クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:スウェーデン

 笛とハープは相性が良い。が、ありそうであまりない。マイケル・ルーニィ&ジューン・マコーマックというとびきりのデュオがいて、それで充分と言われるかもしれないが、相性の良い組合せはいくつあってもいい。梅田さんは須貝知世さんともやっていて、これがまた良いデュオだ。

 このデュオはもう5回目だそうで、いい感じに息が合っている。記録を見ると前回は3年前の9月下旬にやはりホメリで見ている。この時は矢島さんがアイルランドから帰国したばかりとのことでアイリッシュ中心だったが、今回はアイリッシュがほとんど無い。前日のムリウイでの若い4人のライヴがほぼアイリッシュのみだったのとは実に対照的で、これはまたこれで愉しい。

 スウェディッシュで始まり、おふたり各々のオリジナル、クレツマーにブルターニュ。マイケル・マクゴールドリックのやっていた曲、というのが一番アイリッシュに近いところ。どれもみな良い曲だけど、おふたりのオリジナルの良さが際立つ。異質の要素とおなじみの要素のバランスがちょうど良い、ということだろうか。3曲目にやった矢島さんの曲でまだタイトルが着いていない、作曲の日付で「2022年07月22日の1」と呼ばれている曲は、サンディ・デニーの曲を連想させて、嬉しくなる。

 矢島さんは金属フルート、ウッド・フルート、それにロゥホィッスルを使いわける。どういう基準で使いわけるのかはよくわからない。スウェディッシュやクレツマーは金属でやっている。梅田さんの na ba na のための曲は、一つは金属、もう一つはウッド。どちらにしても高域が綺麗に伸びて気持ちがよい。矢島さんの音、なのかもしれない。面白いことに、金属の方が響きがソフトで、ウッドの方がシャープに聞える。このフルートの風の音と、ハープの弦の金属の音の対比がまた快感。

 もっとも今回、何よりも気持ちが良かったのはロゥホィッスル。普通の、というか、これまで目にしている、たとえばデイヴィ・スピラーンやマイケル・マクゴールドリックが吹いている楽器よりも細身で、鮮やかな赤に塗られていて、鮮烈な音が出る。この楽器で演られると、それだけで、もうたまらん、へへえーと平伏したくなる。これでやった2曲、後半オープナーのマイケル・マクゴールドリックがやっていた曲とその次のブルターニュの曲がこの日のハイライト。ブルターニュのメドレーの3曲目がとりわけ面白い。

 マイケル・マクゴールドリックの曲では笛とハープがユニゾンする。梅田さんのハープは積極的にどんどん前に出るところが愉しく、この日も遠慮なくとばす。楽器の音も大きくて、ホメリという場がまたその音を増幅してもいるらしく、音量ではむしろフルートよりも大きく聞えるくらい。特に改造などはしていないそうだが、弾きこんでいることで、音が大きくなっていることはあるかもしれないという。同じメーカーの同じモデルでも、他の人の楽器とは別物になっているらしい。

 クローザーが矢島さんとアニーの共作。前半を矢島さん、後半をアニーが作ったそうで、夏の終りという感じをたたえる。今年の夏はまだまだ終りそうにないが、この後、ちょっと涼しくなったのは、この曲のご利益か。軽い響きの音で、映画『ファンタジア』のフェアリーの曲を思い出すような、透明な佳曲。

 前日が活きのいい、若さがそのまま音になったような新鮮な音楽で、この日はそこから少しおちついて、広い世界をあちこち見てまわっている感覚。ようやく、ライヴにまた少し慣れて、身が入るようになってきたようでもある。

 それにしても、だ、梅田さん、そろそろCDを作ってください。曲ごとにゲストを替えて「宴」にしてもいいんじゃないですか。(ゆ)

10月13日・水

 図書館から借りてきたヤコブ・ヴェゲリウス『サリー・ジョーンズの伝説』を読む。すばらしい。『曲芸師ハリドン』は文章主体で絵はあくまでも挿絵だったが、こちらは絵と文章が半々。グラフィック・ノヴェルに分類されるものだろう。長さからいえば、グラフィック・ノヴェラだ。

サリー・ジョーンズの伝説 (世界傑作童話シリーズ)
ヤコブ・ヴェゲリウス
福音館書店
2013-06-15


 主人公が並外れたゴリラ、という以外はリアリズムに徹する手法がいい。絵もいい。デフォルメのバランスがとれていて、ユーモラスでもあり、シビアでもある。感情を描かず、起きるできごとを坦々と語ってゆく語り口もいい。リアリズムである一方で、荒唐無稽寸前でもあって、文字通り波瀾万丈、それをもの静かな語り口が支える。この誇張のバランスもまたよくとれている。舞台がイスタンブールやシンガポールやボルネオなど、いわば文明の中心地からは外れたところであるのも新鮮。アメリカには行くけれども、サンフランシスコとニューヨークの港だけ。

 サリー・ジョーンズは娘なのだが、ゴリラであるだけでジェンダーが消える。名前からして女性であるとわかるはずだが、誰もそのことを指摘したり、それによって差別したりはしない。オランウータンのババの性別は記されない。

 まだ、飛行機の無い時代。第一次世界大戦前。船が万能だった時代。それにしてもディテールがまた深い。シンガポールとマカッサルを往復、周回する航路は、おそらく実際に栄えていただろう。

 ラスト、サリー・ジョーンズは故郷にもどり、かつての仲間たちと再会する。けれども、そこにずっと留まることもできない。オランウータンのババとは異なり、サリー・ジョーンズは人間世界で生きてゆく技術に卓越してしまった。それはまたサリー・ジョーンズの性格をも変えている。ゴリラの世界で生きていくだけでは、生きている喜びを感じられない。生きのびるために変わったのだが、一度変化した者はもとにはもどれない。

 チーフもサリー・ジョーンズも、金を稼ぐのは使うためだ。使う目的があり、そのためにカネを作る。金とは本来、このように使うものだ。稼いでから、何に使おうか考えるのではない。稼ぐことそのものを楽しむのはまた別だ。

 ここには道徳は無い。生きるために道徳は要らない。心に深い傷を負ったものにも、道徳は要らない。泥棒から盗むのは罪か、考えることは無意味だ。

 サリー・ジョーンズは学ぶのが好きだ。何かを学んで、できなかったことができるようになることが面白い。盗みの技術も蒸気船の機関を扱う技術も、学べる技術であることでは同じだ。

 サーカスのシーンでハリドンがカメオ出演している。

 こうなると、サリー・ジョーンズを探偵役に据えた次の長篇は実に楽しみになってきた。


##本日のグレイトフル・デッド

 1013日は1968年から1994年まで、6本のショウをしている。公式リリースは3本。


1. 1968 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 前半冒頭から3曲〈Dark Star> Saint Stephen> The Eleven〉が2019年の《30 Days Of Dead》で、後半のオープナー〈That's It for the Other One〉の組曲が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。判明しているのは前半4曲、後半5曲なので、半分以上がリリースされたことになる。全体で65分であったらしい。

 ピグペンは不在だが、ウィアはいる。

 ジミヘンがやってきて、演奏に加われるんじゃないかと思っていたらしい。しかし、ジミヘンは前の晩、ソーサリートのヘリポートでデッドとクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスに待ちぼうけをくらわしていたので、ステージには呼ばれなかった。

 〈The Eleven〉の後ろが切れているのが惜しい。演奏はいい。〈That's It for the Other One〉を聴いても、全体像を何らかの形でリリースしてほしい。〈Dark Star〉はパーカッションがほとんどギロだけで通し、ドラムスが無いのが一種超越的な感覚を生む。この頃は、バンド全員の即興であることがよくわかる。1990年代になると、他のメンバーがガルシアを盛りたてる形になる。全員が対等の即興ではなくなる。この時期のルーズで、かつ緊密にからみあった、スリル満点の演奏の方を評価したくなる気持ちはよくわかる。


2. 1980 Warfield Theater, San Francisco, CA

 第一部3曲目〈El Paso〉、7曲目〈The Race Is On〉が《Reckoning》で、第二部〈Sugaree〉が2010年の《30 Days Of Dead》で、4曲目〈C C Rider〉、6・7曲目〈Lazy Lightnin'> Supplication〉が《Dead Set》でリリースされた。どちらも2004年の拡大版に初出。

 2010年の《30 Days Of Dead》は持っていない。

 〈El Paso〉ではウィアがずっと歌いつづける後ろでガルシアがいろいろなことをやる。〈C C Rider〉はゆったりしたブルーズ・ナンバー。ガルシアがやはりウィアのヴォーカルの後ろで茶々を入れるのが粋。ミドランドのハモンド・ソロもシャープで、ガルシアがこれに応じる。〈Lazy Lightnin'> Supplication〉、前者では "My lightnin', too" のコール&レスポンスが長い。


3. 1981 Walter Koebel Halle, Russelsheim, West Germany

 この年二度目のヨーロッパ・ツアー8本目。アンコールはストーンズの〈(I Can't Get No) Satisfaction〉だが、あまりに面白かったので、ウィアが今のはレーガンに捧げる、と言った由。


4. 1989 NBC Studios, New York, NY

 正式のショウには数えられない。ガルシアとウィアが Late Night with David Letterman に出演、番組のハウス・バンド The World's Most Dangerous Band をバックにスモーキー・ロビンソンの〈I Second That Emotion〉を演奏した。1番をガルシア、2番をウィアが歌った。レターマンがロシア当時はソ連遠征の可能性について、どれくらいあちらにいるつもりかと訊ねるとガルシアは「出してもらえるまでさ」。以上、DeadBase XI John J. Wood のレポートによる。


5. 1990 Ice Stadium, Stockholm, Sweden

 最後のヨーロッパ・ツアー初日。ここから統一後初のドイツ、フランス、イングランドと回る。夜7時半開演。良いショウではあるが、ややラフだったというレポートもある。ガルシアが食べたマリファナ入りブラウニーが強烈だった、という説もあり、時差ボケだという説もある。


6. 1994 Madison Square Garden, NY

 6本連続の初日。前半6曲目〈Dupree's Diamond Blues〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。ガルシアはご機嫌で、これは良いショウだったろう。少なくとも前半は。ここではウェルニクのピアノがよく働いている。

 ジミー・ペイジとロバート・プラントが前半途中まで見ていた、という報告があるが、真偽のほどは不明。(ゆ)


1009日・土

 shezoo さんが猛烈に誘うので「音楽×空間 第3回公演」に、原宿に出かける。いやもう、確かにこれは聴けたのはありがたい。また一人、追っかける対象が増えた。

 この企画は作曲家の笠松泰洋氏が高橋、shezoo デュオのライヴを見て、自分の曲も歌ってほしいともちかけて始まった由。笠松氏もオーボエ始め、各種リード楽器で参加する。細かいフレーズは吹かず、ドローンや、ゆったりしてシンプルなメロディを奏でる。曲によっては即興もされていたようだ。shezoo さんの〈Moons〉ではピアノのイントロの後、メロディを吹いた。

 とにかく何といっても高橋さんの声である。みっちりと身の詰まった、空間を穿ちながら、同時に満たしてくる声。一方で、小さく細く延ばすときでさえ、倍音が響き、そしてサステイン、という言葉を人間の声に使ってもかまわなければ、サステインがおそろしく長い。音域も広く、音量の幅も大きく、会場一杯に朗々と響きわたるものから、聞えるか聞えないかの囁き声まで、自由自在に操る。その声で歌われると、〈Moons〉のような聞き慣れた曲がまるで別の様相を現す。

 専門はバロック、古楽の歌とのことで、オープニングはヒルデガルド・フォン・ビンゲンの曲から shezoo さんの〈Dies irae〉の一つ(どれかはすぐにはわからん)、そして笠松氏の〈Lacrimosa dies illa〉をメドレーで続ける。というのは、説明され、プログラムにあるので、ああ、そうなのかと思うが、後はもうまったく夢の世界。歌とピアノ、それにご自分では「ヘタ」と言われる割には確かな笠松氏のリードが織りなす音楽に聴きほれる。

 shezoo さんのピアノの音がまた尋常ではない。あそこのピアノは古いタイプの復元で、弾きやすいものではないそうだが、音のふくらみが聴いたことのない類。高橋さんの声に拮抗できるだけの実を備えている。ピアノもまた朗々と歌っている。ピアノ自身が天然の増幅装置になって大きな音はまさに怒りの日のごとく、小さな音はどこまでも可憐にささやく。

 会場にも来ておられた岩切正一郎氏の詩に笠松氏が曲をつけた3曲、しかも1曲は世界初演というプログラムとこれに続く〈Moons〉が後半のハイライト。岩切氏の詩は気になる。全体を読んでみたい。日本語の現代詩、口語の詩は、韻文としては圧倒的に不利だが、歌にうたわれることで、別の命を獲得することは体験している。そのもう一つの実例になるだろう。

 〈Moons〉のイントロはまた変わっている。訊いたら、先日のエアジンでの10人のシンガーとの共演の際、全員がこの歌をうたい、そのため、全てのイントロを各々に変えたのだそうだ。ちょっと凄い。この歌だけで1枚、アルバムをぜひ作って欲しい。一つの歌を10人の別々のシンガーが歌うなんて、まず他にはできないだろう。スタジオに入るのが無理なら、ライヴ録音はいかが。今のエアジンの体制なら可能ではないか。

 しかし、本当に夢のような時間。人間の声の魅力をあらためて思い知らされる。歌にはパワーがある。ありがたや、ありがたや。

 今日の14時から音降りそそぐ 武蔵ホール(西武池袋線武蔵藤沢駅前)で、同じ公演がある。


 徃きのバス、電車の中で借りてきたばかりのヤコブ・ヴェゲリウス『曲芸師ハリドン』を一気に読む。このタイトルはしかし、原著の意図を裏切る。話はシンプルだが、奥はなかなか深い。それに、海の匂いと乾いた文章は魅力的。そしてハリドンがやはりあたりまえの存在ではないことが最後にはっきりするところはスリリング。これなら他も愉しみだ。
 

曲芸師ハリドン
ヤコブ ヴェゲリウス
あすなろ書房
2007-08T


 帰り、ロマンスカーの中でデッドを聴くが、A4000の音が良い。すんばらしく良い。ヴォーカルが前面に出て、生々しい。をを、ガルシアがウィアがそこに立って歌っている。全体にクリアで見通しが良く、にじみもない。聴いていてわくわくしてくる。音楽を心底愉しめると同時に、ああ、いい音で聴いてるなあ、という実感がわく。ここは A8000と同じだ。うーむ、エージング恐るべし。

 それにしても、FiiO FD7 は「ピュア・ベリリウム・ドライバー」、A8000は「トゥルー・ベリリウム・ドライバー」。どう違うのだ。というより、それが音の違いにどう出ているのか。もちろん、音は素材だけでは決まらないが、うー、聞き比べたくなってくる。それもこの場合、店頭試聴ではだめだ。両方買って、がっちりエージングをかけて、自分の音源で確かめなければならない。


 Linda C. Cain, Susan Rosenbaum,  Blast Off 着。Leo & Diane Dillon が絵を描いている、というだけで買った絵本。宇宙飛行士になる夢をずっと持っている黒人の女の子が、友だちにあざけられ、空地にあったガラクタでロケットを作って宇宙へ飛びだす。友だちは夢と笑うが、もう動じない。初版1973年。この時期に黒人の女の子が主人公で、なおかつ、その子が宇宙飛行士になるという話は先駆的。ということで、New York Review of Books が再刊。

Blast Off (New York Review Children's Collection)
Rosenbaum, Susan
NYR Children's Collection
2021-09-21


##本日のグレイトフル・デッド

 1009日は1966年から1994年まで、11本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版2本。


01. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 午後2時から7時までで、ポール・バターフィールド・ブルーズ・バンド、ジェファーソン・エアプレインとの共演。セット・リスト無し。


02. 1968 The Matrix, San Francisco, CA

 前日と同じでウィアとピグペン抜き。


03. 1972 Winterland Arena, San Francisco, CA

 後半冒頭、グレース・スリックがブルーズ・ジャムに参加して、即興の歌をうたった。どうやら酔っぱらっていたらしい。テープが残っていて、「あのビッチをステージから連れだせ」とどなっているビル・グレアムの声が聞えるそうな。彼女がデッドのステージに一緒に出たのはこの時だけ。


04. 1976 Oakland Coliseum Stadium, Oakland, CA

 The Who との共演2日間の1日目。ショウ全体が《Dick's Picks, Vol. 33》でリリースされた。

 Philip Garris とい人のポスターがすばらしい。2日間のコンサートのためだけにこういうポスターを作っていたのはエライものだ。

 演奏はデッドが先。11時開演。前座というわけではなく、普段のショウをきっちりやっている。後半は最初から最後まで切れ目無しにつながった一本勝負。

 この頃はまだ聴衆録音は公認されておらず、録音しているところを見つかると機材やテープが没収されることもあった。


05. 1977 McNichols Arena, Denver, CO

 8.25ドル。7時半開演。良いショウらしい。


06. 1980 Warfield Theatre, San Francisco, CA

 15本連続のレジデンス公演の11本目。この日と翌日の第一部アコースティック・セット全体が、2019年のレコードストア・ディのためのタイトルとしてアナログとCDでリリースされた。また第三部の2曲目〈Greatest Story Ever Told〉が《Dead Set》でリリースされた。

 このアコースティック・セットの全体像を聴くと、他も全部出してくれ、とやはり思う。


07. 1982 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA

 12ドル。屋外で午後2時開演。この年のベストの一つ、と言われる。


08. 1983 Greensboro Coliseum, Greensboro, NC

 後半 Drums の後、2曲しかやらず、最短記録かもしれない。演奏そのものは良かったそうだ。


09. 1984 The Centrum, Worcester, MA

 2日連続の2日目。ジョン・レノンの誕生日で、アンコールは〈Revolution〉。

 良いショウらしい。


10. 1989 Hampton Coliseum, Hampton, VA

 前日に続き、"Formerly the Warlocks" として行われたショウ。《Formerly The Warlocks》ボックス・セットで全体がリリースされた。その前に、オープナーの〈Feel Like A Stranger〉が1990年に出たライヴ音源集《Without A Net》に収録されていた。

 このサプライズ・ショウの試みはバンドにとっても刺激になり、新しいことをやろうという気になったらしい。ブレア・ジャクソンのライナーによれば、しばらくやったことのなかったこと、つまり事前のリハーサルをした。しばらくレパートリーから外れていた曲がいくつも復活したのはそのためもあった。

 2日間ではこちらの方がいいという声が多い。あたしもそう思う。前日は自分たちの勢いに呑まれているところがなきにしもあらず。この日はうまく乗れている。MIDI による音色の変化もハマっている。

 この日のサプライズは〈Dark Star〉。1984-07-13以来の復活で、この後は比較的コンスタントに演奏された。最後の演奏は1994-03-30。演奏回数は235回。演奏回数順では56位。5年ぶり、それにデッドのシンボルともいえる曲の復活とあって、聴衆の歓声は前日にも増して大きく長かったことは録音でもわかる。さらにアンコールの〈Attics Of My Life〉は1976-05-28以来、13年ぶり。

 まだネットも携帯もないこの晩、深夜、明け方にもかかわらず、全米のデッドヘッドたちはおたがいに電話をかけまくった。


11. 1994 USAir Arena, Landover, MD

 3日連続の初日。35ドル。午後7時半開演。レックス財団のための資金集めのショウ。そこそこの出来とのこと。(ゆ)


10月07日・木

 デッドの《Listen To The River》ボックス・セット出荷通知。1週間ぐらいか。


 Pushkin Press からのニュースレターで、ヤコブ・ヴェゲリウス Jakob Wegelius というスウェーデンの作家を知る。調べると邦訳が2冊出ている。市の図書館にあったので予約する。

サリー・ジョーンズの伝説 (世界傑作童話シリーズ)
ヤコブ・ヴェゲリウス
福音館書店
2013-06-15

 で、このサリー・ジョーンズというゴリラが探偵役となって冒険する話が2014年に出て、英訳 The Murderer’s Ape が2018年に Pushkin から出た。どうやらこれは国際的なベストセラーとなったらしく、地元ではもちろん、ドイツ、フランスでも賞をとった。英語版も売れたのだろう。続篇 The False Rose が7月にハードカヴァーで出た。この最新作は著者のサイトにも出ていない。そりゃ、英語版の方が市場ははるかに大きいだろうから、先行発売するのは筋が通る。ヤコブ・ヴェゲリウスはプロのイラストレーターでもあって、自著も自分でイラストをつけている。サイトで見られる。

The Murderer's Ape
Wegelius, Jakob
Pushkin Children's Books
2018-09-06



The False Rose
Wegelius, Jakob
Pushkin Children's Books
2021-10-07



 DNB の今日のフリー配信の記事 Ann Bonny (1698-1782) , pirate はまことに面白い前半生を送っている。きょうびヘタなテレビ・ドラマでもここまではやらないというくらいあざといストーリー。
 コークに弁護士とその召使いの私生児として生まれ、当初男の子として育てられる。父親はこれがスキャンダルとなってコークにいられなくなり、愛人と娘を連れてサウス・カロライナへ逃げる。そこで商人として成功し、プランテーションを買う。が、娘のアンは20歳で文無しの水夫と結婚。父親は怒って勘当。アンは夫とバハマに行く。ここでアンは海賊の John Rackam に出逢い、夫と離別させられて、ラッカムの子どもを生む。産褥から起きると新しい夫の仲間に入る。ここにもう一人 Mary Read という3歳年上の女性が海賊に加わる。アンとメアリは親友となり、2人はラッカム一党でも最も獰猛なメンバーとなる。1720年9月5日、バハマの知事がラッカムの一党を「指名手配」。数週間後、ジャマイカで重武装の私掠船に一党は捕まる。裁判の末、男のメンバーは全員有罪となり処刑される。2人の女性も有罪となるが、ともに妊娠していると申し立てて刑の執行をまぬがれる。メアリの方は獄中で病死。アンはどうやら父親が救出し、サウス・カロライナへ連れもどす。1721年年末、アンは地元の男と結婚、8人の子どもをもうけ、84歳で立派な女性として死ぬ。
 サウス・カロライナへ戻ってからはほとんど記述が無いが、あるいは父親からプランテーションを受け継いで、族長として采配をふるったか。1719年から1720年までのほんの短期間だが、海賊としてローカルでは悪名が高かったらしい。そういう時代、地域だった、のか。北米、カリブ海はまだ植民地。統治する方もされる方も相当に荒かっただろう。こういう女性は記録には殘りにくいが、メアリの存在をみても、それほど珍しい存在ではなかったかとも思われる。この2人の場合は裁判の記録が残っている。



##1007日のグレイトフル・デッド

 1966年から1994年まで4本のショウ。公式リリースは2本。


1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 残っているチラシでは "Winterland" で2日間になっているが、こちらに移されて3日間になったらしい。共演はポール・バターフィールド・ブルーズ・バンド、ジェファーソン・エアプレイン。正確なセット・リストは無し。演奏された曲の一部のみ。

 DeadBase 50 によると、当時すでに Winterland はヴェニューとして存在していたが、このショウについては7日の San Francisco Chronicle 紙の Ralph Gleason のコラムがフィルモアで行われるとしている。同じページの "Datebook"欄にフィルモアで「今日から」の記載があり、ウィンターランドから変更になったと明記されている。この前の週にもビル・グレアムは、バターフィールド、エアプレイン、マディ・ウォーターズの公演をウィンターランドからフィルモアに移している。フィルモア周辺の人種暴動にひるまない姿勢を見せるための由。DeadBase Updates 026-027pp.

 このフィルモア・オーディトリアムはフィルモア・ウェストとは別にその前からグレアムがやっていた施設。収容人員1,100。ウィンターランドは5,400


2. 1977 University Arena, University Of New Mexico, Albuquerque, NM

 後半4曲目〈Passenger〉が2019年の《30 Days Of Dead》で、後半の後半 Drums の後の〈Iko Iko> The Wheel> Wharf Rat> Sugar Magnolia〉のメドレーが《Road Trips, Vol. 1, No. 2, Bonus Disc》でリリースされた。

 その前のアーカイヴ・シリーズ《Dick's Picks》が1本のショウを丸ごとリリースすることを基本としていたのに対し、《Road Trips》のシリーズは一連のラン、ツアーのうちのひと塊の精髄が味わえるように抜粋して組むことを基本とした。Vol. 1, No. 2 197710月のツアーのうち、11日オハイオ州ノーマン、14日ヒューストン、16日バトン・ルージュの各々のショウからの抜粋をCD2枚に収める。早く買うとボーナス・ディスクがついて、それにもこの3日間に加え、07日から選んだトラックが収められた。どうもこの《Road Trips》のシリーズはあまり売れなかったらしい。2008年に出た《Vol.. 1, No. 2》をあたしが買ったのは2015年だが、その時でもボーナス・ディスクが付いてきた。

 ともあれ、このメドレーが公式リリースされたのは喜ばしい。1977年はビークの年だが、その中でもこの演奏はピークの一つと言っていい。とりわけ、〈The Wheel〉のジャムがおちついて、ガルシアがポロンポロンとギターを弾きながら、次の曲が降りてくるのを待っているあたりからだ。この弾き方はそうとしか思えない。そしてやって来た〈Wharf Rat〉は、この歌のベスト・ヴァージョンと言い切りたい。

 この歌は3つのパートからなる組曲構造で、第一部の、どん底のホームレスの独白から、このままじゃ終らないよ、と言いだす第二部に移るあたりから、いつもとは様相が変わってくる。ドナが肩の力を抜いて歌うのがまずすばらしい。ライヴ休止期から復帰後の演奏の質が高くなるのは、この抑制の効いたドナの貢献も大きい。何かを貯めこんでいる気配が動いていて、そして第三部へと飛翔する。その後が凄い。この第三部はドンドンドンというマーチ風のビートが叩きこまれる、それが徐々に徐々に速くなる。加速はごくゆっくりだが止まらない。ゆっくりと歩いていたのが、走りだす寸前になったところで、ガルシアが下から上へ駆けあがるリフをくり返し、頂点に達する。まさに飛んでいる。やがてきっちりと降りてくると一息置いて、〈Sugar Magnolia〉。ここでも一見いつものように始まるが、歌が一度終ってからのガルシアのギターがどんどんと熱気を孕み、どこまでも昇ってゆくのに他のメンバーも引っぱられて盛り上がる。ブレイク後の Sunshine Daydream も、比較的静かに始まるが、コーラスの繰返しになってフルパワー。これはやはりこの年にしか聴けない。


3. 1980 Warfield Theater, San Francisco, CA

 オープナーの2曲〈Iko Iko〉と〈Dark Hollow〉が《Reckoning》で、第三部オープナーの〈Shakedown Street〉が《Dead Set》で、その次の〈Estimated Prophet〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。最後のは持っていない。

 アコースティック版の〈Iko Iko〉が新鮮。ガルシアはアコースティック・ギターも巧いことは、《Before The Dead》を聴いても、ジェリィ・ガルシア・アコースティック・バンドや後のデヴィッド・グリスマンとの録音を聴いてもよくわかるが、この一連のレジデンス公演でのガルシアはどこか特別の感覚がある。〈Shakedown Street〉も決して悪くないが、アコースティック・セットの前に色褪せる。


4. 1994 The Spectrum, Philadelphia, PA

 3日連続最終日。前半はすばらしかったが、後半は息切れだったそうな。ボストン後半からのガルシアの好調がこの日の休憩中に切れたらしい。(ゆ)


4月3日・土

 モノを探して書庫をひっくり返すと副産物で Jeff VanderMeer の Dradin In Love 初版著者サイン本が出てくる。どこかで売れるかな。各章の扉として1ページのモノクロ・イラストが挿入されている。クレジット頁によれば Buzzcity Press は The Silver Web という雑誌をメインに出している。シリーズ・エディタは Ann Kennedy となっていて、今のヴァンダミア夫人。いつ、どこで買ったか、まったく覚えがない。出た当時に買っているはずで、Mark V. Ziesing あたりだろうか。この時にはまだまったく海のものとも山のものともわからなかったはずだ。

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 エアコンのリモコンにフィルタ異常と出るので、生協経由で掃除を申し込む。夜、連絡があり。据付を調べると2007年と判明。10年以上経つので部品が無く、故障した場合は直せない。とのことで、キャンセル。買換えを計画せざるをえない。今のところ、まだ動いてはいる。

 散歩の供はまず Ale Moller, Hans Ek, Lena Willemark, Vasteras Sinfonietta, The Nordan Suite。アレ・メッレルとリェナ・ヴィッレマルクが ECM から出した Nordan と Agram の2枚はスウェーデンと言わず、およそルーツ・ミュージックから生まれた最高の音楽のひとつで、これはその続篇というよりも、コンパニオン、対になるアルバムだろう。ECM の2枚は贅肉を削ぎおとした最小限のアンサンブルで、悽愴なまでに美しいが、こちらはフルオケとルーツ楽器、ヴォーカルとの協奏曲の形式による荘厳な作物。どちらも聴くたびに違って聞えるぐらい、おそろしくダイナミックな音楽でもある。

The Nordan Suite
Moller, Ale / Willemark, Lena / Vasteras Sinfonietta
Prophone
2015-01-27


Nordan
Bjorn Tollin
Ecm Import
2000-06-06


Agram
Moller
Ecm Import
2000-06-06



 協奏曲とは言っても、ヴォーカルとフィドル、パイプ、セリフロイト、マンドーラなどをオケが支えるホモフォニーに終っていないところがいい。例によってCDがどこかにまぎれこんで確認できないが、まあ、アレが中心になって編曲しているのだろう。クラシック用とされている楽器、管や弦が水を得た魚のように活き活きとルーツ楽器と対等に五分に渡り合い、ほんもののポリフォニーを作ってゆく。それを切り裂くリェナの「牛呼び」の声。

 録音もばっちりで、こいつは歩きながらだけでなく、腰を据えて、フルサイズのヘッドフォンでも聴こう。どこかのオーディオ屋にもっていって、スピーカーの試聴と称して聴いてもみるかな。

 続いては Bandcamp で買ったアンディ・アーヴァインの Rainy Sundays…Windy Dreams。CD化された時と同じ、LPでは裏面に使われていた写真を表にしたジャケットは同じ。確かにこちらの方が写真としては面白い。1980年に、その前のポール・ブレディとの共作とほぼ同じメンバーで作ったアンディの初のソロ。出た時の鮮烈な印象は忘れられない。

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 それまで聴いていたクリスティ・ムーアやポール・ブレディのソロは例えばニック・ジョーンズ、ヴィン・ガーバット、ディック・ゴーハンといった人たちのソロの直系の子孫と聞くこともできた。ポール・ブレディなどは少なくともこの当時はこうしたイングランドやスコットランドのシンガーたちへの憧れというよりもコンプレックスが明らかだ。フランスのガブリエル・ヤクーもそうだが、1970年代にはイングランドやスコットランドのロゥランドがお手本だった。

 けれどもアンディのこのソロは違った。ひどく新鮮で、地の底から湧いてくるような熱気をたたえて迫ってきた。冒頭の15分を超える移民のうたのメドレーの生々しさに吹っ飛ばされた。ちょうど同じ頃、ドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーも Farewell To Eirinn を出してアイルランドにとって「移民」の持つ重さを感じだしてもいた。この2曲目、Farewell To Old Ireland のリフでのドーナルのブズーキとアンディのマンドラ(とクレジットにはある)のシンコペーションのカッコよさ! CDを買いそこねたので、聴くのは本当に久しぶりだが、みずみずしさは少しも損われていない。

Farewell to Eirinn
Faulkner, John
Green Linnet
1993-01-05



 それにしても声が若いのを除けば、音楽的にはもうこの時点で完成しているのは、あらためて凄い。ドーナルのプロデュースに隙はなく、エネルギッシュなのだが、隅々まで丁寧に作っている。聴き直して今回面白かったのは本来ラストだったアンディの自作のタイトル曲で、ガーヴァン・ギャラハーのベース、ポール・バレットのシンセに、キース・ドナルドのサックスという、この中では変則的で後のムーヴィング・ハーツの原型のような編成。このドナルドのサックスがすばらしい。その後、あちこちでこの人の参加した録音は聴いているが、これがベストではないか。こんなに吹ける人なら、もっとちゃんと聴いてみたい。

 B面のルーマニアの Blood and Gold から Paidushko Horo の流れも後の East Wind や『リバーダンス』でのロシアン・ダンス・シークエンスをこの時点で完全に先取りしている。Blood and Gold はその後あちこちでカヴァーされているけれど、Bandcamp にあるアンディのノートによると、この曲は本来16分の5拍子なのに、みんな8分の6拍子のジグにしてしまっているとあるのは笑える。アンディはやっぱり最高だ。自伝を書いてるそうで、早く読みたいぞ。

 梅田週間第二弾。前回と楽器が同じフルートの須貝さんとのデュオ。

 楽器は同じだが、音も雰囲気もまるで違うのが面白い。あるいは使う楽器の違いもあるのかもしれない。矢島さんの楽器については知らないが、須貝さんのものはオーストリアのマイケル・グリンター製で、たしか豊田さんも同じメーカーの楽器を使っていたと記憶する。グリンター氏はアイリッシュ・フルートのメーカーとしては世界でも1、2を争う人気だったが、昨年末、交通事故で亡くなられたのだそうだ。この日はそのグリンター氏に捧げるということで、須貝さんが珍しくも無伴奏ソロでスロー・エア〈Easter Snow〉を吹いた。これがまずハイライト。

 独断と偏見で言わせてもらえば、パイプに最も合う曲種はジグだ。ホィッスルにはホーンパイプ。フィドルはリールで、アコーディオンにはポルカ。そしてフルートにはスロー・エアである。フルートは息継ぎをしなければならない。ホィッスルも同じだが、音を出すのに必要な息の量が格段に違うので、ホィッスルでは息継ぎは少なくてすむ。フルートは結構頻繁に必要だ。一つひとつの音を延ばすスロー・エアでは、息継ぎのタイミングをはかるのが簡単ではない。一方で、うまく合うと、それがアクセントになって、メロディが引き立つ。他の楽器ではまず不可能な形で「入魂の」演奏になる。自分が演奏している楽器を作った人への鎮魂歌はその実例だった。

 後半のオープニングはスウェーデンの曲を2曲。まずはポルスカをロウ・ホイッスル、次に〈夏のワルツ〉をコンサティーナで演る。これまたスウェーデンの伝統ではありえない組合せで、新鮮だ。とりわけワルツではコンサティーナがよくうたう。

 今週は梅田週間なので、普段よりも梅田さんの音に集中して聴いてみる。曲によってパターンを変え、さらにリピート毎に変え、同じことを繰り返すことがない。基本的には左手がベースで右手がハーモニーだが、コードをストロークするかわりに複数の弦を同時に弾く。ハーモニーのつけ方にも、カウンターを奏でるのとメロディにより添うのがまず目立つ。右手も左手と一緒にコードを弾くこともあり、左手も時には右手のもう一つ下でメロディに添うこともある。Shannon Heaton の〈Bluedress Waltz〉では、アルペジオの音に強弱を付け、曲の表情に陰翳を生む。これもハープのほぼ独壇場だ。

 会場は京王線・仙川駅から歩いて10分ほど、桐朋学園の裏にあたる人家を改造したスペース。普段は陶芸のギャラリーで、時にカフェにもなるそうだ。二人は入口を入ったところのタタキで演奏し、聴衆は一段上がった木の床に並べられたテーブルと椅子に座る。最大15名とのことで、実際には11名。心地良いハウス・コンサートの趣。生音も気持ち良く響いて、ハープの音がいつになく明瞭に聞える。輪郭がくっきりしている。同時に例えば低音弦のサステインが沈んでゆくのが実感できる。聴く方の位置が高いことも作用しているのかもしれない。

 須貝さんの〈Mother's Lalluby〉には、あらためて良い曲だと認識させられる。須貝さんは一見どっしり構えた肝っ玉母さんのイメージがますます染み込んでいるが、一方で奥にはかなり繊細な魂があることも垣間見える。坦々とサポートする梅田さんが母親に見えてくる。

 休憩時間に、クリーム・チーズ・ケーキと紅茶がふるまわれる。まずこのチーズ・ケーキが絶品でありました。これだけのチーズ・ケーキは食べたことがない、と思われるほどの旨さ。紅茶も美味で、こういう紅茶にはなかなかお目にかかれない。

 展示されている陶器で、鈴木卓氏のマグはカップが下のほうへふっくらと膨らんで、まことに良い具合で、わずかにクリームの入った白の無地もよかったのだが、把手のサイズがあたしの手には小さすぎた。どうも国内産のコーヒー・マグはみなさん、下の方を細くするものばかりで、どっしりと安定した形はこれまで見たことがなかった。今メインに使っている銀座・月光荘謹製のマグはまずまず気に入っているが、もうちょっと大振りのものがあればなあ。

 仙川には美味しいパン屋さんがあるそうだが、ライヴ終演後では売り切れとのことで、やむなく次善の策をとる。(ゆ)

須貝知世: flute, whistle, low whistle, concertina
梅田千晶: harp

 ひょっとして「クレツマー祭」になるのかと半ば期待、半ば恐れていたのだが、そんなことはなく、むしろ、さらにレパートリィの幅が広く、ばらけてきた。

 ハイライトはそのバラけたものの一つ、ベルギーのグループ Naragonia の曲で、中には芯が通っているが、表面はごく柔かい曲の感触が、このトリオにはよく似合っている。もともとは闊達なダンス・チューンとかクレツマーとか、およそチェロには不向きな類の曲を半ば強引、半ば楽々と、楽しくやってのけてしまうのが魅力であるわけで、巌さんが着々と腕を上げる、というよりも、慣れてきていて、シェトランド・リールまで鮮やかに聞かせてくれるのには顔がほころぶ。

 とはいえ、やはり似合いの曲というのはあるもので、ナラゴニアの曲でのチェロのリリシズムには陶然となる。あらためて元の録音も聴きたくなるが、あちらにはチェロはいない。チェロの入ったナラゴニアの曲はここでしか聴けない。

 もっともそれを言えば、シェトランド・リールにしても、スウェーデンの曲にしても、クレツマーにしても、こんな編成でやっている人たちは他にはいない。チェロだけでなく、ハープだって、その方面では使われない。世界は広いから絶対にいないとは言わないが、一時的なものではなく続けているのは、彼女たちだけだろう。今のところは。

 今日は夏なので、挑戦的に行きます、と言っていたが、編成からして挑戦なのだ。そもそも挑戦というのは、捩り鉢巻きで、腕をまくり、眦を決して、さあやるぞ、とやるもんじゃあ無い。表向きはごくあたりまえの、何でもないことに見えて、ちょっと待てよと考えてみると、とんでもないことをしているのが本当の挑戦というものだ。このトリオはさしづめ、そのお手本のひとつではある。

 トリオとしてあれこれ試し、挑戦するなかで、めぐり遭ったのがナラゴニアということだろう。この路線をもう少し深めてゆくのを聴いてみたいものだ。

 その後の〈Miss Laura Risk〉がまた良い。チェロがよくうたう。こちらはテンポがちょうどよいのだろうか。

 アンコール前は tricolor でやっているジグ。ここでのチェロがまた不思議な音を出す。ダブル・ストップなのだろうか、二つのメロディが聞える。これはたまりまへん。

 ゲンまつりは当面、四季に合わせて続けるそうで、次は涼しくなってから。さて、どうなるか、いや、楽しみだ。(ゆ)

中藤有花: fiddle
巌裕美子: cello
梅田千晶: harp

 JungRavie、すなわち野間友貴&浦川裕介と、Dai Komatsu & Tetsuya Yamamoto の、ノルディックとアイリッシュの二組のデュオによるライヴは、それぞれの伝統により深くわけ入って、豊かな成果を汲み出していた。それぞれが見せる風景の美しさもさることながら、ふたつが並ぶことで、単独では見えにくいところが引き出されていた。相違よりも、相通じるところがめだったのは、どちらもフィドル属の楽器とギターのデュオというだけでなく、音楽への姿勢、伝統へのリスペクトの持ち方に、似ているところがあるようだ。

 生まれ育ったものではない伝統から直接生まれている音楽を演奏することは、どうしても借りものになる。それはやむをえないと認めた上で、借り方に工夫をこらす。着なれない服をどう着こなすか。カーライルの『衣裳哲学』を持ちだすまでもなく、着る服とその着方に人となりは否応なく現れる。

 野間さんはハーディングフェーレ、浦川さんは12弦ギター。まずこのギターがタダモノでない。チューニングはラレラレラレという特異なもので、それに合わせて調整したスウェーデン製。このチューニングはヴェーセンのローゲル・タルロートの考案になり、スウェーデン音楽にギターを合わせる際、最も合わせやすく、また響きが良くなるという。実際、聞える響きはローゲルのものに近い。音の重心が低くなる。実際のライヴで使うのはまだ10回にもならない由だが、使いこまれてどう音が変わってゆくか、追いかけたくなる。

 浦川さんが1曲、セリフロイトも鮮やかに吹きこなしたのもよかった。

 野間さんは2種類の楽器を弾く。1本は八弦の古い楽器。造られて100年以上経つもので、こういう古い楽器はスウェーデンでもあまり弾く人がなくなっていて、入手できたそうだ。もう1本は現代の十弦のもの。弦の数が多いだけではなく、ネックも長く、胴のサイズも一回り大きい。響きもより華やかだ。

 使い分けの基準をどうしているのか、訊き忘れたが、現代の楽器の方が、よりダイナミックなメロディの曲のように聞えた。

 それにしても1年の留学の成果は明らかで、同様に1年留学した榎本さんと同じく、何よりもまずノリが違う。それがよく現れたのは、最後のポルスカで、足踏みがまるで違う。均等ではないのに、しっかりビートにのっている。

 スウェーデンやノルウェイのダンス・チューンのノリを、その味をそこなわずに再現するのは我々にはかなり難しい。これに比べれば、ジグやリールは単純だ。ノルディックの場合、三拍子といっても均等に拍が刻まれるのではなく、タメやウネリがこれでもかと詰めこまれている。どこでどれくらいタメるか、あるいはウネるかに法則や理屈は無い。実際の演奏に接し、マネして、カラダに叩きこむしかない。こういう時、録音や録画だけでは足らない。音楽は生だ、というのはここのところである。

 もっともアイリッシュのビートはより単純とはいえ、タメやウネリはやはりある。表面単純なだけに、それを見分け、聞き分けて、身にとりこんでゆくのは、かえって難しいかもしれない。まあ、どちらもそれなりの難しさがある、ということだろう。

 一方でこういう難しさがあってこそ、面白くなるのが、この世の真実というものだ。

 打ち込みやロックなどのビートをあたしがつまらないと感じるのは、こうしたタメやウネリが無いためだと思う。というよりも、そうしたものを排除したところで成立しているからだろう。それは余計なものであって、タメやウネリがあってはおそらく困るのだ。

 しかしカラダの表面ではなく、深いところで気持ちよくなるには、タメやウネリはやはり必要だと思う。それがあれば、たとえ体は1ミリも動かなくとも、カラダとココロを揺らす音楽の快感は感じられる。

 この二組のデュオはそのことをしっかりと摑みとり、実践している。完全に身につけた、とまではいかないかもしれないが、かなりのところまで肉薄している。もっともこういうことで「完全」などはありえないだろう。野間さんの言うとおり、「きりがない」ので、だからこそ楽しいのだ。これで完璧です、などとなったら、そこで終ってしまう。

 小松さんと山本さんのライヴは二度目だが、春に比べても、進化深化は歴然としている。月5、6本は定期的にライヴをしているそうで、その精進のおかげだろう。まったく陶然と聞き惚れてしまう。実際に並べて演奏されたらおそらく差は歴然とするだろうが、マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルに充分拮抗できる、少なくともそれを望めるところに達していると思う。

 山本さんのソロでは、おなじみの曲なのだが、2本の弦を同時に弾く技を駆使して、新鮮な響きを聞かせてくれる。

 小松さんが1曲やったヴィオラはやはり面白い。低域だけでなく、フィドルと同じ音域でも、やはり響きが違うことにようやく気がついた。音にふくらみがある。これは多分、楽器のサイズから来るのだろう。

 眼をつむれば、ここが東京の一角だということを忘れてしまう。ココロはスカンディナヴィアに、あるいはアイルランドに飛んでいる。

 野間さんの話でメウロコだったのは、スウェーデンではローカル言語がそれぞれに立派に生き残っていて、標準語と言えるものが無いということだった。楽器も、ニッケルハルパは東部が中心で、野間さんが行っていた西部のノルウェイ国境に近いほうではニッケルハルパは無く、ハーディングフェーレがメインになる。言語もまた相当に違い、スウェーデン語ということはわかるが、何を言っているのかわからないことも往々にあるらしい。リエナ・ヴィッレマルクは、西部のノルウェイ国境に近いエルヴダーレンの出身で、彼女がうたっているのはその村の言葉であって、相当に特異なものだそうだ。スウェーデン以外では、その言葉がスウェーデンのうたの言葉の「標準」になっているわけだ。

 そういえば、同様なことを hatao さんが笛についても言っていたことを、後で思い出した。村ごとに音階も指使いも違うという。

 アイリッシュ・ミュージックが世界に広まったのは、スウェーデンに比べれば伝統音楽の「標準語」があったためではないか、というのは面白い。アイルランドでもローカルな音楽はあるし、フルートやコンサティーナのように、楽器のローカル性もあるが、言われてみれば、全体としてはローカル性は薄れる傾向にある。このあたりは地理的な条件や、人間の性格の違いからくるのだろう。スウェーデンの方が、地理的にローカルが分立しやすく、また標準化を避ける心性があるのかもしれない。そういえば、ドイツはフランスやイギリスに比べて、統一政権ができるのがずっと遅かった。アイルランドも統一政権はついにできていないが、標準化を求める傾向はあるようにも見える。

 野間さんがやっているのも、かれが留学した、エルヴダーレンから少し南へ下った地域のものが中心だそうだ。それが一番しっくりくるとも言う。となれば、とにかくそれをとことん掘り尽くそうとする他ないだろう。掘りに掘っていったその先にこそ普遍があることは、ヴェーセンやリエナ・ヴィッレマルクの活動をみてもわかる。

 異国の伝統音楽を好むようになるのは、自ら望んだことではなく、単に捉まってしまっただけだという想いが近頃ますます強くなるが、その中のあるローカルのスタイルやレパートリィに引き寄せられるのも、自分の意志ではどうにもならぬことなのだ。

 この二組のデュオのツアーは今年の春にやってみて感触が良かったので、秋にもやろうということになったそうだ。ぜひ、また来年の春にでもやっていただきたい。それぞれの音楽がどう深まってゆくか、生きている楽しみがまた一つ増えた。(ゆ)

 前回の梅田さんと酒井さんの北欧音楽のライヴは試しにやってみましょうということだったらしいが、あんまり楽しかったので、終った直後にまたやることを決めたそうな。酒井さんは今月、ノルウェイに行くので、それから帰ってからと思っていたのだが、待ちきれずに、その直前にやることにし、榎本さんにも声をかけた由。

 まあ、とにもかくにも共鳴弦の響きに陶然とさせられたのだった。

 共鳴弦は北欧音楽のものだけではないし、北欧音楽は共鳴弦だけが特色でもないが、この日は今風に言うなら、共鳴弦祭りだった。

 まずはニッケルハルパの音があんなに艶やかに響くのを聴いたのは、求道会館でのヴェーセンぐらいではないか。ホメリのあの空間、それにたまたまミュージシャンに近いところに座ったこともあったかもしれない。榎本さんによれば、楽器そのもののせいもあるそうだ。日本に来て1年ほど経ち、ようやくおちついてきたという。わが国の湿度はヨーロッパの楽器にとっては難題だが、ニッケルハルパも当初は相当に苦労し、いろいろと手も入れた由。

 そしてハルディング・フェーレ。これまた調弦に時間をかけていたが、いざ音が出ればそこはもう北国の世界だ。

 この2つが重なると、あたしなどは完全に別世界に連れていかれてしまう。音楽を聴いていると、こんな偉大な発明は無い、と想うことがときどきあるが、共鳴弦はその最たるものの一つだ。

 そして、当然ながら、北欧の楽曲は、この共鳴弦の響きを存分に活かすようにできている。そりゃ、本来は逆だろう。北欧の楽曲の響きを出すために共鳴弦が編み出され、ああいう楽器ができてきたはずだ。というよりも、おそらく両者はたがいに刺戟しあう形で、どんどんと先へ先へと進んで、ああいう形になっているのだろう。とまれ、その気持よさ、ゆったりとして、後ろへひっぱるアクセントが強靭なそして粘りのあるバネとなってはね返るノリが、重なる音をさらに共鳴させる。

 普通のフィドルとニッケルハルパもよく響きあう。酒井さんは低音弦をよく使うが、そのふくらむ響きが、文字通りの共鳴を産んで、空間いっぱいに響く。もう、いつまでも終らないでくれと願う。

 ハープは北欧の伝統には無い。フィンランドのカンテレが一番近いだろうが、どうやらあちらの人びとは楽器は横にして弾きたいので、縦は好まなかったらしい。もっともこの頃ではハープも人気だそうで、梅田さんがハープを弾けるとわかると、教えてくれと言われたそうだ。ひょっとすると、ハープは「旬」を迎えているのかもしれない。アイルランドでもハーパー人口は増えているし、スコットランドはもっと盛んだ。エドマー・カスタネダのような人が出てきて、脚光を浴びるのも、あるいはハープをめぐる流れが世界的規模で盛り上がっている徴かもしれない。ところで、カスタネダの初録音はニューヨーク在住のアイリッシュ・シンガー、スーザン・マキュオンの BLACKTHORN (2005) だということは、ここでもう一度言っておいてもいいだろう。

 その伝統にない楽器を梅田さんが弾くと、あたかも北欧の伝統楽器に聞える。梅田さんの演奏にはどこかそういう説得力がある。自信があるというよりも、ごくあたりまえに弾いている。伝統楽器で無いほうがヘンだと思われてくる。

 そのハープも、ほめりではよく響く。特に増幅はしていなかったが、2つの楽器に埋もれることもない。これも聴く位置のせいか。ほめりは細長いので、席の位置によって聞こえ方が結構変わる。

 演奏されたのは、ノルウェイとスウェーデンがメインで、アンコールにハウホイがやっていたデンマークのワルツ。面白いのはノルウェイとスウェーデンの曲をつなげてメドレーにしたりする。こんなのは現地ではありえないだろう。ありえないといえば、ハープが入ったトリオという編成もありえない。こういうところが異邦の伝統音楽をやる醍醐味のひとつだ。

 びっくりしたのは、後半のはじめでいきなり榎本さんがうたいだした。スウェーデンのコーヒーのうたで、はじめスウェーデン語で、次に日本語で、アカペラでうたう。さらに、榎本さんがリードし、他の2人がコーラスをつける古いうた。現地の人でも歌詞の意味はわからないくらい古いうた。榎本さんはニッケルハルパを習いに1年留学されたそうだが、その収獲のひとつらしい。やはりうたはええ。こういう場でうたが入るのはことにええ。

 それぞれのソロもあり、これがまたいい。たっぷり2時間。どこか、やめたくないような感じもあった。終る前から次回の話をしているのはもちろん、録音の計画もまだぼんやりだがあるようだ。是非実現してほしい。

 北欧と一口にいっても、むろん、それぞれの地域で地合いはかなり異なる。国のなかでも異なる。国境地帯では、むしろ同じ国の他の地域よりも、隣国の方が近いこともある。アイルランドでもドニゴールはスコットランドに親しいのと同じだ。スコットランドではハイランドとロゥランドはまるで違う。この人たちはそういう違いもきちんと把握しているのが強い。国別だけではなく、より細かい地域による違いを押えることは、伝統音楽を相手にするとき、案外大事になってくる。それにまた、そういう違いがわかってくると、音楽を聴くのも、それにたぶん演るのも、さらに面白くなる。録音で聴くのも面白いが、眼の前でその違いを弾き分けられると、体感として染みこんでくる。

 音楽から聞えてくる北欧は、家具などから見えてくる北欧とはまた違った様相を呈する。北欧デザインも好きだが、もっと昏い、どこか激しい北欧の方が、すとんと腑におちる。そしてその中に、一本ぴいんと筋が通っている。ニッケルハルパやハルディング・フェーレの共鳴弦にもその筋は通っている。気品と呼んでみたい気もするが、しかしそこには日本語の気品とは対極にあるような、なまぐさい、どろどろしたもの不可欠になっている。ムーミンのモランの気品といえば近いだろうか。ニッケルハルパを見て虫と言った人がいるそうだが、確かにあの楽器にはそう呼びたくなる不気味なところが潜んでいる。北欧デザインの、あの贅肉を削ぎ落とした佇まいには、そうした不気味な、時としておぞましいとすら言えるようなところを押えこむ意志を感じることがある。

 伝統音楽にはどこのものにもそうした不気味なところ、おぞましいところがある。そしてそれが魅力を産んでもいる。北欧の音楽では、たとえばアイリッシュなどよりも、その部分が表面に近いところまで昇ってきているようにもおもえる。(ゆ)

 FMの地方ネットワーク JFN に "A・O・R" という番組があります。毎晩19:00〜21:00の2時間枠で、その後半が曜日変わりの特集で木曜日がワールド・ミュージック。

 この番組はローカルなFM局で聞ける他、radiko などのネット経由でも聞けるそうです。

 しばらく前からこの番組のワールド・ミュージックの特集でコメントと音源の提供をしているんですが、昨日は明日放送予定の「スウェーデンの音楽」のコメント収録してきました。

 今回はあたしよりも適任者がいると言って推薦したんですが、諸般の事情からやっぱりあたしがやることになった次第。といっても最近の状況については真暗なので、あわてて泥縄で話を伺い、音源も拝借する始末。おかげでなんとかこなしました。

 久しぶりにスウェーデンの音楽をまとめて聴きなおしましたが、やっぱりええのう。番組の中でもコメントしましたけど、伝統と革新のバランスがうまくとれてる点ではダントツじゃないかと思います。

 聴きなおしてみてあらためて感嘆したのは Groupa。リアルタイムで聴いていた頃はどうも目立たない印象でしたが、うーん、マッツ・イーデン偉い! スウェーデンの大物は誰もかれもトンガってますが、トンガる方向がひょっとすると一番ラディカルかもしれない。サイト行ってみると、まだバンドとして現役じゃないですか。

 それとやっぱりあたしにとってスウェーデン音楽の原点フォルク・オク・ラッカレは、いいんですよねえ。カリン・シェルマンのヴォーカルは、その後リエナやウリカやを聴いても、やっぱり最高だあーと思う。この凛とした気品は伝統音楽の本流からはあるいははずれるかもしれないけれど、彼女のうたを聴くだけで心洗われて、別の人間になっていく気がします。その点では、世界にディーヴァもたくさんいる中で、この人の右に出るうたい手はいない。最近再編したそうですが、一度は生で聴きたいですなあ。

 スウェーデンは音楽的には「大国」で、これは1回ではすみそうもないですね、という話にもなりましたので、たぶんまたやることになるでしょう。まあ、知っている人には特に目新しい話はありません。この番組自体は浅く広くの方なので、これから聴こうとか、スウェーデンに音楽があるのかという向きは、流し聞きしてみてください。(ゆ)

 フィドルとハーダンガーフェーレの酒井絵美さんと各種笛の Morten J. Vatn さんのデュオ、ノルカル Tokyo の渋谷タワーレコードでのインストア・ライヴはいつものこの手のライヴとはちょっと手触りが違った。ゲストに高梨菖子さんと長濱武明さんが加わっているので、楽器編成としてはそう変わらないのだが、やはりスカンディナヴィアの素材のせいだろうか。それともモーテン・ヴァテンさんのご家族、友人が大挙して来ていて、客層ががらりと違っていたせいだろうか。ありていに言えば、いつもは基本的にいけいけのノリでお祭りの雰囲気なのが、じっくりと曲に聴きいってしまうのだ。

 まだ生後1年にならない息子さんに捧げた子守唄も良かったが、ハイライトは唯一のスウェーデンの曲。ヴァテンさんがピアノで繰り出すブルーズ・ビートに酒井さんがフィドルで弾くのだが、楽曲の良さとともに、このブルーズとの組み合わせがすばらしい。BGMがかかっていたり、人が通ったりで、わさわさしている会場が静まりかえった感覚。

 6階のインストア・ライヴの会場は昇りエスカレーターからフロアへの入口の脇だから、インストア・ライヴ目当てではないお客さんも通る。ライヴが始まると、その人たちが半分くらいはその場で足を止めて聴いている。ほとんどがそのまま最後まで聴いていた。

 酒井さんもヴァテンさんも、おしゃべりはあまり得意ではなく、MCはなめらかではないが、それがかえって雰囲気を作る。音楽そのものも手探りで作っていて、ライヴもまた手探り。必ずしもはじめからぴったり合っているのではなく、むしろ一緒にやれるところを確かめながらやっているようなのが、面白くもあり、楽しくもある。といってひとまずここもでできましたという未完成でもない。一瞬一瞬、できあがってくるのを、本人たちも驚き楽しんでいるふぜい。ことばの本来的な意味で「生」なのだ。

 北欧というと、かっちりすっきりと完成された美学に律せられた世界という印象がここではだいぶ崩れている。破綻しそうでしないバランスが、スリリングというよりは笑ってしまう。アルバムのタイトルになっている神話の山羊は、北欧神話よりもアイルランドの田舎にでも出てきそうだ。こういうユーモアの隠し味はたぶんヴェーセンなどでもあるのだろう、と気づかせてくれる。そうしてみれば、ノルカル Tokyo というユニット名自体がとぼけているではないか。

 ノルカル Tokyo としてのライヴはしばらく無いそうだが、このユニットはぜひ続けてほしい。これからどうなっていくのか、まったく予想がつかないところがなんとも楽しい。ひょっとするととんでもないものになる可能性もある。とりあえずは実は丹念に作られたデビューCDを繰り返し聴いてゆきましょう。(ゆ)



Heidrun ヘイドゥルン
ノルカルTOKYO
ロイシンダフプロダクション
2016-03-13


 今年で3回めのイベントにようやく行くことができた。去年は行く気満々だったのに熱が出て病欠したのだった。

 梅雨入り直前のせいか、それとも気候変動のせいか、からりと晴れて、陽射しは強いが、日陰は涼しい。風もあって、休憩後の後半は上着が必要なくらいだった。上野公園も人がいっぱい。昼食を薮で食べて、公園の方へ狭い路地を横切っていったのだが、たくさんある居酒屋が真昼間からどこも満杯。この催しは無料なので、何をやってるんだと覗きにくる人も結構いたようだ。トライフルのときだったか、ふらりと入ってきて近くに座った若い夫婦は、旦那の方が小型カメラでビデオを撮っていたが、海外からの観光客に見えた。トライフルが終わると席を立っていった。

 ノルディックとケルティックのルーツ・ミュージックをやっている人たちが一堂に会しましょう、というのは、まったく無理が無いとは言わないが、それほど奇想天外でもない。昨日もそうだったが、両方やっている人も少なくないし、向こうでも Two Duos Quartet や North See Crossing もいる。ルーツにどっぷり浸りこんで、奥義を極めることをめざすのはすばらしいことではあるが、一方でおおらかに、一緒にやれば楽しいんじゃない、とどんどんやってしまうのも同じくらい嬉しく楽しい。どちらもありだし、むしろ片方だけでは何かが抜け落ちる気もする。このイベントはすべてがいい具合にゆるくて、こういう感覚をしばし忘れていたことを思い出させてくれた。

 まず、会場がゆるい。水上音楽堂は屋根はあるが、ステージの両脇は大きく開放されていて、外の音もふつうに入ってくる。日比谷の野音よりも道路に近い。いっとき、いくつものサイレンの音も響いた。鳥たちも自由に出入りして、小松崎健さんとあらひろこさんのときには、ステージの上でしきりに小鳥が囀っていた。座席は部厚い板のシートで、階段状になり、背凭れもあるので、前の席の背に足をかけることもできる。木製のベンチというのはやはり適度にやわらかい。昼間のビールで酔っぱらったか、寝ている人もいた。好きな姿勢でいられるし、いろいろ姿勢を変えることもできる。お客さんも多くはないから、席の移動も結構自由だ。入口の反対側の端では、Musikanterrna の人たちがニッケルハルパの音出しをしたりしている。

 こういうイベントにはやはり飲食があるのは楽しい。ビールは旨かった。アウグストが出していた2種類を両方飲んだけれど、どちらも個性的で、昼ビールも手伝っていい気分。ゆるい気分がますますゆるむ。もっとも広告にはあった焼き鳥は見当らず、食べ物はもっとあってもいい。そう、これはフォークフェスの気分だ。小さなお子さんを連れた若い夫婦も何組かいたし。子ども向けの企画やお菓子なんかがあってもいいな。

 音楽もゆるい。ステージに集中しなくてもいい。もちろんしてもいい。コンサートやライヴのように、よおし、聴くぞ、とかまえなくてもいい、というだけのこと。興がのれば身を乗出し、酔いがまわればいい気分でうとうとし、友だちがくればおしゃべりに精を出し、好きなように楽しめる。

 音楽の質が低いかといえばそんなことはさらさらない。結構実験的な試みもある。豊田さんたちのフルート3本のトライフルは、昨日がデビューとのことだったが、ぜひぜひ続けてほしい。3人が10本のフルートを取っ替え引っ替えしていたが、メンバーも取っ替え引っ替えするのはどうだろう。Gypsy Pot ももっとちゃんと聴いてみたい。ちょうど北海道勢やティム・スカンロンたちがやってきておしゃべりしていたので、あんまり聴けなかったが、これは結構すごいバンドではないか。ニッケルハルパが13本集合した Musikanterna は見ものだった。個人的収獲は実行委員長が参加する Johanson Saga で、二度目に聴くその委員長のヴォーカルがすばらしかった。中学生と聞く息子さんのフィドルも堂に入った演奏で、将来が楽しみだ。かれの成長を見られるほど長生きしたくなる。ヴォーカルといえば、トリのあんじょんでじょんがうたったのも良かった。

 こんなすてきな催しがタダというのはありがたい。向こうでもフリー・コンサートは結構あるようだが、自治体がカネを出したりしている。東京都にそんな粋なふるまいを期待するのはムダだから、実行委員長や坂上さんたちの踏ん張りに応援するしかないが、有料にしてもいいとは思う。タダだから、ふらりと入ってくる人もいるというのであれば、ネット上の資金あつめなども使ってはどうだろう。こういうところでないと買えないのも多いのでCDは買い込んだが、Tシャツは売ってなかったなあ。

 せめてあたしが生きている間は続けてほしい。たとえヨイヨイになったとしても、車椅子に乗せられて、点滴を吊るし、酸素ボンベが離せなくなっても、これだけは連れていってもらいたい。会場でいい音楽や駆けまわる子どもたちの歓声に包まれて死ねれば本望だ。まわりには大迷惑だろうが。(ゆ)

 自分のイベントにかまけてうっかりしていましたが、ヴェーセンが今週来ますね。

 結成25周年、初来日から十年、と2つの節目が重なっためでたいツアーです。
http://www.mplant.com/vasen/index.html

11/16(日)山形 文翔館
11/18(火)神戸 芸術センター シューマンホール
11/19(水)名古屋 秀葉館
11/20(木)東京・渋谷 Duo Music Exchange
11/21(金)福岡 大名MKホール

 ヴェーセンらしく、一風変わった場所でのライヴが多いですね。東京が一番普通だな。

 その東京は JPP が共演ということで、これは見ものです。一大フィドル合戦\(^O^)/。
個人的には JPP の方が興味津々ですけど、これはどちらもいい勝負。

 しかし、もう十年か。それでも今世紀中、というのもびっくり。
3人のなかではミカルが一番年をとった感じ、というのはそれだけ初めは若かったですね。
ローゲルは昔からいい歳こいたおっさんだった。
ウーロフもこうして写真見ると歳とったなと思うが、かれは永遠の青年みたいなところがある。

 これまでの来日では、初見参の南青山のマンダラで見たとき、3人ともデカイなあ、と思ったことと、前回の本郷は求道会館でのかぎりなくノーPAに近いライヴが強烈に残ってます。

 さて、今回はどうなるかな。(ゆ)

 そうそう、こうこなくちゃ。ホーンパイプがたくさん聴けて幸せ。

 そりゃ、気持ちはわからないでもない。ジグやリールでがんがん攻めれば、ウケはいいし、やってる方もラクではあるかもしれない。だけどやはりしっかり演奏されるホーンパイプほど気持ちのよいものは、アイリッシュ・ミュージックのなかでもそう多くない。と、ぼくは思う。だいたい、ホーンパイプはアイルランドの専売特許のようなものだ。リールはスコットランドにもシェトランドにもあるし、ジグはイングランド人だってやる。ホーンパイプこそは、一発でああ、アイルランドだ、とわかる。それに、ホーンパイプは良い曲が多い。というより、良い曲しか残れなかったのだろう。たしかに伝統音楽は自然淘汰が行われるから、良い曲しか生き残ってこれないが、ホーンパイプはその中でも特に名曲ばかりが残っている気がする。

 このバンドには精進をかさねて、まずは日本一のホーンパイプ・バンドになってほしい。むろん究極の目標は世界一である。

 フルートの須貝知世、フィドルの中藤有花、ハープの梅田千晶のトリオ Nabana の、これが2回めのライヴだそうだ。先日の野と花と二度目が続くのは偶然か、なにかのはからいか。ちなみに次ももう決まっていて 08/03、高円寺の由。

 マズルカやマーチやストラスペイ、あるいはオリジナルの子守唄など、ゆったりまったり、いい気持ちになる。肩の力が抜ける。胸の奥のしこりが溶ける。日曜の午後の昼下がり。高野文子の初期の作品を思い出す。ジグやリールも、むしろスピードは抑え、メロディを際立たせる。いいなあ、これはいいよ。

 須貝さんはリマリックに一年留学されて、昨年秋帰られたそうな。まだどこか心ここにあらず、というと言い過ぎか。向こうでは勉強にいったということもあって、あまり楽しい思い出がないと言われるが、留学が続いているような気配だ。

 梅田さんのハープは先日八王子でのゲーム・ミュージック・ライヴ以来二度目だが、今回はほとんど目の前で弾いているので、音も明確だし、表情やしぐさもよくわかる。ビートを刻んだり、メロディをうたったり、ハーモニーをつけたり、かなり多彩な音を出す。アレンジもされるそうで、そういえば、須貝さんと中藤さんがメロディを奏でても、ユニゾンではなく、ハーモニーを作っている時がある。

 先日の野と花の時も思ったが、中藤さんのフィドルが今日もすばらしく、アンサンブルの核だ。何より音色がいい。たっぷりとふくらんで、ほのかな艶も帯び、ちょっとたまらない音である。この音の質を録音で捉え、再生するのは至難の技ではないか。

 後半はゲストにバゥロンとうたの岡本千佳さんが入る。うたをうたおうという人が出てきたのは楽しみ。〈ダニー・ボーイ〉の例の高くなるところもちゃんと出ていたから、正規の訓練を受けているのだろう。もっとも伝統歌謡をうたうときには、そういうものは一度忘れた方が良い結果が出ることが多い。MCの声はうたう時の声よりずっと低かったから、あの声域でうたわれるのも聞いてみたい。アイルランドやブリテンの伝統音楽のすぐれたうたい手たちは声が低いのだ。

 ふだんのアイリッシュ・ミュージックのライヴとは選曲が違いますが、とMCで言われていたが、お客さんにそういう人はむしろ少なく、地元の人や店についているお客さんたちが多かったようだ。会場は八幡宮の二の鳥居を右折、つきあたりを左折して少し行ったところで、2階建て。2階の客席をかたづけて椅子がならべてある。小さなピアノもあるから、野と花のライヴもできそうだ。日曜の鎌倉はすっかり観光地。若いアベックのデートコースになっているらしい。

 ミュージシャンたちが店の美しい中庭で記念撮影していたけれど、夕食の支度をしなくてはならなかったから、終演後はすぐに失礼した。

 会場で拾ったチラシのライヴ。どれも行きたいが、うーむ、全部はムリだな。(ゆ)

07/07(月)Open 19:00/ Start 19:30
長尾浩司×小松優衣子×須貝知世@Grapefruit Moon、三軒茶屋
予約2,300円 当日2,800円(ドリンク別)
w/ Spiral=erie×江部聖也×森島玲×丸茂睦
Opening Act やのかじ=矢野あいみ×かじみなみ
予約はこちら
☆ギター×コンサティーナ×フルート

07/23(水)Open 18:30/ Start 19:30
須貝知世×小松優衣子×中藤有花×長尾晃司@maruchan、田端
1,500円(ドリンク別)
予約、問合せはこちら
☆フルート×コンサティーナ×フィドル×ギター

07/25(金)Open 19:00/ Start 19:30
須貝知世×梅田千晶@さんさき坂カフェ、千駄木
投げ銭+オーダー
予約、問合せはこちら
☆フルート×ハープ

07/29(火)Open 19:00/ Start 19:30
北川有里×奥貫史子×梅田千晶@homeri、四谷三丁目
2,000円(+1オーダー)

☆パーカッション×フィドル×ハープ

 お知らせをいただいたので転載。

 レーナ・ヴィッレマルクが、ベースと箏というトリオで来日するそうな。詳しくはこちら

あいらわらず貪欲ですね、レーナおばさん。
それに Anders Jormin を生で聞けるんだぜ。
音源も出るらしいし、いや、楽しみだ。
問題は東京の会場の70人限定で間に合うか。

 ところでこの下北沢の富士見教会、牧師さんが女性だ。プロテスタントの世界では女性が地域教会の首長になっているのは知っていたが、日本でもいるんですな。

 もひとつ、ところで、こういうユニットだと、本郷の求道会館で聴きたい、と思ってしまうわけです。


10月にレーナ・ヴィッレマルクが新しいユニットで来日します。 

スウェーデンでも一緒に活動しているベース、Anders Jormin, 
25弦筝と唄で活躍中の中川果林 

どんなサウンドなのかはまだ未知ですが、フリー(即興音楽)と各メンバーのルーツの音楽が展開されるのではと想像しています。 


・・・ハーモニーフィールズのHPより・・・ 

*福岡公演 

10月20日(日)Open 17:30/Start 18:00 
古民家SHIKIORI 福岡県宮若市芹田721 
TEL: 090-1163-5027(松永誠剛)
料金5,000円 

お問合せ 
Asian Cape Connection TEL: 090-1163-5027(松永誠剛)


*東京公演 

10月22日(火)Open 18:00/Start 19:00 
富士見ヶ丘教会 東京都世田谷区代沢2-32-2 
前売 4,000円 当日 4,500円 
チケット9月9日発売 

[予約方法] e-mailにて、 
1)枚数 2)お名前(カタナカ) 3)お電話番号 4)ご住所 
をお送りください。 受付ご返信致します。 
満席になり次第、受付を終了致します。 

お問合せ 
Fly Sound info@fly-sound.com 
Harmony Fields 
 072-774-8838 (平日 10:00-18:00) 



Thanx! > やまだまさん

 来年4月に来日するヴェーセンのチケットが今夜午前〇時に発売になります。とりあえず東京と札幌の分だけのようですね。くわしくはこちら

 今のところ発表されているスケジュール。
2009/04/23(木)すみだトリフォニーホール
2009/04/29(水/祝)札幌 生活支援型文化施設コカリーニョ

 トリフォニーは小ホールだそうです。

 札幌は先日スヴェングがやったところで、すばらしいヴェニューらしい。

 ドレクスキップの演奏を聴いていると、あらためてヴェーセンが見たくなりました。(ゆ)

後刻追記
 今夜じゃないですね。あすの夜中です。どうも先日、熱を出してからボケてます。

 昨晩は武蔵野スイング・ホールソフィア・カールソンの初来日。再来日熱望。

 完全に誤解をしていたのでありました。生身のソフィアは、へたに触れれば粉々になってしまうような繊細さと、大地に深く根をおろしてどんな嵐がこようがびくともしない靭さを兼ね備えた、類稀なるうたい手でありました。後半は裸足になってしまうくらい「天然」の妖精でもありました。笛も達者、ギターもよく、まさに音楽をするために生まれてきた人。

 前半はじっくりとソフィアのうたを聞かせます。MCはほとんどないのも潔い。北欧にすぐれたうたい手は少なくありませんが、ソフィアのうたのうまさはちょっと次元が異なる気もします。

 後半はノルウェイから参加のギデオン・アンデションがマンドリンでアイリッシュ・チューンを聞かせたり、そのギデオンがカホンで相方をつとめてオッレ・リンデルがすばらしいパンデレイタを披露したり、ヴァラエティに富んだ趣向。

 三人のバック陣は一騎当千なのは当然として、ヒロインの繊細さを包みこむようなサポートで、息もぴったり。自分にとって大事な仲間としてひとりひとりていねいにソフィアが紹介するのもほほえましく、楽しいものでした。

 スイング・ホールの特性を活かして、ときにマイクをはずれて生の声や笛で聞かせたりもします。牛飼い唱法もしっかり披露。

 サウンド・エンジニアも連れてきていて、かぎりなくアコースティックに近い音で聞けたのもうれしいもの。一方でグスタフ・ユングレンのラップ・スティール(?)を使った幻想的な音も不思議なくらいぴたりと合っていました。それにしても、このホールで聞くダブル・ベースの音は格別でした。

 こういう繊細さと強靭さが同居したうたい手は、これまで北欧では聞いたことがなかったとおもいます。というよりも、ヨーロッパを見渡しても、滅多にいるものではない。近い人といえばアルタンのマレードがアイルランド語でうたうときか。でもおそらく一番近いのはアン・ブリッグスでしょう。もちろん天の時も地の利も違うし、音楽そのものも違いますが、ミュージシャンとしての在り方が似ています。

 ですから、ソフィアにはぜひうたい続けてほしい。40歳、50歳になったときの彼女のうたを聞いてみたい。それまではなんとか命長らえて、よぼよぼの爺になって、成熟したソフィアのうたにひたりたい。

 満席の聴衆もソフィアの音楽の良さがよくわかる人ばかりで、1曲ごとに拍手が大きくなり、その反応にまたミュージシャンが昂揚する理想的なライヴ。休憩と終演後にはCDが飛ぶように売れ、サイン会には長蛇の列ができていました。このうたい手と時空を同じくして生きるありがたさをしみじみと嚼みしめながら、家路についたことでした。(ゆ)

 スウェーデンにすばらしいシンガーは数多い中で、今一番旬であるソフィア・カールソンの来日の詳細が、ついに発表になっています。来日自体はずいぶん前から断片的に出ていましたし、また関東でもう一つ別にライヴが計画されているそうです。

 詳しくはこちら

 何と言っても、レーナ・ヴィッレマルク&アレ・メッレルも参加している、すばらしいルーツ・ジャズ・バンド Enteli のライヴを見て伝統音楽にはまったというそのきっかけからして、嬉しい人であります。そのレーナの衣鉢をいずれ継ぐ人ではありましょう。

 10/17(金)北海道 旭川 ポリフォニーポイント
 10/18(土)北海道 旭川市民文化会館 大ホール
 10/21(火)東京 武蔵野スイングホール
 10/22(水)三重 松阪 Serai(サライ)

 メルマガではすでに案内していますが、旭川での公演には札幌のアアシアン・クッカ(あらひろこ&扇柳トール)が共演します。

 武蔵野スイングホール公演のチケット発売日は08/02(土)10:00 です。申込先は武蔵野文化事業団

 もう一つ、神戸でアン・サリーとのジョイント・ライヴもあります。

--引用開始--
☆ソフィア・カールソン & アン・サリー(Nordic・Japan)

 “こころのうた”というキーワードで結びついた、ソフィアと
  アン・サリーの優しく、暖かい唄をお届けします。

  10/25(土)兵庫 神戸 ジーベックホール
--引用終了--

 スウェーデンのグラミー賞が発表になり、レーナ・ヴィッレマルクのソロ3作目、《エルヴダーレンズ・エレクトリスカ》が、最優秀フォーク・アルバムを受賞したそうです。

 まあ、あの内容ですから、受賞はむしろ当然。


Thanx! > やまださん

 「スペルマンス・ステンマ」というのは楽器を持って気楽に集まるスウェーデンの習慣だそうで、アイリッシュ・ミュージックならセッションに当たるものらしいです。スウェーデンにはあまりパブはないので、誰かの家か公民館のような公共施設に集まるそうな。ケイリのように、ダンスが入ることもあります。

 それを初めて日本でもやってみようという人たちが現れました。もちろんそこで演奏されるのはスウェーデンの音楽です。楽器もスウェーデン特有のニッケルハルパがメインですが、生楽器なら何でもOKの由。

 こういうことができるくらい、わが国にもスウェーデン音楽の愛好者がいつの間にか増えてたんですね。

 ノルウェイやフィンランド、デンマーク音楽はいかがでしょうか(^_-)。

   *   *   *   *   *

「第一回」〜ニッケルハルパ愛好者の祭典〜

「スペルマンス・ステンマ」とは、スペルマン(演奏する人)が楽器を持ってステンマ(集う)すること。ニッケルハルパだけでなくフィドルやアコースティックな楽器で参加出来、スウェーデンの伝統的な音楽をみんなで一緒に演奏します。
また後半はスウェーデン民族舞踊愛好家たちも参加し、踊りも楽しめるそうです。

以下詳細です。

11/23(祝) 13:00-16:45
さいたま市生涯学習総合センター
(シーノ大宮センタービル)10F多目的ホール
プログラム:13:00-15:00 スウェーデン伝統曲2曲の練習、演奏
      15:00から   伝統舞踊を楽しむ時間
参加費:1000円

主催:第一回スペルマンス・ステンマ・イン・ジャパン実行委員会
後援:スウェーデン大使館
お問い合わせ等:鎌倉和子


Thanks ? YO-RIさん

 秋にニッケルハルパのヨハン・ヘディーンが来日しますが、埼玉県所沢でのソロ・ライヴとワークショップがあるそうです。

 会場が良いので、ノーPA。ニッケルハルパのような共鳴弦のたくさんある楽器は生で聞いてこそほんとうの美しさがわかります。

 我らが国でニッケルハルパをやってる人がそんなにたくさんいるのかと思っていたら、ミクシでたちまち何人も集まった由。サーズやカーヌゥンよりひょっとして多い?(^_-)

 この他には東京・武蔵野でパイプ・オルガンとの共演があります。まだ、チケットはあるようです。


Swedish folk music from the baroque until today

〜スウェーディッシュ・フォーク バロックの時代から今日まで〜

スウェーデンで最も優れたニッケルハルパ奏者の一人、そしてBazar Blaの中心的メンバーとして知られるヨハン・ヘディンが来日。

松明堂音楽ホールで一回きりのソロ・コンサートとワークショップを行うことになりました。

出演:Johan Hedin(ヨハン・ヘディン):ニッケルハルパ 

日時:10/28(土)開場:14:30 / 開演15:00
会場:松明堂音楽ホール(新所沢駅東口下車)
料金:前売り3,500円/当日 4,000円(税込み)全席自由 ※整理番号順のご入場
演奏予定曲:Innersta polskan / Johan Hedin  ,バロック風ポルスカ / trad.
★午前中に15名様限定でワークショップを行う予定です。
詳細はこちら
お問い合わせ・チケット取り扱い:音楽を聴く仲間の会
080-5429-9669
frifot2007@yahoo.co.jp 
★ディスコグラフィーと試聴はこちらから。


Thanx! > やまださん@音楽を聴く仲間の会

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