クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:トラッド

 20年以上前になるが、このCDが Vivid Sound から国内盤仕様で出た際に書いたライナーを再掲して、レンボーンの追悼に代える。

 今回も段落ごとに1行開けたのと、漢数字の一部をアラビア数字にし、明らかな誤字を訂正した他は当時のままだ。


  『隠者』という暗示に満ちたタイトルのもと、1976年に発表されたこのアルバムは、ジョン・レンボーンのソロとしては6作目にあたる。オリジナルのジャケットには、タロットの大アルカナ〈隠者〉をモチーフにしたデューラー風のイラストが描かれていた。ソロとしての前作 FARO ANNIE (1971) からは5年、ペンタングル最後のアルバム SOLOMON'S SEAL (1972) からとしても4年の隠遁生活を破っての登場だった。

  内容は、昨年国内盤の出たソロ第3作『鐵面の騎士』と第4作『ザ・レディ・アンド・ザ・ユニコーン』の流れを組み、またこれ以降の作品としては THE BLACK BALLOON (1979)、THE NINE MAIDENS (1983) へと続く。レコードでは一枚一枚新たな地平を開拓し、駄作を作らないJRだが、中でも『ザ・レディ・アンド・ザ・ユニコーン』『隠者』そして『ブラック・バルーン』のソロ3部作は、ギター・アーティストJRのユニークな音楽世界の完成への軌跡を示すとともに、ジャンルの枠を越えていく傑作だ。白石和良氏は『ザ・レディ・アンド・ザ・ユニコーン』を評し「トラッドと古楽の谷間に咲いた希有の名花」と書いておられるが、この言葉を敷衍すれば、『隠者』はその花をJRのギター一本に収斂して結晶化し、その結晶から『ブラック・バルーン』においてJRの美の世界そのものの化身が眼も眩む大輪となって開花する、と言えようか。それにしてもこのアルバムは厳しい。2曲を除いてすべてJRのギター一本のみで貫かれていて、しかもその2曲もやはりギターによる2重奏なのだ。これ以外のインスト・アルバムでは最低でもフルートやパーカッションがついている。これほど厳格・簡素なスタイルはこれが最初で最後だ。
  
 ところで今回の再発では曲順がオリジナルのものとかなり変っている。もとの曲順にもどしてみると、[05][10][06][07][04][11]ここまでがA面。B面が[02][03][09][08][01]となる。つまりA面にはブルース、フォークを集め、B面は中世・ルネッサンス音楽で固めているのだ。CDというメディアの特性を計算しての変更ではあろうが、お手元のCDプレーヤーがプログラムできるものであれば、試みにこの順番でお聴きになれば、オリジナル・アルバムの意図するところがよりはっきりわかるだろう。

 ひとことで言えば、ここに聴かれる音楽は、フォークでもクラシックでもない、他に類例を捜すことの難しい、あの希少な秘宝なのだ。かれの出発は紛れもなくフォークにちがいない。しかし、JRの関心は何よりもまず楽器にあり、ギターという楽器を媒介にして自らの美意識に律せられた世界を構築することにあった。そこではフォーク・ミュージックの素材や手法も独自の世界を作りあげるために奉仕させられる。とすればそれは、普通の人びとの平凡な日常生活の中に非凡な瞬間をすくいとっていくフォークの手法とは異なるものだ。一方で楽器への関心からJRは中世・ルネサンス期の音楽へ向かうことになるが、その姿勢は、あるヒエラルキーを持った価値基準にしたがって過去の蓄積から砂上楼閣を築こうとする従来のクラシックのものではないだろう。あるいは、過去のある時期の音楽を可能なかぎり当時の姿に近づけて再現することで、音楽そのものの原初的エネルギーをとりもどそうとするいわゆる古楽の姿勢とも一線を画する。

 空前絶後のペンタングルをも含むこれまでの全業績を踏み台としてしまうような本作でJRがしようとしたことを、いささか牽強付会を承知であえて分析してみれば、バロックによって科学的整合性の下に再編成される以前のクラシック音楽、出発点からペンタングルまで練りあげてきたフォーク/ブルース、それにラグタイム(発表当時ファンを驚愕させた)に象徴されるポピュラー音楽を、もともとのコンテクストから一度切りはなし、ギターという優れて現代的な楽器によって再現する。そこから生じるずれ、意図的な踏みはずしを拡大・深化していくことで新たな世界をきり開こうとする。少々使いふるされた言い方を借りれば、それぞれに伝統を背負い、確固たる基盤を築いているこうした形式を脱構築しようとするといえるだろう。ここにみられるJRの極めてパーソナルな姿勢は、その意味で反近代・非西欧的な音楽、アイリッシュ・ミュージックやジャズの世界の住人のそれに近い。例え聴衆が他にひとりもいなくとも、JRはおのれとそのギターのためだけに音楽を奏でつづけるはずだ。すなわち『隠者』というタイトルにはそれに先だつ4年の沈黙期間を代弁させるとともに、孤独の中でひとつの道を極めんとする求道者の姿も重ね合わせられているにちがいない。

  タイトル通り、このアルバムによってJRのギター・スタイルは完成の極に達し、ここに精妙、繊細、そして変幻自在な音楽世界がその全貌を現わすことになった。この点で意味深いコメントをしているのが、ソロとしては前作に当たる FARO ANNIE (1971) のプロデューサーでありJRの永年の協力者でもあるビル・リーダーだ。FARO ANNIE の録音セッションの際、最も苦労したのはJRのマイク・セッティングだった。というのもかれのギターがあまりに繊細で、アンサンブルの中できちんと捉えることが恐ろしく難しかったからだった。

  「かれの演奏があまりに静かなものだったので、ジョンがたてる一番大きな音というのはギターをこする服の袖の音だったことも少なくなかったんだ。でもあのセッションはいいできだったと思う」

  この後でバート・ヤンシュの MOONSHINE と同時にリプリーズに録音されたというテープが陽の目を見れば、本作に向かってJRのギターが深化していく過程が聴けるかもしれないが、それまではこの言葉から想像をたくましくする他はなさそうだ。

  ではJRの類例のない美意識はどこに立脚しているのだろうか。その点を詳しく考察する余裕は今はないが、ここで興味深いのがキャロラン・チューンをとりあげたことである。キャロランはアイルランド音楽にユニークな地位を占めるハーパー/作曲家だ。その業績をひとことで言えば、アイルランドの古くからの社会組織=ゲーリック社会がその長い衰退の最後の段階にあった時代に生きて、古来の価値観とイタリア・ルネサンスに象徴される新しい文化の融合を果たした人物だ。キャロランのおもしろさはもともと上流階級だけのものだったその音楽がその後フォークの伝統にとりこまれ、現在ではフォークの文脈で演奏されることが普通になっていることである。例えばヴィヴァルディやコレッリの音楽をイタリアのフォーク・ミュージシャンたちが演奏しているところをおもい描いてみればいい。死後、キャロランの頭蓋骨は厳しい禁酒の時期に当たったことから、地元の人びとの手によって保存され、これで酒を飲むと癲癇が治るとされたという伝説を自筆のノートで紹介しているのは気まぐれではあるまい。

  今回原盤に一部タブ譜がついているので、ギターのできる方は各々演奏を試みられれば、JRが達成したものがどれほどのものか身をもって体験するという特権を得られるだろう。以下、オリジナル・アルバムにつけられたJRのノートを中心に各曲について述べてみよう。
  
 [06]でデュエットをつけ、曲のクレジットも得ているドミニク・トレポーについては、これ以外の録音も知られておらず、詳細はわからない。パリからJRのもとへ遊びにきていた際にこの曲を作ったという。[01]の原曲を書いてJRにラグタイムを弾かせる契機を作り、[01]で共作・共演しているジョン・ジェイムズはラグタイムやブルースを得意とするウェールズ出身のギタリスト。JRはジェイムズの4作目 HEAD IN THE CLOUDS (Transatlantic、 1975) に参加し、そのタイトル・チューンを元に㉂を作った。

 [01]aは1603年にトマス・ロビンソンが出版した SCHOOLE OF MUSIKE に載っている3曲のデュエット曲の一曲。本来はリュートのためのもの。[01]bはエリザベス朝で非常にポピュラーだった曲で原曲の作曲者は不詳。JRが編曲者のひとりとして名を挙げているトマス・ロビンソンは、黒田史朗氏によればやっていないはずで、手掛けたのは Francis Cutting、ニコラス・ヴァレ、スート・ロッベル、それにジョン・ダウランド、さらにウィリアム・バードが「フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック」に編曲をひとつ載せている。いずれもリュート用。この曲はウィル・ケンプによって有名になった。ケンプはロバート・ダドリー(1573-1649)に従ってオランダへ赴くが、ダドリーが追放されウィロビー卿が後を継ぐと、卿にとりいるために曲を改題した。

  キャロランの3曲はいずれもアイリッシュ・ハープのための曲。[02]a:死者に捧げられた哀歌は非常に古くからあるジャンルだ。この曲の対象オーウェン・ロゥ・オニール (1590?-1649) はクロムウェルに対抗したアイルランドの軍人で、アイルランド古来のゲーリックの伝統を継いだ最後の「チーフテン」ティローン伯ヒュー・オニール (c1540-1616) の甥。はじめイングランド側を大いに破るが、クロムウェルとの直接対決の直前に急死した。フランシス・オニールの『アイルランドの音楽』収録。[02]bはベルファストのクィーンズ・ユニヴァーシティ図書館所蔵のエドワード・バンティングによる採録譜が原典。キャロランは各地の上流階級の人士のために曲を作るのが主な商売で、タイトルはその曲を捧げられた相手の名前。これはおそらく1719年に名跡を継いでクレア州に住んだ第4代インチキン伯であろう。[02]cは「キャロランズ・コンチェルト」の別名で、キャロランの作品中最も有名な曲。メイヨ卿の屋敷に滞在していた折り、コレッリの弟子ジェミニアーニといっしょになり、作曲試合をした際の作品という伝説がある。

 他はすべてJRのオリジナル。[03]はフルーツ・パイの有名なメーカー数社の依頼で書いた45秒の曲を引き伸ばしたもので、テューダー朝音楽のパスティッシュ。[04]はこのレコードの中で正統的なものに最も近いピッキングの曲。[05]ギタリストならば遅かれ早かれひねりだすことになるだろうタイプの曲、と本人は言う。[07]は高潔で鉄のごとき威厳のあるタイプの曲だが少々使いふるされた部品で作られている。[08]はある卓越したギタリストの幼い娘に捧げられた小品。[09]ははっきりした終りのない曲なので、ブレーキが聴かなくなると終れなくなる。

 もしJRが現れず、世に出たのが、デイヴィ・グレアムとバート・ヤンシュだけだったとしたら、現在のギターの地位はどんなものになっていただろう。17年前のレコードを聴きながら、ふとそんな妄想が頭をよぎった。

1993年9月
大島 豊

(いつもながら白石和良氏に貴重な資料・助言をいただいた。また以前発売されていた国内盤LP(コロムビア YS-7051-LA、 1980)添付の黒田史朗氏のライナーを一部参考にさせていただいた。篤く御礼申し上げる。)


 個人的には《BLACK BALLOON》が一番好きだが、最後の録音となった《PARELMO SNOW》に現れた、ペンタングル以来のジャズへの接近がその後どう展開されていたかは聴きたいと思う。(ゆ)


The Hermit
John Renbourn
Shanachie
1991-09-30


悪天候と放射能にもめげず、店内がほぼ満席になったことにブラック・ホークと松平さんが伝えた音楽の力をあらためて認識させられた。
    
    それにしてもジャズ喫茶時代、レゲエ喫茶時代のブラック・ホークではなく、ロック喫茶時代の音楽だけが語り伝えられているのは不思議でもある。
    
    レゲエ時代については石田昌隆さんがどこかで書かれていたかと思う。ジャズ喫茶時代にしても、「DIG」や「ジニアス」はジャズ喫茶としての名を残しているが、その DIG の支店だったにもかかわらず、後にジニアスを開く鈴木氏や松平さんが「お皿回し」をされていたにもかかわらず、ジャズ喫茶としてのブラック・ホークの名前はほとんど聞かない。ブラック・ホークといえばロック喫茶だ。
    
    今回は常連として先輩になる方々もいらしてくれたのはありがたかった。そこでわかったことは、時代によってかかる音楽は少しずつだが変わっていたこと。たとえば「ハード・ロック封印の儀式」というのがあった。ある日、ツェッペリンとか、パープルとか、フリーなど、いわゆるハード・ロックと呼ばれるレコードが終日かかっていたのだが、それが終わるとそこの棚にテープで封印がされたそうなのだ。以後、ブラック・ホークでハード・ロックがかかることはなく、たまに事情を知らない客がパープルをリクエストすると「ありません」という返事が返ってきて仰天することになる。
    
    それだけでなく、ブラック・ホークの守備範囲の中でも内実は少しずつ変わっていて、「ブリティッシュ・トラッド」が入ってきたり、アイリッシュが入ってきたり、シンガー・ソング・ライターが増えたり、カナダのトラッド系が入ってきたり、という具合だったのだろう。ぼくが接したのはそのひとつの「完成形」または「最後の姿」だった。
    
    そして「トラッド」、つまり今でいうアイリッシュやスコティッシュやイングリッシュ、あるいはブルターニュ、ハンガリーなどの伝統音楽の現在形を求めて通ううちに、アメリカのシンガー・ソング・ライターたち、ローカルなミュージシャンたち、ニューオーリンズの音楽などにもピンとくるものを発見してゆく。なにせ、ブラック・ホークにあってさえ「トラッド」はごくマイナーな存在であって、「アメリカもの」がかかっている時間の方が圧倒的に多かったからだ。
    
    ぼくの音楽鑑賞力、評価基準はそうしてブラック・ホークで鍛えられ、刷りこまれた。今はブラック・ホークでかかっていたものとは比べものにならないほど幅広い音楽に親しんでいるが、ハード・ロックやその派生物であるヘヴィメタルの系統をあまり面白いと思わないのは、出発時点での刷りこみのせいだろう。同時に、そうした音楽には「ルーツ系」とは根本的に相容れないものがあるのかもしれない。
    
    それは松平維秋という人の美意識を通じて初めて見えるものかもしれない。しかし松平さんの音楽選択の基準がいまだに影響力を増やしこそすれ、衰えをみせないことを見れば、そこには普遍的な要素もあるはずだ。ハード・ロック〜ヘヴィメタルの系統には、後に松平さんが店を去るきっかけとなった「シティ・ミュージック」と共通するところがあるように思う。
    
    ブラック・ホークは「ロック喫茶」を標榜していたわけだけれど、「ロック」と総称される音楽には当然のことながら様々な流れが混在、同居していた。大きくみて「作られたもの」と「生まれたもの」に分けてみる。すると松平さんは「作られたもの」の価値はほとんど認めなかった。少なくともブラック・ホークの中では。
    
    生まれる音楽の典型であるジャズに比べてロックが作られたものであることとは次元が別の話である。ロックのなかには売るために作られたものがあった。ロック以前の音楽産業のありかたの中で作る部分、ティン・パン・アレィに代表される、作詞、作曲、編曲、演奏いずれも専門家が担当する形の応用でもある。その構造を突き崩すのがビートルズだったわけだが、音楽産業は作る部分は讓りわたしても売る部分は守った。それが突き崩されるのは音楽配信の登場による。
    
    1970年代まではまだ「生まれる」音楽としてのロックがメジャーからリリースされていた。80年代になるとほとんど無くなる。その変化の先駆けが「シティ・ミュージック」だったと言えるだろう。「生まれる」音楽はマイナー・レーベル、後には自主レーベルからしか出なくなる。
    
    1970年代末の音楽産業のその変化に、ブラック・ホークはついていけなかった。ブラック・ホークもまた音楽産業の末端にぶらさがっていたからだ。ブラック・ホークにとってみれば「売るもの」がなくなってしまった形だ。
    
    音楽産業はこうして「成功」する。LPからCDへの切替需要でさらに大儲けする。そしてそのCDが解き放ったデジタル化によって、今度は音楽産業を支えていたはずの外部構造が崩壊する。後に残ったのは「生まれる」音楽だけだ。つまり、音楽は本来の姿をとりもどした。20世紀の音楽は産業によって歪んだものにされていたわけだ。
    
    しかし、それはブラック・ホークには関係のないことでもある。松平さんにとっても果たして関係があったかどうか。ブラック・ホークを離れて以降、音楽について積極的に発言することをぴたりと止めたのはなぜか。あらためて気になってくる。書き手としての松平さんの潔さであったのかもしれない。しかし、それだけなのか。
    
    一方でブラック・ホークで音楽の聴き方を教えられ、価値判断の基準を植えつけられたぼくは、「生まれる」音楽の極北であるブリテン群島の伝統音楽の世界に引きずりこまれ、以来そこをさまよいつづけている。世界はブリテンからヨーロッパ大陸、さらにはアフリカ、ユーラシア、アメリカ、オセアニアと拡がってはいるが、あいかわらず自分がどこにいるのか、どこへ向かっているのかもわからない。導き手もいない。
    
    不安が募ってどうにもならなくなると、出発点を探す。幸い、録音というテクノロジーのおかげで、出発点を確認するのは比較的容易だ。それがブラック・ホークで聴いていた音楽であり、松平さんが良しとされた音楽である。
    
    ひょっとするとパイオニアとはいつもそうなのかもしれない。ある動きを、あるいは流れを起こした後は、消えてしまう。残るのは「伝説」であり、記憶である。それが次第に、雪だるまのように影響力を増してゆく。音楽産業の虚妄から目覚めた音楽ファン、ファッションや一種の「資格」としてではなく、生きてゆくうえに不可欠の要素として音楽を楽しむ人びとにとって、今や「99選」に象徴されるブラック・ホークと松平維秋の指ししめした音楽は頼れる指針の一つになっている。さらにはそこからのスピンアウトとして、たとえばアイリッシュ・ミュージックの浸透という現象もある。元はといえば、東京の片隅にあった小さな店の「商品」にすぎなかったものなのなのに。
    
    ブラック・ホークはその音楽を除けば、店としての魅力は皆無、というよりマイナス評価しかできないところだった。オーディオは当時の平均的音楽ファンのものより上とはいえ、良い音とはとうてい言えないものだった。コーヒーは常連の間では「泥水」と呼ばれた。初めの2、3回はともかく、定期的に通うような人たちは絶対に注文しなかった。椅子の座り心地は悪く、30分も座っていれば尻が痛くなった。今だったらまず半年で潰れるだろう。
    
    しかし、ここでしか聴けない音楽を求める人間にとっては、そういうマイナス面は何の苦にもならなかった。またここでかかる音楽のレコードは、いざ買おうとするとなかなか手に入らなかった。国内に入っている数は多く見積もって50枚というところではなかったか。英国の伝統音楽ものはさらに少なかった。おそらく二桁届くか届かないかではなかったか。
    
    その英国の伝統音楽、当時「トラッド」と呼ばれた音楽、こんにちのアイリッシュ・ミュージックもその一部に含む音楽は、やはり松平さんの個人的「趣味」から導入されたものだったろう。「生まれる」音楽の極致として、ブルーズと同じ地平にありながら、その対極にある音楽。ブラック・ホークの客にとっても「異質」で「異様」な音楽。
    
    今回かけた中で意外な好評を受けたのが A. L. Lloyd だった。バート・ロイドは英国伝統音楽復興、つまりフォーク・リヴァイヴァルを担った巨人の一人だが、うたい手としてのわが国での評価はあまり高くない。しかし、無心に聴けば、やはりその歌唱は第一級のものなのだ、とあらためて思い知らされた。
    
    そのロイドがかかると、かつてのブラック・ホークでは客が一斉に立って店を出ていった、と当時を知る人は言う。松平さんも書いている。そして「喜楽」や「ムルギー」で腹を満たし、また店にもどってきた。その頃にはロイドのLPは終わっている。
    
    しかしこれもまた時間の経過のなかで徐々に愛好者を増やし、アイリッシュ・ミュージックの世界的爆発もあって、こんにちでは「異質」さや「異様」さはよほど薄れている。「トラッド」はファッションのなかだけの言葉ではなくなっている。むしろ「ブラック・ホーク文化」の一部として市民権を得ているように見える。それどころか、ブラック・ホークは「トラッド」の店だったという誤解すらあるようだ。
    
    だからこういう試みにもたぶん意義はあるのだろう。ぼくにとっては出発点の確認だし、ノスタルジーでもあることは否定できないが、それでもブラックホークをリアルタイムで体験しなかった人びとへの一つの提示としてだ。そして音楽はつまるところ「生まれる」ものが大事で、良きものであるのだ、という主張の一環としてである。
    
    個人的には今回かけたなかで最も感激したのはしかし「トラッド」ものではなかった。ジェリィ・ゴフィンの〈It's not the spot light〉だった。このうたは好きではあるものの、こんなに心打たれたことはなかった。聴いていて涙腺がゆるむのを感じた。そこには「外」で、優れたシステムで、大音量で聴いて初めてわかるものがあるのかもしれない。それともそれ以外の要素もあるのか。もう少し試みを続けるなかで見えてくるかもしれない。
    
    このチャンスを与えてくれたいーぐるの後藤マスターに、あらためて御礼申し上げる。(ゆ)

東京・四谷のいーぐるでのイベント準備篇。
    
    試みに99枚を地域的に分けてみる。英国・アイルランドが29枚で、日本の4枚を加えてちょうど3分の1。
    
    音源をまったく持っていないのが12枚。所有率87.8%。もっともその気になれば全部揃えることは多分可能だろう。これから集めようとすれば、一番入手しにくいのは英 Trailer のものかもしれない。つまりヴィン・ガーバットとディック・ゴーハンの2枚。それにゲイ&テリー・ウッズの《BACKWOODS》もCD化はされていないはず。

ブリティシュ・トラッド編
01. Albion Country Band,  BATTLE OF THE FIELD#
02. Albion Dance Band, THE PROSPECT BEFORE US
03. Frankie Armstrong, LOVELY ON THE WATER
04. Anne Briggs, THE TIME HAS COME
05. Shirley Collins & Albion Country Band, NO ROSES#
06. Shirley & Dolly Collins, THE SWEET PRIMROSES
07. Sandy Denny, THE NORTH STAR GRASSMAN AND THE RAVENS#
08. Donovan, H. M. S. DONOVAN#
09. Nick Drake, FIVE LEAVES LEFT
10. Marc Ellignton, RAINS/REINS OF CHANGE#
11. Fairport Convention, LIVE AT THE L.A. TROUBADOUR#
12. Fairport Convention, FULL HOUSE
13. Archie Fisher, WILL YE GANG, LOVE
14. Vin Garbutt, THE VALLEY OF TEES#
15. Dick Gaughan, NO MORE FOREVER#
16. ERNIE GRAHAM#
17. HERON
18. Jack the Lad, THE OLD STRAIGHT TRACK#
19. A. L. Lloyd, LEVIATHAN!
20. Shelagh McDonald, STARGAZER
21. The Oldham Tinkers, FOR OLD TIME'S SAKE
22. The Pentagle, BASKET OF LIGHT
23. Plainsong, IN SEARCH OF AMELIA EARHART
24. Steeleye Span, TEN MAN MOP
25. Dave Swarbrick, SWARBRICK
26. June Taobr, AIRS AND GRACES
27. TIR NA NOG#
28. Richard & Linda Thompson, I WANT TO SEE THE BRIGHT LIGHTS TONIGHT
29. Gay & Terry Woods, BACKWOODS#

アメリカン・ミュージック編
01. Eric Anderson, BLUE RIVER
02. Andwella, PEOPLE'S PEOPLE
03. BALDWIN & LEPS
04. The Band, MUSIC FROM BIG PINK
05. David Blue, STORIES
06. Borderline, SWEET DREAMS & QUIET DESIRES
07. David Bromberg Band, MIDNIGHT ON THE WATER
08. CARP
09. Bobby Charles, BOBBY CHARLES
10. Guy Clark, OLD NO.1#
11. Gene Clark, WHITE LIGHT#
12. Bruce Cockburn, HIGH WINDS WHITE SKY
13. Leonard Cohen, THE BEST OF
14. Ry Cooder, INTO THE PURPLE VALLEY
15. Karen Dalton, IN MY OWN TIME
16. Bob Dylan, BLONDE ON BLONDE
17. Bob Dylan, DESIRE
18. Eggs Over Easy, GOOD'N CHEAP
19. FLOATING HOUSE BAND
20. FREEMAN & LANGE#
21. Donnie Fritts, PRONE TO LEAN
22. Alan Garber, ALAN GARBER'S ALBUM
23. Gerry Goffin, IT AIN'T EXACTLY ENTERTAINMENT#
24. ANDY GOLDMARK
25. GREASE BAND
26. Norman Greenbaum, PETALMA#
27. Arlo Guthrie, LAST OF THE BROOKLIN COWBOYS
28. Happy & Artie Traum, DOUBLE BACK
29. Bryn Haworth, SUNNY SIDE OF THE STREET
30. JOHN HERALD
31. Michael Hurley, HAVE MOICY!
32. JAMES & THE GOOD BROTHERS#
33. Eric Kaz, IF YOU ARE LONELY
34. CHRISTOPHER KEARNEY
35. The Kinks, MUSWELL HILBILLIES
36. Tony Kosinec, BAD GIRL SONGS
37. Lonnie Knight, SONGS FOR A CITY MOUSE
38. Lonnie Lane, ANYMORE FOR ANYMORE
39. Ken Lauber, COMTEMPLATION (VIEW)
40. Bob Martin, MIDWEST FARM DISASTER
41. KATE & ANNA McGARRIGLE#
42. Murray McLaughclan, ONLY THE SILENCE REMAINS#
43. Van Morrison, MOONDANCE
44. Mud Acres, WOODSTOCK MOUNTAINS#
45. Larry Murray, SWEET COUNTRY SUITE
46. Geoff Muldaur, IS HAVING A WONDERFUL TIME
47. Randy Newman, GOOD OLD BOYS
48. Don Nix, IN GOD WE TRUST#
49. OILY RAGS#
50. PACHECO & ALEXANDER
51. Dan Penn, NOBODY'S FOOL
52. Bonnie Raitt, GIVE IT UP
53. Leon Redbone, ON THE TRACK
54. SEANOR & KOSS
55. Chris Smither, DON'T IT DRAG ON
56. Rosalie Sorrels, ALWAYS A LADY#
57. Bruce Springsteen, GREETING FROM ASBURY PARK, N.J.
58. Guthrie Thomas, I
59. Loudon Wainright III, ATTACHED MUSTACHE
60. Tom Waits, CLOSING TIME
61. SAMMY WALKER
62. Jerry Jeff Walker, MR. BOJANGLES
63. Tony Joe White, HOME MADE ICE CREAM
64. Kate Wolf, BACK ROADS#
65. Steve Young, ROCK, SALT & NAILS#
66. TOWNES VAN ZANDT

日本編
01. あがた森魚, 噫無情
02. 荒井由美, ひこうき雲
03. 岡林信康, 金色のライオン
04. 雪村いづみ, スーパー・ジェネレイション#

    もちろん、これ以外にもブラック・ホークのコレクションを象徴するアルバムはたくさんあって、例えば Dirk Hamilton の《YOU CAN SING ON THE RIGHT OR BARK ON THE LEFT》とか、パチェコ&アレクサンダーのトム・パチェコの《SWALLOWED UP IN THE GREAT AMERICAN HEARTLAND》とか、J. J. Cale の《OAKIE》とか、Roger Tillison《ROGER TILLISON'S ALBUM》とか、マイク・ブルームフィールドの《ANALINE》とか、The Amazing Rhythm Aces の《STACKED DECK》とか、Garland Jeffry 率いる《GRINDER'S SWITCH》とか、Chilli Willi & the Red Hot Peppers の《BONGOS OVER BALHAM》とか、《THUNDERCLAP NEWMAN》とか、Jean Ritchie の《NONE BUT ONE》とか、ジャクソン・ブラウンの《LATE FOR THE SKY》とか、Ralph McTell の《STREETS...》とか、ポール・バターフィールドの《PUT IT IN YOUR EAR》とか、ボズ・スキャグスの 1st とか、《DANIELL MOORE》 とか、ドクター・ジョンの《GUMBO》とか、デイヴ・メイスンの《ALONE TOGETHER》とか、《BUTTS BAND》とか、これらは比較的新しめのところではある。英国、アイルランド、ワールド方面については書ききれない。
    
    要するに「もう一つの99選」も軽くできる。というのは当然ではある。当時のブラック・ホークのスタッフあるいはスモール・タウン・トーク編集部(松平さんは「99選」掲載号の発行当時、すでに店を離れていた)の意図は、99枚という数字に意味を持たせるのではなく、ここを入口として、その奥の世界に入ってきて欲しいということだったはずだ。
    
    たとえばの話、この99枚を集めたとして、そこから英国やアイルランドの伝統音楽の世界へ入っていった人はどれくらいいるのだろう。逆にまた、ここからアメリカ白人マイナー音楽の世界に入っていった人はどれくらいいたのだろうか。
    
    ぼくのようにブラック・ホークで育った人間は両方を受け入れる素地はある。それでも、あそこに通っていた当時、アメリカものがかかっている間は本など読んでいて、ブリテン/アイルランドものがかかると耳を傾けるという聴き方をぼくはしていた。『ブラック・ホーク伝説』の船津さんの記事によれば、逆の聴き方をしていた人もいた。おそらくはそちらの方が圧倒的多数派だったはずだ。
    
    ブリテン/アイルランドものとアメリカものの間に通底するところはあるにしても、表現型としての音楽は相当に違う。匂いや肌合いが違う。両方を同程度に愛聴するのは、たぶんかなり難しい。その壁はなにか「努力」して超えられるようなものではない。
    
    それでもこの「99選」が無ければ、このような音楽にはまったく触れることもない人もいるのだろう。だから、たとえ本来の意図からはずれた形にしても、とにかく99枚のレコードに接することは出発点にはなる、とも言える。
    
    だから、いーぐるでのイベントとしては、できれば「99選」だけで終わるのではなく、その次のステップ、上に挙げたような「99選」には入っていないがすぐれた同時代の録音や、こうした音楽の現在形を提示するものを続けたい。
    
    皮肉かもしれないが、松平さんがブラック・ホークを辞められた後、1980年代が過ぎると、松平さんがブラック・ホークで示した価値観/美意識に合う音楽はまた息を吹きかえし、むしろかつて以上に盛んになってゆく。アイルランド、英国をはじめとするヨーロッパのルーツ・ミュージックだけでなく、北米でも進化/深化は顕著だ。
    
    1990年代半ばには明らかになっていたそうした流れをどう見ておられたか、松平さんに訊ねたかった、と今になって想う。(ゆ)

The Traditional Tunes of the Child Ballads, Vol 1    英国のバラッド集の基本中の基本にフランシス・チャイルド Francis James Child 編纂のものがあります。よく曲名の註記で「チャイルド○○番」と書かれているのは、19世紀末に刊行された ENGLISH AND SCOTTISH POPULAR BALLADS で付けられている番号をさします。305曲の歌詞とそのヴァリエーションを収め、詳しい索引と用語集をそろえたこの本は、いまだにこれを超えるものはないほどのものです。
   
    ところが、収録されているのはすべてうたとして伝わっていたにもかかわらず、うたわれていたメロディにまったくといっていいほど配慮がされていないのでした。チャイルドは文献学者として仕事をしたのです。この点を補ったのが Bertrand Harris Bronson の手になる TRADITIONAL TUNES OF THE CHILD BALLADS (1972) です。これまた、これ以上の書物はいまだにありません。
   
    長らく品切れで入手できなかったこのブロンソン本が、ようやく再刊される、という嬉しいニュースです。
    版元は Camsco MusicLoomis House Press。アマゾン・ジャパンでも買えます。

    オリジナルと同じ全4巻で英米同時刊行。価格はハードカヴァー 28.50GBP または 50USD、ソフトカヴァー 23.75GBP または 40USD。それぞれのサイトから購入可能。全巻購入すると検索可能な PDF を収録した CD-ROM が特典でつくそうです。

チャイルド本自体も長らく品切れでしたが、Loomis House Press で再刊中です。よくある元版のファクシミリ複製ではなく、誤記誤植等を修正してあらたに組み直した改訂新版だそうです。全5巻のうち、4巻まで出ています。

    アマゾン・ジャパンでは、アメリカの Dover 版があって、こちらの方が安いですね。こちらは全巻完結してますが、ただ、刊行年月日を見ると、Loomis House 版の5年前なので、内容が同じなのかは不明。一応新版となっていますが、Dover はファクシミリ復刻が得意のはずなので、今ひとつ不安がぬぐえません。
   
    チャイルド・バラッドはイングランドやスコットランドの伝統歌謡のアルバムなら、はっきり書いていなくても、1、2曲はたいてい入っているくらいのものですが、まとまった録音はそう多くありません。一番のお薦めはイワン・マッコール&ペギー・シーガーの《THE LONG HARVEST》と《BLOOD AND ROSES》 のシリーズ。上記 Camsco がCD復刻しています。
   
    それにしてもこのふたつのシリーズが復刻されていたのには狂喜。なんとかカネを作らなくちゃ。
   
    チャイルド・バラッドの録音については、その昔、名古屋の小川さんが曲ごとの収録アルバム・リストを "OAK" に連載したことがありましたが、今ならネット上にあるかしらん。と思ったら、ここがそうらしい。(ゆ)

 まいどのことながら、諸般の事情により、明日20日配信予定の今月号の配信は遅れます。22日までには配信できるはず。乞御容赦。


 イングランドのビッグ・バンド、ベロウヘッドがついにライヴ DVD を出すそうです。02/09 発売予定で、Amazon.co.uk では予約受付が始まってます。消費税が引かれるので、送料込みで1,800円弱です。アマゾン・ジャパンにはまだ出ていません。PAL なので、アマゾン・ジャパンには出ないかも。リージョンは「2」です。2007年9月のコンサートを収録したもので、新作《MATACHIN》以前のレパートリィですが、そう大きく変わってはいないとおもわれます。スコットランドの The Unusual Suspects と並んで、ヨーロッパで今一番面白いバンド、とぼくは思います。ちなみにこれは 1st からの曲。2006年の映像。(ゆ)




 昨年中はたくさんの方にご覧いただき、ありがとうございました。

 今年はまた波瀾万丈の年になりそうで、わくわくしています。そんな暢気なことを言ってる場合か、と怒られそうですが、編集部はもう何年も前から不況真っ只中で、まあ、世間がようやく追いついてきてくれたところです。一緒に暗くなってもしょうがないし、行動は楽天的にするにかぎる、と坂本龍一氏もおっしゃってますしね。

 それにことわれらが親しんでいる音楽の世界では、アイルランド、スコットランド、イングランドをはじめ、ヨーロッパのルーツ・ミュージックは皆絶好調。経済の影響はいずれ出てくるでしょうが、まだ時間がかかるでしょうし、「地に足がついた娯楽」として、あらためてルーツ/伝統音楽が見直されるかもしれません。

 ということで、今年もゆるりと、急がず、されど休まず、でまいります。なにとぞ、よしなに。今年が皆さまにとって実り多い年になりますように。

 とりあえず、今年最初の本誌情報号を5日に配信の予定です。


 というのが編集部としてのご挨拶ですが、個人的には、書き下ろしのケルト音楽エッセイ、《ロバート・バーンズ全歌集》の紹介(各曲歌詞対訳付き)がまずは今年の目標。バーンズは今年が生誕250年ということもありますが、なにせ350曲を超えるので、来年までかかるでしょう。また、かつて音友から出た『アイリッシュ・ミュージック・ディスク・ガイド』が事実上の絶版になったので、自分が書いた部分だけでもブログ等で公開する予定。それとなるべくたくさんのCDを紹介すること。ルーツの世界ではまだまだCDが音楽流通のメインの手段ですから。(ゆ)

me-rrc アシュリー・ハッチングス関連を中心とするアルバムを出している Talking Elephants Records のオンライン・ショップがバーゲン・セールをしてます。

Marc Ellington《RAINS/ REIGNS OF CHANGE
Magna Carta《TOOK A LONG TIME》
Ahsley Hutching's Rainbow Chasers《SOME COLOURS FLY》
Fairport Convention《OLD NEW BORROWED BLUE》
以上5.79GBP

Various Artists《GRANDSON OF MORRIS ON
The GP's《SATURDAY ROLLING AROUND》
Wishborne Ahs《BONA FIDE》
Various Artists《THE MAGIC OF MORRIS》
以上7.79GBP

Simon Care《OH WHAT A CAPER》
Fairport Convention《THE WOOD AND THE WIRE》
Wishbone Ashe《TRACKS》
Groundhogs《SOLID》
 以上9.79GBP
 
 Phil Beer《HARD WORKS
 Wishbone Ahs《TRACKS 3》
 Albion Band《DANCING DAYS ARE HERE AGAIN》
 Albion Band《VINTAGE ALBION BAND》
 以上11.79GBP
 
  価格はいずれもヨーロッパ以外の送料 (1.80GBP) 込み。
 
  マーク・エリントンのはフェアポートとマシューズ・サザン・カンフォートが合体してバックをつけた有名なアリバム。「ブラックホーク・チルドレン」は見逃せないところ。
 
  《GRANDSON OF MORRIS ON》は《MORRIS ON》シリーズの3作目。
 
  The GP's はラルフ・マクテルをフェアポートがバック・アップしたバンドの唯一の録音でライヴ。ラルフのアルバムとしては《WATER OF DREAMS》や《SLIDE AWAY THE SCREEN》の頃で、あの人はあまり波がありませんが、ぼくなどはピークのひとつと思ってます。
 
  われらがフィル・ビアのものは《HARD HATS》(1994)と《THE WORKS》(1989)を復刻した2枚組。後者はローリング・ストーンズの《STEEL WHEELS》に参加して、ツアーに同行した時期。前者はそろそろショウ・オヴ・ハンズを始めていた頃です。ソロとしての 1st、2nd にあたるもの。中身は保証付き。ほんと、この人は何をやってもいい。良すぎるのがいけないのではないかと思えるくらい。
 
  ちなみに小生はエリントン、レインボー・チェイサーズ、サイモン・ケア、フィル・ビアを注文。バーケンということはあるけど、4枚買って5000円いかないものなあ。(ゆ)
 

 本日、11:00 に配信しました。未着の方は編集部までご一報ください。

 メルマガにもちょと書きましたが、ここのところの円高というよりは英ポンド安、ユーロ安は信じられない。ポンドはわずか2ヶ月で200円弱から50円以上落ちてます。ユーロも160円強から40円の下落。このくらい落ちるとわれわれのような少額取引でも影響は大きいです。

 アイルランドの平均CD価格は20EUR で、EU外から買うと消費税分21%が差し引かれますから15.8EUR。今現在で1900円を切ってます。英国のCD新譜価格を14GBPとすると2000円弱。ここまで落ちると、送料払っても、向こうから直接買ったほうが、通販でも店頭でも国内で買うより安くなってしまいます。仕入れ時には円安だったりして、販売価格はそんなに急には下がりません。アマゾンなどはかなり頻繁に為替変動によって販売価格を変更してますが、それでも追いついてません。

 編集部も大喜びで、先日、ひさしぶりに大量注文してしまいました。ポンドもユーロもしばらくは下落傾向のようで、来年前半ぐらいまでは買い時かもしれません。また、今のうちに買えるだけ買っておくのもベターかも。そのうちこっちも危うくなるでしょうし、あちらでのCDリリースの勢いも衰える可能性があります。生演奏はまだしも、ルーツ系、トラディショナル系の音源パッケージのリリースは経済状況に左右されることが強いからです。

 ここ数年のイングランドの活況も、15年続いた経済成長の恩恵によるところが小さくないはず。英国はサッチャーが一次産業を潰してしまったために、産業といえるのは金融だけで、それがだめとなるといよいよ大英帝国衰滅の最終段階となるそうです。アイスランドで起きたことが、はるかに大規模に、長期間続く可能性もあるらしい。先日、いずれ1GBP=1USD にもなる、という論評もありました。

 もっともそうなるとパッケージからネット経由への音源リリースの移行が加速されるでしょうね。(ゆ)

 札幌のトリオ greyish glow が2年ぶりになるライヴを、来月はじめに行うそうです。現メンバーはボーカルのかんのみすずと森田志の、ギター兼ベースの菅野壮の3人で、このメンバーでのライヴとしては初めての由。

 このトリオはわが国では珍しく、ケルト系ではなく、イングランド志向だそうで、もとはア・カペラのコーラス・グループとして出発してます。ぜひ、録音を出していただきたいもの。

 今回のライヴは四つのグループが出るものだそうです。

 詳しくはこちら

「あらかるとな夜 in 時計台ホール 2008」
12/02(火)18:40開場 19:00開演
札幌時計台2Fホール
1000円

出演:HARU with A.C.B うたぴ 流通センター前 greyish glow


Thanx! > かんのさん@greyish glow

 恒例の東京・新宿は Hartford Cafe での「ブリティッシュ・トラッド&フォーク・ロック」ナイトの今月の日程は 今晩2日と、9日、16日、23日の各日曜だそうです。

 LP、CDなどの持ち込みも歓迎とのことであります。

開店16:00
閉店23:00

 足のトラブルもあって、ついにいまだに行けていません。今月こそは、いざ行かん。(ゆ)

 東京は新宿3丁目と言うか、もう御苑前に近いあたりにある、知る人ぞ知る店 Hartford Cafe では、来月から毎週日曜日の夜、ブリテイッシュ・トラッド&フォークのアナログ盤を中心にかけるそうです。特にイベントというのではなく、店の中でかける音楽をそちらにすると言うことらしい。自分のコレクションの持込もOK。CDもかまわないとのことですが、家で眠っているアナログを持ちこむのが、趣旨には合うでしょうね。

 開店が夕方の4時。トラッド・タイムは5時から夜の10時まで。閉店は11時。

 8月は3日・10日・17日・31日の4日間。毎月の日程は公式サイトの掲示板やミクシのコミュに出るそうです。

 この店は「亜米利加的音楽処」の看板を掲げてますが、マスターが「ブラックホーク」OBなので、その流れも汲んでいるようです。実はまだ筆者も行ったことがないので、これをきっかけに行ってみますかね。誰か、一緒に行きませんか?(ゆ)

 これも今月号からこぼれた情報。

 昨年秋以来の第6回が来月第1土曜日にあるそうです。
今回は真夜中までやってるらしい。
アイルランドばかりでなく、イングランドやスコットランドやウェールズも好きという方はぜひどうぞ。

07/05(土)15:00~24:00
東京・高円寺 サブリエルカフェ
*500円チケットx3枚

 「もしかしてブラックホーク99選もやるかも」
 
  一応こちらで参加表明してくださいとのこと。

 英国のTV局 "Five"(昔の「チャンネル5」)が、イングランドのフォーク・ミュージックについての特集を組むそうです。

 イングランドのアーツ・カウンシルとの共同事業で、4人のミュージシャンにそれぞれ焦点をあてた番組 "My Music" が04/06から放映されます。

 4人はセス・レイクマン Seth Lakeman, ケイト・ラスビィ Kate Rusby, イライザ・カーシィ Eliza Carthy、アシーナ Athena。

 無知なので4人めは初耳ですが、ギリシア系の人らしい。この人かな。

 これは良いな。fRoots でも結構大きくとりあげてました。全然覚えてないんだが。

 イングランドにはギリシアからの移民も多いようで、数年前ロンドンに行ったときも、泊まったホテル近くのデリの従業員たちが話してたのはギリシア語に聞こえました。そこはお好みのサンドイッチをその場で作ってくれるタイプで、めっぽう美味しく、朝食はホテルではなくてそこで食べてました。イングランドの飯はまずいというのは昔の話で、移民のおかげでどこと比べても遜色なくなってました。ちょうど『ハリポタ』がブレイクした第3巻が出たばかりで、どこの本屋にも山積みになっていて、誰だ、こりゃあと驚いた頃のことです。

 というわけで「フォーク・ミュージックで最も成功している」4人に密着取材した1時間番組が4回。ナレーターは故ジョン・ピールの息子トム・レイヴンクロフト。

 英国のTVでイングランドのフォーク・ミュージックが取り上げられるのはこれが初めてではなく、昨年ノーサンバーランドのキャスリン・ティッケル Kathryn Tickell に焦点をあてた単発番組が、同じ Five で放映されている由。この番組が予想外の高視聴率(75万人が見たそうな)で、当時ゴールデン・タイムで放映されていた美術館巡り番組の倍だったことがきっかけで、この企画がもちあがったらしい。

 番組をオンラインで見られるのか、サイトを見てもちょっとわからないんですが、ご存知の方、ご教示ください。このキャスリンの番組も見たい。

 キャスリンて誰や、という方はまずこれをご覧あれ。

 中央でパイプを吹いてる美女(これだとわかりにくいですが、本当に美人)がキャスリン・ティッケルで、楽器はノーサンブリアン・スモール・パイプ。アイルランドのイルン・パイプと同じく、鞴で空気を吹きこみます。キャスリンはこの楽器の第一人者。フィドルの名手でもあり、そちらを演奏しているビデオもあります。

 演奏している曲はノーサンバーランドの伝統に則ったもの。テンポの異なる曲をつなげてメドレーにするのはやはりスコットランドの影響でしょう。それにしても、この演奏はすばらしい。ライヴ録音か DVD を出してほしい。

  今度の日曜日に迫った Winds Cafe 134
でかける曲の選曲をほぼ完了。
ミュージシャンとうたについてのコメント、
歌詞の大意をまとめて、
相棒予定の川村恭子嬢と主催者の川村龍俊氏に
点検のため送付。
ちなみにお二人は血縁ではない。

  今回は川村嬢にも選曲を手伝ってもらい、
自分だけではまず出てこない曲が選ばれたので
おもしろくなったと思う。
あたしがひとりで選ぶと
無伴奏歌唱が延々と続くことになり、
聞かせているほうは得意満面、
聞かされているほうは気息奄々、
ということになりかねない。

  一昨日、マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルのライヴで
ピーター・バラカンさんと一緒になったら、
《THE IMAGINED VILLAGE》
を注文されたそうだし、
今年はじめの fRoots 誌のサンプラーに入っていた
Bella Hardy はたいそうお気に召されたようだ。
もちろん、彼女のものはかけるが、
イングランドの盛り上りはやはりホンモノである
とあらためて確認。(ゆ)

 クリスマスも過ぎ、
心静かに新しい年を迎えたいところですが、
そうは簡単に問屋が卸してくれません。
せめて、こういうものでつかの間の息抜き。

 東京公演の「ミート・ザ・バンド」の「起こし」も読めるようになっています。

 個人的には
デンマークとノルウェイの両親のもと、
スウェーデン南端に生まれたという
アレ・メッレルの出自が目鱗でした。
たがいに異なる音楽をつなぐかれの位置が
すとんと納得されました。

 フリーフォートももちろんすばらしいのだけれど、
アレの仕事としては
近年のアレ・メッレル・バンドが出色。
北欧とアフリカとバルカンを中心に
これぞ真の「世界音楽」。
しかも、いいかげんな混ぜあわせではなく、
それぞれの素材の味を生かしながら、
全体として新しい味を作っています。

 今年でたセカンド《DJEF DJEL》は基本になってる「出汁」の取り方と
「鍋奉行」たるアレの采配の妙で、
稀に見る旨い音楽です。


Thanx!>やまだまさん

 雑食系というべきでしょうか、
ユニークな個性のダンス・バンド、
トゥクトゥク・スキップのライヴ・アルバムがもうすぐ発売になります。

 下記の販売サイトではすでに予約を受付けてます。
支払い方法は郵便振替か銀行振込。

 サイトに上がっている音源を聞くと、
アイリッシュをやってもコピーに終わらず、
独自の展開をしながら、
曲のもつキャラクターを活かしているのがおもしろい。

 編集部はもちろん注文しました。


--引用開始--
こんばんはー、トゥクトゥクよねっちです。
いよいよ今月、
トゥクトゥク・スキップの新作CD“初ライブアルバム”発売!
9月のワンマン・ライブを正式にレコーディングしたもので、
フルメンバー7人での熱い!早い!!
生のステージの興奮を丸ごと味わえる超マスト・アイテム登場です♪
 
トゥクトゥク・スキップ

《今日を運ぶ風〜Live at Velvet Sun 2007.09.15》

9曲収録 1,500円
11/27発売
 
 CDはライブ会場での直接販売と、
オンラインショップで通販も行います。
 
 また、こちらにて
ジャケ画像と試聴音源(mp3)もアップしてます。
聴いてみていただけると嬉しいです。

 さらに、レコ発ライブも行います。
対バンもトゥク企画史上最も濃い〜〜メンツを揃え、
類をみない不思議空間を彩ります!
ぜひぜひこの記念すべき一夜に遊びに来て頂けると〜〜めちゃ嬉しいです♪

☆トゥクトゥク・スキップ
【Live Album発売記念Party♪】
11/27(火)@荻窪ベルベット・サン
OPEN 19:00/ START 19:30
2,000円

<出演>
・トゥクトゥク・スキップ
・Jab Bee(私よねっちもゲスト参加します)
・Catsup(ケチャップ・・・熊坂義人(WB) & 熊坂るつこ(ACO)兄妹の超絶技巧デュオ)
--引用終了--


Thanx! > よねっちさん
 

Sarah McQuaid (Photo by Alastair Bruce)  はじめのほうの Root Salad にタムボリンの船津さんのインタヴュー記事。
インタヴュアーはポール・フィッシャー。
掲載写真の背景に写っているのは、
fRoots編集長イアン・アンダースンのソロ・アルバム、
まだ、Ian A Anderson と名乗っていた時期の
《ROYAL YORK CRESCENT》The Village Thing, VTS3, 1970。
記事の内容は、われわれにとっては特に目新しいことはありません。
「ブラック・ホーク」と松平さんの名前が、
海外の雑誌で紹介されたのは初めてかも。


 それよりはやはりアン・ブリッグスへの
コリン・アーウィンのインタヴュー記事が気になります。
セカンド《THE TIME HAS COME》の再発で、
またアンにたいする関心が高まっている由。
とはいえ、これもまた数年前 MOJO に出た記事につけ加わるものは特になし。

 ミュージシャンとして活動した時期は本当に楽しかったが、
引退したことを悔いたこともない。
いまの生活にはまったく満足している。

 こういうところが彼女の特別なところなんでしょう。
巨大な影響をあたえつづけながら、
その影響自体をクールに眺めていられる。
自分の名声に舞いあがることもない。

 初めて聞いたように想うのは、
親友でもあったサンディ・デニーのいた頃のフェアポートは良いが、
それよりはザ・バンドのようなアメリカのグループや
初期のクリームのほうが好み
ということ。
サンディの作品のなかでもベストのひとつ〈The pond and the stream〉、
フォザリンゲイのアルバムに入って入る曲が、
アンをうたっていたことは、
前にもどこかで読んだ気がしますが、
リチャード・トンプソンの、
これまた傑作のひとつ〈Beeswing〉も、
アンのことだ、というのは迂闊にもはじめて知りました。

 最近のできごとでは、
セカンドに入っている〈Ride, ride〉が
2002年にジェニファ・アニストン主演の
映画『グッド・ガール The Good Girl』に使われたこと。
うたったのはジリアン・ウェルチ。

 ジリアンの歌唱は自分のほど良くないけれど、
ソニーはわたしのを使わせたくなかったのよ、
でも、作曲者印税をたくさんもらったので文句はないわ(笑)。

 若いシンガーが自分のテープを送ってきて、助言を求めたり、
実際に家までやってきたりすることが、
そう頻繁でないにしても、絶えず続いているそうな。
そうしたなかでここ6年ほど、
特に親しくなったのが Alasdair Roberts

 最後にアーウィンがお定まりの質問をしていますが、
そして、それに対して長い長い沈黙に考えこんでもいますが、
やはり「復帰」はないんでしょう。

 これからも、
彼女の録音に人びとは耳を傾け、
彼女をめぐっていくつものうたが書かれ、
たくさんの人が彼女のうたをうたい、
こうした記事が載ればまず真先に読まずにはいられない、
そういう存在であり続けるのでしょう。
その点では、ニック・ドレイクやサンディ・デニーと同じなのかもしれません。


 アン・ブリッグスの記事は途中から後ろのほうに飛んでいますが、
その続きのページの反対側に
Sarah McQuaid のデビュー作《WHEN TWO LOVERS MEET》復刻のうれしい記事。
ひじょうにすぐれたシンガーであり、ギタリストでもある人。
DADGAD ギターの教則本を書いてもいます。
ついでに美人(上の写真 Photo by Alastair Bruce)。

 マドリード生まれ、シカゴ育ち。
1994年からつい先日までアイルランドに住み、
結婚してふたりの子どもをもうけています。
今年、コーンワルに引っ越し、
セカンド・アルバムの録音を完成させた由。

 このデビュー作はアイルランドに住んでいた1997年に
録音、リリースしたもの。
名曲名演名録音。
プロデュースはジェリィ・オゥベアン。
ジェリィ自身の他、ジョン・マクシェリィ、ニーヴ・パースンズ、
トレヴァー・ハッチンソン、ロッド・マクヴィー等々がサポート。
録音はトレヴァーのスタジオ。

 セカンドも今年5月、
ふたたびトレヴァーのスタジオで録音。
ふたたびジェリィ・オゥベアンのプロデュース。
ジェリィの他にはリアム・ブラドリィとモイア・ブレナックがサポート。
テーマはオールド・タイムだそうです。
リリースは来年初め。(ゆ)

 「ブラック・ホーク」の時代は過去のものになった。
この本『渋谷百軒店 ブラック・ホーク伝説』は、
そのことのひとつの証左でもある。
そうだ、自分の中にくすぶっていたあの時代への郷愁もあぶり出された。


 この中で、皆さん、口をそろえて言っているが、
「ブラック・ホーク」に通ったことと、
松平維秋の文業に接したことは、
ぼくにとっても決定的な体験だった。
しかし、今やはりあれは過去のことに属する。
「ブラック・ホーク」で聞いていた音楽そのものは、
今でも新鮮に聞き返すことができるが、
松平さんが「ブラック・ホーク」を去ってからも、
音楽自体は先へ進んでいる。

 松平さんが「ブラック・ホーク」を去った時に起きていたことは、
ロックのポップ化だけでは無かった。
これも、船津さんが書いているが、
次の時代への胎動も確実に始まっていたのだ。

 「99選」に含まれるアルバムは
いずれも時代を超えた価値を持ってはいる。
だが、
ディック・ゴーハンにしても、
ヴィン・ガーバットにしても、
ジューン・テイバーにしても、
あるいは
フェアポート・コンヴェンション
ペンタングル
アルビオンズのメンバーたちにしても、
みな、その後に巨大な仕事をしてきている。
死んでしまった人びとは別としても、
生きている連中はいずれもバリバリ現役だ。
オールダム・ティンカーズだって、
活動を続けている。
例外はアン・ブリッグスぐらいだ。

 その事情はトラッドだけでなく、
他の音楽にしても同じはずだ。
「99選」のリストを全部そろえるよりも、
あそこに名前が挙がった人びとの
「その後」や「今」を追いかける方が、
収穫は遙かに大きいはずだ。

 また、
すぐれたレコードはあの99枚に限られるわけではもちろんない。
同じくらいすばらしい、
あるいはもっとすばらしいものだって、
いくらでもある。
はやい話、ここに選ばれた人びとの後を追って、
たくさんの人びとがあらわれ出ている。
かれらに負けない、
ときにはかれらもかなわない
音楽をうみ出してきている。

 加えて、
良い音楽がすべて「ブラック・ホーク」にそろっていたわけでも無い。
初期の頃はいざ知らず、
「ブラック・ホーク」がとりあげたのは英語圏白人の音楽で、
それもブルース色は極力排除されていた。
テクノやプログレ、ハード・ロックやメタル系は別としても、
アメリカン・ミュージックの二つの高峰、
フランク・ザッパとグレイトフル・デッドも、
ほぼ無視されていた。
カントリーとブルーグラスの本流も、
オールド・タイムのコアの部分も、
直接の担い手よりは、
そうした音楽を消化して独自の音楽を作った人びとを通じての、
間接的な関わり方だった。

 つまりは、
「ブラック・ホーク」で聞けた音楽のタイプは、
ごくせまい範囲のものだったのだ。
むろん、それは意図的な制限であり、
あえて守備範囲を絞ることで、
その奥の広大な世界へ分けいるためだ。
そうやって客を選別し、固定客を増やす。
他のタイプを聴きたければ、どうぞ、他の店に行ってくれ。
ここでは、これしかかけないよ。

 99枚のレコードをそろえて聴くことも、
ひとつのアプローチではあるだろう。
しかし、そこで満足してしまっては、
この99枚が提示された意図を裏切ることになる。
ほんとうにやるべきことはそこから始まるからだ。
99枚を聴くことで、
音楽への、そしてその背後の文化への、
感性を鍛えること。
そして、その感性を使いこなして、
自分なりの何かをつかみとってゆくこと。
松平さんが、言い続け、書き続けたのは、
結局そのことの大切さであり、
言い続け、書き続けることで、
そうした営為に向かって、
リスナーを、読者を励ましていたのではなかったか。
叱咤激励と書きたいところだが、
松平さんに「叱咤」は似合わない。

 この本に登場する、その後独自の道をあるいてきた人びとも皆、
「ブラック・ホーク」でおのれの感性を磨き、
みがいた感性で自らの音楽をつかみとってきている。

 つまるところ、
かの人はこの人生をどう生きるかを、
自分の手でつかみとることの大切さを
言い続け、書き続けたのではなかったか。

 これこそ、「文化的雪かき仕事」でなくてなんだろうか。

 「99選」は松平さんの意図ではない。
彼が店にあるかぎりはありえない企画だった。
これは松平さんが去った後、
殘った人びと、後から来た人びとがその仕事を継承するための、
試みのひとつだった。

 ならば、自分なりの「99選」を作ることはどうだろう。
他人に見せるための99枚のリストを作ること。
その場限りの思いつきではなく、見るものを納得させるリスト。
見た人に、そのリストを持って(中古)レコード屋を回らせるだけの力のあるリスト。
これとはまったく重複せず、
しかし、同じくらい強烈な価値観を、感性を、哲学を主張するリスト。
そういうリストを、おまえは作ることができるか。

 この99枚のリストは、じつは読者に向かって、リスナーに向かって
靜かにそう問いかけている。(ゆ)

 昔吉祥寺、今年正月から世田谷・三軒茶屋に
舞台を移して続いているユニークな月刊イベント、
ウィンズ・カフェにまた出させていただくことになりました。

 今度は来年2月17日(日)。
 13:30開場、14:00スタートです。

 何をやるかといえば、例によってレコードをかけ、
今回は映像も少しごらんいただけると思いますが、
要するにディスク・ジョッキーです。

 テーマはイングランド!
 今のところのタイトルはまだ仮題なんですが

「エキゾティック・イングランド

――遅れてきたワールド・ミュージック」

 21世紀に入って、イングランドの伝統音楽が盛りあがってきています。

 アイリッシュ・ミュージックをはじめとする
ケルト系伝統音楽の盛上りに影響されてのことですが、
一方で、それは1970年代以降の、
イングリッシュ・カントリー・ダンス・リヴァイヴァルの流れを引継いだものでもあります。

 かつて植民地として支配したアイルランドやスコットランド、ウェールズなどが、
イングランドによる政治的経済的支配をくぐり抜けて受けついできた独自の文化をテコに、
世界的な存在感を飛躍的に大きくしているのと対照的に、
政治や経済では支配していたはずのイングランド自身が、
自分たちの文化を、
自分たちは何者なのかを、
見失っていたのでした。

 ケルト系伝統音楽の隆盛を見て、
そのことに気づかされたイングランドの人びとは、
あらためて自分たちの足下の音楽を見直しはじめました。
見直してみれば、
そこには1950年代以来のフォーク・リヴァイヴァルの流れがあり、
すぐれた音楽家がすばらしい音楽を展開していたのでした。

 とりわけ1970年代前半に始まった、
イングリッシュ・カントリー・ダンス・リヴァイヴァルは、
ケルト系とは違う、
モリス・ダンスをベースとした独自のダンスとその音楽を掘り起し、
展開してきています。
かつて、20世紀初めには消滅寸前にまで行ったモリス・ダンスは、
いまやイングランド全土でごく普通に踊られるようになりました。

 イングランドのもうひとつの伝統はうたです。
そしてこの方面でも、
ウォータースン:カーシィ一族に代表されるシンガーたちが、
やはり独自の展開をしてきていました。

 このふたつの流れは、
あるいは合流し、あるいは離れながら、
いまや、かつてない活発な動きを見せています。
ベテランにならんで、ごく若い世代の人びとが、
伝統音楽の世界に飛びこみ、すぐれた成果を挙げています。

 英国のワールド・ミュージック雑誌 “fRoots” は、
世界一エキゾティックなワールド・ミュージックは
いまやイングランド音楽だと宣言しました。
彼らにとって、いわば最後に、
遅れてやってきたワールド・ミュージックが、
イングリッシュ・ミュージックだったのです。

 では、そのイングランドの伝統音楽はいまどうなっているのか。
かつて渋谷百軒店のロック喫茶「ブラック・ホーク」で
「ブリティッシュ・トラッド」として発信された
1970年代のイングランド音楽から現在まで駆け足で概観した後、
いまの、沸騰するイングランド音楽を聴き、見ていただこうと思います。

 ということで、
来年2月は、東京は三軒茶屋の「ウインズ・カフェ」で、
現在最先端のイングランド音楽にひたろう。\\(^^)//(ゆ)

 この表紙をあらためて眺めていて、思うところあり。

 まず右端のこの青年は、やはり若い頃の松平維秋でしょうね。

 それから店の看板。上の "black hawk" の文字のその上は本来 "real jazz" でした。口絵 2pp. の写真参照。ちなみにこの店名は、サンフランシスコの有名なジャズ・クラブから借用したもの。

 下の看板に "British Trad" の文字がありますが、これも本物はなかったはず。

 それにしても、こういうイメージが定着しているとすれば、おそらくその原因は、当時「ブリティッシュ・トラッド」と呼ばれていた、ブリテン、アイルランドの伝統音楽とそれを元にしたロック、ポップス、あるいは同様の流れで展開されていたフランスや東欧の音楽を、公の場として、しかも日常的に聴けるところが「ブラック・ホーク」だけだったからでしょう。

 船津さんが書いているように、担当者によって避けられることはあったにしても、リクエストすれば断られはしませんでしたし、そもそも、こういうレコードがコレクションされていた店は他にありませんでした。

 「ブラック・ホーク」の「主流」だった、アメリカのルーツ志向のロック、ザ・バンドやスワンプ・ロック、カントリー・ロック、ニュー・グラス、シンガー・ソング・ライターといった音楽、あるいは英国でもキンクスやロニー・レーン、グリース・バンド、ヴァン・モリソンなどのアメリカ音楽をベースにしたものは、早い話、すぐ「お隣り」の「BYG」でもかかっていましたし、いまでも下北沢の「ストーリーズ」はじめ、何軒か、聞くことができる店はあるはず。いわゆるロック喫茶の看板を掲げていない、ごく普通の喫茶店や飲み屋で、聞けることもあります。ぼく自身、阿佐谷の飲み屋でトム・ウェイツの《クロージング・タイム》やエルトン・ジョンのセカンドを聞いたりした経験もあります。

 しかし、こと「ブリティッシュ・トラッド」あるいは「トラッド」に分類される音楽は、自宅や友人の家以外のところで聞いたことがほとんどありません。例外は、何かのイベント、例えば、松平さんが数年ぶりにDJを務めて、南青山のふだんはラテン音楽のかかる飲み屋で開かれたイベントのような時だけです。アイリッシュ・ミュージック・ブーム全盛時ですら、例えばアイリッシュ・パブでセッションやライヴ以外の時にかかっている音楽は、せいぜいがポーグスまでで、ドロレス・ケーンは愚か、プランクシティやボシィ・バンドすら聞いたことがありません。むろん、ぼくの知らないところでかかっていた可能性はありますが、ぼくの少ない経験からしても、まずその可能性はかぎりなく小さいでしょう。

 ここまで書いて思いだしました。千葉の駅に近い喫茶店で、「ダルシマー」という名前だったでしょうか、トラッドも含めて「ブラック・ホーク」に近いセレクションで音楽を聞かせているところがあると聞いて、一度訪ねていった覚えがあります。「ブラック・ホーク」がレゲエの店になっていた頃だと思います。いまでも健在なのでしょうか。

 とはいえ、東京23区内では、気軽に入れて、いつでもその気になれば「トラッド」を聞くことができた店は、1970年代当時、「ブラック・ホーク」だけでした。

 ですから、このての音楽に親しみ、さらには演奏までする人間がこの列島に現われるという現象が始まったのが「ブラック・ホーク」であることはまちがいありません。

 あちこちで何度も書いてきたことですが、アイリッシュ・ミュージックははじめ「ブリティッシュ・トラッド」の一部として入ってきて、聞かれ、認識されていました。現在のように、アイリッシュ・ミュージックのほうがイングランドやスコットランドの音楽よりも遙かに知名度が大きくなるとは、当時誰にも想像もつかなかったことなのです。

 クリスティ・ムーアやポール・ブレディやアンディ・アーヴァインは、マーティン・カーシィ、ディック・ゴーハン、ニック・ジョーンズ、ヴィン・ガーバット、デイヴ・バーランドたちとまったく区別なく、聞かれていました。

 ドロレス・ケーンもトゥリーナ・ニ・ゴゥナルも、フランキー・アームストロングやシャーリィ・コリンズやアン・ブリッグスの仲間だったのです。

 プランクシティやボシィ・バンドに相当するバンドはイングランドにはありませんでしたが、ちょっと変わったペンタングルと思っていた人もいたでしょうし、スコットランドにはバトルフィールド・バンドやアルバ、タナヒル・ウィーヴァーズがいましたから、これまたアイリッシュを意識させる存在ではなかったのです。

 すべてがひとくくりに「ブリティッシュ・トラッド」と受け取られていました。

 さらにその認識の中には、オーストラリアのブッシュワッカーズ、カナダのスタン・ロジャースといった英語圏だけでなく、ブルターニュのアラン・スティーヴェルや、フランスのマリコルヌや、オランダのファンガス、ハンガリーのコリンダ、ムジュカーシュとマールタ・セベスチェーンといった人びとも、含まれていたのです。「ワールド・ミュージック」が流行する何年も前の話です。

 こんにちのアイリッシュ・ミュージックの隆盛、定着は、本国での事情もむろん寄与しているにしても、そもそも「ブラック・ホーク」がなければ始まらなかったことなのです。

 「ブラック・ホーク」は小さな店でした。50人もはいれば満員になりました。「銀座の一等地」にあったわけでもありません。全国展開したチェーン店などでもありません。セレブが通っていたわけでもありません。この本にもあるように、ここに通っていた人たちがその後、名を上げた例には事欠きませんが、当時はみな、ごく普通の若者だったはずです。少なくとも、特別の存在には見えなかったはずです。

 けれども、「発信力」は店の規模には関係ないのでしょう。それを一身に担っていた松平維秋が店を離れて30年経って、ようやく、その「発信力」の真の規模が現われてくるのを、ぼくらは眼のあたりにしています。(ゆ)


 新宿のディスクユニオン・ルーツ&トラディショナル館では、この本の出版を祈念して、11月中旬、トーク・ショーを企画しているそうです。

 こういうイベントでは、意外な話が出てくることもあり、やっぱり、行ってみるかなあ。(ゆ)

 本日発売の『渋谷百軒店 ブラック・ホーク伝説』ですが、ぼくの担当したところで誤植がありました。本をお買い上げいただいた方は、お手数ですが、訂正をお願いいたします。


★110pp. シャーリィ・コリンズ&アルビオン・カントリー・バンド『ノー・ローゼズ』
3段目最終行
「それだけの[感性]を備えていたのでした。」→「それだけの[慣性]を備えていたのでした。」


★117pp. フェアポート・コンヴェンション『フルハウス』
レコード・ジャケット下、曲目リストの最後
「※オリジナル・アルバム収録曲=(1)〜(7)」→「(1)〜(6) (8)」

 オリジナル・アルバムにはこのリストでの (7) すなわち〈Poor Will and the jolly hangman〉は入っていません。そのため、全体の曲順も変わっています。ここでのリストの番号をそのまま使うと、オリジナル・アルバムの収録曲は以下の通りです。

Side One
(1) Walk awhile
(3) Diry linen
(4) Sloth

Side Two
(5) Sir Patrick Spens
(6) Flatback caper
(2) Doctor of physick
(8) Flower of the forest


★144pp. デイヴ・スウォーブリック『スウォーブリック』
下段後ろから4行目
「この[ファースト]・ソロ」→「この[セカンド]・ソロ」

 ファーストは1967年の《RAGS, REELS & AIRS》です。ここは、校正の時、後から気がついて追加で訂正を送ったはずなんですが、洩れてしまったようです。


 ああ、しかし、本になってみると、文章そのものもなおしたいところが山ほど目につきます。うー、いっそのこと、全部書き直したい。(ゆ)

ブラック・ホーク伝説表紙  音楽出版社からCDジャーナルムックの1冊として明日10/29発売です。
 B5判、160頁、定価1,905円+税。ISBN978-4-86171-035-3

 表紙のイラストは山下セイジ氏。ちなみに、右端の青年が抱えているレコードはニック・ドレイクの《FIVE LEAVES LEFT》。

 内容はまずこちらをどうぞ。

 細かいことは言いますまい。松平さんの「代表作」が活字で読めます。個人的にはボシィ・バンドの《OUT OF THE WIND, INTO THE SUN》のライナーがベスト。もっともこれは「すぎひらこれはる」名義なので、いつもの語り口とは様子が違います。むしろそれだけに、松平さんの詩人としての魂が爆発しています。

 「ブラック・ホークの選んだ99枚のレコード」の中のものも含めて、ぼくら(と言っていいと思う)はなによりも松平さんのこうした文章に導かれ、決定的な影響を受けていたのでした。店というハードウエアだけでは、「ブラック・ホーク」の影響力はありえなかった。松平維秋という「作家」、ソフトウェアがそこで動いていたからこそ、例えば「名盤探検隊」が生れ、「ブリティッシュ・トラッド」からアイリッシュのブームにつながり、そして、世紀が変わってからこういう本が生れたのです。

 この本で松平さんの文業の一端に触れ、もっと他のものも読みたくなった時には、こちらをどうぞ。ここには、およそ公に発表されたものが網羅されています。

 あれ、「すぎひらこれはる」名義のものが、一部抜けてるのかな。


 余談ですが、オーナーだった水上氏へのインタヴューの中で、「ブラック・ホークといえばトラッドという人がいる」趣旨の発言がありますが、巻末のエッセイで船津潔さんも強調しているように、「ブラック・ホーク」のなかでも英国やアイルランドのトラディショナル音楽はマイナーでした。「ブリティッシュ・トラッド愛好会」を松平さんや森能文さんたちが作ったのも、少数かつばらばらだったファンを集めようというのが意図の一つだったはず。「ブラック・ホーク」で聞ける音楽の主流はやはりアメリカン・ミュージックで、ザ・バンドやジャクソン・ブラウンが頂点にいたのです。

 ただ、「ブラック・ホークといえば(ブリティッシュ・)トラッド」というイメージが、もし世の中の一部にあるとすれば、それもまた興味深いことではあります。(ゆ)

 来月来日するノルディック・ルーツ音楽の最高峰、スウェーデンのフリーフォートのライヴ音源が、来日専用サイトに追加されています。

 今回追加されたのは例のとんでもない高音を駆使する牛飼いの唱法〈クゥーラ〉と有名なバラッド〈魔法にかけられた妊婦のバラッド〉の2曲。

 この録音は記録のためにとっておいたライン録りなので、クゥーラの高音が教会堂の高く広い空間に響きわたる様は聞こえませんが、ライヴの感じはよくわかります。

 こういうバラッドを聞くと、レーナ・ヴィッレマルクはフィドルもすばらしいけれど、やはり、シンガーとして得難い存在ですね。


 フリーフォートのライヴ映像は北欧のルーツ音楽映像専用サイトにいくつか上がっています。1999年のものなので、ちょっと古いですが。

〈Agram/Polska efter Roligs Per

〈Forgaves / Polska

〈Tjugmyren

 ECMから出たレーナとアレ・メッレルの「ノルダン」プロジェクトの2枚目、夏をテーマにした《AGRAM》の後です。このプロジェクトのライヴも生で見たいですが、もうやらないのかなあ。


Thanx! > やまだまさん@音楽を聴く仲間の会

 毎度のことながら、本日配信予定の本誌9月号は、明日以降の配信になります。悪しからず。


 『ブラックホーク伝説』は10月刊行予定、予価2,000円です。
 そういえば、あの店の黄金時代、70年代前半に主な客になっていたのは団塊世代になるのかも。ぼくが通っていたころにはすでに黄金時代は過ぎていましたが、「トラッド」方面では面白くなりはじめた時期でした。

 その『ブラックホーク伝説』に収録される「新版・ブラックホークの選ぶ99枚のレコード」にも1972年のデビュー・アルバムが選ばれているヴィン・ガーバットの最近のライヴです。彼がいかにうたがうまいか、よくわかるビデオです。

 久しぶりにまとまった音楽の原稿を書いていた。“The Dig” の50号記念特別付録「オール・タイム・ベスト50」と、CDジャーナルから出るムック『ブラックホーク伝説』中の「新版・ブラック・ホークの選んだ99枚のディスク」のうち、トラッドとブリティッシュ・フォーク関係12枚。

 「オール・タイム・ベスト50」の方は50号記念だから50枚なのか。まあ、遊ばせてもらった。もう少しジャズやクラシックを入れたかったが、50枚というのはいざ選んでみると少ない。どうせなら、99枚ぐらいやりたいものだ。朝の8時に一点確認の電話がかかってきたのには驚いた。校了直前だったらしいが、徹夜明けだろうか。

 「新版・ブラック・ホークの選んだ99枚のディスク」はなんとか締切までに書きおえて、送ったとたん、どっと疲れた。かつて『スモール・タウン・トーク』11号に掲載された99選のセレクション自体は変えず、松平さんの文章もそのまま。松平さん以外の人が書いたものだけ、別の人間が新たに書きおこすという形。

 こんなに緊張した原稿は、絶えて記憶がない。まるで初めて公にする予定でトラッドについての原稿を書いたときのようだ。かなわぬまでも、全力を尽くす。それしかないと腹をくくった。

 持っていないものはあらためてCDを買う。歳月というものは恐ろしい。オールダム・ティンカーズまでCDになっている。新録音こそ出していないものの、かれらが現役で活動していたのはそれ以上にうれしい驚き。結局まったくCDになっていないのはヴィン・ガーバットだけ。Celtic Music にも困ったものだ。訴訟の行方はどうなったか。

 ゲィ&テリィ・ウッズもベスト盤で部分的にCD化されているものの、あの3枚はきちんとした形で復刻されるべし。権利関係がクリアにならないのか。

 やむをえず、これまた久しぶりにLPを聞く。ついでに息子のリクエストでU2の《ジョシュア・ツリー》とか、クリームの《火の車》とかのLPをかける。前者の1曲目、CDから取りこんだ iPod ではさんざん聞いているはずの曲に涙を浮かべている。後者では、クラプトンのギターが浮いてる、ヴォーカルの方がバンドと一体感がある、という。《ヴィードン・フリース》も聞かせようとしたら、どこかへもぐりこんで出てこない。

 12枚のうちではすぐ書けるものと、全然ダメなものの差が激しい。一日一本ずつ、書きやすいものから書いていったら、最後にヴィン・ガーバットとアン・ブリッグスが残った。ヴィンは一度ほぼ書きあげたのが気に入らず、他のアルバムも聞きなおしてから、もう一度新たに書きなおし。

 アン・ブリッグスも出だしが決まらず、四苦八苦。ファーストやサードを聞いたり、他の本で気分転換してみたり。最相葉月『星新一』のイントロを読んでいたら、ヒントになったらしい。それでも下書ができて、パソコンに清書する段になって、またやり直し。

 これでなんとか形がついたと思ったら、終わっていたはずのゲィ&テリィ・ウッズが引っかかる。唸った末、後半を完全に書きなおし。

 もうこれ以上どもならん、さらに手を入れれば悪くなるだけ、というところまで来てひと息つく。細かい字数の調整をやって、えいやっと送ってしまう。

 めっちゃくたびれたが、この10日間ほどは充実もしていた。何年かぶり、ヘタをすると十年以上聞いていなかったものを聞きなおしたし、その後の消息がわかったのもうれしい。ヴィン・ガーバットのサイトのリンクに Rosie HardmanBernie Parry の名前を見つけて、各々のサイトに行ってみたり。そういえば、ずいぶん前、中山さんからロージィ・ハードマンのサイトがあると聞かされていた。この二人もなんと現役でうたい続けている。こうなると、アン・ブリッグスがもううたっていないというのはやはり特異なことにみえてくる。でも、ロージィは今の方がきっと良いだろう。

 あらためていろいろな人たちを一度ネットでさらってみなくてはいけない。しかし、新しい人たちもどんどん出てきているし、痛し痒しだ。

 ペンタングルのCD4枚組ボックス《THE TIME HAS COME 1967-1973》の国内仕様(BVCZ-37042/45, 税込8,400円)がBGMジャパンから発売されています。国内プレスではなく、輸入盤にライナー翻訳と歌詞、歌詞対訳を入れた別冊をパッキングした形。

 こういう仕様は従来は輸入業者がやっていて、レーベルには断りなしに勝手に輸入盤に帯を付けて国内流通させるため「勝手帯」と呼ばれたものでしたが、レーベル自体がやるとなると「勝手」ではないですねえ。ちなみに国内の流通網にのせるには帯を付けることが必須なのだそうな。

 ただ、ケースとほぼ同じサイズの別冊がシュリンク・パックされていて、流通ではいいのでしょうが、買ってシュリンクを破ると、元のケースと日本語冊子は別々になるわけで、保存にはまことに不便です。ユーザーの身になって考えていない点で、商品としては失格と言わざるをえないでしょう。


 このボックスの内容について言えば、個人的にはあまり出来のよいボックスとは思いません。普通こういうボックスは、これだけ聞けば全体像もわかり、他では聞けないものも聞けるお買い得品なのでしょう。が、このボックスはレア物に重点が置かれていて、熱心なマニア向けに作られているようなのですが、しかしほんとうにレアなのは最後の1枚だけで、これだけ聞くためにボックスを買うのは引きあいません。これからペンタングルを聞こうと言うのなら、ファーストから《ソロモンズ・シール》までのオリジナルを一つひとつ聞いていった方が、楽しみは大きいと思います。BGMでは現在オリジナル・ペンタングルの正規盤も紙ジャケ仕様ですべて出しています。あの6枚には音楽の神が宿った輝きがあって、時空を超えた音が響いています。全部 iPod  に入れて(できれば Apple Lossles 以上の音質で)シャッフルで聞くことをお薦めします。(ゆ)

 English World Music を標榜するイングランドのビッグ・バンド Bellowhead の MySpace に〈Fire Marengo〉のライヴ録音があがっています。この曲、シー・シャンティ(帆船上での作業のための仕事唄)なんですが、実にファンキィなアレンジ。われかがシカラムータに強力なシンガーがいて、列島の伝統歌をやったらこうなるか。あるいは沖縄のサルサ・バンド、Kachimba 1551 が一番近いか。

 同じ録音はかれらの公式サイトを開いても自動的に始まります。こちらの方が音が良いかも。

 あー、ライヴが見たい。

 第8回目の今年の受賞者が発表になりました。詳しくはこちら

 授賞式の模様の放送はこちら。放送後、1週間、オンラインで聞けます。

 今年の話題はなんと言っても、オリジナル・ペンタングルの30年ぶりの再編で、《LIGHT FLIGHT》からの曲を含む2曲を演奏したそうです。

 今回のキーワードは「新旧交代」かな。大ベテランとここ数年急速に台頭している若手の二つにみごとに分かれてます。中間がいない。オイスターバンド、アルビオン・バンド一族、ショウ・オヴ・ハンズなど、いないわけではないですが、昨年は年寄りと若者の活躍の影に隠れてしまったのでしょう。


BEST ALBUM -- 《FREEDOM FIELDS》 -- SETH LAKEMAN
FOLK SINGER OF THE YEAR -- SETH LAKEMAN
 これまではどちらかというと兄さんたちばかり注目されてきましたが、一気にブレイク、かな。ベロウヘッド、ティム・ヴァン・エイケンなど、並み居るライヴァルを押しのけての受賞。

BEST DUO -- MARTIN CARTHY & DAVE SWARBRICK
 スウォブ復活のお祝いでしょうか。デュオの新作《STRAWS IN THE WIND》まで出てしまったのには驚きました。

BEST GROUP -- BELLOWHEAD
http://www.bellowhead.co.uk/
 フル・アルバムとしてはデビューの《BURLESQUE》は fRoots 誌のベスト・アルバム、Songlines や MOJO の両誌でもベスト・アルバムに選ばれました。

BEST ORIGINAL SONG -- DAISY: KARINE POLWART
 セカンド・ソロ《SCRIBBLED IN CHALK》収録。
 個人的にはショウ・オヴ・ハンズの〈Roots〉(この授賞式でもライヴ演奏されました)の受賞を期待してましたが、まあ、文句はないです。

BEST TRADITIONAL TRACK -- BARLEYCORN: TIM VAN EYKEN
 《STIFFS LOVERS HOLYMEN THIEVES》収録。これ、なぜかライス・レコードより国内盤が出てます。確かにこの曲の解釈としては出色。

MUSICIAN OF THE YEAR -- CHRIS THILE
 新世代ブルーグラス・バンド、ニッケルクリークのマンドリン奏者クリス・シーリーがアメリカ人として唯一の受賞。ソロ・アルバム《HOW TO GROW A WOMAN FROM THE GROUND》に対するものらしい。

HORIZON AWARD -- KRIS DREVER
 ソロ・デビュー作《BLACK WATER》が好評のスコットランドのシンガー。エイダン・オルーク、Martin Green とのトリオ Lau もなかなかです。

BEST LIVE ACT -- BELLOWHEAD

LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD -- PENTANGLE

LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD -- DANNY THOMPSON

GOOD TRADITION AWARD -- NIC JONES

FOLK CLUB AWARD -- THE RAM, CLAYGATE

AUDIENCE VOTE -- FAVOURITE FOLK TRACK -- WHO KNOWS WHERE THE TIME GOES: SANDY DENNY/FAIRPORT CONVENTION

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