クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:スピーカー

07月23日・土
 アマゾンに注文していたスピーカー・スタンドが届く。発送通知はあったが、いつ届くのか、まったくわからず、いきなりやってきた。中国からである。待っていたものでもあり、早速組み立てる。といってもマニュアルの類は一切無い。まったく何もなく、これくらい無いと、いっそ潔い。アマゾンのレヴューなど見ながら、手探りでやるが、といって難しいものでもない。ただ、底板、天板の表面に貼ったビニールに釘を通す穴を穿けていない。指でなぞって位置を確認して、えいやっと捩じこむ。30分もかからずにできる。ドライバーを回す右手が痛くなる。ふだん使っていない筋肉はどんどん衰える。何に使うのかよくわからない部品が残る。たぶん、ケーブルを固定するためのものであろうが、使うつもりはない。

 スピーカーを置いて、とりあえず音を出す。思わず唸ってしまう。ぱああっと空間が開けて、そこにデッドのメンバーの位置がはっきりわかる。うーむ、やはり棚の中に置くのは良くないのだ。嬉しくなって、あれこれ聴く。久しぶりにチェルシーズ《あかまつさん》を通して聴いてしまう。すばらしい。録音の優秀さがあらためてよくわかる。楽曲、演奏、録音三拍子揃った名盤とはこれのことを言う。

あかまつさん
チェルシーズ
DANCING PIG
2013-07-14



%本日のグレイトフル・デッド
 07月23日には1967年から1994年まで、3本のショウをしている。公式リリース無し。

1. 1967 Straight Theater, San Francisco, CA
 日曜日。共演ザ・フィーニックス、ザ・ワイルドフラワー、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー。またデッドのショウにニール・キャサディが参加。セット・リスト不明。
 ニール・キャサディとデッドのこの共演がいつ行われたかについては混乱がある。このヴェニユーのオープニング3日間の最終日であるこの日と一応されているが、1965年クリスマス前後または1966年元旦のオレゴン州ポートランドのアシッド・テストであるとする説もある。
 レシュの友人 Hank Harrison の著書 "The Dead Book" 初版にこの録音が入ったソノシートが付録として付けられた。そこではデッドの演奏する〈Dark Star〉をバックにキャサディがラップをしているそうだ。その前に、まずガルシアがキャサディを紹介し、キャサディがデッドがでたらめにたてる音をバックにラップをしているものと〈Turn On Your Lovelight〉をバックにしたものもあるという。

2. 1990 World Music Theatre, Tinley Park, IL
 月曜日。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの楽日。夏のツアーの千秋楽。ブレント・ミドランド最後のショウ。
 ミドランドは3日後の26日、ドラッグの過剰摂取で死亡。享年38歳。その時摂取したクスリの量は通常では考えられないほど多量で、おそらく勘違いかミスによる事故だろうとされる。
 バンドは秋のツアーを中止し、代わりの歌える鍵盤奏者を探すことになる。
 ピグペンは別としてデッドの歴代鍵盤奏者のうち、ミドランドは最もファンに愛されたようだ。もっとも、キース・ガチョーのように音楽家としてのレベルが落ちてやめたのではなく、いわば絶頂期に突然消えたせいもあるかもしれない。デュアン・オールマンやスティーヴィー・レイ・ヴォーン、あるいはジム・クロウチ、さらにはジミヘン、ジャニスと同じ現象である。ヴィンス・ウェルニクはバンドそのものの状態がついにベストにはもどらず、本人の資質、貢献がそれによって帳消しにされる傾向がある。
 このショウに対する評価も冷静にはなりえず、ミドランド最後のショウということが輝きになってしまうようだ。
 とまれ、1980年代後半、ガルシアの昏睡からの復帰以降続いていたデッド第3の黄金時代はここに幕を閉じる。これ以後の5年間は、ガルシアの健康だけではなく、様々な要素がからみあって、苦難の時代となる。経済的にはそれまでのアメリカの音楽興行の世界で空前の成功を手にすることになるが、そのこと自体がバンドにとっては必ずしもプラスにはならず、むしろマイナスに作用したところが大きい。

3. 1994 Soldier Field, Chicago, IL
 土曜日。32.50ドル。開演6時。このヴェニュー2日連続の初日。トラフィック前座。
 この年のショウではベストの1本と言われる。きれいに晴れた暖かい夜で、第一部の背景はシカゴの街並みの向こうの見事な夕焼け空、第二部が始まる頃には日が暮れ、オープナー〈Lucy in the Sky with Diamonds〉のライトショウが映えた。(ゆ)

07月06日・水
 広島の Egretta の円筒型スピーカーを見ると、タイムドメインや知名オーディオを連想せざるをえない。バング&オルフセンのスピーカーも最近はこの形だ。円筒型で、上に音を出す方式の普遍性の証でもあるのだろう。



 ここの一番小さなモデル TS-A200 はちょと面白そうだ。机の上やテレビの両脇にちょんと置ける。何よりもこのツラがいい。オーディオ製品にツラは大事だ。音のいい機器はいかにも良さそうなツラをしている。カッコいいデザインではない。

 試聴用レンタルをやっているから、聴いてみるか。買う予定はまったく無いけれど、音は聴いてみたい。スピーカーは試聴できるといっても、店で鳴っているのでは、自分の家とは条件が違いすぎて試聴にならない。借りて聴くのが一番。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月06日には1984年から1995年まで5本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1984 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時。
 見事なショウの由。

2. 1986 RFK Stadium, Washington, DC
 日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。20ドル。開場正午、開演2時。ディラン&トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとのツアー。
 演奏の順番はまずトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ、これにディランが加わり、ディラン・ソロ、再び TP&HB がバック。最後がデッド。
 ディランを見に来て、デッドヘッドになってしまった少年もいた。それまでデッドは聴いたことがなく、このショウの翌日、《American Beauty》と《Workingman's Dead》を買ったという。

3. 1987 Pittsburgh Civic Arena, Pittsburgh, PA
 月曜日。16.75ドル。開演7時。
 第二部3曲目〈Iko Iko〉からアンコール〈Johnny B. Goode〉まで、drums> space を除いて、ネヴィル・ブラザーズのメンバーが参加。とりわけクローザー前の〈Knockin' On Heaven's Door〉が凄かった由。
 〈Iko Iko〉の次の〈Banana Boat Song (Day-O)〉はこれが初演。この年大晦日の年越しショウと2回だけ演奏された。大晦日にもネヴィル・ブラザーズが参加。
 曲はハリー・ベラフォンテのアルバム《Calypso》1956収録がおそらく最も有名。作曲者のクレジットは複数あり、何人もが関っているとされる。おそらくは伝統歌をアレンジしたのだろう。

0. 1987 In The Dark release
 この日《In The Dark》がリリースされた。

イン・ザ・ダーク
グレイトフル・デッド
ワーナーミュージック・ジャパン
2011-04-06


  《Go To Heaven》以来6年ぶり12作目のスタジオ盤。この年01月に、サン・ラファルの Marin Veterans Auditorium で録音。エンジニアは John Cutler, Guy Charbonneau。さらにサン・ラファルのボブ・ウィアのスタジオ Club Front で追加の録音が行われ、こちらのエンジニアとして Dan Healy, Jeff Sterling, Jeffrey Norman, David Roberts, Joe Gastwirt, Justin Kreutzmann がクレジットされている。

 観客を入れないライヴ形式で録音されたものに、スタジオで追加、修正を加え、ミキシング。通常の録音スタジオでは普段の実力を発揮できないバンドの苦心の末の工夫。

 ジャケットにはライヴ録音中たまたま遊びに来たビル・グレアムも入っている。

 トラック・リスト。
Side One
1. Touch Of Grey (Hunter+Garcia)           5:47
2. Hell In A Bucket (Barlow+Weir & Mydland)           5:35
3. When Push Comes To Shove (Hunter+Garcia)           4:05
4. West L.A. Fadeaway (Hunter+Garcia)           6:39

Side Two
5. Tons Of Steel (Mydland)           5:15
6. Throwing Stones (Barlow+Weir)           7:18
7. Black Muddy River (Hunter+Garcia)           5:58
          トータル40:58

 〈My Brother Esau〉がアルバムのカセット版のみに4曲目として収録。〈Touch of Grey〉シングルのB面に収められた。2004年拡大版に8曲目として収録。

 初演年月日順。
4 West L.A. Fadeaway           1982-08-28
1 Touch Of Grey           1982-09-15
6 Throwing Stones           1982-09-17
  My Brother Esau           1983-03-25
2 Hell in A Bucket           1983-05-13
5 Tons of Steel           1984-12-28
3 When Push Comes to Shove      1986-12-15
7 Black Muddy River           1986-12-15

 終演年月日順。
5 Tons of Steel           1987-09-23
  My Brother Esau           1987-10-03
3 When Push Comes to Shove   1989-07-17
4 West L.A. Fadeaway           1995-06-30
2 Hell in A Bucket           1995-06-30
6 Throwing Stones           1995-07-05
1 Touch Of Grey           1995-07-09
7 Black Muddy River           1995-07-09

 演奏回数順。
6 Throwing Stones           265
2 Hell in A Bucket           215
1 Touch Of Grey           195
4 West L.A. Fadeaway           140
  My Brother Esau           104
7 Black Muddy River           86
3 When Push Comes to Shove   58
5 Tons of Steel           29

 チャート・パフォーマンスはデッドのスタジオ盤の中で最も良く、ビルボードで6位。発売後、3ヶ月と経たない9月中にゴールドとプラチナ・ディスクを続けて獲得。
 ここからは4枚のシングルが出る。
 Touch of Grey; Billboard Hot 100 で9位。Mainstream Rock Tracks 1位。
 Hell in a Bucket; Mainstream Rock Tracks 3位。
 Throwing Stone; Mainstream Rock Tracks 15位。
 West L.A. Fadeaway; Mainstream Rock Tracks 40位。
 この〈Touch of Grey〉はデッド唯一のベスト10ヒットとなり、ガルシアの昏睡からの奇跡的な回復と相俟って、デッドの人気は従来のファン・ベースを大きく超えて、一気に拡大することになる。
 このことは通常のポピュラー・ミュージシャンの場合とは裏腹に、デッドにとっては様々な問題を引き起こした。見ようによっては、バンドの寿命を縮めた。タラレバを言うのは無意味ではあるが、この大ヒットが無かったら、ガルシアがあそこで死ぬことはなく、バンドは21世紀まで存続していたかもしれない。しかし、ある曲がヒットするかしないかは当のミュージシャンのコントロールの及ばない事象だ。〈Touch of Grey〉にしても、デビューはレコード・リリースの5年前だ。そのシングルが9位になったと聞かされて、ガルシアは心底恐怖の表情を浮かべた、と伝えられる。デニス・マクナリーはバンドの公式伝記 A Long Strange Trip の中で、もう1曲ヒットが出ていたら、その時点でバンドは潰れていただろうと記す。
 それまでのデッドのコミュニティは徐々に大きくなっていたから、後から来た人びとを同化吸収することができた。コミュニティのしきたりや暗黙のルールを伝え、入った方もそれに従った。《In The Dark》リリーズ後の拡大は急激で、新たに入ってきた人間の数が桁違いに多かった。あるいは新たに入った人間の方が、従来のファン・ベースを上回っていたかもしれない。ヒット曲から興味を持った人間は若年層が多く、他人の慣習やルールを尊重する気風も薄い。そういう人間たちがデッドのショウに来て、駐車場やキャンプ場でのマーケットや、ケミカルへの規制のゆるさに触れれば、混乱が起きるのは避けられない。一部はショウそっちのけで、ショウの周囲の "Shakedown Street" と呼ばれた青空マーケットを目的に集まる。ヴェニュー周辺の混乱が大きくなれば、ヴェニューのある地元の街の住人や当局が嫌うようになる。
 デッドのショウには、追いかけて移動するトラヴェル・ヘッドを中心に、周辺の州からも多数のデッドヘッドが集まるから、ヴェニューのある市や街には多額のカネが落とされた。コミケに向けて、都内の宿泊施設が満杯になり、会場周辺の商店からモノが無くなるのと同じだ。デッドヘッドはおおむね平和を好み、礼儀もわきまえ、教養も高く、他のロック・バンドのコンサートに集まる群衆に比べれば遙かに好ましい。だから、デッドのショウが来るのを大歓迎する市や街もある一方で、1960年代から脱け出してきたようなデッドヘッドの外観や、ケミカルがあたりまえに流通・消費されることに嫌悪感を示すところも多かった。若年層ファンの急増は、この後者も増やすことになる。
 さらに急増したファンの要求に答えようとすると、従来の規模のヴェニューでは小さすぎることにもなった。以後、デッドのショウのヴェニューは最低でも2万人収容できるようなスタジアムやアリーナ、屋外のアンフィシアターに限られるようになる。収入も増えるが、かかるコストと手間も格段に増える。また、バンドにとっても、あまりに大きな会場でやるのは、聴衆との交感が疎遠になるので、好みではない。デッドが最も好んだヴェニューのサイズは5,000前後だ。気に入っていたヴェニューでできなくなることは、バンドにとってストレスの溜まる原因にもなる。
 これに加え、チケットを持たずにやって来て、数を頼んでゲートやフェンスを破り、無理矢理ショウに押し入る Gate crasher 押し入り屋の問題も生じる。これが可能なのは、やはり会場が大きいためだ。押し入りはだんだんにひどくなり、ついには1995年07月02日の Deer Creek Music Center で大規模な押し入りが発生して、翌日のショウがキャンセルされる事態にまでなる。
 こうしたことはいずれもデッドやそのコミュニティにとっては迷惑以外のなにものでもない。古くからのデッドヘッドの一部はこの時期に急増した新たなファンを "Touchhead" の蔑称で呼んだ。
 1980年代末から1995年まで、デッドは毎年、音楽興行成績で常にベスト5以内に入っている。普通なら大成功と呼ばれるこの現象はデッドにとっては望んだものではなかった。むしろ、大きくなりすぎて、自分たちのコントロールが及ばなくなっていた。しかも、今回は1974年のように、止めることもできない。ガルシアの死とバンドの解散は時間の問題だった、と言うこともできなくはない。
 大成功にまつわる大きなマイナス面を乗り越えて生き延びているアーティストもいるわけで、望外の成功だけがデッドを殺したわけではない。そもそもの原因はガルシアのライフ・スタイルにもある。一方でそのライフ・スタイルはガルシアの創造力と表裏一体でもあった。

 アルバムそのものの内容、出来はまた別の話になる。収録曲は2曲を除いて最後まで演奏されたし、〈Throwing Stones〉はこの時期にデビューした曲の中ではダントツに回数が多い。バーロゥ&ウィアの代表作の一つと言っていい。演奏回数はそう多くないが、〈Black Muddy River〉はハンター&ガルシアのやはり代表作の一つと言えるだろう。デッドにハマる遙か以前、イングランドの伝統音楽のベテラン・シンガー、ノーマ・ウォータースンによるこの曲のカヴァーを聴いたときの衝撃は忘れられない。最初に聴いた時はデッドの曲とさえ知らなかった。この2曲を擁するだけでも、このアルバムの価値はある。
 演奏は確かに伸び伸びしている。ライヴ音源の感覚に近い。ところどころ加えられた効果音や追加のサウンドが新鮮に聞える。その一方で、A面は曲の印象がどれも似ている。ライヴ音源ではまったく異なる曲なのだが、ここではアレンジの型も共通だ。
 全体としては質の高い曲の質の高い演奏を質の高い録音で捕えた音盤。デッドのスタジオ盤はそれだけとりだせば、決して悪いものではない。むしろ、どれも質は高い。ただ、ライヴと比べてしまうと、まるで影が薄くなってしまう。アナログ時代のライヴ・アルバムはスタジオ盤と収録曲の重なりが少ない。これまた他のポピュラー音楽のライヴ・アルバムとは意味合いが異なる。だから、アルバムとしてリリースされるものだけ聴いていても、スタジオ盤とライヴの違いはわかりにくい。しかし、テープあるいは公式リリースされたライヴ音源を聞くと一聴瞭然だ。

 音楽を聴くかぎり、これだけがヒットするような違いはこれまでのスタジオ盤との間には見えない。ヒットするかしないかは音楽的内容とは関わりの無いところで決まるものなのだろう。


4. 1990 Cardinal Stadium, Louisville, KY
 金曜日。21.50ドル。開演4時。
 第二部4〜6曲目〈Standing on the Moon> He's Gone> KY Jam〉が《View From The Vault Soundtrack》でリリースされた。
 〈Standing on the Moon〉のガルシアの声はいささかくたぶれてはいるが、芯は通っている。おそらくこの歌として最も遅いテンポだが、これがベストないし精一杯速いようにも聞える。悪いわけではない。これほど遅くて、しっかり底を支えるのは凄い。ガルシアは一語一語噛みしめてうたう。ギター・ソロもメロディから遠く離れてよく遊ぶ。孤独を振り切ろうとしながら、今はこの場にいない相手に死にものぐるいで呼びかける。
 〈He's Gone〉は心弾むヴァージョン。奴がいなくなったことを歓ぶ歌。あんな奴と一緒でいるくらいなら、さっさと消してやれ、というくらいの意気。
 そして〈KY Jam〉が凄い。前の曲の流れでゆっくりとガルシアのギターで始まり、だんだんと集中の度合いが強くなり、ビートが速くなり、全員が対等にジャムる。テンションがそのまま着実に上がってゆく。メロディがあるようで無いようであるようだ。〈The Other One〉のリフに似たもの、あるいはそのヴァリエーション、遠いいとこが顔を出すこともある。
 このメドレーを聴くだけでも、このショウの出来の良さはよくわかる。何とか全体を出して欲しい。
 〈Truckin'〉が第二部の Drums> Space 後の後半に演奏されるのはこれが最後の由。

5. 1995 Riverport Amphitheater, Maryland Heights, MO
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。28.50ドル。開演7時。
 第一部4・5曲目〈Me and My Uncle> Big River〉でウィアはアコースティック・ギター。
 これを入れてあと3本、と今はわかるが、当時、もう終りだと思っていたデッドヘッドがどれくらいいたか、やはり疑問だ。ネット上ではわかっていたという書き込みが多いのは、そう思うことでガルシアが死に、デッドがもういないことの虚脱感をまぎらわせようとする、とあたしには見える。このショウにも感動した人はいる。その感動はこれが最後という気分からでは、その時は無かったはずだ。
 Thomas Bellanca は DeadBase XI で、これはすばらしいショウで、ディア・クリークや、前日のキャンプ場での事故などのネガティヴな雰囲気を一掃してくれた、と書いている。ガルシアの調子もよく、90年代初めのような演奏をしていた。ウィア、レシュも積極的に演奏を引っ張った。こう書いたのはショウの直後で、その後の展開を知らない時だが、変更する必要は感じなかった、とも言う。これはおそらくベランカだけではないだろう。グレイトフル・デッドは最後まで、倒れるその瞬間まで、前を見すえて、進みつづけた、というのはこういうところだ。(ゆ)

04月17日・日
 スピーカーの調整をする。左のスピーカーを載せている段の後ろのビスの位置を間違えて、棚の面が後ろ側に傾斜していた。これを修正すると、定位が改善して、ヴォーカルが正面にくる。ベースもはっきりする。ようやく、まともに鳴るようになった。
 さらにヒッポさんの古いブログのセッティングの記事を参考に、間の空間を埋めてみると、定位がずっと良くなる。また左右に広がる。
 さらにスピーカーの外側を「壁」の状態に近づけるとヴォーカルが前に出て、クリアになってきた。楽器の分離もよくなる。
 つまり、壁に埋めこむ形になるべく近づける。そういえば「いーぐる」のスピーカーも壁に埋めこまれている。試しに Dunedine Consort のブランデンブルク、ジェニファ・ウォーンズの The Well を聴いてみる。すばらしい。
 ヘッドフォンに比べるとスピーカーはいろいろと面倒なのだが、ちょっと変えると敏感に反応する。それもヒッポさんの造ったモノが良いからではあろう。


##本日のグレイトフル・デッド
 04月17日には1967年から1989年まで10本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版2本。

01. 1967 Embassy Ballroom, Ambassador Hotel, Los Angeles, CA
 月曜日。前3日間の The Kaleidoscope でのショウがこちらに移されたが、3日間ではなく、この1日のみとも言われる。キャンド・ヒート、ジェファーソン・エアプレイン共演。

02. 1969 Washington University, St. Louis, MO
 木曜日。学生1ドル、一般前売1.50ドル、当日2ドル。開演9時半。全体が《Download Series, Vol. 12》でリリースされた。

03. 1970 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 金曜日。3.50ドル。このヴェニュー3日連続のランの初日。このランはグレイトフル・デッドとしてではなく、"Mickey Hart and His Hartbeats" と "Bobby Ace and His Cards from the Bottom of the Deck" の名義で発表された。実質はデッドによるアコースティック・セット。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジのジョン・ドーソンとデヴィッド・ネルソンも参加。
 ポスターにはチャーリー・マッセルホワイトの名前もある。

04. 1971 Dillon Gym, Princeton University, Princeton, NJ
 土曜日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。McCarter Theatre が在校生と共催。残っているポスターによると場内禁煙。

05. 1972 Tivoli Concert Hall, Copenhagen, Denmark
 月曜日。2度目のチヴォリ。この日はテレビ収録があり、三部構成。第一部から7曲、第二部から6曲がこの年の4月と8月に3回に分けて放映された。ヨーロッパ各地でも放映されたようだ。YouTube で見られる。また、この収録に選曲も合わせたようで、第二部の3曲目に〈One More Saturday Night〉をやっているのは、ここで収録が終りと思ったためらしい。実際にはその後も収録は続いていて、ウィアが、テレビはまだやってるんだって、とコメントしている。第三部、テレビ収録が本当に終ってから〈Dark Star〉をやっている。
 全体が《Europe ’72: The Complete Recordings》でリリースされた。第二部クローザー前の〈Big Railroad Blues〉が、2011-11-25のレコードストア・ディ兼ブラック・フライデー用にリリースされた《Europe '72, Vol.2》アナログ盤に追加された。
 第一部7曲目で〈He's Gone〉がデビュー。ハンター&ガルシアの曲で1995-07-06まで、計329回演奏。演奏回数順では32位。スタジオ盤収録無し。《Europe '72》が初出。そこに収録されたのは05-10のアムステルダムでの録音。ミッキー・ハートの父親でデッドのマネージャーをしていたレニーが、巨額の使い込みをした挙句、1970年03月に大金をもって失踪する。その1件を歌ったもの。この "he" はしたがって具体的にはレニー・ハートを指す。繰返し演奏されるうちに、ある時から、デッドの周囲の人間や関係のある人間が死ぬとその追悼として演奏されるようにもなる。定番曲の常として、曲の様相もかなり変化する。このツアーの中だけでも、千秋楽の05-26のロンドンまで11回演奏され、その間の移り変わりも興味深い。
 ツアー中にデビューする曲はもう二つあるが、定番となるのはこれだけ。
 〈Big Railroad Blues〉のテレビ映像ではメンバーが仮面をかぶっている。メンバーが移動に使っていた2台の大型バスは乗る人間が決まっていて、それぞれが "Bozo" と "Bolo"、「まぬけ」と「無能」とも呼ぶべき仇名で呼ばれる役割を演じていた。それがここでステージにまであふれ出たわけである。
 演奏は初めのうちは、テレビを意識してか、遠慮したのか、歌唱などやや控え目にも聞える。もっともショウが進むにつれて、遠慮は消えてゆく。
 〈He's Gone〉はテレビ番組の中でデビューさせているが、まだ完全にできあがってはいない。何よりもコーダの "Nothing gonna bring him back." のリピートが無い。これが付くのは8本後、05-10のアムステルダムである。インスト・パートも無い。テンポが速い。
 〈Playing In The Band〉をやる前にウィアがドナを紹介する。この曲では会場が変わるごとに紹介する。やる度に良くなっているが、終りもきちんとしている。他の曲とつなげようとはしていない。また第二部で演ることもない。
 早めの〈One More Saturday Night〉でのガルシアのソロが良い。ここまででベスト。次の〈Hurts Me Too〉でもガルシアのソロが冴える。
 テレビでは最後になる〈Truckin'〉のジャムは爽快で、ここでようやく本当にバンドのスイッチが入った感覚だ。〈Dark Star〉はやはりジャムから入り、3分の1、10分やって歌になる。これも面白いが、この日はその後の〈Caution (Do Not Stop On Tracks)〉がいつになく、面白い。ピグペンのヴォーカルではなく、インストのジャムが引っぱる。後半、ピグペンは力を抜いた即興歌唱で粘り、ひどく静かになる。この曲でこういうことはほとんど無い。いろいろと思いきったことを試しているようでもある。
 テレビ収録のため、全体の流れはぎくしゃくしているが、演奏は見事なものだ。かくて、この時期の貴重な映像記録が生まれるのも、このツアーの御利益のひとつである。次は4日後のブレーメンで、これまた「ビート・クラブ」という有名なテレビの音楽番組への出演。

06. 1982 Hartford Civic Center, Hartford, CT
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。11.50ドル。開演7時。

07. 1983 Brendan Byrne Arena, East Rutherford , NJ
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。13.50ドル。開演7時半。第二部後半 Space の後の〈Love The One You're With〉からアンコール〈Brokedown Palace〉までスティーヴン・スティルスが参加。〈Love The One You're With〉では、スティルスは曲を終えようとするのに、ガルシアがいっかなソロをやめなかった。

08. 1984 Niagara Falls Convention Center, Niagara Falls, NY
 火曜日。11.50ドル。開演7時半。第二部オープナー〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。会場の屋上に上がって歩きまわったデッドヘッドがいたらしい。
 ガルシアの調子が初め今一だが、〈Slipknot!〉になって俄然良くなり、その後はすばらしい。全体で24分。

09. 1987 Irvine Meadows Amphitheatre, Laguna Hills, CA
 金曜日。このヴェニュー3日連続の初日。19.50ドル。開演7時半。ガルシアの昏睡からの復帰後、3度目の西海岸でのショウ。チケットを持たないファンが殺到して、無理入場しようとした。ミドランドの楽器が電子ピアノの上にシンセサイザーを載せたものから、デジタルのピアノ兼シンセサイザーに変更になった。
 デッドの使用楽器の変遷はそれだけで本が1冊できるだろう。ガルシアのギターの変遷や1980年代の MIDI の導入が最も有名だが、他のメンバーももちろん楽器は変わっている。打楽器はかなり追加もされている。

10. 1989 Metropolitan Sports Center, Bloomington, MN
 月曜日。良いショウの由。(ゆ)

 スピーカー中心のオーディオのイベントに初めて行ってみる。知人が開発に関わった新製品を見て聴くためだが、半分はどういう人たちが来ているのか、ヘッドフォン祭などと違うのか、という興味もある。

 目当てのハードウェアはアキュフェーズの新しいプリメインのフラッグシップ E-800。来てみて思うのは、こういうイベントはオーディオ機器の試聴環境としては良くないことだ。30畳ぐらいの部屋に数十人も入れば、いくらルーム・チューニングをしても、個人の家で聴くものからは程遠くなるだろう。加えて、この会場の部屋そのものが、元来は会議室で、天井、壁、床に音響的配慮は皆無だ。ユーザー側のメリットとしては、様々なハードウェアに一度に接することができる、ということくらいか。



 それでも、基本的な音の性格の違いはわかる。時間が少しあったので、Esoteric で Avangard を鳴らすデモ、Fostex の2ウェイをアキュフェーズで鳴らすデモ、Triode の 真空管プリメイン MUSASHI で Focal のたぶん Utopia Evo を鳴らすデモ、オープンリール・デッキ NAGRA Tから蜂鳥のテープアンプに接続し、Mola Mola のプリアンプ「Makua」+パワーアンプ「Kaluga」から Lansche Audio のコロナ・プラズマ・トゥイーター搭載スピーカーシステム「No.5.2」を鳴らすデモを聴いてみる。

 好みはフォステクスでシャープで濃密。Triode では同じ音源をCDとアナログで聴き比べたのも面白かった。アナログの方が底力がある。価格合計がたぶん1,000万を超えるエソテリックとアヴァンギャルドは、ステージはあるが、どこか冷たく、ピアノに霞がかかり、声にも血が通っていない。やはりソニーの音。ヘッドフォン、イヤフォンもそうだが、このソニーの研ぎすまされて脆そうな音はどうにも好きになれない。テープ・デッキからのせいなのか、この音は時代錯誤に聞える。

 で、肝心のアキュフェーズは、うーん、こういう音が好きなのよね、とあらためて思い知らされる。思えばかつて出たばかりのアキュフェーズのプリメイン E-302 で Boston Acoustic の、10cmウーファーを2発積んだ板みたいな3ウェイを鳴らしたのが、あたしのオーディオ事始めだった。プレーヤーは Thorens の当時一番安い、ストレート・アーム付きのやつ。これで Dougie MacLean の、これも出たばかりの《Butterstone》を聴いた時の新鮮な驚きは忘れられない。やがて、トーレンスの音が物足らなくなって、もっといいプレーヤーが無いかと探しだして、表参道にあったらっぱ堂を訪ねたのが運のつき。ずぶずぶとはまっていったのでありました。

 ちなみに《Butterstone》はマクリーンのアルバムの流れとしては傍系になるんだけど、そこがむしろプラスに出ている。他は自身のプロデュースだが、これだけはレーベルのオーナーだった Richard Digance がプロデュースしているのも、マクリーンが普段封じているダークな面を引き出している。あたしの中ではディック・ゴーハンの《No More Forever》に匹敵する。


Butterstone
Maclean Dougie
Dambuster (UK)
1994-11-07


 アキュフェーズのデモのスピーカーは Fyne Audio F1-12 で、このメーカーはスコットランドはグラスゴー郊外にある、となると親近感が湧いてしまう。スコットランドの今や国宝的存在であるダギー・マクリーンは、これで聴くべきでしょう。F1-12 はサイズもデカすぎるし、値段も手は出ないが、一番安いブックシェルフの F500 をアキュフェーズの E-270 で聴いてみたいよねえ。




 それにしても E-800 と F1-12 は良かった。説明の始まる前に流れていたデモで Jennifer Warnes の《Hunter》がかかる。その声が出た途端、ぞく、っと背筋に寒気が走りましたね。こりゃあ、ええ。こりゃあ、ええよ。

ザ・ハンター
ジェニファー・ウォーンズ
BMGビクター
1996-04-24



 アキュフェーズの偉いさん?による説明の中でかけた岩崎宏美と国府弘子の〈時のすぎゆくままに〉がまた凄い。録音もいいが、演奏が凄い。岩崎宏美がこんないいシンガーとは知らなんだ。というよりもまるで興味が無かったが、こりゃあ一級じゃん。国府のピアノも鍵盤を広く使って、スケールが大きい。その最低域の音が生々しい。いや、このアルバムを聴けたのは来た甲斐がありました。こいつは買わにゃ。

Piano Songs
岩崎宏美
テイチクエンタテインメント
2016-08-24



 最後のプッチーニのオペラからの録音もかなり良い。ベルカントはどうしても好きにはなれないが、訓練された声が存分に唄いきる時の快感というのはわかる。また、それが実感できる再生ではある。ライヴ録音で、会場の大きさもよくわかり、こういう音楽をこういうシステムで聴く醍醐味は味わえた。

 やっぱり、あたしの場合、人間の声がきちんと再生できることが肝心なのだ。ソニーの音はきれいなことはきれいだが、精巧なガラス細工で、ちょっとつつくと砕けてしまいそうなのよね。

 ヘッドフォン、イヤフォンの、どこでどんな姿勢で聴いてもいいという自由さ、性格の異なる複数の機種を取っ替え引っ替え聴けるという楽しみを味わってしまうと、スピーカーに完全に戻る気にはなれないが、時にはスピーカーで聴くのは耳をリフレッシュできていいもんだと改めて思うことであった。アキュフェーズにすっかり満足してしまって、もう他を聴く気にもなれず、そのまま出て、気になっている万年筆インクを物色しようと丸善に向かったのであった。

 それにしてもアキュフェーズがヘッドフォン・アンプを出してくれないか。DAC とかじゃなくて、純粋のヘッドフォン・アンプ。Luxuman P-750U のような、でももっとコンパクトなやつ。アキュフェーズが出したら、無理しても買っちゃいそうな気がする。(ゆ)

もちろん付録の Luxman の作ったヘッドフォン・アンプめあて。

 付録は48KHz までサポートする USB-DAC 付きヘッドフォン・アンプで、Luxman 製ということで、少し期待したのだが、甘かった。USB電源のみで、入力も USB だけ。音は焦点がぼやけてもいるが、長所もない。

 Stereo はいまだにヘッドフォンを「アクセサリー」扱いしていることからして、ヘッドフォン・アンプや PCオーディオなど使ったことのない読者にとっての入門が目的なのだろう。加えて、あたしのようなヘッドフォン・ファンを釣ることも目論んでいたはずだ。

 もっとも、この雑誌の読者はまともなヘッドフォンなんて持ってないんじゃないか。もしそうなら、ここで持ち上げられている Shure とか、表紙のオーテクあたりに手を出すのであらふ。あたしなら Beyerdynamic T1 とか Final Audio Design Piano Forte XX を薦めるところだが、まあこんなところは見ていないわな。

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 しかしなあ、Luxman のアンプってこーゆー音なの? いくら雑誌の付録とはいえ、基本的な性格は変わらんでしょう。まあ、ヴォーカルがしっかりきれいに聞こえるのはいいんですけどね。

 結論はもう少し、使いこんでからと思うが、使っていてあんまり楽しくないのよねえ。

 むしろ、いろいろ部品を交換していって、音が変わるのを楽しむアイテムというところ。んだが、そういうことをしているカネと暇があれば、1曲でも音楽を聴きたいと思う今日この頃である。


 とはいえ、こういう雑誌でも収獲はあるもので、「私の特選! ミュージック・ファイル」というコーナーで OTOTOY が配信しているハモニカクリームズの新作《IN + OUT = SEA》がとりあげられているのは嬉しい(201pp.)。ただし、筆頭にあげられている、オールマンのフィルモア・ライヴの192KHz 音源がすでに OTOTOY のサイトから消えているのは、どちらが悪いのか。HDTracks で配信されているのは 96KHz なので、192だったら聴いてみたかった。

 12/24訂正。オールマンのフィルモアを配信しているのは e-onkyo で OTOTOY ではありませんでした。失礼しました。それにしても、これは DSD マスターということなんだが、そのマスターをそのまま配信する計画はないのかね。これを DSD で聴けるなら、DSD 環境を整備するぞ。

 ところで、これには1992年にプロデューサーのトム・ダウド自身がミックスしなおして、それまで未発表だった録音も入れて出しなおした《TNE FILLMORE CONCERTS》がある。これも良い録音で、むしろ空間の広さや楽器のバランスはこちらの方が好きだが、これのハイレゾというのは無いのか。

Fillmore Concerts
Fillmore Concerts


 日本語のオーディオ雑誌を見ていつも思うけど、ソフトの扱いが軽すぎるよなあ。アメリカのハイエンド・オーディオ専門誌の雄、The Absolute Sound は全体の半分がソフトの話で、録音面だけでなく、音楽、演奏についても正面からとりあげていた。オーディオは「音」を聴くもんじゃない、聴くのはあくまでも「音楽」だ、という筋がどーんと通っていた。大部分はクラシックとジャズだったけど、ジェニファ・ウォーンズの《FAMOUS BLUE RAINCOAT》が出た時、当時の編集長自ら、シンガー本人とプロデューサーを招いて、長時間インタヴューをして特別記事を書いた。その原稿の質と量は、どんなハードウェアのものよりも多く、高かった。

ソング・オブ・バーナデット 〜レナード・コーエンを歌う
ソング・オブ・バーナデット 〜レナード・コーエンを歌う


 それはともかく、なによりもかによりも仰天したのは、「海外ブランド・インタビュールーム」の「アバンギャルド」というドイツのスピーカー・メーカーの頁(142pp.)。David Browne というインターナショナル・セールス・マネージャーが出ているのだが、


アイルランド出身で、アイリッシュ音楽の大ファン。かつて百人規模で踊るグループイベントのPA技術者として来日し、2ヶ月以上滞在したこともあるのだという。音楽業界の最前線でPAや録音機材と深く関わり、アバンギャルドの製品に惚れ込んだことがきっかけで、2011年秋セールス・マネージャーに就任。

 な、な、何だって。『リバーダンス』のPA担当者が売っているスピーカー?

 「私が購入したアバンギャルドの製品は、ウノG1 です。繊細さと生々しさに圧倒され、強く惹かれました。特に低域のレスポンスが最高、しかも小音量再生に強い。また、その音は生音にきわめて近い性質を持っていて、大音量再生中でも普通に隣の人と会話ができる。そんなことは他社製スピーカーではありえません」

 聴いているのは、当然アイリッシュ・ミュージックが多いはず。その人がこう言うとなると、気にするなという方が無理だ。おまけにだ。

 そこまで話したあと、彼は意外なCDを取りだした。まず、1956年録音のジャズボーカル・アルバム『エラ・アンド・ルイ・アゲイン』。そして、それが終わると次にジューン・テイバー『アップルズ』から「センド・アス・ア・クワイエット・ナイト」をかけた。

 ぎょえー! スピーカーの試聴にジューン・テイバー! ちなみにこの曲は《APPLES》最後のトラックで、遠めで控え目のピアノ伴奏を文字通りバックにジューンが手前でゆっくりとうたう。途中から、ハイノートのドローンが入る。第2連だけ、ヴォーカルにわずかにリヴァーヴをかけている。確かに、よい録音ではありますよ。

アップルズ
アップルズ


 代理店のエソテリックのスタッフが
「私たちが普段行なっているデモでかけないようなソフトが、かなり異なる音量で再生されました。こんな魅力もあったんですね」
と言うのも無理はない。

 写真を見ると、ホーン・システムではないか。それにサブ・ウーファーを組み合わせたアクティヴ・スピーカー。値段もハンパじゃないが、スピーカー、サブ・ウーファー、アンプがセットと思えば、そんなに無法なもんじゃない。いや、そりゃ、買えるか、となると話は別。それにこうなるとセッティングにも気を使う必要がある。

avantgarde duo Ω(omega) G2(ペア) (価格問い合わせ)
avantgarde duo Ω (omega) G2


 しかし、しかし、だ。このブラウン氏が惚れ込んで、製品の音決めにまで参加しているスピーカーとなると、聴かないわけにはいかないだろう。

 どこかで聴けないか、と思ったら、かの吉祥寺の「メグ」のシステムに使われている。「いーぐる」の後藤さんによれば、首をかしげるところもあるらしいし、「メグ」では「いーぐる」とは違って、アイリッシュをかけてもらうわけにもいかないだろうが、試聴室よりは、実際に使われている形で聴いてみたい。

 uno は G2 になっているが、エソテリックのサイトには Solo という、同軸ユニットを使ったさらに小型の製品がある。ただし、生産終了。後継機は出ないのか。(ゆ)


☆販売価格はお問い合わせください。☆avantgarde(アバンギャルド)SOLO【スピーカー】≪定価表示≫
avantgarde SOLO

*東急の車両は走行時の騒音が大きい。田園都市線だけなのかどうかは知らないが、急行なんぞ乗った日には、スピードを出すからさらにうるさい。おまけに、この線は一つひとつは短かいけれどトンネルが多く、仕上げに二子玉川からは地下鉄になるから、乗り心地としては最悪と言ってもいい。ヘッドフォンで騒音を防ぐにしても、やわなノイズ・キャンセリングなら吹っ飛びそうだ。 DJ用の超強力遮蔽能力のものが必要だろう。

 これに比べれば小田急の車両ははるかに静かだ。東急はひたすら車両を軽くすることだけ考えて、小田急は乗客にとっての快適さとのバランスをとろうとしている、とみえる。小田急の方が営業距離が長く、乗っている時間が長いから、だからか。

 しかし、こんなうるさい電車に乗って毎日都心まで往復していたら、住宅環境がいくら良くても、どこかおかしくなるんじゃないか。慣れれば我慢はできるかもしれないが、無意識にストレスが溜まって、病気になって現れる可能性もあるだろう。


*『ギネスの哲学』のカヴァー・イラストを描いてくれた西村玲子さんが、アイルランドに1年フィドルの修業に行くことになり、壮行会代わりのライヴがある、というので中野に出かける。The Celts というアイリッシュ・バー。ここで1時間やり、そのあとすぐ近くの「タラの丘」でパート2。中野には他にもアイリッシュ系のバーが数軒あるそうな。実際、The Celts を探してうろうろ迷っている間にも、ギネスの看板を何枚も見かけた。そのうち東京のテンプル・バーになるかもしれん。初めて北側の飲食街を歩いたが、細かい路地に小さな店がひしめきあっていて、良い感じ。中野駅もすっきりして、これで放射能さえなければね。

 西村さんのフィドルに内野貴文さんのイルン・パイプ、下田理さんのギターという、いつものトリオでの演奏はご機嫌。くつろいで、良いグルーヴが出ている。いやあ、アイリッシュの醍醐味ここにあり。これに比べれば、チーフテンズがしゃちこばって聞こえる。

 内野さんは6年待ったフル・セットが夏に届いたそうで、調子が良いのはそれもあるらしい。いい音で鳴っている。最後にお客で来ていた人たちも2、3人加わって、ますます良い感じ。

 長尾さんも来ていたが、髪型を変えていたのではじめ全然わからず。向こうもぼくがわからず。ギター・ソロの録音をこつこつ作っているそうで、これは楽しみだ。帰り路が新宿まで一緒で、いろいろ話を聞く。

*Quad がちゃんと ESL の新作を出しているのを知り、実に久しぶりに、もう十数年ぶりくらいに MartinLogan のサイトを覗くと、なんとヘッドフォンを出している。Et tu, ML? と思って検索してみたら、結構前から出しているらしい。新作の Mikros 90 は先月末に発表されたばかりで、イヤフォンの 70 は発売されてるが、ヘッドフォンの 90 はまだ。どちらもクローズドで、Head-Fi には 70 のレヴューがひとつ上がっているが、なかなか良いようだ。さすがにヘンな色付けはしていない。Amazon.com では 90 が300USD、70 が142USD の値段がついている。アメリカ国内向けだけ。MartinLogan のディストリビュータは日本ではなくなってずいぶん経つが、これでどこか手をあげるかな。

 ひょっとして、と Magnepan のサイトを見てみたが、さすがにここは手を出していませんでした。昔、リボン・トウィータを使いだした初めの頃の2ウェイ、2.5R を Quick Silver Audio の モノブロックで鳴らしたのは忘れられない。音が「飛んで」きたものだ。今だと、1.7 なのかな。2,000USD って、LCD-3 より安いじゃん。しかし、アンプが要るし、置き場所もないなあ。をを、正規代理店があるぞ。

 しかし、わが列島では Quad は根強い人気があるのに、同じ平面の MartinLogan や Magnepan が支持されないのは何故だろう。でかいからかな。基本は高さ6フィート、つまり180センチ超ではある。2.5R を手放したのも、結局、その高さで部屋が暗くなる感じがしたからだからなあ。


*高音質のポータブル・プレーヤーが花盛りだけれど、だったら KORG MR-2 はもっと注目されていいんでないの。いま注目の DSD ネイティヴ再生ができる唯一のものなんだし、PCM だって 192KHz までサポートしてるし、SHCDカードも使える。それで価格は、一連のハイレゾ・サポート・プレーヤーで一番安い iRiver の AK100 よりさらに1万安い。

 それにしても MR-2 から録音機能を削ったプレーヤーを出しませんか、KORG さん。マイクがついてると、音楽を聴くだけだとちょとでかいんだよねえ。会社のポリシーに合わないのかな。

KORG コルグ/ MR-2 モバイルレコーダー
KORG コルグ/ MR-2 モバイルレコーダー

 
*ささきさんがブログで DSD の現状について面白いことを書いている。

 デジタルとしては実は PCM より DSD の方が簡単、というのはへーえ、という話で、だったら、そもそも CD 規格策定のときになんで DSD にしなかったのかしらん。技術的にわざと難しくして、もったいをつけたのか、というのは下司の勘繰りだろうが、どこか邪悪な意図を感じる。同時に CD がなぜ 16bit なのか、というのもようやく腑におちる。

 音が問題だったら、CD なんて中途半端な規格にしないで、最初から SACD の規格にしておけば、とうの昔に世の中は DSD に統一されて、LP は消滅していたかもしれない。出し惜しみしたのか、それとも「音質」をとやかく言われてあわててやったのか。いずれにしても、後から出したのは、いかにもまずかった。CD 切替の理由は結局「音」ではなかったので、そういえば録音メディアの「革新」は音質が理由だったことは一度もない。音の改善は付随した現象なのだ。

 とまれ、今、DSD の「高音質」に惹かれている人びとにとっては SACD はまったく存在しなかったか、あるいは存在を知ってはいても従来選択肢に入っていなかったわけだ。

 それにしても「音質」というのはやはり相対的なもので、たとえば収録時間とか、裏表の有無とかいう物理的条件のような絶対的なものではありえない。圧縮ファイルだって、やりようによっては十分音を「良く」できる。Hippo Biscuit + GoVibe Mini Box + Flat4粋で、もうこれ以上何も要らないと思えてしまう。

 だから、DSD も音質が良いというだけでは世間一般に普及することはない。より使いやすくする、少なくとも入口の敷居は低くしないと、結局六畳の和室に JBL の巨大なスタジオ・モニターを置くような「宝の持ち腐れ」になりかねない。

 それはそれでいいのだろう、たぶん。一般化せずとも、一定数の熱心なサポートがあればやっていけるのが、デジタルとネットワークのいいところだ。

 そういう観点からすれば、ヘッドフォン祭などもヘタにでかくしたり、整理しないで、今のような雑多な感じで続いてほしい。今回の Ultrasone や Sennheiser のような大手の洗練された空間と、Jaben のいた部屋のように、小さな個人メーカーがごちゃごちゃと乱雑に詰まっている空間が同居しているのが、一番の魅力なのだ。そこには供給側とユーザーの接点だけでなく、メーカー同士の交流もあり、コラボレーションも生まれる。


*オーチャードのチーフテンズに行く。さすがにここは音が良い。トゥリーナ・マーシャル、うまくなったなあ。最初に来た時には、終わりごろになると指が疲れていたけど、そんな気配はもう微塵もない。

 ハイライトは前半、アリス・マコーマック。出てきた最初は〈キャリックファーガス〉で、そりゃこの人がうたえば悪いはずはないが、わざわざこれをうたわせることはないだろう、パディ。とはいうものの、今のチーフテンズに期待する方が無理か。それにちょっとテンポが速くて、《TRANSATLANTIC SESSIONS 4》で Alison Moorer の熱唱を見たばかりだったから、ちょと軽いなあ。アレンジなら最近の奈加靖子が遥かに上。と思っていたら、そのままステージに残ってやったのが〈The Vices Set (Puirt Set)〉。最新のソロ《PEOPLE LIKE ME》の3曲め。スコットランドのマウス・ミュージックは詞の音に面白いものが多いけど、これはまた飛び抜けて面白く、とりわけメドレー2曲目の後半が楽しい。ほぼ録音まんまの演奏だが、やはり生はええですなあ。これを生で聴けただけで、まんぞくまんぞく。アリスはもう1曲、ガーリック(スコティッシュ・ゲーリック)のうたをア・カペラで聴かせてくれて、この形ではこれ以上はムリではある。トゥリーナとのデュオで一度生で見たいが、それは別に呼ばなあかんやろ。

 日本人ゲストもずいぶん増えて、タカさんたちのダンスや「ガールズ・チーフテンズ」もあり、まあめでたいことではある。後者のパイプはなかなかで、パディよりいいんじゃないかと思えたほどだったが、遠くて、誰かはわからず。後で聞いたらやはり中原直実さんだった。最後のブルターニュ風ダンスの列も、昔にくらべればずいぶん長くなった。和服姿のおばさんなんかもいて、このダンスのフィナーレはよい感じ。これさえあれば、チーフテンズはいいんですよ。いくらパディが「お仕事」してても。(ゆ)

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Transatlantic Sessions 4

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People Like Me
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 「STAX Unofficial Page」の「日記」12/01 の項に

導入したハードの特性に購入するディスクが影響されるのがオーディオ。

とあるのは、
「オーディオ」の定義として本質を突いている。

 それでは、

聞くディスクに導入するハードが影響されるもの

は何と呼ぶべきか。

 「オーディオ」を追究するわけではないが、
できるかぎり「良い音」で愛する音楽を聴きたい。
この場合「良い音」の定義としては、

楽にきける音((c)川村龍俊)

がベストだ。
「脳内変換」など必要ない音。
いつまでもきいていられる音。
音楽に没入できる音。
ディテールと全体像が同時によくきこえる音。

 もうひとつ大事な条件があって、
安価であること。
なにせ、音源のほうにカネをつぎこむのだから、
ハードにそんなにカネをかけられない。
ウン百万などというのはもっての外、
できるだけ1ユニット10万以内でおさえたい。

 今のところ、
われわれがふだん聞いている音楽で
この条件に応えてくれるのが
タイムドメイン式。

 今のところ、
スピーカーにしても、
イヤフォンにしても、
ダイナミック型では
これ以上のものはない。

 とはいえ、
もうひとつ試したいのは
スタックス。
MET の栗田さんも
あれはいいですよ
と言っていた。

 だから、上記のサイトなど、
ちょくちょく覗くことになる。


 MET と言えば、
先日 Jupity を聞かせてもらったときの「実験」で
ヘッドフォン・アンプを噛ませるは
スピーカーでも効果があったので
うちでもやってみる。

 MacBook 黒の光出力から ONKYO SE-U55GX(B) に入れる。
ちなみにこれについているヘッドフォン端子は
あまり質がよくない。
後ろのライン・アウトから Elekit TG-5882 につなぐ。
真空管はデフォルト。
ケーブルは昔出ていたMIT の廉価版 Terminator 2。

 正面のヘッドフォン端子ミニ・プラグに
TIMEDOMAIN light をつなぐ。

 音源は iTunes で、
ファイル・フォーマットは Apple Lossless または AIFF 48KHz。

 これがなかなか良い。
Jupity301 にも肉薄、
とまではいかないが、8割ぐらいまでは迫ろうか。
スーザン・マッキュオンのヴォーカルとか、
田村拓志&柏木幸雄のデュオとか
であれば、もう文句はなにもない。
ただ、ほれぼれと聞くばかりだ。

 それでは、
とザッパを聞いてみると、
やはり物理的限界が見える。
ルース・アンダーウッドのヴィブラフォンの高域の抜けが
ほんのわずかだが、もの足らない。
余韻の消え方はきれいだが、
Jupity より線が細い感じがする。
〈拷問は終わらない〉の後半、
フル・バンドで大音量の箇所にかかると
うーむ、がんばってるねえ、とけなげさがかわゆくなる。

 ライナー&シカゴ響の《シェヘラザード》第4楽章。
うーむ、フル・オケのマッスのところはやはり苦しい。
シンバルがしゃりしゃりするのも低域に余裕がないためか。
それでも、音楽の「形」はきちんとしていて、
エネルギーは伝ってくる。
音楽としてきこえるし、
それによって感興も湧いてくる。

 バッハ・コレギウム・ジャパンの《ブランデンブルク》6番。
これはもう、嬉々としてうたっている。

 なお、スピーカーから耳までの距離は1メートルもない。
6、70センチぐらい。
また、机の手前の端において、
机の面からの反射が無いようにすると、
空間が広くなる。(ゆ)

 日本METに Jupity301 を聞きに行ってきました。

 結論から言うと、

 タイムドメイン・サウンドのファンで

Yoshii 9 を持っていない人は全員が

買わねばならなくなるにちがいない。

 もちろん、物理的経済的あるいは心理的事情で
どうしても買えない方は多々おられると思いますが、
そういう条件が克服されたと仮定しての話です。

 たとえば小生はいま現在、経済的事情で買うことができません。
売払おうにもベンツは持っていないし、
質に入れようにも、かみさんはミンクのコートを持っていません。
カードローンの利息はいくらだ、と計算しはじめている自分を発見して、
いかんいかんと手を叩いている始末ですが、
しかし、この価格は安いです。
実力からすると最低でも2倍、
正直にいえば3倍の値段が妥当でしょう。

 ほかのオーディオ製品と比べるのはあまり意味がないと思うので、
タイムドメイン世界に話を絞ってですが、
Yoshii 9 の値段に対してそれだけの価値はあります。
つまり、それくらい迫っているということであります。
ただし、Jupity には「クラフト・シリーズ」は(まだ)ないわけですが。

 実物を見ると、
Marty101 よりずいぶん大きい感じがします。
背が高いのと、
脚部が大きく、
しっかりしているためでしょう。
この脚もポイントのひとつだそうで、
安定性が飛躍的に良くなった結果がサウンドにも現われているそうです。
実際、はじめテーブルの上において聞かせていただいたのですが、
こちらの方がいいんですよと床(絨毯敷き詰め)に下ろした途端、
もう元にもどせなくなりました。
台に載せるのなら、
それなりに振動対策をほどこしたものを持ってきたいところです。

 スピーカー・ユニットは Marty とまったく同一だそうで、
違うのは、
胴体の材質(プラスティックからアルミ)と
構造(張り合わせから一体成形)、
内部でのユニットの固定方法と
胴体の容積、
それに脚部。
むしろここで初めて、
このユニットの実力が発揮されているということでしょうか。

 まずわかるのは低域の余裕で、
ということは当然高域も余裕をもって伸びています。
打楽器などで高音の余韻がほんとうにきれいに消えてゆきます。
ルース・アンダーウッドのビブラフォンの美しさにはただため息。

 そしてヴォーカルが良く前に出てくれます。
うっかりすると伴奏が後ろに引込むぐらい。
スーザン・マッキュオンや Ria Soemardjo の声の倍音が快い。
大島保克さんの声も倍音がはいってるんですねえ。

 そして細部再現のすごさ。
もともとこれはタイムドメインの得意技ですが、
それがまた、これ以上細かく再現してくれても、
こっちの耳がついていけないよ、という感じ。
スーザン・マッキュオンの《BLACKTHORN》の冒頭、
アイルランド語の細かい発音、というよりも、
スーザンの唇や舌の動きまでみえる気がします。
田村拓志さんの新作では、うわあ、装飾音が全部「見える」。
 ぼくはフィドラーでもないのに。

 何度も繰りかえしていますが、
こういう細部は、
聞こうと神経を集中してようやく聴き取れるのではありません。
自然に向こうから聞こえてくるのです。
音楽を演奏している方が聞けば、
ぼくなどより何倍も細かい細部が、
文字通り手にとるようにわかるでしょう。

 実際、ギターの手の動きがよくわかると、
その場で買っていかれたベテランのロック・ミュージシャンもおられたそうです。

 こうなるとサウンド・ステージが広々としているのも当然で、
ライナー&シカゴ響の《シェヘラザード》はむしろ予想通り。

驚いたのはザッパです。
IN NEW YORK》をかけた途端、のけぞりました。
眼の前にステージがあるのです。
脇のほうで、観客の口笛があざやかに響きました。
ああ、ザッパはこんなにも良い音で録っていたのか、
とあらためて感嘆しました。
いや、むしろこれまで
「あんな貧弱な再生で聞いていて、もうしわけございません」
と平伏したくなりました。

 そんな具合で、
2時間近くの間、
あれこれ勝手に聞かせていただき、
これはもう買うっきゃない、
と決心をかためる他なかったわけです。
ああ、なにか売れるものはないか(爆)。

 最後に、
愛機 Go-Vibe 5 を経由してつないでみました。
これまでは全部 iPod touch への直刺しです。
それでこのクオリティなのです。
(ファイル・フォーマットは Apple lossless か AIFF 48KHz)
で、ヘッドフォン・アンプを通してみたらどうか。
この音には、Marty や Jupity を作られたエンジニアの栗田さんも唸りました。
ひょっとすると、将来、
タイムドメイン式ポータブル・ヘッドフォン・アンプが登場するかもしれません。

 それに、ヘッドフォン・アンプをお持ちの方は、
ライトやミニ、ひょっとすれば Yoshii 9 もつないでみると、
新しい世界が開ける可能性があります。
ヘッドフォン端子のあるプリ・アンプでも大丈夫かも。

 現在のぼくのリスニング環境のメインは iPod です。
EarPhone M が登場してからは、
ますますデスクトップで聞く時間は少なくなっていました。
正直言って、ミニやライト、いや Marty でも、
BGM 的な使い方しかしていませんでした。
Jupity301 を聞くと、
これでもう一度全コレクションを聞き直したい、
これで音楽をひたすら延々と聴いていたい、
という気になります。
iPod + EarPhone M は外出用、モバイル用という
本来の用途に使われるようになるでしょう。(ゆ)

 川村さん@Winds Cafe から教えられてウェブ・サイトを見てみる。物欲そそられますなあ。

 Marty 101 の後継機種。アルミ一体成形の筐体で、脚の形と支持方式も一新。サイズは背の高さが9センチ、脚部の奥行きが2センチ増えた。電源を強化し、アンプの出力を3ワットから5ワットへ。ユニットは変わらないらしい。重さは倍以上。価格も倍以上。

 リニア電源というのは、でかくて重いが、「出力電圧の精度は良く,リプルやノイズはほとんど発生しない」そうで、そうすると音は良くなるから、オーディオ用としてはベターだろう。Go-Vibe も V6 からリニア電源のアダプタを別売していた。

 ひとつだけ気になるのは、Marty ではユニットの真下、脚の間に吸音材を敷くのが常法なのだが、この形でもやはり敷いた方が良いのか。それとも、この形にしたということは、敷かないことが前提なのか。

 いずれにしても、どこかで聞く機会を見つけよう。(ゆ)

 編集部御用達のスピーカー、タイムドメインが「クラフト・シリーズ」の受注を始めました。

 Yoshii 9、ミニ、ライトをそれぞれベースに、様々な素材を用いてチューン・アップするもの。完全受注生産。

 個人的に注目はミニ Yoshii 9 のシリーズで、高さ25センチほどだそうですから、Yoshii 9 そのものの約四分の一のサイズ。
 素材としてはなんといっても、ディジリドゥーと同じ、白蟻の食べたユーカリの木。手入れなどに手間がかかるかもしれませんが、同じものが一つとしてないのも、形自体が面白いのも魅力。

 純銀製のミニとか、純金製のライトとか、欲しいとはまるで思いませんが、音は一度聞いてみたいですね。

 タイムドメインの由井社長が京都大学ベンチャー・ビジネス・ラボラトリーで今月2回にわけて行った講義録が、同社のサイトで読めます。

 今のところ前半のみですが、タイムドメインがどういうものか、これまでで一番わかりやすい説明だと思います。

 特に「このスピーカーで低音は出ているのか」という質問から後が面白い。

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