クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:デジタル

 これはやはり「ゲーム・チェンジャー」だと思うので、ファースト・インプレッションを記録しておく。

 紹介ビデオを見るかぎり、これはゴーグルの形をしたコンピュータだ。iPhone がスマホの形をしたコンピュータ、Apple Watch が腕時計の形をしたコンピュータであるのと同じ。



 ビデオにはないが、キーボードを呼びだしてテキストを打ったり、ペンと「紙」を呼びだして手書きしたりもできるだろう。

 もっとも目標はキーボードに代わるインターフェイスを備えたコンピュータ、平面ディスプレイに代わるディスプレイを備えたコンピュータであろう。

 むろん通信機器でもあって、その意味ではスマホでもあり、やはり格段に進んだインターフェイスと機能を備える。

 そして AV機器でもあって、ゲーム環境であり、ホーム・シアターである。ゴーグル一つで、これらすべてにとって代われる。大袈裟な設備も機材も要らない。しかも、従来不可能だった超大画面、高音質、没入感覚を可能にできる。アップグレードも簡単だ。

 こうしてみれば3,500ドルは安すぎる。

 iPhone が出る前から携帯電話はあった。が、iPhone が出ることでスマホが生まれた。AirPods が出る前から無線接続のイヤフォンはあった。が、AirPods が出ることで、イヤフォン、ヘッドフォンは無線接続がデフォルトとなり、空間オーディオ、3Dオーディオもあたり前になった。

 Apple Vision Pro が出ることで、創作・製作活動やビジネス活動など、コンピュータを使うあらゆる活動のデフォルトの形が変わるだろう。これからの競争で、ゴーグルが眼鏡に、さらにコンタクト・レンズにまでなるだろう。様々なグレードのものも出て、選択肢も増えるだろう。

 これまで別々だった活動、創作と鑑賞、プログラミングとアプリの使用といった「分業」も、間の壁がゆらぎ、溶解することにもなるかもしれない。

 それにしても、いきなり "Pro" とつけてきた。Apple はよほど自信があるにちがいない。(ゆ)

 ファームウェア・アップデートの記事に追加しましたが、読みにくいかもしれないので、あらためて。

 後を受けた国内ディストリビュータのミクスウエーブのサイトでも、ファームウェア・アップデートの情報が無いですね。本家サイトを見るしか、今のところないようです。

 上のページで下にスクロールするか、検索窓に RS2 と入れます。

 最新のアップデートは V.1.06で、1.05より前のものは消えてます。ということは1.06をかければ、それ以前のアップデートも含まれるのでしょう。各々の変更点は以下の通り。

V1.05 Update
1. USB オーディオのショートカットを追加。USBモードを「オーディオ」に設定しておくと、電源スイッチを左にスライドさせるだけで USBモードとなる。
2. システム設定に「画面消灯時の音量操作」のスイッチを追加。
3. Darwin フィルタ類の最適化。
4. 一部機能の読込時間の短縮。
5. アルバム・カヴァー表示の最適化。 

V1.06 Update 
1. MQA ファイルを再生したときのディスプレイの不具合の改善。
2. USB-DAC の接続が切れた時、ハングアップする不具合の改善。
3. その他、マイナーなバグ修正。


 Cayin N7 が良さそうで、清水の舞台から飛びおりるかと思ったものの、カード・スロット二発、無線無しというトンガリぶりに惹かれて、RS2 をやはりもう少し使ってやろうと思いなおしました。それにこのサイズがだんだんちょうど良いと思えてきました。

 HiBy Music のデータベースは日本語処理がうまくないので、結局、ファイルからアーティスト別のフォルダに移動する形で使ってます。これは実は Astell&Kern の最初の DAP、あの懐しくも、革新的な AK100 や AK120 と同じ使い方なのでした。

 音は文句ありません。Darwin は初代ですが、十分すばらしい。良いアンプをかますと、さらに良い声で唄ってくれます。

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 Lotoo の据置型は気になりますね。あそこは DAC が ESS 以外であることが期待できますし。いくらぐらいかなあ。50万とかいわれるとお手上げだけど。(ゆ)

 イーロン・マスクが AI の開発競争に懸念を表明という報道。おまえが言うか。もっとも、わからないでもない。かれは世界を自分の思うがままにしたいので、AI はそれには邪魔になる。早い話、イーロン・マスクのようなヤツが世界征服するのを止める方法を AI に訊ねてみることもできる。イタリアが使用禁止にしたのも同じ。イタリアが禁止した理由がふるっている。個人の情報を集めているから。だったら、Facebook、Twitter、Google をまず使用禁止にすべきだろう。

 バイドゥも AI 開発を発表したそうだが、中国政府がどうするか。ロシアやベラルーシ、イスラーム諸国も禁止したいはずだ。本朝政府ももちろん使用を禁止したいが、そうするとアメリカの機嫌をそこねるからできないか。

 むろん、Microsoft も Google も開発を加速こそすれ、遅くするつもりはさらさらないはずだ。かれらだけではない、Apple もやっているし、世界中のコンピュータ科学の研究機関、大学や NASA のような機関もどんどんやっている。こういうものは止まるとか、遅くなることはありえない。そして、それが現在の世界の構造をひっくり返そうとしていることも確かだ。別にひっくり返すためにやっているわけではない。単に面白いからだ。AI 開発は面白い。やっている人たちは、必要にかられていろいろ理由をつけるが、根本のところは面白い、楽しいからやる。そして、人びとがそれを使うからますますやる。

 AI 開発に反対する人は文明が人間のコントロールをはずれるというが、人間はこれまで文明をコントロールしてきたのか。百歩譲って、コントロールしてきたとして、コントロールしてきたその結果が今のこのザマではないか。これを、あんたはOKだというのか。これがこのまま続いていくことを、あんたは望んでいるのか。人間が、人間様だけがコントロールしてきたから、温暖化とか、戦争とか、差別とか、ひどいことになっているんじゃないか。このまま温暖化はどんどん進み、あちこちで戦争が勃発し、差別もひどくなるほうが良いというのか。

 AI はつまるところ「3人寄れば文殊の智慧」を具体化し、極限まで拡大しようとするものだ。ひとりだけで考えていても、たいしたことは思いつきもしないし、考えられもしない。それとも考えることは少数の天才たちにまかせればいいのか。そうではなく、大勢の考えを集めてみれば、一人で考えているよりもずっとマシなことを思いつくだろう。それは少数の天才たちが思いつくどんなことよりもマシになりうる。百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門にとうていかなわないのだ。

 ジェイムズ・P・ホーガンは『仮想空間計画』で、AI にまかせた方が仮想空間内の社会がまともな方向に向かうことを描いてみせた。

仮想空間計画 (創元SF文庫)
ジェイムズ・P・ホーガン
東京創元社
2015-08-29



 それは楽観的に過ぎるとしても、AI は人間の独善をチェックする存在になりうる。AI に反対しているイーロン・マスクのような連中は、自分たちの独善によって利益を得ている。この世界全体、地球全体がどうなろうと知ったことではないのだろう。AI はその独善に対するアンチテーゼになりうる。言わせてもらえば、むしろ AI に暴走してもらいたいくらいだ。コードウェイナー・スミスが今生きていたら、Instrumentality of Mankind 人類補完機構の管理者たちを人間の中からの選抜ではなく、AI にしたことだろう。
 もちろん、どうなるかはわからない。AI が「悪い」方向に暴走することだってありうる。しかし、AI がなくても未来はお先真暗なのだ。AI という要素がからんできたことで、その真暗闇に濃淡がつくかもしれない、というところだろう、今はまだ。しかし、それだけでも面白い。AI の研究は昨日や今日に始まったわけではないが、ようやくスタート地点に立ったのだ。ひょっとすると、生きているうちにシンギュラリティが見られるのではないか。そう思うと、わくわくしてくる。(ゆ)

 ささきさんの AirPods Pro 2 のレヴューは久しぶりの力作。最後の新約聖書からの引用(ヨハネ13章36節)が効いている。あちこちに分散している設定のリストはありがたい。

 ワイヤレス・イヤフォンの普及は iPhone からヘッドフォン・アウトをなくしたためだし、AirPods は決定的だった。これからはオーディオはプレーヤーと再生装置双方によるコンピュータ処理が前提というのもその通りと思う。AirPods Pro をあたしはイヤフォンというよりも、ノイズから耳を守るための ANC 装置として使っている。ZE8000 を買ってしまったから、今はそちらがメインになった。AirPods Pro 2 が iPhone とのペアで使うための汎用の製品なのに対し、ZE8000 はつなぐ相手は汎用だが、音は思いきりオーディオに振った製品、になろう。

 ヘッドフォンはどうだろう。AirPods Pro 2 が Max と同等なら、Max を買う価値はない。AirPods Max 2 はどうなるか。

 これはもはや装置の物理特性の範囲でじたばたするスピーカー・オーディオとはまったく別の世界になる。近いのは DAC 付きアクティヴ・スピーカーだが、部屋という要素が入るから、イヤフォンほどの細かいコントロールは効かず、したがってコンピュテーショナル・オーディオの効果もイヤフォン程には効かない、つまり従来オーディオとの違いが大きくないとも思われる。

 とはいえ、Airpulse はサウンド・ジュリアのような店でも音がいいと売れているようだから、いずれ、ネットワークプレーヤーと DAC 付きアクティヴ・スピーカーのペアという製品は出るだろう。そういえば、Airpulse は専用ドライバーをプレーヤー側で使うと音がよくなる、とサウンド・ジュリアが書いていた。これもコンピュテーショナル・オーディオの範疇だろう。プレーヤー側に入れた専用アプリとペアで使う DAC 付きアクティヴ・スピーカーがスピーカーのデフォルトになるか。(ゆ)


08月02日・火
  結局ポメラを買ってしまった。楽天で溜まっていたポイントを注ぎこんだら半額になったので、思わずポチリ。正直、定価では買わなかった。ニッチな製品ではあるし、この定価も理解できなくはないが、理解するのと実際に買うのとはまた別だ。



 
 とまれ開梱し、マニュアルにざっと目を通し、まずはキートップに親指シフト用のシールを貼る。貼り終ったところで、そのキートップを見ながら、文章を入力してみる。とりあえず手許にあった田川さん訳のヨハネ福音書をやってみる。
 最初の一文は、キーの位置をまったく忘れている。打っているうちに、徐々におぼろげながら思い出してきた。アタマが思い出すというよりはカラダが、手が、指が記憶をとりもどしているようだ。そうそう、「た」はここだったよね、「は」はそう、ここだ、というように。

 親指シフトはエミュレータがちゃんと出ている。TESLA野良ビルドは消えたが、Lacaille があるので、とりあえずダウンロードしてみる。これで AquaSKK が使えるといいんだが。

 今の Dvorak+AquaSKK もかなり楽ではあるし、すっかり指がなじんで、スピードも考えるのに追いつけるくらいだ。手書きよりも速いかもしれない。けれども、ローマ字入力には変わりないので、1字につき2打鍵はどうしても必要だ。AquaSKK が親指シフトで使えれば無双になる。

 親指シフトに出会ったのはかれこれもう40年前か、富士通が出した史上初のポータブル・ワープロ OASYS Lite を買った時だ。1984年、とウィキペディアにある。当時は宮仕えしていて、部署は営業部、取次の東販、今のトーハンの現場とつきあいがあり、安く買えるよというので、定価22万の8掛ぐらいで買ったはずだ。

 それまでは和文タイプを使っていた。何に使っていたかというと、トラッドつまりヨーロッパの現代化された伝統音楽愛好家のための同人誌の版下製作である。和文タイプも値段は同じくらいだったと思う。使っているうちに印字がぼやけてきて、メーカーに頼んで修理に来てもらった。原因は何ですかと訊いたら、使い過ぎです、と言われた。

 和文タイプに比べればワープロは天国である。それまでもワープロ・ビジネス機の展示会に行ったりもしていたけれど、でか過ぎ高過ぎでどうにもならない。OASYS Lite のニュースには狂喜乱舞して、発売を待ちかねた。実機を手にして、また狂喜乱舞した。「富士通が当初称していた『日本語電子タイプライタ』としては OASYS Lite の機能で十分であった言える」というウィキペディアの記述はまさに当っていた。8文字しか表示されないディスプレイも反応スピードが速く、不自由は感じなかった。

 そして親指シフトの快適さ。それに、親指シフト用キーボードとしては OASYS Lite のものが一番打ちやすかった記憶がある。後に PC に移った時、IME はいろいろ試したけれど当初ローマ字入力以外の選択肢は無く、ひどく閉口した。Mac に移ってから、TESLA というエミュレータに出会って、親指シフトを再開。が、TESLA もそう長くは続かなかった。しばらくは有志による野良ビルドがあったが、MacOS X で消滅。当時はまたも他に選択肢もなく、やむなくローマ字入力になった。

 それでもいろいろ試して Dvorak とか、AquaSKK とかにいくぶん救われて今日にいたる。ここで再度親指シフトにもどれるか。

 そう振り返ってみると、手書き入力を試したことがない。ワープロ、コンピュータについてはキーボード入力しかやったことがない。大学に入った時、独学してタッチタイピングは習得した。オリベッティのポータブル・タイプライターである。むろん電動などではなく、リボンは布製で、キーを打つ力が印字に反映される。タッチタイピングは難しくない。タイプライターとともに独習教則本を買ってきて、まず左手小指で "a" を打ち続けるところから始めた。まあ普通3ヶ月もあれば指が覚えるだろう。早い人なら1ヶ月。

 なぜ、手書きではなく、キーボードかといえば、圧倒的に楽だからだ。手書きは体力を使う。体も歪む。利き手のある半身により力が入るからだ。タイプライターは両手を使うし、動くのは指先だけだ。手書きに効用はある。そのメリットは十分承知している。しかし、デジタルで文章を書くのはキーボードの方が遙かに楽だ。

 英語などのインド・ヨーロッパ語族の言語の作家が、あれだけの分量のテキストを生産できるのはキーボードのおかげだろう。バルザックやディケンズはまだ手書きだったはずで、それで、あれだけ書いたわけだから、キーボードだけがたくさん書く、書ける理由ではないが、タイプライターが普及して全体に分量も増え、書く人も増えた。ワープロになり、書き直しが簡単になって、さらに増えた。アメリカの NaNoWrimo のようなイベントができるのも、書くことそのものが楽になったことも要因だ。

 

 日本語でもワープロの普及以降、書く人間の数は増えているだろう。栗本薫が『グイン・サーガ』を書けたのはワープロのおかげだ。手書きではあの分量は無理だ。

 日本語の場合、誰もが外蕕硫當でタイプライター、キーボードに触れるわけではないから、ワープロやテキスト・エディタで文章を書こうとすると、キーボードの使い方、ありていに言えばタッチタイピングを意識して習得する必要がある。だから、かつてはガラケーの文字入力、今はスマホの文字入力に熟達する人が多い。ただ、SNS の短かいテキストならあれでも用は足せるが、少し長く、まとまった文章には不向きだろう。ここまでで約1,100字。これをスマホで書く気には、あたしは到底なれない。

 このテキストはまだ Dvorak+AquaSKK で、MacBook Air で書いている。さて、親指シフトの練習をしますか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月02日には1967年から1976年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1967 O'Keefe Center, Toronto, CN
 水曜日。このヴェニュー6日連続のランの3日目。共演ジェファーソン・エアプレイン、ルーク&ジ・アポスルズ。
 この日は昼と夜の2回ショウをしている。ともにセット・リスト不明。

2. 1968 The Hippodrome, San Diego, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。3ドル。開演8時半。共演 Curly Cooke's Hurdy Gurdy Band、Maya。セット・リスト不明。
 07月13日以来のショウ。

3. 1969 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。3ドル。共演 Ballet Afro-Haiti、アルバート・コリンズ。
 セット・リストはテープによる。
 ポスターでは01日からの3日間になっているが、01日はどこにも記録が無い。
 07月16日以来のショウ。
 Ballet Afro-Haiti はこの頃のコンサートに名前が出てくるが、不明。
 Albert Collins (1932-1993) はラスヴェガス出身のブルーズ・ギタリスト、シンガー。テレキャスの名手として知られる。前年1968年にキャンド・ヒートがヒューストンでのギグした際、友人の薦めでそのライヴを見たことから、かれらの引きでコリンズはカリフォルニアに移住する。この移住によって運が開け、西海岸でキャリアを積んでゆく。

4. 1976 Colt Park, Hartford, CT
 月曜日。7.50ドル。開演6時半。07月18日以来のショウで、翌々日ニュー・ジャージーでショウをして、09月23日まで夏休み。
 ショウそのものはすばらしかった。が、ヴェニューでは大混乱があった。会場には二重にフェンスが張られ、その間にバイカーたち、というからヘルス・エンジェルスだろうか、が配置されて、フェンスを乗り越えようとする人間は叩きのめされて投げもどされた。アンコール近くなり、外にいた連中は複数の箇所でフェンスを引き倒して火をつけた。消防と警察が大挙して到着した。(ゆ)

4月7日・水

 玉川土手を山に向かって歩いていると、山の斜面が様々な緑色の斑になり、その中に淡いピンクが点在する。そこに斜めに陽があたっているのに嬉しくなる。

 散歩のお伴は Claudia Schwab のソロ・ファースト Amber Sands。やはりダーヴィッシュ支援で、これまたたいへん面白い。アイルランド、インド、その他の影響がそれぞれまだ剥出しなのもたのしい。聞きこんでゆくといろいろと発見がありそうだ。録音もいい。

Amber Sands
Claudia Schwab
CD Baby
2014-04-26



 Wさん@ICF から講座への反応をいただく。まことにありがたい言葉で、やった甲斐があったと胸をなでおろす。あたしのような者の体験でも、分野を限ればそれなりに人様が聞いても面白いものになるらしい。Zoom の後半に話した、あたしがいかにアイリッシュ・ミュージックに親しむようになったか、という話はブログに書いてみるのも一興かもしれない。


 オーストラリアのベンチャー企業が開発した NuraLoop が面白そうだ。AV Watch の本田雅一氏の記事にあるように、録音音楽伝達末端の音質調整にデジタルが入ることで、オーディオは完全に変わるだろう。

 

 スピーカーでも Genelec の SAM の技術は Apple や Nura と同様のアプローチだ。あちらは耳ではなく部屋の特性を測定して調整する。

 音源はデジタルになったけれど、音に変換して再生する部分ははイヤフォン、ヘッドフォンも含めて、アナログによるアプローチだった。イヤフォン、ヘッドフォン、スピーカーのボディやドライバ、ケーブルの素材や形状というのはアナログだ。カスタム IEM で耳型をとってそれに合わせて作るのも典型的なアナログだ。耳型をデジタルで作る方法もあるけれど、耳型という点ではアナログだ。Nura はいわばヴァーチャル耳型をとるわけだ。耳型をとるのは遮蔽能力を高めるためだが、デジタルを徹底すれば、遮蔽能力はアクティヴ・ノイズ・キャンセリングにまかせ、その上で聞え方を直接測定するのが当然だ。この測定の技術、ANC の技術はまだ向上するだろう。何をどう測るかの方式は一つではないはずだ。さらに測定したものを再生に活かす技術も様々なものが出てきて、向上するだろう。フル・デジタル化することで、音質改善のコストが劇的に下がる。

 ただし、耳そのものの質を向上させるわけではない。壊れた耳や壊れた脳が「聴いて」いるものを補正するわけじゃない。音楽を聴いて愉しむには、それなりの訓練がいる。後藤さんの「ジャズ耳」はその一つの表現だけど、耳は「鍛える」ことができるし、またすべきなのだ。ただ、それはオーディオ的に音質を改善することとは別のことではある。

 ゼンハイザーがコンシューマー部門のアウトソーシングを探っているのも、こういう状況を見てのことかもしれない。デジタルの恩恵を受けるのはまだエンド・ユーザーのレベルで、音楽製作の現場ではアナログでなければならない場面は残る。個々のエンジニアやプロデューサーだけに合わせた音で作ってしまっては売物にならない。

 NuraLoop の懸念は再生装置との接続で、M11Pro と Bluetooth でつないだ場合の音質がどうなるか。有線もあるにしても、イヤフォン側のケーブル形状が固有だから、サード・パーティー製でのリケーブルはできない。デフォルトは無線だろう。とまれ、試してみる価値はありそうだ。


 「そんな高齢化時代を迎えたいまだからこそ、地域にとってなくてはならない存在感が一層際立つ。(中略)『ご年配のお客様の中には、話し相手として私たちが来るのを待ち望んでいる方も少なくありませんから』と顔をほころばせる。地域のお客様の心の拠り所として愛され続け、61年目の春を迎えた」
 
 というのは結構なことだが、この地域の住民の平均年齡が若返り、新たな住民が増えることは期待できるのだろうか。それがなければ、『昔は世帯人員も5人、6人というのが当たり前でしたからね。それが今は高齢のご夫婦や単身世帯ばかりになってしまいました。購買力が落ちるのも当然です』という流れが続き、住民が死に絶えたところで、この店の商売も絶えるのか、70年目の春は迎えられるのかと他人事ながら気になってしまう。いや、埼玉の一角であるこの地域の話だけではなく、神奈川の一角である、今住んでいるこの辺りも状況は同じなのだから、他人事ではすまない。(ゆ)

とくに、すでに読み終わったキンドル・ブックの魅力は
まったく恐ろしいほどの速さで劣化する。
(そこは、音楽の電子ファイル化とはぜんぜん感触が違う。)
裏をかえせば、紙の本はやっぱりとんでもないメディアだ。
文字情報以外の膨大なディテールが意識下に働きかけてくる、一個の宇宙。
紙の本が家の中で場所をふさぐのは、「物質」であることより、
読み終わっても本としての魅力がたいして褪せないことが原因なのだ。
それどころか永遠に読まずに終わっても、
そこに在るだけでチャーミングなんだから始末に負えない。
from「菊坂だより」@みすず書房ニュースレター no. 86 (2011/10/27)


    確かにその通り。
    
    と一度はうなずくのではあるが、しかし一方であの本はどこにいった、と探しまわる必要が無い、めざす本が即座に出てくる、というのはまた別の魅力だ。
    
    音楽もそうだが、デジタル化されることで、ソフトウェアつまり本の中身と、ハードウェアつまりモノとしての本が分離する。「キンドル」が味気ないとすれば、中身だけの味気なさではあろう。
    
    とはいえ、いったん分離されてみると、やはり本質的なのは中身であって、モノとしての魅力はまた別のものなのだ、と気がつく。
    
    読みおわって魅力が劣化するとすれば、それはキンドルのせいではなく、その中身そのものの魅力がそういう性格を備えているからではないか。
    
    中身のつまらない本は、物質としてもやはりつまらない。(ゆ)

    作家のコリィ・ドクトロウがブログ Boing Boing にこんな記事を載せてます。

    以下に記事の内容を要約してみます。


    コリィが引用しているグラフのオリジナルはタイムズ紙のウエブ実験室 Times Labs のブログに載ったもの。お手数ですがグラフそのものはどちらかのサイトを参照してください。

    この「レコード産業が見られてほしくないグラフ」は英国の音楽産業の収入の2004年から2008年までの推移を示してます。ソースは BPI(The British Recorded Music Industry) と PRS for Music(英国のJASRACに相当するもの、らしい)で、左側の金額の単位は千ポンド。

    示されているのは、レコード、ライヴ、そして PRS、つまり音楽が公に使用されたことで派生する印税。これが音楽産業の収入の三本柱です。
   
    グラフでは一番上の赤い折れ線がレコードからレコード会社が得た収入。
    次のブルー・グレーがミュージシャンがライヴから得た収入。
    3本目の緑がPRSからの収入。
    4本めのグレーがレコードからのミュージシャンの収入。
    5本めブラウンがライヴからプロモーターが得た収入。

    なぜ、ライヴからの収入が急増しているかについては、現時点では不明としています。ただ、2009年にはミュージシャンがライヴから得る収入が、レコード会社がレコードから得る収入を上回ることは確実です。
   
    はっきり言えることがふたつ。ライヴからの収入の増加傾向は鈍る傾向を見せていないこと。そしてミュージシャンにとっては、ライヴの方が遥かに儲けが多いこと。チケット売上から得る取り分が大きいため。
   
    タイムスのサイトにはもうひとつ、英国音楽産業全体の総収入の推移を示したグラフがあります。それによると、産業全体での総収入は、わずかずつではありますが、増加しています。
   
    ということは、「非合法ダウンロードの増加によって音楽産業が被害を受けている」と言うとき、実際には音楽産業のうちレコード会社が主に被害を受けている、ことを意味します。


    コリィ・ドクトロウはもうひとつ、著作権問題にひきつけて問題提起をしています。

    著作権法は過去に成功していた者に引き続き成功を保証するためのものか、それとも、誰かが成功することだけを保証していれば十分か。
   
   
    以上はあくまでも英国の事例です。アメリカやわが国ではどうなっているのか、ぜひ知りたいところです。(ゆ)

    CNET のエニグモ=コルシカに関するブログ「デジタル化のパスカル・パオリ」を読んで浮かんだことのメモ。

    エニグモ=コルシカはどうもぼくには確信犯に見える。それも販売そのものが目的なのではなく、議論を巻きおこすことが第一目的であって、最終的には現在の著作権システムに穴を穿けることをめざしているのではないか。そうみると、こうした記事を書くこと自体、その意図に乗ってしまっているわけでもあるのだが、ここはそれでもかまうまい。現行の著作権システムが錆びついていることは、それによって守られていると思いこみたい人びとにとっても明らかだろうからだ。
   
    もっとも、エニグモ=コルシカの意図は明確に「著作権システムに穴を穿けてやる」と言い切れるものでもないだろう。結果的に穿いてもやむをえない、穿いたらしめたもの、ぐらいではないか。コルシカ・サイトはいわば観測気球であるわけだ。他の事業を見ても、エニグモをやっている人たちが、著作権法をよく知らないでコルシカを仕掛けたとはとても思えない。むしろニーズの存在を感知し、それを満たすための方策を考えたようにみえる。出版業界についてもよく調べていて、紙にすがりついているだけでは雑誌に未来は無いことも見通している。おそらくエニグモとしてはコルシカの次の段階に商売のネタを見ているのだろう。それが何かは知らないが。
   
    そこで問題はやはり出版業界に返ってくる。なぜコルシカのようなサーヴィスを、出版社自身がこれまでできなかったか。
   
    答は予想できる。著作権システムが壁になっているからだ。
   
    そう、出版社自身を守るはずの著作権システムが、環境の変化にあって硬直化してしまい、今度は出版社自身を縛っている。
   
    今や「コンテンツ」つまり情報や知識や知恵を材料として個人あるいは集団が作った「作物」はデジタル化されなければ、利用されない。この趨勢は加速こそすれ、逆流することはない。
   
    そして現行の著作権システムは「著作物」のデジタル化を基本のところで想定していない。現在の処理のやり方はデジタル化された、あるいは最初からデジタルで作られた「著作物」を、暫定的にあるいはヴァーチャルにアナログ化して処理している。
   
    現行の著作権の概念は紙の上に印刷された作物を対象にしている。印刷術が開発されることで、著作権が生まれる。著作権とは著作物で食べてゆくための装置だ。筆写の時代には、著作をしてもそれで食べられるわけではない。印刷によって筆写とは次元を異にして複製が容易になったために、著作物で食べられる可能性が生まれた。しかし保証はされない。著作権が確立されていない時代、地域では出版社だけが潤う現象もあった(例えばロバート・バーンズ)。「著者」が著作物で食べることを確実にするために編みだされたのが著作権だ。これは結局、著者と出版社が共存共栄できるために広く採用された。
   
    著作権は複製を前提にしている。複製できないものに著作権は設定されない。著作権とは事実上、複製する権利だ。デジタルの問題は複製を誰もが簡単にローコストでできてしまうことから生まれている。アナログを複製するにはコストと手間がかかる。本というパッケージを買うのは、一冊まるごとコピーして製本したり、筆写するよりも、買う方が手間もかからず、安くすむからだ。
   
    したがってアナログは複製をコントロールすることが可能だ。そして現行の著作権は複製をコントロールできることが前提になっている。
   
    そのシステムが、誰もが複製できてしまう事態に直面したときとったのは、「守り」の姿勢だった。自らは変わらずに、そのシステムを押しつけることだった。
   
    一度そうしてしまうと、すべての変更ができなくなる。一カ所でも変えると、ドミノ現象が起きると感じられる。堤防の蟻の一穴のたとえだ。それまでは潤滑油として黙認していた「洩れ」の部分までふさごうとする。あるジャズ喫茶の老舗に突然数十年分の莫大な著作権料を請求したというのは、この例だ。
   
    だから今の著作権をめぐる議論は、利用者側が著作権の「柔軟な」行使を求めると、権利者団体側はより厳密な適用を求める、ということになる。その結果、権利者自身がデジタル化しようとしてもできない自縄自縛の事態が生じる。その間に、アナログの次元だけで展開されている著作物による収入はどんどんと減り、それが著作物の質の低下を呼び、さらに収入の減少を加速させる。
   
    一方で既存の著作権システムを守ろうとする姿勢は過激化し、著作権を守ることは一時の「テロとの戦い」と同様な錦の御旗となる。既存の著作権システムを守るためなら、どんなことでも許されると考える。端的な例が、フランスで法制化された、「違法ダウンロード常習者をインターネットから切断する」行為だ。こんにちの社会でインターネットはもはやライフラインや公共交通機関と同様のインフラだ。それからの切断は人の生存にかかわる。ここでは基本的人権より著作権保護が上に置かれている。そこでヨーロッパを中心に「海賊党」が現れることになる。著作権はその本来の位置にもどし、基本的人権の方を優先すべきだという主張だ。
   
    「違法ダウンロード常習者」は犯罪者なのだからそれを社会から隔離するのは当然だというのは本末転倒だ。なぜなら、そのダウンロードが違法かどうか決めるのは社会ではない、権利者だからだ。権利者が、ダウンロードしていいよ、とひとこと言えばそのダウンロードは「合法」になる。すると、一権利者がある人間の生殺与奪の権利を握るわけだ。これは法律の存立基盤そのものに反するはずだ。
   
    とはいえ、あるダウンロードが違法か合法か、権利者が決められる事態は、やはりデジタルだからこそだ。アナログではこういう状況は生まれない。これはつまり、デジタル化が進むことで、複製を独占するための装置という著作権概念の実体が顕わになったということだろう。デジタルの時代に複製の独占は不可能だ。その前提を受けいれ、著作権システムを組替えなければ、「コルシカ」は形を変えて次々と出てくる。それもどんどん巧妙になる。今回の「コルシカ」は既存の出版業界へ寄生する形だ。将来の「コルシカ」は既存の出版業界を飛び越す形になる可能性もある。アマゾンからして、コルシカと同様のことを考えていないはずはない。
   
    そう、ぼくは既存の出版業界を応援する立場だ。このままずるずると崩壊してほしくはない。そのためにも、著作権システムの組み換えに率先して踏みだしてほしい。それはすなわち、既得権益の一部放棄を意味するだろう。しかしデジタル技術の出現と普及は、印刷術の出現と普及に少くとも匹敵する、ひょっとするとそれ以上の巨大な変化であることは、もう明らかではないか。(ゆ)

    本日15時予定で9月号を配信しました。未着の方はご一報ください。
   
   
    ヨーロッパを「席巻」している海賊党ですが、英国でも政党として選挙管理委員会から認定されたそうです。元記事はこちら

邦訳はこちら

党の公式サイトはこちら

公式ついったーはこちら

なお Pirate Party International によれば、現在24ヶ国に政党がある由。

上記サイトによれば、ヨーロッパ以外ではオーストラリア、USA、南アフリカ、ペルーにあります。

わが国にできるのはいつかなー。(ゆ)

    2003-01-22 アトランタの録音がアップされた。以前 Shorten ファイルで配布されていたものを改訂したものの由。事情は書いていないがショウ全体は短い。
   
    2009-08-07 ケープ・コッドの録音がアップされた。これで、ヨーロッパから今回帰国後の三連荘がすべて聞ける。
   
    2009-08-06 に二つ星レヴューがつく。トッドのベースが会場でははっきり聞こえたのに、ちゃんと録れていない由。追記によるとこの御仁、会場で4人の酔っ払いグループと喧嘩になったらしい。同様の書き込みを Buddy & Julie Miller のメーリング・リストで見たこともある。dTb の録音でも、はじめからおわりまで、音楽に関係なく声高にしゃべり通している声が入っているものがある。会場の性格もあるのだろうし、たまたま行きあわせた人もいないわけではなかろう。それでもこういうところに出る文化の違いは、自分たちのものとならべたとき、かなり基礎的で本質的な位相をあぶりだす気もする。(ゆ)

    一応メモしときます。

「携帯電話やポータブルプレーヤーをハブとして、カーオーディオやホームオーディオなどの家庭用機器に、Bluetoothや赤外線通信、無線LAN等を通じて音楽を再生できるシステムの構築を同協議会が中心となり推進していく」

    つまり、iPod からデスクトップ機器になんとか客を呼びこみたい、ということでしょうか。それともカーオーディオの方が大きいのかな。
   
    でも、これからの若者はクルマに興味がないそうですがねえ。それに動かせないハードは避けるかも。iPod と高性能イヤフォン、ヘッドフォンで音質は十分ですし。PHA かませれば、320kbps の MP3 でも、びっくりする音になりますから。
   
    ただ iPod と PHA とイヤフォン/ヘッドフォンが線でつながってなくてもいいのは、携帯性が飛躍的に良くなるはずなので、無線システムはどんどん推進してください。特に iPod と PHA の「塊」がねえ。PHA の中に受発信機をしこむのは難しいのかなあ。うん? PHA なんてニッチなものはこういう協議会の眼には入らないか。(爆)
   
   
    こんなニュースもあります。
TBSラジオ、iPhoneにクラシック番組 購入も可能
(ゆ)

アップされています。

    この党が今後支持を拡大するのは十分予想されます。なんてったって、今の著作権法や「知的財産権」関連の法律は完全に「持てる者」の「財産」を守るための法律になってますからね。まあ、もともとそういう「財産」を守るための法律ではありますから、当然といえば当然なんですが、死後70年保護なんて「弊害」もめだってきました。
   
    そりゃ「持たざる者」の著作物にも著作権は保証されてます。でも「持たざる者」が著作権を保証されたってそれで現実に利益を受けるわけじゃない。金銭的あるいは経済的見返りを受けられるわけじゃあありません。
   
    著作権法によって「持たざる者」から「持てる者」へ移れる可能性はあります。が、実際に移れる人間は例外でしかありません。ロック・スターとか、ベストセラー作家とか、人気ゲームの作者とか。
   
    圧倒的多数の「持たざる者」にとって、少くとも今の著作権法は不利益しか生んでません。わが国でいえば、「コピーワンス(テンス?)」しかり。「コピー補償金」しかり。ダウンロード違法化しかり。「貸与権」しかり。
   
    つまり今の著作権、知的財産権関連の法律は「公平」ではない。保護されるべき権利の「対称性」がくずれています。
   
    すでに「スウェーデンでは、30歳以下の層では最大の支持を得ている政党」だそうです。

「最大の成果は、問題の存在を政治家に知らしめたことです。われわれが1議席を確保したということよりも、この問題を理解しなかったために他の政治家が議席を失ったということ。これは、すべての政治家への強いメッセージです。政治家はファイル共有などの問題に気が付き、理解しようとするでしょう。でなければ、先に理解した対抗勢力に支持が流れるということが実証されたからです」

    さて、わが国の既存の政治家たち、野党も与党も、ついでに言えば役人たちも、このメッセージを受けとっていると期待しましょう。

「海賊党の意義は個々の主張というより、『情報政治学』の登場だと思っています。われわれのことを“単一争点政党(single-issue party)”と呼ぶ向きもありますが、あらゆる大きな動きが登場するとき、焦点はまず単一の問題に向けられます。1920年代に労働者の権利問題から政党が生まれ、その後、労働者の権利が生活のあらゆる面に関与することがわかりました。最近では環境問題から政党が生まれています」

であるとすれば、海賊党の登場はまさに「蟻の一穴」、21世紀は環境とともにこの問題をめぐって展開することになるのかもしれません。「会社は誰のものか」という議論があります。おそらくわれわれは「著作物は誰のものか」とあらためて問いなおしてみる必要があるのでしょう。どんな大作家、大発明家にしても、まったくの「無」からすべてを独力で作りあげ、生みだした人間はいないのですし。(ゆ)

という、なかなかおもしろい記事が、少し前ですが Forbes のサイトにでていました。


    アマゾンは「推薦システム」とオン・デマンド印刷製本サービスを組み合わせて、著者と直接関係を作ろうとしている。アマゾンが本の制作、流通、販売を一手に握り、既存の出版社やエージェントを退場させていくだろう。
   
    本のオン・デマンド制作のコストが、アメリカやイギリスでは劇的に下がって、自費出版が容易になった。アメリカでは業界のなかで著者は冷遇されていて、1冊の本の売上からの著者の取り分は最も少ない。したがって著者は自費出版に流れる傾向にある。
   
    問題はいかに出版物を告知し、販売するか、である。その点でアマゾンの「推薦システム」ほど強力なツールはない。それにアマゾンは世界最大の本の売り手だ。だからアマゾンのシステムに乗せることができれば、売れる可能性は最大になるし、ベストセラーも夢ではない。
   
    アマゾンはさらにオン・デマンド印刷製本会社を買収していて、オン・デマンド出版社がアマゾンで本を売りたければ、すべてこの制作会社のシステムを使わなければならない。
   
    こうしてアマゾンは小売り、流通業者、出版社、エージェントを兼ねることになる。それによって本の売上のたとえば65%をとるとすれば、著者の取り分は35%になる。そしてこれまで著者と小売りの間でいわば「口銭かせぎ」をしていた出版社やエージェントは徐々に押し出される。
   
    そしてこうなった世界はこれまでよりもより公平でベターな世界だ。


    というのがこの記事の趣旨ですが、こう書かれてみると、なるほど、そうならない方がおかしいと思えてきます。
   
    アマゾンの「推薦システム」、それをお買いになったのなら、こちらはいかがですか、といううアレですが、これがバカにならないことは多少ともアマゾンを利用したことのある人は実感しているはず。かなり正確に的を射てきます。これを他のオンライン・ショップの推薦に比べてみれば、その違いには唖然とさせられます。このシステムは1998年にアマゾンが買収した Junglee という会社が開発したテクノロジーだそうです。
   
    英米のオン・デマンド制作の質も上がっていて、形だけではオン・デマンドか、通常の大量印刷・製本かは見分けがつきません。今日来た Urdu Project の Hoshruba もいわゆる trade paperback、大判のペーパーバックですが、オン・デマンド出版でした。オン・デマンドのリプリント専門の出版社もあります。

    制作・流通・宣伝コストが下がることで、出版がやりやすくなることは当然です。HOSHRUBA  のように、従来ならば出版などまったく考えられなかった本の刊行も可能になります。出版点数は多いに越したことはありません。「ゴミ」ばかり多くても意味はない、という意見もありましょうが、「どんなものでも99%はゴミ」なのであります。ならば、母体となる数が増えるほどに、「ゴミ」ではないものの数も増えるのです。そしてまた本のような文化の世界では、ある人にとっての「ゴミ」が別の人にとっては「宝物」でもあります。生物と同じく、文化的産物は多様性が大きくなるほどに、生命力も増します。
   
    わが国での出版をめぐる事情、たとえば1冊の本の売上から各関係者が得る収入の割合などは英米とは違うわけですが、出版活動全体が置かれている環境は共通でしょう。ひょっとするとアマゾン・ジャパンが文芸社を買収するかもしれません。

    ところで、わが国でのオン・デマンド出版事情はどうなんでしょう?>くわしい方。(ゆ)


Thanx! > Mr Ashok K Banker for leading me to the article.

    昨日は今月号の配信日でしたが、諸般の事情により、遅れます。23日火曜日には配信できるでしょう。乞うご容赦。


    著作権法改正案が国会で通りましたが、どうしても腑に落ちないところですねえ。今回の変更で、著作権所有者の承諾を得ないでネット上に公開された録音のダウンロードが法律違反となったところです。罰則はないものの、「犯罪人」とされることには変わりはありません。
   
    これって、殺人に包丁が使われることが多いので、包丁を購入する人間に殺人の罪を問え、という論法じゃないですか。
   
    なぜって、海賊盤、ブートレグのCDパッケージを買うことは犯罪ではないわけです。でも、その音源をネットからダウンロードすると犯罪になる。
   
    海賊盤制作は明確な違法行為で、その生産物にカネを払うのはいわば共犯でしょう。海賊盤とわかってて買うわけだから、普通。そちらは犯罪にならない。でも、ネットからタダでいただくと犯罪になる。
   
    ワケワッカンネー、と思うのは編集部だけでしょうか。(ゆ)

    びっくりしたなあ、もう。CDはこんなにも音が良かったっけ。
   
    ボザールにお邪魔したとき、試聴室でCDをかけていたのは、見なれない黒い小型のプレーヤだった。CEC の 3300 も置いてあったが、ちょっとこっちでも聴いてみましょうか、とつなぎかえると、全然ちがう。まるで紗がかかったようになる。フォーカスが甘いというのではなくて、全体がうすくなる。元にもどると音楽が鳴っている空間というか、エーテルというか、その媒体が澄みわたる。遥か奥まで、細部まで、しっかりと見える。別に努力などしなくても、ありありと見える。
   
    それが10年前のデータ用CD-ROMプレーヤだった。秋葉原ではジャンク品として1000円ぐらいで売られているそうな。SCSI のターミナルでパソコン、当時は DOS/V が主流だろうが、これにつなぐ、データの読取専用の外付けドライブである。
   
    オマケだか、需要があったのだか知らないが、これに小さな液晶が付き、プレイ/ポーズ、早送り、巻き戻し、停止ボタンが付き、イヤフォン・ジャックと音量ダイアルが付いている。これだけで立派なCDプレーヤなのだ。電池でも動くらしいから、うんとでかいCDウォークマンとして使われたこともあったのではないか。
   
    ボザールのKさんはOEMも含めて同じものを数台お持ちで、そのうちの一台 TAXAN ICD-400PD というのを貸してくださった。タイムドメイン・ライトをイヤフォン・ジャックにつないで聴いてみる。
   
    これあ、どうだ。音楽が生きてるではないか。こんな無色透明な音はCDでは聞いたことがないぞ。

    Brian Kelly のバンジョー。音にエネルギーがある。跳ねてるよ。

    ヴォーカルもよい。カッワーリの Faiz Ali Faiz のような、熱い声の、中身のぎっしり詰まっているのがびんびん響いてくる。

    Yasmin Levy、これももう聞きいってしまう。引き込まれる。

    いつものリファレンス、Jose Neto の《MOUNTAINS AND THE SEA》。おお、この広大な空間。録音の良さがよくわかる。録音の性格を「何も足さず、何も引かず」正直に出すのは、タイムドメインと同じだ。

    聴くにつれて、だんだん興奮してきた。こういう興奮は、どうも Mac や iPod では味わえないような気もする。要するに、メカではないのだ。モノではない。ソフトウエア、プログラムの世界なのだ、あちらは。そして、ぼくなどはやはり手で触れるモノがないと、本当には興奮しないのだ。
   
    CDももちろん元はデジタルなのだが、読み取った次の瞬間にはアナログに変換される。ソフトウエアでは、Mac から出るまで、いや出た後も DAC を通るまではデジタル・データのままだ。どこでアナログに変換するかという違いだけだが、その違いが案に相違して大きいのだろう。あるいは、その違いが作用する効果に案に相違して敏感なのだ、ぼくは。

    話はややずれるが、音の違いがわからない、と結構平気で口にされるけれど、そう言っている本人がちゃんと聴きとっていることに気がついていないだけなのではないか。われわれの「耳」、それはもちろん感覚器官の耳だけでできているわけではなく、神経システムだけでもなく、脳内に蓄えられた情報、データの質と量までも含めた、総合的な感覚であって、微細な違いも敏感に捉える能力があるはず。ただ、捉えた違いを音の良し悪しとして理解するのではなく、音楽を聴くことだけに集中できないとか、長時間聴いていられないとか、大音量でないと楽しめないとか、の形で把握していると推測する。
   
    もっと突っこんでみると、音が良いことと、音質が良いことは、別なのではないか。音が良いというのは、この場合、音楽を楽しめる、音楽に直接触れられる音である、という意味だ。友人の一人のかつてのシステムは、ロジャース 3/5A を Quad の 33 という、当時すでにヴィンテージもののプリとパワーで慣らしていた。CDになった時も、プレーヤは Marantz の CD-34 だった。音質から見れば、良いとはとても言えない。レンジは狭いし、モコモコしてるし、とにかくダサい。ところが、これで聴くサンディ・デニーのうたの艷っぽさたるや、他では聴いたためしがない。ニック・ジョーンズのギターのつややかさ。フランキー・アームストロングの声がかすれるところのなまめかしさ。とにかく楽しかった。かれのところに遊びにゆくと、いろいろなものをどんどんと聴きたくなったものだ。自分のうちではあまりなじめなかったドノヴァンの《HMS》も、かれのところで聴くとやっぱ名盤だよな、ということになった。
   
    ミュージシャンだって、完璧なテクニックで、極上の美音を聞かせるのに、音楽としてはさっぱりおいしくない、もっと聴きたいとはぜんぜん思えない人は少くない。オーディオも同じだ。
   
    ずいぶん話がずれた。TAXAN のデータCDプレーヤとタイムドメイン・ライトの組合せは、音質の点では、Mac や iPod に負けるかもしれない。しかし、音の良さではまったく互角ないし鼻の差でリードしているのではないか。少くとも、音がダイレクトに飛びだしてくる活きの良さは、Mac や iPod では味わえない。なんといってもあちらは、リッピングとエンコードという手間がかかっているではないか。
   
    とにかく、今は興奮している。次々にあれはどうだ、こっちはどうだ、と聴きたくてしかたがない。ジャンク品恐るべし。(ゆ)

    日経の報道

    「ネットワーク音楽著作権連絡協議会」というのが、よくわかりません。サイトを見ても、2006年以降の活動実態がない。どうやら社団法人音楽電子事業協会が中心になっていたのかな。こちらは MIDI規格の管理団体のようですね。カラオケもからんでます。
   
    となると、これが YouTube その他、ネット上での利用にもかかわってくるのかはまだ不明。公取委の命令に関係あるのかもまだ不明。まあ、要注目、でしょう。
   
    新たな利権団体を生まなければいいんですが。あるいは既得権益を守ろうとするJASRACの「陰謀」か。

    各社報道してますが、ネット上で見るかぎり、朝日新聞が一番詳しいようです。

    問題点のまとめ方は毎日がうまく、日経、読売はおざなり。ITMedia と産経はJASRAC側の視点からも報道してます。
   
    ITMedia が引用してますが、公取委の命令書(PDF)は、図解も入っていて、かなりわかりやすく説明してます。お役所文書だろうと思ってたら、なかなかがんばってます。
   
    公取委の文書にざっと眼を通して興味を惹かれたのは、包括契約でないもうひとつの選択肢が個々の楽曲ごとの個別契約しかなく、しかもこちらの料金設定が格段に高く設定されているため、結局包括契約以外の選択肢が事実上無い、と指摘しているところ。ここは今後ポイントになるかも。つまり、包括契約でも契約形態が複数あって、他からの参入を名目だけでも許す選択肢が用意されていれば、「独占」ではない、と裁判所が判断する可能性もあるんじゃないか。
   
    たぶん最高裁までいくんでしょうが、JASRACの独占体制が今後もまったくゆるぎなく続くということはないでしょう。もっとも、この命令に違反しての罰則は過料50万円以下だそうですから、50万払ってあとは知らんぷり、も不可能ではないでしょうね。と思ったら、確定した命令に対する違反では、法人の場合、最大3億円だそうで、さすがのJASRACでも、やはりそう簡単に罰金払って知らんぷりはできないかな。
   
    それにしても報道で見るかぎり、JASRACの反発の強さは意外です。もうちょっとうまく立ちまわって、お説ごもっとも、改めるべきところは改めます、とか言っておいて、放送局側と新たな形の契約交渉をおこなうふりをして実をとる、くらいのことはやるだろうと予想していたんですが、こう真っ向から反発するということは、やはり裏に隠しておいたつもりの「真の意図」をずばり突かれたのかしらん。
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    この「対談:デジタル著作権ってどうなってるの?(後編)」での石井氏の、特に最後の指摘にはまったく同感。「情報が媒体から解放された」とはまったく言いえて妙です。

    この観点から見ると、レコード業界はすでにビジネス・モデルが崩壊しているわけです。この対談・後篇がCDを見限ったマドンナの例から始まっているのは示唆的でしょう。もっとも業界もCDを見限ってアナログ盤にもどろうとする動きもありますが。でも、リスナーがどこまでついてくるかな。やはり話が後ろ向きですなあ。

    活字の世界は音楽に比べるとまだデジタル化が進んでいないし、紙という媒体と情報の親和性も音楽とCDの間よりもはるかに強いと思いますが、それでも媒体からの情報の独立は確実に進むはず。先日のグーグルの「全文検索問題」はそのきっかけになるんじゃないでしょうか。
   
    いずれにしても、「使いやすくて柔軟な DRM」が、当面、最も求められるものになるのかな。(ゆ)

songbird1.1b1    Mozilla から派生したオープン・ソースのパソコン用ミュージック・プレーヤの Songbird 1.1 のβが公開されています。

    主な変更点としては、トラックごとにジャケット・アートをネット上で探してとってこれるようにんなったことと、Windows 用に MTP 関連のサポートの充実だそうです。前者は トラックを Cntl + クリックまただ右クリックで、「アルバムアートワークの入手」をクリック。トラックごとのジャケットの取得は iTunes ではできないので、便利。ですが、どこに探しにゆくのかな。メジャーではないものは、あまり期待できないようではあります。

    iTunes のライブラリからのとりこみはできますが、ジャケット・アートまではとりこんでくれません。iTunes でファイルに画像を埋め込んであると、Songbird 側では画像を表示できないようです。この辺はちと不便。

    Songbird は iTunes が扱えない、flac や ogg vorbis のファイルをそのまま再生できるのがメリット。音も悪くない。ただ、ファイル変換機能はまだないので、iPod で聴こうとすると、SoundConverter などが必要になります。

    あれこれやっていて気がつきました。Finder をカラム表示にしてファイルを選択すると「プレビュー」が出ます(出るように設定してある場合)。このプレビューの画像の上にマウスないしトラックパッドのポインタを起くと再生用の矢印が現われます。矢印をクリックすると再生が始まりますが、この時は iTunes が立ち上がらず、Finder が再生しています。この再生音が結構良い音質に思えるのはぼくだけでしょうか。
   
    それにちょっと聴いてみたい時、いちいち iTune を立ち上げずに再生できるのはありがたい。ちょっとした発見でした。(ゆ)

Planxty    明日の「いーぐる」イベントのために、かける予定のアナログ・ディスクをチェックする。もう何年もターンテーブルに乘せていないので、万が一の用心のため。そうして、あらためて、その音に降参する。音が「良い」とか、「高音質」とはちょっと違う。

    ウチのアナログ・システムはもう20年前に買った SOTA Saphire + Grado Standard Arm + Grado Signature のままで、しかも年に一度動かすかどうかだし、アンプとスピーカーは B&O だ。おまけにスピーカーと聴いている椅子との間には、本だのCDだのがあちこち積まれている。悪くはないかもにしれないが、条件は良くはない。実際、今日は二度ほど、回転速度が低下した。二度ともすぐに自動的に回復はしたものの、そろそろベルトも交換しなければならないのだろう。

    それでも、である。何なのだろう、この生々しさは。

    定位とか、音場とかならば、iMac + BauXar Marty101 の方がずっと上ではある。「音質」も、音の品質ということなら、たぶんうちのアナログは負けている。

    しかし音の質感、というより触感、手ざわり、耳ざわりでは、うちでもデジタルはアナログの敵ではない。音の存在感がちがう、と言ってもいいかもしれない。

    いささか不思議なのは、そこで楽器が鳴っている感覚ではデジタルは負けていないか、あるいは多少とも上ですらある。ところが、音、ないし音楽が鳴っている感覚では圧倒的にアナログに軍配が上がる。音が実体を伴っている。

    まあ、単純に、まだうちのデジタルのシステムが追いついていないだけのことかもしれない。が、それにしても、あらためてアナログの音に惚れなおした。うちでこの音なのだ。「いーぐる」ではどうなるのだろう。(ゆ)

 まあ KSC 35 を K701 とまったく対等にタメを張るというのは言いすぎだったかもしれません。やはり、厳然たる違いはあります。ただ、Magnum を通すと KSC 35 がまことにのびのびとうたってくれるので、ついついそう言いたくなってしまいます。

 Magnum で大喜びしていたところに、さらに思いがけず強力な助っ人が現われました。Mac 用 CD リッピング・ソフト CopyTo です。iTunes で取り込むよりも、音が良くなります。

 上記サイトの「開発の経緯」にありますが、もとは iTunes ではなく、Finder で音楽CDをコピーすると、音質が良くなることが始まりでした。iTunes は曲情報などのメタタグを付けるために、音質が劣化するらしい。次に Finder を終了して取り込むとさらに音が良くなることが発見されます。Finder を落としながら、iTunes を使わずにCDをとりこむにはどうすればよいか。答えは Terminal でした。ターミナルで UNIX のコマンドを打ち込めば、Finder と同じことができます。そこで素人にも使いやすいように作られたのがこのソフト。しかも、作ってみたらターミナルのコマンドでとりこむより音が良くなった、というおまけつき。

 フリーソフトです。Mac を使える方は試してみてください。まるで別物になります。できるファイルは AIFF です。iTunes では取り込む際にサンプル・レートを 48 KHz にアップ・サンプリングできます。この方が通常の 44.1 KHz で取り込むより音が良くなることがあります。CopyTo で取り込んだ AIFF は当然 44.1 KHz のサンプリングですが、iTunes 48 KHz で取り込んだものよりも音は良いと思います。

 AIFF のままではサイズが大きすぎる場合には、iTunes に読みこんで Apple ロスレスに変換しても、音質の良さは保たれます。つまり、iTunes で読みこんだ AIFF から変換または直接 Apple ロスレスとして読み込んだものよりも、段違いに音が良くなります。

 CD音源でここまで音のエネルギーを感じられたのは初めてです。LPのエネルギー感とはまた違いますが、これを聞くと、今まで聞いていたCDの音がどこか虚ろに思えてきます。ようやくCDの本当の実力が現われてきた感じです。LPの時も散々言われたことですが、CDもまだまだ入っている音がすべて取りだされていないのでしょう。CopyTo で取り込んだ音を聞いていると、SHM-CD やガラス製CDのように、CDの板の素材を云々することは、やはりまだ早いとも思えてきます。

 欠点はタグをマニュアルで付けなければならない、つまり曲情報などをいちいち入力しなければならないことです。ここに書かれた方法を使うと多少楽になります。

 RAMdisk で CopyTo を使うとさらに音質が上がるとサイトにありますが、ひょっとすると、まだまだCDからの音質を上げる可能性がありそうです。

 それにしても、テクノロジーというのは、玄妙なものでもあります。自然科学よりも人間が左右できる部分が多いようにも見えるだけ、さらに玄妙さが増すようでもあります。むしろ、とりあえず望ましい結果が出るならば、「原因」「理由」の解明は棚上げにしてゆきますから、テクノロジーとは畢竟「魔法」の言い換えにすぎないのでしょう。CDの縁を蛍光緑に塗るのも、静電気を消すのも、MacOS X の Finder を落とすのも、RAM disk を使うのも、みな「おまじない」「呪文」というわけです。

 というわけで、Magnum と CopyTo のおかげで、もうやたらめったら音楽が聞きたくなっているのでありました。(ゆ)

 例によって一日遅れで、月初めの情報号は明日配信します。

 しかしまあ、iPhone は騒がれすぎじゃないかなあ。あたしみたいな新しもの好きやマック・フリークが騒ぐのはわかるけど、一般紙までがあんなでかでかと取りあげるようなことでもないとおもふ。ただでさえ、活字のサイズを大きくして、情報量が減っているんだから、何を載せるか、もっと厳しく判断すべし。

 いや、新聞にはしっかり生き残ってもらいたいのです。(ゆ)

 梅雨の晴れ間の散歩から帰ってきてみたら、Mac お宝鑑定団のブログでソフトバンクが発表というニュースが流れていた。

 ドコモはどうもアップルとは合わないんじゃないかと思っていたから、まあ、おちつくべきところにおちついたと言うべきではあろう。

 とはいうものの、待たされすぎて、当初の意欲が半減していることは確か。iPod touch で、あのインターフェイスも味わえてしまったし、ケータイを持たねばならない必要もあまり感じない。むしろ、やはりできるだけ手元にたくさん曲を持っていたいから、大容量のクラシックに惹かれたりもする。

 しかし、別の見方をすれば、むしろ、かつてのニュートンや一時期の Palm のような使い方、つまり PDA として本格的に使えるとおもしろいかもしれないMandal-Artが対応してくれると、楽しくなってくる。iPod 機能で音楽を聴きながら、Mandal-Art で原稿を書く、というのは想像するとわくわくしてくる。

 まあ、Mandal-Art とまでいかなくとも、iPhone 向けのテキスト・エディタあるいは高機能なメモ帳、Mori とか DEVONThink とか Yojimbo、あるいは Tree でもいいが、ああいうタイプのアプリが使えるようになると期待する。

 ウォークマンと iPod で音楽は「書斎」から解放された。変わってゆく風景の中で聞くことで音楽も変化するのは新しい体験だったから、今度は原稿を書くことが「書斎」から解放されるかもしれないと思うと期待もふくらむ。当然、生まれてくる文章も変わるはずだ。

 iPod touch でもやろうと思えば不可能ではないが、あのメモ帳だけでは文章を書こうという意欲が湧いてこない。iPhone だからプログラマは様々なアプリを開発しようという意欲が湧くのだろうし、こちらもそうして開発されたアプリを使う意欲が湧いてくる。実際には同じことなのかもしれないが、touch はどうも「iPhone もどき」という感じは否めない。

 と妄想をふくらませておいて、さて、いくらだろうか。

 フルCDは Apple Lossless でエンコードしていますが、サンプルでいただく CD-R や、雑誌付録のサンプラーなどはこれまで AAC でエンコードしていました。

 ハリス・アレクシーウの新作《酸っぱいチェリーと苦いオレンジ》のサンプル盤を聞いていて、ちょっと音質に首をかしげるところがあり、思いついて、iTunes-LAME を使ってみました。

 LAME はオープンソースで開発されている MP3 エンコーダで、マルチ・プラットフォームで動き、最も音質が良いといわれていますが、はたしてほんとうに音が良いのか。

 iTuens-LAME は iTunes と連携しながら、エンコードに LAME を使えるようにするフリー・ウエアです。単体で動き、LAME そのものは必要ありません。最新版 2.0.9-34(MacOS X 用)をダウンロードして展開し、「アプリケーション・フォルダ」に置きます。

 このアプリを起動すると iTunes も立ち上がります。iTunes の方から iTunes-LAME を立ち上げたい場合には、ちょっとからくりがあります。

1) iTunes-LAME のアイコンを選択して、Ctrl + クリックし、パッケージの中身を見る。
2) >Contents>Resources>Import with LAME....scpt を探す。
3) Import with LAME....scpt のエイリアスを作る。
4) Home/Library/iTunes/ に Scripts フォルダを作る。
5) 3) のエイリアスを Scripts フォルダに入れる。

 これで iTunes を起動すると、メニューに AppleScript のマークが追加されています。クリックすると Import with LAME... があります。

 iTunes のサイドバーで選択されているものに入っているファイル=曲で、「名前」の頭のチェックボックスがチェックされているものがエンコードの対象になります。

 とりあえずヘルプにあったサンプルを元に、192kbps の VBR 標準でエンコードしてみました。これを iTunes の AAC 320kbps でエンコードしたものと聞きくらべます。

 気になった曲というのは [09]〈もし分かっていたら〉でした。ドラムス、ダブル・ベース、ギターのリズム・セクションに、ブズーキが印象的なフレーズをくり返し、トランペットとネイが左右で熱いソロをとる、アルバム中でも最もロック寄りの、抜群にかっこいい曲。なぜか全体的に高域が強調されて、ヴォーカルもややうわずる気配。マッスの部分ではトランペットがうるさいくらい。

 iTunes-LAME でエンコードされたものはビットレートも低いのにもかかわらず、個々の楽器がしっかり聞こえます。それも、音の方から耳に入ってくる。高域の「ギラつき」も押えられ、それほど気になりません。何より細かい要素がどうのこうのというよりも、こちらの音の方が聞いていて楽しくなってきます。

 結局のところ、音質が良いというのは、「聞くのが楽しい」という感覚ではないか。ハードそのものをあれこれ聞き比べるのを楽しむのならともかく、音楽を聞きたくて、それもできるだけ「良い音」で聞きたいということならば、聞くのが楽しくなる音、ずっと聞いていたい音、どんどん音楽を聞きたくなる音が「良い音」でしょう。

 で、LAME の MP3 の音の方が iTunes による AAC の音よりも明らかに楽しい。ぼくにとっては。

 他でも試してみました。ちょうど Songlines 52号が着いたので、付録のサンプラーを iTunes-LAME MP3 と iTunes の AAC で聞きくらべてみました。やはり、LAME の方が楽しい。AAC では音にやや険がある。どこかつんつんする感じがあります。むろん、聞きくらべてみれば、の話です。今回たまたまハリス・アレクシーウの曲でひっかかるまでは、AAC でまったく満足していました。しかし、LAME の音を一度聞いてしまうと、AAC の欠点が耳についてしまいます。

 では Apple Lossless のフォーマットと比べたらどうか。
 が、これはさすがに Losless の勝ちでした。ファイルの大きさでいえば3倍から4倍の違いがあるわけで、比べてしまうと、MP3 はやはり圧縮しているとわかります。もっとも Apple Lossless でも、上と同じハリス・アレクシーウの曲では高域が強調される傾向はありますから、これは確かに iTunes の「癖」なのでしょう。あるいは iTunes が使っている MacOS X の Core Audio の「癖」かもしれませんが、それはまた別に検証が必要なので、また後日。

 ということで、iTunes で MP3 や AAC にエンコードされている方は、一度 iTunes-LAME を試す価値はあると思います。ファイル・サイズも AAC より若干ですが小さくなります。エンコードに LAME を使うというだけで、その他は iTunes をそのままですし。

 LAME には豊富なオプションがあり、iTunes の AAC 同様、256kbps までの VBR と 320kbps までのビットレートがあります。preset もあります。オプションの一覧はたぶんこれが一番くわしく、わかりやすいでしょう。

 iTunes-LAME の窓の中に、ヘルプのサンプルを参考にオプションを付けてエンコード(Import)すると、使われたオプションが履歴として残ります。(ゆ)

 例のジャンル名が勝手に日本語表示に変更される問題は
今回のアップグレードで解決したようだ。

 ところが、iPod touch の有償アップグレードをしても、
iPod touch 本体はなにも変わらない。
新しいアプリも機能も追加されない。
これもあたしのところだけなのだろうか。

 このままでは
カネだけ取られたことになるから、
とりあえず、
iTunes のフィードバックには投稿しておいたが、
窓口がここで良いものかどうか。
アップルの公式サイトのサポート・ページには
まだなにも出ていない。(ゆ)

続きを読む

 「『著作者に無断でアップロードされた動画、音楽のダウンロード』について、
著作権法30条に定められた『私的使用』の範囲から外し、違法とすべき」
という方向性が、
著作権法改正について検討する
文化庁長官の諮問機関
文化審議会著作権分科会の私的録音録画小委員会でまとまりましたが、
この方向性についての是非を考えるシンポジウムを、
MIAU(Movements for Internet Active Users:
インターネット先進ユーザーの会」)が
12月26日に開いたそうで、
その要旨をまとめた記事が出ています。

 この方向性がはらむ問題点については
上記の記事に簡潔にまとめられていますが、
これは「レコード輸入権問題」と同じか、
それ以上に大きな問題だと思います。

 権利者死後の著作権有効期間の延長問題もそうですが、
基本的に、文化庁は著作権に関しては、
使用者側ではなく、
権利者側に立った姿勢が目立ちます。
このことは明治以来の我国中央官庁の癖で、
たとえてば、
「私的使用」のこのような形の制限は
「薬害エイズ」や「薬害肝炎」に相当する
と言えるのではないでしょうか。

 著作物は利用されて初めて価値が出るので、
だれも利用できないように囲い込めば、
著作物は死にます。
制限をしても利用する人間は多い
つまり商売として成りたつだけの数の人間は
制限を超えて利用すると
権利者側は思い込んでいるのでしょうか。

 「儲け」を重視するあまり、
著作権を神棚に祭り上げれば、
著作権のシステムそのものが崩壊する可能性を
デジタル技術ははらんでいると思います。(ゆ)

はやはりウチだけではなかったようで、
ここ数日、アクセス数がやけに増えてると思ったら、そのせいらしい。

 アップル公式サイトのユーザ・フォーラムでも、
頭から湯気が出ているコメント多数
ジャンル名だけではなく、
当然、変更年月日も変わるから、
それで管理しようとすると、おかしなことになる。

 そのフォーラムでは
 iTunes の「情報」で、日本語のチェックをはずす、
という解決法が出ているが、
日本語タイトルもたくさんあるから、
今度はそれが文字化けするのがこわくて、試せない。

 勝手に変更されたものを、手動で元にもどせば、
以後は変更されなくはなる、
とはいうものの、
ライブラリが7万曲を越えてると、
いかに IntelMac でも、
情報表示をクリックしてから
実際に情報のウインドウが出るまで数十秒かかるのだ。
いちいち、そんなことしてられっか。

 はよ、アップデート出せや、アップル、ぷんぷん(-_-#)。(ゆ)

 Mac OS X 10.5 Leopard が届いたので、MacBook Kro(初代)Intel Core Duo 2.0GHz にインストール。はじめ、所要時間3時間と出るが、実際には30分強で終了。デフォルトのインストールでは、設定の移行ややりなおしは一切不要。

 一番懸念していた親指シフトはあっさりOK。まったく何もせずに、これまで通り使用できる。というより、10.4.10 までは、再起動やログインしなおすと、システム環境設定で設定しなおさなければならなかったので、その手間がなくなった。ちゃんと自動的に Tesla が入っている。ひょっとするとアップルの方で、こういうサード・パーティ・ツールが使えるように組んでいるのだろうか、とすら思える。Xcode 3 で再コンパイル、ターミナルでファイル・コピーというのを覚悟していたので、正直、ほっとする。やってしまえばそんなにたいへんではないのだが、ふだん縁がないツールを使うのはやはりめんどい。

 Safari でも、あらたに機能がついた Mail でも RSS がまったく読めなくなるというトラブルが出ていて、モーレツに腹が立ったのだが、親指シフトがあっさり通ったのでとたんに機嫌が直る。

 Leopard は外見はあまり変わっていないが、細かいところでいろいろ使い勝手が良くなったり、表示が見やすく、あるいは美しくなっている感じがある。CPUは最新ではないが、全体の動作もよりきびきびしていて、快適。

 ホーム・ディレクトリに「ダウンロード」フォルダができ、メールの添付ファイルもブラウザでダウンロードしたものも、デフォルトではすべてここにまとまる。これまで自分で専用フォルダを作って指定していたが、デフォルトでこういうものがあるのは助かる。このフォルダはドックにも入っている。

 それにしても、今回の発売については、ごく普通のメディアが大々的に取りあげているのに驚いた。iPod 効果でMacそのものの売り上げも増えているそうだが、それ以上に Mac をめぐる風向きが変わっている。これまでは Mac はもう消えゆくのみ、とみなしていたのに。一台でウインドウズと両方使えるというのは、意外なメリットなのだろうか。アメリカの大学や学生の間ではもはや Mac がデファクト・スタンダードになりつつあるような気配だが、それが一般に広がるのも時間の問題か。(ゆ)

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