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RIP Kelly Joe Phelps
RIP Sean Garvey
第四回 岡大介のカンカラはやり歌@横浜にぎわい座、桜木町
Norma Waterson (1939-2022)
30日午後に母が亡くなった、とイライザ・カーシィがツイートしていました。イライザの母ならばノーマ・ウォータースン。イングランドのフォーク・ミュージックの無冠の女王とも言われる傑出したうたい手であります。
ノーマはまず弟妹の Mike と Elaine (Lal)、それにいとこの John Harrison との The Watersons の一員として姿を現します。4人は出身地、北イングランドの伝統歌をアカペラ・コーラスで歌い、1960年代、ブリテンのフォーク・リヴァイヴァル新世代の登場を告げ、後続の若者たちに衝撃を与えたのでした。60年代後半、ヨークシャーのある街で、自分たちのギグを終えたザ・フーがウォータースンズが歌っているところを探して聴きにきた、という話も伝えられています。
ぼくがウォータースンズを初めて聴いたのは1977年の《Sound, Sound Your Instruments Of Joy》でした。ちょうど、ブリテンの伝統音楽に入れこみだしたばかりの頃で、その精妙かつ野趣あふれるハーモニーに夢中になったのでした。これはイングランドの教会で日常的に歌われてきた聖歌を集めた1枚ですが、説教臭さも抹香臭さもかけらもなく、まじりけのない歓びに溢れた、美しい歌が詰まっているアルバムです。聖歌集だということさえ、当初はわからず、伝統的なクリスマス・ソング集だとばかり思いこんでいました。実際、そう聴いてもかまわないものでもありましょう。
続いてノーマが妹のラルとの二人の名義で出した《A True Hearted Girl》はまたがらりと趣が変わって、軽やかな風に吹かれるような歌を集めていて、こちらも当時、よく聴いたものです。
とはいえ、一人の独立したうたい手としてノーマを見直したのはずっと下って1996年、ハンニバルから出た《Norma Waterson》でした。名伯楽 John Chelew のプロデュースのもと、リチャード・トンプソン、ダニィ・トンプソン、Benmont Tench に、なんとロジャー・スワロゥという、これ以上は考えられない鉄壁の布陣をバックに、悠々と、のびのびと、歌いたいうたを天空に解きはなつその声に、完全にノックアウトされたのでした。就中、冒頭の1曲〈Black Muddy River〉の名曲名唱名演名録音にはまったく我を忘れて聴きほれたものです。曲がロバート・ハンター&ジェリィ・ガルシアの作になることはクレジットを見ればわかりましたが、それがグレイトフル・デッドのレパートリィの中でどういう位置にあるのか、多少とも承知するのは何年も後のことです。ノーマ自身、それが誰の歌であるか、知らないままに歌いだした、とライナーにありました。ある日誰からともなく送られてきていたカセット・テープに入っていて、ただいい曲だとレパートリィに加えたのだそうです。
この人は年をとるにしたがって、存在感が大きくなっていきました。セカンド、サードとソロを出し、一方で 夫マーティン・カーシィと娘イライザとのユニット Waterson: Carthy の一員として、あるいは再生ウォータースンズのメンバーとして、その評価は上がる一方で、ついにはマーティンの叙勲とともに、一家はイングランド・フォーク・シーンのロイヤル・ファミリーとまで呼ばれるようになりました。それには、English Folk Dance and Song Society 会長にもなったイライザの活躍もさることながら、いわば女族長としてのノーマのごく自然な威厳ある佇まいも寄与していたようにも思えます。
生前最後の録音はイライザとの2010年のアルバム《Gift》から生まれた Gift Band との2018年の《Anchor》になりました。
先日、イライザはパンデミックによって一家が困窮しているとして、ファンに財政支援を訴えていました。そこではノーマが肺炎で入院しているともありました。ここ数年、いくつかの病気を患い、2010年には一時昏睡に陥ってもいたそうです。
弟マイクは2011年に、妹ラルは1998年に亡くなっています。
自分でも思いの外、衝撃が大きくて、すぐにはノーマの歌を聴きかえす気にもなれません。今はまず冥福を祈るばかりです。合掌。
01月31日・月
##本日のグレイトフル・デッド
01月31日には1969年から1978年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1969 Kinetic Playground, Chicago, IL
5ドル。開場7時半。閉場午前3時。このヴェニュー2日連続の初日。シカゴ初見参。1981年まではほぼ毎年のようにシカゴでショウをしている。Grassroots 共演。セット・リスト無し。
ポスターでは Grassroots と一語で、これが The Grass Roots と同一であるかはわからない。後者は1966年にデビューしたブルー・アイド・ソウルのグループとウィキペディアにある。こちらは1967年に〈Let's Live for Today〉というベスト10ヒットをもっている。
ポスターには1月下旬から3月上旬までの出演者が日付とともに掲げられている。デッドとグラスルーツの前は Buddy Rich Orchestra、Buddy Miles Express、Rotary Connection。後はヴァニラ・ファッジ、レッド・ツェッペリン、ジェスロ・タル。以下、ティム・ハーディン、スピリット、The Move。ジェフ・ベック、サヴォイ・ブラウン、マザー・アース。ポール・バターフィールド、B・B・キング。ポール・バターフィールド、ボブ・シーガー・システム。ジョン・メイオール、リッチー・ヘヴンス。チケット代金、開場、閉場時刻はすべて同じ。
2. 1970 The Warehouse, New Orleans, LA
このヴェニュー3日連続の2日目。フリートウッド・マック、ザ・フロック前座。
8曲演奏されたところで、レシュのアンプがトラブルにみまわれ、5曲25分ほど、アコースティックで演奏され、またエレクトリックにもどってさらに5曲、40分ほど演奏される。
3. 1978 Uptown Theatre, Chicago, IL
9.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続の中日。最高のショウの一つだった由。この後のショウの録音を聴けば、容易に想像がつく。(ゆ)
Claire Hastings《Between River And Railway》
01月23日・日
ヘイスティングスのファースト。2015年に BBC Young Traditional Musician of the Year を受賞し、翌年リリースをようやく聴く。受賞に恥じない、というよりも賞の権威を大きく増幅する出来栄え。
トラディショナルは1曲だけで、自作が半分と様々な人の歌のカヴァー。どの曲も佳曲で、選曲眼がいい。最も有名なのは〈Annie Laurie〉だろうが、これも独自の歌になっている。祖母のお気に入りだったヴァージョン。
バックもスコットランドの若手のトップが揃い、プロデュースはギターの Ali Hutton。いい仕事をしている。アレンジにも工夫がこらされ、新鮮かつ出しゃばらない。バランスがみごと。
ウクレレを持つシンガーというのは、スコットランド伝統歌謡の世界では珍しい。もっともここでは器楽面は他にまかせ、歌うことに専念している。Top Floor Taivers でも現れていた、ケレン味の無い真向勝負の歌は実に気持ちがよい。一方で、ここまで真向勝負できる声と歌唱力を備えるうたい手も少ない。Julie Fowlis に続く世代の、まず筆頭のうたい手。
##本日のグレイトフル・デッド
01月23日には1966年と1970の2本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。また1969年にアヴァロン・ボールルームでのリハーサルのテープがあり、《Downlead Series, Vol. 12》でそのうちの2曲〈The Eleven〉と〈Dupree's Diamond Blues〉がリリースされた。後者は翌日がデビュー。
1. 1966 Longshoreman's Hall, San Francisco, CA
トリップ・フェスティヴァルの3日目。The Loading Zone が共演に加わっている。
The Loading Zone は1966年、バークレーで元はジャズをやっていたキーボーディストの Paul Fauerso が結成。ベース、ドラムス、ギター二人の5人組。このトリップ・フェスティヴァルがデビュー。ギタリストの二人は The Marbles というこれもバークレーのサイケデリック・ロック・バンドのメンバーだった。The Marbles は1965年10月にこの同じヴェニューで開かれた Family Dog のプロモーション・コンサート "Tribute to Dr. Strange" でジェファーソン・エアプレインの前座を勤めた。ローディング・ゾーンも他のビッグ・アクトの前座を勤めることが多く、人気はあったが、1968年のデビュー・アルバムが不評で1969年に解散。リーダーのファウアーソは別メンバーで同じ名前で再出発をはかり、セカンドも出すが、1971年に解散。ファーストはストリーミングで聴ける。
ロックというより、ブラス付きのリズム&ブルーズ・バンドの趣。今聴くと、二人いるシンガーはまずまずで、特に片方の声域が高く、若く聞える方はかなりのうたい手だし、全体の出来として水準はクリアしているとも思えるが、カヴァー曲が多く、当時は「オリジナリティがない」とされたらしい。オリジナリティはそういうもんじゃないということはデッドのカヴァー曲演奏を聴いてもわかるが、1960年代後半から70年代初めは、どんなに陳腐ものでも自作と称すればオリジナリティがあるとされ、カヴァーはダメという風潮は確かにあった。ひょっとすると今でもあるか。
2. 1970 Honolulu Civic Auditorium, Honolulu, HI
このヴェニュー2日連続の初日。開演8時、終演真夜中。ホノルルはデッドにとって西の最果て。《Dave’s Picks, Vol. 19》で全体がリリースされた。前座は The Sun And The Moon, September Morn, Pilfredge Sump で、いずれも地元のバンドと思われる。もう一人、Michael J. Brody, Jr. もこの日、デッドの前座をしていると Sarasota Herald Tribune 紙に報道がある。もっともこの新聞はフロリダの地方紙で、ハワイでのできごとについての報道にはクエスチョン・マークがつく。他にこれを裏付けるものも無いようだ。
Michael J. Brody, Jr. (1943-1973) は1970年1月に、継承した遺産2,500万ドルを、欲しい人にあげると発表して注目された人物。それに伴なって騒ぎになると、姿を消した。エド・サリヴァン・ショーに登場してディランの曲を12弦ギターを弾きながら歌ったそうだ。何度か新聞ネタを提供した後、1973年01月に拳銃自殺する。
DeadBase XI では前日01-22にもショウがあり、またこれを含めた3日間のショウにはジェファーソン・エアプレインも共演したとしているが、地元紙 Honolulu Star-Bulletin の記事・広告の調査で、ショウは23と24の両日のみで、エアプレインは共演していないと判明している。ハワイではこの年6月にもう2本ショウをしている。
2時間強の一本勝負。7曲目〈Casey Jones〉はテープが損傷しているらしく、途中で切れる。〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉から始まるのは珍しく、こういう珍しいことをやる時は調子が良い。〈Black Peter〉〈Casey Jones〉〈Dire Wolf〉というあたりは《Workingman's Dead》を先取りしている。デッドはスタジオ盤収録曲をアルバムを出す前から演奏するのが常だ。ライヴで練りあげてからスタジオ録音し、その後もまたライヴを重ねて変えてゆく。
調子は尻上がりで、〈Good Lovin' > That's It for the Other One > Dark Star > St. Stephen〉と来て、〈Turn On Your Lovelight〉は30分を超える熱演。1時間半ノンストップ。ピグペンのヴォーカルは良く言えば肩の力が抜けながらどこまでも粘ってゆく。ここでもガルシアのギターがシンプルで面白いフレーズを連発してつなぐ。
この年は新年2日に始動していて、これが7本目のショウ。エンジンがかかってくるとともに、1969年までのデッドから1970年代前半のデッドへの変身も進行している。
会場は1933年建設、1974年に解体。ザッパ、レッド・ツェッペリンはじめロック・アクトの会場として数多く使われ、ライヴ音源も複数リリースされている。収容人数は不明。
1986年、糖尿病による昏睡から奇跡的に回復したガルシアはクロイツマンの薦めにしたがい、ハワイでスキューバ・ダイビングすることで、完全に復調する。以後、ガルシアは休暇のたびに、クロイツマンとハワイで過ごした。クロイツマンはバンド解散後、ハワイに住んでいる。
なお、Jerry Garcia Band の1990-05-20のハワイ島ヒロでのショウが、《GarciaLive, Vol. 10》でリリースされている。
+ 1969 Avalon Bollroom, San Francisco, CA
翌日から3日連続でここでショウをするためのリハーサル、らしい。公式リリースされているリハーサルとしては他に、
《So Many Roads》に1993年02月
2020年の《30 Days Of Dead》で1982年03月
《Reckoning》2004年拡大版に1980年09月
《Beyond Description》所収の《In The Dark》のボーナス・トラックに1986年08月と12月
《Portcards Of The Hanging》に1987年06月
《Rare Cuts & Oddities 1966》に1966年初め
がある。
音は粗い。ほとんどモノーラルに聞える。冒頭が欠けており、途中、損傷していて音が飛ぶ。演奏は良い。〈The Eleven〉では、ガルシアがこの時期としてほ面白いフレーズを連発する。〈Dupree's Diamond Blues〉は一度通して歌う。ハンター&ガルシアの曲で、実話に基く宝石店強盗を歌ったこの歌は1969年01月24日、サンフランシスコでデビュー。1969年7月まで歌われるが、そこで一度レパートリィから落ちる。1977年10月から1978年4月まで復活、また落ちて1982年に復活、80年代は頻繁ではないが、コンスタントに歌われ、1990年03月で消え、1994年10月13日、マディソン・スクエア・ガーデンが最後。トータル78回演奏。メロディはコミカルだが、内容はなかなかシビア。(ゆ)
Christy Moore 《Flying Into Mystery》
01月19日・水
2016年の《Lily》以来のオリジナル録音。この間、2017年に《On The Road》、2019年に《Magic Nights》のライヴ盤を出し、2020年にはファースト《Paddy On The Road》からのセレクションも含む初期の選集盤《The Early Years 1969-81》を出した。
ライヴ盤は長いキャリアの中でもベストと言えるメンバーのバンドに支えられて、全キャリアでもベストの歌唱と思えるものばかりで、しかも、成熟とか、大成とか言う年齡の属性をカケラも感じさせない、瑞々しく力強いパフォーマンスに、あたしとしてはかつは驚嘆し、かつは喜んだものだ。この2枚は現在は一つのパッケージで売られていて、もしこれからクリスティの音楽を聴こうというのなら、まず真先に薦める。むろん、プランクシティから聴いてもまったくかまわないが、この2枚のライヴには、この不世出のシンガーが行きついた最高の姿が現れている。
このアルバムはライヴに現われた元気一杯なうたい手を期待すると肩透かしをくう。この人は複雑なことを一見シンプルにうたった歌をストレートに聴かせるのが巧い。ストレートに聞えるからと、中身もシンプルだと気楽に構えると、どこか納得できないところが残る。後味がよくなくなる。もっとも、後味がよくないことが、この人の歌の、とりわけソロの歌の最大の魅力とも言えるだろう。これがプランクシティやムーヴィング・ハーツのようなバンドになると、違ってくる。
何よりもこの人の声は耳に快いものではない。といって不快なわけではないが、執拗にまとわりつく。否応なく耳に入ってくる。とりわけ、今回のように、ほとんど声を上げず、しゃべるように、あるいは囁くように歌うときにはなおさらだ。初めはクリスティもついに老いたか、と思ったのだが、聴いてゆくとそうではないと納得される。こういう声しか出ないから、やむをえず、これで歌っているわけではない。故意に抑えて、こういう歌い方を選んでいる。アルバム全体の基調として選んだのか。それとも、個々の歌に合わせて選んでいるうちに、たまたまそういうものが集まったのか。あるいはその中間か。いずれにしても、終始声を上げないこのアルバムは、そのために聴く者に耳をそばだてさせる。するりと耳に入り、入った先で重くなる。
バックのアレンジももっぱらこの声を引き立たせることをめざす。数曲、別録音でキーボードとストリングスが加えられているのも、あくまでも背景に徹する。全体として、各々の曲にふさわしい背景を配して、声を前面に出す。これならクリスティのギター1本でもいいように思えるが、そうなると今度はギターが声と拮抗してしまうのだろう。むしろ、歌によって背景の色を少しだが明瞭に変えることで、各々の歌の性格を押しだし、アルバムとして聴くときの流れを作っている。
クリスティは公式サイトに全曲の歌詞とノートをアップしている。アルバムのライナーの PDF もある。もっともそこに書かれている各曲のノートは個別の歌詞のページに載っているものと同じではある。これを読み、歌詞を味わいながら聴いていると、歌の一つひとつが、各々の重みをもって、胸の内に沈潜してくる。ライヴ盤を聴くのとは対照的な経験だ。
選曲は例によって、同時代の問題意識と、個人的に惹かれるものごと、現象へのオマージュのバランスがとれている。なんとも巧い。そして、底に流れるユーモアのセンス。アイルランド人のユーモアのセンスには、底意地が悪いとしかみえないものも時にあるが、そういう要素もちゃんと入っている。かれがアイルランドで絶大な人気を得ている、人間国宝とでも言うべき存在なのは、たぶんそこではないか。
ある晩、ゲイリー・ムーアの音楽をずっと聴いてゆくうちに、深夜、この歌が現れた、と言ってとりあげた曲から、ディランの詩を伝統曲のメロディに乗せてうたうラストまで、一気に聴くべきものではないだろう。1曲聴いてため息をつき、また1曲聴いてお茶を(あるいはコーヒーでもワインでも)すすり、さらに1曲聴いて、満月を見あげる。たっぷりと時間をとって、味わいたい。あるいはこれと思い当たった曲をくり返し聴いてもいい。傑作とか名盤とか呼ばれることを喜ぶ境地はかれのアルバムはすでにずっと昔に卒業している。
サポート陣ではシェイミー・オダウドが例によって手堅い仕事をしている。そして息子のアンディがつけるコーラス顔がほころぶ。
Christy Moore: vocals, guitar
Jim Higgins: percussion, organ
Seamie O'Dowd: guitars, harmonica, bouzouki, mandolin, fiddle, banjo, bass, chorus
Andy Moore: chorus
Gavin Murphy: keyboards, orchestral arrangements
Mark Redmond: uillean pipes
James Blennerhassett: double bass
[12 Tracks ]
01. Johnny Boy {Gary Moore} 3:12
02. Clock Winds Down {Jim Page} 2:21
03. Greenland {Paul Doran} 4:43
04. Flying Into Mystery {Wally Page & Tony Boylan} 2:30
05. Gasun {Tom Tuohy & Ciaran Connaughton} 3:02
06. All I Remember {Mick Hanly} 3:01
07. December 1942 {Ricky Lynch} 4:39
08. Van Diemen's Land {Trad.} 3:57
09. Bord Na Mona Man {Christy Moore} 3:41
10. Myra’s Caboose {Trad.} 3:20
11. Zozimus & Zimmerman {Christy Moore & Wally Page} 3:33
12. I Pity The Poor Immigrant {Bob Dylan+Trad.} 3:38
Produced by Christy Moore, Jim Higgins
Recorded by David Meade
Additional Recording by Gavin Murphy
Mixed by David Meade
Mastered by Richard Dowling @ Wav Mastering, Limerick
Artwork by David Rooney
Designed by Paddy Doherty
##本日のグレイトフル・デッド
01月19日には30年間で一度もショウをしていない。年間に4日あるうちの一つ。すなわち、
01月09日
01月19日
(02月29日)
08月09日
12月25日
30年間に7回ある閏02月29日にもショウはしていない。最後のものを除いて偶然だろうか。それにしてはきれいに9の日が並んでいるのは不思議にも不気味にも思える。もっとも、デッドの場合、こういうシンクロニシティは少なくない。(ゆ)
Sarah McQuaid, The St Buryan Sessions
12月15日・水
Sarah McQuaid, The St Buryan Sessions
マッケイドの6作目になるソロ・アルバム。現在コーンウォールに住むマッケイドは COVID-19 による制限でライヴができなくなったことを逆手にとり、地元の教会で無観客で演奏するものを録音してこのアルバムを作った。通常のコンサートと同じ機材、セッティングで、コンサートをするように録音する。同時にビデオも録り、公開されている。
舞台となった教会は6世紀にアイルランドから渡ってきた王女で聖女セント・バリアナが創設したという言い伝えがあるセント・バリアンの村にある。10世紀にサクソンの王が再建するが、歳月に崩壊し、現在の建物は15世紀から16世紀にかけて再建されたもの。ここでは1966年に Brenda Wootton が村の公民館で The Pipers Folk Club を始める。The Pipers は村のすぐ南に立つ2本一組の石の名前にちなむ。この石は安息日に演奏した廉で石に変えられた楽士なのだと伝えられる。このフォーク・クラブではマッケイドの前作《If We Dig Any Deeper It Could Get Dangerous》をプロデュースしたマイケル・チャップマンはじめ、ラルフ・マクテル、マーティン・カーシィなども出演した。
フォーク・クラブは今は無いが、教会には Pipers Choir という合唱隊があり、マッケイドもここに引越して以来、一員として毎週日曜日に歌っている。この録音に使われたピアノはその合唱隊の男性部所有のものの由。
COVID-19 が原点に戻らせた。自身の歌とギター、またはピアノ。それのみ。わずかに重ね録りをしているが、基本はあくまでも独りでの一発録り。
もともと低い声、たとえばドロレス・ケーンよりも低い声がさらに低くなって聞える。女性ヴォーカルのイメージとは対極にある。低く太く、倍音というか、付随する響きがたっぷりしている。録音はそれをしっかり捕えている。
曲はしかしその声に頼らない。むしろ、声に頼ることを拒否し、歌そのものとして自立しようとする。結果として現れるのは、シビアでストイックな、それでいて優しい音楽だ。
目の前に聴かせる人がいないことで、うたい手と歌とは、おたがい剥出しになって対峙する。おたがいを剥出しにする。その姿勢は聞き手にも作用し、聞いている自分が裸にされてゆく。この歌を聴いているこの自分は何者か。音楽は鏡だ。真の音楽は聴く者の真の姿を聴く者に見せる。真の姿はむろん見たくない部分も含む。それをも見せて、なおかつ、それを見つめるよう励ましてくれる。支えてくれる。
マッケイドがそこまで意図しているかはわからない。が、期せずしてそういうものになっているなら、なおさらこれは本物の音楽だ。
##本日のグレイトフル・デッド
12月15日には1970年から1994年まで、6本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1970 The Matrix, San Francisco, CA
これは本来デッドのショウではなく、デヴィッド・クロスビー、ガルシア、レシュ、ハートのメンバーで David and the Docks として知られる。一方、広告には Jerry Garcia & Frieds の名義で3日間の告知がある。セット・リストはテープによる。が、中のクロスビーのコメントから、内容は2日目のものではないかとも思われる。テープには午後のリハーサルと夜の本番が入っており、本番は1時間強。クロスビーのコメントはリハーサル中のもの。
2. 1971 Hill Auditorium, Ann Arbor, MI
このヴェニュー2日連続の2日目。
この街にデッドが来るのは4年ぶりで、しかもピグペン復帰でデッドヘッドの期待は高かった。しかし、前半はPAのバランスが悪く、ヴォーカルがほとんど聞えず、ピアノが大きすぎた。第一部の半ば過ぎてようやく調子が整った。ハイライトは第二部後半〈Turn On Your Lovelight〉からのピグペンのステージ、と Jace Crouch はDeadBase XI のレポートで書く。アンコールの〈Uncle John's Band〉の最中に、男が1人、ステージに飛びあがり、レシュのヴォーカル用マイクを摑んだ。クルーが男を連れ出したが、アンプの陰で殴り合いになったのが、Crouch には見えた。やがてクルーが戻ってマイクをレシュの前のスタンドに戻し、そこからレシュはまた歌った。
3. 1972 Long Beach Arena, Long Beach, CA
セット・リスト以外の情報無し。
4. 1978 Boutwell Auditorium, Birmingham, AL
セット・リスト以外の情報無し。
5. 1986 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
このヴェニュー3日連続の初日。ガルシアが糖尿病の昏睡から復帰して、初めてのショウ。7月7日以来、半年ぶり。オープナーは当然〈Touch of Grey〉。第一部3曲目〈When Push Comes To Shove〉と第二部3曲目〈Black Muddy River〉がデビューした。10年後、後者はガルシアが人前で歌った最後の曲となる。
Ross Warner によるDeadBase XI のレポートは生まれかわったバンドのまた演れる歓び、それをまた聴ける歓びを伝えて余りある。
ガルシアのライヴ・ステージへの復帰は10月04日、サンフランシスコの The Stone でのジェリィ・ガルシア・バンドのショウ。ここから12-15のこのショウまでに、ジェリィ・ガルシア・バンドで8回、その他で3回、ショウを行っている。加えて11月22日にはウォーフィールド・シアターで行われた、Jane Donacker 追悼のチャリティ・コンサートにガルシア、ウィア、ハートのトリオで出演し、おそらくアコースティックで3曲演奏している。
ドナッカーは女優、コメディアン、ミュージシャン、キャスターで、コンサートの1ヶ月前にヘリコプター事故で死んだ。ドナッカーは朝、ヘリに乗って上空からマンハタンとその周辺の道路交通情報をラジオで中継する仕事をしていたが、この年、2度、乗っていたヘリコプターが墜落し、1度目は助かったが、2度目は助からなかった。The Tubes に曲を提供しており、この追悼コンサートにもチューブスが参加している。
6. 1994 Los Angeles Sports Arena, Los Angeles, CA
このヴェニュー4本連続の初日。この年最後のラン。開演7時半。
第一部4・5曲目〈Me And My Uncle〉〈Mexicali Blues〉と第二部の Space でウィアはアコースティック・ギターを使った。(ゆ)
〈The Poor Ditching Boy〉の元になった小説
12月11日・土
Iona Fyfe のニュースレターを見て、Lewis Grassic Gibbon, Sunset Song を注文。
リチャード・トンプソンの〈The Poor Ditching Boy〉の元になった小説の由。アバディーンシャーが舞台。あの歌の背後にこういう本があるとは知らなんだ。ファイフはこの歌をスコッツ語で歌ったシングルを出す。
ギボンはスコットランド出身で、20世紀初めに活動した作家。1929年フルタイムのライターになってから34歳で腹膜炎で死ぬまでに、20冊近い著書と多数の短篇を残した。この長篇から始まる三部作 A Scots Quair が最も有名。わが長谷川海太郎と生没年もほぼ同時期で、短期間に質の高い作品を多数残したところも共通している。ちょと面白い偶然。
家族から MacBook Air とiPhone をつなぐケーブルのことを訊かれたので、iFi の USB-C > A と Apple の Lightning 充電ケーブルで試すとちゃんとつながる。Kindle のライブラリの同期もできたのに喜ぶ。有線でつなぐとできるのだった。これまで無線であっさりつながっていたので、有線でつなぐということを思いつかなかった。送りたい本をメールで Kindle 専用アドレスに送ると移せるとネットにはあったが、面倒で後回しにしていた。Kindle 自身の同期では、アマゾンで買ったものしか同期されない。他で買ったり、ダウンロードしたりした本は無線ではどうやっても同期できなかった。
##本日のグレイトフル・デッド
12月11日には1965年から1994年まで8本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1965 Muir Beach Lodge, Muir Beach, CA
アシッド・テスト。ここでベアことアウズレィ・スタンリィがグレイトフル・デッドと初めて出逢う。
2. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA)
ビッグ・ママ・ソーントン、ティム・ローズとの3日連続の最終日。セット・リスト無し。
3. 1969 Thelma Theater, Los Angeles, CA
このヴェニュー3日連続の2日目。第一部クローザーまでの4曲〈Dark Star > St. Stephen > he Eleven > Cumberland Blues〉、第二部クローザーの〈That's It For The Other One> Cosmic Charlie〉が《Dave's Picks 2014 Bonus Disc》でリリースされた。
4. 1972 Winterland Arena, San Francisco, CA
3日連続の中日。
5. 1979 Soldier's And Sailors Memorial Hall, Kansas City, KS
このヴェニュー2日連続の2日目。開演7時半。
6. 1988 Long Beach Arena, Long Beach, CA
このヴェニュー3日連続の最終日。開演6時。
7. 1992 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
このヴェニュー4本連続の初日。開演7時。
8. 1994 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
このヴェニュー4本連続の3本目。27.50ドル。開演7時。第二部クローザー前の〈Days Between〉が《Ready Or Not》でリリースされた。(ゆ)
波多野睦美&つのだたかし《アルフォンシーナと海》
11月21日・日
シンプルな女声ヴォーカルの録音というので買ってあったのを思い出し、波多野睦美&つのだたかし《アルフォンシーナと海》を聴く。選曲、演奏、録音三拍子揃った名盤。
こういうのに出逢うと、手持ちの機器を総動員したくなる。聴き比べたくなる。機器の性格を露わにする音楽だ。これこそリファレンスにすべきもの。もっとも、こんな風に機材の長所短所がモロに出るのは、かえって都合が悪いこともあるかと下司の勘繰りもしてしまう。
まずイヤフォンを聴いてみる。最も気持ちのよいのは Tago Studio T3-02。ついで Acoustune HS1300SS。 声の質感が一番なのはファイナル A4000。A4000では2人をつのだの真ん前から見上げている感じになる。
前半はスペイン語圏の曲を並べ、ラヴェル、プーランクのフランスからヴォーン・ウィリアムスのイングランド、そして武満の2曲で締める。この流れもいい。
ベスト・トラックは〈Searching for lambs〉。波多野はこのイングランド古謡を原曲にかなり忠実に、真向から、虚飾を排して歌う。つのだがそれを支えるよりは、足許に杭を打ってゆくような伴奏をつける。波多野はその杭を踏みながら宙に浮かぶ。途中、波多野が高くたゆたうところで、つのだが低く沈んでゆくのにはぞくぞくする。聴くたびに歌の奥へと引きこまれるアレンジであり、演奏だ。
武満の2曲は録り方が変わる。それまでより一歩下がった感じ。言葉が変わって、響きも変わるからか。確かに、これくらいの距離がある方が快い。
##本日のグレイトフル・デッド
11月22日には1968年から1985年まで4本のショウをしている。公式リリース無し。
1. 1968 Veterans Memorial Auditorium, Columbus, OH
1時間半の1本勝負。ビル・クロイツマン病欠。クロイツマンが病欠したのはこの日と2週間後の12月7日の2回だけだそうだ。ハートが単独で叩いたのもこの2回のみの由。
〈St. Stephen〉の途中でウィアは歌詞をど忘れする。
2. 1970 Middlesex County Community College, Edison, NJ
セット・リスト不明。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座とされる。
3. 1972 Austin Municipal Auditorium, Austin, TX
セット・リスト以外の情報が無い。
4. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
15ドル。開演8時。秋のツアー千秋楽。後は2日間のオークランドでの年末年越しショウを残すのみ。
これも情報がほとんど無い。(ゆ)
Muireann Nic Amhlaoibh & Irish Chamber Orchestra @ Kickstarter
シンガーの Muireann Nic Amhlaoibh(ムイレン・ニク・アウリーヴ)が、アイルランドの作曲家が編曲したシャン・ノースの伝統歌を Irish Chamber Orchestra と伴に歌うというコンサート "ROISIN REIMAGINED" が来月7日の Kilkenny Arts Festival であります。
このコンサートを録音してCDとしてリリースする計画があり、その資金を Kickstarter で募っています。
締切まで1週間足らずですが、まだ目標額には達していません。皆さま、ぜひぜひ応援しましょう。
ムイレンはアイルランドの現役シンガーでも最高の一人です。「謎に満ちた完璧だ」とドーナル・ラニィも言ってます。これまでの録音は Bandcamp で試聴の上、購入できます。(ゆ)
RIP Sean Corcoran (1946-2021)
スペースオペラとアフガニスタン
Grimdark Magazine のニュースレターにざっと目を通すつもりが、なぜか今回はじっくりと見て、サイトにも跳んで全部読んでしまう。どれもこれも面白そうだが、とりあえずインタヴューされていた Marina J. Lostetter のデビュー長篇を注文。壮大なスペースオペラだそうだ。アメリカ人だが最初の長篇はロンドンの Harper Voyager から出た。最新作のファンタジィは Tor からだが。
散歩の供は Kefaya + Elaha Sorpor, Songs Of Our Mothers, 2019。
Kefaya はロンドン・ベースのギタリスト Giuliano Modarelli と、キーボーディスト Al MacSween のふたりによるチームだそうだ。後者は名前からするとアイルランド系か。Kefaya は2011年にエジプトの草の根革命の母体となった集団の仇名らしい。
03-04 木曜日 アイリス・ケネディとC. S. E. クーニィ
日本の文具には機能に加えて、ユニークな付加価値のあるものが多い。
RIP Mary McPartlan
GARCIA: an American Life by Blair Jackson
WINDS CAFE 215【A Cure for All Melancholy】
まずは候補をざっとあげてみる。
Andy Irvine
Andy M Stewart
Archie Fisher
Barry Dransfield
Benji Kirkpatrick
Bill Caddick
Bob Fox
Bobby Watt
Bram Taylor
Chris Foster
Chris Wood
Christy Moore
Dave Burland
David Hughes
Davy Steele
Dick Gaughan
Dougie MacLean
Frank Harte
Ger Wolfe
Gerry Hallom
Gordon Tyrrall
Huw & Tony Williams
Ian B Frenzie
Jez Lowe
Jim Causley
Jimmy Crowley
John Doyle
John Faulkner
John Kirkpatrick
John Spillane
John Tams
Jon Boden
Jon Brindley
Kieran Goss
Keith Kendrick
Kris Drever
Lester Simpson
Martin Carthy
Martin Simpson
Martyn Wyndham-Read
Mick Hanly
Mick Ryan
Mick West
Neiley Collins
Nic Jones
Owen Hand
Paul Brady
Paul Downes
Pete Castle
Pete Coe
Pete Morton
Pete Watkinson
Phil Beer
Rick Lee
Robb Johnson
Robin Laing
Roger Wilson
Ron Kavanagh
Roy Bailey
Roy Harris
Show of Hands
Simon Haworth
Simon Nicol
Steve Knightley
Steve Tilston
Steve Turner
Stuart Boyd
The Oldham Tinkers
Tim Dennehy
Tim Eriksen
Tim Van Eyken
Tom Spiers
Traffic (Stevie Winwood)
Vin Garbutt
Wizz & Simeon Jones
Wizz Jones
Wood Wilson Carthy
うーむ、なぜか男ばかり、80名ほど。CDになっていないものをかけるためアナログも動員しようかと思ったが、これをもとに iTunes に入っているものだけでプレイリストを作ってみると、3,959曲、11日と8時間11分20秒になったので、アナログまで聴きなおしているヒマはないな。
今回はケツカッチンなので時間に余裕がない。長い曲もあるとして、せいぜいが15から20曲であろう。どう絞るか。まずはマーティン・カーシィのような有名な人ははずす。しかし、誰が有名なのか、実はよくわからなかったりする。あたしとしては超有名だが、世間的には無名ということはごく普通だ。あるいは逆に無名の方から選んでゆくか。1枚しか録音が無いが、その1枚にとびきりのうたがある人を優先するのはどうだ。
さあて、ゆるりと参りましょうか。(ゆ)
〈Danny Boy〉
Black 47 はアイリッシュ・ロックとしかちょっと呼びようがありませんが、ポーグスのフォロワーとは一味違う独自のカラーを持っています。音楽的にも思想的にも、アメリカのソウル・フラワー・ユニオンと呼べるでしょう。
ここでも持ち前の反骨精神で、もう手垢のほうが厚いくらいのこの超定番曲を「ずたずたにして」います。それによっておよそ浮世離れした、中身が空っぽのはずのうたが、いきなり切れば血が出る生々しいリアリティをもって迫ってきます。イベントでもお客さんの反応がダントツでヴィヴィッドだったのがこのうたをかけた時でした。
そして伝統音楽はこのような使われ方も許容します。いや奨励し、挑発し、あるいは誘惑します。伝統音楽にはその存続を保証するものが何もありません。国家権力や巨大資本による保護からはずれています。ただ、自らの才覚と不断の努力でサバイバルするしかありません。常にそれぞれの時代の環境と切り結んでいます。いま残っているうたや曲やスタイルは、そうして磨かれてきたものです。伝統音楽はけっして古いものがそのまま博物館の陳列品になっているのではありません。ノスタルジーに逃げるためのナツメロでもありません。日々あらたに生まれている、最新の音楽です。権力や資本による保護からはじき出されたわれわれにとって、生き延びるためのエネルギー源です。
Black 47 によるこの演奏は、そのことをあらためて教えてくれます。
このうたはアイルランドを「代表」するうたとして有名ですが、元をたどればスコットランドのうたと思われるところも多々あります。まず、メロディがアイリッシュの典型というよりはスコットランドのものに響きます。また、"glen" はどちらかというとスコットランドで使われる単語ですし、パイプの音がその谷間に響くのも、谷間が雪で白く染まるのもスコットランド的です。
Black 47〈Danny Boy〉 《HOME OF THE BRAVE》1994
Geoffrey Blythe: clarinet, saxes, brass arrangement
Chris Byrne: uillean pipes
Angel Fernandez: trumpet
Kevin Jenkins: guitar, bass
Dan Johnson: drums
Larry Kirwan: guitar, mandolin, vocals
(歌詞大意)
ダニーは昔ながらのニューヨークへとやってきた
生まれはコーク州バンドンの街
ウッドサイド・クイーンズの表通りに部屋を借りた
登録なしにビル解体の仕事についた
どうも変わったやつだった
ひとりでいるのが好みだった
サニーサイド・クイーンズのバーにはいかなかった
まっすぐヴィレッジにいってうろうろしていた
ある日、働いてるところへ現場監督がやってきた
「おい、ダニー、おめえ、オカマだろうが
髪はポニーテールだし、耳には輪っかをつけやがって
オカマがいるとくさくなる、とっとと消えな」
ダニーはただにこりとするとツーバイフォーの角材をひろいあげ
そのとんまに一発強烈なアッパーカット
「お日様もささないところでもせいぜい精だすがいい
だが、おれの生き方に四の五のは言わせないぜ」
それからダニーはシェリダン・スクエアである男と出会った
2人は2、3年、いっしょに暮らした
いまがいちばん幸せだと言っていた
やりたいことをやり、夢が実現したのだから
やつとはB街でよく一緒に飲んだんだ
ある曇った明け方、やつがうちあけた
「世の中を動かすのはただ愛だけさ
なつかしいバンドンの街に沈む夕日はもう二度と見られないんだ」
最後に会ったとき、ダンは病院のベッドに寝ていた
鼻からチューブが2本垂れていた
それでもこちらを見るとあのどこまでも透きとおった眼に笑みがうかんだ
「よう、調子はどうだい
おれはもうあとひと月はもたないよ
でも、やりたいことはやった。悔いはない
だから、おれを思いだしたら、わらってビールの缶を開けてくれ
ったく、人生ってのはすばらしい、でも、死んじまうんだよな」
ああ、ダニー・ボーイ、弔いの音を吹くパイプが響く
谷をわたり、谺が山の腹を降りてくる
夏は過ぎ、花はみな枯れだした
行かねばならないのはおまえのほうで、おれは後に残る羽目になった
牧場に夏がやってきたらもどって来い
雪で谷が真白に静まりかえるときでもいい
その陽光のなかに、影のなかに、おれはいる
ああ、ダニーよ、ダニー、おまえが大好きだよ
大好きなダニーよ
〈The Raggle Taggle Gypsy〉
このうた自体は「ジプシーもの」のひとつ。地位や身分の高い女性がたまたまやってきたジプシーに惚れて出奔してしまうのを、旦那が追いかけるが奥さんはもどらない。このうたにワルツ〈奥さま、お手をどうぞ〉を続けたのは、音楽的にも秀逸でした。
うたとチューンをこのように続けて演奏するのも新機軸です。なお、このうたとチューンの組合せはプランクシティの原形となったクリスティ・ムーアのセカンド・アルバム《PROSPEROUS》ですでに試みられています。が、このコークでのライヴではすでにテンポを上げた引き締まった演奏です。
地位や財産に恵まれた、いまでいえばセレブの奥方がその境遇に満足できず、身分の低い男や、ジプシーのような「埒外」の人間と駆け落ちしたり不倫したりすることは、アイルランドやブリテンの伝統歌でよくうたわれるモチーフのひとつです。こうしたスキャンダルは人間の生活には不可欠なようで、形を変えながらも脈々と続いていることは、女性週刊誌を見ればよくわかります。このうたを最初につくったのもあるいは女性だったかもしれません。その背後には裏切られる旦那つまり領主への意趣返しの意図もこめられているのでしょうが、同時におそらくモデルとなった事件が実際にあったと思われます。
また奥方を誘惑する「ジプシー」にしても、ジョン・ライリィが一員であったティンカーなどの放浪民の総称でしょうし、ひょっとすると「ジプシー」を装った愛人で、全体が狂言である可能性もあります。
099. Planxty〈The Raggle Taggle Gypsy〉
《(Christy Moore) THE BOX SET: 1964-2004》1972
Christy Moore: vocals, guitar
Liam O'Flynn: uillean pipes
Andy Irvine: mandolin
Donal Lunny: bouzouki
(歌詞大意)
三人の年寄りのジプシー、われらが玄関へとやってきた
ずうずうしくも堂々とやってきた
ひとりが高くうたえば、ひとりは低くうたう
残るひとりはわれらぼろぼろのジプシーよとうたう
奥様は館の中を上へ下へと駆けまわり
革のスーツをお召しになった
やがてお部屋のあたりに響く叫び声
「奥様が襤褸をまとったジプシーとお逃げなされた!」
その晩遅く、旦那様がお帰りになって
奥はいずこにと問われたならば
召使いの娘の申すよう
「奥様は襤褸をまとったジプシーとお出かけになられました」
「ならば鞍を置け、わが純白の馬に鞍を置け
わが大馬は速くないからな
馬を駆りて、わが花嫁を探しにゆくぞ
奥は襤褸をまとったジプシーと逃げたからに」
旦那様は西へ東へと馬を駆られた
北へも南をもお探しになった
そうして広い野原に馬を乗り入れられた時
そこに奥様をおみとめになった
「何ゆえに汝が館と領地をかなぐり捨てしか
何ゆえに汝が財宝をかなぐり捨てしか
何ゆえに汝がただひとりの嫁いだ夫を見捨てしか
襤褸をまとったジプシーと引替えに」
「そうよ、わが館と領地がいかほどのものでしょう
財宝がいかほどのものとおっしゃるの
わがただひとりの嫁いだ夫がどうしたのです
わたしは襤褸をまとったジプシーといっしょに行きますわ」
「昨夜、おまえはダウンのベッドで休んだ
かくも心地よい毛布にくるまって
だが、今宵、おまえはただ広い野っぱらで寝ることになるのだぞ
襤褸をまとったジプシーの腕に抱かれて」
「そうよ、ダウンのベッドがどうしました
心地よい毛布などどうでもいいわ
今夜はただ広い野っぱらで寝ます
襤褸をまとったジプシーの腕に抱かれて
あなたは東へお行きなさい、わたしは西へと向かいます
あなたは身分の高いまま、わたしは身分を捨てました
わたしはこの黄色いジプシーの唇に接吻します
いくら金を積まれようと、変わりはしません」
〈Done with Bonaparte〉
Niamh Parsons: vocal
Mick Kinsella: harmonica
Graham Dunne: steel string guitar
『聴いて学ぶ アイルランド音楽』刊行記念イベント@新宿ディスク・ユニオンでかけたうたの歌詞の大意その1です。マーク・ノップラーの〈Done with Bonaparte〉。本では120頁に出てきます。本文中では〈ボナパルトはもう結構〉としましたが、ニュアンスとしては「くそったれボナパルト」とか、「死んじまえ」ぐらいが近いかもしれません。
19世紀アイルランド庶民の精神で20世紀に書かれたうた。ナポレオンのロシア遠征に従軍した一フランス人兵士の視点を借りて、兵士もまた戦争の犠牲者であることをうたいます。第三連にある "We prayed these wars would end all wars" は "the war that ends all wars" すなわち第一次大戦のプロパガンダを基にしているのでしょう。
「ちびの伍長」は当然ナポレオンをさしますが、「ちびの伍長のようなやつ」のひとりヒトラーをも重ねられるでしょう。この兵士の祈りも虚しく、人類は「伍長のようなやつ」を生みだしつづけていることは、周知のとおり。
作曲者本人の歌唱では芸がないので探したら、ニーヴ・パースンズがうたっていました。やはり、この人のうたは一段レベルがちがいます。この人がうたうと現代曲でも伝統の衣をまといます。このうたの場合も、もともと伝統の香りを放っているものが、さらに深く伝統になじみます。
珍しくハーモニカが伴奏ですが、ミック・キンセラはアイルランドの名手のひとりでソロ・アルバムもあります。ちなみにアイルランドは、ブルース・ハープではないハーモニカ演奏の伝統があります。ギターのグレアム・ダンは、このところパースンズが組んでいるギタリスト。
(歌詞大意)
モスクワが燃えてからこっち、いやもうひどいもんだ
コサックどもにばらばらにひき裂かれ
味方の死体は何百キロにもわたって続いている
もっとも死んじまうほうがどれほどありがたいか
われらが偉大なる軍は服はぼろぼろ
がりがりで凍傷だらけのこじきの群れ
おたがい食べこぼしをねずみのようにかっさらって
なぐりあいをはじめる始末
コーラス:
神さま、おれの魂をお救いください
この一兵卒のこころをいやしてください
神さまを信じて頼みます
もうボナパルトはこりごりです
あいつがおれたちにどんな夢をみせたとおもう
スペインの空、エジプトの砂
世界はわれらがもの、いざ行かん
あのちびの伍長は号令したもんだ
おれはアウステルリッツで片目がつぶれた
サーベルに切られるとそりゃあ痛いんだぜ
おれのあの娘はまだちゃんと待っててくれる
アキテーヌの花といわれた娘
コーラス
娘はおれのことを祈ってくれるから、おれもあの娘のことを祈る
うるわしきフランスへ無事帰れますように
このいくさのおかげでもういくさなんぞなくなりますように
いくさにロマンチックなところなんぞまるでないよ
おれたちの子どもたちはあのちびの伍長みたいなやつに
二度とでくわしませんように
外国の岸を指して
人びとの心をかきたてるようなやつには
コーラス
ロニー・ドリューの遺作
先頃亡くなったダブリナーズのシンガー、ロニー・ドリューの遺作《The Last Session: A Fond Farewell》がアイルランドで発売になりましたが、ここではなんとジャズをやっているそうです。
息子さんの Phelim によれば、ロニーは自分がまだ死ぬと思っておらず、これが遺作とは考えていなかったそうな。
どうやらむしろ新たな出発として、これまでやるチャンスのなかったジャズに挑戦したということらしい。参加しているミュージシャンはたとえばシェイン・マゴウワン、メアリ・コクラン、マイク・ハンラハン、Emmanuel Lawler といった人びとで、シェインの〈A Rainy Night In Soho〉〈The Auld Triangle〉もやっているそうです。なおCDの売上の一部は遺族が選んだガン関係の慈善団体に寄付されます。
またロニーは死の直前まで自伝も書いていたそうで、こちらも近々出版される由。
ネタの記事はこちら。
Bruce 'Utah' Phillips 死去
ユタ・フィリップス本人にはあまり思い入れはないんですが、かれが作った〈Rock, salt & nails〉という曲は結構好きです。この名前のスコットランドのバンドもありますが、ここからとったのかな。
誰かがうたっているのをいいうただなと思ってみると、作者が「ユタ・フィリップス」だという体験は何度かありました。これからもあるでしょう。ご冥福をお祈りします。合掌。(ゆ)
fRoots 12月号
インタヴュアーはポール・フィッシャー。
掲載写真の背景に写っているのは、
fRoots編集長イアン・アンダースンのソロ・アルバム、
まだ、Ian A Anderson と名乗っていた時期の
《ROYAL YORK CRESCENT》The Village Thing, VTS3, 1970。
記事の内容は、われわれにとっては特に目新しいことはありません。
「ブラック・ホーク」と松平さんの名前が、
海外の雑誌で紹介されたのは初めてかも。
それよりはやはりアン・ブリッグスへの
コリン・アーウィンのインタヴュー記事が気になります。
セカンド《THE TIME HAS COME》の再発で、
またアンにたいする関心が高まっている由。
とはいえ、これもまた数年前 MOJO に出た記事につけ加わるものは特になし。
ミュージシャンとして活動した時期は本当に楽しかったが、
引退したことを悔いたこともない。
いまの生活にはまったく満足している。
こういうところが彼女の特別なところなんでしょう。
巨大な影響をあたえつづけながら、
その影響自体をクールに眺めていられる。
自分の名声に舞いあがることもない。
初めて聞いたように想うのは、
親友でもあったサンディ・デニーのいた頃のフェアポートは良いが、
それよりはザ・バンドのようなアメリカのグループや
初期のクリームのほうが好み
ということ。
サンディの作品のなかでもベストのひとつ〈The pond and the stream〉、
フォザリンゲイのアルバムに入って入る曲が、
アンをうたっていたことは、
前にもどこかで読んだ気がしますが、
リチャード・トンプソンの、
これまた傑作のひとつ〈Beeswing〉も、
アンのことだ、というのは迂闊にもはじめて知りました。
最近のできごとでは、
セカンドに入っている〈Ride, ride〉が
2002年にジェニファ・アニストン主演の
映画『グッド・ガール The Good Girl』に使われたこと。
うたったのはジリアン・ウェルチ。
ジリアンの歌唱は自分のほど良くないけれど、
ソニーはわたしのを使わせたくなかったのよ、
でも、作曲者印税をたくさんもらったので文句はないわ(笑)。
若いシンガーが自分のテープを送ってきて、助言を求めたり、
実際に家までやってきたりすることが、
そう頻繁でないにしても、絶えず続いているそうな。
そうしたなかでここ6年ほど、
特に親しくなったのが Alasdair Roberts。
最後にアーウィンがお定まりの質問をしていますが、
そして、それに対して長い長い沈黙に考えこんでもいますが、
やはり「復帰」はないんでしょう。
これからも、
彼女の録音に人びとは耳を傾け、
彼女をめぐっていくつものうたが書かれ、
たくさんの人が彼女のうたをうたい、
こうした記事が載ればまず真先に読まずにはいられない、
そういう存在であり続けるのでしょう。
その点では、ニック・ドレイクやサンディ・デニーと同じなのかもしれません。
アン・ブリッグスの記事は途中から後ろのほうに飛んでいますが、
その続きのページの反対側に
Sarah McQuaid のデビュー作《WHEN TWO LOVERS MEET》復刻のうれしい記事。
ひじょうにすぐれたシンガーであり、ギタリストでもある人。
DADGAD ギターの教則本を書いてもいます。
ついでに美人(上の写真 Photo by Alastair Bruce)。
マドリード生まれ、シカゴ育ち。
1994年からつい先日までアイルランドに住み、
結婚してふたりの子どもをもうけています。
今年、コーンワルに引っ越し、
セカンド・アルバムの録音を完成させた由。
このデビュー作はアイルランドに住んでいた1997年に
録音、リリースしたもの。
名曲名演名録音。
プロデュースはジェリィ・オゥベアン。
ジェリィ自身の他、ジョン・マクシェリィ、ニーヴ・パースンズ、
トレヴァー・ハッチンソン、ロッド・マクヴィー等々がサポート。
録音はトレヴァーのスタジオ。
セカンドも今年5月、
ふたたびトレヴァーのスタジオで録音。
ふたたびジェリィ・オゥベアンのプロデュース。
ジェリィの他にはリアム・ブラドリィとモイア・ブレナックがサポート。
テーマはオールド・タイムだそうです。
リリースは来年初め。(ゆ)
レーナ・ヴィッレマルク、スウェーデン・グラミー受賞
まあ、あの内容ですから、受賞はむしろ当然。
Thanx! > やまださん
シャーリィ・コリンズとアーチー・フィッシャーがMBEに
シャーリィ・コリンズは音楽に対する寄与、アーチー・フィッシャーはスコットランド伝統音楽への寄与が叙勲理由。
イングランドのフォーク・シーンの先輩MBEではマーティン・カーシィがいます。スコティッシュではアリィ・ベイン、フィル・カニンガムに続く名誉ということになりますか。
何にしてもめでたいことであります。どちらもまだまだ元気で、バリバリの現役なのも嬉しい。ただ、アーチーはちょっと録音が途絶えてますね。これを機会に、そろそろ新録が聞きたいものであります。
シャーリィ・コリンズの録音を何か1枚まず聞くとすれば《NO ROSES》と来るのがふつうでしょうが、あえてここではデイヴィ・グレアムとの若き日の共演《FOLK ROOTS, NEW ROUTES》をあげます。近年再評価著しいデイヴィ・グレアムの30年早くワールド・ミュージックを実現していた特異なギターと、イングランドの地霊が声と化したシャーリィ・コリンズのヴォーカルの、これは愛と共感に満ちた「決闘」です。英語圏フォーク・リヴァイヴァル全体の極北。
アーチー・フィッシャーはといえば、カナダのガーネット・ロジャースと組んだものが今のところ一番新しく、これもすばらしいですが、《WILL YE GANG, LOVE》が手に入りにくいらしいので、同時期にアメリカの Folk-Legacy に録音した《THE MAN WITH A RHYME》をまず聞いていただきたい。こちらもかの傑作に勝るとも劣らぬ内容。松平維秋が「滋味」と讃えた男の声がスコットランドはロウランドの唄の世界に引きこんでくれます。あまりに情熱が熱すぎて、表面は枯れて聞こえる世界です。
カーラ・ディロンに双子誕生。
ただし、かなりの早産だった(ライヴ直後に産気づいたらしい)ようで、二人とも長期の入院が必要とのこと。ただ、現在は相当な未熟児でも無事育つようになっていますから、そう心配はいらないでしょう。
母親のほうは元気とのこと。
Thanx! > Tadd
Tim O'Brien《FIDDLER'S GREEN》
実はこれ《CORNBREAD NATION》と同時発売されています。今回、プランクトンが来日記念盤として《FIDDLER'S GREEN》だけを発売したのは、わからなくもないですが、ちょっと残念ではあります。この2枚、内容は対照的で、CNはアメリカ内部への旅、FGは海の彼方への旅であり、たがいがたがいを鏡のように映しだす、対になるアルバムだからです。
それに、無心に聞いてどちらが出来が良いかとなると、ぼくはCNに軍配を上げます。それはFGが劣っているというよりは、いわばホームとアウェイの差でしょう。
とはいえ、それは2枚を比べてみての話で、例えばFGをティム・オブライエンのアイルランドへの出発点である《THE CROSSING》や、アイルランドから豪華ゲストを迎えて話題になった《TWO JOURNEYS》から見れば、精進のあとは明らかです。FGを聞いてみると、前の2枚ではアイリッシュ・ミュージックはまだ「借り物」といってもいい。
FGではアイリッシュ・ミュージックをも自家薬籠中のものとして、アメリカとアイルランドの間のどこかに、ひとつの桃源郷を映しだすことに成功しています。CNがおおらかに、楽天的にアメリカを謳歌するのに対して、FGはより低いところから、張りつめた声で、海の彼方へ想いを飛ばします。どちらも架空の理想郷をモチーフに掲げますが、陸上の、はじめから安全が保証されている国と、海の上の、いつ何時消えさるともかぎらない不安定な里も対照的です。
聞いていてまず耳を惹かれたのは[05]〈Fair flowers of the valley〉でした。スコットランドの有名なバラッド〈The bonny banks o' Fordie〉別名〈Babylon〉 (Child #14) のアメリカ版。ここでのオブライエンの静かな緊張感に満ちた歌唱が、アルバム全体の基調を定めています。
オブライエンがここで相手にしているものは、アイルランドというよりも、アメリから見た「海の彼方」、西ではなく、東のどこかにある「理想郷」です。そこで奏でられいるだろう曲を奏で、うたわれているだろう唄をうたう。
オブライエンはフィドル、マンドリン、ギター、ブズーキ等々をいずれ劣らず達者に操る才人でありますが、それ以上に歌うたいとして並々ならぬ存在です。無造作な、肩の力の抜けたスタイルでありながら、隙がない。時にさりげなく、すいと抜き身を突きつけたと思うと、ぽかんと口を開けて美しい月に見とれている。今回の来日で共演が予定されているポール・ブレディも並ぶもののない唄うたいですが、ティム・オブライエンの唄は十分にブレディとタメを張れます。
ディラン・ナンバーをブルーグラスで料理してみせた《RED ON BLONDE》でも、すでに抜群の唄のうまさが柱になっていましたが、アイルランドの唄と真剣に渡りあって、さらに一皮むけた感じがします。
オブライエン自身はすでに30年以上のキャリアを持つ人で、かなりの数の録音があります。加えて相当に懐が深い。入れこんで聞いて、収穫は多いはず。この《FIDDLER'S GREEN》は、アイリッシュのファンにとってはその世界への比較的自然な入口になると思います。
ミホール・オ・ドーナルのネット放送
番組名は "Sweeney Astray" で、時間は現地時間土曜日の 11:30 から 13:30 EST (USA)。放送後1週間はアーカイヴされるので、好きな時に聞ける他、ダウンロードしてCDに焼くこともできる由。
はっきり聞いたことはありませんでしたが、ミホールには子どもはいなかったようで、遺族はトゥリーナ、マイレートの妹二人とカラムという弟さん。お兄さんがいたはずですが、ニュースでは出てこないので、亡くなっているのでしょう。
しかし、まだ立ちなおれません。デレク・ベルが亡くなった時以来のショック。うーん、これまでで最大のショックかも。というより、どういうことなのか、まだよくわかりません。録音を聞くのがこわい。