クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:シンガーソングライター

4月6日・火

 八重桜が満開。温水のヨークマートの前にあった八重桜は背後の斜面に移したのだろうか。屋上の駐車場から見ると正面に間隔をおいて4本ほど並ぶ。その奥、上の道路脇に、こちらは前からある木だろう、もう3、4本ある。どれも満開。ヨークマート隣の SEL研究所のグラウンドの落合医院側の角に5、6本並んでいて、これも満開。梨畑で花が満開。あちこち藤も開きだした。こでまりも満開。

IMG_2313



 SFWA からニュースレター購読者対象無料本プレゼントの当選通知。二度目。Julia C. Czerneda の新作も面白そうだが、ハードカヴァーだそうで、もう片方の電子版にする。Susan Kaye Quinn の新シリーズの1作め。この人はロマンス風 YA の作家らしい。

 Julie E. Czerneda の SFシリーズ The Clan Chronicles の最初の3冊を Book Depository に注文。この3冊は Stratification 三部作で、書かれた順番としては後になるが、話の時間軸では最も早い。チャーネイダは同い年の同じ牡羊座。とすれば、読まないわけにはいかない。今一番好きな Michelle West とは同じカナダ出身、同じ DAW Books から本を出している仲間でもある。ますます、読まないわけにはいかない。この The Clan Chronicles のシリーズは三部作が3本からなる。他にアンソロジーが1冊。同じ宇宙の別の系統の話 Esen のシリーズが三部作が今のところ2本。2本めの第三部がもうすぐ出る。プレゼント対象はこのもうすぐ出る本。

 この人のファンタジィのシリーズ1作め A Turn Of Light, 2013のために作ったという舞台になる村の3D模型の製作過程の写真が公式サイトにある。これでもメシが食えるほどの水準。
 
 
 散歩のお供は Show Of Hands, Dark Fields。冒頭 Cousin Jack から Longdog への流れ、Crazy Boy、The Bristol Slaver と名曲が揃う。Flora のタイトルがつけられた Lily of the West、ニック・ジョーンズ編曲とクレジットされた The Warlike Lads of Russia、そして High Germany の伝統歌も名演。High Germany はライヴ録音で、ゲスト・シンガーはケイト・ラスビー。まだそれほど売れない頃だが、もう自意識目一杯の歌唱。ではあるが、ナイトリィのくだけたヴォーカルと並ぶとその固苦しいところがいいバランスになり、ビアのギター、クリス・ウッドのフィドル、アンディ・カッティングのアコーディオンもすばらしく、この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。今回聴き直して最大の収獲。それにしてもこれはいいアルバムだ。Cousin Jack では珍しくピアノが活躍する。他にも案外ゲストは多彩にもかかわらず、実質2人だけの音作りなのも、全体を引き締めている。Lie Of The Land、ロイヤル・アルバート・ホールのライヴ、そしてこの Dark Fields と聴いて、こいつらはずっと追いかけるぞと、決意したはずだ。本国での人気もこのあたりで決定的になったと記憶する。ファンのネットワークも Longdog と呼ばれていた。Show Of Hands は何から聴けばいいかと問われれば、やはりこれにまず指を折る。

Dark Fields
Show of Hands
Twah!
1999-10-26



 夜、M11Pro > 428 > HE400i で酒井さんのソロと田辺商店《Get On A Swing》を聴く。HE400i の良さを改めて認識。ヘッドバンドとイヤパッドを替えたのも良いのだろう。

  ハーディングフェーレは一つひとつの音を共鳴弦の響きが美しい。響きの量は Ether C Flow 1.1 の方が多いが、美しさはこちらの方が上かもしれない。共鳴弦の響きに耳が行く。Ether C Flow 1.1 の音は豊饒。こちらは細身。あちらが壮麗ならこちらは流麗。

vetla jento mi 〜ハーディングフェーレ伝統曲集〜
酒井 絵美
ロイシンダフプロダクション
2020-12-27



 《Get On A Swing》はこれで聴くとかなり良い。もう少しチェロとギターのからみ合いを聴いてみたい気もするが、それぞれのソロをしっかり支えるというコンセプトなのだろう。チェロのベースはドーナルのバゥロンのベースにもにて、なかなか腰がある。コントラバスのように大きく響かないのが、かえってビートを効かせる。それに HE400i では音の芯が太くなる。これも使用150時間を超えてきたからでもあろう。やはりこれくらいは鳴らしこまないと、本当の実力はわからない。

GET ON A SWING
田辺商店
F THE MUSIC
2014-12-03



 これを聴いていて、HE400i に使っている onso のヘッドフォン・ケーブルから、公式サイトを覗いてみると、イヤフォン・ケーブルの新作 06 シリーズが出ていた。ヘッドフォン・ケーブルは HD414 用も使っていて、気に入っているから、イヤフォンもひとつ買ってみるか。(ゆ)

 今年の「ケルティック・クリスマス」で来日するティム・オブライエンの録音を総ざらえしようというシリーズの続きです。

 オブライエンは1970年代後半から活動していて、録音数もかなりあるので、来日までに全部はできないでしょう。公式サイトで数えるとソロが10枚、Darrell Scott とのデュオ名義が1枚、ダーク・パウエル、John Herrmann との3人の名義が1枚、姉のモリーとのデュオ名義が3枚、最初に参加して名を上げたバンド Hot Rize でのものが6枚、さらにこのバンドの別働隊 Red Knuckles 名義が2枚、計24枚あります。これ以外に、オリジナル録音で参加したオムニバスが3枚あります。

 ゲスト参加では、今回一緒に来日するダーク・パウエルや唄つくりの相棒であるダレル・スコットの録音にも参加していますし、AMG によると、Darrol Anger と Mike Marshall が作った Psychograss のファーストにも、ヴォーカルで参加しています。他にもたくさんあるはずですが、この方面に詳しい方にお任せします。乞う、ご教示。

 さて、今回は《TWO JOURNEYS》です。

 前作《THE CROSSING》でアイルランド音楽探索を始めたオブライエンが、その成果を満を持して世に問うたアルバムです。ぼくがかれの存在を知ったのも、実はこのアルバムがアイルランドで評判となったからでありました。

 《THE CROSSING》でもアルタン、ポール・ブレディ、フランキィ・ゲイヴィン、シェイマス・イーガンといった面々をゲストに迎えていましたが、今回もケヴィン・バーク、カラン・ケイシィ、マイケル・マクゴールドリック、トゥリーナ・ニ・ゴゥナル、パディ・キーナン、ナイル・ヴァレリィ、モーラ・オコーネル、ジョン・ウィリアムス、リーシャ・ケリィ、スティーヴ・クーニィを集めています。このアルバムのリリース後、オブライエンはカラン・ケイシィ、ジョン・ウィリアムス、ジョン・ドイルなどをメンバーに、北米、ヨーロッパをツアーしています。

 オブライエンはブルーグラス出身ではありますが、元もと多様な音楽を吸収して育った人らしく、時間的にも空間的にも幅の広い様々な要素を結びつけるのがうまいのでしょう。

 アイリッシュ・ミュージックに対しても間合いの取り方がとてもうまい。国内盤も出た最近作の《FIDDLERS' GREEN》では、その間合いが絶妙とも言える域にまで達していて、自在に遊ぶ境地です。この《TWO JOURNEYS》では、いわばこれまでのキャリアの中で最もアイルランドに近づいていると言えます。その意味ではアイリッシュ・ミュージック・ファンにとっては最も入りやすいかもしれません。

 例えばケヴィン・バークとマイケル・マクゴールドリックの初めての共演を実現したぞ、とオブライエン本人がライナーで自慢している[04]〈Paddy Fahey’s/ Garret Barry’s/ Cliffs Of Moher〉は、悠揚迫らず、肩の力の抜けたスケールの大きな演奏で、アイルランド本国でもこれだけのものはめったに無い。いや、全体におおらかな大陸の風が吹いているこの独自の味は、チェリッシュ・ザ・レディースやソーラスを代表とするアメリカのアイリッシュ・ミュージシャンたちのものにも、あるいはかつてのアイリッシュ・アメリカンの音楽にもありません。このトラックのオブライエン以外のアイリッシュたち、バーク、マクゴールドリック、リーシャ・ケリィ、スティーヴ・クーニィだけでやったとしても、この味はおそらく出ないでしょう。

 それに続く自作ダンス・チューンは80年代半ば、ブルーグラス・バンドでノルマンディをツアーしていたときに浮かんだ曲だそうですが、みごとにアイリッシュのエッセンスを取りこんでいます。と同時に、どこかネジが一本ゆるんでいて、その隙間から見えるのはなにやら楽園のようであります。その楽園に似たものを探すとすれば、ますむらひろしの『アタゴオル物語』の中のエピソードのひとつ「左手の楽園」でしょうか。

 あるいは[09]では、ジョン・ウィリアムスのピアノを伴奏に、コンサティーナ(ナイル・ヴァレリィ)とマンドリン(オブライエン)という珍しい組合せで、ジョン・ドハティから習った〈The Lancer’s Jig/ Gusty’s Frolicks〉を聞かせます。ウィリアムスはこの録音を、トピックのアーカイヴ録音みたいだと言ったそうで、目隠しで聞かされてそう言われてもたぶん不審には思わない折り目正しい演奏ではあります。その一方で、ウィリアムスのモダンなピアノからして、アイリッシュ・ミュージックが20世紀にたどった歩みがまざまざと浮かんできます。

 唄にあってもアイリッシュ・ミュージックの持つ一種の閉鎖性を、オブライエンは解体していきます。

 カラン・ケイシィが参加した2曲、とりわけ[06]〈Demon lover〉別名〈House carpenter〉は、カランの声のはらむ緊張感と、いかなる苦境もするりと抜けてゆくオブライエンの声の交錯が、この唄に潜む深淵がこれまで聞いていたよりも遙かに深いことを暗示します。

 そしてやはりタイトル曲。ルイジアナのケイジャン、すなわちアーケイディアンの、フランスからカナダはノヴァ・スコシアへ、そしてさらにルイジアナへという「二つの旅」が、ケイジャン・フランス語と英語のふたつの言葉で歌われます。同時にアメリカからフランスへのもう一つの旅がうたわれ、それはさらに[02]〈Mick Ryan's lament〉での、アイルランドからリトル・ビッグ・ホーンへの旅、そして北アメリカ西部からキャヴァン州への旅へと共鳴してゆきます。旅はつねに一つでは終わらない。一つの旅は必ずもう一つの旅を呼びおこす。それをうたう唄もまた、つねに表向きと裏表のもう一つの唄をはらんでいます。コソヴォへのNATO空爆からヒントをえた[03]〈For the fallen〉に、ノーザン・アイルランド紛争が重ね合わせられるのも、その共鳴の一つです。

 録音から想像するオブライエンはわが国で言う「人物が大きい人」「器の大きな人」で、その現れの一つがユーモアのセンス。最新作《CORNBREAD NATION》では、それが爆発していますが、ここでも控えめながら全体を通底していて、時にひょっこりと顔を出します。ミルタウン・モルヴェイのパブでダーク・パウエルがボグにはまった話をうたった[08]〈Me and Dirk's trip to Ireland〉などはその実例。[12]〈The tide flows into Miltown〉は、抑えたユーモアが渋い。ウィリィ・クランシー・カントリーをうたった唄としてアンディ・アーヴァインの〈West coast of Clare〉とならべても遜色ありません。

 今のところティム・オブライエンの録音はどれも質の高い、甲乙つけがたいものばかりですが、この《TWO JOURNEYS》はその中でも一つの頂点をなすものです。《THE CROSSING》との2枚の旅で得たものを土台に、オブライエンはもう一度北米白人音楽の探索、その解体と再構成へと向かいます。

 名前からしてアイルランド系アメリカ人であるティム・オブライエンにとって、いつかは祖先の故郷を訪ねるのは、前世からの宿命であったかもしれません。40代半ば、おのれの来し方を想い、行く末を望むにあたって、おのれのよってきたる原点を探りたくなる年頃。そうして実行し、この中の[13]〈Talkin' Cavan〉に描かれた1998年春の「帰郷」の成果が翌年にリリースされたこのアルバム。もっとも、オブライエン自身の出身がウェスト・ヴァージニアということからすると、かれの祖先は19世紀以降のカトリックではなく、その前にアルスターから移民していたいわゆるスコッツ・アイリッシュだった可能性もあります。

 いずれにしてもアイルランド土着のミューズはオブライエンの音楽魂に微笑みかけてくれたようで、ここからアメリカン・ルーツとアイルランドをはじめとするケルト系音楽をあらためて現時点で融合する、実り豊かな活動が始まりました。

 《FIDDLER'S GREEN》に比べればここでのアイリッシュはまだ借り物、と書きましたが、オブライエン自身そのことは重々承知です。アーロ・ガスリーの《THE LAST OF THE BROOKLYN COWBOYS》(1973)でのケヴィン・バークのフィドルでアイリッシュ・ミュージックに開眼していたそうですから、オブライエンのアイリッシュ・ミュージックへの親炙は並大抵のものではありませんが、だからこそ、一朝一夕にわがものにできるものではないこともわきまえていたのでしょう。

 インストルメンタルのトラックではロナン・ブラウン、シェイマス・イーガン、ダーモット・バーン、マレード・ニ・ムィニー、キアラン・カラン、キアラン・トゥーリッシュ、ダヒィ・スプロール、フランキィ・ゲイヴィンといったメンバーを前面に押し立てて、自分はその引き立て役にまわっています。

 その味わいは例えばチェリッシュ・ザ・レディースやソーラスのような、北米のアイリッシュ・ミュージシャンたちの音楽とも、デ・ダナンが《STAR SPANGLED MOLLY》で展開したようなかつてのアイリッシュ・アメリカンの音楽とも違い、アイリッシュの感性を大陸の感性でおおらかに広げてゆきます。感覚として一番近いものを探せば、カナダ東部、それもケープ・ブルトンではなく、ハリファックスやトロントあたりのミュージシャンたち、スタン・ロジャースレニィ・ギャラントのスタンスでしょう。

 唄を聞くと、その相似は一層明らかで、オブライエンがアイルランドから吸収したものは、素材としてよりも、ものの見方や提示のしかたであることがわかります。ぼくにとってそれがもっとも端的に、心に沁みて聞こえたのは、[11]〈Rod McNeil〉でした。ジグである〈Joy of my life〉をアレンジしたメロディに乗せて歌われるのは、ピッツバーグでブルーグラスのライヴ・ハウスを運営していた「心の広い大男」だったアイルランド系アメリカ人の想い出。サポートのフィドルはフランキィ・ゲイヴィンです。

 そしてやはりオブライエンの真骨頂は唄にあります。ポール・ブレディのメイン・ヴォーカルにコーラスを合わせる[06]〈Down in the willow garden〉、モーラ・オコーネルがオブライエンにコーラスを合わせる[14]〈The ribbon in your hair〉、なぜかケリィ・ジョー・フェルプスがスライド・ギターで参加した[10]〈John Riley〉。

 唄つくりとしてもスタン・ロジャースやスコットランドのアーチー・フィッシャー、あるいはアンディ・アーヴァインにも肩をならべられるのは、アルタンがフルバンドでバックアップしている[08]〈Lost little children〉でも明らかです。ここには将来 "Traditional" とクレジットされてもおかしくない唄が、いくつもあります。

 となると、唄うたい、唄つくりとしてのティム・オブライエンがどこから来たのか。気になってくるところです。(ゆ)

このページのトップヘ