉。ギリシャ人八百屋の口癖をおちょくる歌で大ヒットした。ギリシャ語では日本語と同じく「バナナはないか」と訊かれると「はい、ありません」と答える。英語の通常用法では「いいえ、ありません」と答えなければならないわけだ。この歌をめぐってはスコット・フィッツジェラルドもエッセイを書いているそうな。それにしてもこのバックは上手い。

 3曲目からはユダヤ系の音楽がならぶ。まずはアイザイア・バーリン。ここでかかった初期の曲では確かにクレツマー系のメロディが聞える。

 次の Joseph Cherniavsky Yiddish American Jazz Band というバンドの曲はタイトルもイディッシュ語で、オケではあるが今聞いてもクレツマーで通じる。この頃にはデイヴ・タラスやナフトゥール・ブランディワインが活動を始めていたはずで、よりオーセンティックなクレツマーは別にあったのだろう。イディッシュ・アメリカン・ジャズ・バンドという名乗りはそうしたクレツマーとの差別化をはかったのかもしれない。タラスやブランディワインのコテコテのクレツマーはイディッシュしか話せない移民しか聞かず、それとは違う誰でも聞ける音楽、あるいは当時流行の「ジャズ」の範疇なのだと言いたっかたのではないか。

 こういうクレツマー・ベースのジャズの現代的展開の一つとしてここでジョン・ゾーンのマサダがかかる。マサダはもう30年続いていて、様々な形があるが、今回は最新のカルテットでジュリアン・ラージが入っている。ラージの演奏を嬉しそうに見ているゾーンの表情が面白い。

 次はユダヤ系ジャズの一つの到達点ガーシュウィン、それも本人の演奏による〈I Got the Rhythm〉。こんな映像が残っているだけでもびっくりだが、カメラ3台で撮っていたというのにのけぞる。それにしても上手い。

 仕上げに〈ラプソディ・イン・ブルー〉を初演したポール・ホワイトマン楽団による緑苑。今聞くとばかばかしいことを大真面目にやっているように聞える。クラリネット・ソロから始めるのはクレツマーへのオマージュだろうか。

 第二部は黒人の流入による「ハーレム・ルネッサンス」。こちらは国内移民というべきか。

 ここで初めて耳にしたのが、James Reese Europe という御仁。アラバマ州モバイルに1880年に生まれ、1904年にニューヨークに来る。この人、音楽的才能もさることながら、組織力があった人で、Clef Club という黒人ミュージシャンの同業者組合を組織した。1910年にカーネギー・ホールでプロト・ジャズのコンサートを開いている。ポール・ホワイトマンとガーシュウィンのエオリアン・ホール・コンサートに先立つこと12年、ベニー・グッドマンがカーネギー・ホールでやる26年前。しかもクレフ・クラブのミュージシャンたちは黒人作曲家の楽曲だけを演奏したというから、ユーロップさん、相当に時代に先んじていた。

 第一次世界大戦にアメリカが参戦したとき、黒人部隊も編成される。その軍楽隊を組織したのもユーロップ。1918年元旦にフランスに上陸した部隊に対するフランス軍兵士たちの歓迎への返礼に「ラ・マルセイエーズ」を演奏した時の様子をユーロップの伝記から村井さんは引用している。ユーロップ流のリズミカルな演奏にフランス人たちははじめ何の曲かわからなかった。

 ユーロップは1919年に帰国した直後、ちょっとした口論がもとで刺殺されてしまうが、クレフ・クラブの影響力は残る。これも村井さんが引用している佐久間由梨氏の論文によると、1924年当時、ジャズに四つのカーストがあった。証言しているのはデューク・エリントン楽団のトランペッター、レックス・スチュアート。トップがクレフ・クラブのオケ。次がベッシー・スミスなど女性ブルーズ・シンガーを擁する巡業楽団。これは仕事が絶えず、引っ張りだこだったかららしい。3番手がコットン・クラブのような白人専用のクラブで人気を博したフレッチャー・ヘンダーソンなどの楽団。エリントンの楽団もここに入るだろう。最低にいたのがラグタイムやストライド・ピアノなどを演奏する人たちで、黒人労働者向けの小さなクラブや、家賃を工面するため間借り人が入場料をとって開いたレント・パーティなどに出ていた。

 ということでこの四つを聞いてゆく。

 まずはジム・ユーロップ率いる第三六九歩兵連隊通称ハーレム・ヘルファイターズ所属軍楽隊による〈ラシアン・ラグ〉。ラフマニノフの嬰ハ短調前奏曲をイントロにしている。同じ曲をジェイソン・モランによるユーロップへのトリビュート・アルバムから聴き比べる。

 フランスで大成功して移住したジョセフィン・ベイカーのダンスの動画。こんなものもあるんですねえ。ベイカーは来日もしていて、たしか荷風が書いていなかったかしらん。ダンスもだが、目付きが面白い。ここで休憩。

 後半はベッシー・スミスの〈セントルイス・ブルーズ〉から始まる。バーで歌っているという仕立ての動画で、コール&レスポンスだ。

 カーストの3番目、ヘンダースン、エリントン、キャブ・キャロウェイの三連荘はおなじみではある。キャブ・キャロウェイの動画、もちろんフィルムだが、初めて見るので面白い。こうしてみると音楽というよりは芸能だ。この人は大変な才能があり、業績も大きいとどこかで読んだが、誰かいーぐるで特集してもらえんかのう。

 ファッツ・ウォラーと共演しているのがタップ・ダンサー、ビル・“ボージャングルズ”・ロビンソンと聞くと、、ジェリー・ジェフ・ウォーカーが作って、ニッティー・グリッティー・ダート・バンドでヒットした〈ミスタ・ボージャングルズ〉を思い出すが、直接の関連はないらしい。歌でのミスタ・ボージャングルズは通称だけいただいた白人のタップ・ダンサーだ。

 第三部はカリブ海からの移民たちの音楽。具体的にはプエルト・リコとキューバからだ。

 前者については前出のジム・ユーロップが軍楽隊を組織するに際して、3日間プエルト・リコのサン・ホアンに行き、若く有能なミュージシャンを13人連れ帰ったという話を、村井さんは伝記から引用している。遙か後年、ライ・クーダーがキューバにでかけ、ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブを出すのを思い出す。この時ニューヨークに渡ったミュージシャンたちは後にプエルト・リコ音楽の展開に大きく貢献することになったそうだ。

 最後にかかったのはキューバ原産の〈El manicero〉すなわち〈ピーナッツ売り〉。世界的な大ヒットになり、ルンバ・ブームを起こす。サッチモ、エリントンはじめ多数のカヴァーがあり、本朝でもエノケンがやっている。聞けばああ、あれとすぐわかる。

 1930年代、ナチスと戦火のヨーロッパからの移民の数はまた増える。ここにはユダヤ系のミュージシャンたちも多数いたはずだ。もっとも30年代を席捲し、ジャズをアメリカ全土に広めたスイングの王様ベニー・グッドマンはユダヤ系だがアメリカ生れ育ちだ。父親が19世紀末にワルシャワから渡った。

 移民は今また世界的問題になっているが、つまるところ移民によって、人が移動することによって文化が生まれ、新たに再生してゆく。ニューヨークの音楽が面白いのは、絶えず移民が入っているからだろう。そしてその面白さがまた新たな移民を引きつける。

 ニューヨークではスイングに続いてビバップが起きるわけだが、それはまたのお愉しみ。

 この連続講演、次は9月7日。あたしは残念だが別件があって行けない。(ゆ)

 このデュオのレパートリィは一番好みに近い。バッハからスウェーデン、キルギス、そしてクレツマー。これからも広がりそうだ。いずれアイルランドやブリテン群島にも行ってくれるか、と期待させるところもある。

 これで三度目のライヴで、どんどん進化している。今回のハイライトは何といっても第一部の2曲目というか後半。バッハ、無伴奏チェロ組曲第二番をまるまるデュオでやる。元来無伴奏の曲に伴奏をつけるというのは、クラシックの常識からすれば無謀、野蛮だろうが、少なくともこの演奏はバッハ本人が聴いても喜んだろう。さすがにかなり綿密にアレンジしてあると見えて、ナベさんも楽譜を見ながら演っている。何よりも本来原曲に備わるグルーヴが実際に活き活きと感じられたのがすばらしい。ダンス・チューンとして聞えたのだ。今年初めに出たアイルランドの アルヴァ・マクドナー Ailbhe McDonagh の録音で感じられたグルーヴがより明瞭に出ていた。実は無伴奏というのは誤解で、バッハ本来の意図はこちらなのだ、と言われても納得できる。聴いていてとにかく愉しかった。

 興味深かったのは、新倉さんが、全世界の孤独なチェリストはナベさんと共演すべきだ、と言っていたこと。ただ独りで演るのはなんとも寂しく、心細く、これまでどうしても演る気になれなかったのだそうだ。バッハの無伴奏組曲6曲はおよそチェリストたる者、己のものとして弾ききることは窮極の目標であろう。ヴァイオリン=フィドルと異なり、チェロで伝統音楽から入る人はいない。必ずクラシックからだ。チェリストは全員がクラシックの訓練を受けている。チェロ・ソナタやコンチェルトで目標になる曲も多々あるだろうが、そういう曲は相手が要る。バッハの無伴奏組曲は独りでできる。一方でそれはまったくの孤独な作業にもなる。あのレベルの曲を独りで演るのは寂しいことなのだ。ナベさんとのこの共演を経ていたので、初めて第一〜第三番を弾くリサイタルができたと言う。ナベさんが傍にいる感覚があったからできたと言うのだ。ひょっとすると、それはあのグルーヴを摑むことができたからかもしれない、とも思う。これまでのこの曲の録音で本来あるはずのグルーヴが感じられず、楽曲が完全に演奏されきっていない感覚がどうしてもぬぐえなかったのは、奏者が独りでやらねばならず、頼れるものが無かったせいなのかもしれない。

 一方でナベさんに言わせると、グルーヴは揺れている。それもわかる。ダンス・チューンだとて、拍が常に均等であるはずはない。実際、ナベさんがやっていたスウェーデンのポルスカのグルーヴも別の形で揺れている。

 このチェロと打楽器によるバッハ無伴奏組曲の演奏は革命的なことなのではないか。二人とも手応えは感じていて、全曲演奏に挑戦するとのことだから大いに期待する。その上で新倉さんによる独奏も聴いてみたい。そして両方のヴァージョンの録音をぜひ出してほしい。

 第二部も実に愉しくて、バッハの組曲ばかりが際立つということがないのが、またすばらしい。まず二人のインプロヴィゼーションが凄い。ほんとに即興なのか、疑うほどだ。ラストもぴたりと決まって、もう快感。

 そして前回初登場の新倉さんによるカザフスタンのドンブラとナベさんのキルギスの口琴の再演。ドンブラはストローク奏法だが、〈アダーイ〉というこれは相当な難曲らしい。しかし新倉さんがやるといとも簡単そうに見える。ピックの類は使わず、爪で弾いているようだ。カザフやキルギスなど、中央アジアの草原に住む遊牧民たちは各々に特徴的な撥弦楽器を抱えて叙事詩を歌うディーヴァに事欠かないが、いずれ新倉さんもその一角を占めるのではないかと期待する。

 第二部後半はクレツマー大会で、まずは前回もやった有名な〈ニグン〉。クレツマーといえばまずクラリネット、そしてアリシア・スヴィガルズのフィドルがあるけれど、チェロでやるのは他では聴いたことがない。この楽器でここまでクレツマーのノリを出すのも大したものだと感心する。スキャットもやり、おまけに二人でやってちゃんとハモっている。これまた快感。続くイディッシュ・ソング・メドレー、1曲目の〈長靴の歌〉では、チャランポランタンの小春による日本語詞も披露した。

 それにしても、たった二人なのに、何とも多彩、多様な音楽を満喫できたのにあらためて感謝する。ともすれば雑然、散漫になるところ、ちゃんと一本、芯が通っているのは、二人の志の高さの故だろう。それに何より、本人たちが一番愉しんでいる。関東では次のライヴまでしばし間があくらしいが、生きて動けるかぎりは参りましょう。

 出てくると神楽坂はまさに歓楽街。夜は始まったばかり。こちらはいただいた温もりを抱えて、家路を急いだことでありました。(ゆ)

 笛とハープは相性が良い。が、ありそうであまりない。マイケル・ルーニィ&ジューン・マコーマックというとびきりのデュオがいて、それで充分と言われるかもしれないが、相性の良い組合せはいくつあってもいい。梅田さんは須貝知世さんともやっていて、これがまた良いデュオだ。

 このデュオはもう5回目だそうで、いい感じに息が合っている。記録を見ると前回は3年前の9月下旬にやはりホメリで見ている。この時は矢島さんがアイルランドから帰国したばかりとのことでアイリッシュ中心だったが、今回はアイリッシュがほとんど無い。前日のムリウイでの若い4人のライヴがほぼアイリッシュのみだったのとは実に対照的で、これはまたこれで愉しい。

 スウェディッシュで始まり、おふたり各々のオリジナル、クレツマーにブルターニュ。マイケル・マクゴールドリックのやっていた曲、というのが一番アイリッシュに近いところ。どれもみな良い曲だけど、おふたりのオリジナルの良さが際立つ。異質の要素とおなじみの要素のバランスがちょうど良い、ということだろうか。3曲目にやった矢島さんの曲でまだタイトルが着いていない、作曲の日付で「2022年07月22日の1」と呼ばれている曲は、サンディ・デニーの曲を連想させて、嬉しくなる。

 矢島さんは金属フルート、ウッド・フルート、それにロゥホィッスルを使いわける。どういう基準で使いわけるのかはよくわからない。スウェディッシュやクレツマーは金属でやっている。梅田さんの na ba na のための曲は、一つは金属、もう一つはウッド。どちらにしても高域が綺麗に伸びて気持ちがよい。矢島さんの音、なのかもしれない。面白いことに、金属の方が響きがソフトで、ウッドの方がシャープに聞える。このフルートの風の音と、ハープの弦の金属の音の対比がまた快感。

 もっとも今回、何よりも気持ちが良かったのはロゥホィッスル。普通の、というか、これまで目にしている、たとえばデイヴィ・スピラーンやマイケル・マクゴールドリックが吹いている楽器よりも細身で、鮮やかな赤に塗られていて、鮮烈な音が出る。この楽器で演られると、それだけで、もうたまらん、へへえーと平伏したくなる。これでやった2曲、後半オープナーのマイケル・マクゴールドリックがやっていた曲とその次のブルターニュの曲がこの日のハイライト。ブルターニュのメドレーの3曲目がとりわけ面白い。

 マイケル・マクゴールドリックの曲では笛とハープがユニゾンする。梅田さんのハープは積極的にどんどん前に出るところが愉しく、この日も遠慮なくとばす。楽器の音も大きくて、ホメリという場がまたその音を増幅してもいるらしく、音量ではむしろフルートよりも大きく聞えるくらい。特に改造などはしていないそうだが、弾きこんでいることで、音が大きくなっていることはあるかもしれないという。同じメーカーの同じモデルでも、他の人の楽器とは別物になっているらしい。

 クローザーが矢島さんとアニーの共作。前半を矢島さん、後半をアニーが作ったそうで、夏の終りという感じをたたえる。今年の夏はまだまだ終りそうにないが、この後、ちょっと涼しくなったのは、この曲のご利益か。軽い響きの音で、映画『ファンタジア』のフェアリーの曲を思い出すような、透明な佳曲。

 前日が活きのいい、若さがそのまま音になったような新鮮な音楽で、この日はそこから少しおちついて、広い世界をあちこち見てまわっている感覚。ようやく、ライヴにまた少し慣れて、身が入るようになってきたようでもある。

 それにしても、だ、梅田さん、そろそろCDを作ってください。曲ごとにゲストを替えて「宴」にしてもいいんじゃないですか。(ゆ)

 いやあ、もう、サイコーに気持ち良い。ダブル・パイプはドローンが出ただけで有頂天になってしまうんですと中原さんは言う。パイパーはパイプを演奏していると脳内麻薬が出てきて、にやにやしてしまうと鉄心さんも言う。聴いている方でもいくぶん量は少ないだろうが、快感のもとは出ている。パイプの音の重なりには他には無い気持ち良さがある。スコットランドのパイプ・バンドの快感もおそらく同様のものなのだ。

 それにしてもイリン・パイプの音の重なりは実際に、生で聴かないと、その本当の気持ち良さはたぶんわからない。この日はまず午前中雨が降って、湿度がパイプにちょうど良いものになった。会場はレストランで、ミュージシャンたちの背後は白壁だが、上の方が少し丸くなっている。天井も円筒形。ここは以前、さいとうともこさんを聴いたが、生楽器が活きるヴェニューだ。この日もアコースティック・ギターに軽く増幅をかけた他はすべて生音。

 イリン・パイプのデュオは中原さんと金子鉄心さんが臨時に組んだもの、というよりパイパーが二人いるから一丁一緒にやるかという感じのセッションで、この日のライヴの本来の趣旨からはいささかずれるのだが、これを聴くというより体験できたのは、まことに得難く、ありがたく、生きてて良かったレベルのものでありました。

 ふだん関西で活動している鞴座が東下するので、中原さんがそれを迎えてフィドルの西村さんをひっぱり出してデュオのライヴを仕込んだ、というところらしい。西村さんとのデュオは断続的に10年ほど前からやっているそうだが、この日は久しぶりに人前で演奏するものだという。とはいえ、二人の呼吸はぴったりで、フィドルとパイプのデュオの楽しさを満喫する。

 そろそろデュオという名のとおり、速い曲をたったかたったか演るのではなく、ゆったりとした演奏なのも肩の力がいい具合に抜ける。ジグをゆっくり演奏するのがこんなに良いものとは知らなんだ。ホーンパイプ、いいんですよねー、というのにはまったくその通りと相槌をうつ。何度でも言うが、ホーンパイプこそはアイリッシュのキモなのだ。ホーンパイプをちゃんとホーンパイプとして聴かせられるのが、アイリッシュ・ミュージックのキモを摑んでいる証である。では、どういうのがちゃんとしたホーンパイプか、というのは、いつものことだが言葉では表しがたい。あえて言えば、あの弾むノリをうまく弾ませられるかどうかが明暗を分ける。一方で弾んでばかりではやはり足りなくて、あの粘りをうまく粘れるか、もポイントだ。

 このデュオは基本的にユニゾンだが、時々、片方がドローンだけやったり、また一カ所、フィドルがソロで始めたのがあって、すぐにユニゾンになったのには、もう少しソロで聴いていたかった。ワンコーラスくらい、それぞれに無伴奏のソロでやるのもいいんじゃないかとも思う。それにしても、これだけ中原さんのパイプをじっくり聴くのも久しぶりのような気もする。

 そろそろデュオは6曲ほどで、鉄心さんが呼びこまれ、3曲、ダブル・パイプとこれにフィドルが加わる形で演る。これが聴けただけでも来た甲斐があった。

 休憩の後、鞴座の二人に今回は録音でもサポートし、エンジニアもやられている岡崎泰正氏がアコースティック・ギターで加わる。岡崎氏は1曲〈Gillie Mor〉ではヴォーカルも披露する。スティングがお手本らしいが、なかなか聴かせた。

 鞴座は鞴を用いた楽器のユニットということで、レパートリィはアイルランドやらクレズマーやらブルガリアやら、おふたりの心の琴線に響いた音楽のエッセンスをすくい上げ、オリジナルとして提示する。その曲、演奏には、わずかだが明瞭なユーモアの味が入っているのが魅力だ。ルーツ・ミュージックをやる人たちは往々にしてどシリアスになりがちだが、鞴座の二人の性格からだろうか、聴いているとくすりと笑ってしまう。どこが可笑しいとか、ここがツボだという明瞭なものがあるわけではない。吉本流にさあ笑え、笑わんかい、と押しつけたり騒いだりもしない。別に笑いをとろうと意識していないのだ。ただ、聴いていると顔がほころんできて、にやにやしてしまう。鉄心流に言えば、脳内麻薬が降りてきているのだろう。

 藤沢さんはもっぱら鍵盤アコーディオンのみだが、鉄心さんはパイプだけでなく、ソプラノ・サックスやらホィッスルやらもあやつる。これがまたとぼけた味を出す。鉄心さんのとぼけた味と、藤沢さんのいたってクールな姿勢がまた対照的で、ボケとツッコミというのでもなく、二人の佇まいにふふふとまた笑いが出る。

 岡崎氏のギターも長いつきあいからだろう、いたって適切、サポートのお手本の演奏だ。

 アンコールは全員で〈Sally Garden〉。これが意外に良かった。2周めでは鉄心さんのパイプがハーモニーに回り、これまた美味。

 もう一度それにしても、ダブル・パイプはまた聴きたい。鉄心さんだけでもやって来て、一晩、イリン・パイプだけ、なんてのをやってくれないものか。

 All in Fun は料理も旨く、生楽器の響きも良く、また来たい。大塚の駅前は都電が走っていてなつかしいが、幸か不幸か、電車は来なかった。来ていたら反射的に乗ってしまいそうだ。(ゆ)

そろそろデュオ
中原直生: uillean pipes, whistles
西村玲子: fiddle

鞴座
金子鉄心: uillean pipes, soprano saxophone, whistle
藤沢祥衣: accordion
+
岡崎泰正: acoustic guitar, vocal


The First Quarter Moon
鞴座 Fuigodza
KETTLE RECORD
2019-02-17


フイゴ座の怪人
鞴座
KETTLE RECORD
2016-12-17


鞴座の夜 A Night At The Fuigodza
鞴座
KETTLE RECORD
2004-10-31






トリケラ旅行紀
鞴座
KETTLE RECORD
2012-07-22


おはなし
鞴座
KETTLE RECORDS
2014-09-14


ふいごまつり
鞴座
KETTLE RECORD
2008-11-09


 1年ぶりの「春の」ゲンまつり。「春の」とつけたおかげで、夏秋冬にもそれぞれやって、今回一回り。前回、クレツマーをやるアコーディオン奏者がゲストの時は見られなかったので、今回、クレツマー色が一気に濃くなっているのにはいささか驚いた。やりたい曲をやることに徹底すると全部クレツマーになる、というくらいハマっているそうだ。

 面白いのはこの編成でやると、とりわけチェロがメロディを弾くと、クレツマーの中のアラブの要素が前面に出てくる。クレツマーというよりもほとんどアラブのメロディに聞える。クレツマーの中のアラブ音楽の要素はトルコ経由のはずだが、トルコ音楽よりもマグレブやエジプト、あるいはかつてのシリアあたりの感じだ。アラブ音楽でチェロはまず使われないから、どうしてこういう具合になるのか、ちょっと面白いところだ。

 この編成、フィドル、チェロ、ハープのキモはチェロであるわけだが、巌さんはすっかりハマっているらしく、一年前の、おずおずした様子はもうカケラもない。クレツマーやアイリッシュをチェロで弾くのはあたりまえ、という顔をしてがんがん弾いてくる。

 先日の tricolor の《キネン》レコ発もそうだったが、こういうアンサンブルにチェロが入ってアイリッシュなどをやるときには、チェロは低域担当で、ジャズのベースに相当するところがある。のだが、今回はむしろチェロとしては高域でメインのメロディを弾くときの響きがすばらしい。ホメリという環境もあるかもしれないが、意外にシャープでもある。この太くてシャープという感じは、これまで体験したことがない。あるいはクラリネットに近いか。それこそクレツマーの Dave Tarras とか Naftule Brandiwine あるは最近の Anat Cohen の響きだ。とすれば、チェロでクレツマーをやるのはむしろ王道ではないか。

 この編成でクレツマーをやるのは世界でも他に例がない、と梅田さんは言うが、こんな編成、クレツマー以外でも世界に他に例はない。クラシックだってジャズだって、無い。最近出てきたウェールズの VRi はフィドル、チェロ、ギターだから近いかもしれない。しかしギターとハープの違いは大きい。今回のハープは両手ではじくカッティング。これがまたシャープで、しかもギターのカッティングと違うのは残響が入るので、これまた響きが太くなる。この太さがまたチェロとよく合う。

 フィドルはこうなるとちょっと微妙な立場になる。まだクレツマーを弾くスタイルを摑んでいないきらいがある。もちろん、決まったものがあるわけではなく、それを言えばチェロやハープはこれまでクレツマーにはまず皆無だったわけだ。ただ、他の二つはまったく無かっただけに、何をやってもかまわないが、フィドルは一応使われてもきていて、それなりの伝統がある。Alicia Svigals のような人もいる。

 ただ、それを忠実にエミュレートするのも芸がない、というよりも、たぶん、やっていて楽しいかどうかのところだろう。一つ思ったのは装飾音の使い方だ。クレツマーのメイン楽器はクラリネットで、だからデイヴ・タラスにしてもブランディワインにしても、アナト・コーエンにしても、装飾音は半端ではなくぶちこむ。装飾音の量でいえばアイリッシュと変わらない。ただ、使う音や入れ方は違う。これは案外難しいかもしれない。

 一方でそこを中藤さんがどうやってくるかはまことに楽しみなところだ。当然だが、今のこのユニットの音楽は完成形などではない。たぶん完成することは無いだろう。常に変わってゆく。その変わってゆくところがこちらも楽しみなわけで、そこからすると、中藤さんのフィドルがクレツマーをどう料理してゆくか、が当面楽しみの焦点になる。

 夏は8月前半になるらしい。クレツマーに続いて、ウェールズがこのユニットの「マイブーム」になるか。これまた楽しみなことではある。(ゆ)

 ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのチンドンでデビューしてから20年と聞くとやはり驚く。別に驚くことはないのだが、20年というのは一人の人間にとっては短かくはない。 驚くのはたぶん、それだけの時間の経過をふだんは意識していないからだ。20年前は1997年。インターネットは一応爆発していたが、ニフティのパソコン通信がまだまだメインで、折りから世界的に盛りあがっていたアイリッシュ・ミュージックでわいわい騒いでいた。モノノケもその流れで教えられたから、魂花関連を聴きだしてこちらも20年になるわけだ。おかげでいろんなことを教えられ、あちこち連れていってももらい、すばらしい音楽もたくさん体験できた。その関連で言えば、辺野古の浜辺で見た渋さ知らズは忘れ難い。むろん、いい想いだけでなく、痛い失敗もたくさんして、その重荷は墓場までしょっていくしかない。年をとるとはそういうことでもある。要はプラスマイナスでどちらになるかなので、あたしとしてはプラスの方が圧倒的なのだ。もっとも、プラスもマイナスも単に数字だけの問題ではなく、片方が勝っているからといってもう片方が帳消しになるわけではない。

 という個人的感慨は別として、木暮美和さんはみわぞうとしてみごとに羽化している。20年前、モノノケの一員として神戸の長田に行った頃には、チンドンの鉦と下の太鼓だけをちんたら叩いていて、この日ゲストですばらしい芸を見せてくれた「おしどり」のマコさんに、もっと上のタイコ叩かなあかんでえとお尻を叩かれたそうだが、今や、チンドンとシンバルとドラムを駆使するバンドの要。グレイトフル・デッドに無理矢理なぞらえれば、ミッキー・ハートというところ。とりわけ、鉦とシンバルを目にも止まらぬスピードで往復する撥さばきは神技に近い。

 バンドはジンタらムータで、あたしは先日のフランク・ロンドンを迎えてのライヴで初めて体験したので、昔を知らないが、今のバンドはみわぞうとドラムスのふーちんの中心軸がびしりと決まっていて、まあ何でもできる。関島岳郎、ギデオン・ジュークスのダブル・チューバがこの日のハイライトの一つだったが、これもふーちんの芯の強い、奔放なドラミングが二人をぐんと押し上げる。誰にでもここまでやれというのは酷かもしれないが、少なくとも太鼓を叩くからには、たとえロック・バンドであろうとロックだけ聞いたり叩いたりするのではなく、これくらいの柔軟性を備えてほしい(ここで言ってもしようもないが、あんたのことだよ、Spinnish のドラマー)。このところ、渡辺庸介さんとか熊谷太輔さんとか小林武文さんとかゆかポンとか、優れた打楽器奏者に出逢えてほくほくしているが、ふーちんはあたしとしては近年最大の発見かもしれない。

 みわぞうはチンドン奏者としてもさることながら、これまたフランク・ロンドン公演の余波で、うたを聴きたいと思っていた。前半の東ティモールのうたも良かったが、ハイライトはザッパの〈Peaches en Regalia〉から〈鳥の歌〉のメドレー。そして、モノノケとして何百回となく演奏しながら、これまでうたったことはなかったという〈満月の夕〉は、やはり特別だ。先日も河村博司さんがうたわれていたが、このうたはもっといろいろな人がもっといろいろにうたって欲しい。ただの名曲とかそういうものではすまないものがこのうたにはある。美しいものだけでなく、醜いものもここにはあって、だからこそすばらしいのだ。醜いものが美しいものを引き立てるのではなく、醜いものは醜いままにあることがすばらしい。このうたに声を合わせていると、そのことがすとんと納得されてくる。

 大熊さんはバンマスとしても大活躍だったが、この日はクラリネットよりも鉄琴が良かった。別にうまいというのではないが、効果的、というと功利を云々するようでふさわしくないけれど、いいところでうまい具合に入れて、全体を浮上させていた。各種の「おもちゃ」の使い方も堂に入っていて、まさにフランク・ロンドンの衣鉢を継ぐところだ。

 フランク・ロンドン公演はいろいろな意味でよい影響を与えていたようで、バンド全体のテンションの高さははんぱではなかったが、唯一、首をかしげたのは午後6時という開演時刻。土曜日だからだろうか。まあ、おかげで終バスには間に合ったのだから文句を言う筋合いはないはずだが、どうも早すぎて、こちらの気分というか、準備というか、リズムというか、まだまだこれからだろうと感じてしまうのである。デッドのように午後8時から始めて1時2時過ぎまでやれとはいわないし、ライヴのたびに駅から深夜料金のタクシーというのもいささか困るが、早いならむしろ昼の3時くらいからやるというのはどうだろう。

 ゲストとして休憩のときに出てきて、おおいに楽しませてくれたおしどりにも喝采。ふだん漫才は見ないので、その分新鮮でもあった。テレビなどでは絶対にできない芸をたくさん見せてくれたのも嬉しい。喜美こいしがやめてくれと言われながら湾岸戦争ネタの芸をやり続けた姿に教えられたというかれらの芸にも1本筋が通っている。深刻な話を笑いとばすことは、もっともっとあっていいと思い知らされる。おしどりのマコさんは長田高校出身で、阪神淡路大震災の後、モノノケが被災地を回ったとき、チンドン屋でアコーディオンを弾いていて出会ったという縁の由。こういうものを見られたのも、みわぞうの徳というもの。これからもあらためて追っかけよう。(ゆ)

 やあっぱりフランク・ロンドンは面白い。

 この人はトランペットの名手ではあるけれど、それ以上に一緒に演る人たちをノせて、音楽を面白くする名人なのだ。普段のジンタらムータを見ていないから比較はできないが、しかし大熊さんはじめ、各メンバーのノリがいいのは、最初の一音からよくわかる。

 アナウンスもなく、客電も落ちずに、まるで準備のためのようにメンバーがばらばらとステージに現れて、いきなり始める。この音楽はそういうスタイルがよく似合う。しかも初っ端から全開で、フルスピードで突っ走る。そしてそれが最後まで途切れない。というよりも、どんどん良くなってゆく。

 後半もまったくテンションは落ちず、梅津、関島、中尾、巻上が加わって、パワーははてしもなく上がってゆき、いやもう、こんなに楽しいライヴはやあっぱり何年に一度だ。

 もちろんアップテンポばかりでなく、初めに2曲速い曲を続けた後、一転してやったスローな曲もよかったし、後半冒頭で、みわぞうが箏を弾いた曲もすばらしい。

 ハイライトはいくつもあった、というより、もうずっとハイライトなのだが、印象に残るのはやはり〈魔法使いサリーの主題歌〉とロンドンがこの来日公演のために書き下ろしたという曲、それに巻上公一が指示を出して、メンバーが次々に受け渡してゆく曲。〈サリー〉はなるほどこうしてうたわれるとクレズマーだ。今は知らないが、昔のテレビアニメの主題歌はいろいろな実験をやっていた。実験という意識もたぶん無く、やっていた。当時日本に入っていたポピュラー音楽のジャンルやスタイルは残らず取り入れていたはずだ。クラシックももちろんあった。とすれば、クレズマーがあっても不思議ではない。

 ドイツでイディッシュ歌謡の偉大な伝承者から激賞された(『みすず』5月号)というみわぞうのヴォーカルがまた光っていた。シンガーとしての彼女を生で聴くのは初めてで、正直のところ、仰天した。クレズマーはインスト主体の音楽だが、みわぞうのうたはどんなものでもいいから、もっと聴きたい。とりあえず、06-10のみわぞう祭り@スター・パインズ・カフェには予約を入れた。うーん、アイリッシュもうたってくれないか。いや、スコティッシュでもいい。

 大熊さんの生を聴くのも久しぶりで、凄くなったものだ。デイヴ・タラスやナフトゥール・ブランディワインに並べても遜色ないんじゃないか。ちんどんで鍛えられた分、上かもしれない。ふーちん・ぎどのリズム隊もすばらしい。とりわけふーちんのドラムスは、二人だけでやる時同様、キレにキレて、こういう音楽には絶好だ。こうなるともっといろいろな組合せで聴いてみたくなる。佐藤芳明氏はエフェクタを使って面白い音を出している。これまで生で見たときには、もっと小編成だったからやらなかったのか。アコースティック楽器といっても、今やテクノロジーの進化でこんなこともできるようになっているわけだ。

 それにしても梅津さんはやはり凄い。音の太さ、フレーズの活きの良さ、この人のソロになると、その世界に行ってしまう。

 この前、フランク・ロンドンを生で見たのは、あれはもう20年程も前か。新宿のピット・インで、セネガルのモラ・シラと二人で来た時だった。その時のホストは他ならぬ梅津さんで、関島、中尾の両氏はじめ、桜井芳樹、吉田達也という布陣だった。全員が顔を合わせ、音を一緒に出したのはその日の朝だったそうだが、そんなことは全然わからないし、どうでもよくなるくらい、面白く、生涯最高のライヴの一つだ。ロンドンは絶好調で、音楽で遊ぶ達人ぶりを遺憾なく発揮していた。

 エッグマンでのロンドンは年をとったこともあるのだろうが、ピットインの時ほど動きまわらず(もっともステージが狭すぎて、動きまわるスペースも無かった)、指示を出すことも少なかったようだが、むしろスケールは一段と大きくなって、目に見えない雰囲気というか、空間というか、場の作用というか、そういうところで影響がにじみ出ていたようにも思う。

 ロンドンはワールド系の方ではやはり大物の一人らしく、エッグマンは満杯。観客には関口義人さんや萩原和也さん、それに古書ほうろうの宮地夫妻、松村洋氏などなど、知合いがたくさんいた。お客さんもやはりロンドンのやっていることをよく知っている人ばかりの感じだった。これまた久しぶりに3時間立ちっぱなしで、さすがに脚はくたびれたけど、こういうライヴなら疲れもまた楽しからずや。このライヴを実現してくれた方々に深く感謝する。(ゆ)

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