フィドルとハーダンガーフェーレの酒井絵美さんと各種笛の Morten J. Vatn さんのデュオ、ノルカル Tokyo の渋谷タワーレコードでのインストア・ライヴはいつものこの手のライヴとはちょっと手触りが違った。ゲストに高梨菖子さんと長濱武明さんが加わっているので、楽器編成としてはそう変わらないのだが、やはりスカンディナヴィアの素材のせいだろうか。それともモーテン・ヴァテンさんのご家族、友人が大挙して来ていて、客層ががらりと違っていたせいだろうか。ありていに言えば、いつもは基本的にいけいけのノリでお祭りの雰囲気なのが、じっくりと曲に聴きいってしまうのだ。
まだ生後1年にならない息子さんに捧げた子守唄も良かったが、ハイライトは唯一のスウェーデンの曲。ヴァテンさんがピアノで繰り出すブルーズ・ビートに酒井さんがフィドルで弾くのだが、楽曲の良さとともに、このブルーズとの組み合わせがすばらしい。BGMがかかっていたり、人が通ったりで、わさわさしている会場が静まりかえった感覚。
6階のインストア・ライヴの会場は昇りエスカレーターからフロアへの入口の脇だから、インストア・ライヴ目当てではないお客さんも通る。ライヴが始まると、その人たちが半分くらいはその場で足を止めて聴いている。ほとんどがそのまま最後まで聴いていた。
酒井さんもヴァテンさんも、おしゃべりはあまり得意ではなく、MCはなめらかではないが、それがかえって雰囲気を作る。音楽そのものも手探りで作っていて、ライヴもまた手探り。必ずしもはじめからぴったり合っているのではなく、むしろ一緒にやれるところを確かめながらやっているようなのが、面白くもあり、楽しくもある。といってひとまずここもでできましたという未完成でもない。一瞬一瞬、できあがってくるのを、本人たちも驚き楽しんでいるふぜい。ことばの本来的な意味で「生」なのだ。
北欧というと、かっちりすっきりと完成された美学に律せられた世界という印象がここではだいぶ崩れている。破綻しそうでしないバランスが、スリリングというよりは笑ってしまう。アルバムのタイトルになっている神話の山羊は、北欧神話よりもアイルランドの田舎にでも出てきそうだ。こういうユーモアの隠し味はたぶんヴェーセンなどでもあるのだろう、と気づかせてくれる。そうしてみれば、ノルカル Tokyo というユニット名自体がとぼけているではないか。
ノルカル Tokyo としてのライヴはしばらく無いそうだが、このユニットはぜひ続けてほしい。これからどうなっていくのか、まったく予想がつかないところがなんとも楽しい。ひょっとするととんでもないものになる可能性もある。とりあえずは実は丹念に作られたデビューCDを繰り返し聴いてゆきましょう。(ゆ)