Rauma はカンテレのあらひろこさんと馬頭琴の嵯峨治彦さんのデュオで、今年で結成10周年の由。きゃめるも Tricolor も Rauma もみんな10年前に始まっている。

 Rauma は10年目にして初めてのCD《深い海》を出し、そのレコ発ツアー、秋の章、千秋楽がこのライヴ。ハープの木村さんが華を添える。

 カンテレという楽器の音を初めて聴いたのは、まだCDが無い、LP全盛の頃の Martti Pokela のアルバムだった。ジャケットの絵などから、前に水平に置いて指で弾く、ツィター属のひとつとはわかったが、その響きはまったく聴いたことのない深いものだった。

Kantele the Old & New
Martti Pokela
Arc Music
1994-06-15



 あらためてあらさんに確認したら、共鳴弦があるわけでなく、張られている弦が互いに共鳴してああいう響きになるのだそうだ。弾く弦そのものの共鳴を増幅、利用する楽器はおそらく他には無いのではないか。

 ご多分に漏れず、本家のフィンランドでも第二次世界大戦後は一時廃れるが、マルティ・ポケラの登場で息を吹き返し、彼がシベリウス・アカデミーで講座を開くにいたって、若い世代にも広がっているそうだ。わが国はフィンランド国外で、フィンランド移民もほとんどいないところでは最も演奏者数が多いと言われているらしい。

 カルデミンミットなどでカンテレそのものの生演奏は聴いたこともあるはずだが、あらさんの演奏はまた格別だ。フィンランドも含め、世界でも有数の演奏者によるものなのだから。

 Rauma はこれに馬頭琴が組み合わさる。というのも、おそらくは世界でも他に例は無いだろう。フール・フーントゥがフィンランドに行って、共演したことはあるかもしれないが。

 馬頭琴とホーミィといえばあたしはまず岡林立哉さんなのだが、嵯峨さんも優れた演奏家だ。モンゴルやトゥバの伝統音楽を演奏する人はわが国でも増えていて、この日使われた、これも伝統的な撥弦楽器のドシュプルールは何と国産というのには驚いた。

 嵯峨さんの馬頭琴はどちらかというと柔かく、艷があって、あらさんのカンテレとよく合う。岡林さんの演奏は、比べてみると骨が通って、より原初的な響きがある。

 《深い海》はすっかり愛聴盤で、とりわけタイトル曲がすばらしい。終り近く、カンテレが〈てぃんさぐの花〉のメロディをさりげなく混ぜるのがたまらない。今回はレコ発で、アルバム内の曲が多かったが、ふだんはもっと即興が多いのだそうで、こういう遊びもそういう即興の中から生まれたものなのだろう。

 とはいえ、ハイライトだったのは、嵯峨さんがドシュプルールを伴奏にホーミィもまじえ、トゥバ独特のダミ声で唄ったトゥバの現代曲、ソ連時代の国策道路建設を称える曲。本来、愛国歌の一種のはずだが、日本語の歌詞もまじえて今うたわれると、すばらしい批判の歌になる。ドシュプルールのビートもあって、まるでブルーズなのだ。砂漠のブルーズがあるなら、こちらは草原のブルーズだ。

 これに合わせるカンテレがまたスリリング。カンテレの弦にもハープのようなレバーがついているが、弾いておいてこのレバーを操作し、音を揺らす。スライド・ギターの効果だ。たぶん、こんな奏法は伝統には無いと思われるが、ドシュプルールのビートとの掛合いはそれは愉しい。

 それに続く、ポケラ作曲の〈トナカイの子守歌〉はアルバムにも入っている曲で、カンテレと馬頭琴の溶け合い方が一層美しい。ポケラのトナカイはもちろんサーメの人びとのトナカイだが、トゥバにもトナカイの放牧をやっている人たちがいるのだそうだ。

 さらに木村さんが加わってのトリオも面白い。まずは嵯峨さんが、自分の生まれた年のヒット曲です、といってやった〈名前のない馬〉。しかも日本語版である。原曲はリアルタイムで聞いてもいて、好きな曲のひとつでもあるが、日本語でうたわれるとまた別物。そして、ここでのカンテレの間奏がみごとの一言。あらさんは伝統はきっちり身につけているが、だからこそだろう、冒険も好きなのだ。

 〈エレノア・プランケット > バタフライ〉のメドレーでは、ハープ、馬頭琴、カンテレがそれぞれにリードを取り、またハーモニーをつける。

 3人でのアンコールはアヌーナの Michael McGlynn が娘が生まれた時に作った〈アシュリン〉で、カンテレのソロから始まり、馬頭琴が受け、ハープがピッキングでハーモニーをつける。こういうのを聞いていると、トリオでの録音も欲しくなる。

 木村さんは前座で唄いまくる。こちらでは『閑吟集』からの「山椒哀歌」に続けて、〈私の小舟〉から〈The Flower of Maherally〉につなげたのがハイライト。

 木村さんは伝統歌もいいが、オリジナルも聴きごたえがある。ご母堂の実家、秋田の鹿角で霊感を得て、藤野由佳さんが詞をつけたという曲は出色。高域のリフが言わんかたなく美しい。

 音楽に心のすみずみまで洗われた一夜だった。

 Rauma の名前の由来がなかなかに深いものであったが、ここには書けない。(ゆ)


訂正 2019-10-27
 Martti Pokela は男性だという指摘をいただき、訂正しました。このジャケットですっかり女性だと思いこんで、確認したこともありませんでした。どうも、すみません。
Thanx > 坂上さん