クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ケルト

 春分の日に NHK-FM で放送した「今日は1日ケルト音楽三昧」で放送された楽曲解説の続き。
#zanmai

 プレイリストは番組の公式サイトに上がっています。


13. Hugh / Nightnoise
 ここで最初のゲスト、遊佐未森さんをお迎えしました。

 まずはリクエストでナイトノイズの曲。《The White Horse Sessions》(1996) 収録。

 トゥリーナのピアノが美しい曲で、タイトルはトゥリーナやミホールの父君のことと思われます。このお父さんは伝統歌の収集家でもあり、アイルランド語のネイティヴ・スピーカーでした。実家はアイルランド北西部のドニゴールで、兄妹は毎年夏休みなどにここに通います。ドニゴールはアイルランドの中でも音楽伝統の濃いところで、兄妹は伝統にどっぷり漬かって育ったのでした。

Triona Ni Dhomhnaill: piano
Micheal O Domhnaill: guitar
Brian Dunning: flute
John Cunningham: fiddle

The White Horse Sessions
Nightnoise
Windham Hill Records
1997-01-14




14. Island of Hope and Tears / 遊佐未森
 遊佐さんの楽曲へのリクエスト。遊佐さんがナイトノイズと共演、共作した最初のアルバム《水色》(1994) から。

 遊佐さんによれば、この時、ミニ・アルバムを作るからやりたいことを言うように言われて出した三つほどの企画のうちの一つがナイトノイズとの共演だったそうです。最も実現しそうになかったものがとんとん拍子に運んでしまった由。

 この歌はコーラスがたいへん美しいですが、ミホールとトゥリーナの神秘的とも言えるハーモニーは何の加工も加えておらず、二人が唄うだけでああいう風になったとのこと。

遊佐未森: vox, chorus, synthesizer
Nightnoise
Triona Ni Dhomhnaill: piano, chorus
Micheal O Domhnaill: guitar, chorus
Brian Dunning: flute, low whistle, uillean pipes
Johnny Cunningham: fiddle

水色
遊佐未森
ソニー・ミュージックダイレクト
2010-07-14



15. The Road to Nowhere / 遊佐未森
 リスナーからのリクエスト。1998年の《エコー》から。

 このアルバムはほとんどのトラックがスコットランドで、スコットランドのミュージシャンを動員して録音されています。カパーケリーのメンバーを中心としたトップ・ミュージシャンばかりで、遊佐さん自身、夢のようだったそうです。とりわけドラムス、パーカッションのジェイムズ・マッキントッシュがカッコよかった由。スコットランド最高のドラマーです。それにマイケル・マクゴールドリックはまだ20代の若者。

 この曲はトゥリーナ・ニ・ゴゥナルの作品でトゥリーナもピアノで参加しています。

遊佐未森: vox, chorus, keyboards
James Mackintosh: drums, percussion
Ewen Vernal: bass
John Goldie: guitars
Colm Malcolm: synthesizer, programming
Tommy Smith: soprano sax
Nigel Thomas: percussion
Michael McGoldrick: whistle, B-flat flute, uillean pipes
William Jackson: harp, flute, whistle
Stuart Morison: fiddle
Triona Ni Dhomhnaill: piano, chorus, whistle
Tony McManus: guitar, mandolin
Jimmy McMenemy: bouzouki

ECHO
遊佐未森
EMI Records Japan
2013-07-24



16. ロカ / 遊佐未森
 最後に遊佐さんご自身のセレクションで、昨年行われたデビュー30周年記念ツアーで、トゥリーナと共演したライヴ録音。今月中にDVDとCDでリリースされる予定だそうです。

 トゥリーナはもう70近いはずですが、ますます元気の由。

【Amazon.co.jp限定】PEACH LIFE(CD+DVD)(特典付/A4ファイル)
遊佐未森
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
2019-03-27



17. Nobody Knows / Paul Brady
 ここからしばらくリクエスト曲が続きます。

 まずはアイルランドのシンガー・ソング・ライターで、「最高のシンガー」(マーティン・ヘイズ)でもあるポール・ブレディのオリジナル。《Trick Or Treat》(1991) 収録。ライヴ盤《The Paul Brady Songbook》(2002) でも歌っています。

 ブレディは1960年代後半、ジョンストンズのメンバーとして世に出て、伝統音楽の世界でシンガー、ギタリストとして名を成した後、そこからは一歩離れた、現代のポップ・ソングのシンガー・ソング・ライターとしても大成します。我々から見ると、対照的な二つの面を持つと見えますが、本人の中では特に別々のことをやっているつもりはないらしい。

 この歌はポップスの方に属するもの。ただし、詞はアイルランド人らしく、単純な惚れた張ったではなく、いろいろな解釈が可能で、一筋縄ではすみません。

Paul Brady: Vocals, Guitars
Freddie Washington: Bass
Jeff Porcaro: Drums, Percussion
Elliot Randall: guitars
David Paitch: piano, Keyboards

Trick Or Treat
Paul Brady
Polygram Records
1993-08-12



18. Broken Levee / Wolfstone
 このバンドの〈Broken〉を、というリクエストだったので、この曲ではないかと推察しました。今のところ最新作《Terra Firma》(2007) 収録。

 スコットランドのケルティック・ロック・バンド。1989年結成。実はCDは持っていたものの、あまり真剣に聴いたことがなく、もっと早く、きちんと聴いておくべきだったと反省してます。ランリグがスコティッシュ・ゲール語を前面に出して、どちらかというと神秘的に想像をふくらませるのに対して、ウルフストーンは英語で、きりりと引き締まった音楽を作ると言えましょう。

Stevie Saint: pipes, whistle
Ross Hamilton: vocals, guitar, programming, percussion, bass
Stuart Eaglesham: acoustic guitar
Duncon Chisholm: fiddle
Colin Cunningham: bass
Alyn Cosker: drums

Terra Firma
Wolfstone
Once Bitten
2007-05-29



19. Dulaman / Celtic Woman
 《A New Journey》(2007) から。

 『リバーダンス』からのスピンアウトの一つで、あちらがダンスをフィーチュアしているのに対し、こちらは歌をメインにしたもの。わが国では2006年冬季オリンピックのフィギュアスケートで金メダルを獲得した荒川静香選手がエキジヴィションでファースト・アルバム収録の〈You Raise Me Up〉を使用して一気に人気が出ました。

 曲はクラナドが初期のアルバム (1976) のタイトルにしているドニゴールの歌で「デュラマン」は海藻の一種。ドニゴールは土地が瘠せていて、海岸に流れつく海藻を集めて肥料とし、場合によっては食糧にもすることが古くから行われていました。元々はわらべ唄。

Meav Ni Mhaolchatha: vocals
Andreja Malir: harp
David Downes: whistle, vocals

ニュー・ジャーニー~新しい旅立ち~
ケルティック・ウーマン
EMIミュージック・ジャパン
2007-02-14



20. Cardinal Knowledge / Bruno Coulais & KiLA
 元はキーラのアルバム《Gamblers' Ballet》(2007) 収録で、アニメ『ブレンダンとケルズの秘密 The Secret Of Kells』に使われました。

 アニメは『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』を作ったプロダクションの一つ前の作品。アイルランドの至宝『ケルズの書』制作の秘密をめぐる歴史ファンタジー。

 なお、サントラでは音楽が終った後、1分半ほどの空白の後、アイルランド語のナレーションが入りますが、番組では音楽のみで切り上げました。

Eoin Dillon: Uilleann PIpes & Whistles
Ronan O'Snodaigh: Bodhran & Percussion
Rossa O'Snodaigh: Guitar, Whistle, Percussion, Piano, Bouzouki, Trumpets, Clarinet, Mandolin etc.
Colm O Snodaigh: flute
Dee Armstrong: Fiddles, Violins, Glockenspiel, Free-Notes etc.
Lance Hogan: Guitar
Eoin O'Brien: Guitars

Karl Odlum: Loops, Drum Programming, Effets sonores
Mark Gavin: Synthetized bass
Dan Klezmer Page: Clarinette

The Secret Of Kells
Bruno Coulais & Kila
Kila Records
2012-04-03



21. Only Time / Enya
 《A Day Without Rain》(2000) より。エンヤの音楽はエンヤの曲とプロデューサー Nicky Ryan のエンジニアリング、それにニッキィ夫人の Roma Ryan の詞が一体となってできています。ニッキィ・ライアンは1970年代にモダン・アイリッシュ・ミュージックの初期の録音を担当して、数々の傑作、名盤を生み出した原動力の一人でもあります。アイルランドのアコースティックな音楽の録音には定評がありますが、ブライアン・マスターソン、アンドリュー・ボーランドと並んで、アイルランドを代表する録音エンジニアです。

A Day Without Rain
Enya
Imports
2000-11-17



22. Runaway / The Corrs
 1995年のデビュー・アルバム《Forgiven, Not Forgotten》から。

 兄弟姉妹が核となっているバンドは少なくありませんが、兄弟姉妹だけでバンドが組めてしまうのは、珍しいと言えるでしょう。あえて言えば、ケルト圏に特有の現象かもしれません。

 もっと大所帯で伝統音楽寄りの兄弟姉妹バンドとして、カナダの Leahy がいます。

Caroline Corr: Drums, Bodhran, Vocals
Jim Corr: Keyboards, Guitar, Vocals
Andrea Corr: Lead Vocals, Tin Whistle
Sharon Corr: Violin, Vocals

Forgiven Not Forgotten
Corrs
Atlantic / Wea
1996-01-09



23. Irish Heartbeat / Van Morrison & The Chieftains
 もちろんリリースは1988年です。

 リリースされたレコード・ジャケットを見てまず驚いたのが、ヴァン・モリソンがまるでチーフテンズのメンバーの一人であるように映っていたことでした。いわば、もっと「不均等」な関係を想像していたわけです。音楽もチーフテンズがバック・バンドというよりは、それまでチーフテンズが出してきたシンガーをゲストとしたアルバム、たとえばドロレス・ケーンを起用して彼女に録音デビューさせた《Bonapart's Retreat》(1976) と同様に、モリソンがチーフテンズのリード・シンガーの一人という形です。

 ヴァン・モリソンと対等のチーフテンズというのは、チーフテンズの何者かを知っていた我々ですら驚きましたから、ここで初めて彼らの音楽に接するリスナーにはいかほどの衝撃であったでしょうか。ピーター・バラカンさんもこれで初めてチーフテンズの存在とその背後にあるアイリッシュ・ミュージックを知ったと言われていました。

 アメリカのポピュラー音楽の成立にアイリッシュ・ミュージックが大きな役割を果たしていることは今や常識と言ってよいかと思いますが、これが出た当時はそんなことを言えばバカにされるのが関の山でした。モリソンの音楽の奥底にアイルランド伝統音楽の血脈が通じていることを示したこのアルバムは、そうしたシェーマの転換のきっかけにもなっていたと思います。

 モリソン自身、これによって改めて己れのルーツを確認し、それまでの低迷を脱して、《Hymns To The Silence》(1991) を頂点とする傑作群を生み出してゆきます。

 チーフテンズにとってはさらに大きく、これによって彼らは世界的認知を得て、アイルランド以外の世界にとってアイリッシュ・ミュージックのアイコンになってゆきます。

Van Morrison: Lead Vocals, Guitar, Drums
Paddy Moloney: Bagpipes, Tin Whistle
Kevin Conneff: Bodhran, vocals [A1 A3 B1]
Sean Keane: Fiddle
Martin Fay: Fiddle, Bones
Matt Molloy: Flute
Derek Bell: Harp, Dulcimer [Tiompan], Keyboards

June Boyce: chorus

Irish Heartbeat
Van Morrison & Chieftains
Uni/Polygram Pop/Jazz
1988-06-20



24. Over The Hills And Far Away / Gary Moore
 《Wild Frontier》(1987) より。

 ゲイリー・ムーアがアイルランド出身であることは承知していましたが、このアルバムにはチーフテンズのパディ・モローニ、ショーン・キーン、マーティン・フェイが参加していることを今回初めて知って、改めて興味が湧いているところです。とりわけ、マーティン・フェイが参加しているのは興味深い。フィドルが2本要るとモローニが判断したのでしょうが。

 それにしても、これくらい気合いが入っているジャケットは滅多に無いですね。

Gary Moore: Guitar, Vocals
Bob Daisley: Bass
Neil Carter: Keyboards, Vocals

WILD FRONTIER
GARY MOORE
VIRGI
2003-04-28



25. Doon Well / Maire Brennan
 1998年の《Perfect Time》から。

 モイア自身のハープをフィーチュアしたインストゥルメンタル。どちらかというとアルバムの中でも地味な曲で、こういう曲をリクエストされるのは相当に聴きこまれているのでしょう。

 ここでロウ・ホイッスルを吹いているデヴィッド・ダウンズは後に Celtic Woman をプロデュースします。

Maire Brennan: Keyboards, Harp
David Downes: low whistle

Perfect Time
Maire Brennan
Sony
1998-04-21




26. 二月の丘 / ZABADAK
 《遠い音楽》(1990) から。

 ザバダックを聴きだしたのは昨年からなので、まるで初心者ですが、個人的には上野洋子さんがいた頃が好き。あたしにはケルトよりもどちらかというとイングランド的感性が感じられます。

 上野さんは後に《SSS-Simply Sing Songs》(2003) という、すばらしい伝統歌集をリリースされてます。

吉良知彦
上野洋子
金子飛鳥
梯郁夫
保刈久明
安井敬
渡辺等

遠い音楽
ZABADAK
イーストウエスト・ジャパン
1990-10-25



27. Culloden’s Harvest / Deanta
 かつては「ディアンタ」と表記されていましたが、アイルランド語の発音により近く書けば「ジュアンタ」でしょうか。

 1990年代に現れたアイルランドの若手バンドの筆頭で、この曲は最後のアルバム《Whisper Of A Secret》(1997) から。ここではメンバーはギタリストを除いて全員女性になっていました。いささか唐突に解散してしまいましたが、リード・シンガーの Mary Dillon は最近復活しています。

 なお Culloden はスコットランドの地名で、1746年4月にここで行われた戦いで有名です。1745年に始まったスコットランド・ハイランドの氏族たちによるイングランドに対する最後の大叛乱の最後の戦いで、これによって伝統的なスコットランドの社会は敗北します。このいわゆるボニー・プリンス・チャーリィの叛乱からはたくさんの歌や曲が生まれ、伝えられています。


Mary Dillon: Vocals
Kate O'Brien: Fiddle
Deirdre Havlin: Flute, Whistle
Eoghan O'Brien: Harp, Guitar
Rosie Mulholland: Keyboards, Fiddle

DEANTA
DEANTA
WHISPER OF A SECRET
2017-06-16


28. Johnny, I Hardly Knew Ye!(ジョニーは戦場に行った) /
 楽曲は有名なもの(ここでもあたしが何やらあらぬことを口走ったような気がします)ですが、うたい手はクラシックの訓練を受けていて、こういう人がこういう歌をうたうというのには、意表を突かれました。

 とはいえ、アイリッシュ・テナーと呼ばれる一群のシンガーたちの存在もあるわけで、ケルト圏の伝統曲のクラシック的解釈は、おそらくかなり広まってもいるのでしょう。メルマガの『クラン・コラ』でも「オーケストラで聞くアイリッシュ・ミュージック」の連載があります。

 個人的にはこの曲は歌としてよりも、スタンリー・キュブリックの映画『博士の異常な愛情』でライト・モチーフ的に使われていたのが印象に残っています。

庭の千草〜アイリッシュ・ハープ
ミッチェル(エミリー)
BMGビクター
1993-04-21



29. Molly Malone / Sinead O’connor
 楽曲だけでアーティストの指定が無かったので、このヴァージョンを選びました。《Sean-Nos Nua》(2002) 収録。

 このアルバムはシネイドが伝統歌ばかりを唄って新生面を開いたもので、ドーナル・ラニィのプロデュースのもと、バックはアイリッシュ・ミュージックのトップ・プレーヤーが集まっています。

 曲はダブリンの貧しい魚売りの少女の薄幸を唄って、イングランドでも広く唄われました。わらべ歌の一種でもあります。

Sinead O'Connor: vocals
Donal Lunny: acoustic guitar, bouzouki, keyboard, bodhran, bass guitar
Steve Wickham: fiddle, mandolin, banjo
Sharon Shannon: accordion
Abdullah Chhadeh: quanun
Nick Coplowe: Hammond organ
Cora Venus Lunny: violin
Skip McDonald: electric guitar
Carlton "Bubblers" Ogilvie: drums, bass guitar, piano
Bernard O'Neill: bass guitar
Professor Stretch: drums, programming

Sean-Nos Nua
シニード・オコナー
BEAT RECORDS
2002-10-16



30. Caoineadh Johnny Sheain Jeaic> Lorient Mornings> Illean Aigh / Duncan Chisholm
 このリクエストは嬉しかったです。スコットランドにフィドルの名手の多い中で、個人的に今一番好きな人なので。

 ダンカン・チザムは上に出てきた Wolfstone のフィドラー。バンドでは結構ハードなサウンドですが、ソロでは贅肉を削ぎ落した、ストイックな演奏で、スコットランド音楽の奥深さを体験させてくれます。こういう、一種、崇高と呼びたくなるような音楽はスコットランドならでは。

 アルバムは《Canaich》(2010) で、2008年の《Farrar》、2012年の《Affric》とともに三部作を成します。

Duncan Chisholm: fiddle
Phil Cunningham: piano
Patsy Reid: cello

Canaich
Duncan Chisholm
Copperfish
2010-06-21



31. MELKABA(オリジナル・サウンドトラック「ゼノギアス アレンジヴァージョン クリイド」から)
 ここから光田康典さんをゲストにお迎えしました。まずはその光田さんの楽曲へのリクエスト。

 この曲ではアイリッシュ・ベースのメロディに、フィンランドのヴァルティナ流のコーラスが乗っていますが、それが見事に融合して独自の世界を作っています。

 この前年の植松伸夫さんの《Celtic Moon》もそうですが、こんな豪華なメンバーは今では到底集められないでしょう。

光田康典: piano, keyboards, programming, voices, hand clap
上野洋子: vocals
Davy Spillane: uillean pipes, low whistle
Maria Kalaniemi: accordion
Maire Breatnach: fiddle
Laoise Kelly: Irish harp
HATA: guitars
渡辺等: bass
藤井珠緒: congas, bongos, glockenspiel, clasher, China cymbal, Paste 5cup cymbal, tree bell, Angel Heart, India bells, darbuka, flexatone, wind chime, nail chime, cha-cha, finger cymbals, Sleigh bells, caxixi
KALTA: drums, tambourine, programming, voices, hand clap
本間 “Techie” 哲子: vocals
素川欣也: 尺八, 篠笛
Laurie Kaszas: tin whistle
吉良知彦: bouzouki, guitar
Eimer Quinn: vocals
小峰公子: vocals
山中ちこ: chorus, hand clap
工藤ともり: chorus, hand clap
Anne-Marie O’Farrell: celtic harp

ゼノギアス アレンジヴァージョン クリイド
光田康典&ミレニアル・フェア
スクウェア・エニックス
2005-06-29



32. Shadow of the Lowlands(オリジナル・サウンドトラック「ゼノブレイド2」から)
 こちらはぐんと新しいところで、アイルランドのユニークなコーラス・グループ Anuna によるアカペラ・コーラス。

 YouTube にも上がっているPVは、アヌーナのリーダーであるマイケル・マッグリンが、自ら作りたいと言い出したそうで、光田さんの楽曲にそれだけ惚れこんだのでもありましょう。

Anuna: chorus

33. LAHAN(オリジナル・サウンドトラック「ゼノギアス アレンジヴァージョン クリイド」から)
 《クリイド》からもう1曲。これもリクエスト。


34. Welcome To Our Town!(オリジナル・サウンドトラック「ファイナルファンタジー4 ケルティック・ムーン」から)
 光田さんの《クリイド》と並ぶゲーム音楽のイメージ・アルバムの傑作。粒選りのメンバーですが、中の写真を見ると、みんな若い! とりわけ、まだデビュー・アルバムを出したばかりくらいのシャロン・シャノン。植松伸夫さんもあらためてお話を伺いたい方であります。音楽のプロデュースを務めたモイア・ブラナックはこの録音の後、『リバーダンス』のバンド・マスターになります。

Maire Bhreatnach: fiddle, viola, tin whistle, keyboards, vocals
Cormac Breatnach: flute
Ronan Brown: uillean pipes, tin whistle
Noreen O'Donoghue: harp
Mark Kelly: guitar
Sharon Shannon: accordion
Niall O'Callanan: bouzouki
Tommy Hayes: percussions

ファイナルファンタジーIV ケルティック・ムーン
ゲーム・ミュージック
NTT出版
2004-10-01



35. 麦の唄 / 中島みゆき
 映像に使われたケルト音楽ということで、朝ドラ『マッサン』のテーマ曲。

 個人的には中島みゆきの声は実に日本的だなあと再確認しました。

連続テレビ小説「マッサン」オリジナル・サウンドトラック
富貴 晴美
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
2014-12-10



36. マッサン-メインテーマ-(オリジナル・サウンドトラック「マッサン」から)
 こちらは富貴晴美氏によるメイン・テーマ。


37. Donogh And Mike’s / Lunasa
 『マッサン』の楽曲を手がけられた富貴氏からの録音メッセージが流されました。実に熱い内容で、富貴氏ももっともっとお話を伺いたいところです。その富貴氏からのリクエスト。アルバム《The Merry Sisters Of Fate》(2001) 収録。このトラックで演奏されているのは〈1st August> Windbroke〉。前者はメンバーの Donogh Hennessy の曲、後者はルナサ初期のメンバーで現在はカパーケリーの Michael McGoldrick のオリジナル。それでこういうトラック名がつけられています。

Donogh Hennessy: guitar
Cillian Vallely: Bagpipes
Trevor Hutchinson: bass
Kevin Crawford: Flute
Sean Smyth: fiddle


38. チェイサー(オリジナル・サウンドトラック「マッサン」から)
 もう1曲、『マッサン』から。リスナーからのリクエスト。

野口明生: tin whistle, Irish flute
中藤有花 (tricolor): fiddle
長尾晃司 (tricolor): guitar
中村大史 (tricolor): bouzouki, accordion
菅谷亮一: percussions

 余談ですが、このサントラの〈Ellie's Ambition〉は tricolor の3人によるインストゥルメンタルで、短かいメロディを、はじめブズーキ、次にフィドルで繰り返し、さらにそこにフィドルが装飾音を入れてゆきます。この演奏を聞くと、ケルト系のダンス・チューンの装飾音の入れ方、またその役割などが手に取るようにわかります。


39. Chetvorno Horo / Andy Irvine & Davy Spillane
 光田さんコーナーのラストは光田さんのリクエストで、《クリイド》でも大活躍のパイパー、デイヴィ・スピラーンの録音。光田さんがスピラーンにでくわして「何だ、これは?」と衝撃を受けたもの。

 アルバムは《East Wind》(1992)。モダン・アイリッシュ・ミュージックの開拓者の一人、アンディ・アーヴァインがデイヴィ・スピラーンとともに、かれのルーツの一つである東欧、ブルガリアやハンガリーの音楽を演奏したものです。アイリッシュの精鋭が集まっていて、その一人、鍵盤のビル・ウィーランはここでの体験を下にして、後に『リバーダンス』の東欧シークエンスの曲を作ります。このアルバムに参加したのは、私の誇りだ、と本人が言っていました。

Andy Irvine: bouzouki, hurdy-gurdy
Davy Spillane: uillean pipes, low whistle
Nikola Parov: gudulka, kaval, gaida, bouzouki
Bill Whelan: keyboards, piano
Anthony Drennan: guitar Tony Molloy: bass
Paul Moran: percussion Noel Eccles: percussion
Mairtin O'Connor: accordion
Carl Geraghty: sax
John Sheahan: fiddle
Kenneth Edge: sax
Micheal O'Suilleabhain: piano

Andy Irvine / Davy Spillane
Treasure Records
2003-10-18


 以下、続きます。(ゆ)

 春分の日に NHK-FM で放送した「今日は1日ケルト音楽三昧」で放送された楽曲について、簡単に説明しておきます。

 プレイリストは番組の公式サイトに上がっています。

 曲数が多いので、いくつかに分割します。まずは遊佐未森さんが登場する前まで。


00. The Kesh Jig / The Bothy Band
 タイトル・バックに流れたのは、アイルランドのバンド、ボシィ・バンドのファースト《1975》冒頭のトラックの最初の1曲。ミホール・オ・ドーナルのギターによるイントロに続いてパディ・キーナンのパイプのドローンが入ってきて、おもむろにそのパイプがメロディを始めます。1975年リリースの録音ですが、まったく古びていません。

 これを冒頭にかけようと提案したのはトシバウロンで、タイトル・バックに使うことはその場で決定。

Tommy Peoples: fiddle
Paddy Keenan: uillean pipes
Matt Molloy: flute
Micheal O Domhnaill: guitar
Triona Ni Dhomhnaill: clavinet
Donal Lunny: bouzouki

BOTHY BAND
BOTHY BAND
1975
2017-06-16



01. Raggle Taggle Gypsy> Give Me Your Hand / Planxty
 全曲をかけるトップとしてはやはりアイルランドだろう、ならばその出発点となったこの曲を、とあたしが提案しました。1973年のアルバム《Planxty》、通称「ブラック・アルバム」の冒頭のトラック。

 クリスティ・ムーアの歌とともに、ここでの鍵はやはりリアム・オ・フリンの演奏するイリン・パイプで、とりわけ後半のワルツで高くなっていって、一番高い音を三つ連発するのはかなり高度な業だそうですが、なんともカッコいい。

 彼らが登場するまで、アイルランドでもほとんどの人はイリン・パイプを見たことが無かったのでした。

Christy Moore: guitar, bodhran
Liam O'Flynn: uillean pipes
Andy Irvine: mandolin
Donal Lunny: bouzouki

Planxty
Planxty
Shanachie
1989-12-12



02. I Will Find You / Clannad
  この番組はリクエストが大きな柱でもあるので、続いてはリクエストから2曲。

 1曲めはクラナド。映画『ラスト・オブ・モヒカン The Last Of The Mochicans』(1992) のテーマとして書かれ、1993年の《Banba》に収録。歌詞はモヒカン語とチェロキー語で書かれ、唄われている由。作詞作曲はキアラン・ブレナンで、映画の監督マイケル・マンはクラナドにアイルランド語で歌うことを要請しましたが、キアランは映画に描かれた当時、北米にアイルランド人はいなかったことを指摘し、この二つの言語で書くことを通したそうです。

Maire Brennan: vocals
Ciaran Brennan: bass, guitar, piano, vocals
Noel Duggan: guitar, vocals
Padraig Duggan: guitar, vocals

Banba
Clannad
Atlantic
1993-06-15



03. John Ryan’s Polka / THE CHERRY COKE$
 アイリッシュ・ミュージックをパンク・ロックの手法で解釈する国産バンドの最新作《The Answer》(2018) から。

 トシさんはご存知でしたが、あたしはこの方面には暗く、初耳でした。と思っていましたが、ハイランド・パイプの五社義明さんのライヴに飛び入りで熱いブズーキを披露していたのが、確かこのバンドのマサヤ氏ではなかったかしらん。

 こうしたタイプの音楽を "Paddy Beat" と呼ぶそうですが、ポーグスに源流があるように聞えます。

 曲は有名なもので、マイク・オールドフィールドもその昔やっていました。

KATSUO: vo., banjo
MASAYA: guitar, Irish bouzouki, banjo
SUZUYO: A-sax, tin-whistle, harmonica
LF: bass, bodhran
MUTSUMI: accordion
TOSHI: drums

THE ANSWER
THE CHERRY COKE$
徳間ジャパンコミュニケーションズ
2018-06-13



04. Danny Boy / tricolor, Hanz Araki, Colleen Raney
 このあたりでアイルランドの有名曲を1曲ということで選びました。演奏、録音は無数にありますが、このヴァージョンはアレンジが秀逸。後半、音域が高くなるところが、あたしにどうしてもセンチメンタル過剰で、あまりアイリッシュらしくなくも聞えるのです。ここでハンツ・アラキとコリーン・レイニィの二人は高くせず、しかも自然に歌っています。

 わが国ケルト系アコースティック・バンドのトップの一つ、tricolor のアルバム《うたう日々》(2016) 収録。

Hanz Araki: vocals
Colleen Raney: vocals
中藤有花: fiddle
長尾晃司: guitar
中村大史: bouzouki, accordion
渡辺庸介: percussion

うたう日々
tricolor
Pヴァイン・レコード
2016-04-20



05. All about Flying=Nenny's> Tam Lin / Uiscedwr
 〈Tam Lin〉のリクエスト。楽曲だけでアーティストの指定が無かったのでこれを選びました。「イシュカドーア」と読みます。アンナ・エセルモントがイングランドで結成したトリオ。《Everywhere》(2004) 収録。

 〈Tam Lin〉は有名なバラッドもあり、どちらにするか迷いましたが、バラッドの録音はフェアポート・コンヴェンションか無伴奏のものしか見つからなかったので、こちらにしました。無伴奏歌唱にもすばらしいものはありますが、ラジオでかけるのはちょっとためらいます。

Anna Esselmont: fiddle, chiddle, vocals
Cormac Byrne: bodhran, percussion
Ben Hellings: guitar

Everywhere
Uiscedwr
Yukka
2004-06-07



06. Chi Mi’n Geamhradh / Catherine-Ann MacPhee
 ここからケルト圏各地域の音楽を紹介しました。まずはスコットランド。

 「ケルト音楽」とはケルト語を話す地域の伝統音楽というのが、我々が掲げたものですが、スコットランドのケルト語、スコティッシュ・ゲール語で唄う、現役最高峰のシンガーがこのキャサリン=アン・マクフィー。タイトルの意味は "I See Winter"。アルバム (1991) のタイトルでもあります。

 曲は実は伝統歌ではなく、スコットランドを代表するルーツ・ロック・バンド Runrig のソングライター・チーム Rory & Calum Macdonald のペンになるもの。かれらの作る曲は、キャサリン=アン・マクフィーのような伝統に深く根差したうたい手が、かれらの歌の無いアルバムは考えられないと言うくらい、質の高いものです。オリジナルは1988年のライヴ盤《Once In A Life Time》収録。

 Runrig もぜひ紹介したかったのですが、「次」を待ちましょう。

Cahterine-Ann MacPhee: vocals
Savourna Stevenson: harp
Jack Evans: whistles
Charlie McKerron: fiddle
Neil Hay: fretless bass
Allan MacDonald: practice chanter, jew's harp, chorus
Jim Sutherland: percussion

I See Winter
Catherine-Ann Macphee
Greentrax
1994-09-06


Once in a Lifetime Runrig Live
Runrig
EMI Europe Generic
1990-07-01



07. Megan’s Wedding> The Herra Boys> The Barrowburn Reel / Aly Bain & Phil Cunningham
 スコットランドでもう1曲、ダンス・チューンのメドレー。この3曲はビートが異なるので、曲のつなぎがよくわかります。

 演奏しているのはシェトランド出身の大ベテラン、アリィ・ベインと、こちらもベテランの鍵盤アコーディオン奏者、フィル・カニンガムのデュオ。1994年のデュオとしてのデビュー作《The Pearl》から。その後、この二人は見事な録音をコンスタントに出しています。

Aly Bain: fiddle
Phil Cunningham: accordion

The Pearl
Aly Bain & Phil Cunningham
Whirlie



08. Redeside Hornpipe> Kyloe Burn / Alistair Anderson & NORTHLANDS
 ケルト圏各地の音楽紹介は続いてノーサンバーランド。スコットランドとイングランドの境界、北海側の州。ここにはノーサンブリアン・スモール・パイプと呼ばれる独特のバグパイプがあります。アイルランドのイリン・パイプ同様、鞴でバッグに空気を送り込みます。

 今回はそちらではなく、コンサティーナを中心としたアンサンブルで、ノーサンブリアン・チューンのメドレー。このコンサティーナはアイルランドで使われる「アングロ・コンサティーナ」ではなく、「イングリッシュ・コンサティーナ」です。「アングロ」は同じキーを押しても、蛇腹の押す引くで別の音が出ます。「イングリッシュ」はキーが同じなら、押しても引いても同じ音が出ます。

 アリステア・アンダースンは1960年代から活躍している大ベテランで、ノーサンブリアン・パイプの名手でもあります。近年、孫ほどの若い人たちとバンドを組んで、みずみずしい音楽を聞かせてくれます。

Alistair Anderson: English concertina
Sophy Ball: fiddle
Sarah Hayes: flute
Ian Stephenson: guitar, double bass, piano 


09. Pa Le? / 9Bach
 ブリテン島の西側にアイルランドに向かって突き出た、半島というよりは陸の塊がウェールズ。キムリア語と名告るケルト語の一派が話される地域です。ケルト語は他の地域ではどこでも消滅の危機が叫ばれていますが、ここだけは日常語として定着しています。英語ももちろん通じますが、近年では従来英語が強かった南部の中心都市カーディフでもキムリア語が日常語になっているそうです。ケルト語に属する言語はどれも我々日本語ネイティヴには極端に発音が難しいものですが、キムリア語はとりわけ難しいです。

 ここには中世以来続くハープの伝統があります。弦が3列になっているトリプル・ハープと呼ばれる独特のタイプです。また合唱もひじょうに盛んです。1965年にチャーチルが死んだ日の晩、いつもは歌声の絶えないウェールズのパブで、誰もがチャーチルについてしゃべる中、歌声がまったく聞えないことを記している人もいました。

 一方で、1970年代後半から、アイルランドやスコットランド同様、モダンな形の伝統音楽が盛り上がります。その現在最先端の形がこのバンド。この歌は伝統歌で2014年のセカンド《Tincian》から。唄われているのはキムリア語です。

Lisa Jen: piano, vocals
Ali Byworth: drums, percussion
Esyllt Glyn Jones: harp, vocals
Dan Swain: bass
Martin Hoyland: guitar, percussion
Mirain Haf Roberts: vocals

ティンシャン (TINCIAN)
9Bach
サンビーニャ・インポート
2014-05-11



10. Amazing Grace / Yann-Fanch Kemener
 ケルト圏の音楽紹介のしめくくりはブルターニュ。フランスの北西に突き出た半島です。ケルト語は大きく二つのグループに分られます。アイルランド語、スコティッシュ・ゲール語、それにマン島のマンクス・ゲール語が一つ。キムリア語、ブルターニュのブルトン語、それにウェールズの南、ブリテン島の南西に伸びる半島のコーンウォールのコーンウォール語がもう一つです。音楽的にも、この二つのグループはそれぞれに共通しています。

 ブルターニュはアイルランド、スコットランド、ウェールズとならぶ「音楽大国」です。ということはヨーロッパでも、また世界的に見ても「音楽大国」の一つでもあります。実は「ケルト音楽」ということを最初に言い出したのはこのブルターニュ音楽の先頭に立ってきたアラン・スティヴェールです。1960年代末のことでした。当時、フランスはまだ中央集権的で、ブルトン語やフランス南部のオック語などの諸言語は「方言」として抑圧されていました。それに対してブルトン音楽の独自性を訴えるために、これはフランスの一部ではない、広くケルト音楽の一環なのだと主張したのです。

 スティヴェールは父親が復興した小型のハープを主な楽器とし、カリスマ的リーダーとしてブルトン音楽を引張りました。元々強かった独自の伝統はかれによって現代化され、大きく花開いています。

 本来ならば、その音楽の実例をそのままご紹介すべきではありますが、ここの音楽の個性にはかなり強烈なものがあります。一つには、番組の始めの方に各々に相当に異なるものをあまりにたくさん並べると、混乱するリスナーも出てくるという配慮がありました。もう一つには、ブルターニュの音楽の多様性の幅は飛び抜けて大きく、どれか一つだけ選ぶのに困ったという事情もあります。

 そこで思いついたのが、このブルトン語による〈Amazing Grace〉でした。よく知っているメロディにのせて唄われると、初めて聞く言語が多少とも親しみやすく、同時に新鮮に響きます。

 〈Amazing Grace〉そのものの出自はケルト音楽とは関係が薄いのですが、ハイランド・パイプでよく演奏されることもあり、ケルト音楽の曲と認識される傾向が強い。

 歌っているヤン=ファンシュ・ケメナーはブルトン語伝統歌のうたい手として筆頭に挙げられる人です。ここでの歌詞はケメナーのオリジナルで、このトラックの録音当時2000年に注目されていたコソヴォ難民をテーマにしています。バックを支えるのも、現代ブルターニュ音楽のトップ・ミュージシャンたちです。 収録アルバムは《Les Grands Airs Celtiques》(2000)。

Yann-Fanch Kemener: vocal
Alain Genty: bass, keyboards, programming
Jacky Molard: violin
Patrick Molard: bagpipes

Les Grands Airs Celtiques
Les Grands Airs Celtiques
Traditions Alive Llc
2001-03-15



11. Here’s A Health To The Company(仲間に乾杯) / The Chieftains
 リクエストから。《A Chieftains Celebration》(1989)収録。これはまことに珍しい1曲で、ケヴィン・コネフのリードでバンド・メンバーがコーラスをつけ、アカペラで唄われます。つまり、ここでは誰も楽器を演奏していません。一度はこういうのをステージで聴きたかったものです。

Derek Bell
Martin Fay
Sean Keane
Kevin Conneff
Matt Molloy
Paddy Moloney

Celebration
Chieftains
Bmg Special Product
2004-06-01



12. Eoghainin O Ragadain / Altan
 これもリクエスト。《Another Sky》(2000) から。アイルランド語の古い歌で、メンバーのダーモット・バーンの叔父さん経由で伝わっています。ここでアコーディオンがフィーチュアされているのはそのせいかもしれません。タイトルは人名ですが、歌詞の内容はほとんどシュールリアリスティック。

Mairead Ni Mhaonaigh: vocals, fiddle
Ciaran Tourish: fiddle, whistle, chorus
Dermot Byrne: accordion
Ciaran Curran: bouzouki
Mark Kelly: guitar
Daithi Sproule: guitar, chorus

アナザー・スカイ
アルタン
EMIミュージック・ジャパン
2000-03-23



 以下、続く。(ゆ)

 まずは、「今日は1日ケルト音楽三昧」をお聞きいただき、御礼を申し上げます。昨日はやはり興奮していたのでありましょう、終ってからもあまり疲れは感じなかったのですが、今日になってくた〜としております。

 やってみての感想は番組の最後にも申しましたように、「よい勉強をさせていただいた」の一言に尽きます。それはもういろいろの面で、準備の段階からしてそうでしたが、本番では目鱗、耳ウロコがぼろぼろ落ちておりました。遊佐未森さん、光田康典さん、それに寺町さん、豊田さんのゲストの方々、富貴晴美さんの録音メッセージには、それこそ「鳥肌」の連続でありました。音楽の面ばかりでなく、リスナーへの姿勢、情報伝達のアプローチのやり方、あるいはしゃべり方や情報の裁き方などなど、あらゆる方面でよい修行をさせていただきました。NHK にはいろいろ不満もありますが、なんだかんだ言っても、プロフェッショナルな方々がおられることも認識させられました。ラストの Auld Lang Syne の説明をどうまとめるか、あたしはほとんどパニックになっていたのですが、あの最高のエンディングにもちこんだのは、アナウンサーの赤木さんはじめ、スタッフの方々の手練の賜物です。もちろん、すべてを消化吸収して、自分も同じようにできるわけではありませんが、できるところは見習って、もし次があるならば、活かしたいと思うことであります。

 それにしても何よりの収獲は、ケルト音楽との出会いが「何だ、これは?」という衝撃であったことがはっきりと把握できたことです。このことはアナウンサーの赤木さんも強調されていて、とりわけ、光田さんとのお話の中で明らかになっていったのですが、遊佐さんにとっても、富貴さんにとっても、同様の衝撃が源になっている。寺町さんのアイリッシュ・ダンスとの出会いも同じ。あたしもまさに「何だ、これは?」から始まったのでした。

 もう一つ、ああ、そういうことかと納得したのは、やはり光田さんがアイルランドをはじめとするケルト音楽の音階が長調でも短調でもない、どちらにもなりうるし、ある音だけ調を変えることもできる、そこが面白いと言われたこと。長調か短調かはドレミのミの音で決まるのだが、ケルトの音階にはこのミが無い。だから、ギターなどでコードをどう付けるかでどちらにもできる。したがってケルトのメロディは哀しいと同時に楽しくもできるし、逆も可能になる。

 富貴さんも、日本音楽の音階とケルト音楽の音階の相似を語られていました。作曲家の視点はやはりリスナーともプレーヤーとも違うのだなあ、と感服したことであります。

 生放送というのはやはり恐しいもので、ミスもたくさんありました。あたしがやらかした最大のものはヴァン・モリソン&チーフテンズの Irish Heartbeat を「1977年」と口走ったことです。なんでそんなことが口から出たのか、さっぱりわかりませんが、まあ端的にアガっていたということでしょう。幸い、すぐに誰にでも間違いとわかり、しかも正しいデータも出てくるので、それほど害は大きくなかったことを願っています。

 年号はともかく、あのアルバムが世のアイリッシュ・ミュージック認知に果たした役割には、その後の『タイタニック』や『リバーダンス』を一面では凌ぐものがあることは確かです。あれをやってのけたのはパディ・モローニの最大の業績に数えられるべきものです。

 トシさんもつくづく言っていましたが、今やっていることへの反応がリアルタイムで出てくるのはツイッターの面白いところです。

 反響の大きさには、正直、あっけにとられるところもありました。一方で、それだけ「ケルト音楽」が広く浸透していることの現れでもあります。今回、あえて「ケルト音楽」とは何かを定義したりせず、できる限り広く門戸を開いたことも寄与していたかとも思います。なかにはこれが「ケルト」かと首をかしげられる楽曲もあったかもしれませんが、また他方では、ハード・ロックやクラシックまで、実に幅広い楽曲を聞くことができました。

 「三昧」はリクエストが柱の1本ですが、前日まで来ていたものにも、あたしには初耳のミュージシャン、楽曲がいくつもあり、我々の予想は嬉しい意味で完全に裏切られました。リクエストは放送が始まってからの方が圧倒的に増えるそうですが、今回は特に顕著で、しかも相当に広く深かったそうです。生演奏が3組、ゲスト出演がお二方、それにトシさんのリクエストでマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルの28分のトラックもありましたから、放送された楽曲の総数は他の「三昧」の平均よりも少なくなりました。この点、次があるとすれば、改善の余地はありそうです。

 次があるとすれば、と先ほどから書いていますが、反響の大きさからして、次もおそらくできるのではないか、と番組のプロデューサーも言われていました。とはいえ、リスナーの後押しが一番です。次を希望される向きは、番組へのメール、あるいはツイッター公式アカウントへのメッセージなどで、直接希望をぶつけてください。

 正直、次があるとしても少し間をあけていただきたいものではあります。あたしの個人的希望を言わせていただければ、最短で来年のまた同じ時期が理想です。

 とまれ、赤木さんも繰り返し言われていたように、ケルト音楽の世界は広くて、深いものです。今回の放送でリスナーのお一人おひとりが、それぞれの「何だ、これは?」に出会い、あらためてケルト音楽の豊饒な世界の探索におもむかれる、そのきっかけになることを祈ります。

 ぼく自身、くたびれはしたものの、音楽をもっともっと聴きたくなっている自分を発見してもいます。

 とりあえずは、この企画に巻きこみ、共同解説者として責任を分担してくれたトシバウロンに最大の感謝を捧げます。(ゆ)

 肝心なことを忘れてました。この「ケルト音楽」って、何だ。というのは、番組のための打合せでもまずはじめに出たことではあります。

 アイリッシュはケルトにはちがいない。エンヤがそうだという人も多いだろう。ヴァン・モリソン&チーフテンズで「ケルト」に開眼した人もたくさんいる。ジブリのアニメでもカルロス・ヌニェスやセシル・コルベルがやっている。いやいや、『ファイナルファンタジー』をはじめとするゲームの音楽だ。

 まあ、こういうものも用意してはいますが、あたしやトシさんが基本として頭に置いているのは、もっと大きく広い。結局定義としては「ケルト語が話されている地域の伝統音楽とそれをベースにした音楽」です。

 具体的な地域をあげれば、まずアイルランド、スコットランド、ウェールズ、ブルターニュの4つが「大国」です。この4つの地域はヨーロッパ全体でみても、ひいては地球全体でみても「音楽大国」です。

 加えてスコットランドとイングランドの間のノーサンバーランド、ブリテン島の南西に伸びる半島のコーンウォール、アイルランドとスコットランドの間の島、マン島、スペイン北西部のガリシアとアストゥリアスなどの地域です。

 さらに、こうした地域からは17世紀以降、たくさんの人が移民しています。移民した先にはもちろん音楽も携えてゆき、根付いた先でその音楽が栄えます。まず北米、アメリカ東部のボストンやシカゴはアイリッシュ・ミュージックが盛んですし、カナダ東部、ノヴァ・スコシアのケープ・ブレトンではスコットランド音楽が独自に発展しています。さらには数は減りますが、オーストラリアやニュージーランドに渡った人びともいます。

 ところで、じゃあ、ケルト語とは何か。というのは番組の中でまず話すことになるでしょうが、予習として書いておきます。ヨーロッパの言語のほとんどはインド・ヨーロッパ語族に属することは、だいたい皆さんご存知でしょう。その中がまたいくつかのグループに分れます。たとえばフランス語、イタリア語、スペイン語などのラテン語派。ドイツ語、北欧諸国の言語、英語などのゲルマン語派。それとならぶ大きなグループがケルト語派です。

 ケルト語派はまた二つに分れます。ひとつが「島のケルト」と呼ばれることもあるアイルランド語、スコティッシュ・ゲール語、マンクス・ゲール語。もう一つがウェールズ語、ブルターニュ語、コーンウォール語などで、こちらは「大陸のケルト」と呼ばれたりもします。

 このケルト諸語がどういう経緯でこうした地域で話されているのかは大きすぎるのでひとまず脇に置きます。

 ケルト語が話されている地域、と言いましたが、その事情もまた複雑です。こうした地域は各々英語やフランス語やスペイン語といった大きな言語、つまり話者人口が多い言語のすぐお隣りで、こうした言語が日常語として浸透しています。そのためケルト語はどこでも少数言語として消滅の危機にさらされています。実際、コーンウォール語は二十世紀半ばに一度消滅しています。つまりネイティヴ・スピーカーが一人もいなくなりました。その後復興の努力がなされて、今はまた話せる人が増えているようです。

 アイルランドやスコットランドでも事情は同じで、言語消滅の危機が常に叫ばれています。ただ、前世紀末から風向きが変わってきました。たとえばアイルランドではアイルランド語は義務教育で必須とされているにもかかわらず、日常生活ではほぼまったく使われませんでした。わが国における英語と同じような位置にあったわけです。ほとんどのアイルランド人にとってアイルランド語はタテマエとしては大事なものではあるものの、ホンネではできれば触れたくないお荷物、あんまりカッコいいものではなかったのです。

 それが、20世紀も最後の十年ぐらいから、アイルランド語はカッコよくなってきました。名前も英語名をやめてアイルランド語にしたり、アイルランド語名前を子どもにつけたり、さらには若い夫婦が子どもをアイルランド語ネイティヴとして育てるためにアイルランド語が日常語として使われている地域、ゲールタハトと呼ばれる地域に引越すという現象まで起きてきました。

 そのきっかけとなったのが音楽です。アイリッシュ・ミュージック、アイルランドの伝統音楽は1980年代後半から急激に盛り上がり、今世紀初頭まで、空前の活況を呈します。そこで例えば筆頭に立ったアルタンが、アイルランド語のうたを歌うと、これがカッコいいと聞える。

 スコットランドでも同じで、一昨年来日した Joy Dunlop はスコティッシュ・ゲール語で日常会話もしていましたが、ネイティヴではない、つまりスコティッシュ・ゲール語は彼女にとって第二言語です。そしてジョイがスコティッシュ・ゲール語に興味をもち、ぺらぺらになるまでになったのは音楽が入口だそうです。

 実際、アルタンのマレードがうたうアイルランド語の歌や、ジョイがうたうスコティッシュ・ゲール語の歌は実に美しく、カッコよい。ヤン=ファンシュ・ケメナーがうたうブレトン(ブルターニュ)語の歌やカレグ・ラファルのリンダ・オゥエン=ジョーンズがうたうキムリア(ウェールズ)語の歌も、やはりいわんかたなく美しく、カッコいい。アイルランド人やブルターニュ人でなくても、これは一丁、自分でもこの言葉でうたってみたい、と一度は思います。

 英語やフランス語やドイツ語の歌もそれぞれに美しくカッコいいのはもちろんですが、ケルト諸語の言葉の美しさ、カッコよさには飛び抜けたところがあります。我々の耳には、歌うのではなく、ただしゃべっているだけでも歌をうたっているように響きます。それは我田引水の類としても、音楽は言葉とつながっているわけですから、ケルト語を話している地域に音楽が盛んというのは、やはりなんらかの密接な関連があるはずです。

 こういう地域の音楽を全部、今回紹介できるか、はちょっと難しいところもあります。ケルト語という共通点はあります。ダンス・チューンでは、どこの音楽も短かいメロディをくるくると繰り返してつなげていきます。ハープとバグパイプを使います。使う音階もだいたい同じ。一方で、各々はまたかなりに異なるところもあります。「島のケルト」と「大陸のケルト」の言葉の違いは音楽の違いでもあります。そういうものをあれもこれも一度にどばっと聞かされると、ちょっと待ってくれと言いたくなるでしょう。あたしなども何年もかけて少しずつ聴いてきてます。昔はネットなどはむろんありませんから、情報も手に入る音源も少ない。少しずつしか聴けなかった。それが幸いしたところはあります。

 それでも、まあ、こんなのもありますよ、と1、2曲でも紹介できればいいなとは思っています。中にはそこに引っかかる人もいるでしょう。スコットランドにはちょっと引くけれど、ブルターニュはカッコいいと感じることもありえる。なにせ、8時間以上あって、他の「三昧」のプレイ・リストを見ると、80から100曲近くかけています。アイリッシュばかり80曲かける、そりゃ、やれと言われれば100曲ぐらいは軽くかけられますが、それを喜ぶ人はやっぱり少ないでしょう。どこかでそういうイベントをやってみたい気もしますが、ラジオではないでしょうね。ですから、やはりなるべくいろいろな地域、いろいろな形のものを紹介することはできるんじゃないか、と期待してます。

 ということで、そういうリクエストをいただけると仕事がやりやすくなって、ありがたいです。この地域のお薦めを聞きたいとか、漠然としたものでもたぶんいいんじゃないでしょうか。

 ちょうど今朝、ウェールズの 9Bach のニュースレターが来ました。ウェールズでも今一番トンガった音楽をやっているバンドです。



 やはり今朝、スコットランドのハーパー Rachel Newton からのニュースレターも来てました。ソロの他、女性ばかりのバンド The Shee のメンバーでもあり、イングランドのミュージシャンたちとのジョイント・プロジェクト The Furrow Collective の一員でもあり、さらに単発やシリーズのライヴや演劇にも参加していて、多忙なんてもんじゃないようでもあります。


 このあたりはぜひ紹介したいところです。(ゆ)

 この話は実は昨年末に来ていて、以来、あれこれ準備してるわけですが、一つはこういう時必ずリクエストが来たり、かけてくれと頼まれる定番曲の用意です。

 不特定多数を相手にする発信の機会をいただいて一番ありがたいのは、こういうチャンスがないと絶対に聞かないような音源をあらためて聴かざるをえなくなることです。

 で、下記のような曲で、ありきたりのものを聴いても面白くないから、何かないかと手許の音源をさらうと、結構いろいろ出てきます。


〇Amazing Grace
Yann-Fanch Kemener, Les Grands Airs Celtiques, 2000
 この曲は楽曲の出自からするとケルトとは関係がありません。歌詞はイングランドの牧師さんが作った聖歌だし、メロディは19世紀半ばに、二つの伝統曲を合成してアメリカで作られてます。元の伝統曲はそれまで口誦伝承されていたらしく、起源不詳、たぶんブリテンのものであろうとされています。アメリカでのみ人気があり、演奏されている、というよりも、第二次世界大戦後、録音によって広まるまでアメリカ以外では知られていなかったそうです。

 この曲がなぜケルトと結びつけられるのか、あたしにはよくわかりません。ハイランド・パイプでよく演奏されるからというのも、どちらかといえば、パイプ側の主体的選択ではなさそうですしねえ。確かに、パイプで演奏すると映えますけどね。

 それはともあれ、ブルターニュ伝統歌謡最高のシンガーがこれを唄っているわけです。歌詞は本人のオリジナル。2000年の録音で、当時大きくとりあげられていたコソヴォ難民を謳っている由。バックはモラール兄弟とベーシストの Alain Genty と、これもベストの布陣。アレンジはジェンティ。

 これがもう良いなんてもんじゃない。ブレトン語というだけでまず新鮮ですが、何せヤン=ファンシュ・ケメナーです。うたい手としては、ブルターニュだけじゃない、ヨーロッパ全土でも指折りの人が心をこめて唄い、それを鉄壁のアレンジがささえる。絶唱といっていいでしょう。これを見つけたときには、今回の企画がどうなろうと、これだけでもうあたし個人としては最高の収獲と思いました。

 収録されているのは2000年に Keltia Musique が出したオムニバスで、そっけないタイトルとトラック・リストに並んでいる定番曲だけ見て、放置していて、持っていることすら半ば忘れていたもの。今回のような企画がなければまず永遠に聴かなかったでありましょう。

 聴いてみれば、ほとんどがこのための新録で、他にも冒頭の Jamie McMenemy の〈Scotland the Brave〉とか、掉尾のベルギーのグループ Orion の〈Auld Lang Syne〉とか、さらには The Fallen Angels のアカペラ版アイルランド国歌とか、とんでもない録音が詰まってました。このアイルランド国歌も番組のどこかで紹介したいもんです。


 というような感じで、まあ楽しいんですが、以下の曲で複数の名前が書いてあるのは、どれにするか絞りきれていないもの。こういうところで、これが聴きたいというリクエストをいただけるとありがたいです。


〇Danny Boy
Hanz Araki & Colleen Raney, tricolor, うたう日々, 2016

〇Down By The Sally Gardens
Kathryn Roberts, 1993, Intuition, 0:04:11
Maireid Sullivan, 1994, Dancer, 0:03:36
Noirin Ni Riain, 1996, Celtic Soul, 0:05:51

〇Foggy Dew
奈加靖子, Slow & Flow, 4:53
Tomas Lynch, The Crux Of The Catalogue, 5:55

〇Lagan Love
Sinead O'Connor, Sean-N'os Nua, 0:04:44
Niamh Parsons, Heart's Desire, 0:03:12
上野洋子, SSS 〜Simply Sing Songs〜, 0:03:49
Lisa Hannigan, The Chieftains, Voice Of Ages

〇My Love Is a Red, Red Rose
Davy Steele, 1998, Complete Songs Of Robert Burns, Vol. 04, 0:02:22
Kathryn Tickell + Corrina Hewat, 2006, The Sky Did't Fall, 0:03:21

〇Raglan Road
Alyth, Homelands, 4:43
Tommy Sands, Too Shorten The Winter, 5:13
奈加靖子, Slow & Flow, 6:23

〇Scotland the Brave
Jamie McMenemy, Les Grands Airs Celtiques, 

〇Siuil a Run
Anam, First Footing, 3:24
Carmel Gunning, The Lakes Of Sligo, 3:05
Connie Dover, The Wishing Well, 4:34
Skylark, All Of It, 3:05
Maighread Ni Dhomhnaill & Iarla O Lionaird, Sult, 4:47

〇The Last Rose Of Summer
Megson, On The Side, 3:42

〇Water Is Wide
Sian James, Di Gwsg, 3:05
Ross Kennedy & Archie McAllister, THE GATHERING STORM, 1996, 4:30
Josienne Clarke & Ben Walker, Nothing Can Bring Back The Hour, 3:14
優河, 街灯りの夢, 6:01

〇Whiskey in the Jar
Frank Harte & Donal Lunny, My Name Is Napoleon Bonaparte, 2:43


 さて、あと1週間しかないし、まだまだ用意しなければならないことはあるんで、作業にもどります。(ゆ)

 ようやくサイトが公開になりましたので、お知らせします。

 来週03/21(木)にNHK-FM で「今日は1日ケルト音楽三昧」が放送されます。正午過ぎ、12時15分から夜9時15分までの生放送、途中、夜の7時前後にニュースなどで40分の中断が入ります。公式サイトはこちら。リクエストもこちらのサイトからどうぞ。

 これの解説にあたしが駆り出されました。トシバウロンと二人で8時間半を担当します。

 ラジオには何回か出させていただいてもいますし、ライヴのイベントもやってはいますが、8時間半の生放送は初めてで、どういうことになるのか、まるで見当もつきませんが、まあ、なんとかなるだろう、と亀の甲より年の功というやつで、楽観してます。

 リクエストが優先されるようなので、皆さん、濃いやつをお願いします。リクエストとなるとエンヤなんかも来るでしょうし、ラスティックも多いんじゃないかと思いますが、正直、そういうのはもう避けたい。そういう向きは、他にいくらでも聴けるチャンスはあるわけですから、時間に余裕のあるこういうときには、ふだん、かけられないようなものをかけてみたいもんであります。リクエストはあたしにではなく、あくまでも上記公式サイトからお願いします。

 それと、今回は「ケルト音楽」ということで、アイリッシュに限りません。スコットランド、ウェールズ、ブルターニュはもちろん、コーンウォール、ノーサンバーランド、マン島などのケルトの中でもマイナーなところや、スペイン北部、北米、オーストラリアなどまで手を伸ばしたいものです。もちろん、わが国で今盛り上がっている状況も紹介したいですね。

 トシさんがいるということもあって、ゲームやアニメ方面の話や楽曲にも触れる予定です。こないだ『フェアリー・テイル』アニメ版のテーマを聞いて、あんまりマンマなんでびっくりしました。

 あたしなんてはたして8時間も保つのか、不安もありますが、トシさんがいるんで、まあ何とかなるでしょう。しかし、前日ははにわオールスターズのライヴ。ほんとにどうなるんでしょうねえ。(ゆ)

 堪能した。音の良いホールで、アコースティック楽器のアンサンブルを、ほぼ生音に近く、極上の音楽を聴くことの快感を心ゆくまで味わえた。こんな体験は求道会館のヴェーセン以来だ。

 こういう条件が揃ったライヴを聴くと、音楽を良い音で聴くことのありがたさが身に染みる。常日頃は録音をヘッドフォンで聴いているのだが、良い音とはどういうものかの基準を否応なく体験させてもらった。オーディオは錯覚によってファンタジィを作りだすので、おのずから生音とは違ってくる。とはいえ、そこで聞える音が良いかどうかの基準はやはり生音にあるわけで、スタジオのモニターから聞える音では無いはずだ。何かというと「スタジオ・モニター」がもてはやされるのはスピーカーがメインだった昔も、ヘッドフォン、イヤフォンが中心になった今も変わらないが、メーカーもリスナーも、皆さんもっとライヴを、生音を聴くべきだ。

 ライヴの生音といってもいろいろある。電気楽器を使うかアコースティックか、フルオケとトリオ、ヴォーカルの有無、それぞれに異なる。あたしの場合、一番多いのは小編成のアコースティック楽器のヴォーカルも含めたアンサンブル。となると、今回のライヴのような形が理想になる。

 O'Jizo は音楽だけでなく、ライヴそのものの組立ても堂に入ってきた。選曲と構成に非のうちどころが無い。新作からの曲が多いのは当然としても、それだけではないし、テンポの緩急、MC をはさむタイミングがすばらしい。冒頭、新作と同じ曲で始めて、あのトラックのラストの手品を期待していたら、間髪を入れずに次の曲へ移ったのには唸った。ラストはアップテンポでしめくくるのはいわばお約束だが、アンコールに〈ウィステリア〉をもってきたのはまことに粋だ。

 MC はほぼ豊田さんだけだが、これまた巧いものである。アイリッシュ関係ではしゃべり過ぎないことが肝心だが、内容と分量が適切で、話の切り上げもいい。アイリッシュ・ミュージックのマニアが集まるわけではないし、O'Jizo のファンばかりとも限らないこういうオープンな場での聴衆の傾向の把握とそれへの対応がしっかりできている。経験を積んでいるということではあるが、苦労もずいぶんされたことだろう。

 その音楽がまたいい。この点では先日の内藤&城田&高橋トリオから tipsipuca+ へとハシゴしたのと同じく、日曜日のジョン・カーティから O'Jizo への変化がうまく作用してくれた。かれらの音楽がニセモノとかサルマネとかいうことではむろん無い。それはまことに独創的な、このバンドにしか生みだしえないものだし、我々だけに限って通用するものではないことは、アメリカでの成功が一つの証左となる。つまり、ここではアイリッシュ・ミュージックの異質性が O'Jizo の中で醗酵することにより、あたし好みの味になっている。わが国の水でわが国で収獲した小麦でわが国で醸造したギネスがあるとすれば、それが一番近い。

 メロディの捻り、ハーモニーの展開、あるいはビートのアクセントの置き方、どれもいちいちツボにはまってくる。オリジナルももちろんだが、伝統曲を組み合わせるセットの作り方にも、それは現れる。《Via Portland》からの〈Three G〉や、後半でやった新作からの〈Cameronian Highlander〉など、もう、たまりまへん。

 14時開演のアフタヌーン・コンサートというので、あたしもいささかみくびっていたが、蓋を開けてみると、2時間たっぷりのフルのライヴ。いい気分で外に出ると、まだまだ日没までは間があるというのは何となく嬉しいものである。

 この話をいただいた時、平日の昼間でお客さんが来るんですか、と思わず訊き返したら、平日の昼間だからこそ来られるお客さんもいますと言われた、と豊田さんが言う。確かにその通りで、老人などは陽が落ちても外をうろうろするのは嫌だという人も結構いる。シフト制の勤務で、平日が休みという若い人も少なくなかろう。今回はいなかったけれど、子ども連れではやはり夜の外出は難しい。平日の昼間のライヴはもっと増えてほしい。

 ここは長津田駅前の再開発で作られた一角で、駅からはショッピングモールしか見えないので、こんな素敵なホールが陰にあるとは知らなんだ。クラシックの室内楽が多いようだが、これなら、アイリッシュやノルディック、ジャズなどにも良いだろう。(ゆ)

 昨年秋に出した新作《Storyteller》の10月のレコ発では熊谷さんが持病の腰痛の発作で急遽欠席。トリオでのライヴとなり、それはそれでこんなことでもなければ見られない貴重な体験ではあった。

 熊谷さんはその後、良い整体師と巡り会い、簡単ながら効果抜群の「体操」を教授されてすっかり回復。以前よりもずっと調子が良くなったそうな。そこでこのリベンジ、二度目のレコ発とはあいなった。先日のきゃめると同じく、tipsipuca+ 初体験のお客さんも多いが、皆さん、これでファンになったことだろう。

 冒頭、《Growing》のタイトル曲。ギター、ロウ・ホイッスル、フィドル、パーカッションによるこの曲が始まってしばらくして、自分が感動しているのに気がついた。録音でもライヴでももう何度も聴いていて、良い曲ではあるが、どこかほっとした、緊張していたのが抜けていくような感動だ。

 このほっとした感覚、どこかいるべきところに戻ってきた感覚はその後も続く。〈眠る前の話〉のような、ハーディングフェーレの曲でも変わらない。というよりもこの曲にいたって、そのよってきたるところがぼんやり見えてきた。この曲は担当楽器もあって北欧ベースと思っていたし、実際そういう狙いもあるはずだが、それがいかにも日本的なメロディであることに気がついたのである。

 次の〈長崎のモナハンさん〉で、ことはほぼ決定的になった。これは〈Miss Monahan〉に長崎の〈でんでんりゅうば〉を組み合わせている。こういう組合せはこのバンドのウリのひとつではある。

 レパートリィのほとんどは高梨さんのオリジナルだ。フォームはジグやリールやポルカといったアイリッシュのダンス・チューンのものを借りているし、メロディ・ラインや音階のような構造もアイリッシュをエミュレートしている。しかし、作曲者は日本語ネイティヴであって、曲に込められた感性、感覚はアイリッシュのものではなく、日本語のものだ。あたしも日本語ネイティヴであって、ほっとしたというのは音楽の日本語的要素に対してなのだ、きっと。これはいわばアイルランドで栽培された米とアイルランドの水で仕込まれた日本酒に近い。それを邪道として排除するか、それも面白いではないか、と愉しむか。あたしは飲んでみて旨ければよしとする。

 アイルランドのネイティヴがやったってダメなアイリッシュ・ミュージックは存在する。録音になるのはフィルターがかかるから滅多に無いが、それでも皆無ではないし、アイルランドのネイティヴが全員音楽の天才なんてことはありえない。ダメなものはダメなのだ。

 昼間の3人の音楽は、アイリッシュ・ミュージックとしておそろしく質の高い演奏であって、アイルランドのネイティヴのトップ・クラスと肩を並べる。内藤さんや城田さんがよく一緒に演っているフランキィ・ギャヴィンやパディ・キーナンのレベルだ。だからあれはあたしにとって異文化になりうる。

 tipsipuca+ の音楽はその意味では異文化ではない。日本語ネイティヴによる日本語の音楽だ。アイリッシュ・ミュージックのフォームと構造を借りた、日本語のソウル・ミュージックなのだ。あたしは演歌などよりも遙かにこの音楽に日本語のソウルを感じる、というだけのことだ。

 それが最も端的に、圧倒的な形で現れたのが、ゲストの Azumahitomi さんがご自分で詞をつけた〈とりとめのない話〉だった。正月に豆のっぽと共演したさいとうともこさんがスウェーデン語の歌詞のついた〈Josephine's Waltz〉を唄ったのにも感動したが、こちらは日本語の歌詞だけに、そしてその歌詞の内容に、さらに感動が大きい。tipsipuca+ 版のこの曲はギターとパーカッションがドライヴするアップテンポな解釈でほとんど別の曲の趣だが、歌詞がつくと、あらためて名曲度が増すのは〈Josephine's Waltz〉と同じだ。

 Azuma さんはシンセサイザーの名手でもあって、アナログ・シンセを持ち込み、次の〈鮭の神話〉に乱入する。いやあ、面白い。楽しい。ご本人も楽しかったらしく、tipsipuca+ のこの後のツアーに同行したいと言い出し、その場で決まってしまった。

 熊谷さんが入ったバンドを聴くと、やはりこちらがこのバンドの本来の姿だと思う。ダイナミクスの次元が違う。ラスト近く〈肴ジグ〉でのサイドドラムのヘリ打ちなど、熊谷さんがいることのありがたさが身に沁みる。この人はドラム・キット中心ではあるが、細かい鳴り物を入れるのも得意で、これがまた曲をふくらませる。

 それにアニーのギターがリズム・カッティングから解放されて、フィドルとメロディをユニゾンしたり、上記〈肴ジグ〉では、コード・ストロークでもフィンガーピッキングでもない、よくわからないがとても面白い音で裏メロをつけたりもする。音楽が全体として立体的に、そして内部もより緻密になる。

 それにしても Azuma さんとの組合せはすばらしい。シンガーとしての Azuma さんは力いっぱい拳を握るところと、ふわあと抜くところの出し入れが巧く、すばらしいソウル・シンガーだ。こういう人がこういうアンサンブルでこういう歌をうたうのはもっともっと聴きたい。録音でも聴きたい。

 ダブル・ヘッダーはもともと厳しいが、今回は全く対照的で、しかもどちらもとても良い音楽を堪能させてくれて、正直、へとへとになった。しかし、こうして続けて体験することで、あらためて見えたことは、あたしにとってはかなり重要なことでもある。これだからライヴ通いはやめられない。(ゆ)


Storyteller
tipsipuca ティプシプーカ
ロイシンダフプロダクション
2018-09-23



Growing グロウイング
tipsipuca ティプシプーカ
ロイシンダフプロダクション
2015-07-19


 相変らず高い水準で安定している。それでも、ライヴの度に新たな面を見せてくれるのが彼女たちの楽しいところだ。今回のテーマはテンポ。同じ曲をテンポを変えて、たいていははじめゆっくりと、次に速い、いわば本来の速さでやる。これが面白い。テンポによって曲の感じががらりと変わる。

 それが最も顕著に出たのは成田さんの〈Smoky Leaf〉。佳曲だが、これはまだ録音がなく、ライヴでしか聴けない。先日の豆のっぽでもやっていたが、カルテットでゆっくりやると、どこか神秘的な、謎めいたけしきが出る。不気味な味わいと言ってもいい。この味わいは、これまでのきゃめるには無いもので、あるいは案外、本質のところに根差すかもしれない。本人たちも意識してはいないキャラクターだ。ところが、後半、速く演奏されると、その味わいが消えて、フツーの曲になる。フツーといっても、きゃめるなりにフツーなので、この曲はハイライト。

 やはりテンポが変わって面白かったのが、アンコール。前半のスローなところでのバゥロンがかなり良い。もう一つが〈Northern Lights Set〉で、はじめスローでやり、後半速くなる。その変わり目のところにブレイクを入れたのは工夫。

 そして3曲目で〈Butterfly〉をゆっくり演ったのも新鮮だ。

 テンポというよりもビートだが、冒頭〈高知の正月〉と最後のアンコールその2〈そして終電〉 b パートのシンコペーションは快感だった。

 もう一つ、愉しかったのが、クラシックのバロックの風味を感じたこと。2曲目の〈乾杯ポルカ〉の a と c のパート、それにアンコールその2の〈そして終電〉の a パート。彼女たちはもともとはクラシックの訓練を受けてはいるが、それとのつながりではないようにも思える。どちらかといえば、むしろカロラン経由ではなかろうか。

 会場は渋谷の再開発の一環で、宮下公園と明治通りをはさんだ反対側に新たにできた複合ビルの1階のカフェ。こういう所はライヴになるとテーブルを片付けるところが多いが、今回は普段のままのゆったりとした席の配置だったのは、ありがたかった。半分強がきゃめるのライヴ初体験だったのは、先日の酒井さんの結婚披露フェスのおかげかな。

 今年はきゃめる十周年で、さてこれからどんな音楽を聴かせてくれるか。(ゆ)

Wonder Garden
きゃめる
ロイシンダフプロダクション
2017-07-23


 久しぶりに見るジョンジョンフェスティバルはまた一回り大きくなっていた。かれらのような確立しているバンドに成長というのはどうもふさわしくない気もするけれども、その変化の質には成長とどうしても呼びたくなるところがある。

 個々のメンバーのライヴは見ている。アニーはつい先日も O'Jizo で見たし、toricolor でも、セツメロゥズでも、あるいは福江元太さんとの組合せでも、さらにはソロでも見ている。トシさんとじょんは、これもつい先日、高橋創さんとのトリオを見た。このトリオのことを思い出して、その時にトシさんが「今日はバンドでもないので」と言ったことの意味が、ようやく腑に落ちた。

 メンバーが一人入れ替わるだけで、まったく別の存在になるのは、セツメロゥズとキタカラの違いでも実感していた。けれどもバンドであるかないかはまた次元が異なってくる、と昨日のジョンジョンフェスティバルを見るとわかる。つまりはメンバー間の結びつきの緊密さがまるで違う。それが最も鮮明に聞えたのは6曲めの〈Dear Gordon〉だ。

 このバンドのウリの一つはダイナミズムだ。テンポの速い遅い、音量の大小、音質の軽い重いの対照にメリハリをつけ、より明瞭に提示、展開することで楽曲に備わる魅力をとことん引き出す。これは本来アイリッシュをはじめとするケルト系の伝統音楽、というよりもヨーロッパの伝統音楽ではもともとはほとんど見られない。かれらの独自の工夫である。しかもそれを一つの流れとして、無理のない形で見せる。様々な要素の大きな変化が自然に聞えるような楽曲を選び、順番を考え、アレンジを施す。大音量でトップスピードで疾走していたのがすっとゆっくりに、小さな音になっても、唐突に聞えないようにしている。これが広く訴える力を発揮するのは、一昨年、カナダの Celtic Connections で大喝采を受けたことでもよくわかる。

 今年はオーストラリアをツアーして、同様の反応を引き起こしたそうだが、一方で、地元とは異なる嗜好をもつ人びとを相手にすれば、同じことを繰り返しているわけにもいかない。それに、やはり演っている方もつまらないだろう。そうしたツアーを重ねるところで、JJF流も進化・深化していったにちがいない。

 その成長を子細に分析するのは他にまかせたいが、ひとつ言えるのは、ダイナミズムのレベルが複相になっていることだ。これまでは対照の軸の方向は様々でも、軸に沿っての変化はシンプルだった。たとえば音が大きいか小さいかの変化であったものが、その中でさらにもう一段の変化が起きる。どう変化しているかを細かく聞き取るのは、昨日の録音から作られるというライヴ・アルバムを待ちたいけれども、そこで生まれる効果、音楽の姿は魔法に近い。

 あたしがハマりこんでいるグレイトフル・デッドのライヴでは、ある曲から次の曲へ途切れ無しにぱっと移ることをよくやる。よくやる、というよりもそれが普通だ。時にはまるで正反対の性格の曲に、一瞬で切り替わる。決めていたわけではない。デッドはライヴにあたってセット・リストを作らなかった。何をやるか、ステージの上で、その場で、即席で決めていた。それでいて、綿密な打合せでもしてあったかのように、スムーズに移ってゆく。その様子は魔法かテレパシーにしか見えない。

 JJFの場合には、まだそこまで行ってはいないだろう。つまり、まったくの即興で、その場で次の曲を決めてゆくことはしていないだろう。けれども、聞えている音楽、それを聴く体験としてはきわめて近い。

 全体としては、アレンジがより肌理細かく、シャープに聞える。それを可能にするテクニックも、個人としても、ユニットとしても上がっている。個人としてのテクニックの上達が最も明瞭に顕れたのはトシさんのバゥロン・ソロで、いつものほほんとした顔をしていながら、ここまで上達するには日頃よほど精進しているんだなあ、と感心してしまった。やっていることはむしろシンプルで、バゥロン・ソロではよくあるように可能なかぎり多彩な音をいかに組み合わせるかではなく、とんでもなく細かく、しかも底の硬い音を連ねてゆくのが説得力を生んでいる。

 アニーも随所で速いチューンをギターでフィドルとユニゾンする。ギターがユニゾンするのは実にスリリングだ。回数から言えば、今年一番多く見たのはアニーの出るライヴだった気もするが、見るたびに巧くなっているようにすら思える。

 そういう点ではもともと高いレベルだったじょんのフィドルは、上達の度合いがはっきりわからないのは不利かもしれないが、ゆったりと音を延ばすときの響きが一段と豊かに、広がりをもって聞える。昨日は増幅をできるだけ抑えて、生音に近い音だったから、なおさらたっぷりと響いた。

 3曲の歌もそれぞれに良い。じょんが思いきりコブシを回す〈思いいづれば〉、リードを交替し、ハーモニーを効かせる〈海へ〉は、それぞれにハイライト。

 休憩なしの90分一本勝負。求道会館という会場のもつ音響、雰囲気もあって、他とは一線を画し、一頭地を抜いた体験。グレイトフル・デッドのライヴ、コンサートはなぜか「ショウ」と呼ばれるのだが、尊敬の意味も込めて「今年最高のショウ」と呼びたい。さて、今日の二日目はどうなるか。(ゆ)

 高円寺グレインでのライヴがあまりに良かったので、原則を破って連日のライヴ通いした福江さんの東京2デイズの2日めは、前夜とはがらりと変わったものだったけど、やはり同じくらいすばらしい。中村さんとの組合せも別の意味でばっちりで、こうなると、福江、中村、高橋の3人でのライヴというのも聴いてみたくなる。

 変化の要因の一つはレテというこの空間。20人も入れば満員の小さな空間は、床と壁は木で、やや高い天井が打ちっ放しのコンクリート。演奏者は奥の、少し狭くなったところに位置する。木の壁で三方が囲まれたそこで奏でると、アコースティック・ギターの響きがすばらしいらしく、福江さんがあらためて驚いている。響きのよさに、いつまでもそこに座ってギターを弾いていたくなるらしい。

 演奏者のいる場所の天井には枯れ枝がからまる装飾というよりは彫刻と呼んでみたくなるものが吊るされている。音響にはこれも良い効果を生んでいるのではないか。照明はその絡みあった枝の中に吊るされた小さな電球、LEDではない、昔ながらの電球だけで、演奏中はこれも少し暗くなり、静謐な空間を生み出す。

 室内はいい具合に古びた感じで統一されている。椅子は、おそらく教会用の、背中に書類か薄い本を挿すいれものがついている。固く、小さく、坐り心地は良くないが、音楽には集中できる。トイレの扉も、ヨーロッパの旧家からはずしてきたような、白塗りのペンキがあちこち小さく剥げかけた両開き。

 全体に、下北沢のライヴハウスというよりは、どこか人里離れた岬の上にでも立つ小さなバー、という感じで、周囲の時空からすっぽりと切り出されている。

 正面、演奏者の背後の壁には、2メートル四方くらいの大きな絵の複製が、枠もなく、裸で貼られている。何を描いているのか、はじめわからなかったが、ずっと見ているうちに、どうやら中央に開けているのは川面で、両側にびっしり背の高い草が生えているのだと見えてきた。店の名前から、地獄の手前のレテ(忘却)の河かと思ったら、そうではなかった。しかし、そうであると言われても、納得する、ひどく静かな絵だ。

 ライヴは中村さんのソロで始まる。ソロ・アルバムに収めたような、静かでスローなダンス・チューンを坦々と弾いてゆく。MCの声も低く、ほとんど囁くようだ。自然にそういう振舞いになるのが、よくわかる。この空間に、騒々しいおしゃべりは似合わない。終演後のおしゃべりでも、皆さん、自然に声が低くなる。中村さんの静謐なギターの静謐なダンス・チューンは、その空間に沁み透る。

 中村さんは歌も唄う。〈見送られる人〉と〈夢のつづき〉。後者は聴いた初めから好きになったが、前者も何度かライヴで聴いて、だんだん好きになってきた。どちらも太文字で「名曲」とわめきたくなるものではないが、折りに触れて、聴いては味わいたくなる。不思議な魅力を備えたうただ。

 中村さんのラストに、福江さんと二人で〈オリオン〉。たがいにリードとリズムを交互にとるのは高橋さんの時と同じだが、シャープな高橋さんに対置すると、中村さんは全体にソフト・フォーカス。それでいて、焦点はぴしりと合っている。片方がカウンターメロディを弾いていて、するりとユニゾンになり、またふわりと離れる。うーん、たまりません。アコースティック・ギター2本のユニゾンがこんなにすばらしいとは。篠田昌已が大熊ワタルさんに、ユニゾンは深いんだよ、と言ったそうだが、いや、ユニゾンは実に深い。

 後半はまず福江さんのソロ。やはり静謐なドイツのピアニストの小品から始まり、その後は前日同様、ソロ・アルバムからの曲がメインだが、これまた響きがまるで違う。グレインでは福江さんの演奏を初めて見ることもあって、テクニックに眼を奪われたところがあるが、昨日はテクよりも曲そのものがずっと入ってくる。二度目ということはもちろんあろうが、それよりもやはりこの空間の作用が大きい。聴く者に音楽を沁み込ませるのだ。

 選曲も違ってきて、福江さんが大好きというアンディ・マッギーとエリック・モングレインの二人のギタリストの曲をカヴァーする。どちらも楽器としてのギターの限界をおし広げようという挑戦精神に満ちていて、しかも音楽として面白い。弦を叩いてわざと出すノイズが実に美しく響いたりする。福江さんの作る曲にもこの二人の影響は明らかだ。むろん、この二人だけではないはずだが。

 ひとしきりソロでやってから、また二人になる。中村さんが左、福江さんが右に座るが、幅が無いので二人は客席に直角に、互いに向かい合う形。二人でやると、またユニゾンに合わさったり、自然にズレて離れたりする対話になる。ずっとユニゾンではなく、ここぞというときにユニゾンになるのが、こんなにスリリングだとは知らなんだ。

 ハイライトはその次の福江さんの〈Coma〉で、まず中村さんがリード、応えて福江さんがリードをとる。ぞぞぞぞぞーと背筋に戦慄が走る。アコースティック・ギターの醍醐味、ここにあり。しかも、熱いのに、あくまでも静か。盛り上がるのにうるさくならない。聴く方は音楽に吸いこまれる。

 アコースティック・ギターにはやはり魔法がある。そして、この空間にもまた魔法が働いている。

 お客さんの数は少なかったけれど、ライヴに通うために九州から東京に転職したという若い女性や、hatao さんのお弟子さんで、遥々台湾から中村さんを見に来たという、これまた若い女性もいる。やはり、ここはどこか特別なのだ。当てられて、まったく久しぶりに Bushmills など飲んでみる。8月はまことに幸先よく始まった。(ゆ)

fluctuation
福江元太
gyedo music
2018-08-29


guitarscape
Hirofumi Nakamura 中村大史
single tempo / TOKYO IRISH COMPANY
2017-03-26


 先日のビッグバンドでのライヴはまことにすばらしかったが、こうしてトリオとして見るのは、こういうハコ、こういうシチュエーションが最もふさわしく思える。30人も入れば満杯のカフェで、まったくの生音。ミュージシャンたちは店の外から入ってきて、それには入口に座っているお客さんがどかねばならない。コンサートというなら、友人の家でのハウス・コンサートの趣きだ。ホメリよりもこちらを選んだのは、まず単純に家にずっと近いことと、この会場は初めてだったから。

 まったくの生音なので、楽器が本来備える音量が出てしまう。だから、アコーディオンの音を時に絞る。あるいはピックを替えて、柔い小さな音をブズーキやギターで奏でる。音楽に合わせて、適切な音量を楽器から出すというのも、なかなか骨の折れることであろう。そういう手間暇、工夫を、楽しそうにやるのもミュージシャンとしての技倆のうちだろうか。熊谷太輔さんも、場所に応じて音量を調節すると言っていた。

 それにしてもフィドルとアコーディオンのユニゾンが気持ち良い。前半最後の〈Letter from Barcelona〉の後半、テンポがアップしてのあたり、メロディ担当の二人が眼を合わせてにこにこしながら演る。

 前半は旧作の『歌にまつわる物語』以前のアルバムの収録曲や、まだ録音をしたことのない曲を連ねる。『うたう日々』に入っている〈見送られる人〉がいい。中村さんの声、とりわけ高域がいい。前からこんなに声が良かったっけ。たぶん、そうなので、あたしが気がつかなかっただけなのだろう。

 後半は《BIGBAND》の曲をトリオでやる。音が瘠せたりしないかとかちょっと不安もあったが、いざ聞いてみるとこれはこれで味がある。次は《tricolor littleband》で、同じ曲をトリオだけでやってみてもいいんじゃないかと思えるくらいだ。テンポもごくわずかだが変えている。

 ここでもアコーディオンが大活躍で、主旋律はフィドルに任せて、まあ遊ぶ遊ぶ。こういうのを聞くと、ライヴ録音を出してくれとあらためて思う。ラストはやはり〈Anniversary〉で、どんな形で聞いてもこれは名曲。〈パッフェルベル〉をリールに仕立てるのはマーティン・ヘイズのアイデアだったわけだが、ジグにも仕立てて、その前に置くのは tricolor の独創で、この組合せには魔法がある。

 考えてみるとこのトリオのライヴをまともに見るのは、初めてかもしれない。もうずっと昔から何度も見ているはずだと思うが、記録を辿ってみても出てこない。あらためてこうしてトリオでのライヴを見ると、ビッグバンドをやったのが不思議ではなくなる。前半を聞いていると、録音でもアルバムごとに冒険をしていて、かれらがビッグバンドをやるのは、実はバンドの根幹から生まれているのだと納得されてくる。後半、実際にトリオでの同じ曲の演奏からは、この基礎がちゃんと据えられているから、ビッグバンドもうまくゆくのだわいなあ、と思えてくる。今のわが国のアイリッシュ系のバンドの中でも、tricolor は伝統に一番忠実に、普段着の音楽をやっていると思えて、そのこと自体ははずれてはいないと思うが、根底にはかなりラディカルな志向も持っている。やはり、伝統とは本来、ラディカルな性質も不可欠の要素として含んでいるものなのだ。

 直前まで九州ツアーをしていて、この日の昼に東京にもどってきたそうで、今日がツアーの最終日の感じと言う。話を聞くと、九州でも地元に根づいた地道な活動をしている人たちがいて、そういう人たちとのつながりがバンドを動かす力にもなっているようだ。まことに心強いことではある。

 次のヒュッテでのライヴは11月の O'Jizo で、もちろん予約しました。(ゆ)


トリコロール・ビッグバンド
トリコロール
Pヴァイン・レコード
2018-05-16


 ナベさんがパーカッションを叩きだし、アニーのギターが加わり、少しためて大渕さんのヴァイオリンと秦さんの鍵盤アコーディオンが入った途端、体が浮いた。先月、西の方を5ヶ所ツアーしてきたというその成果は明らかだ。むろん、それだけではないだろうが、バンドとしての一体感が出てきた。メンバーの歯車が噛みあって、滑らかに動くようになってきた。これがもう少し成熟すると、今度は有機的につながってくるが、その前、いわば物理的なシステムとして完成された今の段階もまた面白い。バンドが一つの核になるものを摑んで、一個のマシンとして動きだすのを見るのは快感だ。こうなると各メンバーの腕がまた上がったように聞える。

 実際、上がってもいるのだろうが、大渕さんやアニーの腕は相当に高くて、さすがにそうそう毎回巧くなったとわかるはずはなかろうと思う。それでも、前回よりも腕が上がったように聞えるのは、バンドの中での絡み方、差し手引き手の呼吸が良くなっているからだ。大渕さんもハモクリとはキャラを変えて、おそらくエフェクタなどを使っているのだろうが、音のエッジをまるめてソフトにしている。このバンドの曲は1曲の中でアップテンポのパートとスローなパートが共存し、交互に出てきたりする。ソフトな響きがその構造によく合っている。ラスト〈星空に誓って〉でニッケルハルパのような音を出したのも面白い。

 アニーがバンドによってキャラを変えることにナベさんが感心していたが、そのナベさんもバンドによって変身することでは劣らない。このバンドは主宰でもあり、一番やりたいようにやっている。実際、パーカッションが場の空気を決めている。同じ曲でもどうも叩き方が違う。少なくともそう聞える。そうするとメロディは同じなのに、印象が変わる。明るい曲が昏くなるなどとコトバで言えるような変化ではないが、メロディが備えている感覚とリズム・セクションが生み出すグルーヴがうまくずらされていて、曲全体のイメージが重層的になる。生演奏を聴いているワクワク感が増す。そのずらし方が巧くなった、と言えるだろう。

 明らかに腕が上がったとわかるのは秦さんの鍵盤アコーディオンで、前半ラスト、ケルト系ダンス・チューンを取り入れた曲で、大渕さんのヴァイオリンとすばらしいユニゾンで聞かせる。こういう曲を弾かせて、この楽器では今トップではないかとすら思える。アニーより巧い。目指せ、フィル・カニンガム!と思わず心の中で叫んでしまう。本人は後半のピアノの方が本来の楽器でもあり、おちつくらしいし、ピアノの入った演奏もこのバンドの別の面が出てきて面白いが、あたしとしてはアコーディオンをもっとばりばりに弾きまくるところを聴きたい。

 後半は秦さんがピアノに回り、アニーがギターとアコーディオンを持ち替える。後半冒頭の〈待ち人〉がまずいい。一度終ったと見えてピアノがソロをとり、アコーディオンが受け継いで、再びフルバンドで今度は本当にコーダという構成は、前回も良かったが、さらに良い。だいたいこのバンドの曲は終ったと見せて、実は終っていないことが多々ある。次の次の〈寒暖〉もそうだが、こういう構成の妙はどうやらこのバンドのウリらしい。

 ピアノが入るということで後半はスローなバラード曲が多いがどれも佳曲だ。〈水模様〉のセカンド・テーマのメロディがいい。このバンドはまだまだ全部の顔を見せていないような気もする。あるいは、メンバーも知らない色々な顔がどんどんと現れているのかもしれない。対バンによって新たな顔が引き出されることもあろう。今日はザッハトルテとの対バンで見たかったのだが、残念。次回はピクリブというまた対照的なキャラのユニットとの対バンで、これは楽しみだ。(ゆ)

Groovedge
渡辺庸介: percussion
大渕愛子: fiddle
中村大史: guitar, accordion
秦コータロー: accordion, piano


 こういう対バンはたいてい面白い。先日のジョンジョンフェスティバル vs. 馬喰町バンドもそうだったが、とりわけ、ミュージシャンがこの連中と一緒にやりたいと思ってやる対バンはまずはずれがない。というより、意想外の面白さが出るものだ。面白くなるだろうという期待を良い方に裏切る。

 NRQ というバンドは初耳だが、もう11年目だそうで、もちろんあたしなんぞの知らない優れたバンドは山のようにある。New Residential Quarters つまり新興住宅地の略だそうだが、NRBQ の本名を誰も知らないように、今や NRQ としか呼ばれないらしい。編成がユニークだ。二胡とエレクトリック・ギターとコントラバス、それにドラムスとサックスの持ち替え。このドラムス、サックスが中尾勘二氏というのは意外だった。まったく世代が異なるからだ。伝統音楽の世界では異世代メンバーのユニットは珍しくないが、これはそういうバンドなのか。中尾氏はシカラムータにもいて、あちらも異世代だが、シカラムータはまあ伝統音楽バンドといってもいい。

 聴いてみれば、うーん、これはまた分類不可能の音楽だ。実に面白い。まずギターが尋常でない。あたしがまず連想したのは、グレイトフル・デッドのボブ・ウィアのギター。ウィアのギターは通常のリズム・ギターではないし、リード・ギターではもちろんないが、サイド・ギターというのもあたらない。というよりその全てが含まれる。基本的スタンスはガルシアを煽りながら、全体をまとめる。デッドのジャムは誰も一定のビートをキープしていないことが多いが、そこで筋を通しているのがウィアのギターだ。

 牧野氏のギターはもちろんウィアとはまた異なるが、立ち位置としては近いところにいるように見える。バンドのリード楽器は一応二胡になるだろう。それを煽りながら、時に勝手にリードを奪うときもある。もっとも中尾氏がドラムを叩くときには一応ビートをキープするから、ギターはまた別のことをやっている。では何をやっているかというと、これがよくわからない。一定のことをやっているわけではない。常に変わっている。やはり全体に筋を通しているとは言えそうだ。

 ダブル・ベースがまた面白い。これまた勝手なことをやっている。アルコでリードをとることもよくある。この楽器の名手は皆一定の枠からはみ出しているものだが、服部氏はまた奔放だ。

 中尾氏のドラムスはたぶん生では初めて。シンプルにビートをキープしているように一見聞えるけれど、ここぞというところでふわっとはずれる。これも譬えていえばレヴォン・ヘルムだろうか。

 吉田氏の二胡もはずれるといえばおそらくこの中では最もはずれているだろう。普通二胡ではおよそ弾くことはないだろうと思われるメロディやフレーズを頻発する。ラストの曲では楽器を振り回しながら弾く。二胡のサウンドは西洋の擦弦楽器のようなキレが無い。西アジアのケマンチェに近いのは当然といえば当然。キレのいいギターと対照的なのが面白い。

 こういう編成で、では何をやるか。曲はオリジナルらしいが、乱暴にいってしまえば、ニッポンのメロディーを備える。ノスタルジックというよりはキッチュだろう。パロディよりもバーレスク。真正面を向くのではなく、半歩下って斜めを向いている。その角度がいい。おそらくは計算と試行錯誤を混合しながら探りあてている。聴く者の中に沈みこんでくる音楽だ。おちつかせる。しかし地面に押しつけることもない。どこまでも沈みこむ。まるで、地殻を造るプレートがその境界で沈みこんでゆくようだ。プレートのように、どこかで跳ね返るのか。今回はそこまではいかなかった。

 後半のハモニカクリームズの音楽はまったく対照的で、まずその対比が面白い。いつもと違って、二つのバンドが同じ曲を共演することはなかったが、これはまず不可能だろう。ハモクリの音楽は聴く者を浮上させるからだ。

 前回、スター・パインズ・カフェの時は音が大きすぎて、後半はメロディも聞えなかった。今回はハコのサイズもあり、適度の音量で、かれらのあの面白いメロディ・ラインを存分に愉しめた。今回はバックが渡辺庸介さんであることも良かった。田中祐司氏だと完全にロック・バンドになって、フジ・ロックのようなところでは良いだろうが、あたしの趣味からはちょと外れる。ハモクリはやはり広い意味でのワールド・ミュージックであってほしい。

 このバンドは当初の頃からするとずいぶん変身してきていて、もはやケルト・バンドとは呼べない。ケルトの要素はあるが、むしろ隠し味になってきている。全体としては独自のハモクリ・サウンドが確立してきている。そこにはブルーズもケルトもあるが、もう一つ、何か別のものが生まれているように聞える。それが何か、まだよくわからない。新作の《ステレオタイプ》はその何かが初めて前面に出てきているようでもある。おそらくそれには田中氏のドラムスの方が良かったのだろう。

 まあ、あたしはとにかくナベさんの演奏が好きなのではある。この人は何をやっても面白く聴ける。たとえばトリニテのようなバンドに入ったとしても、面白いにちがいない。熊谷太輔さんもそうだが、いいバンドやアンサンブルを聴くと、ここにナベさんや熊谷さんが入ったらどうなるだろうと妄想してしまうのだ。

 終演後、長尾さんと話していて、ハモクリとトリコロールでは客層が違う、ジョンジョンフェスティバルではまた違うと言われる。重なる部分もあるが、中核は異なるそうだ。おそらくはフロントに立つミュージシャンのキャラの違いによるものなのだろうが、長尾さんも、ハモクリのときは服装も、演奏スタイルも変えている。あたしなどは、どれも面白く、愉しませてもらっているが、これはたぶん良いことだ。何にしても、多様性の大きいことが大事なのだから。

 ハモクリはフジ・ロックに出た後、ヨーロッパ・ツアー。帰ってくると09/14にまた渋谷で対バン。この相手も初耳なので、たいへん楽しみ。(ゆ)


レトロニム
NRQ
Pヴァイン・レコード
2018-05-16



ステレオタイプ
ハモニカクリームズ
Pヴァイン・レコード
2018-03-28


 白状すると対バンの相手も見ず、ただグルーベッジのライヴというだけで出かけたのだが、いやあ、面白かった。この対バン企画は渡辺さんの発案だそうだが、さすがにセンスがいい。

 まずは Trio Mio が登場。フルート、ギター、そしてヴィオラ。はじめヴァイオリンと早合点したのだが、どうも音域が低いし、音がふくよかだし、そう思ってよく見ると、サイズも大きい。こりゃあヴィオラじゃないかと思っていたら、2曲終ったところで、ギターの大柴氏がヴィオラと紹介した。ヴィオラというだけであたしなどは「萌え〜」なのである。

 小松大さんがヴィオラでアイリッシュ・チューンをやったり、奈加靖子さんのバックで向島ゆり子氏がヴィオラを弾いたりするのを聴いてから、ヴィオラにはあらためて惹かれだした。もちろん伏線はヴェーセンがあり、その流れでドレクスキップもある。

 これがヴァイオリンだとフルートと音域がかぶる。おそらくはそういうところもあってヴィオラを採用されているのだろうが、この組合せははまっている。とりわけ、二つがハモったり、ユニゾンになったりするところは陶然となる。弦の方が低いところがミソなのだ。

 大柴氏のMCによれば、初めはクラシックの素材をアレンジしていたらしいが、だんだんオリジナルが増えて、今はオリジナルばかりだそうだ。かなりきっちりアレンジされているらしく、3人とも譜面を見ている。即興のように聞えるときでも見ている。

 このあたりはトリニテに通じる。トリニテの shezoo さんもクラシックがベースでそのオリジナル曲はかなりきっちりアレンジしている。ライヴでは即興とアレンジの区別がなかなかわからない。即興と思うとアレンジされていたり、アレンジされていると思うと即興で毎回変わったりする。そこがトリニテの音楽の面白さの一つだ。そして手慣れた曲でも、メンバーは皆譜面を前に立てている。リハーサルを見ていると、細かいところをその場でちょくちょく変更したりもする。

 トリニテの今のメンバーは、譜面がきっちり演奏でき、その上で即興も達者という基準で集めたとも聞いた。トリニテの前身になったバンドでは、ジャズ畑の人たちとやってみたのだが、即興はできても譜面通り正確に演奏することができない人が案外多くてうまくいかなかったという。譜面通りに演奏しながら、音楽に生命を吹きこむのは、音楽家としてかなり質の高いことを求められるのだろう。

 トリオ・ミオはもう少しアレンジされた部分が大きいようにも見えるが、まあその比率の大小などはどうでもいい。音楽としてたいへん面白い。今のジャズのビッグ・バンド、たとえばマリア・シュナイダーあたりにも通じるところがある。もっともこういう小さなユニットでは、個々のメンバーの役割は固定されず、常に流動的になる。3人のおしゃべりになる。

 ギターは主に背景や土台を設定しているが、そうしながら他の二人をコントロールしているというと語弊があるだろう、けしかけたり、引っぱったり、時に主役を張ったりする。

 リード楽器はフルートになるだろうが、これまた単純にお山の大将になるわけではなく、テーマを提示したかと思うとハーモニーに回ったりする。一つの曲の中で、アルト・フルートというのだろうか、より音域の低い楽器と持ち替えることもある。即興で息を強く吹きこんで音を震わせる、ヴォーカルでいえば「いきむ」ような音を出すのが面白い。

 トリオ・ミオのCDは持っていたことに、販売されているのを見て気がついた。以前、大柴氏のライヴを見たときに買っていたのだ。聴いていたかもしれないが記憶にないのは、年齡のせいということにしておくが、ライヴを見るとやはり認識があらたになる。

 トリオ・ミオの音楽が「歌」とすれば、グルーベッジは「踊る」音楽。たとえばやはり大渕さんが参加するハモニカクリームズに比べれば、グルーベッジの音楽はずっと洗練されて聞えるが、トリオ・ミオと並ぶと猥雑さを帯びる。たぶんグルーベッジはこの洗練と猥雑のバランスがちょうどいいのだ。ハモクリでは洗練されたところは隠し味で、猥雑さが前面に出る。

 グルーベッジで洗練さが現れるのがソロを回すところなのは、ちょっと意外でもある。たとえば3曲めの秦さんの曲で、ヴァイオリン、ギター、アコーディオンと回す時だ。それぞれのソロも楽しいが、三つ合わさると単独ではおそらく生まれない、オーラのようなものが漂う。オーラが漂うというのも変だが、輝くよりも流れるのである。

 その点でのハイライトは5曲めの「イプシロン」で、たしか大渕さんの曲だと思うが、アコーディオンの刻むリズムにヴァイオリンが乗る形で始まる変拍子。ギターのカッティングが冴えわたり、パーカッションがハードなロールを繰り出し、ヴァイオリンとアコーディオンのユニゾンが決まる。ヴァイオリンは時にアラブ風のフレーズを繰り出す。こういう曲をこんなにカッコよくできるのは、このバンドだけじゃないか。

 もっともその前、曲名を忘れた北欧風の4曲めもすばらしい。コーダでアコーディオンが延々とソロをとるのが粋だなあと思っていたら、再びフルバンドになだれこむ。

 今回は渡辺さん以外の3人はアコーディオンの秦さんも含めて立ったままでの演奏なのは、音楽のダイナミズムにふさわしく、またそのダイナミズムを生んでいる気もする。そうそう、後で大柴氏が感嘆していたように、誰も楽譜を見ない。かなり複雑なことをやってもいるが、このあたりはルーツ系の面白いところだ。もっともクラシックでは、それぞれの楽器の出入りがあまりに複雑なので、楽譜は必需だとも聞いた。モーツァルトあたりだと無くてもできるらしい。

 グルーベッジのライヴは二度目で、初回は遙か前の高円寺のグレインで、秦さんはまだゲスト扱いだったが、今回はレギュラー。それにしてもアコーディオンの進境は著しい。ケルト系の細かく回転するフレーズを我が物にしながら、ジャズ的な展開を無理なく自然にやっている。

 表面的にはかなり肌合いが異なるが、根っ子のところでは二つのバンドは近いのだろう、アンコールに2曲合同でやったのがまたすばらしかった。1曲めは大柴氏の曲、2曲めは渡辺さんの曲で、ともに各々のバンドだけとはまた違った面白さがでる。個人的には後者でのスリリングな展開には内心万歳を叫んだ。ここでのフルートとヴィオラとアコーディオンのソロ、二人のギターの「バトル」は、まさに一期一会。この対バンがまたあるとしても、そしてあることを大いに期待するが、それでもこれがまた聴けることはたぶん無い。

 各々のバンドの演奏は短かくなるが、やはりこういう対バンは実に楽しい。グルーベッジは次はザッハトルテと対バンするということで、これは見なくてはならない。

 会場の Zimazine は小さいながら、なかなか音がいい。楽器はみな増幅していたが、そうとは聞えないのはバランスがいいのだろう。また、天上が浅い穹窿になっているのも働いているかもしれない。ここはビルの地下で、元々こうなっていたはずはないから、わざとこの形にしたはずだ。ステージも結構奥行があり、左側にピアノがあるが、アンコールで7人になっても、思ったほど窮屈ではなさそうだ。

 ということで皐月はまことに幸先よく始まった。(ゆ)

Trio Mio
 大柴拓: guitar
 吉田篤貴: viola
 羽鳥美紗紀: flute


Groovedge
 大渕愛子: violin
 中村大史: guitar
 秦コータロー: accordion
 渡辺庸介: percussion

 チェロの音が好きだ。生まれかわったらフィドラーになりたいと書いたことがあるが、実はチェロ弾きになりたい。しかし、フィドルに相当するものがチェロにはない。これはクラシック専用、ということにどうやらなっている。そりゃ、バッハとかコダーイとか、あるいはドヴォ・コンとか、いい曲はたくさんあるが、もっといろいろ聴きたいではないですか。その昔、クラシック少年からロックにはまるきっかけはピンク・フロイド《原子心母》の中のチェロのソロだった。

 クラシックのコンサートにはほとんど行かないから、チェロを生で聴ける機会もほとんどない。トリオロジーという、弦楽四重奏からヴィオラを除いたトリオのライヴぐらいだ。このトリオはクラシック出身だが、とりあげる曲は遙かに幅広く、アレンジも面白く、このライヴもたいへん面白かった。なにより、ユーモアがいい。ファースト・アルバムのタイトルも《誰がヴィオラ奏者を殺したか》。

 そのチェロの音を、生で、至近距離で、たっぷりと聴けたのが、まず何よりも嬉しい。しかも、ホメリのあの空間は、チェロにはぴったりで、ふくよかな中低域がさらに豊饒になる。

 おまけにそのチェロが、ケルト系のダンス・チューンをがんがんに弾いてくれるのだ。やはりチェロでダンス・チューンを弾くのは簡単ではなく、これまでにもスコットランドの Abbey Newton、アメリカの Natalie Haas、デ・ダナンにも参加した Caroline Lavelle ぐらい。もちろん生で聴いたことはまだ無い。それが目の前で、フィドルとユニゾンしている。いやもう、たまりまへん。

 アイルランド人はとにかく高音が好きで、低音なんて無くてもへいちゃら、というよりも、邪魔と思っている節がある。われわれ日本語ネイティヴは低音が好きで、どんなに高域がきれいでも、低音が不足だと文句を言う。チェロの中低域は、バゥロンやギターの低音とはむろん違う。何よりもまずあのふくらみ。ヴィオラにもあって、それも大好きだが、チェロのふくらみはこれはやはり物理的なものであって、ヴィオラでは出ない低い音にふくらんでゆくところ、まったくたまりまへん。

 フィドルにハーモニーをつけるときにそれが出ることが多いが、そういう音は無いはずのダンス・チューンでも、どこか底の方に潜んでいて、あまりにかすかで余韻とも言えない、音の影のような感じがするのはプラシーボだろうか。しかし、目の前でチェロがダンス・チューンを奏でているというだけで、あたしなどはもう陶然としてしまう。

 ハーモニーをつけるアレンジはギターがお手本のようではあるが、チェロは持続音だからドローン的にもなる。ドローンと違うのは、チェロの音はむしろ細かく動くところがある。ギターではビートが表に出るが、チェロではメロディ本来の面白さが前面に出る。

 チェロを聴くと、フィドルの音源が点であることがよくわかる。チェロは面から出てくる。それには楽器の表がこちらを向いているということもあるだろう。しかし、ハープもやはり点から出てくる。そして、ケルト系の音楽では、ほぼ全ての楽器で点から音が出る。音の出るところが複数あるパイプですら、面にはならない。チェロの音のふくらみには、面から音が出るということもあるにちがいない。ハープとのデュオでやったカトリオナ・マッケイの〈Blue Mountains〉では、弦をはじいていたが、やはり面から出る。これは録音ではまずわからない。ライヴで聴いて、見て、初めてわかることだ。

 これが組み合わさると、チェロのハーモニーによって、ダンス・チューンのメロディがより明瞭に押し出されてくる。こういう聞え方は、ケルト系ではまず体験したことがない。

 冒頭のスローなチューンでのチェロのふくらみにまずやられて、ずっと夢うつつ状態だったが、後半のスウェーデンの〈うるわしのベルムランド〉で、チェロがずっと低域でほとんど即興のように奏でたのには、まいりました。そして、アンコールのポルカ。ポルカは意外にチェロに合うらしい。ユニゾンがきれいにはまる。

 このチェロの巌氏をこの世界に引きずり込んだのは中藤さんだそうだが、その中藤さんのフィドルもこの日ばかりはチェロの陰にかすんでしまった。それでも、カロラン・メドレーの2曲めでは、彼女本来の、これまたフィドルには珍しいほどのふくらみのある響きを堪能できた。

 カロランに続く、ヘンデルとバッハも良かった。この組合せはもちろん作曲家の「想定外」だが、あらためて曲の良さがよくわかる。クラシックの作曲家は「想定外」の価値をもっと認めた方がいい。バッハの〈アヴェ・マリア〉では、チェロの中低域の響きがさすがに存分に発揮されたが、ハープの左手がそれに劣らないほど面白かった。

 カロランの同時代者としてはヘンデルよりはジェミニアーニで、カロランとの作曲合戦の伝説も残っている。ヘンデルが小室哲哉だという梅田さんの説はその通りだろう。バッハは田舎の宮廷楽長だったから、むしろ地方公務員。今で言えば、県立ホールの会館長というところだが、ヘンデルはオラトリオの上演をビジネスにしていたわけだ。

 それにしても、これはすばらしい人が現れた。他の人たちとの共演も聴いてみたい。むろん、まずこのトリオでの充分な展開をおおいに期待する。

 中藤さんも梅田さんも、ふだんやっていることとは違うことがやりたいと思って、このトリオを始めたそうだ。こういうところが、頼もしい。もっともトリコロールもなにやらとんでもないことをやっているようで、こちらとしてはいろいろ楽しみが後から後から出てきて、嬉しい悲鳴だ。

 ということで、春のゲン祭りのゲンは弦であったわけだが、カタカナにしたのは、まだまだ隠れた、壮大な意図があるのであらふ。

 さて次は、梅田さんの「追っかけ」で、03/06のホメリ。今度は奥貫さん、高橋さんとの、これまた初顔合せ。ケープ・ブレトン祭りになるか。(ゆ)

 バゥロンの成田有佳里、ホィッスルの高梨菖子のデュオ、豆のっぽのライヴと聞いて、実はかなりストイックなものを予想したのだが、その予想が嬉しく裏切られたのは、まあ、当然でしょうな。

 やりたいこと、やってみたいことをとにかくやってみるのが、このユニットの趣旨。なるほど、デュオというのは自由度の高い形式ではある。その気になれば、ほとんど何でもできる。担当楽器を決めていても、応用の幅は相当に広い。これがトリオとかカルテットになると、それぞれの役割は収まるところに収まってきて、フォームとしては固まる傾向にある。むろん、それはそれでまたできることが異なるわけだが、自由度という点ではデュオにまさるものはない。

 二人ともコンサティーナを達者にこなすのは知っていたが、成田さんがギターも持ち出し、高梨さんはコンサティーナとロウ・ホイッスルとホィッスルを持ち替える。さらに、ゲストの梅田さんまでが、ホィッスルを吹き、トライアングルを叩く。始めた時と終る時で、全員異なる楽器を持っている、というのは、見て楽しいだけでなく、音楽としてもなかなかに面白い。これは肝心のところで、ヴィジュアル系ではあるまいし、やはり音楽が面白くなくては、どんなことをやってみせても、意味はない。

 この二人であれば、まずはオリジナルが聴き所になる。二人が属するきゃめるでやっている曲、この日のために書き下ろした曲、どれもやはり面白い。まずは〈おもちセット〉で、2曲目の〈さくらもち〉は名曲だとあらためて思い知らされる。成田さんの新曲は相当の難曲で、吹きおわって高梨さんは息を切らしていた。故意に難しくしようとしているわけではもちろんあるまい。一方で、新しい表現、新しい面白さを追求すると、従来考えられなかったような高度な技が要求されるものになってしまう傾向は、現代に作られる曲の宿命なのかもしれない。シニフィアン・シニフィエがとりあげている、メシアンやペルトにも通じるところがある。

 しかし、案外と言っては失礼になるだろうが、ホィッスルとバゥロンだけでやるトラディショナルが、オリジナルと同じくらい面白かったのは、見事だ。作曲をする人として、新たに作るようにアレンジをしているとも思えたりする。こういう時、伝統曲の柔軟さないし頑丈さが顕わになる。どんな扱いを受けても、曲としての佇まいはゆるがないから、演るほうとしては、むしろ安心して何でもできる。どんなことをしても、受け入れられるのだ。

 しかしあたしにとって最大のサプライズは梅田さんのうただった。せっかくだから1曲ソロで、と言われてやったハープの弾き語り。藤野由佳さんとのデュオでは1年くらい前からやっているそうだが、そちらはまだ見るチャンスが無かったから、初めての体験。すばらしいのは、梅田さんの歌唱はちゃんとうたとして成立していることだ。これはちょっと説明が難しい、というのはあたしもまだやくわかっていないのだが、うたになっているかどうかは、うまさとか、声の良し悪しとかとはまったく別の話のようなのだ。かつてシャロン・シャノンが引っぱりだした、デジー・オハロランのうたが一つの例になろうか。

 オハロランは声は地声で押し出しはないし、音程はふらふらとはまらないし、通常の意味ではお世辞にもうたがうまい、あるいはうたえるとは言えない。しかし、そう、かれには歌心がある、と言ってみようか。その一点で、かれのうたは独自の味わいのあるうたとして聞える。ヘタウマですらない。巧いヘタとは次元が異なる。

 梅田さんのうたはずっときちんとしている。音程がはずれるなんてことはありえない。しかし、やはり巧いヘタとは別のところでうたとしての魅力をしっかりと伝えてくる。聴きごたえがある。もっと聴きたくなる。あるいは、うたが巧いとは本当はそういうことなのかもしれない。

 成田さんと高梨さんは仲が良い。音楽をやっていなくても、きっと仲は良かったと思うと言うが、確かに息が合っている。ひょっとすると、きゃめるも出発はこの二人が軸になったのかもしれない。成田さんは、作曲しながら、ここはこういう風に演ってくれるといいなと思うことがある。一方で、そういうことを演奏者には言わない。演奏者の想像力をそういう形で縛るのは避けたいからだ。ところが、高梨さんはその秘かな願望のとおりに演奏してしまう。

 これもまた仲の良いこととは別のことかもしれない。が、そういうことがあれば、たとえ元は仲が悪くても、だんだん良くなるものではあるだろう。

 梅田さんも含めて、音楽を演っているとき、この人たちはどこか人間ばなれしている。妖怪とかいうと、恐しげな外見で、人間には悪さをするイメージだが、そうではない存在もいるのではないか、と彼女たちの演奏する姿を見ていると思えてくるのはいつものことだ。沖縄のキジムナーはこんな感じなのだろうか。異界の存在にもたぶんいろいろいるのであろう。

 高梨さんは直前に別のバンドに参加してPVを撮っていて、そのために髪を後ろでひっつめてまとめていた。むろんプロの仕事だ。和服を着たらさぞかし似合ったことだろう。その別のバンドの話も伺って、楽しみがまた増えたのだが、それはまた別の機会に。

 このデュオがどうなってゆくかがまず楽しみだ。きゃめるともティプシプーカとも違う、より自由度を高くすることを求めて、最先端へ突出する可能性もある。命ながらえて、見届けたいものではある。

 次はこの土曜日。同じホメリで、「春のゲンまつり!」。梅田さん、中藤さんに、巌裕美子氏のチェロが初見参。アイリッシュやスコティッシュだけでなく、クラシックもあるらしい。(ゆ)

 最大のお目当ては Colleen Raney のうただったのだが、これはいささか宛てがはずれた。Hanz Araki Trio ということで、メインはアラキさんのフルートでかれもすぐれたシンガーだ。レイニィはもっぱらバゥロンとコーラス。リード・ヴォーカルをとったのは2曲ほど。これではそのうたが良いだけに欲求不満が溜まる。とはいえ、全体としてはとても良いライヴで、宛てがはずれたのも些細なことになった。

 ジョンジョンフェスティバルとハンツ・アラキ・トリオという組合せから予想していたのとは、これまたいささか違った。JJF はちょうど新曲が生まれる波が来ているところらしく、こちらがメインのプログラムなのだが、それらの曲はどれもこれまでとはいささか違って、じっくりと聞かせるもの。ダイナミズムにあふれたアレンジは変わらないが、聴く方は集中して耳をすませることが求められる。というより、自然に身を乗出し、耳をすませている。吸い込まれる。見ていたポジションが上から見下ろす形なので、渦巻に吸い込まれる感覚。

 バンドとしての練度はまた上がっていて、どんなに演奏が熱くなっても、精密さは落ちない。雑にならない。これは気持ちがいい。とりわけじょんのフィドルは、また腕が上がったように思えた。この寒いのに、しかもコンクリートの床なのに、あいかわらず裸足だ。演奏している間は熱いんです、というが、こういうところはやはり若さと、そして天然さだ。うたもよかった。

 うたといえば、トシさんがバゥロンを叩きながらやった即興のラップもよかった。バゥロンとラップはとても相性がいい。ヒップホップのアーティストで、タイコの類を叩きながらやる人はいるのだろうか。もっともバゥロンを叩きながらラップをやるのは、バゥロンの腕がある水準を超えないと難しいだろう。こういう試みはもっと聴きたい。内容も挑戦してほしい。

 ハンツ・アラキさんの生を見るのは初めてだ。かれはもう何度も来日、というより毎年のように来ていることは知っていたが、どういうわけかこれまでチャンスがなかった。アルバムはどれもバランスのとれた、水準の高いものだから、ライヴは見たいと思ってはいた。

 1曲めを尺八で始める。これはもっと聴きたかったが、やはりなかなか難しいのかと訊くのは忘れた。フルートの安定感がすばらしい。フルートというのは厄介な楽器で、音量の大小は無いのに、安定した音の流れを生むのは難しいらしい。吹きこむ息の速度と量を一定にする必要があるからだろう。一方で名手のフルートの安定感は、パイプすらしのぐところがある。この気持ちよさは他では得難い。ホィッスルはこういう安定感とは無縁だ。

 トリオの肝を握るのはギターの福江さん。3年ほど一緒にやっていて、毎年秋のトリオの日本ツアーをマネージメントしてもいる由。今年はアメリカ・ツアーにも同行し、新録も作ったそうで、その新作は来春のリリース。この日はツアー・Tシャツを買うと新録をプレゼントします、という出血大サーヴィスをやっていた。もちろん買いました。

 福江さんのギターを生で聴くのはもう十数年ぶり。Butter Dogs の下北沢でのライヴ以来だ。ミホール・オ・ドーナル〜ドノ・ヘネシーの流れを汲むスタイルだが、時々入れる独自の煽りが楽しい。アラキさんのフルートはどちらかというと地味なので、この煽りがちょうど良いアクセントになって色をつける。

 国内でも GNY Trio や TNY Trio などの活動を活発にやっているようだ。それにしてもトリオが好きなんですな。もっともアメリカではフィドラーが加わってカルテットでやっていたという。

 レイニィさんのうたは録音よりはあけっぴろげだ。ライヴではその方が良いと聞える。音楽はTPOだとあらためて思う。アラキさんとのデュエットでうたった〈Peggy-O〉がハイライト。こうして聴くとグレイトフル・デッドによるこのうたの演奏はかなり伝統に近いとわかって、面白い。この曲をデッドがやっていることを、お二人がちゃんと知っていたのも興味ぶかい。

 アメリカのバンドということもあって、もっと派手なスタイルを予想していたのだが、このバンドの美意識は抑制のきいた、内向的な性格のものらしい。アイリッシュやケルトの一般的なイメージとは別の、聴く側からの積極的なアプローチを誘う、静謐といっていいくらいの音楽だ。そしてこちらの方がアイリッシュの伝統に添ったものでもある。アイリッシュ・ミュージックの核心には、哀しみがある。だからこそにぎやかにやるわけだが、この哀しみがあるために脳天気にならない、なれない。それにしても、アラキさんの性格もあるのか、これに比べればジョーニィ・マッデンなどはヤンキーそのものだ。もっともソラスのシェイマス・イーガンには通じるところもあると見えた。

 ハンツ・アラキ・トリオは来年も新作を持って来日することが決まっているそうだ。できれば録音に参加したフィドラーも連れてきたいと福江さんは言っていたから、期待しよう。

 打ち上げではアラキさんが豚骨ラーメン好きということがわかって盛り上がる。その割にはまだ桂花をご存知ないというので、ぜひ、お試しあれと薦める。桂花の店は一風堂のように綺麗ではないが、味は後者の及ぶところではない、とあたしは思う。

 会場のぬいはしゃれたインテリアだが、位置付けとしてはユースホステルになるらしい。宿泊客は外国人がメインのようで、ライヴの最中に外出から帰ってきた人たちも何組もいた。中には通り抜けようとして立ち止まり、聴きほれて喝采している人もいる。食事をしようとやってきて、イベントをやっているので諦めて帰る人たちも多い。

 ジョンジョンフェスティバルは昨年、ここでレイチェル・ヘアとジョイ・ダンロップとのジョイント・ライヴをやっている。その好評をうけて、このイベントということになったそうだ。Vol. 1 ということは今後も続くと期待する。あたしにはちょと遠いが、この会場ならぜひ行きたい。ビールも旨い。電車はまだ余裕があると思って出たが、帰りの方が時間がかかり、結局終電ぎりぎりになってしまう。深夜の銀座四丁目の交差点は、祝日の夜からか、閑散としていた。(ゆ)

 冷静に見ると、このバンドは tipsipuca + のギターが中村さんから河村博司さんに変わっただけなのだが、初めてこの編成でやると聞いたときにすでにまったく別のバンドという印象を受けたのだった。どういうことになるのか、まるで予想がつかなかった。この日のライヴが楽しみだったのも、そこである。どうなるか、わからない。そこが面白い。だから、ちょうど同じ時刻に、しかもすぐ近くでジョンジョンフェスティバルやザッハトルテがやると聞いても、乗り換えようなどとは思わなかった。いささか乱暴かもしれないが、あちらはどういうことになるか、だいたい予想はつく。もちろん行けば新たな体験ができるだろうし、思わぬことも起きるだろう。しかし、それでもまず「想定の範囲内」でもあろう。こちらはとにかく、お先真っ暗なのだ。あたしは生来「新しもの好き」なのだ。

 そしてその期待はみごとに応えられた。それとも、裏切られた、とこの場合言うべきだろうか。つい先日のホメリでのビール祭りも新たな生命体の誕生に立ち合えたのだが、ここでもまたひとつ、新しいバンドが誕生していた。その両方に熊谷さんがいるというのも偶然ではないだろう。

 河村さんが入ることはいろいろな意味で面白い。まず、メンバーの年齢の幅が大きくなる。伝統音楽では年齡の違う人たちが一緒にやることは普通だ。マイコー・ラッセルとシャロン・シャノンとか、ジョー・ホームズ&レン・グレアムとか、ダーヴィッシュとか、わが国の内藤希花&城田じゅんじとか、最近では Ushers Island とかがすぐに思い浮かぶ。年齡が違うというのは、体験が異なる。すると音楽も違ってくる。違う音楽が混ざりあうのは「異種交配」のひとつの形であり、「混血」は美しくなるものだ。熊谷さんも言っていたが、同じビートを刻んでも、ギターの音が違ってくる。

 たとえばリールやホーンパイプでも、きゃめるの時よりもわずかにゆっくりのテンポで、メロディの面白さが引き立つ。河村さんのギターの刻みによるのだろう。

 〈Growing〉についてのMCで熊谷さんが、この曲を tipsipuca + でやるときは、米や麦の芽が出てすくすくと育ってゆくイメージなのだが、キタカラでやると、すでに育ってわさわさと茂っている感じになる、というのは、河村さんと中村さんのギターの違いを言いあてて妙だった。

 河村さんはずっとロックをやってきた一方で、ドーナル・ラニィたちとの共演も体験している。アイリッシュのコアと最先端を両方同時に体験している。今盛りのわが国アイリッシュ・シーンで活躍している人たちでもなかなかできない。年の違いはこういうところにも出る。

 河村さんが加わるもう一つの成果は曲、レパートリィも拡がることだ。河村さんのオリジナルもよかったし、なんといっても、アンコールの〈満月の夕〉はこういう組合せで初めて出てくるものだろう。それにしても河村さんのヴォーカルは初めて聴いたが、みごとなものだ。グレイトフル・デッドがジェリィ・ガルシアとボブ・ウィアの二人のシンガーによってレパートリィを多様化していたように、SFUでもやれたのではないかと妄想してしまう。

 〈満月の夕〉では熊谷さんも達者なヴォーカルを披露した。ケルト系のすぐれた打楽器奏者はほとんどうたわないが、熊谷さんは、カレン・カーペンターとは言わないが、レヴォン・ヘルムになれるかもしれない。

 このバンドは、だから三つの、それぞれに出自の異なる音楽が一緒にやることで生まれる相乗効果を狙っていて、それはまず120%目標を果たしていた。高梨さんと酒井さんの演奏も、明らかにきゃめるや tipsipuca + の時とは違う。それが最も良く出ていたのは、後半の〈ナイトバザール〉、そしてアンコール前の〈The Mouth of the Tobique〉メドレーだ。後者は演奏は「めちゃめちゃ」だったが、それはそれは楽しかった。

 この日の予想のつかなさの最たるものは、けれども、もう一人のゲストだった。SFUとかつて同じ音楽事務所に所属していて、河村さんが録音について教えたという縁と、酒井さんの幼馴染でもあるという二重の縁による Azumahitomi さんである。あたしは名前を聞くのも初めてだったが、そちらの方面では名の通った方だそうだ。Azuma さんはシンガーとしての参加で、彼女がうたった〈サリー・ガーデン〉が最大のハイライトだった。ゲストとして呼ばれて序奏が始まって、あー、またこれかよ、と内心覚悟したのだが、うたいだした途端、思わず坐りなおした。後で聞けば、この曲はメジャー・デビューしたアニメのテーマ曲の「B面」だったそうで、うたいこんでもいるのだ。このうたを小細工もなく、真向正面からうたわれて、こんなに感動したことは初めてだ。正直、今さらこのうたでこんなに感動するとは思わなかった。

 Azuma さんのうたは後半の〈ダニー・ボーイ〉も、彼女のオリジナルもすべてすばらしかった。宅録の第一人者とのことだが、この人はまず第一級のうたい手だ。バンドの演奏も単なるバック・バンドではない。〈サリー・ガーデン〉では、間奏で酒井さんがメロディをぐんと低い音域で弾いたのも絶妙だった。こうなると、キタカラもカルテットのみならず、リード・シンガーを入れたクィンテットというのもいいのではないかと思えてくる。少なくともあたしとしてはその形を見たし、聴きたい。

 この日は三つの音楽の流れのファンが集っていたようで、それぞれのファンが互いに他のミュージシャンたちのファンになっていたようだ。「異種交配」にはそういう効果もある。

 キタカラにはぜひぜひ続けて、いずれは録音も出していただきたい。そしてこういう試みが、他でも現れてくれることを期待する。(ゆ)

 『CDジャーナル』Web版の「盛り上がる日本のアイリッシュ / ケルト音楽シーン」後篇がアップされました。

 全体の概観的解説と最近のCD10枚を紹介しています。

 ご参考になれば幸い。(ゆ)

 『ラティーナ』に続いて『CDジャーナル』Web版で、「盛り上がる日本のアイリッシュ / ケルト音楽シーン」として特集が組まれています。

 まずは前篇の O'Jizo の豊田耕三さんへのインタヴューです。後篇は全体の概観と、CD10枚の紹介で、鋭意執筆中。連休開けに公開の予定。紹介するCDは『ラティーナ』とは別にします。

 『ラティーナ』と合わせて、これでわが国のアイリッシュ、ケルティックをはじめとするルーツ音楽シーンが盛り上がるきっかけになれば、とても嬉しい。まあ、まずは読んでみてください。(ゆ)

 「ケルト/アイリッシュ・ミュージックを奏でる日本人ミュージシャンたち」という特集が組まれています。なるべく全体像に近いものを提供したいと思って、ディスクよりも個人に焦点を当ててみました。この人たちの名前があったら、それぞれのバンドやディスクではなくても、何はともあれ、ライヴにでかけ、聴いてみてください。

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 もう一つの目玉はトヨタ・ケーリー・バンドのメンバーに集まっていただいた座談会です。個人的にもうメウロコ、ミミウロコの話がぼろぼろ出てきて、めっちゃ楽しいものでした。活字にできただけでも、相当に面白く、またヒントになる話がてんこ盛りです。ここだけでも読んでいただきたい。

latina201705b


 大谷隆之氏による O'Jizo のインタヴューも、微に入り細を穿ち、読みごたえがあります。

 買っておくと、後になって資料になったりもするかも。(ゆ)

 みんな、うまくなったなあ、というのが第一印象。従来は技術的には酒井さんが突出して、高梨さんが後を追い、岡さんと成田さんはむしろつつましくサポートに徹すると見えていた。それが土曜日は酒井さんがそれほど目立たない。成田さん作の新曲の「超難曲」を吹きこなす高梨さんは、自己暗示をかけているという「ブライアン・フィネガン」に半分は達していた。成田さんは積極的な、「攻め」のバゥロンを鋭く入れる一方で、達者なコンサティーナも披露する。岡さんのブズーキも、ダーヴィッシュのフォロワーを脱して、存在感をぐんと増している。個々の技量が上がっただけでなく、アンサンブルの密度と柔軟性も増している。つまりはバンドとしての練度が上がっているのだ。ダブリナーズでの定期的ライヴの成果かとも思ったが、月1回ではここまでにはならないだろう。見えないところで努力されているのか。

 MCも酒井さん、高梨さんが交互にとるだけではなく、それぞれの作った曲について、成田さん、岡さんもおしゃべりする。二人ともなかなか堂々としていて、臆するところがない。tipsipuca や tipsipuca+ との違いが今一つ明瞭でなかったのが、きゃめるとしての性格がはっきりと出てきた。その違いをどうと言葉ではいわく言い難いが、無理矢理言えば、きゃめるはビートルズで、tipsipuca はストーンズだ。

 今日は新曲たくさんやります、ということだったが、前半は「旧曲」ばかり。とはいえ、上記の事情もあって、どの曲も新鮮だ。ここでのハイライトは一番古いもののひとつ〈ショコタンズ・ワルツ〉。そして、前半ラストの〈始まりの街〉旧名〈山口・山口セット〉。今日、改名しましたと宣言されると、「新曲」に響く。

 後半は新曲パレード。アンコール以外はすべてオリジナルの新曲。岡さんと成田さんが1曲ずつに、残りの5曲は高梨さん。ここで印象にのこったのは成田さんの〈短日植物セット > ガーデン・リール〉とラストの〈Traveling Camel〉。このラストの曲のMCでようやくバンド名の由来の一端が明かされた。成田さんの曲は聴いていても難しいだろうなあとわかるぐらいだが、その難しいフレーズの効果はやはりこのバンドならではのものだ。一見、のんびりと、イージーゴーイングに見えるが、実は相当にひねくれたところもあるのは、実際のラクダと共通しているのだ。たぶん。

 きゃめるはなぜか生音でしか聴いた覚えがない。こうなってくると、一度はきっちりPAを入れて、本格的なステージを見たい。曲の細かいニュアンスやアレンジの編み目がきちんと聴けるコンディションで聴いてみたい。ノーPAは生楽器には良いのだが、ホメリのような近い空間でも、複雑な構成とアレンジを隅々まで捉えるには、想像力を発揮しなければならないこともある。

 それにしてもやはりきゃめるは底抜けに明るく、楽しい。良い意味で天然だ。どうか、このままで成熟していってほしい。きゃめるにとって「成熟」がどんなことか、実はよくわからないが。(ゆ)

Op.1 オーパス・ワン
きゃめる
ロイシンダフプロダクション
2016-02-14


 ジョンジョンフェスティバルのワンマン・ライヴをちゃんと見た覚えがどうも無い。確かプラスの形で、複数のアクトの一つとして見たことがある気がする。3人だけの、本来のトリオで見たのは、あるいはカナダで見たのが初めてだったかもしれない。

 カナダでの演奏はどれもすばらしかったが、長くて30分なので、さあこれから、というところで終るという、やや欲求不満になる感じは否めなかった。こちらもやはり興奮しているので、フラストレーションが溜まってしかたがないというところまではいかないし、2日間で4本のステージは少なくはなかった。それでも、時間をかけて初めて現れる姿というものはある。とりわけ、たっぷり聴いた、堪能した、という満足感。むろん、出来がすばらしければ、それだけもっともっとと欲求も募る。しかし、そういう時、本当に満足するなんてことはありえなくなる。

 スケールが大きくなっている。カナダでも演奏のスケールの大きなことには感服したのだが、さらに一枚剥けた感じがする。個々のミュージシャンとしても、バンドとしても、カナダの時よりも深みが増し、密度が濃くなっている。おもしろいのは、その一方で新鮮な、ほとんど初々しいと言いたくくらい、生まれでたばかりの無邪気さもある。普通はこうなると成熟とか風格とかいった表現を使いたくなるが、これらの言葉は今のジョンジョンフェスティバルにはふさわしくない。

 昨夜とりわけ感心したのはまずうた。〈By the Time It Gets Dark〉でのコーラスでのじょんとアニーの声のハモりにぞくぞくする。〈思ひいづれば〉でのじょんコブシがまたいい。力がよい具合に抜けていて、声が自然にゆらゆらと廻る。重力とちょうど釣合がとれて、どの方向にもするすると動いてゆく。

 例えばドロレス・ケーンのような意味でじょんが一級のシンガーとは言えないかもしれないが、どうやら最適の発声法を掴んだようにもみえる。そうなると、一級のシンガーにも無い浮遊感があらわれる。いわゆるクルーナーのようなリスナーを引きずりこもうという下心もない。しかし、いつの間にか、聴く者の心の襞にするりと入りこんでいる。

 アニーのハーモニーもそのじょんの声によく合っている。あるいはこれも合わせているのだろうか。二人だけなのに、もっとたくさんの声が響いているようでもある。

 ジョンジョンフェスティバルはじっくり聴かせるところと、熱く乗せるところの使いわけがうまい。うまいというよりも、人間離れしている感じだ。3人がおたがいにぐるぐる猛スピードでつむじ風を巻きながら、すっ飛んでいくときでも、どこかで冷静なコントロールが利いている。

 いや、ちょっと違うようでもある。3人とも完全にキレていて、どうにも止まらなくなっているのは明らかなのだ。じょんの顔には、押えようとしても押えられない笑顔が現われて消えない。向う側に行ってしまっている。同時にそのバンドを冷静に見ているもう一つのバンドがすぐ裏の次元にいるらしい。もう一つのそのバンドの存在を、3人は意識しない。バンドがいることはわかっているのだろう。しかし、存在そのものを感じてはいない。そうした意識が忍びこむ余地もなくなっているのだ。

 そしてそのもう一つの冷静なバンドにするりと入れ替わる。それはもうするりと、スイッチが切り替わるのではなく、自然に入れ替わる。

 昨夜はそのことが見えたようだ。一度見えると、同じことがカナダでも起きていたのだとわかる。ただ、昨夜の方がより入れ替わりがスムーズだし、二つのバンドの差が大きい。

 これに似たことはラウーが来たときもあったのだが、ラウーでは3人とも表情が冷静だ。内実はわからないが、外見ではクールそのものだった。音楽の白熱とのその落差が面白かった。

 ジョンジョンフェスティバルは外見もイッてしまっている。どこへ行くのか、端から見れば心配になるかもしれない。しかし、その音楽に一体化していると、どこへ行こうとまるで気にならない。そんなことはどうでもいい。そして、ジョンジョンフェスティバルはちゃんと元のところへ戻してくれるのだ。

 求道会館は生音がすばらしいが、昨夜は200人満員ということでPAが入っていた。その様子はちょうどカナダのケルティック・カラーズと同じだった。使っているスピーカーも同じで、あるいは他も同様のものかもしれない。同様に音はすばらしく良かった。

 それにしても、立ち見の人もいて、しかも皆さんお若い。あたしはたぶん最年長だったろうが、嬉しいことではある。土曜ということもあったし、クリスマス・イヴでカップルで来ていた方もいたのか、若い男性も多かった。ちょっとおとなしいかなあというところもなきにしもあらずだが、あるいは大人なのかな。それにしても、わが国の聴衆はスタンディング・オーヴェーションというものをしないねえ。あれはなかなかいいもんだと思うんだが。

 新作CDもたくさん売れたようで、サイン会も長蛇の列で、なかなか終りそうもないので、一足先に失礼させていただいた。出てくると、近くの教会の前で、蠟燭をもってキャロルをうたっている人たちがいた。まったくクソったれと悪態のひとつもつきたくなる2016年の年の瀬だが、いのちの洗濯をしてもらって、なんとか年を越せそうだ。ジョンジョンフェスティバルの3人、そしてこのコンサートを支えてくれたすべての人びとに心から感謝。あなたがたの上に、祝福あれ。(ゆ)

 John John Festival は世界でもメジャーなケルト系音楽のフェスティヴァルのひとつ、 Celtic Colours で鮮烈なデビューを飾りました。長くて30分のライヴ4本だけでしたが、長くて30分のライヴ4本だけでしたが、いずれも熱狂的な反応で迎えられました。最初の「フェスティヴァル・クラブ」でのライヴからして、1曲やる毎に反応が大きくなり、最後にはここでは滅多に起きないアンコールを求める手拍子が起きました。

 演奏後、どの会場でもいたるところでメンバーは声をかけられていましたし、居合わせたミュージシャンやフェスティヴァルのスタッフからも、賞賛の声が引きもきらず。われわれが泊まっていたモーテルにはフェスティヴァルに来ている客もいて、メンバーの姿を見かけると、ベランダから大声で「昨日は良かったよー」と叫びかけたりしました。公式ライヴの後、フェスティヴァル・クラブ会場に向かう途中で腹拵えに寄ったピザ屋でも、たった今聴いてきた夫婦がいて、買ったCDにサインを求めていました。CDも記録的な数が売れ、休憩時間や終演後には、会場いたるところでメンバーがサインを求められていました。

 公式に2本、非公式に2本やった演奏もどれもすばらしく、とりわけ公式の2本め、今回最後のものは、ぼくがこれまで聴いた最高の出来でした。活動休止期間があったことは、いろいろな意味でバンドをより良くする方向に働いたようです。以前からもわが国トップ・クラスであったわけですが、今回のライヴはどれも、世界でも一級の演奏でした。これはぼくだけの独り善がりではなく、会場の聴衆の反応が何よりも雄弁な証拠です。 今回とりわけ印象が強かったのがじょんのフィドルで、音の芯がより太くなったのと、音色が豊饒に、より深くなっていました。じょんのフィドルについては、フェスティヴァルに呼ぶミュージシャンの選択を一手に引き受けている Dawn Beaton はじめ、皆誉めていました。とにかく石を投げればフィドラーに当たるようなフィドル音楽の盛んなところで認められたわけです。

 バンドとしては、ダイナミクスの幅がより大きくなり、メリハリのつけかたに磨きがかかってきました。しかも単に強弱、大小を強調するだけではない、その間のグラデーションやニュアンスの表現や使い方もうまい。動と静の対称は JJF の特長でもあるわけですが、その出し入れの呼吸もより緻密になっています。たとえば前半のスローな曲の繰り返しが長いかと思えるときもあるのですが、それが後半、アップテンポの爆発力をより大きく、効果的にしています。

 スローとアップテンポ、音量の大小、それにチューンとうたといったダイナミクスの活用と緻密な組立ては、今回、さまざまな音楽とならべられてみると、非常に目立ちました。伝統が濃いところから出てくる音楽は伝統に引きずられるので、どうしても平板になる傾向があります。その中で JJF の音楽は、こういうやり方もあり、そしてそれは音楽をより活き活きとさせ、魅力的にできることを、本場の聴衆に示していました。ひょっとするとこれがきっかけとなって、ケープ・ブレトンをはじめ「本場」の音楽、伝統により深く根差したミュージシャンたちの音楽が変わってゆくかもしれません。

 もう一つの収獲はうたでした。とりわけスコットランド民謡から文部省唱歌にはいった〈思ひ出づれば〉には脱帽しました。今回は2回めのフェスティヴァル・クラブで初披露。いつもやかましい場内が静まりかえり、終ると大歓声。翌日の2本めの公式ライヴでは、うたの背景の説明も加わり、大喝采でした。もちろん日本語でうたったわけですが、意味はわからずともいいうたはやはり通じるのです。この2回めの演唱では、じょんの声のかすれもしっかりと聞えて背筋に戦慄が走りました。

 もちろん唱歌そのものではなく、独自のアレンジであるわけですが、これは日本語によるケルト系のうたの手法としても有効でしょう。文部省唱歌に採り入れられたスコットランドやアイルランドの伝統メロディーはクラシカルな編曲をほどこされていますが、それをもう一度伝統のものにもどしてうたうわけです。じょんはシンガー専業ではないわけですが、その声にはまるうたを選んで、丁寧にアレンジすれば、一級のシンガーにも真似できないうたが生まれるのです。

 Celtic Colours はケープ・ブレトン全島を使って、毎年10月上旬、9日間にわたって開催されるフェスティヴァルです。1997年に第1回が開かれ、今年は20周年になります。こういう記念の年にデビューした、というのもジョンジョンフェスティバルにとってめでたいことではあります。

 20年前、ささやかなローカルなイベントとして始まったフェスティヴァルは、ケルト系のフェスティヴァルとして世界最大のものの一つになりました。ミュージシャンも聴衆も世界中からやってきます。JJF の公式ライヴの会場では、司会が客席に、どこから来たか挙手で訊ねていましたが、どちらも島外からの訪問客が圧倒的でした。まあ、ケープ・ブレトン自身の人口は135,000ですから、無理もないところではあります。7日夜、コーズウェイに近い Port Hawksberry のホールで開かれたオープニング・コンサートでは、カナダ総督がフェスティヴァルの開会宣言をしていました。当然、経済効果も大きいことは、同じコンサートで挨拶したノヴァ・スコシア州議会の議員が強調していました。われわれが宿泊した Baddeck でも観光客の姿がそこらじゅうにありました。

 ケープ・ブレトンはカナダ東部ノヴァ・スコシア州北端を占める面積1万平方キロの島です。四国の半分よりちょっと大きいくらいでしょう。本土と隔てる狭い海峡は今はコーズウェイで結ばれています。ノヴァ・スコシア州都ハリファックスからこの Canso Causeway まで車で約3時間。フェスティヴァルの本部があり、フェスティヴァル・クラブの会場でもある Gaelic College まではさらに1時間です。コンサートはこの島の全土に散らばる会場で開かれます。複数のコンサートが毎晩、同時にあちこちで開かれます。会場は様々で、JJF の1本目は バデックから15分の Wagmatook にある文化センターのホールで約500人。2本目は Boisdale にあるボランティア消防署付属のホールで250人弱というところ。ここは宿から1時間強。

 音楽専用のホールではありませんが、どちらも会場のサウンドはすばらしく、あれだけの音は残念ながら国内では聴いたことがありません。とりわけワグマトックでは、客席のみならず、ステージ上のサウンドもダントツで最高だとアニーが感激していました。当然どちらもコンソールなどを持ちこんでいるわけですが、それほど大袈裟なものではなく、むしろ簡単に見えるくらいでした。

 お客さんは年長者が多いですが、音楽をよく知っていて、またコンサートにもよく通っている様子です。JJF はノリのよい曲だけでなく、じっくり聴かせる部分もありますが、そういうところにもしっかり反応してきます。演る方としてはこちらの意図をきちんと受け止めてくれる演りがいのある相手である一方、ヘタなことはできないコワい聴衆でもありましょう。

 夜の11時過ぎから朝3時過ぎまで、ゲーリック・カレッジのホールで開かれるフェスティヴァル・クラブはくだけた場で、ミュージシャンもリスナーも相当にアルコールが入っています。テーブルと椅子が置かれていますが、周囲の廊下や通路にも人があふれます。ここではぐっと若者が多くなり、ステージ前にはダンス・スペースも確保されています。着いた当日、オープニング・コンサートでカルロス・ヌニェスの名人芸を堪能してから、フェスティヴァル・クラブを見るためにゲーリック・カレッジにもどったわけですが、バンドはそこで急遽出ることになりました。これが大きかった。ここでの出演者はステージ・マネージャーがそこにいるミュージシャンや全体の流れを見てその場で決めていきます。JJF はリハもなく、ステージ用の衣裳もなく、フィドルのじょんはメガネをかけ、髪は伸ばしたままでステージに上がりました。楽器だけは持っていたわけです。

 遠く日本から来たバンドという司会の紹介だけで、聴衆はまったく何の予備知識もなかったはずです。しかし、1曲めが終ったとたん、歓声があがりました。いい音楽にはすなおに反応するのです。2曲ダンス・チューンの後の3曲め、対象的にバンドがワルツを始めました。すると、前の方に立っていたお客さんのなかから一組の中年のカップルがふわりと踊りだしたのです。精悍な感じの男性の方がリードしていましたが、音楽に誘われて身体が自然に動いたというように踊るふたりの姿は優雅そのものです。ぼくはバンドの演奏をビデオ撮影していましたが、思わず踊る二人にカメラを向けました。すると、胸の底からこみ上げてきたのです。自分でも思いがけない反応でした。それが何なのか、よくわからないまま、泣きだしそうになるのを必死でこらえていました。たぶん嬉しかったんだと思います。ジグやリールやポルカではない、ワルツで踊ってくれている! ジョンジョンフェスティバルの音楽が本物であることの、これ以上の証しがあるでしょうか。

 この後のバンドの音楽に対する反応もすべて同じでした。わざわざ日本から来たから、とか、伝統のないところの連中にしてはよくやっているとか、そういうものは一切ありませんでした。単純に、明快に、すばらしい、もっと聴きたい。今夜はやらないのか。昨夜は最高だったよ、ありがとう。

 お客さんだけではありません。共演のミュージシャンたちも、会場のスタッフたちも、一様に声をそろえていました。各コンサートを支えている多数のスタッフは皆音楽が好きでフェスティヴァルに関わっていて、自ら演奏し、踊る人も少なくないようです。永年フェスティヴァルでスタッフをしている人たちも多く、当然、数多くの様々なライヴを見ています。バンドにお世辞を言う必要もありません。それがワグマトックのサウンド・チェックでは、見ていたスタッフたちから拍手が起こりました。

 ミュージシャンでは、ボイスデイルに来ていたフィル・カニンガムが、別れ際に、言葉を尽くして誉めていたのが代表的でした。カニンガムは出演する予定はなかったのですが、フルックのサラにアコーディオンを貸しにきた由。フィナーレの全員での演奏にはアコーディオンで加わっていましたし、このフィナーレの組立てでもあれこれ助言をしていました。

 ジョンジョンフェスティバルがケルティック・カラーズから正式に招待されたと聞いたとき、反射的に行こうと思いました。ケルティック・カラーズそのものには以前から行きたいと思っていましたが、ふんぎりがつかないでいました。だいたいぼくは無精で、自分からはなかなか動きません。今回はそういう自分を動かすには絶好の口実です。JJF が世界でも一級であることに確信はありましたが、実際にどういう反応がおきるか、自分の目で確めたくもありました。それに同行の人間がいることは心強くもあります。まあ、大学入試を受ける子どもについて上京する親の気持ちがわからないでもないこともありました。もっともバンドの方は肩に力が入ることもなく、アガることもなく、まったくの自然体でした。国内のどこかでやっているのと同じ、ただMCが英語であるだけ。これも成功の要因のひとつと思いますが、感服したことであります。

 JJF が2、3年のうちに再度ケルティック・カラーズに呼ばれることはまちがいありません。ぼくがまた一緒に行けるかは微妙ですが、むしろ他の人たちに行っていただきたい。ここのコンサートは複数のミュージシャンの短かい演奏を重ねます。その組み合わせと出演の順番が、それぞれの音楽をよりよく体験できるよう、よく考えられています。2、3日だけの滞在でも多様な、しかも質のとても高い音楽を体験できます。フェスティヴァルの名前のとおり、この時期は紅葉がすばらしい。今年は遅れているとのことでしたが、それでもあちらこちら、見事な色を楽しむことができました。着いた日はよく晴れていて、宿に帰ってきて空を見上げると、凄いほどの星空。天の川を見たのは、子どもの頃、信州の田舎以来か。海産物を中心に、食べ物も美味しい。人びとは気さくですが、ベタベタしてません。カナダはどこも清潔で、治安もいい。もう四半世紀の昔、初めてトロントに行ったとき、シカゴのオヘア空港経由でしたが、湖ひとつ渡るだけなのに、空港のトイレの清潔さのあまりの違いに唖然としました。われわれのドライバーの一人が言っていたごとく、ケープ・ブレトンに行くことは文明の地に行くことでもあります。

 リスナーとしてはもちろん、ミュージシャンの人たちにとっても、このフェスティヴァルは面白いと思います。フェスティヴァル・クラブではトニー・マクマナスやダギー・マクリーンのような大物も出ますが、無名の人たちも出ます。ジョンジョンフェスティバルが今回呼ばれたのも、2年前、トシさんが Colin Grant のステージに飛び入りしたことがきっかけです。ニューファンドランドの大学にいる大木利郎さんも、フィドラーとして昨日の晩、出たはずです。かれはプロのミュージシャンとして活動しているわけではありませんが、クラブの楽屋でのセッションで認められたようです。JJF と一緒に来たということは一種の「勲章」にもなりましょう。それくらいのインパクトを、今回ジョンジョンフェスティバルは残しました。

 何も考えずに行ったわけですが、人生最高の体験のひとつをさせてもらいました。もうこれでいつ死んでもいい。これもひとえにジョンジョンフェスティバルの3人のおかげです。トシさんにはまた、旅の手配でいろいろお世話になりました。心から感謝します。ほんとうにありがとう。

 詳しいレポートは復刊された『クラン・コラ』に書きますが、とりあえずのご報告。旅の余韻に浸る間もなく、土曜日には今度は豊田さんとの「アイリッシュ・フルート」講座があります。明日はその打合せもあり、今日はこれからもう一度フルートの復習をせねばなりません。(ゆ)

05/21(土)〜22(日)
「天ぷらバスで行くオーガニックライブツアー in 丹波村」
ノルカルTOKYO
酒井絵美: fiddle, hardangar fele
モーテン・J・ヴァテン: 各種笛
費用: 20,000円(予定)
募集定員: 20名 最少催行人数15名
詳細はウエブ・サイトをどうぞ。

05/26(木)
コエトオト@渋谷・公園通りクラシックス
 渡辺庸介: percussion
 優河: vocals, guitar
 中村大史: guitars, etc.
 佐藤芳明: accordion
open 18:30/ start 19:30
予約 3,000円/ 当日 3,500円

05/28(土)
 Alan Patton: accordion, clarinet, vocal
 関島種彦: violin, mandolin
+ Gideon Juckes (tuba)
ギャラリー無寸草(とづづ)、下北沢
open 18:30/ start 19:30
2,000円 + 1 drink


06/01(水)
start19:30
入場無料
 アイヌのヴォーカル・グループのインストア・ライヴ。


06/03(金)
グルーベッジ+@Grain、高円寺
 大渕愛子: fiddle
 中村大史: guitar
 秦コータロー: accordion
 渡辺庸介: percussions
open 18:30/ start 19:00
予約 3,000円 当日 3,500円 + Order

06/04(土)
Celtic & Nordic Music Party @ 上野不忍池水上音楽堂
open 12:30/ end 17:45
500円
 今年から有料になったけど、これだけ贅沢な内容でこの値段はタダ同然。
プログラム、出演者については公式ブログをご参照。
フライヤーはこちら

06/04(土)
 Alan Patton: accordion, vocal
 多田葉子: saxophone, clarinet
 岩原Ab3: bass, tuba
昼 14:00〜17:00 2〜3回 1 drink + 投げ銭
夜 19:00〜 2,000円 + drink order


06/09(木)
 Alan Patton: accordion, vocal
 多田葉子: saxophone, clarinet
 岩原Ab3: bass, tuba
with ピエモンテルノ(from 京都)
open 18:30/ start19:30
2,000円 + 1 drink


06/15(水)
絵のない絵本 Vol.3 @ 喫茶茶会記、四谷三丁目
 西川祥子: 映像、主催
 西田夏奈子: 朗読
 shezoo: ピアノ、作曲
 加藤里志: saxophone
 相川瞳: percussions
open19:30
 詳しくは主催者に問い合わされたい。どういうイベントかはこちらを参照。


06/25(土)
アイルランド音楽講座ギター篇 @ ブック&カフェ B&B、下北沢
 長尾晃司
 トシバウロン
 おおしまゆたか
open 14:30/start 15:00
2,000円 + 1 drink order
 下北沢のブックカフェ、B&B でのアイルランド音楽講座の第2回はわが国トップ・ギタリストの長尾晃司さんをお迎えして、アイリッシュ・ミュージックにおけるギターについてお話をうかがいます。


06/26(日)
 大渕愛子: fiddle, vocal
 大橋大哉: guitar
+ 中村大史: accordion 他
open 18:00/ start 18:30
予約 2,000円 当日 2,500円 + 1 order


 久しぶりに見るハモクリは一回りも二回りもスケールが大きくなっていた。ハコは二桁ほど小さすぎた。4月はスター・パインズ・カフェとのことだが、おそらくやはり小さすぎるだろう。聴衆の数に対してというよりも音楽のスケールに対してだ。スーパーボウルのハーフタイム・ショウに出てもおかしくない。本物のスーパースターと優に肩を並べられる存在感、プレゼンスがある。どっしりとして、動きだせばその慣性に抵抗して、これを押し留めることのできるものは何もない。むろん鈍重などではない。フットワークの無類の軽さはそのままに、鋭さをこれまた数段増している。

 「振り切られないように、ついてこい」と清野は言うが、むしろ、格段に強くなった吸引力にぐいぐい引っぱられてゆく。類例のない音楽だが、あえて一番近いカタチをあげれば、つい先日新譜の出た上原ひろみのトリオだろう。ゲスト・ドラマーの田中佑司はサイモン・フィリップスに相当する。テクニックでは比肩できる。加える必要があるとすれば、経験と抽斗を増やすことだ。馬力は十分で、煽られる場面もあったことは清野もMCで告白していた。

 アンソニー・ジャクソンは当然長尾で、昨日はたぶんベース弦のチューニングを下げ、さらにミックスで思いきり強調していた。他のバンド、たとえば na ba na などでは見せたこともない形相で、あれでよく弦が切れないものだとあきれるばかりにかきむしる。リズムのキープというよりもリード・ベースだ。ジャクソンとか、ジャック・ブルースとか、フィル・レシュの立ち位置だ。

 そして上原の位置になるのがフロントの二人なわけだが、この点では上原は二人の敵ではない。まあ、やっていることが別なわけだから単純比較するのは無意味だが、少なくともぼくには今の上原よりもこの二人のやっていることの方が遙かにおもしろい。それはおそらくジャズとブルーズに加えて、アイリッシュをはじめとするケルトのダンス・チューンの要素が根幹にあるからだろう。

 このバンドを初めて見たのは、やはりこの次郎吉で、あれはもうかれこれ5年半前になるのか。まだ完全にアコースティックで、今から振り返れば、ブルーズ出身の清野と、アイリッシュ・ベースの他の3人がたがいに相手の懐にもぐりこみ、ベストのものを引き出そうと手探りしている状態だった。その融合できている部分とまだ未分化の部分の対照が面白く、何か新しいものが生まれるのではないかという期待にわくわくした。

 その期待はむしろさらに嬉しいほうに裏切られ、堂々たるハモクリ音楽として現前している。清野はケルト系の細かい音の動きを完全に自家薬籠中にして、しかもブルーズ・ベースの即興にシームレスに展開している。大渕もジャズのインプロヴィゼーションのマスターといっていい。もうスタッフ・スミスやシュガーケイン・ハリスの領域に完全に踏み込んでいる。昨日は楽器もまったくの電気フィドル、しかも五弦だ。

 その二人がギターとドラムスのドライブに乗って翔けめぐる。猪突猛進などではない、じっくりと聴かせる曲もあり、激情と抒情が交錯する。その音楽を全身で浴びながら、呆けたような笑いが顔に浮かんでくるのを抑えようもない。もう何を言うこともない、これぞ理想の音楽。

 しかもこれが今できる目一杯、というのですらない。まだどこかに余裕というか、八分の力というか、ぎりぎりまで出しきっていないところがある。出し惜しみではなく、むしろ少し控え気味の方が聴衆がその音楽を楽しめる。かれらが本当に全力を振り絞れば、こちらはもう完全に圧倒され、圧し潰されてしまう。音楽は、ライヴはミュージシャンだけが作るものではない。聴衆も参加して作りあげてゆくものだ。その呼吸をしっかり身につけているのは、やはりヨーロッパでの体験がモノを言っているのだろう。

 こうなると、このバンドはほんとうにふさわしいハコで見たくなる。わが国にはおそらく無い。武道館とかドームとか、そんなところではない。マジソン・スクエア・ガーデンとか、ロイヤル・アルバート・ホールとか、そして、そう、スーパーボウルのハーフタイム・ショウとか。あえて国内でならば、やはり屋外のフェスで青空のもと、誰に気兼ねすることもなく踊りくるえるところ。

 ハモクリ音楽が売れる音楽だというのではない。いや、売れるかもしれない。売れるかどうかは音楽自体とは別の作用だ。売れようが売れまいが、ハモクリの音楽は本物のスーパースターにしかできないものになろうとしている。単にうまいとか、美しいとか、ノリがよいとか、いうだけではない、突き抜けたものになっている。まさに突き抜けようとしている。

 音量はとんでもなく大きく、終演後、しばらくは耳がぶわんとしていたほどだが、この音楽を聴けるなら、この後耳が潰れてもかまわない。そういう想いが合間に頭に浮かんだ。これからも、耳の続くかぎりついていくぜ。(敬称略)(ゆ) 

 久しぶりに見るハモクリは一回りも二回りもスケールが大きくなっていた。ハコは二桁ほど小さすぎた。4月はスター・パインズ・カフェとのことだが、おそらくやはり小さすぎるだろう。聴衆の数に対してというよりも音楽のスケールに対してだ。スーパーボウルのハーフタイム・ショウに出てもおかしくない。本物のスーパースターと優に肩を並べられる存在感、プレゼンスがある。どっしりとして、動きだせばその慣性に抵抗して、これを押し留めることのできるものは何もない。むろん鈍重などではない。フットワークの無類の軽さはそのままに、鋭さをこれまた数段増している。

 「振り切られないように、ついてこい」と清野は言うが、むしろ、格段に強くなった吸引力にぐいぐい引っぱられてゆく。類例のない音楽だが、あえて一番近いカタチをあげれば、つい先日新譜の出た上原ひろみのトリオだろう。ゲスト・ドラマーの田中佑司はサイモン・フィリップスに相当する。テクニックでは比肩できる。加える必要があるとすれば、経験と抽斗を増やすことだ。馬力は十分で、煽られる場面もあったことは清野もMCで告白していた。

 アンソニー・ジャクソンは当然長尾で、昨日はたぶんベース弦のチューニングを下げ、さらにミックスで思いきり強調していた。他のバンド、たとえば na ba na などでは見せたこともない形相で、あれでよく弦が切れないものだとあきれるばかりにかきむしる。リズムのキープというよりもリード・ベースだ。ジャクソンとか、ジャック・ブルースとか、フィル・レシュの立ち位置だ。

 そして上原の位置になるのがフロントの二人なわけだが、この点では上原は二人の敵ではない。まあ、やっていることが別なわけだから単純比較するのは無意味だが、少なくともぼくには今の上原よりもこの二人のやっていることの方が遙かにおもしろい。それはおそらくジャズとブルーズに加えて、アイリッシュをはじめとするケルトのダンス・チューンの要素が根幹にあるからだろう。

 このバンドを初めて見たのは、やはりこの次郎吉で、あれはもうかれこれ5年半前になるのか。まだ完全にアコースティックで、今から振り返れば、ブルーズ出身の清野と、アイリッシュ・ベースの他の3人がたがいに相手の懐にもぐりこみ、ベストのものを引き出そうと手探りしている状態だった。その融合できている部分とまだ未分化の部分の対照が面白く、何か新しいものが生まれるのではないかという期待にわくわくした。

 その期待はむしろさらに嬉しいほうに裏切られ、堂々たるハモクリ音楽として現前している。清野はケルト系の細かい音の動きを完全に自家薬籠中にして、しかもブルーズ・ベースの即興にシームレスに展開している。大渕もジャズのインプロヴィゼーションのマスターといっていい。もうスタッフ・スミスやシュガーケイン・ハリスの領域に完全に踏み込んでいる。昨日は楽器もまったくの電気フィドル、しかも五弦だ。

 その二人がギターとドラムスのドライブに乗って翔けめぐる。猪突猛進などではない、じっくりと聴かせる曲もあり、激情と抒情が交錯する。その音楽を全身で浴びながら、呆けたような笑いが顔に浮かんでくるのを抑えようもない。もう何を言うこともない、これぞ理想の音楽。

 しかもこれが今できる目一杯、というのですらない。まだどこかに余裕というか、八分の力というか、ぎりぎりまで出しきっていないところがある。出し惜しみではなく、むしろ少し控え気味の方が聴衆がその音楽を楽しめる。かれらが本当に全力を振り絞れば、こちらはもう完全に圧倒され、圧し潰されてしまう。音楽は、ライヴはミュージシャンだけが作るものではない。聴衆も参加して作りあげてゆくものだ。その呼吸をしっかり身につけているのは、やはりヨーロッパでの体験がモノを言っているのだろう。

 こうなると、このバンドはほんとうにふさわしいハコで見たくなる。わが国にはおそらく無い。武道館とかドームとか、そんなところではない。マジソン・スクエア・ガーデンとか、ロイヤル・アルバート・ホールとか、そして、そう、スーパーボウルのハーフタイム・ショウとか。あえて国内でならば、やはり屋外のフェスで青空のもと、誰に気兼ねすることもなく踊りくるえるところ。

 ハモクリ音楽が売れる音楽だというのではない。いや、売れるかもしれない。売れるかどうかは音楽自体とは別の作用だ。売れようが売れまいが、ハモクリの音楽は本物のスーパースターにしかできないものになろうとしている。単にうまいとか、美しいとか、ノリがよいとか、いうだけではない、突き抜けたものになっている。まさに突き抜けようとしている。

 音量はとんでもなく大きく、終演後、しばらくは耳がぶわんとしていたほどだが、この音楽を聴けるなら、この後耳が潰れてもかまわない。そういう想いが合間に頭に浮かんだ。これからも、耳の続くかぎりついていくぜ。(敬称略)(ゆ) 

 久しぶりに見るハモクリは一回りも二回りもスケールが大きくなっていた。ハコは二桁ほど小さすぎた。4月はスター・パインズ・カフェとのことだが、おそらくやはり小さすぎるだろう。聴衆の数に対してというよりも音楽のスケールに対してだ。スーパーボウルのハーフタイム・ショウに出てもおかしくない。本物のスーパースターと優に肩を並べられる存在感、プレゼンスがある。どっしりとして、動きだせばその慣性に抵抗して、これを押し留めることのできるものは何もない。むろん鈍重などではない。フットワークの無類の軽さはそのままに、鋭さをこれまた数段増している。

 「振り切られないように、ついてこい」と清野は言うが、むしろ、格段に強くなった吸引力にぐいぐい引っぱられてゆく。類例のない音楽だが、あえて一番近いカタチをあげれば、つい先日新譜の出た上原ひろみのトリオだろう。ゲスト・ドラマーの田中佑司はサイモン・フィリップスに相当する。テクニックでは比肩できる。加える必要があるとすれば、経験と抽斗を増やすことだ。馬力は十分で、煽られる場面もあったことは清野もMCで告白していた。

 アンソニー・ジャクソンは当然長尾で、昨日はたぶんベース弦のチューニングを下げ、さらにミックスで思いきり強調していた。他のバンド、たとえば na ba na などでは見せたこともない形相で、あれでよく弦が切れないものだとあきれるばかりにかきむしる。リズムのキープというよりもリード・ベースだ。ジャクソンとか、ジャック・ブルースとか、フィル・レシュの立ち位置だ。

 そして上原の位置になるのがフロントの二人なわけだが、この点では上原は二人の敵ではない。まあ、やっていることが別なわけだから単純比較するのは無意味だが、少なくともぼくには今の上原よりもこの二人のやっていることの方が遙かにおもしろい。それはおそらくジャズとブルーズに加えて、アイリッシュをはじめとするケルトのダンス・チューンの要素が根幹にあるからだろう。

 このバンドを初めて見たのは、やはりこの次郎吉で、あれはもうかれこれ5年半前になるのか。まだ完全にアコースティックで、今から振り返れば、ブルーズ出身の清野と、アイリッシュ・ベースの他の3人がたがいに相手の懐にもぐりこみ、ベストのものを引き出そうと手探りしている状態だった。その融合できている部分とまだ未分化の部分の対照が面白く、何か新しいものが生まれるのではないかという期待にわくわくした。

 その期待はむしろさらに嬉しいほうに裏切られ、堂々たるハモクリ音楽として現前している。清野はケルト系の細かい音の動きを完全に自家薬籠中にして、しかもブルーズ・ベースの即興にシームレスに展開している。大渕もジャズのインプロヴィゼーションのマスターといっていい。もうスタッフ・スミスやシュガーケイン・ハリスの領域に完全に踏み込んでいる。昨日は楽器もまったくの電気フィドル、しかも五弦だ。

 その二人がギターとドラムスのドライブに乗って翔けめぐる。猪突猛進などではない、じっくりと聴かせる曲もあり、激情と抒情が交錯する。その音楽を全身で浴びながら、呆けたような笑いが顔に浮かんでくるのを抑えようもない。もう何を言うこともない、これぞ理想の音楽。

 しかもこれが今できる目一杯、というのですらない。まだどこかに余裕というか、八分の力というか、ぎりぎりまで出しきっていないところがある。出し惜しみではなく、むしろ少し控え気味の方が聴衆がその音楽を楽しめる。かれらが本当に全力を振り絞れば、こちらはもう完全に圧倒され、圧し潰されてしまう。音楽は、ライヴはミュージシャンだけが作るものではない。聴衆も参加して作りあげてゆくものだ。その呼吸をしっかり身につけているのは、やはりヨーロッパでの体験がモノを言っているのだろう。

 こうなると、このバンドはほんとうにふさわしいハコで見たくなる。わが国にはおそらく無い。武道館とかドームとか、そんなところではない。マジソン・スクエア・ガーデンとか、ロイヤル・アルバート・ホールとか、そして、そう、スーパーボウルのハーフタイム・ショウとか。あえて国内でならば、やはり屋外のフェスで青空のもと、誰に気兼ねすることもなく踊りくるえるところ。

 ハモクリ音楽が売れる音楽だというのではない。いや、売れるかもしれない。売れるかどうかは音楽自体とは別の作用だ。売れようが売れまいが、ハモクリの音楽は本物のスーパースターにしかできないものになろうとしている。単にうまいとか、美しいとか、ノリがよいとか、いうだけではない、突き抜けたものになっている。まさに突き抜けようとしている。

 音量はとんでもなく大きく、終演後、しばらくは耳がぶわんとしていたほどだが、この音楽を聴けるなら、この後耳が潰れてもかまわない。そういう想いが合間に頭に浮かんだ。これからも、耳の続くかぎりついていくぜ。(敬称略)(ゆ) 

 ワーナーからこういうタイトルのシリーズが出るそうです。
監修は松山晋也さん。

 ケルトってのがアイリッシュやあるいはエンヤみたいなものに限られるわけではない、というのには大賛成で、ぼくは「ケルト」をヨーロッパのみならず、北米、オセアニア、時にはアジアも含めて全部ひっくるめたものを指すことばとして使っているつもりです。

 松山さんから電話をもらってこういうのが出ることを知ったわけですが、ラインナップを見て、歓びました。

 インクレディブル・ストリング・バンドが入っているのは松山さんの趣味かなとも思いますが、ぼくも嫌いではないです。どちらかというと4月発売分の《THE HANGMAN'S BEAUTIFUL DAUGHTER》が好み。どこがケルトかって? 中心メンバーの一人ロビン・ウィリアムスンはスコットランド人で、ずっと後になりますがクラルサッハ(スコティッシュ・ハープ)でばりばり伝統曲アルバムを出してます。凄く良いです。ジョン・レンボーンとの共作もありました。最近は ECM からソロを出してますね。もう一人のクライヴ・パーマーはイングランド人だけど、ソロで出したバンジョー・アルバムは結構良かったです。

 ECM といえば、北欧ばかりと思ってたら、ジューン・テイバーなんかも出してて、油断できません。というのは余談。

 とまれ Celtas Cortos(スペインだから「ケルタス・コルトス」じゃないですかね) とか、Great Big Sea とか、Eleanor Shanley が国内盤で出るのは嬉しい。Luka Bloom もいいですねえ。これが売れれば、ウェールズの Martyn Joseph なんかもどうでしょう。

 Celtas Cortos は楽しいバンドで、スカンディナヴィアのかつての Filarforket や、今だったら Alamaailman Vasarat のような立ち位置といったらわかりやすいかな。こういう大真面目に不真面目をやっているバンドはブリテン諸島ではなかなか無くて、やっぱり大陸の産物なんですかね。ケルトとジャズの融合として一級です。

 Great Big Sea はカナダ東部のバンドで、他にも Rawling Cross とか、このあたりはかなり面白いところです。豪快なケルティック・ロックですが、アメリカにはまず無いデリカシーがちゃんとあるところがカナダ。それになぜかこういうバンドはアメリカにはない。カナダとかオーストラリアとか、英国植民地であり続けた地域にあるのも不思議でもあり、面白くもあり。もっともアメリカでも Seven Nations は結構好き。

 Eleanor Shanley はデ・ダナン出身の若手シンガーの中の出世頭でしょう。1990年のデ・ダナンの A JACKET OF BATTERIES で初めて聴いたのは鮮烈でした。そしてこのファースト・ソロはシンガーとしての評価を確立したもの。久しぶりに公式サイトに行ってみたら、あらら、たくさん出てる。新作が出たばかりです。

 デ・ダナン出身といえばモーラ・オコンネルもそうですが、彼女はアイルランドのシンガーのなかでアメリカと波長が一番良く合う声とスタイルをもっていて、デ・ダナンの THE STAR SPANGLED MOLLY の成功もそこに負うところが大きい。ソロになってからの彼女はアメリカとアイルランドの中間のどこかでうたってるんですが、どちらでもあり、どちらでもない、でも中途半端ではない、不思議な世界。HELPLESS HEART はベラ・フレックがプロデュースして彼女のアメリカ的要素をうまく引き出した出世作。そこでジェリィ・ダグラスに出逢ってできた WANDERING HOME は彼女の最高傑作と思います。

 Chris Rea の《シロツメクサ日記》は出た当時『包』で松山さんが紹介していたので聴いてみたら結構気に入りました。うたも渋いし、ギターもうまい。その後も何枚か買っていたはず。また聴きなおすかな。それにはアナログ・プレーヤーを直さにゃならんけど。

 ブルターニュの Gwendal が国内盤で出ようとはまるで思いませんでした。ブルターニュのケルト音楽がジャズをとりいれる先駆けのバンド。アラン・スティヴェールは幅の広い人ですが、ジャズはなぜか入っていない。かれは徹頭徹尾ロックの人。Gwendal はジャズで伝統音楽を解釈することを始めて、スティヴェールに負けない影響を後続に与えてます。

 ムーヴィング・ハーツのファーストが国内盤で出るのは二度目かな。クリスティ・ムーアは国内盤は初めて。ぼくが頼まれたのはこれで、久しく聴いていないので、聴きなおさないと。昨年末にふと思いたって、クリスティの持っていなかった近作を数枚買っていたのはよいタイミングでした。ここのところ調子がいいですね。老いてますます盛ん、というより、みんな、老いるほどに盛ん。ああいう姿を見ると、元気が出ます。

 ということで、3月、4月と10枚ずつ、20枚出ます。1枚1,300円と安いし、どれも面白いですから、皆さん買いましょう。

 さあて、クリスティの録音を久しぶりに全部聴き直しますか。といって、ファーストは持っていないけど。(爆)(ゆ)

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