01月25日・火
クーキー・マレンコが紹介している Ampex によるテープ・レコーダー開発の話は面白い。
もともとテープに録音する技術はドイツが1930年代半ばに開発していた。その機械は Magnetphon と呼ばれ、これによる録音はヒトラーも利用したし、放送局でも使われた。この機械が生と区別がつかないほど音質の良い録音ができたのは、HFバイアスをかけると音が驚異的に良くなることを偶然発見したためだった。連合軍側はドイツが格段に優れた録音技術をもっていることは突き止めていたが、その実態はわからなかった。
第二次世界大戦直後、John Mullin というエンジニアがドイツ製 Magnetophon の古いユニットを2台とそれ用のリール・テープにフランクフルト付近で遭遇し、「戦利品」として持ち帰り、独自に調整したものをハリウッドでデモする。戦時中、ドイツと日本の特許は無効とアメリカ政府が宣言していたので、Ampex はマグネトフォンを研究し、改良する。マリンはこのプロトタイプをビング・クロスビーに見せる。クロスビーはテープ録音技術に興奮し、開発中の Ampex 200A を20台予約する。Ampex にとってはまことにありがたい投資だった。マグネトフォンは持ち運びができたが、200A は巨大な据置型で、4分の1インチ・テープを使い、30〜15KHz を0.5dB以内の誤差で録音できた。1947年10月、最初のプロトタイプがハリウッドのラジオ・センターでデモされる。そこでの反応から Ampex は量産にはいる。1948年4月、最初の2台が完成し、第27回ビング・クロスビー・ショーの録音に使用された。クロスビーが録音を喜んだのは、それまでは異なる時間帯の地域ごとに同じショーを毎回何度も生放送でくり返さねばならなかったためだ。200A は当時4,000ドル。家が一軒買えた。が、数週間後、ABC が12台の200A を注文し、他の放送局も続いた。200A はしかしトータル112台しか造られなかった。1,500ドルの Model 300 が続いたためだ。が、テープ録音はすでにゲームを変えていた。
Ampex は創設者 Alexander M. Pontiaoff のイニシャルに excellence の ex を付けたもので、200A の成功で会社の基礎を築く。
つまるところ、ビング・クロスビーはカネの使い方を知っていたわけだ。
##本日のグレイトフル・デッド
01月25日には1969年と1993年の2本のショウをしている。公式リリースは1本。
1. 1969 Avalon Bollroom, San Francisco, CA
このヴェニュー3日連続の中日。第二部3曲目〈Cosmic Charlie〉が《The Golden Road》所収の《Aoxomoxoa》のボーナス・トラックでリリースされ、第二部オープナーの〈Dupree's Diamond Blues〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、これを含み、〈Cosmic Charlie〉を除く第二部全体が《Aoxomoxoa》50周年記念版でリリースされた。つまり、第二部全部がリリースされている。
演奏はこの時期の典型で、今にも崩れそうで崩れない緊張感が気持ち良い。ラストの〈And We Bid You Goodnight〉はなんとフェイドアウト。
2. 1993 Oakland-Alameda County Coliseum Arena
23.50ドル。開演7時。春節祝賀ショウ2日目。これも総じて良いショウの由。(ゆ)