クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:シャン・ノース

 シンガーの Muireann Nic Amhlaoibh(ムイレン・ニク・アウリーヴ)が、アイルランドの作曲家が編曲したシャン・ノースの伝統歌を Irish Chamber Orchestra と伴に歌うというコンサート "ROISIN REIMAGINED" が来月7日の Kilkenny Arts Festival であります。


 このコンサートを録音してCDとしてリリースする計画があり、その資金を Kickstarter で募っています。


 締切まで1週間足らずですが、まだ目標額には達していません。皆さま、ぜひぜひ応援しましょう。


 ムイレンはアイルランドの現役シンガーでも最高の一人です。「謎に満ちた完璧だ」とドーナル・ラニィも言ってます。これまでの録音は Bandcamp で試聴の上、購入できます。(ゆ)


Traditional Irish Unaccompanied Singing    東京医科歯科大での芸術?の講義、2曲目はアイルランド語の無伴奏歌唱です。
   
Darach O/ Catha/in〈Toma/s Ba/n Mac Aoga/in〉
from TRADITIONAL IRISH UNACCOMPANIED SINGING, 1975, 3:41

    アイルランドの伝統歌謡は英語のものとアイルランド語のものに大別されます。アイルランド語のうたのなかに、シャン・ノース sean no/s と呼ばれるスタイルのうたがあります。この言葉自体は「古い様式」を意味し、うただけでなく、ダンスにもこう呼ばれるスタイルがあります。ダンスについては後ほど、出てきたときに。
   
    アイルランド語の無伴奏歌謡がすべてシャン・ノースであるわけではないのですが、ではシャン・ノースの定義は、と言われると明確なものはありません。もっとも伝統音楽のジャンルやスタイルは明確な定義をつねにすりぬけるものであります。
   
    それでも、いくつか特徴をあげることはできます。
   
    アイルランド語によるうた、ソロ、無伴奏、自由リズム、複雑な装飾音つまりコブシをよくまわす、ひとつのフレーズは総じて長い、声は張りあげない。
   
    結局、これがシャン・ノースだと言われるものをたくさん聴いて、感覚を身につけるしかありません。この人の録音はさしづめ、その最たるもので、シャン・ノースとは何だ、と訊かれて、なんのためらいもなく、これです、と差し出せるものです。
   
    同時にこれはシャン・ノースであると知らずとも、すぐれたうたの録音として、およそジャンルを超えた最高の一枚でもあります。前にも書きましたが、このアルバムに出会ったのは、マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルが最初に来日した時、開演前のBGMとして流れていたものでした。誰がうたっているのかも、何をうたっているのかもわからないまま、うたと声がやけに心に沁みてきたのです。
   
    アイリッシュ・ミュージックをまともに聴いたことはないが音楽好きではある人に、何枚かまとめて薦めたアイルランドのうたのアルバムの中で、これが最高だったと言われたこともあります。
   
    これもまた、どこにでもいそうなおっさんが、感情を決して表にあらわさず、ただただ坦々と、ひとりだけでうたっている。高すぎず、低すぎず、適度に湿り気を帯びて暖かい声。それだけですべての不満や怒りなどの負の感情が消え、溜まっていた澱が洗いながされて、すがすがしく、全身の力が抜けてゆく。癒しとかのチープな、どこにでもあるものではない、深い再生の音楽です。人がいて、うたう。その奇蹟。

    ダラク・オ・カハーン(ではなかった気もするが、思いだせない)は1922年にコナマーラに生まれ、1987年に亡くなっています。10歳でミースに移住。22歳まで農場労働者として働き、イングランドのリーズに移民。13年間過ごしています。ミース時代にアイルランド語芸術のフェスティヴァルである Oireachtas に参加。会場でショーン・オ・リアダと出会って親交を結びます。うたの基礎はコナマーラの少年時代に培われたようで、最大のうたのソースは母親でした。録音はこれ1枚。収められたうたのほとんどはラヴソングです。RTE/ TV のアーカイヴ集DVDに映像がありますから、おそらくまだ眠っている録画録音があるのでないかと思われます。

    以下の原詞でアルファベットの後ろに "/" があるものは、その前のアルファベットにアクセントが付いていることを示します。

〔原詞=ネット上で見つけた、ある人が聞きとったものによる。〕
A's are/ir ag ti/ocht o/n to/rramh dhom 'sea dhearc me/ sto/r mo chroi/
'S mo chreach agus mo chra/ ni/ sa mbaile 'chaith me/ an oi/ch'
Ta/ arraing ag dhul trasna thri/om, is i/ ag co/nai/ i la/r mo chroi/
Is a sto/r, mura dte/ tu/ abhaile liom 's ni/ mhairfidh me/ beo mi/.

Is tha/inig Toma/s Ba/n ar cuairt agam is me/ in uaigneas liom fe/in
Se/ard a du/irt se/, "Na/ bi/odh buaireamh ort na/ rud ar bith mar e/
'S i/ do chu/ili/n catach a mharaigh me/ 's mar gheall ort a gcrochfar me/
Is gur measa liom naoi n-uaire thu/ na/ an mha/thair ata/ i mo dhiaidh."

O/ 's a Thoma/is Bha/in Mhic Aoga/in, 's e/ mo le/an thu/ bheith ag dhul i gce/in
Ce/rbh ionadh liom do mha/ithri/n bhocht 'ta/ go bro/nach i do dhiaidh
Dha/ mbeifea/ ar leaba an bha/is aici, ce/r cha/s di thu/ 'bheith tinn
Ach do chrochadh as na sa/ltrachai/ is an bha/isteach le do dhroim.

O/ 's a Thoma/is Bha/in, bi/ cinnte, 's tu/ searc is ru/n mo chroi/
A Thoma/is a dtug me/ gean dhuit, seachas fearaibh o/g an tsaoil
O/ crochfar thu/ go cinnte, mura bhfuil ag gra/sta De/
Is a Dhia na/rach mo/r an feall e/ an planda brea/ mar e/.

Is ta/ cuireadh go Cill Chainnigh orm agus caithfidh me/ dhul ann
Beidh ann an seisiu/n ceathru/na idir Gaeil is clanna Gall,
Ni/ dhaorfar ann ach beirt e/icint agus crochfar iad, mo le/an,
Mar 'ta/ Toma/s Ba/n Mac Aoga/in 's Mac Ui/ Mhaola/in lena thaobh.


〔大意=上記の人の英訳による。〕
昨夜のこと、通夜からの帰り道、わが心の宝物をみとめた
哀しく、苦しい、あの晩、家にいられなかったのは
矢が一本、私を貫き、胸に刺さってとれなくなった
愛しい人よ、私の家に来ておくれ、さもなければ私はひと月保たない

わたしが一人でいる時にトモース・ボーンがやってきた
彼が言うよう「心配ないよ、たいしたことじゃない
ただ、きみの巻き毛にぼくはまいってしまったのだ、きみのためにぼくは縛り首になる
家に残した母親よりも、きみのことが9倍も気にかかる」

ああ、トモース・ボーン・マク・イーアン、あなたが行ってしまうのは哀しいわ
お母さまがあなたのことを哀しむのは当然のこと
あなたをとりもどせるなら、たとえ死の床についたあなたでも、お母さまは気になさりますまい
でも、絞首台にあなたが吊るされて、背中を雨に打たれるとなると別でしょう

トモース・ボーン、あなたを心の底から愛してることは信じて
この世の若者の誰よりもあなたを愛しています
神の恩寵が手をさしのべなければ、あなたは絞首刑になるでしょう
神さま、あの人のようなりっぱな若者が縛り首になるなんて、そんなひどいことはありません

私はキラーニィに召喚されているから、行かなければならない
アイルランド人とイングランド人による四季裁判が開かれる
有罪判決を受けることになるのはただ二人だけ、そしてなんと二人とも絞首刑になる
トモース・ボーン・マク・イーアンとその傍らに若いマク・イーローンと


    なぜトモース・ボーンが縛り首になるのかは明らかではありませんが、伝統歌では必ずしもすべてが説明されるわけではありません。このうたの「肝」は、確実な死を控えていることで一層深まる愛情にあります。
   
    このうたがいつ頃生まれたかははっきりしませんが、前の〈Do Me Justice〉より古いことは確かです。おそらく死刑がごく普通の刑罰だった頃、17ないし18世紀に原型ができていたと考えられます。(ゆ)

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