クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ケルティック・クリスマス

 フジヤエービックのバーゲンでウルトラゾーネの iCans が4,800円だったので、買ってみました。いわゆる「ゾネ」フォンは以前から聞いてみたかったのであります。

 まだ、CD1枚聞いただけですが、結論からいうと、これは「当たり」でした。これから聞いてゆくと、ひょっとすると「大当たり」かもしれません。

 缶から出した時の印象は、どうにもチープ。ユニットそのものはまだ良いのですが、ヘッドバンドや長さ調節のメカニズムを見たときには、5,000円でちょうど良い値段ではないの、と言いたくなりました。

 とりあえず、iPod 80GB に直接つなぎました。

 最初の曲は聞きかけていたケパ・フンケラの新作《HIRI》の〈Kerman Sunne-n〉で、女性コーラスがほとんど人間の声とも思えません。もっとも、次の曲ではすぐにだいぶマシになり、CDが終わるまでにはちゃんと人間の声が聞こえるようになりました。

 その時点ですでに「これは」と思っていたんですが、次に聞いたティム・オブライエンの《WHEN NO ONE'S AROUND》を聴きすすむうちに、良い買物をした喜びがわいてきました。

 ぼくは右の耳の聞こえが良くありません。小さい音が聞こえにくいのです。一定レベルの音量になると機能は正常ですが、それ以下ではほとんど聞こえなくなります。日常生活ではまったく不自由はないし、音楽を聞くときもスピーカーで聞く分には、問題ありません。が、ヘッドフォンで聞くときには、やや支障が出てきます。つまり、音場が全体に左に寄るのです。センターにあるはずのヴォーカルもこころもち左から聞こえます。開放型では多少良くなりますが、いずれにしても自分ではコントロールできない肉体的条件である以上、やむをえないことと諦めていました。

 それが、iCans ではみごとに左右に均等に広がっています。オブライエンの声もちゃんと中央から聞こえます。これがどれほど気持ちがよいものか、自分でも忘れていたようです。これが S-LOGIC の威力なのでしょうか。

 《WHEN NO ONE'S AROUND》自体もすばらしいアルバムで、ツボにビンビン来ます。John Gardner というドラマーは初めて聞きますが、曲の特徴に合わせて表情の豊かなドラミングを聞かせます。〈When you come back down〉に入っている Sam Levine という人のサックスも、右耳からぐいぐいとスイングしてきて、思わず追っかけをしたくなりました。フィドル一本の伴奏でうたうブリテンのトラディショナル〈Love is pleasin'〉の緊張感は、この後の傑作群《THE CROSSING》や《TWO JOURNEYS》への布石。

 これが「ゾネ」の性格なのでしょうか。このフィドルの音はやはり少々エッジが立ちすぎている気もしますが、この録音ではこのぐらいの方が良いかもしれません。フィドルでは特にめだちますが、各楽器の音に各々明確なキャラが立ち、輪郭もくっきりと描きだされるます。しかし、ばらばらではなく、あくまでも有機的に融合した音楽として楽しめます。ぼくはこういう音が実は嫌いではないらしい。あえて言えば、楽器のキャラが立つあまり、時によるとヴォーカルが弱く感じることもあります。この辺は、これから馴らしていってどうなるか。

 後で調べたら、ジョン・ガードナーはグランド・オウル・オープリーのレジデンス・ドラマーで、Dixie Chicks、Jim Lauderdale、Kimmie Rhodes 始め、カントリー系では引っぱりだこの人でした。
 サム・レヴァインはセッション・マンらしい。

 とまあ、大喜びで音楽に聴き惚れて1枚おわりました。うーん、こうなると、ウルトラゾーネはオレのために作られたヘッドフォンではないか(^_-)。上級機が気になってきました。あるいは来年あたり出そうな、新製品かな。ゾネにはポータブル用のショート・ケーブルが用意されているのもポイント高いです。3メートルのケーブルを iPod に刺すのはちょっとしんどい。

 ちなみにケパ・フンケラの新作は快作。前作を聞きそこなっていますが、ケパはひょっとして、バスクでピアソラに相当する位置に立とうとしているのかもしれません。

 名前からしてアイルランド系アメリカ人であるティム・オブライエンにとって、いつかは祖先の故郷を訪ねるのは、前世からの宿命であったかもしれません。40代半ば、おのれの来し方を想い、行く末を望むにあたって、おのれのよってきたる原点を探りたくなる年頃。そうして実行し、この中の[13]〈Talkin' Cavan〉に描かれた1998年春の「帰郷」の成果が翌年にリリースされたこのアルバム。もっとも、オブライエン自身の出身がウェスト・ヴァージニアということからすると、かれの祖先は19世紀以降のカトリックではなく、その前にアルスターから移民していたいわゆるスコッツ・アイリッシュだった可能性もあります。

 いずれにしてもアイルランド土着のミューズはオブライエンの音楽魂に微笑みかけてくれたようで、ここからアメリカン・ルーツとアイルランドをはじめとするケルト系音楽をあらためて現時点で融合する、実り豊かな活動が始まりました。

 《FIDDLER'S GREEN》に比べればここでのアイリッシュはまだ借り物、と書きましたが、オブライエン自身そのことは重々承知です。アーロ・ガスリーの《THE LAST OF THE BROOKLYN COWBOYS》(1973)でのケヴィン・バークのフィドルでアイリッシュ・ミュージックに開眼していたそうですから、オブライエンのアイリッシュ・ミュージックへの親炙は並大抵のものではありませんが、だからこそ、一朝一夕にわがものにできるものではないこともわきまえていたのでしょう。

 インストルメンタルのトラックではロナン・ブラウン、シェイマス・イーガン、ダーモット・バーン、マレード・ニ・ムィニー、キアラン・カラン、キアラン・トゥーリッシュ、ダヒィ・スプロール、フランキィ・ゲイヴィンといったメンバーを前面に押し立てて、自分はその引き立て役にまわっています。

 その味わいは例えばチェリッシュ・ザ・レディースやソーラスのような、北米のアイリッシュ・ミュージシャンたちの音楽とも、デ・ダナンが《STAR SPANGLED MOLLY》で展開したようなかつてのアイリッシュ・アメリカンの音楽とも違い、アイリッシュの感性を大陸の感性でおおらかに広げてゆきます。感覚として一番近いものを探せば、カナダ東部、それもケープ・ブルトンではなく、ハリファックスやトロントあたりのミュージシャンたち、スタン・ロジャースレニィ・ギャラントのスタンスでしょう。

 唄を聞くと、その相似は一層明らかで、オブライエンがアイルランドから吸収したものは、素材としてよりも、ものの見方や提示のしかたであることがわかります。ぼくにとってそれがもっとも端的に、心に沁みて聞こえたのは、[11]〈Rod McNeil〉でした。ジグである〈Joy of my life〉をアレンジしたメロディに乗せて歌われるのは、ピッツバーグでブルーグラスのライヴ・ハウスを運営していた「心の広い大男」だったアイルランド系アメリカ人の想い出。サポートのフィドルはフランキィ・ゲイヴィンです。

 そしてやはりオブライエンの真骨頂は唄にあります。ポール・ブレディのメイン・ヴォーカルにコーラスを合わせる[06]〈Down in the willow garden〉、モーラ・オコーネルがオブライエンにコーラスを合わせる[14]〈The ribbon in your hair〉、なぜかケリィ・ジョー・フェルプスがスライド・ギターで参加した[10]〈John Riley〉。

 唄つくりとしてもスタン・ロジャースやスコットランドのアーチー・フィッシャー、あるいはアンディ・アーヴァインにも肩をならべられるのは、アルタンがフルバンドでバックアップしている[08]〈Lost little children〉でも明らかです。ここには将来 "Traditional" とクレジットされてもおかしくない唄が、いくつもあります。

 となると、唄うたい、唄つくりとしてのティム・オブライエンがどこから来たのか。気になってくるところです。(ゆ)

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