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ジャズの故郷、ニューオリンズ音楽の歴史:バディ・ボールデンからジョン・バティステまで@いーぐる、四谷
『スティーヴン・フォスターに始まる〈アメリカーナ〉とジャズ』@いーぐる、四谷
shinono-me + 荒谷良一 @ 横浜・エアジン
shinono-me
石川真奈美: vocal
永井朋生: percussion
shezoo: piano
荒谷良一: photography, slide show
2023年のベスト ライヴ篇
12-17, アウラ、クリスマス・コンサート @ ハクジュ・ホール、富ケ谷
赤木りえ& shezoo @ カフェ・ブールマン、成城学園
ECM あたしの一枚
なので昨日のイベントでバラカンさんが選んだ一枚としてブラヒムの Thimar からかかったのは、我が意を得たりというところだった。バラカンさんは、リスナーからずばりと当てられて、がっくりされてたけれど。
ブラヒムに続いて、1994年、Lena Willemark & Ale Moller の Nordan が登場し、ますます ECM は身近になった。これ以後、Agram, 1996, Frifot, 1999 と続く。Nordan、Agram はそれぞれに北国の冬と夏を描いて、かれらのアルバムとしてもピークとなったし、およそヨーロッパのルーツ・ミュージックでくくられる音楽の録音としてもベストに数えられるものではある。
アミナにはもう一枚 Arco Iris もある。
南に目を転じると Savina Yannatou の TERRA NOSTRA が2003年だが、これは2001年のギリシャ盤の再発で、ECMオリジナルは2008年の Songs Of An Other から。あたしなんぞは ECM で TERRA NOSTRA を知った口だから、この再発はもちろんありがたい。
が、それよりもっと驚いたのは Robin Williamson が2002年に Skirting The River Road を出していたのを後から知った時だった。ウィリアムスンはさらに2006年 The Iron Stone、2014年 Trusting In The Rising Light と出している。ウィリアムスンはたぶん ECM の全カタログの中でも珍品と言っていいんじゃなかろうか。このあたり、ECM 中でも「メインストリーム」のリスナーはどう評価するのだろう。その前に、アイヒャーがこういう音楽のどこに価値を見出したのか、訊いてみたくなる。いや、文句をつけてるわけじゃない。ただ、ウィリアムスンのこういう音楽は、聴くのがつらくないといえば嘘になる。ウィリアムスンはハーパーとしてすばらしいアルバムもあるし、アメリカで出した Merry Band とのアルバムは好きだ。が、インクレディブル・ストリング・バンドがあたしはどうしてもわからないのである。ECM での音楽は、かつて ISB でやろうとしてできなかったことを、思う存分、やりたい放題にやったように聞えて、そこがつらい。ISB が大好きという人もいるわけだから、聴く価値がないなどとは言わないが、なんとも居心地がよくないのだ。
透明なトリニテの庭 @ Zimazine, 南青山
透明なトリニテの庭
壷井彰久: violin
北田学: clarinet, bass-clarinet
井谷享志: percussion
藤野由佳: accordion
shezoo: piano
shinono-me @ カフェ・ブールマン、成城学園、東京
透明な庭 @ エアジン、横浜
みみたぼ @ Sweet Rain, 中野
Trinite @ Sweet Rain、中野
加藤里志 Saxophone SOLO plays J.S.BACH + Guest 柳川瑞季@エアジン、横浜
スナーキー・パピーのライヴ・ビデオ
AirPods Pro
Natalie Cressman & Ian Faquini - Cant Find My Way Home (Live Performance Video)
Mads Tolling
『リマリックのブラッド・メルドー』
01月18日・火
HiFiMAN Japan、Edition XS を発表。国内価格税込6万弱は、なかなかやるな。しかし、諸般の事情というやつで、ここはガマン。
図書館から借りた1冊『リマリックのブラッド・メルドー』を読みだす。ここ5年ほどのろのろと書きつづけているグレイトフル・デッド本にそろそろいい加減ケリをつけてまとめようとしている、その参考になるかと思って手にとった。最初の二章を読んで、あまり参考にはならないと思ったが、中身そのものは面白い。以前、中山康樹『マイルスを聞け!』も、参考になるかと思って読んでみて、やはり参考にならなかったけれど、やはり面白く、別の意味でいろいろ勉強になった。
マイルス本にしても、このメルドー本にしても、それぞれ対象が異なるのだから、グレイトフル・デッド本を書く参考にならないのは当然ではある。それでも藁にもすがる思いで手にとるのは、それぞれの対象の扱い方は対象と格闘し、試行錯誤を重ねる中で見つけるしかない、その苦しさと不安をまぎらわせるためではある。それにしても、デッドはマイルスよりもメルドーよりもずっと大きく、底も見えない。いや、マイルスやメルドーが小さいわけではなく、かれらとデッドを比べるのは無限大の自乗と三乗を比べるようなものではあるが、それでもデッドの音楽の広がりと豊饒さと底の知れなさは、他のいかなる音楽よりも巨大だと感じる。
面白いことのひとつは、牧野さんもチャーリー・パーカーを日夜聴きつづけて、ある日「開眼」した。この場合聴いていたのは駄作と言われる《Plays Cole Porter》。後藤さんによればパーカーの天才はフレージングなのだから、そこさえしっかりしていればいいわけだ。
二人までも同じ経験をしているのなら、試してみる価値はある。ただ、今、あたしにチャーリー・パーカーが必要かは、検討しなくてはならない。パーカーがわかることは、デッドがわかるために必要だろうか。
必要であるような気もする。あるミュージシャンをわかれば、それもとびきりトップ・クラスのミュージシャンをわかれば、他のとびきりのミュージシャンもわかりやすくなるだろう。
一方で、後藤さんも牧野さんも、まだ若い、時間がたっぷりある頃にその体験をしている。あたしにそこまでの余裕は無い。これはクリティカルだ。とすれば、パーカーは諦めて、デッドを聴くしかない。
デッドはもちろんまだよくわかっていないのだ。全体がぼんやり見えてきてはいるが、この山脈は高く、広く、深く、思わぬところにとんでもないものが潜んでいる。デッドの音楽がわかった、という感覚に到達できるかどうか。それこそ、日夜、デッドを聴きつづけてみての話だ。
牧野さんはジャズを通じて、普遍的、根源的な問いに答えを出そうとする。あたしは大きなことは脇に置いて、グレイトフル・デッドの音楽のどこがどのようにすばらしいか、言葉で伝えようとする。むろん、それは不可能だ。そこにあえて挑むというとおこがましい、蟷螂の斧ですら無い、一寸の虫にも五分の魂か、蟻の一穴か。いや、実はそんな大それたものではなく、はじめからできないとわかっていることをやるのは気楽だというだけのことだ。できるわけではないんだから、どんなことをやってもいい。はじめから失敗なのだから、失敗を恐れる必要もない。できないとわかっているけれど、でもやりたい。だから、やる。それだけのこと。
一つの方針として、できるだけ饒舌になろうということは決めている。そもそも、いくら言葉をならべてもできないことなのだから、簡潔にしようがない。できるかぎりしゃべりまくれば、そのなかのどこかに、何かがひっかかるかもしれない。
牧野さんは出せる宛もない原稿を書きつづけて千枚になった。それは大変な量だが、しかし、それではデッドには足らない。まず倍の二千枚は必要だ。目指すは1万枚。400万字。どうせならキリのいいところで500万字。これもまず千枚も書けないだろう。だからできるだけ大風呂敷を広げておくにかぎる。
デッドを聴けば聴くほど、それについて調べれば調べるほど、デッドの音楽は、アイリッシュ・ミュージックと同じ地平に立っている、と思えてくる。バッハのポリフォニーとデッドの集団即興のジャムが同じことをやっているのを敷衍すれば、バッハ、デッド、アイリッシュ・ミュージック(とそれにつながるブリテン諸島の伝統音楽)は同じところを目指している。バッハとデッドはポリフォニーでつながり、デッドとアイリッシュ・ミュージックはその音楽世界、コミュニティを核とする世界の在り方でつながる。アンサンブルの中での個の独立と、独立した個同士のからみあい、そこから生まれるものの共有、そして、それを源としての再生産。これはジャズにもつながりそうだが、あたしはジャズについては無知だから、積極的には触れない。ただ、デッドの音楽は限りなくジャズに近づくことがある。限りなく近づくけれど、ジャズそのものにはならない。それでも限りなく近づくから、どこかでジャズについても触れないわけにもいくまい。デッドが一線を画しながら近づくものが何か、どうしてどのようにそこに近づくのか、は重要な問いでもある。
アイリッシュ・ミュージックを含めたブリテン諸島の伝統音楽とするが、いわば北海圏と呼ぶことはできそうだ。地中海圏と同様な意味でだ。イベリア半島北岸、ブルターニュ、デンマーク、スカンディナヴィア、バルト海沿岸までの大陸も含む。ただ、そこまで広げると手に余るから、とりあえずブリテン諸島ないしブリテン群島としておく。
##本日のグレイトフル・デッド
01月18日には1970年から1979年まで、3本のショウをしている。公式リリースは準完全版が1本。
1. 1970 Springer's Inn, Portland, OR
このショウは前々日の金曜日にステージで発表された。1時間半の一本勝負。オープナーの〈Mama Tried〉と7曲目〈Me And My Uncle〉を除いて全体が《Download Series, Volume 02》でリリースされた。配信なので時間制限は無いから、省かれたのは録音そのものに難があったためだろう。
短いがすばらしいショウ。4曲目〈Black Peter〉でスイッチが入った感じで、その次の〈Dancing In The Street〉が圧巻。後年のディスコ調のお気楽な演奏とは違って、ひどくゆっくりとしたテンポで、ほとんど禍々しいと呼べる空気に満ちる。ひとしきり歌があってからウィアが客席に「みんな踊れ」とけしかけるが、その後の演奏は、ほんとうにこれで踊れるのかと思えるくらいジャジーで、ビートもめだたない。ガルシアのギターは低域を這いまわって、渋いソロを聴かせる。前年と明らかに違ってきていて、フレーズが多様化し、次々にメロディが湧きでてくる。同じフレーズの繰返しがほとんど無い。次の〈Good Lovin'〉の前にウィアが時間制限があるから次の曲が最後と宣言する。が、それから4曲、40分やる。〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉はもう少し後の、本当に展開しきるところへの途上。それでもガルシアのソロは聞き物。クローザー〈Turn On Your Lovelight〉は安定しないジャムが続き、この歌のベスト・ヴァージョンの一つ。
2. 1978 Stockton Civic Auditorium, Stockton, CA
自由席なので、土砂降りの雨の中、長蛇の列ができた。ショウはすばらしく、並んだ甲斐はあった。Space はウィアとドラマーたちで、Drums は無し。
ストックトンはオークランドのほぼ真東、サクラメントのほぼ真南、ともに約75キロの街。サンフランシスコ湾の東、サスーン湾の東側に広がるサクラメント—サン・ホアキン川デルタの東端。
年初以来のカリフォルニア州内のツアーがここで一段落。次は22日にオレゴン大学に飛んで単独のショウをやった後、30日のシカゴからイリノイ、ウィスコンシン、アイオワへ短かいツアー。2月の大部分と3月一杯休んで4月初旬から5月半ばまで、春のツアーに出る。
3. 1979 Providence Civic Center, Providence, RI
8.50ドル。開演8時。《Shakedown Street》がリリースされて初めてのこの地でのショウ。ローカルでこのアルバムがヒットしていたため、ひと眼でそれとわかる恰好をしたディスコのファンが多数来たが、お目当てのタイトル・チューンは演奏しなかったので、終演後、怒りくるっていた由。
デッドはアルバムのサポートのためのツアーはしないので、リリースしたばかりの新譜からの曲をやるとは限らない。もっとも、このショウでは〈I Need A Miracle〉〈Good Lovin' 〉〈From The Heart Of Me〉と《Shakedown Street》収録曲を3曲やっている。
〈Good Lovin' 〉は1966年03月12日初演、おそらくはもっと前から演奏しているものを、13年経って、ここで初めてスタジオ録音した。カヴァー曲でスタジオ録音があるのは例外的だ。元々はピグペンの持ち歌で、かれが脱けた後は演奏されなかったが、ライヴ休止前の1974年10月20日ウィンターランドでの「最後のショウ」で復活し、休止期後の1976年10月から最後までコンスタントに演奏されている。演奏回数425回。14位。ピグペンの持ち歌でかれがバンドを脱けてから復活したのは、これと〈Not Fade Away〉のみ。
〈From the Heart of Me〉はドナの作詞作曲。1978年08月31日、デンヴァー郊外のレッド・ロックス・アンフィシアターで初演。ガチョー夫妻参加の最後のショウである1979年02月17日まで、計27回演奏。
〈I Need A Miracle〉はバーロゥ&ウィアのコンビの曲。1978年08月30日、同じレッド・ロックス・アンフィシアターで初演。1995年06月30日ピッツバーグまで、272回演奏。
デッドのショウは「奇蹟」が起きることで知られる。何らかの理由でチケットを買えなかった青年が会場の前に "I Need a Miracle" と書いた看板をもって座っていると、ビル・グレアムが自転車で乗りつけ、チケットと看板を交換して走り去る。チケットを渡された方は、口を開け、目を点にして、しばし茫然。幼ない頃性的虐待を繰り返し受け、収容施設からも追いだされた末、ショウの会場の駐車場でデッドヘッドのファミリーに出会って救われた少女。事故で数ヶ月意識不明だったあげく、デッドの録音を聞かせられて意識を回復し、ついには全快した男性。ショウの警備員は途中で演奏がやみ、聴衆が静かに別れて救急車を通し、急に産気づいた妊婦を乗せて走り去り、また聴衆が静かにもとにもどって演奏が始まる一部始終を目撃した。臨時のパシリとなってバンドのための買出しをした青年は、交通渋滞にまきこまれ、頼まれて買ったシンバルを乗せていたため、パニックに陥って路肩を爆走してハイウェイ・パトロールに捕まるが、事情を知った警官は会場までパトカーで先導してくれる。初めてのデッドのショウに間違ったチケットを持ってきたことに入口で気がついてあわてる女性に、後ろの中年男性が自分のチケットを譲って悠然と立ち去る。
この歌で歌われている「奇蹟」はそうしたものとは別の類であるようだ。とはいえ、デッドヘッドは毎日とはいわなくても、ショウでは毎回「奇蹟」が起きるものと期待している。少なくとも期待してショウへ赴く。それに「奇蹟」はその場にいる全員に訪れるとはかぎらない。自分に「奇蹟」が来れば、それでいい。だから、この歌では、ウィアがマイクを客席に向けると、聴衆は力一杯 "I need a miracle every day!" とわめく。デッドが聴衆に歌わせるのは稀で、この曲と〈Throwing Stone〉だけ。どちらもウィアの曲。もちろん、聴衆はマイクを向けられなくても、いつも勝手に歌っている。ただ、この2曲ではバンドはその間演奏をやめて、聴衆だけに歌わせる。(ゆ)
四谷いーぐるが選ぶ『ジャズ喫茶のジャズ』
12月02日・木
四谷いーぐるが選ぶ『ジャズ喫茶のジャズ』を聴く。「演奏旅行」という言葉がなつかしい。
ざっと聴いてまずチャーリー・パーカーからの3曲。パーカーを聴く足掛かりがようやくできた。モンクの面白さ、その外れたところがわかった。確かにこれは面白い。モンクそのものもだが、一方で、ここでフロントを任されて、かなりいい演奏をしていると聞えるサド・ジョーンズとチャーリー・ラウズがモンク抜きだとどうなるのかも興味が湧く。そして、ドルフィーのフルート。昔、一度、聴こうとした時も、サックスよりもフルートの方に惹かれた覚えがある。ここは、フルートを集中的に聴いてみよう。
後藤さんは「選曲術」と呼ぶ。DJがやっていることも同じだ、という。あたしはキュレーションと呼びたい。キュレーションは普通、展覧会などで、展示物を選び、それらを展示する順番、配置を考えることをさす。常設展示でも、同様なことはされている。人間、一度に複数の作品を同時に鑑賞することはできない。とすれば、何をどういう順番で見るか、聴くか、は大事だ。ただ、行き当たりばったりに見たり聴いたりしても、本当の魅力は見えても、聞えてもこない。だから、凡人にはこういうものをこういう順番で見たり聴いたりしてはいかが、という案内人が要る。案内してもらうことで、行き当たりばったりでは見えない、聞えないところが見え、聞えてくる。
このオムニバスでもだからライナーが重要だ。この曲をジャズ喫茶ではなぜかけるのか、を後藤さんが書いている。その要諦は表面に聞える音楽の奥に潜むものが聞えるように仕向けることだ。それを読んで聴くと、そこに耳がゆく。
モンクは《5・モンク・バイ・5》から〈Jackie-ing〉。
「“ハード・バップ”はジャズの合理的演奏形式でもあるので、そのフォーマットに慣れてしまえば、かえってその中での各ミュージシャンの個性が見えやすいのです。この演奏も典型的2管ハード・バップなので、モンクの楽曲のユニークさ、モンクのピアノの特異性が浮き彫りになるという寸法です」
聴いてみると、なるほど、他の4人は他でもよく聴くような音楽をやっている。しかし、まずメロディがヘンだ。音がおちつくべきところから外れているところに落ちているように聞える。そしてピアノの音がもっとヘンだ。他の4人の出している音とまるでかけ離れたことをやっているように聞える。全然合っていないように聞える。
ところが、それが面白いと感じられる。気持ちよいと感じられる。ははあ、これがモンクの音楽の面白さなのか、と腑に落ちる。
ドルフィーは《ファー・クライ》から〈Left Alone〉。
「マル・ウォルドロンがビリー・ホリディに捧げた極め付き名曲〈レフト・アローン〉を、ドルフィーは原曲に忠実に吹くのですが、それでもパーカーのところで触れたように、ドルフィーならではの個性・存在感が際立っているのですね。これを聴けば、嫌でも彼の残された数少ない名盤に興味が向うこと請け合いです」
確かにメロディをまったく変えずに吹いてゆくけれど、まずそのフルートの音に惹きつけられる。吸いこまれるようになる。そして、そのメロディから即興がごく自然に湧きたってくる。さあ、メロディはやったで、ここからあとは俺っちが勝手にやるんだぜい、おめーら、聞きやがれ、というジャズのお定まりのような、とってつけた感じがまるで無い。まるでそこも元々原曲の一部であるように聞える。それに、フルートという楽器の音が、こんなに胸の奥にざくざくと切りこんできて、しかもそれが快感になるなどということがあっただろうか。いや、参りました、ドルフィー、聴きましょう。
パーカーは「ヴァーヴ時代の隠れ名盤」《フィエスタ》から〈エストレリータ〉。
「音も良くメロディを素直に歌わせても圧倒的存在感を示す(中略)聴き所は、哀愁に満ちたラテン名曲を切々と歌い上げるパーカーならではの魅力がジャズ初心者にもわかりやすいところですね」
パーカーはキモだと後藤さんに散々言われて、ようしと図書館にあったアンソロジーを借りてきて聴いてみても、どこが面白いのかさっぱりわからなかった。他で散々聴いているからSPの音が悪いとは思わないけれど、やっぱり後藤さんみたいに、深夜、とにかくごりごりと面白くもないこれを聴き続けなければならないのか、と敬して遠ざけていた。でもこのパーカーはいい。なるほど、凄い。これは入口になる。
今年夏頃に発見してキュレーションの威力を感じているものがジャズでもう一つある。イングランドはブリストル在住のジャーナリストが書いている "52 for 2021" だ。パンデミックでライヴが止まった、その代わりに週に1曲、思い入れのあるトラックを紹介する。
表面的には個人的に好きな、これまでウン十年ジャズを生で録音で聴いてきて、思い入れのあるトラックを紹介する形であるのだが、これが絶妙なキュレーションの賜物なのだ。
書き手がイングランド人だから、わが国では名前を聞いたこともないイングランドのローカルな人(例えば Tony Coe)も登場する。聴いてみると、これが実に良かったりする。有名な人でも、あまり目立たない、名盤選などにはまず絶対に乗ってこないもの(たとえばアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの《The Album Of The Year》)が出てくる。つまり、まったく無名、いや本国では名は知られてるけれど、他ではあまり知られていない、優れてより広く聴かれる価値のある音楽や、誰でも知ってる人や音盤のすぐ脇にあって、その人たちの隠れた魅力を照らしだすような音楽を、さりげない口調で紹介してくれる。そしてその有名無名の混ぜあわせが工夫されている。ジャズに詳しい人はたぶんにやりとするだろうし、初心者は聴けば面白い音楽によってジャズの多様性と広がりを、その大きさに圧倒されずに実感できる。
基本的にすべての音源をネット上で聴くことが可能だ。あたしは Tidal でまず探し、無ければ Apple Music で探し、それでも無ければ、YouTube か Spotify で聴いている。きちんと聴きたくなってCDを買ったものも何枚かある。
『ジャズ喫茶のジャズ』にもどれば、これは「第1回:ジャズ喫茶が選ぶジャズ・ジャイアンツの名演」とあり、後藤さんがジャズ・ジャイアンツをどう料理するのかにまず興味があった。ビル・エヴァンスを出すのはやむをえないとしても、《Waltz For Debby》ではなく、いわばそのB面になる《Sunday At The Village Vanguard》を選んでいるのを見て、さーすがあ、こりゃあ、イケる、と思ったのだが、上記パーカーからの3曲は、期待を大きく上回ってくれました。第2回以降も楽しみになってきた。
##本日のグレイトフル・デッド
12月02日には1966年から1992年まで5本のショウをしている。公式リリースは1本。
1. 1966 Pauley Ballroom; University of California, Berkeley, CA
Danse Macabre(死の舞踏)と題された金曜夜のダンス・パーティー。2ドル。開演9時。共演カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ。ポスターとチケットが残っている。San Francisco Chronicle 1966年12月01日付けにも予告記事がある。が、このギグが実際に開催された、という明確な証拠は無いらしい。セット・リスト不明。
その記事ではこのバンドは結成されて16ヶ月で、ベイ・エリアで最も人気のある組織2つのうちの片方、とある。とすると、結成は1965年8月。もう片方が何かは書いていないようだ。
2. 1971 Boston Music Hall, Boston, MA
第二部が短かいが、第一部は良いショウとのこと。
3. 1973 Boston Music Hall, Boston, MA
このヴェニュー3日連続の3日目。前々日と同じく曲数で6割強、時間にして8割強が《Dick’s Picks, Vol. 14》でリリースされた。こちらは第一部がオープナーとクローザーを含んで7曲。第二部がクローザーの〈Sugar Magnolia〉以外全部。それにアンコールの〈Morning Dew〉。つまりこの3日間は〈Morning Dew〉に始まり、〈Morning Dew〉に終る。
DeadBase XI で Dick Latvala と John W. Scott は口をそろえて、第二部のジャムを誉めたたえている。このショウを公式リリースした《Dick’s Picks, Vol. 14》はラトヴァラの最後の仕事のはずで、そのすばらしい第二部をほぼ全部収録したわけだ。
4. 1981 Assembly Hall, University Of Illinois, Champaign-Urbana, IL
開演7時半。セット・リスト以外の他の情報無し。
5. 1992 McNichols Arena, Denver, CO
25.85ドル。開演7時。セット・リスト以外の他の情報無し。(ゆ)
試聴の日
11月23日・火
iPhone の Safari のタブに溜めていた音源を片っ端から聴く。数秒聞いてやめるのが半分くらい。中には、こういうのもじっくり聴くと面白くなるかも、というアヴァンギャルドもあるが、面白くなるまで時間がかかるのは、どうしても敬遠してしまう。こちとら、もうそんなに時間は無いのよ。
逆に、数秒聞いて、これは買い、というのもいくつかある。
Sara Colman のジョニ・ミッチェル・カヴァー集《Ink On A Pin》。〈Woodstock〉がこれなら、他も期待できる。
Falkevik。ノルウェイのトリオ。これが今回一番の収獲。
ウェールズの Tru の〈The Blacksmith〉はすばらしい。ちゃんとアルバム出してくれ。
Chelsea Carmichael。シャバカ・ハッチングスがプロデュースなら、悪いものができるはずがない。
Lionel Loueke。ベニン出身のギタリスト。ジャズ・スタンダード集。Tidal でまず聴くか。
Esbe。北アフリカ出身らしい、ちょっと面白い。ビートルズのイエスタディのこのカヴァーは、もう一歩踏みこんでほしいが、まず面白い。むしろ、ルーミーをとりあげたアルバムを聴くかな。
Grace Petrie。イングランドのゲイを公言しているシンガー・ソング・ライター。バックが今一なのだが、本人の歌と歌唱はいい。最新作はパンデミックにあって希望を歌っているらしい。
Scottish National Jazz Orchestra。こんな名前を掲げられたら聞かないわけにいかないが、ドヴォルザークの「家路」をこう仕立ててきたか。こりゃあ、いいじゃない。
Bandcamp のアメリカ在住アーティストのブツの送料がばか高いのが困る。ブツより高い。他では売ってないし。ただでさえ円安なのに。
##本日のグレイトフル・デッド
11月23日には1968年から1979年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1968 Memorial Auditorium, Ohio University, Athens, OH
トム・コンスタンティンが正式メンバーとして参加した最初のショウ。
前日のコロンバスでのショウにオハイオ大学の学生が多数、大学のあるアセンズから1時間半かけてやって来ていた。そこでデッドは翌日、ここでフリー・コンサートをやった。アセンズでショウをしたのはこの時のみ。
少し後、1970年代初期にデッドは集中的に大学でのショウをするが、当初から学生を大事にしていたわけだ。ジョン・バーロゥと弁護士のハル・カント、1980年代半ばまでマネージャーだったロック・スカリー、後に広報担当となるデニス・マクナリーを除けば、デッドのメンバーにもクルーにもスタッフにも大学卒業者はいないのだが、大学生はデッドの音楽に反応した。
このショウのことを書いたジェリィ・ガルシアからマウンテン・ガールこと Carolyn Elizabeth Garcia への手紙が1968年に書かれたものであるかどうかが、彼女とガルシア最後のパートナー、デボラ・クーンズ・ガルシアとの間のジェリィ・ガルシアの遺産をめぐる訴訟の争点となり、その手紙が1968年にまちがいなく書かれたものだとレシュが法廷で証言した。
2. 1970 Anderson Theatre, New York, NY
セット・リスト無し。
ヘルス・エンジェルスのための資金集め。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座で、これにウィアが参加した模様。
ヘルス・エンジェルスとデッドとの関係はあたしにはまだよくわからない。デッド・コミュニティの中でも敬して遠ざけられている。デッドヘッドのための辞書である The Skeleton Key でも項目が無い。しかし、避けて通れるものでもないはずだ。
マクナリーの本では1967年元旦のパンハンドルでのパーティの際に、ヘルス・エンジェルスがデッドを仲間と認めたとしている。初版176pp.
このパーティはエンジェルスのメンバーの1人 Chocolate George が逮捕されたのを、The Diggers が協力して保釈させたことに対するエンジェルスの感謝のイベントで、デッドとビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーが出た。
マクナリーによればエンジェルスは社会通念から疎外された者たちの集団として当時のヒッピーたちに共感してはいたものの、エンジェルスの暴力志向、メンバー以外の人間への不信感、保守的な政治志向から、その関係は不安定なものになった。1965年秋の「ヴェトナム・デー」では、エンジェルスは警官隊とともにデモ参加者に暴力をふるった。アレン・ギンズバーグとケン・キージィがエンジェルスと交渉し、以後、エンジェルスはこの「非アメリカ的平和主義者」に直接暴力をふるうことはしないことになった。たとえば1967年1月14日の有名なゴールデン・ゲイト公園での "Be-in" イベントではエンジェルスがガードマンを平和的に勤めている。
一方でエンジェルスのパーティでデッドが演奏することはまた別問題とされたようでもある。また、ミッキー・ハートはエンジェルスのメンバーと親しく、かれらはハートの牧場を頻繁に訪れた。それにもちろんオルタモントの件がある。あそこでヘルス・エンジェルスをガードマンとして雇うことを推薦したのはデッドだった。
ひょっとすると、単にガルシアがエンジェルスを好んだ、ということなのかもしれないが、このハートの例を見ても、そう単純なものでもなさそうだ。
ヘルス・エンジェルスそのものもよくわからない。おそらく時代によっても場所によっても変わっているはずだ。大型オートバイとマッチョ愛好は共通する要素だが、ケン・キージィとメリィ・プランクスターズとの関係を見ても、わが国の暴走族とは違って、アメリカ文化の主流に近い感じもある。
3. 1973 County Coliseum, El Paso, TX
前売5ドル。開演7時。良いショウの由。長いショウだ。
4. 1978 Capital Centre, Landover , MD
7.70ドル。開演8時。これとセット・リスト以外の情報が無い。
5. 1979 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA
セット・リスト以外の情報が無い。(ゆ)
R.I.P. George Mraz (1944-2021)
9月20日・月
チェコ出身のベーシスト George Mraz が16日に77歳で亡くなったそうで、同じくチェコのピアニスト Emil Viklicky が LondonJazzNews に追悼文を書いている。それを見て、ムラーツがヴィクリツキィとシンガーでツィンバロン奏者の Zuzana Lapčikova 、それに Billy Hart のドラムスで作ったチェコの伝統歌謡集(とヴィクリツキィは言う)《Morava》をアマゾンで注文。Jerry's Smilin': A Guitar Tribute To The Grateful Dead, Damia Timoner も一緒に注文。後者はスペインのギタリストによるソロ・ギターのデッド・トリビュート集だそうだ。
ムラーツがチェコを離れたのは、1968年、進攻したソ連軍の戦車に父親を殺されたからだ、と本人から直接聞いた、ヴィクリツキィが書いている。ムラーツの父親が乗っていた市電に前方不注意のソ連軍の戦車が突込み、窓を突き破った大砲に頭を強打された。父親はその前の駅で乗ってきたお婆さんに席を譲って立った、その直後のことだった。事件は占領軍のこととてチェコ警察は捜査を禁じられた。
ムラーツは同年中にまずドイツに徃き、アメリカに渡り、ボストンのバークリーに行く。着いた日にレギュラーの仕事を提供された。その後ニューヨークに移る。
##本日のグレイトフル・デッド
9月20日には1968年から1993年まで、10本のショウをしている。公式リリースは2本。
01. 1968 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
単独のショウではなく、Steve Miller, Ace of Cups が共演。25分を超える〈Drums〉には Vince Delgado と Shankar Ghosh も参加。前者は後にハートのバンド Diga にも参加するパーカッショニスト。現在も現役。後者は2016年、80歳で亡くなったタブラ奏者。アリ・アクバル・カーンのパートナーとして1960年代アメリカで活動を始めている。アリ・アクバル・カーンのライヴをアウズレィ・スタンリィが録音した音源が出ているなあ。Bear's Sonic Jounrals のシリーズがこんなに出てるとは知らなんだ。
02. 1970 Fillmore East, New York, NY
前半最後から2曲目〈New Speedway Boogie〉が2010年、最初の《30 Days Of Dead》でリリースされた。あたしはこの年はまだデッドにハマる前で、持っていない。
18日からのレジデンス公演3日目で、第1部アコースティック・デッド、第2部 New Riders Of The Purple Sage、第3部エレクトリック・デッド。ただ、上記〈New Speedway Boogie〉ではガルシアがエレクトリック・ギターを持っている由。ガルシアは一部の曲でピアノも弾いているらしい。この日のアコースティック・セットでは一部の曲でデヴィッド・グリスマンがマンドリンで参加。NRPS のデヴィッド・ネルスンもマンドリンを弾いている。
03. 1973 The Spectrum, Philadelphia, PA
2日連続ここでのショウの初日。料金6ドル。後半一部にジョー・エリスとマーティン・フィエロが参加。チケットの売行が悪く、バンドはやる気がなくて、後半は4曲だけ。
04. 1974 Palais des Sports, Paris, France
ヨーロッパ・ツアー、パリでの2日間の初日。ツアーにつきもののトラブルが噴き出したらしい。
05. 1982 Madison Square Garden, New York , NY
3度めの MSG 2日連続の初日。料金13.50ドル。
06. 1987 Madison Square Garden, NY
5本連続の最終日。料金17.50ドル。
07. 1988 Madison Square Garden, New York , NY
9本連続の6本目。
08. 1990 Madison Square Garden, New York , NY
6本連続の千秋楽。後半の大部分が《Road Trips, Vol. 2, No. 1》に収録された。収録された分だけで1時間半を超え、後半全体では2時間近かった由。〈Dark Star〉の途中で〈Playing in the Band〉の「返り」があるが、その前半は前夜の演奏。CD ではそれがわかるように並べられている。〈Throwing Stone〉のジャムのテンションの高さ。
《Road Trips, Vol. 2, No. 1》では〈Truckin'〉〈China > Rider〉からすばらしい演奏が続く。〈Dark Star〉も全キャリアを通じてのベストの一つに数えたい。ホーンスビィのおかげもあるのだろうが、ウェルニクも踏ん張っていて、ミドランドの穴は埋めようがないが、デッド健在を強烈に訴える。
09. 1991 Boston Garden, Boston, MA
9年ぶりのボストン・ガーデン6本連続の初日。ブルース・ホーンスビィ参加。ピアノとアコーディオン。後半冒頭〈Help on the Way > Slipknot!〉と来て、その次が〈Franklin's Tower〉ではなく〈Fire on the Mountain〉だったので、大歓声が湧いた。またアンコールが珍しくも〈Turn On Your Lovelight〉で、アンコールとしてはこれが最後となった。
10. 1993 Madison Square Garden, New York , NY
6本連続の4本目。後半の〈Space〉とその次の次〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉にエディ・ブリッケルが参加。見事なヴォーカルを聞かせた由。〈Space〉では、しばらくポケットに手をつっこんだまま耳を傾けていたが、やおら途中から歌う、というよりラップを始めたのが、音楽とモロにからんでいた由。この人、あたしはぜーんぜん知らなんだが、こういうことができるとなると聴いてみたくなる。(ゆ)
グレイトフル・デッドを聴くためのイヤフォン
9月11日・土
駅前の皮膚科へ往復のバスの中で HS1300SS でデッドを聴いてゆく。このイヤフォンはすばらしい。MP3 でも各々のパートが鮮明に立ち上がってくる。ポリフォニーが明瞭に迫ってくる。たまらん。他のイヤフォンを欲しいという気がなくなる。FiiO の FD7 はまだ興味があるが、むしろ Acoustune の次のフラッグシップが気になる。それまではこの1300で十分で、むしろいずれケーブルを換えてみよう。
##本日のグレイトフル・デッド
9月11日には1966年から1990年まで、10本のショウをしている。うち、公式リリースは1本。ミッキー・ハートの誕生日。だが、2001年以降、別の記念日になってしまった。
1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
単独のショウではなく、ジャズ・クラブのためのチャリティ・コンサート。"Gigantic All-Night Jazz/Rock Dance Concert" と題され、他の参加アーティストは John Hendricks Trio, Elvin Jones, Joe Henderson Quartet, Big Mama Thornton, Denny Zeitlin Trio, Jefferson Airplane, the Great Society そして the Wildflower。料金2.50ドル。セット・リスト無し。ジャンルを超えた組合せを好んだビル・グレアムだが、実際、この頃はジャズとロックの間の垣根はそれほど高くなかったのだろう。
ちなみにデニィ・ザイトリンは UCSF の精神医学教授でもあるピアニスト、作曲家で、映画『SF/ボディ・スナッチャー』(1978年のリメイク版)の音楽担当。
2. 1973 William And Mary Hall, College Of William And Mary, Williamsburg, VA
2日連続ここでのショウの初日。ここでは1978年まで計4回演奏していて、どれも良いショウのようだ。1976年と1978年のショウは各々《Dave's Picks》の Vol. 4 と Vol. 37 としてリリースされた。
このショウでは前座の Doug Sahm のバンドからサックスの Martin Fierro とトランペットの Joe Ellis が一部の曲で参加している。マーティン・フィエロはジェリィ・ガルシアの個人バンドにも参加している。またブルース・ホーンスビィが一聴衆として、おそらく初めて見ていたそうだ。
3. 1974 Alexandra Palace, London
2度めのヨーロッパ・ツアー冒頭ロンドン3日間の最終日。このショウの前半から6曲が《Dick’s Picks, Vol. 07》に収録された。が、ほんとうに凄いのは後半らしい。
とはいえ、この前半も調子は良いし、とりわけ最後で、実際前半最後でもある〈Playing in the Band〉は20分を超えて、すばらしいジャムを展開する。この日の録音ではなぜかベースが大きく、鮮明に聞える。アルバム全体がそういう傾向だが、この3日目は特に大きい。ここでは誰かが全体を引張っているのではなく、それぞれ好き勝手にやりながら、全体がある有機的なまとまりをもって進んでゆく。その中で、いわば鼻の差で先頭に立っているのがベース。ガルシアはむしろ後から追いかけている。この演奏はこの曲のベスト3に入れていい。
それにしても、この3日間のショウはすばらしい。今ならばボックス・セットか、何らかの形で各々の完全版が出ていただろう。いずれ、全貌があらためて公式リリースされることを期待する。
4. 1981 Greek Theatre University of California, Berkeley, CA
2日連続このヴェニューでのショウの初日。ここでの最初のショウ。前売で11.50ドル、当日13ドル。
この日は、開幕直前ジョーン・バエズが PA越しにハートに「ハッピー・バースディ」を歌ったそうだ。
5. 1982 West Palm Beach Civic Center, West Palm Beach, FL
後半冒頭 Scarlet> Fire> Saint> Sailor> Terrapin というメドレーは唯一この時のみの由。
6. 1983 Downs of Santa Fe, Santa Fe, NM
同じヴェニューの2日め。ミッキー・ハート40歳の誕生日。
7. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
地元3日連続の中日。80年代のこの日のショウはどれも良いが、これがベストらしい。
8. 1987 Capital Centre, Landover , MD
同じヴェニュー3日連続の初日。17.50ドル。6年で6ドル、35%の上昇。デッドのチケットは相対的に安かったと言われる。
9. 1988 The Spectrum, Philadelphia, PA
4本連続ここでのショウの3本め。前日の中日は休み。
10. 1990 The Spectrum, Philadelphia, PA
ここでの3本連続の中日。(ゆ)
チャーリー・ワッツとミック・テイラー
9月6日・月
London Jazz News にチャーリー・ワッツの追悼記事として、2001年のインタヴューの抜粋が出る。なかなか面白い。フェアポート・コンヴェンションのデイヴ・マタックスがジャズが好きで、バンドをやっているのは承知していたが、ワッツがこんなにジャズに入れこんでいたとは不勉強にして知らなんだ。
ワッツにジョン・マクラフリンとトニィ・ウィリアムスのライフタイム、それにサティのジムノペディを教えたのがミック・テイラーだというのは面白い。テイラーの音楽にこういうものの響きは聞えたことがない。ギターのスタイルはマクラフリンとは対極だし。あの手数の少なさはサティからだろうか。チャーリー・ワッツのジャズのレコードはストリーミングにほとんど出てこない。「いーぐる」で誰か特集してくれないかな。
『趣味の文具箱』のインク特集を買おうとして版元が変わっているので検索すると、元のエイ出版社は民事再生法を2月に申請。直後に事業の一部をヘリテージに譲渡、とある。このヘリテージというのが臭い。公式サイトには会社の内容の記載がない。譲渡された以外の事業の記載も無い。設立は昨年9月。儲かっている事業だけ残して、他は一気に整理するための計画倒産を疑う。昔、一度、あるレコード会社でやられたことがある。あたしの被害はCD1枚のライナーの原稿料だけだったから大したことはなかったが、今回のこれで致命的やそれに近い被害を受ける人がいないといいんだが。嫌気がさして、買うのはやめる。
##本日のグレイトフル・デッド
1969年から1990年までの6本。
1. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
前日に続いて、ジェファーソン・エアプレインとのダブル・ヘッダー2日め。この日はエアプレインのメンバーも加わってのジャム・セッション状態だったようだが、演奏時間は前日より短かったらしい。セット・リストはやはりいつものデッドのものとは違う。ロックンロール大会。本当の意味でのデッドのショウとは言えないかもしれない。
2. 1973 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
秋のツアーの始めで同じ会場で2日連続の1日め。前半最後の2曲が《Dave's Picks, Vol. 38》、後半の大部分8曲が同時に出た《Dave's Picks Bonus Disc 2021》に収録。うち1曲〈Eyes of the world〉は《Beyond Description》にも収録(CD1《Wake Of The Flood》のボーナス・トラック)。
〈Let It Grow〉は単独の演奏としてはこの日が初演。
すばらしい演奏だが、とりわけ20分に及ぶ〈Eyes of the world〉が凄い。ガルシアのギターが完全にイッテしまっている。そこへキースがからんでさらに羽目をはずす。これがあるからデッドを聴くのをやめられない。
3. 1983 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
同じ会場で3日連続の中日。
4. 1985 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
同じ会場で3日連続の最終日。
自転車のラッパとカズーによる演奏がオープナー。珍しくダブル・アンコール。良いショウだそうで、公式リリースを期待。
5. 1987 Providence Civic Center, Providence, RI
秋のツアーの開幕で同じ会場で3日連続の初日。
6. 1990 Coliseum, Richfield, OH
秋のツアーの始めで同じ会場で2日連続の初日。
ブレント・ミドランド急死後初のショウで、ヴィンス・ウェルニクのデビュー。(ゆ)
ヘッドフォン、DAP、ジミヘン
8月20日・金
Dan Clark Audio から新フラッグシップ・ヘッドフォン、Stealth の告知。4,000USD。どうせ、国内販売は無いから、買うなら直接だが、食指が動かないでもない。とりわけ、クローズドはいい。とはいえ、EtherC Flow 1.1 があるからなあ。そりゃ、良くはなっているだろうけれど、価格差には見合わねえだろう。
M11Plus LTD 発売日がようやくアナウンス。Shanling M6 Pro Ver.21も発表。こちらは面白みまるで無し。M17 はまだ影も形も無いなあ。
Grim Oak Press のニュースレターで、COVID-19 のおかげで紙が不足しはじめているのと、昨年刊行予定のタイトルが今年に延期されたことから、印刷・製本がボトルネックになって、出版が滞りだしている由。以前は印刷所にファイルを送ってから本が届くまで長くても10週間だったのが、今は4ヶ月〜半年かかる。新規の印刷を受け付けないところも出てきた。この事情は Grim Oak のような小出版社だけではなくて、Big 6 も同じだそうだ。わが国ではどうなんだろう。
Tor.com に記事が出ていたGwyneth Jones の Bold As Love のシリーズは面白そうだ。とりわけ、メイン・キャラの一人が Aoxomoxoa and the Heads というバンドのリーダーとあっては、読まないわけにはいかない。Gwyneth Jones はデビュー作 Devine Endurance を読んではみたものの、さっぱりわからなかった記憶がある。今なら読めるかもしれん。
それにしてもこのシリーズのタイトルは、コメントにもあるように、ジミヘンがらみばかりで、作品の中にもジミヘンへのオマージュが鏤められているらしい。ジミヘンもひと頃、集めようとしたけど、まあ、やはり Band of Gypsy のフィルモア・イーストでのライヴに留めをさす。完全版も出てるけど、あたしには抜粋の2枚組で十分。デッドやザッパとは違う。
音楽がらみのサイエンス・フィクションとしては Kathleen Ann Goonan のナノテク四部作もあって、積読だなあ。
ECM の Special Offer で Around The World in 80 Discs というのが来る。見てみると、ほんとに世界一周かなあ、と思ったりもするが、それなりに面白い。知らないのも多々あって、勉強にもなる。聴いてみましょう。ECM は全部 Tidal にあるし、Master も多い。この Special Offer はいつまでなんだろう。(ゆ)
ワクチン接種、Dave's Picks 39、湾流消滅?
日記 8月6日・金〜7日・土
昼前、駅前まで出て、COVID-19 ワクチン接種2回め。ファイザー。接種直後は何も無かったが、夜半、ベッドに入る頃から微熱が出てきたようだ。そこから1時間毎にトイレに通う。毎回膀胱が満杯。7日土曜日夕方まで続く。トイレに通う間はまずまず眠れたが、土曜はやはり朦朧としている。朝には平熱。まったく何もせず。ベッドでごろごろ。時折り、眠る。
金曜日は Bandcamp Friday なので、あれこれ注文。スイスのジャズ・ギター・トリオ Nova の The Anatomy Of Bliss が面白そうだ。バンド名もだが、「アルジャーノンに花束を」とか「ファウンデーション三部作」なんて曲をやっている。
Grateful Dead, Dave's Picks, Vol. 39 着。1983年の完全版は4本め。レミューのライナーによれば、この年は出来不出来の差の大きな年で、全体とすれば "disastrous" の方が多い。その中でも、探せば宝石はあり、春のツアーの最終日の04-26、フィラデルフィアの The Spectrum はその宝石の一つの由。ボーナスで入っている前日の同じ会場、04-15のロチェスターの War Memorial Auditorium の二つは、SetList Program のコメントによれば、各々のショウのハイライトで、その他は公式リリースに値しない、ということらしい。1980年代前半の完全版公式リリースは少ないから、あたしなどは大喜びだが、この時期は不人気で、Dead.net ではまだ売り切れていない。1973年の Vol. 38 は数時間で売り切れていた。この辺りもひょっとすると昔からのデッドヘッドと、あたしのような新しいファンとの違いかもしれない。あたしはとにかく全期間にわたって、いい演奏は聴きたいわけだが、古くからのデッドヘッドの中には、自分がデッドの「バスに乗った」時期に固執する傾向があるように思える。
FiiO M11Plus の国内販売がようやくアナウンス。しかし、発売は「今夏」って、もう立秋。夏も終るぜ。まあ、これでも十分ではあるし、AKM も魅力ではあるんだけど、ここはあえて M17 を待とう。
M11Pro にインストールした Bandcamp アプリで聴くよりも、MacBook Air の Safari で Bandcamp のサイトを開いて再生し、AirPlay で M11Pro に飛ばして、Pure Music モードで聴く方が音が良い。断然良い。Pure Music モードの威力か。ところが iPhone からは Bandcamp のサイトでもアプリでも AirPlay に飛ばせない。ボタンが出てこない。iPad 用 Bandcamp アプリは前から役に立たない。Bandcamp on M11Pro よりも、iPhone の Safari 内の YouTube で再生、AirPlay > M11Pro の Pure Music モードの方がやはり音はいい。
湾流 The Gulf Stream つまり、メヒコ湾からヨーロッパに流れる暖流が近い将来消滅する可能性があるとドイツの研究者が発表したことがIrish Times で報じられている。これも温暖化の影響だそうな。アイルランドやブリテン、イベリア半島、あるいは遠くフェロー諸島まで、湾流のおかげを蒙っているから、これが無くなれば、ヨーロッパ北西部一帯の気候は格段に厳しくなる。ダブリンがトロント並みになる。当然、この一帯の農業には大打撃のはずだ。
湾流の消滅は湾流だけの話ではなく、世界的な海水移動に影響があるから、どういう結果になるかは軽々には言えないと、アイルランドの学者は言うが、全体的に平均気温が下がることは確実だ。
湾流と並ぶ暖流である黒潮はどうなのだろう。(ゆ)
砂漠の狐@Li-Po, 渋谷
夜の音楽 @ 横浜・エアジン
ショウ・オヴ・ハンズ、アヌアル・ブラヒム、ディック賞
ECM のニュースレターで Anouar Brahem が ECM デビュー30周年。Barzakh, 1991 は確かに衝撃だった。1998年の Thimar がつまらなくて、あれは日和ってるよねえ、と星川さんと意見が一致し、それに引き換え、Barzakh は凄いと盛り上がったこともあった。やはりあれが一番かなあ。The Astounding Eyes Of Rita は良かった記憶がある。もう一度、全部聴いてみるか。
散歩の供はShow Of Hands, 24 MARCH 1996: Live at the Royal Albert Hall。
あらためて聴くとシンガーとしてのナイトリィの良さが印象的。曲としてそれほどではないものでも、歌唱で聴かせてしまう。この頃のライヴではやはりかれのヴォーカルが人気を培っていったのだろう。これを小さな会場で聴けば圧倒的ではなかったか。もちろんそれを活かし、刺激を与えていったのはビアだったわけだが、本人の精進も相当なものだったはず。
女性シンガー、すばらしい、誰だっけ、と帰ってから見ると Sally Barker だった。そういえば、最新作を買うのを忘れてた。
3月7日 ジョン・バルケ
Bjarte Eike のヴァイオリンがまたすばらしい。サイトにはハーディングフェーレを弾いてる写真もあって、かなり型破りで広範囲な活動をしている。われらが酒井絵美さんの先輩のような存在か。ここでのヴァイオリンはほとんどアラブ・フィドルの趣で、それを古楽のアンサンブルが浮上させる。そこにジョン・ハッセルのあのトランペットが響いてくると、異界の情景が出現する。
こういう、境界線を溶かしながら、各々の特性はしっかり打ち出す、ホンモノの異種交配には身も心もとろける。散歩の足取りも軽くなる。
透明な庭「百年に一度の花」guest 桑野聖+加藤里志 @ 音倉、下北沢
『文學界』2020年11月号
創作2本
を収録する。巻頭から155ページ。全体の4割を割いている。