クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ジャズ

 shezoo さんの〈ヨハネ受難曲〉を見るのは2回目。前回は第一部のみで、さらに〈マタイ〉からの曲も交えていた。今回は全曲。編成はミニマムで、これ以上削れないギリギリと思われる。ピアノ、ヴァイオリン、フルート(含むバス・フルート)、チューバ。それにシンガー4人。一部の曲ではピアノ、チューバにヴァオリンまたはフルートのトリオもある。

 〈マタイ〉と同じく、このミニマムの形で見て、聴いてしまうと、通常の形式、オケや合唱団による演奏が聞けない。余計なものがくっついて、水膨れしたように聞えてしまう。極小編成の方が楽曲の本質が顕わになり、直接響いてくる。バッハが聴かせたかったのはまさにこういう音楽だったのだと思えてしまう。

 shezoo さんによれば、原曲にはない音やフレーズを加えてもいるそうだが、この編成でやるためにはむしろ必要な措置だろう。全体として聞えてくるのはまぎれもないバッハの〈ヨハネ〉、それも今ここのために今ここで演奏されている音楽だ。

 4人の器楽奏者は当然各々不可欠の存在だが、あたしとして一番面白いのがチューバの働きだ。基本的にはビートのキープが主な担当だが、メインのメロディを奏でることも少なくない。低音楽器がメロディを奏でるとメロディの性格、美しさが剥出しになるのは、チューバとバス・クラリネットのデュオ Music for Isolation でも経験している。ここではピアノやヴァオリンのサポートでチューバが舞いあがるのが愉しい。これが可能なのもこの編成ならではだろう。ピアノが支えてチューバがメロディを吹く二重奏もすばらしい。チューバの演奏はさぞかしたいへんだろうとは思われたが。

 〈ヨハネ〉ではコーラスがより重要だそうで、四声のハーモニーが詞無しでうたわれる。〈マタイ〉ではコーラスをボーカロイドが担当することで時間短縮するとともに面白い効果を出していた。今回はすべて肉声。全体はコーラスに始まり、コーラスに終る。終った時、本当に終ったのかどうか、はっきりわからなかった。ためらいがちに拍手が起きるまで、少し間があった。

 コーラスを形成する4人の声のハーモニーもまた面白い。というのも4人の声の質が揃っているわけではないからだ。クラシックの合唱隊なら発声法を揃えるよう訓練されるので、個々のうたい手の声の質の違いは吸収できるのだろう。ポピュラーでは声の質が合うメンバーではハーモニーが整い、きれいに聞える。サイモン&ガーファンクルとかクロスビー、スティルス&ナッシュとかマンハタン・トランスファーとかはその例だ。兄弟姉妹によるのも元々声が似ている。いつだったか、日比谷野音の楽屋で、コンサートの後の打上げで、トゥリーナとマイレトのニ・ゴゥナル姉妹が前触れ無しにうたい出したのには、うなじの毛が総毛立った。

 〈マタイ〉と〈マタイ〉のためにshezoo さんが集めた4人のうたい手は、ソロでの歌唱を基準にしていると思われる。だから声の質は揃っていない。発声法も各々独自だ。むろん音としては合っている。この4人はライヴに向けてハーモニーの練習も別に重ねているそうだ。元々一級のうたい手ばかりだから、ハーモニーそのものはぴたりと合っている。

 一方で声の質は合っていない。そこにズレが生まれる。一方の位相で合っていながら、もう片方ではズレている。これがたまらなく面白い。気持ちいい、快いというのとはまた違う。見方を変えれば不安定だ。崩れそうに聞えながら、実際には崩れない。そのスリル。不協和音でもない。合っている音が収斂しない。滑らかに流れない。

 クラシックに馴れてしまっている人は受けつけないかもしれない。しかし、合っていながらズレといる感覚には「今」が共感する。これこそ今を生きる我々のための音楽と思える。そしてそれを生みだしたバッハの音楽を今にあって美しいと思う。時代を超えるとはこういうことだとも思う。

 今回もう一つ特徴的で面白かったのは、歌の前に各々のうたい手が読みあげる日本語のイントロだ。いずれもshezoo さんのオリジナルで、歌の内容からかけ離れた連想のようでもあり、そこはかとなくつながっているようでもある。〈マタイ〉のように、これから歌う歌詞の内容のごく短かい要約、紹介ではないし、ある物語に沿ったものでもない。各々が独立した散文詩にも聞えるし、また全体の一部でもあるようだ。

 朗読のしかたもその時々で変えている。声を張ったり、ささやいたり、いかにも朗読のように読んだり、話しかける会話調になったりする。もっともどういう基準でそうしているのかは、一度見聞しただけではわからい。

 緊張と弛緩が綾なす1時間半ノンストップ。いやあ、堪能しました。願わくはこれをもう一度、いや何度もくり返し聴きたい。ぜひ、何らかの形の録音を出していただきたい。準備はしているそうだから待つといたしましょう。でも、あたしがまだ生きている間、生きて音楽を聞ける状態でいるうちに出してくだされ。(ゆ)

shezoo: piano, 編曲
石川真奈美: vocal
松本泰子: vocal
行川さをり: vocal
Noriko Suzuki: vocal
桑野聖: violin
北沢直子: flute
佐藤桃: tuba

 村井康司さんの「時空を超えるジャズ史」第3回。

 ニューオリンズはジャズが生まれた場所とされている。時代は19世紀末から20世紀初頭、「世紀の変わり目」。もっとも世紀が変わってもそれですべてがころりと変わるわけじゃない。19世紀はまだ続いている。ヨーロッパでは19世紀は第一次世界大戦で終るが、アメリカの19世紀の終りはどこだろう。大恐慌だろうか。アメリカは広いし、戦場にならなかったからヨーロッパのように全部がころりと変わったのではなさそうだ。場所によっては今でも19世紀が続いていそうだ。

 ニューオリンズについてみれば、ジャズを生んだところで19世紀が終るというのはどうだろう。ニューオリンズはジャズを生んだけれども、生まれたジャズは故郷を出て、シカゴやニューヨークへ行く。シカゴやニューヨークへ行くのは、ジャズ自体の要請か、それとも外からの作用か。まあこういうことは往々にしてどちらの要素も働いているものだ。ジャズの場合もおそらく同じだ。そして、そこで性格が変わる。

 ニューオリンズで生まれた時、ジャズは自然発生している。誰かが作ろうとしてできたのではなく、その時までにニューオリンズに流れこみ、またそれ以前に生まれていた様々の音楽のごった煮=ガンボ料理として生まれた。というよりも、この街では様々な音楽が様々に混淆し、交配し、千変万化している、その一つの相がたまたまジャズとして分岐していった、という方がより実相に近いのではないかと思ったりもする。

 Daniel Hardy という人の The Ancestors Of Jazz という本のチャートから村井さんが作ったリストによれば、ブラスバンド音楽、ラグタイム、クラシック、ブルーズ、フランス・スペインの民謡、クレオールの歌・カリブ海音楽、黒人教会音楽・黒人霊歌、アメリカン・フォーク、アメリカン・ポピュラーソングがジャズの元になっている、となる。

 もっともこうした音楽がみな、19世紀末に実態として確立していたというわけでもないし、すべてが均等に混じわったなんてはずもない。これ以外もあったろうし、何やらよくわからないものもあっただろう。なるべく個々のイメージがわくように要素をえり分けてみればこうなるんじゃないか、という提案と見た方が実りは多そうだ。

 とまれ、こうして生まれたジャズは、商売としての成功を求めるとニューオリンズでは収まらなくなり、シカゴやニューヨークへと映る。そこから先は商業音楽として成長する。

 肝心なのはニューオリンズでは自然発生していること。村井さんの話で面白かったのは、ジャズの元祖、最初のジャズ・ミュージシャンと言われるバディ・ボールデンが唯一録音したとされる曲が〈わらの中の七面鳥〉だということ。これはまぎれもなくアイリッシュ、スコティッシュ起源、アパラチアから来ていた曲で、これがジャズのレパートリィだったのは、ジャズが自然発生している傍証まではいかなくても、そう見える根拠の一つにはなるだろうか。

 バディ・ボールデンの録音がない、というのも面白い。19世紀末は録音が始まったばかりで、商業録音は未熟、何を録音して出せば売れるのかもわからない。すでに人気のあったカルーソーやシャリアピンなんて人たちだけでは商売にならない。そこで思いついたのがレイス・レコード。アメリカの各移民集団、イタリア系、アイルランド系、ドイツ系、あるいは黒人等々に向けて、各々のルーツ音楽を録音して出すことだった。アイリッシュ・ミュージックの最も初期の録音もこの類である。最古とされるのは1898年ロンドンでのイリン・パイプの録音だが、アメリカでもニューヨークの公園で路上演奏つまりバスキングしていたアコーディオン奏者をスタジオに引っぱってきて録ったものを出したら、500枚があっという間に完売した、という話がある。

 ミュージシャンが自分でスタジオに入って録音する習慣は、ボールデンの時代にはまだ確立していない。誰かが、あいつは面白いし、売れそうだから録ろうと思わなければ、録音されないのが普通だ。となれば、ボールデンのやっていた音楽は誰も録音に値する、あるいは録音すれば売れそうだとは思わなかったのだろう。

 第一次世界大戦後になると録音が増す。アメリカは第一次世界大戦で金持ちになり、「金ぴか時代」になる。朝鮮戦争、ベトナム戦争で日本にカネが流れこんだのと同じ構図だ。ジャズは金ぴか時代の音楽としてもてはやされる。前回見た『華麗なギャツビー』の大パーティーの BGM は当時のジャズだった。そこからのジャズは商売になる音楽として展開される。

 ニューオリンズに戻って、村井さんの講演の前半は19世紀末から20世紀初頭、ニューオリンズで演奏されていて、ジャズの元になっただろう音楽を想像するための音源を並べる。

 とはいえ、ウィントン・マルサリスによる〈バディ・ボールデンズ・ブルーズ〉なんてのは、マルサリスが巧すぎるし、モダンな展開も入れるから、聴きほれてしまって、とても昔のニューオリンズを想像なんてできない。

 一方で、マルサリスがこうした演奏を YouTube でのみ公開し、CDにしないのも、ボールデン当時のニューオリンズではレコードという概念がまだなく、ライヴしかなかったことへのオマージュであり、再現にも見える。

 ニューオリンズ・ラグタイム・オーケストラの〈Creole Belles〉は、あたしにはとてもラグタイムに聞えないのは、あたしのラグタイム体験が狭すぎるのだろう。

 ジェリー・ロール・モートンの〈Tiger Rag〉の弾き比べは面白いが、これがジャズの元だと言われても、へ?と反応するしかない。

 前半の締めにかかったサッチモの〈Heebie Jeebies〉は、初めてスキャットをうたったので有名な録音だそうで、これは明らかにジャズだ。そしてそこまで聞いてきたニューオリンズの音楽とのそこはかとないつながりも感じられる。ああいうものから出てきたものがこれだと言われても、何となく納得できなくもない。

 あたしにとってニューオリンズ音楽の面白さは後半、第二次世界大戦後のこの街の音楽。かつてこの街が生んだジャズは巣立っていって、まるで別の姿をとる一方、ニューオリンズは独自の音楽を生みだす。それがプロフェッサー・ロングヘアーに始まるもので、ファッツ・ドミノ、アラン・トゥーサン、ドクター・ジョン、ネヴィル・ブラザーズ、トロンボーン・ショーティ、そして今をときめくジョン・バティステまで太く流れている。とりあげられなかったけれど、ダーティ・ダズン・ブラスバンドなどのブラスバンドも、ニューオリンズのものは他とは違う。

 村井さんはケイジャン/ザディコもこの流れの筋に入れているが、あたしのイメージは少し違う。これもニューオリンズでしか生まれえない音楽であることはまぎれもないが、村井さんが提示したニューオリンズ音楽の本流とは別に聞える。本流がジャズとは別の形で商業音楽として展開しているのに対し、ケイジャン/ザディコはコミュニティのための音楽、生活のための音楽、つまりフォーク・ミュージックとして自然発生しているとみえる。ジャズが自然発生して終りではなく、ニューオリンズではその後も様々な音楽が自然発生しているので、ケイジャン/ザディコはその中で最も「成功」したものになる、というのはどうだろう。

 面白かったのは、大ヒットしたという Ernie K-Doe の〈Mother-in-law〉の替え歌を大滝詠一がやっている録音。何にでも口出しして、夫婦のジャマをする口うるさい義母をグチる歌を徹夜の麻雀の話にしたのはジョークとして一流だ。

 それにしても原曲のアレンジは、単に口だけうるさいにおさまらない義母との危うい関係を暗示していると聞えてしかたがない。

 アメリカの街の音楽はニューヨークやボストンのアイリッシュ・ミュージック、シカゴのブルーズやジャズのように、外から持ちこまれたもので、自然発生したものは見当らない。音楽が自然発生するニューオリンズはその点特異だ。

 近いことは1960年代前半サンフランシスコで起きるが、それはまた別の話。

 次は8月10日、ニューオリンズから出ていったジャズがシカゴ、ニューヨークにどう移り、変わりはじめたか、になるらしい。(ゆ)

 村井康司さんによる「いーぐる」での10回連続講演「時空を超えるジャズ史」の第2回。4月の1回目は見逃した。後の8回は行きたいが、全部は行けないか。

 雑食が一番面白いのだよというのは村井さんが日頃くり返していることで、この日の選曲も雑食のお手本。一般的なジャズの範疇に入るのは冒頭のビル・フリゼールとラストのセシル・マクローリン・サルヴァンくらいで、後はアメリカン・フォーク、オールドタイム、ミンストレル・ショーの復元、囚人たちの労働歌、ポップス等々。ジャズだけの歴史を期待してきた人がいたらお気の毒。実際、途中で退席した人も数人。でも、歴史というものはいろんなものが複雑にからみあっているので、何の歴史にしても、それだけの歴史というのは成立しない。もしあるとしたら、それはからみ合っているいろんなものをきり捨てて作ったフェイクでしかない。雑食で見て初めて本来の姿が見えてくる。

 前半はフォスターの曲をいろいろな演奏で聴く。

 フォスターはある世代までは、アメリカでもわが国でもたいへんよく聴かれ、また学校で教えられた。あたしなどもこの日かかった曲は、聞けばあああれねとわかるし、いくつかは歌える。ところが今世紀に入って「政治的正当性」の犠牲になり、人種差別的内容が忌避されて、ほとんど誰も聴かなくなった。フォスターが大好きで何度も録音しているフリゼールは珍しいらしい。とりわけ冒頭にかかった1993年の〈金髪のジェニー〉の演奏はすばらしい。その次の〈ハードタイムス〉は一転してフリゼールはアコースティック・ギターでベテラ・ヘイデンの歌をサポートしていて、まるでフォーク・ソングだ。

 この曲はイングランドでも人気があり、ほとんど伝統歌の扱いで、あたしなどはこの曲の録音を聴くとき、フォスターの作品であることはまるで頭になかった。

 ジェイムズ・テイラーはまともに聴いていないので〈おお、スザンナ〉は新鮮。あらためてこの人、ギター巧いなあ。

 ジム・クェスキンの〈オールド・ブラック・ジョー〉は降霊会のオープニングにふさわしい。これが入っている《アメリカ》も「ブラックホーク」で名盤とされながら、まともに聴いたことがない。聴きたいと必死になっていた頃はレコードが手に入らなかった。このアルバムの録音時にはクェスキンは新興宗教にはまっていた由だが、それにしても一度は聴いておかにゃなるまい。

 話はここでミンストレル・ショーをはじめとする芸能の人種差別要素にうつる。フォスターはまさにミンストレル・ショーのためにたくさんの曲を書き、提供していた。フォスター自身は北部出身で奴隷制にはどちらかといえば否定的な姿勢がうかがわれるそうだが、生まれ育った時空においては人種差別はごくあたりまえにおこなわれていた。というより人種差別はシステムなので、個人では対抗できない。すなわちフォスター個人の問題ではない。フォスターの作品を無かったことにしても、人種差別そのものだったミンストレル・ショーがアメリカの音楽とダンスを核とする芸能、パフォーマンス芸術の基礎になっていることが消えるわけじゃない。白人が顔を黒く塗って演じるミンストレル・ショーのダンスから、『リバーダンス』の〈タップの応酬〉までは一直線につながっている。

 一方で、今、フォスターの曲を人種差別の表現にならないようなコンテクストで演奏するには工夫がいる。フリゼールのようにメロディだけ演ずるのはその工夫の一つではある。しかし、歌はうたわれてナンボだ。歌の土台になっている人種差別を換骨奪胎するような解釈を聴きたいものではある。たとえばの話、ビヨンセが《Cowboy Carter》で聴かせる〈Blackbird〉は「黒歌鳥」についての歌ではない、少なくともそれだけではないと聞える。しかし、逆は難しいか。

 後半はそのフォスターの楽曲のルーツを想像する試み。ここで核になるのはフォスターも含め、アメリカの古い歌にはヨナ抜きがたいへん多いということ。ひとつ言えるのは、19世紀のアメリカにあっては黒白問わずヨナ抜き音階で歌っていたという仮説。

 その仮説をひきだす実例としてハリー・スミスのアンソロジーからの音源や、クラレンス・アシュレィやカロライナ・チョコレート・ドロップス、アビゲイル・ウォッシュバーン、パンチ・ブラザーズなどの音源がかけられる。このあたりはアメリカン・ルーツ・ミュージックを少し身を入れて聴いていればおなじみの人たちで、あたしなどはこう並べて聴かされるとぞくぞくワクワクしてくる。ジャズ・ファンには新鮮だろうか、それとも退屈の一語だろうか。

 あらためて思ったのはパンチ・ブラザーズはブルーグラスではなくオールドタイムだ。一本のマイクを囲んで演奏するのもオールドタイムのスタイルだ。

 ウォッシュバーンがベラ・フレックとやっている〈Railroad〉は〈Pretty Polly〉として知られるバラッド。

 最後に有名なバラッド〈ジョン・ヘンリー〉を3つのヴァージョンで聴き比べたのも面白かった。アラン・ロマックスによる刑務所でのフィールド録音、ハリー・ベラフォンテのカーネギー・ホールのライヴ、そしてセシル・マクローリン・サルヴァン。囚人たちがうたっていた歌を、所もあろうにカーネギー・ホールでうたうというのも凄いが、ベラフォンテの歌唱はそれを当然としてしまう有無を言わさぬものだ。これはもう一個の芸術であり、同時にだからこそ最高のエンタテインメントだ。このアルバムは〈ダニー・ボーイ〉とか、他にも絶唱が詰まっていて、録音も最高、何度もくり返し聴くに値する。そしてサルヴァンのうたには、ひょっとして遠い親戚がロマックスが録音した刑務所にいたんじゃありませんかと訊ねたくならずにはいられない。

 ベラフォンテはギターとベースの伴奏がつく。ベラフォンテのメロディは囚人たちと同じマイナーなヨナ抜きなのに、ギターとベースがメジャーで伴奏するとブルーズに聞えるという村井さんの指摘にはあっと驚いた。ブルーズ誕生のきっかけはこれではないかとい説も最近出されているそうだ。

 こう聴かされると、19世紀には黒も白も皆ヨナ抜きでうたっていたという仮説は説得力を持つ。淵源はスコッチ・アイリッシュを核とした移民たちがもちこんだ伝承歌謡。20世紀になる頃から、黒人と白人の音楽に分離しはじめる。黒人はブルーズに向かい、白人はオールドタイムになる。

 ではどうして19世紀のスコッチ・アイリッシュのうたが淵源になったのか、というのは村井さんのこの連続講演の趣旨からははずれるだろう。

 ぱっと思いつくのは、それ以前の移民たち、イングランドからの人たちにとってうたといえば聖歌ぐらいで、伝承歌のレパートリィはごく小さかったのではないか。こと音楽にかけては、アイルランドの豊饒さは古代からの年季が入っている。音楽が生活の一部の人たちは、体や言語習慣信仰とともに音楽も否応なしにもってくる。この人たちにとって音楽はコミュニケーション手段であり、共同体、コミュニティの暮らしに必要だから、しょっちゅううたっていたはずだ。

 アフリカから拉致されてきた人たちの中にも音楽をもってきた人たちはいたはずだ。しかし奴隷たちはアフリカから「出荷」される時点で、同じ出身地の者が集中しないように、故意にばらばらにされた。だから一人だけうたを知っていても、そのうたを知っている人が周りにいないからうたうチャンスは減るし、その人が死んだり、忘れたりすればうたも消える。伝承も伝播もされない。そこがスコッチ・アイリッシュとは異なる。

 この連続講演を貫くテーマは古い話や音楽と新しい話や音楽をまぜあわせたらどうなるか、という実験だそうだ。次回は今月13日、もう今週末ではないか。テーマは「ジャズの故郷、ニューオリンズ音楽の歴史」。いざ、行かん。(ゆ)

 このところ、積極的に音楽を聴く気にも、本を読もうという気にもなれなかった。日々、暮らしに必要なことやルーチンをこなしながら、茫然と過してしまう。

 というのはやはり能登の地震のショックなのではないか。と思ったのは、このライヴに出かける直前だった。年末にはようやくデッド本が向かうべき方向が見えてきたし、エイドリアン・チャイコフスキーに呼ばれてもいて、よっしゃひとつ読んでやろうやという気分になっていたはずだった。年が明けてしばらくは毎年恒例のことで過ぎる。元旦は近隣の神社、どれも小さく普断は無人の社に初詣してまわる。2日、3日は駅伝で過ぎ、3日、駅伝が終ったところで3年ぶりに大山阿夫利神社へ初詣に行った。そして、4日、5日と経つうちに、どうもやる気が起きない。こりゃあボケが始まったのかという不安も湧いた。それがひょっとすると元旦に大地震というショックの後遺症、PTSD といっては直接の被害者の方々に失礼になろうが、その軽いものに相当するやつではなかろうか、とふと思ったのだった。

 ライヴのことはむろん昨年のうちに知り、即予約をしていて、今年初ライヴがこれになることに興奮もし、楽しみにもしていた。はずだった。それが、いざ、出かけようとすると、腰が重いのである。これという理由もなく行きたくない、というより、さあライヴに行くぞという気分になれない。

 ライヴというのは会場に入ったり、演奏が始まったりするのがスタートなのではない。家を出るときからイベントは始まっている。ライヴに臨む支度をしていく。そういう心構えを作っていく。それがどこかではずれると、昨年末の「ケルティック・クリスマス」のように遅刻なんぞしたりしてしまうと、せっかく作った心構えが崩れて、音楽をすなおに楽しめなくなる。

 しかし、こういう時、なんとなく気が進まないといってそこでやめてしまうと、後々、後悔することになることもこれまでの経験でわかっている。だから、半ば我が身に鞭打って出発したのだった。

 そうしたら案の定である。開演時刻と開場時刻を間違えていて、いつもなら開場前に来て開くのを待っているのが、今回は予約客のほとんどラストだった。危ない危ない。席に座るか座らないかで、ミュージシャンたちが前に出ていった。努めて気を鎮める。

 そうして始まった。いや、始まったのだろうか。shezoo さんも石川さんも、永井さんの方を見つめている。永井さんは床にぺたりと座りこんで、何やらしているようだ。遅く来たために席は一番後ろで、音を聴く分にはまったく問題ないが、永井さんが床の上でしていることは前の人の陰になって見えない。やむなく、時々立ちあがって見ようとしてみる。

 そのうち小さく、静かに音が聞えてきた。はじめは何も聞えなかったのが、ごくかすかに、聞えるか聞えないかになり、そしてはっきりと聞えだした。何か軽く叩いている。いろいろなものを叩いている。その音が少しずつ大きくなる。が、ある大きさで止まっている。すると、石川さんが声を出しはじめた。歌詞はない。スキャットでうたってゆく。しばらく2人だけのからみが続く。一段落したところでピアノがこれまた静かに入ってきた。

 こうして始まった演奏はそれから1時間半以上、止まることがなかった。曲の区切りはわかる。しかし、まったく途切れなしに演奏は続いている。たいていは永井さんが何かを鳴らしている。ピアノが続いていることもある。そうして次の曲、演目に続いてゆく。

 いつものライヴと違うのは曲のつなぎだけではない。エアジンの店内いたるところにモノクロの小さめの写真が展示されている。そして奥の壁、ちょうど永井さんの頭の上の位置にスクリーンが掲げられて、ここにも写真が、こちらはほとんどがカラーで時折りモノクロがまじる写真がスライド・ショー式に写しだされる。このスクリーンを設置するために、永井さんは床に座ったわけだ。各種の楽器も床の上や、ごく低い位置に置かれている。

 写真はいずれも古い木造の校舎。そこで学んだり遊んだりしているこどもたちからして小学校だ。全部ではないが、ほとんどは同じ学校らしい。背景は樹々の繁った山。田植えがすんだばかりの水田の手前の道に2人の男の子が傘をさして立ち、その間、田圃のずっと向こうに校舎が見える写真もある。

 写真は荒谷良一氏が1991年に撮影したものという。それから30年以上経った昨年春、この写真によって開いた写真展を shezoo さんが訪れ、そこでこのコラボレーションを提案した。写真から shezoo さんはある物語を紡ぎ、それに沿って3人各々のオリジナルをはじめとする曲を選んで配列した。それには、川崎洋編になる小学校以下の子どもたちによる詩集『こどもの詩』文春新書から選んだ詩の朗読も含まれる。この詩がまたどれも面白い。そして音楽と朗読に合わせて荒谷氏が写真を選んでスライド・ショーに組立てた。

 後で荒谷氏に伺ったところでは、教科書用の写真を撮るのが仕事だったことから、教科書会社を通じて小学校に頼んで撮らせてもらった。こうした木造校舎は当時すでに最後に残されたもので、どこか壊れたら修理はできなくなっていた。撮影して間もなく、みな建替えられていった。小学校そのものが無くなった例も多い。

 写真展のために作った写真集を撮影した小学校に送ったところ、そこに当時新任教師として写っていた方が校長先生になり、子どもの一人は PTA 会長になっていたそうな。

 shezoo さんが写真から紡いだ物語は、完成した1本のリニアな物語というよりは、いくつもの物語を孕んだ種をばら播いたけしきだ。聴く人が各々にそこから物語を引きだせる。言葉で語ることのできない物語でもある。音楽と写真が織りなす、言葉になれない物語。あるいは物語群。ないしいくつもの物語が交差し、からみあい、時には新たな物語に生まれかわるところ。それでいて、ある一つの物語を語っている。それがどんな物語か、何度も言うが、ことばで説明はできない。聴いて、見て、体験するしかない。幸いに、このライヴはエアジンによって配信もされていて、有料ではあるが、終った後でも見ることができる。あたしがここで縷々説明する必要もない。

 打楽器は実に様々な音を出す。叩くのが基本だが、加えてこする、振る、かき乱す、たて流す、はじく、などなど。対象となる素材もまた様々で、木、革、金属、プラスティック、石、何だかわからないもの。形もサイズもまた様々。今回は大きな音を出さない。前回のライヴでは、時にドラム・キットを叩いて他の2人の音がかき消される場面もあって、その時は正直たまらんと思った。しかし後で思いかえしてみれば、それはそれでひとつの表現であるわけだ。ここでは打楽器が他を圧倒するのだという宣言なのだ。今回、打楽器はむしろ比較的小さな音を出すことを選んだ。ひとつには映像、写真とのコラボレーションという条件を考慮してでのことだろう。また、前回は大きな音を試したから、今回は小さな音でどこまでできるかを試すという意味もあるだろう。とまれ、この選択はみごとにうまく働き、コラボレーションの音楽の側の土台をがっしりと据えていた。曲をつないだのはその一つの側面だが、途切れがまったく無いことによる緊張の高まりをほぐすのが大きかった。永井さんの演奏にはユーモアがあるからだ。

 石川さんも shezoo さんもユーモアのセンスには事欠かないが、ふたりともどちらかというと、あまり表に出さない。隠し味として入れる方だ。永井さんのユーモアはより外向的だ。演奏にあらわれる。そして器が大きい。他の2人のやることをやわらかく受けとめ、ふさわしく返す。

 石川さんはスキャットで始める。歌詞が出たのは4曲目〈Mother Sea〉、「海はひろいな〜、おおきいな〜」というあの歌の英語版である。当初、このメロディはよく知ってるが、なんの歌だっけ、と思ったくらい意表を突かれた。

 とはいえ、詞よりもスキャットをはじめ、これも様々な音、声を使った即興の方に耳が引っぱられる。詞が耳に入ってきたのは、後半も立原道造の詩に shezoo さんが曲をつけた〈薄明〉。絶唱といいたくなる、ここから演奏のギアが変わった。その次、小学校3年生の詩「ひく」に続いて打楽器が炸裂する。次のカール・オルフ〈In Trutina〉がまた絶唱。テンションそのまま〈雨が見ていた景色〉と今度は5年生の詩「青い鳥へ」を経て、〈からたちの花〉の「まろいまろい」の「い」を伸ばす声に天国に運ばれる。しめくくる shezoo さんの〈両手いっぱいの風景〉は、まさに今、ひとつの物語をくぐりぬけてきた、体験してきたことを打ちこんでくる。もう一度言うが、どんな話だと訊かれても、ことばでは答えられない物語。そして、打楽器が冒頭の、今日の演奏を始めた低いビートにもどる。ゆっくりとゆっくりとそれが小さくなり、消えてゆく。

 渡されたプログラムでは、いくつかの曲と詩がひとまとまりにされていて、どこかで休憩が入るものと思いこんでいたから、まったく途切れもなく続いてゆくのに一度は戸惑った。それが続いてゆくのにどんどん引きこまれ、気がつくと今いる時空は、音楽が途切れなく続くことによって現れたものだった。

 語りおえられたことが明らかになって夢中で喝采しながら、生まれかわった気分になっていた。そして、ここへ来るまで胸をふさいでいたものが晴れているのを感じた。それが能登の地震によるショックだったとようやくわかったのである。やはり人間に音楽は必要なのだ。

 今回はそれに木造校舎で学び遊ぶ子どもたちの姿が加わった。その姿はすでに失われて久しい。二度ともどることもない。それでも写真は記憶、というよりは記憶を呼びおこす触媒として作用する。そこで呼びおこされる記憶は必ずしも見る人が実際に体験したものの記憶とは限らない。木造校舎は地球からの贈り物の一つだからだ。映像と音楽の共鳴によって物語による浄化と再生の力は自乗されていた。

 関東大震災の夜、バスキングに出た添田唖蝉坊の一行は人びとに熱狂的に迎えられた。阪神淡路大震災の際、避難所でソウル・フラワー・モノノケ・サミットが演奏した時、人びとはそれまで忘れようとしていた、抑えつけていた涙を心おきなく流した。

 音楽はパンではない。しかし、人はパンのみにて生きられるものでもない。音楽は人が人であるために必要なのだ。このすばらしいライヴで今年を始められたことは、期せずして救われることにもなった。shinono-me、荒谷良一氏、そして会場のエアジンに心から感謝。(ゆ)

shinono-me
石川真奈美: vocal
永井朋生: percussion
shezoo: piano

荒谷良一: photography, slide show



 今年の録音のベストは『ラティーナ』のオンライン版に書いたので、そちらを参照されたい。

 今年最後の記事は、今年見て聴いたライヴのうち、死ぬまで忘れえぬであろうと思われるものを挙げる。先頭は日付。これらのほとんどについては当ブログで書いているので、そちらをご参照のほどを。ブログを書きそこねた3本のみ、コメントを添えた。

 チケットを買っておいたのに、風邪をひいたとか、急な用件とかで行けなくなったものもいくつかあった。この年になると、しっかり条件を整えてライヴに行くのもなかなかたいへんだ。


01-07, マタイ受難曲 2023 @ ハクジュ・ホール、富ケ谷
 shezoo さんの《マタイ》の二度目。物語を書き換え、エバンゲリストを一人増やす。他はほぼ2021年の初演と同じ。

 どうもこれは冷静に見聞できない。いつものライヴとはどこか違ってしまう。どこがどう違うというのが言葉にできないが、バッハをこの編成で、非クラシックとしてやることに構えてしまうのか。いい音楽を聴いた、すばらしい体験をした、だけではすまないところがある。「事件」になってしまう。次があれば、そしてあることを期待するが、もう少し平常心で臨めるのではないかと思う。





05-03, ジョヴァンニ・ソッリマ、ソロ・コンサート @ フィリアホール、青葉台
 イタリアの特異なチェロ奏者。元はクラシック畑の人だが、クラシックでは考えられないことを平然としてしまう。この日も前半はバッハの無伴奏組曲のすばらしい演奏だが、後半はチェロで遊びまくる。もてあそばれるチェロがかわいそうになるくらいだ。演奏の途中でいきなり立ちあがり、楽器を抱え、弾きながらステージを大きく歩きまわる。かれにとっては、そうしたパフォーマンスもバッハもまったく同列らしい。招聘元のプランクトンの川島さんによると、本人曰く、おとなしくクラシックを演っていると退屈してくるのだそうだ。世には実験とか前衛とかフリーとか称する音楽があるが、この破天荒なチェロこそは、真の意味で最前衛であり、どんなものにも束縛されない自由な音楽であり、失敗を恐れることなどどこかに忘れた実験だ。音楽のもっているポテンシャルをチェロを媒介にしてとことんつき詰め、解放してゆく。と書くと矛盾しているように見えるが、ソッリマにあっては対極的なベクトルが同時に同居する。そうせずにはいられない熱いものが、その中に滾っている。感動というよりも、身も心も洗われて生まれかわったようにさわやかな気持ちになった。









09-18, 行川さをり+shezoo @ エアジン、横浜
 恒例 shezoo さんの「七つの月」。7人の詩人のうたを7人のうたい手に歌ってもらう企画の第5夜「月と水」。

 行川さんの声にはshezoo版《マタイ受難曲》でやられた。《マタイ》のシンガーの一人としてその声を聴いたとたんに、この声をいつまでも聴いていたいと思ってしまった。《マタイ》初演の時のシンガーの半分は他でも見聞していて、半分は初体験だった。行川さんは初体験組の一人だった。初演の初日のあたしの席はステージ向って右側のかなり前の方で、そこからでは左から2番めの位置でうたう行川さんの姿は見えるけれども顔などはまるで見えなかった。だから、いきなり声だけが聞えてきた。

 声にみっしりと「実」が詰まっている。実体感がある。振動ではなく、実在するものがやってくる。同時によく響く。実体のあるものが薄まらずにどんどんふくらんでゆく。行川さんの実体のある声があたしの中の一番のツボにまっすぐにぶつかってくる。以来、shezoo版《マタイ》ときくと、行川さんのあの声を聴けることが、まず何よりの愉しみになった。

 《マタイ》や《ヨハネ》をうたう時の行川さんの比類なく充実した声にあたしは中毒しているが、それはやはり多様な位相の一つでしかない。というのは「砂漠の狐」と名づけられたユニット、shezoo さんと行川さんにサックスの田中邦和氏が加わったトリオのライヴで思い知らされたし、今回、あらためて確認させられた。

 行川さんの声そのものはみっしり実が詰まっているのだが、輪郭は明瞭ではない。器楽の背景にくっきりと輪郭がたちあがるのではない。背景の色に声の色が重なる。それも鮮かな原色がべったりと塗られるのではない。中心ははっきりしているが、縁に向うにつれて透明感が増す。声と背景の境界は線ではなくグラデーションになる。一方でぼやけることはない。声は声として明瞭だが、境界はやわらかくゆらぐ。やわらかい音の言葉はもちろんだが、あ行、か行、た行のような強い音でもふわりとやわらかく発せられる。発声はやわらかいが、その後がよく響く。あの充実感は倍音の重なりだろうか、響きのよさの現れでもあると思われる。余分な力がどこにも入っていないやわらかさといっばいに詰まった響きが低い声域でふくらんでくると、ただただひれ伏してしまう。

 やわらかさと充実感の組合せは粘りも生む。小さな声にその粘りがよく感じられる。そもそも力一杯うたいあげることをしない。力をこめることがない。声は適度の粘りを備えて、するりと流れだしてくる。その声を自在に操り、時には喉をふるわせ、あるいはアラビア語風のインプロを混ぜる。

 shezoo さんの即興は時にかなりアグレッシヴになることがあるが、この柔かくも実のしまった声が相手のせいか、この日は終始ビートが明瞭で、必要以上に激さない。行川さんによって新たな側面が引きだされたようでもある。

 行川さんにはギターの前原孝紀氏と2人で作った《もし、あなたの人生に入ることができるなら》という傑作があるが、shezoo さんとのデュオでもぜひレコードを作ってほしい。





12-17, アウラ、クリスマス・コンサート @ ハクジュ・ホール、富ケ谷


 来年がどうなるか、あいかわらずお先真暗であるが、だからこそ生きる価値がある。Apple Japan合同会社社長・秋間亮氏の言葉を掲げておこう。

「5年後のことを計画する必要はない。自分がいま何に興味を持ち、何に意欲を燃やしているかに集中すればいい」

 おたがい、来年が実り多い年になりますように。(ゆ)

 この週はたまたま連日外出するスケジュールになってしまい、少しは休もうと思って当初予定には入れていなかったのだが、shezoo さんからわざわざ、リハーサルがすごく良かったから聴いてくれと誘われてはことわれない。1週間まるまる連日出かけるというのもたまにはしないとカラダがなまる。そうして、やはり聴きにでかけた甲斐は十分以上であった。それにしても shezoo さんが自分でやりたくてやっているライヴで、失敗したということがあるのだろうか。

 そういうライヴの出来は相手を選ぶところで半分以上は決まるだろう。適切な相手を見つけられれば、そしてその相手と意気投合できれば、いや、というのは同語反復だ。意気投合できれば適切な相手となる道理だ。shezoo さんが見つけてくる相手というのが、また誰も彼も面白い。今回の赤木りえさんも、あたしと同世代の大ベテランだが、あたしはまったくの初見参。このライヴがあまりに良かったので、後追いでアルバムも聴いてみて、なるほどこれならと納得した。ラテンが基本らしいが、そこを土台に四方に食指を伸ばしている。最新作《魔法の国のフルート》の〈エリザベス・リードの記憶〉、〈シルトス〉から〈ミザルー〉の流れには感心してしまう。まず語彙が豊富だ。その豊富な語彙の使い方、組合せが面白い。グレイトフル・デッドもそうだが、初めて聴いて驚き、さらにくり返し聴いてその度に新鮮に聞える即興をこの人はできる。だから聴きなれた曲がまったく新たな様相を見せる。

魔法の国の魔法のフルート
赤木りえ
CREOLE MOON
2020-06-01

 

 生で聴く赤木さんのフルートの音は軽々としている。飛ぶ蝶の軽みをまとう。蝶が飛んでいるところを見ると、意外にたくましい。たくましく、軽々と、そしてかなりのスピードで飛んでいる。楽に飛んでいる。これが蝉とかカナブンだと、もう必死で飛んでいる。次に留まるところへ向けて、とにかく落ちないように羽を動かしつづけている。蝿、虻、蜂の類も飛ぶのは得意だが、飛んでいるよりも、空中を移動していると見える。蝶やそして燕は飛ぶことそのものを楽しんでいる風情で、気まぐれのようにいきなり方向転換をしたりもする。赤木さんのフルートも軽々とした音の運びを愉しみ、思いもかけない方へ転換する。細かい音を連ねた速いパッセージでも、ゆったりと延ばした音でも、軽みは変わらない。

 俳諧にも似たその軽みが一番よく出たのは後半冒頭の〈浜千鳥> おぼろ月夜〉のメドレー。直接に関係はないけれど、蕪村がおぼろ月夜に遊んでいるけしきが浮かんでくる。

 続く〈枯野〉では、ほとんど尺八の響きを出す。と思えば能管に聞えたりもする。そういう楽器でよく使われるフレーズだろうか、音色のエミュレーションだろうか。

 フルートにつられたか、ピアノの音まで軽くなったのが、その次の〈Mother Love〉で、shezoo さんのピアノは必ずしも重いわけではないが、この曲ではずいぶん軽く聞える。ここのちょっと特殊なピアノのせいもあるだろうか。この楽器は弾きやすくないそうだけれども、shezoo さんはそれにふさわしい、そこから他には無い響きをひき出す術を編みだしているのかもしれない。

 次の〈コウモリと妖精の舞う夜〉は曲そのものの浮遊感がさらに増幅される。ここでもフルートが尺八になったり能管になったり、なんだかわからないものにもなる。透明な庭ではリード楽器がアコーディオンのせいか、もっと粘りのある演奏になる。フルートの音はむしろ切れ味がよく、赤木さんのフルートはさらに湿っていない。蝶の翼は濡れては飛べまい。

 入りの3曲はクラシックの名曲選で、何も知らないあたしは赤木りえという人はこういう人で、今日はこういう路線でいくのかと思ってしまった。もっともただのきれいなクラシックではないことはすぐにわかるので、ところどころジャズの風味を散らしたこういう演奏も悪くはないねえ、と思っていると、同じクラシックでもやはりバッハは違うのである。クラシックの人がやるとグルックもフォーレもバッハもみんなおんなじに聞えるが、クラシックの基準に収まらないスタイルで演奏されると、違いがよくわかる。ビートルズと同じで、バッハは指定とは異なる、どんな編成のどんなアプローチで演っても曲本来のもつ美しさ、魅力がよくわかる。バッハとモーツァルトの一部を除いて、クラシックの作曲家の曲はクラシック以外の編成、スタイルでやってもなかなか面白くならない。ヘンデルの《メサイア》をクィンシー・ジョーンズがゴスペル調のミュージカル仕立てにしたのは例外だし、そもそもあれは換骨奪胎だ。バッハは編成だけ変えて、曲はまったく指定通りに演奏して面白く聴ける。

 冒頭3曲に続いた〈マタイ〉からの〈アウスリーベン〉は、あたしがこの曲をとりわけ好むこともあるのだろうが、この曲の最高の演奏の一つだった。これだけでももう一度聴きたい。聴きたいが、むろん、聴けない。半分は即興だからだ。これはshezoo版〈マタイ〉にも入らないだろう。フルートとピアノの二つだけで、ここまでできるのだ。たぶんデュオだからだ。何かが、たとえばパーカッションでも、もう1人入ったらこういう柔軟さは出ないじゃないか。まあ、それはそれでまた別の面白いものができるではあろうが、でも、この二人の対話の変幻自在なやりとりには魔法がある。

 続く〈Moons〉がまた良い。フルートの音が軽々と月の周りを舞い、二つの月の間を飛びうつる。この曲には演奏されるたびに名演を生む魔法が宿る。

 アンコールはグノーの〈アヴェ・マリア〉。バッハの〈平均律〉第一番がベースのシンプルな曲。シンプルな曲をシンプルにやって心に染みいらせる。

 笛類の音が好きだ、ということに、最近になって気がついたこともあって、この組合せは嬉しい。ぜひぜひどんどん演っていただきたい。聴きにゆくぞ。録音も欲しいな。(ゆ)

 新興の版元カンパニー社から『新版 ECM の真実』が出て、その記念のイベントがあり、著者の稲岡邦彌氏とバラカンさんが出るというので、行ってみた。なかなかに面白い。

 あたしにとって ECM とは、ジャズ的に面白くルーツ・ミュージックを料理した音楽を聴かせてくれるレーベル、である。だから、そこから一枚選ぶとすれば、Anouar Brahem, Barzakh, 1990 になる。 これであたしは ECM を「発見」するからだ。つまり、そこからの新譜をチェックする対象のひとつに ECM が入ったわけだ。

Barzakh
Brahem, Anouar
Ecm Records
2000-04-11



 なので昨日のイベントでバラカンさんが選んだ一枚としてブラヒムの Thimar からかかったのは、我が意を得たりというところだった。バラカンさんは、リスナーからずばりと当てられて、がっくりされてたけれど。

Thimar
Brahem, Anouar
Ecm Records
2000-01-25

 

 ブラヒムに続いて、1994年、Lena Willemark & Ale Moller の Nordan が登場し、ますます ECM は身近になった。これ以後、Agram, 1996, Frifot, 1999 と続く。Nordan、Agram はそれぞれに北国の冬と夏を描いて、かれらのアルバムとしてもピークとなったし、およそヨーロッパのルーツ・ミュージックでくくられる音楽の録音としてもベストに数えられるものではある。

Nordan
ECM Records
1994-09-19



Agram
ECM Records
1996-09-16




Frifot
ECM Records
2017-08-01


 実を言えばノルウェイの Agnes Buen Garnas がヤン・ガルバレクと作った Rosensfole が1989年に出ているのだが、これは後追いだった。ガルバレクは1993年の Twelve Moon でもガルナスと、サーミ出身のマリ・ボイネを起用する。

Rosensfole
Garbarek, Jan
Ecm Import
2000-08-01

 
トウェルヴ・ムーン
ヤン・ガルバレク・グループ
ユニバーサル ミュージック クラシック
2004-02-21



 北欧勢では Groupa の Mats Eden の MILVUS が1999年。

Milvus
Mats Eden
Ecm Import
2008-11-18



 Terje Rypdal がいるじゃないかという向きもあろうが、あたしから見るとかれはジャズの人で、ルーツ=フォーク・ミュージックの人ではない。ガルバレクも同じ。もともとルーツ=フォークをやっていた人の録音が ECM から出るのが面白いのである。

 Jon Balke を知るのはもう少し後で、Amina Alaoui の入った2009年の Siwan からだ。知ってからはバルケの Siwan は追っかけの対象である。

Siwan (Ocrd)
Balke, Jon
Ecm Records
2009-06-30


 アミナにはもう一枚 Arco Iris もある。

Arco Iris
Alaoui Ensemble, Amina
Ecm Records
2011-06-28


 
 さらにフィンランド ノルウェイの Sinikka Langeland が2007年の Starflowers から ECM で出しはじめる。

Starflowers (Ocrd)
Langeland, Sinikka
Ecm Records
2007-08-21



 フィンランドでは Markku Ounaskari, Samuli Mikkonen, Per Jorgensen の Kuara が2010年。

KUARA-PSALMS & FOLK SO
OUNASKARI, MARKKU
ECM
2018-10-05



 この流れでの最新作は先日出た Anders Jormin, Lena Willemark, Karin Nakagawa, Jon Falt による Pasado En Claro, ECM2761だ。2015年 Trees Of Light 以来のこのユニットの新作。

Pasado En Claro
Anders Jormin
Ecm Records
2023-03-03



Trees of Light
Lena Wille
Ecm Records
2015-05-26



 南に目を転じると Savina Yannatou の TERRA NOSTRA が2003年だが、これは2001年のギリシャ盤の再発で、ECMオリジナルは2008年の Songs Of An Other から。あたしなんぞは ECM で TERRA NOSTRA を知った口だから、この再発はもちろんありがたい。

Songs of an Other (Ocrd)
Yannatou, Savina
Ecm Records
2008-09-09

 

 同じギリシャから Charles Lloyd & Maria Farantouri の Athens Concert が2011年。

アテネ・コンサート
マリア・ファランドゥーリ
ユニバーサル ミュージック クラシック
2011-09-07



 サルディニアの Paolo Fresu, A Filetta & Daniele di Bonaventura の Mistico Mediterraneo も2011年。

Mistico Mediterraneo
Fresu, Paolo
Ecm Records
2011-02-22



 アルバニアの Elina Duni のカルテット名義の MATANE MALIT: Beyond The Mountain が2012年。

Matane Malit
Duni, Elina -Quartet-
Ecm Records
2012-10-16



 イラン系ドイツ人の Cymin Samawatie & Cyminology, As Ney が2009年。

As Ney (Ocrd)
Cyminology
Ecm Records
2009-03-09



 こういう人たちは ECM で教えられたので、まったく ECM様々である。

 という具合ではあるが、それにしても、June Tabor, Iain Bellamy & Huw Warren, QUERCUS が2013年に出たときは驚いた。

Quercus
Quercus
Ecm Records
2013-06-04



 が、それよりもっと驚いたのは Robin Williamson が2002年に Skirting The River Road を出していたのを後から知った時だった。ウィリアムスンはさらに2006年 The Iron Stone、2014年 Trusting In The Rising Light と出している。ウィリアムスンはたぶん ECM の全カタログの中でも珍品と言っていいんじゃなかろうか。このあたり、ECM 中でも「メインストリーム」のリスナーはどう評価するのだろう。その前に、アイヒャーがこういう音楽のどこに価値を見出したのか、訊いてみたくなる。いや、文句をつけてるわけじゃない。ただ、ウィリアムスンのこういう音楽は、聴くのがつらくないといえば嘘になる。ウィリアムスンはハーパーとしてすばらしいアルバムもあるし、アメリカで出した Merry Band とのアルバムは好きだ。が、インクレディブル・ストリング・バンドがあたしはどうしてもわからないのである。ECM での音楽は、かつて ISB でやろうとしてできなかったことを、思う存分、やりたい放題にやったように聞えて、そこがつらい。ISB が大好きという人もいるわけだから、聴く価値がないなどとは言わないが、なんとも居心地がよくないのだ。

Skirting the River Road
Williamson, Robin
Ecm Import
2003-08-12

 
American Stonehenge
Robin Williamson
Criminal
1978T


 あたしにとってこういう音楽を聴かせてくれるのが ECM である。そりゃ、キース・ジャレットは聴きますよ。ラルフ・タウナーも好きだ。パット・メセーニ(ほんとは「メシーニー」が近い)、それにもちろんガルバレク、リピダルはじめ北欧のジャズの人たちもいい。ECM としてはこのあたりが主流になるんだろうけど、ただ、それはあたしにとってはサイド・ディッシュなのである。というよりデザートかもしれない。スイーツという味わいではないけれど、あたしの中の位置としてはそれが一番近い。

 上に挙げたようなルーツ系の ECM は一方で、ここでしか聴けない音楽、各々のミュージシャンの、他ではなかなかに聴けない音楽を聴かせてくれる。ふだん出すようなレコードとはまったく違うアプローチの音楽だ。中にはヴィッレマルク&メッレルのように、ベストと言いきってもいいようなものすらある。ルーツ系 ECM のレコードは、主食としてもたいそう美味しく、そして珍しい味なのだ。

 昨日のイベントでは、このあたりの話も出るかなとほのかに期待していたが、そこまで行かなかった。『新版 ECM の真実』でも、1990年代から顕著になるこのあたりの動きは、あっさり飛ばされている。ECM のファンでも ECM をジャズのレーベルと認識している大半の人にとっては、ワケわからん世界なのだろう。ウィリアムスンのように、あたしでさえワケわからんものすらあるので、無理もないといえば無理もない。ただ、ヨーロッパの伝統音楽のファンは聴かない手はない。北欧しか聴きませんという向きも、ECM の北欧系ルーツ・ミュージックは聴く価値がある。

 稲岡氏の話でまず面白かったのは、ECM が当初クラシックのリスナーを購買層に想定していたというところ。わが国でジャズのリスナーとクラシックのリスナーの数を比べれば1対10ぐらいだろう。ヨーロッパではこの差は何倍にもなる。アイヒャーがめざしたのは、ジャズのミュージシャンを起用するが、クラシックのリスナーにも抵抗感の小さな音楽だった、というのだ。ピアノ・ソロなどはその典型で、クラシック・ファンはピアノ・ソナタなどで、ピアノ・ソロには慣れている。グレン・グールドやフリードリッヒ・グルダのような人もいる。加えて、クラシック・ファンは音楽に金を使う。レコードを買うのもシングル単位ではなく、アルバム単位だ。

 なるほど、チーフテンズがアイリッシュ・ミュージックをクラシック・ファンに売りこもうとしたのも戦略としては同じだ。いずれにしても、各々の音楽の従来のリスナー以外の人たちに聴かせようとした。どちらもそれぞれの名前をブランドにしようと努めた。今では ECM から出るものなら、未知のミュージシャンでも音楽の質は保証されると信頼されるようになっている。チーフテンズも、そのコンサートやレコードに失望されることはないという信頼感があった。

 稲岡氏の話でもう一つ、ECM のあのサウンド、アンビエントやリヴァーブ成分が多いとされるあのサウンドは、教会の響きなのだ、という話。これまた言われてみれば、そりゃそうだとうなずいてしまう。だから、小さい頃から教会の響きには慣れているヨーロッパのリスナーにしてみれば、ごく自然な響きになる。アメリカの、ブルー・ノートの音はなるほど、狭いクラブでの響きだ。もっとも、ルーツ系のアルバムでは、いわゆるECMサウンドはあまり強くない。むしろ、楽器や声のそのままの響きを大切にしている。

 一方、バラカンさんから出た、ECM が出てからジャズがまったく別のものになった、というのにも、膝を叩いてしまった。コルトレーンが死んだところにひょいと出てきたリターン・トゥ・フォーエヴァーは ECM だったのだ。昨日のイベントで流された、1971年ドイツでのライヴという、マイルス・デイヴィスのバンドで、大はしゃぎで電子ピアノを弾きまくっているキース・ジャレットの姿はもう一つの象徴に見えた。『ビッチェズ・ブリュー』50周年記念のトリビュートとしてロンドン・ベースのミュージシャンたちが作った London Brew などは、エレクトリック・マイルスのお父さん、ECMのお母さんから生まれた子どものように、あたしには聞える。

London Brew
London Brew
Concord Records
2023-03-31



 会場で買った『新版 ECM の真実』を読みながら帰る。ぱらぱらやっていると、本文よりも、今回増補されたインタヴューや対談、それと『ユリイカ』と『カイエ』表4(裏表紙)に「連載」されたエッセイ広告に読みふけってしまう。(ゆ)

 凄い、というコトバしか出てこなかった。美しいとか、豪奢とか、堂々たるとか、感動的とか、音楽演奏のポジティヴな評価を全部呑みこんだ上で、凄い、としか言いようがない。

 ミュージシャンたちはあっけらかんとしている。何か特別なことをした、という風でもなく、いつもやってることをいつもやってるようにやっただけ、という顔をしている。ほとんど拍子抜けしてしまう。あるいは心中では、やった、できた、と思っていても、それを表には出さないことがカッコいい、と思っているのか。

 しかし、とんでもないことをやっていたのだ、あなたたちは、と襟を摑んでわめきたくなる。

 ピアニスト、作曲家の shezoo さんがやっている2つのユニット、トリニテ透明な庭が合体したライヴをやると聞いたとき、どうやるのか、ちょっと見当がつかなかった。たとえば前半透明な庭、後半トリニテ、アンコールで合奏、みたいなものかと漠然と想像していた。

 実際には5人のミュージシャンが終始一貫、一緒に演奏した。その上で、トリニテと透明な庭各々のレパートリィからの曲を交互に演奏する。すべて shezoo さんの曲。例外はアンコールの〈永遠〉で、これだけ藤野さんの曲。トリニテに藤野さんが参加した、とも透明な庭に、壷井、北田、井谷の三氏が参加したとも、おたがいに言い合っていたが、要は合体である。壷井、藤野のお2人はオオフジツボでも一緒だ。

 結論から言えば、この合体による化学変化はどこから見ても聴いても絶大な効果を生んでいる。各々の長所を引き出し、潜在していたものを引き出し、どちらからも離陸した、新たな音楽を生みだした。

 その構造をうんと単純化して乱暴にまとめれば、まずは二つ、見えると思う。

 まず一つはフロントが三人になり、アレンジを展開できる駒が増え、より複雑かつ重層的で変化に富む響きが生まれたこと。例えば後半2曲め〈Moons〉でのフーガの部分がヴァイオリン、クラリネット、そしてピアノの代わりにアコーディオンが来て、ピアノはリズム・セクションに回る。持続音楽器が三つ連なる効果はフーガの面白さを格段に増す。

 あるいは前半3曲目〈Mondissimo 1〉のテーマで三つの持続音楽器によるパワー全開のユニゾン。ユニゾンはここだけでなく、三つの楽器の様々な組合せで要所要所に炸裂する。

 アコーディオンはメロディも奏でられるが、同時にハーモニーも出せる。ピアノのコード演奏と相俟って、うねりを生んで曲のスケールを増幅する。

 もう一つは即興において左端のピアノと右端のアコーディオンによって、全体が大きくくるまれたこと。トリニテの即興は、とりわけ Ver. 2 になってからよりシャープになり、鋭いカドがむきむき湧いてくるようになった。それが透明な庭の響きによってカドが丸くなり、抑制が効いている。羽目を外して暴れまわるかわりに、やわらかい網をぱんぱんにふくらませながら、その中で充実し、熟成する。それは shezoo 版〈マタイ受難曲〉で、アンサンブルはあくまでバッハの書いた通りに演奏しながら、クラリネットやサックスが自由に即興を展開するのにも似ている。大きな枠の中にあえて収められることで、かえって中身が濃くなる。

 その効果はアンサンブルだけでなく、ソロにも現れる。ヴァイオリンはハーモニクスで音色を千変万化させると思うと、思いきりよく切れこんでくる。そしてこの日、最も冴えていたのはクラリネット。オープナー〈Sky Mirror〉のソロでまずノックアウトされて、これを聴いただけで今日は来た甲斐があったと思ったのは甘かった。後半3曲目〈蝙蝠と妖精の舞う空〉のソロが止まらない。ごく狭い音域だけでシンプルに音を動かしながら、テンションがどんどん昇ってゆく。音域も徐々に昇ってゆき、ついには耳にびんびん響くまでになる。こんなになってどう始末をつけるのだと思っていたら、きっちりと余韻さえ帯びて収めてみせた。コルトレーンに代表されるような、厖大な数の音を撒き散らしてその奔流で圧倒するのとは対極のスタイルだ。北田さん本人の言う「ジャズではない、でも自由な即興」の真骨頂。そう、グレイトフル・デッドの即興の最良のものに通じる。耳はおかしくなりそうだったが、これを聴けたのは、生きててよかった。

 前回、山猫軒ではヴァイオリンが支配的で、クラリネットは控え目に聞えたのだが、今回は存分に歌っている。

 山猫軒で気がついたことに、井谷氏の語彙の豊冨さがある。この人の出す音の種類の多いことは尋常ではない。いざとなればマーチやワルツのビートを見事にキープするけれども、ほとんどの時間は、似たような音、響きが連続することはほとんどない。次から次へと、様々にかけ離れた音を出す。スティック、ブラシ、細い串を束ねたような撥、指、掌などなどを使って、太鼓、スネア、各種シンバル、カホン、ダフ、ダラブッカ、自分の膝などなどを叩き、こすり、はじく。上記〈蝙蝠と妖精の舞う空〉では、目の前に広げてあった楽譜の束をひらひらと振って音をたてている。アイデアが尽きることがない。その音はアクセントとして、ドライヴァーとして、アンサンブルをあるいは持ち上げ、あるいは引張り、あるいは全体を引き締める。

 ピアノもカルテットの時の制限から解放されて、より伸び伸びと歌っている。カルテットではピアノだけでやることを、今回はアコーディオンとの共同作業でできているように聞える。その分、余裕ができているらしい。shezoo さんがアレルギー性咽頭炎で掠れ声しか出ないことが、むしろプラスに作用していたようでもある。

 始まる前はいささかの不安さえ抱いていたのが、最初の1曲で吹飛んだ後は、このバンドはこれが完成形なのではないか、とすら思えてきた。トリニテに何かが不足していたわけではないが、アコーディオンが加わる、それもこの場合藤野さんのアコーディオンが加わることで、アニメのロボットが合体して別物になるように、まったく別の生き物に生まれかわったように聞える。こういう音楽を前にしては、浴びせかけられては、凄いとしか出てこない。唸るしかないのだ。1曲終るごとに拍手が鳴りやまないのも無理はない。4+1あるいは2+3が100になって聞える。

 終演22時過ぎて、満月の下、人影まばらな骨董通りを表参道の駅に向かって歩きながら、あまり寒さを感じなかった。このところ、ある件でともすれば奈落の底に引きこまれそうになっていたのだが、どうやらそれにも正面からたち向かう気力をもらった具合でもある。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

透明なトリニテの庭
壷井彰久: violin
北田学: clarinet, bass-clarinet
井谷享志: percussion
藤野由佳: accordion
shezoo: piano 
 

 shezoo さんは年明け、正月7日の『マタイ受難曲 2023』を控えててんてこ舞いのはずなのだが、精力的にライヴをしている。先日の透明な庭のライヴの時も、もう『マタイ』で頭がいっぱいで、家ではピアノを弾くヒマもなく、ライヴで弾けるのが愉しいと言っていたくらいだから、ライヴが息抜きになっているのか。台本はできあがったそうで、これから年末、集中的にリハーサルをする由。この日のライヴはすばらしかったが、ということは、たぶん『マタイ』の台本も満足のゆくものができたのだろう。それについて、聴く方も事前準備として『カラマーゾフの兄弟』を読んでおいてくれと宿題が出た。あとで確認したら、「5回読んでください」。ひええ。自慢じゃないが、ドストエフスキーは読んだことがない。

 エアジンに比べてずっと小さな空間であるここでこのユニットがやるのはどうなるのかと危惧がなくもなかったのだが、スペースの制約はむしろプラスに作用した。ひとつにはパーカッションの永井さんが見事に対応して、全体の音量を絞り気味にしたことがある。スペースだけではなくて、このユニットにふさわしい演奏の仕方を探りあててきているのかもしれない。大きな器で声とピアノをくるむようにるすだけでなく、その隙間に入りこんで双方をひき寄せ、接着したり、先頭に立って引っぱったりもする。パーカッションの人たちは、一人ひとりがスタイルも使う楽器もまったく違っているのが実に面白い。おまけに shezoo さんが一緒にやる人たちがまたそれはそれは愉しく面白い人たちばかりだ。shezoo さんには共演者を見る目があるのだ。

 永井さんも、これまでの共演者たちの誰ともまた違っていて、ダイナミック・レンジの幅がとんでもなく広い。出す音色の多彩なこともちょっと比べる人が見当らない。楽器も自作していて、前回、エアジンでも使っていたガスボンベを加工して作ったという、二つ一組の音階も奏でられるものに加えて、今回は木製の細長い直方体の上面にスリットが入ったものを持ちこんできた。これも自作だそうだが、それにしては仕上げも見事で、市販品と言われても疑問は抱かない。スリット・ドラムと呼ばれるタイプの楽器の由で、やはり音階が出せる。片足首に鈴をつけて踏み鳴らしながら、これをマレットや指で叩いてアンサンブルをリードする。

 そうすると石川さんの声が浮上する。一応増幅もしていて、距離が近いせいもあるか、エアジンの時よりも生々しい。ピアノと打楽器がメロディから離れて跳びまわるのに歌詞なしで即興で歌うときも声が埋もれない。石川さんもミミタボとは別の、このユニットで歌うときのコツを探りあててきているようだ。3人とも別々の形で何度も共演しているようだが、いざ、この組合せでやるとなると、他にはないここだけの化学反応が起きるのにあらためて対処する必要があるのだろう。それもライヴを重ねる中でやるしかない。リハーサルだけではどこか脱けてしまうのではないか。

 ここのピアノは小型でやや特殊なタイプで、弾くのが難しく、出せない音もあるそうだが、この日の shezoo さんは活き活きしている。弾くのが愉しくてしかたがない様子だ。後で聞いたら、弾いているうちにだんだん調子がよくなり、終った時がベストだったそうな。ミュージシャンというのはそういうものではある。

 2曲目の〈瞬間撮影〉でいきなりピアノとパーカッションがジャムを始め、ずっと続いて、そのまま押しきる。続く〈残月〉でもパーカッションと対話する。不思議なのは、歌っていなくても、シンガーがいるのが「見える」。対話というよりも、音のないシンガーも参加した会話に聞える。その後のパーカッションのソロがすばらしい。

 とはいえ前半のハイライトは何といってもクローザーの《神々の骨》からの〈Dies Irae〉。もともとは全ての旋律楽器がユニゾンでシンプルきわまる短いメロディをくり返す曲なのだが、今回はまずシンギング・ボウルからガスボンベ・ドラムの小さい音でビートを刻んでゆく。ほとんどホラー・ソングだ。ピアノがメロディを弾く一方で、なんと歌が入る。歌というより、何かの朗読をつぶやく。トリニテだと、パーカッション以外の3人がミニマルなメロディをくり返してゆく一方で、パーカッションが奔放にはね回るというスタイルだったが、これはまたまったく新たな位相。

 後半でもまず冒頭の〈枯野〉がすばらしい。透明な庭のための shezoo さんの曲で古事記に出てくる「からの」と呼ばれる舟の話。石川さんがその物語を語り、永井さんと shezoo さんは勝手にやっている。3人がそれぞれに異なる時間軸でやっている。それでいてちゃんとひとつの曲に聞える。

 shezoo さんによれば、これはポリリズムとポリトーナリティを同時にやる「ポリトナリズム」になる。

 この後は多少の波はあるが、レベルの高い演奏が続いて、舞いあがりっぱなし。〈Sky Mirror〉ではピアノとパーカッションの即興が地上に写っている夜空の転変を伝え、〈ひとり林に〉では、ミニマルで少ない音を散らすピアノに吸いこまれる。その次の〈ふりかえって鳥〉がもう一つのピーク。木製のスリット・ドラムと足首の鈴で、アフリカンともラテンとも聞えるビートを刻むのに、スキャットとピアノがメロディをそれぞれに奏でてからみあう。もう、たまりません。行川さをりさんの詞に shezoo さんが曲をつけた月蝕を歌った〈月窓〉では歌が冴えわたり、そして留めに〈Moons〉。ここのピアノはどうも特定の音がよく響くのか、それとも shezoo さんがそう弾いているのか。イントロでスキャットでメロディを奏でた後のピアノ・ソロに悶絶。そしてヴォーカルが粘りに粘る。この曲はどうしてこう名演ばかり生むのであろうか。

 そしてアンコールにドイツのキャロル〈飼葉桶のイエス〉。ここでのパーカッションのソロがまた沁みる。

 このトリオは来年アルバム録音を予定しているそうで、来年のベスト1は決まった(笑)。いや、冗談ではなく、楽しみだ。

 外に出てみれば氷雨。しかし、このもらったエネルギーがあればへっちゃらだ。さて、ドストエフスキーを読まねばならない。本は家の中のどこかにあるはずだ。(ゆ)

shinono-me
石川真奈美: vocal
永井朋生: percussion
shezoo: piano

 つまるところどこを目指して演奏するか、なのだ。手法ないし語法から言えばこれはジャズになる。後半冒頭の〈枯葉〉に端的に現れていたように、ジャズのスタンダードとしてのこの曲を素材にしながら、この音楽はジャズではない。あえていえばもっと普遍的なところを目指している。ジャズ自体普遍的であるという議論もあるかもしれないが、ジャズかそうでないかはかなり明確な違いがある。その違いを生むのがミュージシャンのめざすところということだ。そして、そこが、ジャズの方法論をとことん活用しながらなおかつジャズではないところを目指すところが、あたしがこのデュオの音楽を好む理由の一つになる。さらに言えば、shezoo さんの音楽、とりわけここ数年の音楽を好む理由でもある。

 ここ数年というのは、shezoo さんの音楽が変わってきているからだ。ご本人が「前世」と呼ぶ変わる前というのは、そう昔のことではなく、あたしの見るところ、パンデミックが始まる前だ。たとえばこの日のアンコール〈空と花〉はデュオのファースト・アルバムからだが、これははっきりと「前世」に作られたものと聴けばわかる。その前の、出たばかりのセカンド・アルバム収録の〈熊、タマホコリの森に入りこむ〉との対照が鮮やかだ。いわゆる「shezoo 節」とどちらも感じられるが、前者が古い shezoo 節なら、後者は新しい shezoo 節だ。あえて言えば、古い方はああ shezoo さんの曲とすぐにうなずいてしまうが、新しい方はその色の透明度が増している。shezoo さん以外からこんな曲は出てこないとわかる一方で、癖というか、臭みというか、そういう要素が薄れている。

 その要素はたとえば納豆やクサヤの匂いのように、好きな人間にはたまらない魅力だが、嫌いな人はとことん嫌う性格を備えているようでもある。嫌いだった匂いが好きになることもあるが、どちらにしても、はっきりしていて、中間が無い。ようにみえる。

 強烈なその匂いが薄れてきているのは、パンデミックとともに、〈マタイ受難曲〉と格闘している影響もあるのかもしれない。バッハの音楽もまた、一音聴けばバッハとわかるほど臭いものだが、それにしてはなぜか普遍的でもある。

 面白いことに、藤野さんの曲も shezoo さんの曲となじんで、一枚のアルバムに収まっていても、あるいはライヴで続けて演奏されても、違和感が無い。どちらの曲もどちらが作ったのかとは気にならない。そこには演奏そのものによる展開の妙も働いているだろう。素材は各々固有の味をもっていても、ライヴで演奏してゆくことで溶けあう。セカンド・アルバムは一つの部屋の中に二人が入り、さらにはエンジニアも入って、一発録りに近いかたちでベーシック・トラックを録っているという。スタジオ録音としては限りなくライヴに近いかたちだ。

 セカンド・アルバム《Moon Night Prade》のレコ発ツアーの一環で、このツアーでは、それぞれのヴェニューでしか演奏できない、その場所に触発された曲をまず演る、とのことで、まずエアジンの音を即興で展開してから〈夜の果て〉。前半はセカンド・アルバムからサーカスをモチーフとした曲を連ねる。この曲では藤野さんはサーカスが果てて、立ちさったその跡の草地にサーカスの記憶が立ちあがるとイメージしているので、店が閉まった後のエアジンを思い描いたという。shezoo さんはエアジンでは、リハーサルしているといつも誰かもう一人か二人見えない人がいて一緒に聴いている感覚がいつもするので、それを音にしてみたそうだ。

 あたしは本を読みながらイマージュが立ちあがってくることはよくある。が、しかし、音楽を聴きながらイマージュが立ちあがることはまずない。イメージを籠めているミュージシャンにはもうしわけないが、音でそのイメージが伝わってくることはない。イメージというよりも、あるぼんやりしたアイデアの元素のようなものが聞えてくることはある。ここでまず感じたのはスケールが大きいことだ。その点ではエアジンは不思議なところで、そう大きくはないはずの空間から限界が消えて、どこまでも広がってゆくように聞えることがある。この日もそれが起こった。スケールが大きいというよりも、スケールから限界が消えるのである。音楽の大きさは自由自在にふくらんだり、小さくなったりする。どちらも限界がない。

 そして前回も感じた2本の太い紐が各々に常に色を変えながら螺旋となってからみあいながら伸びてゆく。それをはっきり感じたのは3曲目〈Dreaming〉から〈Pulcinella〉へのメドレー。アルバムでもこの二つは並んでいる。どちらもアンデルセンの『絵のない絵本』第16夜、コロンビーナとプルチネルラの話をモチーフにしているという。

 前半ラストの〈コウモリと妖精の舞う空〉は夜の空だろうか。昼ではない。逢魔が刻のような気もするが、むしろ明け方、陽が昇る前の、明るくなってだんだんモノの姿がはっきりしてくる時の空ではないか。

 後半2曲目〈枯野〉は「からの」と読んで、『古事記』にある枯野という舟の話がベースだそうだが、むしろその次の〈終わりのない朝〉のイントロのアコーディオンに雅楽の響きが聞えた。どちらもうっとりと聴いているうちにいつの間にか終ってしまい、え、もう終り?と驚いた。

 続く〈浮舟〉は『源氏物語』を題材にした能の演目を念頭に置いているそうだ。浮舟の話そのものは悲劇のはずだが、この日の演奏に現れた浮舟はむしろ幸せに聞える。二人の男性に惚れられてどちらかを選べず、迷いに迷っていることそのものを秘かに愉しんでいるようだ。迷った末にではなく、迷いを愉しむ己の姿に気がつき、そこで初めて心が千々に乱れだす。

 アンコールの shezoo さんの「前世」からの曲は古びているわけではない。あたしなどはむしろほっとする。遠く遙かなところへ運ばれていたのが、なじみのあるところへ帰ってきた感覚である。

 先日のみみたぼでも気がついたユーモアの底流がこの日も秘かに流れていた。ほんとうに良い音楽は、たとえバッハやベートーヴェンやコルトレーンであっても、ユーモアの感覚が潜んでいる。音楽そのものに、その本質に笑いが含まれている。眉間に皺を寄せて聴かないと音楽を聴いた気がしない人は、どこか肝心なところに触れぬままに死んでゆく。このデュオの音楽には、聴いていて笑いが体の中から浮かびあがってくる。声をたててがははと笑うようなものとは別の、しかし含み笑いなどではない朗らかな感覚だ。ひょっとするとこのユーモアの感覚も、最近の shezoo さんの音楽に備わっているものではないか。おそらくは前から潜んではいたのだろう。それがパンデミックもきっかけの一つとして、より明瞭になったのかもしれない。

 このデュオの音楽は shezoo さんのプロジェクトの中では一番音がまろやかで穏やかな響きをもつ。shezoo さんの音楽はどちらかというと尖ったところが多いし、ここでも皆無ではない。むしろ、ここぞというところで顔を出す。そこが目立つくらい、基調はなめらかで優しくせつない。あるいは藤野さんのアコーディオンの響きがそこに作用しているのかもしれない。来年早々、このデュオとトリニテの共演が予定されている。トリニテはまたツンツンに尖った、ほとんど針の塊のような音楽だ。この二つが合わさるとどうなるのか。もちろん見に行く予定だが、怖いもの見たさの気分でもある。(ゆ)

Moon night parade
透明な庭
qslebel
2022-09-03


 石川真奈美さんも shezoo さんも懐が深い。これくらい深いと生も何度か聴かないと摑みどころがわからない。このデュオの聴きどころがようやくわかってきた感じが今回は味わえた。二人にパーカッションが加わった Shinono-me を聴いたおかげで、デュオとしての姿がよりはっきり見えるようになったのかもしれない。声の綾なす歌のふくらみ、ピアノがうたう潮のさしひき、二人の声が織りなす音楽全体の姿が、大きな構図から細部のニュアンスまで、労せずしてごく自然に流れこんでくる。こうなればただ黙って浸っていればいい。

 冒頭、立原道造の詩に shezoo さんが曲をつけた〈のちの想いに〉からして、声の出し入れの妙にぞくぞくする。囁き声と力を入れた声の対比、その間のグラデーションに耳を持っていかれる。そしてやがて来たピアノのコーダにクラクラする。この後もコーダは余韻とキレの両方を兼ね備えて、彫りが深い。今日は調子が良い。たぶんやる方だけで無く、聴くこちらの調子も同じくらいよいのだ。

 次の滝口修造の詩に shezoo さんが曲をつけた〈瞬間撮影〉では、まずピアノのイントロが素晴らしい。滝口にふさわしいシュールな、とんがった演奏。この日は羽目をはずした大暴れはないのだが、むしろあえてそちらに行かない。意識して抑えているようでもない。自然にそうなっているようで、それが良い効果につながっている。その効果に引きだされるようにして、石川さんが一番二番とくり返すごとに歌い方を変える。はじめはストレートに、二度目は切迫した変化球だ。

 派手な即興が鳴りをひそめているのに、全体としてはジャズの向こうへ突抜けていく。この日のハイライトの一つは5曲目のシャンソンから〈枯葉〉へ繋いだ演奏。ジャズではスタンダードはスタンダードとわかった上でいかに新鮮に聴かせるかがポイントになるのだろうが、歌ではなく、声でメロディをくずしてゆくそのくずし方がジャズの範疇からははみ出てゆく。少なくとも、ジャズの常套ではない。方法論としてはジャズを使っても、めざしているところはジャズの先ではない。もっとパーソナルなところで、だからこそ普遍性を帯びることが可能になる境地だ。

 この日はしかしハイライトにしても突出してはおらず、どの曲もそれぞれに見事。〈枯葉〉の前、〈Little red bird is lonely〉 からラヴェルの〈嘴の美しい三羽の鳥〉では、アカペラの歌唱に一気に異郷へ引きこまれる。そこでは赤い鳥が血の滴る心臓を運んでくる。

 前半ラストのバッハ。〈マタイ〉からの一曲で、本番では石川さんの担当では無い歌。こういうのは良い。他の方のも聴きたい。ここは小細工をせず、真正面から突破する。こういうところ、こういう曲には歌い手の生地があらわになる。そして、こういうバッハはいつまでも聴いていたい。

 後半冒頭のエミリー・ディキンソン〈When the night is almost done〉もストレートな歌唱。ピアノはミニマル。これもはまっている。続く谷川俊太郎と武満徹の〈見えない子ども〉はディキンソンから引き継いだユーモアの隠し味が歌にもピアノにも流れる。ほとんどお茶目と言いたいくらい。これへの返答歌という石川さんの詞に shezoo さんが曲をつけた〈残月〉は、一転して緊張感に満ちる。さらに続く〈Blue moon〉にも緊張感がつながって、こうなると脳天気でもなく、哀歌でもない。底の方で何かにじっと耐えている。そこから歓びとまではいえないが、なぜか晴れ晴れとした感情が浮き上がってくる。とすれば、耐えることはこの場合、受身の態度ではなく、何かの準備でもなく、それ自体が積極的なふるまいなのだ。

 曲はどれもこれも良いが、ラストの〈両手いっぱいの風景〉はことさらに名曲。ひたすら聞き惚れる。

 アンコールは〈朧月夜〉。力を抜いて、語りかけるように歌いだして、声を変えてゆく。石川さんの真骨張。

 歌とピアノという組合せとしては破格の音楽をたっぷりと浴びて、気分は上々。この生きにくい世の中で、こういう気分になれるのは貴重でも必要でもあると思いしらされる。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

みみたぼ
石川真奈美: vocal
shezoo: piano

 shezoo さんのプロジェクトとしては最も長いものになったトリニテの新ヴァージョンを初めて見る。Mk3 である。このメンバーでは2回目だそうだが、もうすっかりユニットとして十分に油が回っている。

 そもそもトリニテは壷井さんと shezoo さんが組むことが出発点で、この二人さえいれば、あとは誰がいもトリニテになる、と言えるかもしれない。楽曲もヴァイオリンを活かした形に作られたり、アレンジされたりしている。ここではピアノはあくまでも土台作りに徹して、派手なことはやらない。即興では少し羽目をはずすけれども、他のユニットやライヴの時よりも抑制されている。

 とはいえ、ユニットである以上、他のメンバーによって性格は変わってくる。初代のライヴは一度しか見られなかったが、パーカッションの交替で性格が一変したことは、ファーストとライヴ版を聴けばよくわかる。もっともパーカッションはスタイルも使う楽器も基本的な姿勢も人によってまったくの千差万別だし、岡部氏と小林さんではさらに対照的でもある。ユニットの土台がピアノで、パーカッションはむしろ旋律楽器と対等の位置になるトリニテではなおさら変化が大きくなるだろう。

 今回はけれどもクラリネットが交替が大きい。トリニテの曲はリリカルな側面がおいしいものが多く、小森さんはその側面を展開するのにぴったり合っていた。トリニテのライヴは1本の流れで、烈しい急流もあり、ゆったりとたゆたう瀬もあり、その流れをカヌーのようなボート、あるいは桶にでも乗って流されてゆくのが愉しかった。

 今度のトリニテはパワー・ユニットである。たとえていえば、Mk2 がヨーロッパの、ECM的なジャズとすれば、新トリニテはごりごりのハード・バップないしファンキー・ジャズと言ってもいい。そもそもずっとジャズ寄りになっている。

 北田氏のクラリネットはまず音の切れ味がすばらしい。音もフレーズも切れまくる。バス・クラですらこんなに切れていいのか、と思ってしまうほど。しかもその音が底からてっぺんまでがっちりと硬い。確かに、小森さんは、ときたまだが、もう少しクラリネットが前に出てほしい、と思うときもなくもなかった。北田氏は、この日は会場の都合でたまたまだろうが、位置としても一番前で、オレがこのバンドの主という顔で吹きまくる。

 壷井さんも当然負けてはいない。これまでのトリニテのライヴでは聴いたこともないほどアグレッシヴに攻める。しかも KBB の時のようなロック・ヴァイオリンではなく、あくまでもトリニテのヴァイオリンの音でだ。そうすると響きの艷がぐっと増す。〈人間が失ったものの歌〉の、低域のヴァイオリンの響きの迫力は初めて聴くもので、この曲がこの日のハイライト。

 これを聴くと壷井さんの演奏が実にシリアスなのがよくわかる。MC では冗談ばかりとばしているイメージがあるけれども、根は真面目であると、これを聴くと思ってしまう。北田氏の演奏は対照的にユーモアたっぷりだ。クラリネットという楽器がそもそもユーモラスなところがあるけれど、それにさらに輪をかけているようだ。

 今回の発見は〈アポトーシス〉がバッハの流儀で作られていること。バッハ流ポリフォニーで始まり、フーガになる。まさに前奏曲とフーガ。それに集団即興が加わるところが shezoo 流ではある。

 この曲と〈よじれた空間の先に見えるもの〉が CD では表記が入れ替わっていた、というのにはあたしも全然気がつかなかった。トリニテはライヴで見ることが多く、CD を聴いてもタイトル・リストはあまり見ていないからか。ライヴでタイトルと曲が結びついていたせいかもしれない。

 北田氏の印象があまりに強くて、パーカッションの変化があまり入ってこなかったのだが、井谷氏は岡部氏や小林さんに比べると堅実なタイプのように聞えた。どこかミッキー・ハートを連想したりもする。次回はもう少し、注目してみたい。

 トリニテの次は来年1月22日、かの埼玉は越生の山猫軒。山の中の一軒家で、shezoo さんの「夜の音楽」のライヴ盤の録音場処。調べると日帰りも無理ではないので、思いきって行ってみることにする。

 それにしても、トリニテも10年かけて、いよいよ面白くなってきた。これあ、愉しみ。(ゆ)

壷井彰久: violin
北田学: clarinet, bass clarinet
井谷享志: percussion
shezoo: piano

 この「J.S.バッハ祭り2022夏」のチラシを見てまず行こうと思ったのは千秋楽の『ヨハネ受難曲』、次がこの加藤さんのサックスによるバッハだ。

 加藤さんは shezoo さんのプロジェクトで生を見ているけれど、かれのソロというのは初めて。かれのサックスは聴いていて愉しい。音色が多彩だし、音のコントロールがツボをついている。楽譜通りに吹いているのだろうが、そうは思わせない。目の前に広げた楽譜を見ながら吹いているというよりは、一度カラダの中にいわば楽譜をまるごと呑みこみ、そこから音を生成している。それもカラダの奥深くまで呑みこんでいて、音になって出てくるまでの助走が長い。だから出てくる音の速度が大きい。それが快感を生む。というのが、今回、目の前でその演奏をたっぷりと味わって感じたことだ。

 冒頭は〈無伴奏チェロ組曲〉第1番から3曲を、テナー・サックスの無伴奏でやる。チェロに比べるとサックスの音のスピードは段違いだ。音を出す原理の違いだ。そこから生まれるダイナミズムの振幅もサックスは段違いに大きい。音の高低で音色が変化するのはデメリットにも見えるが、この場合、むしろメリットに作用する。加えて加藤さんの音は太筆だ。大は小を兼ねる。チェロではどんなに太くしても中までで、サックスのように太くはならないし、加藤さんの音はその中でもさらに太い。

 これだけでもう今日は来た甲斐があったと思ったが、その次が凄かった。無伴奏はこれだけで、あとはピアノと一緒にやります、と言って紹介したのが柳川氏。まだ若い、どちらかというと小柄な女性だが、演奏は加藤さんに劣らずダイナミックと繊細さが同居している。普段、シャンソンの店でシャンソンの伴奏を定期的にしているそうだが、ジャズも相当に聴き、実践されているのは、後の演奏でもわかった。クラシックに限らない幅の広さは今の演奏家には当然求められることとはいえ、頼もしい。

 で、その2人でまずやった〈ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ〉の思いきりはじけた演奏がこの日のハイライト。聴いていて、どうしてもにやにや笑いが浮かんでくるのを押えられない。これですよ、これ。クラシックだからといって収まりかえってなんかいない。ビートを効かせ、ピアノは音域を目一杯使い、しかもバッハだから、サックスとピアノはまったく対等に存在を主張する。あるいは片方が片方を追いかけ、あるいは逆にけしかける。これを聴いてしまうと、本来のヴィオラ・ダ・ガンバによる演奏が聴けなくなるんじゃないかと心配になる。バッハが聴けばきっと大喜びしたはずだ。おそらく、原曲通りではなく、アレンジもしているんじゃないかと思うが、これも柳川氏だろうか。

 加藤さんはテナーとアルトを用意して、曲によって吹きわける。この2曲はテナーで、次にアルトで2曲。マタイからの〈憐れみたまえ、わが神よ〉と、超有名曲の〈トッカータとフーガ、ニ短調〉。どちらも前2曲に負けじ劣らじの快演。
 マタイの曲ではピアノの響きが美しい。手入れがいいのか、弾き手がいいのか、ここではちょっと聴いた覚えのない美しい響きがこぼれ出る。
 そして、〈トッカータとフーガ、ニ短調〉は、凄え、という言葉しか出てこない。アルトの音域を一杯に使っての力演。ラスト、締め括りの音の太さ! こういう曲でも、バッハの曲にはビートがあることがよくわかる。オルガンの曲をサックスとピアノでやるのだから、当然アレンジしているはずだが、加藤さんがやったのか。

 加藤さんの眉が上下に動くのが面白い。かれの眉毛はかなり濃く太く一直線で、それが演奏の力の入れ方によって平行に上下に動くのである。今回初めて気がついたのは収獲。

 後半はまずテナーで〈Fly Me to the Moon〉。メロディの一部をバッハからもらっているという。これに限らず、ポピュラー曲でバッハから一部をいただいている曲は多いそうだが、うなずける。ディープ・パープルの〈Burn〉にもモロ・パクリがある由で、ジョン・ロードはクラシックの出身だから、さもあろう。

 次はアルトで加藤さんのオリジナル、shezoo さんとのプロジェクトでデビューした〈君の夏のワルツ〉。シェイクスピアのソネット18番につけた曲。アレンジは柳川氏で、バッハの精神を体現して、ピアノはサックスの伴奏ではなく、対等の相手である。

 この日はかなりはじけた演奏が多いが、次のバッハ〈主よ、人の望みのよろこびよ〉はかなり抑えた静かな演奏で、音量も小さめ。これはテナー。

 そしてクローザーは加藤さんが柳川氏に委嘱した〈テナー・サックスとピアノのためのソナタ〉で、世界初演。4楽章からなり、それぞれにジャズのテナー・サックス奏者に捧げたもの。詳しい人が聴けば、それぞれにああ、これは誰が相手だとわかるのだろう。あたしはさっぱりだが、曲はまことに面白い。こういう曲を作るあたり、柳川氏のジャズの素養は半端ではないし、演奏にもジャズの筋が通っている。ちゃんとスイングしている。

 アンコールはこれも柳川アレンジの〈G線上のアリア〉。こういう耳タコの曲をこういう具合に新鮮に聴かせてくれるのは、アレンジと演奏のレベルが高いのだ。

 加藤さんは見る度に腕が上がると思っていたけれど、もうそういうレベルは卒業している。ライヴの構成も見事で、この日の曲目と並びをそのまま録音しても、立派に1枚のアルバムになると思われる。
 柳川氏のピアノももっと聴きたい。ソロも聴いてみたい。それこそバッハの、そう〈フランス組曲〉とか、いかがですか。

 いやもう、堪能させていただいた。バッハの音楽の新たな面白さを聴かせていただいたし、あらためてバッハは凄いとも思った。こういう風に、当初の意図からは相当にかけ離れた扱いをしても、曲が壊れるどころか、むしろより美しく、面白くなるのは伝統音楽に共通する。バッハの曲は作曲というよりも、元になった伝統曲があって、アレンジという方に近いのではないか、とあたしは勝手に秘かに思っているのも、そういうところがあるからだ。

 加藤&柳川デュオには、ぜひまた再演していただきたい。バッハだけでなく、〈テナー・サックスとピアノのためのソナタ〉のような曲ももっと聴きたい。

 COVID-19 の波の大きさに、当局はなす術もなく立ちすくんでいるようだが、こういう音楽を聴けば皆さん免疫力も上がって、ウィルスも退散すると思われた。

06月05日・日
 GroundUp からのニュースレターを見て、久しぶりにスナーキー・パピーのライヴ・ビデオを見る。やはり愉しい。たまにはこういうのを見ると気分爽快。
 見たのは〈Lingus〉で、この曲はフル・バンドでテーマをやった後、サックスとトランペットがソロの掛合いをしてからビートだけになり、ここでメンバーまたはゲストがまとまったソロをとる。そこに段々メンバーが加わり、盛り上げていって、最高潮に達したところでフル・バンドでのテーマに戻るが、その後、またソロイストがテーマをやるバンドと交互にソロを重ねる。このアンコール的な追っかけの演奏がまた面白い。
 公式に出ている《We Like It Here》のビデオでは Cory Henry がそれはそれはすばらしい演奏を聴かせる。ヴァイオリンの Zach Brock とクリス・ポッターのものがある。ザック・ブロックはもう一歩突込んでほしいと思う。このままだとただの巧いヴァイオリニストだ。それで終らないだけのものは垣間見えるんだが。ポッターはさすがの演奏。この人、本当に面白い。




%本日のグレイトフル・デッド
 06月05日には1967年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1967 Cafe Au Go Go, New York, NY
 月曜日。このヴェニュー10日連続の4日目。セット・リスト不明。

2. 1969 Fillmore West, San Francisco, CA
 木曜日。3ドル。このヴェニュー5日連続のランの初日。共演 Junior Walker, Glass Family。演奏の順番は08日日曜日にはグラス・ファミリー、デッド、ジュニア・ウォーカー、グラス・ファミリー、デッド、というのがガルシアのステージ上の言葉から推定されるが、他の日がこの通りだったかは確定できず。
 第二部ないし遅番ショウの3曲目〈Dark Star〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 この5日間のランはテープは残っているものの、完全またはそれに近いとされるものはこの日と08日のみで、他の日のテープは一部と思われ、全体像ははっきりしない。

3. 1970 Fillmore West, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー4日連続のランの2日目。3.50ドル。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、サザン・カンフォート共演。
 第一部はアコースティック・セット、第二部はエレクトリック・セット。演奏の順番はアコースティック・デッド、サザン・カンフォート、NRPS、エレクトリック・デッド。
 昨日、06月04日の記事に書いたことはこちらのショウについてだった。すなわち、
 第二部終り近く、ガルシアが客席に、俺たちがこれまでやったことのある曲で聴きたいものはあるかと訊ねた。〈It's All Over Now, Baby Blue〉と叫ぶと、レシュが指差して、笑みを浮かべた。という証言がある。アンコールがこの曲。

4. 1980 Compton Terrace Amphitheatre, Tempe, AZ
 木曜日。9.50、10.50ドル。開場7時半、開演8時。ウォレン・ジヴォン前座。
 〈I Know You Rider〉で本来はガルシアがうたう "I wish I was a headlight on a north-bound train" をウィアが歌った。

5. 1993 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。28.50ドル。開場4時、開演6時。
 第一部クローザー前で〈Easy Answers〉がデビュー。ロバート・ハンターの詞にボブ・ブララヴ、ボブ・ウィア、ヴィンス・ウェルニク、ロブ・ワッサーマンが曲をつけた。1995-06-28まで計44回演奏。スタジオ盤は Rob Wasserman のソロ・プロジェクト《Trios》。このアルバムはワッサーマンがベースで参加する様々なトリオ各々にふさわしい曲をあるいはカヴァーであるいはオリジナルで演奏したもの。この曲はボブ・ウィアとニール・ヤングとのトリオのための曲。
 この曲を嫌いなデッドヘッドは多い。あたしもまだいい演奏には出会っていない。ベスト・ヴァージョンはワッサーマン、ウィア、ヤングのスタジオ盤だと思う。(ゆ)

05月28日・土
 乾燥機の騒音対策でもっと良いものがあった。AirPods Pro があったのだ。これでノイキャンをオンにすれば格段の差だ。耳の穴に無理矢理突込む必要もない。ついでに溜まっていた Bandcamp と YouTube をチェックする。GroundUp Music のニュースレターに載っていた動画も。どれもなかなか面白い。


Natalie Cressman & Ian Faquini - Cant Find My Way Home (Live Performance Video)
Live at The Ruins in Hood River, Oregon on March 25, 2022 4:38
 クレスマンは歌とトロンボーン。どちらも一級。


Becca Stevens & Attacca Quartet - Reminder (Live Performance Video)
From 'Becca Stevens | Attacca Quartet' (GroundUP Music, April 2022) 5:19
 弦楽カルテットのアレンジが面白い。


 London Jazz News から拾ったミュージシャンの音源を Bandcamp で試聴。やはりどれも面白い。Bright Dog Red はニューヨーク州オルバニーがベースとあるが、スナーキー・パピーと同じタイプに聞える。こちらは基本カルテットで、ヴォーカルがゲストに入る。サックスの Trish Clowes も良い。このあたりの新しいジャズは面白い。もっと時間があれば突込むところだが、まずはデッドに集中しなければならない。





##本日のグレイトフル・デッド
 05月28日には1966年から1995年まで、5本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
 土曜日。開演9時。"Hay Fever Dance(花粉症ダンス・パーティー)" と題されたイベント。The Family Dog が主催したイベントにデッドが出た初め。共演 The Leaves、Grass Roots。セット・リスト不明。
 The Leaves は1964年にサン・フェルナンド・ヴァレーで結成されたバンド。〈Hey Joe〉を最初に録音したアクトの一つで、この録音は1966年にヒットしている。
 The Grass Roots は1965年にロサンゼルスで結成されたバンドで、1975年まで頻繁にヒットを放った。ゴールド・ディスク2枚、ビルボード Hot 100 にチャート・インすること21回。

2. 1969 Winterland Arena, San Francisco, CA
 水曜日。3ドル。開演6時。終演2時。バークリーの The People's Park 活動の保釈資金集めのためのベネフィット・コンサート。Aum、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、Bangor Flying Circus、エルヴィン・ビショップ・グループ、ジェファーソン・エアプレイン、サンタナ共演。
 デッドは3曲演奏。〈Smokestack Lightnin; That's It For The Other One> Turn On Your Love Light〉。
 Bangor Flying Circus はシカゴ出身のプログレ・ロック・トリオ。1967年半ばに結成、1969年解散。メンバーはこれ以前も以後も様々なバンドで活動。
 The People's Park はバークリーに1960年代末の市民の活動で生まれた公園。元はカリフォルニア大学の所有地だったが、大学が資金不足から開発途中で放置したため、一帯は荒廃していた。1969年に地域住民の中からここを公園にしようという動きが起き、多数の住民が自主的に参加して公園が造られた。大学当局にはこれを認める態度も見られたが、州知事ロナルド・レーガンは強硬姿勢に出て、バークリーの共和党市長はこれに従い、1969年5月15日早朝、警察部隊を送り、できていた公園を破壊し、金網フェンスで囲った。この日の正午、カリフォルニア大学バークリーで開かれた集会が公園の警察による占拠に対する抗議集会となり、約3,000人が公園の敷地に向かい、警備の警官たちと衝突した。レーガンの首席補佐官がこの抗議活動に対して警官隊を集め、警官隊はショットガンを使用し、警官隊と対峙していた群衆のみならず、見物人たちにも発砲した。負傷者多数に加えて、見物人から死者が出る。この時発砲した警官の多数がヴェトナム戦争からの復員軍人出身で、デモ隊をヴェトコンと見ていたことが後に判明する。レーガン州知事はさらに州兵部隊を派遣する。この後も抗議活動は続き、05月22日には250人が逮捕され、保釈金は800ドルとされた。この日のコンサートはこの保釈金を集めるためのものと思われる。
 大学の教授会は05月23日、環境デザイン学部から出されていた、この公園を地域主体のデザインの実験の中核とする案を圧倒的多数で承認。また UCバークリーの学生も独自の全学投票を行い、学生の半数以上が投票して、公園をそのままにする案を圧倒的多数で承認する。
 バークリー市全人口の3割が参加した非暴力抗議デモの後も、大学当局は敷地を金網フェンスで囲ったままにしていた。一度はここを駐車場付きのサッカー場にすることを決定する。1971年03月、その工事が始まりそうなのを受けて、あらたに抗議行動が起きる。1972年05月、大統領リチャード・ニクソンが北ヴェトナムの主要港湾に機雷を設置すると表明すると、怒りくるった群衆が囲っていた金網フェンスを取り払った。同年09月、バークリー市議会は敷地を大学から借り受けることを決議。地域住民がボランティアと寄付によって公園を再建した。公園は主に地域の低所得層とホームレスの避難所となっており、ホームレス支援団体による支援の拠点でもある。むろん、地域住民の憩の場でもあり、ガーデニング、音楽活動、映画上映なども行われる。公園の管理運営は The People's Park Commitee(民衆公園委員会)による。

3. 1977 Hartford Civic Center, Hartford, CT
 土曜日。7.50ドル。開演7時半。春のツアーの千秋楽。
 《To Terrapin: Hartford '77》で全体がリリースされた。
 このショウでは皆、肩の力が脱けている。リラックスして、良い意味で気楽に、余裕をもってやっている。これを聴くとここまでのツアーでは緊張感がある。いうならば、「アウェイ」でやっている感覚だ。ずっとアメリカの東半分を回っていたことはやはりそういう感覚を生んだのだろう。たとえばヴェルヴェット・アンダーグラウンドがフィルモア・ウェストに出る時には同様な感覚を持ったのではないか。ニューヨークはデッドにとってサンフランシスコに次ぐ、第2のホームと言ってもいいところだが、それはやはりニューヨークという特定の都市に限られるので、同じ東部でもボストンやフィラデルフィアではまた違うし、南部やフロリダはまた全く異なる環境にいる感覚ではなかったか。
 その緊張感はこのツアーでは良い方に作用し、バートン・ホールを初めとする名演を生んでいる。このツアーの打ち上げのショウ、千秋楽のショウでは、これで終りという気分は当然生まれるだろう。それがまた良い方に作用して、うまい具合に肩の力を脱いたのではないか。これまでのショウに比べると、全体に明るく、楽しんでやっている。このツアー全体がもともと明るく、ゆったりとしているのが、明るさの色調が柔かい。
 オープニング〈Bertha> Good Lovin'> Sugaree〉の畳みかけは、おそらくこれだけは演る前に決めていたとも思える。まあ、オープナーに何をやるか、その後、2、3曲については、常に事前に決めていただろう。〈Sugaree〉はこのツアーを象徴する曲で、この演奏はその中でも1、2を争う出来。というよりも、このショウではこの曲のベスト・ヴァージョンと思えるものばかりが並ぶ。
 肩の力が脱けているとわかるのは次の〈Jack Straw〉のウィアのヴォーカル。のびのびとしている。力む時に素直に力む。声もよく伸びる。次の彼の持ち歌〈New Minglewood Blues〉のヴォーカルもいい。第一部クローザーの〈The Promised Land〉も同様。ここまで来ると、テンポもまさにぴったりで、ガルシアのギターも明るく軽やかだし、キースのソロもいつものしゃちこばった感じが無い。
 ガルシアも絶好調で、ギター・ソロはどれもこれも面白く、〈Row Jimmy〉もまるで雰囲気が変わっている。第一部のハイライトの一つは〈Candyman〉のガルシアの歌唱で、これを聴いて、ようやくこの歌の良さがわかった。第二部〈Tennessee Jed〉のギター・ソロのユーモアにはさらに磨きがかかる。
 これが〈Estimated Prophet〉になると、ユーモラスなのはそのままだが、茶化しが入る。とぼける。ひっぱずす。脇に回って、隙を伺う。とことんシリアスであると同時に、これ以上ないほど不真面目。これこそはデッドの本質、基本のキとも思える。デッドがわが国でまっとうに受け止められないのも、この態度、真面目と不真面目が同居しているからかもしれない。日本語ネイティヴはマジメが3度のメシより好きなのだ。人生は楽しんではいけない。笑って過ごしてはいけない。額の汗を捩り鉢巻きで防ぎながら、眉間に皺を寄せて、苦労しなければならない。少なくとも苦労しているフリをしなければならない。デッドのように、「ヘラヘラ笑いながら」真剣に音楽をすることなど、もっての外なのだ。
 このツアーでは出番の少なかった〈Playing In The Band〉がここで爆発する。ここでも人もあろうにキースが、ほとんどチェンバロのような音を出す。この人、こんなお茶目なところがあったのか。おそらく本人はそのつもりではないだろうが、そのチープな音は今聴くとキャンプそのもので、ひどく現代的、21世紀的だ。
 この日の余裕は NFA でも明瞭だ。普段ならビートに乗って、ノリで持ってゆく曲だが、ここではひどくゆっくりと、のんびりと演奏していて、歌が入るのは CD でトラックが始まって4:30も経ってからだ。そしてここでもガルシアのギターはユーモラスであると同時にシリアスで、時にブラック・ユーモアに踏みこむ。そこから最後は集団即興になって、まるで別の曲。しかものんびりとシリアスなたままなのだ。
 そこから遷移する〈Wharf Rat〉はあらためて聴くと、コーラス、ハーモニーのつけ方がおそろしく細かい。実はデッドはこういう細やかに神経を使うことも得意、おおまかにやっているようで、実は徹底的に緻密だったりする。そうしながら、ぽかりと歌詞を忘れたり、入りそこなったりするのもデッドだ。しかも、この日、この歌でのガルシアのギターは荘厳ですらある。
 一度きちんと終りながら、間髪いれずカウントして〈One More Saturday Night〉。これまたゆったりと余裕のある歌いまわしと演奏。ああ、いい湯だ。アンコールの〈U. S. Blues〉もゆったりと、ツアーの終りを惜しむように演奏される。
 かくて、デッド史上最高のツアー、1977年春のツアーはめでたく打ち上げ。一行は06月02日まで東部に滞在して、03日にロサンゼルスに移動。04日にロサンゼルス国際空港(LAX)のすぐ東隣のイングルウッドでショウをした後、07日から3日間ウィンターランドに出る。ビル・グレアムが長いショウを終えた「ご褒美」にブッキングしたものだ。そしてこちらはまさに「ホーム・ゲーム」。春のツアーに勝るとも劣らない極上の音楽を演奏している。

4. 1982 Moscone Convention Center, San Francisco, CA
 金曜日。17.76ドル。開演7時。ヴェトナム復員軍人会のためのベネフィット・コンサート。ジェファーソン・スターシップ、ボズ・スキャグス、カントリー・ジョー・マクドナルド共演。
 第二部が短かく、ボズ・スキャグスが参加。この第二部後半の〈Turn On Your Lovelight> Johnny B. Goode〉にジェファーソンのピート・シアーズが参加。ステージはカントリー・ジョー・マクドナルド、ジェファーソン・スターシップ、デッド。ボズ・スキャグスはデッドをバック・バンドとしてリード・ヴォーカルをとる。上記2曲ではウィアとダブル・リード・ヴォーカル。
 演奏は良い由。
 この第二部オープナーで〈Walkin' Blues〉がデビュー。1995-07-02まで計135回演奏。ロバート・ジョンソンが有名にした曲。

5. 1995 Portland Meadows, Portland, OR
 日曜日。28ドル。開演2時。チャック・ベリー共演。
 第一部5曲目〈When I Paint My Masterpiece〉でウィア、アコースティック・ギター。
 屋外で客席では40度近かった。第一部が同様に熱かった由。(ゆ)

04月26日・火
 クーキー・マレンコが紹介しているジャズ・ヴァイオリニスト Mads Tolling はデンマーク出身、というとハラール・ハウゴーの同類で、ジャズに振れた感じか。デッドに関連があるというので検索すると、ボブ・ウィアがやっている The Wolf Brothers のサポート・グループ The Wolfpack という弦楽カルテットのメンバー。また、自分のバンド Mads Tolling & The Mads Men という60年代の楽曲を演奏する集団のレパートリィにもしているそうな。とりあえず、The Mads Men の今のところ唯一のアルバムの中古をアマゾンで注文。Blue Coasts のレコードも購入。
 川村さんから知らせてきた山田岳氏の新譜を注文。
 Dave's Picks, Vol. 42 発送通知。Dave's Picks, Vol. 01 アナログ盤も5月発売のはずだ。


##本日のグレイトフル・デッド
 04月26日には1968年から1984年まで8本のショウをしている。公式リリースは4本、うち完全版2本。

1. 1968 Electric Factory, Philadelphia, PA
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。セット・リスト不明。

2. 1969, Electric Theater, Chicago, IL
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。5ドル。開場7時、閉場午前3時。2時間の一本勝負にアンコールを40分やる。
 アンコールの1曲目20分弱の〈Viola Lee Blues〉が《Fallout From The Phil Zone》で、オープナー〈Dupree's Diamond Blues〉から13曲目〈I Know It's A Sin〉まで、途中2曲を除いて計11曲が《Dick's Picks, Vol. 26》でリリースされた。
 アンコールの中でステージではバンドがスペーシィなジャムをしている間、〈What's Become Of The Baby〉のスタジオ録音が流された。《Aoxomoxoa》収録のこの曲は結局ライヴでは演奏されていない。この曲の再生のためにオープン・リールのテープ・デッキが使われたために、このショウの SBD のオープン・リール版ではアンコールが入っていない。

3. 1970 York Farm, Poynette, WI
 日曜日。Sound Storm Rock Revival と題された3日間のイベントの最終日で、デッドはヘッドライナー。出演はこの日のみ。セット・リスト不明。午後2時半から5時間演奏した由。2セットで第一部は2時間、第二部は1時間半、オープナーは〈Turn On Your Lovelight〉と Paul Gudel は DeadBase XI で書いている。出演者は多数で、Biff Rose, ケン・キージィ、イリノイ・スピード・プレス、Rotary Connection, Crow などが共演。
 Biff Rose は1937年ニューオーリンズ生まれのシンガー・ソング・ライター。初めハリウッドで漫才の台本を書き、後、音楽に転ずる。
 Rotary Connection は1966年シカゴで結成されたサイケデリック・ソウル・バンド。マディ・ウォーターズの《The Electric Mud》でバックバンドを勤めたことで知られる。

4. 1971 Fillmore East, New York, NY
 月曜日。このヴェニュー5日連続のランの2日目。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。第二部最初の3曲〈Sugar Magnolia; It Hurts Me Too; Beat It On Down The Line〉にデュアン・オールマンが参加。3.50ドル。開演8時。第一部3曲目〈Big Boss Man〉、8曲目〈Wharf Rat〉、第二部7曲目〈Mama Tried〉が《Skull & Roses》でリリースされた。
 NRPS のステージから、凝ったライト・ショウが演じられた、と G. M. が DeadBase XI で書いている。

5. 1972 Jahrhundert Halle, Frankfurt, West Germany
 水曜日。ヨーロッパ・ツアー9本目。14マルク。開演8時。第一部クローザー前の〈The Stranger〉が《The Golden Road》所収の《Europe '72》のボーナス・トラックで、オープナー〈Bertha〉から第一部8曲、第二部5曲が《Hundred Year Hall》でリリースされた後、《Europe '72: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。
 デッドは MC で曲紹介をやらないから、ピグペンの〈The Stranger〉は《The Golden Road》で公式リリースされるまでタイトル不明で、AUD のテープでは〈Two Souls In Communion〉と呼ばれていた。
 全体の録音は CD4枚組計3:51:05で、ツアー中最長。デュッセルドルフとは異なり、この日は二部構成でクローザーに〈One More Saturday Night〉を演奏してアンコール無し。
 ツアーを毎日聴いていると、個々のメンバーの好不調の波もわかってくる。必ずしも全員がいつも絶好調をキープしているわけではない。このツアー、に限らずたいてい最も安定しているのはレシュとクロイツマン。2人の中で、クロイツマンはこのツアーを通じてすばらしく、「ほとんど神がかっていた」とレシュが言うくらいだ。この「神」は最近の強調用法ではなくて、本来の意味である。この後、まだ1974年秋までは単独で支えるわけだが、確かにこのツアーのドラミングは際立っている。
 逆に最も波が大きいのがガルシア。波が大きく出やすい位置でもあるし、また実際に様々な事情で波があったと推測する。このツアーでも日によって上下するが、下のレベルが高いのと、上のレベルが突出しているので、全体として好調を維持した。
 この日はガルシアのギターがとりわけ調子が良い。彼本来の、意表をつくフレーズがあふれ出てくる。ソロをとる度に面白いギターを聴かせ、しかもその度にキャラや語彙が異なる。オープナーの〈Bertha〉からして良く、〈Mr. Charlie〉〈Next Time You See Me〉〈Chinatown Shuffle〉〈Good Lovin'〉〈Turn On Your Lovelight〉などのピグペンの歌、〈Tennessee Jed〉のような自分の曲、〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉〈Playing In The Band〉〈Truckin'〉〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉といった長くなる曲、どれもすばらしい。
 デッドの場合、ガルシアのギターの出来の良し悪しと全体の出来の質とは必ずしも連動しないのだが、それでもガルシアのギターが面白いと、それを核としたり、あるいは先頭に押したてたりしてゆく全体の集団即興もより面白くなる。
 〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉についてデヴィッド・ガンズがライナーで書いている1件はその象徴ではある。その前の〈Turn On Your Lovelight〉の後半で、ガルシアが〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉を速いテンポで始める。1度、バンドはそれにもう少しゆっくりと従おうとするのだが、そこで誰かが〈Not Fade Away〉のフレーズを始める。そこでわずかな間だが、バンドの半分は〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉をやり、もう半分は〈Not Fade Away〉をやっている。テンポやハーモニーが変化して、一瞬、〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉から〈And We Bid You Goodnight〉のリフが顔を出す。次の瞬間、全体が〈Not Fade Away〉に傾くのだが、そこでまた気が変わって結局〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉へ突入する。言葉で書くとまどるっこしいが、聴いている分には混乱ではなくむしろ崖っ縁を渡ってゆくようにスリリングで美しい。
 もう一つ興味深いのは〈He's Gone〉だ。これが3回目の演奏で、テンポはまだ速い。それ以上に、ガルシアのソロがここだけ面白くない。というより、ほとんどソロを弾かない。歌は良いが、後のようにソロを展開しない。どのように演奏を組み立てるか、まだ模索しているように聞える。ギター・ソロの展開も、ただゼロからその場で湧きでてくるわけではないはずだ。どういう方向でやるか、メロディを崩すにしても、どのように崩すか、おそらく何度もステージでやりながら試行錯誤を重ねてゆく。その過程を目の前にしているのだ。
 〈Playing In The Band〉はもう少しアレンジが進んだ段階で、やる度に面白くなるステージにある。〈Tennessee Jed〉はさらに進んだ段階で、この曲としてはほぼ完成の域だ。ここでのガルシアのギターはこの日の中でもベストで、〈He's Gone〉と同じ人間が弾いているとも思えない。
 〈The Other One〉はまたまったく別の性格を備え、中心になるメンバーそのものが次々に変わってゆく。ビートが消え、ドラムそのものが消えたりもする。ロックに始まり、まったくのジャズになったり、フリーになったり、わけのわからないものになったり、何でもありになる。緊迫感がみなぎったり、ひどく抒情的になったり、暗い不安いっぱいになったり、ただひたすら美しくもなる。他の曲は一定のメロディ、ビートから外れないことを一応の決まりにしているが、ここではいくら外れてもかまわない、むしろ積極的に外れようとすることを決まりにしているようにみえる。〈Dark Star〉も似たところがあり、このツアーではほぼ交替にやっているが、〈The Other One〉はどちらかというと陰の側面、〈Dark Star〉は陽の側面と言えようか。この日の〈The Other One〉は35分超で、出来としてもツアー中でもベストと思える。その後にガルシアが〈Comes a Time〉をもってくるところがさらに良い。
 全体として、ツアー中のピークの一つで、演奏時間が長いのもその結果だろう。

6. 1977 Capitol Theatre, Passaic, NJ
 火曜日。8.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続のランの中日。

7. 1983 The Spectrum, Philadelphia, PA
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。04-09以来の春のツアーの千秋楽。9.50ドル。開演7時。《Dave’s Picks, Vol. 39》で全体がリリースされた。

8. 1984 Providence Civic Center, Providence, RI
 木曜日。このヴェニュー2日連続の初日。11.50ドル。開演7時半。
 ガルシアの健康とドラッグ使用量の増加が演奏に影響を与えているのがそこここに現れたショウらしい。(ゆ)

0118日・火

 HiFiMAN JapanEdition XS を発表。国内価格税込6万弱は、なかなかやるな。しかし、諸般の事情というやつで、ここはガマン。


 図書館から借りた1冊『リマリックのブラッド・メルドー』を読みだす。ここ5年ほどのろのろと書きつづけているグレイトフル・デッド本にそろそろいい加減ケリをつけてまとめようとしている、その参考になるかと思って手にとった。最初の二章を読んで、あまり参考にはならないと思ったが、中身そのものは面白い。以前、中山康樹『マイルスを聞け!』も、参考になるかと思って読んでみて、やはり参考にならなかったけれど、やはり面白く、別の意味でいろいろ勉強になった。



 マイルス本にしても、このメルドー本にしても、それぞれ対象が異なるのだから、グレイトフル・デッド本を書く参考にならないのは当然ではある。それでも藁にもすがる思いで手にとるのは、それぞれの対象の扱い方は対象と格闘し、試行錯誤を重ねる中で見つけるしかない、その苦しさと不安をまぎらわせるためではある。それにしても、デッドはマイルスよりもメルドーよりもずっと大きく、底も見えない。いや、マイルスやメルドーが小さいわけではなく、かれらとデッドを比べるのは無限大の自乗と三乗を比べるようなものではあるが、それでもデッドの音楽の広がりと豊饒さと底の知れなさは、他のいかなる音楽よりも巨大だと感じる。

 面白いことのひとつは、牧野さんもチャーリー・パーカーを日夜聴きつづけて、ある日「開眼」した。この場合聴いていたのは駄作と言われる《Plays Cole Porter》。後藤さんによればパーカーの天才はフレージングなのだから、そこさえしっかりしていればいいわけだ。

 二人までも同じ経験をしているのなら、試してみる価値はある。ただ、今、あたしにチャーリー・パーカーが必要かは、検討しなくてはならない。パーカーがわかることは、デッドがわかるために必要だろうか。

 必要であるような気もする。あるミュージシャンをわかれば、それもとびきりトップ・クラスのミュージシャンをわかれば、他のとびきりのミュージシャンもわかりやすくなるだろう。

 一方で、後藤さんも牧野さんも、まだ若い、時間がたっぷりある頃にその体験をしている。あたしにそこまでの余裕は無い。これはクリティカルだ。とすれば、パーカーは諦めて、デッドを聴くしかない。

 デッドはもちろんまだよくわかっていないのだ。全体がぼんやり見えてきてはいるが、この山脈は高く、広く、深く、思わぬところにとんでもないものが潜んでいる。デッドの音楽がわかった、という感覚に到達できるかどうか。それこそ、日夜、デッドを聴きつづけてみての話だ。

 牧野さんはジャズを通じて、普遍的、根源的な問いに答えを出そうとする。あたしは大きなことは脇に置いて、グレイトフル・デッドの音楽のどこがどのようにすばらしいか、言葉で伝えようとする。むろん、それは不可能だ。そこにあえて挑むというとおこがましい、蟷螂の斧ですら無い、一寸の虫にも五分の魂か、蟻の一穴か。いや、実はそんな大それたものではなく、はじめからできないとわかっていることをやるのは気楽だというだけのことだ。できるわけではないんだから、どんなことをやってもいい。はじめから失敗なのだから、失敗を恐れる必要もない。できないとわかっているけれど、でもやりたい。だから、やる。それだけのこと。

 一つの方針として、できるだけ饒舌になろうということは決めている。そもそも、いくら言葉をならべてもできないことなのだから、簡潔にしようがない。できるかぎりしゃべりまくれば、そのなかのどこかに、何かがひっかかるかもしれない。

 牧野さんは出せる宛もない原稿を書きつづけて千枚になった。それは大変な量だが、しかし、それではデッドには足らない。まず倍の二千枚は必要だ。目指すは1万枚。400万字。どうせならキリのいいところで500万字。これもまず千枚も書けないだろう。だからできるだけ大風呂敷を広げておくにかぎる。

 デッドを聴けば聴くほど、それについて調べれば調べるほど、デッドの音楽は、アイリッシュ・ミュージックと同じ地平に立っている、と思えてくる。バッハのポリフォニーとデッドの集団即興のジャムが同じことをやっているのを敷衍すれば、バッハ、デッド、アイリッシュ・ミュージック(とそれにつながるブリテン諸島の伝統音楽)は同じところを目指している。バッハとデッドはポリフォニーでつながり、デッドとアイリッシュ・ミュージックはその音楽世界、コミュニティを核とする世界の在り方でつながる。アンサンブルの中での個の独立と、独立した個同士のからみあい、そこから生まれるものの共有、そして、それを源としての再生産。これはジャズにもつながりそうだが、あたしはジャズについては無知だから、積極的には触れない。ただ、デッドの音楽は限りなくジャズに近づくことがある。限りなく近づくけれど、ジャズそのものにはならない。それでも限りなく近づくから、どこかでジャズについても触れないわけにもいくまい。デッドが一線を画しながら近づくものが何か、どうしてどのようにそこに近づくのか、は重要な問いでもある。

 アイリッシュ・ミュージックを含めたブリテン諸島の伝統音楽とするが、いわば北海圏と呼ぶことはできそうだ。地中海圏と同様な意味でだ。イベリア半島北岸、ブルターニュ、デンマーク、スカンディナヴィア、バルト海沿岸までの大陸も含む。ただ、そこまで広げると手に余るから、とりあえずブリテン諸島ないしブリテン群島としておく。



##本日のグレイトフル・デッド

 0118日には1970年から1979年まで、3本のショウをしている。公式リリースは準完全版が1本。


1. 1970 Springer's Inn, Portland, OR

 このショウは前々日の金曜日にステージで発表された。1時間半の一本勝負。オープナーの〈Mama Tried〉と7曲目〈Me And My Uncle〉を除いて全体が《Download Series, Volume 02》でリリースされた。配信なので時間制限は無いから、省かれたのは録音そのものに難があったためだろう。

 短いがすばらしいショウ。4曲目〈Black Peter〉でスイッチが入った感じで、その次の〈Dancing In The Street〉が圧巻。後年のディスコ調のお気楽な演奏とは違って、ひどくゆっくりとしたテンポで、ほとんど禍々しいと呼べる空気に満ちる。ひとしきり歌があってからウィアが客席に「みんな踊れ」とけしかけるが、その後の演奏は、ほんとうにこれで踊れるのかと思えるくらいジャジーで、ビートもめだたない。ガルシアのギターは低域を這いまわって、渋いソロを聴かせる。前年と明らかに違ってきていて、フレーズが多様化し、次々にメロディが湧きでてくる。同じフレーズの繰返しがほとんど無い。次の〈Good Lovin'〉の前にウィアが時間制限があるから次の曲が最後と宣言する。が、それから4曲、40分やる。〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉はもう少し後の、本当に展開しきるところへの途上。それでもガルシアのソロは聞き物。クローザー〈Turn On Your Lovelight〉は安定しないジャムが続き、この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。


2. 1978 Stockton Civic Auditorium, Stockton, CA

 自由席なので、土砂降りの雨の中、長蛇の列ができた。ショウはすばらしく、並んだ甲斐はあった。Space はウィアとドラマーたちで、Drums は無し。

 ストックトンはオークランドのほぼ真東、サクラメントのほぼ真南、ともに約75キロの街。サンフランシスコ湾の東、サスーン湾の東側に広がるサクラメントサン・ホアキン川デルタの東端。

 年初以来のカリフォルニア州内のツアーがここで一段落。次は22日にオレゴン大学に飛んで単独のショウをやった後、30日のシカゴからイリノイ、ウィスコンシン、アイオワへ短かいツアー。2月の大部分と3月一杯休んで4月初旬から5月半ばまで、春のツアーに出る。


3. 1979 Providence Civic Center, Providence, RI

 8.50ドル。開演8時。《Shakedown Street》がリリースされて初めてのこの地でのショウ。ローカルでこのアルバムがヒットしていたため、ひと眼でそれとわかる恰好をしたディスコのファンが多数来たが、お目当てのタイトル・チューンは演奏しなかったので、終演後、怒りくるっていた由。

 デッドはアルバムのサポートのためのツアーはしないので、リリースしたばかりの新譜からの曲をやるとは限らない。もっとも、このショウでは〈I Need A Miracle〉〈Good Lovin' 〉〈From The Heart Of Me〉と《Shakedown Street》収録曲を3曲やっている。

 〈Good Lovin' 〉は19660312日初演、おそらくはもっと前から演奏しているものを、13年経って、ここで初めてスタジオ録音した。カヴァー曲でスタジオ録音があるのは例外的だ。元々はピグペンの持ち歌で、かれが脱けた後は演奏されなかったが、ライヴ休止前の19741020日ウィンターランドでの「最後のショウ」で復活し、休止期後の197610月から最後までコンスタントに演奏されている。演奏回数425回。14位。ピグペンの持ち歌でかれがバンドを脱けてから復活したのは、これと〈Not Fade Away〉のみ。

 〈From the Heart of Me〉はドナの作詞作曲。19780831日、デンヴァー郊外のレッド・ロックス・アンフィシアターで初演。ガチョー夫妻参加の最後のショウである19790217日まで、計27回演奏。

 〈I Need A Miracle〉はバーロゥ&ウィアのコンビの曲。19780830日、同じレッド・ロックス・アンフィシアターで初演。19950630日ピッツバーグまで、272回演奏。

 デッドのショウは「奇蹟」が起きることで知られる。何らかの理由でチケットを買えなかった青年が会場の前に "I Need a Miracle" と書いた看板をもって座っていると、ビル・グレアムが自転車で乗りつけ、チケットと看板を交換して走り去る。チケットを渡された方は、口を開け、目を点にして、しばし茫然。幼ない頃性的虐待を繰り返し受け、収容施設からも追いだされた末、ショウの会場の駐車場でデッドヘッドのファミリーに出会って救われた少女。事故で数ヶ月意識不明だったあげく、デッドの録音を聞かせられて意識を回復し、ついには全快した男性。ショウの警備員は途中で演奏がやみ、聴衆が静かに別れて救急車を通し、急に産気づいた妊婦を乗せて走り去り、また聴衆が静かにもとにもどって演奏が始まる一部始終を目撃した。臨時のパシリとなってバンドのための買出しをした青年は、交通渋滞にまきこまれ、頼まれて買ったシンバルを乗せていたため、パニックに陥って路肩を爆走してハイウェイ・パトロールに捕まるが、事情を知った警官は会場までパトカーで先導してくれる。初めてのデッドのショウに間違ったチケットを持ってきたことに入口で気がついてあわてる女性に、後ろの中年男性が自分のチケットを譲って悠然と立ち去る。

 この歌で歌われている「奇蹟」はそうしたものとは別の類であるようだ。とはいえ、デッドヘッドは毎日とはいわなくても、ショウでは毎回「奇蹟」が起きるものと期待している。少なくとも期待してショウへ赴く。それに「奇蹟」はその場にいる全員に訪れるとはかぎらない。自分に「奇蹟」が来れば、それでいい。だから、この歌では、ウィアがマイクを客席に向けると、聴衆は力一杯 "I need a miracle every day!" とわめく。デッドが聴衆に歌わせるのは稀で、この曲と〈Throwing Stone〉だけ。どちらもウィアの曲。もちろん、聴衆はマイクを向けられなくても、いつも勝手に歌っている。ただ、この2曲ではバンドはその間演奏をやめて、聴衆だけに歌わせる。(ゆ)


1202日・木

 四谷いーぐるが選ぶ『ジャズ喫茶のジャズ』を聴く。「演奏旅行」という言葉がなつかしい。
 ざっと聴いてまずチャーリー・パーカーからの3曲。パーカーを聴く足掛かりがようやくできた。モンクの面白さ、その外れたところがわかった。確かにこれは面白い。モンクそのものもだが、一方で、ここでフロントを任されて、かなりいい演奏をしていると聞えるサド・ジョーンズとチャーリー・ラウズがモンク抜きだとどうなるのかも興味が湧く。そして、ドルフィーのフルート。昔、一度、聴こうとした時も、サックスよりもフルートの方に惹かれた覚えがある。ここは、フルートを集中的に聴いてみよう。


 後藤さんは「選曲術」と呼ぶ。DJがやっていることも同じだ、という。あたしはキュレーションと呼びたい。キュレーションは普通、展覧会などで、展示物を選び、それらを展示する順番、配置を考えることをさす。常設展示でも、同様なことはされている。人間、一度に複数の作品を同時に鑑賞することはできない。とすれば、何をどういう順番で見るか、聴くか、は大事だ。ただ、行き当たりばったりに見たり聴いたりしても、本当の魅力は見えても、聞えてもこない。だから、凡人にはこういうものをこういう順番で見たり聴いたりしてはいかが、という案内人が要る。案内してもらうことで、行き当たりばったりでは見えない、聞えないところが見え、聞えてくる。

 このオムニバスでもだからライナーが重要だ。この曲をジャズ喫茶ではなぜかけるのか、を後藤さんが書いている。その要諦は表面に聞える音楽の奥に潜むものが聞えるように仕向けることだ。それを読んで聴くと、そこに耳がゆく。
 モンクは《5・モンク・バイ・5》から〈Jackie-ing〉。

 「“ハード・バップ”はジャズの合理的演奏形式でもあるので、そのフォーマットに慣れてしまえば、かえってその中での各ミュージシャンの個性が見えやすいのです。この演奏も典型的2管ハード・バップなので、モンクの楽曲のユニークさ、モンクのピアノの特異性が浮き彫りになるという寸法です」

 聴いてみると、なるほど、他の4人は他でもよく聴くような音楽をやっている。しかし、まずメロディがヘンだ。音がおちつくべきところから外れているところに落ちているように聞える。そしてピアノの音がもっとヘンだ。他の4人の出している音とまるでかけ離れたことをやっているように聞える。全然合っていないように聞える。

 ところが、それが面白いと感じられる。気持ちよいと感じられる。ははあ、これがモンクの音楽の面白さなのか、と腑に落ちる。

 ドルフィーは《ファー・クライ》から〈Left Alone〉。

 「マル・ウォルドロンがビリー・ホリディに捧げた極め付き名曲〈レフト・アローン〉を、ドルフィーは原曲に忠実に吹くのですが、それでもパーカーのところで触れたように、ドルフィーならではの個性・存在感が際立っているのですね。これを聴けば、嫌でも彼の残された数少ない名盤に興味が向うこと請け合いです」

 確かにメロディをまったく変えずに吹いてゆくけれど、まずそのフルートの音に惹きつけられる。吸いこまれるようになる。そして、そのメロディから即興がごく自然に湧きたってくる。さあ、メロディはやったで、ここからあとは俺っちが勝手にやるんだぜい、おめーら、聞きやがれ、というジャズのお定まりのような、とってつけた感じがまるで無い。まるでそこも元々原曲の一部であるように聞える。それに、フルートという楽器の音が、こんなに胸の奥にざくざくと切りこんできて、しかもそれが快感になるなどということがあっただろうか。いや、参りました、ドルフィー、聴きましょう。

 パーカーは「ヴァーヴ時代の隠れ名盤」《フィエスタ》から〈エストレリータ〉。

 「音も良くメロディを素直に歌わせても圧倒的存在感を示す(中略)聴き所は、哀愁に満ちたラテン名曲を切々と歌い上げるパーカーならではの魅力がジャズ初心者にもわかりやすいところですね」

 パーカーはキモだと後藤さんに散々言われて、ようしと図書館にあったアンソロジーを借りてきて聴いてみても、どこが面白いのかさっぱりわからなかった。他で散々聴いているからSPの音が悪いとは思わないけれど、やっぱり後藤さんみたいに、深夜、とにかくごりごりと面白くもないこれを聴き続けなければならないのか、と敬して遠ざけていた。でもこのパーカーはいい。なるほど、凄い。これは入口になる。


 今年夏頃に発見してキュレーションの威力を感じているものがジャズでもう一つある。イングランドはブリストル在住のジャーナリストが書いている "52 for 2021" だ。パンデミックでライヴが止まった、その代わりに週に1曲、思い入れのあるトラックを紹介する。


 表面的には個人的に好きな、これまでウン十年ジャズを生で録音で聴いてきて、思い入れのあるトラックを紹介する形であるのだが、これが絶妙なキュレーションの賜物なのだ。

 書き手がイングランド人だから、わが国では名前を聞いたこともないイングランドのローカルな人(例えば Tony Coe)も登場する。聴いてみると、これが実に良かったりする。有名な人でも、あまり目立たない、名盤選などにはまず絶対に乗ってこないもの(たとえばアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの《The Album Of The Year》)が出てくる。つまり、まったく無名、いや本国では名は知られてるけれど、他ではあまり知られていない、優れてより広く聴かれる価値のある音楽や、誰でも知ってる人や音盤のすぐ脇にあって、その人たちの隠れた魅力を照らしだすような音楽を、さりげない口調で紹介してくれる。そしてその有名無名の混ぜあわせが工夫されている。ジャズに詳しい人はたぶんにやりとするだろうし、初心者は聴けば面白い音楽によってジャズの多様性と広がりを、その大きさに圧倒されずに実感できる。

 基本的にすべての音源をネット上で聴くことが可能だ。あたしは Tidal でまず探し、無ければ Apple Music で探し、それでも無ければ、YouTube か Spotify で聴いている。きちんと聴きたくなってCDを買ったものも何枚かある。


 『ジャズ喫茶のジャズ』にもどれば、これは「第1回:ジャズ喫茶が選ぶジャズ・ジャイアンツの名演」とあり、後藤さんがジャズ・ジャイアンツをどう料理するのかにまず興味があった。ビル・エヴァンスを出すのはやむをえないとしても、《Waltz For Debby》ではなく、いわばそのB面になる《Sunday At The Village Vanguard》を選んでいるのを見て、さーすがあ、こりゃあ、イケる、と思ったのだが、上記パーカーからの3曲は、期待を大きく上回ってくれました。第2回以降も楽しみになってきた。



##本日のグレイトフル・デッド

 1202日には1966年から1992年まで5本のショウをしている。公式リリースは1本。


1. 1966 Pauley Ballroom; University of California, Berkeley, CA

 Danse Macabre(死の舞踏)と題された金曜夜のダンス・パーティー。2ドル。開演9時。共演カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ。ポスターとチケットが残っている。San Francisco Chronicle 19661201日付けにも予告記事がある。が、このギグが実際に開催された、という明確な証拠は無いらしい。セット・リスト不明。

 その記事ではこのバンドは結成されて16ヶ月で、ベイ・エリアで最も人気のある組織2つのうちの片方、とある。とすると、結成は1965年8月。もう片方が何かは書いていないようだ。


2. 1971 Boston Music Hall, Boston, MA

 第二部が短かいが、第一部は良いショウとのこと。


3. 1973 Boston Music Hall, Boston, MA

 このヴェニュー3日連続の3日目。前々日と同じく曲数で6割強、時間にして8割強が《Dick’s Picks, Vol. 14》でリリースされた。こちらは第一部がオープナーとクローザーを含んで7曲。第二部がクローザーの〈Sugar Magnolia〉以外全部。それにアンコールの〈Morning Dew〉。つまりこの3日間は〈Morning Dew〉に始まり、〈Morning Dew〉に終る。

 DeadBase XI Dick Latvala John W. Scott は口をそろえて、第二部のジャムを誉めたたえている。このショウを公式リリースした《Dick’s Picks, Vol. 14》はラトヴァラの最後の仕事のはずで、そのすばらしい第二部をほぼ全部収録したわけだ。


4. 1981 Assembly Hall, University Of Illinois, Champaign-Urbana, IL

 開演7時半。セット・リスト以外の他の情報無し。


5. 1992 McNichols Arena, Denver, CO

 25.85ドル。開演7時。セット・リスト以外の他の情報無し。(ゆ)


11月23日・火

 iPhone Safari のタブに溜めていた音源を片っ端から聴く。数秒聞いてやめるのが半分くらい。中には、こういうのもじっくり聴くと面白くなるかも、というアヴァンギャルドもあるが、面白くなるまで時間がかかるのは、どうしても敬遠してしまう。こちとら、もうそんなに時間は無いのよ。

 逆に、数秒聞いて、これは買い、というのもいくつかある。

 Sara Colman のジョニ・ミッチェル・カヴァー集《Ink On A Pin》。〈Woodstock〉がこれなら、他も期待できる。
 

 Falkevik。ノルウェイのトリオ。これが今回一番の収獲。
 

 ウェールズの Tru の〈The Blacksmith〉はすばらしい。ちゃんとアルバム出してくれ。
 

 Chelsea Carmichael。シャバカ・ハッチングスがプロデュースなら、悪いものができるはずがない。
 

 Lionel Loueke。ベニン出身のギタリスト。ジャズ・スタンダード集。Tidal でまず聴くか。
 

 Esbe。北アフリカ出身らしい、ちょっと面白い。ビートルズのイエスタディのこのカヴァーは、もう一歩踏みこんでほしいが、まず面白い。むしろ、ルーミーをとりあげたアルバムを聴くかな。
 

 Grace Petrie。イングランドのゲイを公言しているシンガー・ソング・ライター。バックが今一なのだが、本人の歌と歌唱はいい。最新作はパンデミックにあって希望を歌っているらしい。
 

 Scottish National Jazz Orchestra。こんな名前を掲げられたら聞かないわけにいかないが、ドヴォルザークの「家路」をこう仕立ててきたか。こりゃあ、いいじゃない。

 Bandcamp のアメリカ在住アーティストのブツの送料がばか高いのが困る。ブツより高い。他では売ってないし。ただでさえ円安なのに。



##本日のグレイトフル・デッド

 1123日には1968年から1979年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1968 Memorial Auditorium, Ohio University, Athens, OH

 トム・コンスタンティンが正式メンバーとして参加した最初のショウ。

 前日のコロンバスでのショウにオハイオ大学の学生が多数、大学のあるアセンズから1時間半かけてやって来ていた。そこでデッドは翌日、ここでフリー・コンサートをやった。アセンズでショウをしたのはこの時のみ。

 少し後、1970年代初期にデッドは集中的に大学でのショウをするが、当初から学生を大事にしていたわけだ。ジョン・バーロゥと弁護士のハル・カント、1980年代半ばまでマネージャーだったロック・スカリー、後に広報担当となるデニス・マクナリーを除けば、デッドのメンバーにもクルーにもスタッフにも大学卒業者はいないのだが、大学生はデッドの音楽に反応した。

 このショウのことを書いたジェリィ・ガルシアからマウンテン・ガールこと Carolyn Elizabeth Garcia への手紙が1968年に書かれたものであるかどうかが、彼女とガルシア最後のパートナー、デボラ・クーンズ・ガルシアとの間のジェリィ・ガルシアの遺産をめぐる訴訟の争点となり、その手紙が1968年にまちがいなく書かれたものだとレシュが法廷で証言した。


2. 1970 Anderson Theatre, New York, NY

 セット・リスト無し。

 ヘルス・エンジェルスのための資金集め。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座で、これにウィアが参加した模様。

 ヘルス・エンジェルスとデッドとの関係はあたしにはまだよくわからない。デッド・コミュニティの中でも敬して遠ざけられている。デッドヘッドのための辞書である The Skeleton Key でも項目が無い。しかし、避けて通れるものでもないはずだ。

 マクナリーの本では1967年元旦のパンハンドルでのパーティの際に、ヘルス・エンジェルスがデッドを仲間と認めたとしている。初版176pp.

 このパーティはエンジェルスのメンバーの1人 Chocolate George が逮捕されたのを、The Diggers が協力して保釈させたことに対するエンジェルスの感謝のイベントで、デッドとビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーが出た。

 マクナリーによればエンジェルスは社会通念から疎外された者たちの集団として当時のヒッピーたちに共感してはいたものの、エンジェルスの暴力志向、メンバー以外の人間への不信感、保守的な政治志向から、その関係は不安定なものになった。1965年秋の「ヴェトナム・デー」では、エンジェルスは警官隊とともにデモ参加者に暴力をふるった。アレン・ギンズバーグとケン・キージィがエンジェルスと交渉し、以後、エンジェルスはこの「非アメリカ的平和主義者」に直接暴力をふるうことはしないことになった。たとえば1967年1月14日の有名なゴールデン・ゲイト公園での "Be-in" イベントではエンジェルスがガードマンを平和的に勤めている。

 一方でエンジェルスのパーティでデッドが演奏することはまた別問題とされたようでもある。また、ミッキー・ハートはエンジェルスのメンバーと親しく、かれらはハートの牧場を頻繁に訪れた。それにもちろんオルタモントの件がある。あそこでヘルス・エンジェルスをガードマンとして雇うことを推薦したのはデッドだった。

 ひょっとすると、単にガルシアがエンジェルスを好んだ、ということなのかもしれないが、このハートの例を見ても、そう単純なものでもなさそうだ。

 ヘルス・エンジェルスそのものもよくわからない。おそらく時代によっても場所によっても変わっているはずだ。大型オートバイとマッチョ愛好は共通する要素だが、ケン・キージィとメリィ・プランクスターズとの関係を見ても、わが国の暴走族とは違って、アメリカ文化の主流に近い感じもある。


3. 1973 County Coliseum, El Paso, TX

 前売5ドル。開演7時。良いショウの由。長いショウだ。


4. 1978 Capital Centre, Landover , MD

 7.70ドル。開演8時。これとセット・リスト以外の情報が無い。


5. 1979 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA

 セット・リスト以外の情報が無い。(ゆ)


9月20日・月

 チェコ出身のベーシスト George Mraz 16日に77歳で亡くなったそうで、同じくチェコのピアニスト Emil Viklicky LondonJazzNews に追悼文を書いている。それを見て、ムラーツがヴィクリツキィとシンガーでツィンバロン奏者の Zuzana Lapčikova 、それに Billy Hart のドラムスで作ったチェコの伝統歌謡集(とヴィクリツキィは言う)Morava》をアマゾンで注文。Jerry's Smilin': A Guitar Tribute To The Grateful Dead, Damia Timoner も一緒に注文。後者はスペインのギタリストによるソロ・ギターのデッド・トリビュート集だそうだ。
 

Morava
George Mraz
Milestone




 ムラーツがチェコを離れたのは、1968年、進攻したソ連軍の戦車に父親を殺されたからだ、と本人から直接聞いた、ヴィクリツキィが書いている。ムラーツの父親が乗っていた市電に前方不注意のソ連軍の戦車が突込み、窓を突き破った大砲に頭を強打された。父親はその前の駅で乗ってきたお婆さんに席を譲って立った、その直後のことだった。事件は占領軍のこととてチェコ警察は捜査を禁じられた。

 ムラーツは同年中にまずドイツに徃き、アメリカに渡り、ボストンのバークリーに行く。着いた日にレギュラーの仕事を提供された。その後ニューヨークに移る。


##本日のグレイトフル・デッド

 9月20日には1968年から1993年まで、10本のショウをしている。公式リリースは2本。


01. 1968 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA

 単独のショウではなく、Steve Miller, Ace of Cups が共演。25分を超える〈Drums〉には Vince Delgado Shankar Ghosh も参加。前者は後にハートのバンド Diga にも参加するパーカッショニスト。現在も現役。後者は2016年、80歳で亡くなったタブラ奏者。アリ・アクバル・カーンのパートナーとして1960年代アメリカで活動を始めている。アリ・アクバル・カーンのライヴをアウズレィ・スタンリィが録音した音源が出ているなあ。Bear's Sonic Jounrals のシリーズがこんなに出てるとは知らなんだ。

Bears Sonic Journals: That Which Colors The Mind
Ali Akbar Khan
Owsley Stanley
2020-12-18


02. 1970 Fillmore East, New York, NY

 前半最後から2曲目〈New Speedway Boogie〉が2010年、最初の《30 Days Of Dead》でリリースされた。あたしはこの年はまだデッドにハマる前で、持っていない。

 18日からのレジデンス公演3日目で、第1部アコースティック・デッド、第2部 New Riders Of The Purple Sage、第3部エレクトリック・デッド。ただ、上記〈New Speedway Boogie〉ではガルシアがエレクトリック・ギターを持っている由。ガルシアは一部の曲でピアノも弾いているらしい。この日のアコースティック・セットでは一部の曲でデヴィッド・グリスマンがマンドリンで参加。NRPS のデヴィッド・ネルスンもマンドリンを弾いている。

03. 1973 The Spectrum, Philadelphia, PA

 2日連続ここでのショウの初日。料金6ドル。後半一部にジョー・エリスとマーティン・フィエロが参加。チケットの売行が悪く、バンドはやる気がなくて、後半は4曲だけ。

04. 1974 Palais des Sports, Paris, France

 ヨーロッパ・ツアー、パリでの2日間の初日。ツアーにつきもののトラブルが噴き出したらしい。

05. 1982 Madison Square Garden, New York , NY

 3度めの MSG 2日連続の初日。料金13.50ドル。

06. 1987 Madison Square Garden, NY

 5本連続の最終日。料金17.50ドル。

07. 1988 Madison Square Garden, New York , NY

 9本連続の6本目。

08. 1990 Madison Square Garden, New York , NY

 6本連続の千秋楽。後半の大部分が《Road Trips, Vol. 2, No. 1》に収録された。収録された分だけで1時間半を超え、後半全体では2時間近かった由。〈Dark Star〉の途中で〈Playing in the Band〉の「返り」があるが、その前半は前夜の演奏。CD ではそれがわかるように並べられている。〈Throwing Stone〉のジャムのテンションの高さ。

 《Road Trips, Vol. 2, No. 1》では〈Truckin'〉〈China > Rider〉からすばらしい演奏が続く。〈Dark Star〉も全キャリアを通じてのベストの一つに数えたい。ホーンスビィのおかげもあるのだろうが、ウェルニクも踏ん張っていて、ミドランドの穴は埋めようがないが、デッド健在を強烈に訴える。

09. 1991 Boston Garden, Boston, MA

 9年ぶりのボストン・ガーデン6本連続の初日。ブルース・ホーンスビィ参加。ピアノとアコーディオン。後半冒頭〈Help on the Way > Slipknot!〉と来て、その次が〈Franklin's Tower〉ではなく〈Fire on the Mountain〉だったので、大歓声が湧いた。またアンコールが珍しくも〈Turn On Your Lovelight〉で、アンコールとしてはこれが最後となった。

10. 1993 Madison Square Garden, New York , NY

 6本連続の4本目。後半の〈Space〉とその次の次〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉にエディ・ブリッケルが参加。見事なヴォーカルを聞かせた由。〈Space〉では、しばらくポケットに手をつっこんだまま耳を傾けていたが、やおら途中から歌う、というよりラップを始めたのが、音楽とモロにからんでいた由。この人、あたしはぜーんぜん知らなんだが、こういうことができるとなると聴いてみたくなる。(ゆ)


9月11日・土

 駅前の皮膚科へ往復のバスの中で HS1300SS でデッドを聴いてゆく。このイヤフォンはすばらしい。MP3 でも各々のパートが鮮明に立ち上がってくる。ポリフォニーが明瞭に迫ってくる。たまらん。他のイヤフォンを欲しいという気がなくなる。FiiO の FD7 はまだ興味があるが、むしろ Acoustune の次のフラッグシップが気になる。それまではこの1300で十分で、むしろいずれケーブルを換えてみよう。



##本日のグレイトフル・デッド

 9月11日には1966年から1990年まで、10本のショウをしている。うち、公式リリースは1本。ミッキー・ハートの誕生日。だが、2001年以降、別の記念日になってしまった。


1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 単独のショウではなく、ジャズ・クラブのためのチャリティ・コンサート。"Gigantic All-Night Jazz/Rock Dance Concert" と題され、他の参加アーティストは John Hendricks Trio, Elvin Jones, Joe Henderson Quartet, Big Mama Thornton, Denny Zeitlin Trio, Jefferson Airplane, the Great Society そして the Wildflower。料金2.50ドル。セット・リスト無し。ジャンルを超えた組合せを好んだビル・グレアムだが、実際、この頃はジャズとロックの間の垣根はそれほど高くなかったのだろう。

 ちなみにデニィ・ザイトリンは UCSF の精神医学教授でもあるピアニスト、作曲家で、映画『SF/ボディ・スナッチャー』(1978年のリメイク版)の音楽担当。


2. 1973 William And Mary Hall, College Of William And Mary, Williamsburg, VA

 2日連続ここでのショウの初日。ここでは1978年まで計4回演奏していて、どれも良いショウのようだ。1976年と1978年のショウは各々《Dave's Picks》の Vol. 4 と Vol. 37 としてリリースされた。

 このショウでは前座の Doug Sahm のバンドからサックスの Martin Fierro とトランペットの Joe Ellis が一部の曲で参加している。マーティン・フィエロはジェリィ・ガルシアの個人バンドにも参加している。またブルース・ホーンスビィが一聴衆として、おそらく初めて見ていたそうだ。


3. 1974 Alexandra Palace, London

 2度めのヨーロッパ・ツアー冒頭ロンドン3日間の最終日。このショウの前半から6曲が《Dick’s Picks, Vol. 07》に収録された。が、ほんとうに凄いのは後半らしい。

 とはいえ、この前半も調子は良いし、とりわけ最後で、実際前半最後でもある〈Playing in the Band〉は20分を超えて、すばらしいジャムを展開する。この日の録音ではなぜかベースが大きく、鮮明に聞える。アルバム全体がそういう傾向だが、この3日目は特に大きい。ここでは誰かが全体を引張っているのではなく、それぞれ好き勝手にやりながら、全体がある有機的なまとまりをもって進んでゆく。その中で、いわば鼻の差で先頭に立っているのがベース。ガルシアはむしろ後から追いかけている。この演奏はこの曲のベスト3に入れていい。

 それにしても、この3日間のショウはすばらしい。今ならばボックス・セットか、何らかの形で各々の完全版が出ていただろう。いずれ、全貌があらためて公式リリースされることを期待する。


4. 1981 Greek Theatre University of California, Berkeley, CA

 2日連続このヴェニューでのショウの初日。ここでの最初のショウ。前売で11.50ドル、当日13ドル。

 この日は、開幕直前ジョーン・バエズが PA越しにハートに「ハッピー・バースディ」を歌ったそうだ。


5. 1982 West Palm Beach Civic Center, West Palm Beach, FL

 後半冒頭 Scarlet> Fire> Saint> Sailor> Terrapin というメドレーは唯一この時のみの由。


6. 1983 Downs of Santa Fe, Santa Fe, NM

 同じヴェニューの2日め。ミッキー・ハート40歳の誕生日。


7. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 地元3日連続の中日。80年代のこの日のショウはどれも良いが、これがベストらしい。


8. 1987 Capital Centre, Landover , MD

 同じヴェニュー3日連続の初日。17.50ドル。6年で6ドル、35%の上昇。デッドのチケットは相対的に安かったと言われる。


9. 1988 The Spectrum, Philadelphia, PA

 4本連続ここでのショウの3本め。前日の中日は休み。


10. 1990 The Spectrum, Philadelphia, PA

 ここでの3本連続の中日。(ゆ)


9月6日・月

 London Jazz News にチャーリー・ワッツの追悼記事として、2001年のインタヴューの抜粋が出る。なかなか面白い。フェアポート・コンヴェンションのデイヴ・マタックスがジャズが好きで、バンドをやっているのは承知していたが、ワッツがこんなにジャズに入れこんでいたとは不勉強にして知らなんだ。




 ワッツにジョン・マクラフリンとトニィ・ウィリアムスのライフタイム、それにサティのジムノペディを教えたのがミック・テイラーだというのは面白い。テイラーの音楽にこういうものの響きは聞えたことがない。ギターのスタイルはマクラフリンとは対極だし。あの手数の少なさはサティからだろうか。チャーリー・ワッツのジャズのレコードはストリーミングにほとんど出てこない。「いーぐる」で誰か特集してくれないかな。


 『趣味の文具箱』のインク特集を買おうとして版元が変わっているので検索すると、元のエイ出版社は民事再生法を2月に申請。直後に事業の一部をヘリテージに譲渡、とある。このヘリテージというのが臭い。公式サイトには会社の内容の記載がない。譲渡された以外の事業の記載も無い。設立は昨年9月。儲かっている事業だけ残して、他は一気に整理するための計画倒産を疑う。昔、一度、あるレコード会社でやられたことがある。あたしの被害はCD1枚のライナーの原稿料だけだったから大したことはなかったが、今回のこれで致命的やそれに近い被害を受ける人がいないといいんだが。嫌気がさして、買うのはやめる。



##本日のグレイトフル・デッド

 1969年から1990年までの6本。


1. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA

 前日に続いて、ジェファーソン・エアプレインとのダブル・ヘッダー2日め。この日はエアプレインのメンバーも加わってのジャム・セッション状態だったようだが、演奏時間は前日より短かったらしい。セット・リストはやはりいつものデッドのものとは違う。ロックンロール大会。本当の意味でのデッドのショウとは言えないかもしれない。



2. 1973 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 秋のツアーの始めで同じ会場で2日連続の1日め。前半最後の2曲が《Dave's Picks, Vol. 38》、後半の大部分8曲が同時に出た《Dave's Picks Bonus Disc 2021》に収録。うち1曲〈Eyes of the world〉は《Beyond Description》にも収録(CD1《Wake Of The Flood》のボーナス・トラック)。


 〈Let It Grow〉は単独の演奏としてはこの日が初演。


 すばらしい演奏だが、とりわけ20分に及ぶ〈Eyes of the world〉が凄い。ガルシアのギターが完全にイッテしまっている。そこへキースがからんでさらに羽目をはずす。これがあるからデッドを聴くのをやめられない。



3. 1983 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO

 同じ会場で3日連続の中日。


4. 1985 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO

 同じ会場で3日連続の最終日。


 自転車のラッパとカズーによる演奏がオープナー。珍しくダブル・アンコール。良いショウだそうで、公式リリースを期待。



5. 1987 Providence Civic Center, Providence, RI

 秋のツアーの開幕で同じ会場で3日連続の初日。


6. 1990 Coliseum, Richfield, OH

 秋のツアーの始めで同じ会場で2日連続の初日。


 ブレント・ミドランド急死後初のショウで、ヴィンス・ウェルニクのデビュー。(ゆ)


8月20日・金

 Dan Clark Audio から新フラッグシップ・ヘッドフォン、Stealth の告知。4,000USD。どうせ、国内販売は無いから、買うなら直接だが、食指が動かないでもない。とりわけ、クローズドはいい。とはいえ、EtherC Flow 1.1 があるからなあ。そりゃ、良くはなっているだろうけれど、価格差には見合わねえだろう。




 M11Plus LTD 発売日がようやくアナウンス。Shanling M6 Pro Ver.21も発表。こちらは面白みまるで無し。M17 はまだ影も形も無いなあ。


 Grim Oak Press のニュースレターで、COVID-19 のおかげで紙が不足しはじめているのと、昨年刊行予定のタイトルが今年に延期されたことから、印刷・製本がボトルネックになって、出版が滞りだしている由。以前は印刷所にファイルを送ってから本が届くまで長くても10週間だったのが、今は4ヶ月〜半年かかる。新規の印刷を受け付けないところも出てきた。この事情は Grim Oak のような小出版社だけではなくて、Big 6 も同じだそうだ。わが国ではどうなんだろう。


 Tor.com に記事が出ていたGwyneth Jones の Bold As Love のシリーズは面白そうだ。とりわけ、メイン・キャラの一人が Aoxomoxoa and the Heads というバンドのリーダーとあっては、読まないわけにはいかない。Gwyneth Jones はデビュー作 Devine Endurance を読んではみたものの、さっぱりわからなかった記憶がある。今なら読めるかもしれん。

 


 それにしてもこのシリーズのタイトルは、コメントにもあるように、ジミヘンがらみばかりで、作品の中にもジミヘンへのオマージュが鏤められているらしい。ジミヘンもひと頃、集めようとしたけど、まあ、やはり Band of Gypsy のフィルモア・イーストでのライヴに留めをさす。完全版も出てるけど、あたしには抜粋の2枚組で十分。デッドやザッパとは違う。


ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト
ジミ・ヘンドリックス
ユニバーサル インターナショナル
2000-12-13



 音楽がらみのサイエンス・フィクションとしては Kathleen Ann Goonan のナノテク四部作もあって、積読だなあ。


 ECM の Special Offer で Around The World in 80 Discs というのが来る。見てみると、ほんとに世界一周かなあ、と思ったりもするが、それなりに面白い。知らないのも多々あって、勉強にもなる。聴いてみましょう。ECM は全部 Tidal にあるし、Master も多い。この Special Offer はいつまでなんだろう。(ゆ)




日記 8月6日・金〜7日・土
 

 昼前、駅前まで出て、COVID-19 ワクチン接種2回め。ファイザー。接種直後は何も無かったが、夜半、ベッドに入る頃から微熱が出てきたようだ。そこから1時間毎にトイレに通う。毎回膀胱が満杯。7日土曜日夕方まで続く。トイレに通う間はまずまず眠れたが、土曜はやはり朦朧としている。朝には平熱。まったく何もせず。ベッドでごろごろ。時折り、眠る。


 金曜日は Bandcamp Friday なので、あれこれ注文。スイスのジャズ・ギター・トリオ Nova の The Anatomy Of Bliss が面白そうだ。バンド名もだが、「アルジャーノンに花束を」とか「ファウンデーション三部作」なんて曲をやっている。


 Grateful Dead, Dave's Picks, Vol. 39 着。1983年の完全版は4本め。レミューのライナーによれば、この年は出来不出来の差の大きな年で、全体とすれば "disastrous" の方が多い。その中でも、探せば宝石はあり、春のツアーの最終日の04-26、フィラデルフィアの The Spectrum はその宝石の一つの由。ボーナスで入っている前日の同じ会場、04-15のロチェスターの War Memorial Auditorium の二つは、SetList Program のコメントによれば、各々のショウのハイライトで、その他は公式リリースに値しない、ということらしい。1980年代前半の完全版公式リリースは少ないから、あたしなどは大喜びだが、この時期は不人気で、Dead.net ではまだ売り切れていない。1973年の Vol. 38 は数時間で売り切れていた。この辺りもひょっとすると昔からのデッドヘッドと、あたしのような新しいファンとの違いかもしれない。あたしはとにかく全期間にわたって、いい演奏は聴きたいわけだが、古くからのデッドヘッドの中には、自分がデッドの「バスに乗った」時期に固執する傾向があるように思える。



 FiiO M11Plus の国内販売がようやくアナウンス。しかし、発売は「今夏」って、もう立秋。夏も終るぜ。まあ、これでも十分ではあるし、AKM も魅力ではあるんだけど、ここはあえて M17 を待とう。


 M11Pro にインストールした Bandcamp アプリで聴くよりも、MacBook Air の Safari で Bandcamp のサイトを開いて再生し、AirPlay で M11Pro に飛ばして、Pure Music モードで聴く方が音が良い。断然良い。Pure Music モードの威力か。ところが iPhone からは Bandcamp のサイトでもアプリでも AirPlay に飛ばせない。ボタンが出てこない。iPad 用 Bandcamp アプリは前から役に立たない。Bandcamp on M11Pro よりも、iPhone の Safari 内の YouTube で再生、AirPlay > M11Pro の Pure Music モードの方がやはり音はいい。



 湾流 The Gulf Stream つまり、メヒコ湾からヨーロッパに流れる暖流が近い将来消滅する可能性があるとドイツの研究者が発表したことがIrish Times で報じられている。これも温暖化の影響だそうな。アイルランドやブリテン、イベリア半島、あるいは遠くフェロー諸島まで、湾流のおかげを蒙っているから、これが無くなれば、ヨーロッパ北西部一帯の気候は格段に厳しくなる。ダブリンがトロント並みになる。当然、この一帯の農業には大打撃のはずだ。


 湾流の消滅は湾流だけの話ではなく、世界的な海水移動に影響があるから、どういう結果になるかは軽々には言えないと、アイルランドの学者は言うが、全体的に平均気温が下がることは確実だ。


 湾流と並ぶ暖流である黒潮はどうなのだろう。(ゆ)


 2月の shezoo さんの『マタイ2021』で登場した4人のシンガーのうち、一番強烈な印象を受けたのが行川さをりさんだった。この時が初見参でもあったけれど、それだけでなく、粘り強く、身の詰まった声には完全にやられた。他の御三方が劣るというわけでは全然無いけれど、行川さんの歌う番になると一人で盛り上がっていた。その行川さんと shezoo さんのピアノ、それに田中邦和氏のサックスというトリオのライヴ。初体験。

 このトリオの名前は shezoo さんオリジナルの1曲からつけられていて、その曲は前半の最後。行川さんの声の粘りが効いている。今回初めてわかって感嘆したのは、大きく張るときだけではなく、小さい声を途切れずに続けるときの粘りだ。冒頭の Butterfly でまずそれにノックアウトされる。それに張り合うようにサックスも小さく、ほとんどブレスだけのようだが、そこにちゃんと音を入れて小さく消えるのがなんとも粋。この曲は先日、エアジンでの夜の音楽でもアンコールでやって、いい曲だけど歌うのはたいへんだろうなあと思っていた。奇しくも今回はこの曲から始まる。奇しくも、というよりこれは shezoo さんの仕掛けか。

 2曲めは行川さんの詞に shezoo さんが曲をつけたチョコレート猫。ここで早速即興になる。夜の音楽では曲目にもよるのか、珍しく即興が少なかったけれど、今回はたっぷり入る。shezoo さんのライヴはこれがないとどうも物足らない。行川さんは声で積極的に即興に参加してゆく。全体にあまり激しくならない。声が細いまま、しっかりとからむ。ここだけでなく、行川さんは即興に必ずからむ。音を伸ばしたり、細かく刻んだり。shezoo さんのアンサンブルにシンガーのいるものは多い、というか、近頃増えているが、ここまで即興にからむ人は他にはいない。声が即興にからむと、ピアノもサックスもそれを中心にするようだ。楽器同士だと対抗するところを、声が相手だと盛りたてる方向に向かうのか。行川さんの声の質のせいもあるか。こういう身の締まり方、みっしりと中身が詰まっている感覚の声は、他にあまり覚えがない。

 後半はバッハから始まる。シンフォニア第13番からメドレーでマタイの中から「アウスリーベン」。あの2月の感動が甦る。これですよ、これ。シンフォニアのスキャットもすばらしい。やはりこれが今日のハイライト。それにしても、やあっぱり、この『マタイ』、もう一度生で聴きたい。2月の公演の2日め、最後の全員での演奏が終った瞬間、全身を駆けぬけたものは、感動とかそんな言葉で表現できるようなところを遙かに超えていた。超越体験、というと違うような気もするが、何か、おそろしく巨大なものに包みこまれて生まれかわったような感覚、といえば最も近いか。

 後半は充実していて、カエターノ・ヴェローゾがアルゼンチンのロック・シンガーの歌をカヴァーしたのもいい。クラプトンの「レイラ」のような、他人の奥さんへのラヴ・ソングで、結局その奥さんを獲ってしまったというのまで同じらしい。いきなり即興から入り、ヴォーカルは口三味線ならぬ口パーカッション。ちょっとずらしたところが、うー、たまりません。

 なつかしや「朧月夜」は、このトリオにしてはストレートな演奏。でも、これもいい。そしてラストは、おなじみ Moons。イントロのピアノがまた変わっている。この曲、やる度に変わる。名曲名演。アンコールは「天上の夢」。この日、サックスが一番よく歌っていた。

 行川さんは出産・育児休暇で、このユニットの生はしばらく無いのはちょと寂しいが、コロナ・ワクチン接種を生きのびれば、また見るチャンスもあろう。まずは行川さんの歌を生で至近距離でたっぷり味わえたのは大満足。この日のライヴは5月のものが延期になったので、あたしにはラッキーだった。場所は東急・東横線が引越したその跡地に引越した Li-Po。街の外観は変わったが、若者の街なのは相変わらず。昔からそうだったけど、こういうライヴでも無ければ、老人に縁は無いのう。(ゆ)

 昨年ハロウィーン以来という夜の音楽のライヴ。パンデミックの半年の間に音楽の性格が少し変わったようでもある。あるいは隠れていた顔が現れたというべきか。こういうユニットの顔は一つだけとは限らないし、また常に変わっているのが基本とも言えるだろうから、やる度に別の顔が見えることがあたりまえでもあろう。また、パンデミックはライヴそのものだけでなく、リハーサルや個々の練習にも影響を与えるだろう。もっとも今回の練習とリハーサルはかなり大変だったとも漏らした。

 2曲を除いて「新曲」、それも普通、こういうユニットではやらないラフマニノフとかラヴェルとかを含む。そりゃあ、リハーサルは大変だったろう。

 どの曲もこのユニットの音楽になりきっているのはさすがだが、いつもの即興が目に見えて少ないのはちょっと物足らなくもある。楽曲の消化の度合いが足らないのではなく、演奏の方向がそちらに向かわないのだろう。つまり、このユニットでやるというフィルターを通すとカオスの即興をしなくても、十分ラディカルになる。

 もっともバリトン・サックスを前面に立てて、真正面から律儀にやったラフマニノフやヴィラ・ロボスと、Ayuko さんがゴッホの手紙の一節の朗読をぶちこみ、思いきりカオスに振ったラヴェルで演奏の質やテンションが変わらないのは面白く、凄くもある。しかもこの3曲をカオスをストレートの2曲ではさんでやったのは新境地でもあった。

 一方で、新曲ではない2曲、加藤さんの〈きみの夏のワルツ〉と shezoo さんの〈イワシのダンス〉は、さらに磨きがかかって、とりわけ後者はこの曲のベスト・ヴァージョンといえる名演。

 ラスト3曲〈夏の名残のバラ〉、ジュディー・シルの〈The Kiss〉、アンコールの〈Butterfly〉(Jeanette Lindstrom & Steve Dobrogosz) のスロー・テンポ三連発も下腹に響いてきた。決して重くはないのに、むしろ浮遊感すらある演奏なのに、じわじわと効いてくる。

 今回は加藤さんと Ayuko さんが、それぞれの限界に挑戦して押し広げるのを、立岩さんと shezoo さんが後押しする形でもある。ただ、挑戦とはいっても、しゃにむに突進して力任せに押すのとは違う。このユニットでこの曲をやったら面白そうだと始めたらハマってしまい、気がついたら、いつもはやらないこと、できそうにないことをやっていたというけしきだ。こういうところがユニットでやることの醍醐味だろう。

 エアジンは全てのライヴを配信している。カメラは8台、マイクも各々のミュージシャン用の他に数本は使っている。途中でも結構細かくマイクの位置を調整したりしている。このユニットではとりわけ立岩さんのパーカッションがルーツ系で、ダイナミック・レンジが大きく、捉えるのがたいへんなのだそうだ。アラブで使われるダフなどは、倍音が豊冨で、ビビっているようにも聞えてしまう。確かに、冒頭で枠を後から掌底でどんと叩いた時の音などは、たぶん生でしか本当の音はわからないだろう。

 パンデミックで、ライヴに行くのも命懸けだが、その緊張感が音楽体験の質をさらに上げるようでもある。(ゆ)

夜の音楽
Ayuko: vocal
加藤里志: saxophones
立岩潤三: percussions
shezoo: piano

4月17日・土

 ECM のニュースレターで Anouar Brahem が ECM デビュー30周年。Barzakh, 1991 は確かに衝撃だった。1998年の Thimar がつまらなくて、あれは日和ってるよねえ、と星川さんと意見が一致し、それに引き換え、Barzakh は凄いと盛り上がったこともあった。やはりあれが一番かなあ。The Astounding Eyes Of Rita は良かった記憶がある。もう一度、全部聴いてみるか。

Barzakh by Anouar Brahem
Anouar Brahem
ECM



Conte de L'Incroyable Amour (1991)
Madar (1994)
Khomsa (1995)
Thimar (1998)
Astrakan Cafe (2000)
Le Pas Du Chat Noir (2001)
Le Voyage De Sahar (2006)
The Astounding Eyes Of Rita (2009)
Souvenance (2014)
Blue Maquams (2017)


 2021 フィリップ・K・ディック賞は4月2日に発表になっていた。15日と思いこんでいた。結果は受賞作が

ROAD OUT OF WINTER by Alison Stine (Mira)
Special citation was given to:
THE BOOK OF KOLI by M. R. Carey (Orbit)

 では、スタインの本から読むぞ。しかし、これハーレクインの Mira からの刊行で、そこがまた面白い。Michelle Sagara の Chronicles of Elantra のシリーズも今は Mira から出ている。ハーレクインは邦訳もどんどん出してるようだが、昔ながらのロマンスもの中心にごく一部のみ。ディック賞獲ったからって、出さねえだろうなあ。

 New York Times のジェフ・ヴァンダミアのインタヴューで名前の出てくる作家は見事なまでにまったく知らない。まあ、ここで名前を知って読みゃあいいわけだが、それにしても、だ。いわゆるSFFプロパーの名前が出てくるとほっとする。でも、この部分はちょっとメジャーすぎないか、と思えるほど、他の人たちの名前をちらりと聞いたことすらない。いったい、どこでこういう本や書き手を見つけるんだろう。いや、もちろん、あたしなんぞとは次元が違うほど遙かに広く目配りはしてるんだろうけどさ。

 で、そのヴァンダミアが薦める The Traitor by Michael Cisco を注文。


 

 この本についてのヴァンダミアのブログ

 この人は一応ホラー中心に書いてるらしい。


 散歩の供はShow Of Hands, 24 MARCH 1996: Live at the Royal Albert Hall。

Live at the Royal Albert Hall
Show of Hands
Imports
2014-01-21


 あらためて聴くとシンガーとしてのナイトリィの良さが印象的。曲としてそれほどではないものでも、歌唱で聴かせてしまう。この頃のライヴではやはりかれのヴォーカルが人気を培っていったのだろう。これを小さな会場で聴けば圧倒的ではなかったか。もちろんそれを活かし、刺激を与えていったのはビアだったわけだが、本人の精進も相当なものだったはず。

 録音がすばらしい。ということは会場の音響も良かったにちがいない。

 Galway Farmer は Skewball のヴァリエーションで、わが走れコータローのいとこでもあるが、このストーリーはやはりウケる。

 女性シンガー、すばらしい、誰だっけ、と帰ってから見ると Sally Barker だった。そういえば、最新作を買うのを忘れてた。 

 それにしても四半世紀経ってしまった。(ゆ)

 FRUK のニュースレター。面白そうなものが満載。分量もいつもより多い。しかし、今、読んだり聞いたりしてるヒマはない。今日も散歩の他はひたすら仕事。


 散歩の供は Jon Balke & Amina Alaoui の《Siwan》2009。ノルウェイのピアニストのバルケがモロッコのアラブ・アンダルシア音楽のシンガーを迎え、同じくノルウェイの Bjarte Eike 率いる Barokksolistene とトランペットの John Hassell、アラブ打楽器奏者を集めて作った1枚。アミナ・アラウイの線で買ったものだけど、大当り。アラウイの録音の中でも一番好き。アラウイ自身も楽しんで歌っている。アラブ録音とは録音のやり方が違う。そこは ECM で、こういう歌唱の録り方は心得たもの。ここでこの人がまわすコブシを HD414 のバランス接続で聴くと、歩きながらでも至福の感覚がひたひたと湧いてくる。

 Bjarte Eike のヴァイオリンがまたすばらしい。サイトにはハーディングフェーレを弾いてる写真もあって、かなり型破りで広範囲な活動をしている。われらが酒井絵美さんの先輩のような存在か。ここでのヴァイオリンはほとんどアラブ・フィドルの趣で、それを古楽のアンサンブルが浮上させる。そこにジョン・ハッセルのあのトランペットが響いてくると、異界の情景が出現する。

 こういう、境界線を溶かしながら、各々の特性はしっかり打ち出す、ホンモノの異種交配には身も心もとろける。散歩の足取りも軽くなる。

Siwan (Ocrd)
Balke, Jon
Ecm Records
2009-06-30


 COVID-19 が始まって一度停まったライヴ通いが再開したのはこのユニットのライヴだった。そして今年最後のライヴもこのユニット。それはもうすばらしいもので、生の音楽を堪能させていただいた。

 あたしにとって生の音楽が再開したそのライヴのゲストが桑野氏。それはそれはすばらしかったのはリスナーにとってだけでなく、むしろミュージシャンにとって一層その感覚が強く、ぜひもう一度、ということになった。加藤さんは甲府でのライヴで、やはり忘れがたい演奏をして、これまた透明な庭のお二人が熱望しての再演。

 ということで、今回は全曲を4人全員でやる。前回は桑野さんはお休みで、shezoo、藤野のデュオでやる時もあったが、今回はゲストというよりも完全にバンドである。このままカルテットとしてやってもいいんじゃないか、いや、むしろやって欲しいと思えるほどの完成度。単に優れたミュージシャンが集まりましただけでは、こうはならない。この4人の相性が良いというか、化学反応、それも良い反応が起きやすい組合せなのにちがいない。

 shezoo さんのバンドはいろいろ見ているが、いつもその組合せの妙に感心する。こういうハマった組合せをよくもまあ見つけてくるものよ、と見るたびに思う。しかも、その各々に個性が異なる。shezoo さんは共通だし、加藤さんのように他にも共通するメンバーもいるが、どのバンドも各々に音楽の性格が違う。そして新しいものほど、メンバー間の関係がより対等になっているようにもみえる。あたしにとっては一番古いトリニテはshezoo さんの楽曲を演奏する楽隊という性格が基本だが、最近の夜の音楽はバンマスというか、言いだしっぺは shezoo さんだが、一度バンドが動きだすと、楽曲も持ちよりだし、音楽を作るプロセスも対等だ。トリニテではやはりフロントの二人とリズム・セクションという役割分担がどうしてもできる。最近のユニットではそこも対等になっている。この透明な庭はデュオということもあって、今回も藤野さんがしきりにあおっていたように、MCも二人ができるだけ対等に担当する。

 桑野、加藤が加わった4人での演奏は、アレンジは作曲者がやったようだが、どちらも全員をフィーチュアすることを目指したらしい。それがまず現れたのが2曲めの藤野さんの〈晩夏光〉。加藤さんのバリトン・サックスが下から全体を持ちあげる中でヴァイオリンがどこかクラシック的なメロディを奏で、そのままソロに突入する。桑野さんはライヴはほとんどやらず、「ひきこもり」で音楽を作り、演っているそうだが、こういうソロはもとライヴで聴きたい。と、うっとりしていたら、バリトン・サックスのソロが炸裂して驚いた。こういう言い方はもう失礼かもしれないが、加藤さんは見る度に進歩している。腕が上がっている。よほどに精進しているはずだ。単に練習しているだけでなく、いろいろ聴き、見て、読んで、広く深く吸収もしているはずだ。音楽家としての厚みが増している。次の shezoo さんの〈空と花〉でもヴァイオリンからサックスへソロを渡し、そしてラストの音の消え方が絶品。前半最後の shezoo さんの〈タワー〉では藤野さんのアコーディオンから、加藤さんがバリトンとアルトを持ちかえて、各々にソロをかます。アコーディオンの音色が美しい。

 アコーディオンに限らず、サックスもヴァイオリンも音色が実に美しい。バランスもばっちりで、先週も思ったことだが音倉のPAのエンジニアさんはすばらしい仕事をしている。

 後半は新曲を並べる。透明な庭のセカンドのためのものだそうだ。はじめ shezoo さんの曲が3曲並ぶ。どれも良かったが、ハイライトはやはり〈Dreaming > バラコーネ1〉。前回桑野さんが加わった時のダントツのベストだったけれど、加藤さんが加わって音の厚みとダイナミズムがさらに大きくなる。そうなると藤野さんが高域で小さく奏でるソロの美しさが引き立つ。この曲、演る度に変化し、良くなってゆく。この先、どうなるか、実に楽しみだ。

 次の藤野さんの〈ヒライス〉の中間部でアコーディオンとヴァイオリンがケルト系のダンス・チューンのようなフレーズをユニゾンで演ったのには降参しました。粋だよなあ。

 全員羽目を外しての即興でも、一瞬もダレることもなく、ムダな音も無い。いつもはライヴだけで満足してしまうが、今回はアーカイヴでもう一度聴きたいと思う。このまんまDVDにしてもいいんじゃないか。

 shezoo さんはこの後、来年2月の『マタイ受難曲2021』に向けて本格的な準備に入るので、それまでは透明な庭はお預けになる。COVID-19 がどうなるか、予断は許されないが、ライヴを再開できたら、ぜひまたこのカルテットでやっていただきたい。

 『マタイ』はもちろん2日ともチケットを買いました。とにかく無事、公演ができますように。そして、それにできるかぎり万全のコンディションで行けますように。

 ライヴ通いについては回数が激減したのはやむをえないが、行けたライヴはどれもすばらしかった。とりわけ、3月の、ライヴそのものが中断された直前のクーモリと Tricolor の対バンとこの「百年に一度の花」は中でも際立つ。終り良ければなべて良し。困難な条件を乗りこえてライヴを開催してくれたミュージシャンたちと会場のオーナー、スタッフの皆さんには、感謝の言葉もない。ありがとうございました。(ゆ)

Invisible Garden
透明な庭
qs lebel
2020-02-01


文學界 (2020年11月号)
文藝春秋
2020-10-07


 「JAZZ × 文学」として「総力特集」を組む。冒頭に村井康司さんによる村上春樹へのロング・インタヴューを置き、以下に

創作2本
対談3本
長めのエッセイ2本
「ジャズと私」として短いエッセイ9本
「ジャズ喫茶店主が選ぶこの1枚とこの1冊として7本
それに小説と非小説それぞれの読書ガイド

を収録する。巻頭から155ページ。全体の4割を割いている。

 『文學界』の読者にジャズを紹介しようというのが基本の姿勢。村上春樹にこれからスタン・ゲッツを聴こうという人へのお薦めを訊ねているのが象徴だ。登場している書き手たちの作品の背後にジャズがあることを示し、そのジャズの世界へ誘う。

 登場している人たちは皆、長年ジャズに親しんでいる。聴くだけでなく、読んでもいる。作家だけでなく、ジャズ喫茶の店主たちも皆読書家だ。そのセレクションがまず面白い。初めのお二人の1冊はジャズの本だが、他の5人それぞれの1冊はジャズと結びつけられることはまず無いものばかりだ。

 親しみ方も半端ではなく、時間が長いだけでなく、聴いている音楽のほとんどはジャズであるらしいし、深く突込んで聴いている。

 にもかかわらず、あるいはそれ故にこそ、語られているジャズはほとんどがビバップからコルトレーンの死までの、ジャズの黄金時代と呼ばれるごく短かい時期の録音だ。山下洋輔 × 菊地成孔、岸政彦 × 山中千尋の対談が各々のジャズを対象にしているのと、ラストに置かれた柳樂光隆氏の文章がかろうじて今起きているジャズに触れているのが目立つ。

 あるいはペーター・ブロッツマンについての保坂和志の文章が新鮮になる。この文章は、ブロッツマンの、ジャズの、ひいては音楽の聴き方そのものについても新鮮で、この特集で最も面白いものの一つだ。

 個人的には文学側で唯一、本人を知っている木村紅美さんの文章も面白い。そういえば、彼女と音楽全体について話をしたことはなかった。

 アマチュアとして実践する立場からジャズの「現場」について論じた岸政彦のエッセイもいろいろと興味深い。これを読むと、ジャズとアイリッシュ・ミュージックの相似にますます確信が強くなった。世界のいたるところで音楽の共通言語になっているということで、つまり、一定の数の「スタンダード」といくつかのルールを身につけているだけで、誰とでもどこでも「セッション」できてしまうという点で、ジャズとアイリッシュ・ミュージックは同じだ。だからといって、両方一緒にやるのも容易というわけではないが。

 もう一つ、岸氏のいう「ジャズ界」がニューヨークを頂点とするヒエラルキーをなしているという見方もいろいろな意味で興味深い。ロンドンやミュンヘンやストックホルム、あるいはイスタンブールやカイロ、あるいはブエノスアイレスやサンパウロでジャズをやっている人たちもそういうヒエラルキーを捕捉しているのだろうか。その前に、アトランタやシカゴやサンフランシスコやでジャズをやっている人たちが、そういうヒエラルキーを見ているのだろうか。

 いるのかもしれない。アイリッシュ・ミュージックにおいて、源泉としてのアイルランドの地位は絶対的だから、ジャズにおいてもそうしたセンターがあってもおかしくはない。

 ただ、ジャズにはそういうニューヨークを頂点とするヒエラルキーを成すものとは別の側面、位相、要素もあるようにも見える。そして、あたしが今いっちゃん面白いと入れこんでいるのは、そのヒエラルキーからは外れた、センターをひっぱずすようなジャズなのだ。端的に言えば、各地の伝統音楽の要素を持ちこみ、あるいは伝統音楽にジャズの方法論を適用して、これまで聴いたことがないと思える音楽をやっている連中だ。

 もう一つ言えば、あたしのような、ジャズも聴くリスナー、音楽は大好きで、ここに登場している人たちと同じく、音楽が無くては生きてはいけないが、ジャズはその音楽生活の一部であるような人間が面白がる音楽だ。

 その意味では、村上春樹が聴いているジャズ以外の音楽も含めた話を聞いてみたい。CDで持っているのはクラシックが多いというのなら、何をどのように聴いているのか。それは村上の中でジャズとどうつながっているのかいないのか。オーディオ・ファンの端くれとしては、何で聴いているのかも訊いてみたいが、おそらくそれはもうどこかに出ているのだろう。

 JAZZ × 文学を掲げるのであれば、「ジャズ文学」についての話が、読書ガイドだけではなく、もっとあってもいいと思う。この号には映画『スパイの妻』をめぐる蓮實重彦、黒沢清、濱口竜介の鼎談も載っていて、これが滅法面白い。映画はふだん見ないあたしも、これなら見てもいいかなと思えるくらい面白い。たとえば間章の文業について、微に入り細を穿って検討する座談会ないし論考ぐらいは欲しいところだ。筒井康隆の「ジャズ小説」についてのものでもいい。

 まあ、そういうことはこれからやられることを期待しよう。

 それにしても、こういう特集が組まれるのは、ジャズが今また盛り上がっていることの反映なのだろう。それにしてはその今の盛り上がりの内実に触れているのが、ほとんど柳樂さんの文章だけというのも、これまたひどく「ジャズ的」と思うのは下司の勘繰りであろうか。

 ジャズはもともとが雑種音楽で、実に多種多様多彩なものから成っていて、多種多様多彩な位相、側面を展開し、聴かせてきた、とあたしには見えるのだが、たとえばここに現れているように、ジャズをモノ・カルチャーと見ようとする姿勢ばかりが目立つのは、もったいないとも思うし、半世紀前ならともかく、「多様性」があらゆる文化のキーワードになってきている今の精神にはそぐわないとも思う。リニアな物語として捉えるのは、目先、役に立つかもしれないが、そういう物語は多くのものを切り捨てなければ成立しない。一般的に言っても、語られていないところで起きていることの方がずっと面白く、したがって大事なことの方が多いのだ。そのことは『100年のジャズを聴く』後藤雅洋×村井康司×柳樂光隆でも、散々言われていたことではある。皆さん、あの本を読んでいないのか。

100年のジャズを聴く
柳樂 光隆
シンコーミュージック
2017-11-16



 現代のジャズ・ミュージシャンのレコード棚にはジミー・ジュフリーのレコードが、現代のジャズ・ファンのレコード棚よりもずっと沢山あるのではないかと思っている、証拠は何も無いが。先日、ECM から出た Matthieu Bordenave/Patrice Moret/Florian Weber の La Traversee のレヴューにこうあって、なるほどと思って聴いてみれば、そう、こういう絡み合う即興があたしには面白いのだと納得した。そして、この絡み合う即興は、そう、グレイトフル・デッドの即興にも通じるのだ。このアルバムの3人がデッドを聴いているとはちょっと思えないが。(ゆ)

このページのトップヘ