クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:デンマーク

 マリンバ、ビブラフォンの Ronni Kot Wenzell とフィドルの Kristian Bugge のデュオは初見参。このいずみホールは2022年のカルデミンミットのすばらしいライヴを味わわせてもらったところ。まあ、あのレベルの再現は難しいと思いながら入る。ここは天井が高く、響きが良くて、カルデミンミットのカンテレの倍音と声のハーモニーを堪能した。今回その響きの良さをまず実感したのは金属製のビブラフォン。深く長い残響がよく伸びて気持ち良い。ウェンゼルは左のこれと、右のフルサイズの木製マリンバを使いわけるが、演奏スタイルも異なり、木琴はピアノの左手の役割で、リズム・セクション。鉄琴はより細かく、裏メロまではいかないが、カウンター的にフィドルにからむ。ブッゲの方も心得ていて、鉄琴のサステインと戯れてもみせる。こういうところ、デンマーク人は芸が細かい。

 そのフィドルの響きのしなやかで繊細な響きを生んでいたのは、演奏者の腕か、楽器の特性か、ホールの響きか、あるいはその全部が合体したおかげか。その響きが最もモノを言ったのはアンコールの〈サクラ〉だった。「さくらあ、さくらあ、やよいのそらあはあ」のアレである。正直、始まったときには、えー、これかよーと内心頭を抱えたのだが、曲が進むにつれて、嫌悪が感嘆に変わっていった。

 違うのだ。こんな〈サクラ〉は聴いたことがない。ひどく繊細で、ひめやかで、透明。美しい音、美しい響きが続いて、滑かで官能的な〈サクラ〉が浮かびあがる。日本人では絶対に思いつかないような〈サクラ〉。このセンスはクラシックではない、伝統音楽のものだ。1つの伝統からもう1つの伝統へのリスペクト、あえかなラヴレター。

 静かに弾ききってお辞儀をした、そのままの姿勢からもう一度楽器をとりなおして、元気いっぱいのダンス・チューンになだれこんだのはお約束だが、あの〈サクラ〉の後なら何でも認めましょう。

 先日のドリーマーズ・サーカスもそうだったが、デンマーク人というのはセンスがいい。デンマーク音楽に接した初めはハウゴー&ホイロップ。かれらの選曲とアレンジのセンス、それに強弱のダイナミズムに度肝を抜かれたわけだが、ドリーマーズ・サーカスといい、このウェンゼル&ブッゲといい、その点はみごとに同じだ。

 そもそもフィドルと木琴、鉄琴の組合せが面白い。マリンバは先述のようにピアノの役割も兼ねるが、ピアノよりもやわらかい響きはフィドルを包みこむ時にも相手を消さない。音の強弱、大小の対比もずっと大きく、アクセントの振幅がよりダイナミックになる。

 一方でビートをドライヴする力は大きくなく、スピードに乗るダンス・チューンでも切迫感はない。するとブッゲのフィドルの滑らかな響きが活きる。

 鉄琴はミドル・テンポからスローな曲で使っていたと思う。「ああ、いい湯だ」と言いたくなる第一部6曲目〈Canadian air〉、哀愁のワルツに聞える第二部2曲目〈Duetto fagotto〉がいい。あたしとしては、ウェンゼルが鉄琴のソロで奏でた〈虹の彼方に〉やアバの〈アライヴァル〉などのゆったりめの曲に耳を惹かれる。〈虹の彼方に〉は、まだ子どもの頃、母親の葬儀で演奏して以来、どこのどんなコンサートでも必ず演奏しているそうだが、こういう演奏で亡くなった人は虹の彼方の国へ赴くと告げられると、天国や極楽よりもいいところなんじゃないかと思えてくる。

 客席を二つに分けて、違うビートを手で叩かせ、それに乗る演奏をするあたり、エンタテイナーとしても手慣れている。伝統音楽を伝統音楽のまま一級のエンタテインメントにするのは、元はといえばアイルランド人の発明だが、昨今、デンマークがそのお株をとってしまった観もあると、あらためて思う。

 ウェンゼルの方は初耳だったが、ブッゲはあの Baltic Crossing のメンバーだったと知って、なるほどと納得。

 カルデミンミットのような感動まではやはり行かなかったが、もっと気楽にいい音楽をたっぷりと浴びさせていただいて、やはりこのホールは縁起がいい。(ゆ)

 昨年行ったライヴ、コンサートの総数33本。同じミュージシャンに複数回行ったのは紅龍3回、新倉瞳&渡辺庸介とナスポンズ各々2回。COVID-19感染とぎっくり腰、発熱を伴う風邪で行けなかったもの数本。どれもこれも良かったが、中でも忘れがたいもののリスト。ほとんどはすでに当ブログで書いている。
















1014 七つの月 @ 岩崎博物館ゲーテ座ホール、横浜
 shezoo さんがここ数年横浜・エアジンでやってきたシンガーたちとのコラボレーションから生まれたアルバム《七つの月》レコ発ライヴ。一級のシンガーたちが次から次へと出てきて、各々の持ち歌を披露する。どなたかが「学芸会みたい」とおっしゃっていたが、だとしてもとびきり質の高い学芸会。シンガー同士の秘かなライヴァル意識もそこはかとなく感じられて、聴き手としてはむしろ美味極まる料理をどんどんと出される。一部二部が昼の部、夜の部に分られ、間に食事するだけの間隔があいたので何とかなったが、さもなければ消化不良を起こしていただろう。

 アルバム《七つの月》は shezoo さん自身は飽くまでも通過点と言うが、それにしても《マタイ》《ヨハネ》も含めて、これまでの全業績の一つの結節点であることは確か。アルバム自体、繰返し聴いているし、これからも聴くだろうが、ここからどこへ行くのかがますます愉しみ。


1017 Nora Brown @ Thumbs Up、横浜
 こういう人のキャリアのこの時期の生を見られたのは嬉しい。相棒のフィドラーともども、オールドタイムを実にオーセンティックにやっていて、伝統の力をあらためて認識させられた。会場も音楽にふさわしい。

1023 Dreamer's Circus @ 王子ホール、銀座
 ルーツ・ミュージックが音楽はそのまま、エンタテインメントとして一級になる実例を目の当たりにする。

1103 Julian Lage @ すみだトリフォニー・ホール、錦糸町
 何より驚いたのはあの大ホールが満杯になり、この人の音楽が大ウケにウケていたことだ。ラージの音楽は耳になじみやすく、わかりやすいものとは対極にあると思えるのだが、それがやんやの喝采を受けていた。それも相当に幅広い層の聴衆からだ。若い女性もかなりいた。あたしのような老人はむしろ少ないし、「ガンコなジャズ爺」はほとんど見なかった。ここでは「ケルティック・クリスマス」を何度も見ているが、ああいうウケ方をしたのは覚えが無い。


1213 モーツァルト・グループ @ ひらしん平塚文化芸術ホール
 レヴューを頼まれて見たのだが、最高に愉しかった。要するにお笑い芸である一方、あくまでも音楽を演奏することで笑わせるところが凄い。音楽家としてとんでもなく高いレベルにある人たちが、真剣に人を笑わせようとする。こういうやり方もあるのだと感心すると同時に、一曲ぐらい、大真面目に演奏するのを聴きたかった。

1228 紅龍, 題名のない Live @ La Cana, 下北沢
 昨年のライヴ納め。ピアノ、ベース、ギター、トランペット、パーカッションというフル・バンドに、シンガー2人。さらに後半、向島ゆり子さんも駆け付けて、最新作《Radio Manchuria》の録音メンバーが1人を除いて顔を揃えるという豪華版。プロデューサーでピアノの永田さんのヴォーカル・デビューという特大のおまけまで付き、まさに2024年を締めくくるにふさわしい夜になった。


 展覧会はあまり行けず。行った中でもう一度見たいと思ったもの。

エドワード・ゴーリー展@横須賀美術館
 これまで思っていたよりも遙かに大きく広く深い世界であることを実感。

田中一村展@東京都美術館
 奄美に行ってからの絵を見ると、ここまでの全てのキャリアはこの一群の絵を描くための準備と見える。奄美大島の一村記念館に行きたくなる。

オタケ・インパクト@泉屋博古館
 同じ美術館で同時開催されていた別の展示を見にいった家人が持ち帰ったチラシで見て勃然とし、会期末近くに滑り込み。まったく未知の、しかし素晴しい画家たちの絵に出会うスリル。日本画のアヴァンギャルドという謳い文句は伊達ではない。(ゆ)

 前回の梅田さんと酒井さんの北欧音楽のライヴは試しにやってみましょうということだったらしいが、あんまり楽しかったので、終った直後にまたやることを決めたそうな。酒井さんは今月、ノルウェイに行くので、それから帰ってからと思っていたのだが、待ちきれずに、その直前にやることにし、榎本さんにも声をかけた由。

 まあ、とにもかくにも共鳴弦の響きに陶然とさせられたのだった。

 共鳴弦は北欧音楽のものだけではないし、北欧音楽は共鳴弦だけが特色でもないが、この日は今風に言うなら、共鳴弦祭りだった。

 まずはニッケルハルパの音があんなに艶やかに響くのを聴いたのは、求道会館でのヴェーセンぐらいではないか。ホメリのあの空間、それにたまたまミュージシャンに近いところに座ったこともあったかもしれない。榎本さんによれば、楽器そのもののせいもあるそうだ。日本に来て1年ほど経ち、ようやくおちついてきたという。わが国の湿度はヨーロッパの楽器にとっては難題だが、ニッケルハルパも当初は相当に苦労し、いろいろと手も入れた由。

 そしてハルディング・フェーレ。これまた調弦に時間をかけていたが、いざ音が出ればそこはもう北国の世界だ。

 この2つが重なると、あたしなどは完全に別世界に連れていかれてしまう。音楽を聴いていると、こんな偉大な発明は無い、と想うことがときどきあるが、共鳴弦はその最たるものの一つだ。

 そして、当然ながら、北欧の楽曲は、この共鳴弦の響きを存分に活かすようにできている。そりゃ、本来は逆だろう。北欧の楽曲の響きを出すために共鳴弦が編み出され、ああいう楽器ができてきたはずだ。というよりも、おそらく両者はたがいに刺戟しあう形で、どんどんと先へ先へと進んで、ああいう形になっているのだろう。とまれ、その気持よさ、ゆったりとして、後ろへひっぱるアクセントが強靭なそして粘りのあるバネとなってはね返るノリが、重なる音をさらに共鳴させる。

 普通のフィドルとニッケルハルパもよく響きあう。酒井さんは低音弦をよく使うが、そのふくらむ響きが、文字通りの共鳴を産んで、空間いっぱいに響く。もう、いつまでも終らないでくれと願う。

 ハープは北欧の伝統には無い。フィンランドのカンテレが一番近いだろうが、どうやらあちらの人びとは楽器は横にして弾きたいので、縦は好まなかったらしい。もっともこの頃ではハープも人気だそうで、梅田さんがハープを弾けるとわかると、教えてくれと言われたそうだ。ひょっとすると、ハープは「旬」を迎えているのかもしれない。アイルランドでもハーパー人口は増えているし、スコットランドはもっと盛んだ。エドマー・カスタネダのような人が出てきて、脚光を浴びるのも、あるいはハープをめぐる流れが世界的規模で盛り上がっている徴かもしれない。ところで、カスタネダの初録音はニューヨーク在住のアイリッシュ・シンガー、スーザン・マキュオンの BLACKTHORN (2005) だということは、ここでもう一度言っておいてもいいだろう。

 その伝統にない楽器を梅田さんが弾くと、あたかも北欧の伝統楽器に聞える。梅田さんの演奏にはどこかそういう説得力がある。自信があるというよりも、ごくあたりまえに弾いている。伝統楽器で無いほうがヘンだと思われてくる。

 そのハープも、ほめりではよく響く。特に増幅はしていなかったが、2つの楽器に埋もれることもない。これも聴く位置のせいか。ほめりは細長いので、席の位置によって聞こえ方が結構変わる。

 演奏されたのは、ノルウェイとスウェーデンがメインで、アンコールにハウホイがやっていたデンマークのワルツ。面白いのはノルウェイとスウェーデンの曲をつなげてメドレーにしたりする。こんなのは現地ではありえないだろう。ありえないといえば、ハープが入ったトリオという編成もありえない。こういうところが異邦の伝統音楽をやる醍醐味のひとつだ。

 びっくりしたのは、後半のはじめでいきなり榎本さんがうたいだした。スウェーデンのコーヒーのうたで、はじめスウェーデン語で、次に日本語で、アカペラでうたう。さらに、榎本さんがリードし、他の2人がコーラスをつける古いうた。現地の人でも歌詞の意味はわからないくらい古いうた。榎本さんはニッケルハルパを習いに1年留学されたそうだが、その収獲のひとつらしい。やはりうたはええ。こういう場でうたが入るのはことにええ。

 それぞれのソロもあり、これがまたいい。たっぷり2時間。どこか、やめたくないような感じもあった。終る前から次回の話をしているのはもちろん、録音の計画もまだぼんやりだがあるようだ。是非実現してほしい。

 北欧と一口にいっても、むろん、それぞれの地域で地合いはかなり異なる。国のなかでも異なる。国境地帯では、むしろ同じ国の他の地域よりも、隣国の方が近いこともある。アイルランドでもドニゴールはスコットランドに親しいのと同じだ。スコットランドではハイランドとロゥランドはまるで違う。この人たちはそういう違いもきちんと把握しているのが強い。国別だけではなく、より細かい地域による違いを押えることは、伝統音楽を相手にするとき、案外大事になってくる。それにまた、そういう違いがわかってくると、音楽を聴くのも、それにたぶん演るのも、さらに面白くなる。録音で聴くのも面白いが、眼の前でその違いを弾き分けられると、体感として染みこんでくる。

 音楽から聞えてくる北欧は、家具などから見えてくる北欧とはまた違った様相を呈する。北欧デザインも好きだが、もっと昏い、どこか激しい北欧の方が、すとんと腑におちる。そしてその中に、一本ぴいんと筋が通っている。ニッケルハルパやハルディング・フェーレの共鳴弦にもその筋は通っている。気品と呼んでみたい気もするが、しかしそこには日本語の気品とは対極にあるような、なまぐさい、どろどろしたもの不可欠になっている。ムーミンのモランの気品といえば近いだろうか。ニッケルハルパを見て虫と言った人がいるそうだが、確かにあの楽器にはそう呼びたくなる不気味なところが潜んでいる。北欧デザインの、あの贅肉を削ぎ落とした佇まいには、そうした不気味な、時としておぞましいとすら言えるようなところを押えこむ意志を感じることがある。

 伝統音楽にはどこのものにもそうした不気味なところ、おぞましいところがある。そしてそれが魅力を産んでもいる。北欧の音楽では、たとえばアイリッシュなどよりも、その部分が表面に近いところまで昇ってきているようにもおもえる。(ゆ)

 こうしてあらためて見ると、アンサンブルや曲のアレンジ、全体の提示つまりプレゼンテーションということでは、例えばジョンジョンフェスティバルはチェリッシュ・ザ・レディースよりも今は上になっている。チームワークと多彩なフォーメーションで勝負するというチーム・スポーツの世界ではすでに定評になっている性格がここでも出ている。

 チェリッシュ・ザ・レディースや We Banjo 3 のライヴは、正直、これを1時間半続けられて楽しめるか、自信はない。もちろんその時にはそれなりの組立てをするだろうが、基本的にはユニゾンとソロしかなく、これをどう組み合わせるかになる。テンポ、音量の大小の変化はまずない。

 それよりは個々のミュージシャン、ジョーニィ・マッデンなり、ナリグ・ケイシーなりの、これはもう卓絶したミュージシャンシップを押し出す。それはそれでいわば一点突破の凄みがある。ケルティック・カラーズのジョンジョンフェスティバルの2本めで共演した地元の若い女性フィドラーのあの凄みだ。これはおそらくわが国出身者では逆立ちしてもかなわない。

 シャロンもそうで、やはり彼女のミュージシャンとしての凄みが現れるときがハイライト。今回それが現れたのは最後の〈Music for Found Harmonium〉のそれも後半で、箍のはずれたあんな演奏は彼女にしかできない。アコーディオンという楽器の限界も消えてしまう。直後にアンコールのために出てきた Dreamer's Circus のアコーディオン奏者が、もう降参というように首を横に振りながらシャロンに歩み寄ってハグしていたのにはまったく同感。

 これに比べてしまうと、他のメンバーは文字通りサポートでしかなくなってしまうのは気の毒ではある。中でフィドラーのヴォーカル・パーカッションがなかなかに面白かったが、アンサンブルのなかに組込みきれていない憾みがある。パーマネントなバンドではないゆえか。

 その Dreamer's Circus は今回の目玉で、最も期待していたが、その期待は裏切られなかった。これは単独公演を見たかったと後悔しきり。やはりデンマークならではで、こういう形のバンドはアイルランドではまず出てこない。かなりジャズの語法をとりいれているところ、いかにも大陸ヨーロッパ的である一方、大陸のもつ洗練への志向が生み出すバランスが効いている。こうなると録音よりライヴのバンドだ。

 それにしてもジョーニィ・マッデンのはじけぶりにはいささか驚いた。呆気にとられた。あんなに「ヤンキー」な人だったか。この人の演奏はむしろスローな曲の方が良いと思っていたし、実際1曲だけやったスロー・エアがハイライトだったが、録音とのイメージの落差はダギー・マクリーン級だ。いささか常軌を逸するほどの陽気さだけでなく、ほとんど1小節ごとにみえるくらい頻繁に楽器を換えるのも尋常ではない。

 ただ、やはりこのバンドの最盛期は1980年代末から90年代前半、アイリーン・アイヴァースやメアリ・ラファティがいた頃だとは思う。チーフテンズもそうだが、バンドとしての黄金時代は初期にあって、それは二度とは来ないものなのだ(デッドは例外)。このバンドが続いているのも、マッデンおばさんのリーダーシップだろう。最後の全員でのアンコールでも、仕切っていたのはマッデンだった。

 残念だったのは、PAにいささか問題というか、楽器のバランスがよくない。シャロンのバンドもチェリッシュ・ザ・レディースも、全体でやっている時のフィドルはほとんど聞えなかったし、ダンサーのタップの音も小さかった。ホールの問題だろうか。

 午後3時の開演は日曜にしても早いと思ったら、終演後、セッション・パーティーがあり、豊田ケイリ・バンドがコア・プレーヤーとして招かれていた。あのメンツなら、さぞかし盛り上がったことだろう。このパーティーのチケットが真先に売り切れたそうで、プレーヤーだけでなく、リスナーとして来る人も多かったらしい。あたしはまだ仕事が残っていたし、チケットも持っていなかったから、早々に退散。

 豊田さんとは休憩の間、ちょっと話すことができた。ポートランドでの O'Jizo の録音は、録音自体も順調だっただけでなく、いろいろと収獲があったようだ。これから様々な形で現れるだろう。まずは間もなく出るだろう O'Jizo の新譜が楽しみだ。

 例によって物販も豊冨で、チェリッシュ・ザ・レディースのシンガーの、出たばかりのソロとナリグが姉妹で出したCDを買う。五十嵐正さんが永年とりためたアイリッシュ・ミュージシャンたちへのインタヴューをまとめた『ヴォイセズ・オブ・アイルランド』も出たばかりで並んでいた。雑誌に発表されたものも、元の録音にもどって起こしなおし、加筆したそうだから、これも楽しみ。(ゆ)
 



 デンマークの至宝、ハウゴー&ホイロップが今度の「ケル・クリ」でのライヴをもって解散することが、招聘元のプランクトン社長川島さんのブログで発表になりました。

 10年やって、ひと区切りつけようということで、別に喧嘩別れするわけではないようなので、将来、また別の形でこの二人が一緒にやるところを見られるではありましょう。

 とはいえ、デュオとしての「マジック」、1+1が10にも100にも、時には無限大にもなる二人の組合せの妙を体験できるのは、やはり今回が最後でしょう。世にデュオは多いですが、この二人はこの形式の意味を完全に書き換えてしまいました。たった二人なのに、変幻自在、大胆さと繊細さがまったく同時に現われる、スリルと美しさに満ちた音楽。いやおそらくこれは三人以上では不可能なので、二人だからこそ産み出せるものでしょう。

 デュオならではの豊饒の点では、マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルも負けていませんが、あちらがあくまでもアイリッシュ・ミュージックに収束してゆくのに対し、ハウゴー&ホイロップの音楽はデンマークの地にどっしりと足を踏んばりながら、どんどん広がってゆきます。そういえば、先日のラウーの音楽とも共鳴しているかもしれません。

 思えばあれはもう何年前だろう、グラスゴーの Celtic Connections で、何の予備知識もなく、なにかの「前座」で出てきたかれらのステージに釘付けになって、こいつら何者?と仰天した、その新鮮な驚きを、毎回追体験させてくれるのも、ハウゴー&ホイロップの特異なところです。

 解散を惜しむのではなく、祝福するつもりで、相模大野に行こうと思います。(ゆ)

 あけましておめでとうございます。

 今年ものんびりと、急がず休まずでやってゆきたいと思います。
 よろしくおつきあいのほどをおねがいいたします。

 今年の海外からのミュージシャンとしては、まず2月初旬にハウゴー&ホイロップカトリオナ&クリスが来ます。5月にグローニャ・ハンブリー、6月におそらく最後となるだろうチーフテンズ、秋にショーン・ライアン一家、11月にはヴェーセンフリーフォートがそろい踏み、そしてもちろん年末には「ケルティック・クリスマス」があります。

 これだけでももう眼がまわりそうですが、他にもまだこれから発表になるイベントもいくつもあるはずです。昨年鮮烈な印象を残した『ラグース』の再来日も期待されます。

 国内での音楽活動も近年ますます活発です。今年もたくさんの人たちが、各々にすばらしい音楽を聞かせてくれると期待します。われわれもできるかぎり、フォローしていきたいと思っています。どしどし情報をお寄せください。

 昨年は YouTube をきっかけに、動画がネットでブレイクしました。MySpace 日本版も始まり、ネット環境も大きく動こうとしているようです。メルマガという形式もそろそろ次を考える時期かとも思いますが、文字情報の役割はまだまだあるとも思われるので、もうしばらく続けるつもりです。

 とりあえず、マイスペースに登録しました。

 それにしても一日の時間配分がますます難しい。いったいいつ食べたり、眠ったりすればよいのだ。

 今年が皆さまにとって実り多い年でありますように。(ゆ)

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