クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ダンス

 北杜はやはりしあわせの国であることをもう一度確認させてもらった2日間。イベント自体は金曜夜から始まっていたし、土曜日も朝から様々なプログラムが組まれていたけれども、諸々の事情で土曜午後からの参加。今度は昨年の失敗はくり返さず、ちゃんと乗換えて、予定通りの清里到着。はんださんと木村さんが待っていてくれた。あたしのためだけ、というのでは恐縮だが、コンビニでミュージシャン用のコーヒーを買うという重要なミッションがあったのでほっとする。

 まずは内野貴文さんのイレン・パイプについての講義と hatao さんとのデュエットでの実演。内野さんとは10年ぶりくらいであろうか。もっとかもしれない。記憶力の減退がひどくて、前回がいつ、どこではむろん、どんな演奏だったかも覚えていない。今回一番驚き、また嬉しかったのは内野さんのパイプにたっぷりと浸れたことである。物静かで端正で品格のあるパイプはリアム・オ・フリンを連想させる。生のパイプの音をこれだけ集中して聴けたのは初めての体験。こういう音をこれだけ聴かされれば、この楽器をやってみたいと思うのも無理はないと思われた。

 あたしはイレン・パイプと書く。RTE のアナウンサーが「イリアン・パイプス」と言うのを聞いたこともあるから、こちらが一般的というのは承知しているが、他ならぬリアム・オ・フリンが、これは「イレン・パイプス」と言うのを間近で聞いて以来、それに従っている。uillean の原形 uillinn。アイルランド語で「肘、角」の意味。cathaoir uillean カヒア・イレン で肘掛け椅子、アームチェア。pi/b uillean ピーブ・イレンでイレン・パイプ。

 内野さんのパイプの音は実に気持ちがいい。いつまでも聴いていられる。いくら聴いても飽きない。演奏している姿もいい。背筋が伸びて、顔はまっすぐ前を見て動かない。控え目ながら効果的なレギュレイターの使用と並んで、この姿勢もリアム・オ・フリンに通じる。内野さんによってパイプの音と音楽の魅力を改めて教えられた。

 楽器を今日初めて見るという人が20人ほどの受講者の半分いたので、内野さんはまず客席の中央に出てきて1曲演奏する。それから楽器を分解した図や写真をスライドで映しながら説明する。

 個人的に面白かったのは次の、なぜパイプを演奏するようになったのかという話。初対面の人にはほとんどいつも、どうしてパイプなのかと訊かれるそうだ。その昔、アイリッシュ・ミュージックがまだ無名の頃、好きな音楽を訊かれてアイリッシュ・ミュージックと答えると、なんでそんなものを、と反射的に訊かれるのが常だったから、その感覚はよくわかる。しかし、ある音楽を好きになる、楽器を演奏するようになるのに理由なんか無い。強いて言えば、向こうから呼ばれたのだ。自分で意識して、よしこれこそを自分の楽器とするぞ、と選んだわけではないだろう。

 内野さんが最初に聞いたパイプの演奏はシン・リジーのギタリスト、ゲイリー・ムーアのソロ・アルバムでのパディ・モローニのもので1997年頃。パディ・モローニはチーフテンズのリーダー、プロデューサーのイメージが強いかもしれないが、パイパーとして当代一流の人でもあった。パイプのソロ・アルバムを作らなかったのは本当に惜しい。かれのパイプのソロ演奏は The Drones & Chanters, Vol. 1 で聴ける。

Drones & Chanters: Irish Pipe.
Various Artists
Atlantic
2000-04-25



 次に聴いたアイリッシュ・ミュージックはソーラスで、フルートやホィッスルの音に魅かれた。決定的だったのは1998年に来日したキーラ。そこで初めてパイプの実物の演奏に接する。この時のパイパーはオゥエン・ディロン Eoin Dillon。後に実験的なソロ・アルバムを出す。とはいえ、すぐに飛びついたわけではなく、むしろ自分には到底無理と思った。しかし、どうしても気になる、やってみたいという思いが消えず、やむにやまれず、とうとうアメリカの職人から直接購入した。2006年に註文して、やってきたのが6年後。まったくの独学で始める。

 苦労したのはまずバッグの空気圧を一定にキープすること。常にかなりぱんぱんにする。もう一つがチャンターの穴を抑えるのに、指の先ではなく、第一と第二関節の間の腹を使うこと。この辺りは演奏者ならではだ。

 伝統楽器に歴史は欠かせない。

 バグパイプそのものは古くからある。アイルランドでも口からバッグに息を吹きこむスコットランドのハイランド・パイプと同じパイプが使われていた。今でもノーザン・アイルランドなど少数だが演奏者はいるし、軍楽隊では使われている。

 1740年頃、パストラル・パイプと呼ばれる鞴式のものが現れる。立って演奏している。18世紀後半になって座って演奏するようになる。1820年頃、現在の形になるが、この頃はキーが低く、サイズが大きい。今はフラット・ピッチと呼ばれるタイプだろう。

 なぜ鞴を使うかという話が出なかった。あたしが読んだ説明では、2オクターヴ出すためという。口から息を吹き込むタイプでは1オクターヴが普通だ。イレン・パイプが2オクターヴ出せるのは、チャンターのリードが薄いためで、呼気で一度湿ると後で乾いた時に反ってしまって使えなくなる。そこで鞴によって乾いた空気を送るわけだ。鞴を使うバグパイプにはノーサンブリアン・スモール・パイプやスコットランドのロゥランド・パイプなどもあり、これらは確かに音域が他より広い。イレン・パイプの音域はバグパイプでは最も広い。

 次の改良はアメリカが舞台。アイルランドから移民したテイラー兄弟がD管を開発する。演奏する会場が広くなり、より浸透力のある音が求められたかららしい。フラット・ピッチに対してこちらはコンサート・ピッチと呼ばれる。このD管を駆使して一時代を築いたのがパッツィ・トゥーヒ Patsy Touhey。トリプレットを多用し、音を切るクローズド奏法は「アメリカン・スタイル」と呼ばれることもある。アイルランドでは音をつなげるレガート、オープン奏法が多い。

 余談だがトゥーヒは商才もあり、蝋管録音の通販をやって稼いだそうな。蝋管はコピーできないから、一本ずつ新たに録音した。今はCD復刻され、ストリーミングでも聴ける。ビブラートやシンコペーションの使い方は高度で、今聴いても一級のプレイヤーと内野さんは言う。

 他の楽器と異なり、パイプは音を切ることができる。どう切るかはプレイヤー次第で、個性やセンス、技量を試されるところ。

 演奏のポイントとして、Cナチュラルを出す方法が3つあり、この音の出し方で技量のレベルがわかるそうだ。

 チャンターは太股に置いた革にあてるが、時々離すのはDの音を出す時と音量を大きくする時。

 パイプ演奏のサンプルとして〈The fox chase〉を演る。貴族御抱えのある盲目のパイパーの作とされる。おそらくは雇い主の求めに応じたのだろう。狐狩りの一部始終をパイプで表現するものだが、本来は狩られた狐への挽歌ではないか、とは内野さんの説。なるほど、雇い主の意図はともかく、作った方はそのつもりだったかもしれない。

 もともとの曲の性格からか、内野さんはかなりレギュレイターを使う。右手をチャンターから離し、指の先でキーを押えたりもする。

 レギュレイターは通常チャンターを両手で押えたまま、利き手の掌外側(小指側)でレバーを押えるわけだが、上の方のレバーを押えようとするとチャンターが浮く。あれはチャンターの音と合わせているのだろうか。

 休憩なしで、hatao さんとのデュオのライヴに突入。

 hatao さんはしばらくオリジナルや北欧の音楽などに入れこんでいたが、最近アイリッシュの伝統曲演奏に回帰した由。手始めに内野さんとパイプ・チューン、パイプのための曲として伝えられている曲にパイプとのデュオでチャレンジしていると言う。めざすのはデュオでユニゾンを完璧に揃えること。そうすることで彼我の境界が消える境地。そこで難問はフルートには息継ぎがあること。いつもと同じ息継ぎをすると、音が揃わず、ぶち壊しになることもありえる。そこでパイプがスタッカートしそうなところに合わせて息継ぎをするそうだ。

 一方でパイプは音量が変わらない。変えられない。フルートは吹きこむ息の量とスピードで音量を変えられ、それによってアクセントも自由にできる。そこで適切にアクセントを入れることでパイプを補完することが可能になる。アクセントを入れるにはレの音が特に入れやすい由。

 こうして始まったパイプとフルートの演奏は凄かった。これだけで今回来た甲斐があった。リール、ジグと来て次のホーンパイプ。1曲目のBパートでぐっと低くなるところが、くー、たまらん。2曲目では内野さんがあえてドローンを消す。チャンターとフルートの音だけの爽快なこと。次のスリップ・ジグではレギュレイターでスタッカートする。さらに次のジグでもメロディが低い音域へ沈んでいくのが快感なのは、アイルランド人も同じなのだろうか。かれらはむしろ高音が好みのはずなのだが。

 スロー・エア、ホップ・ジグ、ジグときて、ラストが最大のハイライト。〈Rakish Paddy〉のウィリー・クランシィ版と〈Jenny welcome Charlie〉のシェイマス・エニス&ロビー・ハノン版。こりゃあ、ぜひCDを作ってください。

 書いてみたらかなり分量が多いので、分割してアップロードする。4回の予定。(ゆ)

 『リバーダンス』2024東京公演最終日に行ってきた。今回は家族が同行者を求めたので応じた。自分だけで積極的に見たいとは思わないが、何かきっかけがあれば見に行くのはやぶさかではない。とはいえ、今度こそは最後であろう。これをもう一度見なければ死ねないというほどでもない。

 記録をくったら前回は2005年の簡略版最初の来日だったから、なんと20年ぶりになる。今回25周年を謳っていたのは初来日以来ということだろう。

 結論からいえば、思いの外に楽しめた。一つには席がやや左に偏っていたとはいえ最前列で、舞台の上の人たちの表情がよく見えたからでもある。

 最大の収獲はフラメンコで、この踊り手はマリア・パヘス以来。体のキレ、存在の華やかさ、そしてエネルギーにあふれる踊りは見ていて実に爽快。パヘスに届かないのは、あのカリスマ、貫禄、存在感で、これは芸というより人間の器の大きさの問題だ。

 もう一つ、この人は『リバーダンス』を脱けても聴きたいと思ったのはサックスの若い姉さん。今回はミュージシャンたちだけの出番が増えていて、もろにダンス・チューンを演奏もしたが、ソプラノ・サックスであれだけダンス・チューンを吹きこなすのはなかなかいない。録音があるのなら是非聴いてみたいものだ。

 パイパーもフィドラーもミュージシャンとしての質が高いし、ダンサーたちも皆巧い。男性プリンシパルにもう少し華が欲しいところ。やはりねえ、華という点ではフラトリーは飛びぬけていたからねえ。『リバーダンス』の男性プリンシパルを張るのはなかなか大変だとは同情しますよ。

 いろいろ削って、さらに簡略になっていて、これ以上簡略にはできないだろうというところまできているのは、やむをえないことではあるのだろうが、そう、万が一、当初のフル・サイズで、完全生バンドで、その後に加えたすべての演目も入れて来るのなら、それは見てもいいかなと思う。しかし、まあ無理であろうなあ。

 そうそう、人数が少ないのをカヴァーするためか、ダンサーたちがやたら声を出していたのは、あたしにはいささか興を削ぐものだった。別に黙って踊っていろというつもりはないが、あんなにきゃあきゃあ言わせなくてもいいんじゃないかねえ。

 それと、キャスト、スタッフの名前が公式サイト含めてどこにも無いのも、ヘンといえばヘン。最初は全部、クレジットされていた。

 とまれ、まずはいいものが見られてまんぞく、まんぞく。終演後は、少々離れてはいたものの、小石川のイタリア料理屋まで歩き、まことに美味なピザを腹一杯食べて、これもまんぞく、まんぞく。いい晩でした。たまには、こういうのもいいですね。(ゆ)

 まずはこのようなイベントがこうして行われたことをすなおに喜ぼう。新鮮な要素は何も無いにしても、やはり年末には「ケルティック・クリスマス」が開かれてほしい。

 今年、「ケルティック・クリスマス」が復活と聞き、そこで来日するミュージシャンの名前を見て、うーん、そうなるかー、と溜息をついたことを白状しておく。ルナサやダーヴィッシュがまずいわけではない。かれらの生がまた見られるのは大歓迎だ。それにかれらなら、失望させられることもないはずだ。会場の勝手もわかっている(と思いこんでいたら、実はそうではなかった)。パンデミックの空白を経て、復活イベントを託す相手として信頼のおける人たちだ。

 しかし、ルナサもダーヴィッシュもすでに何度も来ている。反射的に、またかよ、と一瞬、思ってしまったのは、あたしがどうしようもないすれっからしだからではある。キャシィ・ジョーダンが開巻劈頭に言っていたように、ダーヴィッシュは結成44年目。ルナサももうそろそろ四半世紀は超える。みんなそろって頭は真白だ。どういうわけか、ルナサもダーヴィッシュもステージ衣裳を黒で統一していたから、余計映える。例外は紅一点キャシィ姉さんだけ。

 この日はいろいろと計算違い、勘違いをした上に判断の誤りも加わり、あたしとしては珍しくも開演時間に遅刻してしまった。ルナサの1曲目はすでに始まっていた。この曲が終ってようやく客席に入れてもらえたが、客席は真暗だから、休憩、つまりルナサが終るまでは入口近くの空いている席に座ることになった。バルコニー席の先頭を狙ってあえてA席にしたのだが、チケットには3階とあった。この距離でステージを見るのは初めてで、これはこれで新鮮ではある。距離が離れているだけ、どこかクールにも見られる。いつもなら目はつむって、音楽だけ聴いているのだが、これだけ距離があると、やはり見てしまう。そのせいもあっただろうか。2曲目を聴いているうちに、ルナサも老いたか、という想いがわいてきた。

 あるいはそれは、遅刻したことでこちらの準備が整わず、素直に音楽に入りこめなかったせいかもしれない。ライヴというのは微妙なバランスの上に成りたつものだ。演奏する側がたとえ最高の演奏をしていたとしても、聴く方がそれを十分に受けとめられる状態にないと音楽は失速してしまう。そういう反応が一定の割合を超えると、今度は演奏そのものが失速する。

 3曲目のブルターニュ・チューンで少しもちなおし、次のルナサをテーマにしたアニメのサントラだといって、看板曲をやったあたりからようやく乗ってきた。このメドレーの3曲目で今回唯一の新顔のダンサーが登場して、かなりなまでに回復する。

 このダンサー、デイヴィッド・ギーニーは面白かった。アイルランドでも音楽伝統の濃厚なディングルの出身とのことだが、それ故にだろうか、実験と冒険に遠慮がない。華麗でワイルドで、一見新しい世代とわかるその一方で、その合間合間にひどく古い、と言うよりも根源的な、いわゆるシャン・ノース・スタイルの動作とまでいかない、空気がまじる。やっていることはマイケル・フラトリーよりもずっとアメリカンとすら思えるが、節目節目にひらめく色が伝統の根幹につながるようだ。だから新奇なことをやっても浮かない。とりわけ、ダーヴィッシュの前に無伴奏で踊ったのは、ほとんどシャン・ノース・ダンスと呼びたくなる。芯に何か一本通っている。

 その次のキリアンの作になる新曲が良く、ようやくルナサと波長が合う。そしてその次のロゥホイッスル3本による抒情歌で、ああルナサだなあと感じいった。あたしなどにはこういうゆったりした、ゆるいようでいてピシリと焦点の決まった曲と演奏がこのバンドの魅力だ。

 全体としてはメロウにはなっている。あるいは音のつながりがより滑らかになったと言うべきか。若い頃はざくざくと切りこんでくるようなところがあったのが、より自然に流れる感触だ。音楽そのもののエネルギーは衰えていない。むしろこれをどう感じるか、受けとるかでこちらの感受性の調子を測れるとみるべきかもしれない。

 休憩になってチケットに記された席に行ってみると、三階席真ん前のど真ん中だった。左に誰も来なかったのでゆったり見られた。狙っていた2階のバルコニー右側先頭の席は空いていた。

 後半冒頭、ギーニーが出てきて上述の無伴奏ソロ・ダンシングを披露する。無伴奏というのがまずいい。ダンスは伴奏があるのが前提というのは、アイリッシュに限らず「近代の病」の類だ。

 山岸涼子の初期の傑作『アラベスク』第二部のクライマックス、バレエのコンテストでヒロインの演技中伴奏のピアニストが途中で演奏をいきなり止める。しかしヒロインは何事もないようにそのまま無伴奏で踊りつづけ、最後まで踊りきる。全篇で最もスリリングなシーンだ。あるいは何らかのネタがあるのかもしれないが、有無を言わせぬ説得力をもってこのシーンを描いた山岸涼子の天才に感嘆した。

 クラシック・バレエとアイリッシュではコンテクストはだいぶ違って、アイリッシュ・ダンスには無伴奏の伝統があるが、踊る動機は同じだろう。

 歌や楽器のソロ演奏と同じく、無伴奏は踊り手の実力、精進の程度、それにその日の調子が露わになる。そして、この無伴奏ダンスが、あたしには一番面白かった。これを見てしまうと、音楽に合わせて踊るのが窮屈に見えるほどだった。

 ダーヴィッシュはさすがである。ルナサとて一級中の一級なのだが、ダーヴィッシュの貫禄というか、威厳と言ってしまっては言い過ぎだが、存在感はどこか違う。ユーロビジョン・ソング・コンテストにアイルランド代表として何度も出ていることに代表される体験の厚みに裏打ちされているのだろうか。

 そしてその音楽!

 今回は最初からおちついて見られたこともあるだろう。最初の一音が鳴った瞬間からダーヴィッシュいいなあと思う。ところが、いいなあ、どころではなかった。次の〈Donal Og〉には完全に圧倒された。定番曲でいろいろな人がいろいろな形で歌っているけれども、こんなヴァージョンは初めてだ。うたい手としてのキャシィ・ジョーダンの成熟にまず感嘆する。一回りも二回りも大きくなっている。この歌唱は全盛期のドロレス・ケーンについに肩を並べる。いや、凌いですらいるとも思える。そしてこのアレンジ。シンプルに上がってゆくリフの快感。そしてとどめにコーダのスキャット。この1曲を聴けただけでも、来た甲斐がある。

 ダンスも付いたダンス・チューンをはさんで、今度はキャシィ姉さんがウクレレを持って、アップテンポな曲でのメリハリのついた声。これくらい自在に声をあやつれるのは楽しいにちがいない。聴くだけで楽しくなる。この声のコントロールは次の次〈Galway Shore〉でさらによくわかる。ウクレレと両端のマンドリンとブズーキだけのシンプルな組立てがその声を押し出す。

 そして、アンコールの1曲目。独りだけで出てきてのアカペラ。

 ダーヴィッシュがダーヴィッシュになったのは、セカンド・アルバムでキャシィが加わったことによるが、40年を経て、その存在感はますます大きくなっていると見えた。

 とはいえダーヴィッシュはキャシィ・ジョーダンのバック・バンドではない。おそろしくレベルの高い技術水準で、即興とアレンジの区別がつかない遊びを展開するのはユニークだ。たとえば4曲目でのフィドルとフルートのからみ合い。ユニゾンが根本のアイリッシュ・ミュージックでは掟破りではあるが、あまりに自然にやられるので、これが本来なのだとすら思える。器楽面ではスライゴー、メイヨーの北西部のローカルな伝統にダブリンに出自を持つ都会的に洗練されたアレンジを組合わせたのがこのバンドの発明だが、これまた40年を経て、すっかり溶けこんで一体になっている。そうすると聴いている方としては、極上のミュージシャンたちが自由自在に遊んでいる極上のセッションを前にしている気分になる。

 アンコールの最後はもちろん全員そろっての演奏だが、ここでキャシィが、今日はケルティック・クリスマスだからクリスマス・ソング、それも史上最高のクリスマス・ソングを歌います、と言ってはじめたのが〈Fairy Tale of New York〉。アイルランドでは毎年クリスマス・シーズンになるとこの曲がそこらじゅうで流れるのだそうだ。相手の男声シンガーを勤めたのはケヴィン・クロフォード。録音も含めて初めて聴くが、どうして立派なシンガーではないか。もっと聴きたいぞ。

 それにしてもこれは良かった。そしてようやくわかった。中盤で2人が「罵しりあう」のは、あれは恋人同志の戯れなのだ。かつてあたしはあれを真向正直に、本気で罵しりあっていると受けとめた。実際、シェイン・マゴゥワンとカースティ・マッコールではそう聞えた。しかし、実はあれは愛の確認、将来への誓い以外の何者でもない。このことがわかったのも今日の収獲。

 最後は全員でのダンス・チューンにダンサーも加わって大団円。いや、いいライヴでした。まずは「ケルクリ」は見事に復活できた。

 キャシィ姉さんのソロ・アルバムを探すつもりだったが、CD売り場は休憩中も終演後もごった返していて、とても近寄れない。老人は早々に退散して、今度は順当に錦糸町の駅から帰途についたことであった。(ゆ)

05月29日・日
 合間を見て、Folk Radio のニュースレターで紹介されているビデオを視聴する。AirPods Pro は便利だ。

 まずはこのカナダはブリティッシュ・コロンビアの夫婦デュオ。新譜が Folkways から出るそうで、昨年秋、ブリティッシュ・コロンビアの本拠で撮ったビデオ2本。オールドタイムをベースにしているが、そこはカナダ、一味違う。旦那は使うバンジョーに名前をつけているらしく、歌の伴奏は「クララ」、インストルメンタルは「バーディー」。それにしても夫婦の声の重なりの美しさに陶然となる。新譜は買いだが、Bandcamp で買うと Folkways は FedEx で送ってくるから、送料の方が本体より高くなる。他をあたろう。

Pharis & Jason Romero - Cannot Change It All (Live in Horsefly, BC)



Pharis & Jason Romero - Old Bill's Tune (Live in Horsefly, BC)




 次に良かったのがこれ。
Lewis Wood - Kick Down The Door; Kairos (ft. Toby Bennett)



 イングランドのトリオ Granny's Attic のフィドラーのソロ・アルバムから。踊っているのはクロッグ・ダンシングのダンサー。クロッグは底が木製の靴で踊るステップ・ダンスでウェールズや北イングランドの石板鉱山の労働者たちが、休憩時間のときなどに、石板の上で踊るのを競ったのが起源と言われる。クロッグは1920年代まで、この地方の民衆が履いていたそうな。今、こういうダンサーが履いているのはそれ用だろうけれど。
 もうすぐ出るウッドの新譜からのトラックで、場所はアルバム用にダンスの録音が実際に行われたサウサンプトンの The Brook の由。
 ウッドはダンサーに敬意を表してか、裸足でいるのもいい感じ。
 Granny's Attic のアルバムはどれも良い。

Kathryn Williams - Moon Karaoke



 曲と演奏はともかく、ビデオが Marry Waterson というので見てみる。ラル・ウォータースンの娘。この人、母親の衣鉢を継ぐ特異なシンガー・ソング・ライターだが、こういうこともしてるんだ。このビデオはなかなか良いと思う。こういう動画はたいてい音楽から注意を逸らしてしまうものだが、これは楽曲がちゃんと聞えてくる。
 その楽曲の方はまずまず。フル・アルバム1枚聴いてみてどうか。


Tamsin Elliott - Lullaby // I Dreamed I was an Eagle



 ハープ、シターン、ヴィオラのトリオ。曲はハーパーのオリジナル。2曲目はまずまず。これもアルバム1枚聴いてみてどうかだな。

 今日はここまでで時間切れ。


%本日のグレイトフル・デッド
 05月29日には1966年から1995年まで7本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 California Hall, San Francisco, CA
 日曜日。「マリファナ禁止を終らせよう」運動ベネフィット・ボールと題されたイベント。シャーラタンズ共演。2ドル。開演9時。セット・リスト不明。

2. 1967 Napa County Fairgrounds, Napa, CA
 月曜日。DeadBase XI 記載。Project Hope 共演、とある。セット・リスト不明。
 Project Hope は不明。

3. 1969 Robertson Gym, University Of California, Santa Barbara, CA
 木曜日。"Memorial Day Ball" と題されたイベント。Lee Michaels & The Young Bloods 共演。開演8時。
 テープでは70分強の一本勝負。クローザー前の〈Alligator〉の後、1人ないしそれ以上の打楽器奏者が加わって打楽器のジャムをしている。ガルシア以外のギタリストがその初めにギターの弦を叩いて打楽器として参加している。途中ではガルシアが打楽器奏者全体と集団即興している。また〈Turn On Your Lovelight〉でも、身許不明のシンガーが参加しているように聞える。内容からして、この録音は05-11のものである可能性もあるらしい。
 内容はともかく、どちらもポスターが残っているので、どちらも実際に行われとことはほぼ確実。

4. 1971 Winterland Arena, San Francisco, CA
 土曜日。2ドル。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 4曲目で〈The Promised Land〉がデビュー。1979-07-09まで434回演奏。演奏回数順で11位。オープナー、クローザー、アンコール、第一部、第二部、どこにでも現れる万能選手。記録に残るものではこれが初演だが、The Warlocks 時代にも演奏されたものと思われる。原曲はチャック・ベリーの作詞作曲で1964年12月にシングルでリリースされた。キャッシュボックスで最高35位。1974年02月、エルヴィス・プレスリーがリリースしたシングルはビルボードで最高14位。The Band がカヴァー集《Moondog Matinee》に入れている。ジェリー・リー・ルイスが2014年になってカヴァー録音をリリースしている。その他、カヴァーは無数。

5. 1980 Des Moines Civic Center, Des Moines, IA
 木曜日。14ドル。開演7時。

6. 1992 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。23.50ドル。開演2時。
 第二部3曲目〈Looks Like Rain〉が異常に長く、終る頃、本当に雨が降ってきた。非常に良いショウの由。数えた人によれば、この5月、7本のショウで97曲の違う曲を演奏している。このショウだけでも、それ以前の6本では演奏しなかった曲を8曲やっている。ショウ全体では Drums, Space を入れて19曲。ニコラス・メリウェザーによればこの年のレパートリィは134曲。デッドはステージの上でその場で演る曲を決めている。つまり、いつでもその場でほいとできる曲が134曲だった。

7. 1995 Portland Meadows, Portland, OR
 月曜日。28ドル。開演2時。このヴェニュー2日連続の2日目。チャック・ベリー共演。前日よりも良いショウの由。(ゆ)

0214日・月

 スタッフのKさんから ICF中止の連絡。蔓延防止が0306日までになったから、ひょっとするとできるかも、とあえかな期待をしていたが、実行委員会の掲げる中止の理由を見ると納得する。何より、ダンスなどは密にならざるをえないし、フルート、ホィッスルなどはマスクはできない。3回目のブースター接種は遅々として進まず、PCR検査すらままならない。となると、オミクロン株でクラスターが発生する可能性を小さく見積ることはできない。さらに参加者は全国から来るわけで、長距離移動をすることになる。

 オンラインでミニ・イベントを計画しているとのことで、詳細後日。まあ、アイルランドの歴史などは実演は必須ではないから、むしろこのブログなどで複数回に分けて記事を書き、質問はコメント欄でやりとりすることもできるだろう。いつでも参照できるように残るから、その方がベターかもしれない。どうですかね。もちろん、そちらにはデッドの記事は載せません。ジェリィ・ガルシアは母方がアイルランド系だけどね。



##本日のグレイトフル・デッド

 0214日には1968年から1988年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA

 バレンタイン・デー祝賀。カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ共演。デッドが演奏し、CJ&F が演奏し、またデッドが演奏した。このデッドの部分の全体が《Road Trips, Vol.2 No.2》でリリースされた。CJ&F とデッドの後のセットが FM放送された。また、このショウの録音が《Anthen Of The Sun》で使われた。

 ここから3月下旬まで、カリフォルニア州内各地で演奏する。

 原始デッドの音楽が完成するのは翌年になるが、粗削りなところも含めて、唯一無二の音楽は確立している。熱心なファン、後にデッドヘッドと呼ばれる人たちがすでについていて、聴衆による録音も始まっている、というのもさもありなんと思われる。

 この頃はまだレパートリィも少なく、演奏そのものもそれほど多様多彩なスタイルや手法や表現語彙をもっているわけではない。繰返しも多い。にもかかかわらず、聴いて退屈することがない。一瞬たりとも目を離せない。すべてを聴きとるべく、耳をそばだててしまう。

 ガルシアのギターはリードはとるが、いわばフツーのロック・ギターの範疇で、後の限りなく溢れでてくるような美しく面白く耳がよじれるようなフレーズ、メロディはまだ聴けない。むしろ、レシュのベースの方がこの時点では器が上だ。アンサンブルを指揮しているのもレシュに聞える。〈Dark Star〉は6分の短かく、テンポの速い演奏で、それよりは〈The Eleven〉や〈That's It for the Other One〉、あるいは〈New Potato Caboose〉〈Alligator〉〈Caution〉などの曲でのジャムが面白い。ベースが主導している点でも、これも後にわっと出てくるジャズ・ロックよりもジャズ的でもある。しかし、ジャズではどんなにホットになった時でも、ここまでのアナーキーでエネルギーが迸る演奏にはならない。エレクトリック・マイルスが目指して届かなかったのは、この領域ではなかったかとすら思う。技術的には、たとえば《セラー・ドア》のバンドの方が遥かに上だが、ジャズではたとえフリーであっても、ここまで羽目を外すことは不可能なのだ。能力の問題ではなく、音楽への態度の問題ではないか。ジャズではどんなにフリーになろうと、ジャズをやる以上守ってしまう暗黙のルールではない、ルール以前の、前提の一種だろうか、意識せずに従うものがある。

 デッドは羽目を外しつつ、なおかつ、ある統一感、一体感が通っている状態になる。ソロの回しではなく、バンド全員が同時に参加しての即興であり、なおかつフリーではない。つまりデッドはジャズを演ろうとはしていない。ロックを演ろうともしていない。この時点でのロックは、「何でもあり」の段階だ。何がロックか、少なくとも演る方はあまり気にしていない。売れることはまだ二の次で、その前に、何か面白いこと、新しいこと、意識を変革することを演ろうとする。あるいはこの最後のもの、意識の変革が鍵だろうか。ジャズは基本的に自分たちを、社会を変えようとはしない。結果的に変えることはあっても、それが目的ではなく、現状の枠の中での自己実現をめざす。1960年代、ロックは社会を変えようとした。作家はなべてベストセラーをめざすのと同じ意味で、ロック・ミュージシャンはなべてヒットをめざした。その中でデッドはヒットによって社会全体を一夜にして一挙に変えるという手法はとらなかった。自分たちが演りたい音楽ができる環境を、ニッチを生みだそうとした。ロックはそのための手段だ。

 マイルスの音楽はあくまでも個人の音楽だ。デッドは音楽によってコミュニティを生みだし、デッドの音楽はそのコミュニティの、コミュニティによる、コミュニティのための音楽になる。だから、1980年代、デッドのショウは保守化したアメリカの中のバブルになる。その泡の中には60年代の精神が保たれた。そして〈Touch of Grey〉のヒットによってその泡が破裂すると、コミュニティの精神がアメリカ全土に散らばったのだ。その側面、副産物の一つとして、IT産業によるアメリカ経済の再生がある。

 だが、一方でデッドを守ってもいた泡が消えたことで、デッドは社会と直接対峙せざるをえなくなる。デッドの音楽はニッチのコミュニティだけではなく、社会全体が求めるものになる。その要求の大きさに、今度はデッド自身が潰された。

 このショウにもどれば、上に挙げた〈New Potato Caboose〉〈Alligator〉〈Caution〉はどれも明瞭なメロディをもたず、いくつかの決まりごとに従い、後は即興でやるようなスタイルで、ここにも現れる〈Spanish Jam〉のもう少しフォーマットが固まっているものだ。あるいはこれらはアシッド・テストでのアナーキーな即興の直系の子孫かもしれない。原始デッドの象徴的な曲だ。どれも1970年以降、演奏されなくなる。

 レシュと並んでピグペンの存在が大きい。元気でもあって、コトバがどんどん出てくる。声に力もある。こういう歌を聴いていると、アーカイブ録音の中から選んで、ベスト・オヴ・ピグペンを編んでみたくなる。もちろん、かれもまたデッドの中でこそ力を発揮できたので、デッド抜きには存在すら考えられないが、それでも、火が点いた時のピグペンは単身宇宙を支配する。惜しむらくは、その絶頂期が早すぎて、まっとうな録音があまり残っていないことだ。

 とまれ、これらの録音は原始デッドの最高の姿の一つを捕えたものとして、まことに貴重だ。


2. 1969 Electric Factory, Philadelphia, PA

 このヴェニュー2日連続の初日。セット・リストはテープに基き、おそらくは不完全。この年の典型的なもの。


3. 1970 Fillmore East, New York, NY

 このヴェニュー3本連続の最終日。早番ショウは1時間強。2曲目の〈Dark Star〉が2011年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、ドキュメンタリー《Long Strange Trip》のサントラでリリースされた。遅番ショウの3・5・6曲目〈Hard to Handle〉〈Dark Hollow〉〈I've Been All Around This World〉が《History Of The Grateful Dead, Vol. 1》で、オープナーの〈Casey Jones〉と、11曲目〈Dancing In The Street〉からクローザー〈And We Bid You Goodnight〉までが《Dick's Picks, Vol. 4》でリリースされた。遅番ショウは前半がアコースティック・セットで、〈Dancing In The Street〉からエレクトリック・セット。合計2時間10分強。

 公式リリースを聴くかぎり、こちらの方が前日より上と思う。アコースティックでの3曲もピグペン、ウィア、ガルシア各々のリード・ヴォーカルが各自持ち味を発揮する。エレクトリック・セットに入ると、ガルシアのギターがすばらしく、どの曲でも多様なフレーズを連発、というよりも無限と思われるほど絶え間なく流れだす。60年代とは様変わりしている。とりわけ、後半〈Not Fade Away〉や〈Caution〉での長いソロは、くー、たまらん。しかもそのガルシアのソロだけが突出するわけではないところがデッドの面白さで、ここはたとえばザッパのソロとは位相が対極にある。ガルシアのギターにからみつき、あるいは対峙して、他のメンバーもそれぞれに独自の演奏をする。ガルシアがまたそれに応じる。それが重なりあって、バンド全体が一体となって駆ける。〈Caution〉ではオルガンも参加し、これはピグペンのはずだ。このエレクトリック・セットは終始切迫感に満ち、ジャムはまるで崖っ縁を渡ってゆく感覚が続く。内側から溢れるエネルギーが否応なく崖っ縁を渡らせる。危ういスリルと落ちるはずのない安定感が同居している。〈Caution〉の後の〈Feedback〉がまたすばらしい。電気楽器本体のマイクをPAのスピーカーに向けて、故意にハウリングを起こさせるわけだが、ここではコントロールが効いていて、それまでの嵐のような演奏とは打って変わった静謐な世界。宇宙空間を渡りながら瞑想している気分。後の Space にも通じる美しい音響空間が現出する。こういうことをやる「ロック・バンド」は他に無い。そしてデッドはこの位相を不可欠の要素としてショウに組み込んでゆく。まるで、これが無いと本当には愉しくないんだよ、と言わんばかりだ。止めはまたもや途切れ目なく続けるアカペラ・コーラスの〈And We Bid You Goodnight〉。

 1970年はロックにとっては「驚異の年」だが、その中にあっても、この音楽はすでにジャンルを突き抜けている。


4. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 この会場5本連続の最終日。ゆったりとした、なかなか良いショウのようだ。

 この後はひと月休んで、0319日から春のツアーに出る。


5. 1988 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 開演8時。バレンタイン・デー・ショウ。マルディグラ記念でもあり、ドクター・ジョンが前座。第二部冒頭にブラジルの打楽器集団 Batukaje がマルディグラ・パレードをした。また Drums にハムザ・エル・ディンが参加。

 1980年代後半から90年代にかけて、デッドのショウでは、この日のドクター・ジョンのように、本来スターとしてメイン・イベントに立つべきミュージシャンたちが、嬉々として前座を勤める姿がしばしば見られる。(ゆ)


 実に久しぶりにアイリッシュ・ダンスのサイト Air の掲示板を覗いたら、『リバーダンス』のオリジナル・ビデオが YouTube に上がっているという書き込みがある。



 この書き込み自体今年の3月で、YouTube へのアップは2016年1月なので、まったく何を今さらではあるのだが、念のため、書いておく。

 これは明らかに最初に出た初演時の公式ビデオそのままで、テープでしか出ていなかったので、よくぞアップしてくれたと感謝にたえない。アメリカでは PBS で放映されたようで、これはその録画なのかな。

 マイケル・フラトリーが出ている唯一のビデオで、やはり彼のダンスは華がある。スケールが大きい。マリア・パヘスと絡み合うシーンはハイライトの1つだが、これが可能だったのはフラトリーだけで、プリンシパルがコリン・ダンに交替してからはこのシーンは消えてしまった。替わりに加えられたのが「タップの応酬」のシーンで、あれはあれでいいんだが、フラトリーとパヘスの「対決」はやはり並べられるものがない。

 もう1つ、これはアイルランド製作で、後のビデオのようなアメリカン・マーケット向けではない。つまり1つのカットが長いのである。おちついて見られる。

 その他にもモイア・ブレナック、デイヴィ・スピラーンが出ているのもこれだけだし、ゴスペル・シンガーのグループもここにしかいない。ロシアン・ダンスのチームもこの時がベストだと思う。

 1999年に初来日するまで、上演されている現地で見ることができた幸運な例外を除いて、われわれはこのビデオを「擦りきれるまで」見るしかなかった。しかし、まあ、何度見たことだろう。音楽ビデオでもそう何度も見ることはあたしはまず無いが、これだけは最低でも50回は見ている。そして何度見ても、冒頭、フィドルのリフに導かれて最初の集団のステップがじゃらんと鳴った途端、背筋がぞぞぞとする。続いての多人数のステップと、ビル・ウィーラン畢生の音楽が相俟って胸が熱くなる。一度集団が引っこむ入れ替わりにフラトリーが飛びだしてきて展開するソロの華麗さ。そして、その後、フラトリーを先頭に集団がずあああと出てきてのダンスのスリル!

 これはやはり歴史に残るパフォーマンスなので、こうしていつでも見られるようになったのはまことに嬉しい。ニューヨーク版やジュネーヴ版しか見たことがなければ、ぜひ一度はご覧あれ。(ゆ)

 先日リリースされて、この日の会場でも販売されていた『アイリッシュ・ミュージック・セッション・ガイド』で教えられたことの一つに「パーティーピース」というのがある。
 人の集まる場、セッションでもパーティーでも、そういう場で、参会者が求められて披露する芸である。別に特別なことは要求されない。つまり求められる芸の水準は高くなくていい。むしろ、あまりに高くては興醒めだ。ほんの少し、みんなをおっと思わせられればいい。ポイントはその人ならではの味があること、そしていつもまったく同じことを繰り返すこと。パディおじさんはそういう場ではいつも同じ小噺を繰り返して半世紀になる。死ぬまで同じ話を繰り返すだろう。

 今回のコンサートを見て、チーフテンズのコンサートはこのパーティーピースのひとつの極致なのだと納得したのだった。

 もちろん、そこで披露されている芸の水準はとびぬけて高い。というよりも、これだけの水準の芸を披露できる集団は、ジャンルを問わず、さらには音楽という枠をはずしても、世界でもそう多くはないだろう。

 一方でそこで披露されている芸は、いつも全く同じである。1曲披露した後、パディ・モローニが前に出てきてするアイルランド語の挨拶から、ケヴィン・コネフ、マット・モロイそれぞれのソロの曲目、フィナーレの方式、そこでのパディのいらついた仕種、そして大団円の観客を巻きこんでのダンスまで、毎回、変わることはない。そしてまさにそのことが、まったく同じ芸が毎回披露されること、しかもその質もまったく落ちることなく披露されることが、チーフテンズのショーの肝であり、すべてなのだ。

 我々はこれと同じ性格の芸を知っている。落語である。古典落語は、筋書はもちろん、言葉遣いまで、みな熟知している。暗誦できる人も少なくない。しかし、名人が語るとき、それは新鮮な体験となって、聞く者にカタルシスをもたらす。

 チーフテンズはそれを音楽でやる。個人と異なり、集団で毎回同じことをまったく同じく繰り返してなおかつ新鮮な体験をもたらすのは至難というより、不可能だ。グレイトフル・デッドはそれに近いことをやったが、あれは音楽の形態も、聴衆との関係も異なる。そこから新鮮さを引き出すためにパディ・モローニが開発した手法は、チーフテンズ本体の音楽は変えずに、それに様々な別の要素、カナダやスコットランドの音楽やダンスや、行く先々の地元のミュージシャンを加えて、変化をつける、というものだ。そのことが最も明瞭に現れるのはフィナーレだ。土台となる音楽を変えないことで、どんな形の音楽が来ても受け入れられる。アイリッシュのリールをはさんで、それぞれがソロをとる。そのソロはそれぞれにかけ離れている。それでいい。というよりも、それぞれがかけ離れていればいるほど、面白くなる。そして、そこで土台になる音楽は変わってしまってはいけない。どっしりといつも常に同じでなければならない。

 別の見方をすれば、チーフテンズのショーは音楽のコンサートではない。音楽を使ったエンタテインメントだ。全部体験するには1時間半かけることが必要なエンタテインメント。落語も5分で終ってはいけない。古典落語はやろうと思えば5分ですませられる。しかし、ああ、楽しかった、と感じるためには、ある長さの時間をかけることが必要だ。そして、個々の要素はおそろしく高い質は落とさずに、同じことを繰り返す。

 アイリッシュ・ミュージックを、それを知らない人びとに受け入れられるものにしようとしたとき、パディ・モローニが採用したのが、これまたアイルランド伝統のパーティーピースだった。伝統文化としてのパーティーピースはテレビジョンの到来によって廃れるが、究極のパーティーピースとしてのチーフテンズのショーは、生の、ライヴのパフォーマンス芸として、テレビ時代を生き抜き、インターネット時代にあってもなお新たな生命を獲得している。


 今回、あたしにとってとりわけ印象的だったのは、地元の、わが国のミュージシャンたちの存在感の大きさだった。すなわち、2度登場したコーラス・グループ、アノナとフィナーレで「サプライズ」登場した Lady Chieftains だ。このために、アリス・マコーマックの出番が減っていたのは、彼女のファンとしてのあたしには残念だった一方で、アノナとレディ・チーフテンズの演奏の質の高さをあらためて確認できたのは、何とも嬉しかった。しかもそれぞれに個性を発揮して、アノナはフィナーレで本来の中世・ルネサンスの歌謡を聴かせ、レディ・チーフテンズは、フィナーレで最も「アイルランド的」なアンサンブルを聴かせた。そのサウンドを、ショー全体で最も「アイルランド的」と感じたのは、あたしの贔屓目かもしれないが。

 今回は「アフター・パーティー」を見ることもできた。ここでもセッションをリードしていたのは、レディ・チーフテンズのフィドラー、奥貫史子氏で、タラ・ブリーンと並んでまったく遜色が無い。豊田構造さんとマット・モロイが並んでフルートを吹く光景もまぶしかった。ケヴィン・コネフが1曲うたい、ピラツキ兄も即席の板の上でワン・サイクル踊り、奥貫氏の発案で、アイルランド大使公邸でのレセプションでも披露した、ピラツキ兄弟、キャラ・バトラーと奥貫氏の4人でのフット・パーカッションがまた出た。

 しかし、何といってもパディ・モローニがホィッスルでセッションに参加したのは、今回最大の収獲だった。アイルランドでもこんなことはもう永年無いはずだ。あるいはかれの生涯最後のセッションを目撃したのかもしれない。ひょっとすると、これでセッションの楽しみを思い出し、またあちこちでやるようになる可能性も皆無ではなかろうが。

 外に出れば、冷たく冴えかえる冬空に満月。今年もなんとか気持ちよく年を送ることができそうだ。(ゆ)

 「アイリッシュ」ハープと銘打たれてはいるが、今回のゲストの二人はスコットランドからとはどういうわけだ、と言った不粋な人はたぶんいなかっただろう。ワークショップはレイチェル・ヘアのスコティッシュ・ハープ、ジョイ・ダンロップのスコティッシュ伝統歌謡講座、どちらも満員盛況。その成果は夜のコンサートで早速発揮されて、ジョイの披露したマウス・ミュージックで客席から声が合わされた。それも英語ではない、スコティッシュ・ゲール語、いわゆるガーリックでだ。教師も優秀なら、習う方も熱心に集中されていたのだろう。

 スコットランドへの露払いを、栩木伸明さんとともに村上さんから仰せつかったわけだが、どれくらいそれができたかははなはだ心許ない。もちろん栩木さんや村上さんのせいではなく、あたしの問題である。ご来場された方々には少しでもスコットランド音楽の面白さを感じていただけたら幸いだが、昨日の補足をこれからこのブログでもやる予定ではいます。話せなかったことはまだまだたくさんある。たとえば昨日はもっぱらインストルメンタルに話が傾いたけど、スコットランドはアイルランドよりもうたの比重が大きい。なによりロバート・バーンズという巨人の存在は、ほんの一言でも触れるべきだったので、終ってしまってから、それこそ「しまった」とホゾを噛んだのでありました。

 とはいえ、スコットランド音楽のすばらしさに触れるには、あたしなどが千万言を費すよりも、レイチェルとジョイの音楽を聴いてもらう方が遙かにいい。

 というよりも、彼女たちの音楽は、スコットランドと言わず、アイルランドと言わず、あるいはヨーロッパのどこと言わず、およそ今の伝統音楽の理想の形なのである。伝統音楽の最先端であり、かつ伝統音楽のコアに限りなく近い。英語の 'radical' には「過激な」と「根源的な」との、一見相反する二つの意味がある。この二つが実は同じものの二つの側面であることは、このことからもわかるけれど、レイチェルとジョイの音楽はまさに 'radical' そのものだ。

 二人は何よりもまずいま「旬」である。ミュージシャンとしてのキャリアから言えば、助走から最初の飛躍をして新たな段階に乗り、大きく花開いた時期にある。自分のやっていることの手応えを摑み、やることなすこと面白く、新鮮なエネルギーに満ちあふれている。

 それが最もはっきり現れていたのはレイチェルのハープの、ほとんどパーカッションと呼びたい響きだ。レイチェルがハープをがんがんはじく様は、指が肉ではなく、もっと遙かに強靭な物質でできているようにみえる。増幅などしていない、完全な生音のはずなのに、ホールの効果もあるのか、それまで出てきたどんなハープよりも、大きく明瞭に響く。坂上真清さんの金属弦よりも大きい。アイルランドに比べて、スコットランドのハープ奏者は一音一音明確に演奏する傾向があるが、その中でも際立ち、メロディよりもリズム、ビートが前面に立つ。

 リズムをはっきり押し出すのはスコットランドの性格の特徴と言えるかもしれない。われわれのレクチャーでも栩木さんが指摘されたが、マウス・ミュージックでも、スコットランドのものを聴くとその点がいやでもわかる。

 スコットランドにはウォーキング・ソング waulking song という、もともとは作業のためのうたが伝えられている。スコットランド西部、アウター・ヘブリディーズ諸島で特産のツイードの布地をテーブルに叩きつけて縮ませる作業の際、多人数でおこなう作業のタイミングを合わせるのと、退屈をまぎらわせるためにうたわれていたものだ。今は人が手で叩きつけることは、布地の生産のためにはおこなわれていないが、うたは独自の生命をもって生き残っている。帆船の作業歌だったシー・シャンティと同じだ。ちなみにこの作業はスコットランド移民の多いカナダ東部ノヴァ・スコシアのケープ・ブレトンにも伝わり、milling frolicks として残っている。実際にどんな作業かは YouTube などに動画がたくさんある。

 ウォーキング・ソングがとんでもなくカッコいい音楽になることを最初に示したのは、カパーケリーの四作め《SIDEWAULK》冒頭のトラックだった。以後、様々なミュージシャンたちが様々な形にアレンジ、展開し、ジョイも自身の録音でとりあげていることは、あたしらのレクチャーでも紹介した。

Sidewaulk
Capercaillie
Green Linnet
2015-12-27

 

 生演奏と録音は別物であることは承知しているが、こういううたを生で聴くとあらためてそのことを思い知らされる。活きの良さが違うのだ。これはもうどうしようもない。音楽というものの玄妙さとしか言いようがない。これを味わえただけでも、このライヴを見た甲斐があった。

 ところがだ。ハイライトは別にあった。スコットランドのうたで最も美しいうたはまず例外なく哀しいうただと言ってジョイがうたいだした。レイチェルのハープもここでは打楽器的な性格を抑える。そうするとこの人のハープはそれはそれはリリカルになる。

 スコットランドのメロディはアイルランドのものよりも起伏が大きい、とあたしは思う。音が飛躍する、つまり急に低く沈んだり、高く跳んだりもする。これがはまると、聴いていてなにと名付けようもないもので胸がいっぱいになってくる。ガーリックでうたわれる言葉の意味などまったくわからないのに、うたにこめられた深い感情が聴く者の中にあふれだす。

 たぶん哀しいのだ。どこまでも哀しい。その哀しさのどこかに光、とまではいえない、ほのかな明るさが滲みだす。希望まで固まらない、その種のようなもの。むしろかすかな祈りだろうか。しかもその何かを感じていることの幸福感も確かにある。人はこれをカタルシスと呼ぶのかもしれない。

 人の声とハープの響きだけで織りなされる綾織りは、なにかひとつでもそこに加われば汚れてしまうような豪奢な美しさに満ちる。

 レイチェルはふだんダブルベースとギターとのトリオで活動しているが、昨夜はその二人の代わりにトシバウロンが1曲参加した。これが良かった。トシさんも実に様々な相手と実に様々なシチュエーションで共演する経験を重ねていて、ハープを相手にするコツも完璧にモノにしている。ベースとギターの代役というよりも、新しい形を作っていた。傍で聴いていたジョイが、あなたたち二人でツアーしなさいよ、と言っていたのも道理だ。

 コンサートでは主催者の村上淳志さん、hatao & nami坂上さん、そしてトリがレイチェルとジョイという演目で、それぞれに個性豊かで、いわばよくできた幕の内弁当をいただいたようだ。それぞれは短いのに、充実しているのである。

 昨夜のサプライズはしかし、3番目に出たもう一人の主催者、木村林太郎さんの「秘密兵器」Anona だった。木村さんのハープにチェロ、ヴァイオリン、バゥロン、それに1曲イルン・パイプが入る。ここまではまあそう驚くことではないが、これに男女総勢20人だろうか、コーラスが加わった。全員が黒一色の衣裳にそろえ、MCとか説明を一切省いたミニマルな進行、うたはすべてラテン語(に聞えた)でレチタティーボを含むクラシックの唱法による音楽はアヌーナに対する、木村さんたちのオマージュというよりは挑戦だろう。昨夜はひとつの組曲として提示されたが、より拡大された形を、別の機会に聴いてみたい。

 今年で3回目になる「東京アイリッシュハープ・フェスティバル」は、ミュージシャンたち自身が企画から設営、運営、進行まで担当した、手作りそのもののイベントだ。リハーサルの時間もまともにとれないなかで、そうした苦労も楽しんでおられるように見える。これまで東京、大阪、東京と来て、来年はまた大阪での開催を予定されているそうだが、これならこちらも時間とカネを作って行くだけの価値はある。

 レイチェル・ヘアとジョイ・ダンロップはフェスティバルとは別に、今週末、伊丹と東京でワークショップとコンサートがある。今度は二人だけのフル・コンサートで、二人の音楽に思うさま浸れるだろう。ジョイは、アンコールでちょっとだけ披露したダンスももっと見せてくれるはずだ。東京は nabana がオープニングを勤めるから、そちらも楽しみだ。

  フェスティバルを企画・運営された村上さん、木村さんはじめ関係者の方々、レイチェルとジョイを招いたトシバウロン、それに、つたないあたしの相手を勤めてくださった栩木伸明さんに心から感謝する。ありがとうございました。(ゆ)

 2番目にダーヴィッシュのメンバーが出てきたとき、反射的に浮かんだのは、うわあ、みんな年とったなあ。キャシィ・ジョーダン以外は全員頭が真白。例外は最年長ブライアン・マクドノーでほとんど頭髪がない。

 無理もない。かれらももうそろそろ四半世紀やっている。マクドノーは70年代からやっている。こっちだけが年をとっているわけでもない。もっとも、その後のアルタンの方が一見若く見えたのは、ダーヴィッシュの若い頃を見ていて、しかもその間をほとんど見ていないからだろう。さらに、かれらの前に出たウィ・バンジョー3が若かったせいもある。

 そのウィ・バンジョー3のショーマンぶりに煽られたか、演奏そのものに老化現象はかけらもない。むしろ、うまさの点では、やはりダーヴィッシュに一日の長がある。それは単純にテクニックが上ということではない。うわべだけのうまさではない、音楽の本質に深くわけ入り、楽曲の美しさ楽しさエネルギーを、より生に近い姿で取出し、放っている、という感じがある。聴いているこちらのカラダの奥に直接届くように思える。

 その点はアルタンも同じで、この2つをこうして続けて聴けるのは、ケルクリならではの恩恵だ。2つのバンドの相似と相違が鮮やかにわかる。

 ケルクリならではといえば、アンコールでマレードとキャシィが並んで〈きよしこの夜〉をうたうのを見て聴けたのは、あの時あの場にいた者だけだろう。あたしにとってはこれがハイライトだった。マレードのアイルランド語版もすばらしかったが、キャシィがおなじみの歌詞をあの独特の節回しでコブシをまわし、ちょっと不思議な音程を延ばしてうたったのには背筋がぞくぞくした。ダーヴィッシュに対する唯一の不満は、おかげでキャシィがソロを出さないことだ。

 こちらも久しぶりに見る(マレードは6年ぶりと言っていた)アルタンは、これまたよく見ればみんな年をとっている。マレードは不思議に年齡を感じさせないが、キアラン・カランはたしかあたしより少し上のはずで、椅子にすわっている(ダーヴィッシュの男性は全員立っていた)。が、それよりも老人の顔になっていたのはキアラン・トゥーリッシュだ。なんか、滑舌もよくないんじゃないか。と思ったのは、あたしの耳がおかしいのだろうが、全体の姿はカラン以上に年を感じさせる。ダヒィ・スプロールの方がトゥーリッシュより年上のはずだが、真白な頭の割りには年齡を感じさせない。

 音楽は成熟そのもので、若いアコーディオン、それもピアノ・アコーディオン奏者が入って、サウンドがより立体的になっていた。この蛇腹奏者はキアラン・トゥーリッシュの従弟だそうで、このあたりは伝統の厚みじゃのう。それにしても、マレードの声がまた不思議で、あの《北の調べ》で聴ける声と全然変わらない。

 今回の眼玉は先頭に出たウィ・バンジョー3であるわけだが、アイルランドからこういうバンドが出てきたことはあたしなどにはたいへん面白い。そのエンタテイナーぶりは他の追随を許さないところがある。全盛時のチーフテンズなら対抗できただろうか。もっともその動機となると、チーフテンズとは対極にあるようにあたしには思える。

 もちろんチーフテンズとは天の時も地の利も違うので、単純に比べるのはどちらに対しても失礼ではある。ウィ・バンジョー3は今のアイリッシュ・ミュージックのステイタスを前提にしているので、まったく何も無いところから開拓したチーフテンズの業績に載っかっているともいえる。一方でチーフテンズの手法や姿勢をよく研究して、チーフテンズのやり方を21世紀にふさわしい形でエミュレートしてもいる。MCを全部日本語でやってのけたのは、その証の一つではある。

 ウィ・バンジョー3がチーフテンズの単なるフォロワーになっていないのは、かれらにはやってみたいことがあり、それを実現するため、自分たちの実験を受け入れられやすくするためにエンタテイナーに徹しているところと、あたしは見る。その実験とはアイリッシュ・ミュージックをブルーグラスのスタイルで解釈し、それによって使用するリズムをより多様に、より自由度の高いものにしようとすることだ。ジグやリールの曲の「姿」はそのままに、ビート感を変えてゆく。

 ジグやリールは単に8分の6拍子とか4分の4とかいうだけではない。それぞれにある型、メロディや構造にあるパターンがある。あるいは自然にそうなっている。

 そこでかれらはジグやリールや、あるいはポルカやスライドといった伝統的なリズムから脱出しようとしている。しかもなおアイリッシュ・ミュージックとしても聴けるようにしながら、だ。レゲエのようなまったく別のリズムにのせることはこれまでも多々ある。ウィ・バンジョー3がめざしているのはそうではなく、もっと本質的で難しいが、成功すればはるかに面白い試みだと思う。

 そして、あるレベルまでは来ているとも見える。しかし、それを真正直にやってしまうと、当然反発が大きい。伝統とはそういう風に働く。そこでエンタテインメントとして提示する。リスナーを巻き込む。お祭りにしてしまう。

 まあ、30分ほどのステージを見ただけだから、これはほとんど妄想に近いかもしれないが、いくらかでも当たっているならば、ここまで徹底的にやろうとしたバンドはこれまでに無い。アイリッシュ・ミュージックの遊び、音楽的な遊びの面をここまで前面にうちだした音楽家たちはいなかった。

 かれらはその気になれば、ごりごりの伝統音楽もできる。あたしはエンダ・スカヒルしか聴いたことはないが、他の3人もおそらく伝統音楽家として十分以上の実力があるはずだ。だからこそ、こういう遊び、実験を思いつき、実行することができる。

 あれが十年も二十年も続けられるとは思えないが、しかし実験をエンタテインメントにしてしまうあの姿勢が続けられるならば、とんでもないものが生まれてくることも期待できる。ウィ・バンジョー3にはチーフテンズをただ継ぐのではなく、その先へ、大胆で楽しい実験による伝統音楽の刷新へ突き進むことを期待する。

 おなじみピラツキ兄弟のダンスにも一層年季が入って、かれらのダンスは見ていて本当に楽しい。タップだけでなく、あの脚の動きをあそこまで合わせるのは凄い。今回、たまたま席が左手二階バルコニーの先頭という面白いところで、ここはステージを間近に見下ろせる。おかげでかれらの脚の動きがよく見えたのはラッキー。ここには前から一度座ってみたかったので、この点でも満足。

 それにしても、トリフォニー・ホールは三階席まで満員。アルタンの新譜は早々に売り切れ、終演後のサイン会は長蛇の列。アイリッシュ・ミュージックもここまできたか。それともケルクリは特別なのか。いずれにしてもめでたいことではある。会場では来年のケルクリのチラシも配られていた。2016年12月3日(土)。ミュージシャンはシャロン・シャノン、チェリッシュ・ザ・レディース(ついに!)、ドリーマーズ・サーカス。最後のはデンマークの新進。おもしろいよ。

 今年は忙しい。ケルクリでは終らない。自分がかかわるイベントが2つあるし、行くことが決まっているライヴは3本。さらに1、2本増えそうだ。ウィ・バンジョー3にどんと背中をどやされた気分。(ゆ)

執筆はリズ・ドハティ Liz Doherty**。すばらしいフィドラーで、音楽学の博士号も持つ。University of Ulster で講師。Companion 中に独立項目あり。
    
    ホーンパイプはまず楽器名であって、十三世紀まで遡るダブル・リード楽器。スコットランドとウェールズに史料があるそうな。ウェールズでは pighorn と呼ばれた。
    
    ダンスとそのための音楽としては18世紀半ば、おそらくはイングランドから入る。『ポパイ』の主題歌として、おそらく世界一有名なホーンパイプ〈Sailor's hornpipe〉に象徴されるように、船乗りが関係していたらしい。
    
    航海中の娯楽としてダンス伴奏のためにフィドラーないしフィドルの弾ける船員がたいていの船には乗っていたそうな。ミュージシャンを乗せるのがいつ頃から始まったかは知らないが(乞御教示。トロイアに押し寄せたギリシャの軍船にミュージシャンは乗っていたっけ?)、船と音楽の結びつきは強い。客船や商船はもちろん、漁船(特に捕鯨のような遠洋漁業の船)、軍艦にだってミュージシャンは乗っていた(ペリーの「黒船」にも専業の楽隊が乗っていた)。大西洋航路はひと頃、アイリッシュ・ミュージシャンにとって稼ぎどころだった。
    
    ダンスとしては当初はソロ・ダンスで、ダンス・マスターのショー・ピースとして踊られた。床を強く叩いてアクセントを強調するので、男性専用とされたそうな。いまでは、セット・ダンスでも踊られる。
    
    ここでは触れられていないが、ホーンパイプは一拍めと三拍めを強調するビートだけでなく、メロディにも特徴があることは、茂木健が以前指摘している。メロディも「跳ねる」、つまり高低によく跳ぶのが多い。リールをゆっくり演奏するとホーンパイプになるとも言われるけれど、リールではメロディの高低への変化は連続的なことが多いから、どんなリールでもゆっくりにしてアクセントをつければホーンパイプになるとはかぎらない。
    
    このメロディの特徴から、ホーンパイプの演奏に最も適しているのはホイッスルやパイプと思う。とりわけホイッスルで、ぼくが最初にホーンパイプの面白さを教えられたのも、ヴィン・ガーバット Vin Garbutt のホイッスルだった。ガーバットは北イングランド出身のシンガー、ギタリスト、ソングライターだが、母親がアイルランド生まれで、地元のアイリッシュ・コミュニティに入り浸り、そこでホイッスルを覚え、鍛えられた。ここの記事でもホーンパイプの現代の作り手として、ニューカッスルの James Hill という人が特記されているから、北イングランドではホーンパイプが愛好されているのだろう。
    
    それから、最近のアイリッシュ・ミュージックのファンはあまり聴かないかもしれないが、フェアポート・コンヴェンションの《FULL HOUSE》収録〈Flatback capers〉では、〈Carolan's Concerto〉をみごとなホーンパイプとして演奏している。ちなみにメドレーの個々の曲は

Miss Susan Cooper
The Friar's Britches/Frieze Breeches
The Sport Of The Chase
Carolan's Concerto

 以下のビデオは当時のものだが、〈The Friar's Britches〉が抜けている。なお、ここでは普断はベースのペッグがスウォブリックとともにマンドリンで、ベースはニコルが弾いている。念のため。(ゆ)

オープンしていました。

    興味深いのはコラムのコーナーで、これまで共演したり、関ってきたミュージシャンたちについて書いていくとのことで、城田さんにしか書けない話が読めるのでは、と期待します。
    
    サンフランシスコの The Stars and The Plough には想い出があります。もう15年前になりますが、サンフランシスコのケルティック・ミュージック・フェスティヴァルに一度だけ行ったことがあります。ドーナル・ラニィのバンド、クールフィンが2日間のトリを勤めるというので、プランクトンのKさんの誘いにのって、週末、金曜発ちの火曜帰りという強行軍で行きました。この時にはドーナルたちの他にも、キーラも出ていましたし、ポール・オショーネシィ、ブレンダン・ベグリーたちのビギニッシュや、ルナサのショーン・スミスの妹のブリーダ・スミス(ホイッスルがすばらしかった)が属していたラホーンズ、ケープ・ブルトンのウェンディ・マクアイザック&ジャッキィ・ダンなどもいました。もっとも何といっても凄かったのは、初めて見たマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルのライヴではありました。
    
    たしかその二日目の晩、セッションがあるというので、 The Stars and The Plough にでかけました。セッションは「客演」のポール・オショーネシィが引張るかたちで、周囲の常連らしい人たちはオショーネシィが次から次へと繰り出すチューンが知っていると加わり、知らないときははずれる、という感じ。初老の男性がホイッスルでひとり互角に渡りあっていたのが印象的でした。
    
    セッションが始まってしばらくしてから、となりに座っていた若い女性がやおらアコーディオンを持ち出して加わりました。ジョセフィン・マーシュでした。べろんべろんに酔払っていて、大丈夫かいなと思って見ていたら、いざ演奏しだすと酒が入っている気配も見せません。あるいはいつもあんな様子なのか。
    
    その時には城田さんがこのパブでのセッションの常連とも知らず、というよりそもそも城田さんがアイリッシュのギターを弾いていることすら知りませんでした。 城田さんがあそこのセッションに通っていたのは、おそらくその少し前の時期と思われますが、一度現場を見たかったことであります。
    
    城田さんのギターは内藤さんとデュオでやるようになって、また1枚剥けたように思います。数多くの名手、天才と共演してきた城田さんが、この子にはそうした人たちと肩を並べるだけのものがある、と感じただけあって、内藤さんにも城田さんを刺戟するものがあるのでしょう。
    
    城田さんも言うように、ギターはアイリッシュ・ミュージックにあっては「はぐれ者」のところがあります。おそらく永遠に、とまではいかなくとも、当分の間は「はぐれ者」のままでしょう。だからこそ、ギターのアイリッシュ・ミュージックへの貢献は、他の楽器にはできないところがあります。他の楽器にはできない角度からアイリッシュ・ミュージックの面白さを浮き上がらせてくれます。
    
    城田さんのこのコラムからもそうした貢献、面白さが味わえるのではないか、とすでにアップされている記事を読むと思います。ギタリストだけでなく、他の楽器の演奏者にとっても、また演奏者だけでなく、リスナーにとっても、様々なヒントやインスピレーションの元が鏤められているはずです。(ゆ)

手引二番めの項目はゴールウェイの音楽訓練プログラム。執筆は編集部。

    1999年に発足したこのプログラムは政府の Community Employment Scheme のもとに、長期失業対策として実施されているそうな。失業対策に職業訓練をするのは常套だが、その「職業」に音楽も含めるのは「音楽の国」アイルランドならではかな。

 とはいえ、伝統音楽中心、というわけではなく、伝統音楽は補助コースのうちの演奏技術のオプションのひとつで、イーリシュ・オコナー  Eilish O’Connor がコーディネーター。ラウズ出身で、ゴールウェイ南部キンヴァラ近郊に住むフィドラー。あ、フィドルの方のジェリィ・オコナー Gerry O'Connor の姉妹じゃないか。ソロ録音《SUGRU/》は良かった。聴き直そう。

 メインのコースには歌唱や楽器演奏だけでなく、楽理、サウンド技術などがあり、補助コースにはアレクサンダー・テクニーク入門や起業もある。アレクサンダー・テクニークというのはちょと面白そうだ。(ゆ)

手引本文最初の項目は「ア・カペラ」。元はラテン語で「礼拝堂様式で」という意味。楽器伴奏無しの歌唱すなわち無伴奏歌唱のこと。執筆は編集部、つまりフィンタン・ヴァレリー。
    
    ア・カペラというとア・カペラ・コーラスと思ってしまうが、ソロ歌唱もア・カペラと呼ぶ。シャン・ノース歌唱がそうだし、ブリテンの英語のバラッド歌唱も基本は無伴奏だ、とヴォーン・ウィリアムスも言っている。
    
Prince Heathen    ソロのア・カペラの凄さを初めて実感したのはマーティン・カーシィだった。スウォブリックとの第一期デュオの最後の録音《PRINCE HEATHEN》の〈Little Musgrave & Lady Barnard〉。9分を越えるカーシィの無伴奏歌唱はまったくの不意打ちだった。はじめはあっけにとられ、いつ伴奏が加わるのかと待っていたが、いつまでたっても声だけ。やがて、どうやらこれは最後まで伴奏はないらしいと覚ってたじろぐ頃には、その声に完全に圧倒されていた。別に声を張り上げるわけでもなく、目一杯力瘤を作るわけでもなく、ただただ坦々と淡々と、ある悲喜劇を微に入り細を穿って語っていく。らしい。その頃は歌詞を聞き取れるはずもない。ただ、フェアポートがやっているこのバラッドのアメリカ版〈Matty Groves〉で、話の筋だけは知っていた。茫然とするうちに、感傷などカケラもない、いや感情さえも排した歌唱に、だんだんと引き込まれていった。同時にどこにも余計な力の入っていないその声が、スピーカーから風となって吹きつけ、体が後ろに持っていかれそうになっていた。
    
    アイリッシュやスコティッシュを聴きだしてかなり経っても、器楽のソロや伴奏無しのメロディ楽器だけのデュオの録音にはどこかなじめずにいたが、ソロ・ア・カペラの録音に出逢うとむしろ喜び、繰り返し聴けた。それはたぶん、このマーティン・カーシィの歌唱との邂逅が洗礼であったおかげではないか、と思う。
    
    アイルランドのうたとの出会いはクリスティ・ムーア、アンディ・アーヴァイン、ポール・ブレディであったから、ア・カペラといえばかなり長い間、ソロもコーラスもブリテン、それもイングランドがほとんどだった。ブリテン群島でア・カペラ・コーラスをうたうのが最も好きなのはイングランド人だろう。ウェールズが僅差で続き、だいぶ離れてスコッチ、そしてアイリッシュ。アイルランドのア・カペラを初めて意識したのは、ドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーの《BROKEN HEARTED I'LL WANDER》に入っているアイルランド語のマウス・ミュージックだった。
    
    この記事でアイルランドのア・カペラ・コーラスの例として挙げられているヴォイス・スクォド The Voice Squad を初めて聴いたのは、《ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム-アイリッシュ・ソウルを求めて》のビデオだったし、フォールン・エンジェルズ The Fallen Angels にいたっては2ndの《HAPPY EVER AFTER》1998 が最初だ。CITM のそれぞれの項目によれば、どちらも1980年代末に活動を開始している。ヴォイス・スクォドはイングランドのコッパー・ファミリー、ウォータースンズの影響が濃いが、これはフィル・カラリー Phil Callery が持ち込んだもの、とある。
    
    カラリーのインスピレーションの源にはスカラ・ブレイ Skara Brae も挙げられていて、そういえばかれらや初期クラナドの録音にもア・カペラのトラックがあるはずだが、印象は薄い。どちらも伴奏ありの記憶しかない。
    
    今はアヌーナがいるし、ドニミク・マク・ギラ・ブリージェ率いるドニゴールの Cor Thaobh A' Leithid もある。

    これをお手本として、《CELTSITTOLKE~関西ケルト/アイリッシュ・コンピレーションアルバム》でミホール菱川さんをリーダーにアイルランド語でア・カペラ・コーラスをやったのは快挙だ。Vol.2にはこれが無いのがちょと寂しい。
    
    1920〜30年代にアメリカで流行った男声カルテットによる甘いア・カペラ歌唱を英語で “barbershop (quartet)” 、というのは今回初めて知った。わが国では床屋の客たちは「政談」をするが、アメリカではうたうらしい。(ゆ)

Companion to Irish Traditional Music    COMPANION TO IRISH TRADITIONAL MUSIC, ed. by Fintan Vallely, 2nd Edition を頭から読んでゆく、そのご報告。まずは編者から。

    フィンタン・ヴァレリーさんはフルート奏者であり、研究者であり、ジャーナリストでもあります。フルート奏者としてはアルバムが3枚ある他、チュートリアルも出しています。研究者としては「21世紀アイルランドでフルートはどこに向かうか」で博士号を取得しています。ジャーナリストとしては、Irish Times、Sunday Tribune などに記事やレヴューを寄稿し、『アイルランド百科事典 The Encyclopedia of Ireland』の伝統音楽の項目を担当しています。
    
    著書としてはこれまでに、
    
01. 1998, Blooming Meadows: World of Irish Traditional Musicians, with Charlie Piggot & Nutan
    伝統音楽ミュージシャンたちの肖像
02. 2002, TOGETHER IN TIME
    アントリムのフィドラー John Kennedy についてのモノグラフ
03. 2008, Tuned Out: Traditional Music and Identity in Northern Ireland
    主にノーザン・アイルランドのプロテスタントとアイリッシュ・ミュージックとの関係をさぐったもの。
04. 2008, Sing Up!: Irish Comic Songs & Satires for Every Occasion
    諷刺歌集
05. 2011, Ben Lennon - the Tailor's Twist: Ben Lennon's Life in Traditional Irish Music
    リートリムのフィドラーの写真とかれについての文章
    
があります。

 手元には01と03がありますが、01は大判の美しい本。伝統音楽の演奏で名の知られた人びとはみな良い顔をしてます。一家に一冊本のひとつ。

 03は正面きってとりあげられるのは珍しいテーマ。ノーザン・アイルランドのプロテスタントの音楽というと、夏の「行進シーズン」でめだつ、ファイフ&ランベグ隊がまず連想されます。が、1950年代まではカトリックにまじって普通にアイリッシュ・ミュージックを演奏したりしていたのだそうです。ノーザン・アイルランドで抑圧されてきたカトリックの権利回復運動が立ち上がるのと、どうも歩調を合わせて、伝統音楽から離れてゆくらしい。カナダ人 David A Wilson の Ireland, a Bicycle and a Tin Whistle(1995、『アイルランド、自転車とブリキ笛』で邦訳あり)には、ベルファストのプロテスタント向けパブで、ミュージシャンだとわかった著者がポップスをうたえと迫られるシーンもあります。そのあたりも含めて、アイリッシュ・ミュージックとノーザン・アイルランドのプロテスタントたちの関係をさぐったもの、らしい。実はまだ積読。

    フルートは1960年代から始め、70年代、80年代はプロとしてスコットランド、英国、イングランドをツアーしていました。録音は次のもの。
    
01. 1979, IRISH TRADIITONAL MUSIC
02. 1992, THE STARRY LANE TO MONAGHAN
    with Mark Sinos (guitar)
03. 2002, BIG GUNS AND HAIRY DRUMS
    with Tim Lyons (vocal)
    
    いずれもCDで入手可能。アマゾン・ジャパンではやけに高いですが、Claddagh Records で普通に売ってます。ちなみに Claddagh で買うと、消費税分が表示価格から引かれるます。額は送料とほぼトントン。ぼくも持っていなかったので、注文しました。
    
    01はクラダのサイトの説明によると、アメリカに滞在中に録音したもので、LPとして1984年にリリースされたもの。02のマーク・サイノスもアメリカのギタリストとしてジョン・ドイルやドーナル・クランシーと肩をならべる人。かれらよりも一世代上です。01にも参加。03のティム・ライオンズ (1939-) はコーク出身のすぐれたシンガーでアコーディオン奏者。CITMに項目がありますので、そこへ来たときにあらためて。この03ではフィンタンさんは自作のうたをうたっているらしいです。いずれもクラダのサイトに詳しい説明があります。
    
    また1996年から2003年にかけて開かれた The Crossroads Conference のオーガナイザーの一人でもありました。ちなみに他のオーガナイザーはハミィ・ハミルトン、エンヤ・ヴァレリー、リズ・ドハティ。この会議からは書籍も生まれています。ぼくの手元にあるのはCrosbhealach an Cheoil - the Crossroads Conference, 1996: Tradition and Change in Irish Traditional Musicで、テーマは伝統を「守る」ことと「革新」とをどう考えるか。
    
    以上、裏表紙折り返しのソデにある編者紹介の要点。


    この表紙の絵がとても面白い。Daniel Maclise (1806-70) という人の "Snapp Apple Night" (1833) という絵の由。絵は裏表紙まで続いています。全体はこちら。カヴァーに使われているのは、このうち上4分の1ほどを切り落とした残りの部分です。

    "snap night" というのはハロウィーンのイングランドでの別名、だそうです。

    絵の右手手前、水を張った桶にリンゴが浮かんでいて、少年が手を使わずにこれをとろうとしているらしい。これが「スナップ・アップル」。上記サイトの説明では糸で吊るしたリンゴを食べる形が紹介されてます。
    
    一番右手にイルン・パイパーが座っています。ビールを飲ませてもらってます。その後ろにフィドラーとフルーティストが立ってます。さらにその上にタンバリンが見えます。ただ、このタンバリンは実際に打っているのかはわかりかねます。
    
    ミュージシャンたちの前で男女のカップルが踊ってます。こちらを向いている男性が右手に棒のようなものを掲げてます。表紙ではここに字が重なってよくわかりませんが、あるいはフルートのような楽器か。
    
    という風に見ていくと興味が尽きません。とりわけ気になるのは、左手奥の影になったところに固まっている男たちで、この絵全体がなにかの寓意を意図しているようであります。
    
    それにしても初版の表紙もイルン・パイパーの絵でしたし、アイリッシュ・ミュージックにおけるこの楽器の重要性の現れとも言えそうです。まあ、フィンタンさん自身、パイプもやるそうなので、そのせいもあるのかも。もっとも序文によれば今回楽器の中で最も力が入って、分量も多いのはハープについての記事だそうです。(ゆ)

Companion to Irish Traditional Music    表紙にはふつう付いている "A" がありませんが、編者の序文では "The" が付いてます。伝統音楽だけではなく、クラシックやポピュラーも含む Companion to Irish Music も編集が進んでいると聞きますが、伝統音楽に関しては他に二つとない決定版です。
    
    ほぼB5判のハードカヴァー。本文761ページ、伝統音楽関連年表7ページ、18世紀から今年までに刊行された伝統音楽関連文献リスト32ページ、索引32ページ。それ以外に巻頭に編者序文、謝辞、凡例、執筆者リスト、その略号などが22ページ。計854ページ。
    
    文献リストは楽器別、分野別の詳細なもので、いやあ、これはありがたい。
    
    ディスコグラフィがありませんが、これはネット時代の現在、不要と判断したと編者が序文に述べています。個々のミュージシャンの記事の中で代表的なものはあげられています。本とちがって、録音は物理的に店頭で買う形はもはや余計なものだ、という編者の判断はまったく当然。
    
    もちろん活字とて本だけですむはずはないので、サポート・サイトも作るそうです。活字のリファレンスとしては、これが最後の版になるのではと推測します。第三版以降があるとすれば、それはネット上でのものでしょう。
    
    表紙にうたわれている数字によると、主な記事1,800、普通の記事4,000、写真、図版が300枚。
    
    執筆者は200名超。必ずしも学者ばかりではなく、ジャーナリストやマーティン・ヘイズやモイア・ニ・カハシー、ミック・モローニ、ポゥドリギン・ニ・ウーラホーンなどのミュージシャンもかなりな数にのぼります。記事はいずれも署名付きで、イニシャルで示されています。無署名のものは編者によるもの。
    
    編者フィンタン・ヴァレリーの序文によれば、この第二版は初版の五割増し、50万語超といいますから、400字詰原稿用紙換算で5,000枚超。ふつうの文庫版なら10冊分以上です。
    
    楽器、スタイル、歴史、現状、ミュージシャンなどはもちろん、アイルランド本土は各州ごとの概観もあり、またブルターニュ、スコットランド、ウェールズ、マン島、ケープ・ブルトン、ニューファウンドランド、オーストラリア、カナダ(前の二つ以外の、という意味かな)についてもカヴァーしています。特にブルターニュについては質量ともに力を入れたそうな。フランス、デンマーク、ノルウェイ、フィンランド、ドイツにおけるアイリッシュ・ミュージックもとりあげています。そしてもちろんアメリカはまた別。
    
    そう、日本も独立項目があります。東京と西日本、経済と見出しが立てられてます。執筆は山下理恵子さんと山本拓史さん。この記事には2000年にゴールウェイでバスキングしている3人の日本人ミュージシャンの写真があります(367pp.)。左からバゥロン、フルート、コンサティーナで、バゥロンとフルートが男性、コンサティーナは女性。どこかでお顔を見たような気もしますが、どなたでしょう。
    
    初版は事典として使うだけでしたが、今回はこれをとにかく頭から読んでいこうと思います。途中で報告するかもしれません。
    
    いずれにしても、いやしくもアイリッシュ・ミュージックに積極的な関心を持つ向きは、何はともあれ、1冊購入すべき基本中の基本ではありましょう。この際、英語が読める読めないは関係ありません。読めなければ、これで勉強すればよい。語学の勉強には強い関心を持つ対象について書かれたものを読むのが一番の近道です。
    
    たとえすぐには読めなくとも、手元に置いておくだけで価値のある本であります。すぐれた本はそこから栄養素が滲み出るものです。森林浴のように、本から出るものは体と心に沁みこみます。それによってアイリッシュ・ミュージックとのつながりはさらに深まります。そしてその向こうに広がるアイルランドの文化や社会とのつながりも深まります。それがまた音楽への、ダンスへの、あるいはそこから演劇や美術や文芸や映画や料理やその他もろもろへのつながりへと還ってきます。
    
    ただ参考書として使うだけではなく、編者の言うとおり、ここから新たな関心が生まれ、アイリッシュ・ミュージックがさらに豊かになり、ひいてはアイルランドの伝統文化が豊かになり、さらに人類全体にとっての貢献が生まれることがなによりです。
    
    本としては安いとは言えませんが、ギネスにすれば6〜7杯分です。それくらいの節約で買えるのなら、その効験に比べれば実に安い。コストパフォーマンスから言えば、こんなに大きなものはそう無いでしょう。
    
    明日から今月の抗がん剤点滴入院なので、実際に読むのは来週から。さて、1年で読み終えられるかな。(ゆ)

Companion to Irish Traditional Music    フィンタン・ヴァレリー Fintan Vallely の編纂になる COMPANION TO IRISH TRADITIONAL MUSIC の第二版が出ました。Cork University Press から今年6月に予定されていましたが、刊行が延びていました。版元やアマゾンのサイトでは600ページになっていますが、実際は800ページを超えているらしい。
    
    この本はアイリッシュ・ミュージックに関する百科事典です。項目はABC順で、楽器、曲やリズムのスタイル、ミュージシャン、地名などの固有名詞、ダンスや伝統行事、その他、およそアイルランド伝統音楽に関することを網羅しています。アイリッシュ・ミュージックについて何か知りたければ、まずはこれを読むことでしょう。一方で相当深いところまで書かれていますから、これをネタにするだけで「通」にもなれます。
    
    初版はもちろんこの種の本としては初めてのもので、ぼくなどもさんざんお世話になりました。第二版が準備されてることはずいぶん前に伝わってきていて、楽しみにしていました。
    
    編者のフィンタンは、ナイアル、キアランのヴァレリー兄弟の、叔父さんかいとこのどちらかにあたる人で、本人もフルート奏者として優れているそうな。この本の他にも、デ・ダナンの初期のメンバーであるチャーリー・ピゴットと、写真家の Nutan と組んでアイリッシュ・ミュージックのミュージシャンたちの姿を写真と文章で描きだした Blooming Meadows: The World of Irish Traditional Musicians や、ノーザン・アイルランドのプロテスタントたちとアイルランド伝統音楽の関係を探った Tuned Out: Traditional Music and Identity in Northern Ireland などの著書もあります。
    
    アイリッシュ・ミュージックの網羅的な参考書としては、これと THE ROUGH GUIDE TO IRISH MUSIC (ISBN1-85828-642-5) があれば、まず万全です。後者は残念ながら絶版ですが、古書で手に入ります。COMPANION が学問的な立場から書かれているとすれば、こちらはリスナーの立場から、各ミュージシャンに焦点をあてて紹介した本です。楽器別になっていて、代表的な録音も挙げられており、多少とも重要性のある人は漏らさず載っています。
    
    本書とは別に COMPANION TO IRISH MUSIC も編集が進んでいるはずですが、まだ出ませんね。こちらは伝統音楽のみならず、クラシックやポピュラーも含めた、アイルランドで現在行われている音楽全体をカヴァーするものの由。(ゆ)

    と言ってもおなじみのアイリッシュ・ダンスではありません。渋さ知らズをはじめとして活躍する舞踏家がアイリッシュ・ミュージックにインスピレーションを得て、オリジナルの舞踏を創るという試み。
    
    ダンスから生まれた音楽をもとにして新たなダンスを生もうというのは、大胆かつ鋭敏な想像力が求められます。ダンサーとしての器の大きさも問われるところ。また、本国ではまず思いつかないことでもありましょう。極東の地でこそ発信可能な試みでもありますね。こういう試みはどんどんやっていただきたい。
    
    こういう試みをダンサーの方はどう評価されるか、聞いてみたいです。


06/05(日)トンデ空静John John Festival 中野 桃園会館

 《トンデ空静企画 ”桃祭”》
open 17:30 / start 18:00
前売1,800円/当日2,000円

予約先:johnjohnfestival@gmail.com

【出演】
トンデ空静(錆び模様/新作)
John John Festival

 アイルランド音楽はもともと『リバーダンス』などで知られるダンスの伴奏音楽ですが、今回は舞踏と一緒に新しい舞台を作る試みです。John John Festival のレパートリーの中でも最も壮大なセット〈selma〉に、渋さ知らズなどで活躍する舞踏家の松原東洋と長谷川宝子が作った踊りを合わせて上演いたします。アイリッシュダンス&音楽とは一味違った、新しい舞台を是非お楽しみください。トンデ空静の新作舞踏、John John Festival のライブ演奏も合わせてご覧いただけます。



Thanx! > トシさん

    本日16:00からの予定で、本誌4月情報号を配信しました。未着の方はご一報ください。
   
   
    先日、東京芸大に行ってきました。今年2月に行われた Intercollegiate Celtic Festival の「反省会」がある、というので、そこに乱入させていただいたわけです。もっとも「反省会」よりも、第2回への決起集会といった方が正確で、参加した人たちはもちろん、参加できなかった人たちからも、ぜひやろう、今度は手伝う、という宣言が相次いでました。
   
    期日をいつにするか、実行委員会はどこに置くか、とか、基本的なことからまだまだ検討する必要はあるようですが、芸大の G-Celt の基盤がしっかりしているし、中央、ICU、東洋、早稲田などのメンバーも有能で積極的でしたし、これに言い出しっぺの豊田耕造さんの将才があれば、まず第2回の成功はまちがいなし。
   
    今回は代々木のオリンピック村に三泊四日の合宿という形式だったそうですが、外野の希望としては、一部だけでも外に解放して、一般客を入れていただきたいところです。昼はワークショップやセッション、夜はコンサートという、向こうのフェスティヴァルの定番形式を採用するとすれば、夜のコンサートで各大学のバンドやソロが入れ替わり立ち替わりで見られるようになるのを希望。
   
    イベントを企画し、進めるなかで、大学間の連絡や連携がとれるようになれるのではないか、とこれはかなり楽観的かな。まあ、連絡連携よりもイベントそのものに注力した方が、結果的に連絡連携もうまくゆくのではないでしょうか。ゆくゆくは全国大会が開ければ最高ではありますね。
   
    第1回の目玉のひとつがセット・ダンスの講習会だったそうで、講師になった CCE のおばさん、もとへ、お姉様方もお見えになっていて、「反省会」の後半は、たちまちケイリになっていました。
   
    ダンスの体験は G-Celt のメンバーも見るのも初めてという人がほとんどだったそうで、相当強烈な印象を残した由。新入生歓迎イベントでも、披露したらしい。
   
    ダンスを体験することは、踊るにしても、伴奏をつけるにしても、プレーヤーにとって大きなプラスになることは、プロの人たちも口をそろえて言っています。芸大にはダンスのコースは無いそうで、その意味でも今後、G-Celt の活動にダンスが加わることは、面白いことになるでしょう。
   
    各大学のサークル自体については、改めて取材の上、本誌に書きたいと思います。(ゆ)

    CCE Japan が東京・天王洲アイルのアイリッシュ・パブでクリスマス・ケイリをするそうです。ビュッフェ料金込みでこれは安いな。一年に一度は真っ昼間からギネス飲んで踊るのも悪くないでしょう。


--引用開始--
今年も残りわずかとなってきましたが、2009年は皆様にとってどんな年でしたか?
良かったことも、悪かったことも、一緒に音楽とダンスを楽しんで1年のしめくくりといたしましょう!
CCE会員の皆様はもちろん、一般の方のご参加も大歓迎です。

と き:12/23(水・祝)14:00〜16:30(開場13:30)

ところ:アイリッシュパブ "The Roundstone"
JR浜松町駅より東京モノレールで1駅「天王洲アイル駅」より徒歩1分

参加費:会員2000円、一般2500円、学生2300円
(ビュッフェ料金込み。ドリンク代は別途となります)

ケーリーバンドによる生演奏で、誰でも踊れる簡単なダンスから人気のセット・ダンスを踊ったり、クリスマス気分たっぷりの曲を皆で合唱したり、ダンスや音楽のパフォーマンス披露もあります。
セッションタイムも設けますので、演奏できる方は楽器をお忘れなく!

人数把握のため、参加頂けるかたは事前にceol@comhaltas.jpまでご連絡頂けると助かります。
--引用終了--


Thanx! > 斉藤順子さん@CCE Japan

    今月号を本日23時予定で配信しました。未着の方はご連絡ください。
   
   
    今年も残る大物は「ケルティック・クリスマス」だけになりましたねえ。もっとも『ラグース』の千秋楽に行こうかと悩んでます。ロナン・シャーロック(お名前、とりちがえてました。まことに失礼をば)のダンスとファーガル・スカハル(こっちが原音に近いらしい)のフィドルはもう一度見たい。
   
    ん、『パイレート・クイーン』があるか(^_-)。
   
    いや、編集部は今のところ、見にゆく予定はありません。どなたか、レポートをお願いします。(ゆ)

Ragus: A Unique Irish Experience [DVD] [Import]    3度目の日本ツアーにやってきたアイリッシュ・ダンスと音楽のショウ「ラグース」の初日に行ってきました。結論から言うと、ダンス的にはちょと物足りない、音楽的には最高。初日ということで、音響、特に群舞のときのタップのPAのバランスがあまりうまくとれてなかったこともあると思います。ただ、全体にかっちりと作りこみすぎていて、ユーモアや遊びの要素が前2回より少かった気がします。
   
    その中で光っていたのが、ロナン・シャーロックのダンス。この人の動きには根っからのユーモアのセンスがあって、何を踊っても踊り自体がにこにこしている。華があります。意表をつくフレーズや動きを連発するのが、見ていてとても気持ちが良い。練習で身につくものとは別の才能でしょう。とりわけ、前半、客席の通路を踊りながら入ってきて、無伴奏でソロで踊ったのがハイライトでした。あれはできればもう一度見たい。『リバーダンス』でも来日していたようですが、『ラグース』では男性がふたりだけなので、よくめだつし、たっぷりとダンスを味わえます。
   
    男性二人は靴にマイクがつけられていたようで、だから客席で踊ることも可能になっています。この辺は技術革新ですね。
   
    バンドはこれまでの中で最もレベルが高いでしょう。パイパーは初回のマイキイ・スミスが飛び抜けてますが、今回のショーン・マカーシィもかなりの腕です。スミスとは対照的にレギュレイターはほとんど使いませんが、その代わりというか、チャンターを操る指の動きは大したもので、パディ・キーナンの若い頃を彷彿とさせます。
   
    今回のバンドの華はなんといってもフィドルとバゥロンのファーガル・スカハル。小粋な帽子をかぶって、ダンサーたちに負けじと演奏しながらぴょんぴょん跳びはねたり、とにかくフィドルを弾くのが楽しくてしかたがないのがよくわかります。
   
    そしてそのフィドルたるや、尋常のフィドラーでは絶対に思いつかないようなフレーズや装飾音をたて続けに放ったり、絶妙の音のはずしをしたり、それでいて曲そのものは十分にうたわせる。ダンスのギャラハーと同じく、天才を感じさせます。ゴールウェイ出身ということで、フランキィ・ゲイヴィンの若い頃のライヴもこんな感じだったのではないか、と思いました。
   
    ラストで聞かせたバゥロン・ソロもとても面白く、技量云々の前に音楽のセンスが磨かれているのでしょう。客席とコミュニケーションをとるのもうまく、これからのアイリッシュ・ミュージックのスターになるはず。
   
    ギターのロナン・ブレナンとキーボードのキアラン・マーデリングは、派手なところはありませんが、シュアな演奏で演奏の土台を支えていました。ロナンも陽気な質のようで、キーボードとリズムを合わせるのを体で強調したり、フィドルのファーガルと一緒にとびはねたり。ちょっとギターの音のバランスが良くなかったのが惜しい。
   
    バンドとしても、公演を重ねていることもあるのでしょう、良く練りあげられています。一度、バンドだけをたっぷりと聞いてみたくなりました。
   
    個人的に密かに期待していたシンガーのディアドラ・シャノンは、その期待を上回る、すばらしいシンガーでした。〈Song for Ireland〉は誰がうたっても名唱になる名曲ですが、そこに並べても五指に入ると思います。アップテンポのうたも聞いてみたい。
   
    会場の東京フォーラムCホールは満席。平均年齢は、たとえば「ケルティック・クリスマス」よりも高く、年配のカップルも結構いました。根拠はなにもありませんが、なんとなく、こういうショウが根付いていることを感じました。
   
    ロビーで関連グッズが販売されていました。公式のテーブルではパンフレットの他に、前から出ている『ラグース』のCDと、フィドルのファーガル、パイプのショーン、シンガーのディアドラのCDが販売されてます。帰りには売り切れてました。開演前に買っておいたので、これらについては後ほど。
   
    それと、ダンス衣裳やTシャツなどの衣服はじめ、アイルランド関連グッズの販売コーナーがあり、終演後は黒山に人だかり。
   
   
    帰りは東京駅まで地上を歩き。金曜の夜とて、結構人が出ていました。中央線快速は、ラッシュ時に御茶ノ水のあたりで非常ボタンが押されたとかでダイヤが乱れ、9時半というのにホームに人があふれんばかりでした。やっぱり都心は人が多いなあ。(ゆ)
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e92bee3c.jpg    東京医科歯科大・芸術 10/19 の講義補足説明、6番目はシャン・ノース・ダンス。

Paidí Bán Ó Broin & Dessie O'Connor
from《COME WEST ALONG THE ROAD 2》, #24, 1972-12, 2:06
    デシー・オコナーのホイッスル伴奏で踊るパディ・ボーン・オ・ブローン。

    《COME WEST ALONG THE ROAD》の DVD はアイルランド国営放送 RTE/ が永年撮りためた映像の中から伝統音楽関係のものを選んでまとめたもの。1と2があり、3も予定されています。収められているのは、今回紹介した二組のように、他ではまったく無名の人もいれば、マット・モロイ、ドーナル・ラニィのように有名な人もいます。有名無名にかかわらず、パフォーマンスの質はどれも高く、また歴史的に貴重な記録も多いです。アイルランドの伝統音楽に関心があれば、1セットは持っていて損はありません。というより、必見でしょう。
   
    ダンスのシャン・ノースは、これも明確な定義はありませんが、競技会が盛んになる1960年代より前から行われている、男性のソロ・ダンシングをさすようです。
   
    アイリッシュ・ダンスは『リバーダンス』やもうすぐ来日する『ラグース』などですっかり有名になりましたが、あそこで見られるのは競技会向けのステップ・ダンスです。これとは別に、男女ペア二組で踊る、社交的なダンスもあり、こちらはケイリ・ダンスと呼ばれます。「ケイリ ceili」はいろいろな意味を持つアイルランド語ですが、ダンスを中心としたパーティが一番よく使われる意味です。映画なら『タイタニック』の有名な三等船室のパーティや、『麦の穂をゆらす風』の前半にあるパーティが実例です。
   
    競技会は、器楽にもあり、うたにもありますが、全アイルランド・チャンピオンのタイトルをめざすもので、毎年地方大会から全国大会へと盛りあがります。ここでの入賞をめざして幼い頃からダンス・スクールに通うのが、『リバーダンス』に出演するダンサーたちによくあるパターンです。
   
    シャン・ノースはこれとは別に、ローカルなパブなどで、地元や旅回りの、ふつうは男性ダンサーがソロで披露してきたタイプ。紹介したビデオではダブリンのスタジオに造られたセットで、音がよく鳴るように特別の床になっていますが、ふだんはパブの扉をはずして床に置き、その上で踊られたそうです。「古い様式」と呼ばれますが、もちろん現在でもこのタイプを踊る人は少くありません。
   
    ここでのパディのダンスは競技会向けの要素がかなり入っていて、どちらかというとモダンな感じです。映像として手に入りやすいものとしては、ダーヴィッシュのライヴ・ビデオ《MIDSUMMERS SESSION》でゲスト・ダンサーが踊っています。そちらはもっとゆったりとしたダンスです。(ゆ)

96868a52.jpg    東京医科歯科大・芸術兇旅峙繊■感覆瓩魯屮襯拭璽縫紊離ン・ハ・ディスカンです。

Loened Fall〈A live track from a Festoù-noz〉
from DIWAR IOGODENN 'VEZ KET RAZH, 2006-10, 5:00

    このトラック名はぼくが勝手につけたものです。このアルバムはCDとDVDの2枚組で、これはDVDの冒頭の曲。
   
    ブルターニュはアイルランド、スコットランドとならぶケルト語圏で、ブレイス語というケルト語の一派が話されていますし、短かいメロディのくるくると回るような反復を特徴とする音楽が盛んです。ブレイス語はウエールズのキムリア語の仲間で、元々はウエールズからの植民者が持ちこんだものです。この仲間には、ふたつの中間の位置にあるコーンワル語がありましたが、今は死滅してしまい、復興の努力がされています。
   
    ブルターニュは実は「ケルト」文化圏ということを最初に言いだした国です。1960年代、アラン・スティヴェールが、父親が復興した小型のハープを抱えて伝統歌をうたいはじめた時に、これは「ケルト」のうただと言いだしたのでした。今から思えば、当時はまだ中央集権意識の強かったフランス国内で、地方独自の文化を看板に掲げるための戦略のひとつという側面もあったのでしょう。
   
    「国民国家」をまとめるために言語つまり「国語」は非常に強力なツールであり、イデオロギーでもあります。たとえば「フランス人」とは「フランス語」を話す人びとであり、「フランス」国家は「フランス人」が住み、つくった国である、というように。ブルターニュや、あるいはスペインのカタルーニャやガリシアもそうですが、独自の言語と歴史と文化をもつ地域は、こうした近代イデオロギーに抵抗して独自の文化を維持するために音楽を「利用」してきた側面があります。
   
    ブルターニュのダンスは独自なもので、男女が混成集団で横に腕を組んで列を作り、ステップだけを踏みます。腕を組んでいるので脚以外は動かせませんが、映像を見ると踊っている人たちはほとんど表情を変えません。また、ステップも難しいものではなく、ほんとうに誰でも踊れます。究極の集団ダンスと言えるかもしれません。このダンスを楽しむ集まりを フェスト・ノーズ festoù-noz と呼び、夜を徹しておこなわれることも珍しくありません。
   
    この時にダンスの伴奏をするのはシンガーです。二人一組のシンガーが交互にうたいます。相手の最後の一行を重ねてうたってひきついでいきます。この形が「カン・ハ・ディスカン」です。シンガーは男女で組む場合もあり、同性で組むこともあります。また、シンガーと楽器、フィドルやボンバルドと組むこともあります。歌詞は正直よくわからないのですが、定番のものもあり、また即興で近所のできごとや、河内音頭のように時事ネタをうたいこんでゆく場合もあるようです。
   
    ボンバルドはブルターニュ独得のリード楽器で、チャルメラの仲間です。円錐形の筒の末端に突きでたリードを直接吹きます。非常に高い音域と強く大きな音量を持つ楽器です。ブルターニュ人はとにかくこれが大好きで、ボンバルドの入らないアンサンブルはありません。最小単位はボンバルドとアコーディオンと言えるくらいです。また、音域の異なる数十本のボンバルドを揃え、バグパイプ、打楽器が加わるバンドというよりはオーケストラというべきアンサンブルが、どの町、村にもあります。バガドと呼ばれるこのアンサンブルは、例外なくアマチュアがメンバーで、毎年コンクールをやって優勝を競います。
   
    ここで伴奏をしているロワネド・ファルは、ダンス伴奏を専門とするバンドで、二人のシンガーにフィドル、ギター、ボンバルドが加わります。2006年に結成10周年となり、その記念のフェスト・ノーズの模様を収めたのがこのDVDです。紹介したのはその最初の曲。
   
    ロワネド・ファルのサイトはこちら。ビューゲル・コーアルのサイトもここから跳べます。
   
    ブルターニュにもアイルランドやスコットランドのように、ダンス・チューンもあり、器楽だけによる演奏もありますが、フェスト・ノーズとなるとうたがないと始まらないらしい。アイルランド、スコットランドのマウス・ミュージックよりもさらに一歩、うたに比重がかかっていて、このうただけを鑑賞するライヴも行われるようになっていますし、CDも普通に出ています。
   
    一方、ダンサーが気持ち良く踊れて、どんどん踊れるようになるには、二人のシンガーの腕次第のところがあるようです。当然、相性も作用します。ロワネド・ファルのシンガー、女性のマルト・ヴァッサーロ Marthe Vassallo と男性のロナン・ゲブレス Ronan Gue/blez は、現役ペアのなかでも最高の一組と言われています。マルトはブルターニュを代表するシンガーのひとりで、こうした伝統のコアを嬉々として支える一方で、クラシックやロック、前衛音楽などにも積極的に取り組んでいます。
   
    ロワネド・ファルとは別に、ビューゲル・コーアル Bugel Koar というデュオをバンドネオン奏者のフィリップ・オリヴィエ Philippe Olivier と組んでいて、来日もしています。伝統音楽をベースに、独自のクールで熱く、切れ味の鋭い音楽を展開し、二人だけとは思えない、広がりと奥行を持っています。今年年末に再来日の予定があるそうなので、お見逃しなきよう。
   
    それにしてもカン・ハ・ディスカンによる継続感、つまりとぎれない感覚には強力な推進力があります。演奏者は特に熱く盛り上がるわけではなく、坦々とやっているのですが、声を重ねながら短かいメロディが反復されてゆくと、聞いているだけでもだんだん熱くなってきます。ケルト系の音楽は、演奏や歌唱自体は特に感情を表に出して熱く燃えることはほとんどありません。それよりも、一度聴き手の内部に入ってから、聴き手の中にある「何か」に火を点ける傾向が強い。カン・ハ・ディスカンも同じです。おそらく現地では夜も深まるほどにうたい手たちの喉や舌も滑らかになり、踊り手たちの体もどんどん軽くなってゆくのでしょう。(ゆ)

    久しぶりにダンスの Taka さんのブログを覗いたら、東宝のミュージカル『パイレート・クイーン』に出演されるそうな。劇中アイリッシュ・ダンスのシーンもあって、そのトレーナーもされている。

    ミュージカル自体はもちろん東宝のオリジナルではなく、飜訳で、タイトルから予想される通りグレイス・オマリー、アイルランド風に言えばグローニャ・オマリーの話。アイルランドのフォーク・ヒーローの一人だから、これまでエンタテインメントの題材にならなかったのが不思議なくらい。こうして劇化されるのも前世紀末からの「アイルランド・ブーム」のおかげか。
   
    とはいえ、グローニャについては史料として残っているものは少なく、それもほとんどがイングランド側のものなので、ほんとうのところはよくわからないことが多かったりする。その分、脚色の余地は大きく、フィクション化しやすくはあるが。
   
    それにしてもあの時代に今のようなアイリッシュ・ダンスがあったかどうかあやしい。『リバーダンス』型の、競技会スタイルだけでなく、いわゆるシャン・ノース型だってあったかどうか。
   
    音楽もちがっていたはずだ。ダンスがあやしいのだからダンス・チューンも当然あやしい。リールが入るのはたしか17世紀以降だったから、グローニャはすでに死んでいる。
   
    楽器で共通するのはハープとホイッスルとパイプの原型ぐらいで、フィドルでさえまだ普及していない。蛇腹やバウロンはありえない。ハープでダンス・チューンをやっていたはずもない。あれは1970年代後半に始まる。じゃあ何があったのか。うーむ、急に気になってきた。
   
    などというのはもちろん野暮なつっこみであります。ただ歴史にもとづくフィクションを「史実」とかんちがいする人がこの国では多いので、一応念押しまでに。
   
    グローニャの「実像」を少し考えてみれば、メイヨーの複雑な海岸線を知りつくした「海の領主」のひとりであり、彼女自身、かなりの将才があったことは確かなようではある。ただやはり、ローカルではほとんど無敵だが、縄張りを一歩出るととたんに弱くなるアイルランド的性格は変わっていない。たとえば全アイルランドを統一してイングランドに対抗することを考え、そのために大きな戦略を描いた形跡はない。視野が狭いのとはちょっと違う。当時のヨーロッパ、少なくとも、スカンディナヴィアも含めた西半分の情勢はしっかり把握していたと思われる。つまりは戦術家ではあっても戦略家ではなかった。
   
    とまれ、Taka さんの指導の甲斐あって、ダンス・シーンが本場に負けない評価を得られますように。それにしても、まさかあの衣裳で踊るのお? とポスターを見て思ってしまうのでありました。(ゆ)

    本日15時予定で今月号を配信しました。未着の方はご一報ください。
   
    先月に引き続き、「まぐまぐ」経由では1回の配信のサイズ制限から、三分割しています。三分割は面倒だと思われる方は「メルマ!」経由での受信に切り替えるか、編集部からの直接配信のご連絡をください。「メルマ!」での登録はこちらです。

    今月号での小生の記事は、昨日の蒲田での「聴いて学んでのめりこむアイルランド音楽」選曲の経緯を書いています。
   
   
    そのイベントには大勢のかたにおこしいただき、ありがとうございました。
  
    もちろん、お目当てが小生ではなく、O'Jizo のライヴであったことは重々承知しています。また、小生のレクチャーがとっちらかって、焦点の合わないものであったことも反省しております。まあ、ほんとに1曲でも、1フレーズでも、どこかにひっかかって、アイルランド音楽に「のめりこむ」きっかけになっていただければ、と願います。その点では、「通りすがりの」ダンサーたちのおひとりから、カラン・ケーシィの〈The songs of the seal〉のあの高音のコーラスは良かったとおっしゃっていただけたのは嬉しかったです。昨日聴いていただいた音源などの詳しい情報は後ほど、当ブログにアップします。
   
    それにしても O'Jizo + トシバウロンの演奏はまことにすばらしく、アイリッシュ・ミュージックのおもしろさを堪能しました。あらためて、これだけのミュージシャンたちと生きる時空を同じくする幸福を噛みしめたことであります。技量もさることながら、アイルランドだけでなく、音楽全体をも視野に入れて音楽にたずさわり、演奏している、その姿勢があの豊饒を生んでいるのでありましょう。同時にまだまだこれからいくらでも良くなる可能性も見えました。どう発展してゆくか、眼が離せません。
   
    今回はまた、会場も良かったと思います。大きすぎず、小さすぎず、しかも天井が高い。なにもないとライブな空間ですが、お客さんが入るとちょうどよい音響になった感じです。照明も結構細かくオン・オフが可能で、雰囲気が出ていました。ライヴの会場として、ライヴハウスとはまた違う、なかなかにすぐれたハコではないかと思います。禁煙、禁酒で聴くアイリッシュ・ミュージックもまた良からずや。
   
    小生のレクチャーの際も、スピーカーの Jupity 301の実力とあの空間がぴったりの相性で、えりすぐりのシンガーたちの美声が、さらに気持ち良く聴けました。個人的には聴きたいと思っていた声を期待通りにすばらしい音で聴けたので、大満足であります(^_-)。Jupity 301 についてはこちらをご参照。ご協賛いただいたボザールのKさん、あらためてありがとうございました。
   
    ダンスも良かったし、「二次会」でのハプニングはさらに良かった。何も知らずにいた一般のお客さんたちも巻きこんでしまうんですねえ、O'Jizo の実力は。まったく思いがけずもシャン・ノース・ダンスを見られたのも眼福。なにもしらない女の子たちの相手を次々にさせられたのは「災難」というべきか、「ラッキー」というべきか。まことにご苦労さまでした、小西さん。

    そして今回の企画の張本人たる蒲田アカデミアのエヌさんに、最後ではありますが最大の感謝を。これに凝りず、これからもよろしくお願いします。(ゆ)

    明後日の日曜日、アイルランド文化研究会が江古田であるそうです。参加を希望される方は下記メール・アドレスまであらかじめご連絡してください。締切は今日です! 会場が休日の大学なので、入るのに手続きが必要だそうです。

    めんどうといえばめんどうですが、今回の内容はアイリッシュ・ミュージック・ファンの視点からたいへん興味のあるところで、編集部は行けないのがまったく残念。どなたか、参加された方のレポートを期待します。

    「後進国」政府にとって近代化をいかにコントロールするかは最大の問題といってもいいもので、明治期日本もその点ではアイルランドと共通します。

    これはまたアイリッシュ・ミュージックのセクシュアリティというテーマとしてもとらえられるものです。『リバーダンス』によってアイルランドは突如「ヨーロッパで最もセクシィな国」になってしまいますが、その淵源はこの第二次大戦後の文化政策にあったわけです。うーん、いやしかし、これは行きたいな。むむむむむ。

--引用開始--
アイルランド文化研究会の次回研究会を下記の要領で開催いたします。
みなさまのご参加をお待ち申し上げます。

なお、大学校舎の休日利用ということで、守衛室に入構者名を届け出
る必要があります。お手数ですが、ご参加の場合、以下までご連絡を
頂けますよう(19日迄)お願い申し上げます。当日は南門守衛室にて
お名前をお申し出の上、ご入構下さい。
★研究会参加のご連絡:hokiichi[at]mail.goo.ne.jp
     ↑[at]を@に修正の上、ご送信下さい。

日時: 6月21日(日) 14:00〜
場所: 日本大学芸術学部 江古田校舎 東棟2階、E-206
南門からお入り下さい。

報告:九谷浩之氏(立教大学、他)
報告タイトル: パンクを歴史化する —アイルランドと性の飢餓
報告要旨:
デ・ヴァレラ政権下のアイルランド(南)において推し進められた近代化は北アイルラ
ンドをもその影響下に治めていた。それは19世紀末から続くナショナリストの理想であ
ったゲーリック=カトリック=田舎主義のアイルランドであったが、一方でラジオ・テ
レビなどのメディアを発展させながらも経済・文化的には孤立主義を貫くものであった。
この内向きの近代化の過程において一つの標的とされたのが国民の身体<ボディー・
ポリティック>の管理である。ダンスは認可されたダンスホールでしか踊れなくなり、
音楽はダンスのための音楽からコンサートホールで座って視聴する<芸術>となる。今
発表ではパンクを50年代後期に花開いたショーバンドの文脈に置きなおし、新中産階層
の<芸術>としてではなく、ダンス音楽として、つまり身体の管理からの逸脱として捉
えてみたい。
--引用終了--

    聴いているうちにほーっと肩の力が抜けてきた。そうそう、この感覚なのだ。アイリッシュ・ミュージックのライヴはこうでなくっちゃ。この、なんというか、あくぬけないところ、ぶきようだがにくめない。好不調の波がモロに出る甘さ。

    プロではない、と言う人もいるだろうが、それを言うならアイリッシュ・ミュージックとはそもそもプロの音楽ではない。アイリッシュ・ミュージックが、たとえばジャズのような意味でプロの担うものになるとすれば、それはもうアイリッシュ・ミュージックではない。アイリッシュ・ミュージックの魅力はあくまでも、究極のアマチュアリズムから生まれるのであって、アルタンやルナサのような、あるいはドーナル・ラニィやニーヴ・パースンズのような人たちでも、その点は変わらない。チーフテンズにいたってはアマチュアリズムをひとつの様式として完成し、その型を押し通すことで世界制覇した。
   
    音楽の質の点からみれば、特に前半はたとえばシェイマス・オハラでの O'Jizo の月例セッション・ライヴの方がよほど高いだろう。O'Jizo のライヴでは音楽に感動し、メンバーの技量に感嘆し、おおいに満足して帰ることになる。だがしかし、この夜のグラーダのように、肩の力を脱いてはくれない。知らず知らずにたまっていた緊張をほぐし、心の血管を開いて流れをよくしてはくれない。これはもう個々のミュージシャンの技量とか資質とかとは別のことに属する。
   
    自分たちの調子がどうかは、かれら自身がいちばん良くわかっている。だからこそ、前半は緊張し、おそらく多少アガってもいたかもしれない。それが後半、みちがえるように堅さがとれ、いつものように音楽を楽しめるようになっていたのは、ひょっとすると客が少なかったせいではなかったか。友人らしき在日アイルランド人たちの一団がいたこともサポートになっただろう。最後にフィドルのデヴィッドとフルートのステファンがそれぞれに見せたソロのシャン・ノース・ステップ・ダンシングはそれはそれは見事だった。
   
    主催者としては客の入りは多いにこしたことはないし、フルハウスの熱気は見る方としても嬉しい。とはいえ、昨日のように、隣の客と余裕のあるスペースがとれ、ゆったりとした気分で見られるのもまた、なかなかに良いものだ。ミュージシャンにしてみれば少ないときの客は本当に自分たちの演奏を見にきてくれた人びとであり、満員のときの客よりも信頼感は増す。
   
    主催者にしてみれば、わざわざ交通費をついやし、カネを払って見にきてくれる客には最高の体験をさせたいと思うのは当然ではある。とはいえ、何が客にとって最高かは個人によっても違うし、同じ個人でもその時によって違う。本人にさえ、その時にならなければわからないことだって少なくないのだ。
   
    グラーダは確かにベストの調子ではなかった。おそらくそれ故に、アイリッシュ・ミュージックとして、少なくともアイルランド人がやるアイリッシュ・ミュージックとして何が最も大切なものか、もう一度少なくとも異邦人にとって何がアイリッシュ・ミュージックをアイリッシュ・ミュージックたらしめているのか、あらためて確認させてくれた。それも別に声高に叫ぶわけでもなく、実にさりげなく、ただ、調子の悪い演奏を聴かせるというだけのことによってだ。念のために言うが、これは皮肉でもなんでもない。

    このところずっと、アイリッシュ・ミュージックとは対極にある音楽にひたっていたせいもあっただろう。グラーダの調子の悪さもちょうどよかった。尻上がりに調子が良くなっていったのもよかった。他の体験ではとうていありえないほど、さわやかに、すがすがしくなって、雨の降った東京の街路を帰途についたのだった。(ゆ)

    ダンスと音楽のショウ『ラグース』が3回目の来日をします。
   
    ゴールウェイ沖のアラン諸島に生まれたこのショウは、『リバーダンス』を手本としながら、伝統をより尊重し、そのまままっすぐに展開する形です。よりシンプル、コンパクトだけど、アイルランドのダンスと音楽の伝統により深く根を下ろします。だからこそ新鮮な体験。『リバーダンス』は圧倒されますが、こちらはダンスのひとつひとつ、楽曲のひとつひとつをじっくりと楽しめます。
   
    今回は東京を皮切りに西の方を回り、最後が横浜というスケジュール。一部マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルと重なりますが、選択肢は多いので両方OKでしょう。
   
    公演の公式サイトはこちらですが、まだ未公開です。


来日メンバー
リードダンサー:
パウラ・ゴールディング
ジャシンタ・シャープ
ロナン・シャーロック
マイケル・パトリック・ギャラガー

歌手:
ディアドレ・シャノン(元ケルティックウーマン)

ミュージシャン:
Fergal O Murchu (Accordion/ vocals)
Fergal Scahill (Fiddle/ Bodhran)
Ciaran Mulderrig (Keyboard/ Backing Vocals)
Sean McCarthy (Uileann Pipes & Whistles)
Ronan Brennan (Guitar/ Backing Vocals)

東京公演
11/20(金)18:30
11/21(土)12:30
11/21(土)16:00
11/22(日)12:30
11/22(日)16:00
11/23(月・祝)12:30
東京国際フォーラムホールC
S席7,500円、A席5,000円
主催:光藍社 KORANSHA  tel 03-3943-9999
一般売出:07/03(金)

以下、公演日、開演時刻、会場、問い合わせ先、電話番号、です。「会館」とあるのは会場自体が問い合わせ先の意味。
11/26(木)18:30 下松市文化会館(スターピアくだまつ) ラグタイム 083-925-6843
11/27(金)18:30 ふくやま芸術文化ホール(リーデンローズ)キャンディープロモーション 084-928-1800
11/29(日)15:00 呉市文化ホール 会館 0823-25-7878
12/01(火)18:30 岡山シンフォニーホール 岡山音協 086-224-6066
12/02(水)18:30 サンケイホールブリーゼ(大阪) H.I.P大阪 06-6362-7301
12/03(木)18:30 サンケイホールブリーゼ(大阪) H.I.P大阪 06-6362-7301
12/04(金)18:30 京都会館第2(中)ホール 京都音協 075-211-0261
12/06(日)15:00 和歌山県民文化会館 会館 073-436-1331
12/08(火)18:30 練馬文化センター 会館 03-3993-3311
12/13(日)15:00 狭山市市民会館 会館 04-2953-9101
12/15(火)18:30 愛知県芸術劇場 中京テレビ事業 052-957-3333
12/16(水)18:30 ホクト文化ホール中ホール(長野県県民文化会館中ホール) オフィスまゆ 026-226-1001
12/19(土)15:00 神奈川県民ホール 神奈川芸術協会             045-453-5080


Thanx! > 大澤さん@光藍社

 年明け1月下旬に CCEジャパンがアイルランドから講師を招いて東京と大阪でアイリッシュ・ダンスのワークショップを開くそうです。

 講師はもう何度も来日しているパトリック・オデイ氏。

 また、まったくの初心者のために、予習のための練習会もあるそうです。アイリッシュ・ダンスが初めての方はまずこちらにどうぞ。

 くわしくはこちら

 こういうの、地方での開催はまだムリなんでしょうか。

--引用開始--
 2009年1月24日(土)、25日(日)、アイルランドのダンスマスター、パトリック・オデイ氏のワークショップを開催いたします。

 待ちに待ったパトリックさんのレッスン。
今回はリールのステップダンスを教えていただくことになりました。
リールであれば曲名を問わず踊ることが出来るので、応用の利きやすいのがいいところです。

(ワークショップに先立ち、練習会を設けました。下記「※参加に際して」をご覧ください。)

 また、セットダンスの講習とセットダンス・ケーリーも行います。
貴重な機会ですので、前回参加された方も初めての方も、ぜひぜひご参加下さい。

 スケジュール、参加費、定員、申し込み開始日時、申し込み方法などは、決まり次第に
随時お知らせしますので、まずはご予定下さいますよう、よろしくお願いいたします。

 このワークショップは大阪と東京の2会場にて開催されますが、ステップダンスはどちらか一方のみの受講とさせていただきます。
セットダンス講習とケーリーにつきましては、東京・大阪どちらも参加可能です。
(このご案内は東京会場のものです。大阪での受講をご希望のかたは、お問い合わせください。)

 パトリックさんの楽しいレッスンで乗りの良いダンスを覚え、どんどん踊りましょう!

【東京会場プログラム】
1)ステップダンス講習(オールドスタイルのソロダンス)
 2009年1月24日(土)13:00から17:00
2)セットダンス(グループダンス)
 1月25日(日)13:00から17:00
3)セットダンス・ケーリー(音楽とダンスのカジュアルなアイルランド風パーティー)
 1月25日(日)18:00から20:45

【会場】
ずべて中野サンプラザ8階「グループ室2」
交通:JR中央線・総武線、東京メトロ東西線「中野」北口徒歩2分

【お問い合わせ】
ceol@comhaltas.jp

※参加に際して
・ステップダンスが初めての方は、12/14(日)午後に行われる練習会にご参加下さい。
 日にちが合わない場合は、どうぞご遠慮なくご相談下さい。メールはこちら
 なおステップダンス参加時にはハードシューズ(ジグシューズ)およびタップシューズのご使用はお控えください 。

・セットダンスは体力や年齢を問わずどなたでも踊れますが、動きに慣れて受講をスムーズにするため、初めて習う方は中野クラス、神奈川クラスのいずれかに一度ご参加くださいますようお願いいたします。

・会場は写真撮影、録画、録音を禁止とさせていただきます。(携帯含む)
 主催者記録として録画撮影を行いますが、参加者向けDVDの作成・販売につきましてはまだ検討中です。
 ご理解のほどよろしくお願いいたします。
--引用終了--


Thanx! > 飯塚さん@CCEジャパン

 先だって、ドーナル・ラニィ、鬼怒無月とすんばらしいライヴを聞かせてくれたヴァイオリンの金子飛鳥さんが、来週水曜日、ピアノの深町純、ダンスの岡佐和香の両氏とライヴをされるそうです。

 岡氏はダンス、とはまた違うスタンスらしい。肉体を使った音楽表現、かな。アンヴィエントが入っているような。

--引用開始--
深町純 with 金子飛鳥 featuring 岡佐和香 〜音楽+舞踏〜

08/06(水)
18:00開場
19:30〜 1stステージ 
21:15〜 2ndステージ

BLUES ALLEY JAPAN (目黒)

★出演: 
(Pf) 深町純
(Vln) 金子飛鳥
Guest (舞踏) 岡佐和香

前売:テーブル席(指定) 5,000円(税込み)当日券は500円UP

★ご予約:
Blues Alley Japan 03-5496-4381

★解説:
岡さんと音楽 (深町純)

 岡佐和香さんは舞踏派系のダンサーだと言ってよいのだと思う。舞踏派とはいったい
何のことを言うのだろう。「舞踏」と書いてBUYOHではなくBUTOHと発音する。土方巽
氏が創始者とされる暗黒舞踏団。そして彼の「肉体の叛乱」という1968年の公演に、
大学生であった僕はたまたまピアニストとして参加した。このことは僕にとって大き
な偶然(当時の僕は決してそうは思ってはいなかったのだが)だったと思える。なぜ
なら、ここから僕と舞踏との関係が始まるからだ。「舞踏」は僕にとって今でも奇妙
な存在である。それは「舞踏」と音楽との関係のことだ。

 多くの西洋の舞踏(ダンスやバレー)は音楽に合わせて体を動かす。つまりその振り
は音楽とシンクロ(同期)している。音楽が激しくなれば動作も激しくなる。音楽に
強いアクセントがあれば踊りにもアクセントがつく。そういった従来の舞踏がもって
いた音楽との関係を「舞踏」は拒絶しているように思える。では、音楽とは無関係な
のかといえば、これまた全く違うと言わざるを得ない。なぜなら、僕が一緒に仕事を
した舞踏家たちは皆、音楽に対する注文が非常に厳しかったからだ。「舞踏」と即興
との関係を僕はよく知らない。いや、「舞踏」とは全てが即興だというわけではない
と思っているからだ。しかし多くの舞踏家はその即興性に注目されているのも事実だ
ろう。岡さんも多くの即興的要素を彼女の踊りに持っている。どのような空間や状況
でも彼女は屈託なく舞う。それは素晴らしいことだと僕は考えている。

 僕は即興演奏をよくする。即興演奏を面白いとも思っている。即興演奏と、書かれた
音楽を演奏することの違いを、問われたことがある。演奏家と聴衆は無関係ではな
い。つまり送り手と受け手という一方的なスタティックな関係から、即興演奏はそれ
をよりダイナミックな関係に変容している。聴衆のリアクションが演奏に直接的に関
与しうるものが即興演奏だ。だから崇高な音楽ではないかもしれないが、しかし生き
生きとした現実的な音楽だと言える。書かれた音楽を演奏することが、ある修練の結
果を単に披露する傾向が強いことに比べて、即興演奏は冒険や勇気に満ちている。今
まさに音楽を創っている、という実感がある。ステージで聴衆を前に苦悩するときも
ある。失敗もあるだろう。それら全てを詳らかにさらけだす、そういう演奏が即興演
奏だと僕は思っている。音楽における失敗とは、いったい何なのかという音楽へのア
ンチテーゼを突きつけることこそ、即興演奏の真骨頂ではないだろうか。「舞踏」と
いうものが即興性を強く持つ理由もまたそこにあると、僕は密かに考えている。

 金子飛鳥と共演するのはどれほど久しぶりだろうか。僕にとって彼女のすばらしさ
は、なによりその身体表現だ。演奏している時の彼女の体の動きは、まさに舞踏その
ものだと思う。もし音楽を形で表現するとしたら、それはきっとステージに立ってい
る彼女の姿に似ているに違いない。(深町純)
--引用終了--


Thanx! > POSEIDON

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