クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ケルト

 パート3の合同演奏で、ジェ・ドゥーナのフィドルの舞さんは涙で唄えなくなってしまった。後を追いかけているバンドに自分たちの曲がうたわれ、新たな光を当てられるのを目の当たりにするのは感情を揺さぶられるだろう。いかに揺さぶられても、泣いてしまって演奏できなくなるのはプロじゃない、というのは酷だ。

 その少し前、後手のジェ・ドゥーナの3曲目を浴びていて、あたしも涙がにじんできた。こちらはワケがわからない。音楽に感動したからか。それも無いとはいえない。これは佳い曲だ。しかし、そういう時は背筋にぞぞぞと戦慄は走っても、涙まではにじんでこないのがふつうだ。あたしが老人だからか。それもあるかもしれない。老人はなにかと涙もろくなる。老人夫婦がおしゃべりしていても、子どもたちの小さい頃とか、死んだ親たちのこととかを思いだして、涙が出てくることは珍しくない。だけど、目の前の音楽は過去のことではない。いま、ここで、起きている。自分はそこに浸っている。

 そう、たぶん、いま、ここ、ということなのだ。不思議にいのちながらえて、いま、ここで、この音楽を浴びていられることが、むしょうに嬉しかったのではないか、と今、これを書きながら思う。自分が生きのびていることと、ジェ・ドゥーナが出現してくれたことが、ともに嬉しかったのだ。

 ジェ・ドゥーナは生を見たかった。月見ルのHさんから教えられて、録音を2枚聴いて、ぜひ生を見たい、と思った。ようやく生を見られたかれらは、期待以上だろうという期待をも軽く超えていた。

 まず驚いたのはその音楽がすでに完成していることだ。メンバー各自の技量の高さは言うまでもない。時に舌を巻くほどに皆巧いが、若い人たちの技量が高いことは世界的な現象でもあって、今さら驚くことではない。少なくとも人前でやろうという程の人たちは、ジャンルを問わず、実に巧いことは経験している。駅前の路上で演奏している人たちだって、技術だけはりっぱなものだ。ジェ・ドゥーナの技術はまた一つレヴェルが違うが、伝統音楽やそれを土台にした音楽は、ジャズ同様、テクニックのくびきがきついので、それだけをとりだして評価すべきものでもない。

 その高い技術によって実現されている音楽は、すでに独自の型を備え、その型を自在に駆使して、新鮮な音楽を次々にくり出す。そこには未熟さも、将来に期待してくださいというような甘えも一切無い。胸がすくくらいに無い。今持てるものをすべて、あらいざらいぶち込んでもいる。それが、先ほどの、いま、ここ、の感覚を増幅する。とにかく音楽の活きがよい。とれたて、というよりも、いま、ここで一瞬一瞬生まれている。そのみずみずしさ!

 見ていると、即興と聞えるところも緻密なアレンジをほどこしているようでもあり、入念なリハーサルを重ねているはずだが、そうは聞えない。たった今、思いつきで、というよりも内からあふれ出てくるものをそのまま出しているけしきだ。

 アレンジをしている時は内からあふれ出てくるのかもしれない。それをアレンジとして定着させるにはくり返し演奏しているはずだが、くり返しによって音楽がすり切れることがまるでない。名手、名演というのはそういうものではある。クラシックは楽譜通りに演奏するものだが、名演とそうでないものは截然とわかる。キンクスのレイ・デイヴィスは最大のヒット曲〈You Really Got Me〉を、文字通り数えきれない回数ステージで演奏しながら、毎回、いつも初めて演奏するスリルを感じると言う。おそらく音楽を新鮮で優れたものにするのは、その能力、演りつくしたとみえる楽曲を、初めて演奏するスリルをもって演奏できる能力なのだろう。ジェ・ドゥーナはそれを備えている。

 そしてそのアレンジが新鮮なのだ。いやまずその前に曲そのものがいい。ベースにしているアイリッシュ・ミュージックのダンス・チューンには無数の曲があり、もう新しいものはできないとも思えるが、ジェ・ドゥーナの作る曲はわずかに規範からはずれていて、はっとさせられる。しかも、何度聴いても、はっとさせられる。どこがどうはずれているのか、あたしなどにはわからないが、はずれかたが遠すぎず、近すぎず、絶妙としか言いようがない。

 そしてその佳いメロディーを展開するアレンジのアイデアが、やはりアイリッシュ・ミュージックの慣習からはずれている。ルナサが出てきたとき、そのアレンジのアイデアの豊冨なことと効果的なことに驚いた。プランクシティ以来のアイリッシュ・ミュージックの現代化はいかにアレンジするかの積み重ねでもあるけれど、ルナサはその中でも抜きんでていた。ジェ・ドゥーナのアレンジのアイデアはそこからまた一歩踏みだしている。おそらくクラシックの素養が働いているのではないかと思うが、それだけでは無いようでもある。ジャズの香りが漂うこともある。ヒップホップも入っているのは、今の時代、むしろ無いほうがおかしい。かと思えば、たとえばギターのアルペジオなどには1970年代とみまごうばかりの響きが聞える。

 こうした要素を演奏としてまとめあげるセンスがいい。確固として揺るぎない伝統を柱とする音楽に外からアプローチする場合、こういうセンスの有無は大きくモノを言う。このセンスはおそらくは先天性のもので、眠っているものを目覚めさせることはできても、全く無い人間が訓練で身につけられるものではないだろう。曲は面白いものが作れても、アレンジのセンスの無い人はいる。アレンジのセンスが必要ないジャンルやフォームもある。とまれ、ジェ・ドゥーナのメンバーはこのアレンジのセンスをあふれるほどに備えていることは確かだ。

 生を見てあらためて思う、ここまで音楽とスタイルを完成させてしまって、次にどこへ行くのだろう。余計なお世話ではあるが、初めにやりたいことをやり尽くしてしまって燃えつきたバンドを見てきてもいる。老人は心配性なのだ。若い時のように、時間が無限にあるとはもう感じられないからだ。そうわかっているから、心配が半分、そんな杞憂はあっさりはねのけてくれるだろうという期待が半分である。当人たちにとってはあっさりなどではないかもしれないが、傍から見る分には涼しい顔をして、またあっと言わせてくれるだろう。

 一方でことさらに変わる必要もないとも思える。無理に変わろうとして、崩れてしまっては元も子もない。むしろ、今の形をとことんまで深く掘りさげてゆくのもまた愉しからずや。いずれにしても、JJF を超えてゆくのを、JJF にはやりたくてもできないことをやるのを見たい。めざせ、ブドーカン! いや、そうではない。あんなところでジェ・ドゥーナを見たくはない。もっと音のまともな、もっと親密な、そして大きな空間で見たい。あるいは別の、あたしなどには思いもつかない姿を見たい。こちらとしては、とにかく、生きてそれを見られるよう、養生と精進に努めるばかりだ。


 ジョンジョンフェスティバルも収まりかえってはいなかった。じょんはオーストラリア、トシバウロンは京都、アニーは東京で、ふだん、おいそれとはリハーサルもできないと思われるが、そんなことは微塵も感じさせない。ネット上でやってもいるのだろうか。

 JJF が先に出てきたときには、ほほお、先手ですかと思い、すぐに、さすがだなと思いなおした。そして音が出た瞬間、うむうと唸った。じょんのフィドルがまた変わっている。切れ味が増している。パンデミックがとにもかくにも収まって、ヨーロッパにも行き、ライヴの機会が増えたからだろうか。アニーがピアノに座るケープ・ブレトン様式のラストの8曲メドレーは、JJF ならではの演奏。貫禄といっては重すぎるか、風格を見る。

 初めて対バンして、7曲も一緒にやるのは前例が無いとトシさんが言っていたが、この合同演奏は良かった。ダブル・フィドルの華麗な響き、ホィッスルのジャズ風の遊び、アニーが持ち替えるマンドリンやピアノの粋、ギター2本の重なり、そしてパーカッション二人の叩き合い。JJF の曲での口パーカッションも効いていた、と記憶する。久しぶりにほぼ立ちっぱなしだったが、もう1、2時間はそのまま聴いていたかった。アンコールの〈海へ〉が終るまで、足の痛みも感じなかった。会場を出て、外苑前の駅に向かって坂を登りだしたら、脚ががくがくしてきた。

 それにしても良いものを見せて、聴かせていただいた。生きるエネルギーをいただいた。ミュージシャンにも、Hさんにも感謝多謝。(ゆ)

 とにかく寒かった。吹きつける風に、剥出しの頭と顔から体温がどんどん奪われてゆく。このままでは調子が悪くなるぞ、という予感すらしてくる。もう今日は帰ろうかと一瞬、思ったりもした。

 この日はたまたま歯の定期検診の日で、朝から出かけたが、着るものの選択をミスって、下半身がすうすうする。都内をあちこち歩きまわりながら、時折り、トイレに駆けこむ。仕上げに、足休めに入った喫茶店がCOVID-19対策でか入口の引き戸を少し開けていて、そこから吹きこむ風がモロにあたる席に座ってしまった。休むつもりが、体調が悪くなる方に向かってしまう。

 それでもライヴの会場に半分モーローとしながら向かったのは、やはりこのバンドの生はぜひとも見たかったからだ。関西ベースだから、こちらで生を見られるチャンスは逃せない。

 デビューとなるライヴ・アルバムを聴いたときから、とにかく、生で見、聴きたかった。なぜなら、このバンドは歌のバンドだからだ。アイリッシュやケルト系のバンドはどうしてもインスト中心になる。ジョンジョンフェスティバルやトリコロールは積極的に歌をレパートリィにとりいれている。トリコロールは《歌う日々》というアルバムまで作り、ライヴもしてくれたけれど、やはり軸足はインストルメンタルに置いている。歌をメインに据えて、どんな形であれ、人間の声を演奏の中心にしているバンドは他にはまだ無い。

 キモはその音楽がバンド、複数の声からなるところだ。奈加靖子さんはソロだし、アウラはア・カペラに絞っている。バンドというフォーマットはまた別の話になる。ソロ歌唱、複数の声による歌と器楽曲のいずれにも達者で自由に往来できる。

 あたしの場合、音楽の基本は歌なのである。歌が、人間の声が聞えて初めて耳がそちらに向きだす。アイリッシュ・ミュージックでも同じで、まず耳を惹かれたのはドロレス・ケーンやメアリ・ブラックやマレード・ニ・ウィニーの声だった。マレードとフランキィ・ケネディの《北の音楽》はアイリッシュ・ミュージックの深みに導いてくれた1枚だが、あそこにマレードの無伴奏歌唱がなかったら、あれほどの衝撃は感じなかっただろう。

Ceol Aduaidh
Frankie Kennedy
Traditions (Generic)
2011-09-20

 

 歌は必ずしも意味の通る歌詞を歌うものでなくてもいい。ハイランド・パイプの古典音楽ピブロックの練習法の一つとしてカンタラックがある。ピブロックは比較的シンプルなメロディをくり返しながら装飾音を入れてゆく形で、そのメロディと装飾音を師匠が声で演奏するのをそっくりマネすることで、楽器を使わずにまず曲をカラダに叩きこむ。パイプの名手はたいてがカンタラックも上手い。そしてその演奏にはパイプによるものとは別の味がある。

 みわトシ鉄心はまだカンタラックまでは手を出してはいないが、それ以外のアイルランドやブリテン島の音楽伝統にある声による演奏はほぼカヴァーしている。これは凄いことだ。こういうことができるのが伝統の外からアプローチしている強味なのだ。伝統の中にいる人たちには、シャン・ノースとシー・シャンティを一緒に歌うことは、できるできないの前に考えられない。

 中心になるのはやはりほりおみわさんである。この人の生を聴くのは初めてで、今回期待の中の期待だったが、その期待は簡単に超えられてしまった。

 みわさんの名前を意識したのはハープとピアノの上原奈未さんたちのグループ、シャナヒーが2013年に出したアルバム《LJUS》である。北欧の伝統歌、伝統曲を集めたこのアルバムの中で一際光っていたのが、河原のりこ氏がヴォーカルの〈かっこうとインガ・リタ〉とみわさんが歌う〈花嫁ロジー〉だ。この2曲は伝統歌を日本語化した上で歌われるが、その日本語の見事さとそれを今ここの歌として歌う歌唱の見事なことに、あたしは聴くたびに背筋に戦慄が走る。これに大喜びすると同時にいったいこの人たちは何者なのだ、という思いも湧いた。

Ljus
シャナヒー (Shanachie)
Smykke Boks
2013-04-10



 みわさんの声はそれから《Celtsittolke》のシリーズをはじめ、あちこちの録音で聴くチャンスがあり、その度に惚れなおしていた。だから、このバンドにその名前を見たときには小躍りして喜んだ。ついに、その声を存分に聴くことができる。実際、堂々たるリード・シンガーとして、ライヴ・アルバムでも十分にフィーチュアされている。しかし、そうなると余計に生で聴きたくなる。音楽は生が基本であるが、とりわけ人間の声は生で聴くと録音を聴くのとはまったく違う体験になる。

 歌い手が声を出そうとして吸いこむ息の音や細かいアーティキュレーションは録音の方がよくわかることもある。しかし、生の歌の体験はいささか次元が異なる。そこに人がいて歌っているのを目の当たりにすること、その存在を実感すること、声を歌を直接浴びること、その体験の効果は世界が変わると言ってもいい。ほんのわずかだが、確実に変わるのだ。

 今回あらためて思い知らされたのはシンガーとしてのみわさんの器の大きさだ。前半4曲目のシャン・ノースにまずノックアウトされる。こういう歌唱を今ここで聴けるとはまったく意表をつかれた。無伴奏でうたいだし、パイプのドローンが入り、パイプ・ソロのスロー・エア、そしてまた歌というアレンジもいい。かと思えば、シャンティ〈Leave Her Johnny〉での雄壮なリード・ヴォーカル。女性シンガーのリードによるシャンティは、女性がリードをとるモリス・ダンシングと同じく、従来伝統には無かった今世紀ならではの形。これまた今ここの歌である。ここでのみわさんの声と歌唱は第一級のバラッド歌いのものであるとあらためて思う。たとえば〈Grey Cock〉のような歌を聴いてみたい。ドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーの《Broken Hearted I'll Wander》に〈Mouse Music〉として収められていて、伝統歌の異界に引きずりこまれた曲では、みわさんの声がドロレスそっくりに響く。前半ラストの〈Bucks of Oranmore〉のメロディに日本語の歌詞をのせた曲でのマジメにコミカルな歌におもわず顔がにやけてしまう。

 この歌では鉄心さんの前口上で始まり、トシさんが受ける。これがまたぴったり。何にぴったりかというと、とぼけぶりがハマっている。鉄心さんの飄々としたボケぶりとたたずまいは、いかにもアイルランドの田舎にいそうな感覚をかもしだす。村の外では誰もしらないけれど、村の中では知らぬもののいないパイプとホィッスルの名手という感覚だ。どんな音痴でも、音楽やダンスなんぞ縁はないと苦虫を噛みつぶした顔以外見せたことのない因業おやじでも、その笛を聴くと我知らず笑ったり踊ったりしてしまう、そういう名手だ。

 鉄心さんを知ったのは、もうかれこれ20年以上の昔、アンディ・アーヴァインとドーナル・ラニィが初めて来日し、その頃ドーナルと結婚していたヒデ坊こと伊丹英子さんの案内で1日一緒に京都散策した時、たしか竜安寺の後にその近くだった鉄心さんの家に皆で押しかけたときだった。その時はもっぱらホィッスルで、パイプはされていなかったと記憶する。もっとも人見知りするあたしは鉄心さんとはロクに言葉もかわせず、それきりしばし縁はなかった。名前と演奏に触れるのは、やはりケルトシットルケのオムニバスだ。鞴座というバンドは、どこかのほほんとした、でも締まるところはきっちり締まった、ちょっと不思議な面白さがあった。パンデミック前にライヴを見ることができて、ああ、なるほどと納得がいったものだ。

The First Quarter Moon
鞴座 Fuigodza
KETTLE RECORD
2019-02-17



 この日使っていたパイプは中津井真氏の作になるもので、パンデミックのおかげで宙に浮いていたものを幸運にも手に入れたのだそうだ。面白いのはリードの素材。本来の素材であるケーンでは温度・湿度の変化が大きいわが国の風土ではたいへんに扱いが難しい。とりわけ、冬の太平洋岸の乾燥にあうと演奏できなくなってしまうことも多い。そこで中津井氏はリードをスプルースで作る試みを始めたのだそうだ。おかげで格段に演奏がしやすくなったという。音はケーンに比べると軽くなる。ケーンよりも振動しやすいらしく、わずかの力で簡単に音が出て、その分、音も軽くなる由。

 これもずいぶん前、リアム・オ・フリンが来日して、インタヴューさせてもらった時、パイプを改良できるとしたらどこを改良したいかと訊ねたら、リードだと即答された。アイルランドでもリードの扱いには苦労していて、もっと楽にならないかと思い、プラスティックのリードも試してはみたものの使い物にはならない、と嘆いていた。もし中津井式スプルース・リードがうまくゆくとすれば、パイプの歴史に残る改良になるかもしれない。少なくとも、温度・湿度の変化の大きなところでパイプを演奏しようという人たちには朗報だろう。鉄心さんによれば、中国や韓国にはまだパイパーはいないようだが、インドネシアにはいるそうだ。

 鉄心さんのパイプ演奏はレギュレーターも駆使するが、派手にするために使うのではなく、ここぞというところにキメる使い方にみえる。時にはチャンターは左手だけで、右手でレギュレーターのレバーをピアノのキーのように押したりもする。スプルースのリードということもあるのか、音が明るい。すると曲も明るくなる。

 パイプも立派なものだが、ホィッスルを手にするとまた別人になる。笛が手の延長になる。ホィッスルの音は本来軽いものだが、鉄心さんのホィッスルの音にはそれとはまた違う軽みが聞える。音がにこにこしている。メアリー・ポピンズの笑いガスではないが、にこにこしてともすれば浮きあがろうとする。

 トシさんが歌うのを初めて生で聴いたのは、あれは何年前だったか、ニューオーリンズ音楽をやるバンドとジョンジョンフェスティバルの阿佐ヶ谷での対バン・ライヴの時だった。以来幾星霜、このみわトシ鉄心のライヴ・アルバムでも感心したが、歌の練度はまた一段と上がっている。後半リードをとった〈あなたのもとへ〉では、みわさんの一級の歌唱に比べても、それほど聴き劣りがしない。後半にはホーミーまで聴かせる。カルマンの岡林立哉さんから習ったのかな。これからもっと良くなるだろう。

 そもそもこのバンド自体が歌いたいというトシさんの欲求が原動力だ。それも単に歌を歌うというよりは、声による伝統音楽演奏のあらゆる形態をやりたいという、より大きな欲求である。リルティングやマウス・ミュージックだけでなく、スコットランドはヘブリディーズ諸島に伝わっていた waulking song、特産のツイードの布地を仕上げる際、布をテーブルなどに叩きつける作業のための歌は圧巻だった。これが元々どういう作業で、どのように歌われていたかはネット上に動画がたくさん上がっている。スコットランド移民の多いカナダのケープ・ブレトンにも milling frolics と呼ばれて伝わる。

 今回は中村大史さんがゲスト兼PA担当。サポート・ミュージシャンとしてバンドから頼んだのは、「自由にやってくれ」。その時々に、ブズーキかピアノ・アコーディオンか、ベストと思う楽器と形で参加する。こういう時の中村さんのセンスの良さは折紙つきで、でしゃばらずにメインの音楽を浮上させる。それでも、前半半ば、トシさんとのデュオでダンス・チューンを演奏したブズーキはすばらしかった。まず音がいい。きりっとして、なおかつふくらみがあり、サステインもよく伸びる。楽器が変わったかと思ったほど。その音にのる演奏の闊達、新鮮なことに心が洗われる。このデュオの形はもっと聴きたい。ジョンジョンフェスティバルでオーストラリアを回った時、たまたまじょんが不在の時、2人だけであるステージに出ることになったことを思い出してのことの由。この時の紹介は "Here is John John Orchestra!"。

 みわトシ鉄心の音楽はあたしにとっては望むかぎり理想に最も近い形だ。ライヴ・アルバムからは一枚も二枚も剥けていたのは当然ではあるが、これからどうなってゆくかも大変愉しみだ。もっともっといろいろな形の歌をうたってほしい。日本語の歌ももっと聴きたい。という期待はおそらくあっさりと超えられることだろう。

 それにしても、各々にキャリアもあるミュージシャンたち、それも世代の違うミュージシャンたちが、新たな形の音楽に乗り出すのを見るのは嬉しい。老けこむなと背中をどやされるようでもある。

 是政は西武・多摩線終点で、大昔にこのあたりのことを書いた随筆を読んだ記憶がそこはかとなくある。その頃はまさに東京のはずれで人家もなく、薄の原が拡がっていると書かれていたのではなかったか。今は府中市の一角で立派な都会、ではあるが、どこにもつながらず、これからもつながらない終着駅にはこの世の果ての寂寥感がまつわる。

 会場はそこからほど近い一角で、着いたときは真暗だから、この世の果ての原っぱのど真ん中にふいに浮きあがるように見えた。料理も酒もまことに結構で、もう少し近ければなあと思ったことでありました。

 帰りは是政橋で多摩川を渡り、南武線の南多摩まで歩いたのだが、昼間ほど寒いとは感じず、むしろ春の匂いが漂っていたようでもある。風が絶えていた。そしてなにより、ライヴで心身が温まったおかげだろう。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

みわトシ鉄心
ほりおみわ: vocals, guitar
トシバウロン: bodhran, percussion, vocals
金子鉄心: uillean pipes, whistle, low whistle, vocals

中村大史: bouzouki, piano accordion
 

5月25日・火 > 最新版 2021-06-10

 頼まれたことから思いついて、ケルト系、北欧系、その他主にヨーロッパのルーツ・ミュージックを志向する国内アーティストでCDないし音源をリリースしている人たちをリストアップしてみる。この他にもいるはずだし、ゲーム関連を入れるとどんと増えそうだが、とりあえず、手許にあるもの。ソロも独立に数えてトータル95。

3 Tolker
Butter Dogs
Cabbage & Burdock
coco←musika
Cocopeliena
Craic
Drakskip
Emme
fiss
Gammal Gran
Handdlion
Hard To Find
Harmonica Creams
hatao
hatao & nami
John John Festival
JungRAvie
Kanran
Koji Koji Moheji(小嶋佑樹)
Koucya
Luft
Norkul TOKYO
O'Jizo
oldfields
Rauma 
Rinka
Satoriyakki
Si-Folk
tipsipuca
Toyota Ceili Band
Tricolor
u-full & Dularinn
あらひろこ
安城正人
稲岡大介
上野洋子
上原奈未
生山早弥香
扇柳トール
大森ヒデノリ
岡大介
岡林立哉
おとくゆる
樫原聡子
風とキャラバン
神永大輔
亀工房
川辺ゆか&赤澤淳
木村林太郎
きゃめる
櫛谷結実枝
熊沢洋子
功力丈弘
五社義明
小松大&山崎哲也
さいとうともこ
酒井絵美
坂上真清
佐藤悦子 勝俣真由美
セツメロゥズ
高垣さおり
高野陽子
田村拓志
ちゃるぱーさ
東京ヨハンソン
豊田耕三
内藤希花&城田じゅんじ
中村大史
奈加靖子
生梅
西海孝
猫モーダル
野間友貴
馬喰町バンド
秦コータロー
服部裕規
バロンと世界一周楽団
日花
ビロビジャン
鞴座
福江元太
ポッロヤキッサ
本田倫子
マトカ
丸田瑠香&柏木幸雄
村上淳志
守安功&雅子
安井敬
安井マリ
山崎明
悠情
遊佐未森
ロバの音楽座

 整理の意味も含めて、全部聴きなおして紹介するか。データベースにもなるだろ。(ゆ)

2021-06-10 改訂
2021-06-08 改訂

2021-06-02 改訂
2021-05-31 改訂
2021-05-28 改訂
2021-05-27 改訂

 松本さんは芸の幅が広く、この日はいきなりアラブ歌謡から始める。あたしにはタイトルすら聴きとれないが、歌の内容は例によってラヴソングで、愛の対象が人なのか神なのかよくわからないもののようだ。shezoo さんのピアノは大したもので、ちゃんとアラブ音楽になっている、とあたしには聞える。

 ピアノの響きがいい。とりわけ中高域の響きがおちついた輝きを放つ。きらびやかにすぎず、華やかにすぎず、歯切れがいい。小型のアップライト型だが、足許に弦が剥出しになっていて、鳴りはよさそうだ。後で訊いたら、ようやくこのピアノの弾き方がわかったと言っていた。力を抜いて、八分の力で弾くつもりでやるとちょうどいい由。

 2曲目は〈The Water Is Wide〉。このピアノの伴奏はこれまで聴いたこの歌の伴奏のベスト。途中、二人がフリーで即興するところもいい。この曲でこういうのは珍しい。

 この二人がやると即興は結構多くて、〈砂漠の狐〉はもちろん、〈鳥の歌〉でも、後半の宮沢賢治の詩の朗読にピアノをつける「山の晨明に関する童話風の構想」でも、即興が入る。この二人を聴く楽しみの一つだ。

 そして3曲目。待ってました。〈マタイ受難曲〉からの1曲。聴いていて背筋が伸びる。いやあ、バッハってすげえなあ。そして、これをここまで聴かせるこの二人もすげえ。こうやってシンプルな形で聴くと、細かいコブシがずいぶん回っているのがよくわかるのだが、これも全部作曲されているんだそうだ。来年02/20&21、2日間の全曲演奏は何をおいても行かねばならない。

 松本さんは賢治にハマっているそうで、後半では『北守将軍と三人兄弟の医者』をもとにしたミュージカルのために旦那の和田啓氏が作った〈兵隊たちの軍歌〉をやる。これが後半のハイライト。このミュージカルは全体を見たいものだ。

 あたしは初体験だが、二人だけのライヴは結構やっているらしい。もっと見るようにしよう。

 聴衆一人。まるであたしのためだけに演奏されているようだ。配信で視聴している人はいるとはいえ、この生を体験できるのは、全宇宙であたしだけ。いや、なんという贅沢。どんな大金持ちでも、王侯貴族でも、この贅沢は味わえない。まあ、バッハを抱えていた領主かな。これもコロナの恩恵か。ラズウェル細木だったか、聴衆が少ないと、音楽家から流れだす音楽の分け前が増えると言っていたが、今日は独占だ。うわはははははは。

 もちろんブールマンのマスターも一緒にいるが、かれは配信のあれこれにも気をつかわねばならず、何もかも忘れて音楽に集中するわけにもいかない。ふっふっふ。

 配信された映像はまだ数日はアーカイヴで見られるそうだ。投げ銭もよしなに。

 また昼間のライヴで、出ればまたも炎天。吉祥寺もそうだったが、成城学園の住人は皆さんお元気で、老人でも日傘もささずに、ひょいひょいと歩いておられる。(ゆ)

 やあっぱり、対バンは面白い。こういう対バンが無いと Loup-Garou というバンドの存在は知らないままだった。なぜ、この名前なのかは訊くのを忘れた。

 アコーディオンの田中さんが両方のメンバーであることで、瓢箪から駒でできた企画らしい。話をもちかけられたルーガルーの最初の反応が「正気ですか」というものだった、というのは、見ようによっては絶大な自信と言えなくもない。実際に見てみれば、年に一度しかライヴはしないというのがもったいないバンドだ。

 芸大Gケルトの同期でやっていたもののうち、この6人が残ったそうだが、やはり残るにはそれだけの理由があるものだ。いや、別に論理的な明確な理由というものではなくとも、聴けば納得がゆく。

 編成はフィドル、アコーディオン、パイプ(チャンター)&ホィッスル、ハープ、ブズーキ、バゥロン&フルート。こういうところにハープが入るのは面白いし、このハーパー、なかなか面白い。メンバーの中で一番ノリノリになる。楽器のイメージとはほとんど真逆のキャラのようだ。ソロないしもう少し小さな編成で聴いてみたい。

 セツメロゥズのレコ発ライヴで話を聞いたときにはとにかくリールが好きで、リールしかやらない、とのことで楽しみにしていたのだが、案に相違して、ジグだのマズルカだのもやる。それはそれで楽しいが、一度はリールばかり延々と演るのを見たくはある。

 というのも、さすがにGケルトで鍛えられているだけあって、演奏力は立派なもので、これでケイリ・バンドではない形でリールを畳みかけてくるのを浴びてみたいと思わせる。感心したのは選曲と組合せの巧さだ。今回オリジナルは無いとのことで、既存の曲を選んで組み合わせているはずだが、どのセットにもああいい曲だなあと思わせる曲が1曲はあって、これがキモになってセットを引き締めている。そして組合せ、配列が巧みに工夫されている。つなぎ方やイントロも冴えている。自然な流れと意表を突く意外性が無理なく同居している。こういうのは訓練で身につくとも思えないので、やはりセンスを磨いているのだろう。メンバーは演奏するよりも踊る方が好きとのことだから、ダンサーとしてのセンスも作用しているのかもしれない。

 ぜひ、リールばかりのライヴを体験したいが、今年はもうやったから次は来年、なのだそうだ。

 セッティングの転換が休憩時間になったが、田中さんは出ずっぱりで、終ってから、くたびれましたー、とにこにこしながら言う。

 今回はブズーキの音が大きく設定されていて、こうなると、このバンドのキモはこのブズーキなのだということがよくわかる。アンサンブルの土台でもり、ドライブでもあって、フロントとパーカッションをつないで押し出す。熊谷さんはむしろ楽しそうに遊んでいるのだ。

 とはいえ今回のハイライトは〈Bridget Cruise〉で、これまでよりまた少しだがテンポを落とし、ほとんどフリーリズム寸前になる。アレンジも変えていると聞える。後半、いきなりアップテンポになる、その対照もいい。次の〈Waterman's〉はもうすっかり自分たちの曲になっている。かつては巧まざるスリルとサスペンスだったのが、今は余裕でスリリングだ。そして〈Up in the Air〉でリズム・セクションがシンコペーションするのが、またカッコいい。

 アンコールはもちろん全員。バゥロンとパーカッションのイントロがまず聴かせる。これだけの大所帯でしかも生音となると、パーカッションのドライヴが効いてくる。ビッグバンドはやっぱり愉しい。大きいことはいいことだ。

 これもぜひ毎年恒例にして欲しい。次は全員一緒にやる曲をもっと増やしてもらいたい。

 それにしても、なんで、人狼なんだろう。(ゆ)

Loup-garou
(メンバー詳細聞き取れず。不悪)

セツメロゥズ
沼下麻莉香: fiddle
田中千尋: accordion
岡皆実: bouzouki
熊谷太輔: percussion

 この組合せでの新年ライヴは今年で6回めだそうだが、あたしは初体験。ついでに Cocopelina のライヴも初体験で、ようやく念願が果たせた。

 tricolor の対バンは、最初は全員でやって、おもむろに順番を決める、または決めずに入り乱れてやるというのが定番になっているらしい。今回は中藤、斎藤のダブル・フィドルを長尾さんがギターで支える形で始まった。ゆったりとしたテンポの曲で、長尾さんもフィンガー・ピッキングなど入れて、ソフトな出だし。それから、それぞれの女性陣が代表してあっち向いてほいで順番を決める。

 負けた Cocopelina が先攻。いきなり新曲のリールのセット。バンジョー、フィドル、ギターの組合せで、テンポが速すぎず、遅くならず、実にどんぴしゃ。このテンポどりの巧さは終始変わらず、このユニットの1つのウリだろう。そして録音よりも、ライヴで初めてわかる類のものでもある。つまり、どれもこれも同じテンポというのではなく、その曲に最も合うテンポを探りあてていて、それをきちんとあてはめてくる。演奏している間もどっしりと安定しているのはもちろんだ。そしてこのセットでは、ゆったりしているその底で、ひそやかな緊張感が張りつめているのが快感。

 次は岩浅氏がバンジョーをフルートに持ち替えて、ジグからポルカを2曲連ねるセット。こういう曲種の組合せは新鮮。岩浅氏はローランド・カークばりに、長短のホィッスルを2本同時にくわえて、ドローンをつけるなんてこともやってみせる。バンジョーもフルートも達者なものだが、この日はどちらかというとフルートを持った方が冴えていた感じ。後半、フルートとギターの演奏から2周めにフィドルが加わってフルートがハーモニーに回るところ、さらにホィッスルに持ち替えて3曲めに導き、またフルートにもどるあたり、こう書くとあわただしそうだが、本人はいたってのんびりとあわてず騒がずやっている。そしてその次、フルートのスロー・エアからのセットがハイライト。リールを2曲続けてからジグに行く。このメドレーのユニゾンがすばらしい。

 こういう対バンでは各々のバンドの性格がより明瞭になる。どちらもトリオで、編成も似ているが、Cocopelina はどちらかというと正面突破型だ。それを推進しているのが山本氏のギター。この人のギターは音がまとまらずに発散される。それがきりっとしたさいとうさんのフィドルと、やはり輪郭のはっきりした岩浅氏のフルートやバンジョーを包みこんで押し出す。このギターの音のバランスが実に良い。

 この日のサウンド・エンジニアは昨年の同じ場所での tricolor + きゃめる に続いて原田さんで、いやもう、すばらしい音だった。どの楽器も明瞭で、本来の響きで歌い、しかもバランスがしっかりとれている。前回も良い音だったが、このハコの機材、癖にも慣れたのだろうか、さらに良くなって、ほとんど完璧。アコースティックのライヴ・サウンドはこうこなくっちゃ。

 Cocopelina の演奏が一段落ついたところで、プレゼント・タイム。メンバーがそれぞれ、思い思いに持ってきたお土産を聴衆に配るのだが、今回は入場時にひらがなを書いた紙片が渡されていて、メンバーがランダムに言うひらがなを持っている人が当選という形式。本や食べ物や手芸作品などなど。ミュージシャンがお客にプレゼントする、というのも珍しいが、なかなか楽しい。

 このプレゼント・タイムは休憩でもあって、すぐに tricolor の演奏。Cocopelina に比べると、こちらは洗練を突きつめようとするところがある。ビートの刻み方、フレーズの展開、緻密なアレンジにこだわるようにみえる。最初の〈Lucy〉の3曲目はその象徴。Cocopelina の演奏には、何もかも忘れて身を委ねられると思えるのに対し、tricolor の音楽は、細部のキメに身悶えさせられる。

 ここにはピアノがあるので、アニーがピアノも弾く。すると全体がどっしりと腰が座る。中藤さんがコンサティーナで、ピアノ、ギターの形でスロー・エアからリールというセットがハイライト。アニーが先日のソロでも唄っていた〈じかきうた〉は、あらためていい曲だ。

 アンコールはもちろん全員で、2本のフィドルが微妙に音程をずらして遊ぶのが楽しい。この大所帯でアニーがアコーディオンを持つと、アンサンブルの厚みがどんと増す。これあ、いいなあ。これですよ、これ。この部厚いユニゾンの愉しみ。

 どちらのユニットも10年やっていて、音楽に余裕がある。オトナの音楽だ。やはり正月にはこういう感じで聴きたい。年があらたまるというのは、それで過ぎた年のことが何も彼もご破算になるわけではないけれど、それでも、気持ちを前向きに切替える契機にはなる。こういう音楽はその切替えを後押ししてくれる。

 さいとうさんが昨年生まれたお嬢さんを連れてきていて、3ヶ月という赤ちゃんがどういう風の吹き回しか、あたしの顔を見てはきゃっきゃっと笑みくずれてくれるので、何とも嬉しくなる。良い音楽に加えて、この笑顔で、大いに元気をいただきました。(ゆ)

Cocopelina
さいとうともこ: fiddle
岩浅翔: flute, whistles, banjo
山本宏史: guitar



tricolor
中藤有花: fiddle, concertina, vocal
長尾晃司: guitar, mandolin
中村大史: bouzouki, guitar, accordion, vocal

 今年最初のライヴ。個人的な事情もあって、年明けとはいえ、にぎやかでアゲアゲな調子のものは願い下げという想いがあったのだが、このソロ・ライヴはひそやかに、静かに、しかし決してネガティヴではない、あくまでも明るく前を向いていて、今のあたしの気分にはまことにぴったりのひと時を過ごさせてくれた。聴いていると「明るいニック・ドレイク」という言葉が浮かんできて、後でアニーに言ったらまんざらでもない様子だった。

 アニーとしてもインストルメンタルではなく、うたを唄う、弾き語りのスタイルのライヴは初めてだそうで、緊張してます、不安です、と口ではいうのだが、演奏している姿にはそんなところは微塵も無い。MCはいつもに比べれば多少ぎこちなくもないが、音楽そのものの質はいつもの中村大史のレベルはしっかり超えている。

 ひとつにはこのホメリという空間のメリットもある。ここは生音がよく響くところで、声もやはりよく通る。後半は結構力を入れてストロークを弾いてもいたが、声がそれに埋もれてしまうことはない。もっとも、その辺りの音量の絞りかた、力の加減、押手引き手の呼吸は心得たものだ。

 ギター一本の弾き語りというスタイルはあたしにとっては他のどんな形よりもおちつく。基本中の基本。極端にいえば、ギター一本とうただけで満場を唸らせることは、一人前のミュージシャンとしての最低の条件ですらあると思っている。アイルランドの音楽、ばかりでなく、その前のスコットランドやイングランドの音楽を聴いた初めもギターとうたの弾き語りだった。ディック・ゴーハン、ニック・ジョーンズ、ヴィン・ガーバット、マーティン・カーシィ、デイヴ・バーランド、クリスティ・ムーア、アンディ・アーヴァイン、ポール・ブレディ、ミホール・オ・ドーナル、アル・オドネル、クリス・フォスター、マーティン・シンプソン、スティーヴ・ティルストン等々々。こうした人たちのうたとギターに誘われて、伝統音楽の深みへと誘われ、はまりこんでいったのだ。

 わが国でもこうしてギター一本とうたで、異国の、また故国のうたを聴かせてくれる人が現れているのは、頼もしく、嬉しい。たとえば泉谷しげる。ここでまさか泉谷のうたをこういう形で聴こうとは思わなんだが、アニーはまるで自分が作ったうたのようにうたう。ここから森ゆみ、そして自作の〈夏の終りに〉の3曲がハイライト。

 まだ自作がそれほど多くないので、と言ってカヴァーをうたうが、どれもが原曲を離れて、アニーの血肉になっている。カヴァーには曲に引っぱりあげられることを期待する場合も少なくないが、アニーはそんなことは夢にも考えていない。クリスティ・ムーアにうたわれることで有名になった曲は数知れないが、それらはどれもムーアが自作とまったく同じレベルまで咀嚼消化吸収して、あらためて自分のうたうべきうたとして唄った結果だ。アニーのカヴァーにも同じ響きがある。

 アニーはどのうたも急がず騒がず、ゆったりと静かにうたう。ソロ・アルバム《Guitarscape》は静謐さに満ちているが、うたが入ってもやはり静かだ。静まりながら、前へ前へと進む。そう、これは明るいニック・ドレイクよりも、クールなクリスティ・ムーアと呼ぶべきかもしれない。ムーアも静かにうたうこともあるが、どんなに小さな声でうたっても、かれの場合にはその奥がいつもふつふつと煮えたぎっている。アニーも煮えたぎっているのかもしれないが、あえてそれがそのまま出るのを抑えて、どこまでもクールに唄う。それが気持ち良い。

 年末から気が重い状態が続いていて、まだ当分この状態に耐えていかねばならず、ますます気が重かったのだが、こういうクールでポジティヴな音楽には救われる。他の形でも超多忙の人だから、毎月とか隔月とかは無理だろうが、春夏秋冬や、あるいは4ヶ月に一度ぐらい、こういう音楽を聴かせてくれることを願う。そしていずれはうたとギターだけのアルバムも期待する。

 ライヴ通いの上では、まずこれ以上は望めない形で2020年は始まった。(ゆ)

guitarscape
Hirofumi Nakamura 中村大史
single tempo / TOKYO IRISH COMPANY
2017-03-26


 今年のライヴ納め。別に選んだわけではなく、たまたまだが、このバンドで1年を締めくくれるのはめでたいことではある。ちなみに来年のライヴ開きは、この日アナウンスのあった中村大史さんのホメリでのソロ・ライヴになった。

 今年のグルーベッジは何といっても林正樹氏との共演が強烈だったが、バンドにとっても節目になったように見える。あれから2度見たわけだが、その前とはギアの入り方が変わった。この位のレベルになると、個々の技量は完成の域に達しているので、問題はバンドとしての練度、アレンジとアンサンブルのつながり方の密度、そしてその日の調子ということになる。ハコや聴き手の状態も作用するが、今のグルーベッジにはどんなハコでも、どんな聴き手でも自分たちの世界に巻きこんで持ってゆく力がある。その力の保有量と出し方のコントロールが、林氏との共演の後で違ってきたのだ。バンドとして備えている蓄電池の容量がまず増えた。そしてそこからいつどこでどのように力を流すかのコントロールがより適確に自在になった。

 もともと高かったバンドとしての練度がより上がった。というよりも、内部でのつながり方がより緊密になり、互いの反応速度が速くなっている。アレンジを毎回変えているように聞える、その流れがごく自然で滑らかだ。2曲目の〈タイム・トラベル〉は互いに雰囲気のまったく異なる短かいフレーズをつなげて、めまぐるしく色調が変転するのが、アンサンブルのフットワークが軽いから、聴く方も身も心も軽くなって、一緒に飛んでゆく。こういう快感は他では味わったことがない。

 各々の調子が良いのは3曲目、ゆったりしたレゲェのビートにのせた〈水槽の中の人魚〉でソロを回すところに出る。このたっぷりとタメをとったテンポはとてもいい。もっと聴きたい。

 その調子の良さとアンサンブルの密度の高さは5曲目の〈水模様〉でハイライトになる。中間部のフリーの即興がたまりまへん。それぞれが勝手なことをやるのがそのまま集団即興になり、密度を保ったまま曲にもどる。このフリーの集団即興はもう少し聴いていたかったが、こういうものは少し物足りないくらいがちょうどいいのであろう。

 後半はバンドとしても今年のライヴ納めもあって、アップテンポの曲を畳みかける構成で、これはこれで文句はないが、後半冒頭の〈mono etude〉のようなスローなバラードをじっくりと、それこそ延々と展開するのを聴きたくもある。このバンドに課題があるとすれば、こういう曲でアップテンポな曲とまったく同等に有無を言わさず聴衆を巻きこんで運んでゆくことだろうか。


 今年は行くライヴを絞ったつもりだったが、それでも平均すると毎週1本は行っていた勘定になり、貧乏人にはまだ多いなあ。来年はもう少し減らしたい。(ゆ)

Groovedge
中村大史[ギター・アコーディオン]
秦コータロー[アコーディオン・ピアノ]
大渕愛子[フィドル]
渡辺庸介[パーカッション]


Live Lab. Groovedge feat.林正樹 [DVD]
中村大史(g.)
アトス・インターナショナル
2019-11-27



 ともに活動しはじめて10周年ということで実現した初めての共演は、それはそれは楽しいもので、次は20周年というのに、反射的に行くぞ、と思ってしまったほどだ。それまで生きているかどうかもわからないのはすっぽりと忘れていた。しかし、10年後にこの連中がどうなっていて、どんな音楽を聴かせてくれるか、ぜひ生身で体験したいものではある。

 先日の tricolor となつやすみバンドとの共演と同じく、どちらかが前半、片方が後半という対バン形式ではなく、まず全員が出てきて、一緒に各々のレパートリィを1曲ずつやる。どちらもライヴでも何度も聴いているが、ダブル・フィドルがまず気持ちがいい。後で酒井さんにそう言うと、あたしもそうなんです、フィドルが重なると、これだよ、これと思います、と拳を握りしめた。彼女は北欧の音楽を演ることも多く、フィドルが重なることの醍醐味はよく知っている。ハルディング・フェーレを弾いていて、フィドルに移ると、音が重ならないのが寂しいのだそうだ。アイリッシュでも同じで、アルタンが一度トリプル・フィドルになった時期の録音は格別だ。

 さらにここにはピアノがあるので、アニーがピアノに座ったのがまたいい。グルーベッジに林正樹氏が加わったのと同様の効果で、ビートがよく弾む。

 2曲やったところで、各々単独での演奏になるが、どちらが先にやるかは、アニーが音頭をとって、その場で中藤さんと酒井さんがあっち向いてホイの勝負で決める。2回めであっさり酒井さんが勝って、きゃめる先攻。

 このバンドは見る度に巧くなっているように見えるのは錯覚だろうか。毎回誰かが着実に巧くなっていると見える。今回は高梨さんのホィッスルと成田さんのコンサティーナ。どちらもどっしりと安定感が増している。高梨さんは憧れというブライアン・フィネガンに肩を並べるまでは行かないまでも、楽器の自在な操り方はだいぶ近づいてきた。元々レベルが高いミュージシャンが巧くなったように見えるのは、かなり精進していると思うのだが、悲壮感はかけらも無い。まずは〈Northen Lights〉と〈Smokey Leaf〉で、どちらもスローで始まり、途中でアップテンポに切り替わるが、その出し入れも堂に入ってきた。ハイライトはこのセクション最後の〈Carry On〉で、ブズーキのピッキングとフィドルのソロが聞き物。

 替わった tricolor はやはり10年、演奏しつづけているという〈Lucy〉で始める。うーん、貫禄があるなあ。きゃめるの音楽がカラフルに華やいでいるのに並ぶと、tricolor の音楽は奔放な筆づかいで描く水墨画の趣が出てくる。筆を運ぶ向きと速度を制御しているのは長尾さんのギターのようだ。刻み方とタイミングを細かく操るところは、グレイトフル・デッドのボブ・ウィアも連想する。

 4曲めに中藤さんが打合せなしに高梨さんを呼びこんで、《Bigband》で高梨さんが参加した曲をやる。アニーはアコーディオン。これがハイライト。

 そしてまた全員で4曲。こうなると音の厚みが快感。アニーはブズーキにファズをかけて弾きまくる。ほとんどヘビメタだ。そして最後は期待どおり〈Anniversary〉。この曲はやはり大勢でやるのが愉しい。Bigband のライヴの高揚感を思い出す。いやあ、体が浮きましたね。

 アンコールも各々のレパートリィから1曲ずつ。〈春風の祝福〉とポルカのセット。20周年と言わず、毎年一度はやってほしい。tricolor は毎年年始は Cocopelina とのあけましておめでとうライヴをやっているそうだから、これから毎年年末はきゃめるとの忘年ライヴをやるのはいかがですか。次はもっとメンバーの入替えて、様々な組合せで聴いてみたい。

 土曜の昼間で、小さいお子さんもいて、昼間から呑む泡盛も旨い。それにしても、今年のライヴは豊作だ。(ゆ)

キネン
トリコロール
Pヴァイン・レコード
2019-05-15


PARTY!
きゃめる
ロイシンダフプロダクション
2019-08-11


 毎年秋恒例のハンツ・アラキのトリオの日本ツアー。今年の下北沢はツアー3日目だそうだが、調子は良いと見えた。まず思ったのはコリーンがバゥロンの腕を上げたこと。後で福江さんに言ったら、かれもそう思うと答えてくれたから、あたしの思い込みではないだろう。彼女はビーターを鉛筆握りせず、単純にまっすぐ握っているようにみえる。しかし動きに不器用なところはなく、むしろコントロールがよく効いている。ビーターは細い棒を束ねたタイプで、これの先端でバゥロンの革の端を払うようにするのか、軽快でざらっとした響きを装飾音のロールのようにはさむのが粋だ。単にビートを刻んでいるようでいて、その実細かく変化させて、ギターのストロークの間を縫ってゆく。なんというか、貫禄がついたというと重すぎるが、安定感はぐんと増している。頼もしい。

 声の調子も良くて、コリーンも2曲ほどリード・ヴォーカルをとるのがハイライトになる。録音ではずいぶんと抑制しているが、ライヴではメリハリをつけ、盛り上げるべきところではしっかり唄いあげる。もともと貫通力のある声が閃光を放つ。

 コリーンがリードをとった〈Standing in the Doorway〉は、もう1つの要素で格別のものになった。2日前の岩手・大槌町でのライヴで、イベントの主催者の息子さんがたまたま居合わせ、飛び入りして楽しかった。その方が東京在住で、しかもこの日はオフ。ということでここでトランペットを合わせたのだ。ハンツはロウ・ホイッスル。この曲に合わせるのはまったくの初めてで、リハーサルも何も無しにいきなりだったのだが、ご本人はたいして動揺もしていない。1990年3月29日のグレイトフル・デッドのショウのステージにいきなり登場したブランフォード・マルサリスもかくや、と思われたが、そこで奏でられた音楽がまた凄かった。まさにあのブランフォード・マルサリスそのままなのだ。もちろん、曲は違うが、その場で聴く曲にぴったりの合の手を入れ、そして抑制の効いたそれはそれはリリカルなソロを吹くのである。歌のメロディに添うところと、まったく自由に、かけ離れたフレーズを奏でるところと、シームレスに出入りしながら綾なす即興に、息をするのも忘れて聴きほれる。また歌にもどり、そしてコーダをまた見事に収めると、喝采が爆発した。

 コリーンたちも大喜びだが、まさか、ここでこんな天上の音楽が聴けるとは、まったく音楽というのはハプニングなのだ。

 コリーンは後半でももう1曲〈Passage West〉を唄って、これはトランペットは無かったが、やはり良かった。コークから出て西に向かった移民たちを歌うジョン・スピラーンの佳曲。

 コリーンとハンツはそれぞれに相手がリードのときにはたいていコーラスをつける。これがまたいい。二人とも、地の声はどちらかというとスモーキーで、それが重なるのがわずかにくすんだ味わいになる。澄んだ声の綺麗なハーモニーには無い人なつこさが現れる。

 コリーンの録音はクラン・コラのメール・マガジン連載でずっと聴いてきていて、その声や歌唱のスタイルはあれこれ検討しているが、ハンツの歌にはそこまでの注意を払ったことが無かった。かれもまたアメリカンな唄い方だし発声でもあるけれども、やはり独自のコントロールを隅々まで効かせている。それが最も良く現れたのは後半にうたった長いバラッド。アップテンポで、ギターがダイナミックな演奏でぐいぐいとドライヴするのには血湧き肉躍るが、ハンツの歌唱は熱くなることもなく、あっけらかんと脳天気になることもなく、感情はむしろ削ぎおとしながら明るく唄う。こういううたい手はアイルランドにもスコットランドにもいない。やはり有数のうたい手だ。新作はディングルで、ドノ・ヘネシーのスタジオでドノが録っていて、おそらくはその体験のおかげでハンツの声も1枚薄皮が剥けている。

 福江さんのギターも進化していて、二人の音楽の裏表がわかってきたこともあるのだろう、たとえばフレーズのウラを押えてゆく。フィンガー・ピッキングも前より増え、また味わいも増している。1曲、ギター・ソロをやる。〈赤とんぼ〉から〈Planxty Dermot Glogan〉につなげる。岩手県大槌町は、東日本大震災の被害が大きかったところで、そこで何がふさわしいか考えて思いついたのだそうだ。大槌町のライヴでは、聴衆のおじいさんおばあさんから自然に歌声が湧いたという。

 アンコールでまた臺氏がトランペットを、今度はハンツの尺八と福江さんのギターに合わせ、スコットランドの曲を奏でる。再び魔法が働いて、音楽としてありうる最高の状態に引きこまれる。この時間がいつまでも続いてほしい。

 終演後のBGMにダギー・マクリーンが延々とかかっていた。訊くと、マスターが大好きで、ほぼ全部、Mac に入っているのを流している由。ここのマスターのような人がダギー・マクリーンが好きというのには嬉しくなる。それを聴いたコリーンが、ダギー・マクリーンとディック・ゴーハンを両方聴くのはありだと言うのには百パーセント同意した。プランクシティとチーフテンズと、両方聴くことだってできるのだ、とも言うのには笑ってしまった。そりゃもちろんその通りにはちがいないが、コリーンの口から聞くとなんとも可笑しい。そうだ、ダギー・マクリーンを聴こう。〈Caledonia〉だけじゃない、かれはいい曲をたくさん書いているし、唄っている。

 ツアーの今後の予定。詳しくは福江さんのウエブ・サイトをご参照。

11/29(金)Hanz Araki Trio live in  広島 Molly Malone’s
11/30(土)Hanz Araki Trio 福岡 アトリエ穂音
12/01(日) Hanz Araki Trio 大分 カテリーナの森
12/02(月)Hanz Araki Trio 熊本 阿蘇 “納屋音楽会vol.6”
12/03(火)Hanz Araki Trio 鹿児島

 このトリオの音楽は味わいを増している。伝統音楽の演奏家は年齡を重ねるにつれて味が出てくるものだ。高度な技量に支えられたぶだん着の音楽、というとわが tricolor だが、ハンツたちの方が年が少し上だけあって、熟成が進んでいる。今回はトランペットの魔法で化けたところもあるが、それ以外の、かれら本来の形でもスモーキーなフレーバーに磨きがかかってきた。一見、どこにでもありそうにみえて、でも、その音楽を浴びると気分は上々。生きててよかった、明日も生きようと思えてくる。(ゆ)

Hanz Araki: flute, whistle, 尺八, vocal
Colleen Raney: bodhran, vocal
福江元太: guitar

臺たかひろ: trumpet


Wind & Rain
Hanz Araki
CD Baby
2010-04-14


Lark
Colleen Raney
CD Baby
2011-01-04


 セカンド《by the way》レコ発ライヴということで、短かいセットを3つ。パート1と3は主に新譜から、パート2は主にファーストからの選曲、という構成。もっともCD自体は10-13発売。

 ライヴになるとフロントの二人の安定感が際立ってくる。録音では、今回のセカンドではアレンジに工夫を凝らし、楽器の絡み合いも念入りに考えていて、そこが大きな魅力の一つなのだが、ライヴになると、フィドルとアコーディオンのユニゾンの滑らかさが何とも言えぬ快感を生む。もともとこの二つの楽器の組合せはアイリッシュ・ミュージックの面白さの核を体現しているところがあって、音のキャラクターとしても似合いの一組なのだが、沼下さんと田中さんの組合せにはそれとは別に、ミュージシャン同士として、互いにハマっているところが聞える。沼下さんによれば特に意識して装飾音などを合わせているわけではないそうだが、細かいところまでよく一致する。音色の合い方と装飾音まで含めたフレーズの合い方が相俟って、ユニゾンの極致とすら思えてくる。とにかく気持ちが良い。このユニゾンによって、カルテットがトリオに聞えたりする。

 一方で、では初めから終りまでトリオかというと、そんなことにならないのが、今のこのバンドの面白さだ。録音よりユニゾンが前面に出るとはいえ、アレンジの冒険があちこちで飛び出してくる。カルテットが今度はビッグバンドにも聞える。CDでも冒頭にはいっているオープニングの曲はその典型だ。異なるビートが並行して進んでいって、やがて一つになり、また別れ、融合する。全体に筋を通して引き締めているのが岡さんのブズーキで、熊谷さんのパーカッションが、時に先頭になって引張り、あるいは地面の下から持ち上げ、そして世界をどーんと拡大する。時には、そこで聴いている空間よりも大きく破裂させる。

 このバンドはそもそも岡さんと沼下さんが熊谷さんと演りたいと思って始まっているが、熊谷さんの演奏の深化が魅力でもある。たとえばパート1ラストの〈House Party〉のスライドのドラミング、パート2〈マルシェの散歩道〉での、他の3人によるユニゾンを浮上させるダイナミズム。極めつけは、新譜の目玉でもある〈Waterman's〉。マイケル・マクゴールドリックによる8分の9拍子と8分の11拍子の組合せのこの曲は、バンドとしての初演からやっている。初めの頃は、変拍子を必死になって叩いていたのが、どんどん良くなってきて、今ではもう余裕をもって遊んでいる。わざとビートをズラすのがいい。そうするとフロントの演奏も良くなって、今回のハイライト。新譜の演奏はこれまでで最高と思えたが、それすら凌駕している。

 速い曲ばかりでなくて、パート2〈ヒコーキ雲とビール〉では、録音よりもテンポを落とし、アレンジも変えて、面目一新。ファーストの曲をセカンドの精神で組み直しているのだ。そういえば他でもテンポのコントロールが一段と冴えて、緩急の差が破綻なしにより大きくなり、劇的効果が効いている。ポリリズムとさえ言えそうな複数のテンポ、ビートと緩急の出し入れは、これからのこのバンドのテーマになってゆくのだろう。そうすると、フロントの二人のメロディ演奏の安定していることが大きくモノを言ってこよう。

 アンコールはもちろん新譜でも最後に入っている〈Shee Beg Shee Mor〉。二人で弾いているのかと思ったら、3人が右手だけで弾く。今回はこれに熊谷さんが低域で茶々を入れるのがまたいい。録音でも、今回も、3人のフレーズはまったくの即興だそうだ。

 こうなると、アイリッシュをベースにしながら、もう少しジャズに振れたアンサンブルも聴きたくなってくる。今回も一瞬、それを連想させる場面もあって、ココロが躍った。

 生きてるだけでとられる税金がまた上がるので鬱になりかけていたのが、救われた気分。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

沼下麻莉香(フィドル)
田中千尋(ボタンアコーディオン)
岡皆実(アイリッシュブズーキ)
熊谷太輔(パーカッション)


Blow
セツメロゥズ
ロイシンダフプロダクション
2018-01-14


 梅田週間第二弾。前回と楽器が同じフルートの須貝さんとのデュオ。

 楽器は同じだが、音も雰囲気もまるで違うのが面白い。あるいは使う楽器の違いもあるのかもしれない。矢島さんの楽器については知らないが、須貝さんのものはオーストリアのマイケル・グリンター製で、たしか豊田さんも同じメーカーの楽器を使っていたと記憶する。グリンター氏はアイリッシュ・フルートのメーカーとしては世界でも1、2を争う人気だったが、昨年末、交通事故で亡くなられたのだそうだ。この日はそのグリンター氏に捧げるということで、須貝さんが珍しくも無伴奏ソロでスロー・エア〈Easter Snow〉を吹いた。これがまずハイライト。

 独断と偏見で言わせてもらえば、パイプに最も合う曲種はジグだ。ホィッスルにはホーンパイプ。フィドルはリールで、アコーディオンにはポルカ。そしてフルートにはスロー・エアである。フルートは息継ぎをしなければならない。ホィッスルも同じだが、音を出すのに必要な息の量が格段に違うので、ホィッスルでは息継ぎは少なくてすむ。フルートは結構頻繁に必要だ。一つひとつの音を延ばすスロー・エアでは、息継ぎのタイミングをはかるのが簡単ではない。一方で、うまく合うと、それがアクセントになって、メロディが引き立つ。他の楽器ではまず不可能な形で「入魂の」演奏になる。自分が演奏している楽器を作った人への鎮魂歌はその実例だった。

 後半のオープニングはスウェーデンの曲を2曲。まずはポルスカをロウ・ホイッスル、次に〈夏のワルツ〉をコンサティーナで演る。これまたスウェーデンの伝統ではありえない組合せで、新鮮だ。とりわけワルツではコンサティーナがよくうたう。

 今週は梅田週間なので、普段よりも梅田さんの音に集中して聴いてみる。曲によってパターンを変え、さらにリピート毎に変え、同じことを繰り返すことがない。基本的には左手がベースで右手がハーモニーだが、コードをストロークするかわりに複数の弦を同時に弾く。ハーモニーのつけ方にも、カウンターを奏でるのとメロディにより添うのがまず目立つ。右手も左手と一緒にコードを弾くこともあり、左手も時には右手のもう一つ下でメロディに添うこともある。Shannon Heaton の〈Bluedress Waltz〉では、アルペジオの音に強弱を付け、曲の表情に陰翳を生む。これもハープのほぼ独壇場だ。

 会場は京王線・仙川駅から歩いて10分ほど、桐朋学園の裏にあたる人家を改造したスペース。普段は陶芸のギャラリーで、時にカフェにもなるそうだ。二人は入口を入ったところのタタキで演奏し、聴衆は一段上がった木の床に並べられたテーブルと椅子に座る。最大15名とのことで、実際には11名。心地良いハウス・コンサートの趣。生音も気持ち良く響いて、ハープの音がいつになく明瞭に聞える。輪郭がくっきりしている。同時に例えば低音弦のサステインが沈んでゆくのが実感できる。聴く方の位置が高いことも作用しているのかもしれない。

 須貝さんの〈Mother's Lalluby〉には、あらためて良い曲だと認識させられる。須貝さんは一見どっしり構えた肝っ玉母さんのイメージがますます染み込んでいるが、一方で奥にはかなり繊細な魂があることも垣間見える。坦々とサポートする梅田さんが母親に見えてくる。

 休憩時間に、クリーム・チーズ・ケーキと紅茶がふるまわれる。まずこのチーズ・ケーキが絶品でありました。これだけのチーズ・ケーキは食べたことがない、と思われるほどの旨さ。紅茶も美味で、こういう紅茶にはなかなかお目にかかれない。

 展示されている陶器で、鈴木卓氏のマグはカップが下のほうへふっくらと膨らんで、まことに良い具合で、わずかにクリームの入った白の無地もよかったのだが、把手のサイズがあたしの手には小さすぎた。どうも国内産のコーヒー・マグはみなさん、下の方を細くするものばかりで、どっしりと安定した形はこれまで見たことがなかった。今メインに使っている銀座・月光荘謹製のマグはまずまず気に入っているが、もうちょっと大振りのものがあればなあ。

 仙川には美味しいパン屋さんがあるそうだが、ライヴ終演後では売り切れとのことで、やむなく次善の策をとる。(ゆ)

須貝知世: flute, whistle, low whistle, concertina
梅田千晶: harp

 いやあ、もう、サイコーに気持ち良い。ダブル・パイプはドローンが出ただけで有頂天になってしまうんですと中原さんは言う。パイパーはパイプを演奏していると脳内麻薬が出てきて、にやにやしてしまうと鉄心さんも言う。聴いている方でもいくぶん量は少ないだろうが、快感のもとは出ている。パイプの音の重なりには他には無い気持ち良さがある。スコットランドのパイプ・バンドの快感もおそらく同様のものなのだ。

 それにしてもイリン・パイプの音の重なりは実際に、生で聴かないと、その本当の気持ち良さはたぶんわからない。この日はまず午前中雨が降って、湿度がパイプにちょうど良いものになった。会場はレストランで、ミュージシャンたちの背後は白壁だが、上の方が少し丸くなっている。天井も円筒形。ここは以前、さいとうともこさんを聴いたが、生楽器が活きるヴェニューだ。この日もアコースティック・ギターに軽く増幅をかけた他はすべて生音。

 イリン・パイプのデュオは中原さんと金子鉄心さんが臨時に組んだもの、というよりパイパーが二人いるから一丁一緒にやるかという感じのセッションで、この日のライヴの本来の趣旨からはいささかずれるのだが、これを聴くというより体験できたのは、まことに得難く、ありがたく、生きてて良かったレベルのものでありました。

 ふだん関西で活動している鞴座が東下するので、中原さんがそれを迎えてフィドルの西村さんをひっぱり出してデュオのライヴを仕込んだ、というところらしい。西村さんとのデュオは断続的に10年ほど前からやっているそうだが、この日は久しぶりに人前で演奏するものだという。とはいえ、二人の呼吸はぴったりで、フィドルとパイプのデュオの楽しさを満喫する。

 そろそろデュオという名のとおり、速い曲をたったかたったか演るのではなく、ゆったりとした演奏なのも肩の力がいい具合に抜ける。ジグをゆっくり演奏するのがこんなに良いものとは知らなんだ。ホーンパイプ、いいんですよねー、というのにはまったくその通りと相槌をうつ。何度でも言うが、ホーンパイプこそはアイリッシュのキモなのだ。ホーンパイプをちゃんとホーンパイプとして聴かせられるのが、アイリッシュ・ミュージックのキモを摑んでいる証である。では、どういうのがちゃんとしたホーンパイプか、というのは、いつものことだが言葉では表しがたい。あえて言えば、あの弾むノリをうまく弾ませられるかどうかが明暗を分ける。一方で弾んでばかりではやはり足りなくて、あの粘りをうまく粘れるか、もポイントだ。

 このデュオは基本的にユニゾンだが、時々、片方がドローンだけやったり、また一カ所、フィドルがソロで始めたのがあって、すぐにユニゾンになったのには、もう少しソロで聴いていたかった。ワンコーラスくらい、それぞれに無伴奏のソロでやるのもいいんじゃないかとも思う。それにしても、これだけ中原さんのパイプをじっくり聴くのも久しぶりのような気もする。

 そろそろデュオは6曲ほどで、鉄心さんが呼びこまれ、3曲、ダブル・パイプとこれにフィドルが加わる形で演る。これが聴けただけでも来た甲斐があった。

 休憩の後、鞴座の二人に今回は録音でもサポートし、エンジニアもやられている岡崎泰正氏がアコースティック・ギターで加わる。岡崎氏は1曲〈Gillie Mor〉ではヴォーカルも披露する。スティングがお手本らしいが、なかなか聴かせた。

 鞴座は鞴を用いた楽器のユニットということで、レパートリィはアイルランドやらクレズマーやらブルガリアやら、おふたりの心の琴線に響いた音楽のエッセンスをすくい上げ、オリジナルとして提示する。その曲、演奏には、わずかだが明瞭なユーモアの味が入っているのが魅力だ。ルーツ・ミュージックをやる人たちは往々にしてどシリアスになりがちだが、鞴座の二人の性格からだろうか、聴いているとくすりと笑ってしまう。どこが可笑しいとか、ここがツボだという明瞭なものがあるわけではない。吉本流にさあ笑え、笑わんかい、と押しつけたり騒いだりもしない。別に笑いをとろうと意識していないのだ。ただ、聴いていると顔がほころんできて、にやにやしてしまう。鉄心流に言えば、脳内麻薬が降りてきているのだろう。

 藤沢さんはもっぱら鍵盤アコーディオンのみだが、鉄心さんはパイプだけでなく、ソプラノ・サックスやらホィッスルやらもあやつる。これがまたとぼけた味を出す。鉄心さんのとぼけた味と、藤沢さんのいたってクールな姿勢がまた対照的で、ボケとツッコミというのでもなく、二人の佇まいにふふふとまた笑いが出る。

 岡崎氏のギターも長いつきあいからだろう、いたって適切、サポートのお手本の演奏だ。

 アンコールは全員で〈Sally Garden〉。これが意外に良かった。2周めでは鉄心さんのパイプがハーモニーに回り、これまた美味。

 もう一度それにしても、ダブル・パイプはまた聴きたい。鉄心さんだけでもやって来て、一晩、イリン・パイプだけ、なんてのをやってくれないものか。

 All in Fun は料理も旨く、生楽器の響きも良く、また来たい。大塚の駅前は都電が走っていてなつかしいが、幸か不幸か、電車は来なかった。来ていたら反射的に乗ってしまいそうだ。(ゆ)

そろそろデュオ
中原直生: uillean pipes, whistles
西村玲子: fiddle

鞴座
金子鉄心: uillean pipes, soprano saxophone, whistle
藤沢祥衣: accordion
+
岡崎泰正: acoustic guitar, vocal


The First Quarter Moon
鞴座 Fuigodza
KETTLE RECORD
2019-02-17


フイゴ座の怪人
鞴座
KETTLE RECORD
2016-12-17


鞴座の夜 A Night At The Fuigodza
鞴座
KETTLE RECORD
2004-10-31






トリケラ旅行紀
鞴座
KETTLE RECORD
2012-07-22


おはなし
鞴座
KETTLE RECORDS
2014-09-14


ふいごまつり
鞴座
KETTLE RECORD
2008-11-09


 今回はトリオ。やはりあたしはトリオの方が好みだ。ドラムスが入って、強力にドライヴするハモクリも良いのだが、3人各々の演奏が内部までしっかり聴けて、その絡みもよくわかる方が面白い。どこでユニゾンして、どこでハーモニーになり、どこは掛合で、どこはソロをとるか。ギターのカッティングの変化、ハモニカの楽器の交換による音色の変化、フィドルのエフェクタの切替。超高速パッセージで突っ走りながら、そういう細かい変化を織りこんでゆくのが、このバンドの醍醐味だ。ゆったりじっくりはどちらかというと、個々のソロを展開するための母体になる。

 トリオのせいか、いつもよりフィドルの音量が大きく、よく聞えるのも嬉しい。それに呼応するように、ハモニカでとんでもなく高い音域の楽器を使うのがまた面白い。ブルターニュのバグパイプ、ビニューと同じくらい。

 もう一つ、今回の特殊事情はロケーション。スケジュールの都合で、メンバーのうち二人は22:25発御殿場線最終国府津行きに乗らねばならない。あたしも同じ電車に乗らねばこの日のうちに帰れないから調べたが、万一これを逃すと、新松田までタクシーを飛ばすことになり、1.5万はかかる。終演時刻の縛りがきついのだ。

 もちろん、こういうことは初めてではないだろうが、緊張感はやはり質が違う。限られた時間に全精力をぶち込む勢いが違う。このバンドの場合、演奏の切れ味が一段とシャープになる。たとえば、〈Speak Easy Roll〉イントロのハモニカ・ソロ。いつ聞いてもこのソロは凄いが、テンポをまだ上げないところの密度の濃さ。

 そしてその次の〈時間泥棒〉。録音も含めて、これまでに聴いた最高の〈時間泥棒〉かもしれない。何が凄いか。間奏部の即興はもちろんだが、メインのメロディを細かく、ごくわずか崩したりオカズを加えたり、あるいは4分の1拍ずらしたりして変形する、そのスリルがたまらない。一見、ラフに奔放に演奏しているように見せながら、実はおそろしく緻密に演っているその対称の妙。それはこのバンドの音楽全体に言えるが、この曲にはその手法のメリットが凝縮されている。

 聴衆の反応がまたいい。清野さんがアオるせいもあるのだろうが、それだけでなく、演奏の機微に敏感に反応する。ほとんどは地元ないしその関係者だろうか。帰りの電車にはあたしらの他にはそれらしき人はいなかった。あるいは皆さん、車で来ていたのか。

 御殿場線は初めて乗る。やはり初めて乗る線は楽しい。乗り鉄というほどではないが、列車に乗るのは好きで、ずっと外を眺める。箱根の外輪山の外側を通るので、山の陰になり、暗くなるのが早い。今度はもっと明るい時間にのんびりと乗りに来よう。

 早く着いたので、会場の場所を確認しようと歩いていたら、旨そうなラーメン屋があり、ちょっと迷ったがどうせ食事はせねばならないし、思いの外、寒かったので、入ってみる。煮干しダシの品を頼んで、なかなかの味でござんした。

 ふだん行かないような場所でのライヴはやはり面白い。そこへ行くことそのものがまず面白く、いつもとは雰囲気の違うところで聴くと、音楽も新鮮だ。山小屋でのアイリッシュ・ミュージック・キャンプも行きたい。今年は仕事とかち合ってしまったが、いずれ、チャンスがあるだろう。(ゆ)


ステレオタイプ
ハモニカクリームズ
Pヴァイン・レコード
2018-03-28


 菜花は西調布の駅からほど近いところで、ふだんはレストランらしい。トシバウロンがプロデュースして、ここでケルトや北欧の音楽のライヴを定期的に開く企画「菜花トラッド」の皮切りがこのデュオである。

 ここは須貝知世さんのデビュー・アルバム《Thousands of Flowers》レコ発で来たことがある。広々とした板の間で、テーブルや椅子もいずれも木製。生楽器の響きがいい。このイベントは食事付きとのことで、この日は二人が演奏するアイリッシュ・ミュージックに合わせてアイリッシュ・シチュー。実に美味。量もあたしのような老人にはちょうどいいが、トシさんには足らないかもしれない。

 この二人ではしばらく一緒にやっていなかったとのことで、ゆったりと始める。ホーンパイプからスローなリールのセット。次もゆったりとしたジグ。そのゆったり具合がいい。

 マイキーはクレアの出で、フィドルもそちらだが、西クレア、ケリィに近い方だろう。ポルカやスライドの盛んな地域で、もちろんそれも演るのだが、この日はとにかく走らない。勢いにのって突っ走るのは、まあ誰でもできるが、こんな風にゆったりと、充分にタメて、なおかつ曲の備えるグルーヴ、ノリが湧き出るように演奏するのは、そう簡単ではないはずだ。このあたりはやはりネイティヴの強み、血肉になっている伝統から、どっしりと腰のすわった安定感がにじみ出る。安定しきったその流れにただひたすら身をまかせられるのは、アイリッシュ・ミュージックの醍醐味のひとつではある。

 伝統音楽にはそれぞれに固有のグルーヴ、ノリがある。アイリッシュにはアイリッシュの、スコティッシュにはアイリッシュと似ているが、やはりスコティッシュならではのノリがある。スウェーデンのポルスカのノリはまた別だ。そういうノリを身につけるのは、ネイティヴなら幼ない頃から時間をかけられるし、どっぷりと浸ることもできるが、伝統の外では難易度は高い。一つの方法はダンスの伴奏、アイリッシュならケイリ・バンドなどで、ダンスの伴奏をすることかもしれない。トヨタ・ケーリー・バンドのメンバーは一晩で何時間もぶっつづけで、それも半端ではないテンポで演奏することで鍛えられていて、他のアンサンブルで演るときも抜群の安定感を体験させてくれる。

 それでもやはり、優秀なネイティヴが備える安定感は次元がまた別だ。マイキーがこの国に住んで、音楽をやってくれていることは、あたしなどには本当にありがたい。

 かれはまったくの1人でもすばらしい音楽を聴かせてくれるだろうが、アイリッシュは基本的にソーシャルな音楽だ。つまり、一緒にやって初めて本当に面白くなる。だから高橋さんのような相手がいることはマイキーにとっても嬉しいことだろう。

 高橋さんはこの日は得意のバンジョーは弾かず、ギターに徹していたが、かれのギターはミホール・オ・ドーナルを祖型とする従来のものからは離れている。ストロークで使うコードやビートの刻み方も違うし、ピッキングでメロディを弾くことも多い。フィドルやホィッスルとユニゾンしたりさえする。あるいは前半の最後にやったスロー・エアのように、アルペジオからさらに音を散らして、ちょっとトリップでもしているような感覚を生む演奏。かれは長年、アイルランドでプロの伝統音楽家として活動していて、伝統のコアをきちんと身につけているが、一方で、というよりもおそらくはそれ故に、実験にも積極的だ。そのギターは相当にダイナミックで、マイキーのむしろ静謐な演奏と好一対をなす。

 ライヴのプロデュースをするトシさんももちろんプロデュースだけして、黙って腕組みして見ているはずはない。バゥロンで参加して、ソロまでとる。こういう時にはジョンジョンフェスティバルのようなバンドの時よりもかれの個性が現れる。そして、見るたびに進化しているのには感心する。いつも新鮮な響きを、あのシンプルな太鼓から叩きだしてみせる。

 実は最近、あるきっかけでザッパに復帰したり、ジミヘンとかサンタナとか、今でいう「クラシック・ロック」熱が再燃していて、アイリッシュはほとんど聴いていなかったのだが、こういうライヴを見聞すると、カラダとココロがすうっとして、落着いてくるのを実感する。このレベルのライヴが期待できるのなら、この「菜花トラッド」は毎回来たくなろうというものだ。とりあえず次回は来月23日、奥貫史子&梅田千晶、フィドルとハープのデュオだそうだ。この組合せで見たことはないから楽しみだ。ケープ・ブレトン大会になるのか、クレツマー祭になるのか。

 それにしても、菜花のアイリッシュ・シチューはおいしかった。次は何か、とそちらも楽しみ。ごちそうさまでした。(ゆ)

 ザ・なつやすみバンドの sirafu 氏が、アイルランドのパブ・セッションみたいだとMCで言う。その通り、良いセッションの現場に居合わせて、音楽を浴びている感覚だ。

 対バンというと、二つのアクトのどちらかが前、もう片方が後、最後に一緒に、というのが定型だが、今回は違う。両方のバンドのメンバーがいきなり全員出てきたのには驚いた。いったいどうなるのだ、全部一緒にやるのか。という危惧は、最初の1曲で雲散霧消した。まあ、tricolor が関わってヘンなことになるはずはない。tricolor がイントロの形で1曲演り、そのまま後をうけてザ・なつやすみバンドが演奏する。ああ、いいバンドだ。その後は tricolor だけで2曲ほど演ると、ザ・なつやすみバンドが演り、《うたう日々》で中川氏が唄っていた曲を全員で演る。さらには、片方の演奏にもう片方のメンバーが加わる。

 この二つのユニットの音楽はかなり傾向が異なる。tricolor はアイリッシュをはじめとするケルト系伝統音楽をベースにしたインストゥルメンタルがメインだし、ザ・なつやすみバンドは中川氏のオリジナルの歌が主軸だ。中川氏の音楽の土台はまだよくわからないが、いろいろと入ってもいるようだ。ただ、そこにはケルト系の要素はまず無い。レコードだけ聞いていると、この二つが一緒に演るということはおよそありそうにないと思えるだろう。それが、まったく違和感が無い。各々のキャラはちゃんと立っている一方で、全員で演ってもまるでずっと一緒にやっているように聞える。

 一つにはメンバーの音楽的な懐が皆深い。伝統音楽をやっていると深くなるものだが、ザ・なつやすみバンドのメンバーも負けていない。ジャズが共通の土台のように思えるが、それだけでは無いはずだ。中でも sirafu 氏は別格で、天才と言っていい。演奏する楽器としては現時点ではスティールパンが一番ハマっていたが、トランペットもギターも笛もマンドリンも見事。とにかく音楽のセンスがいい。この点では中村アニーが好一対で、かれもアコースティック・ギター、アコーディオン、ホィッスル、最後にはエレクトリック・ギターまで演っていた。アニーはずっと見てきているから、そうは思っていなかったが、こうして並ぶと、sirafu氏が天才なら、アニーも天才だ。

 この場合の天才はモーツァルトやポール・マッカトニーやコルトレーンの天才とは異なる。音楽をいいものにするコツを心得ていて、その適確なことが尋常でないのだ。ミュージシャンというよりはプロデューサー的な側面だ。他は全く同じメンバーで同じ曲を演っても、その人が入ると入らないのではまるで別物になってしまう。ドーナル・ラニィが典型だ。sirafu 氏やアニーがドーナルと同列というわけではまだ無いが、あのレベルになる資格は充分にある。

 こういう音楽的なセンスの良さはもちろん二人だけではなくて、一級のミュージシャンは皆備えている。というより、このセンスがある人が一級と認められる。tricolor もザ・なつやすみバンドも、他のメンバーも一級だ。一級の集団を天才が引っぱっているわけだ。そういう仕組みが、こうして対バンすると見えてくる。それも、定型ではなくて、このごっちゃの形だからこそ見えてきたのだろう。

 もう一つには、この二つのユニットは音楽に対する態度が共通している。ザ・なつやすみバンドは毎日を夏休みにするために音楽を演っている。tricolor も毎日のぶだん着の音楽を演っている。毎日の暮らしに欠かせないものとして音楽を演っている。音楽無しには1日も生きていけない人間のための音楽を演っている。BGMとして聞き流してもいいし、じっくりと全身全霊で聞き入ることもできる音楽を演っている。

 音楽にもいろいろある。カネを儲けるための音楽や、理想の一点を求めるための音楽や、ふだんの自分とは別の存在になるための音楽や、おしゃべりするための音楽や、いろいろある。そういう中でこの二つのユニットが各々に演っている音楽は、なぜ音楽を演るのかという点でかなり共通している。一緒に演る時に基盤にできる共通の部分が大きい。

 このライヴを見ていて思い出したのは John John Festival と馬喰町バンドの対バンだった。あれも前半後半分担ではなく、二つのバンドが対面して位置し、1曲ずつ交替に演奏し、互いに勝手に相手の演奏に参加していい、という、今回とよく似た形のものだった。JJF と馬喰町バンドも音楽への態度に共通するところが大きかった。

 アニーは JJF のメンバーでもあるが、あちらで見せる顔は tricolor で見せる顔とまたキャラが異なる。ザ・なつやすみバンドのメンバー、たとえば sirafu 氏が別のユニットをやっているとすれば、それもまた見てみたい。全く異なるキャラの音楽が聴けるだろうし、それもまたきっと面白いにちがいない。

 それにしても、ザ・なつやすみバンドは今回初めて見聞したのだが、メンバーは皆さん素敵だ。それぞれに、他のユニットもされているのなら、追っかけをしたくなる。あたしはパーカッショニストに弱いので、村野氏はふーちんと並ぶ女性ドラマーとして嬉しくなる。

 ザ・なつやすみバンドの名前を初めて聞いたのは tricolor の《うたう日々》に中川理沙氏が参加した時で、いい名前だと思ったものの、録音を聴くまでにはいかなかった。中川氏は《うたう日々》のレコ発ライヴにも参加していて、眼の前にいるのに、透明な幕を隔てた「異界」でうたっているような存在感が面白かった。ザ・なつやすみバンドでもそれは変わらないが、自作を唄うので、いくぶん「異界」が近くなっていた感じではある。

 会場はホテル地下のレストランだが、座席は両端に少しあるだけで、大半は立ち見。2時間以上立ちっぱなしでさすがにくたびれ、終演後はたまたま遭遇したアニーにだけ挨拶して、早々に退散した。また少し雨が降ったのか、外の空気はそれほど熱くない。なつやすみももう終りだ。(ゆ)

 夏のゲンまつりの時、梅田さんからこういうイベントに生梅で出ますと聞いて、チケットを頼んだ。生梅のライヴは久しぶりだし、昨年の coba 主催の Bellows Lovers Nightでこうした形のライヴの味をしめていたからだ。Tellers Caravan はその時に初めて見て、なかなか面白かった。Bellow Lovers Night はかれらの本来のライヴとは違うようだったので、本来の形でのライヴを見たいこともあった。

 今回の出演者を登場の順番にならべる。

 Tellers Caravan(開幕宣言)
 生梅
 玉木勝 Quintet "Flutter-flutter"
 ピクリプ
 #ハピレス
 舞浜国立倶楽部
 Tellers Caravan

 オープニングや合間のところどころ、また#ハピレスの後に、アルヴィースという名で、道化師兼ジャグラーが狂言回しをする。

 テラーズ・キャラヴァンはそのライヴを旅回りとしていて、今回も全体が旅であり、その行く先々で出会ったミュージシャン、バンドの報告をするという形に仕立てている。それぞれのバンドの出番の前に、テラーズ・キャラヴァンのメンバーが出逢いの具合を報告する。生梅なら、妖精の棲む島で会ったという具合だ。

 生梅と#ハピレスを除くとジャズ系のアクト。もっとも各々にタイプやレパートリィは異なるから、多様性は確保されていた。Bellows Lovern Night は「鞴」だけを扇の要にして、音楽のスタイルもプレゼンテーションも非常に幅広く、多様なアクトが見られて、そこが何よりも楽しかった。今回の共通点は見えにくいが、テラーズ・キャラヴァンが一緒にやりたい人たち、ということだろう。これまで聞いたところでは、テラーズ・キャラヴァンの音楽にはジャズの要素ははなはだ薄いが、個々のメンバーはジャズが原点なのだろうか。

 複数のアクトが入れ替わり立ち替わり出てくる形の公演では、思わぬ「発見」、出逢いがまず何よりの楽しみだ。今回はピクリプ。テナー・サックスとガット・ギターのデュオ。

 サックスは50前後、ギターは30代でともに男性。ギターはその一つ前にでた Flutter-flutter にも参加し、そちらではエレクトリック・ギターを弾いていた。おそらくはガット・ギターの方が得意なのだろう。MCからすると、マヌーシュ・ギターが原点らしい。このユニットではマヌーシュのようにリズムを刻むだけではなく、ピッキングでメロディも弾けば、複雑なビートも刻む。その呼吸がかなりいい。電気楽器より活き活きしている。

 サックスの方はジャズが原点ではあるが、モダンのように音符を撒き散らすのではなく、ゆったりじっくり聞かせるタイプ。この形はヘタをするとイージー・リスニングになるが、この人はたとえば一音を長く延ばして聞き手を引きこむ力がある。ハイライトは好きなのでとやった『千ちひ』のテーマ。メロディの変奏の展開が実にいい。

 そして、この二人の関係がまたいい。これもまた丁々発止ではなく、ゆったりとあせらず、時には互いにくるくると回ったりしながら、刻々と変化する速度と距離が山を下る渓流のようだ。結成14年目にして来月初めて出すというファースト・アルバムは楽しみだ。

 トップ・バッターで出てきた生梅は、スケールが一つ大きくなっている。PAのせいか、中原さんの声の響きが深い。別人の声のようだ。二人ともMCが格段にうまくなっている。中原さんは二人のお子さんを育てながらなのに、パイプもホィッスルも腕を上げているのには感服する。ロウ・ホイッスルの強弱の音の出し入れが巧い。装飾音を入れるパターンの語彙も増えている。このデュオの形は意外にハープの音も際だつのは、故意にそうしているのだろうか。梅田さんの切れ味も一番映える。これはあらためてワンマンでたっぷりと浸りたいものである。最後にやったオリジナルの〈森の砂時計〉は名曲の感、あらたなり。生梅は初めてという聴衆がほとんどだったようで、この曲が一番ウケていた。

 今回はPAがすばらしい。どのバンドも、各楽器のバランスがとれ、また個々の楽器が明瞭で、全体として大きすぎず、小さすぎず、みごとにどんぴしゃにはまっていた。ドラム・キットは右奥に置かれていたが、音は中央から左右に広がる形にミックスされていた。生梅の二人によれば、ステージ上のマイクの配置もキマっていたそうだ。各アクト間の配置替えもてきぱきとさばき、これらのスタッフはどこにもクレジットが無かったが、一番の功労者だ。

 おそらくは Bellow Lovers Night での経験が楽しく、自分たちもああいうことをやってみたいというのがこのフェスティヴァルを企画した動機ではあろう。リスナーにとっても、こういう形の企画はワンマンや対バンでは得られない楽しさがある。仕込みや運営の苦労はとんでもなく大きいだろうが、1回だけで終らせず、続けてほしいと願う。こういう企画を実現することで、演奏だけしていたのでは身につかないものが得られるはずだ。それは音楽家としての器となって返ってくる。

 途中15分の休憩が二度入って、14時過ぎから19時半まで、5時間を超えるのは、歌舞伎並みだ。そのせいか、観客も女性が圧倒的で、男性の客は両手で数えるほど、というのは歌舞伎座よりも女性比率がずっと高い。ただし、年代はぐんと若く、20代がほとんどではないかと思われた。さすがにくたびれ、また腹が減ってがまんできなくなり、アンコールが終ったところで、一足先に失礼した。昼間は台風の前兆で、いきなり雨が降ってきたりしていた空はきれいに晴れて、星がまたたいている。(ゆ)

 ひょっとして「クレツマー祭」になるのかと半ば期待、半ば恐れていたのだが、そんなことはなく、むしろ、さらにレパートリィの幅が広く、ばらけてきた。

 ハイライトはそのバラけたものの一つ、ベルギーのグループ Naragonia の曲で、中には芯が通っているが、表面はごく柔かい曲の感触が、このトリオにはよく似合っている。もともとは闊達なダンス・チューンとかクレツマーとか、およそチェロには不向きな類の曲を半ば強引、半ば楽々と、楽しくやってのけてしまうのが魅力であるわけで、巌さんが着々と腕を上げる、というよりも、慣れてきていて、シェトランド・リールまで鮮やかに聞かせてくれるのには顔がほころぶ。

 とはいえ、やはり似合いの曲というのはあるもので、ナラゴニアの曲でのチェロのリリシズムには陶然となる。あらためて元の録音も聴きたくなるが、あちらにはチェロはいない。チェロの入ったナラゴニアの曲はここでしか聴けない。

 もっともそれを言えば、シェトランド・リールにしても、スウェーデンの曲にしても、クレツマーにしても、こんな編成でやっている人たちは他にはいない。チェロだけでなく、ハープだって、その方面では使われない。世界は広いから絶対にいないとは言わないが、一時的なものではなく続けているのは、彼女たちだけだろう。今のところは。

 今日は夏なので、挑戦的に行きます、と言っていたが、編成からして挑戦なのだ。そもそも挑戦というのは、捩り鉢巻きで、腕をまくり、眦を決して、さあやるぞ、とやるもんじゃあ無い。表向きはごくあたりまえの、何でもないことに見えて、ちょっと待てよと考えてみると、とんでもないことをしているのが本当の挑戦というものだ。このトリオはさしづめ、そのお手本のひとつではある。

 トリオとしてあれこれ試し、挑戦するなかで、めぐり遭ったのがナラゴニアということだろう。この路線をもう少し深めてゆくのを聴いてみたいものだ。

 その後の〈Miss Laura Risk〉がまた良い。チェロがよくうたう。こちらはテンポがちょうどよいのだろうか。

 アンコール前は tricolor でやっているジグ。ここでのチェロがまた不思議な音を出す。ダブル・ストップなのだろうか、二つのメロディが聞える。これはたまりまへん。

 ゲンまつりは当面、四季に合わせて続けるそうで、次は涼しくなってから。さて、どうなるか、いや、楽しみだ。(ゆ)

中藤有花: fiddle
巌裕美子: cello
梅田千晶: harp

 いやしかし、ここまで対照的になるとは思わなんだ。やはりお互いにどこかで、意識しないまでも、対バン相手に対する距離感を測っていたのかもしれない。これがもし na ba na と小松&山本の対バンだったならば、かえってここまで対照的にはならなかったかもしれない。

 対照的なのが悪いのではない。その逆で、まことに面白かったのだが、各々の性格が本来のものから増幅されたところがある。違いが先鋭化したのだ。これも対バンの面白さと言えようか。

 須貝&梅田のデュオは、この形でやるのは珍しい。メンバーは同じでも、トリオとデュオではやはり変わってくる。トリオでの枠組みは残っていて、一応の役割分担はあるが、自由度が上がる。それにしても、こうして二人として聴くと、須貝さんのフルートの音の変わっているのに気がつく。もともと芯の太い、朗らかな音だったのが、さらにすわりが良くなった。〈Mother's Lullaby〉では、これまでよりも遅いテンポなのだが、タメが良い。息切れせず、充分の余裕をもってタメている。一方でリールではトリオの時よりもシャープに聞える。中藤さんと二人揃うと、あの駘蕩とした気分が生まれるのだろうか。あるいは梅田さんのシャープさがより前面に出てくるのか。

 小松&山本は初っ端から全開である。音の塊が旋回しながら飛んできて、こちらを巻きこんで、どこかへ攫ってゆくようだ。

 今回は良くも悪しくも山本さん。メロディをフィドルとユニゾンするかと思えば、コード・ストロークとデニス・カヒル流のぽつんぽつんと音を置いてゆくのを同時にやる。一体、どうやっているのか。さらには、杭を打ちこむようにがつんと弾きながら、後ろも閉じるストローク。ビートに遅れているように聞えるのだが実は合っている、不思議な演奏。

 その後の、ギター・ソロによるワルツがしっとりとした曲の割に、どこか力瘤が入ってもいるようだったのだが、終ってから、実は「京アニ」事件で1人知人が亡くなっていて、今のは犠牲者に捧げました、と言われる。うーむ、いったい、どう反応すればいいのだ。

 これは小松さんにもサプライズだったようだが、そこはうまく拾って、ヴィオラのジグ。これも良いが、フィドルでも低音を多用して、悠揚迫らないテンポで弾いてゆく。こういう器の大きなフィドルは、そう滅多にいるものではない。

 最後にせっかくなので、と4人でやったのがまた良かった。のんびりしているのに、底に緊張感が流れている。2曲めでは、初めフィドルとギターでやり、次にフルートとハープに交替し、そこにフィドルとギターが加わる。フィドルはフルートの上に浮かんだり、下に潜ったり、よく遊ぶ。そこから後半は一気にスピードに乗ったリール。この組合せ、いいじゃないですか。

 やはり対バンは楽しい。たくさん見てゆけば、失敗に遭遇することもあるだろうが、今のところはどの対バンも成功している。失敗するにしても、おそらくは収獲がたくさんある失敗になるのではないか。(ゆ)


はじまりの花
na ba na ナバナ
TOKYO IRISH COMPANY
2015-11-15


Thousands of Flowers
須貝知世
TOKYO IRISH COMPANY
2018-09-02



 いやあ、浴びた、浴びた。ハモクリの快感はここにある。あたしにとってかれらの音楽は、とりわけライヴは、聴くのではない、浴びるのだ。会場の大小は関係ない。大きければ大きいだけ、小さければ小さいなりに、浴び方が変わるだけだ。どちらかというと小さなところで浴びるのが好きなのは、あたしの人間のスケールが小さいからだろう。大きいところに放りだされると、どうしていいかわからなくなってしまう。野外などでは、音楽なんぞ、浴びていられなくなる。

 ここのところハモクリのライヴは対バンが続いていた。それはそれで相手方との出会いがあって楽しい。前回の古川麦も、その前の踊ろうマチルダも、いいミュージシャンで、出逢えて嬉しい。

 とはいえ、何はばかるところなくハモクリの音楽を浴びられる快感はまた格別だ。対バンではなかなか聞けない大渕さんの歌も聴けて、堪能しました。歌は唄いつづければうまくなるので、高い声が無理なく出るようになっている。

 大渕さんのフィドルも変わっている印象。一つはワウワウやファズのエフェクタの使い方が一段と巧妙になった。ハープがむしろ高音へ飛んでゆくのに呼応して、五弦ヴァイオリンの低い方へ低い方へと下ってゆくのも気持ちがよい。アイリッシュ的なソロでは、弓と指がそれぞれにまるで別のことをしているように聞えるし、見える。さらに、これもエフェクタを使うのか、音の輪郭をぼかす。音のエッジを立てない。以前の彼女のフィドルからはちょっと考えられないのだが、これまた妙に気持ちが良い。

 ドラムスの渡辺拓郎氏は、清野さん、長尾さんの同窓だそうで、小田原出身ということもあるらしい。ふだんはメジャーなバンドのメンバーの由。シュアーなロック・ドラマーというところ。ぐいぐいとドライヴするよりも、どっしり構えて、フロントが勝手にできるように支える。

 こういうとき、ロックにいかずにむしろジャズ的になるのが、このバンドの面白いところではある。

 ここは小さい。小田原の駅からは5分ほど歩いた、国道1号、東海道に面した古い家を改造した店だ。店の前の東海道は正月には駅伝のルートになるはずだ。正面から入った土間にバンドが位置し、聴衆はそこから上がった板の間に靴をぬいであがる。前半は入りきれずに外で聞いていた人もいたとかで、後半はどんどん詰めこみ、みな立ち見で踊る。クライマックスでは、狭いなかで輪をつくっている人たちもいる。それがごく自然に見えるバンドではあり、音楽ではある。いつもとは違うロケーションも楽しい。次は御殿場だ。(ゆ)

ステレオタイプ
ハモニカクリームズ
Pヴァイン・レコード
2018-03-28


 ふだんはアイルランド在住の村上淳志さんが一時帰国してワークショップなどやられていて、その仕上げとして、主にクラシック・ハープの演奏者向けにアイリッシュ・ハープについて解説する講座をやるので遊びに来ませんかと誘われた。村上さんの話ならきっと面白いにちがいないと、ほいほいとでかける。

 場所は六本木ヒルズの向かいのビルの上。正面全面ガラス張りのセミナールーム。40人ほどだろうか。クラシック向けといいながら、結構アイリッシュ方面の人たちもいたようだ。ワークショップに参加された方もいたのだろう。

 アイリッシュ・ハープとは何ぞや、がテーマではある。ということはアイリッシュ・ミュージックをハープを通じて語ることになる。ルーツ・ミュージックでは楽器と音楽の結びつきが強い。アイリッシュ・ミュージックとは何ぞやを語ろうとすれば、歌は別として、どれかの楽器に即して語るしかない。抽象的なアイリッシュ・ミュージックというものは存在しない。

 村上さんはよく整理されていて、まずセッション、次に装飾音、そして楽器としての特性を解説する。その各々に話が面白いのは、やはり現地で日々、実際に音楽伝統に触れているからだ。

 セッションはユニゾンだ、というのはあたしらには常識だが、それが横につながる感覚だ、というのはミミウロコだ。ハーモニーは縦に重なる感覚になる。アイリッシュ・ミュージックはユニゾンだからつまらないと言ったクラシック音楽関係者がいたらしいが、心底そう信じているのなら、その人間はクラシック音楽そのものもわかっていない。ユニゾンとハーモニーはクラシック音楽の両輪ではないか。

 むろんハーモニーの快感とユニゾンの快感は質が異なる。ただ、ユニゾンの快感の方がより原初的、人間存在の核心に近い感じがする。

 それにユニゾンは単純でない。ユニゾンが快感になるには、ただ同じメロディを同じテンポで演奏すればいいわけではない。表面、簡単に見えながら、内実では繊細で微妙で複雑な調整をしている。それに装飾音だ。

 この装飾音の説明が面白い。カットとかランとか passing note とか、さらにハープが得意とするトリプレットや finger slide や、ハープ流ダブル・ストップを実演しながら紹介する。これは強力だ。入れる時と入れない時を交互に演って比べるのは、まさにメウロコだ。ダブル・ストップというのは村上さんがそう呼んでいるのだそうで、どこにでも通じるものではないらしいが、フィンガー・スライドとともに、近頃巷で流行っている由。

 そしてハーパーにはお待ちかね、ハープ奏法のテクニック。これは主に左手の使い方。10度の多用、つまり10度離れた二つの音を同時に弾くもので、マイケル・ルーニィの影響というのは以前、ハープ講座の時に聞いた。

 ハープ特有のシンコペーションとか、レバー式のハープなればこそ可能になるキーチェンジとか、かなり高度なテクニックではないかと思われる話がぽんぽん出てくる。クラシックのグランド・ハープはペダルで全部の弦の音程を一斉に上下できる。レバー式は1本ずつ手で上げ下げしなければならない、と思いきや、アイリッシュ・ミュージックの曲では五音音階が多いから、オクターヴの1番上は使わないことが多い。するとそこの弦のレバーは動かさずにキーが転換できてしまう。と書いても、実はあたしはよくわかっていない。とにかく、動かすレバーと動かさないレバーの組合せで、グランド・ハープには不可能な技ができてしまう。右手と左手の音階を別々にしたりすらできる。

 これはクラシックのハーパーにはちょっとしたショックではなかろうか。

 そうそう、主な対象はクラシックの演奏者だから、ちゃんと楽譜がレジュメに入っていて、装飾音もきっちり書いてある。

 後半は曲種の紹介。今回は、ジグ、リール、ホーンパイプ、ポルカ、エア、ハープ・チューン、その他という分類。ハープ・チューンはカロランやらその仲間たちの曲。その他にはバーンダンス、フリン、マーチ、ワルツ、マズルカ、セット・ダンスなどが含まれる。

 もちろん各々に実演する。どれもさすがの演奏だが、最後に演奏したその他の曲種、スロー・エア〈黄色い門の町〉から〈Sally Gally〉のメドレーがすばらしい。アレンジもきっちりしていて、これを聞けただけでも、来た甲斐があった。

 最後はお薦めのCDの紹介。村上さんがえらいのは、ハープだけではなく、他の楽器のCDも薦めるところだ。中には自分が演奏する楽器の録音しか聞かないという人もいるが、それではその演奏している楽器も上達しないことを、村上さんはちゃんとわかっている。アイリッシュ・ミュージックを体に染みこませるには、いろいろな楽器の演奏も聞かねばならない。

 ここであたしにご指名があって、20枚ほどあがっているCDで、1枚だけと言われたらどれを選ぶか、と訊ねられる。あたしが選んだのは Brian McNamara《A Piper's Dream》。クラシックではハープはどちらかというと日陰の存在だが、アイリッシュ・ミュージックではハープは女王さま。ただし、臣下がいない。ハープの後を継いだ王様がイリン・パイプ。他の楽器はパイプをエミュレートしようとする。だから、アイリッシュ・ミュージックのCDを何か1枚ならば、まずパイプを聴いてください。

 マクナマラのこのCDはかれのソロ・デビュー作で、タイトル通り、パイパーにとって会心の、これぞ理想の音楽ができた、と言える傑作だ。音楽の新鮮さ、パイプの響きの美しさ、演奏の質の高さ、選曲と組合せの巧さ、まあ、これ以上のものは無いでしょう。

A Piper's Dream
Brian Mcnamara
Claddagh



 村上さんは冒頭でアイリッシュ・ミュージックの性格として、千差万別であり、変化し続ける音楽だ、と言ってのけた。かれは一見華奢で、線が細そうに見えるが、実はこういう根源的なことをさらりと言える大胆不敵な人物なのだ。

 梅雨の晴れ間とまではいかないが、とにかく雨は降りそうもない日曜日。ヒルズやミドタウンの喧騒もどこか遠い世界のように感じる。浮世離れしているといえば、これほど浮世から離れたものもないようなアイリッシュ・ハープの話ではある。が、それ故に、浮世に風穴をひとつひょうと穿けたような、村上さんの話であり、ハープ演奏だった。(ゆ)

 na ba na の音楽はのんびりしている。急がない。ミュージシャン同士の緊迫したからみ合いもない。リールでさえも、ゆるやかだ。

 わざとそうしているようでもない。この3人が集まると、ごく自然にこういう音楽になる、と響く。むしろ、こういう音楽ではない形、スピードに乗ったチューンや、丁々発止のやりとりが出るとなると、どこか無理がかかっているのと見えるのではないかとすら思う。もっとも、いずれそのうち、そういう形が現れないともかぎらない。ある形に決まっていて、それからは絶対にはずれません、というようなところも無いからだ。

 na ba na のライヴは久しぶり。須貝さんの産休もあって、ライヴ自体が久しぶりではないか。須貝さんがコンサティーナを弾いたり、コンサティーナ2台のデュエットをしたり、スウェーデンの曲をやったり、新機軸も結構ある。が、ことさらに、新しいことやってます、というのではない。これまた自然にこうなりました、というけしき。

 梅田さんも中藤さんも、きりりと引き締まるときには引き締まるから、このゆるやかにどこも緊張していないキャラクターは主に須貝さんから出ているのだろう。須貝さんはまだ若いが、どこか「肝っ玉かあさん」の雰囲気がある。ゆるやかで緊張はなくても、だらけたところも無い。芯は1本、太いものが、どーんと、というよりはしなやかに通っている。通っていることすらも、あまり感じさせない。インターフェイスはどこまでも柔かい。

 それにしても生音が気持ち良い。ここは10人も入れば一杯の店だが、天井が高く、片側の壁、ミュージシャンの向い側の壁は全面が木製。ミュージシャンは細長い店の長辺の一つに並ぶ。すると音が広がり、膨らんで、重なりあう。なんの増幅もなしに、3人の音がよく聞える。

 今回、とりわけ快かったのはフィドル。中藤さんのフィドルはよく膨らむのが、さらに一層増幅され、中身のたっぷり詰まった響きが、いくぶん下の方から浮きあがってくる。もう、たまりまへん。

 なんでも速く演ればいいってもんじゃあないよなあ、とこういう音楽を聴くと思う。もっとも、なんでもゆっくり演ればいいってもんでは、一層ないだろう。技術的にはゆっくり演る方が難易度は高そうだ。ヘタで速く演れませんというのは脇に置くとして、意図的に遅くするのとも、このトリオのゆるやかさは異なる。こういうものは性格だけでもなく、日常生活の充実もあるはずだ。いや、幸せオンリーというわけじゃない。そんなことはあるはずがない。日常生活は幸せと不幸がいつも常にないまぜになっているものだ。そのないまぜを正面から受け止めて最善を尽すことを楽しむ。不幸を他人のせいに転嫁するかわりに、自分を高めることで不幸を幸いに転換しようと努める。そういう実践が半分以上はできているということではなかろうか。

 という理屈はともかく、彼女たちの音楽を聴いていると、今日も充実していたと実感できる。(ゆ)

はじまりの花
na ba na ナバナ
TOKYO IRISH COMPANY
2015-11-15


 番組に対していただいたリクエストの中にいくつか、ご質問があったので、できる範囲でお答えします。


□〈Mo Ghile Mear "Our Hero"〉「できれば、この曲の原曲を聴きたいです」

 これは伝統曲ですので、「原曲」というものは存在しません。最も有名なヴァージョンはおそらくスティングがチーフテンズをバックに唄ったものでしょう。ケルティック・ウーマンでも唄われています。

 あたしがこの曲を初めて聴いたのはメアリ・ブラックがソロになる前に参加していたバンド General Humbert のセカンド (1982) で唄っているものです。このトラックは後にメアリの《Collected》に収録されました。

Collected
Mary Black
Dara
2003-02-10



 アイルランド語のネイティヴの歌であればポゥドリギン・ニ・ウーラホーン Padraigin Ni Uallachain がギタリストの Garry O Briain と作った《A Stor's A Stoirin - Songs For All Ages》(1994) の歌唱を薦めます。

Stor Is a Stoirin
Padraigin Ni Uallachain
Traditions Alive Llc
2011-09-20



 またスコットランドの Mae McKenna の復帰作《Shore To Shore》(1999) の歌唱も良いです。


Shore to Shore
Mae Mckenna
Traditions Alive Llc
2008-01-01


 最近のものでは Steve Cooney と Allan Macdonald がホストになった 《The Highland Sessions, Vol. 3》収録のものが出色です。Iarla O Lionaird, Mary Black, Karen Matheson, Karan Casey, Mary Ann Kennedy, それに Allan Macdonald という、アイルランド、スコットランドのトップ・シンガーたちが声を合わせたコーラスで、1人1番ずつリードをとるという豪華版です。
 ミホール・オ・ドーナルがどこかで唄っていた記憶があるんですが、探しても出てきません。ご存知の方はご教示ください。

 教えていただいたので、掲げておきます。これも名演。


Relativity
Relativity
Green Linnet
2011-03-23




□RIVER TRANCE「The String Cheese Incident」というバンドが演奏しているRIVER TRANCEという曲があるのですが、原曲があるのでしょうか?」

 たとえば2013年大晦日の年越しライヴで、始めと終りにフィドラーが弾いているダンス・チューンのことでしょうか。どちらもごく有名な伝統曲です。たいへん有名で、よく演奏もされ、録音も多いのですが、あたしはとにかく曲名を覚えることができません。



 どなたか、ご教示のほどを。最初は2:20あたりから。後のは12:45あたりから。


□Muireann Nic Amhlaoibh の曲であれば何でも「名前が読めないんですけど、素晴らしいフルート奏者です」

 前は公式サイトに発音が出ていたんですが、今は無いようです。カナ表記してみれば「ムイレン・ニク・アウリーヴ」でしょう。この人はフルートも達者ですが、まずすばらしいシンガーです。ぜひ、歌を聴いてください。


□〈Moonfesta〉Kalafina「この曲はケルト音楽ですか?」

 前半はあたしにはケルトというよりも、クラシックの古楽、ルネサンスやバロック初期のスタイルを意図しているように聞えます。後半はケルトからは離れていると思います。


□「カントリーフォークの中に、ケルト音楽の流れ(影響)を強く感じるのは僕だけでしょうか? ということで、ケルトの流れを感じさせてくれる一曲をなにかお願いします」

 「カントリーフォーク」が何を指すのか、今ひとつはっきりしませんが、カントリー&ウェスタンの源流にアイルランドの伝統音楽があり、オールドタイムやブルーグラスの源流にスコットランドの伝統音楽があることは、よく知られています。

 ドーナル・ラニィが音楽監督を勤めた《Bringing It All Back Home》やチーフテンズの《Another Country》《Down The Old Plank Road》などには、そうした流れを実感させてくれる曲や演奏がたくさんあります。



Another Country
Chieftains
Sbme Special Mkts.
2009-08-04


ダウン・ジ・オールド・プランク・ロード
ザ・チーフタンズ
BMG JAPAN
2002-10-23



 個人的には「カントリーフォーク」から連想するのは Nanci Griffith で、彼女は一時期、ダブリンに家をもって、ナッシュヴィルと1年の半分ずつ暮していました。チーフテンズのツアーにも参加し、録音もあります。

 あるいは Tim O'Brien やその僚友 Darrel Scott なども、ケルトの流れを感じさせる歌をうたっています。たとえば前者の《Two Journeys》(2001) です。

Two Journeys
Tim O'Brien
Sugarhill
2002-07-09



 この2人も参加している《Transatlantic Sessions》のシリーズはジェリィ・ダグラスとアリィ・ベインがホストとなり、アメリカ東部、スコットランド、アイルランドのルーツ系ミュージシャンを集めて、ミュージシャンだけで、つまり聴衆無しにセッションをしてもらうのを映し、録音したもので、名演のオンパレードです。DVD と CD と両方出ています。映像はネットでも見られます。


□『ロミオとジュリエット』1968 サントラ「舞踏会の音楽にケルト音楽は使われているのでしょうか?」

 1968年という時代にはまだ「ケルト音楽」は存在しません。「ケルト音楽」という呼称、概念は30年ほど後の、1990年代も後半になって登場します。

 舞踏会の前半、男女がペアで踊っている時の音楽のベースになっているのは、当時のイタリア音楽、バロックの前のルネサンス音楽でしょう。モンテヴェルディに代表されるスタイルです。バロックにかかっているかもしれません。1967年には、イギリスで David Munrow や Christopher Hogwood が Early Music Consort を結成して、後の、いわゆる古楽の探索・復興に乗出していますから、その影響がある可能性もあります。

 後半、腕に鈴を付けて踊られるのは、イングランドのモリス・ダンスの原型を意図していると思われます。その前に女主人が「モリスカ」と言っていますし。Morris dancing はシェイクスピアの他の作品にも登場します。現在、イングランドにしか残っていない踊りで、踊りそのものはまったく異なりますが、音楽は今に残るモリス・ダンスのチューンを連想させます。

 なお、アイルランドの伝統音楽が映画に使われた例としてはスタンリー・キューブリックが『バリー・リンドン』(1975) にチーフテンズの音楽を起用したのが最初と思われます。


□豊田耕三 & 久保慧祐, Ross Memorial Hospital
「リクエストした曲はスコットランドのグループ silly wizard のメンバーであった Phil Cunningham が作った曲でしょうか。」

 そうです。CDには明記されています。

 なお、この曲は30分に及ぶ長いメドレーの2曲めで、演奏者としてはメドレーの一部として聴いてもらいたいと意図していると考え、リクエストの対象からは外しました。


□「キャンディーキャンディー」
「話の中でバグパイプ?をひく青年がいたのですが、曲も地方も分かりません」
「キャンディーの王子さまが、キルトをまとい丘の上で演奏しているもの」

 お二人からリクエストをいただきました。原作ではなく、アニメ版と思われますが、あたしにはまったくわかりません。ご存知の方はご教示ください。(ゆ)

 放送から3ヶ月経ち、いただいたリクエストの全貌がようやく見えてきました。事前にいただいていたリクエストは200本ほどで、その中でのご質問などは以前の拾遺でできるだけお答えしています。

 「三昧」では通常、放送中にいただくリクエストが圧倒的に多いそうですが、今回は最終的に1,400本以上に登りました。1本のリクエストに複数の曲が書かれていることもあり、これを一つ一つバラしてみると、延べで1,450曲を超えました。

 複数の方から重複して来た曲ももちろんあります。演奏者も含めまったく同一と思われる曲をまとめて1曲として数えなおしても、1,000曲を超えました。

 この数だけでも我々の対応能力は遙かに超えていますが、内容の幅もまたひじょうに広く、ゲーム、映画やアニメ、TV関連のもの、伝統のコアそのものから、ロック、クラシック、古楽、J-Pop、アンビエント、ヒップホップなど、ほぼあらゆるジャンル、フォームのものが含まれています。演奏者の出身地域も、日本や北米を別として、スペインからロシアまでヨーロッパのほぼ全域にわたっています。

 NHK の資料室は噂に聞いていたとおり、かなりのもので、国内盤で出ているものはまずたいていはありましたし、輸入盤も一部カヴァーされていました。事前のリクエストから推測して、小生も手持ちのものから、NHKには無いと思われるものを選んで100枚ほどのCDを持ち込んでもいました。しかし、両方合わせても、この幅の広さに対応できるものでは到底ありませんでした。

 リクエストしたのにかからないケースがひじょうに多く出てしまったのはまことに申し訳ないことでした。同じ方から同じ内容で複数回出されたと思われるものも一つに留まりません。まったく圧倒されてしまったというのが事実ではあります。

 「ケルト音楽」自体をこちらでは定義せず、広く門戸を開いたことはありましたが、いざ現れたものの広がりの大きさと奥行の深さに茫然としているというのが正直なところです。この手の音楽を愛好するのは、ほんの一握りの人間たちだけという時期が長く続いたために、小生などはどうしてもスケールを小さく捉える傾向があります。

 ジャンルとしてはゲームからのものが大きな割合を占めています。光田さんをゲストにお迎えしたことによる増幅もあるとは思われますが、RPG の BGM だけでなく、音楽ゲームからのリクエストも多いので、やはり元々、ゲーム関連にケルト音楽の存在が大きいのでしょう。ゲームに詳しい向きによれば、時代的にも黎明期から最近まで、ほぼ網羅されているようです。あるいはケルト音楽だけでなく、音楽全体に接するルートとしてゲームが機能しているのかもしれません。

 とまれ、おそらくあるだろう次回にはもう少し対応できるよう、対策を講じたいと思ってはいます。たとえ小生が関わらなくても、このデータは生かされるはずです。一つお願いは、リクエストはできるかぎり事前にいただきたい。そうすれば、より応えやすくなります。もっとも今回、発表になったのは放送の1週間前でした。次回は来年の同時期と予想されますので、その頃には NHK のサイトにご注目ください。

 リクエストのコメントにいくつか付随したご質問は、別途、できる範囲でお答えします。(ゆ)

 このところハモクリは対バンばかり見ている。前回は踊ろうマチルダで、この出会いも喜んだが、今回の古川麦も引き合わせてくれたことに感謝する。

 本人の歌とギターと口笛、ダブル・ベース、それにドラムス。ドラムスはハモクリと同じ田中佑司。この田中氏は tricolor のレコ発の時の田中氏で、繊細で陰翳の細やかなドラマーだ。清野さんに言わせれば「大人のドラムス」。ハモクリでのドラミングが「コドモのドラムス」とは思わないが、フロントを乗せる乗せ方がシンプルでないことは確か。tricolor の時のドラミングとももちろん違って、これまでのところでは一番ジャズに近い。あたしにはとても面白い一面ではある。この人のドラミングはもっといろいろな組合せ、シチュエーションで見てみたい。

 ダブル・ベースの千葉広樹氏も凡百のベーシストではない。もっとも今のところ、「平凡な」ベーシストというのは幸いにして見たことがない。ダブル・ベースを人前で弾こうというほどの人は、誰も彼も一騎当千、一国一城の主だ。千葉氏はソロもとり、アンコールでは田中氏とも渡り合って、むしろこれを煽っていた。

 古川氏はまず英語がうまい。というよりこれはネイティヴの英語だ。発音はアメリカンだが、楽曲は必ずしもアメリカンというわけでもない。どこか、アメリカにはないシャープなところがあって、はじめはカナダかなと思った。後でバイオを見ると、カリフォルニア生まれでオーストラリアで育つとあるのに納得。

 古川氏の英語には日本語ネイティヴの訛が無い。音楽にも日本語ネイティヴがアメリカなどの音楽をやる時の訛が無い。そこがひどくさわやかだ。訛は無い方が常にいいわけではない。あった方が味が出ることもあり、それはケース・バイ・ケースだ。古川氏の場合には、無いことがプラスに出ている。

 それは発声法にも出ていて、最近の若い日本語ネイティヴのうたい手に共通する裏声的な発声ではなく、もっと地声に近く、無理がない。聞いていてストレスを感じない。すなおに耳に、そしてカラダに入ってくる。

 ギターのセンスも面白い。鮮かなフィンガーピッキングを聞かせるかと思うと、コード・ストロークで展開するソロがそれはスリリングだったりする。

 さらに面白かったのは、エフェクタなのだろうか、その場で弾いたり唄ったりしたものを録音してリピートさせ、それに歌やギターをかぶせるということをする。一人で自分の声にハモったりする。あらかじめ録音しておいたものではないらしい。

 そうしたセンスと手法が、なんとも新鮮だ。日本語と英語の往復にも無理がない。両方に軸足を置いている。日本語の世界にも英語の世界にも根を下ろしながら、中途半端でもないし、どちらかに足をとられることもない。ハイブリッドと簡単に片付けられるものでもなさそうだ。そこには人知れぬ本人の努力と苦労があるはずだが、明らかにこれまで日本語の歌の世界には無かった、新鮮な感覚がある。英語がモノマネでもないし借り物でもない。それがそのまま日本語にも通じている。どちらか一方に偏るのではなく、共存している。

 ベースとドラムスの二人も、リズム・セクションというよりは、ユニットとして、古川氏のそうしたスタンスを理解し、共鳴していると聞える。トリオでやることで、陰翳がより深くなり、細部が浮かびあがる。


 ハモクリは半年に1度ぐらいの間隔で見ると、変化がわかっておもしろいでしょう、と終演後に清野さんに言われた。今のハモクリに変化を求めているわけではないが、この日は冒頭にやった新曲がまずみごと。フィドルとハープが別々のメロディを奏でながら、全体として統一されたグルーヴを生んでゆく。これはスリリングだ。

 これまではどちらかといえば、アイリッシュ流のユニゾンで、ハープとフィドルが細かい音の動きをぴたりと一致させてゆく。そのフレーズ、メロディが、ケルトとブルーズの融合した、ハモクリ節とでも呼びたくなるユニークなもので、意表を突く展開がソリッドなグルーヴに乗ってゆくところにスリルがあった。それはこの夜も同じで、おなじみの曲のスリリングなことは変わらないのだが、冒頭の曲に現われた傾向が今後、新たな流れになってゆくとすれば、ハモクリのもう1本の柱になってゆく可能性もあろう。

 もう一つ新鮮だったのは、アンコールの最後、全員にソロを回したときの長尾さんの演奏。これまでもあったかもしれないが、組合せが違うせいか、をを、こういうこともやるのかという意外性を感じた。もっとふつうにああいうコード・ストロークの展開を入れてもいいように思う。というよりも、もっと聞きたい。

 元住吉は別件で何度か降りたことがあるが、いつも駅の周辺か、川沿いに日吉の方へ下っていたので、その向こうにああいう小屋があるとはこれまたいささか意外ではある。チキン・カレーはたいへん美味でござんした。(ゆ)

 MCもなくいきなり始まった1曲目、1周目が終る頃には、とんでもないものが始まったという感覚が沸々と湧いてきた。

 7枚目、バンド結成10周年の節目の新作《キネン》のレコ発。昨日はそこに収録された曲を全部披露した。当然、新曲ばかりであるわけだが、アルバムでも冒頭の〈Lorient〉がまず凄い。

 編成が並みでない。マリンバ、チェロ、ドラムス、それにフィドルが加わる。サウンドとしてはまずマリンバ。

 マリンバはいわゆる木琴だが、これで奏でられるダンス・チューンが実に新鮮なのだ。ダルシマーはアメリカでは普通だし、わが国でも小松崎さんがいるけれど、マリンバでケルト系ダンス・チューンが演奏されるのを聴くのは初めてかもしれない。こういう柔かい音はケルト系の楽器ではあまり無い。フルートやロウ・ホイッスルも、ソフトに見えて、実はかなりシャープな音だ。マリンバの音の柔かさは格別だ。どこか別の空間で鳴っているようでもある。これが加わると、空間が埋まる。それまで穿いていたとはわからなかった穴が埋まる感じだ。単に密度が高くなるというよりも、カラフルになる。それも多彩な色が常に変化してゆく。

 マリンバ担当はぷうぷうという笛や、カスタネット、あるいはヌンチャクにも似て紐の先の玉が掌に握った玉に当たって音が出るものなど、かなり多彩な各種パーカッションも操って、さらに全体のサウンドがカラフルになる。加えてコーラス、そして1曲《うたう日々》からの曲ではリード・ヴォーカルもとる。現代風な、常世離れした発声で、シンガーとしてもかなり良い。

 チェロは中藤さんの旧友で、これまでも「ゲンまつり」で聞いていた巌さん。ケルト系でチェロは世界的にもまだまだ少ないが、これからかなり面白くなるだろうと期待している。その期待の星の一人だ。チェロが入ると低域が締まるのだが、ベースとは違って、チェロもやはり柔かい。低域が膨らみながら締まる。これがあたしなどにはたまらない快感なのだ。もちろん音が細かく動くダンス・チューンもこなして、tricolor やジョンジョンフェスティバルなどのトリオにチェロが入ったカルテットももっと聴きたくなる。

 ドラムスはハモニカクリームズでおなじみの田中祐司さん。あちらではパワーハウス・ドラミングで猛烈にプッシュするが、ここではこまやかな叩き方で、むしろアクセント的に動く。と思うと、ここぞというところでバーンと底上げする。あらためてすばらしいドラマーではある。かれは鍵盤も巧く、後半冒頭で1曲、ピアノも披露する。

 フィドルは沼下さん。おそらくこうした編成でフィドルの厚みを増すためではあるだろうが、中藤さんとの呼吸もぴたりと合って、複数フィドルのユニゾンの快感を堪能する。

 今回は3人それぞれが今一番やりたいことをやりました、と言うことだが、その点での驚きはまず長尾さんの歌。ここ半年、急に唄いたくなったのでヘタも顧ず、録音してしまい、人前でも唄ってしまった、という。当然まだヘタではあるが、唄いたいという気持ちはかえって直接に伝わってくる。お仕事でやる音楽を否定するつもりはないが、やはりその人がやりたいと心底感じている音楽がそのままストレートに伝わるものこそ最高だと思う。唄は唄いつづけていればうまくなるものだ。唄では一日の長がある中村さんだって、最初の頃はヘタだった。

 中村さんの〈夢のつづき〉はやはり名曲だと昨日も思ったが、それよりも驚いたのは後半のヒップホップだ。プロパーのヒップホップはどうにも聴く気になれないのだが、これはいい。これは音楽の一部として機能している。聴いて楽しい。

 このヒップホップに象徴的に現れていたが、ライヴ全体が新しいことをやろうという実験精神の噴出なのだ。思えばこうした動きは《うたう日々》から表に顕われていて、前作《BIGBAND》で爆発したのだが、それがまた形を変え、よりラディカルになって走りだしたけしきだ。

 やりたいことができるというのは、簡単なことではない。それには実力や運だけでなく、蓄積が必要だ。10年という時間と経験の積み重ねの上に初めて可能になったことは、長尾さんも言っていた。それがここに凄みとなって出ている。そう、すばらしいとか、いいライヴというよりも、最初から最後まで、凄いとしか言いようのないものが漲っていた。

 このバンドもそもそもの初めはこの3人でやりたいというところから出発しているはずだ。初期の頃はしかし意欲よりも、3人がごく自然に集まり、ごく自然に生まれるものをごく自然にやっている気配が濃厚だった。組合せは O'Jizo の豊田さんが中藤さんに入れ換わっただけだが、トリオの性格、めざす所はほとんど対照的だ。O'Jizo はより先鋭的に、演奏と楽曲の質をとことん突き詰めようとする。tricolor はそうした意識的な部分がごく小さい、と見えていた。

 たぶん、今でも意識的に何かをめざしているのではおそらく無い。やりたいことをやるのも、そうすることが今一番自然に感じられるからなのだろう。少なくとも、昨夜の演奏からはそういう感覚が伝わってきた。

 この10年は、わが国のケルト系音楽がほとんど無から現れ、シーンが確立されてきた時期だ。10年前、tricolor、ジョンジョンフェスティバル、O'Jizo、ハモニカクリームズといったバンドがほぼ時を同じくして出現した。それ以前から活躍していた人びとも雑え、またソロでやる人たちもいて、今やあたしなどには天国の日々だ。その中で tricolor は当初むしろ周縁でささやかにやっていたのが、いつの間にかシーンのど真ん中で、新機軸を次々に打出し、全体を引っ張る存在になっている。それも、あたしたち頑張ってます、などというところはカケラも無いままに。

 昨日も、途中で、今日初めて tricolor のライヴを見る方と中藤さんが誘うと、3分の1ほどの手が挙がった。

 10年を記念して新譜を出す一方で、10年前に出したデビュー・アルバム《Vol. 1》も再発している。そう、これを機にあらためて最初から聴き直してみたくもなる。10年で7枚というのは、立派なものだ。こういうところも、このバンドが舞台の真ん中にいることに通じる。録音を出していればいいというものではもちろんないけれど、繰り返し聴ける録音は頼りになるのだ。この上はぜひ10周年記念ライヴのライヴ盤を出してもらいたいと願う。

 前週末からの疲労が尾を引いているところもあったのだが、凄い音楽にずいぶんと元気をもらう。これで当分、やっていけそうだ。(ゆ)

 「今日は1日ケルト音楽三昧」に放送前にいただいていたリクエストのうち、用意しながらかけられなかったものの一部について書いておきます。
#zanmai 


 まず、Mick Hanly, Farewell Dearest Nancy。

 1976年のソロ・ファースト《A Kiss In The Morning Early》冒頭のトラックですが、CD化されてません。これに限らず、Mulligan の初期はCD化されていないのは残念であります。アナログ自体も手許にはありませんでした。

 リクエストでは「Mick Hanlyでなく、おすすめのアーティストでも可」ということで、オーストラリアのバンド Trouble In The Kitchen が《When The World Was Wide…》(2003) でとりあげています。演奏自体はたぶんハンリィのものをお手本にしてます。こちらのシンガーは女性。

 あらためて聴いてみると、これはどちらも名曲名演で、どうしてもっと唄われないのか、不思議なくらい。

 ミック・ハンリィはリムリック出身。クリスティ・ムーアやドーナル・ラニィと同世代のシンガー・ソング・ライターで、Moving Hearts でムーアの後継者としてリード・シンガーを務めました。ソングライターとしては、ジミィ・マカーシィ、ノエル・ブラジル、ドナ・ロングなどと並んで、今やアイルランドを代表する一人です。

 歌の代表としては〈Past the Point of Rescue〉があります。1988年にメアリ・ブラックがカヴァーしてアイルランドでヒット。1992年にはアメリカのハル・ケチャムが唄って、カントリー・チャートでゴールド・ディスクを獲得する大ヒットになりました。この曲のハンリィ自身の録音は《All I Remember》(1989) 収録。今でも元気で、最近はドーナルとツアーしています。この人の経歴と歌はなかなか面白いので、いずれあらためて。


 以下は楽曲のみで、ミュージシャンの指定が無かったもの。

〈Hector the Hero〉
 スコットランドの James Scott Skinner の曲。スキナー (1843-1927) はスコットランド特有のビートであるストラスペイの名曲を多数作り、The King of Strathpey と呼ばれ、またスコットランドのフィドル奏法を一新したと言われる人ですが、この曲はストラスペイではなく、ゆったりとした名曲。

 John Cunningham が Celtic Fiddle Festival の《Encore》(1998) でギターと二人だけで演奏しているのも捨てがたかったのですが、ティム・エディがソロ・アルバムで Charlie McKerron と二人で演っているのがとびきりの名演です。ここではエディはギターだけでなくアコーディオンも聞かせます。


〈Road to Lisdoonvarna〉
 有名なアイリッシュ・リールで、名演がたくさんあります。選んでいたのは
わが国のハマー・ダルシマー、ギター、バゥロンのトリオ Hammerites がデビュー作《Hammerism》(2017) でやっているもので、〈Butterfly> Road To Lisdoonvarna> Swallowtail〉というメドレー。

Hammrism ハマーリズム
Hammerites ハマーライツ
ロイシンダフプロダクション
2017-03-12



〈The coming of spring〉
 アイリッシュのジグで、選んでいたのは Dave Flynn が《Draiocht(魔法)》(2006) で〈Drowsy Maggie> The Coming of Spring〉のメドレーでやっているトラック。フリンは昨年正月に来日しているアイルランドのギタリスト。その時のレポートはこちら。伝統音楽からジャズ、クラシックまでカヴァーする幅の広い人です。この録音はギター・ソロで、アイルランドではこういうことをしている人は他にはほとんどいません。

Draocht
Dave Flynn
2007-09-25



〈Jolly Tinker〉
 これも有名なアイリッシュ・リールで、たくさん録音があります。選んでいたのは、Michael McGoldrick が《Wired》(2006) に収めているもの。例によってすっとんだ演奏。これも後にメドレーで続きますが、今、CDが手許になく、すみません、これも後日。

Wired
Michael Mcgoldrick
Compass Records
2006-01-31



 放送中にいただいたリクエストは NHK でリストアップしてますが、多すぎて、もう少し時間がかかりそうです。(ゆ)

 春分の日に NHK-FM で放送した「今日は1日ケルト音楽三昧」で放送された楽曲解説の続き。
#zanmai

 プレイリストは番組の公式サイトに上がっています。


40. Port Na Bpudai> Kilnamona Barndance> Ship In Full Sail> Jer The Rigger> The Old Blackthorn> Exile Of Erin> Humours Of Tulla> Fitzgerald's Hornpipe> Rakish Paddy> Finbarr Dwyer's Reel No.1> P Joe's Pecurious Pachelbel Special / Martin Hayes, Dennis Cahill
 トシバウロンのリクエスト。《Live In Seattle》(1999) 収録のこのトラックは11曲のメドレーで、28分あります。アイリッシュ・ミュージックの一つの究極の姿ですが、ふだん、ラジオなどではかけることができません。今回は8時間という長丁場でもあり、ぜひ、聴いてもらいたいということで実現しました。

 ごくゆっくりしたスロー・エアに始まり、徐々にテンポが上がっていって、最後、トップ・スピードでのリールに爆発します。しかもバロック音楽の有名な〈パッフェルベルのカノン〉をリールに仕立てるという離れ業。〈パッフェルベル〉はこれですっかりアイリッシュのレパートリィに定着しました。

 後で登場するゲストの豊田耕三さんがこれに倣って、演奏、録音したのが近作の《Internal Circulation 呼吸の巴 [CD]》。

Martin Hayes: fiddle
Dennis Cahill: guitar

HAYES, MARTIN & D. C
MARTIN & D. C HAYES
LIVE IN SEATTLE
2017-06-16



41. Scotland The Brave / 東京パイプバンド
 リスナーにはマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルの「神録」を聞いていただいている間に、我々はもう一つのスタジオに移動、準備をしました。

 ハイランド・パイプのパイプ・バンドの生演奏をやりたい、と始めに言われた時には、マジかと疑いました。その音量の大きさを十分承知していて、狭いスタジオのなかであれを生で聞かされるのはたまらん、と思ったからです。実際には、放送に使われていたのとは別の、遙かに天井の高い、広く、大きなスタジオが用意されていて、あたしの危惧はまったくの杞憂に終りました。

 演奏は東京パイプ・バンドの選抜メンバーで、パイパー3人にスネアとバス・ドラムが一人ずつという編成。この打楽器が入ると全体がぴりっと締まります。

 曲はおそらくスコットランドの音楽の中でも最も有名なもの。


42. Flower of Scotland> MacGregor of Rora> Andy’s Lullaby / 東京パイプバンド
 パイプ・バンドでもう1曲。スローな曲からだんだんテンポがアップします。こういう組合せはスコットランドの得意技。アイルランドは同じテンポの曲をつなげることの方が多いです。

 最初の曲はスコットランドの「国歌」の一つです。パイプ・バンドのリーダー、山根さんによると、「国歌」とされている曲は三つほどあり、さらに近い将来の独立を期待して新たな「国歌」もすでに用意されている由。この曲は現在最も頻繁に演奏されるもので、今年予定されているラグビー・ワールドカップのスコットランド戦では東京パイプ・バンドによって演奏される予定だそうです。

 ハイランド・パイプの演奏を聞くといつも思いますが、この楽器は剛球一直線です。とにかく真向から投げおろす剛速球のみ。それでばったばったと三振をもぎとる。ど真ん中をストレートで貫くだけで、イチローでも打ち返せない、そういう投手。


43. Opening Slip / 生梅
 スコットランドのハイランド・パイプに対してアイルランドのイリン・パイプを演奏するのが中原直生さん。中原さんのパイプと組むのはアイリッシュ・ハープの梅田千晶さん。お二人の名前から「生梅」というわけ。

 パイプとハープという組合せはアイルランド本国でも見当りません。また女性パイパーもまだまだごく少ない。とてもユニークなデュオであり、音楽です。ハイランド・パイプに比べると、こちらは流れる水の音楽です。

 演奏は3曲のスリップ・ジグの組合せ。〈Give Us A Drink Of Water> Port Na Siog> Hardiman The Fiddler〉。このトラックは彼女たちの2枚のアルバム《生梅開店》(2011) と《生梅の旅》(2012) の両方に入っています。

 スリップ・ジグはアイルランドに特徴的なビートの一種で、拍の一つにアクセントがあります。普通のジグや、あるいはリールは拍と拍の間が等しい等拍ですが、スリップ・ジグの拍は不均等です。

生梅の旅
生梅
gorey records
2012-09-02



44. 森の砂時計 / 生梅
 中原さんがホィッスルに持ち替えて、二人のオリジナル曲。かなり難しくも聞えますが、楽しい佳曲です。《生梅の旅》(2012)収録。


45. Love Theme(映画「Barry Lyndon」から) / The Chieftains
 ここでリクエストが2曲。

 まずはチーフテンズの録音が映画に使われた最初のもので、スタンリー・キューブリックの『バリー・リンドン』の「愛のテーマ」。元は《The Chieftains 4》(1973) 収録の〈Mna Na Heireann (Woman Of Ireland)〉で、チーフテンズの前身となったグループを作ったショーン・オ・リアダ(1931-71)の作品。オ・リアダは作曲、編曲を通じてアイルランドの伝統音楽近代化の先鞭をつけた人物。

 ちなみに《The Chieftains 4》はデレク・ベルが初めて(ゲストとして)参加したアルバムです。

Michael Tubridy: flute, concertina, and tin whistle
Sean Potts: tin whistle
Paddy Moloney: uilleann pipes and tin whistle
Martin Fay: fiddle
Sean Keane: fiddle
Peadar Mercier: bodhran and bones

Derek Bell: harp 

Chieftains 4
The Chieftains
Atlantic
2000-07-18



46. A Rose For Epona / ELUVEITIE
 リクエストのもう1曲はスイスのフォーク・メタル・バンド、エルヴェイティの曲。《Helvetios》(2012) 収録。

 このバンドは今回、リクエストであたしは初めて知りました。「フォーク・メタル」というジャンルの存在も初耳でした。メタルだけでなく、アコースティックな組立てでもやっているそうなので、これから聴いてみようと思っています。

Chrigel Glanzmann: vocal, mandola, whistle, uillean pipes, bodhran
Rafael Salzmann: guitar
Kay Brem: bass
Meri Tadic: violin
Ivo Henzi: guitar
Merlin Sutter: drums
Anna Murphy: hurdy-gurdy, vocals
Patrick "Pade" Kistler: bagpipes, whistle

HELVETIOS
ELUVEITIE
NUCLE
2012-02-10



47. Ar Eirinn Ni Neosfainn Ce Hi / Dervish
 今回の企画は前の日曜日がアイルランドの祝日「セント・パトリック・ディ」だったことがきっかけの一つです。聖パトリックはアイルランドの守護聖人で、5世紀にアイルランドをキリスト教化したとされる人物。その祝日が3月17日。もともとアイルランドでは祝日として祝われていましたが、19世紀にアイルランドから大量に北米に移民した人びとが、移民先にあって故郷を偲び、出自を同じくする人びと同士の連帯のために始めたお祭が、今や世界中に広まりました。わが国では例によって短縮して「センパト」と呼ばれたりしますが、アイルランドではパトリックの愛称から "Paddy's Day" と呼ばれます。

 セント・パトリック・ディの週末には東京・代々木公園で音楽や食べ物などのフェスティヴァルが開かれ、日曜日には原宿で恒例のパレードが行われました。このパレードは今や北海道から沖縄まで開催されています。これを仕掛け、粘り強く育ててきた一方の柱が在日アイルランド大使館。その文化担当のアシュリンさんからのメッセージとリクエスト。アシュリンさんは日本語も達者で、ゲストでお招きすることも検討しましたが、スケジュールの関係からメッセージをいただいて、赤木アナウンサーが読み上げる形になりました。

 曲は《At The End Of The Day》(1996) から。タイトルの意味は "For Ireland I Won't Tell Her Name"。スイートなラヴソング。リード・シンガー、キャシィ・ジョーダンがアイルランド語と英語で交互にしっとりと、味わい深く唄います。

 ちなみにこれはダーヴィシュのアルバムとして初めて国内盤が出たもの。あたし個人としてはキャシィが参加したセカンド《Harmony Hill》(1993) が鮮烈ですが、豊田耕三さんはじめ、このアルバムを「すり切れるまで」聴きこんだ人も多いでしょう。

 ダーヴィシュは1992年にレコード・デビューしたアイルランドのバンドで、西部のスライゴーをベースにしています。リーダーのブライアン・マクドノーは1970年代に Oisin というなかなか優れたバンドをダブリンでやっていました。その彼が、ぐんと若いメンバーを集めて作ったのがダーヴィシュで、アルタンとともに1990年代のアイリッシュ・ミュージックの盛り上がりを支えた一方の柱です。アルタン同様、今でもばりばり現役。

Cathy Jordan: vocals, bodhran, bones
Liam Kelly: flute, tin whistle, vocals
Shane Mitchell: accordion
Shane McAleer: fiddle
Brian McDonagh: mandola, mandolin, guitar, vocals, bassola
Michael Holmes: guitar, bouzouki

At End of Day
Dervish
Kells Music
1996-08-01



48. Deadman’s March / Maire Una Ni Bheaglaoich & Junshi Murakami(村上淳志)
 解説の片割れ、トシバウロンはスコットランド、アイルランドに旅してきて、放送日の前夜に帰ってきました。アイルランドではあちらのセント・パトリック・ディもちょうど体験してきています。その様子など、現地の報告の一環として、アイルランドで長年活躍し、ダブリンでアイリッシュ・ハープを教えている村上淳志さんの録音を紹介しました。

 アルバムは《CEOL UISCE》(2012) で、村上さんがダブリンのバスキング(路上ライヴ)で知り合ったという、おばあさんのコンサティーナ奏者と作ったものです。タイトルは「水の音楽」の意味。

 村上さんは来月に帰国し、東京で恒例の「東京ハープ・フェスティヴァル」を開催します。

Maire Una Ni Bheaglaoich: concertina
村上淳志: harp



49. Mera’s / Rachel Hair & Ron Jappy
 もう1枚トシさんが紹介したのがスコットランドのハーパーの出来立てほやほやの最新作。レイチェルは一昨年、シンガーでダンサーの Joy Dunlop とともに来日しています。

 アルバムは《Sparks [CD]》。このトラックは3曲のジグのメドレーで、〈Grainne Brady's> The Namesake> Mera's Delight〉。

Rachel Hair: harp
Ron Jappy: guitar
Adam Brown: bodhran


 ここで18:50、ニュースと天気予報が40分入りました。我々はほっと一息ついて、夕飯の弁当をいただきます。豊田さん、長尾さんが来て、トシさんと音合わせ。もう一人のゲストの寺町靖子さんも見えました。


50. Reel Around The Sun(「Riverdance」から)
 寺町さんをお迎えして、アイリッシュのダンスについてのお話を伺いました。アイリッシュの伝統的ダンスはタップ・ダンスのように、足で素早く床を踏み鳴らします。ハード・シューズと呼ばれるダンス・シューズの底には踵と爪先にグラスファイバーの板が着いていて、ステージではシャープな音を立てます。見る要素とともにパーカッションにもなります。その靴音の入った録音をとのリクエストで、『リバーダンス』から、冒頭のシークエンス。アルバムは《Riverdance: Music From The Show》(1995)。演奏はモイア・ブレナック率いる、初演当時のアイリッシュのトップ・ミュージシャンたち。踊っているのは初代プリンシパル、マイケル・フラトリー率いるダンサーたち。

 ハード・シューズの底がグラスファイバーと聞いて、あたしはのけぞったのですが、ずっと金属だと思っていたのでした。タップ・ダンスの靴は金属だそうで、そう言われると、『リバーダンス』の中のアイリッシュ・ダンサーとタップ・ダンサーたちがダンス合戦をするシーンで、音が違っていたようにも思われます。

 ここでもあたしは『リバーダンス』の初演を1991年と言ったと思いますが、実際には1995年2月でした。どうも、なるべく昔にしたいと思うんでしょうか。ショウの元になったのは、その前年1994年4月にダブリンのポイント・シアターで開かれたユーロヴィジョン・ソングコンテスト幕間のパフォーマンスです。

Maire Breatnach: fiddle
Davy Spillane: whistle, uillean pipes
Mairtin O'Connor: accordion
Kenneth Edge: soprano saxophone
Nikola Parvo: gadulka, kaval
Eoghan O'Niell: bass
Tommy Hayes: bodhran, spoons
Desi Reynolds: tom-toms
Noel Eccles: percussion
Des Moore: acoustic guitar
The Riverdance Orchestra conducted by Proinsias O Duinn

リバーダンス ミュージック・フロム・ザ・ショウ 10周年エディション
ビル・ウィーラン
ユニバーサル ミュージック クラシック
2005-10-05



51. If I Should Fall From Grace With God / The Pogues
 寺町さんのリクエストで、寺町さんがアイリッシュにハマるきっかけとなったポーグスの曲。1988年の同名のアルバムから。

 あたしなどが特に付け加えることもなし。

Jem Finer: banjo, mandola, saxophone
James Fearnley: accordion, piano, mandolin, dulcimer, guitar, percussion, cello
Shane McGowan: vocals, guitar
Andrew Ranken: drums, percussion, vocals, harmonica
Terry Woods: cittern, concertina, mandola, tenor banjo, dulcimer, guitar, vocals
Spider Stacy: tin whistle, vocals
Pilip Chevron: guitars, mandolin, vocals
Darryl Hunt: bass, percussion, vocals

堕ちた天使
ザ・ポーグス
ワーナーミュージック・ジャパン
2005-05-25



52. UP / O’Jizo
 次のゲストはフルートの豊田耕三さんで、主に ICF、Intercollegeate Celtic Festival についてお話を伺いました。豊田さんが10年前に立ち上げ、以来、学生たちが代々自主的に受け継いできているイベントです。ここ2、3年、大学のケルト音楽サークルの急増もあり、大いに盛り上がっているそうで、その原動力の一つはセット・ダンスと呼ばれるアイリッシュの社交ダンスを取り入れたこととのこと。寺町さんも言われていましたが、このダンスの愛好者が急増しているそうで、それも男女を問わず、若い人たちだそうです。
https://icf-shamrock.com

 曲は豊田さんのバンド O'Jizo へのリクエストで、《Highlight》(2011) 収録。

豊田耕三: flutes, whistles
内藤希花: fiddle
長尾晃司: guitar, mandolin
中村大史: accordion, bouzouki

Highlight
O’Jizo
TOKYO IRISH COMPANY
2011-10-02



53. Kaprekar #6174 / Harmonica Creams
 これもリクエストで、O'Jizo とならぶわが国のトップ・バンドの一つ、ハモニカクリームズの曲。《Futura Ancient Alchemy》(2016) 収録。

 このバンドはブルース・ハープの清野さんと、ケルト系音楽の大渕さん、長尾さん、それに初期にはトシさんも加わって、二つの音楽をぶつけあう試みから始まっています。今では、この二つは融合して独自の音楽を展開しています。

清野美土: harmonica
長尾晃司: guitar, bouzouki
大渕愛子: fiddle

田中ゆうじ: drums, percussion

アルケミー FUTURA ANCIENT ALCHEMY
ハモニカクリームズ Harmonica Creams
オルターポップ
2016-04-03



54. Last Train (LIVE) / 豊田耕三、長尾晃司、トシバウロン
 ここから豊田さんのフルート、長尾さんのギター、トシさんのバゥロンのトリオによる生演奏3曲。

 まずは O'Jizo の前作《Via Portland》(2017)から、〈The Last Train from Loughrea> Lucy Farr's〉のメドレー。

Via Portland
O'Jizo
TOKYO IRISH COMPANY
2017-03-05



55. O’Raghailligh’s Grave> Jackson’s Favorite (LIVE) / 豊田耕三、長尾晃司、トシバウロン
 次は O'Jizo の最新作《Cranking Out》(2019) 収録の〈O'Raghailligh's Grave〉と〈Jackson's Favorite〉のメドレー。このライヴ放送のための特別版。レコードでは後者は別の曲につながっています。

Cranking Out
O'Jizo
TOKYO IRISH COMPANY
2019-02-24



56. Canon (LIVE) / 豊田耕三、長尾晃司、トシバウロン
 ライヴの最後は《Highlight》(2011) の曲で、〈The Eagle'S Whistle> The Sweet Flowers Of Milltown> The Flowers Of Red Hill> Pachelbel'S Frolics〉の4曲のメドレー。ラストの曲は上記マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルの11曲メドレーのラストと同じものです。


 ライヴではいつも激しい身ぶりで眼鏡を飛ばすのがトレードマークのトシさんですが、スタジオでは抑えたのか、眼鏡は飛ばず。そのことを笑いあっているのが、そのままオンエアされたそうです。


57. Spanish Point / Donal Lunny
 ここからはラストまでリクエストが続きます。

 まずはドーナル・ラニィの曲で、アルバムは《Coolfin》(1998) 収録。アルバム・タイトルはバンド名でもあります。このバンドはドーナルが1996年8月の初来日のために組んだバンドを元に結成したものです。ドラムス、ベース、パーカッション、キーボードも含む大所帯バンドで、来日にはこれにシャロン・シャノンとクラナドのモイア・ブレナンが加わっていました。

Donal Lunny: bouzouki, keyboards
Nollaig Casey: fiddle
Ray Fean: drums
Roy Dodds: percussions
Fionn O'Lochlainn: bass
Graham Henderson: keyboards
 (今、CDが手許に無いので詳しいクレジットは後日)

ドーナル・ラニー・クールフィン
ドーナル・ラニー・クールフィン
EMIミュージック・ジャパン
1998-08-07



58. Song For Ireland / Mary Black
 メアリ・ブラックのうたうこの歌はメアリがゲスト参加したデ・ダナンの《Song For Ireland》(1983) に初出。後、メアリのソロ以前の録音を集めた《Collected》(1988) に収録されました。

 歌はアイルランド人ではなく、イングランド人の Phil & June Colclough の作。この夫妻はこの歌をはじめ、名曲を数多く作り、様々な人たちに唄われています。ノーザン・アイルランド紛争が終結する希望を歌ったものです。1998年4月のいわゆる「聖金曜日合意」によって、戦争状態には終止符が打たれました。そこにはこうした歌も働いていたはずです。たくさんの人たちが唄っていますが、作者自身の録音は Phil & June Colclough《Players From A Drama》(1991) で聴けます。

Mary Black: vocals
Frankie Gavin: flute, piano
Alec Finn: bouzouki, guitar
Jackie Daly: accordion

Collected
Mary Black
Dara
2003-02-10



59. Apples in Winter> The Peacock’s Feather> Hennigan’s / Beginish
 〈Apples in Winter〉の楽曲のみのリクエストなので、これを選びました。バンドのデビュー・アルバム《Beginish》(1999) から。

 当時中堅どころとして、どちらかというと目立たないところでアイリッシュ・ミュージックの屋台骨を支えていたミュージシャンたちがたまたま集まったバンドでしたが、このデビュー作の出来の良さには「魔法」が作用していたにちがいありません。この年のアイリッシュ・ミュージックの録音として、文句なくナンバー・ワンでした。

Noel O'Grady: bouzouki
Paul O'Shaughnessy: fiddle
Paul McGrattan: flute
Brendan Begley: accordion

Colm Murphy: bodhran

Beginish
Beginish
CD Baby
2016-10-17



60. 街(映画「ゲド戦記」から)
 《サウンドトラック》(2006) より。

 スペインのケルト圏、北西部ガリシアのパイパー、カルロス・ヌニェスの演奏。

 ジブリの音楽のセンスの良さは定評のあるところで、その中でも、音楽の質の高さ、演奏者との共鳴の深さでは、群を抜いているのが『ゲド戦記』とカルロスの組合せ。このサントラはほとんどかれのソロ・アルバムの趣すらあります。さらにスピンオフとして《Melodies From Gedo Senki》も生まれました。この曲はそちらでは〈街のジグ〉として展開されています。

Carlos Nunez: gaita
 (今、CDが手許に無いので詳しいクレジットは後日)

ゲド戦記・オリジナルサウンドトラック
サントラ
徳間ジャパンコミュニケーションズ
2006-07-12



メロディーズ・フロム「ゲド戦記」
カルロス・ヌニェス
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
2007-01-17



61. Arrietty’s Song(映画「借りぐらしのアリエッティ」から)
 ジブリ関連をもう1曲。

 演奏はブルターニュのシンガー、ハーパー Cecile Corbel。2006年にレコード・デビューしています。ここでは日本語で唄っています。作曲の Simon Caby はデビュー以来の音楽パートナー。

 コルベルはハーパーとしてもシンガーとしても、またソングライターとしても優れた人。英語やフランス語でも唄っていますし、他のケルト圏のうたも積極的にとりあげます。

Cecile Corbel: harp, vocals, chorus
Simon Caby: guitars, bass, piano, percussions, chorus
Eric Zorgniotti: cello
Gilles Donge: violin
Cyrille Bonneau: flutes, bagpipes, bombard, duduk
Jean-Bernard Mondoloni: bodhran, percussion
Pascal Boucaud: additional bass
Regis Huiban: accordion
Lucas Benech: violin
Laurent Muller: alto violin

借りぐらしのアリエッティ サウンドトラック
セシル・コルベル
徳間ジャパンコミュニケーションズ
2010-07-14



62. Diamond Mountain / Sharon Shannon
 《The Diamond Mountain Sessions》(2000) より、タイトル曲。曲はイングランドのギタリスト Ian Kerr のオリジナル。

 シャロンは様々なジャンルの音楽と積極的に交わる面と、伝統の底深くから掘り起こす面を二つながらに備えています。これはその両方が備わったアルバム。それにしても、この細かい音の動きをボタン・アコーディオンで出すのはほとんど神技に近い。

 このアルバムからはアメリカのシンガー・ソング・ライター、スティーヴ・アールと共演した〈The Galway Girl〉の大ヒットが生まれています。

Sharon Shannon: accordion
Mary Shannon: mandolin
Jim Murray: Guitar
Lloyd Byrne: Drums, Percussion
Richie Buckley: Saxophone
Donal Lunny: Bouzouki
Jesse Smith: Viola
James Delaney: Organ
 (今、CDが手許に無いので詳しいクレジットは後日)

ダイヤモンド・マウンテン・セッションズ
シャロン・シャノン&フレンズ
オーマガトキ
2001-01-20



63. The Sally Gardens> Miss McLeod's Reel> The Foxhunter's> The Bucks Of Oranmore / Arcady
 ミュージシャン指定のない、楽曲だけのリクエスト。あるいは歌の方の〈Down by the Sally Garden〉かもしれませんでしたが、この演奏があまりに良いので、こちらにさせていただきました。

 アーケイディはアイルランドのバンドでこれもベテランと若手が組んで、見事な音楽を生み出した例です。プランクシティ、ボシィ・バンドに続いて現れたのがデ・ダナンですが、そのデ・ダナンのメンバーだったアコーディオンのジャッキィ・デイリー、バゥロンのジョニィ・リンゴ・マクドノーが中心となって結成。これはセカンド《Many Happy Returns》(1995) から。ここではアコーディオンが若手のコナー・キーンに交替しています。

Conor Keane: accordion
Johnny McDonagh: bones, bodhran, triangle
Brendan Larrissey: fiddle
Nicolas Quemener: guitar, flute, whistle, vocals
Patsy Broderick: piano, keyboards

Michael McGoldrick: flute
Neil Martin: cello

Many Happy Returns
Arcady
Dara
1996-07-28



64. Auld Lang Syne / Johnny Cunningham & Susan McKeown with Aidan Brennan
 事前の打合せで、先頭と末尾の曲が真先に決まりました。先頭はトシさん発案のボシィ・バンド、そして最後はやはりこの曲しかないでしょう、ということになり、であれば、その最高の演奏であるこのヴァージョンを、と選びました。

 「蛍の光」の原曲であるこの歌には、おなじみのものよりも古い、もう一つのメロディがあります。おなじみのものよりももう少しごつごつした感じの、原初的なメロディです。あたしもトシさんも、この古いヴァージョンの方が今では好きなくらいで、ぜひ、それを聞いていただきたいと思いました。

 ここではスーザン・マキュオンがまず古いメロディでうたいだし、やがておなじみのメロディに移行します。

 スーザンはダブリン生まれのシンガーで、ニューヨークに渡ってシンガーとして頭角を現しました。ユダヤ音楽も唄い、クレズマティックスというクレズマー・バンドとの共作でグラミーも受賞しています。

 ジョニィ・カニンガム(1957-2003)は始めの方に出てきたフィル・カニンガムのお兄さんのフィドラー。フィルたちがスコットランドに帰ってからも、アメリカに残って活躍しました。作曲家、プロデューサーとしても優れた人です。

 アルバムは《A Winter Talisman》(2001)。

Susan McKeown: vocals
John Cunningham: fiddle, vocals
Aidan Brennan: guitar
 (今、CDが手許に無いので詳しいクレジットは後日)

Winter Talisman
Johnny Cunningham & Susan Mckeown
CD Baby
2010-01-26



 ということで、これだけの長時間、聞かれる方もたいへんだと思いました。我々も疲労困憊、していたはずですが、やはり興奮もしていたらしく、このままでは帰れないよなあ、とダブリナーズで乾杯したことでありました。無事、8時間半の生放送を切り抜けた後のギネスは、ことの外、美味でありました。(ゆ)

 春分の日に NHK-FM で放送した「今日は1日ケルト音楽三昧」で放送された楽曲解説の続き。
#zanmai

 プレイリストは番組の公式サイトに上がっています。


13. Hugh / Nightnoise
 ここで最初のゲスト、遊佐未森さんをお迎えしました。

 まずはリクエストでナイトノイズの曲。《The White Horse Sessions》(1996) 収録。

 トゥリーナのピアノが美しい曲で、タイトルはトゥリーナやミホールの父君のことと思われます。このお父さんは伝統歌の収集家でもあり、アイルランド語のネイティヴ・スピーカーでした。実家はアイルランド北西部のドニゴールで、兄妹は毎年夏休みなどにここに通います。ドニゴールはアイルランドの中でも音楽伝統の濃いところで、兄妹は伝統にどっぷり漬かって育ったのでした。

Triona Ni Dhomhnaill: piano
Micheal O Domhnaill: guitar
Brian Dunning: flute
John Cunningham: fiddle

The White Horse Sessions
Nightnoise
Windham Hill Records
1997-01-14




14. Island of Hope and Tears / 遊佐未森
 遊佐さんの楽曲へのリクエスト。遊佐さんがナイトノイズと共演、共作した最初のアルバム《水色》(1994) から。

 遊佐さんによれば、この時、ミニ・アルバムを作るからやりたいことを言うように言われて出した三つほどの企画のうちの一つがナイトノイズとの共演だったそうです。最も実現しそうになかったものがとんとん拍子に運んでしまった由。

 この歌はコーラスがたいへん美しいですが、ミホールとトゥリーナの神秘的とも言えるハーモニーは何の加工も加えておらず、二人が唄うだけでああいう風になったとのこと。

遊佐未森: vox, chorus, synthesizer
Nightnoise
Triona Ni Dhomhnaill: piano, chorus
Micheal O Domhnaill: guitar, chorus
Brian Dunning: flute, low whistle, uillean pipes
Johnny Cunningham: fiddle

水色
遊佐未森
ソニー・ミュージックダイレクト
2010-07-14



15. The Road to Nowhere / 遊佐未森
 リスナーからのリクエスト。1998年の《エコー》から。

 このアルバムはほとんどのトラックがスコットランドで、スコットランドのミュージシャンを動員して録音されています。カパーケリーのメンバーを中心としたトップ・ミュージシャンばかりで、遊佐さん自身、夢のようだったそうです。とりわけドラムス、パーカッションのジェイムズ・マッキントッシュがカッコよかった由。スコットランド最高のドラマーです。それにマイケル・マクゴールドリックはまだ20代の若者。

 この曲はトゥリーナ・ニ・ゴゥナルの作品でトゥリーナもピアノで参加しています。

遊佐未森: vox, chorus, keyboards
James Mackintosh: drums, percussion
Ewen Vernal: bass
John Goldie: guitars
Colm Malcolm: synthesizer, programming
Tommy Smith: soprano sax
Nigel Thomas: percussion
Michael McGoldrick: whistle, B-flat flute, uillean pipes
William Jackson: harp, flute, whistle
Stuart Morison: fiddle
Triona Ni Dhomhnaill: piano, chorus, whistle
Tony McManus: guitar, mandolin
Jimmy McMenemy: bouzouki

ECHO
遊佐未森
EMI Records Japan
2013-07-24



16. ロカ / 遊佐未森
 最後に遊佐さんご自身のセレクションで、昨年行われたデビュー30周年記念ツアーで、トゥリーナと共演したライヴ録音。今月中にDVDとCDでリリースされる予定だそうです。

 トゥリーナはもう70近いはずですが、ますます元気の由。

【Amazon.co.jp限定】PEACH LIFE(CD+DVD)(特典付/A4ファイル)
遊佐未森
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
2019-03-27



17. Nobody Knows / Paul Brady
 ここからしばらくリクエスト曲が続きます。

 まずはアイルランドのシンガー・ソング・ライターで、「最高のシンガー」(マーティン・ヘイズ)でもあるポール・ブレディのオリジナル。《Trick Or Treat》(1991) 収録。ライヴ盤《The Paul Brady Songbook》(2002) でも歌っています。

 ブレディは1960年代後半、ジョンストンズのメンバーとして世に出て、伝統音楽の世界でシンガー、ギタリストとして名を成した後、そこからは一歩離れた、現代のポップ・ソングのシンガー・ソング・ライターとしても大成します。我々から見ると、対照的な二つの面を持つと見えますが、本人の中では特に別々のことをやっているつもりはないらしい。

 この歌はポップスの方に属するもの。ただし、詞はアイルランド人らしく、単純な惚れた張ったではなく、いろいろな解釈が可能で、一筋縄ではすみません。

Paul Brady: Vocals, Guitars
Freddie Washington: Bass
Jeff Porcaro: Drums, Percussion
Elliot Randall: guitars
David Paitch: piano, Keyboards

Trick Or Treat
Paul Brady
Polygram Records
1993-08-12



18. Broken Levee / Wolfstone
 このバンドの〈Broken〉を、というリクエストだったので、この曲ではないかと推察しました。今のところ最新作《Terra Firma》(2007) 収録。

 スコットランドのケルティック・ロック・バンド。1989年結成。実はCDは持っていたものの、あまり真剣に聴いたことがなく、もっと早く、きちんと聴いておくべきだったと反省してます。ランリグがスコティッシュ・ゲール語を前面に出して、どちらかというと神秘的に想像をふくらませるのに対して、ウルフストーンは英語で、きりりと引き締まった音楽を作ると言えましょう。

Stevie Saint: pipes, whistle
Ross Hamilton: vocals, guitar, programming, percussion, bass
Stuart Eaglesham: acoustic guitar
Duncon Chisholm: fiddle
Colin Cunningham: bass
Alyn Cosker: drums

Terra Firma
Wolfstone
Once Bitten
2007-05-29



19. Dulaman / Celtic Woman
 《A New Journey》(2007) から。

 『リバーダンス』からのスピンアウトの一つで、あちらがダンスをフィーチュアしているのに対し、こちらは歌をメインにしたもの。わが国では2006年冬季オリンピックのフィギュアスケートで金メダルを獲得した荒川静香選手がエキジヴィションでファースト・アルバム収録の〈You Raise Me Up〉を使用して一気に人気が出ました。

 曲はクラナドが初期のアルバム (1976) のタイトルにしているドニゴールの歌で「デュラマン」は海藻の一種。ドニゴールは土地が瘠せていて、海岸に流れつく海藻を集めて肥料とし、場合によっては食糧にもすることが古くから行われていました。元々はわらべ唄。

Meav Ni Mhaolchatha: vocals
Andreja Malir: harp
David Downes: whistle, vocals

ニュー・ジャーニー~新しい旅立ち~
ケルティック・ウーマン
EMIミュージック・ジャパン
2007-02-14



20. Cardinal Knowledge / Bruno Coulais & KiLA
 元はキーラのアルバム《Gamblers' Ballet》(2007) 収録で、アニメ『ブレンダンとケルズの秘密 The Secret Of Kells』に使われました。

 アニメは『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』を作ったプロダクションの一つ前の作品。アイルランドの至宝『ケルズの書』制作の秘密をめぐる歴史ファンタジー。

 なお、サントラでは音楽が終った後、1分半ほどの空白の後、アイルランド語のナレーションが入りますが、番組では音楽のみで切り上げました。

Eoin Dillon: Uilleann PIpes & Whistles
Ronan O'Snodaigh: Bodhran & Percussion
Rossa O'Snodaigh: Guitar, Whistle, Percussion, Piano, Bouzouki, Trumpets, Clarinet, Mandolin etc.
Colm O Snodaigh: flute
Dee Armstrong: Fiddles, Violins, Glockenspiel, Free-Notes etc.
Lance Hogan: Guitar
Eoin O'Brien: Guitars

Karl Odlum: Loops, Drum Programming, Effets sonores
Mark Gavin: Synthetized bass
Dan Klezmer Page: Clarinette

The Secret Of Kells
Bruno Coulais & Kila
Kila Records
2012-04-03



21. Only Time / Enya
 《A Day Without Rain》(2000) より。エンヤの音楽はエンヤの曲とプロデューサー Nicky Ryan のエンジニアリング、それにニッキィ夫人の Roma Ryan の詞が一体となってできています。ニッキィ・ライアンは1970年代にモダン・アイリッシュ・ミュージックの初期の録音を担当して、数々の傑作、名盤を生み出した原動力の一人でもあります。アイルランドのアコースティックな音楽の録音には定評がありますが、ブライアン・マスターソン、アンドリュー・ボーランドと並んで、アイルランドを代表する録音エンジニアです。

A Day Without Rain
Enya
Imports
2000-11-17



22. Runaway / The Corrs
 1995年のデビュー・アルバム《Forgiven, Not Forgotten》から。

 兄弟姉妹が核となっているバンドは少なくありませんが、兄弟姉妹だけでバンドが組めてしまうのは、珍しいと言えるでしょう。あえて言えば、ケルト圏に特有の現象かもしれません。

 もっと大所帯で伝統音楽寄りの兄弟姉妹バンドとして、カナダの Leahy がいます。

Caroline Corr: Drums, Bodhran, Vocals
Jim Corr: Keyboards, Guitar, Vocals
Andrea Corr: Lead Vocals, Tin Whistle
Sharon Corr: Violin, Vocals

Forgiven Not Forgotten
Corrs
Atlantic / Wea
1996-01-09



23. Irish Heartbeat / Van Morrison & The Chieftains
 もちろんリリースは1988年です。

 リリースされたレコード・ジャケットを見てまず驚いたのが、ヴァン・モリソンがまるでチーフテンズのメンバーの一人であるように映っていたことでした。いわば、もっと「不均等」な関係を想像していたわけです。音楽もチーフテンズがバック・バンドというよりは、それまでチーフテンズが出してきたシンガーをゲストとしたアルバム、たとえばドロレス・ケーンを起用して彼女に録音デビューさせた《Bonapart's Retreat》(1976) と同様に、モリソンがチーフテンズのリード・シンガーの一人という形です。

 ヴァン・モリソンと対等のチーフテンズというのは、チーフテンズの何者かを知っていた我々ですら驚きましたから、ここで初めて彼らの音楽に接するリスナーにはいかほどの衝撃であったでしょうか。ピーター・バラカンさんもこれで初めてチーフテンズの存在とその背後にあるアイリッシュ・ミュージックを知ったと言われていました。

 アメリカのポピュラー音楽の成立にアイリッシュ・ミュージックが大きな役割を果たしていることは今や常識と言ってよいかと思いますが、これが出た当時はそんなことを言えばバカにされるのが関の山でした。モリソンの音楽の奥底にアイルランド伝統音楽の血脈が通じていることを示したこのアルバムは、そうしたシェーマの転換のきっかけにもなっていたと思います。

 モリソン自身、これによって改めて己れのルーツを確認し、それまでの低迷を脱して、《Hymns To The Silence》(1991) を頂点とする傑作群を生み出してゆきます。

 チーフテンズにとってはさらに大きく、これによって彼らは世界的認知を得て、アイルランド以外の世界にとってアイリッシュ・ミュージックのアイコンになってゆきます。

Van Morrison: Lead Vocals, Guitar, Drums
Paddy Moloney: Bagpipes, Tin Whistle
Kevin Conneff: Bodhran, vocals [A1 A3 B1]
Sean Keane: Fiddle
Martin Fay: Fiddle, Bones
Matt Molloy: Flute
Derek Bell: Harp, Dulcimer [Tiompan], Keyboards

June Boyce: chorus

Irish Heartbeat
Van Morrison & Chieftains
Uni/Polygram Pop/Jazz
1988-06-20



24. Over The Hills And Far Away / Gary Moore
 《Wild Frontier》(1987) より。

 ゲイリー・ムーアがアイルランド出身であることは承知していましたが、このアルバムにはチーフテンズのパディ・モローニ、ショーン・キーン、マーティン・フェイが参加していることを今回初めて知って、改めて興味が湧いているところです。とりわけ、マーティン・フェイが参加しているのは興味深い。フィドルが2本要るとモローニが判断したのでしょうが。

 それにしても、これくらい気合いが入っているジャケットは滅多に無いですね。

Gary Moore: Guitar, Vocals
Bob Daisley: Bass
Neil Carter: Keyboards, Vocals

WILD FRONTIER
GARY MOORE
VIRGI
2003-04-28



25. Doon Well / Maire Brennan
 1998年の《Perfect Time》から。

 モイア自身のハープをフィーチュアしたインストゥルメンタル。どちらかというとアルバムの中でも地味な曲で、こういう曲をリクエストされるのは相当に聴きこまれているのでしょう。

 ここでロウ・ホイッスルを吹いているデヴィッド・ダウンズは後に Celtic Woman をプロデュースします。

Maire Brennan: Keyboards, Harp
David Downes: low whistle

Perfect Time
Maire Brennan
Sony
1998-04-21




26. 二月の丘 / ZABADAK
 《遠い音楽》(1990) から。

 ザバダックを聴きだしたのは昨年からなので、まるで初心者ですが、個人的には上野洋子さんがいた頃が好き。あたしにはケルトよりもどちらかというとイングランド的感性が感じられます。

 上野さんは後に《SSS-Simply Sing Songs》(2003) という、すばらしい伝統歌集をリリースされてます。

吉良知彦
上野洋子
金子飛鳥
梯郁夫
保刈久明
安井敬
渡辺等

遠い音楽
ZABADAK
イーストウエスト・ジャパン
1990-10-25



27. Culloden’s Harvest / Deanta
 かつては「ディアンタ」と表記されていましたが、アイルランド語の発音により近く書けば「ジュアンタ」でしょうか。

 1990年代に現れたアイルランドの若手バンドの筆頭で、この曲は最後のアルバム《Whisper Of A Secret》(1997) から。ここではメンバーはギタリストを除いて全員女性になっていました。いささか唐突に解散してしまいましたが、リード・シンガーの Mary Dillon は最近復活しています。

 なお Culloden はスコットランドの地名で、1746年4月にここで行われた戦いで有名です。1745年に始まったスコットランド・ハイランドの氏族たちによるイングランドに対する最後の大叛乱の最後の戦いで、これによって伝統的なスコットランドの社会は敗北します。このいわゆるボニー・プリンス・チャーリィの叛乱からはたくさんの歌や曲が生まれ、伝えられています。


Mary Dillon: Vocals
Kate O'Brien: Fiddle
Deirdre Havlin: Flute, Whistle
Eoghan O'Brien: Harp, Guitar
Rosie Mulholland: Keyboards, Fiddle

DEANTA
DEANTA
WHISPER OF A SECRET
2017-06-16


28. Johnny, I Hardly Knew Ye!(ジョニーは戦場に行った) /
 楽曲は有名なもの(ここでもあたしが何やらあらぬことを口走ったような気がします)ですが、うたい手はクラシックの訓練を受けていて、こういう人がこういう歌をうたうというのには、意表を突かれました。

 とはいえ、アイリッシュ・テナーと呼ばれる一群のシンガーたちの存在もあるわけで、ケルト圏の伝統曲のクラシック的解釈は、おそらくかなり広まってもいるのでしょう。メルマガの『クラン・コラ』でも「オーケストラで聞くアイリッシュ・ミュージック」の連載があります。

 個人的にはこの曲は歌としてよりも、スタンリー・キュブリックの映画『博士の異常な愛情』でライト・モチーフ的に使われていたのが印象に残っています。

庭の千草〜アイリッシュ・ハープ
ミッチェル(エミリー)
BMGビクター
1993-04-21



29. Molly Malone / Sinead O’connor
 楽曲だけでアーティストの指定が無かったので、このヴァージョンを選びました。《Sean-Nos Nua》(2002) 収録。

 このアルバムはシネイドが伝統歌ばかりを唄って新生面を開いたもので、ドーナル・ラニィのプロデュースのもと、バックはアイリッシュ・ミュージックのトップ・プレーヤーが集まっています。

 曲はダブリンの貧しい魚売りの少女の薄幸を唄って、イングランドでも広く唄われました。わらべ歌の一種でもあります。

Sinead O'Connor: vocals
Donal Lunny: acoustic guitar, bouzouki, keyboard, bodhran, bass guitar
Steve Wickham: fiddle, mandolin, banjo
Sharon Shannon: accordion
Abdullah Chhadeh: quanun
Nick Coplowe: Hammond organ
Cora Venus Lunny: violin
Skip McDonald: electric guitar
Carlton "Bubblers" Ogilvie: drums, bass guitar, piano
Bernard O'Neill: bass guitar
Professor Stretch: drums, programming

Sean-Nos Nua
シニード・オコナー
BEAT RECORDS
2002-10-16



30. Caoineadh Johnny Sheain Jeaic> Lorient Mornings> Illean Aigh / Duncan Chisholm
 このリクエストは嬉しかったです。スコットランドにフィドルの名手の多い中で、個人的に今一番好きな人なので。

 ダンカン・チザムは上に出てきた Wolfstone のフィドラー。バンドでは結構ハードなサウンドですが、ソロでは贅肉を削ぎ落した、ストイックな演奏で、スコットランド音楽の奥深さを体験させてくれます。こういう、一種、崇高と呼びたくなるような音楽はスコットランドならでは。

 アルバムは《Canaich》(2010) で、2008年の《Farrar》、2012年の《Affric》とともに三部作を成します。

Duncan Chisholm: fiddle
Phil Cunningham: piano
Patsy Reid: cello

Canaich
Duncan Chisholm
Copperfish
2010-06-21



31. MELKABA(オリジナル・サウンドトラック「ゼノギアス アレンジヴァージョン クリイド」から)
 ここから光田康典さんをゲストにお迎えしました。まずはその光田さんの楽曲へのリクエスト。

 この曲ではアイリッシュ・ベースのメロディに、フィンランドのヴァルティナ流のコーラスが乗っていますが、それが見事に融合して独自の世界を作っています。

 この前年の植松伸夫さんの《Celtic Moon》もそうですが、こんな豪華なメンバーは今では到底集められないでしょう。

光田康典: piano, keyboards, programming, voices, hand clap
上野洋子: vocals
Davy Spillane: uillean pipes, low whistle
Maria Kalaniemi: accordion
Maire Breatnach: fiddle
Laoise Kelly: Irish harp
HATA: guitars
渡辺等: bass
藤井珠緒: congas, bongos, glockenspiel, clasher, China cymbal, Paste 5cup cymbal, tree bell, Angel Heart, India bells, darbuka, flexatone, wind chime, nail chime, cha-cha, finger cymbals, Sleigh bells, caxixi
KALTA: drums, tambourine, programming, voices, hand clap
本間 “Techie” 哲子: vocals
素川欣也: 尺八, 篠笛
Laurie Kaszas: tin whistle
吉良知彦: bouzouki, guitar
Eimer Quinn: vocals
小峰公子: vocals
山中ちこ: chorus, hand clap
工藤ともり: chorus, hand clap
Anne-Marie O’Farrell: celtic harp

ゼノギアス アレンジヴァージョン クリイド
光田康典&ミレニアル・フェア
スクウェア・エニックス
2005-06-29



32. Shadow of the Lowlands(オリジナル・サウンドトラック「ゼノブレイド2」から)
 こちらはぐんと新しいところで、アイルランドのユニークなコーラス・グループ Anuna によるアカペラ・コーラス。

 YouTube にも上がっているPVは、アヌーナのリーダーであるマイケル・マッグリンが、自ら作りたいと言い出したそうで、光田さんの楽曲にそれだけ惚れこんだのでもありましょう。

Anuna: chorus

33. LAHAN(オリジナル・サウンドトラック「ゼノギアス アレンジヴァージョン クリイド」から)
 《クリイド》からもう1曲。これもリクエスト。


34. Welcome To Our Town!(オリジナル・サウンドトラック「ファイナルファンタジー4 ケルティック・ムーン」から)
 光田さんの《クリイド》と並ぶゲーム音楽のイメージ・アルバムの傑作。粒選りのメンバーですが、中の写真を見ると、みんな若い! とりわけ、まだデビュー・アルバムを出したばかりくらいのシャロン・シャノン。植松伸夫さんもあらためてお話を伺いたい方であります。音楽のプロデュースを務めたモイア・ブラナックはこの録音の後、『リバーダンス』のバンド・マスターになります。

Maire Bhreatnach: fiddle, viola, tin whistle, keyboards, vocals
Cormac Breatnach: flute
Ronan Brown: uillean pipes, tin whistle
Noreen O'Donoghue: harp
Mark Kelly: guitar
Sharon Shannon: accordion
Niall O'Callanan: bouzouki
Tommy Hayes: percussions

ファイナルファンタジーIV ケルティック・ムーン
ゲーム・ミュージック
NTT出版
2004-10-01



35. 麦の唄 / 中島みゆき
 映像に使われたケルト音楽ということで、朝ドラ『マッサン』のテーマ曲。

 個人的には中島みゆきの声は実に日本的だなあと再確認しました。

連続テレビ小説「マッサン」オリジナル・サウンドトラック
富貴 晴美
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
2014-12-10



36. マッサン-メインテーマ-(オリジナル・サウンドトラック「マッサン」から)
 こちらは富貴晴美氏によるメイン・テーマ。


37. Donogh And Mike’s / Lunasa
 『マッサン』の楽曲を手がけられた富貴氏からの録音メッセージが流されました。実に熱い内容で、富貴氏ももっともっとお話を伺いたいところです。その富貴氏からのリクエスト。アルバム《The Merry Sisters Of Fate》(2001) 収録。このトラックで演奏されているのは〈1st August> Windbroke〉。前者はメンバーの Donogh Hennessy の曲、後者はルナサ初期のメンバーで現在はカパーケリーの Michael McGoldrick のオリジナル。それでこういうトラック名がつけられています。

Donogh Hennessy: guitar
Cillian Vallely: Bagpipes
Trevor Hutchinson: bass
Kevin Crawford: Flute
Sean Smyth: fiddle


38. チェイサー(オリジナル・サウンドトラック「マッサン」から)
 もう1曲、『マッサン』から。リスナーからのリクエスト。

野口明生: tin whistle, Irish flute
中藤有花 (tricolor): fiddle
長尾晃司 (tricolor): guitar
中村大史 (tricolor): bouzouki, accordion
菅谷亮一: percussions

 余談ですが、このサントラの〈Ellie's Ambition〉は tricolor の3人によるインストゥルメンタルで、短かいメロディを、はじめブズーキ、次にフィドルで繰り返し、さらにそこにフィドルが装飾音を入れてゆきます。この演奏を聞くと、ケルト系のダンス・チューンの装飾音の入れ方、またその役割などが手に取るようにわかります。


39. Chetvorno Horo / Andy Irvine & Davy Spillane
 光田さんコーナーのラストは光田さんのリクエストで、《クリイド》でも大活躍のパイパー、デイヴィ・スピラーンの録音。光田さんがスピラーンにでくわして「何だ、これは?」と衝撃を受けたもの。

 アルバムは《East Wind》(1992)。モダン・アイリッシュ・ミュージックの開拓者の一人、アンディ・アーヴァインがデイヴィ・スピラーンとともに、かれのルーツの一つである東欧、ブルガリアやハンガリーの音楽を演奏したものです。アイリッシュの精鋭が集まっていて、その一人、鍵盤のビル・ウィーランはここでの体験を下にして、後に『リバーダンス』の東欧シークエンスの曲を作ります。このアルバムに参加したのは、私の誇りだ、と本人が言っていました。

Andy Irvine: bouzouki, hurdy-gurdy
Davy Spillane: uillean pipes, low whistle
Nikola Parov: gudulka, kaval, gaida, bouzouki
Bill Whelan: keyboards, piano
Anthony Drennan: guitar Tony Molloy: bass
Paul Moran: percussion Noel Eccles: percussion
Mairtin O'Connor: accordion
Carl Geraghty: sax
John Sheahan: fiddle
Kenneth Edge: sax
Micheal O'Suilleabhain: piano

Andy Irvine / Davy Spillane
Treasure Records
2003-10-18


 以下、続きます。(ゆ)

 春分の日に NHK-FM で放送した「今日は1日ケルト音楽三昧」で放送された楽曲について、簡単に説明しておきます。

 プレイリストは番組の公式サイトに上がっています。

 曲数が多いので、いくつかに分割します。まずは遊佐未森さんが登場する前まで。


00. The Kesh Jig / The Bothy Band
 タイトル・バックに流れたのは、アイルランドのバンド、ボシィ・バンドのファースト《1975》冒頭のトラックの最初の1曲。ミホール・オ・ドーナルのギターによるイントロに続いてパディ・キーナンのパイプのドローンが入ってきて、おもむろにそのパイプがメロディを始めます。1975年リリースの録音ですが、まったく古びていません。

 これを冒頭にかけようと提案したのはトシバウロンで、タイトル・バックに使うことはその場で決定。

Tommy Peoples: fiddle
Paddy Keenan: uillean pipes
Matt Molloy: flute
Micheal O Domhnaill: guitar
Triona Ni Dhomhnaill: clavinet
Donal Lunny: bouzouki

BOTHY BAND
BOTHY BAND
1975
2017-06-16



01. Raggle Taggle Gypsy> Give Me Your Hand / Planxty
 全曲をかけるトップとしてはやはりアイルランドだろう、ならばその出発点となったこの曲を、とあたしが提案しました。1973年のアルバム《Planxty》、通称「ブラック・アルバム」の冒頭のトラック。

 クリスティ・ムーアの歌とともに、ここでの鍵はやはりリアム・オ・フリンの演奏するイリン・パイプで、とりわけ後半のワルツで高くなっていって、一番高い音を三つ連発するのはかなり高度な業だそうですが、なんともカッコいい。

 彼らが登場するまで、アイルランドでもほとんどの人はイリン・パイプを見たことが無かったのでした。

Christy Moore: guitar, bodhran
Liam O'Flynn: uillean pipes
Andy Irvine: mandolin
Donal Lunny: bouzouki

Planxty
Planxty
Shanachie
1989-12-12



02. I Will Find You / Clannad
  この番組はリクエストが大きな柱でもあるので、続いてはリクエストから2曲。

 1曲めはクラナド。映画『ラスト・オブ・モヒカン The Last Of The Mochicans』(1992) のテーマとして書かれ、1993年の《Banba》に収録。歌詞はモヒカン語とチェロキー語で書かれ、唄われている由。作詞作曲はキアラン・ブレナンで、映画の監督マイケル・マンはクラナドにアイルランド語で歌うことを要請しましたが、キアランは映画に描かれた当時、北米にアイルランド人はいなかったことを指摘し、この二つの言語で書くことを通したそうです。

Maire Brennan: vocals
Ciaran Brennan: bass, guitar, piano, vocals
Noel Duggan: guitar, vocals
Padraig Duggan: guitar, vocals

Banba
Clannad
Atlantic
1993-06-15



03. John Ryan’s Polka / THE CHERRY COKE$
 アイリッシュ・ミュージックをパンク・ロックの手法で解釈する国産バンドの最新作《The Answer》(2018) から。

 トシさんはご存知でしたが、あたしはこの方面には暗く、初耳でした。と思っていましたが、ハイランド・パイプの五社義明さんのライヴに飛び入りで熱いブズーキを披露していたのが、確かこのバンドのマサヤ氏ではなかったかしらん。

 こうしたタイプの音楽を "Paddy Beat" と呼ぶそうですが、ポーグスに源流があるように聞えます。

 曲は有名なもので、マイク・オールドフィールドもその昔やっていました。

KATSUO: vo., banjo
MASAYA: guitar, Irish bouzouki, banjo
SUZUYO: A-sax, tin-whistle, harmonica
LF: bass, bodhran
MUTSUMI: accordion
TOSHI: drums

THE ANSWER
THE CHERRY COKE$
徳間ジャパンコミュニケーションズ
2018-06-13



04. Danny Boy / tricolor, Hanz Araki, Colleen Raney
 このあたりでアイルランドの有名曲を1曲ということで選びました。演奏、録音は無数にありますが、このヴァージョンはアレンジが秀逸。後半、音域が高くなるところが、あたしにどうしてもセンチメンタル過剰で、あまりアイリッシュらしくなくも聞えるのです。ここでハンツ・アラキとコリーン・レイニィの二人は高くせず、しかも自然に歌っています。

 わが国ケルト系アコースティック・バンドのトップの一つ、tricolor のアルバム《うたう日々》(2016) 収録。

Hanz Araki: vocals
Colleen Raney: vocals
中藤有花: fiddle
長尾晃司: guitar
中村大史: bouzouki, accordion
渡辺庸介: percussion

うたう日々
tricolor
Pヴァイン・レコード
2016-04-20



05. All about Flying=Nenny's> Tam Lin / Uiscedwr
 〈Tam Lin〉のリクエスト。楽曲だけでアーティストの指定が無かったのでこれを選びました。「イシュカドーア」と読みます。アンナ・エセルモントがイングランドで結成したトリオ。《Everywhere》(2004) 収録。

 〈Tam Lin〉は有名なバラッドもあり、どちらにするか迷いましたが、バラッドの録音はフェアポート・コンヴェンションか無伴奏のものしか見つからなかったので、こちらにしました。無伴奏歌唱にもすばらしいものはありますが、ラジオでかけるのはちょっとためらいます。

Anna Esselmont: fiddle, chiddle, vocals
Cormac Byrne: bodhran, percussion
Ben Hellings: guitar

Everywhere
Uiscedwr
Yukka
2004-06-07



06. Chi Mi’n Geamhradh / Catherine-Ann MacPhee
 ここからケルト圏各地域の音楽を紹介しました。まずはスコットランド。

 「ケルト音楽」とはケルト語を話す地域の伝統音楽というのが、我々が掲げたものですが、スコットランドのケルト語、スコティッシュ・ゲール語で唄う、現役最高峰のシンガーがこのキャサリン=アン・マクフィー。タイトルの意味は "I See Winter"。アルバム (1991) のタイトルでもあります。

 曲は実は伝統歌ではなく、スコットランドを代表するルーツ・ロック・バンド Runrig のソングライター・チーム Rory & Calum Macdonald のペンになるもの。かれらの作る曲は、キャサリン=アン・マクフィーのような伝統に深く根差したうたい手が、かれらの歌の無いアルバムは考えられないと言うくらい、質の高いものです。オリジナルは1988年のライヴ盤《Once In A Life Time》収録。

 Runrig もぜひ紹介したかったのですが、「次」を待ちましょう。

Cahterine-Ann MacPhee: vocals
Savourna Stevenson: harp
Jack Evans: whistles
Charlie McKerron: fiddle
Neil Hay: fretless bass
Allan MacDonald: practice chanter, jew's harp, chorus
Jim Sutherland: percussion

I See Winter
Catherine-Ann Macphee
Greentrax
1994-09-06


Once in a Lifetime Runrig Live
Runrig
EMI Europe Generic
1990-07-01



07. Megan’s Wedding> The Herra Boys> The Barrowburn Reel / Aly Bain & Phil Cunningham
 スコットランドでもう1曲、ダンス・チューンのメドレー。この3曲はビートが異なるので、曲のつなぎがよくわかります。

 演奏しているのはシェトランド出身の大ベテラン、アリィ・ベインと、こちらもベテランの鍵盤アコーディオン奏者、フィル・カニンガムのデュオ。1994年のデュオとしてのデビュー作《The Pearl》から。その後、この二人は見事な録音をコンスタントに出しています。

Aly Bain: fiddle
Phil Cunningham: accordion

The Pearl
Aly Bain & Phil Cunningham
Whirlie



08. Redeside Hornpipe> Kyloe Burn / Alistair Anderson & NORTHLANDS
 ケルト圏各地の音楽紹介は続いてノーサンバーランド。スコットランドとイングランドの境界、北海側の州。ここにはノーサンブリアン・スモール・パイプと呼ばれる独特のバグパイプがあります。アイルランドのイリン・パイプ同様、鞴でバッグに空気を送り込みます。

 今回はそちらではなく、コンサティーナを中心としたアンサンブルで、ノーサンブリアン・チューンのメドレー。このコンサティーナはアイルランドで使われる「アングロ・コンサティーナ」ではなく、「イングリッシュ・コンサティーナ」です。「アングロ」は同じキーを押しても、蛇腹の押す引くで別の音が出ます。「イングリッシュ」はキーが同じなら、押しても引いても同じ音が出ます。

 アリステア・アンダースンは1960年代から活躍している大ベテランで、ノーサンブリアン・パイプの名手でもあります。近年、孫ほどの若い人たちとバンドを組んで、みずみずしい音楽を聞かせてくれます。

Alistair Anderson: English concertina
Sophy Ball: fiddle
Sarah Hayes: flute
Ian Stephenson: guitar, double bass, piano 


09. Pa Le? / 9Bach
 ブリテン島の西側にアイルランドに向かって突き出た、半島というよりは陸の塊がウェールズ。キムリア語と名告るケルト語の一派が話される地域です。ケルト語は他の地域ではどこでも消滅の危機が叫ばれていますが、ここだけは日常語として定着しています。英語ももちろん通じますが、近年では従来英語が強かった南部の中心都市カーディフでもキムリア語が日常語になっているそうです。ケルト語に属する言語はどれも我々日本語ネイティヴには極端に発音が難しいものですが、キムリア語はとりわけ難しいです。

 ここには中世以来続くハープの伝統があります。弦が3列になっているトリプル・ハープと呼ばれる独特のタイプです。また合唱もひじょうに盛んです。1965年にチャーチルが死んだ日の晩、いつもは歌声の絶えないウェールズのパブで、誰もがチャーチルについてしゃべる中、歌声がまったく聞えないことを記している人もいました。

 一方で、1970年代後半から、アイルランドやスコットランド同様、モダンな形の伝統音楽が盛り上がります。その現在最先端の形がこのバンド。この歌は伝統歌で2014年のセカンド《Tincian》から。唄われているのはキムリア語です。

Lisa Jen: piano, vocals
Ali Byworth: drums, percussion
Esyllt Glyn Jones: harp, vocals
Dan Swain: bass
Martin Hoyland: guitar, percussion
Mirain Haf Roberts: vocals

ティンシャン (TINCIAN)
9Bach
サンビーニャ・インポート
2014-05-11



10. Amazing Grace / Yann-Fanch Kemener
 ケルト圏の音楽紹介のしめくくりはブルターニュ。フランスの北西に突き出た半島です。ケルト語は大きく二つのグループに分られます。アイルランド語、スコティッシュ・ゲール語、それにマン島のマンクス・ゲール語が一つ。キムリア語、ブルターニュのブルトン語、それにウェールズの南、ブリテン島の南西に伸びる半島のコーンウォールのコーンウォール語がもう一つです。音楽的にも、この二つのグループはそれぞれに共通しています。

 ブルターニュはアイルランド、スコットランド、ウェールズとならぶ「音楽大国」です。ということはヨーロッパでも、また世界的に見ても「音楽大国」の一つでもあります。実は「ケルト音楽」ということを最初に言い出したのはこのブルターニュ音楽の先頭に立ってきたアラン・スティヴェールです。1960年代末のことでした。当時、フランスはまだ中央集権的で、ブルトン語やフランス南部のオック語などの諸言語は「方言」として抑圧されていました。それに対してブルトン音楽の独自性を訴えるために、これはフランスの一部ではない、広くケルト音楽の一環なのだと主張したのです。

 スティヴェールは父親が復興した小型のハープを主な楽器とし、カリスマ的リーダーとしてブルトン音楽を引張りました。元々強かった独自の伝統はかれによって現代化され、大きく花開いています。

 本来ならば、その音楽の実例をそのままご紹介すべきではありますが、ここの音楽の個性にはかなり強烈なものがあります。一つには、番組の始めの方に各々に相当に異なるものをあまりにたくさん並べると、混乱するリスナーも出てくるという配慮がありました。もう一つには、ブルターニュの音楽の多様性の幅は飛び抜けて大きく、どれか一つだけ選ぶのに困ったという事情もあります。

 そこで思いついたのが、このブルトン語による〈Amazing Grace〉でした。よく知っているメロディにのせて唄われると、初めて聞く言語が多少とも親しみやすく、同時に新鮮に響きます。

 〈Amazing Grace〉そのものの出自はケルト音楽とは関係が薄いのですが、ハイランド・パイプでよく演奏されることもあり、ケルト音楽の曲と認識される傾向が強い。

 歌っているヤン=ファンシュ・ケメナーはブルトン語伝統歌のうたい手として筆頭に挙げられる人です。ここでの歌詞はケメナーのオリジナルで、このトラックの録音当時2000年に注目されていたコソヴォ難民をテーマにしています。バックを支えるのも、現代ブルターニュ音楽のトップ・ミュージシャンたちです。 収録アルバムは《Les Grands Airs Celtiques》(2000)。

Yann-Fanch Kemener: vocal
Alain Genty: bass, keyboards, programming
Jacky Molard: violin
Patrick Molard: bagpipes

Les Grands Airs Celtiques
Les Grands Airs Celtiques
Traditions Alive Llc
2001-03-15



11. Here’s A Health To The Company(仲間に乾杯) / The Chieftains
 リクエストから。《A Chieftains Celebration》(1989)収録。これはまことに珍しい1曲で、ケヴィン・コネフのリードでバンド・メンバーがコーラスをつけ、アカペラで唄われます。つまり、ここでは誰も楽器を演奏していません。一度はこういうのをステージで聴きたかったものです。

Derek Bell
Martin Fay
Sean Keane
Kevin Conneff
Matt Molloy
Paddy Moloney

Celebration
Chieftains
Bmg Special Product
2004-06-01



12. Eoghainin O Ragadain / Altan
 これもリクエスト。《Another Sky》(2000) から。アイルランド語の古い歌で、メンバーのダーモット・バーンの叔父さん経由で伝わっています。ここでアコーディオンがフィーチュアされているのはそのせいかもしれません。タイトルは人名ですが、歌詞の内容はほとんどシュールリアリスティック。

Mairead Ni Mhaonaigh: vocals, fiddle
Ciaran Tourish: fiddle, whistle, chorus
Dermot Byrne: accordion
Ciaran Curran: bouzouki
Mark Kelly: guitar
Daithi Sproule: guitar, chorus

アナザー・スカイ
アルタン
EMIミュージック・ジャパン
2000-03-23



 以下、続く。(ゆ)

このページのトップヘ