ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのチンドンでデビューしてから20年と聞くとやはり驚く。別に驚くことはないのだが、20年というのは一人の人間にとっては短かくはない。 驚くのはたぶん、それだけの時間の経過をふだんは意識していないからだ。20年前は1997年。インターネットは一応爆発していたが、ニフティのパソコン通信がまだまだメインで、折りから世界的に盛りあがっていたアイリッシュ・ミュージックでわいわい騒いでいた。モノノケもその流れで教えられたから、魂花関連を聴きだしてこちらも20年になるわけだ。おかげでいろんなことを教えられ、あちこち連れていってももらい、すばらしい音楽もたくさん体験できた。その関連で言えば、辺野古の浜辺で見た渋さ知らズは忘れ難い。むろん、いい想いだけでなく、痛い失敗もたくさんして、その重荷は墓場までしょっていくしかない。年をとるとはそういうことでもある。要はプラスマイナスでどちらになるかなので、あたしとしてはプラスの方が圧倒的なのだ。もっとも、プラスもマイナスも単に数字だけの問題ではなく、片方が勝っているからといってもう片方が帳消しになるわけではない。
という個人的感慨は別として、木暮美和さんはみわぞうとしてみごとに羽化している。20年前、モノノケの一員として神戸の長田に行った頃には、チンドンの鉦と下の太鼓だけをちんたら叩いていて、この日ゲストですばらしい芸を見せてくれた「おしどり」のマコさんに、もっと上のタイコ叩かなあかんでえとお尻を叩かれたそうだが、今や、チンドンとシンバルとドラムを駆使するバンドの要。グレイトフル・デッドに無理矢理なぞらえれば、ミッキー・ハートというところ。とりわけ、鉦とシンバルを目にも止まらぬスピードで往復する撥さばきは神技に近い。
バンドはジンタらムータで、あたしは先日のフランク・ロンドンを迎えてのライヴで初めて体験したので、昔を知らないが、今のバンドはみわぞうとドラムスのふーちんの中心軸がびしりと決まっていて、まあ何でもできる。関島岳郎、ギデオン・ジュークスのダブル・チューバがこの日のハイライトの一つだったが、これもふーちんの芯の強い、奔放なドラミングが二人をぐんと押し上げる。誰にでもここまでやれというのは酷かもしれないが、少なくとも太鼓を叩くからには、たとえロック・バンドであろうとロックだけ聞いたり叩いたりするのではなく、これくらいの柔軟性を備えてほしい(ここで言ってもしようもないが、あんたのことだよ、Spinnish のドラマー)。このところ、渡辺庸介さんとか熊谷太輔さんとか小林武文さんとかゆかポンとか、優れた打楽器奏者に出逢えてほくほくしているが、ふーちんはあたしとしては近年最大の発見かもしれない。
みわぞうはチンドン奏者としてもさることながら、これまたフランク・ロンドン公演の余波で、うたを聴きたいと思っていた。前半の東ティモールのうたも良かったが、ハイライトはザッパの〈Peaches en Regalia〉から〈鳥の歌〉のメドレー。そして、モノノケとして何百回となく演奏しながら、これまでうたったことはなかったという〈満月の夕〉は、やはり特別だ。先日も河村博司さんがうたわれていたが、このうたはもっといろいろな人がもっといろいろにうたって欲しい。ただの名曲とかそういうものではすまないものがこのうたにはある。美しいものだけでなく、醜いものもここにはあって、だからこそすばらしいのだ。醜いものが美しいものを引き立てるのではなく、醜いものは醜いままにあることがすばらしい。このうたに声を合わせていると、そのことがすとんと納得されてくる。
大熊さんはバンマスとしても大活躍だったが、この日はクラリネットよりも鉄琴が良かった。別にうまいというのではないが、効果的、というと功利を云々するようでふさわしくないけれど、いいところでうまい具合に入れて、全体を浮上させていた。各種の「おもちゃ」の使い方も堂に入っていて、まさにフランク・ロンドンの衣鉢を継ぐところだ。
フランク・ロンドン公演はいろいろな意味でよい影響を与えていたようで、バンド全体のテンションの高さははんぱではなかったが、唯一、首をかしげたのは午後6時という開演時刻。土曜日だからだろうか。まあ、おかげで終バスには間に合ったのだから文句を言う筋合いはないはずだが、どうも早すぎて、こちらの気分というか、準備というか、リズムというか、まだまだこれからだろうと感じてしまうのである。デッドのように午後8時から始めて1時2時過ぎまでやれとはいわないし、ライヴのたびに駅から深夜料金のタクシーというのもいささか困るが、早いならむしろ昼の3時くらいからやるというのはどうだろう。
ゲストとして休憩のときに出てきて、おおいに楽しませてくれたおしどりにも喝采。ふだん漫才は見ないので、その分新鮮でもあった。テレビなどでは絶対にできない芸をたくさん見せてくれたのも嬉しい。喜美こいしがやめてくれと言われながら湾岸戦争ネタの芸をやり続けた姿に教えられたというかれらの芸にも1本筋が通っている。深刻な話を笑いとばすことは、もっともっとあっていいと思い知らされる。おしどりのマコさんは長田高校出身で、阪神淡路大震災の後、モノノケが被災地を回ったとき、チンドン屋でアコーディオンを弾いていて出会ったという縁の由。こういうものを見られたのも、みわぞうの徳というもの。これからもあらためて追っかけよう。(ゆ)