クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 四谷のジャズ喫茶「いーぐる」での村井康司さんの連続講演「時空を超えるジャズ史」第十回の最終回。

 連続はわかるが、断絶はどういうことだろう。と思ったら、ジャズの歴史には両方あると、村井さんは言う。つまりすぐ前を飛びこえてその前のジャズ、ずっと前のジャズ、さらにジャズ以外の音楽の「参照」だというのだ。

 ジャズ以外の音楽として今のジャズが「参照」しているのは、ヒップホップであり、80年代以降のR&Bやロック、初期アメリカ大衆音楽、中南米やアフリカの音楽だそうだ。これらはジャズとどこかでつながっている、と今のジャズをやっている人たちは感じているわけだ。

 と言われると、80年代以前、60年代、70年代のロックやR&B、あるいはソウルはどうなのだ、とその時代の音楽で育ったあたしなどはツッコミたくなる。

 というのはとりあえず棚に挙げて、村井さんが今のジャズの担い手としてサンプルにあげたのは、ロバート・グラスパー、カマシ・ワシントン、ノラ・ジョーンズ、そして UKジャズの面々。まあメジャー中のメジャー、この人たちを今のジャズの代表と言っても、どこからも文句は出ないでしょう。この3人の登場が今のジャズの隆盛を画したと言えるだろう。この3人が今のジャズの隆盛をもたらしたとは言わないが、ジャズが生まれかわって、新たな隆盛に向かっていることを、誰にもわかる形で示したとは言える。で、この人たち自身の音楽と、かれらが参照している音楽を交互に効いてみるという趣向。


 あたしはグラスパーの音楽がどうにも好きになれない。どうしてか、よくわからないが、とにかく気に入らない。今回、その参照項と並べられても、やはり気に入らないままである。

 村井さんによるとグラスパーはとにかくハンコックが大好きで、ハンコックのやったことをなぞっているところがあるらしい。まず最初はそのハンコックの1978年の曲と、グラスパーの2016年のハンコックのカヴァーを対比する。一番の違いはドラムスの叩き方で、グラスパーの方はヒップホップを経たスタイル。まあ、今風の、故意にノイズを入れた、「ローテク」なもの。ひょっとするとこれは叩き方というよりも録り方の違いなのではとも思える。ハンコックの方のドラムスは、ああ、これは70年代のサウンドとあたしにもわかる。で、あたしはこのハンコックの方のドラムスを好ましいと感じるのだ。

 村井さんも、後藤さんも、グラスパーの方が新しい、ハンコックのはいかにも古いとおっしゃるが、新旧の違いはあたしにはよくわからんし、あまり意味があるとも思えない。今は新しくても、すぐに古くなる。ヒップホップに匹敵する大きな現象がまたすぐ起きるとは思えないけれども、あれが最後であるはずもない。それにものごとが変化する周期は、今世紀に入っておそろしく短くなっている。昨日新しくても、明日には古くなる、どころではない。あのラファティの傑作「長い火曜の夜だった」にあるごとく、朝には新しくても、夕方には古くなっているくらいだ。

 もっともそうなるとちょっと古いものが新しいものとして「再発見」されることも増える。1980年代の音楽が近頃もてはやされているのもそういうことではないか。

 それがなぜ70年代や60年代にまで遡らないか、と問うて明瞭が答えが出るとも思えないが、距離が遠すぎるのかもしれない。自分が生まれる前の時代はみな遠い。ただ、生まれる20年くらい前まではまだつながりが感じられるものだ。つまり親が生まれた頃まではつながりを感じる。あたしの両親は昭和一桁生まれだから、1930年代まではつながりを感じる。これが大正になると途端に遠くなる。明治は異世界だ。

 ところがわが国の場合、1930年代と1950年代では世の中があまりに違いすぎる。つながりはあっても、共感できるものはごく少ない。そうなるとあたしの場合、青春期であった1970年代が最も共感できる時期になる。

 グラスパーやワシントンやジョーンズたちにとって、自分が生まれた時期と今は同じ世界にある。少なくともアメリカ文化圏ではそうだろう。それに、一度は表舞台から消えたように見えてもその時代の産物は様々な形で残っている。アクセスが可能だ。デジタル化によって、アクセスはさらに格段に簡単になった。そこで「再発見」されるわけだ。

 グラスパーやワシントンやジョーンズたちが今のジャズ隆盛の旗手として登場したのは、そうした古いものを再発見できる環境が整った時期に育ち、これを使いこなせるようになった最初の世代だったからではないか。そして、かれらに古いものは実は新鮮だよ、それを使うと面白いぜと教えたのがヒップホップだった、というのはどうだろう。

 グラスパーが売れたのは、その肌触りが冷たく、演っている音楽からも一歩距離を置いたように聞えるからではないか、とあたしは思う。いわゆる「チル」の感覚ではないか。一方で、ミニマルでありながら、機械的ではない。有機的なズレがある。あたしが反撥してしまうのは、そこかもしれない。ミニマルならどこまでも無機的でいてほしいのである。どこまでも無機的に繰返される、その奥からひどく生々しいものがにじみ出るのが、ミニマル・ミュージックのあたしにとっての魅力だ。機械にまかせれば正確無比にやるところを、人間がキーを叩く形で介入するためにズレが生じる。そのズレを今度は故意に人間が再現してよろこぶ。そういう人間がいてもかまわないが、あたしはそういう人間にも、そういう人間がやっている音楽にも近寄りたくはない。

 カマシ・ワシントンはグラスパーに比べるとずっとジャズの王道に近い。村井さんも言うとおり、コルトレーンの正統な後継者と呼んでもいいくらいだ。そのワシントンが参照しているとして示されたのが、エチオピアのジャズ、エチオ・ジャズの最も有名なサックス奏者の1人、マッコイ・タイナー、そしてサン・ラである。

 エチオ・ジャズのサックスが持ってこられたのは、ワシントンが最新作でコプト語で歌われるエチオピアの伝統音楽をとりあげているからだ。面白いことにエチオピアはアフリカでも最も早くからポピュラー音楽が開花したところで、1960年代から膨大な音源があり、ここから編集したアンソロジー・シリーズがフランスの Buda から出ている。30枚近いタイトルの大きな部分をジャズが占める。

 おまけにエチオピアの伝統音楽はわが国のものとメロディがよく似ていることで有名だそうだ。なるほどここでかかった曲も、メロディだけもってきて誰かやれば、日本民謡だと言われても誰も疑わないだろうと思われる。

 エチオピアはアフリカの内陸国の例にもれず、多民族国家で、しかもここは古くからの歴史があり、帝国主義国が勝手に引いた国境線で区切られていない。ヨーロッパよりも古い、パレスティナから直接伝わったキリスト教があり、イスラームがあり、言語も多様。たくさんある文化集団の各々に伝統音楽がある。わが国とメロディの似ているのはそのごく一部だ。

 マッコイ・タイナーは1976年のオーケストラとの共演。アイリッシュ・ミュージックの連中が功成り、名遂げると、いや時にはローカルでのみ有名な連中も、みんなオーケストラと演りたがるのは、こういうところに淵源があったわけだ。いや、たぶん、もっと前からの習性ないし性癖なのだろう。クラシックのオーケストラというのは、ジャンルを問わず、ミュージシャンにとってはたまらない魅力があるのか。音楽を演るための編成としては、人類が生みだした最大のものではある。

 ワシントンはデビュー作からの1曲で、確かにかれにはできる限り壮大な音楽を生みだそうという習性ないし性癖がある。

 サン・ラとの対比はどちらもビデオ。編成といい、衣裳といい、音楽といい、そしてリーダーのカリスマといい、これまたまさに後継者。


 ノラ・ジョーンズで村井さんが指摘したのは、ジョーンズが歌っているのはジャズ以前の曲ばかり、ということで、ここで対比されたのが、あたしとしてはこの日最大のヒット、マリア・マルダー。文字通り、あっと思いました。そうだ、この人がいたじゃないか。伝統歌からディラン、ゴスペルからジャズ、おそろしく幅が広く、しかも何をどう歌ってもマリア・マルダーの歌である。自分ではほとんど曲を作らないのに、歌ううたはどれもこれもまぎれもないマリア・マルダー節。ひょっとすると彼女こそはアメリカーナの化身、アメリカン・ソングの女神、一国に一人しかいないディーヴァではないか。彼女のセカンド《Waitress In A Donut Shop》1974から、ミルドレッド・ベイリーが1936年に出した〈Squeeze me〉のカヴァーがかかったのが、この日最も感動した音楽でした。

 対比の3曲目にディランの〈I'll be your baby tonight〉をそれぞれ歌った録音を聴いたのだけれど、比べてしまうと、ノラさん、まだまだ修行が足りんよ。


 UKジャズからの遡行の例として選ばれたのは、セオン・クロス、ヌバイア・ガルシア、シャバカ・ハッチングスの3人。これまたこの3人をもって代表とするのはどこからも異論は出ないでしょう。

 何といっても、セオン・クロスがヌバイア・ガルシアとモーゼズ・ボイドの3人でやっている〈Activate〉が凄い。これは前回もリストにはあがっていたが、時間不足で飛ばされていた。チューバとドラムスの組合せということではわが「ふーちんぎど」も負けてはいないと思うけれども、このトリオの演奏は現代ジャズの1つの極致、とあたしは思います。

 そのガルシアがコロンビアの女声トリオ La Perla と共演したのも面白い。コロンビアの音楽がガルシアというカリブ海つながりで、アメリカをすっ飛ばしてロンドンへ行くというのも面白い。

 そして3人め、シャバカ・ハッチングスに対比されたのが、この日2度目の「あっと驚くタメゴロー」(古すぎるか)、フェラ・クティ。そうだ、この人がいたじゃないか。シャバカが「あいつら、死んでもらうぜ」とおらべば、フェラが「そうさ、あいつらはもうゾンビ」と答える。こういうところがロンドンの面白いところ。ニューヨークではたぶんこうはいかない。ロンドンは広く開かれているけれども、ニューヨークはそれだけで自己完結してしまう。

 UK は帝国主義国家として、とんでもなくひどいことを散々やっているけれども、一方でその旧植民地から面白い人たちを集めて真の意味での坩堝にほうりこみ、新しいものを生みだす。ニューヨークは坩堝にはなれず、サラダボウルのままなのだ。


 ということで、「時空を超えるジャズ史」はともかくも現代まで到達した。村井さんとしてはこれをやることで見えてきたこともあり、新たに試してみたいことも出てきたそうで、むしろここは折り返し点にしたい意向だそうだ。むろん大歓迎で、すぐにというわけにはいかないだろうけれど、続篇をお待ちもうしあげる。

 あたしは全部は参加できなかったけれど、できた回はどれもこれも滅法面白かった。目鱗耳鱗ものの体験もたくさんさせていただいた。とりわけ、最後にマリア・マルダーとフェラ・クティという宿題をいただいたことは、最大の収獲のひとつでもある。

 とまれ、村井さん、ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。(ゆ)

 このデュオを見るたびに、この二人だけでよくまあこれだけ多彩な音を出すものだ、感心する。しかも、ピアノとか、ギターとか、メロディも弾ける楽器ではない。どちらも通常はリズム楽器とされているものだ。どうして二人でやろうと思ったのか、公式サイトに一応書いてはあるが、あらためて一度は訊いてみたくもある。

 もっとも鍵はおそらくふーちんが体に縛りつけて左手で演奏するメロディカ、鍵盤ハーモニカにもある。最初見たときには驚いたが、昨日は一層進化して、チューバとハモることさえしていた。ふーちんのくわしいバイオも知らないが、ピアノはやっていたんだろう。それにしても、左手でメロディカをばりばり弾きながら、右手一本と足でドラムを叩きまくるのは、やはり見ものだ。いったい利き手はどっちなんだと心配になる。それに、左手、右手、そしてたぶん両足もそれぞれまったく別のことを同時にやっているのだ。

 メロディカを弾くために左手のスティックを投げ棄てるので、それを回収しなければならない、というのは昨日初めて知った。

 昨日はセカンド・アルバム・リリース・パーティーということで、前半は既存の曲、後半、セカンドを丸々演るというプログラム。ライヴの冒頭に、新作のやはり冒頭に入っている〈Young and Finnish〉で作ったビデオがステージのバックに上映される。これが良かった。

 曲も特異なビートとキャッチーなメロディをもつ佳曲だが、中央二人の女性ダンサーのコスチュームとメイク、そして振り付けがすばらしい。故意か偶然か、途中、背景の鉄橋の上を電車が渡ってゆくのもいい。古代と現代が同居し、空間も地球上とは限らない。遠い銀河の彼方かもしれず、あるいはまったく別の宇宙かもしれない。ミュージック・ビデオは音楽か映像かどちらかが空回りしているものが多いが、これは二つがぴたりと融合して、どちらでもないものに昇華している。

 このデュオのライヴでチューバというのはラッパなのだ、とあらためて思い知らされたのだが、ギデオンのチューバはほとんどトランペットなみに吹く。かれは体も大きく、チューバがだんだん小さく見えてくる。一方で昨日は循環呼吸奏法も披露していて、ちょっとびっくり。

 フット・キーボードの使い方もいろいろ実験していて、前半最後の曲では本人の言うとおりヘヴィメタル・チューバを披露したのには大笑いさせられた。公式サイトのインタヴューで、この人がセツブン・ビーンズ・ユニットにいたというのを知って、ようやく腑に落ちる。

 最後はふーちんが台所用品で作った手製の太鼓、バチが紐で踵に結びつけられた特製の靴(これを履いて足踏みすると背中にせおった太鼓が鳴る)、洗濯板とブリキのカップのパーカッションを前に垂らし、二人で場内を一周、2階に上がってそのまま退場。やがて拍手に応えてステージに再度出てきてアンコール。

 このハコは客席は狭いが、ステージは天井が高いので、音がよく抜け、ふーちんがどんなに叩きまくっても、うるさくならない。また、正面に丸い大きな白い板がはめこまれ、演奏中はここに大きな月の写真が映しだされるが、二人の影を投影し、二人が月の中で出逢っているように見せてもいた。

 それにしても、客席のオヤジ度の高さはハンパではない。それも、かなり音楽を聴きこんでいる様子の人が多い。おそらくはチャラン・ポ・ランタンよりは、ジンタらムータのファンに近いのだろう。もっともこの二人の音楽は、公式サイトのインタヴューにもあるが、キャッチーで楽しく、いわば行きずりのリスナーでも十分楽しめるだろう。変拍子をそう思わせないし、捻りもあちこち相当あるが、表面はなめらかだ。そして適度にトンガってもいる。

 一方で、まだまだ序の口というところもたっぷりある。今はふたりでやることが面白くてしかたがない様子が全開だが、おそらく二人とも気がついていない可能性、潜在能力があるんじゃないか。ライヴを見ているとそう感じる。それがどんなものか、もちろんあたしなどには見当もつかないが、なにかとんでもないものが飛び出してきそうな気配ははっきりある。

 今は二人はジンタらムータのリズム隊だが、もっといろいろな組合せでも聴いてみたい。

 そうそう、休憩時間には木暮みわぞうがゲストDJをやり、クレツマーを中心に面白いものを聴かせてくれた。

 終演後、物販には当然長蛇の列。しかも一人が複数の品物を買うので、全然進まない。次の時間が迫っていたので、CDは後で買うことにして早々に退散。白昼の公演で、出ればギデオンが言うとおり、うだるような暑さ。都心の暑さはまた特別に暑い。(ゆ)

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