アリエット・ド・ボダールの作品集『茶匠と探偵』再校ゲラの点検をやっている。どの話も強力で、次から次へとやることができない。一篇かたづけると、何か、まったく別のこと、掃除とか、食事の支度や後片付けとか、散歩とかをやって息を抜かねばならない。

 「哀しみの杯三つ、星明かりのもとで」Three Cups of Grief, by Starlight。傑作ぞろいのなかで、どちらかというと地味な話だ。Clarkes World 2015年新年号、通巻100号に発表、翌年ドゾアの年刊ベスト集に収録されている。出たばかりの著者初の本格的作品集 Of Wars, And Memories, And Starlight にも収録。

 ある偉大な科学者で母でもあった人物が死に、その長男、研究の後を継いだ科学者、そして娘でもある有魂船 mindship の3人がそれぞれに死者を悼み、哀しみを抱えながら、前へ進んでゆく様を描く。この3番目の有魂船の哀しみには、何度読んでも涙が出てくる。人間とはまったく異なる哀しみは、人間である兄にもわからず、同僚の有魂船にもわからない。ひとりで哀しまねばならない。とりわけ、死の直前の母がふらりと乗ってきたときのこと。

 初読のときに泣いたのはしかたがないとして、訳しながら涙が出てきたのには参った。おまえはそれでもプロか、と自分に言ってみても、出てくるものは止まらない。泣きながらやって、時間を置いて、改訂のために読みなおすと、また泣いてしまう。

 わんわん泣くわけではない。じわじわと胸の奥の方からなんとも名付けようのないものが沁みだしてきて、気がつくと目がうるんで、喉が詰まっている。どうにも始末が悪い。

 編集が検討した初稿の改訂のときに泣いて、初校でも泣く。そして今回、再校でも泣いた。何なんだ、これは、と思いながら、不快なわけではむろん無い。読後感はさわやか、というほどカラっとはしていないが、カタルシスとはこういうことだなと納得できる。

 有魂船はむろんSF的仕掛けであって、人と機械の合体、広い意味でのサイボーグ、その哀しみは本来、人間にはわからないはずのものだ。にもかかわらず、彼女の哀しみは、他の二人の人間の哀しみよりも胸に迫る。異質な存在の哀しみゆえに、哀しみの本質、失なった人を悼むことの本質が、素のままに提示されるからだろうか。だとすれば、ここはサイエンス・フィクションならではの醍醐味だ。そしてその異質の哀しみを説得力をもって描ききる作者の想像力に、読む方が翻弄されている。いや、まいりました。

 もちろん、誰も彼もがこれを読んで同じように泣くわけはない。どんな人間でも読めば必ず泣くという話があるとすれば、それ自体がホラーだ。たとえ同じく哀しみを感じとるとしても、別の形、異なる角度で感じる人もいるはずだ。あるいは哀しみではなく、まったく別の感情を汲みとる読者もいるだろう。あたしの場合はたまたま、涙が出てくるような形でこの話と波長が合ったにすぎない。

 さて次は「魂魄回収」A Salvaging of Ghosts。2016年3月、Beneath Ceaseless Skies 195号に発表。翌年、ストラーンとドゾア各々の年刊ベスト集に収録。こちらは対象的に、特異な宇宙空間での娘の死体の回収におのれの命を危険にさらす母親の話だ。上記 Of Wars, And Memories, And Starlight にも収録。この作品集に添えられた著者の注記によれば、これは「哀しみの杯」と対になるものとして書いた由。別にそうと企んだわけではなく、発表順にならべたらこうなったのだが、なかなかうまい具合になった。(ゆ)