クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 5年ぶりの来日とのことで、前回2017年の来日は見逃していた。あたしが見たのはその前年の初来日で、神谷町の寺の本堂でのライヴだった。この時は個々の楽曲はすばらしいのだが、全体としてはどうも単調で、あまり楽しめなかった記憶がある。

 今回はその時の印象とは見違えるばかりで、楽曲、編曲、演奏、構成、四拍子そろったすばらしいコンサート。人の声とそのハーモニーの多彩な響きを堪能させていただいた。こうなるとヴァルティナと肩を並べる、しかも対照的な音楽を聴かせてくれる。見ようによってはこちらの方が一層洗練されている。ヴァルティナはむしろ野生が華麗なテクノロジーの衣をまとっている。

 中央、椅子の前に大型38弦のカンテレが置かれ、その他に肩から吊るして体の前でギターのように弾く15弦のカンテレを各々が持つ。少ないときはどれか一つ、多い時は大型と小型3台。大型の楽器の前には4人のメンバーが交替で座る。ここに座った者が一応リード・ヴォーカルもとるようだ。

 小型の方はもっぱらリズム・ギターの役割。大型はメロディに加えてベースの役割が大きい。この低音は倍音たっぷりで、しかも芯が通って、軽いのに浸透力がある。ホールいっぱいに拡がってゆくのがなんとも快い。

 前半は劇的な構成で、とりわけ、4曲目『千と千尋の神隠し』のテーマ・ソングを日本語とフィンランド語で歌ったのがまずハイライト。先日の「ノルディック・ウーマン」と同じく、ただ日本産の歌をサービスしてますではない。まず完全に自分たちの音楽として消化したうえで演奏している。正直、歌詞など、こちらの方がすなおに入ってくるし、楽曲の良さもあらためて染みてくる。

 続くマイヤがリードをとる曲では、ヴァルティナを想わせる呪術的な響きが現れてぞくぞくする。あたしなどはこの響きに最もフィンランド的なものを感じてしまう。その次はベース・ワークがすばらしく、コーラスも重心が低くしてなお美しい。そしてその次7曲目。ユッタが大型の前に座り、まずハーモニクスのイントロからモダンな展開をした後のコーラスが、これまで聴いたこともないほど荘厳で可憐でしかも尖っている。歌詞のないコーラスでの即興に身がよじられる。底にビートが流れていて、時に表に現れる。声の重なりが倍音を生み、それがまた全体を増幅する。

 続くのはフィンランドとは親戚のハンガリーの伝統歌をフィンランド語に置きかえた歌。ロメオとジュリエットのストーリーをもつ歌だそうで、メロディは確かにハンガリーに聞えるけれど、これまた自家薬籠中のものにしている。

 プログラムには無いアカペラの曲で前半を締めくくる。

 ここまでで、もう十分来た甲斐はあったし、パンデミックの前からしても、指折りのライヴと思う。

 後半は前半ほどドラマチックではないのだが、どれもこれも前半で上がったままの高い水準の曲と演奏が続く。熊の歌のようなユーモラスなところも顔を出す。小型のカンテレの方がチューニングに手間がかかるらしく、その間をやはりメンバーが交替に MC をする。クリスマスは何が楽しみか。ユッタが音楽ソフト用の新しいプラグインをおねだりしたというのが印象に残る。この人がリードをとる曲はよりモダンで尖った感覚がある。ラストは無印良品のCDにも入れた伝統曲。生で聴くとまた格別。そしてアンコールは〈聖夜〉「きよしこの夜」のフィンランド語版。カンテレの響きが一段と映え、最後の余韻が消えてゆくのに背筋に戦慄が走る。こういう終り方をされると、もうこの後は何があっても余計になる。

 ここは西国分寺駅前にある、定員400人程のホール。客席の傾斜が急で天井が高い。カンテレや声のハーモニーを美しく聴かせてくれる。外に出ると着込んでいても寒気に身がひきしまるけれど、こういう音楽にはやはりこの寒さがふさわしい。(ゆ)




 まさか、こんなものが出ようとは。いや、その前にこんな録音があったとは、まったく意表を突かれました。Bear's Sonic Journal の一環として出たこの録音は1973年10月01日と1976年05月05日のサンフランシスコでのチーフテンズのライヴの各々全体を CD2枚組に収めたものです。

 このリリースはいろいろな意味でまことに興味深いものであります。

 まず、チーフテンズのライヴ音源として最も初期のものになります。それも1973年、サード・アルバムの年。デレク・ベルが加わって、楽器編成としては完成した時期。ライナーによれば、パディ・モローニの手許には1960年代からのアーカイヴ録音のテープもあるようですが、RTE や BBC も含めて、チーフテンズのアーカイヴ録音はまだほとんど出ていません。これを嚆矢として、今後、リリースされることを期待します。

 アイリッシュ・ミュージックのライヴのアーカイヴ録音は RTE や BBC などの放送用のリリースがほとんどで、1970年代前半のコンサート1本の全体が出るのは、あたしの知るかぎり、初めてです。

 次にこの1973年のアメリカ・ツアーの存在が明らかになり、それもその録音、しかも1本のコンサート全体の録音の形で明らかになったこと。チーフテンズが初めて渡米するのは1972年ですが、この時はニューヨークでのコンサート1回とラジオ、新聞・雑誌などのメディアでのプロモーションだけでした。公式伝記の『アイリッシュ・ハートビート』ではその次の渡米はここにその一端が収められた1976年のもので、1973年の初のアメリカ・ツアーは触れられていません。というよりも、1973年そのものがまるまる飛ばされています。

 ここに収められたのは、急遽決まったもので、すでに本体のツアーは終っています。サンフランシスコの前はボストンだったらしく、あるいはアメリカでもアイルランド系住民の多い都市を2、3個所だけ回ったとも考えられます。

 そして、これはより個人的なポイントですが、ジェリィ・ガルシアとチーフテンズの関係がついに明らかになったこと。もう一人のアメリカン・ミュージックの巨人フランク・ザッパとパディ・モローニの関係は『アイリッシュ・ハートビート』はじめ、あちこちで明らかになっていますが、グレイトフル・デッドないしジェリィ・ガルシアとのつながりはこれまで見えていませんでした。

 このライヴはその前日、ベイエリアの FMラジオ KSAN にチーフテンズが出演した際に、ジェリィ・ガルシアがそこに同席し、チーフテンズの演奏に感心したガルシアが、翌日の Old & In The Way のコンサートの前座に招いたのです。ガルシアはチーフテンズの泊まっているホテルに、ロック・ミュージシャンがよく使う、車長の長いリムジンを迎えによこし、これに乗りこもうとしているパディ・モローニの写真があるそうな。Old & In The Way のコンサートはベアすなわちアウズレィ・スタンリィが録音したものがライヴ・アルバムとしてリリースされてブルーグラスのアルバムとしては異例のベストセラーとなり、2013年には完全版も出ました。その前座のチーフテンズのステージも当然ベアは録音していた、というわけです。

 アウズレィ・スタンリィ (1935-2011) 通称ベアは LSD がまだ合法物質だった1960年代から、極上質の LSD を合成したことで有名ですが、グレイトフル・デッド初期のサウンド・エンジニアでもあり、またライヴの録音エンジニアとしても極めて優秀でした。1960年代から1970年代初頭のデッドのショウの録音で質のよい、まとまったものはたいていがベアの手になるものです。また音楽の趣味の広い人でもあり、デッドだけでなく、当時、ベイエリアで活動したり、やって来たりしたミュージシャンを片っ端から録音しています。その遺産が現在 "Bear's Sonic Journal" のシリーズとして、子息たちが運営するアウズレィ・スタンリィ財団の手によってリリースされていて、チーフテンズのこの録音もその一環です。

 実際この録音もまことに質の高いもので、名エンジニアのブライアン・マスターソンが、この録音を聴いて、ミスタ・スタンリーにはシャッポを脱ぐよ、と言った、と、ライナーの最後にあります。

 ガルシアがラジオに出たのは、当時デッドのロード・マネージャーだったサム・カトラーが作ったツアー会社 Out Of Town Tours で働いていたアイルランド人 Chesley Millikin が間をとりもったそうです。

 ガルシアはデッドの前にはブルーグラスに入れあげて、ビル・モンローの追っかけをし、ベイエリア随一のバンジョー奏者と言われたくらいです。当然、ブルーグラスのルーツにスコットランドの音楽があり、さらにはカントリーやアパラチア音楽のルーツにアイリッシュ・ミュージックがあることは承知していました。チーフテンズのレコードも聴いていたでしょう。当時クラダ・レコードはアメリカでの配給はされていませんでしたが、サンフランシスコにはアイリッシュ・コミュニティもあり、アイルランドのレコードも入っていたはずです。母方はアイルランド移民の子孫でもあり、ガルシアがアイルランドの伝統音楽をまったく聴いたことがなかったとは考えられません。

 少しでも縁がある人間とは共演したがるパディ・モローニのこと、ガルシアやデッドとの共演ももくろんだようですが、それはついに実現しませんでした。デッドの音楽とアイリッシュ・ミュージックの相性が良いことは、Wake The Deadという両者を合体したバンドを聴けばよくわかります。

 The Boarding House でのこのコンサートの時にも、チーフテンズと OAITW 各々のメンバーが相手のステージに出ることはありませんでした。アイリッシュ・ミュージックとブルーグラスでは近すぎて、たがいに遠慮したのかもしれません。デッドは後に、セント・パトリック・ディ記念のショウに、カリフォルニア州パサデナのアイリッシュ・バンドを前座に呼びますが、チーフテンズが前座に入ることはついにありませんでした。大物ミュージシャンがデッドの前座を勤めた1990年代でも無かったのは、1990年代前半はアイリッシュ・ミュージックが世界的に大いに盛り上がった時期で、チーフテンズがそのキャリアの中でも最も忙しかったこともあるのでしょう。

 一方、1976年の方は、チーフテンズ初の大々的北米ツアーで、この時のボストンとトロントの録音から翌1977年に傑作《Live!》がリリースされます。そのツアーの1本の2時間のコンサートを全部収めているのは貴重です。チーフテンズはバンドとして、その演奏能力のピークにあります。

 一つ不思議なのは、バゥロンがパダー・マーシアになっていることで、ライナーにあるゴールデン・ゲイト・ブリッジを背景にしたバンドの写真は1976年のものとされており、そこにはパダー・マーシアが映っています。メンバーの服装からしても、10月ではなく、5月でしょう。しかし、このツアーの録音から作られた上記《Live!》ではジャケットにはケヴィン・コネフが入っていて、クレジットもコネフです。

 考えられることはこのサンフランシスコのコンサートはツアーの初めで、まだマーシアがおり、ツアーの途中でコネフに交替して、ボストンとトロントではコネフだった、ということです。

 この時は、ベアはチーフテンズを録るために、会場の The Great American Music Hall に機材を抱えてやってきています。ベア自身、祖先はアパラチアの入植者たちにつながるそうで、マウンテン・ミュージック、オールドタイムなどに対する趣味を備えていました。

 こうしたことは子息でアウズレィ・スタンリィ財団を率いる Starfinder たちによるライナーに詳細に書かれています。このライナーはクラダ・レコードを創設し、チーフテンズ結成を仕掛け、パディ・モローニのパトロンとして大きな存在だったガレク・ブラウンとその家族、つまりギネス家にも光をあてていて、これまたたいへんに興味深い。

 演奏もすばらしい。特に1976年の方は、やはりこの時期がピークだとわかります。チーフテンズの音楽は基本的にスタジオ録音と同じですが、それでもライヴでの演奏は活きの良さの次元が違います。

 ソロもアンサンブルもとにかく音が活きています。たまたまかもしれませんが、あたしには目立って聞えたのがマーティン・フェイのフィドル。いろいろな意味で存在感が大きい。面白いこともやっています。

 加えてデレク・ベルのハープ。ベアの録音はその音をよく捉えています。クライマックスのカロラン・チューンのメドレーの1曲〈Carolan’s Farewell To Music〉のハープ・ソロ演奏は絶品で、こういう演奏を生で聴きたかったと思ったことであります。

 そして、コンサートの全体を聴けるのが、やはり愉しい。構成もよく考えられています。各メンバーを個々にフィーチュアするメドレーから始めて、アップテンポで湧かせる曲、スローでじっくり聴かせる曲を巧妙に織りまぜます。

 何よりも、バンドが演奏を心から愉しんでいるのがよくわかります。パディ・モローニの MC にも他のメンバーが盛んに茶々を入れます。言葉だけでなく、楽器でもやったりしています。皆よく笑います。これを聴いてしまうと、我々が見たステージはもう「お仕事」ですね。

 ゲストがいないのも気持ちがいい。バンドとしての性格、その音楽の特色がストレートに現れています。チーフテンズの録音を1枚選べと言われれば、これを選びたい。

 演奏、録音、そしてジャケット・デザイン、ライナーも含めたパッケージ、まさに三拍子揃った傑作。よくぞ録っておいてくれた、よくぞ出してくれた、と感謝の念が湧いてきます。おそらくパディ・モローニも、同じ想いを抱いたのではないか。リリースの許可をとるためもあって、スターファインダーたちはテープをもってウィックロウにモローニを訊ねます。モローニは近くに住むブライアン・マスターソンの自宅のスタジオで一緒にこの録音を聴いて、大喜びします。モローニが亡くなったのは、それからふた月と経っていませんでした。チーフテンズ結成60周年を寿ぐのに、これ以上の贈り物はないでしょう。(ゆ)

 アウラは2003年結成、というのは今回初めて披露されたのではなかったか。少なくともあたしは初めて知った。メンバーが変わっているとはいえ、聴くたびに成長している、それも、明瞭に良くなっているのがわかるのは、15年選手としては立派なものではある。

 前回は、新たに加わった2人が他の3人に追いついて、レベルが揃ったことで、ぱっと視界が開けたような新しさがあったが、今回はそのまま全員のレベルが一段上がっている。安定感が抜群だ。レベルが揃ってさらに一段上がったことで、それぞれの個性も明瞭になる。まず5人各々の声の性格が出てくる。個人的には星野氏のアルトと菊池氏の声がお気に入りで、今回はそれがこれまでにも増して素直に耳に入ってくるのが嬉しい。菊池氏の声には独特の芯が通っている。他のメンバーの声がふにゃふにゃというわけではもちろん無い。これは声の良し悪し、歌の上手下手とは別のことで、おそらくは持って生まれた声の質だろう。この芯があることで、たとえば長く伸ばす時、声がまっすぐ向かってくる感じがする。この感覚がたまらない。

 ライヴでは唄っている姿も加わって、この点では奥脇氏が今回は頭抜けている。とりわけ、目玉の〈ボヘミアン・ラプソディ〉での、天然な人柄がそのまま現れたような、いかにも楽しそうな唄いっぷりは、この曲の華やかさを増していた。そろそろこのメンバーで全曲録音した新譜をという話も出ていたのは当然。レパートリィも大幅に入れ換わっているし、録音でじっくり何度も聴きたい。

 曲目リストを眺めると、何時の間にか日本語の歌が大半を占めている。こういうクラシックのコーラス・グループにとって、日本語の歌を唄うのはチャレンジではないかと愚考する。クラシックの発声は当然ながら日本語の発音を考慮に入れていない。あれは印欧語族の言葉を美しく聞かせるための発声だ。そのことは冒頭の〈ハレルヤ〉や後半オープニングの〈ユー・レイズ・ミー・アップ〉、あるいは上記〈ボヘミアン・ラプソディ〉を聴けば明らかだ。こういう曲を開幕やクライマックスなどのポイントに配置するのも、その自覚があるからだろう。それにしても、〈ハレルヤ〉をオープニングにするのは、大胆というか、自信の現れというか、これでまずノックアウトされる。

 クラシックの発声で日本語の歌を美しく唄うための試みの一つは、ヨーロッパのメロディに日本語の歌詞を載せることだ。〈Annie Lawrie〉に載せた〈愛の名のもとに〉は前から唄っていたが、今回は〈Water Is Wide〉に日本語のオリジナルの歌詞を載せた〈約束〉を披露した。むろん水準は軽くクリアしているが、アウラに求められるような成功には達していない気もする。どこが足りないか、あたしなどにはよくわからないが、メロディと日本語の発音の組合せが今一つしっくりしていないように聞える。唄いにくそうなところがわずかにある。

 その点では沖縄の歌の方がしっくりなじんでいる。あるいは日本語の民謡や〈荒城の月〉もなじんでいるようだ。とすると、メロディと発音の関係だろうか。ヨーロッパでも、たとえば本来アイルランド語の伝統歌を英語で唄うとメロディと歌詞がぶつかる、とアイルランド語のネイティヴは言う。

 あるいは詞の問題か。ヨーロッパのメロディに日本語の詞を載せることは、明治期になされて、小学校唱歌として残っている。現代の口語よりも、明治期の漢文調の方が、異質のメロディには合うということだろうか。

 アレンジはどれも見事だ。今回感じ入ったのは、詞をうたっている後ろでうたっているスキャットやハミング、あるいは間奏のアレンジがすばらしい。たとえばわらべうたの〈でんでらりゅう > あんたがたどこさ〉のメドレー。そして〈星めぐりの歌〉のラストの星野氏のアルトがぐんと低く沈むのは、今回のハイライト。

 安定感ということでは、最初から最後まで、テンションが変わらない。以前は、ラストやアンコールあたりで、エネルギーが切れかけたようなところもあったが、今はもうまったく悠々と唄いきる。クラシックのオーケストラなどでは、最初から最後まで常に音を出している楽器は皆無なわけで、2時間のコンサートで全曲、全員が最初から最後まで音を出す、それも声を出し続けるのは、相当のスタミナが必要なはずだ。アウラが観光大使になった沖縄本島は金武町のとんでもなく量の多いタコライスを食べつくすというのも無理はない。

 ああ、しかし、人間の声だけのコンサートの気持ち良さはまた格別。彼女たちが婆さんになった時の歌を聴いてみたいが、そこまではこちらが保たないのう。(ゆ)

 恒例となったアウラのクリスマス・コンサート。今年はこれまであたしが聴いた中ではベストのライヴとなった。こういうライヴができるとなると、新録が欲しくなる。

 理由の一つは池田有希、奥脇泉両氏の進境ではあろう。今回聴いてから振り返ってみると、今まではコーラスの一角を担うのに精一杯で余裕が無かった、と見える。今回は明らかに余裕ができて、唄うことを楽しんでいる。これまでは他のメンバーに引っ張られていたのが、独立した一個のうたい手として、コーラスに参加している。

 従来のアウラが悪かったというわけでもないのだが、今回のパフォーマンスを体験してしまうと、これこそが本来の姿、潜在していたものが花開いた姿だとわかる。それは初代のアウラとも違うはずで、そちらの生を聴いていないから断言はしないが、あらためて輝きだした新しいユニットは、ずっと進化しているのだろう。初めから終りまで、歌唱のレベルはびくともしなかったし、むしろ後になるにしたがい、良くなるようにも見えた。〈You Raise Me Up〉は、正直なところプログラムを見て「またかよ」と思わないでもなかったが、実際に聴いてみれば、やはりこれは佳曲だとの思いを新たにさせられたし、その前のジョン・レノンの〈Happy Christmas〉にこめられたパワーは鳥肌ものだった。そしてアンコール、ヘンデルの〈メサイア〉には圧倒された。

 前半のハイライトはダイナミックな〈十日町小唄〉だが、日本語でうたわれた歌はどれも良かった。毎回唄われる〈花〉もアレンジを変えていると聞える。そう、同じ曲を唄っても、同じことをしない。毎回、アレンジを変え、アクセントを変え、唄い方も変えてくる。やはりライヴでは同じことを繰返さなかったグレイトフル・デッドにイカレているあたしとしては、これは高く評価する。

 奥脇氏のMCの時に〈花のワルツ〉で各自が何をやっているのか、それぞれに分解して聴かせてくれたのも面白かった。複雑で、難易度がとんでもなく高いことは想像を遙かに超えていた。同じハーモニーでも、例えばアヌーナのような重層的なものではなく、より立体的で、それぞれに勝手に唄っていると聞えるものがおたがいに絡みあい、華麗なイメージを描きだす。無関係な断片の集まりが、距離をとって見ると、精緻華麗な模様や映像を浮き上がらせるモザイクを想わせる。これもグレイトフル・デッドにそっくりだ。デッドは即興、アウラはアレンジという違いは大きいが、そこは演っている音楽の性格の違いでもある。それぞれにその方法でしかできないことを実現している。

 これで完成という感覚もむろん無い。伸びしろというとかえって限界を想定していて失礼だろう。ヴィヴァルディの《四季》を唄ったアルバムには shezoo さんが関っていて、アウラのもつ底の知れなさに彼女が感嘆するのを聞いたこともある。こういうのはどうだろうと投げかけると、予想を超えたものが返ってきて、逆に煽られることもしばしばだったそうだ。今のアウラもどこまで行くのか、本人たちも含め、誰にもわかるまい。

 オペラのベルカントはどうやっても好きになれないが、訓練を積んで、人の声に可能な表現をうたい尽くすのを聴く悦びは大きい。彼女たちが「次」に何を聴かせてくれるか、それはそれは楽しみだ。(ゆ)


ルミナーレ
アウラ
toera classics
2017-06-25


 shezoo さんのライヴに通っているのはまず彼女のつくる曲がおもしろいからだ。たとえばトリニテのセカンド《月の歴史》のタイトル曲でもある〈ムーンズ〉。はじめはトリニテで聴いたのでインスト曲だったが、後で歌詞もついたうたであることが、あれは昨年末やはりエアジンのラスト・ライヴで判明して、驚くとともに喜んだ。この日は編成もメンバーも変わってまた別の音楽。そして今回のハイライトでもあった。

 訊ねてみたら、うたはうたとしてやってくるのだそうだ。詞かメロディがどちらが先ということもない。もっとも曲は「上」から降りてくるので、一応そちらが先といえるかもしれないが、詞もほとんど同時に出現するらしい。〈ムーンズ〉は2つの月のうたなので、地球上の話ではない。太陽系内の話でもないだろう。どこかにはあるはずの、しかしまだ肉眼では見られない世界。このうたの中にだけある世界だ。ちょっとレトロ・フューチャーな雰囲気のメロディとの相乗効果で、聴くほどに名曲になってきた。

 昨年末のユニットは好評で、本人たちも手応えを感じたのだろう、プリエとして続けることになったのだが、メンバーの事情で継続が難しくなり、編成を変えて仕切りなおしになったのがこの日のユニット。前回からはサックスのかみむら泰一さんが残り、あとは一新。ヴァイオリンが入ったのが目新しいが、ベースレスは変わらない。シニフィアン・シニフィエの水谷浩章氏はジャズ・ベースというよりは、クラシックのコントラバスに近い。どちらの要素も兼ね備えているところが、あのバンドでの水谷さんの面白いところ。

 shezoo さんのピアノがベースの代わりをしてしまうせいもあるのだろうが、shezoo さんが起用する打楽器奏者はみな多才で、ベースの不足を感じさせない。トリニテではフロントの二人を立てているのか、サポートに徹している小林さんが、この日は爆発していた。見ようによってクールとも見え、またいかにもつまらなそうにも見える表情、あるいは無表情で、しかしそのカラダからは切れ味の鋭いフレーズが噴出する。

 ヴァイオリンの多治見智高氏は25歳だそうだが、髭のせいか、30以下には見えない。演奏も若さだけでなく、一本、筋が通っているし、したたかさもあるようだ。いろいろな編成や音楽で見てみたい。

 サックスのかみむらさんはあいかわらずテンションが高い。リハーサルからすでに本番なみだ。いつも椅子に座っているのはなぜか、訊ねようとおもっていて今回も忘れた。というのも演奏が佳境に入るといかにも座りごこちがよくないように見えるからだ。ついには立ち上がってしまうが、だったらはじめから座らなくてもいいんじゃないかと思うのは素人の浅はかさか。それとも座らないと火が点かないのだろうか。

 ヴォーカルの松本泰子さんが個人的にはハイライトだった。強い声と振幅の大きな表現力の持主で、〈ムーンズ〉がまるで彼女のために書かれたうたのようだ。〈The Water Is Wide〉も良かったが、このユニットならこのうたはもう少し違うアプローチでやってみてもいいのではないか、とも思う。たとえばおもいきりアップテンポとか、モロ・フォービートとか。松本さんは若々しくチャーミングでもあって、多治見氏より年上の息子さんがいるとはとても見えない。旦那さんが常味裕司氏と組んでいる和田啓氏だそうで、そちらのユニットでウンム・クルスームもうたっているというから、それも見なくてはいけない。見なくてはいけないものがこうして芋蔓式に増えてゆく。

 まだ名前のないこのユニットはすでに次回のライヴが決まっているそうだ。5月にやはりこのエアジン。

 5時半過ぎにライヴが終った後はエアジンの打ち上げ。うまいワインが次から次へと出てきて、極上のキッシュがふるまわれ(どちらも常連客のさしいれ、キッシュは自家製。ごちそうさまでした)、ひさしぶりにだいぶ飲んでしまった。とてもここでは書けない話もたくさん聞く。

 かくて今年もめでたくライヴじまい。あとは片付けと大掃除。来年ものらりくらりと、旨い音楽を求めていきたい。今年、すばらしい音楽を聴かせてくださった音楽家の皆さま、まことにありがとうございました。皆さまの上に音楽の女神の微笑まれんことを。来年もまたよしなにお頼みもうします。(ゆ)

 5月に横浜で開かれるアフリカ開発会議を記念して
セネガルのパーカッション・グループが来日するそうです。

 セネガルというとコラ伴奏のグリオがまず浮かびますが、
この人もグリオだそうな。
何度も来日してもいるようです。

 セネガル版『リバーダンス』というとちょと違うか。
でもこういう人たちが踊らないはずはないですし。
それにこの手のパフォーマンスは見てなんぼです。
うーん、見たいなあ。

 呼ぶのはジャパン・ファウンデーション、つまり国際交流基金で、
時間、料金等、詳しいことはこちら

--引用開始--
 ジャパンファウンデーションは、TICADIV(第4回アフリカ開発会議)開催に
あたり、セネガル初の人間国宝ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ氏率いる
パーカッショングループ(総勢20名)のコンサートを開催します。
華麗な衣装とタムタムを身にまとい、一糸乱れぬ壮大なシンフォニーと
グルーヴは必見・必聴です。
 TICADIV開催地の横浜公演では、日本を代表する太鼓奏者ヒダノ修一氏の
スーパー太鼓プロジェクトと共演する他、「アフリカン・フェスタ」の
オープニングでの演奏や地方公演なども行ないます。
--引用終了--

<横浜公演>
05/16(金)横浜・関内ホール
05/17(土)横浜・関内ホール
共演: ヒダノ修一スーパー太鼓プロジェクト

05/20(火)東京国際フォーラム・ホールC
共演: 金刺凌大、金刺由大(は・や・と

05/21(水)茨城・筑波ノバホール
05/22(木)新潟: 魚沼市小出郷文化会館
05/23(金)宮城: えずこホール(仙南文化センター)

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