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30 Days Of Dead 2022 を聴く。その24
30 Days Of Dead 2022 を聴く。その23
30 Days Of Dead 2022 を聴く。その16
30 Days Of Dead 2022 を聴く。その15
30 Days Of Dead 2022 を聴く。その14
30 Days Of Dead 2022 を聴く。その12
その次が今回の〈Tennessee Jed〉。ガルシアが気持ち良さそうに歌います。間奏のガルシアのギターの音がちょっと遠かったりしますが、演奏そのものの質は高いです。この曲ではたいていそうですが、ガルシアのソロは歌のメロディからはかけ離れます。〈Friend of the Devil〉では歌のメロディを展開することが多い印象です。
30 Days Of Dead 2022 を聴く。その11
謹賀新年
1986、85年からは今年はピックアップされず、次は1984年から2本、13日リリースの 1984-10-15, Hartford Civic Center, Hartford, CT のショウから〈Hell In A Bucket> Sugaree〉と、04日リリースの 1984-04-16, Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY から〈Dupree's Diamond Blues〉です。それぞれ春と秋のツアーからです。
30 Days Of Dead 2022 を聴く。その9
30 Days Of Dead 2022 を聴く。その8
30 Days Of Dead 2022 を聴く。その7
つくつく法師はまだ踏んばる。
9月29日・水
午後、つくつく法師を2度ほど聞く。昨日は涼しすぎたか。
朝、目が覚めて、モーローとメールをチェックすると、クレジット・カードの請求額確定通知。金額を見て眠気が吹っとぶ。こんなに使ったはずはない。あわててとび起きて明細をサイトで確認すると、確かに使っているのであった。ひとつ、覚えのないところがあって、すわ、と思ったが、よく調べると Kickstarter で参加したもの。こりゃあ、来月はきっちり自粛せにゃ。うー、やっぱり買物でストレス発散してたのだろうなあ。
GarciaLive, Vol. 17 発表。1976年11月のカリフォルニア州バークリー、デイヴィス、それにハンボルト州立大学での Jerry Garcia Band のライヴからの抜粋。CD3枚組、11/12リリース。ライナーはスティーヴ・パリッシュ。まだ生きていたんだ。デッドのクルー最後の生残りかな。
Qobuz が e-onkyo を買収。Tidal の国内サーヴィスが間もなく始まるかという噂があったけど、Qobuz の方が先かな。この二つが来ないのは某著作権管理団体が悪さをしていると下司の勘繰りをしているのだが、どうなるか。
##9月29日のグレイトフル・デッド
1967年から1994年まで7本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1967 Straight Theater, San Francisco, CA
2日連続の初日。入場料2.50ドル。共演 Sons of Champlin。このイベントはダンス・パーティーを許可制としたサンフランシスコ市の条例を逃げるため「ダンス教室」と銘うたれていた。ポスターでは「市内で半年ぶりのダンス」と書かれている。またチラシ4種類が残っている。
ミッキー・ハートが初めて参加したショウ。後半から入って、〈Alligator > Caution (Do Not Stop On Tracks)〉で2時間やった、そうだ。
2. 1969 Cafe Au Go-Go, New York, NY
3日連続の初日。Early と Late の2度、やった由。
会場は1967-06-01にデッドがニューヨークで初めて有料で演奏したところ。ニューヨークで初のショウは同じ06-01に ヴィレッジに近い、Tompkins Square Park のステージで無料で行なったもの。前年、カナダに遠征した際、あちらでは無名のデッドがパブリシティのために公園でフリー・コンサートをして成功したのにならった。後、8日にはセントラル・パークでフリー・コンサートをする。
Cafe Au Go Go(Go-Go というスペルもある)は10ないし11日連続のショウ。次が1969年のこの3日連続で最後。6月の10ないし11日連続のショウはポスターが残っており、Lost Live Dead での当時マネージャーだったロック・スカリーの証言から、行われたのは確実。10ないし11というのは、当初は10日間の予定だったが、11日日曜日がその場で加えられた、ということらしい。
ここはグリニッジ・ヴィレッジに1964年2月にオープンし、1970年12月に閉じたナイトクラブで、音楽とコメディのヴェニュー。キャパは400。レニー・ブルースが「悪名」を挙げたところでもある。60年代末に名を上げたロック、フォークのミュージシャンは軒並ここでやっている。無名時代のジミヘン、ストーン・ポニーズ時代のリンダ・ロンシュタットも出ていた。
デッドはニューヨークが性に合っていたのか、戦略として重視したのか、1967年8月、12月、1968年5月、6月と頻繁に通い、強固な支持層を築く。デッドヘッドの絶対数ではサンフランシスコを凌ぐと言われた。1968年6月以降はフィルモア・イーストがニューヨークでの根城になる。
それにしても、駆け出しのバンドが頻繁に通えるほど、飛行機代は当時安かったのだろうか。
1971年9月、ピグペンが肝炎と穿孔性潰瘍で入院し、代わりに「天運によって」デッドとめぐり遭ったキース・ガチョーが採用された。そのキースを入れたリハーサルが同月29日、30日に行われ、そのテープが出回っていた。リハーサルはこの両日だけではなかったはずではある。この時期、8月末からツアーは夏休み。キースの初ステージは秋のツアーの初日10月19日、ミネアポリス。
3. 1977 Paramount Theatre, Seattle, WA
2日連続の2日め。アンコールの〈Uncle John's Band〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
音質はあまりよくないが、演奏はすばらしい。面白いのはガルシア、ウィア、ドナの各々の声がはっきり聞えるが、ハーモニーに溶けあっていない。そのズレは不快ではなく、むしろ、ノーザン・アイルランドの伝統シンガー、レン・グレアムとジョー・ホームズの2人が一緒に歌うときのズレと共鳴する。
4. 1980 Warfield Theatre, San Francisco, CA
15本連続の4本目。
5. 1989 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
3日連続この会場での初日。開演夜8時。後半の最後から2曲目〈Death Don't Have No Mercy〉が《So Many Roads》でリリースされた。メドレーの一角で前は〈I Need A Miracle〉次は〈Sugar Magnolia〉。この曲は1970年3月以来、19年ぶりに復活。聴衆ははじめ何が始まったのかわからず、ぽかんとしていたらしい。
1番をガルシア、2番をウィア、3番をミドランドがそれぞれ歌う。このミドランドの歌唱が見事。これにつられて、次にもう一度リード・ヴォーカルをとるガルシアの歌唱の感情のレヴェルが一段上がっている。ガルシアのギターも、そんじょそこらのギタリストを蹴散らす。デッドはその気になれば、超一級のブルーズ・ロック・バンドにもなれた。この演奏を聴くかぎり、この後、わずか3回しか演奏されなかったのはまことに残念。
6. 1993 Boston Garden, Boston, MA
6本連続の5本目。
7. 1994 Boston Garden, Boston, MA
6本連続の3本目。アンコール以外は古くからの定番ばかり。だいぶお疲れか。でも、アンコールの前にガルシアがちょっとジグを踊ったそうな。(ゆ)
今年のつくつく法師がついに終ったか
9月28日・火
FiiO の K9Pro、THX-AAA アンプ、AK4499採用で直販9万を切る DAC/amp。4pinXLR、4.4、3.5のヘッドフォン・アウト、3pinXLR x 2 のラインアウト。Bluetooth はあるが、WiFi は無し。惜しいのう。音は聴いてみたいが。
watchOS 8.0 になってから、登った階段の階数の数え方が鈍い。まあ、最近、階段の数字は気にしていないからいいようなものだが、気にならないわけでもない。
今日はつくつく法師をついに聞かない。今年の蝉も終ったか。
##9月28日のグレイトフル・デッド
1972年から1994年まで5本のショウをしている。うち公式リリースは2本。
1. 1972 Stanley Theatre, Jersey City, NJ
3日連続最終日。料金5.50ドル。出来としては前夜以上という声もある。冒頭、1、2曲、マイクの不調で声が聞えなかったらしく、そのために公式リリースが見送られたのだろうという説あり。
2. 1975 Golden Gate Park, San Francisco
ライヴ活動休止中のこの年行った4本のライヴの最後のもの。《30 Trips Around The Sun》の1本としてリリースされた。
ゴールデンゲイト公園はサンフランシスコ市の北端に近く、短かい西端を太平洋に面し、真東に細長く延びたほぼ長方形の市立公園。ニューヨークのセントラル・パークとよく比較されるが、こちらの方が2割ほど大きい。1860年代から構想され、元々は砂浜と砂丘だったところに大量の植林をして19世紀末にかけて整備される。この公園での音楽イベントとしては、2001年に始まった Hardly Strictly Bluegrass が有名。またポロフィールドでは後にビル・グレアムとガルシア各々の追悼コンサートが開かれた。
リンドレー・メドウ Lindley Meadows は中心からやや西寄り、ポロフィールドの北にある、東西に細長い一角。ここでのデッドのショウは記録ではこれ以外には 1967-08-28 のみ。この時は Big Brother & the Holding Company との "Party For Chocolate George" と称された Chcolate George なる人物の追悼イベントで月曜午後1時という時刻だった。Deadlist では2曲だけ演奏したようだ。
60年代にデッドが気が向くとフリー・コンサートを屢々行なったのは、ゴールデンゲイト公園の本体から東へ延びる The Panhandle と呼ばれる部分で、このすぐ南がハイト・アシュベリーになる。
この公園についてガルシアは JERRY ON JERRY, 2015 のインタヴューの中で、様々な植生がシームレスに変化しながら、気がつくとまったく別の世界になっている様に驚嘆し、これを大変好んでいることを語っている。デッドがショウの後半で曲をシームレスにつないでゆくのは、これをエミュレートしているとも言う。デッド発祥の地サンフランシスコの中でも揺籃時代のデッドを育てた公園とも言える。一方で、ガルシアはここでマリファナ所持の廉で逮捕されてもいる。公園内に駐車した車の中にいたのだが、この車の車検が切れていることに気がついた警官に尋問された。
このコンサートは San Francisco Unity Fair の一環。1975年9月27〜28日に開催され、45のNPOが参加し、デッドとジェファーソン・スターシップの無料コンサートがあり、他にもパフォーマンスが多数あって、4〜5万人が集まったと言われる。このイベントの成功から翌年 Unity Foundation が設立され、現在に至っている。
冒頭〈Help on the Way> Slipknot!〉と来て、不定形のジャムから〈Help on the Way〉のモチーフが出て演奏が中断する。ウィアがちょっとトラブルがある、と言い、レシュが医者はいないか、バックステージで赤ん坊が生まれそうだ、と続ける。ガルシアがギターの弦を切ったこともあるようだ。次に〈Franklin's Tower〉ではなく、〈The Music Never Stopped〉になり、しばらくすると「サウンド・ミキサーの後ろに担架をもってきてくれ」と言う声が聞える。なお、この曲から入るハーモニカは Matthew Kelly とされている。
さらに〈They Love Each Other〉〈Beat It On Down the Line〉とやって、その次に〈Franklin's Tower〉にもどる。
〈They Love Each Other〉はここから姿ががらりと変わる。1973-02-09初演で、73年中はかなりの回数演奏されるが、74年には1回だけ。次がこの日の演奏で、ブリッジがなくなり、テンポもぐんと遅くなり、鍵盤のソロが加わる。以後は定番となり、1994-09-27まで、計227回演奏。回数順では59位。
休憩無しの1本通しだったらしい。後半はすべてつながっている。CDでは全体で100分強。
こういうフリー・コンサートの場合、デッドが出ると発表されないことも多かったらしい。問い合わせても、曖昧な返事しかもらえなかったそうな。
3. 1976 Onondaga County War Memorial, Syracuse, NY
《Dick’s Picks, Vol. 20》で2曲を除き、リリースされた。このアルバムはCD4枚組で、9月25日と28日のショウのカップリング。
後半は〈Playing in the Band〉で全体がはさまれる形。PITB が終らずに〈The Wheel〉に続き、後半をやって〈Dancing in the Street〉から PITB にもどって大団円。アンコールに〈Johnny B. Goode〉。こんな風に、時には翌日、さらには数日かそれ以上間が空いてから戻るのは、この曲だけではある。そういうことが可能な曲がこれだけ、ということではあろう。
〈Samson and Delilah〉の後の無名のジャムと、〈Eyes of the World〉の後、〈Orange Tango Jam〉とCDではトラック名がついているジャムがすばらしい。前の曲との明瞭なつながりは無いのだが、どこか底の方ではつながっている。ジャズのソロがテーマとはほとんど無縁の展開をするのとはまた違う。ここではピアノ、ドラムス、ウィアのリズム・セクションの土台の上でガルシアのギターとレシュのベースがあるいはからみ合い、またつき離して不定形な、しかし快いソロを展開する。ポリフォニーとはまた別のデッド流ジャムの真髄。
この会場でデッドは1971年から1982年まで6回演奏している。現在は Upstate Medical University Arena at Onondaga County War Memorial という名称の多目的アリーナで収容人数は7,000。1951年オープンで、2度改修されて現役。国定史跡。コンサート会場としても頻繁に使われ、プレスリー、クィーン、キッス、ブルース・スプリングスティーン、エアロスミスなどの他、ディランの1965年エレクトリック・ツアーの一環でもあった。ちなみに COVID-19 の検査、ワクチン接種会場にも使われた。
4. 1993 Boston Garden, Boston, MA
6本連続の4本目。ほとんど70年代前半と見まごうばかりのセット・リスト。
5. 1994 Boston Garden, Boston, MA
6本連続の2本目。30ドル、7時半開演のチケットはもぎられた形跡がない。
会場はニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン三代目の「支店」として1928年にオープンしたアリーナで、本家は代替わりしたが、こちらは1995年9月まで存続した。1998年3月に取り壊された。収容人数はコンサートで16,000弱。デッドは1973年に初めてここで演奏し、1982年までは単発だが、1991年、1993年、1994年と三度、6本連続のレジデンス公演を行った。計24回演奏している。うち、1974年、1991年、1994年のショウから1本ずつの完全版が出ている。
1995年9月にも6本連続のショウが予定されていて、千秋楽19日のチケットには〈Samson & Delilah〉の歌詞から "lets tear this old building down" が引用されていた、と Wikipedia にある。(ゆ)
ICF2022春
9月27日・月
ICF から来年の講師依頼。今度はアイルランドの歴史。もちろんやるけど、2時間でやるとなるとえらいこっちゃ。復習しなければ。A History Of Ireland In 250 Episodes を読みなおすか。これの訳書は間に合わないだろうなあ。うまく開催できるといいんだが。
思うに、この COVID-19 パンデミックは、常に予定が大きく変わる可能性を考慮に入れながら、将来の計画を立てる訓練にはなるわな。
##9月27日のグレイトフル・デッド
1969年から1994年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1969 Fillmore East, New York, NY
前日に続いて、カントリー・ジョー・マクドナルド、シャ・ナ・ナとの共演。
2. 1972 Stanley Theatre, Jersey City, NJ
3日連続の中日。料金5.50ドル。《Dick’s Picks, Vol. 11》として全体がリリースされた。
〈Morning Dew〉がオープナーは稀で、ガルシアがノってる証拠、だそうだ。この日のセット・リストは変わっていて、普通は前半にやる〈Me and My Uncle〉〈Deal〉〈Rumble on Rose〉〈Cumberland Blues〉を後半にやっている。もっともこの日のハイライトは〈Dark Star〉であることで衆目が一致している。
〈Morning Dew〉のオープニングはやはりちょっと異様で、いきなり陽が暮れてしまう感覚。〈Brokedown Palece〉もこの位置で歌われると、おちつかなくなる。一方でこういう順番の入替えが刺激になったのか、どの曲もエネルギーみなぎり、温度が高い。しかも地に足がついている。〈Bird Song〉、〈China > RIder〉、いずれもすばらしい。〈Playing in the Band〉は前数本に比べるとやや届かないところがあるけれど、デッド流ポリフォニーはしっかりあって、快感。トリップ感が湧く。いい音楽を聴いた、というより、いい体験をしたという満足感。
3. 1976 War Memorial Arena, Rochester, NY
料金7ドル。開演夜7時半。後半6曲目、Drums の後の〈The Other One〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
後半、3曲目から〈Help on the Way> Slipknot!〉と来て、次が〈Drums> The Other One> Wharf Rat〉と続き、再び〈Slipknot!〉 から今度はいつも通り〈Franklin's Tower〉そして〈Around & Around〉まで、まったく途切れ無し。という、これはテープででも聞かねば。〈The Other One〉だけ聴かされるのはむごい。
4. 1980 Warfield Theatre, San Francisco, CA)
15本連続公演の3本目。くつろいだ良いショウの由。
5. 1981 Capital Centre, Landover , MD
料金10.50ドル。この0.5ドルが付いているのは何なのだろうか。開演夜8時。翌日、バンドは1年で2度目のヨーロッパ遠征に出発。
6. 1994 Boston Garden, Boston, MA
6本連続の初日。料金30ドル。開演午後7時半。最後の〈They Love Each Other〉。1975-09-28のゴールデン・ゲイト・パークでの演奏を境に、かなり姿が変わる曲。(ゆ)
9月26日・日曜日
寒くて、雨まで降りだし、散歩はなし。仕事して、デッドを聴いて、1日が終る。つくつく法師がまだ聞える。染井吉野の葉はあっという間に2割ほどになった。ここから、最後の1枚が落ちるまでが長い。
##9月26日のグレイトフル・デッド
1969年から1993年まで8本のショウをしている。公式リリースは1本。
1. 1969 Fillmore East, New York, NY
2日連続の初日。カントリー・ジョー・マクドナルド&ザ・フィッシュ、シャ・ナ・ナが共演。この日はデッドが前座で翌日はカントリー・ジョー・マクドナルドが前座だったという説もある。デッドは2回、Early と Late をやったと DeadBase は記載する。
2. 1970 Terrace Ballroom, Salt Lake City, UT
独立のショウでポスターが残っているが、内容は不詳。DeadBase XI では、アコースティックとエレクトリック・セットをやった。
3. 1972 Stanley Theatre, Jersey City, NJ
3日連続の初日。料金5.50ドル。
4. 1973 War Memorial, Buffalo, NY
秋のツアー千秋楽。ポスターには "THIS IS THE LAST STOP.. FOR THE GRATEFUL DEAD AND FRIENDS" とある。料金6ドル。'friends" はジョー・エリス、マーティン・フィエロのホーン・セクションのことだろう。
5. 1980 Warfield Theatre, San Francisco, CA
15本連続レジデンス公演の2本目。これが15本であるのはバンドの15周年にかけたと今気がついた。
第一部アコースティック・セットから2曲、5曲目の〈Rosalie McFall〉とラストの〈Ripple〉が《Reckoning》でリリースされた。〈Ripple〉はオリジナルのアルバムでもラストに置かれた。この曲は Warfield、 Saenger Theatre、Radio City Music Hall の合計25本全てで、アコースティック・セットの最後に歌われた。他は入れかわっているが、この曲だけは必ず第一部最後。全部で41回演奏されている、そのうちの25回がここに集中している。
曲が始まると大歓声が湧くように、人気の高い曲だが、演奏回数は少ない方だし、こんなに連続して歌われるのは、他にはほとんど無い。エレクトリックでは歌いづらかったのか。良い曲と思われるのに、あまり演奏されなかったのは、インストゥルメンタル展開をする余地がほとんどないからではないか、とバラカンさんは言う。そうかもしれない。一方で、やはりその余地のほとんどない〈Me and My Uncle〉は最も演奏回数が多い。あるいは歌詞と曲が合っていない、とガルシアは感じるようになったのか。曲は名曲と言ってもいい、シンプルで親しみやすい。キャッチーでもある。だから人気も高いのだろう。が、詞はハンターのものの中でも象徴性の高いものではある。そのバランスの崩れているところが、あたしなどは面白いと思うが、ガルシアは続けざまに歌っているうちに、アンバランスに我慢がならなくなったのか。この一連のレジデンス公演の後では、この歌は5回しか演奏されていない。この年の12月に2回、翌年2回、そして最後は1988年9月3日。
アコースティック・セット全体で言えば、デッド以前、アコースティックのバンドをいろいろやっていたにもかかわらず、デッドのフォーマットをアコースティックでやることにガルシアは必ずしも積極的では無かったけしきだ。いわゆる Before the Dead の時期が思いだされるのが嫌だったのか。しかし、《Reckoning》を初めて聴いた時には、そのみずみずしさに驚いたし、どれほど聴いてもその感覚は衰えない。このアルバムはあたしの中では特別の地位にある。もっといろいろな時期の曲をアコースティック編成で聴きたかったとも思う。デッド・ナンバーをアコースティックでカヴァーしている人はむろんたくさんいるが、そうではなく、アコースティック・デッドで聴きたかったのだ。
6. 1981 Buffalo Auditorium, Buffalo, NY
開演夜7時半。前日から3日だけ、東部を回っている。前日もこの日も良いショウらしい。
7. 1991 Boston Garden, Boston, MA
6本連続最終日。ツアーも千秋楽。最高のショウの1本、だったらしい。アンコールが〈Brokedown Palace >And We Bid You Goodnight〉で、次のデッドのショウは10月27日からの Oakland-Alameda County Coliseum Arena での4本連続。その初日2日前の25日、ビル・グレアムが乗っていたヘリコプターが墜落して死亡。というので、グレアムの死の裏にはデッドがいたという陰謀説があるらしい。〈And We Bid You Goodnight〉は1974年10月のライヴ休止前最後のショウの最後にも歌われた。そしてこの日が最後の演奏。終って、レシュは客席に向かって投げキッスをし、ウィアは最敬礼、ガルシアは手を振った。
8. 1993 Boston Garden, Boston, MA
6本連続の3本目。(ゆ)
9月25日・土曜日
仕事して、散歩して、デッドを聴いて、1日が終る。
##9月25日のグレイトフル・デッド
1970年から1993年まで6本のショウ。公式リリースは2本。
1. 1970 Pasadena Civic Auditorium, Pasadena, CA
ガルシアも入った New Riders Of The Purple Sage が前座。パサデナの当局は締付けが厳しく、ここでのショウはこの1回のみ。会場には消防署から人が複数来ていて、客が踊りだすと座らせていたが、終り近く、ピグペンが〈Turn on Your Lovelight〉を歌いだすと、皆一斉に立ちあがってステージ前に殺到したので、手が出せなかった、そうだ。DeadBase XI のルネ・ガンドルフィのレポートによると、真夜中10分前、ウィアが「ここは真夜中に戒厳令になって、演奏はできないと言われたんだが、交渉してあと1曲だけやってもいいということになった」と言って始まったのが〈Lovelight〉で、当然10分で終るはずがなかった。
2. 1976 Capital Centre, Landover, MO
料金7.50ドル。夜8時開演。
前半の1曲を除いて《Dick’s Picks, Vol. 20》でリリースされた。〈Cosmic Charlie〉はこの日が最後。後半の後半、〈Scarlet Begonias〉以降、〈St. Stephen > Not Fade Away > Drums > Jam > St. Stephen > Sugar Magnolia〉の流れは圧巻。〈スカベゴ〉が〈Fire on the Mountain〉と組み合わされるのは翌年5月。とはいえ、この独立の〈スカベゴ〉もなかなか素敵だ。
3. 1980 Warfield Theatre, San Francisco, CA
10月14日までの15本連続公演の初日。料金12.50ドル。開演夜8時。一部アコースティック、二部、三部がエレクトリック。このフォーマットでこのあとニューオーリンズで2日、ニューヨークの Radio City Music Hall で8本のレジデンス公演を行う。アナログ時代のライヴ・アルバム《Reckoning》《Dead Set》の元になったもの。この日はアルバム収録無し。
ポスターに描かれた会場入口上の、通常は当日やるアーティストの名前が掲げられるところ、ポスターの中では
They're not the best at what they do,
They're the only ones that do what they do.
連中はベストのバンドというわけじゃない。
連中がやってることを他には誰もやっていないのだ。
が掲げられている。デッドを表現する決まり文句の一つ。
この一連のショウはぜひボックス・セットで完全版を出して欲しい。2030年までとっておかないでさ。
4. 1981 Stabler Arena, Lehigh University, Bethlehem, PA
料金10.50ドル。夜7時半開演。定員6,500の多目的アリーナで1979年オープン。この日の聴衆は2,500で、料金からしても、学生向けではないか。この時が初体験も多いらしい。ここではこの1回のみ。
デッドは1970年代初めから精力的に大学での公演を行っていて、そこからデッドヘッドの中核が生まれる。したがってデッドヘッドにはアメリカ社会のトップ層が多数含まれる。IT業界だけでなく、実業家、弁護士、学者、芸術家、アスリート、軍人、ありとあらゆる分野にまたがる。デッドのショウの舞台ソデにいた上院外交小委員会委員長のもとへ、ホワイトハウスから電話がかかってきたこともある。ちょうど前座のスティングが歌っているところで、かけてきた補佐官開口一番「ずいぶんにぎやかなところにおいでですね」。
1980年代後半、人気が出すぎてできなくなるまで、こうしてやっているから、大学でやるのは好きだったとみえる。大学の会場は多目的ホール、アリーナが多く、音響が良くないので嫌うミュージシャンもいるが、ここは例外的に音響が良いそうだ。もっともやっているのはキッス、ジューダス・プリースト、ニルヴァナとかで、音響の良し悪しはあまり気にしそうもない。
5. 1991 Boston Garden, Boston, MA
6本連続の5本目。《Dick’s Picks, Vol. 17》で完全版がリリースされた。ポール・マッカトニーの〈That Would be Something〉が初めて演奏される。ブルース・ホーンスビィが参加した唯一のヴァージョン。
5. 1993 Boston Garden, Boston, MA
6本連続の2本目。アンコール前のラスト〈Standing on the Moon〉1曲があまりに凄くて、デッドのショウとしては凡庸なものを完全にくつがえした、と John W. Scott は DeadBase XI で言う。(ゆ)
アイルランドからCD到着
9月24日・金
Custy's からCD7枚。1枚、Cathal Hayden のものだけ後送。09-04に注文したから、3週間で来た。まずますのスピード。実をいえば、この Cathal Hayden のCDを探して、久しぶりに Custy's のサイトに行ったので、他はサイトで見て、試聴し、むらむらと聴きたくなったもの。新譜ばかり。知らない人ばかり。この店だから、西の産が多い。もっとも Jack Talty がエンジニアをしたのが2枚あった。Raelach Records からではなく、どちらもミュージシャンの自主リリース。調べると Bandcamp にあるものが大半。まあ、Custy's でまとめて買えば、送料は安くなる。その代わり、Bandcamp ではCDを買うとファイルもダウンロードできるのが大きなメリットだし、場合によってはファイルはハイレゾだったり、ボーナス・トラックが付いていたりする。それにしても、クレアに住んで Eoin O'Neill の詞に曲を付けて歌っているアルゼンチン人とか、ドゥーリンに住んで、ミルタウン・モルヴェイのスタジオで録音したフィドルとコンサティーナのデュオはどちらもアイルランド人ではないとかいう風景に驚かなくなってきた。今回唯一なじみのあるのはダーヴィッシュの Liam Kelly のソロ。これはちょっと変わっていて、「フルートのマイケル・コールマン」John McKenna の家で、マッケナのレパートリィを録音したもの。発行元も The John McKenna Traditional Music Society。
##本日のグレイトフル・デッド
9月24日は1966年から1994年まで12本のショウをしている。うち公式リリースは3本。
01. 1966 Pioneer Ballroom, Suisun City, CA
前日と同じフェスティヴァルの2日目。
02. 1967 City Park, Denver, CO
屋外の公園での午後1時からの "be-in" で、デッドはのんびりステージに出て、上半身裸になって数曲演るが、機器のトラブルで中止。〈Dark Star〉をやったと言われる。共演は Mother Earth、Captain Beefheart & His Magic Band、それに Crystal Palace Guard という地元のバンド。ビーフハートはこんなに標高が高いところで演奏したことがなかったので、酸素吸入が必要になった由。
このデンヴァーの Family Dog と集会での演奏は Chet Helms がとりしきった。ヘルムズは初期デッドのプロモーターで、Avalon Ballroom のマネージャーでもあった。デンヴァーの Family Dog の施設はそれ以前は Whisky A Go Go のデンヴァー支店だったそうだ。
03. 1972 Palace Theater, Waterburry, CT
同じヴェニュー2日め。《30 Trips Around The Sun》の1本として完全版がリリースされた。アウズレィ・スタンリィの録音で音はすばらしい。
ここは1,000人収容のこじんまりしたホールで、親密感が生まれやすいところだったらしい。〈Dark Star〉から〈China Cat Sunflower > I Konw You Rider〉というメドレーは1969年以降ではこの時のみの由。最前列で見ていた人の証言では、〈Dark Star〉の最中にレシュが "China Cat" と叫んだそうだ。
前半を締めくくるのはこの時期の通例で〈Playing in the Band〉。3日前のフィラデルフィアもすばらしかったが、この日は17分を超えて、さらに輪をかけてすばらしい。デッド流ポリフォニー集団即興の極致、全員がそれぞれに勝手なことをしながら、ちゃんと曲が編みあがってゆく。ガルシアのギターだけが突出しているわけではないが、ガルシアのギターが他のメンバーがつむぐタペストリーに太い線で変幻自在の模様を描いてゆく様は快感。その模様が、単純でいながら意表を突く。ここまでの曲でも折々にこの即興になる場面はあるが、それよりはむしろ歌をじっくり聞かせる姿勢。ここでは、むろん歌は必要なのだが、それ以上にインストルメンタルの展開を意図する。
これはもうロックではない。こういう即興は、当時他のロック・バンドは思いつきもしなかった。ザッパは思いついていたかもしれないが、かれの場合、宇宙は自分を中心に回っている。こういう、メンバー誰もが対等にやることは、たぶん許さない。
この音楽の美しさをデッド世界の外でわかる人間がいたとすれば、ジャズ世界の住人たちだっただろうけれど、でも、デッドはソロを回さない。全員が同時にソロをやる。それぞれのソロがからみ合って集団の音楽になっている。そこが面白い。そこが凄い。まさに、バッハ以来の、ポリフォニー本来の姿が現れる。
このデッドの集団即興の面白さを味わうには、この時期、1972年秋の〈Playing in the Band〉を聴くのが早道かもしれない。この日もこの後〈Dark Star〉が待っていて、それはまったく別の美しさを見せる。デッドの音楽としては〈Dark Star〉の方が大きい。そこにはデッドの音楽が全部ある。PITB にあるのは一部、どちらかといえばわかりやすい位相が現れている。
David Lemiuex は《30 Trips Around The Sun》のノートで、これを含む1972年秋のツアーを、デッド史上最高のツアーの一つ、72年春のヨーロッパ・ツアー、1977年春の東部ツアーと並ぶものとしている。このツアーからはこれまでに9月17日のボルティモア、21日のフィラデルフィア、27日のジャージー・シティ、それにこれと4本、完全版が公式リリースされているけれど、72年ヨーロッパ・ツアー、77年春に比べると、まだまだ少ない。どんどん出してくれ。
4. 1973 Pittsburgh Civic Arena, Pittsburgh, PA
ここでも後半の前半に、ジョー・エリスとマーティン・フィエロが各々トランペットとサックスで参加。前半ラストに近い〈China Cat Sunflower > I Konw You Ride〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
珍しく〈China Cat Sunflower〉の後半でウィアが長いギター・ソロを披露し、なかなかのところを聞かせる。
05. 1976 William And Mary Hall, College Of William And Mary, Williamsburg, VA
夜8時開演。料金6ドル。コーネル大学バートン・ホールと同様、ここでも演奏回数は少ないが、演奏する度に名演が生まれている。《Dave's Picks, Vol. 4》で完全版がリリースされた。残念ながら持っておらず。
06. 1982 Carrier Dome, Syracuse University, Syracuse, NY
開演夜8時。料金11.50ドル。この年、1、2を争うショウと言われる。
この会場ではここから83年、84年と、ともに秋に計3回ショウをしている。屋内スポーツ・スタジアムで、大学のキャンパス内のドーム施設として全米最大だそうだ。普通25,000超。バスケットでは定員3万だが、35,642という記録がある由。コンサート会場としても頻繁に使われ、ロック、カントリーはじめ、メジャーなアーティストが軒並ここで公演をしている。
07. 1983 Santa Cruz County Fairgrounds, Watsonville, CA
屋外のショウで午後2時開演。9月13日までのひと月のツアーの後の独立のショウの1本。2週間休んで10月8日から10月一杯ツアーに出る。
08. 1987 The Spectrum, Philadelphia, PA
3日連続の最終日。
09. 1988 Madison Square Garden, New York , NY
9本連続の8本目。レックス財団が共催で熱帯雨林保護ベネフィット公演として、多数のゲストが参加。ブルース・ホーンスビィのバンドが前座。前半2曲のブルーズ・ナンバーにミック・テイラーが参加。後半冒頭にスザンヌ・ヴェガ、中間にダリル・ホール&ジョン・オーツが出て、各々の持ち歌を2曲ずつ披露。〈ドラムス〉に Baba Olatunji & Michael Hinton、〈Not Fade Away 〉にホーンスビィが参加。
DeadBase XI の John W. Scott によると、デッドは871,875ドルを Cultural Survival、Greenpeace、Rainforest Action Network に寄付した。資金集めもあり、チケットの高いものは50ドル。さらに終演後のバンドのレセプションも付いた250ドルの席も用意された。
デッドの音楽以外を認めない狂信者はゲストのパートを嫌うが、上記スコットはどちらも高く評価している。デッドがふだんやっている音楽とはかけ離れているように見える相手でも、見事にバックアップしていたそうだ。ディランのように、ヴェガとツアーしてくれないかとまで言う。それはあたしも見たかった。
10. 1991 Boston Garden, Boston, MA
6本連続の4本目。テンション維持しているようだ。
11. 1993 Boston Garden, Boston, MA
6本連続の初日。午後7時半開演。料金26.50ドル。
12. 1994 Berkeley Community Theater, Berkeley, CA
DeadBase XI はじめ、 デッドのショウとされているが、実際は Phil Lesh & Friends の名前でバークリーの学校の音楽クラスのための資金集めとして開催され、ドラマー以外のメンバーが参加し、アコースティックで演奏した。〈Throwing Stone〉はこの時が唯一のアコースティック版。共演はカントリー・ジョー・マクドナルドや地元のアーティスト。
このバンド名としては最初の公演。(ゆ)
Mother Audio ME5-BORON 第一印象
9月23日・木
北日本音響からクラウドファンディングしたイヤフォン Mother Audio ME5-BORON 着。ドライバーの素材にボロンを使用したダイナミック型。ボロンはダイナミック・ドライバー振動板の素材としてはベリリウムに継ぐ優秀な特性を持つのだそうだ。
純粋ベリリウム振動板は加工が極端に難しく、Campfire の Lyra II も、final の A8000 も、20万近い。最近中国の Nicehck が3万を切る値段で出した。と、思ったら、その後からも出てきた。もっとも、「純粋ベリリウム・ドライバー」というのが何を意味するのかは、ユーザーは確めようがない。ただ、やはり中国の FiiO が、純粋ベリリウム・ドライバーをうたって FD7 を出し、そちらは直販で7万しているから、Nicehck 他は疑わしくはなる。それに、スピーカーの音が振動板の素材だけで決まるわけでもないことは、A&Cオーディオのブログでも散々言われている。イヤフォンといえど、極小のスピーカーなわけだ。A8000 はしかし究極とも思える音で、こんなものを買ってしまったら、そこで終ってしまう、さもなければ死んでしまうような気がしきりにする。
ME5-BORON はクラウドファンディングの立ち上げが4月で、その時にはまだ Campfire と final しか無く、二番手の素材を使っても3万以下というのは面白くみえて、乗ってみた。それから待つこと5ヶ月にして製品が届く。
早速試す。箱出しでは低域が弱い。しかし、聞えている音はまことにクリアで、ウィアの歌っている歌詞が明瞭に聴きとれる。分離もいい。明朗でさわやかな音。聴いていて気分のよくなる音。どんどん音楽が聴きたくなる音。A8000 のあの深み、掘ってゆくと後から後からいくらでも現れてきそうな奥行きは無いが、曇りやにじみの無い、愉しい音だ。一方でただキレがいいだけではなく、曖昧なところはきちんと曖昧に聞かせる。深みはまだこれから出てくるかもしれない。
ピンクノイズをかけ、《あかまつさん》を聴いているうちによくなってくる。Yaz Ahmed のセカンドではベースも活き活きしている。デッドでもそうだが、ヴォーカルが前面に出て、微妙なアーティキュレーションもよくわかる。様々な細かいパーカッションの響きが実にきれい。聴こうとしなくても耳に入ってくる。とともに、ボロンという素材のおかげか、インピーダンスや能率の数字推測されるよりも音量がずっと大きい。いつも聴いている音量レベルよりかなり下げてちょうど良い。
これは先が楽しみだ。
watchOS 8.0。今度は Apple Watch 3 にもインストールできた。使う頻度が一番多いタイマーの UI ががらりと変わっていて、面喰らう。
##本日のグレイトフル・デッド
9月23日は1966年から1988年まで7本のショウをしている。公式リリースは1本。
1. 1966 Pioneer Ballroom, Suisun City, CA
2日連続の初日。サスーン・シティはオークランドの北40キロにある街。サンフランシスコ湾の北に続くサン・パブロ湾からさらに東にサスーン湾、グリズリー湾があり、その北のサスーン・マーシュという北米最大の沼沢地の北側。サスーンはかつてこの辺に住んでいた先住民の名前。ここで演ったのはこの2日間だけ。ポスターが残っているのみ。セット・リストなし。the 13 Experience というバンドが共演。
2. 1967 Family Dog, Denver, CO
前日と同じヴェニュー。デンヴァーの Family Dog で演ったのもこの2日間のみ。ポスターのみ。
3. 1972 Palace Theater, Waterbury, CT
同じヴェニュー2日間の初日。料金5.50ドル。開演7時半。ある人が開演3時間前に会場に行くと、ここでやる他のロック・コンサートなら前3列の席がとれるのに、この時はすでにデッドヘッドが2,000人ほど集まっていてショックを受けたそうな。そのうち、デッドのクルーが卵サラダ・サンドイッチを大きなゴミ袋に入れて運んできて、配ってあるいた。さらには、でかいオープンリール・デッキと自動車用バッテリーを2本、堂々と持ち込んでいるやつがいた。この日は比較的短かくて前後3時間。アンコール無し。
4. 1976 Cameron Indoor Stadium, Duke University, Durham, NC
良いショウらしい。チケットが残っているが、開演時刻と料金の頭のところがちょうど切れていて、確認できず。
5. 1982 New Haven Coliseum, New Haven, CT
秋のツアーもあと1本。前半最後の〈Let It Grow〉が2011年の、後半2曲目〈Lost Sailor > Saint Of Circumstance〉のメドレーが2014年の《30 Days Of Dead》で、各々リリースされた。後者、音は少し上ずっていて、ベースがほとんど聞えないが、ウィアの声はすぐ目の前だし、演奏はすばらしい。
会場は正式名称 New Haven Veterans Memorial Coliseum で、1972年オープンした多目的屋内アリーナ。2002年に閉鎖。2007年に取り壊された。定員11,500。デッドはここで1977年から1984年まで、主に春のツアーの一環として計11回演奏している。秋に行ったのは79年とこの82年。うち公式リリースされたのは6本。1977年5月の完全版、78年5月のショウの大部分がある。
5. 1987 The Spectrum, Philadelphia, PA
3日連続の中日。これも良かったらしい。
6. 1988 Madison Square Garden, New York , NY
9本連続の8本目。こういうレジデンス公演の場合、この日がベストになることが多い。この日も好調だった由。(ゆ)
『索引の歴史』
9月22日・水
Index, A History Of The, by Dennis Duncan, Alen Lane 着。ペーパーバックを待ちきれずにハードカヴァーを買ってしまった。立派な索引がついている。しかも、コンピュータで作ったものの実例が冒頭2ページ分あり、これがどうダメかの説明もある。その後に人間が作ったものが本番としてある。もちろんこの索引はプロの索引師が作ったのだ。わが国には索引作りが得意な人はいるかもしれないが、プロはいないだろうなあ。英語圏の大学には索引を研究している講座もあって、索引師養成コースもあるらしい。Society of Indexers もある。
索引は文化で、わが国の伝統には無い。これも明治期に入ってきて、一応定着しているようには見えるけれど、邦書についている索引は形だけのものが多い気がする。当然ついているはずのタイプの本に無いことも多い気がする。とりわけ学術書。日本語の索引の作り方は英語のものとはまた異なると思うが、そういうことをまっとうに研究している人はいるのだろうか。英語の本では、中身は凡庸でも索引が優秀なので使える本もあったりする。大部の本では索引を利用して、当面必要なところだけ読むこともできる。R. A. Foster の Modern Ireland などはそうやって部分的に読んでいる、つまり辞書のかわりにしているので、未だに通読していない。翻訳でもさせられなければ、通読しないで終りそうだ。そら、やれと言われれば、喜んでやりまっせ。それにしても、今、これ、出そうというところ、あるかなあ。
索引にもどれば、デジタルの検索が世界を支配するようになって、あらためてその重要性が注目されている。グーグルを検索するのは、生のデータを検索しているのではなく、グーグルの索引を検索している、とグーグルのエンジニアも言っている。索引をどう作るかだけでも、検索結果は変わってくる。ハッシュタグも索引の一種ではある。
その索引、ここでは一応本の索引は、冊子体 codex の発明が契機となる。それ以前の巻物 volume では索引は役に立たない。ランダム・アクセスが簡単にできないと索引は役にはたたない。冊子体はランダム・アクセスを容易にし、さらにノンブル、頁打ちの発明によって、本の中の位置の特定が飛躍的に容易になる。
それにしても、アルファベットのあの順番、abc という順番は、いつ、どうやって定まったのだろう。規準になったのは何なのだ。中国には索引の伝統が無いように見えるけれど、漢字にはアルファベットやひらがなのように定まった順番というものがないからではないか。それに、まあ、字の数が多すぎる。『康煕字典』に現れたような順番が定まっているにしても、誰でも知っている順番ではない。索引を漢字だけで作るのはまず不可能だ。音韻も時代・地域で違いが大きすぎて規準にならない。索引には「誰でも知っている順番」が必要なのだ。
序文を読んで index と concordance の違いがようやくわかる。いわゆる索引、本の巻末についているのはテーマ別索引で、語彙のリストがコンコーダンス。後者はたとえば聖書とかシェイクスピアの作品とかの語彙をリストアップして、どこに出てくるかを記したリストだ。もっともこれに各々の語彙の説明をつけたものもコンコーダンスと呼ばれる。手許にあるものでは、スティーヴン・キングの『ダーク・タワー』シリーズのコンコーダンスがこれで、そうなると一種の百科事典だ。コンピュータが作る索引は本来の意味のコンコーダンスに近い。それはそれで聖書やシェイクスピア作品なら便利でもあろうが、どの本にも必要というわけじゃない。一般の本の巻末につけるのは、ある主題に沿って分類したものだ。だから、コンコーダンスは完全に中立的になりうる。一方、主題索引は、この序文に挙げられた例のように、ある主張を強烈に打ち出すツールにもなりうる。
本文、第1章冒頭はバラードの短篇「索引 The Index」1977 から始まる。でも、著者が指摘するこの短篇の欠陥は納得できる。これなら筒井康隆の「注釈の多い年譜」の方が形式が合っている。
グラント回想録の Samet による注釈版には索引が無くて驚いたけれど、まともにつけようとすれば、1,000を超える今のページ数の3割増くらいにはなるんじゃないか。でも、本当はこの注釈の索引は欲しい。
ところで、この「索引」という語はどこから出てきたのか。『大漢和』でも引かにゃなるまいか。
届いたサンシャインの新しいインシュレータに M11Pro を置いてみる。サウンドジュリアの金属ベース+カーボンのもの、昔にサンシャインから試用品としてもらったマグネシウムの円筒形塊と比べる。金属ベース+カーボンも悪くは無いが、サンシャインの新しいインシュレータに載せるとどこか安心感が湧いてくる。音が明瞭に変わるわけではないが、背景が静かになる気がする。ここから離す気になれない。
散歩からもどると AppleWatch のフィットネスが今日は階段を1階分しか昇っていないと言う。そんなはずはないぞ。いつもと同じだ。ちゃんと最後に昇ってる。アホめが。
##本日のグレイトフル・デッド
9月22日は1967年から1993年まで、6本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1967 Family Dog, Denver, CO
ポスターだけ残っている。セット・リスト無し。Mother Earth が共演。
2. 1968 Del Mar Fairgrounds, Del Mar, CA
秋分の日フェスティヴァルで、共演者多数。Quicksilver Messenger Service, Taj Mahal, Buddy Miles Express, Mother Earth, Curly Cook's Hurdy Gurdy Band, the Youngbloods, Ace of Cups, Phoenix, Sons of Champlin。ポスターが2種残っている。女性の顔をしたハーベスト・ムーンをフィーチュアしたもの。
Curly Cook's Hurdy Gurdy Band というのはちょっと気になる。この時期、アメリカでハーディガーディをフィーチュアしたバンドがあったのか。どんな音楽をやっていたのか。音を聴きたいが、レコードは無いらしい。
3. 1987 The Spectrum, Philadelphia, PA
この会場3日連続の初日。夜7時開演。この頃になるとどこの会場も複数日のレジデンス公演。
後半オープナー〈Gimme Some Lovin'〉にスペンサー・デイヴィスがゲスト・シンガー。
1969年から20年近く間が空くのは偶然とはいえ面白い。この時期は1975年や1986年を除き、毎年秋のツアーの最中だが、1969年から86年までは毎年休日だったわけだ。
4. 1988 Madison Square Garden, New York , NY
9本連続の7本目。
5. 1991 Boston Garden, Boston, MA
6本連続の3本目。基本的に良いショウのようだが、60年代、70年代をバンドとともに過ごしたデッドヘッドと、80年代以降にバスに乗った人びとで意見が別れるのは興味深い。もっとも90年代に顕著になる MIDI によるサウンドの多様化とシンセ・サウンドの多用は、好みの別れるところではある。
6. 1993 Madison Square Garden, NY
6本連続の千秋楽。前半最後の〈Bird Song〉から最後までアンコールを除き、デヴィッド・マレィがサックスで参加。さらに後半のラスト2曲で James Cotten がハーモニカで加わる。ブランフォード・マルサリス、オーネット・コールマン、このマレィと、ジャズのサックス奏者が参加したショウを聴いた中では、1990-03-28のマルサリスの初回に次ぐ出来。DeadBase XI での John W. Scott の評ではこの年のベストとしている。テープ・コミュニティの評価でもこの年のベストとされたようだ。これは公式で出してほしい。
ジェイムズ・コットンはマディ・ウォーターズのバンドから出たブルース・ハープ奏者。この時58歳。(ゆ)
Banjolina って、本当に Angelina Carberry の呼び名か?
9月21日・火
気がつくと、家の前の染井吉野の葉が半分落ちて、だいぶ空が見えるようになっていた。桜の葉は長い時間をかけてぽろぽろ落ちてゆく。花とは逆。
Copperplate からのCD着。買いのがしていたものばかりで、目玉は Angelina Carberry のCD3枚。ここにまとまってあるのを発見して、大喜びで注文したら、その直後、彼女が TG4 の Gradam Ceoil Musician of the Year に選ばれたのは嬉しいシンクロニシティ。それにしても、この人、おやじさんがアコーディオン奏者のせいか、アコーディオンとやるのが大好きだ。
ここはロンドンにあるアイリッシュ・ミュージック専門CD屋で、なかなかの品揃え。ダブリンの Claddagh がレコード屋としてはものの役に立たなくなってしまった穴を少しは埋めてくれる。
##本日のグレイトフル・デッド
9月21日は1972年から1993年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1972 The Spectrum, Philadelphia, PA
秋のツアーの一貫。料金5ドル。開演夜7時半。《Dick’s Picks, Vol. 36》として完全版がリリースされた。
この頃はまだぎっちり満員ということには必ずしもならなかったらしい。フロアはかなり余裕があり、立ってステージに近寄るのもよし、椅子に座って見るのもよし、という感じだったそうな。
しかし演奏は黄金の年72年のベストの一つ。前半は力のはいった充実した歌をじっくり聴かせ、最後にきて15分超の〈Playing in the Band〉のすばらしいジャムが爆発する。後半は40分近い〈Dark Star〉はじめ、2時間を超える。演奏時間が長いほど質も良くなるのがこの頃のデッドのショウ。それにしても、この録音はCD4枚組、4時間近い。聴くのもたいへん。アウズレィ・スタンリィの録音で音はクリア。実際のショウはもちろんもっとずっと長く、終演は深夜0時は優に超えていただろう。「最長」はいつだったかの大晦日の年越しライヴで真夜中少し前に出てきて朝までやり、プロモーターのビル・グレアムが客に朝食をふるまった、というのがあるけれど。
2. 1973 The Spectrum, Philadelphia, PA
同じヴェニュー2日連続の2日目。料金5ドル。前日は6ドル。どちらも残っているチケットの半券から。場内の位置が違うのかな。後半の前半にジョー・エリスとマーティン・フィエロ参加。アンコールにも参加したらしい。
前日はひどい出来だったが、こちらはうって変わって絶好調だった由。
3. 1974 Palais des Sports, Paris, France
2度目のヨーロッパ・ツアー最終日。第二部として演奏された〈Seastones > Playin in the Band〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
4. 1982 Madison Square Garden, New York , NY
2日連続の2日目。
5. 1991 Boston Garden, Boston, MA
6本連続2本目。料金23.50ドル。開演夜7時半。
6. 1993 Madison Square Garden, New York , NY
6本連続5本目。(ゆ)
R.I.P. George Mraz (1944-2021)
9月20日・月
チェコ出身のベーシスト George Mraz が16日に77歳で亡くなったそうで、同じくチェコのピアニスト Emil Viklicky が LondonJazzNews に追悼文を書いている。それを見て、ムラーツがヴィクリツキィとシンガーでツィンバロン奏者の Zuzana Lapčikova 、それに Billy Hart のドラムスで作ったチェコの伝統歌謡集(とヴィクリツキィは言う)《Morava》をアマゾンで注文。Jerry's Smilin': A Guitar Tribute To The Grateful Dead, Damia Timoner も一緒に注文。後者はスペインのギタリストによるソロ・ギターのデッド・トリビュート集だそうだ。
ムラーツがチェコを離れたのは、1968年、進攻したソ連軍の戦車に父親を殺されたからだ、と本人から直接聞いた、ヴィクリツキィが書いている。ムラーツの父親が乗っていた市電に前方不注意のソ連軍の戦車が突込み、窓を突き破った大砲に頭を強打された。父親はその前の駅で乗ってきたお婆さんに席を譲って立った、その直後のことだった。事件は占領軍のこととてチェコ警察は捜査を禁じられた。
ムラーツは同年中にまずドイツに徃き、アメリカに渡り、ボストンのバークリーに行く。着いた日にレギュラーの仕事を提供された。その後ニューヨークに移る。
##本日のグレイトフル・デッド
9月20日には1968年から1993年まで、10本のショウをしている。公式リリースは2本。
01. 1968 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
単独のショウではなく、Steve Miller, Ace of Cups が共演。25分を超える〈Drums〉には Vince Delgado と Shankar Ghosh も参加。前者は後にハートのバンド Diga にも参加するパーカッショニスト。現在も現役。後者は2016年、80歳で亡くなったタブラ奏者。アリ・アクバル・カーンのパートナーとして1960年代アメリカで活動を始めている。アリ・アクバル・カーンのライヴをアウズレィ・スタンリィが録音した音源が出ているなあ。Bear's Sonic Jounrals のシリーズがこんなに出てるとは知らなんだ。
02. 1970 Fillmore East, New York, NY
前半最後から2曲目〈New Speedway Boogie〉が2010年、最初の《30 Days Of Dead》でリリースされた。あたしはこの年はまだデッドにハマる前で、持っていない。
18日からのレジデンス公演3日目で、第1部アコースティック・デッド、第2部 New Riders Of The Purple Sage、第3部エレクトリック・デッド。ただ、上記〈New Speedway Boogie〉ではガルシアがエレクトリック・ギターを持っている由。ガルシアは一部の曲でピアノも弾いているらしい。この日のアコースティック・セットでは一部の曲でデヴィッド・グリスマンがマンドリンで参加。NRPS のデヴィッド・ネルスンもマンドリンを弾いている。
03. 1973 The Spectrum, Philadelphia, PA
2日連続ここでのショウの初日。料金6ドル。後半一部にジョー・エリスとマーティン・フィエロが参加。チケットの売行が悪く、バンドはやる気がなくて、後半は4曲だけ。
04. 1974 Palais des Sports, Paris, France
ヨーロッパ・ツアー、パリでの2日間の初日。ツアーにつきもののトラブルが噴き出したらしい。
05. 1982 Madison Square Garden, New York , NY
3度めの MSG 2日連続の初日。料金13.50ドル。
06. 1987 Madison Square Garden, NY
5本連続の最終日。料金17.50ドル。
07. 1988 Madison Square Garden, New York , NY
9本連続の6本目。
08. 1990 Madison Square Garden, New York , NY
6本連続の千秋楽。後半の大部分が《Road Trips, Vol. 2, No. 1》に収録された。収録された分だけで1時間半を超え、後半全体では2時間近かった由。〈Dark Star〉の途中で〈Playing in the Band〉の「返り」があるが、その前半は前夜の演奏。CD ではそれがわかるように並べられている。〈Throwing Stone〉のジャムのテンションの高さ。
《Road Trips, Vol. 2, No. 1》では〈Truckin'〉〈China > Rider〉からすばらしい演奏が続く。〈Dark Star〉も全キャリアを通じてのベストの一つに数えたい。ホーンスビィのおかげもあるのだろうが、ウェルニクも踏ん張っていて、ミドランドの穴は埋めようがないが、デッド健在を強烈に訴える。
09. 1991 Boston Garden, Boston, MA
9年ぶりのボストン・ガーデン6本連続の初日。ブルース・ホーンスビィ参加。ピアノとアコーディオン。後半冒頭〈Help on the Way > Slipknot!〉と来て、その次が〈Franklin's Tower〉ではなく〈Fire on the Mountain〉だったので、大歓声が湧いた。またアンコールが珍しくも〈Turn On Your Lovelight〉で、アンコールとしてはこれが最後となった。
10. 1993 Madison Square Garden, New York , NY
6本連続の4本目。後半の〈Space〉とその次の次〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉にエディ・ブリッケルが参加。見事なヴォーカルを聞かせた由。〈Space〉では、しばらくポケットに手をつっこんだまま耳を傾けていたが、やおら途中から歌う、というよりラップを始めたのが、音楽とモロにからんでいた由。この人、あたしはぜーんぜん知らなんだが、こういうことができるとなると聴いてみたくなる。(ゆ)
ネット障害、iFi ZEN Stream
9月19日・日
朝起きて MacBook Air を開くとネットにつながらない。と言うよりも、ネットにはつながっているが、「サーバが見つかりません」と出る。メールもだめ。MacBook Air 本体、ルータやモデムを再起動してもだめ。iPhone や iPad はつながるので macOS の問題らしい。Big Sur Cache Cleaner でシステムのキャッシュを軽く掃除したらつながった。つながってから見てみるとプロバイダが接続障害情報を出しているから、それかもしれない。でも、掃除する前よりもブラウザの反応もきびきびしているから、やはりキャッシュが悪さをしていた部分もあるのだろう。
ヘッドフォン祭 ONLINE をちょこちょこ覗く。iFi の ZEN Stream は良いかもしれない。オール・イン・ワンやストリーマ付き DAC を買うより、すでに DAC やヘッドフォン・アンプは立派なものが手許にあるのだから、専用のストリーマを導入する方が面白い。今は M11Pro をストリーマにしているようなものだ。ストリーマに頼れるものがあれば、DAP は AirPlay 対応にこだわらなくてもいい。
##本日のグレイトフル・デッド
9月19日には1970年から1990年まで5本のショウをしている。公式リリースは1本。
1. 1970 Fillmore East, New York, NY
4日連続の3日め。前日にジミ・ヘンドリックスが死んで、ガルシアのギターにそのスピリットが宿っていた、という報告がある。三部構成でアコースティック・デッド、New Riders Of The Purple Sage、エレクトリック・デッド。もっとも第一部ではガルシアがエレクトリック・ギターを弾くこともあったらしい。
2. 1972 Roosevelt Stadium, Jersey City, NJ
この前後、09-17, Baltimore Civic Center, Baltimore, MD と 09-21, The Spectrum, Philadelphia, PA はともに《Dick's Picks》で完全版が出ているが、これが無視されているのは、出来が良くないか。72年でもダメな時があったのか。
3. 1987 Madison Square Garden, NY
5本連続の4本め。後半冒頭〈Crazy Finger〉で、"Who can stop what must arrive now, Something new is waiting to be born" と歌いながら、ガルシアがレシュを見て、大きく笑顔を浮かべて、レシュに息子が生まれたのを祝ったそうな。
4. 1988 Madison Square Garden, New York , NY
9本連続の5本め。
5. 1990 Madison Square Garden, New York , NY
6本連続の5本目。ブルース・ホーンスビィ参加。後半の前半5曲が《Road Trips, Vol. 2, No. 1》に収録された。この時の MSG レジデンスではベストのショウらしい。しかし、《Road Trips, Vol. 2, No. 1》を聴くかぎり、翌日も甲乙つけ難い。(ゆ)
グレイトフル・デッドで過ごす1日
9月18日・土
##本日のグレイトフル・デッド
9月18日には1970年から1994年まで11本のショウをしている。うち公式リリースは5本。しかも完全版が2本ある。これを全部聴いていると、それだけで1日が終る。残念ながら、生きてゆくためには、そんなことはできない。しかし、一度やってみたいよ、朝から晩まで1日デッド三昧。ただ、完全版2本はちょときつい。
01. 1970 Fillmore East, New York, NY
このヴェニュー4日連続の2日め。第3部の14曲め〈Operator〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。ピグペンのオリジナルのクレジット。ピグペンのヴォーカルはかれにしては自信がなさげ。右でギロをやっているのは誰だろう。NRPS の誰かか。
三部構成だったが、第1部は2曲だけ。アコースティック・セット。ただし2曲目〈Black Peter〉の途中でガルシアがいきなり演奏を止め、すまないが、こんなのやってられねえ、と言って、そのまま第2部の New Riders Of The Purple Sage のステージに移った。そのためこのセットは1時間。ガルシアはペダルスティール。3曲でウィアがヴォーカル。第3部エレクトリック・デッドはアンコールまで入れて2時間超。
02. 1973 Onondaga County War Memorial, Syracuse, NY
このショウは存在が疑問視されている。チケットの売行が思わしくなかったためにキャンセルされたという説もあり、元々予定に無かったという説もある。DeadBase XI ではキャンセルされた可能性とある。
03. 1974 Parc Des Expositions, Dijon, France
2度目のヨーロッパ・ツアーもフランスに入り、ディジョンでのショウ。《30 Trips Around The Sun》の一本として完全版がリリースされた。元はアルルに予定されていたが、Wall of Sound を収められる会場が無かったらしい。録音はキッド・カンデラリオ。
04. 1982 Boston Garden, Boston, MA
東部ツアーの一貫。料金12.50ドル。この会場では合計24回演奏しているが、この次にここに戻るのは9年後の1991年9月。その時にはここで6本連続でやっている。なぜ、これだけ間が空いたかという理由として、この日、火事の際の非常口でバンド(のクルー?)がロブスターを焼いているのを見つかり、2度と来るなと言われたという説がある。
05. 1983 Nevada County Fairgrounds, Grass Valley, CA
屋外のショウで開演午後2時。料金14.00ドル。会場は松の木に囲まれた芝生の由。
06. 1987 Madison Square Garden, NY
5本連続のレジデンス講演の真ん中。午後7時半開演。料金18.50ドル。前日は休みで、NBC のテレビに出演。《30 Trips Around The Sun》の一本として完全版がリリースされた。デヴィッド・レミューはこれをこの年のベストのショウと言う。
1987年は〈Touch of Grey〉のヒットによってデッドの人気が爆発した年で、7月6日にリリースした《In The Dark》はこの9月までにミリオン・セラーを記録し、この月の間にゴールドとプラチナ・ディスクを獲得。旧作の《Shakedown Street》《Terrapin Station》もゴールドとなる。夏にはボブ・ディランとツアーをしたため、この年のレパートリィ数は150曲に上った。また Bob Bralove の協力でミッキー・ハートが MIDI を導入し、またたく間に他のメンバーにも広がる。これ以後のデッドのサウンドはがらりと変わる。
07. 1988 Madison Square Garden, New York , NY
9本連続の4本目。前日は休み。
08. 1990 Madison Square Garden, New York , NY
6本連続の4本目。ブルース・ホーンスビィ参加。Road Trips, Vol. 2, No. 1》にアンコールの1曲〈Knockin' On Heaven's Door〉、同ボーナス・ディスクに前半から3曲、後半から4曲収録された。ボーナス・ディスクは持っていない。後半の〈Foolish Heart〉の後の〈ジャム〉は《So Mony Roads》にも収録。
上記〈Knockin' On Heaven's Door〉ではホーンスビィはアコーディオン。冒頭や中間でいいソロも聞かせる。デッドのこの歌のカヴァーはみな良いが、これは中でも最もゆっくりしたテンポで、ベストの一つ。この時期のガルシアが歌うと、まるで古老が親しい友の葬儀で歌っているように聞える。
ジミヘン20回目の命日。
09. 1991 Madison Square Garden, New York, NY
9本連続千秋楽。
10. 1993 Madison Square Garden, New York , NY
6本連続の3本目。〈Drums〉の最中、クロイツマンがイッてしまう。ハートはスティックをヒップポケットに突き刺して、一瞬にやりとしてその姿を眺めたが、すぐにクロイツマンの背後に回って、大きく両腕をはばたかせた。そうだ。
11. 1994 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
このヴェニュー3日連続の最終日。後半2曲め〈Saint Of Circumstance〉が2017年の〈30 Days Of Dead〉でリリースされた。この時はこの曲は〈Iko Iko〉からのメドレー。ガルシアの調子はまずまずで、全体の演奏はすばらしい。ただ、以前ならガルシアのギター・ソロを待っていたようなところで、あえて待たなくなっているようにも思える。(ゆ)
The National Book Festival
9月17日・金
Washington Post 書評欄のニュースレター Book Club が報じる The National Book Festival の記事を見ると、詮無きこととは知りながら、うらやましさに身の震える想いがする。今年は10日間、オンラインでのヴァーチャル・イベントで100人を超える著者が、朗読、講演、対談、インタヴュー、質疑応答などに参加する。児童書、十代少年少女、時事問題、小説、歴史と伝記、ライフスタイル、詩と散文、科学というジャンルだ。こういう一大イベントが本をテーマに開かれるということ、それを主催するのが議会図書館であるということ、そして、これがもう20年続いているということ。これを見ると、本というもの、そしてそこに形になっている文化への態度、考え方の違いを感じざるをえない。わが国は先進国、BRICs で唯一、本の売上がここ数十年減り続けている国だ。パンデミックにあっても、あるいはパンデミックだからこそ、世界のいわゆる四大出版社は昨年軒並、売上を大きく伸ばした。
このフェスティヴァルは9/11の直前、2001年9月8日に、当時のブッシュ大統領夫人ローラの提唱で始まった。オバマ大統領夫人ミシェルは他のことに忙しくて、このフェスティヴァルを顧る余裕が無かったので、イベントは大統領一家からは独立する。当初はワシントン、D.C.のナショナル・モールで屋外で開かれていたが、2013年からワシントン・コンヴェンション・センターに移る。参加者はのべ20万人に達していたそうだ。そして昨年パンデミックのためにオンラインに移行するわけだが、これによって逆にワシントン、D.C.のローカル・イベントから、本物の全国=ナショナルなイベントになった。
夫人はブック・フェスティヴァルから離れたにしても、オバマ氏は読書家として知られ、今でも毎年シーズンになると、推薦図書のリストを発表して、それがベストセラーになったりする。それもかなり幅広いセレクションで、政治、経済、時事に限られるわけではない。 わが国の元首相でこういうことができる人間がいるだろうか。大統領としては最低の評価がつけられながら、元大統領としてはベストと言われるカーター氏も一家あげての読書家で、夕食に集まるときには、各々が食卓に本を持ってきて、食事をしながら本について語りあう、というのを読んだこともある。
と顧ると、本、活字、言葉をベースとした文化の層の厚さの彼我の差にため息をつかざるをえない。わが国では本が売れないのも無理はない、という諦観にとらわれてもしまう。確かにわが国にはマンガがある。しかし、マンガでは表現できないものもまたあまりに多いのだ。それにマンガが表現しようとしないことも多すぎる。
こういうイベント、お祭がアメリカ人は大好きで、またやるのが巧い、というのもあるだろう。本のイベントの原型はSF大会ではないかとあたしは思っているけれど、ワールドコンだけでなく、今ではローカルな大会=コンヴェンションやスターウォーズ、スタートレック、ゲームなどのジャンル別の大会も花盛りだ。もちろんどれも今は中止、延期、オンライン化されているけれど、今後も増えこそすれ、減ることはあるまい。
コミケやそれにならったイベントはわが国において、こうしたフェスティヴァル、コンヴェンションに相当する役割を果たせるだろうか。そもそものイベントの趣旨、志向しているところが違うようにも見える。それともわれわれはモノの売買を通じてでないと、コミュニケーションを始めることができないのだろうか。
ブック・フェアも性格が異なるように思える。とはいえ、わが国でもこのナショナル・ブック・フェスティヴァルに相当するイベントを開くとすれば、例えば東京ブック・フェアが門戸を広げ、著者や編集者をより巻き込む形にすることが近道ではないかという気もする。
パンデミックはそれまで見えなかったことをいろいろ暴露しているけれど、文化、とりあえず活字文化の層の薄さもその一つではある。
ほんとうは活字文化だけではない。文化全体、文化活動そのものが薄いことも明らかになった。パンデミックの前、ライヴや芝居や展覧会などに青年、中年の男性の姿がほとんど無いのが不思議だったのだが、何のことはない、彼らは仲間内で飲むのに忙しくて、そんなものに行っているヒマが無かったのだった。
##本日のグレイトフル・デッド
9月17日には1966年から1994年まで8本のショウをしている。うち公式リリースは2本。
1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
前日に続き、同じヴェニュー。
2. 1970 Fillmore East, New York, NY
4日連続の初日。料金5.50ドル。三部制で第一部はアコースティック。ガルシアはペダルスティールを弾き、ピグペンはピアノを弾くこともあり、New Riders Of The Purple Sage の David Nelson が一部の曲でマンドリンで参加。第二部が30分弱の NRPS。第三部がエレクトリック・デッド。この4日間はいずれも同じ構成。
3. 1972 Baltimore Civic Center, Baltimore, MD
このヴェニュー3日連続の最終日。料金5.50ドル。夜8時開演。《Dick’s Picks, Vol. 23》としてアンコールのみ除いてリリースされた。前半の〈Bird Song〉(10分超、ベスト・ヴァージョンの一つ)、〈China Cat Sunflower > I Know You Rider〉(11分、Rider のジャム最高!)から〈Playing in the Band〉(18分、最高!)への並び、それに後半、1時間超の〈He's Gone > The Other One > Sing me back home〉のメドレー。CD3枚組でも全部入らない黄金の72年。ロック・バンドのコンサートの契約書には普通「最長演奏時間」の項目がある。どんなに長くなっても、これ以上はやらないよ。デッドのショウの契約書には「最短演奏時間」の項目があった。どんなに短かくても、これだけは演奏させろ。長くなる方は無制限。
演奏はピークの年72年のそのまた一つのピーク。1972年は公式リリースされたショウの本数も、ショウ全体の完全版のリリースの数でも30年間のトップだけど、この年のショウは全部出してくれ。と、こういう録音を聴くと願う。まあテープ、今ならネット上のファイルやストリーミングを聴けばいいんだけどさ。でも、公式リリースは音が違うのよねえ。
4. 1973 Onondaga County War Memorial, Syracuse, NY
同じヴェニュー2日間の初日。だが、翌日のショウには疑問符がつく。開演午後7時。後半2曲目〈Let Me Sing Your Blues Away〉から最後まで〈Truckin'〉を除き、トランペットのジョー・エリスとサックスのマーティン・フィエロが参加。その〈Let Me Sing Your Blues Away〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
ピアノ左端、ガルシアのギター右。キースのヴォーカルはピアノの右。そのキースの声とピアノの間でフィエロがサックス。彼はロック・バンド向けのサックス奏者ではある。だいぶ慣れてきて、キースはピアノも愉しそうだ。
5. 1982 Cumberland County Civic Center, Portland, ME
料金10.50ドル。夜8時開演。〈Throwing Stones〉初演。前半最後から2番目。
6. 1991 Madison Square Garden, New York, NY
9本連続の8本目。
7. 1993 Madison Square Garden, New York , NY
6本連続の2本目。開演夜7時半。
8. 1994 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA)
3日連続の中日。開演夜7時。(ゆ)
NAIM Uniti Atom Headphone Edition が聴きたいぞ。
9月16日・木
ARCAM 再上陸はまあ朗報。選択肢が増えるのはいいことだ。どこか NAIM も入れてくれ。あそこの Uniti Atom Headphone Edition は聴いてみたい。これぞネットワーク・プレーヤー本来の姿。
イヤフォンよりヘッドフォン向け、というのは Focal と同じ親会社の傘下で、Focal のサイトにも Focal 向けに作ったとニュースにあげてるくらいだから、当然ではあろう。Focal の輸入元のラックスマンが NAIM もやればいい、と素人は思う。一緒に売れるだろ。
Mytek Brooklyn Bridge も II で AirPlay に対応したから、これでもいい。Brooklyn Bridge 初代の値下げは在庫をはいて、Brooklyn Bridget II を投入するためと邪推する。
##本日のグレイトフル・デッド
9月16日は1966年から1994年まで9本のショウをしている。うち公式リリースがあるのは4本。
1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
このショウのためのポスターに初めてケリィ&マウスの「薔薇と骸骨」のイメージが使われた。後に1971年の通称《Skull & Roses》アルバムのジャケットとなったもの。
かつて《Vintage Dead》《Historic Dead》という「非公式」LPが Sunflower Records という MGM の子会社から出ていて、そこに一部が収録されたそうな。「非公式」というのは、バンドはこの音源のリリースについてレーベルと全面的に合意していたわけではない、ということらしい。収録されたショウについても翌09-17と09-11との混同もあるようだ。また、このLPからのテープも出回っている由。
2. 1972 Boston Music Hall, Boston, MA
同じヴェニューの2日目。前半最後の〈Playing in the Band〉が2014年と2020年の《30 Days of Dead》で、後半6曲目〈Dark Star > Brokendown Palace〉のメドレーが2016年の《30 Days of Dead》でリリースされた。《30 Days of Dead》でのリリースが将来のより正式な形でのリリースを約束するわけではないが、これは期待できそうだ、となんとなく感じる。
3. 1978 Sphinx Theatre, Giza, Egypt
ピラミッドの下、スフィンクスに見守られての3日間の最終日。《Rocking The Cradle》本体に8割、ボーナス・ディスクも含めれば2曲を除いて収められた。3日間の中ではベストのショウだったことは間違いない。ビデオも収録され、CD本体と一緒に入っている。
全体におおらかでゆったりとしたテンポなのは、エジプトのご利益か。演奏はかなり良い。ヴォーカルには芯があるし、演奏も気合いが入っている。これならば当時であっても十分ライヴ・アルバムとして出せたと思うけど、ガルシアは何が気に入らなかったのか。
初日、2日目から恢復したとすれば、さすがのデッドもスフィンクスに睨まれて平常心を取り戻すのに3日かかったということか。
聴衆のほとんどはバンドを追ってアメリカやヨーロッパから飛んでいった、あるいはたまたま近隣にいたデッドヘッドだったようだが、中にはカイロで英語を習っていた教師たちに連れられて見に行った12歳のエジプト人もいた。わずかにいたエジプト人たちも踊りまくっていたそうだ。
4. 1987 Madison Square Garden, NY
5本連続の2本め。前半6曲め〈High Time〉が2019年の、その次の前半最後〈Let It Grow> Don’t Ease Mi In〉が2013年の、後半6曲めの〈He’s Gone〉が2020年の《30 Days of Dead》で、それぞれリリースされた。
〈Touch of Grey〉に続いて〈Scarlet Begonias〉単独というオープナー。
5. 1988 Madison Square Garden, New York , NY
9本連続の3本め。ようやくエンジンがかかってきたらしい。あるいは意図的にスロースタートしたか。デッドといえども、同じ場所で11日間に9本やるのはたいへんだったろう。
6. 1990 Madison Square Garden, NY
6本連続の3本め。《Dick’s Picks, Vol. 09》として全体がリリースされた。
7. 1991 Madison Square Garden, New York, NY
9本連続の7本め。この MSG 9本連続は90年代のピークの一つらしい。
8. 1993 Madison Square Garden, New York , NY
6本連続の初日。この日は土砂降りで、そのためオープナーはビートルズの〈Rain〉。
9. 1994 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
3本連続の初日。良いショウらしい。
このヴェニューは屋外のアンフィシアターで、ビル・グレアムが設計し、真上から見るとデッドのロゴ、中が真ん丸い頭蓋骨をかたどっている。1986年にオープンし、柿落しはデッドの予定だったが、ガルシアの昏睡で吹飛んだ。(ゆ)
憧れの TEAC
9月15日・水
TEAC のネットワーク・プレーヤー NT-505-X は中途半端。まず WiFi が無い。したがって AirPlay も無し。無線は Bluetooth のみじゃあ、ネットワーク・プレーヤーとは言えんでしょう。これならやはり M11Pro の方がいいわな。デスクトップのオーディオには、むしろ、Bluetooth なんぞ切るくらいのガッツが欲しい。Bluetooth でスマホやイヤフォンを使ってる人間が、こんなデスクトップを使うか。音質優先なら Bluetooth はありえないのだから、媚でしかない。USBメモリ再生を付けるなら、SDカード・スロットをなぜ付けない? そちらの方がユーザは多いはず。もう一つ、ヘッドフォン端子が3.5mm4極というのも、意図不明。同時発表の UD-505-X には4.4mmバランスがあるのにさ。こういう文句をつけるのは、期待してるからですよ。せめて WiFi で AirPlay に対応してくれれば、選択肢に入ってくるのに。TEAC はオープンリール・デッキの頃からの憧れなんだけどねえ。一時はカセット・デッキの Drogan を愛用してました。また TEAC 使いたいよ。
バトラー、Parable 二部作へのN・K・ジェミシンの2018年の序文を訳す。序文なのに、思いっきりネタバレで、たぶん巻末に入れることになるだろうけど、ネタバレを恐れていては、ほんとに大事なことは書けない。でも、いや、いい文章だ。こういう文章にあたると、ジェミシン読むべし、と思う。
##本日のグレイトフル・デッド
9月15日には1967年から1990年まで9本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1967 Hollywood Bowl, Hollywood, CA
ビル・グレアムが企画した "The San Francisco Scene in Los Angeles" と題された公演で、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーとジェファーソン・エアプレインが共演。ジェファーソン・エアプレインがトリ。ポスターの写真もジェファーソン・エアプレイン。
8曲のセット・リストがある。
2. 1972 Boston Music Hall, Boston, MA
秋の東部ツアー初日で2日連続同じヴェニューの初日。
3. 1973 Providence Civic Center, Providence, RI
ここで2日連続の予定だったが、前日がキャンセルされた。料金5.50ドル。後半の一部でトランペットのジョー・エリスとサックスのマーティン・フィエロが参加。この時も前座がダグ・ザーム・バンドで、2人はそのメンバー。また《Wake Of The Flood》にも参加している。
4. 1978 Sphinx Theatre, Giza, Egypt
スフィンクスとピラミッドのもとでの2日め。うち前半最後と後半冒頭の2曲が《Rocking The Cradle》に収録。ボーナス・ディスクまで含めれば後半からもう4曲収録。ボーナス・ディスクは持っておらん。この日もアンコール無し。
〈Stagger Lee〉はガルシアのヴォーカルは、ここぞというところでいきむのがいい。左のウィアのギターはアコースティックのように聞える。コーダがわざとらしい。休憩の宣言なし。聴衆の声がよく聞える。
〈Jack Straw〉はいつもよりわずかに遅いテンポで丁寧に始まる。ドナがコーラスの真ん中を担当するのが新鮮。ガルシアのソロが終始コード・ストロークなのも珍しく、新鮮。
5. 1982 Capital Centre, Landover , MD
料金12.50ドル。〈Touch of Grey〉初演。レコードになって、チャートのベスト10に入り、デッド唯一最大のヒットとなるのは5年後。〈Playing In The Band〉のオープナーは珍しい。
6. 1985 Devore Field, Southwestern College, Chula Vista, CA
夏のツアーの千秋楽。料金15.00ドル。屋外フットボール・フィールドでの公演で開演午後2時。
後半4曲目〈She Belongs To Me〉がデッドのディランをカヴァーしたライヴ音源集 《Postcards Of The Hanging》に収録。ガルシアのヴォーカル。ガルシアの声がやけに若く聞える。ガルシアのソロも含め、演奏は全体にしっとりして、抒情味が勝っている。ガルシア自身の曲の抒情性とは違うどこか乾いた味。良いねえ。
この曲はこの年4月から11月まで9回演奏されたのみ。04-28, Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA の演奏が《Garcia Plays Dylan》に、11-01, the Richmond Coliseum, Richmond, VA の演奏が《Dick's Picks, Vol. 21》に収録されている。
1976年の復帰以降、デッドはディラン・ナンバーを頻繁にとりあげるようになる。全体としてかなり良い演奏で、ショウのハイライトになることも多い。ディランもデッドのカヴァーは好きで、それが1989年のツアーにつながる。ディランは他人のカヴァーはやらないが、ハンター&ガルシアの曲をどれか歌うのを一度くらいは聴いてみたくもある。
7. 1987 Madison Square Garden, New York, NY
MSG 5本連続公演の初日。料金18.50ドル。珍しくもミドランドのリード・ヴォーカルで開幕。ディランのカヴァーが3曲。後半冒頭から China> Rider> Estimated> Eyes と並ぶ。
8. 1988 Madison Square Garden, New York , NY
9本連続の2日め。あまり良くなかったらしい。後半冒頭にレシュが「息子が rock'n'roll と初めて言ったぜ」とアナウンス。
9. 1990 Madison Square Garden, New York , NY
6本連続の2日め。ブルース・ホーンスビィが初めて参加。グランド・ピアノを弾く。
サン・パトリシオ、楚辞、グラント
9月14日・火
グラント回想録11章は米墨戦争のクライマックス、メキシコ・シティへの攻撃を描き、その中で Churubusco の戦いにも触れる。この戦いはメキシコ・シティへの攻撃中最も激しい戦闘になり、アメリカ軍は一時前進を阻止される。ここでアメリカ軍に対抗したのは、移民出身の兵への軍隊内の差別に憤激して脱走し、メキシコ軍に加わった元アメリカ兵だった。中心になったのがアイルランドからの移民だったためメキシコ側で El Batallon de los San Patricios、アメリカから St. Patrick's Battalion と呼ばれた。この一件を音楽にしたのがチーフテンズ最後の傑作《San Patricio》。
このチュルブスコの戦いの描写への注で、サメトはグラントの叙述が同時代の他のものと異なり、戦闘の準備と結果とその影響のみ記すと指摘し、これが ellipsis of battle と呼ばれる漢詩の技法で、戦闘中の英雄的行為の描写は詩に描く価値はないとして省略するものに似ているという。その詩の実例として屈原の "Battle" をアーサー・ウェイリーの訳で挙げている。この英訳はウェイリーが翻訳編集したアンソロジーからの引用。その原詩を求めて『楚辞』を借りたわけだが、調べたところ集中「九歌第二」の第十、国殤篇と判明。小南一郎による訳注の167pp.
「国殤は、戦いの中で国のために死んだ兵士の霊。この場合は、戦闘馬車に乗った指揮官の霊。殤は天寿を全うせぬまま、非業に死んだ者の魂。あるいは祀る者のいない死者の霊。この篇は、そうした国殤の生前の勇敢な戦いぶりを歌って、その魂を慰めようとする鎮魂歌謡」
と注にある。
この邦訳によればウェイリーの英訳のうち、2ヶ所は疑義がある。それに "Battle" という訳題はいささかずれると言えるだろう。
原詩の意図としては鎮魂にあって、戦闘描写の省略という手法があるとしても、ここではむしろ結果だろう。一方で、グラントがこの回想録を書いたのも、金を稼ぐことが第一の目的としても、それとともに鎮魂の意図もおそらくあったと推測できることが、図らずも明らかになる。
グラントは南北戦争を連邦軍(北軍)の勝利に導いた名将ではあるが、戦争の本質的な残酷さをとにかく嫌いぬいていた。勝つためには残酷な結果を招くとわかっている命令を出すのをためらわなかったし、シャーマンの焦土作戦を支持してはいたものの、戦争は無いのがベストと考えてもいた。南北戦争に従軍した他の将軍たちが戦後次々に回想録を出すのを見ながら、かたくなに回想録執筆を拒んでいたのも、嫌いなことをやったのを回想などしたくなかったとも見える。それが、自らの死とそれによる家族の困窮に直面して執筆を決意したとき、死んだ人びとがどう戦ったかではなく、なぜ戦い、どういう結果を生んだかを記すことが何よりの供養と考えたとしても不思議はない。
そして考えてみれば、戦争で殺された人びとを供養・鎮魂するのに、他の方法があるとも思えない。
##本日のグレイトフル・デッド
9月14日は1974年から1993年まで7本のショウ。公式リリースは無し。
1. 1974 Olympiahalle, Munich, West Germany)
2度目のヨーロッパ・ツアー(3度目のヨーロッパ遠征)はロンドン、ミュンヘン、パリの3ヶ所で、ミュンヘンはこの1日のみ。アンコール3度という出血大サービス。
2. 1978 Sphinx Theatre, Giza, Egypt
デッドの海外遠征でおそらく最も有名なエジプト、ピラミッド脇での3日間の初日。当時デッドのマネージャーをしていた Richard Loren がバンドの休止中に観光で行ったピラミッドを見て、ここでデッドの演奏を見たいと思いついて始まった前代未聞、空前絶後の企画。この企画のため、デッドはそのキャリアで2度めの記者会見も行う。チーフテンズは西側のポピュラー音楽のバンドとしておそらく初めて中国に行ったが、ピラミッドには行かなかった。商売を考えたら、中国に行く方がよほど筋が通る。しかし、商売の常道には背を向けるのがデッドの常。エジプト政府公認ではあった(この初日には当時の大統領サダトの夫人が最前列で見ていた)が、財政援助されたとしても、元はとれなかったはずだし、その後の商売に貢献した形跡もない。ライヴ・アルバムを出す予定もあったが、帰国後、テープを聴いたガルシアは使えないと判断した。30年後の2008年になって《Rocking The Cradle》として出る。ただし、これには、ボーナス・ディスクを含めても、この初日の音源は1曲も採用されていない。この日はアンコール無し。
まさにこのデッドのエジプト遠征中、エジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相が、カーター米大統領の仲介でキャンプ・デーヴィッド山荘で会談し、歴史的合意に至っているのは、デッドにつきもののシンクロニシティの一つではある。
エジプト遠征直前、デッドはロゥエル・ジョージをプロデューサーに迎えて《Shakedown Street》となるアルバムの根幹を録音している。
3. 1982 University Hall, University of Virginia, Charlottesville, VA
大学でのショウでこの時期としては珍しくポスターが残っている。料金12.50ドル。
4. 1988 Madison Square Garden, New York , NY
当時記録を作った最初の9本連続 MSG の初日。キングコングをフィーチュアしたポスターが面白い。料金20ドル。
5. 1990 Madison Square Garden, New York , NY
この時は6本連続の初日。
6. 1991 Madison Square Garden, New York, NY
2度目の MSG 9本連続の6本め。こういう時は3日やって1日休む。ブルース・ホーンスビィ参加。
7. 1993 The Spectrum, Philadelphia, PA
3日連続の最終日。(ゆ)
岩波文庫『楚辞』新版
9月13日・月
図書館から借りた『楚辞』岩波文庫版は出たばかりの新訳新注だった。
パラパラやり、解説を読んでみれば、これはかなり面白い。「詩経」よりも面白そうだ。ちゃんと読んでみよう。漢文を習ったのは高校が最後だが、その頃は屈原は「離騒」の作者と教えられた。今はすっかり伝説の人になってしまった。「史記」列伝に記事があっても、他の文献にまったく出てこないし、決定的なのは「淮南子」にひと言も無いことだそうだ。聖徳太子も似たようなもんなんだが、あちらはまだ実在を信じている人が多い。
楚は長江中流域の洞庭湖周辺のあたりをさす。黄河文明に対して長江文明の方が古いという話もあるくらいで、「詩経」に対して「楚辞」は南方文化の代表になるらしい。だいたい「離騒」が天上界遊行の話だとは今回初めて知った。高校の時習ったことで覚えてるのは、屈原がどこかの淵に身を投げて死んだということだけで、「離騒」はその遺書だと思っていた。とんでもない、古代中華ファンタジーではないか。
グラント回想録へのサメトの注釈のウラを取ろうとしたら、瓢箪から駒が出た部類。しかもちょうど新訳新注が出るというのは、やはりシンクロニシティ、呼ばれているのだ。
##本日のグレイトフル・デッド
9月13日には1981年から1993年まで5本のショウをしている。うち公式リリースは1本、1曲。
1. 1981 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
この会場3日連続最終日。アンコールの〈Brokendown Palace〉が良かったそうだ。このタイトルはスタインベックの Cannery Row(缶詰横丁) に出てくる、ホームレスたちが居座った大きな倉庫か納屋の呼び名が原典、というのを最近知る。福武文庫版の邦訳では「ドヤ御殿」。うーむむむむ。ハンガリー系の作家 Steven Brust に Brokendown Palace という長篇がある。かれのファンタジー Dragaera Empire ドラーガラ帝国シリーズの1冊で、これだけ独立した別系統の話。ハンガリーの民話をベースにしながら、デッドの歌の歌詞が鏤められているそうな。地図に出ている地名はデッドの歌のタイトルのハンガリー語訳の由。ハンターとバーロゥも含め、デッドのメンバー全員一人ひとりに捧げられている。著者はドラマーでもあるので、クロイツマンとハートは別記。
2. 1983 Manor Downs, Austin, TX
機器のトラブルがひどくて、まともな演奏に聞えなかったらしい。
3.1987 Capital Centre, Landover , MD
同じヴェニュー3日連続の最終日。
4. 1991 Madison Square Garden, New York, NY
9本連続の5本め。
5. 1993 The Spectrum, Philadelphia, PA
後半8曲目、Space の後の〈Easy Answers〉が《Ready Or Not》に収録。この曲は Bob Bralove, Bob Weir, Vince Welnick & Rob Wasserman というクレジット。作曲に関ったためか、ウェルニクのソロもある。変わった曲で、しかも曲として仕上がっていないように聞える。この年の6月にデビュー、最後まで演奏されて44回。ライヴでもう少し変わったか。90年代デッドを象徴するようなところもある。
ショウ全体はこの時期でベストの出来のひとつだったそうだが、この曲はショウの中で最低の出来のようで、どうしてこれを選んだのか、意図を疑う。《Ready Or Not》は90年代の良い演奏のサンプラーのはずだが。
曲自体は Rob Wasserman のアルバム《Trio》用にウィアが書いた曲の一つで、この曲の3人目はニール・ヤング。ウィアが2曲書いたうちのこちらをワッサーマンは選んだそうだ。ニール・ヤングのギターとウィアのヴォーカルならそれなりに聴ける。(ゆ)
Library of America の SFF作家たち
9月12日・日
LOA にブラッドベリが入った。『火星年代記』『華氏四五一度』『たんぽぽのお酒』『何かが道をやってくる』。うーん、そういえばどれも原書では読んでいなかった。もう何年も、いや何十年も読んでない。『火星年代記』以外は再読すらしていない。この際、原文で読みかえすか。でも Everyman's Library の自選作品集の方が先か。やあっぱり、ブラッドベリは短篇だもんなあ。
ディック、ル・グィン、ヴォネガット、ラヴクラフト、ジャクスン、バトラー、バーセルミ、それにブラッドベリと、LOA にもSFFがじわりと増えてきている。アシモフやハインラインが入るとは思えないが(ハインラインの Double Star はオムニバスで入った)、スタージョン、ライバー、エリスンあたりは入りそうだ。SFF作家は作品数が多いから、全部入れようとすれば、ヘンリー・ジェイムズ並みの巻数が必要だろう。ああいうことはもうできないんじゃないか。そういえば Charlotte Perkins Gilman が来年4月に予定されてる。そう、こういう、他では手に入りにくい人を出してほしいよねえ。
##本日のグレイトフル・デッド
9月12日には1973年から1993年まで9本のショウをしている。うち公式リリースは1本、1曲。
1. 1973 William And Mary Hall, College Of William And Mary, Williamsburg, VA
同じヴェニュー2日目。こちらでも一部でマーティン・フィエロとジョー・エリスが参加。機器トラブルがあったが、前日同様、良いショウの由。
2. 1981 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
3日連続のここでのショウの中日。やはり良いショウの由。China > Rider, Scarlet > Fire, Estimated > Eye が揃い踏み。これは2回しか無いそうだ。珍しくダブル・アンコールだったが、2度目のアンコールの際、レシュが出てこなかったので、ウィアが音頭をとって聴衆に "Hey Phil, what's happening?" と叫ばせた。
3. 1982 Lakeland Civic Center, Lakeland, FL
この会場では3回演奏している、その最後。前2回、1977-05-21 と 1980-11-28 は各々 Dick's Picks, Vol. 29 と30 Trips Around The Sun でリリースされた。この3回目の時に、会場内に潜入捜査官が入ったので、以後ここで演るのを止めたそうな。潜入捜査官 undercover cops と言っても、ひと眼で警官とわかる人間が多数いたらしい。
4. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
地元3日連続最終日。
5. 1987 Capital Centre, Landover , MD
3日連続の中日。料金17.50ドル。
6. 1988 The Spectrum, Philadelphia, PA
4本連続同じヴェニューでの最終日。
7. 1990 The Spectrum, Philadelphia, PA
3日連続最終日。
8. 1991 Madison Square Garden, New York, NY
後半4曲め〈Terrapin Station〉が《So Many Roads》に収録。録音はあまり良くない。バランスも悪く、ヴォーカルが埋もれがち。演奏は熱が籠もっている。ウェルニクがガルシアを盛りたてようと努めている。この人、ミドランドのような積極的な貢献はできないが、着実に支える、いわば守成の人だったのではないか。ただ、それがデッドにとってプラスになったかどうかはまた別ではあるが。
9. 1993 The Spectrum, Philadelphia, PA
3日連続初日。料金26.50ドル。上記1987年から6年間で9ドル、35%の上昇。この1993年、デッドは180万枚、4,560万ドルのチケットを売り上げ、ライヴ収入で全米1位となった。しかもこの価格は他の上位のアクトのチケット代の3分の1以下だった。この年のショウは81本。したがって1本のショウ平均で22,222枚強のチケットを売ったことになる。1990年代、デッドはライヴ・アクトの興行収入で毎年ベスト5に入っている。(ゆ)