クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:チェロ


 いやもうすばらしくて、ぜひとももう一度見たいと思った。演る方も愉しいのだろう、どうやら続くようで、実に嬉しい。

 デュオを組んだきっかけは、昨年秋の時の話とはちょっと違っていて、新倉さんが名古屋、渡辺さんが岐阜でライヴをやっていて、新倉さんが渡辺さんのライヴを見に行こうとしたら会場のマスターがどうせなら楽器を持ってきたらと誘ったのだという。とまれ、このデュオが生まれたのは、音楽の神様が引合せたのだろう。

 今回、お二人も言うように、チェロと打楽器の組合せはまずこれまで無かったし、他にも無いだろう。この場合、楽器の相性よりも、本人たちがおたがい一緒に演りたい相手と思ったところから出発しているにちがいない。むろん、チェロと打楽器のための曲などあるはずもなく、レパートリィから作る必要がある。というのは、何をしようと自由であるとも言える。試行錯誤は当然にしても、それ自体がまた愉しいと推察する。

 この日はバッハやグリーグ、クレズマー、北欧の伝統曲、それに二人のオリジナルという構成で、完璧とは言えなくても、ほぼどれも成功していた。あるいはお二人の技倆とセンスと有機的つながり、それにそう、ホールの魔術が作用して成功させていたというべきか。

 開演前、渡辺さんが出てきてハマー・ダルシマーのチューニングをする。後でこれについての説明もしていたこの楽器が今回大活躍。ステージ狭しと広げられた各種打楽器の中で、使用頻度が一番高かったのではないか。旋律打楽器としてはむしろ小型で、ビブラフォンなどよりは扱いやすいかもしれない。チューニングは厄介だが。

 オープニングは二人が客席後方から両側の通路を入ってきた。各々手でささえた鉢のようなものを短い棒で叩いている。金属製の音がする。ステージに上がって台の上に置き、ナベさんがしばしソロ。見ていると鉢のように上が開いているわけではなく、鼓のように何か張ってあるらしい。それを指先で叩く。これも金属の音がする。なかなか繊細な響きだ。

 と、やおら新倉さんが弓をとりあげ、バッハの無伴奏組曲第一番のプレリュードを始める。ここは前回と同じ。

 このホールの響きのよさがここで出る。新倉さんもハクジュ・マジックと繰り返していたが、楽器はノーPAなのに、実に豊かに、時に朗々と鳴る。この会場には何度も来ているが、ホールの響きがこれほど良いと聞えるのは初めてだ。チェロはことさらこのホールに合っているらしい。それはよく歌う。いつもはあまり響かない最低域もよく響く。サイド・ドラムのような大きな音にもまったく負けない。

 しばしチェロの独奏が続いて、ナベさんが静かに入ってくる。はじめは伴奏の雰囲気がだんだん拮抗し、次のサラバンドの後、今度は打楽器の独奏になる。この響きがまたいい。大きくなりすぎないのは、叩き方によるだけでもないようだ。残響を含めてホールの響きに自然にそうなるようにも見える。

 サイド・ドラムでマーチ風のビートを叩きはじめるとチェロがジーグを始める。これが良かった。ちゃんと踊っているのだ。先日聴いたアイルランドのチェリスト Ailbhe McDonagh の録音もそうだが、ダンス・チューンになっている。この組曲の各パートはダンス曲の名前になっているんだから、元々はダンス・チューンのはずである。バッハの曲はそうじゃないという確固たる根拠があるのか。作曲者はチェロの独奏を前提にしているが、打楽器が加わることでダンス・チューンになるのなら、どんどん入るべし。この曲全体をこのデュオで録音してほしい。それとは別に新倉さんのソロでも聴きたいものではあるが。

 新倉さんはクラシックだけでなく、東欧の伝統音楽も好きだそうで、そこでクレズマー。これもいい。チェロでクレズマーというのは初めて聴いたが、ハマー・ダルシマーとの組合せもハマっていて、もっと聴きたい。二人で口三味線するのもいい。これがまずハイライト。

 次のグリーグ〈ソルヴェイグの唄〉からスウェーデンのポルスカへのつなぎも自然。ポルスカをチェロで弾くのはたいへんそうだが、楽しそうでもある。ハマー・ダルシマーの共鳴弦がそれは美しく響く。この曲でのチェロの響きが今回のベスト。こうなると、この会場で酒井絵美さんのハーダンガー・フィドルを聴いてみたいものだ。

 新倉さんはいろいろな楽器に興味があるそうで、京都の楽器屋で見かけた口琴を買ってしまったり、カザフスタンの撥弦楽器を持ちこんだりしている。口琴は結局ナベさんが担当し、チェロと合わせる。口琴もカザフの楽器も音がひどく小さいが、このホールではしっかり聞えるのが、まさに魔法に思える。

 撥弦楽器を爪弾くのにハマー・ダルシマー、それにガダムだろうか、これまた音の小さな壺型の打楽器と声を合わせたのがまたハイライト。新倉さんのオリジナルでなかなかの佳曲。

 ラストは前回もやったナベさんのオリジナルの面白い曲。中間部でふくらむチェロの響きに陶然となる。アンコールはイタリアのチェロ奏者の曲で、さすがにチェロのための曲で楽器をいっぱいに使う。

 今回はこのホールが続けているリクライニング・コンサートで、座席を一列置きに空けていて、シートを後ろに倒せる。もともとそういう仕掛けにしてある。とはいえ、ゆっくりもたれてのんびり聞くというには、かなりトンガったところもあって、身を乗出して耳を開いて聴く姿勢になる。

 いやしかし、このデュオはいい。ぜひぜひ録音も出してほしい。

 それにしてもハマー・ダルシマーの採用はナベさんにとってはターニング・ポイントになるのではないかという気もする。このデュオ以外でも使うだろう。これからどう発展してゆくかも楽しみだ。

 この日は昼と夜の2回公演があって、どちらにするか迷ったが、年寄りはやはり明るいうちに帰りたいと昼間を選んだ。このところ真冬に逆戻りしていたが、またエネルギーをいただいて、ほくほくと帰る。ありがたや、ありがたや。次は6月だ。(ゆ)

 チェロの音が好きだ。生まれかわったらフィドラーになりたいと書いたことがあるが、実はチェロ弾きになりたい。しかし、フィドルに相当するものがチェロにはない。これはクラシック専用、ということにどうやらなっている。そりゃ、バッハとかコダーイとか、あるいはドヴォ・コンとか、いい曲はたくさんあるが、もっといろいろ聴きたいではないですか。その昔、クラシック少年からロックにはまるきっかけはピンク・フロイド《原子心母》の中のチェロのソロだった。

 クラシックのコンサートにはほとんど行かないから、チェロを生で聴ける機会もほとんどない。トリオロジーという、弦楽四重奏からヴィオラを除いたトリオのライヴぐらいだ。このトリオはクラシック出身だが、とりあげる曲は遙かに幅広く、アレンジも面白く、このライヴもたいへん面白かった。なにより、ユーモアがいい。ファースト・アルバムのタイトルも《誰がヴィオラ奏者を殺したか》。

 そのチェロの音を、生で、至近距離で、たっぷりと聴けたのが、まず何よりも嬉しい。しかも、ホメリのあの空間は、チェロにはぴったりで、ふくよかな中低域がさらに豊饒になる。

 おまけにそのチェロが、ケルト系のダンス・チューンをがんがんに弾いてくれるのだ。やはりチェロでダンス・チューンを弾くのは簡単ではなく、これまでにもスコットランドの Abbey Newton、アメリカの Natalie Haas、デ・ダナンにも参加した Caroline Lavelle ぐらい。もちろん生で聴いたことはまだ無い。それが目の前で、フィドルとユニゾンしている。いやもう、たまりまへん。

 アイルランド人はとにかく高音が好きで、低音なんて無くてもへいちゃら、というよりも、邪魔と思っている節がある。われわれ日本語ネイティヴは低音が好きで、どんなに高域がきれいでも、低音が不足だと文句を言う。チェロの中低域は、バゥロンやギターの低音とはむろん違う。何よりもまずあのふくらみ。ヴィオラにもあって、それも大好きだが、チェロのふくらみはこれはやはり物理的なものであって、ヴィオラでは出ない低い音にふくらんでゆくところ、まったくたまりまへん。

 フィドルにハーモニーをつけるときにそれが出ることが多いが、そういう音は無いはずのダンス・チューンでも、どこか底の方に潜んでいて、あまりにかすかで余韻とも言えない、音の影のような感じがするのはプラシーボだろうか。しかし、目の前でチェロがダンス・チューンを奏でているというだけで、あたしなどはもう陶然としてしまう。

 ハーモニーをつけるアレンジはギターがお手本のようではあるが、チェロは持続音だからドローン的にもなる。ドローンと違うのは、チェロの音はむしろ細かく動くところがある。ギターではビートが表に出るが、チェロではメロディ本来の面白さが前面に出る。

 チェロを聴くと、フィドルの音源が点であることがよくわかる。チェロは面から出てくる。それには楽器の表がこちらを向いているということもあるだろう。しかし、ハープもやはり点から出てくる。そして、ケルト系の音楽では、ほぼ全ての楽器で点から音が出る。音の出るところが複数あるパイプですら、面にはならない。チェロの音のふくらみには、面から音が出るということもあるにちがいない。ハープとのデュオでやったカトリオナ・マッケイの〈Blue Mountains〉では、弦をはじいていたが、やはり面から出る。これは録音ではまずわからない。ライヴで聴いて、見て、初めてわかることだ。

 これが組み合わさると、チェロのハーモニーによって、ダンス・チューンのメロディがより明瞭に押し出されてくる。こういう聞え方は、ケルト系ではまず体験したことがない。

 冒頭のスローなチューンでのチェロのふくらみにまずやられて、ずっと夢うつつ状態だったが、後半のスウェーデンの〈うるわしのベルムランド〉で、チェロがずっと低域でほとんど即興のように奏でたのには、まいりました。そして、アンコールのポルカ。ポルカは意外にチェロに合うらしい。ユニゾンがきれいにはまる。

 このチェロの巌氏をこの世界に引きずり込んだのは中藤さんだそうだが、その中藤さんのフィドルもこの日ばかりはチェロの陰にかすんでしまった。それでも、カロラン・メドレーの2曲めでは、彼女本来の、これまたフィドルには珍しいほどのふくらみのある響きを堪能できた。

 カロランに続く、ヘンデルとバッハも良かった。この組合せはもちろん作曲家の「想定外」だが、あらためて曲の良さがよくわかる。クラシックの作曲家は「想定外」の価値をもっと認めた方がいい。バッハの〈アヴェ・マリア〉では、チェロの中低域の響きがさすがに存分に発揮されたが、ハープの左手がそれに劣らないほど面白かった。

 カロランの同時代者としてはヘンデルよりはジェミニアーニで、カロランとの作曲合戦の伝説も残っている。ヘンデルが小室哲哉だという梅田さんの説はその通りだろう。バッハは田舎の宮廷楽長だったから、むしろ地方公務員。今で言えば、県立ホールの会館長というところだが、ヘンデルはオラトリオの上演をビジネスにしていたわけだ。

 それにしても、これはすばらしい人が現れた。他の人たちとの共演も聴いてみたい。むろん、まずこのトリオでの充分な展開をおおいに期待する。

 中藤さんも梅田さんも、ふだんやっていることとは違うことがやりたいと思って、このトリオを始めたそうだ。こういうところが、頼もしい。もっともトリコロールもなにやらとんでもないことをやっているようで、こちらとしてはいろいろ楽しみが後から後から出てきて、嬉しい悲鳴だ。

 ということで、春のゲン祭りのゲンは弦であったわけだが、カタカナにしたのは、まだまだ隠れた、壮大な意図があるのであらふ。

 さて次は、梅田さんの「追っかけ」で、03/06のホメリ。今度は奥貫さん、高橋さんとの、これまた初顔合せ。ケープ・ブレトン祭りになるか。(ゆ)

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