クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:シンガー・ソング・ライター

 松浦湊というシンガー・ソング・ライターを知ったのは昨年秋、かものはしこと川村恭子からザ・ナスポンズというバンドの3曲入りCDシングル《ナスの缶詰め, Ver.1》を買ったことによる。



 これがなんともすばらしかった。楽曲、演奏、録音三拍子揃った傑作。そのヴォーカルと曲の面白さにノックアウトされてしまった。

 まずは歌詞が抜群に面白い。日本語の歌詞でこういう言葉遊びをしているのは初めてお目にかかる気がする。ダジャレと思えたものが、そこから意味をずらしてまるで別のところへ向かうきっかけになる。まったく脈絡のなさそうなもの、ことにつながってゆく。その先に現れる風光がなんとも新鮮でスリリングで、そしてグリムダークでもあり、シュールレアリスムと呼びたくなる。どんぴしゃのメロディがその歌詞の面白さを増幅する。ちなみにタイトルが Vol. 1 ではなく、Ver. 1 であるのも遊びの一つに見えてくる。

 歌唱がいい。発音が明瞭で、声域も広く、様々なスタイルを歌いわけられる。コントロールがきいている。ホンモノの、一級の歌うたいだ。

 バンド全体のアレンジと演奏も、この面子で悪いものができようはずもないが、ヒロインに引張られ、またヒロインを盛りたてて、このバンドを心から愉しんでいるのがよくわかる。

 録音も見事で、ヴォーカルをきちんと前面に立て、器楽の音に埋もれるようなことはまったく無い。わが国のポピュラー音楽ではヴォーカルが引込んで、ともすれば伴奏やバックに埋もれて、何を聴かせたいのか、わからなくなる形にすることがなぜかデフォルトらしい。先日も、まだ聴いたことがないのかと友人に呆れられたので、Ado の新曲を Apple Music で聴いてみたが、やはりヴォーカルが周囲に埋もれているし、声にファズだろうか、妙なエフェクトがかれられていて、あたしの耳には歌詞がまったく聴きとれなかった(米津玄師の〈Kick Back〉はアメリカでもヒットしたそうだが、ヴォーカルがちゃんと前面に出ているのも要因だろう)。松浦の録音ではそういう心配はまるでない。その点では英語圏の歌の録音やミックスと同じだ。

 この3曲入りのシングルはまさにヘビロテとなった。毎日一度は聴く。持っているヘッドフォンやイヤフォンを取替え引替えして聴く。どれで聴いても面白い。聴けば、心はハレバレ。ラストの〈サバの味噌煮〉ではヴォーカルが聞えてくるといつも笑ってしまう。この曲での松浦の歌唱は、どこかの三流宮廷の夜会でサバの味噌煮のプレゼンをする貴婦人という役柄。つくづく名曲だ。

 さらに、本人のサイトを眺めているうちに、ソロの《レモンチマン》が出ていることに気づいて買った。こちらはバックが東京ローカルホンクだ。あのバンドのリード・シンガーが松浦に交替した形である。これもたちまちヘビロテとなった。《ナスの缶詰め, Ver.1》と交互に聴く。



 当然のことながら生を見たくなる。一番近いザ・ナスポンズのライヴをかものはしに聞いて予約した。ところが、その前々日に熱が出て、前日に COVID-19 陽性判定が出てしまった。その次が今回のソロ、松浦湊ワン・ヒューマン・ライヴである。このヴェニューで定期的に続いていて、今回が第19回の由。まずソロを見られたのは結果として良かった。ミュージシャンのより本質に近い姿が見聞できたからだ。そしてそれは予想した以上に「狂気」が現れたものだった。

 音楽は多かれ少なかれ「狂気」の産物である。それに触れ、共鳴したくて音楽を聴いている。言い方を変えれば、「狂気」の無いものは音楽として聞えない。つまりまったくの業務として演奏したり、作られたりしたものは商品ではあっても音楽では無い。

 現れる「狂気」の濃淡、深浅はそれぞれだが、録音よりもライヴでより強く現れる傾向はある。アイリッシュなどのケルト系のアクトでは比較的薄いことが多いが、表面おだやかで、坦々とした演奏の底にぬらぬらと流れているのが感じられて、ヒヤリとすることもある。このヒヤリを味わいたくて、ライヴに通うわけだ。

 加えてバンドよりもソロの方が、「狂気」がより現れやすい傾向もある。この「ワン・ヒューマン・ライヴ」はすでに回も重ね、勝手知ったるハコ、お客さんも馴染みが多く、あたしのような初体験はどうも他にはいないような具合で、演る方としてもより地が出やすい、と思われた。

 まず声の強さは生で聴く方がより実感する。マイクを通しているが、ノーPAでも十分ではないかと思われるくらいよく通る。駆使する声の種類もより多い。〈かも〉ではカモの鳴き声を模写するが、複数の鳴き声をなきわける。もっとも本人曰く、カラスの声も混じったらしい。個人的にこのところカラスと格闘しているのだそうだ。ゴミを狙われているのか。

 ソロを生で見てようやくわかったのがギターの上手さ。5本の指によるフィンガー・ピッキングで、その気になればこれだけで食えるだろう。《レモンチマン》のギターの一部は本人だったわけだ。テクだけでなく、センスもいい。「いーぐる」の後藤さんではないが、音楽のセンスの無いやつはどうにもならないので、名の通った中にも無い人はいる。そしてセンスというのは日頃の蓄積がものを言うので、即席では身につかない。松浦は未就学児の頃、たまや高田渡で歌い踊っていたというから、センスのよさには先天的な要素も作用しているはずだ。

 もう一つ面白かったのが、MC はだらけきっているのに、いざ演奏を始めると別人になるその切替。MC はゆるゆるだが、不愉快ではない。こっちも一緒にだらけましょうという気分にさせられる。この文章もつられてだらだらになっている。それがまるで何の合図もきっかけもなく、不意に曲が始まる。場の空気がぱっと変わって歌の世界になる。ぴーんと張りつめている。聴くほうもごく自然に張りつめている。終るとまただらんとする。

 歌も上手いが、上手いと感じさせない。つまり歌そのものよりも歌が上手いことが先にたつことがない。聴かせたいのは歌の上手さではなく、歌そのものだ。それでも上手いなあと思ったのは3曲目の〈誤嚥〉。歌のテーマは時代に即している。というより、これからますますヴィヴィッドになるだろう。

 グレイトフル・デッドのショウに傾向が似ていて、前半はどちらかというと助走の趣、休憩をはさんだ後半にエンジンがかかる。先述の〈かも〉から始めて、〈おやすみ〉〈マーガレット〉〈あさりでも動いている〉とスローな曲が3曲続いたのがまずハイライト。〈あさり〉は《ナスの缶詰め, Ver.1》冒頭の曲でもあるが、実に新鮮に聞える。その前2曲はいずれも名曲。このあたり、ぜひソロの弾き語りの録音を出してほしい。

 亡霊の歌をはさんで、その後、ラストの〈サバ〉までがまたハイライト。ここで「狂気」が最も色濃くなる。〈平明のうた〉?では複数の登場人物を歌いわける。その次の〈ラビリンス〉が凄い。こういう曲のならびは意図していたことではないけれどと言いながら、その流れに乗ってやった〈喫茶店〉がまた面白い。

 なにかリクエストありますかと言っておいて、上がったものに次々にダメ出しして、結局〈サバ〉におちつく。いやあ、やはり名曲だのう。

 アンコールの〈コパン〉がまた佳曲。弾き語りをやると決めて初めて作った曲だそうだ。神楽坂のシュークリームが名物のカフェと関係があるのか。

 7時半オンタイムで始め、終演は10時近い。堪能したが、しかし、これで全部ではあるまい。まだまだ出していないところ、出ていない相があるはずだ。それもまた感じられる。持ち歌もこの何倍もありそうだ。ここでの次回は5月5日、昼間。デッドもよく昼間のショウをしている。午後2時開演というのがよくある。たいていは屋外だ。そう、松浦はどうだろう。屋外の広いところでもソロで見てみたい。どこかのフェスにでも行かねばなるまいが。

 初夏の後の真冬の雨で、入る前はおそろしく寒かったが、出てきた時はいい音楽のおかげかゆるんでいる。(ゆ)


2024-03-01訂正
 うっかり「バック・バンド」と書いたところ、メンバーから抗議をいただいたので、お詫びして訂正いたします。確かにジェファーソン・エアプレインはグレイス・スリックのバック・バンドではないし、プリテンダーズはクリシー・ハインドのバック・バンドではありませぬ。ザ・ナスポンズの松浦湊はスリックやハインドに匹敵するとあたしは思う。ソロの時は、歌唱といい、ギターといい、ジョニ・ミッチェルやね。

 上々颱風はついにライヴを見なかった。あの頃はライヴにゆく習慣が全く無かった。子どもが小さかったこともある。

 ライヴどころか、レコードもセカンドの〈連れてってエリシオン〉にあまりにはまりこんで、そこから先に行かなかった。あたしは一つの曲にはまりこむことはほとんどないのだが、あの曲だけはズッポリとはまりこんで、他の曲もほとんど聴かなかった。自分だけでなく、子守歌にもした。曲をかけながら、抱っこしてゆすっていると、すぐに寝てくれたように記憶する。

 もう、5、6年も前になるか、紅龍の《バルド》を聴いた時にはだから驚いた。悠揚迫らず、歌い込んだ歌をじっくりと歌う声が聴こえてきたからだ。

バルド
紅龍
SPACE SHOWER MUSIC
2010-09-22



 しかもなんという歌だったろう。まったくこんな歌を歌えるのは、世界でもこの人しかいないとわかるうたばかりだ。就中冒頭の〈旅芸人の歌〉には惚れこんだ。幸い、今回は他の曲も強烈で、こればかりにはまりこむまではいかなかった。生を聴きたい、と痛烈に思った。

 バルドは「中有」の意味だろうか。死者が輪廻の次の生に移るとき一度通過するところ。

 ステージに上がった紅龍はそのバルドから戻ってきたばかりのように見えた。うっかり足をふみいれたが、まだ自分は死んでないことを思い出して、とってかえした、が、まだ、完全にこの世に戻りきっていない。

 曲の紹介もなく、いきなり歌いだす。ああ、そうだ、この声。録音で聴くよりも一層合っている。あたしのためにあつらえてくれた、というのは傲慢であろう。しかし、そうとしか言いようがないくらい、ぴったりと波長が合う。こういう声を聴きたいのだ。高すぎず、低すぎず、響きが深く、適度にざらついて、まったく何の抵抗もなく、胸の奥にまで入ってくる。その声を聴いているだけで幸せになる。永遠にこの声が続いてほしい。

 しかもその歌は《バルド》冒頭のあの〈旅芸人の歌〉ではないか。もうそれだけで涙が出そうになる。

 その昔、シェイン・マゴーワンのライヴを一度だけ見た。ロンドンのフェスティヴァルで、The Popes がバック。酒瓶を両手に持ち、かわるがわる口に運ぶのだが、すでにあまりに酔っていて、瓶の口が自分の口に届かず、酒はどぼどぼと胸に注がれる。それくらい酔っているのに、歌だけはちゃんと歌っている。The Popes もすばらしい腕達者揃いで、シンガーをみごとに盛り立てていた。

 紅龍はむろん酔っぱらってはいない。なんでも半世紀飲みつづけてきた酒を断っているそうだが、かえってそのせいなのか、動作など頼りないところもあるが、やはり歌っているときの存在感には圧倒される。声の張り、力強さ、レコードからはいくぶん年をとったようでもあるが、衰えではなく、成熟に聞える。むしろ、うたい手としては一回り大きく聞える。

 そして、《バルド》でも要になっていた永田雅代のピアノが、例によってうたい手を盛り立てる。どうしてこの人はこんなに相手を盛り立てるのか。英珠、奈加靖子、そしてこの紅龍と、タイプもスタイルもレパートリィもまったく異なるのに、単なる伴奏ではない、演奏の存在感もしっかりありながら、それが主人公を引き立てる。こうなると、この人だけの演奏を聴いてみたくなる。

 なにしろ MC はほとんどなく、曲目紹介もしないから、聴いている時は、ああ、これは《バルド》に入っていると覚えはあるけれど、曲名はわからない。あたしはとにかく曲名を覚えるのが苦手だ。入っていない曲もいくつかあったように思うが、どれもこれも、この人の歌らしく、シンプルな歌で、それをまた何の飾りもつけず、シンプルに歌う。それだけで絶唱と呼びたくなる。

 ラストは《バルド》でも最後の〈星が墜ちてくる〉。聴いているうちに自然に背筋が伸びる。しみじみ名曲だ。《バルド》を初めて聴いたとき、冒頭の〈旅芸人の歌〉と掉尾のこの歌に、「触れる前から血が出るほどに研ぎすまされたロマンチシズム」とあたしは書きつけていた。我ながらまともには意味をなさないが、しかし、感覚としては今も変わらない。生で聴くとそのロマンチシズムには、ただし、ずんと一本太い芯が通っていることもわかった。

 アンコールもタイトルはわからない、「夢はおわっちゃいねえ」と歌う。そう、これが夢ならおわってくれるな。

 しかし、むろん、ライヴは終る。もう一度しかし、次があるのだ。次は5月24日。同じラ・カーニャ。よし、行くべし、行くべし。(敬称略)(ゆ)

07月14日・木
 朝、起きぬけにメールをチェックするとデッドのニュースレターで今年のビッグ・ボックスが発表されていた。



 1981, 82, 83年の Madison Square Garden でのショウを集めたもの。2019年のジャイアンツ・スタジアム、昨年のセント・ルイスに続いて、同じ場所の3年間を集める企画。嬉しい。80年代初めというのも嬉しいし、MSG というのも嬉しい。
 MSG では52本ショウをしていて、常に満員。演奏もすばらしいものがそろう。《30 Trips Around The Sun》では1987年と1991年の2本が取られている。1990年が《Dick's Picks, Vol. 9》と《Road Trips, Vol. 2, No. 1》でリリースされている。今回一気に6本が加わるわけだ。わが国への送料は70ドルかかるが、そんなことでためらうわけにはいかない。

 同時に《Dave's Picks, Vol. 43》も発表。1969年の11月と年末の2本のショウ、どちらもベア、アウズレィ・スタンリィの録音したもの。また1曲だけ、年末ショウの〈Cold Snow and Rain〉が次の Vol. 44 にはみ出る。



 いやあ、今日はいい日だ、とほくほくしていたら、夜になって、今度は Earth Records からバート・ヤンシュの《Bert At The BBC》の知らせ。バートが BBC に残した音源の集大成で、147トラック。LP4枚組、CD8枚組、デジタル・オンリーの3種類。Bandcamp は物理ディスクを買うとデジタル・ファイルもダウンロードできるから、買うとすればLPの一択。それにこのアナログのセットには3本のコンサートを含む6時間超の音源のダウンロード権もおまけで付いてくる。というので、これは注文するしかない。



 神さま、この2つの分のカードが無事払えますように。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月14日には1966年から1990年まで8本のショウをしている。公式リリース無し。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 木曜日。"A Pleasure Dome" と題されたこのヴェニュー4日連続のランの初日。開場9時。共演 Hindustani Jazz Sextet、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー。セット・リスト不明。
 Hindustani Jazz Sextet は主にトランペットの Don Ellis (1934-78) が1966年頃に西海岸で結成したバンド。メンバーはエリス、シタールとタブラの Harihar Rao、ヴィブラフォンの Emil Richards、 Steve Bohannon のドラムス、ベースに Chuck Domanico と Ray Neapolitan、それに Dave Mackay のピアノ。サックスの Gabe Baltazar が参加したこともある。

2. 1967 Dante's Inferno, Vancouver, BC
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。3(カナダ)ドル。6時と12時の2回ショウらしい。共演 Collectors、Painted Ship。セット・リスト不明。

3. 1970 Euphoria Ballroom, San Rafael, CA
 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。3ドル。デヴィッド・クロスビー、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、Rubber Duck Company with Tom Constanten 共演。
 第一部がアコースティック・セット。クローザーの2曲〈Cumberland Blues〉と〈New Speedway Boogie〉でデヴィッド・クロスビーが12弦ギターで参加。ガルシアはこの2曲でエレクトリック・ギター。
 Rubber Duck Company はベイエリアのマイム・アーティスト Joe McCord すなわち Rubber Duck のバック・バンドとしてトム・コンスタンティンが1970年に作ったバンド。シンガー、ギター・フルート・シタール、ヴォイオリン、ベース&チェロ、それにコンスタンティンの鍵盤というアコースティック編成。

4. 1976 Orpheum Theatre, San Francisco, CA
 水曜日。このヴェニュー6本連続の3本目。6.50ドル。開演8時。
 良いショウだそうだ。

5. 1981 McNichols Arena, Denver, CO
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。13.75ドル。開演7時半。
 ベストのショウの1本という。

6. 1984 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。14ドル。開演5時。
 ここは音響が良く、デッドはそれを十分に活用しているそうな。

7. 1985 Ventura County Fairgrounds, Ventura, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。15ドル。開場正午、開演2時。
 空はずっと曇っていて、第一部クローザー前の〈Looks Like Rain〉でぱらぱら来たが、すぐに陽が出て、海からの風が心地良かった。

8. 1990 Foxboro Stadium, Foxboro, MA
 土曜日。23.50ドル。開演4時。エディ・ブリッケル&ザ・ニュー・ボヘミアンズ前座。ヴェニューは名前がころころ変わっている。
 ショウは良い由。(ゆ)

0220日・日

 サンディの《The North Star Grassman And The Ravens》の Deluxe Edition Tidal で聴く。1972年の BBC のライヴ録音が入っていた。これを聴くと、シンガーとしていかに偉大だったか、よくわかる。どれも自身のピアノかギターだけだから、よけい歌の凄さがわかる。アメリカに生まれていたなら、シンガー・ソング・ライターとして、ジョニ・ミッチェルと肩を並べる存在になっていたかもしれないが、その場合には〈Late November〉のような曲は生まれなかっただろうし、フェアポート・コンヴェンションも別の姿になっていたか、浮上できなかったかもしれない。そうするとスティーライもアルビオンも無いことになる。あの時代のイングランドには器が大きすぎたのだ。

 ジャニス・ジョプリンも同じ意味で、あの時代のアメリカには器が大きすぎた。デッドも器が大き過ぎたが、かれらは男性の集団だったから生き残れた。あの当時、器の大きすぎる女性にはバンドを組む選択肢も無かった。



##本日のグレイトフル・デッド

 0220日には1970年から1995年まで、6本のショウをしている。公式リリース無し。


1. 1970 Panther Hall, Fort Worth, TX

 前売4ドル。当日5ドル。開演8時、終演1時。クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス共演。セット・リスト不明。


2. 1971 Capitol Theater, Port Chester, NY

 このヴェニュー6本連続の3本目。このポート・チェスターのランは半分の3本の全体が公式リリースされているので、いずれ全部出ることを期待。

 会場は1926年オープン、座席数1,800の施設で、当初は映画館、1970年代にパフォーマンスのために改修されてからコンサートに使われるようになる。ジャニス・ジョプリン、パーラメント/ファンカデリック、トラフィックなどがここで演奏した。

 デッドは1970年03月20日からこの1971年02月のランまで、1年足らずの間に13日出演している。1970年には1日2回ショウをして、計18本。この時期に6本連続というのは珍しい。

 ポート・チェスターはマンハタンからロング・アイランド海峡沿いに本土を40キロほど北上し、コネティカット州との州境の手前の町。人口3万。


3. 1982 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA

 このヴェニュー2日連続の2日目。良いショウのようだ。


4. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の最終日。15ドル。開演8時。

 次は0309日、バークレー。


5. 1991 Oakland County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。開演7時。

 Drums> Space Babatunde Olatunji Sikiru Adepoju がパーカッションで参加。良いショウの由。


6. 1995 Delta Center, Salt Lake City, UT

 このヴェニュー3日連続の中日。28ドル。開演7時半。

 アンコールのビートルズ〈Rain〉では、場内大合唱となった。(ゆ)


0128日・金

 Mandy Morton のボックス・セットなんてものが出てきて、思わず注文してしまう。こういうの、ついつい買ってしまうなあ。Magic Ladyは結構よく聴いた覚えがある。スプリガンズよりも好みだった。スカンディナヴィアで成功して、アルバムを出していたとは知らなんだ。この人とか、Mae McKenna とか、Carole Pegg とか、一流とは言えないが、B級というわけでもない、中途半端といえばそうなんだが、でも各々にユニークなものをもっていて、忘れがたいレコードを残してくれている。

After The Storm: Complete Recordings
Morton, Mandy / Spriguns
Grapefruit
2022-02-11

 

 それで先日バートの諸作と一緒に Loren Auerbach のアルバムのデジタル版も買ってあったのを思い出して聴いてみる。

 後にバートと結婚して、おまけにほとんど相前後して亡くなって、今は同じ墓に葬られているそうだけど、この人の出現は「衝撃」だった。ミニ・アルバムとフル・アルバムがほとんどたて続けに出たのが1985年。というのは、あたしはワールド・ミュージックで盛り上がっていた時期で、アイリッシュ・ミュージックは全体としてはまだ沈滞していて、パキスタンやモロッコ、ペルシャ、中央アジアあたりに夢中になっていた。3 Mustaphas 3 のデビューも同じ頃で、これを『包』で取り上げたのは、日本語ではあたしが最初だったはずだ。"Folk Roots" のイアン・アンダースン編集長自ら直接大真面目にインタヴューした記事を載せていて、まんまとだまされたけど、今思えば、アンダースン自身、戦略的にやったことで、ムスタファズの意図はかなりの部分まで成功したと言っていいだろう。

 そこへまったく薮から棒に現れたオゥバックには「萌え」ましたね。表面的には Richard Newman というギタリストが全面的にサポートしているけれど、その時からバートがバックについてることはわかっていたという記憶がある。

 この人も一流と呼ぶのにはためらうけれど、このハスキー・ヴォイスだけで、あたしなどはもう降参しちゃう。バートと結婚して、バートのアルバムにも入っていたと思うが、結局自分ではその後、ついに録音はしなかったのは、やはり惜しい。あるいはむしろこの2枚をくり返し聴いてくれ、ここにはすべてがある、ということだろうか。実際、リアルタイムで買った直後、しばらくの間、この2枚ばかり聴いていた。今聴いても、魅力はまったく薄れていないのは嬉しい。

 その頃のバートはと言えば、1982年の《Heartbreak》、1985年の《From The Outside》、どちらも傑作だったが、あたしとしてはその後1990年にたて続けに出た《Sketches》と《The Ornament Tree》を、まさにバート・ヤンシュここにあり、という宣言として聴いていた。とりわけ後者で、今回、久しぶりにあらためて聴きなおして、最高傑作と呼びたくなった。一種、突きはなしたような、歌をぽんとほうり出すようなバートの歌唱は、聴きなれてくると、ごくわずかな変化を加えているのが聞えてきて、歌の表情ががらりと変わる。ギターもなんということはない地味なフレーズを繰返しているようなのに、ほんの少し変化させると急にカラフルになる。聞き慣れた〈The Rocky Road To Dublin〉が、いきなりジャズになったりする。デイヴ・ゴールダー畢生の名曲〈The January Man〉は、バートとしても何度めかの録音だと思うが、さあ名曲だぞ、聴け、というのではさらさらなくて、まるでそこいらにころがっている、誰も見向きもしないような歌を拾いあげるような歌い方だ。選曲はほとんどが伝統歌なので、これも伝統歌として歌っているのだろう。聴いている間はうっかり聞き流してしまいそうになるほどだが、後でじわじわと効いてくる。録音もいい。
 

 あたしはミュージシャンにしても作家にしても、あまりアイドルとして崇めたてまつらないのだが、バートについてはなぜか「断簡零墨」まで聴きたくなる。ジョン・レンボーンもアルバムが出れば買うけれど、我を忘れて夢中になることはない。ことギターについてはレンボーンの方が上だとあたしは思うが、「アコースティック・ギターのジミ・ヘンドリックス」などと言わせるものをバート・ヤンシュが持っている、というのはわかる気がする。

 ボックス・セットも来たことだし、あらためてバート・ヤンシュを聴くかな。デッドとバランスをとるにはちょうどいい。



##本日のグレイトフル・デッド

 0128日には1966年から1987年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1966 The Matrix, San Francisco, CA

 2日連続このヴェニューでの初日。共演ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、ザ・ローディング・ゾーン。セット・リスト不明。


2. 1967 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 このヴェニュー3日連続の2日目。クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス共演。セット・リスト不明。


3. 1987 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA

 16.50ドル。開演8時。この年最初のショウ。春節に合わせたこのヴェニュー3日間の初日。ビートルズ〈Get Back〉の唯一の演奏だが、ウィアのヴォーカルがひどく、これをカヴァーしようとしてか、サウンド・エンジニアのダン・ヒーリィがその声にかけたエフェクトがさらに輪をかけてひどかった。その他にも、大きなミスや歌詞忘れが目立った。ガルシアは前年夏の糖尿病による昏睡から回復してステージにもどったのが前年12月半ばだから、調子がよくないのも無理はないと言える。

 ガルシアは復帰にもっと時間をかけるべきだったかもしれない。より十分な準備をすべきだった、とも言える。しかし、かれはガマンできなかったのだ。一応演奏ができ、歌がうたえるならば、ステージに立たずにはいられなかった。

 ガルシアはいろいろなものに中毒していた。ハード・ドラッグだけではなく、映画にも中毒していたし、サイエンス・フィクションにも中毒していたし、絵を描くことにも中毒していた。しかし、何よりも、どんな麻薬よりも中毒していたのは、人前で演奏することだった。グレイトフル・デッドとしてならばベストだが、それが何らかの理由でかなわない時には、自分のバンドでショウをし、ツアーをしていた。ガルシアの公式サイトではガルシアが生涯に行った記録に残る公演数を3,947本としている。うちデッドとしては2,313本だから、1,600本あまり、4割強は自分のプロジェクトによる。とにかく、ステージで演奏していないと不安でしかたがなかったのだ。

 スタートは吉兆ではなかったとしても、1987年という年はデッドにとっては新たなスタートの年になった。ガルシアの病気により、半年、ショウができなかったことは、バンドにとっては休止期と同様な回春作用をもたらした。ここから1990年春までは、右肩上がりにショウは良くなってゆく。1990年春のツアーは1972年、1977年と並ぶ三度目のピークであり、音楽の質は、あるいは空前にして絶後とも言える高さに到達する。

 1987年のショウは87本。1980年の89本に次ぎ、大休止からの復帰後では2位、1972年の86本よりも多い。このおかげもあってこの年の公演によって2,430万ドルを稼いで、年間第4位にランクされた。以後、最後の年1995年も含めて、ベスト5から落ちたことは無い。

 87本のうち、全体の公式リリースは4本。ほぼ全体の公式リリースは3本。

1987-03-26, Hartford Civic Center, Hartford, CT, Dave's 36

1987-03-27, Hartford Civic Center, Hartford, CT, Dave's 36

1987-07-12, Giants Stadium, East Rutherford, NJ, Giants Stadium

1987-07-24, Oakland-Alameda County Coliseum Stadium, Oakland, CA, View From The Vault (except Part 3 with Dylan)

1987-07-26, Anaheim Stadium, Anaheim, CA, View From The Vault (except Part 3 with Dylan)

1987-09-18, Madison Square Garden, New York, NY, 30 Trips Around The Sun

1987-12-31, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA, Live To Air (except 5 tracks)

 07-1214はディランとのツアーでどちらも第一部・第二部のデッドだけの部分は完全収録。第三部のディランの入ったステージは一部が《Dylan & The Dead》でリリースされている。

 ガルシアが死の淵から生還し、デッドが復帰したことの影響は小さくない。ニコラス・メリウェザーは《30 Trips Around The Sun》の中で、ポール・マッカトニーのツアーへの復帰の直接の動機が、ガルシアの恢復と復帰だったことを記している。

 ツアーの面ではこの年、デッドはディランとスタジアム・ツアーをする。おかげでこの年のレパートリィ数は150曲に逹した。このツアーからは《Dylan & The Dead》がリリースされた。当時のレヴューでは軒並み酷評されて、「出すべきではなかった」とまで言われたが、今、聴いてみれば、見事な出来栄えで、どうしてそんなにボロクソに言われたのか、理解できない。同じものを聴いていたのか、とすら思える。われわれが音楽を聴くのは、つまるところコンテクストによるのだ、ということだろう。コンテクストが変われば、評価は正反対になる。

 また、このツアーのおかげで、以後、デッドのレパートリィにディラン・ナンバーが増え、1本のショウの中でディランの曲が複数、多い時には3曲演奏されるようにもなる。

 年初にこの春節ショウの後、2月一杯を休んで新譜の録音をする。Marin Vetrans Auditorium をスタジオとして、ライヴ形式で録音されたアルバムは0706日《In The Dark》としてリリースされ、9月までに100万枚以上を売り上げてゴールドとプラチナ・ディスクを同じ月に獲得する。さらに旧譜の《Shakedown Street》と《Terrapin Station》もゴールドになった。《In The Dark》からシングル・カットされた〈Touch of Grey〉はデッドの録音として唯一のトップ10ヒットともなる。デビューから22年を経て、デッドはついにメインストリームのビッグ・アクトとして認知されたのだ。それもデッドの側からは一切の妥協無しに。このことは別の問題も生むのだが、デッドは人気の高まりに応えるように音楽の質を上げてゆく。

 音楽面で1987年は新たな展開がある。MIDI の導入である。ミッキー・ハートが友人 Bob Bralove の支援を得て導入した MIDI は、またたく間に他のメンバーも採用するところとなり、デッドのサウンドを飛躍的に多彩にした。Drums Rhythm Devils に発展しただけでなく、ガルシアやウィアはギターからフルートやバスーンなどの管楽器の音を出しはじめる。ブララヴはデッドの前にスティーヴィー・ワンダーのコンピュータ音楽のディレクターを勤め、後には《Infrared Rose》もまとめる。(ゆ)


0124日・月

 Bandcamp で注文したバート・ヤンシュのスタジオ盤をまとめたボックス・セット4タイトルと《Santa Barbar Honeymoon》の Earth Records からの再発着。2009年版。ミュージシャンやスタッフのクレジットが無い。ボックス・セットは後半をまとめた2タイトルにデモ、未発表を集めたディスクが1枚ずつ入る。ライナーはバートへのインタヴュー。オリジナルはもちろん全部持っているが、この未発表トラックの2枚に惹かれたのと、ライナーが読みたかったのと、こうしてまとまっているのもあれば便利、というので結局買ってしまう。まとめて買うと安くなるし。バートのものは、目につけば、ついつい買ってしまう。



##本日のグレイトフル・デッド

 0124日には1969年から1993年まで、4本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1969 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 このヴェニュー3日連続の初日。サンズ・オヴ・シャンプリンが前座。1時間半のおそらくは一本勝負。2曲目〈New Potato Caboose〉が《Aoxomoxoa50周年記念版でリリースされた。

 〈New Potato Caboose〉は Robert Petersen 作詞、フィル・レシュ作曲。19670505日、フィルモア・オーディトリアムで初演。19680608日、フィルモア・ウェストが最後。計25回演奏。スタジオ盤は《Anthem Of The Sun》。ウィアの歌の後、まずベースが長いソロを披露し、後半はガルシアがこれに応えて長いソロを聴かせる。この曲の演奏としては一番面白いヴァージョン。レシュのソロは公式リリースの中ではこれがベスト。この歌はしかし実にやりにくそうに聞える。レシュの曲が尋常でないほど複雑で、ほとんど前衛音楽の領域。ガルシアもギター・ソロをどう展開すべきか、あぐねている。デッドの即興はジャズのそれとは違って、テーマと無関係なものではなく、歌の延長であって、そこからの必然的な流れに沿う。この曲ではその流れを摑みかねている。レシュのベース・ソロも、なかなかうまくいかないので、レシュの曲だから、たまにはソロをやってみろということではないか。

 この歌詞もハンターやバーロゥのものと同じく、歌詞である前に詩であって、読んですぐ意味のとれるものではない。何度も繰返して読み、聴きながら、自分なりのイマージュをふくらませるものだ。

 Robert M. Petersen1936-87)はオレゴン出身。デッドには3曲の歌詞を提供している。これと〈Unbroken Chain〉〈Pride of Cucamonga〉。いずれもレシュの作曲。〈Unbroken Chain〉はデッドヘッドのアンセムと言われる。"Fern Rock" はじめ、デッドについての詩も書いている。詩集 Alleys Of The Heart, 1988 がある。


2. 1970 Honolulu Civic Auditorium, Honolulu, HI

 このヴェニュー2日目。5曲目〈Mason's Children〉が《The Golden Road》所収の《Workingman's Dead》ボーナス・トラックでリリースされた後、ほぼ全体が《Dave’s Picks, Vol. 19》でリリースされた。判明しているセット・リストの曲はすべて収録されているが、1時間弱で、これで全部とは思われない。〈Good Lovin'〉はフェイドアウト。

 演奏は前日と同じくすばらしい。デッドの調子の良い時の常で緊張と弛緩が同居している。ただ、この2日間は緊張の底流がより強く感じられる。〈Black Peter〉やアンコールの9分を超える〈Dancing In The Street〉のような、弛緩の方が強そうな曲がむしろ張りつめている。その大きな要素の一つはガルシアのギターで、それまでのバンドの後ろからまとめてゆくような姿勢から、先に立って引張る意識が現れているようにみえる。

 この年、デッドは忙しい。ショウの数は前年に次ぐ142本。大きな休みは無い。新曲は27曲。レパートリィは119曲。ここでレパートリィというのは、この年のセット・リストを集計して重複を除いたもの。この119曲はいつでも演奏可能ということになる。春と秋に2枚のスタジオ盤を録音して出し、5月には初めてヨーロッパに渡り、イングランドでショウをする。1月末、トム・コンスタンティンがニューオーリンズでバンドを離れ、3月、マネージャーだったレニー・ハートが大金を盗んで逃亡。一方、オルタモントの後、ストーンズのロード・マネージャーをクビになっていたサム・カトラーを、新たにロード・マネージャーとして雇う。カトラーはバンドのショウからの収入を大いに増やす。Alan Trist を社長として、楽曲管理会社 Ice Nine Publishing を設立。弁護士ハル・カントと契約する。カントはエンタテインメント業界のクライアントをデッドだけに絞り、業界の慣行を無視したデッドのビジネス手法をバックアップする。


3. 1971 Seattle Center Arena, Seattle, WA

 北西太平洋岸3日間の最終日。開演8時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジとイアン&シルヴィアが共演。あまり長くないのは会場の制限か。それでも、「ちょうどあと1曲できる時間がある」とピグペンが言って、〈Turn On Your Lovelight> Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad> Turn On Your Lovelight> Drums> Good Lovin'〉というメドレーをやった。

 この後は0218日からのニューヨーク州ポートチェスターでの6本連続。


3. 1993 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 23.50ドル。開演7時。中国の春節記念の3日連続のショウの初日。酉年でラミネートの絵柄は鶏。春節に合わせたショウは19878889、この年と94年の5回。この年が一番早い。この年はさらに2月下旬にマルディグラを祝うショウを同じヴェニューで3日連続でやった後、3月上旬春のツアーに出る。

 これは良いショウで、ウィアがとりわけ調子が良かったそうな。(ゆ)


1227日・月

 東京・あきる野市の「カフェ・トラモナ」が、ジャズを中心に最新の音楽情報などを紹介しているサイト、ARBAN(アーバン)の「いつか常連になりたいお店」で紹介されたよ、とおーさんから知らせてくる。覗いてみると、かっこよく紹介されている。トラモナは常連になりたいというより、居つきたい店だが、居つくには近くに引越さねばなるまい。


 ARBAN の記事ではもっぱらアメリカものが取り上げられているが、マスターの浦野さんはイングランド大好きで、メロディオンを嗜む。イングリッシュ・ダンス・チューンを演奏する、まだわが国ではそう多くない人の1人で、店にもイングランドもののレコードがたくさんある。昔のブラックホーク仲間でも、あたしとは一番趣味が近いかもしれない。


 ああ、それにしても、ああいう店がこの辺りにも欲しいもんだ。誰かやってくれるなら、ウチにあるレコード、全部預けてもいい。



##本日のグレイトフル・デッド

 1227日には1967年から1991年まで14本のショウをしている。公式リリースは2本。


01. 1967 Village Theater, New York, NY

 このヴェニュー2日連続の2日目。共演前日と同じ。


02. 1970 Legion Stadium, El Monte, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。

 第二部3曲目〈Attics Of My Life〉が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 会場は平均的な高校の体育館よりも狭かったそうだが、アメリカの高校の体育館はばかでかいので、そう狭くはないだろう。デッドのヴェニューとしてはこじんまりした、距離の近いところだったらしい。もっともウィアとガルシアが二人とも聴衆に、スペースがあるから自由に動きまわるよう薦めたという。チケットもぎりの男とピグペンがウィスキーのパイント壜を回し飲みしていたそうな。

 前日に地元のラジオ局 KPPC にガルシア入りニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが出演した。

 〈Attics Of My Life〉はまだよくわからない歌だ。コーダに向けてわずかに盛り上がる。この歌の演奏としては良い。カタチが見える。


03. 1977 Winterland Arena, San Francisco, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの初日。ポスターはガルシアの右手のみを黒バックに白く抜く形で描く。


04. 1978 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA

 このヴェニュー2日連続の初日。


05. 1979 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 大晦日に向けての5本連続のランの2日目。


06. 1980 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 大晦日に向けての5本連続のランの2日目。


07. 1981 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 大晦日に向けての5本連続のランの2日目。


08. 1982 Oakland Auditorium, Oakland, CA

 大晦日に向けての5本連続のランの2日目。13.50ドル。開演8時。


09. 1983 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの初日。開演8時。


10. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの初日。開演8時。


11. 1987 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの初日。17.50ドル。開演7時。


12. 1989 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 大晦日に向けての4本連続のランの初日。20ドル。開演7時。E・ストリート・バンドの Clarence Clemons が第二部全体に参加。という情報もあるが、2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされたその第二部2〜4曲目〈Playing In The Band> Crazy Fingers> Uncle John's Band〉では聞えない。

 この並びは珍しい。PITB の後半、フリーの荘厳な集団即興になる。こうなっても聴いていて面白いのがデッドのデッドたるところ。張りつめた即興のなかに、笑いが垣間見える。それがすうっと収まって CF になる。UJB ではガルシアのヴォーカルが時々聞えなくなる。PA の調子が悪いのか、ガルシアがマイクからはずれるのか。コーダに向かって全員でのリピートからガルシアが抜けだして展開するソロがいい。


13. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 前年に続いて、大晦日に向けての4本連続のランの初日。22.50ドル。開演7時。


14. 1991 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 3年連続で、大晦日に向けての4本連続のランの初日。開演7時。この年末・年越しショウの原動力だったビル・グレアムがこの年死んだため、大晦日にかけてのランはこれが最後。(ゆ)



 
Custy's のオンラインストアで別のものを探していて遭遇する。

 アルゼンチン出身でエニスに住むシンガー/ギタリストのデビュー作。ギターはテクニシャンではないが、味のある伴奏をつける腕に不足はない。声に特徴があり、いわゆる「かわいい」声に聞えるが、その声に頼ることを拒否して、正面から歌う。結果、この声をさらに聴いていたくなる。

 詞はすべて英語で Eoin O’Neill が書き、バトラーが曲をつける。当然、アイルランドの伝統的メロディーではないが、そこから完全に離れてもいない。歌によって生まれでるある空間の産物。発音はスペイン語の訛か、ひどく聴きとりやすい。初聴きでのベスト・トラックは [08] The Stranger's Song。自らの立場を歌うとも、異邦の地に立って生きようとするすべての人を歌うとも聞える。

 数曲でオゥエン・オニールがブズーキでいいサポートをしている。


##本日のグレイトフル・デッド

 1125日には1973年と1979年の2本のショウをしている。公式リリースは1本。


1. 1973 Feyline Field, Tempe, AZ

 第一部クローザーの〈Playing In The Band〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 オープナーが〈The Promised Land〉で第二部オープナーが〈Around And Around〉はありそうで、珍しい。〈Sugar Magnolia〉がクローザーではないのも滅多にない。〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉に続く。

 この週末はずっと雨で、会場は小さな野球場で、正午開演予定だったため、払い戻しになると思いながら朝10時に着くと Wall of Sound はすでに設置が終り、全体にプラスティックのカヴァーがかけられていた。スピーカーは背後の客席よりも高く聳えていた。そのサウンドは狭い球場からあふれんばかり。雨が止むのを待って、午後2時半、演奏が始まる。聴衆は34,000人と「ごく少なかった」。ステージには妊娠6、7ヶ月だったドナのために、やたらクッションのきいた大きな椅子が置かれて、ドナは実際これに座っていた。アンコールの時、雲間から太陽が現れ、ウィアが「日没を味わおうぜ」と言い、〈And We Bid You Goodnight〉が歌われる中、太陽が沈んでいった。帰りはまた土砂降りの雨。以上 DeadBase XI Jeffery Bryant のレポートによる。

 小さなものであれ、スタジアムが会場に選ばれたのは Wall of Sound を設置するためだろう。この前のショウは前々日、テキサス州エル・パソで、おそらく別のセットが先行して送られ、前日に組み立てられていたと思われる。


2. 1979 Pauley Pavilion, University of California, Los Angeles, CA

 セット・リスト以外の情報が無い。(ゆ)


 アイルランドのシンガー・ソング・ライター、Sean Tyrrell の訃報が入ってきました。1030日夜死去。享年78歳。
 

 1943年ゴールウェイ生まれ。1960年代からフォーク・クラブで歌いはじめ、1968年にニューヨークに渡り、グリニッジ・ヴィレッジのフォーク・シーンで活動します。サンフランシスコ、ニュー・ハンプシャーに移り、Apples In Winter というグループに参加。1975年1枚アルバムを出します。

 その年、アイルランドに戻り、クレアのバレンに住みつき、1978年、National University Ireland Galway に職を得ます。また、隣近所だったデイヴィ・スピラーンと演奏するようになり、そのアルバム2枚に参加もします。《Shadow Hunter》と、たぶん《Atlantic Bridge》と思います。前者は確認しましたが、後者は行方不明。

 アイルランドでのかれの評価は ‘Cuirt an Mhean Oiche (The Midnight Court)’ という詩に曲をつけたことが大きいようです。この詩は Brian Merriman または Brian Mac Giolla Meidhre (c. 1747 – 1805) というクレアの農民で寺子屋教師が残したもので、アイルランド語のコミカルな詩として最高のものとされています。フランソワ・ラブレーの作品に比されることもあるそうな。この詩は1,200行に及ぶ長篇で、ティラルはこれをバラッド・オペラに仕立て、1992年に上演されて好評を博しました。先日亡くなった Mary McPartlan も出演した由。

 1994年にデビュー・アルバム《Cry Of A Dreamer》を、当時ばりばり元気だった Hannibal Records からリリース。ぼくがかれの歌を聴いたのもこれが初めてでした。朴訥と形容したくなるような、ごつごつと一語一語言葉を打ちこんでくるような歌と、やはりぽつりぽつりと弾くマンドーラの伴奏は強い印象を受けました。以後2014年の《Moonlight on Galway Bay》まで、5枚のアルバムがあります。いずれも質の高い佳作ですが、とりわけセカンドの《The Orchard》は傑作。

Cry of a Dreamer
Tyrrell, Sean
Hannibal
1996-01-16


 一方で、バンジョーも達者でフィドルの Kevin Glackin、パイプの Ronan Browne とのアルバムや、地元のフィドラーとのライヴ盤や、フルート、ホィッスル、ヴィオラを操る人たちと The Medal Hunters の名前で出したライヴ盤があります。この最後のものはやはりトリオで、おそらくセッションをほぼそのまま録音したものらしい。3人とも名人達人というわけではありませんが、味があり、耳を惹かれます。

 アイルランドの現大統領マイケル・ヒギンズとは Universty College Galway の同窓だったそうで、追悼の言葉を発表しています。

 すぐれたシンガーの星の数ほどいるアイルランドでも、なぜかぼくには最もアイルランド的と感じられるうたい手でした。オリジナルやカヴァーが多いのですが、深く下ろした根っこからたち登ってくるような歌です。美声でもないし、耳に快いスタイルでもありませんけど、ずっと聴いていたくなる。今夜は久しぶりにかれの歌に浸って、追悼しようと思います。合掌。(ゆ)



 古い知人からもう何年も放置している Mixi にメッセージが来て、驚いた。中身を見て、一瞬茫然となる。ナンシ・グリフィスの訃報だった。


 ナンシを知ったのは何がきっかけだったか、もう完全に忘却の彼方だが、たぶん1990年前後ではなかったか。リアルタイムで買ったアルバムとして確実に覚えているのは Late Night Grande Hotel, 1991だ。けれどその時にはファーストから一応揃えて聴きくるっていた。あるいは Kate Wolf あたりと何らかのつながりで知ったか。






 あたしはある特定のミュージシャンに入れこむことが無い。もちろん、他より好きな人や人たちはいるけれど、身も世もなく惚れこんで、他に何も見えなくなるということがない。そういうあたしにとって最もアイドルに近い存在がナンシだった。一時はナンシ様だった。


 アイドルは皆そうだろうが、どこがどう良いのだ、とは言えない。彼女の声はおそらく好き嫌いが別れるだろう。個性は結構シャープだけど、一見、際立ったものではない。でも、この人の歌う歌、作る歌、そしてその歌い方は、まさにあたしのために作り、歌ってくれていると感じられてしまう。そういう親密な感覚を覚えたのは、この人だけだった。後追いではあったけれど、ほぼ同世代ということもあっただろう。


 MCA 時代も悪くはなく、中でも Storms, 1989 は Glyn Johns のプロデュースということもあり、佳作だと思う。優秀録音盤としても有名で、後からアナログを買った。とはいえ、やはりデビューからの初期4枚があたしにとってのナンシ様だ。初めは Once In A Very Blue Moon と Last Of The True Believers の2枚だったけど、後になって、ファーストがやたら好きになって、こればかり聴いていた。でも、ナンシの曲を一つ挙げろと言われれば、Once in a very blue moon ではある。


Storms [Analog]
Griffith, Nanci
Mca
1989-08-03




Last of the True Believers
Griffith, Nanci
Philo / Umgd
1990-10-25


There's a Light Beyond These Woods
Griffith, Nanci
Philo / Umgd
2002-01-08



 ナンシのピークはやはり Other Voices, Other Rooms だろう。グラミーも獲ったけど、これはもう歴史に残る。狙った通りにうまく行ったものが、狙いを遙かに跳びこえてしまったほとんど奇蹟のようなアルバム。一方で、あまりに凄すぎて、他のものが全部霞んでしまう。本人もその後足を引っぱられる。それでも、この1枚を作ったことだけで、たとえて言えば、ここにもゲスト参加しているエミルー・ハリスの全キャリアに比肩できる。






 と書いてしまうとけれどこのアルバムの聴きやすさを裏切るだろう。親しみやすく、いつでも聴けるし、BGM にもなれば、思いきり真剣に聴きこむこともできる。そして、いつどこでどんな聴き方をしても、ああ、いい音楽だったと思える。でも、よくよく見直すと凄いアルバムなのだ。アメリカン・ミュージックのオマージュでもあり、一つの総決算でもあり、そう、ここには音楽の神様が降りている。選曲、演奏、録音、プロデュース、アルバムのデザイン、ライナー、まったく隙が無い。隙が無いのに、窮屈でない。音楽とは本来、こうあるべきという理想の姿。この頃のジム・ルーニィは実にいい仕事をしているけれど、かれにとっても頂点の一つではあるだろう。


 ここにも Ralph McTell の名曲 From Clare to Here があるけれど、ナンシはアイルランドが大好きで、カントリー大好きのアイリッシュもナンシが大好きで、ひと頃、1年の半分をダブリンに住んでいたこともある。チーフテンズとツアーもし、ライヴ盤もある。


An Irish Evening
Chieftains
Sbme Special Mkts.
1992-01-28



 今世紀に入ってからはすっかりご無沙汰してしまって、ラスト・アルバムも持っていない。それが2012年。サイトを見ても、コロナの前からライヴもほとんどしておらず、あるいは病気だろうかと思っていた。死因は公表されていない。これを機会に、あらためて、あの声と、テキサス訛にひたってみよう。合掌。(ゆ)



2021-08-17追記
 Irish Times に追悼記事が出ていた。それによると 1996年に乳がん、1998年に甲状腺がんと診断されていた由。さらにドゥプウィートレン攣縮症という徐々に中指と薬指が掌の方へ曲る病気のため、指を自由に動かせなくなっていたそうな。
 

5月1日・土曜日

 Cathy Jordan が映像作家と組んで一連のミュージック・クリップを作り、Crankie Island Songs というタイトルで YouTube に上げている。




 アンディ・アーヴァインからノルウェイのシンガー・ソング・ライター Lillebjorn Nilsen との合作ライヴ・アルバムの通知。アンディとリルビョルン(でいいのか)のレパートリィを交互にやっている。6月発売。

 Folk Radio UK に Dolceola Recordings の鳥越ダン氏のインタヴューが出ている。

 かれが作っているアメリカのルーツ・ミュージックのディープな録音はアラン・ロマックスが使ったのと同じ録音機材なのだそうだ。録音機を売ったのはバークリーに住む個人だったが、この人の父親が Ampex のデザイナーで、この録音機についているロゴのデザインもしていたそうな。

 かれの作ったCDの1枚 Gee’s Bend Quilters – Boykin, Alabama: Sacred Spirituals of Gee’s Bend はメタ・カンパニーから出ているが、あれは凄い。素っ裸の人間の声と歌の力に脱帽。それも問答無用で圧し潰すのではなく、じわじわと湧いてきて、気がつくと全宇宙を満たしている。

Boykin, Alabama: Sacred Spirituals Of Gee's Bend
Gee's Bend Quilters
Dolceola Recordings
2019-02-15



 Micheal Perkins, Evil Companion を読む。強烈な一発。一読、忘れられなくなりそうだ。読んでいる最中はそうでもなかったが、読みおわってみると、イメージががんがんと甦ってくる。文章の妙なのか、読んでいる間はそれほど異常でも強烈でもないのだが、思いかえす、というより読みおわった途端、描かれてきたことがぶくぶくと浮かんできて、消えなくなる。気になってしかたがない。

 各章に描かれる出来事の一つひとつが重なって全体像をなしてゆく。それがラストに来て、語り手で主人公がなぜこれを書いたかが明らかになると、えーっとなって、また頭から読みかえしたくなる。しかし、浮かんでくるイメージの強烈さに、すぐには読みかえしたくはない。こんな小説は読んだことがない。少なくともこういう感覚になった覚えはない。一番近いのは山上たつひこの『光る風』を読んだときか。あれも作者を突き動かし、作品を推し進める「怒り」の強烈さに呆然となった。あれはこの今我々の住む世界の裏にあるもう一つの世界でのストレートなドラマだが、こちらは裏というよりすぐ隣にある、薄い幕1枚めくればほんとうに現れる、この世界の「真の姿」を生のまま、剥き出しにしてみせた感覚だ。それが表面的には「ポルノ」の形をとるのも当然だ。

 これが60年代マンハタンの「ボヘミアン」たちの生活とセックス革命から生まれたものであるにせよ、ここに書かれたことはそうした時代の制約は軽く超えてゆく。作品成立をめぐる社会と著者個人をめぐる状況を説くディレーニィの序文もまた強力で、小説を読む一応の心構えは作ってくれるが、小説の方はそれすらも超えてゆく。ディレーニィとしても、それはおそらく承知の上で、読者として心得ておいて損はない最低限の情報を提供したのだろう。そこは確かに出発点の一つにはなる。あるいはむしろ、ディレーニィの序文は本篇とは独立した、もう一つのイメージを対置しようとしたとも見える。

 暴力とセックス、快楽と苦痛が表裏一体、同じものの表裏であるという真理。その真理の本当の意味。ディレーニィの言うとおり、これはポルノの仮面をかぶった宝石だ。これにはこういう形の出版はふさわしくないかもしれない。もちろん、こういう形でなければあたしが読むこともできなかったわけだが、本来はタイプ原稿のコピーの束、藁半紙にガリ版刷りしたものをホチキス止めしたような粗悪な形で、こっそりと読み回されるべきものではないか。

 読みおわって時間が経つにつれ、何かたいへんなものを読んでしまった、という感覚が徐々に昇ってくる。(ゆ)

 まったく不見転のミュージシャンのライヴに行ったのは、高橋創さんと須貝知世さんがバックで出るというからである。この二人が揃うなら、メインの人がどうあれ、つまらないライヴになるはずがない。おまけに須貝さんは年末に山梨に引越すから、ひょっとするとしばらくライヴはコロナが収まっても見られないかもしれない、という事情もあった。ヒロインのシンガー・ソング・ライターは須貝さんと大学の同じゼミで、近頃、偶然パン屋さんで再会した、という縁だそうだ。

 結論から言えば、また追っかけたい人が一人増えた。うたい手としても歌つくりとしても、かなりな人だ。キャッチーなメロディを作る才能もあり、カルト的にブレイクしてもおかしくない。あたしとしては、MCでしゃべることをもう少し整理してほしいところではある。

 ご本人もアイリッシュ・ミュージックは大好きとのことで、そのきっかけが『タイタニック』、しかも例の三等船室のダンス・パーティーというのは定番ではあるが、そのおかげでこのメンバーでのライヴをしてくれたのだから、文句を言う筋合いもない。冒頭は須貝、高橋のお二人に、高橋さんがいつも一緒にやっているパーカッションの熊本比呂志さんの3人で、その『タイタニック』のダンス・チューンのメドレーからこれまた定番の〈Raise Me Up〉。この時点ではこりゃあ我慢大会かなと一瞬危惧したのだが、しかし、この歌がまず良かった。この歌も散々あちこちで聴かされているが、これはベスト・ヴァージョンの一つだ。サポートの良さもあるが、本人の歌唱に説得力がある。エモーショナルだがセンチメンタルにはならない。力を籠めるところが充実していて上滑りにならない。声量も不足はなく、だから、後の方で、バックも目一杯音を出しても負けることがない。高橋さんも思いきって弾けて楽しかったと言っていた。

 4曲めで自作の〈涙の海〉。アイデンティティ崩壊して、自分が無くなってしまったことがあり、そこからの回復のイメージから作ったという。その時に友人に連れだされて見た映画『モアナと伝説の海』に励まされてニュージーランドへ渡り、1年放浪したそうで、その映画のテーマが前半ラスト。日本語と英語とマオリ語で歌った、そのマオリ語版が良かった。このヴァージョンが一番言葉とメロディが溶け合っていた。原曲は知らないが、マオリの伝統音楽を使っているのか。

 後半は自作を並べる。その冒頭、自身のギターのみで歌った〈勾玉のワルツ〉がこの日のハイライト。ここでは5年前のリベンジとて、ベリーダンサーがその歌に合わせて踊った。曲、演奏、ダンス、三拍子揃った名曲名演。こういうものが体験できるのがライヴなのだ。あまりに良かったので、これが入っているシングルも買う。

 〈東京ガール〉は海外でのバスキングで日本語で歌っても一番反応が良かったということで、英語ヴァージョン。高橋さんのバンジョーがいい感じ。この日販売されたミニ・アルバムにも収録されていて、こちらでは高橋さんがスティール・ギターも入れてるそうだ。これは日本語の歌の英訳版だが、アンコールは〈We Are The World〉の日本語版。「訳」ではなく、原曲が言わんとしているところを日本語で言おうとしてみて作ったという。もっとも翻訳とはそういうものだ。

 それにしても〈ポラリス〉は名曲だ。

 このメンバーはヒロインの音楽によく似合う。先は見えないが、ぜひまたこの形でライヴをやって欲しい。音倉はたぶん二度目だが、音のバランスも良く、天井が高く見えて、意外に広々している。年末になってこういうライヴを見られたのは嬉しい。終り良ければすべて良し。(ゆ)

詠美衣: vo, guitar
高橋創: guitar, banjo
須貝知世: flute, whistle, low whistle, percussion
熊本比呂志: percussion, chorus

 届きました。柴田元幸=訳、アンディ・アーヴァイン詩集『旅に倦むことなし』ヒマール刊。

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 ヒマールは山口・岩国のカフェ、イベント・スペース、本屋、出版社。

 本の詳細はサイトをご参照。贅肉そぎおとした、瀟洒な本です。歌詞やアンディの解説の翻訳はもちろん、訳註、ディスコグラフィまで充実しています。これ以上は望みようがない。

 当初の販売店は限られるようで、本家サイトでの通販のほか、関東で一番早いのは上野・池之端の古書ほうろうだそうです。下北沢の本屋 B&B でも扱う予定ですが、B&B 自体の引越があるので、新店舗がオープンしてからになる由。

 これからおいおい、レコード店などでも扱うところは増えるでしょうが、まずは本家の通販にどぞ。

 イラストのエイモン・オドハティは、アンディの最初のバンド Sweeney's Men のマネージャーだったそうですが、その後、画家、彫刻家として有名になってます。こういう転身はアイルランド的ですなあ。


 さあ、これを読みながら、あらためてアンディを聴くぞい。(ゆ)

 先日、中川さん@SFUから電話が来て、アンディの詩集が出るんやけど、知っとる? 世間知らずのあたしが知るはずがない。たまたま松井ゆみ子さん@スライゴーからも出るんですよー、とメール。そこについていたサイトを見てみてびっくり仰天。なんとなんと柴田元幸氏の訳ではないか。こりゃ、たいへんだ。

 アンディのレパートリィから21曲、それもオリジナル、トラディショナルほぼ半々。伝統歌を柴田氏がどう料理されているのか、それはそれは気になる。

 いったい、何を収録したのだろう。書名にもなっている Never Tire of the Road は別として、West Coast of Clare はまず確実だろう。Blacksmith も入っているはずだ。Martinmass Time はどうだろう。Viva Zapata、Edward Connors、Curragh of Kildare、Patrick Street、Forgotten Heroes... いや、3月の刊行が楽しみだ。イラストも特別のものらしい。

 刊行が03/20になってるが、センパトには間に合うんだろうか。あたし? もちろん、予約しますよ。10冊くらい買って、あちこち配ろうか。

 いやあ、しかし、アンディの歌やアイルランドの伝統歌を、柴田氏のような人の日本語で読める日が来るとは、まったく思いもよらなかった。柴田氏がやられることになった経緯も知りたいものである。(ゆ)

 グルーベッジの前回のライヴの時、大渕さんが10月7日に次郎吉で自分が主催するライヴをやります、グルーベッジも出ます、というので、何をやるのかよくわからないまま、出かける。行ってみたら、大渕さんの10年来の友人という、アメリカはオレゴン州ポートランドのシンガー・ソング・ライター Kathryn Claire という人の新譜来日ツアーのラストだった。新作《Eastern Bound For Glory》は会場では売られていたが、まだ正式発売前。

 オレゴン州ポートランドときて、はてどこかで聞いた名前だと思っていたら、ハンツ・アラキと数枚、アルバムを共作していた。アルバムはうっかり聞き逃していたが、こうなると、聞かねばならない。

 今回はしかし、アイリッシュやケルト色は無く、いわゆるアメリカーナだ。大渕さん選抜のバックバンドもすばらしく、極上のアメリカーナを生で聴けた。こういう音楽を生で聴けるのは、あたしには貴重でありがたい体験。まずは、大渕さん、ご苦労様でございました。

 前半はグルーベッジ。前回、林正樹氏を迎えてのライヴは、今年最高、のみならず生涯でも最高のライヴの一つだった。今回はカルテットにもどっての、かっちりとバンドとしてまとまった、切れ味抜群の演奏。

 ナベさんはポップだというのだが、あたしにはトンガって、かつシャープ、しかも密度の濃いその音楽はむしろジャズに近く聞える。切れ味という点では、大渕さんのもう一つのバンド、ハモニカクリームズも負けないが、あちらはシャープな側面とルーズな側面の出し入れ、押し引きのバランスが身上だ。グルーベッジにはどこまでも切れ味を研いでいこうとする姿勢がある。ソロの即興にしても、ジャズや前衛音楽を指向して、どこまで切りこめるか、行けるところまで行ってやれと突っこんでゆく。それでいて一触即発の方へは傾かず、アンサンブルとしてのまとまりと絡み合いをさらに緻密にしてゆく。それはたぶん、ナベさんの性格もあるのかもしれない。ドレクスキップも後期になるにつれ、そういうところが現れていた。これをポップだというのなら、シャープなポップと言うべきか。そんなものがありえるとして、それが今回一番端的に現れていたと聞えたのは〈Cloud 9〉。


 キャスリン・クレアはフィドルも弾くそうだが、今回はバックバンド付きのせいか、あるいは大渕さんがいるせいか、本人は弾かず。大渕さんはキーボードに2曲ほどフィドルを弾き、MCもこなす。

 正直、こういうアメリカーナのシンガー・ソング・ライターは、優れた人も星の数ほどいて、誰を聴くかはもう筋をたどるしかない。何かの縁、赤い糸とは言わないが、天の、ないしはミューズの導きで出会うのをたぐるわけだ。キャスリンは日本には子どもの頃、数年滞在したこともある由で、その時通った、在日アメリカ人の子弟が通うアメリカン・スクールでソングライティングのワークショップもやったそうだ。

 キャスリンはシンガーとして一級で、重心の低い声も好み。歌作りとしても、厳しい内容を明るいメロディに載せられる人だ。このあたりがアイリッシュの流れを汲んでいるところ。ハイライトは最新作に入っている〈Dead in the Water〉。ここでの大橋氏のギター・ソロが見事。

 もう一つのハイライトはアンコール。グルーベッジのメンバーも加わっての、ジョン・デンヴァーの、たしか〈悲しみのジェット・プレーン〉という邦題がついていたヒット曲だが、思いきりアップテンポの緊張感漲る演奏が、曲の隠れた良さを展開してくれた。各メンバーにソロも回し、最高のエンディング。

 バックバンドのメンバーは大渕さんが最高と信じるメンバーを集めましたということだが、いずれも一騎当千の強者。とりわけ、ギターは大渕さんが「橙」というユニットを組んでいる相手でもある。あちらはアコースティック・ギターで、むしろ黒子に徹するところがあるが、エレキを持って、大渕さんと丁々発止するところも見たい。

 こういうシンガー・ソング・ライターなら、このバンド・サウンドも最高だが、本人のギターと大渕さんのフィドルだけというのも一度見たかった。キャスリンは結構頻繁に来日しているようだから、将来、そういうチャンスもあることを期待しよう。

 お客には大渕さんの人脈か、大渕さんと同年輩の女性が多いが、キャスリンなら、あたしと同世代の、アメリカーナが好きな爺さんたちも楽しめるはずだ。まずは、会場で買った3枚のCDとハンツとの共作を聴き込むことにしよう。(ゆ)


Kathryn Claire: vocal, guitar
大渕愛子: keyboards, fiddle
大橋大哉: electric guitars
吉川知宏: drums
藤野俊雄: bass


GROOVEDGE
渡辺庸介: percussions
大渕愛子: fiddle
中村大史: guitar
秦コータロー: accordion


Emigrant's Song/the Labourer's Lament
Hanz Araki & Kathryn Claire
Imports
2013-08-13


Bones Will Last
Kathryn Claire
CD Baby
2017-03-24




 このところハモクリは対バンばかり見ている。前回は踊ろうマチルダで、この出会いも喜んだが、今回の古川麦も引き合わせてくれたことに感謝する。

 本人の歌とギターと口笛、ダブル・ベース、それにドラムス。ドラムスはハモクリと同じ田中佑司。この田中氏は tricolor のレコ発の時の田中氏で、繊細で陰翳の細やかなドラマーだ。清野さんに言わせれば「大人のドラムス」。ハモクリでのドラミングが「コドモのドラムス」とは思わないが、フロントを乗せる乗せ方がシンプルでないことは確か。tricolor の時のドラミングとももちろん違って、これまでのところでは一番ジャズに近い。あたしにはとても面白い一面ではある。この人のドラミングはもっといろいろな組合せ、シチュエーションで見てみたい。

 ダブル・ベースの千葉広樹氏も凡百のベーシストではない。もっとも今のところ、「平凡な」ベーシストというのは幸いにして見たことがない。ダブル・ベースを人前で弾こうというほどの人は、誰も彼も一騎当千、一国一城の主だ。千葉氏はソロもとり、アンコールでは田中氏とも渡り合って、むしろこれを煽っていた。

 古川氏はまず英語がうまい。というよりこれはネイティヴの英語だ。発音はアメリカンだが、楽曲は必ずしもアメリカンというわけでもない。どこか、アメリカにはないシャープなところがあって、はじめはカナダかなと思った。後でバイオを見ると、カリフォルニア生まれでオーストラリアで育つとあるのに納得。

 古川氏の英語には日本語ネイティヴの訛が無い。音楽にも日本語ネイティヴがアメリカなどの音楽をやる時の訛が無い。そこがひどくさわやかだ。訛は無い方が常にいいわけではない。あった方が味が出ることもあり、それはケース・バイ・ケースだ。古川氏の場合には、無いことがプラスに出ている。

 それは発声法にも出ていて、最近の若い日本語ネイティヴのうたい手に共通する裏声的な発声ではなく、もっと地声に近く、無理がない。聞いていてストレスを感じない。すなおに耳に、そしてカラダに入ってくる。

 ギターのセンスも面白い。鮮かなフィンガーピッキングを聞かせるかと思うと、コード・ストロークで展開するソロがそれはスリリングだったりする。

 さらに面白かったのは、エフェクタなのだろうか、その場で弾いたり唄ったりしたものを録音してリピートさせ、それに歌やギターをかぶせるということをする。一人で自分の声にハモったりする。あらかじめ録音しておいたものではないらしい。

 そうしたセンスと手法が、なんとも新鮮だ。日本語と英語の往復にも無理がない。両方に軸足を置いている。日本語の世界にも英語の世界にも根を下ろしながら、中途半端でもないし、どちらかに足をとられることもない。ハイブリッドと簡単に片付けられるものでもなさそうだ。そこには人知れぬ本人の努力と苦労があるはずだが、明らかにこれまで日本語の歌の世界には無かった、新鮮な感覚がある。英語がモノマネでもないし借り物でもない。それがそのまま日本語にも通じている。どちらか一方に偏るのではなく、共存している。

 ベースとドラムスの二人も、リズム・セクションというよりは、ユニットとして、古川氏のそうしたスタンスを理解し、共鳴していると聞える。トリオでやることで、陰翳がより深くなり、細部が浮かびあがる。


 ハモクリは半年に1度ぐらいの間隔で見ると、変化がわかっておもしろいでしょう、と終演後に清野さんに言われた。今のハモクリに変化を求めているわけではないが、この日は冒頭にやった新曲がまずみごと。フィドルとハープが別々のメロディを奏でながら、全体として統一されたグルーヴを生んでゆく。これはスリリングだ。

 これまではどちらかといえば、アイリッシュ流のユニゾンで、ハープとフィドルが細かい音の動きをぴたりと一致させてゆく。そのフレーズ、メロディが、ケルトとブルーズの融合した、ハモクリ節とでも呼びたくなるユニークなもので、意表を突く展開がソリッドなグルーヴに乗ってゆくところにスリルがあった。それはこの夜も同じで、おなじみの曲のスリリングなことは変わらないのだが、冒頭の曲に現われた傾向が今後、新たな流れになってゆくとすれば、ハモクリのもう1本の柱になってゆく可能性もあろう。

 もう一つ新鮮だったのは、アンコールの最後、全員にソロを回したときの長尾さんの演奏。これまでもあったかもしれないが、組合せが違うせいか、をを、こういうこともやるのかという意外性を感じた。もっとふつうにああいうコード・ストロークの展開を入れてもいいように思う。というよりも、もっと聞きたい。

 元住吉は別件で何度か降りたことがあるが、いつも駅の周辺か、川沿いに日吉の方へ下っていたので、その向こうにああいう小屋があるとはこれまたいささか意外ではある。チキン・カレーはたいへん美味でござんした。(ゆ)

 ハモクリの対バンの相手として「踊ろうマチルダ」という名前を聞いたときに、すぐピンとこなかったのは、やはりそういう感性が鈍っているからであろう。妙な名乗りだと思いはしたものの、それが〈Waltzing Matilda〉からのものであると連想が働かなかったのは、我ながら、あまりに鈍い。鈍すぎる。最初のギター・インストのフレーズが、明らかにブリテンのトラディショナルのものを敷衍していて、その音階を使っていても、まだ、へーえ、こんなこともやるんだくらいだった。

 がーんと一発やられたのは、3曲めにシーシャンティを唄います、と言ってやおら〈Lowlands Away〉を唄いだしたときだった。しかもアカペラである。本来のビートからはぐんとテンポを落とし、悠々と朗々と唄う。まさか、東京のど真ん中で、こんな本格的なシャンティの歌唱を生で聴けるとは。まったく意識せずに、Lowlands, lowlands away, My Joe と小さく合わせてしまっていた。

 こうしたカヴァーはこれくらいで、ほとんどはオリジナルだが、そのそこここに明らかな「トラッド」の影響が聞える。影響というよりは借用と言ってみたい気もする。〈Lowlands Away〉にも彼の地の伝統へのリスペクトは明らかだが、一方で、そこからは一歩離れて、自由に使っているところも感じられる。音階とかフレーズとか具体的なものよりも、より精神的な、歌つくりの際のアプローチ、態度において、ブリテンやアイルランドのフォーク・ミュージックのそれに倣っていると見える。〈夜明け前〉〈風景画〉〈おとぎ話〉などの曲はいずれも一聴強烈な印象を残す。

 とはいえ、ハイライトはラストの〈化け物が行く〉だった。その声と発音がもともと強力な歌詞をさらに増幅し、聴いていて体のうちが熱くなった。こういう体験は実に久しぶり。かつて辺野古の海岸で見た渋さ知らズやモノノケ・サミット以来だろうか。

 この人はかなり人気があるらしい。少なくともこの日、会場に来ていた半分はかれのファンだった。清野さんが、ハモクリ初めての人と踊ろうマチルダ初めての人と挙手をもとめたとき、それぞれほぼ半分の手が上がっていた。むろんその人気に、かれの楽曲がブリテンやアイルランドの伝統音楽をその土台の一部にしていることはほとんど寄与していないだろう。しかし、こういう音楽を素直に受け入れている人が大勢いるというのは、正直、驚くとともに嬉しくもなる。というのも、かつては、この手の音楽には拒絶が先に立っていたからだ。

 アイリッシュ・ミュージックの隆盛もひとつには与っているかもしれない。この日もアンコールでの共演でかれは〈Laglan Road〉を唄った。一方で、今わが国に行われているアイリッシュ・ミュージックは圧倒的にインストゥルメンタルだ。そして、踊ろうマチルダの音楽はあくまでも歌である。こういう人が現れ、そして受け入れられているのを見るのは、実に嬉しい。あえて欲を言えば、アンコールでは〈Laglan Road〉ではなく、それこそ〈Waltzing Matilda〉を唄ってほしかった。

 ハモクリはブルターニュはロリアンで毎年開かれている Interceltic Festival の国際バンドのコンテストで優勝したそうだ。もっとももうそう言われても驚くほどのことではなくなってしまった。むろん、めでたいこと限りないが、今のハモクリなら、むしろ当然とすら思える。その時にやった曲〈St. Sebastian〉を、トリオでやったのが、個人的にはハイライト。もう一つのハイライトはアンコールの最後。

 それにしても、終演後、出ようとしたら後ろで誰かが、「3人の結束がハンパない」と言っていたが、まさにその通り、完全に一個の有機体になっている。今回の収獲はしかしそれ以上に、ドラムスの田中祐司氏の融合ぶりが一段と深まっていたことだ。これを見てしまうと、かつてのかれはただ叩きまくり煽りまくっていただけとも思えるくらいに、すっかりアンサンブルの一員になっている。ドラムスが入るときにも、全体の一体感がまったく揺るがない。パワフル一方ではなくて、神経も細かく、小技も巧く、こう言っては失礼かもしれないが、すばらしいドラマーであることを改めて認識させられる。

 これはやはり痛烈にカッコいい。ロリアンで優勝したなら、次は Celtic Connections かケンブリッジか WOMAD か。どこへ出ても、悠々と話題をさらうだろう。ベースにアイリッシュやケルトやブルーズがあることはまぎれもないが、ハモクリ・ミュージックとして確立している。次は11/24横浜で「ハモクリ祭」だそうで、そこではさらに鍵盤が加わるそうだ。うーん、残念、その日は別の用事が入ってしまっている。無理矢理動かしてみるか。

 WWW はオール・スタンディングだが、段差がついていて、ステージが見やすい。天井も高く、音響もかなりいい。ただ、入口がひどくわかりにくい。もう一つの入口の別のライヴの関係者に訊ねてようやくわかったくらいだ。その人ももう何人も訊かれたと言っていたから、あたしだけではないのだ。(ゆ)

新しい夜明け
踊ろうマチルダ
BACKPACK RECORDINGS
2017-09-20


ステレオタイプ
ハモニカクリームズ
Pヴァイン・レコード
2018-03-28


あかまつさん
チェルシーズ
DANCING PIG
2013-07-14


 リリースから5年経つ。この5年はグレイトフル・デッドにあれよあれよとのめりこんでいった時期なのだが、一方で、その5年間に聴いた回数からいえば、このアルバムが最も多いだろう。いつも念頭にあるわけではない。しかし、折りに触れて、このタイトルがふいと顔を出すと聴かずにはいられない。聴きだすと、40分もない長さのせいもあり、最後まで聴いてしまう。聴きだすと、他に何があろうと、終るまで聴きとおす。

 これはコンセプト・アルバムとか首尾一貫アルバムというわけではない。各々の曲は自立し、完結している。にもかかわらず、あたしにとって、これは1本のまとまった映画というか長篇というか、いや音楽なのだ。この九つの曲がこの順番で出てくる、この順番で聴くのが快感なのである。そうしてラストのタイトル曲のイントロが聞えてくると、いつも戦慄が背筋を駆けぬける。悦びなのか、哀しみなのか、単なる感動なのか。それはもうどうでもいいことで、気がつけば、あかまつさんのコーラスに力一杯声を合わせている。8回ぐらいのリピートでは短かすぎると思いながら。

 チェルシーズはまりりんとラミ犬のデュオだ。まりりんがピアニカ、トイ・ピアノ、ホィッスルを担当し、ラミ犬がギター、ベース、ウクレレ、フルート。二人とも様々なパーカッションを操り、そしてもちろんうたう。どちらもリードがとれるし、ハーモニーもできる。ここで言えば01, 02, 04, 06, 07, 09 がまりりん、それ以外がラミ犬のリード・ヴォーカル。リードをとらない方はたいてい何らかの形でハーモニーを合わせる。スキャットしたり、コーラスを唄ったり。どちらも遜色はないが、声の性質からか、ラミ犬のリードにまりりんが合わせるハーモニーはよくはまる。

 まずはこの声だ。まりりんの声はいわゆる幼女声でしかもわずかに巻き舌。アニメの声なら天真爛漫な幼児のくせに肝心なところで舞台をさらうキャラクター。一方で、そういうキャラにはよくあるように、妙に成熟したところもある。幼生成熟と言えなくもないかと思ったりもする。その眼は醒めて、人やモノの本質を見抜く存在の声だ。

 ラミ犬の声も年齡不相応に響く。あるいは年齡不詳か。声域は高めでかすかにかすれる。

 二人ともどこから声が出ているのかわからない。どこにも力が入っていない。張りあげることも、高く澄むことも、低く沈みこむことも、まったくない。クルーナーでもないし、囁くスタイルでもない。しかしふにゃふにゃにはならない。明瞭な発音と相俟って、確かな説得力をもって聴く者に浸透する。浸透力は並外れている。ということはまず唄が巧い。そして声には芯が1本通っているのだ。

 この声で湛々と唄われるうたは、シュールリアリスティック(〈バナナの木〉〈つらら〉)だったり、飾りも衒いもないストレートなもの(〈上司想いの部下のうた〉〈あかまつさん〉)だったりする。時に何を唄っているのか、よくわからなかったり(〈ひるねのにおい〉)もする。一聴、わかりやすいと思うが、よく聴いてみると実はもっと深いところまで掘りさげているのではないかと思えたりするもの(〈ぐるぐる〉)もある。夏が来て、秋に移り、そして冬に凍てつくうたもある。いずれにしても一筋縄ではいかないし、何度聴いても面白い。

 歌詞が乗るメロディとリズムも一見あるいは一聴、とりわけ特徴的なものがあるわけではない。いわばごくありきたりなポップス。現代日本語のうたの範疇のうちだ。ありふれた、といえばこれほどありふれたものもない。どちらかというと歌詞が先に出てきて、楽曲はそれに合わせる形で生まれたように聞える。どれもうたわれている詞にどんぴしゃだ。とりわけあたしのお気に入りは〈眠れぬ夜のかたつむり〉。力の抜けたこのアルバムの中でも、飛び抜けて力が抜けている。

 こうしたうたを、二人はほとんどがギターと、せいぜいがピアニカの伴奏だけのシンプルな組立てでうたう。ドラム・キットを使わず、パーカッションをめだたないように、要所をはずさず、アクセントをつけて使う。〈おはよう〉の手拍子。〈眠れぬ夜〉の終り近く「あくびをすると」で入る鉦。すると、楽曲は立体的に立ち上がってくる。シンプルだが一つひとつのディテールが綿密に練りこまれている。聴きこんでゆけばゆくほど、複雑な絡みが聞えてくる。聴くたびに発見がある。つい先日も、〈眠れぬ夜のかたつむり〉の間奏のギターの後ろでカラカラカラと金属の打楽器を鳴らしていることに初めて気がついた。

 唄も巧いが、楽器の技倆も確かだ。とりわけ難しいことをやっているようにもみえないが、シンプルなことをみごとにこなす。〈うろこ雲〉のピアニカ・ソロ。〈つらら〉コーダの口笛。〈上司想いの部下のうた〉のギター。ギターは時に電気も通し、多彩な奏法を聴かせるが、どれも適切的確。派手なことは何もやらないが、相当に巧い部類だ。そして〈あかまつさん〉のイントロのギターはあたしにはひどく郷愁を起こさせる。こういうギターの響きに誘われて、音楽の深みに惹きこまれていったのだ。

 加えてやたらに録音がいい。練りこまれたディテールが隅々まできちんととらえられている。システムの質が上がってくると、そうしたディテールがあらためて姿を現わす。録音がいいことが何回も聴く要因の一つではある。何か新しい機材を手に入れたり、エージングが進んで音が良くなったりしてくると、それで《あかまつさん》を聴いてみたくなる。そして聴きだせば、最後まで聴いてしまう。

 ことさらに録音がいいからと薦められた、いわゆるオーディオファイル向けのリリースには、録音は良いかもしれないが、肝心の音楽がさっぱり面白くないものが多い。そういう中ではミッキー・ハートの《Dafos》やブラジルの Jose Neto の《MOUNTAINS AND THE SEA》は音楽もすばらしく、録音も優秀な例外だが、あたしとしてはむしろ音楽が面白いものがたまたま録音も良いのが理想だ。Lena Willemark & Ale Moller のECM盤や英珠の《Cinema》はその代表だが、《あかまつさん》もそういう音楽録音共に優秀なものの一つではある。最近は《tricolorBIGBAND》やさいとうともこさんのソロなど、音楽も録音もすばらしいものが増えているのは嬉しい。ついでに言えば、アイルランドの録音はだいたいにおいて水準以上だし、ダブリンは Windmill Lane Studio を根城にする Brian Masterson の録音はどれも優秀だ。

 それにしても、タイトル曲にうたわれる人も、数は多くないかもしれないが、どこの集団、場所にも一人はいるはずだ。その皆が皆、あかまつさんのように、少なくとも一人は好んでつきあってくれる相手がいるとは限るまい。むしろ、邪魔者扱いされたり、あるいは差別の対象にされたりすることもあろう。チョコレートの虫ではなく、本物の虫をロッカーに入れられることの方が多そうだ。そしてそれはそのまま、この国の表象にもなる。あかまつさんという名には赤塚の『おそ松くん』の谺も響いているかもしれない。あそこには出てこないこの名前を選んだのだろうか。

 この歌の語り手もまたあかまつさんの同類とされている。そのあかまつさんが急にいなくなる。そのやるせなさ、これからどうすればいいのかという不安が、あかまつさんと繰り返し呼びかけるコーラスに響く。ユーモアにくるんで悲痛な想いを唄うことでかろうじて自分を支える。そのコーラスに声を合わせてしまうのは、これを聴いている自分もまた、あかまつさんであるとわかっているからだ。

 ラミ犬はソウル・フラワー・ユニオンのサポート・サイトを主宰していた。チェルシーズはつい先日、台風直撃の中、10周年記念ライヴを無事やり了せたようだ。まりりんが東京に転居とのことで、ひょっとするとこちらでチェルシーズのライヴを見られるかもしれない。(ゆ)


[Musicians]
まりりん: vocals, pianica, toy piano, tin whistle, percussions
ラミ犬: vocals, guitar, bass, ukulele, flute, pandeiro, percussions

Recorded, Mixed & Mastered by 西沢和弥(のんき楽園

[Tracks]
01. バナナの木 02:47
02. ひるねのにおい 04:24
03. おはよう(また夏が来たみたい) 03:22
04. 眠れぬ夜のかたつむり 06:11
05. うろこ雲 03:01
06. つらら 03:27
07. 上司想いの部下のうた 03:49
08. ぐるぐる 03:37
09. あかまつさん 05:32

 蠣崎氏の 1st アルバム・リリース・パーティーにトシさんたちが出ると聞いて、バックでサポートするのかと思っていたら、またもや違って、共演もあったがそれは例外で、まず峻右衛門が演り、後半、蠣崎氏がやる形だった。優河&ジョンジョンフェスティバルの時も、一緒にやるのだと思いこんでいたのは、あるいは一緒にやって欲しいという願望があたしのどこかに常にあるのかもしれない。

 どちらもライヴは初。峻右衛門は一応録音は聴いていたが、それとはメンバーも異なり、まず別の音楽と見ていいだろう。いずれ劣らぬすばらしい音楽家で、楽しみがまた一つ増えた。

 しかし、こう追いかける対象が増えては、カネも時間も追いつかない。去年は一昨年の反動で連チャンもものかはでライヴに行きまくり、かみさんに呆れられた。さすがに今年は自重して、1週間に1本を原則にしているつもりだが、面白そうなものがあると、どんなものか聴きたくなっていてもたってもたまらなくなる。むろん、全部が全部、無上の体験になるはずもないが、とにかくライヴは行かないことには話にならない。いつかこの次、はあったとしても別ものだ。それに、この次が必ずあるという保証はどこにもない。生きているうちが花なのよ。生きていて、ライヴに行けるうちは、カネと時間の許す限りは行くべしと思ってしまう。

 だから、ライヴの情報は積極的に求めないようにしている。それでなくても、芋蔓式に入ってくる。これもその一つで、トシさんからこんなんありますけど、と言われれば、蠣崎未来という人はどんな歌を唄うのだろうと気になってしかたがなくなる。

 まず声がいい。というより発声のしかたがいい。1曲唄った英語の歌のカヴァーの発音からしても、あるいは海外在住の経験があるのか、日本語ネイティヴの発声というよりは英語などゲルマン語系の発声だ。優河さんにも通じるが、豊かで芯の通った声が滔々とあふれる。声域は低めのようだが、むしろ高く聞える。優河の声がどこまでも膨らみながら満たしてゆくとすれば、蠣崎の声はまっすぐに突き抜けてくる。歌詞が明瞭なのも気持ちがいい。かすかにハスキーでもあって、清潔な色香が漂う。

 加えてギターが巧い。これまた芯の太い、輪郭のはっきりした音だ。ここのPAの効果もあるかもしれないが、それにしても多彩な技もさりげなく遣いこなす。1曲ごとにチューニングを替えてもいる。

 歌詞も内容もさることながら、音の響きを大事にしているようで、こうなるともっと聴いていたくなる。1曲が短いのだ。短かく感じるのだ。この声とギターにずっと浸っていたくなる。

 峻右衛門の児玉峻氏がドブロとコラでサポートしたのもよかった。コラは意表を突く選択にみえてぴったりはまっている。まあ、こういう意表を突く選択は大成功か大失敗のどちらかしかないものではある。

 ラストとアンコールでの峻右衛門との共演を聴くと、これで1枚アルバムを、とあたしなどはすぐ思ってしまう。こういうのは音楽家同志の意気が合うかどうかでうまくゆくかどうかが決まるので、サウンドはどうにでも合わせられるのだろう。蠣崎が峻右衛門とシェアするのはこれが3回目とのことなので、これからもあるだろうし、いずれ全面的な共演にいたるかもしれない。

 峻右衛門は面白い。あたしが聴いた録音ではトシさんと児玉氏のデュオだったが、これに榎本さんのニッケルハルパが加わることで、ぐんと音楽が広がり、深くなった。

 児玉氏はレゾネイターと普通のギターを操る。レゾネイターは表を水平にして弾くものだと思うが、児玉氏は普通のギター同様の持ち方で、左手の薬指にチューブをはめてスライドをする。右手はフィンガーピッキング。だからスライドの音はむしろ少なくなるが、それ以外の音に膨らみが出る。そうすると全体がとぼけた感じになる。

 峻右衛門の音楽の基調はこのとぼけた響きらしい。楽曲も基本的に児玉氏が作っているそうで、あるいは本人の性格かもしれないが、適度にゆるく、とぼけたこの感覚は、これまであまり聴いた覚えがない。グレイトフル・デッドに通じる、とまず思ったが、デッドよりもさらにゆるそうだ。これ以上ゆるくなるとただのBGMになりそうなところで、バランスがうまくとれている。ゆるめるというよりも、やはりとぼけて、半歩ずらしているようでもある。

 作っているところと即興のところが混じっているようにも聞えるが、後でトシさんに訊いたら、かなりきっちり作っているらしい。もっともそれにしては、演奏しながらおたがい確認をとりあってもいる。

 3人のうち一番面白いのはニッケルハルパで、明らかに楽器の想定の外に出ている。榎本さんもそのことを楽しんでいるようだ。楽器の本来の性格をしっかり身につけているからこそできることでもあるだろうし、二つの方向性は音楽の質をより高める方向に相互作用してもいるらしい。

 榎本さんもMCで言っていたように、楽器の組合せもおそらく世界で他には無いだろうが、そこで生まれている音楽もユニークだ。聞き流すには耳を奪われるし、真向から聴こうとすると、ひっぱずされる。中村大史さんのソロ・アルバムにも通じる。ひょっとするとこれは今のわが国の音楽の底流の一つだろうか。デッドの音楽は聞き流そうとすればぼけえっとなれるし、正面から聴こうとすると没入できる。この二つ、ベクトルが異なるようでもあり、一方で一番底のところではつながっているようでもある。

 風知空知はそのデッドのイベントでもお世話になっているが、客として来ても居心地がいい。スタートが早く、蠣崎氏が始まる頃、まだ低くなった太陽の光が射しこんだりもしていて、この時間から飲むビールはまた格別。ベランダから良い風が吹きこんでもくる。ほんとに梅雨入りしたのかね。(ゆ)


路傍の唄
蠣崎未来
Mule Records
2018-05-09


 「始める前に皆さんにぜひ聞いていただきたいお話があります」とアニーがギターのストラップを首に回しながら言う。「2002年5月17日、ここ 440(フォーフォーティ)がオープンしました。16周年、おめでとうございます」。

 その頃、トシさんは最初のバンドで北海道ツアー中。アニーは高校生で三段跳で優勝。じょんは小田急線で通学していて、下北沢にはよく遊びに来ていた。優河は10歳。ドラマを見て、弁護士になる夢を見ていた。

 日記を見たら、当時、わが国を代表する蛇腹奏者米山永一画伯がやはりパブを開いていて、あたしも下北沢には結構通っていたのだった。もっとも、440のある辺りにはほとんど近寄らなかったが。音楽の上では『邦楽ジャーナル』に連載をしていて、伝統邦楽を集中的に聴いていた。だいぶご無沙汰しているが、今どうなっているのだろう。あの頃すでにひどく面白くなっていたから、たぶん、かなり凄いことになっていると想像する。この年の秋、来日したアルタンやポール・ブレディの打ち上げに木津茂理さんが出て、無伴奏で「越後松坂」をうたいだしたら、うるさかった店内が水を打ったように静まりかえり、うたいおさめて大喝采が爆発したこともあった。

 マレードやポールが優河さんのうたう〈シューラ・ルゥ〉を聞いたら、なんと言うだろう。後で訊ねたら、誰かのをお手本ということもなく、YouTube などでいろいろ聴いて自分で組み立てたそうだ。こういうところが凄い。こうなると、それこそ「越後松坂」や、松田美緒さんが発掘した日本語の伝統歌をうたうのを聴いてみたい。あの声で、あの巧さで、うたうのを聴いてみたい。

 むろんその前に彼女はソングライターでもあって、新作《魔法》でも開巻一曲目、昨日も一曲目の〈さざ波〉や、あるいは個人的に大好きな〈手紙〉のようなうたを生で聴けるのは人生の歓びだ。このうたにはジョンジョンフェスティバルがサポートして、ハイライトになる。〈シューラ・ルゥ〉に続けた〈前夜〉も良かった。こちらはアニーが、〈シューラ・ルゥ〉ではアコーディオン、〈前夜〉ではギターで、これまた丁寧なサポートをする。ジョンジョンフェスティバルは笹倉慎介氏ともジョイント録音をしているけれど、優河さんと一枚作ってもいいんじゃないか、いやぜひ作ってほしいと思う。

 優河+ジョンジョンフェスティバルということでは、前半、JJFのステージに1曲参加した〈古い映画の話〉とラスト〈The Water Is Wide〉は別の意味でハイライト。こちらはサポートというよりも一体化している。といって優河さんがJJFのリード・ヴォーカルに収まるわけでもない。各々に自立しながら、溶けあっている。ひとつの理想の姿だ。

 前者では2番でじょんがリードをとり、コーラスは優河、じょん、アニーのハーモニー。これはちょっとこたえられない。このうたはJJFのレパートリィでも古いものだが、こんな風に成長しているのが聴けるのは嬉しい。

 そして、こういう歌伴でのじょんのフィドルの響きが深い。中域から低域へふくらむ響きは、やはり以前から彼女の魅力の一つだったが、さらに磨きがかかってきた。ほとんどヴィオラと言いたいくらいだが、しかしヴィオラのそれとは異なる弾力性がある。この響きは録音ではなかなか捉えられないし、再生も難しい。生の、ライヴでこその味わいだ。

 とはいえ昨夜の収獲は優河さんのソロ、自身のギターだけのうた、さらには上記〈シューラ・ルゥ〉でアカペラを聴けたことだった。ようやく彼女の本質が垣間見えたと思える。飾りの無い、いわばすっぴんのうたは、それだけで宇宙を満たす。中身のぎっしりと詰まった、しかし窮屈なところはカケラも無く、開放感たっぷりに響いてゆくあの声は、それだけで驚異だ。その声に頼らないのが、さらに凄みを増す。

 あれだけの声を持てば、それを存分に響かせるだけで充分舞台をさらえるはずだが、優河さんはそうはしない。というより、その声を意識していない。ただ、うたいたい唄をうたう。そこに人がいて唄うのは、あらゆる音楽のなかで最高でかつ最も稀な現象だ。それをいとも容易に現出する。容易にと見える。いや、やさしいむずかしいの範疇には無いのだ。

 むろん、これが全てなどではない。アルテスの鈴木さんも言っていたように、ポテンシャルの底が見えない。その潜在しているものが十二分に解放されるといったいどんなことが起きるのか。ほとんど畏怖すら感じられて、その場に立会うのを躊躇いたくなりもする。

 とはいうものの、なのである。たとえ秘められたものが完全に解放されなくとも、今、こうしてここに唄ってくれているだけで、聴く者は満たされる。どんなに条件が悪くとも、この人の唄が聴ければ、それだけでいい。そう思えるのも確かだ。

 始まる前は無邪気に優河さんとJJFが一緒にやるのだろうと思っていたが、ことはそう単純ではありえない。前半がJJF、後半が優河、時に両者が一緒にやる。

 JJFのライヴは久しぶりだ。先日のパラシュート・セッションがあるが、あれはやはり特別だ。こうしてあらためて単独で聴くと、その進化がよくわかる。それぞれに楽器と唄の腕が上がっているのにまず感嘆するが、その上でアンサンブルが一層タイトになっている。音量の大小、テンポの緩急のダイナミズムがかれらの身上だが、そのメリハリの付け方が一層細やかに、大きくなっている。アンサンブルがタイトになると大抵は小さくまとまるものだが、そうはならずにむしろ大らかに解放してゆく。真の意味での成熟の領域に入ってきたようにみえる。タイトでおおらか、そうだ、これはグレイトフル・デッドだ。個人とバンドでは潜在性の在り方は異なるだろうが、JJFもむしろ以前よりも、まだまだ見せていない、あるいはバンド自体もまだ気づいていない潜在性を備えてきたように感じられる。

 トリコロールは他のミュージシャンを巻き込み、共演することでその潜在性を解放してみせたが、JJFの場合はそれとはまた別の方向へ向かっているようだ。

 とまれ、ここはお祝いの席、アンコールは〈カントリー・ロード〉で楽しくお別れ。いやあ、いいライヴでした。帰りは夜も更けての人身事故で小田急線が止まり、家に着くまでひどく時間がかかったが、むしろいい音楽の余韻に浸れた。ミュージシャン、スタッフの方々に感謝。そして、440の16周年、おめでとうございます。(ゆ)

魔法
優河
Pヴァイン・レコード
2018-03-02





Forget me not



 このタイトルは大袈裟なようだが、嘘いつわりのない真正直なものだ。聴けばそれがわかる。うたうことのよろこび。うたうことができることのよろこび。アルバムを作ることができるよろこび。こうしてうたをシェアできる、ともに生きることができるよろこび。そのよろこびはほとんど限りない。そして、今、このうたが聴けることを、河村さんがこのアルバムを作ってくれたことを、あたしは限りなくよろこぶ。

 そのよろこびには、しかし、わずかだがやりきれなさも混じる。この声を、このうたを、ソウル・フラワー・ユニオンの中で聴きたかった。

 河村さんがシンガーとして尋常ならざるものを持っていることを初めて知ったのは、5月にキタカラのライヴを見た時だ。その時も思ったことだが、こうして1枚、アルバムを聴いて、そのヴォーカルにじっくりとひたってみると、デッドのように、ユニオンも2枚看板のヴォーカルでやれたのではないかとあらためて思う。デッドほど対等に並び立つのではなくとも、一晩で2、3曲でも河村さんがうたうことで、また別の世界が開けた可能性は大いにあると思う。

 もっとも、あの当時、これだけのうたを河村さんがうたえたかどうか、それはわからない。バンドを離れて以来の体験があって初めてこのうたが可能になったことはありえる。最近ボブ・ウィアのソロ・ライヴ映像を見て感服したが、デッドが現役の時にこんな風にはうたえなかったはずだ。

 まず河村さんの声がいい。張りのあるテナーで、かすかに甘みがある。よりかかったところがない、品の良い甘みだ。こういう甘みは、ロックやポップスのすぐれたシンガーの声には共通している。ヴァン・モリソンやロバート・プラントにもある。対照的に中川さんの声には甘みはない。それはロック・シンガーというよりフォーク・シンガーの声だ。リチャード・マニュエルではなく、ボブ・ディランだ。こういうことはバンドの中だけで聴いているときにはわかりにくい。ソロとしてうたうのを聴くとよくわかる。河村さんの声は人なつこい声でもあって、かすかな巻き舌がその声を、うたを一層親しいものにする。

 そして河村さんはうたがうまい。全部で72分という、CD限界まで詰めこんだこのアルバムの根幹をなすうた、開幕冒頭の〈渚から〉、〈ローリングビーンズワルツ〉、〈フラクタル〉、タイトル曲、ボーナス・トラックを別として掉尾を飾る〈やわらかな時〉といった曲は、どれもスローなバラードというのは、また別の意味がありそうだが、こうしたうたを、悠揚せまらず、歌詞を明瞭に、安定感をもってうたう。スローなうたで、伸ばさない音がきっちりと支えられるのは実に気持がいい。〈青天井のクラウン〉の二度目のコーラスで一部力を抜いてうたうのがたまらない。

 特に美声でもないし、強い印象で迫ってくる声ではないのだが、人なつこい甘みのある声とうたのうまさ、そして、とにかくうたうことが大好きなその様子が相俟って、聴くほどに深みを増し、また聴きたくなる。

 河村さんを入れて57人のミュージシャンが織りなす世界は多彩だ。ロックンロール、ブルーズ、レゲエ、ポップス、そしてスロー・バラード。入念に作りこんだ、シングル・ヒットしない方がおかしいと思える曲もあれば、自身のエレキ・ギターとアコーディオンだけでうたわれる、きらりと光る小品もある。とはいえ全体としては河村さんの作る曲はすぐれたポップスのセンスが筋を通している。そして時に[11]のように思わず迸りでてしまうこともあるが、いつもは慎重に隠されているユーモアの味。こうした感性もSFUを離れてから身につけたのだろうか。これだけ大勢の、それぞれに個性の強い人たちから持ち味を引き出し、その貢献を裁いて、質の高い音楽を組み上げた河村さんのプロデューサーとしての腕も大したものだ。録音が良いのも嬉しい。

 次はキタカラの録音になるだろうか。ここにもその先駆けと聞えるところもある。とはいえ、まずは、このアルバム、シャッフルではなく頭から通して聴ける、そう聴いて楽しいこのアルバムを何度も聴くことになるだろう。(ゆ)


ミュージシャン
河村博司
朝倉真司
Alan Patton
荒谷誠人
Azuma Hitomi
磯部舞子
伊丹英子
伊藤コーキ
伊藤大地
伊藤ヨタロウ
岩原智
うつみようこ
大久保由希
大熊ワタル
太田惠資
大槻さとみ
奥野真哉
オラン
鹿嶋静
勝山サオリ
我那覇美奈
熊谷太輔
熊坂路得子
クラッシー
小平智恵
小山卓治
佐藤五魚
信夫正彦
白崎映美
鈴木正敏
高木克
高木太郎
多田三洋
Tsunta
塚本晃
寺岡信芳
徳田健
中川敬
中田真由美
中村佳穂
ハシケン
はせがわかおり
福岡史朗
福島ビート幹夫
藤原マヒト
本夛マキ
みっち
茂木欣一
森信行
モーリー
矢野敏広
ユキへい
リクオ
ティプシプーカ
桃梨

トラック・リスト
01. 渚から 6:46
02. この雨に濡れながら 5:37
03. 青天井のクラウン 3:12
04. ワルイ夢 3:03
05. ローリングビーンズワルツ 6:36
06. フラクタル 6:17
07. 嵐に揺れて 5:00
08. あのコと部屋とギターと 4:43
09. あなた 3:00
10. 風に乗って 2:34
11. 愛のテーマ 3:36
12. よろこびの歌 6:59
13. ウチウのテーマ 2:05
14. やわらかな時:イントロダクション 0:46
15. やわらかな時 6:13
16. 満月の夕 5:49

Produced by 河村博司
Recorded @ ウチウスタジオ, 2017-06/09
Drums Recorded @ Orpheus Studio 小岩, 2017-06-26
@ Mannish Recording Studio, 2017-06-20, 22 & 07-14
@ Sound Lab Oiseau, 2017-07-19
@ Ginjin Studio,2017-07-26
Mastered by 木村健太郎 @ Kimuken Studio, 2017-09-11


よろこびの歌
河村博司
ウチウレコード
2017


 一番好きなうたはアンコールで出た。〈寝顔みせて〉は、なんとか親になることをかろうじてはたしたあたしのような人間にはなんともたまらない名曲だ。子どもというものはとにかく眠ってくれない。目をつむって、すやすや寝息をたてているのを見て、そおっと、ほんとうにそおっと離れようとする。その瞬間、ぱちっと目を開くのだ。いいかげんにねろおっとどなりつけたそうになったことが、何度あったことか。

 中川さんもそういう気になったことが何度もあったにちがいない。それを、こんな美しいイメージにうたいこめるのは、アーティストとしての才能と精進の賜物だろう。それまでにも歌つくりとしての中川さんのエラいことは十分認めていたつもりだったが、初めてこのうたをデモ録音で聴いたときには、尊敬ととそして感謝の念がふつふつと湧いてきたものだ。

 以来、このうたは何度聴いたかわからないが、考えてみると、生で、ライヴで聴いたのは初めてだった。これを聴けただけでも、出かけてきた甲斐があった。

 会場に入ってまず目についたのは、がらんとしたステージだった。奥の壁際にギターが1本。小さな丸いサイド・テーブルにタオルと水。マイクが1本。譜面台。それだけ。簡素なステージは見慣れているはずだが、なぜか、そのミニマルな佇いがひどく雄弁に見えた。演奏中も照明などは何もしない。単純にアーティストを照らしている。ギターを抱えた人がそこにいて、うたっているだけだ。

 まあ、この人はしゃべりもする。うたっているより、おしゃべりしている時間の方が長いかもしれない。数日前、徳島でのライヴの際、腰を痛め、一時は歩くこともできなかったそうだが、それをネタにして笑いをとる。ギターをかき鳴らしても、声をだしても、腰に響くらしい。もうつらくてつらくて、と言いながら、実際、時おり、腰を伸ばしたりしながら、しかし演奏はそれによって影響があるとも見えない。いや、むしろ、腰にトラブルを抱えていることで、演奏が良くなるという影響があるようにも思える。

 うたい、しゃべり、一部だけで1時間半。「いつ、終るんだろうねえ」と言いながら、腰がたいへんと言いながら、立ったままだ。〈満月の夕〉で長い一部はしめくくり。大震災を体験したわけではないのに、このうたは冷静には聴けない。ユニオンでもモノノケでも、あるいは山口洋さんや河村博司さんでも、ライヴでも何度も聴いているが、どうしても他の曲と同じようには聴けない。ひとりでうたううたい手に、やさほーやと声を合わせてしまう。このうたを、ほんとうに焚火を囲みながら合唱する日の来ないことを祈る一方で、満月を見上げながら、当事者としてこのうたをうたうことへのうらやましさもどこかにある。

 二部で最も痛切に響いたのは〈デイドリーム・ビリーバー〉。モンキーズの忌野清志郎によるカヴァーの、そのまたカヴァーだが、もちろん中川さん自身のうたになっている。清志郎はこのうたを亡くなった二人の母、生みの母と育ての母の二人に捧げているが、中川さんがうたうと、「クイーン」は必ずしも母親とかかぎらなくなる。自分を支えてくれている誰か、自分では意識せず、しかしその人がいなければ「夢を見つづける」ことができない存在ならば、誰でもあてはまる。女性とも限るまい。そういう存在への感謝は、できるうちにしておくべきなのだ。清志郎も、おそらく猛烈な後悔の念にさいなまれ、それを解決するためにこのうたをうたったのではないか。中川さんのうたはそういうところまで響いてくる。

 腰がつらかったと言いながら、アンコールはなんと6曲もやる。〈平和に生きる権利〉からの4曲はカヴァーをほとんど途切れずにやる。ジェリィ・ガルシアと同じく、中川さんもまた、演奏をやめたくないとみえる。なんのかんのと言いながら、楽しそうだ。ソロでやることの楽しさを満喫しているようである。バンドでしかできないことはたくさんあるだろう。たとえばの話、東チモールやパレスチナで演奏できたのも、バンドとしての活動があったからだろう。一方で、ソロは自由だ。ライヴをやるにも、カヴァーをするにも、やろうと思うだけでできる。延々と終らずに演奏しつづけることもできる。まあ、グレイトフル・デッドはバンドとして延々と演奏しつづけたが、やはりあれは例外だ。

 見る方からすれば、ソロではうたの生地が顕わになる。一つひとつのうたのキモが眼の前に置かれて、ああこのうたはこういうことだったのか、と賦におちる。それにはMCも助けになる。〈豊饒なる闇〉の印象的な一行「風に散らない花になりたい」の背後の意味。〈あばよ青春の光〉の「光」とは何をさすのか。それによって、あらためてそのうたがより深くカラダに入ってくる。

 そしてライヴでのハプニング。腰の故障は本人にはたいへんなことだが、客からすれば、そういう状態のアーティストの演奏を聴けることは千載一遇のチャンスだ。トラブルによって演奏が良くなることだけではい、悪くなることもまた、ライヴの愉しみだ。愉しみというと語弊があるかもしれないが、一生に一度の体験はやはり貴重だ。ライヴというのは、いつも必ず素晴しい音楽を体験できる、安心安全なものなどでは無い。何が起きるかわからない。演る方にも、聴く方にも、リスクがある。だからライヴは行く価値がある。

 すべてがうまくいって、この世のものとも思えない体験ができることもある。ライヴに行くときはいつもそれを期待してもいる。中川さんも、バンドではそういうライヴができたことが何度かあり、ソロでもそれを目指していると言う。とはいえ、それはひょっとすると、万全の状態ではできるものではないのかもしれない。どこかに不備を抱え、不足があり、故障があり、それを凌いでやるうちに、なにかの拍子にあらゆるものがかちりとはまる。演る人、聴く人の境界が消え、その場がひとつになる。普通はありえないことが起きる。むしろ、すべてが完璧というときには起きないのかもしれない。

 サムズアップはどこに坐ってもステージとの距離が近いのがいい。デヴィッド・リンドレーとか、トニー・マクマナスとか、あるいは先日のアンディ・アーヴァイン&ドーナル・ラニィとか、ソロやデュオ、せいぜいトリオぐらいまでの、それもアコースティックな音楽をここで聴くのは好きだ。中川さんも半年に一度はここでやっている。これまではめぐりあわせが悪くて、ソロを生で見るのは初めてだったが、これからは最優先で来るようにしよう、と思ったことだった。(ゆ)

 ヴィン・ガーバットが今月6日に亡くなっていました。享年69歳。心臓の僧帽弁を人工のものに交換する手術を受け、手術自体は成功しましたが、人工の弁がうまく作動しなかったらしい。

 マーティン・カーシィやアーチー・フィッシャーや、あるいはディック・ゴーハンが死ぬのはやはりショックではありましょうが、ヴィン・ガーバットが亡くなるのは、あたしにとってはまた格別の哀しみであります。死なれてみるとあらためてそう思います。もちろんそうした人たちの大ファンでもありますし、おそらく全体の業績から言えばカーシィやゴーハンの方がいろいろな意味で大きいでありましょう。しかし、ガーバットはもっとずっと個人的なレベルで親しみを感じていました。一度も会ったこともなく、連絡をとったこともなく、ライヴもついに見られなかったわけですが、それでもかれはどこか遠くにいる人ではなく、いつでもそこにいて、頼めば、人懐こさがそのまま声になったかのように人懐こい声と独特の巻き舌で、味わいふかいうたをいくらでも聴かせてくれる。あたしにとっては上にあげた人たちの誰よりも、ブリテンのフォーク・ミュージック、フォーク・ソング、うたの伝統をいまここに受け継ぎ、うたい続け、つくり続けてくれる近所のおっさんでした。

 50年近いキャリアを経て、ガーバットは英国ではまぎれもないスターの一人で、葬儀には800人が参列して地元の教会はあふれたそうですが、スターらしさというものが欠片もない人でもありました。カーシィにしてもゴーハンにしても、フォーク・ミュージシャンは皆そうですが、その中でもガーバットの「近所のおっさん」度の高さはちょっとない。

 そのうたは、フォーク・ミュージックの伝統をしっかり継いで、虐げられた人びと、踏みつけられた人びとになりかわり、その苦しみ、哀しみ、嘆きをうたうものです。というよりも、自分もその一人であるところからずっとうたっていました。けれどかれのうたは拳を上げて怒ったり、お涙頂戴を誘うものではない。そのかわりにからりとしたユーモアにくるんだり、あるいは冷静なロマンティシズムにのせたりします。聴いていて涙が出るとしても、それは感傷的なものではなく、心の底から湧いてくるわけのわからないものが形をとるのです。そうして笑ったり泣いたりしているうちに、そのうたによって確実に世界はよりよくなったと感じる。そうしてもう一度生きていこうという気になる。

 そしてうたのうまさ。いつだったか、何かの記事にポール・ブレディとタメを張ると書いたことがありますが、依怙贔屓を入れれば、あたしはポールよりうまいとすら思います。ガーバットは出身の北東部イングランドの訛がきつく、また極端な巻き舌で、あたしなどは歌詞を見ながら聴いてもわからないくらいですが、そうしたものを超えてうたの肝を伝えてくる説得力で右に出るものはちょっと無いでしょう。

 1970年代初めにデビューしたうたい手の常として、かれはギターも達者ですが、母親がアイリッシュだったことから手にしたホィッスルも無類に上手い。若い頃は地元のアイリッシュ・コミュニティで腕を磨いたそうですが、この楽器の名手がまだほとんどいなかった頃に、穴のあいたパイプ1本でどれほどのことができるか、そしてまたどれほど楽しい音楽がそこから生まれるか、最初に教えてくれた人でもあります。

 Vincent Paul Garbutt は1947年11月20日にイングランド北東部ティーズ川南岸のミドルズブラに、アイリッシュの母親とイングリッシュの父親に生まれました。ボブ・ディランやクランシー・ブラザーズの影響でうたいはじめ、学校を出ると大陸にバスキングの旅に出ます。おもにスペインで過ごし、1970年代初めに帰郷すると、地元のフォーク・グループに参加しますが、一人でやる方が性に合っていたのでしょう。録音では大所帯のバンドを自在に操ったりもしますが、基本的にソロ・アーティストで通しました。

 スペインにいた頃からうたをつくりはじめていましたが、本格的になったのは帰郷してからで、Graeam Miles や Ron Angel など、地元のうたつくりたちに刺戟を受けました。1972年、ビル・リーダーの Trailer から出したデビュー・アルバム《THE VALLEY OF TEES》はそうした自作と伝承曲が半分ずつで、伝承曲の歌唱もすばらしいものの、タイトル曲をはじめとする自作曲の印象が強烈で、その印象は時が経つにつれて深くなりました。幸いこの自作曲はほとんどが後に《THE VIN GARBUTT SONGBOOK Volume One》として録音しなおされています。


The Vin Garbutt Songbook Vol.1
Vin Garbutt
Home Roots
2003-03-24



 以後、コンスタントにライヴと録音を重ね、独自の世界を築いてきました。最新録音は一昨年の《SYNTHETIC HUES》でこれが16作め。


Synthetic Hues
Vin Garbutt
Imports
2014-12-16



 下のビデオはあちらの死亡記事のいくつかに掲載された2009年8月のもの。うたっているのは《THE VALLEY OF TEES》のタイトル曲。ティー渓谷はかれが愛してやまなかった故郷です。本人の姿はさすがに歳月を経ていますが、うたと声はデビュー録音そのままです。




 昔、松平維秋さんと電話で話していて、ガーバットのあの明るさは貴重だよね、と言われていたのが印象に残っています。カーシィやゴーハンや、クリスティ・ムーアやポール・ブレディや、あるいはシャーリー・コリンズやジューン・テイバーは昏いというのが背景にあっての発言ではありますが、ガーバットの音楽のユニークな魅力を一言で言いあらわしてくれたと感心しました。時間が経つにつれて、その明るさに、めげない精神、辻邦生が「積極的な楽天主義」と呼んだ態度が見えるように感じ、あらためて貴重だと思うようになりました。不撓不屈というよりは、柳のような、がじゅまるの木のような粘り強さでしょう。ますますお先真っ暗な、不安ばかりが増す世界と時代にあって、ガーバットの音楽は、一隅を照らす灯にも見えます。

 さらば、ヴィン・ガーバット。御身の魂の安らかなることを。合掌。(ゆ)

    150人をタダでライヴにご招待、という太っ腹な企画です。

    アルバム最新作は《マップ・オア・ダイレクション》。スルメ盤。

    ジョン・スミスはイングランドのシンガー・ソング・ライター。名前はまことに平凡ですが、それと同じくらい音楽は非凡です。ギターもうまいけれど、かすれた声がそれ以上に良いし、書く曲もわずかにトンガっている、そのトンガりぐあいが良い。亡きジョン・マーティンとリチャード・トンプソンが合体した感じ、というとますます何がなにやらわからんか。
   
    カーラ・ディロンとの共演ライヴはじめ、 YouTube にもいくつかあがってます。
   
    このプレミア・ライヴ以外にもあちこちでインストア・ライヴとかするそうですが、蒲田の教会はサウンド的にも面白そうですね。以前、O'Jizo とジョイントでイベントをやらせていただたところですが、とても響きの良いハコでした。五十嵐さんのおしゃべりもきっと面白いでしょう。(ゆ)

    ジェイムズ・マクマートリィは、名前に「マク」とついてはいるが、アイルランド人でもスコットランド人でもない。アメリカ合州国はテキサス州オースティン出身のシンガー・ソング・ライターである。祖先はアイルランドかスコットランドの出としても、一族はアメリカ人になって久しい。
   
    以下の記事に、アイルランドやスコットランドはまず関係しない。そんな記事に興味はないと言われる向きのために、おことわりしておく。
   
    父親が作家のラリィ・マクマートリィ Larry McMurtry ということは、先に書いておいた方がいいだろう。現役アメリカ人作家で最高の一人、と言われる人だ。西部劇を極めて人気が高く、作品が数多く映像化され、自ら脚本も書く、というと、池波正太郎か。井上靖か。
   
    書物マニアでもあり、学生の頃から稀覯本の発掘、販売の会社をやっていて、後に故郷であるテキサス州の小さな町に、40万冊以上という全米最大の在庫数をもつ古書店を開いてもいる。
   
    息子は7歳の時、その父親からギターをもらい、大学で英文学の教鞭をとる母親から弾き方を教えられた。ミュージシャンの道が本当に資質に合っていたかはわからないが、親とは違う道を歩もうとしたのは、アメリカにあっては生きやすかっただろう。そして、今、われわれは、かれが書きうたううたとギターの形でその報いを受けている。

    1989年27歳でレコード・デビュー、今年までに10枚のオリジナル・アルバム、ベスト・アルバム1枚。ヒットといえるものはない。ヒットを狙っている形跡もない。現行著作権システムは、「創作」へのインセンティヴになるよりも、「表現」の目的を歪める方向に働くほうが多い。ジェイムズはその罠はうまくよけているようにみえる。あるいは父親のやり方をよく見ていたのか。父親のもうひとつの顔である、古本屋のおやじとしてのやり方をよく見ていたのかもしれない。
   
    35歳で発表した4作めのアルバム《IT HAD TO HAPPEN》に収められたこのうたを聞くと、表現をなりわいとする人生についてまわる罠の存在も感知しているらしい。本人はなんとか罠からのがれつづけているにしても、もろにはまってしまった人間の例は、周囲に多くあったのだろう。表現はとり憑いた人間の面倒は見ない。とり憑かれたことに満足すると、人生のあぎとが待っている。

    以下は原詞にはうたわれていない部分を、ぼくなりの解釈で加えた、自由訳だ。


人生の顎(あぎと)
Jaws of life
from James McMurtry《IT HAD TO HAPPEN》

原詞


めったにいないほどけっこうな身分の連中の眼に疑問符がうかぶ
おいおい、いったいどうしたんだ、とでも言いたいらしい
痛いんだよ、辛いんだよ、前はそんなことがなかったところが
あいつらも同じ目にあってるといいんだが
面と向かってそんなことを口にするには、連中、品が良すぎるんだな
決まり文句しか言えないから、腹を割ったつきあいもできない
鏡に映った自分たちのほんとうの姿も怖くて見られない
人生の顎にがっちりくわえこまれたおれたちの姿はまともに見られない

コーラス
気がつけば、人生の顎にくわえこまれて
みんなとおなじように、かみくだかれてる
おれがなにをどう思おうと事情は変わらない
自分は何者だと思っていようと、逃げられはしない
人生のあぎとからは逃げられはしない

あるバーに入っていって、あたりを見まわした
こんなすりきれた連中がこんなに集まってるところなんて見たことがないな
誰かの声が聞こえた、おい坊主、思ってることをなんでも口に出すんじゃない
こっちだってプライドってものがあるんだ
おれたちにも、おまえみたいにいい目を見た時期はあったんだ
そんなものはあっという間に過ぎちまうのさ、おまえもびっくりするぜ
おれたちだって、はじめはみんな若くてこわいもの知らずだった
いまじゃ、おまけみたいな、抜け殻だがな
人生のあぎとにくわえこまれてよ

コーラス

あれからずいぶんたったもんだ
いいこともしたし、ひどいこともやった
なかにはな、後でああなるとわかってたら
絶対やらなかったことをやっちまったこともある
それでもな、まだなんか見えないものがあるんじゃないかと探してるんだ
おれがどうしても欲しいものは、スーパーじゃ売ってないから
むしろ、ジョン・ウェインに騎兵隊つけて送ってくれないか
まだ間に合ううちに、助けにきてくれるといいんだが
この人生のあぎとから救いだしてくれないものか

コーラス

    英国のシンガー・ソング・ライター、ジョン・マーティンが先月29日に亡くなっていました。享年60。『サン』紙の記事では健康不安からの深酒が原因でアイルランドの病院で死去したとされています。BBC のサイトでは死因については特定されていませんが、追悼記事では酒とドラッグからは終生離れられなかったとされています。

    生まれはイングランドですが、父親はスコットランド人で、スコットランドを自らの音楽のルーツとみなしていたようです。キャリアを始めたのはバート・ヤンシュ、ラルフ・マクテルたちと一緒です。その音楽性はより複雑で、バートよりもさらに「ミュージシャンズ・ミュージシャン」の色合いが濃い。

    当ブログはあまり縁がなく、はるか昔にたまたま手に入れた《STORMBRINGER!》はまったくひっかからなかったのですが、昨年末に出た《THE ORIGINAL TRANSATLANTIC SESSIONS》での演奏には感服しました。ダニィ・トンプソンとの共演で、感極まって、曲が終わったとたん、ぴょんぴょん跳びはねて歓んでいた姿に、ミュージシャンとしての純粋さ現われていました。

    「もっと自分をコントロールできていたとしたら、おれの音楽はぜんぜんつまらないものになっていただろう」という本人のことばに、深くうなずくものです。

    とまれ、かれの残した音楽の、末永く聴きつづけられますように。合掌。


    なお、スコットランドのフィドラーに同姓同名の人がいますが、お間違いなきよう。(ゆ)


Thanx! > 水越さん

 パリの植野和子さんからの情報によると、バスクの至宝ミケル・ラボアが今月1日亡くなったとのことです。享年74歳。ここ数年は冬になると体調を崩して入院、暖かくなると退院を繰り返していたそうです。

 Mikel Laboa は1934年生まれ。精神科の医師としてカタルーニャに住んでいた時、カタルーニャ語によってカタルーニャ人の想いをうたにする「ノバ・カンソ(新しいうた)」運動に触れ、バスク語による同様の活動を思いたって帰郷。以後、40年にわたってバスクの音楽シーンを引っぱっていました。

 ブリテンでいえばA・L・ロイド、イワン・マッコール、アイルランドでいえばシェイマス・エニスやショーン・オ・リアダに相当する人といえます。まさに、巨星墜つ。ご冥福をお祈りいたします。合掌。(ゆ)

 本誌今月号の配信は21日の予定です。

 ただ、急に寒くなったため、
編集部の体調如何では、
さらに遅れる可能性もございます。
乞う、ご寛恕。

 皆さまにもご自愛のほどを。


 近頃のマイブームは萩原延寿とレナード・コーエン。
後者は Jennifer Warnes《Famous Blue Raincoat》に20周年記念盤で惚れなおし、
あらためてすごいソングライターと感服。
フェアボートがこの人の歌を好きで、
なんだかんだで3曲もうたっているのは意外。

 前者は『遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄』文庫化で火がつき、
文庫刊行を待ちきれず、
単行本にはまってます。
ただいま、廃藩置県が断行されました。

 エッセイ集『自由の精神』(みすず書房)も抜群のおもしろさ。
歴史の偽装を読みやぶって、
新たな世界を体験させてくれます。
あらためてすごい歴史家と感服。(ゆ)

 午前中、モザイク新譜ライナーの準備続き。

 〈Carrowclare〉の源流エディ・バチャー Eddie Butcher の歌唱が
〈Killyclare〉として《THE VOICE OF THE PEOPLE》Vol.4 に入っていた。
すばらしい歌唱。
Leader 盤と同じ1955年の録音。
確かにアメリカに渡る前に男が結婚を申込み、
めでたく結ばれた2人はいまアメリカにいるというハッピー・エンディング。
このバチャーの歌唱だと、何の違和感もなく、すとんと腑に落ちる。
ラスト2連の歌詞はバチャー自身のペンになるそうで、なかなかの詩人でもある。
この人は1900年デリィ州生れのシンガー。
膨大なレパートリィの持主だったそうで、
レン・グレアムがこれを受けついでいることは、
近刊予定の『聴いて学ぶアイルランド音楽』に詳しい。
VOTP には4曲入っている。

 アンディから返信。
公式サイトのスケジュールによると
明日、明後日とテキサス州オースティンのケルティック・フェスティヴァルに出る。

 なるほど、
このオドノヒューの店ではシー・シャンティが大はやりだったそうな。
アンディがシャンティをうたったのは聞いた覚えがない。
一度聞いてみたいもんだ。

 夜、今日締切の『CDジャーナル』の原稿を書いて送る。
リュイス・リャックのさよなら公演のライヴ。CD3枚組、160分。
最後はアンコールでも収まらない聴衆がとうとう自分たちでうたいだし、
リャックのヒット曲を3曲も大合唱している。
アーティスト冥利に尽きるというものだろう。

 このライヴはあまりにすばらしいので、
パリの植野さんに、これについて好きなだけ書いていいから、
『クラン・コラ』に書いてくれと頼む。
メールしたら、とたんに電話がかかってきて、1時間ぐらい止まらない。

 いまバルセロナを席捲している地中海ミクスチャーとはかけ離れた音楽だが、
これぞカタルーニャの「肝」、カタルーニャのボブ・ディラン、
ただし、かなりシャンソン寄り。
バルセロナはマドリードよりパリにずっと近いのだそうだ。
リャックはフランス語にも不自由しない。
オランピアでのライヴも出ている。(ゆ)

という大阪出身のシンガー・ソング・ライターが東京ツアーをするそうです。

 ラミ犬さんがしつこく言うので聞いてみたら、これあいい! このかすれ声は好きです。なんとCDがアマゾンでも買えます。メールして、郵便局で送金して、という手続きが普通なので、ちょっとびっくり。

 土曜日だけワンマン、他は共演らしい。土曜日は行けないので、あと2日のどちらかに行くつもりなり。


04/21(土)  東京 池尻大橋 CHAD
04/22(日)東京 池ノ上 ボブテイル
04/23(月)東京 渋谷 SPUMA


良元優作ブログ

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