クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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9月28日・火

 FiiO K9ProTHX-AAA アンプ、AK4499採用で直販9万を切る DAC/amp4pinXLR4.43.5のヘッドフォン・アウト、3pinXLR x 2 のラインアウト。Bluetooth はあるが、WiFi は無し。惜しいのう。音は聴いてみたいが。

 watchOS 8.0 になってから、登った階段の階数の数え方が鈍い。まあ、最近、階段の数字は気にしていないからいいようなものだが、気にならないわけでもない。

 今日はつくつく法師をついに聞かない。今年の蝉も終ったか。


##9月28日のグレイトフル・デッド

 1972年から1994年まで5本のショウをしている。うち公式リリースは2本。


1. 1972 Stanley Theatre, Jersey City, NJ

 3日連続最終日。料金5.50ドル。出来としては前夜以上という声もある。冒頭、1、2曲、マイクの不調で声が聞えなかったらしく、そのために公式リリースが見送られたのだろうという説あり。


2. 1975 Golden Gate Park, San Francisco

 ライヴ活動休止中のこの年行った4本のライヴの最後のもの。《30 Trips Around The Sun》の1本としてリリースされた。

 ゴールデンゲイト公園はサンフランシスコ市の北端に近く、短かい西端を太平洋に面し、真東に細長く延びたほぼ長方形の市立公園。ニューヨークのセントラル・パークとよく比較されるが、こちらの方が2割ほど大きい。1860年代から構想され、元々は砂浜と砂丘だったところに大量の植林をして19世紀末にかけて整備される。この公園での音楽イベントとしては、2001年に始まった Hardly Strictly Bluegrass が有名。またポロフィールドでは後にビル・グレアムとガルシア各々の追悼コンサートが開かれた。

 リンドレー・メドウ Lindley Meadows は中心からやや西寄り、ポロフィールドの北にある、東西に細長い一角。ここでのデッドのショウは記録ではこれ以外には 1967-08-28 のみ。この時は Big Brother & the Holding Company との "Party For Chocolate George" と称された Chcolate George なる人物の追悼イベントで月曜午後1時という時刻だった。Deadlist では2曲だけ演奏したようだ。

 60年代にデッドが気が向くとフリー・コンサートを屢々行なったのは、ゴールデンゲイト公園の本体から東へ延びる The Panhandle と呼ばれる部分で、このすぐ南がハイト・アシュベリーになる。

 この公園についてガルシアは JERRY ON JERRY, 2015 のインタヴューの中で、様々な植生がシームレスに変化しながら、気がつくとまったく別の世界になっている様に驚嘆し、これを大変好んでいることを語っている。デッドがショウの後半で曲をシームレスにつないでゆくのは、これをエミュレートしているとも言う。デッド発祥の地サンフランシスコの中でも揺籃時代のデッドを育てた公園とも言える。一方で、ガルシアはここでマリファナ所持の廉で逮捕されてもいる。公園内に駐車した車の中にいたのだが、この車の車検が切れていることに気がついた警官に尋問された。

 このコンサートは San Francisco Unity Fair の一環。1975年9月2728日に開催され、45NPOが参加し、デッドとジェファーソン・スターシップの無料コンサートがあり、他にもパフォーマンスが多数あって、4〜5万人が集まったと言われる。このイベントの成功から翌年 Unity Foundation が設立され、現在に至っている。

 冒頭〈Help on the Way> Slipknot!〉と来て、不定形のジャムから〈Help on the Way〉のモチーフが出て演奏が中断する。ウィアがちょっとトラブルがある、と言い、レシュが医者はいないか、バックステージで赤ん坊が生まれそうだ、と続ける。ガルシアがギターの弦を切ったこともあるようだ。次に〈Franklin's Tower〉ではなく、〈The Music Never Stopped〉になり、しばらくすると「サウンド・ミキサーの後ろに担架をもってきてくれ」と言う声が聞える。なお、この曲から入るハーモニカは Matthew Kelly とされている。

 さらに〈They Love Each Other〉〈Beat It On Down the Line〉とやって、その次に〈Franklin's Tower〉にもどる。

 〈They Love Each Other〉はここから姿ががらりと変わる。1973-02-09初演で、73年中はかなりの回数演奏されるが、74年には1回だけ。次がこの日の演奏で、ブリッジがなくなり、テンポもぐんと遅くなり、鍵盤のソロが加わる。以後は定番となり、1994-09-27まで、計227回演奏。回数順では59位。

 休憩無しの1本通しだったらしい。後半はすべてつながっている。CDでは全体で100分強。

 こういうフリー・コンサートの場合、デッドが出ると発表されないことも多かったらしい。問い合わせても、曖昧な返事しかもらえなかったそうな。


3. 1976 Onondaga County War Memorial, Syracuse, NY

 《Dick’s Picks, Vol. 20》で2曲を除き、リリースされた。このアルバムはCD4枚組で、9月25日と28日のショウのカップリング。

 後半は〈Playing in the Band〉で全体がはさまれる形。PITB が終らずに〈The Wheel〉に続き、後半をやって〈Dancing in the Street〉から PITB にもどって大団円。アンコールに〈Johnny B. Goode〉。こんな風に、時には翌日、さらには数日かそれ以上間が空いてから戻るのは、この曲だけではある。そういうことが可能な曲がこれだけ、ということではあろう。

 〈Samson and Delilah〉の後の無名のジャムと、〈Eyes of the World〉の後、〈Orange Tango Jam〉とCDではトラック名がついているジャムがすばらしい。前の曲との明瞭なつながりは無いのだが、どこか底の方ではつながっている。ジャズのソロがテーマとはほとんど無縁の展開をするのとはまた違う。ここではピアノ、ドラムス、ウィアのリズム・セクションの土台の上でガルシアのギターとレシュのベースがあるいはからみ合い、またつき離して不定形な、しかし快いソロを展開する。ポリフォニーとはまた別のデッド流ジャムの真髄。

 この会場でデッドは1971年から1982年まで6回演奏している。現在は Upstate Medical University Arena at Onondaga County War Memorial という名称の多目的アリーナで収容人数は7,0001951年オープンで、2度改修されて現役。国定史跡。コンサート会場としても頻繁に使われ、プレスリー、クィーン、キッス、ブルース・スプリングスティーン、エアロスミスなどの他、ディランの1965年エレクトリック・ツアーの一環でもあった。ちなみに COVID-19 の検査、ワクチン接種会場にも使われた。


4. 1993 Boston Garden, Boston, MA

 6本連続の4本目。ほとんど70年代前半と見まごうばかりのセット・リスト。


5. 1994 Boston Garden, Boston, MA

 6本連続の2本目。30ドル、7時半開演のチケットはもぎられた形跡がない。

 会場はニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン三代目の「支店」として1928年にオープンしたアリーナで、本家は代替わりしたが、こちらは1995年9月まで存続した。1998年3月に取り壊された。収容人数はコンサートで16,000弱。デッドは1973年に初めてここで演奏し、1982年までは単発だが、1991年、1993年、1994年と三度、6本連続のレジデンス公演を行った。計24回演奏している。うち、1974年、1991年、1994年のショウから1本ずつの完全版が出ている。

 1995年9月にも6本連続のショウが予定されていて、千秋楽19日のチケットには〈Samson & Delilah〉の歌詞から "lets tear this old building down" が引用されていた、と Wikipedia にある。(ゆ)


4月24日・土

 『《まるい時間》を生きる女、《まっすぐな時間》を生きる男』の訳者あとがきは各種書評からの引用を紹介した、浅倉さんとしては通り一遍のもので、どうやら頼まれ仕事らしい。著者ジェイ・グリフィスについてもこの時はまだあまりよくわかっていなかった。というより、この本となぜか第3作の Anarchipelago が挙げられていて、この2冊を書いた人、というだけの存在。本書も、第2作の Wild も評価は高かったが、センセーショナルな存在ではなかったのだろう。彼女が注目を集めたのは Extinction Rebellion のオクスフォード・サーカス占拠とそれに続く裁判によってらしい。
 F&SF2021-03+04着。Sheree Renee Thomas 編集長最初の号。巻頭に挨拶。文章はいいし、特殊な状況の中で出発することの覚悟と不安がにじみ出ているが、勇ましい宣言もなく、これまで積み重ねられてきたものを受け継いでゆきます。トマスは作家よりは編集者であるらしいから、エドワード・ファーマン以降、ゴードン・ヴァン・ゲルダーを除けばいずれも作家が本業だった歴代編集長に比べれば、続いている雑誌の重みが実感できる、というところか。Akua Lezli Hope の詩を二つ、フィーチュアしたのがまずは新機軸。それと書評の位置がぐんと後ろに下がった。これまでは最初の小説作品の次だったが、巻頭から3分の1ほどのところになった。

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 ヘッドフォン祭オンライン、Shanling N30 はちょと面白い。ようやくこういう形の製品が出てきた。モジュール式にして、ユーザーがモジュールを交換して常に最新式にできる、というのは Cayin N6 が始めた手法で、それを徹底させているのは面白い。ただ、ではその母艦は何が変わらないのかが、よくわからない。今後、どんなモジュールを出すか、母艦の更新の頻度など、もう少し様子を見たいな。それに FiiO 製 DAP の THX アンプは捨てられない。THX の据置きアンプを調達する手もないことはないが、散歩に持って出るから、DAP に内蔵されているメリットは大きい。(ゆ)

    試聴を頼まれていた Schemclone の PHA の100時間のエージング達成が見えてきたので、そろそろいいかなと、RudiStor のデスクトップ・ヘッドフォン・アンプ RPX-33 を本格的に使いだす。
   
    Schemeclone の PHA についてはまた別に書くつもりだが、相当なもので、ひょっとすると Linearossa W3 を凌ぐかもしれない。ディテールを隅々まで描ききる能力と、音楽を全体として聴かせるまとめ方のバランスがとても良い。質の良い音源はもちろんだが、MP3 音源でもここまで情報が入っているものかと感心させられる。
   
    音楽だけでなく、ヘッドフォンとのつきあい方のバランスも良い。W3 はちょっとつき放したところがあって、Yuin G2a のようなエントリー・クラスだとアンプの方が位が上で、ヘッドフォンはアンプの能力を完全には引き出しきっていない感じがする。
   
    その点、Schemeclone のものはエントリー・モデルでも、ゼンハイザー HD414 のようなハイエンドでも、それぞれを引きたてる鳴らし方をする。それもどちらかで無理をしている風でもない。EarPhoneM + Comply との相性も抜群で、この組合せで聴くためにわざわざ電車に乗りたくなるくらいだ。ルディさんの今度のハイエンドPHA と比べてみたくなる。来年の製品化がひじょうに楽しみ。
   
    で、まあ、今日は RPX-33 である。
   
    これは RudiStor のソリッドステート・ヘッドフォン・アンプの中堅モデルで、この下にエントリー・モデルの NX-03 がある。上の RPX-300 にはバランスの入出力が付く。この三つのモデルの価格は大体上は下の倍になる。今どき、DAC も何も付いていない、ただのヘッドフォン・アンプだ。入力は RCAアンバランスのみ。出力は RCAアンバランスとプリの二つ。ヘッドフォン・ジャックは標準が正面に二つ。左が High Gain、右が Low Gain。ヘッドフォンのインピーダンスは16〜600オームのものが使える。他にはスイッチと音量コントロールだけ。なお、RudiStor のアンプには電源コードは付属しないので、ぼくはレクストの電源ケーブルを使っている。
   
    ただのヘッドフォン・アンプだが、RudiStor の作るアンプは基本的にハイエンドである。これも、完全デュアル・モノ構造で、つまり左右の増幅段は内部で完全に別になっている。それぞれのチャンネル専用のアンプが二組入っていると思えばいいだろう。NX-03 ではまだ完全デュアル・モノ構造ではないので、この RPX-33 からが RudiStor 本来の製品ということになる。RudiStor ブランドのアンプは全て常時純A級作動だ。
   
    ソースは例によって MacBook Kro。再生は Taply で、DenDAC を USB ソケットに挿して DAC として使う。ちなみにぼくは Amarra をとらない。高価ということもあるが、音がふやけて聞こえるからだ。何かを足しているように聞こえる。いかにもオーディオ的な音と言おうか。Taply はフリーの小さなソフトで、山椒は小粒でピリリと辛く、ファイルに入っている音をそのまま出してくれる。たまたまウチにあったオーテクのミニ←→RCAコードで RPX-33 と直接結ぶ。このコードはむろんもっと良いものがいろいろ出ているけれど、今はカネもないし、RPX-33 のエージングがすむまではこのままで行く予定。
   
    なお、RPX-33 にはレクストのレゾナンス・ピットをかませ、同じくレクストのRS-SQUAREを天板に置く。実は後から思い出してやったのだが、これの効果は抜群で、個々の音も全体の音楽も、きれいに洗われたようにみずみずしくなる。
   
    それにしても、DAC専用のハードというと高額商品しかない。安価なものは皆、ヘッドフォン・アンプと合体している。DAC 単体を使うのは、この RPX-33 のようなハイエンド機器の場合のみ、ということなのだろうか、今のところ。ヘッドフォン・アンプだけ、というのも、PHAを除くとこの頃は少なくなってきたようなけしきだ。新製品は価格帯に関係なくみんな、DAC + ヘッドフォン・アンプの形。
   
    その意味でもルディさんの今度の新製品 XJ-03 MKII がヘッドフォン・アンプのみなのは、ハイエンドの何たるかを追求するかれの姿勢の現れなのだろう。DAC などという余計なものはつけない。必要なら、単体の、相応のものを使ってくれ。私はヘッドフォン・アンプ一本槍で行くのだ。アンプと DAC は別ものなのだ。だからこそ、DAC 付きの Linearossa は別会社から出したのだ。
   
    時代錯誤と言えば言えようが、この潔さは心地良い。また、それだけ製品の質に自信があるのだろう。
   
    DAC といえば、ちょと面白そうなのがこの devilsound-DAC。USB 入力は当然として、出力側が RCA のペア。形としては理想的。値段もそんなに眼の玉の飛び出るほどでもない。長さがどこにも、本国のサイトにもないんだが、臨時収入でもあれば試してみたいところではある。
   
    ぼくのハードの評価軸はひとつである。音楽が気持ち良く聴けるか。音楽に集中できるか。聞きつづけていたくなるか。この三つはまあ同じことを別々の側面から言っているわけだが、とりわけ三番目、もっと聴きたくなるかどうかが一番のポイントではある。
   
    高域がどうの、サウンドステージがどうのではない。そういうことが個々に言えるのは、音楽ではなく機械の音を聞いているのだ。ちなみに機械の音が聞けるのは一種の特殊能力だと思う。絶対音感と同じレベルではないかとさえ思う。いや、皮肉でもなんでもなく、時にうらやましくさえある。ただ、単純にぼくには機械の音は聞こえない。聞こえるのは音楽だけだ。
   
    ちょうど原稿を書く都合もあり、アンジェロ・ブランデュアルディの《Futuro Antico VI》を聴く。ファイルは Apple Lossless。このシリーズは古楽アンサンブルをバックにブランデュアルディがバロック期のイタリア北部の都市の音楽をうたっているもの。北部なのはブランデュアルディ自身がミラノの出身だからだろう。ナポリやカンブリアの方まで足を伸ばすかとまた面白い。
   
    使われている楽器はアンサンブルのリーダーのリュート、チェンバロ、ダルシマー(スピネット)、ヴィオラ・ダ・ガンバ、トロンボーン、リコーダーなどの他、ハーディガーディもあり、これに各種打楽器が加わる。録音はひじょうに良い。もっともライヴ一発録りというわけではなく、ミックスなどは結構手を加えてもいる。もともとブランデュアルディのヴォーカルはポップスのもので、こうしたアンサンブルの中に入ってそのままバランス良く聞こえるものではない。むしろそのズレたところがこのシリーズの面白みであるであるわけで、その点を活かすための工夫はいろいろされている。もっとも YouTube にはこの形のライヴの映像もある。
   
    このシリーズでのブランデュアルディは、自分のヴォーカルの特性を活かすためだろう、ふだんの、他のアルバムよりもずっと丁寧にうたっている。言葉の音の一つひとつをはっきり発音している。その上で、アンサンブルの一部としてうたおうとしている。いつものルーツ・ポップスならばヴォーカルを前面中央に出すところだが、ここではそういうことはしない。まったくしないわけではないが、アンサンブルとのバランスの取り方はずっと謙虚だ。そういう意図が手にとるようにわかる。
   
    チェンバロ、ハーディガーディ、タンバリンなど、ノイズが組込まれた響きが結構ある。クラシックでは嫌われる要素が、ここでは音楽を構成する不可欠の要素になっている。この辺は地中海南岸のアラブ音楽の影響が推測されるところだ。このノイズが美しい。チェンバロはふつうの通奏低音だけではなく、ほとんど現代のギターのような使われ方もする。その時、このノイズと楽音のあわいの響きがひじょうに効果的だ。
   
    仕事で関わったハイブリッド・トロンボーン・カルテット。こういう形のアンサンブルがあるというのも初めて知ったが、トロンボーンは案外古い楽器で、ブランデュアルディの古楽アンサンブルにも入っている。昔から神の楽器と呼ばれていたそうな。
   
    このカルテットは意外に面白い。楽器の響きが深いのだ。余韻がある。ふくらむ。楽器の管の中の空気だけではなく、管自体の金属が鳴っている。こういう響きは確かにトロンボーンしかないかもしれない。それが重なる。華麗とも荘厳とも、そのどちらをも超えてゆくハーモニー。かと思えば茶目っ気たっぷりに跳ねまわる。同じ楽器が四つあることを利用して、ガムラン的な使い方をしたりする。素材はクラシックだが、バロックから現代まで、レパートリィの幅は広い。本来トロンボーンやトロンボーン・カルテットのために書かれたものではない曲が多いから、ふだんとはかけ離れた形で聞ける楽しみもある。
   
    折りにふれて試聴に使っている、ライナー&シカゴ響の『シェエラザード』。ファイルは AIFF。第四楽章初めの方の、リズミカルなメロディが始まるあたりで入るトライアングルの響きの、なんと可憐かつ気品のあることよ。このトライアングルはその後、同じフレーズが繰り返されるところにも使われていたのは、今回初めて気がついた。
   
    この第四楽章で多用される打楽器群の斉打の衝撃、金管の響きの金属の質感も初めて実感する。トランペットの速いパッセージが続いて、ついにライトモチーフが爆発するところでは、自然に涙が滲んできた。
   
    そして、最後にもう一度コンマスのヴァイオリンがシェヘラザードのテーマを弾き、超高域にまで持ってゆくところ、その響きのまろやかさ。音にちゃんとふくらみがある。これまでの記憶では、この音はただただ細くて、その繊細さにシェヘラザードの哀しみがこめられていたように聞こえていた。しかし、このふくらみはどうだろう。シェヘラザードが泣いているのは変わらないが、しかしその涙は哀しみのゆえというよりは、むしろ言葉を超えた歓びではないか。深い深い満足感がここには現れてはいないか。
   
    これがハイエンドとミドレンジの違いというものか。とはいえ、まだ使いだしたばかりなので、これまた100時間ぐらい使ってみないと、本当のところはわからないだろう。果たしてこれがすでにベスト・パフォーマンスなのか。それとも、エージングによって音が変わるか。変わるとすれば、良くなるか、悪くなるか。さても楽しみ。(ゆ)

 「STAX Unofficial Page」の「日記」12/01 の項に

導入したハードの特性に購入するディスクが影響されるのがオーディオ。

とあるのは、
「オーディオ」の定義として本質を突いている。

 それでは、

聞くディスクに導入するハードが影響されるもの

は何と呼ぶべきか。

 「オーディオ」を追究するわけではないが、
できるかぎり「良い音」で愛する音楽を聴きたい。
この場合「良い音」の定義としては、

楽にきける音((c)川村龍俊)

がベストだ。
「脳内変換」など必要ない音。
いつまでもきいていられる音。
音楽に没入できる音。
ディテールと全体像が同時によくきこえる音。

 もうひとつ大事な条件があって、
安価であること。
なにせ、音源のほうにカネをつぎこむのだから、
ハードにそんなにカネをかけられない。
ウン百万などというのはもっての外、
できるだけ1ユニット10万以内でおさえたい。

 今のところ、
われわれがふだん聞いている音楽で
この条件に応えてくれるのが
タイムドメイン式。

 今のところ、
スピーカーにしても、
イヤフォンにしても、
ダイナミック型では
これ以上のものはない。

 とはいえ、
もうひとつ試したいのは
スタックス。
MET の栗田さんも
あれはいいですよ
と言っていた。

 だから、上記のサイトなど、
ちょくちょく覗くことになる。


 MET と言えば、
先日 Jupity を聞かせてもらったときの「実験」で
ヘッドフォン・アンプを噛ませるは
スピーカーでも効果があったので
うちでもやってみる。

 MacBook 黒の光出力から ONKYO SE-U55GX(B) に入れる。
ちなみにこれについているヘッドフォン端子は
あまり質がよくない。
後ろのライン・アウトから Elekit TG-5882 につなぐ。
真空管はデフォルト。
ケーブルは昔出ていたMIT の廉価版 Terminator 2。

 正面のヘッドフォン端子ミニ・プラグに
TIMEDOMAIN light をつなぐ。

 音源は iTunes で、
ファイル・フォーマットは Apple Lossless または AIFF 48KHz。

 これがなかなか良い。
Jupity301 にも肉薄、
とまではいかないが、8割ぐらいまでは迫ろうか。
スーザン・マッキュオンのヴォーカルとか、
田村拓志&柏木幸雄のデュオとか
であれば、もう文句はなにもない。
ただ、ほれぼれと聞くばかりだ。

 それでは、
とザッパを聞いてみると、
やはり物理的限界が見える。
ルース・アンダーウッドのヴィブラフォンの高域の抜けが
ほんのわずかだが、もの足らない。
余韻の消え方はきれいだが、
Jupity より線が細い感じがする。
〈拷問は終わらない〉の後半、
フル・バンドで大音量の箇所にかかると
うーむ、がんばってるねえ、とけなげさがかわゆくなる。

 ライナー&シカゴ響の《シェヘラザード》第4楽章。
うーむ、フル・オケのマッスのところはやはり苦しい。
シンバルがしゃりしゃりするのも低域に余裕がないためか。
それでも、音楽の「形」はきちんとしていて、
エネルギーは伝ってくる。
音楽としてきこえるし、
それによって感興も湧いてくる。

 バッハ・コレギウム・ジャパンの《ブランデンブルク》6番。
これはもう、嬉々としてうたっている。

 なお、スピーカーから耳までの距離は1メートルもない。
6、70センチぐらい。
また、机の手前の端において、
机の面からの反射が無いようにすると、
空間が広くなる。(ゆ)

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