タグ:スコットランド
セツメロ FES, Vol.1 @ツボ、千歳烏山
Denon Ceol N-12
みわトシ鉄心 w/ 中村大史@ Cafe Bond, 是政, 府中市
みわトシ鉄心
ほりおみわ: vocals, guitar
トシバウロン: bodhran, percussion, vocals
金子鉄心: uillean pipes, whistle, low whistle, vocals
中村大史: bouzouki, piano accordion
Latina Best Album 2022
ジョンジョンフェスティバル@440, 下北沢
ジョンジョンフェスティバル
じょん: fiddle, vocals
アニー: guitar, piano, vocals
トシバウロン: bodhran, percussion, vocals
梅田千晶&矢島絵里子@ホメリ、四谷三丁目
吉田文夫氏
ビッグ・ボックス・セットの日
The Living Tradition 終刊
スコットランドのファンタジー作家
Tidal, Bandcamp Friday
The King Must Fall
"Hand in Hand" - Ian Siegal featuring Shemekia Copeland
%本日のグレイトフル・デッド
Folk Radio UK からのビデオ・クリップ
イングランドのトリオ Granny's Attic のフィドラーのソロ・アルバムから。踊っているのはクロッグ・ダンシングのダンサー。クロッグは底が木製の靴で踊るステップ・ダンスでウェールズや北イングランドの石板鉱山の労働者たちが、休憩時間のときなどに、石板の上で踊るのを競ったのが起源と言われる。クロッグは1920年代まで、この地方の民衆が履いていたそうな。今、こういうダンサーが履いているのはそれ用だろうけれど。
曲と演奏はともかく、ビデオが Marry Waterson というので見てみる。ラル・ウォータースンの娘。この人、母親の衣鉢を継ぐ特異なシンガー・ソング・ライターだが、こういうこともしてるんだ。このビデオはなかなか良いと思う。こういう動画はたいてい音楽から注意を逸らしてしまうものだが、これは楽曲がちゃんと聞えてくる。
レオ・ロウサムのパイプ
床屋
04月02日・土
床屋。いつものように眉毛以外全部剃ってもらう。前回よりさらに剃り残しが減った。あたしの頭に慣れてきたのだろう。
EFDSS の Vaughn Williams Memorial Library の最近の収納品の中に Sounding The Century: Bill Leader & Co: 1 – Glimpses of Far Off Things: 1855-1956 という本がある。調べてみると、ビル・リーダーの生涯を辿る形で、現在90代のリーダーの生きてきた時代の、フォーク・ミュージックをレンズとして見たブリテンの文化・社会史を描くもの。全10冊予定の第1巻。とりあえずアマゾンで注文。
ビル・リーダーは1929年生。生まれたのはニュー・ジャージーというのは意外。両親はイングランド人でリーダーがまだ幼ない時にイングランドに戻る。1955年、26歳でロンドンに出る。Bert Jansch, the Watersons, Anne Briggs, Nic Jones, Connollys Billy, Riognach を最初に録音する一方、Jeannie Robertson, Fred Jordan, Walter Pardon を最後に録音した人物でもある。Paul Simon, Brendan Behan, Pink Floyd, Christy Moore も録音している。
著者 Mike Butler は1958年生まれのあたしと同世代。13歳でプログレから入るというのもあたしとほぼ同じ。かれの場合、マハヴィシュヌ・オーケストラからマイルスを通してジャズに行く。ずっとジャズ畑で仕事をしてきている。2009年からリーダーを狂言回しにしたブリテンの文化・社会史を調査・研究している。
##本日のグレイトフル・デッド
04月02日には、1973年から1995年まで7本のショウを行っている。公式リリースは4本。うち完全版3本。
1. 1973 Boston Garden, Boston, MA
春のツアーの千秋楽。全体が《Dave's Picks, Vol. 21》でリリースされた。New Riders Of The Purple Sage が前座。全体では5時間を超え、アンコールの前に、終電を逃したくない人は帰ってくれとアナウンスがあった。
2. 1982 Cameron Indoor Stadium, Duke University, Durham, NC
金曜日。10.50ドルと9.50ドル。開演8時。レシュとガルシアがステージ上の位置を交換した。
3. 1987 The Centrum, Worcester, MA
木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。
4. 1989 Pittsburgh Civic Arena, Pittsburgh, PA
日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。前売18.75ドル、当日19.75ドル。開演7時半。全体が《Download Series, Vol. 09》でリリースされた。
この2日間はこの年の春のツアーで最も東のヴェニューで、満員御礼だったが、チケットを持たなくても会場に行けば何とかなると思った人間が大勢やって来て、大きなガラス窓を割り、中になだれ込んだ。そのため、警察が大挙して出動した。
その場にいた人間の証言によれば、ドアの外で数十人の人間と一緒に踊っていた。音楽はよく聞えた。そこへ、中からイカれたやつが一人、外へ出ようと走ってきた。ドアが厳重に警備されているのを見て、脇の1番下の窓ガラスに野球のすべり込みをやって割り、外へ脱けだした。警備員がそちらに気をとられている間に、中で踊っていた人間の一人がドアを開け、外にいた連中があっという間に中に吸いこまれた。
5. 1990 The Omni, Atlanta, GA
月曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。18.50ドル(テーパー)。開演7時半。全体が《Spring 1990》でリリースされた。
このアトランタの3日間で演奏された曲はどれもそれぞれのベスト・ヴァージョンと思える出来だが、ここではとりわけ第一部クローザーの〈Let It Grow〉と第二部オープナーの〈Foolish Heart〉がすばらしい。前者ではラストに、演奏をやめたくないというように、だんだん音を小さくしてゆき、静かに終る。何とも粋である。
3人のシンガーが声を合わせるところがますます良く、〈He's Gone〉のコーダのリピートと歌いかわし、〈The Weight〉や〈Death Don't Have No Mercy〉の受け渡しに聴きほれる。〈The Last Time〉は終始3人のコーラス。こういうことができたのはこの時期だけだ。
第一部はゆったりと入るが、3曲目にガルシアがいきなり〈The Weight〉を始めるのに意表を突かれる。こういういつもとは違う選曲をするのは、調子が良い証拠でもある。マルサリスの後の4本では、いつもよりも冒険精神が旺盛になった、とガルシアは言っている。第二部は緊張感が漲り、全体にやや速いテンポで進む。ツアー当初の感覚が少しもどったようだ。アンコールでは再び対照的に〈Black Muddy River〉を、いつもよりさらにテンポを落として、ガルシアが歌詞を噛みしめるように歌う。これまたベスト・ヴァージョン。
確かにマルサリス以後の4本は、何も言わず、ただただ浸っていたくなる。本当に良い音楽は聞き手を黙らせる。
6. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
金曜日。このヴェニュー5本連続の3本目。開演7時半。
7. 1995 The Pyramid, Memphis, TN
日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。26.50ドル。開演7時半。第二部2曲目〈Eternity〉が《Ready Or Not》でリリースされた。(ゆ)
たまにはデッド以外の音楽を聴いたり、本を買ったり。
04月01日・金
散歩に出ると風が冷たい。大山・丹沢の上の方は白くなっていた。
Locus 3月号。SFWA が名称を変えるというニュース。略号はそのままだが、名称は Science Fiction and Fantasy Writers Association になる。つまり、"of America" ではなくなる。2,100名超の会員の4分の1がアメリカ国外に住んだり、仕事をしたりしている由。近年ではカナダ、オーストラリアも増えているはずだ。Tor.com に記事が出たインド亜大陸もある。インドだけで、英語のネイティヴは1億を超える。UKよりも多いのだ。
この名称変更はグローバル組織への道だろう。地球上どこに住んでいようと英語で作品を発表していれば会員になれる。あるいは英語で作品が読めればいい、ということになるか。当然ネビュラ賞の対象も変わるはずだ。現在はアメリカ国内で発表されたものに限られている。ヒューゴーはもともとそういう国籍条項が無い。対象は全世界で、その点ではこれまでネビュラよりも国際的だった。
アマゾンで Nghi Vo の新作 Siren Queen のハードカヴァーを予約注文。05-10刊。フィッツジェラルドの『偉大なギャッピー』を換骨奪胎してベトナム・ファンタジーに仕立てた The Chosen And The Beautiful は滅法面白かった。ヒューゴーをとった The Empress Of Salt And Fortune も良かった。そういえば、C. S. E. Cooney の Saint Death's Daughter が今月だ。版元のサイトによれば12日発売。これは楽しみなのだ。
Bandcamp Friday につき、買物カゴを空にして散財。先月買いそこねたので、2ヶ月分。
Martin Hayes & The Common Ground Ensemble のシングル〈The Magherabaun Reel〉を Apple Music で聴く。ヘイズのオリジナルだろう。タイトルはかれの生家のある Maghera Mountain にちなむはずだ。ちょっと聴くかぎりは The Gloaming の延長に聞える。JOL のこのアンサンブルのコンサート評ではもっと多彩なもののようだ。フル・アルバムないしライヴが待ち遠しい。
Rachel Hair & Ruth Keggin - Vuddee Veg | Sound of the Glen
スコットランドのハーパーとマン島のシンガーのデュオ。クラウドファンディングで作っているフル・アルバムが楽しみだ。
The Same Land - Salt House - Live in Edinburgh
スコットランドのトリオ。スコットランドのバンドでは今1番好き。
##本日のグレイトフル・デッド
04月01日には1965年から1995年まで、12本のショウをしている。公式リリースは6本、うち完全版2本。
01. 1965 Menlo College, Menlo Park, CA
木曜日。ビル・クロイツマンは回想録 Deal でこれをバンドとして最初のショウとしている。029pp. まだ The Warlocks の名もなかった由。DeadBase XI では1965-04-?? として載せている。むろんセット・リストなどは不明。
メンロ・パークはサンフランシスコの南、スタンフォード大学のあるパロ・アルトのすぐ北の街。ガルシアの育ったところ。グレイトフル・デッド発祥の地。
02. 1967 Rock Garden, San Francisco, CA
土曜日。このヴェニュー5本連続の最終日。共演チャールズ・ロイド・カルテット、ザ・ヴァージニアンズ。このショウは無かった可能性もある。
03. 1980 Capitol Theatre, Passaic, NJ
火曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。10.00ドル。第一部6曲目〈Friend of the Devil〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
1981のこの日《Reckoning》がリリースされた。
前年9月から11月にかけてサンフランシスコの The Warfiled Theatre とニューヨークの Radio City Music Hall で行われたレジデンス公演では、第一部をアコースティック・セット、第二部をエレクトリック・セットという構成がとられた。そのアコースティック・セットで演奏された曲からの抜粋16曲を2枚のLPに収めたものである。一部は短縮版。
元々は CSN&Y の《4 Way Street》のように、アコースティック・セットで1枚、エレクトリック・セットで1枚の2枚組の形で企画された。が、あまりに良い演奏が多く、捨てるのはどうしても忍びないということで、結局アコースティック、エレクトリックそれぞれにLP2枚組ということになった。
2004年に CD2枚組の拡大版がリリースされ、これにはラジオ・シティでの公演からの録音を中心に16曲が追加された。録音はベティ・カンター=ジャクソン。ライヴでのサウンド・エンジニアはダン・ヒーリィ。
全篇アコースティック編成でのアルバムとしては、スタジオ、ライヴ問わず唯一のもの。
これを聴くと、もっとこういう編成でのライヴをして、録音も出して欲しかったと、あたしなどは思う。アナログ時代のアルバムとしては最も好きだ。アコースティックのアンサンブルとしても、グレイトフル・デッドは出色の存在であり、そのお手本となったペンタングルに比べられる、数少ないバンドの一つだ。カントリーやブルーグラス、オールドタイム、あるいはケルト系ではない、アコースティックでしっかりロックンロールできるバンドは稀だろう。後にガルシアがデュオですばらしいアルバムを作るデヴィッド・グリスマンやデヴィッド・リンドレー、あるいはピーター・ローワンのバンドぐらいではなかろうか。そう、それとディラン。ディランの《John Wesley Harding》に匹敵あるいはあれをも凌駕できるようなアルバムを、その気になればデッドには作れたのではないか。
それは妄想としても、このレジデンス公演の全貌はきちんとした形で出してほしい。50周年記念盤で出すならば、2030年まで待たねばならない。それまで生きているか、世界があるのか、保証はないのだ。
04. 1984 Marin Veterans Memorial Auditorium, San Rafael, CA
日曜日。このヴェニュー4本連続のランの最終日。開演8時。第二部オープナーの〈Help On The Way > Slipknot! > Franklin's Tower〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
05. 1985 Cumberland County Civic Center, Portland, ME
月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。11.50ドル。
06. 1986 Providence Civic Center, Providence, RI
日曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。13.50ドル。第二部オープナーからの3曲〈Shakedown Street; Estimated Prophet; Eyes Of The World〉が2020年の、第一部4・5曲目〈Cassidy; Tennessee Jed〉が2021年の、それぞれ《30 Days Of Dead》でリリースされた。
07. 1988 Brendan Byrne Arena, East Rutherford, NJ
木曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。18.50ドル。開演8時。第一部4曲目〈Ballad Of A Thin Man〉が《Postcards Of The Hanging》でリリースされた後、全体が《Road Trips, Vol. 4 No.2》でリリースされた。
08. 1990 The Omni, Atlanta, GA
日曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。春のツアー最後のラン。18.50ドル。開演7時半。第二部オープナー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉と Space 後の〈Dear Mr Fantasy〉が《Without A Net》でリリースされた後、《Spring 1990 (The Other One)》で全体がリリースされた。
「マルサリス効果」は続いている。このツアーではガルシア、ウィア、ミドランドの3人のシンガーの出来がすばらしいが、この日はとりわけガルシアの歌唱が充実している。たとえば〈Candyman〉、たとえば〈Althea〉、たとえば〈To Lay Me Down〉、あるいは〈Ship Of Fools〉、そして極めつけ〈Stella Blue〉。いずれもベスト・ヴァージョン。というよりも、この日演奏されたどの曲もベスト・ヴァージョンと言っていいのだが、ガルシアの持ち歌でいえばこの5曲は、シンガー、ジェリィ・ガルシアの偉大さを思い知らされる。
ウィアの歌唱もますます良い。ちょっと演技過剰なところも無くはないが、この人の場合、過剰に見えても、本人は特に過剰にやろうとしてはいない。自然にそうなるところがある。とにかく、根っからのいたずら好き、というよりも、いたずらをせずにはいられない。おそらく本人はいたずらをしようと意図してやっているわけではなく、無理なくふるまうとそれがいたずらになるというけしき。歌での演技でも同じで、故意に演技しているわけではなく、歌うとそうなるのだろう。その演技に、ガルシアとミドランドが素知らぬ顔でまじめにコーラスをつけるから、ますます演技が目立つ。その対照が面白い。
ウィアの持ち歌では〈Victim Or The Crime〉がハイライトで、これは文句なくベスト・ヴァージョン。歌唱も演奏もすばらしい。ハートだろうか、不気味なゴングを鳴らし、全体に緊張感が漲り、その上で後半がフリーなジャムになる。これを名曲とは言い難いが、傑作だとあらためて思う。
そして第一部クローザーの〈The Music Never Stopped〉では、スリップ・ジグのような、頭を引っぱるビートが出て、全員が乗ってゆく。
このツアーでのミドランドの活躍を見ると、かれの急死は本当に惜しかった。ピアノとハモンドを主に曲によって、あるいは場面によって切替え、聴き応えのあるソロもとれば、味のあるサポートにも回れる。そしてシンガーとしては、デッド史上随一。〈Dear Mr. Fantasy> Hey Jude〉はかれがいなければ成立しない。ここではガルシアが後者のメロディを弾きだすのに、いきなりコーラスで入り、レシュとガルシアが加わって盛り上がる。するとミドランドはまた前者を歌いだす。〈Truckin'〉でのクールなコーラス。〈Man Smart (Woman Smarter)〉の、3人のシンガーが入り乱れての歌いかわし。
Drums はゆっくり叩く大きな楽器と細かく叩く小さな楽器、生楽器と MIDI の対比が、シンプルでパワフル。Space のガルシアがトランペットの音でやるフリーなソロ。
ここでは意図的に個別にとりあげてみたが、こうした音楽が一つの流れを作って、聴く者はその流れに乗せられてゆく。そして落ちつくところは〈It's All Over Now, Baby Blue〉。これで、すべて終りだよ。ガルシアの歌もギターも輝いて、最高の締め。
09. 1991 Greensboro Coliseum, Greensboro, NC
月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。21.50ドル。開演7時半。
10. 1993 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
木曜日。このヴェニュー5本連続の2本目。開演7時半。第二部オープナー〈Iko Iko〉で Barney the Purple Dinosaur がベースで参加。
11. 1994 The Omni, Atlanta, GA
金曜日。25.50ドル。開演7時半。
12. 1995 The Pyramid, Memphis, TN
土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。26.50ドル。開演7時半。サウンドチェックの〈Casey Jones〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。本番ではこの曲はやっていない。(ゆ)
Bert Jansch《The Ornament Tree》
01月28日・金
Mandy Morton のボックス・セットなんてものが出てきて、思わず注文してしまう。こういうの、ついつい買ってしまうなあ。《Magic Lady》は結構よく聴いた覚えがある。スプリガンズよりも好みだった。スカンディナヴィアで成功して、アルバムを出していたとは知らなんだ。この人とか、Mae McKenna とか、Carole Pegg とか、一流とは言えないが、B級というわけでもない、中途半端といえばそうなんだが、でも各々にユニークなものをもっていて、忘れがたいレコードを残してくれている。
それで先日バートの諸作と一緒に Loren Auerbach のアルバムのデジタル版も買ってあったのを思い出して聴いてみる。
後にバートと結婚して、おまけにほとんど相前後して亡くなって、今は同じ墓に葬られているそうだけど、この人の出現は「衝撃」だった。ミニ・アルバムとフル・アルバムがほとんどたて続けに出たのが1985年。というのは、あたしはワールド・ミュージックで盛り上がっていた時期で、アイリッシュ・ミュージックは全体としてはまだ沈滞していて、パキスタンやモロッコ、ペルシャ、中央アジアあたりに夢中になっていた。3 Mustaphas 3 のデビューも同じ頃で、これを『包』で取り上げたのは、日本語ではあたしが最初だったはずだ。"Folk Roots" のイアン・アンダースン編集長自ら直接大真面目にインタヴューした記事を載せていて、まんまとだまされたけど、今思えば、アンダースン自身、戦略的にやったことで、ムスタファズの意図はかなりの部分まで成功したと言っていいだろう。
そこへまったく薮から棒に現れたオゥバックには「萌え」ましたね。表面的には Richard Newman というギタリストが全面的にサポートしているけれど、その時からバートがバックについてることはわかっていたという記憶がある。
この人も一流と呼ぶのにはためらうけれど、このハスキー・ヴォイスだけで、あたしなどはもう降参しちゃう。バートと結婚して、バートのアルバムにも入っていたと思うが、結局自分ではその後、ついに録音はしなかったのは、やはり惜しい。あるいはむしろこの2枚をくり返し聴いてくれ、ここにはすべてがある、ということだろうか。実際、リアルタイムで買った直後、しばらくの間、この2枚ばかり聴いていた。今聴いても、魅力はまったく薄れていないのは嬉しい。
その頃のバートはと言えば、1982年の《Heartbreak》、1985年の《From The Outside》、どちらも傑作だったが、あたしとしてはその後1990年にたて続けに出た《Sketches》と《The Ornament Tree》を、まさにバート・ヤンシュここにあり、という宣言として聴いていた。とりわけ後者で、今回、久しぶりにあらためて聴きなおして、最高傑作と呼びたくなった。一種、突きはなしたような、歌をぽんとほうり出すようなバートの歌唱は、聴きなれてくると、ごくわずかな変化を加えているのが聞えてきて、歌の表情ががらりと変わる。ギターもなんということはない地味なフレーズを繰返しているようなのに、ほんの少し変化させると急にカラフルになる。聞き慣れた〈The Rocky Road To Dublin〉が、いきなりジャズになったりする。デイヴ・ゴールダー畢生の名曲〈The January Man〉は、バートとしても何度めかの録音だと思うが、さあ名曲だぞ、聴け、というのではさらさらなくて、まるでそこいらにころがっている、誰も見向きもしないような歌を拾いあげるような歌い方だ。選曲はほとんどが伝統歌なので、これも伝統歌として歌っているのだろう。聴いている間はうっかり聞き流してしまいそうになるほどだが、後でじわじわと効いてくる。録音もいい。
あたしはミュージシャンにしても作家にしても、あまりアイドルとして崇めたてまつらないのだが、バートについてはなぜか「断簡零墨」まで聴きたくなる。ジョン・レンボーンもアルバムが出れば買うけれど、我を忘れて夢中になることはない。ことギターについてはレンボーンの方が上だとあたしは思うが、「アコースティック・ギターのジミ・ヘンドリックス」などと言わせるものをバート・ヤンシュが持っている、というのはわかる気がする。
ボックス・セットも来たことだし、あらためてバート・ヤンシュを聴くかな。デッドとバランスをとるにはちょうどいい。
##本日のグレイトフル・デッド
01月28日には1966年から1987年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1966 The Matrix, San Francisco, CA
2日連続このヴェニューでの初日。共演ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、ザ・ローディング・ゾーン。セット・リスト不明。
2. 1967 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
このヴェニュー3日連続の2日目。クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス共演。セット・リスト不明。
3. 1987 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA
16.50ドル。開演8時。この年最初のショウ。春節に合わせたこのヴェニュー3日間の初日。ビートルズ〈Get Back〉の唯一の演奏だが、ウィアのヴォーカルがひどく、これをカヴァーしようとしてか、サウンド・エンジニアのダン・ヒーリィがその声にかけたエフェクトがさらに輪をかけてひどかった。その他にも、大きなミスや歌詞忘れが目立った。ガルシアは前年夏の糖尿病による昏睡から回復してステージにもどったのが前年12月半ばだから、調子がよくないのも無理はないと言える。
ガルシアは復帰にもっと時間をかけるべきだったかもしれない。より十分な準備をすべきだった、とも言える。しかし、かれはガマンできなかったのだ。一応演奏ができ、歌がうたえるならば、ステージに立たずにはいられなかった。
ガルシアはいろいろなものに中毒していた。ハード・ドラッグだけではなく、映画にも中毒していたし、サイエンス・フィクションにも中毒していたし、絵を描くことにも中毒していた。しかし、何よりも、どんな麻薬よりも中毒していたのは、人前で演奏することだった。グレイトフル・デッドとしてならばベストだが、それが何らかの理由でかなわない時には、自分のバンドでショウをし、ツアーをしていた。ガルシアの公式サイトではガルシアが生涯に行った記録に残る公演数を3,947本としている。うちデッドとしては2,313本だから、1,600本あまり、4割強は自分のプロジェクトによる。とにかく、ステージで演奏していないと不安でしかたがなかったのだ。
スタートは吉兆ではなかったとしても、1987年という年はデッドにとっては新たなスタートの年になった。ガルシアの病気により、半年、ショウができなかったことは、バンドにとっては休止期と同様な回春作用をもたらした。ここから1990年春までは、右肩上がりにショウは良くなってゆく。1990年春のツアーは1972年、1977年と並ぶ三度目のピークであり、音楽の質は、あるいは空前にして絶後とも言える高さに到達する。
1987年のショウは87本。1980年の89本に次ぎ、大休止からの復帰後では2位、1972年の86本よりも多い。このおかげもあってこの年の公演によって2,430万ドルを稼いで、年間第4位にランクされた。以後、最後の年1995年も含めて、ベスト5から落ちたことは無い。
87本のうち、全体の公式リリースは4本。ほぼ全体の公式リリースは3本。
1987-03-26, Hartford Civic Center, Hartford, CT, Dave's 36
1987-03-27, Hartford Civic Center, Hartford, CT, Dave's 36
1987-07-12, Giants Stadium, East Rutherford, NJ, Giants Stadium
1987-07-24, Oakland-Alameda County Coliseum Stadium, Oakland, CA, View From The Vault (except Part 3 with Dylan)
1987-07-26, Anaheim Stadium, Anaheim, CA, View From The Vault (except Part 3 with Dylan)
1987-09-18, Madison Square Garden, New York, NY, 30 Trips Around The Sun
1987-12-31, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA, Live To Air (except 5 tracks)
07-12と14はディランとのツアーでどちらも第一部・第二部のデッドだけの部分は完全収録。第三部のディランの入ったステージは一部が《Dylan & The Dead》でリリースされている。
ガルシアが死の淵から生還し、デッドが復帰したことの影響は小さくない。ニコラス・メリウェザーは《30 Trips Around The Sun》の中で、ポール・マッカトニーのツアーへの復帰の直接の動機が、ガルシアの恢復と復帰だったことを記している。
ツアーの面ではこの年、デッドはディランとスタジアム・ツアーをする。おかげでこの年のレパートリィ数は150曲に逹した。このツアーからは《Dylan & The Dead》がリリースされた。当時のレヴューでは軒並み酷評されて、「出すべきではなかった」とまで言われたが、今、聴いてみれば、見事な出来栄えで、どうしてそんなにボロクソに言われたのか、理解できない。同じものを聴いていたのか、とすら思える。われわれが音楽を聴くのは、つまるところコンテクストによるのだ、ということだろう。コンテクストが変われば、評価は正反対になる。
また、このツアーのおかげで、以後、デッドのレパートリィにディラン・ナンバーが増え、1本のショウの中でディランの曲が複数、多い時には3曲演奏されるようにもなる。
年初にこの春節ショウの後、2月一杯を休んで新譜の録音をする。Marin Vetrans Auditorium をスタジオとして、ライヴ形式で録音されたアルバムは07月06日《In The Dark》としてリリースされ、9月までに100万枚以上を売り上げてゴールドとプラチナ・ディスクを同じ月に獲得する。さらに旧譜の《Shakedown Street》と《Terrapin Station》もゴールドになった。《In The Dark》からシングル・カットされた〈Touch of Grey〉はデッドの録音として唯一のトップ10ヒットともなる。デビューから22年を経て、デッドはついにメインストリームのビッグ・アクトとして認知されたのだ。それもデッドの側からは一切の妥協無しに。このことは別の問題も生むのだが、デッドは人気の高まりに応えるように音楽の質を上げてゆく。
音楽面で1987年は新たな展開がある。MIDI の導入である。ミッキー・ハートが友人 Bob Bralove の支援を得て導入した MIDI は、またたく間に他のメンバーも採用するところとなり、デッドのサウンドを飛躍的に多彩にした。Drums が Rhythm Devils に発展しただけでなく、ガルシアやウィアはギターからフルートやバスーンなどの管楽器の音を出しはじめる。ブララヴはデッドの前にスティーヴィー・ワンダーのコンピュータ音楽のディレクターを勤め、後には《Infrared Rose》もまとめる。(ゆ)
バート・ヤンシュのボックス・セット
01月24日・月
Bandcamp で注文したバート・ヤンシュのスタジオ盤をまとめたボックス・セット4タイトルと《Santa Barbar Honeymoon》の Earth Records からの再発着。2009年版。ミュージシャンやスタッフのクレジットが無い。ボックス・セットは後半をまとめた2タイトルにデモ、未発表を集めたディスクが1枚ずつ入る。ライナーはバートへのインタヴュー。オリジナルはもちろん全部持っているが、この未発表トラックの2枚に惹かれたのと、ライナーが読みたかったのと、こうしてまとまっているのもあれば便利、というので結局買ってしまう。まとめて買うと安くなるし。バートのものは、目につけば、ついつい買ってしまう。
##本日のグレイトフル・デッド
01月24日には1969年から1993年まで、4本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1969 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
このヴェニュー3日連続の初日。サンズ・オヴ・シャンプリンが前座。1時間半のおそらくは一本勝負。2曲目〈New Potato Caboose〉が《Aoxomoxoa》50周年記念版でリリースされた。
〈New Potato Caboose〉は Robert Petersen 作詞、フィル・レシュ作曲。1967年05月05日、フィルモア・オーディトリアムで初演。1968年06月08日、フィルモア・ウェストが最後。計25回演奏。スタジオ盤は《Anthem Of The Sun》。ウィアの歌の後、まずベースが長いソロを披露し、後半はガルシアがこれに応えて長いソロを聴かせる。この曲の演奏としては一番面白いヴァージョン。レシュのソロは公式リリースの中ではこれがベスト。この歌はしかし実にやりにくそうに聞える。レシュの曲が尋常でないほど複雑で、ほとんど前衛音楽の領域。ガルシアもギター・ソロをどう展開すべきか、あぐねている。デッドの即興はジャズのそれとは違って、テーマと無関係なものではなく、歌の延長であって、そこからの必然的な流れに沿う。この曲ではその流れを摑みかねている。レシュのベース・ソロも、なかなかうまくいかないので、レシュの曲だから、たまにはソロをやってみろということではないか。
この歌詞もハンターやバーロゥのものと同じく、歌詞である前に詩であって、読んですぐ意味のとれるものではない。何度も繰返して読み、聴きながら、自分なりのイマージュをふくらませるものだ。
Robert M. Petersen(1936-87)はオレゴン出身。デッドには3曲の歌詞を提供している。これと〈Unbroken Chain〉〈Pride of Cucamonga〉。いずれもレシュの作曲。〈Unbroken Chain〉はデッドヘッドのアンセムと言われる。"Fern Rock" はじめ、デッドについての詩も書いている。詩集 Alleys Of The Heart, 1988 がある。
2. 1970 Honolulu Civic Auditorium, Honolulu, HI
このヴェニュー2日目。5曲目〈Mason's Children〉が《The Golden Road》所収の《Workingman's Dead》ボーナス・トラックでリリースされた後、ほぼ全体が《Dave’s Picks, Vol. 19》でリリースされた。判明しているセット・リストの曲はすべて収録されているが、1時間弱で、これで全部とは思われない。〈Good Lovin'〉はフェイドアウト。
演奏は前日と同じくすばらしい。デッドの調子の良い時の常で緊張と弛緩が同居している。ただ、この2日間は緊張の底流がより強く感じられる。〈Black Peter〉やアンコールの9分を超える〈Dancing In The Street〉のような、弛緩の方が強そうな曲がむしろ張りつめている。その大きな要素の一つはガルシアのギターで、それまでのバンドの後ろからまとめてゆくような姿勢から、先に立って引張る意識が現れているようにみえる。
この年、デッドは忙しい。ショウの数は前年に次ぐ142本。大きな休みは無い。新曲は27曲。レパートリィは119曲。ここでレパートリィというのは、この年のセット・リストを集計して重複を除いたもの。この119曲はいつでも演奏可能ということになる。春と秋に2枚のスタジオ盤を録音して出し、5月には初めてヨーロッパに渡り、イングランドでショウをする。1月末、トム・コンスタンティンがニューオーリンズでバンドを離れ、3月、マネージャーだったレニー・ハートが大金を盗んで逃亡。一方、オルタモントの後、ストーンズのロード・マネージャーをクビになっていたサム・カトラーを、新たにロード・マネージャーとして雇う。カトラーはバンドのショウからの収入を大いに増やす。Alan Trist を社長として、楽曲管理会社 Ice Nine Publishing を設立。弁護士ハル・カントと契約する。カントはエンタテインメント業界のクライアントをデッドだけに絞り、業界の慣行を無視したデッドのビジネス手法をバックアップする。
3. 1971 Seattle Center Arena, Seattle, WA
北西太平洋岸3日間の最終日。開演8時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジとイアン&シルヴィアが共演。あまり長くないのは会場の制限か。それでも、「ちょうどあと1曲できる時間がある」とピグペンが言って、〈Turn On Your Lovelight> Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad> Turn On Your Lovelight> Drums> Good Lovin'〉というメドレーをやった。
この後は02月18日からのニューヨーク州ポートチェスターでの6本連続。
3. 1993 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
23.50ドル。開演7時。中国の春節記念の3日連続のショウの初日。酉年でラミネートの絵柄は鶏。春節に合わせたショウは1987、88、89、この年と94年の5回。この年が一番早い。この年はさらに2月下旬にマルディグラを祝うショウを同じヴェニューで3日連続でやった後、3月上旬春のツアーに出る。
これは良いショウで、ウィアがとりわけ調子が良かったそうな。(ゆ)
Claire Hastings《Between River And Railway》
01月23日・日
ヘイスティングスのファースト。2015年に BBC Young Traditional Musician of the Year を受賞し、翌年リリースをようやく聴く。受賞に恥じない、というよりも賞の権威を大きく増幅する出来栄え。
トラディショナルは1曲だけで、自作が半分と様々な人の歌のカヴァー。どの曲も佳曲で、選曲眼がいい。最も有名なのは〈Annie Laurie〉だろうが、これも独自の歌になっている。祖母のお気に入りだったヴァージョン。
バックもスコットランドの若手のトップが揃い、プロデュースはギターの Ali Hutton。いい仕事をしている。アレンジにも工夫がこらされ、新鮮かつ出しゃばらない。バランスがみごと。
ウクレレを持つシンガーというのは、スコットランド伝統歌謡の世界では珍しい。もっともここでは器楽面は他にまかせ、歌うことに専念している。Top Floor Taivers でも現れていた、ケレン味の無い真向勝負の歌は実に気持ちがよい。一方で、ここまで真向勝負できる声と歌唱力を備えるうたい手も少ない。Julie Fowlis に続く世代の、まず筆頭のうたい手。
##本日のグレイトフル・デッド
01月23日には1966年と1970の2本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。また1969年にアヴァロン・ボールルームでのリハーサルのテープがあり、《Downlead Series, Vol. 12》でそのうちの2曲〈The Eleven〉と〈Dupree's Diamond Blues〉がリリースされた。後者は翌日がデビュー。
1. 1966 Longshoreman's Hall, San Francisco, CA
トリップ・フェスティヴァルの3日目。The Loading Zone が共演に加わっている。
The Loading Zone は1966年、バークレーで元はジャズをやっていたキーボーディストの Paul Fauerso が結成。ベース、ドラムス、ギター二人の5人組。このトリップ・フェスティヴァルがデビュー。ギタリストの二人は The Marbles というこれもバークレーのサイケデリック・ロック・バンドのメンバーだった。The Marbles は1965年10月にこの同じヴェニューで開かれた Family Dog のプロモーション・コンサート "Tribute to Dr. Strange" でジェファーソン・エアプレインの前座を勤めた。ローディング・ゾーンも他のビッグ・アクトの前座を勤めることが多く、人気はあったが、1968年のデビュー・アルバムが不評で1969年に解散。リーダーのファウアーソは別メンバーで同じ名前で再出発をはかり、セカンドも出すが、1971年に解散。ファーストはストリーミングで聴ける。
ロックというより、ブラス付きのリズム&ブルーズ・バンドの趣。今聴くと、二人いるシンガーはまずまずで、特に片方の声域が高く、若く聞える方はかなりのうたい手だし、全体の出来として水準はクリアしているとも思えるが、カヴァー曲が多く、当時は「オリジナリティがない」とされたらしい。オリジナリティはそういうもんじゃないということはデッドのカヴァー曲演奏を聴いてもわかるが、1960年代後半から70年代初めは、どんなに陳腐ものでも自作と称すればオリジナリティがあるとされ、カヴァーはダメという風潮は確かにあった。ひょっとすると今でもあるか。
2. 1970 Honolulu Civic Auditorium, Honolulu, HI
このヴェニュー2日連続の初日。開演8時、終演真夜中。ホノルルはデッドにとって西の最果て。《Dave’s Picks, Vol. 19》で全体がリリースされた。前座は The Sun And The Moon, September Morn, Pilfredge Sump で、いずれも地元のバンドと思われる。もう一人、Michael J. Brody, Jr. もこの日、デッドの前座をしていると Sarasota Herald Tribune 紙に報道がある。もっともこの新聞はフロリダの地方紙で、ハワイでのできごとについての報道にはクエスチョン・マークがつく。他にこれを裏付けるものも無いようだ。
Michael J. Brody, Jr. (1943-1973) は1970年1月に、継承した遺産2,500万ドルを、欲しい人にあげると発表して注目された人物。それに伴なって騒ぎになると、姿を消した。エド・サリヴァン・ショーに登場してディランの曲を12弦ギターを弾きながら歌ったそうだ。何度か新聞ネタを提供した後、1973年01月に拳銃自殺する。
DeadBase XI では前日01-22にもショウがあり、またこれを含めた3日間のショウにはジェファーソン・エアプレインも共演したとしているが、地元紙 Honolulu Star-Bulletin の記事・広告の調査で、ショウは23と24の両日のみで、エアプレインは共演していないと判明している。ハワイではこの年6月にもう2本ショウをしている。
2時間強の一本勝負。7曲目〈Casey Jones〉はテープが損傷しているらしく、途中で切れる。〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉から始まるのは珍しく、こういう珍しいことをやる時は調子が良い。〈Black Peter〉〈Casey Jones〉〈Dire Wolf〉というあたりは《Workingman's Dead》を先取りしている。デッドはスタジオ盤収録曲をアルバムを出す前から演奏するのが常だ。ライヴで練りあげてからスタジオ録音し、その後もまたライヴを重ねて変えてゆく。
調子は尻上がりで、〈Good Lovin' > That's It for the Other One > Dark Star > St. Stephen〉と来て、〈Turn On Your Lovelight〉は30分を超える熱演。1時間半ノンストップ。ピグペンのヴォーカルは良く言えば肩の力が抜けながらどこまでも粘ってゆく。ここでもガルシアのギターがシンプルで面白いフレーズを連発してつなぐ。
この年は新年2日に始動していて、これが7本目のショウ。エンジンがかかってくるとともに、1969年までのデッドから1970年代前半のデッドへの変身も進行している。
会場は1933年建設、1974年に解体。ザッパ、レッド・ツェッペリンはじめロック・アクトの会場として数多く使われ、ライヴ音源も複数リリースされている。収容人数は不明。
1986年、糖尿病による昏睡から奇跡的に回復したガルシアはクロイツマンの薦めにしたがい、ハワイでスキューバ・ダイビングすることで、完全に復調する。以後、ガルシアは休暇のたびに、クロイツマンとハワイで過ごした。クロイツマンはバンド解散後、ハワイに住んでいる。
なお、Jerry Garcia Band の1990-05-20のハワイ島ヒロでのショウが、《GarciaLive, Vol. 10》でリリースされている。
+ 1969 Avalon Bollroom, San Francisco, CA
翌日から3日連続でここでショウをするためのリハーサル、らしい。公式リリースされているリハーサルとしては他に、
《So Many Roads》に1993年02月
2020年の《30 Days Of Dead》で1982年03月
《Reckoning》2004年拡大版に1980年09月
《Beyond Description》所収の《In The Dark》のボーナス・トラックに1986年08月と12月
《Portcards Of The Hanging》に1987年06月
《Rare Cuts & Oddities 1966》に1966年初め
がある。
音は粗い。ほとんどモノーラルに聞える。冒頭が欠けており、途中、損傷していて音が飛ぶ。演奏は良い。〈The Eleven〉では、ガルシアがこの時期としてほ面白いフレーズを連発する。〈Dupree's Diamond Blues〉は一度通して歌う。ハンター&ガルシアの曲で、実話に基く宝石店強盗を歌ったこの歌は1969年01月24日、サンフランシスコでデビュー。1969年7月まで歌われるが、そこで一度レパートリィから落ちる。1977年10月から1978年4月まで復活、また落ちて1982年に復活、80年代は頻繁ではないが、コンスタントに歌われ、1990年03月で消え、1994年10月13日、マディソン・スクエア・ガーデンが最後。トータル78回演奏。メロディはコミカルだが、内容はなかなかシビア。(ゆ)
Claire Hastings《Those Who Roam》
12月20日・月
Top Floor Taivers のアルバムの前作にあたるソロ。ギター、ピアノ、フィドル、アコーディオンをバックに伝承曲、オリジナルを歌う。
筋の通った、気品に満ちた声で虚飾を排し、正面から歌う。声域はソプラノよりはやや低いか。発音も明瞭で、スコッツの響きが快い。ディック・ゴーハンあたりだとごつごつした響きが、とんがり具合はそのままに透明感を帯びる。言語学的には英語の方言だが、スコットランドの人びとは独立した言語だと主張する。沖縄のウチナーグチが言語学的には日本語の方言だが、まるで別の言語に聞えるのと似ている。
歌唱があまりにまっとう過ぎて、芸がないと聞える時もなくはないが、そんな枝葉末節は意に介さず、ひたすら正面突破してゆくと、スコッツの響きとスコットランドのメロディは、ここにしかない引き締まって澄みわたった世界を生みだす。
それを盛りたてるサポート陣は相当に入念なアレンジで、これまたうるさく飾りたてることはせず、贅肉を削ぎおとしながら、歌の世界をふくらませる。あたしなどはいずれも初見参の人たちだが、皆腕は達者だ。打楽器がいないのも適切。
録音、ミックス、マスタリングは Stuart Hamilton で、例によって手堅い仕事。
##本日のグレイトフル・デッド
12月20日には1966年から1969年まで3本のショウをしている。公式リリースは完全版1本。
1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
前回12月11日から9日ぶりのショウ。メインはオーティス・レディングが3日連続で出演し、それぞれに違うバンドが前座に出る形で、初日がデッド。2日目は Johnny Talbot & De Thangs、3日目がカントリー・ジョー&ザ・フィッシュ。3ドル。開演9時。セット・リスト不明。
2. 1968 Shrine Exhibition Hall, Los Angeles, CA
このヴェニュー2日連続の1日目。メイン・アトラクションはカントリー・ジョー&ザ・フィッシュで、デッドは前座。サー・ダグラス・クィンテットも出る、とポスターにはある。出演バンドそれぞれが2ステージとこれもポスターにはあるが、判明しているセット・リストは30分ほどのもののみ。
3. 1969 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
3ドル。開演8時。5本連続の中日。《Dave’s Picks, Vol. 06》で全体がリリースされた。ただし、〈Dark Star〉以下に続くジャムを途切れずに収録するために、CD2とCD3に第一部第二部を入れ換えて収録している。
全体で2時間強。トム・コンスタンティンがキーボードに入ってメンバーは7人。デッド史上最大。このコンスタンティンのオルガンが全篇を貫いてデッドにしては珍しい華やかな味わいを加えている。代わりにガルシアのギターは調子が今一つ。ピグペンも〈Turn On Your Lovelight〉と〈Hard to Handle〉で存在感を示すが、後者の方がいい。〈Lovelight〉では弾丸のような言葉の連発が影を潜める。この二人以外はすばらしい。中でもウィアのヴォーカル、レシュのベースが際立つ。
11月に《Live/Dead》が出ている。当時、破格の3枚組LPだったが、これがデッドの足許を固めた。それまでの3枚のスタジオ盤はやりたいことが四方八方に飛びちっていて、リスナーはもちろん、当人たちにとっても足掛かりにはなり難かった。この3枚によって、デッドなりのスタジオの使い方が見えてきたとしても、本質的にライヴ・バンドであることを確認することにもなった。その結果がこの年2月のフィルモア・ウェストでのショウから抜粋した《Live/Dead》であり、3枚組に7曲しか入っていない点でも破格のアルバムは、デッドが何者かをリスナーに伝えることに成功して新たなファンを獲得した。
この演奏はそこからほぼ1年近くを経て、かなりの変化を示している。それまでのピグペンのデッドからガルシアのデッドへの移行期にある。《Live/Dead》を期待してショウに来たリスナーはとまどったかもしれない。一方で《Live/Dead》1枚目の裏表である〈Dark Star> St. Stephen> The Eleven〉という組立ては1969年を象徴するものでもあり、これを生で聴けるのはこの年のデッド体験のコアになっただろう。
録音はアウズレィ・スタンリィだが、音質は今一つ。ヴォーカルは誰もがクリアだが、楽器は中央にかたまり、ややピントが甘い。(ゆ)
散歩の足裏の痛み
12月17日・金
散歩連続3日めで、ナイキのヒモつきのもので歩いても、左足裏の痛みは薄れてくる。あるいは筋肉痛のようなものか。
Top Floor Taivers, A Delicate Game
シンガーの Claire Hastings、フィドルの Grainne Brady、ピアノの Tina Rees にクラルサッハの Heather Downie が加わったカルテット。曲により Tia Files のパーカッションがつく。
ヘイスティングスは2015年度 BBC Radio Scotland Young Traditional Musician 受賞者。リースもアイリッシュ・ダンサーだが、ピアノで2010年度の最終候補となっている。ダウニーはハープで2015年の最終候補。ブレディだけはキャヴァン出身のせいか、この賞には縁がない。もっとも彼女も現在はグラスゴーがベース。
という、若手トップの「スーパー・グループ」のデビュー・アルバム。この人たち、巧いだけでなく、センスもいい。アレンジの才もある。トンプソンの〈1952 Vincent Black Lightning〉がまるでスコッチ・バラッドに聞える。いずれもかなり個性的な音を出すが、アンサンブルとしてのまとまりは大したものだ。
全篇歌のアルバムなので、ヘイスティングスの シンガーとしての器の大きさが耳を惹くとはいえ、これまでのソロ・アルバムに比べれば、バンドとして機能していて、これからが楽しみ。見事なデビュー。
##本日のグレイトフル・デッド
12月17日には1970年から1993年まで4本のショウをしている。公式リリースは1本。
1. 1970 The Matrix, San Francisco, CA
このヴェニュー2日連続の2日目。残っているテープによると5曲45分強のショウ。これも前日と同じくデヴィッド・クロスビー、ガルシア、レシュ、ハートによるものらしい。デッドのショウとは言えないだろう。
2. 1978 Fox Theatre, Atlanta, GA
セット・リスト以外の情報無し。
3. 1986 Oakland-Alameda County Coliseum Arena
16.50ドル。開演8時。ガルシアの昏睡からの復帰三連チャンの最後。Drums に Babatunde Olatunji が参加。
ガルシアは楽屋でもたいへん元気でご機嫌だった由。
4. 1992 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
このヴェニュー5本連続の千秋楽でこの年の千秋楽。第二部クローザーとアンコールの各々2曲ずつが《Dick’s Picks, Vol. 27》でリリースされた。
見事な締め括り。〈Throwing Stone> Not Fade Away〉、そして〈Baba O'Reily> Tomorrow Never Knows〉というアンコール。全員がすばらしい演奏をしている。そしてアンコールでのウェルニクは讃えられてあれ。こういう演奏、歌唱を聴くと、この人も凡庸なミュージシャンではなかった。バンドによって引っぱりあげられた部分はあるにしても、引っぱりあげられるだけのものは備えていたのだ。
5. 1993 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
この年最後のラン、このヴェニューでの三連チャン初日。24.50ドル。開演7時。(ゆ)
〈The Poor Ditching Boy〉の元になった小説
12月11日・土
Iona Fyfe のニュースレターを見て、Lewis Grassic Gibbon, Sunset Song を注文。
リチャード・トンプソンの〈The Poor Ditching Boy〉の元になった小説の由。アバディーンシャーが舞台。あの歌の背後にこういう本があるとは知らなんだ。ファイフはこの歌をスコッツ語で歌ったシングルを出す。
ギボンはスコットランド出身で、20世紀初めに活動した作家。1929年フルタイムのライターになってから34歳で腹膜炎で死ぬまでに、20冊近い著書と多数の短篇を残した。この長篇から始まる三部作 A Scots Quair が最も有名。わが長谷川海太郎と生没年もほぼ同時期で、短期間に質の高い作品を多数残したところも共通している。ちょと面白い偶然。
家族から MacBook Air とiPhone をつなぐケーブルのことを訊かれたので、iFi の USB-C > A と Apple の Lightning 充電ケーブルで試すとちゃんとつながる。Kindle のライブラリの同期もできたのに喜ぶ。有線でつなぐとできるのだった。これまで無線であっさりつながっていたので、有線でつなぐということを思いつかなかった。送りたい本をメールで Kindle 専用アドレスに送ると移せるとネットにはあったが、面倒で後回しにしていた。Kindle 自身の同期では、アマゾンで買ったものしか同期されない。他で買ったり、ダウンロードしたりした本は無線ではどうやっても同期できなかった。
##本日のグレイトフル・デッド
12月11日には1965年から1994年まで8本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1965 Muir Beach Lodge, Muir Beach, CA
アシッド・テスト。ここでベアことアウズレィ・スタンリィがグレイトフル・デッドと初めて出逢う。
2. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA)
ビッグ・ママ・ソーントン、ティム・ローズとの3日連続の最終日。セット・リスト無し。
3. 1969 Thelma Theater, Los Angeles, CA
このヴェニュー3日連続の2日目。第一部クローザーまでの4曲〈Dark Star > St. Stephen > he Eleven > Cumberland Blues〉、第二部クローザーの〈That's It For The Other One> Cosmic Charlie〉が《Dave's Picks 2014 Bonus Disc》でリリースされた。
4. 1972 Winterland Arena, San Francisco, CA
3日連続の中日。
5. 1979 Soldier's And Sailors Memorial Hall, Kansas City, KS
このヴェニュー2日連続の2日目。開演7時半。
6. 1988 Long Beach Arena, Long Beach, CA
このヴェニュー3日連続の最終日。開演6時。
7. 1992 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
このヴェニュー4本連続の初日。開演7時。
8. 1994 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
このヴェニュー4本連続の3本目。27.50ドル。開演7時。第二部クローザー前の〈Days Between〉が《Ready Or Not》でリリースされた。(ゆ)
MG ALBA Scots Trad Music Awards 2021 #NaTrads
恒例の MG ALBA Scots Trad Music Awards 2021 が先週土曜日に発表になりました。この賞は Simon Thoumire がやっている Hands Up For Trad が中心になって設けているもので、スコットランドの伝統音楽の優れた業績に与えられます。最近はネット上でのノミネーションと投票によって決まります。
Original Work of the Year sponsored by PRS for Music
Calum MacPhail – 7 Years Old
Community Project of the Year sponsored by Greentrax Recordings
Riddell Fiddles’ Two Towns Housing Estate Youth Musical Outreach Programme
Event of the Year sponsored by VisitScotland
Celtic Connections
Gaelic Singer of the Year sponsored by The Highland Society of London
Kim Carnie
Musician of the Year sponsored by The University of the Highlands and Islands
Iona Fyfe
Online Performance of 2021 sponsored by Gordon Duncan Memorial Trust
Norrie “Tago” MacIver Live Streams
Citty Finlayson Scots Singer of the Year sponsored by Traditional Music and Song Association
Ellie Beaton
Trad Video of the Year sponsored by Threads of Sound
Doddies Dream – Bruce MacGregor
Trad Music in the Media sponsored by Sabhal Mor Ostaig
Ceol is Cradh (Mental health in musicians’ documentary) (BBC ALBA)
Up and Coming Artist of the Year sponsored by Royal Conservatoire of Scotland
The Canny Band
Music Tutor of the Year Award sponsored by Creative Scotland’s Youth Music Initiative
Craig Muirhead, Director of Piping and Drumming at Strathallan School
Album of the Year sponsored by Birnam CD
Where the World Is Thin by Kris Drever
ノミネーションされたアクトのリストなどはこちら。各々のアクトへのリンクなどもこちらにあります。
あたしなどはとても追いかけきれていませんが、これを機会に聴いてみようと思います。(ゆ)
##本日のグレイトフル・デッド
12月07日には1968年から1981年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。うち完全版1本。
1. 1968 Knights Hall, Bellarmine College, Louisville, KY
前売3ドル、当日3.50ドル。開演9時半。ポスターには Oxeoros、The Kaleidoscope、Stonehenge、The Waters の名前がある。
わかっているセット・リストでは第二部がひどく短かい。テープに基くものらしく、全体ではおそらくないだろう。
The Kaleidoscope はデヴィッド・リンドレーとクリス・ダロウがいたバンドとして知られる。その他は不明。
2. 1969 Fillmore West, San Francisco, CA
4日連続最終日。だが、前日はオルタモントでキャンセル。2時間弱の一本勝負。オープナーが〈Black Peter〉なのは、オルタモントの翌日のせいかもしれない。
なお、デッドもオルタモントには出る予定でいたが、現場の雰囲気があまりに暴力的だとして出演を見合わせた。
3. 1971 Felt Forum, Felt Forum, Madison Square Garden, New York, NY
第一部9曲目の〈Brokedown Palace〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《Dave's Picks, Vol. 22》で全体がリリースされた。
4. 1979 Indiana Convention Center, Indianapolis, IN
セット・リスト以外の情報無し。
5. 1981 Des Moines Civic Center, Des Moines, IA
第二部オープナーの〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo > Franklin's Tower〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。(ゆ)
試聴の日
11月23日・火
iPhone の Safari のタブに溜めていた音源を片っ端から聴く。数秒聞いてやめるのが半分くらい。中には、こういうのもじっくり聴くと面白くなるかも、というアヴァンギャルドもあるが、面白くなるまで時間がかかるのは、どうしても敬遠してしまう。こちとら、もうそんなに時間は無いのよ。
逆に、数秒聞いて、これは買い、というのもいくつかある。
Sara Colman のジョニ・ミッチェル・カヴァー集《Ink On A Pin》。〈Woodstock〉がこれなら、他も期待できる。
Falkevik。ノルウェイのトリオ。これが今回一番の収獲。
ウェールズの Tru の〈The Blacksmith〉はすばらしい。ちゃんとアルバム出してくれ。
Chelsea Carmichael。シャバカ・ハッチングスがプロデュースなら、悪いものができるはずがない。
Lionel Loueke。ベニン出身のギタリスト。ジャズ・スタンダード集。Tidal でまず聴くか。
Esbe。北アフリカ出身らしい、ちょっと面白い。ビートルズのイエスタディのこのカヴァーは、もう一歩踏みこんでほしいが、まず面白い。むしろ、ルーミーをとりあげたアルバムを聴くかな。
Grace Petrie。イングランドのゲイを公言しているシンガー・ソング・ライター。バックが今一なのだが、本人の歌と歌唱はいい。最新作はパンデミックにあって希望を歌っているらしい。
Scottish National Jazz Orchestra。こんな名前を掲げられたら聞かないわけにいかないが、ドヴォルザークの「家路」をこう仕立ててきたか。こりゃあ、いいじゃない。
Bandcamp のアメリカ在住アーティストのブツの送料がばか高いのが困る。ブツより高い。他では売ってないし。ただでさえ円安なのに。
##本日のグレイトフル・デッド
11月23日には1968年から1979年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1968 Memorial Auditorium, Ohio University, Athens, OH
トム・コンスタンティンが正式メンバーとして参加した最初のショウ。
前日のコロンバスでのショウにオハイオ大学の学生が多数、大学のあるアセンズから1時間半かけてやって来ていた。そこでデッドは翌日、ここでフリー・コンサートをやった。アセンズでショウをしたのはこの時のみ。
少し後、1970年代初期にデッドは集中的に大学でのショウをするが、当初から学生を大事にしていたわけだ。ジョン・バーロゥと弁護士のハル・カント、1980年代半ばまでマネージャーだったロック・スカリー、後に広報担当となるデニス・マクナリーを除けば、デッドのメンバーにもクルーにもスタッフにも大学卒業者はいないのだが、大学生はデッドの音楽に反応した。
このショウのことを書いたジェリィ・ガルシアからマウンテン・ガールこと Carolyn Elizabeth Garcia への手紙が1968年に書かれたものであるかどうかが、彼女とガルシア最後のパートナー、デボラ・クーンズ・ガルシアとの間のジェリィ・ガルシアの遺産をめぐる訴訟の争点となり、その手紙が1968年にまちがいなく書かれたものだとレシュが法廷で証言した。
2. 1970 Anderson Theatre, New York, NY
セット・リスト無し。
ヘルス・エンジェルスのための資金集め。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座で、これにウィアが参加した模様。
ヘルス・エンジェルスとデッドとの関係はあたしにはまだよくわからない。デッド・コミュニティの中でも敬して遠ざけられている。デッドヘッドのための辞書である The Skeleton Key でも項目が無い。しかし、避けて通れるものでもないはずだ。
マクナリーの本では1967年元旦のパンハンドルでのパーティの際に、ヘルス・エンジェルスがデッドを仲間と認めたとしている。初版176pp.
このパーティはエンジェルスのメンバーの1人 Chocolate George が逮捕されたのを、The Diggers が協力して保釈させたことに対するエンジェルスの感謝のイベントで、デッドとビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーが出た。
マクナリーによればエンジェルスは社会通念から疎外された者たちの集団として当時のヒッピーたちに共感してはいたものの、エンジェルスの暴力志向、メンバー以外の人間への不信感、保守的な政治志向から、その関係は不安定なものになった。1965年秋の「ヴェトナム・デー」では、エンジェルスは警官隊とともにデモ参加者に暴力をふるった。アレン・ギンズバーグとケン・キージィがエンジェルスと交渉し、以後、エンジェルスはこの「非アメリカ的平和主義者」に直接暴力をふるうことはしないことになった。たとえば1967年1月14日の有名なゴールデン・ゲイト公園での "Be-in" イベントではエンジェルスがガードマンを平和的に勤めている。
一方でエンジェルスのパーティでデッドが演奏することはまた別問題とされたようでもある。また、ミッキー・ハートはエンジェルスのメンバーと親しく、かれらはハートの牧場を頻繁に訪れた。それにもちろんオルタモントの件がある。あそこでヘルス・エンジェルスをガードマンとして雇うことを推薦したのはデッドだった。
ひょっとすると、単にガルシアがエンジェルスを好んだ、ということなのかもしれないが、このハートの例を見ても、そう単純なものでもなさそうだ。
ヘルス・エンジェルスそのものもよくわからない。おそらく時代によっても場所によっても変わっているはずだ。大型オートバイとマッチョ愛好は共通する要素だが、ケン・キージィとメリィ・プランクスターズとの関係を見ても、わが国の暴走族とは違って、アメリカ文化の主流に近い感じもある。
3. 1973 County Coliseum, El Paso, TX
前売5ドル。開演7時。良いショウの由。長いショウだ。
4. 1978 Capital Centre, Landover , MD
7.70ドル。開演8時。これとセット・リスト以外の情報が無い。
5. 1979 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA
セット・リスト以外の情報が無い。(ゆ)
RIP Robin Morton (1939-2021)
今度はスコットランドのロビン・モートンが亡くなったという知らせです。今月1日、81歳。突然の死去だった模様。追悼記事がここにあります。
この記事は丁寧で、ちゃんと略歴から書いてくれていて、おかげでモートンがノーザン・アイルランドのアーマー州ポータダウンの出身だとか、スコットランド最高のハーパーの一人 Alison Kinnaird の旦那だとか、初めて知りました。
ロビン・モートンはまず The Boys of the Lough のメンバーとしてぼくらの前に現れますが、ぼくらが最も恩恵を受けたのは Temple Records の主宰者、プロデューサーとしてでした。スコットランドで最も初期の伝統音楽専門レーベルとして、テンプルは一歩踏みこんだ世界を開いてくれました。スコットランドの音楽にぼくらは Topic や Trailer からのアルバムによってまず親しんだわけですが、クラルサッハやスコティッシュ・ゲール語歌謡など、そこには無い側面の音楽を伝えてくれたのがテンプルでした。
上記追悼記事によると、父親の影響でまずジャズに親しみ、コルネットを学びます。ヒーローはルイ・アームストロング。ジェリー・ロール・モートンが芸名で、何らのつながりもないことを残念がっていました。ベルファストでジャズやブルーズのレコードを買っていた店はヴァン・モリソンも常連だったそうです。スキッフルからブルーズ、さらにアパラチアの音楽に至り、遡る形でアイルランドの音楽も発見します。
本業は精神障害者専門のソーシャル・ワーカーで、ロンドンで資格をとり、そちらの仕事も続けていたようです。
資格をもって故郷にもどると、Ulster Folk Club を起ち上げ、これは Ulster Folk Music Society に発展します。ここで Cathal McConnell と出逢い、ギター、バゥロン、コンサティーナを演奏するようになります。またクラブのゲストに招いたことからイワン・マッコール&ペギー・シーガーの知己を得て、イングランド、スコットランドとつながりができます。1967年、カハル・マッコネルとフィドラーの Tommy Gunn と The Boys of the Lough の原型をつくります。バンドの名前は3人でこのタイトルのリールを演奏した時に生まれました。
1970年にエディンバラに移住。精神異常治療の博士号をとるためでしたが、音楽の仕事が忙しくなって、ついに博士号は断念。
一方ボーイズ・オヴ・ザ・ロックはガンが辞めたため、アリィ・ベインと当時その相棒だったハーモニカの Mike Whellans を加え、さらにウィーランズがディック・ゴーハンに交替します。1973年、トレイラーから出たデビュー・アルバムはこの編成でした。ジャケット左からゴーハン、ベイン、マッコネル、モートン。
このバンドはアイルランド、シェトランド、スコットランドのミュージシャンによる最初の混成バンドでした。今や、スコットランド音楽の大御所的存在のアリィ・ベインのキャリアはここに始まります。10年後、アイルランドやスコットランドの伝統音楽を演奏する初めてのオーセンティックなミュージシャンとして来日した時、モートンはいませんでしたが、アリィ・ベインのフィドルとカハル・マッコネルのフルートに、ぼくらが受けた衝撃は大きく深いものでした。
モートンは1970年代、ボーイズをやりながら、ミドロジアン州テンプルの古い教会を自宅兼スタジオに改造します。Topic の録音エンジニア、プロデューサーとして、たとえばゴーハン畢生の傑作《Handful Of Earth》などを作りながら、Topic が出さないようなスコットランドのディープな音楽をこのスタジオで録音し、テンプル・レコードからリリースしたのでした。夫人のアリスン・キナードのハープ、Flora MacNeil、Christine Primrose のガーリック歌謡、さらにはスコットランド伝統音楽をスイングで料理したユニークなバンド Jock Tamson's Barins などが代表です。
プロデューサーとして最大の貢献はバトルフィールド・バンドを育て、スコットランドを代表する、そう、スコットランドのチーフテンズとも言うべき存在に押し上げたことでしょう。
エディンバラに移る前にモートンは Folksongs Sung In Ulster, Mercer Press を出していますが、最後になった仕事もアルスターの歌のコレクションで、完成間近だったそうです。周囲が引きついで、出版される計画だそうです。
Folksongs Sung In Ulster の序文で、モートンは面白いことを書いています。この本ははじめ Ulster Songs と題することを考えていた。ただ、そうすると、収録された歌の一部はアルスターの歌ではないではないかと指摘する人もいるかもしれない。そういう歌はアルスターが舞台ではない点では確かにそうだ。しかし、こういう見方は、伝統歌の伝わり方や社会の中での役割からして、不必要なまでに料簡が狭すぎる。アルスターが舞台ではない、たとえばイングランドから伝わった歌の中にはまた、ヨーロッパ大陸の古い歌にまで遡れるものもある。とすれば、これはイングランドの伝統歌と呼ぶべきか、あるいはヨーロッパの伝統歌と呼ぶべきか、あるいは他の名前を考えるか。それならアルスターで歌われているのだから、アルスターの歌でいいではないか。世界の中のこのアルスターという地域の人びとにとってそれらの歌は何か訴えるものがあって、その伝統に入った。であれば、歌がどこの起源であれ、それはアルスターの歌だろう。
ここには伝統というものがある限定された地域で初めて意味をもつことと、それは常にその外部と広く遠くつながっているという認識があります。伝統を相手にするとき、一見矛盾するこのことを忘れないでおくことが肝要でしょう。
モートンはこの序文でもうひとつ、このタイトルがこれらの歌は実際に歌われている、生きた歌であることも示唆していることも強調しています。実際、この本は収録された50曲すべてに対して、どこの誰から採録したかのリストがあります。こうして紙に印刷するのは歌うためのヒント、シンガーにとっては素材となり、歌っていない人にとっては歌うことへの誘いとなることを願ってのことでした。モートンがその後の活動で示してくれたのは、この生きている伝統、生きてほざいている伝統の姿です。
スコットランド音楽、そしてアルスターの歌の紹介に縁の下の力持ちとしてモートンは大きな存在でした。現在のスコットランド音楽の活況はかれが築いた土台の上に建っていると言って、言い過ぎではないでしょう。ぼくらの音楽生活を豊かにしてくれた先達に、心からの感謝を捧げます。合掌。(ゆ)
##本日のグレイトフル・デッド
10月24日には1969年から1990年まで、6本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1969 Winterland Arena, San Francisco, CA
2日連続の1日目。3.50ドル。共演ジェファーソン・エアプレイン、Sons of Champlin。1時間弱のショウ。
Sons of Champlin は1965年にマリン郡で Bill Champlin が中心になって結成。シャンプリンは後、シカゴに参加する。サンズ・オヴ・シャンプリンはホーン・セクションを備え、ギタリストはジャズの素養があり、シャンプリンはブルー・アイド・ソウルの一角と言えるシンガーだった。60年代、サンフランシスコ・シーンを、ジェファーソン・エアプレイン、デッドなどとともに代表する。つまり、この日はシスコのメジャー・バンド3つが揃い踏みしたわけだ。この日の順番はダグ・カーショウ、サンズ・オヴ・シャンプリン、デッド、エアプレイン。この3日前、10月21日にジャック・ケルアックが死んでいる。
2. 1970 Kiel Opera House, St. Louis, MO
この施設は Kiel Auditorium と同じ建物で、二つのホールが背中合わせに造られており、間の仕切りを取り払って、一つのホールとして使うこともできた。オペラ・ハウスはその半分の片方の名前。もう片方と全体はオーディトリアムと呼ばれた。先日出た《Listen To The River》ボックス・セットに収められた1973年10月末のショウはこの大きく使う方で、9,300人収容。このオーディトリアムにデッドは1969-02-06に出ている。その時はアイアン・バタフライの前座だった。
この日の第一部はガルシア入りのニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ。第二部が2時間弱のエレクトリック・デッド。オープナーの〈Dancing In The Street〉がすごかったらしい。
3. 1971 Easttown Theatre, Detroit, MI
このヴェニュー2日目。前半9・10曲目〈Black Peter; Candyman〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
スロー・バラードの〈Black Peter〉をこれだけゆっくり歌って、この歌のベスト版と言える歌唱を聞かせるガルシアは大したうたい手だ。巧い下手の範疇ではない。
〈Candyman〉との間にピアノの小さなトラブルを治す間があり、テープが一度切れて、途中から始まる。これは他の形では出せないだろう。《30 Days Of Dead》はこういう、演奏自体はすばらしいが、録音にちょっとした傷があって、正式なCDの形では出せないものが聴けるのが嬉しい。 こちらもいつもよりかなりスロー・テンポ。ガルシア熱唱。
4. 1972 Performing Arts Center, Milwaukee, WI
2日連続の2日目。まずまずのショウの由。
5. 1979 Springfield Civic Center Arena, Springfield, MA
8.50ドル。7時半開演。12月上旬まで続く秋のツアーの初日。この年は珍しく年初からツアーに出て、2月17日で打ち上げ。この日でキースとドナが離脱する。代わりの鍵盤要員はすでにウィアのバンド Bobby and the Midnites にいたブレント・ミドランドとガルシアとウィアは当りをつけてはいたが、デッドに参加するのはそう簡単なことではない。ミドランドが加わってのショウの最初は4月22日になる。以来このショウはミドランドにとって25本目。
後半オープナーの〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
頭が一瞬切れているようだ。わずかに遅めのテンポ。こりゃあ、ベスト版の一つ。こういう演奏をされるともう降参するしかない。このペアがバンドにもファンにも人気があるのは、こういう演奏がとび出すからだ。レシュが〈Fire On The Mountain〉のリフを始めても、ガルシアはいっかな演奏をやめず、他のメンバーも乗ってゆく。ミドランドははじめオルガンで参戦するが、今一つ音が負けると見て、シンセに切替え、〈Fire〉に入ってからは電子ピアノになって、後半、ソロもとる。コーダになってテンポが上がり、切迫感がにじむ。これぞデッドを聴く醍醐味。23分間のトリップ。
6. 1990 Sporthalle, Hamburg, Germany
ドイツ最終日。かちっとした良いショウだった由。〈Help On The Way >Slipknot! > Franklin's Tower〉は今回のヨーロッパ・ツアーで唯一ここだけの演奏。ここから始まる後半は最後まで全部つながった。(ゆ)
ドバイ万博2020でのアイルランド館のイベント
10月06日・水
1日から来年3月末までの予定で始まったドバイでの万博2020のアイルランド館のイベントに音楽がたくさん出る、と JOM が報じている。『リバーダンス』公演。The Expo Players による毎日のアイリッシュ・ミュージックと歌の演奏。メンバーは月替わり。最初のメンバーには Moxie のメンバーが含まれる。Irish Song Book が歌われる。これにはトマス・ムーア、〈Raglan Road〉からロリー・ギャラハー、シン・リジー、ボブ・ゲルドフ、エンヤ、U2、コアーズ、Hozier までが含まれる。さらに「アイリッシュ・ディアスポラ」と題して、ビートルズ〈レット・イット・ビー〉、ニルヴァナ〈Smells Like Teen Spirit〉、ビリー・アイリッシュ〈Bad Guy〉が含まれる。そして来年のセント・パトリック・ディに《The Irish Songbook Reimagined》というアルバムがリリースされる。来年のセント・パトリック・ディには、マーティン・ヘイズ率いるグループが公演する。最近の彼の活動を反映してか、ポール・サイモンの《Graceland》とエレクトリック・マイルスのバンドをお手本にしているそうな。Expo World Choir というのは、アイルランドが音頭をとって、参加している各国・地域の展示館のスタッフやゲストをメンバーとする合唱団をつくって歌う。クリスマスには Irish Song Book を歌う。
アイルランドらしいといえば、確かにここまで音楽を前面に出すところは他にはたぶん無いだろう。しかし、いったい、誰が見るんだろうか。ヨーロッパやアメリカから、ドバイにほいほい往来できるのか。
わが国ではまったく話題になっておらず、検索したら、産経の自画自賛の記事しか見当らない。
並んでいるのは近隣の国の人たちだろうか。ロシア人だけなの? そこんとこ、ちゃんと書いてよ。それにしても、ロシアはそんなに自由に出かけられるのか。それともこの人物は実はプーチンの影のオフショア担当なのか。
こういう話を読むと、グレイトフル・デッドの1978年のエジプト遠征にようやく時代が追いついた観がある。
BBC Radio Scotland Young Traditional Musician Award 2022 の最終候補6人が発表になった。
https://www.bbc.co.uk/programmes/articles/1hcFQ5grzBdmNXdDR66pwPY/2022-finalists
一つ興味深いのは紹介の中で、当人を指す代名詞として "they" が使われている人がいること。ほんとにもうフツーになってきた。
##10月06日のグレイトフル・デッド
1966年から1994年まで、7本のショウをしている。公式リリース無し。
1. 1966 Golden Gate Park, San Francisco, CA
この日からカリフォルニアで LSD が非合法物質となり、それに抗議するイベントがゴールデン・ゲイト公園の東に伸びた「パンハンドル」と呼ばれるところで開かれた。ここでトラックの荷台でデッドが演奏したのではないか、という未確認情報があったのが、ビル・クロイツマンが回想録 Deal の中で、演奏したと述べている。067pp. 曲目などは不明。
LSD は1938年に合成され、1943年に幻覚作用が確認された。1950年代、アメリカ軍や CIA はこれの軍用の可能性を探るため、ボランティアによる実験を行った。ロバート・ハンターが LSD を体験したのはスタンフォード大学を通じての CIA の実験に参加したことによる。デッドの初期のサウンドマンも努めたアウズレィ・スタンリィ通称ベアは LSD の合成に長け、その販売で財産を作り、デッド揺籃期のスポンサーにもなった。
2. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
詳細不明。
会場はサンフランシスコの Great Highway 660番地、海のすぐ傍に19世紀末から様々な娯楽施設に使われてきた建物で、1969年6月から1970年6月までこの名前でロック・コンサートのヴェニューとして機能した。DeadBase XI によれば収容人員は2,000。プロモーターは Chet Helms。オープニングのコンサートはジェファーソン・エアプレイン。デッドは08月02日に初めて演奏し、計12回ここに出ている。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジも前座として、あるいは単独として同じくらい出ている。
3. 1977 Activity Center, Arizona State University, Tempe, AZ
この年の平均的な出来、らしい。ということは良いショウだっただろう。
4. 1980 Warfield Theatre, San Francisco, CA
15本連続の9本目。第三部が良かった由。〈Sugar Magnolia〉では後半の Sunshine Daydream パートがなく、直接〈Johnny B. Goode〉になだれこんだそうな。
5. 1981 Rainbow Theatre, London, England
ロンドン4本連続楽日。アンコールに〈Sunshine Daydream > Brokedown Palace〉。〈Brokedown Palace〉がアンコールのショウに外れなし、だそうだ。
6. 1984 Richmond Coliseum, Richmond, VA
12.50ドル。夜7時半開演。良いショウだった由。
7. 1994 The Spectrum, Philadelphia, PA
賛否が別れる。この年のベストという声もある一方で、これを見て、デッドのショウに行くのをやめたという者もいる。(ゆ)
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音源をリリースしている国内アーティストのリスト
Rauma
2021-06-10 改訂
2021-06-08 改訂