クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:トーク

 ピーター・バラカンさんと下北沢・風知空知でやらせていただいている標題のグレイトフル・デッドのライヴ音源を大音量で聴くイベントの第5回を11/06(火)にやります。

日時:11/06(火)19:30スタート
料金:前売2000円/当日2500円(共に+1drink 600円)

 予約方法などはお店のウエブ・サイトをご覧ください。

 お題は「グレイトフル・デッドの真髄に迫る」。まだ聴いていないデッドのレパートリィの中核を聴きたおします。なるべく時期を散らすつもり。

 このイベント・シリーズはこれで第1期終了にして、次は本が出た後、あらためてやる予定です。

 「本」というのは、もともとこのイベントはバラカンさんと作っているグレイトフル・デッド本のキックオフ・イベントとして始めたものであります。内容はデッド入門ですが、ただ、アルバム・ガイド並べるのも芸が無いですし、デッドにはふさわしくない。このイベントで二人でしゃべったことなども入れて、デッドを聴きたくなるようのものにしたいと思ってます。版元は皆様ご存知アルテスパブリッシング。来年初め刊行予定。乞うご期待。

 グレイトフル・デッドとアイリッシュ・ミュージックと何の関係があるのかって。何の関係もありません。まあ、ジェリィ・ガルシアは母方がアイリッシュ系ですし、また彼は若い頃はブルーグラスに入れこんで、一時はベイ・エリアでナンバーワンのバンジョー・プレーヤーと言われたこともあります。

 一方で、人間が生物の種としてはただ一種類、地球上の人類は全部同じで、祖先はどこかでみんな血がつながってるし、交わって子孫を作れる、つまりあなたはトランプ君の親戚でもあるのと同じく、音楽もみんなおんなじです。音楽というものがあるだけで、全部どこかで血はつながってます。なので、グレイトフル・デッドもアイリッシュ・ミュージックもたがいに親戚でありますね。デッド・ナンバーをアイリッシュとして演奏している人たちもいます。

 このイベントではあたしの MacBook Pro に入れた音源をお店のPAで再生してますが、タグチ・スピーカーを活かすべく、出す方もできるかぎり良い仕掛けにしてます。前回は「真空管ハーモナイザー」を導入しましたが、今回は USB から出すところに新兵器を導入します。

 では、11/06、下北沢でお目にかかりましょう。(ゆ)

 アイリッシュ・ミュージックの各楽器に焦点をあてる入門講座の第5回にとりあげるのはフィドルです。

 なお、会場の下北沢 B&B は昨年末に引っ越しています。すぐ近くへの転居ですが、ウエブ・サイトで場所のご確認をお忘れなきよう。


アイリッシュ・フィドル入門
アイルランドのフィドルを見る・聴く・知る

日時:3月11日(日)13:30-16:00(13:00 開場)
会場:本屋B&B(世田谷区北沢 2-5-2 BIG BEN B1F)
料金:2000円+1drink order(500円)
出演:小松 大(フィドル)
   トシバウロン(バウロン)
   おおしまゆたか(著者・訳者)


 アイリッシュといえば、これがなくては始まらない楽器、それがフィドルです。演奏人口から言えば圧倒的に多数、おそらく全演奏者数の8割はフィドラーといっていいんじゃないでしょうか。本来は真先にとりあげるべき楽器だったでしょう。

 とはいえ、このシリーズをイリン・パイプから始めたのは、なかなか味のあることではなかったかと思ってもいます。アイルランド音楽は過去200年ほど、パイプを伝統の中心、要、核として、回ってきました。これに並べてみるとフィドルは、それぞれの時代の要請に応じて音楽伝統に外から衝撃を与えて揺さぶり、新たな位相への転換を促してきたと言えます。

 フィドルはフレットレスで、理論上、どんな音でも出すことが可能です。この点で伝統楽器の中ではユニークな存在です。そしてそのためにフィドラーは規格はずれの存在とみなされてきました。いわば禁断の楽器を操る怪しい人間と思われたのです。フィドラーは音楽には欠かせないけれども、同時になるべく遠ざけておきたい存在でした。むしろ、そのせいでしょうか。フィドルはアイルランドだけでなく、ブリテン、北欧、東欧はじめ、ヨーロッパでフィドルが演奏されていないところはありません。しかも、楽器の形と基本的奏法はすべて同じ。こんな楽器は他にはありません。

 クラシックのオーケストラでもヴァイオリンがメインで圧倒的最大勢力であるところを見ると、ヨーロッパの人びとにとってこの楽器が何か特別の魅力を備えていることは想像がつきます。フィドル/ヴァイオリンは演奏する姿勢、楽器の持ち方からして人間の生理に反していると思われますけど、それもまた実にヨーロッパ的とも見えます。

 閑話休題。アイリッシュ・ミュージックにおけるフィドルはアイルランド全土で演奏されてきました。地域に特徴的なスタイルがあると言われるのも、どこででも演奏されてきたからです。歴史的にも、とりわけ20世紀以降の、録音技術の発明によって生まれたモダン・アイリッシュ・ミュージックにおいて、フィドルは独特の大きな役割を果してきました。

 アイリッシュ・ミュージックの史上初の録音は19世紀末のイリン・パイプのものとされていますが、音楽伝統全体に最初にインパクトを与えたのはフィドルの録音です。マイケル・コールマン、ジェイムズ・モリソン、パディ・キロランに代表されるアメリカ在住のフィドラーによるSP録音によって、現代のアイリッシュ・ミュージックは幕を開けました。

Past Masters of the Irish Fiddle Music
Various Artists
Topic Records
2001-10-09



 なぜアメリカか。まず、録音技術そのものがアメリカで開発され発展しました。そしてそのテクノロジーを使い、音楽を録音して販売するビジネスを立ち上げたのもアメリカ資本でした。アメリカ人以外には、誰もそんなことを思いつかず、また万一思いついたとして、それにカネを注ぎこもうと考えなかったのです。

 アイリッシュ・ミュージックにとってはもう一つの条件がありました。名手が多数、アメリカに移民していたのです。19世紀後半からの大量の移民によって、アイルランドの伝統音楽も大西洋を渡っていました。シカゴの警察署長オニールは身の回りにいたミュージシャンたちだけをソースとして、こんにちにいたるまでアイリッシュ・ミュージックのバイブルとされている楽曲集を編むことができました。そこに掲載・収録されている楽曲はすべて、移民たちが持ち込んだものです。

 名手たちの演奏は、最新のテクノロジーの衣をまとい、一層輝きを増したことでしょう。文字通りそれは一世を風靡し、かれらのスタイル、レパートリィを人びとはこぞって模倣、エミュレートします。SP盤に聞かれるフィドルは、アイリッシュ・ミュージックを統一した、とまで言われました。

 もちろん、そんなことはありません。今のように、世界の片隅で起きたことが、一瞬で全世界の知るところとなるわけではありません。まだまだ実にのんびりした時代です。SP盤を聴ける環境がどこにでもあったわけでもなく、人びとはラジオも持っていませんでした。それでも、それ以前の、ローカルの外の響きといえば、せいぜいが時偶やってくる旅回りのパイパーやフィドラーぐらいという状態に比べれば、天と地ほどの開きがあります。それはコペルニクス的転回と呼ばれるに値します。各地の共同体内でそれぞれ独自に展開されていた伝統がかき回され、混淆しはじめたのです。

 アイリッシュ・ミュージックの録音は1920〜30年代のSP録音によるものの後は不毛の時期が続きます。独自の録音産業が成立するにはアイルランドは貧しすぎました。ましてや伝統音楽が録音・販売に値するとは考えられていませんでした。ほとんど唯一の例外が1959年の Paddy Canny, P. J. Hayes, Peadar O'Loughlin & Bridie Lafferty による《All-Ireland Champions - Violin》です。2001年に《AN HISTORIC RECORDING OF IRISH TRADITIONAL MUSIC FROM COUNTY CLARE AND EAST GALWAY》としてCD復刻されたこの録音は、当時LPはあっという間に廃盤になったものの、コピーのテープがミュージシャンの間で珍重・重宝されます。ここでもフィドルの録音が、頼りになる規範となったのでした。

 そして1970年代、プランクシティ〜ボシィ・バンドによる革命でアイリッシュ・ミュージックが新たな段階に入った時、これを牽引したのは、パディ・キーナンのパイプ、マット・モロイのフルートとならんで、ケヴィン・バークのフィドルでした。そして後世への影響から見れば、バークのフィドルがボシィ・バンド・サウンドの象徴となったのです。


BOTHY BAND
BOTHY BAND
OLD HAG YOU HAVE KILLE
2017-06-16


 我々異国でかの国の伝統音楽に触れた人間にとっては、その前にもう一人、忘れられないフィドラーがいます。デイヴ・スウォブリックです。かれは独学でフィドルを身につけていて、ベースはスコットランドだと思いますが、その演奏は独自のものでした。フェアポート・コンヴェンションというロック・バンドのリーディング楽器として、かれのフィドルはアイリッシュやスコティッシュのダンス・チューンを、ロックのビートに載せてみせました。プランクシティやボシィ・バンドやデ・ダナンや、あるいはチーフテンズよりも前に、ぼくらがアイリッシュ・チューンを最初に聴き、その魅力のとりこになったのは、スウォブリックのフィドルによってだったのでした。

リージ・アンド・リーフ+2
フェアポート・コンヴェンション
USMジャパン
2010-11-24



 1990年代「ケルティック・タイガー」の追い風に乗ってアイリッシュ・ミュージックが世界音楽になっていった時、その先頭に立ったのもフィドルでした。マレード・ニ・ウィニーを中心としたアルタンです。アルタンがナマのまま演ってみせたドニゴールのスタイルとレパートリィは、それまで伝統音楽の主流ではほぼ無視されていました。ヨーロッパの周縁アイルランドのそのまた周縁ドニゴールの伝統が沈滞したシーンに活を入れ、そのまま世界に飛び出していった、そのドラマの主人公は、フィドルだったのです。


Ceol Aduaidh
Mairead Ni Mhaonaigh & Frankie Kennedy
Green Linnet
1994-02-04


 そして90年代末、20世紀を締め括くるとともに、次のステップへ踏み出したのもフィドルの録音でした。マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルの《The Lonesome Touch》。1997年のことです。本来のものから遙かにテンポを落して演奏されるダンス・チューンは、曲に潜むスリルとサスペンスをあらためてあぶり出しました。アイリッシュ・ミュージックは他のどんな音楽にも肩をならべる同時代性を備えていることが天下に宣言されたのでした。


The Lonesome Touch
Martin Hayes and Dennis Cahill
Green Linnet
2015-12-27


 最近のインタヴューで、ヘイズはこのアルバムを作るときに、チャーリー・ヘイデンとパット・メセニーの《Beyond The Missouri Sky》をお手本にしたと述べています。アイリッシュ・ミュージックに真の革新をもたらしたショーン・オ・リアダ、ポール・ブレディ、アンディ・アーヴァインは皆、伝統の外からやってきたとも述べています。そういうヘイズ自身もまた、アイルランド伝統の外に霊感の源泉を求めています。


Beyond the Missouri Sky
Charlie Haden & Pat Meth
Verve
2009-08-10



 フィドルはアイリッシュ・ミュージック演奏の現場を支配し、したがって伝統に対して保守的な姿勢をとるようにみえます。一方でフィドルは他には並ぶもののない柔軟性によって、常に伝統を脱皮させる契機を孕んでいます。

 ヘイズは The Gloaming や Martin Hayes Quartet、さらにはケヴィン・クロフォード、ジョン・ドイルとのトリオ、ジャズやクラシックまで含めた幅広いミュージシャンとの共演を集めたソロを予定するなど、その活動は留まるところを知りません。

Gloaming
Gloaming
Imports
2014-01-28


The Blue Room
Martin Hayes Quartet
Imports
2017-11-03



 そのヘイズの後を襲って、アイリッシュ・ミュージックを揺さぶり、その外延を広げようとしている人としてクィヴィーン・オ・ライアラ Caoimhin O Raghallaigh がいます。The Gloaming に hardanger d'amore で参加している人です。フィドラーだったオ・ライアラは、まずハルディング・フェーレでアイリッシュ・ミュージックを演奏するようになり、さらにこの楽器に改訂を加えて、10弦のハーダンガー・ダモーレと呼びます。レパートリィも、アイルランドの伝統曲から、ジャズやクラシックの語彙、手法を取り入れたオリジナルにまで広がってきています。


Kitty Lie Over
Mick O'Brien Agus Caoimhin O Raghallaigh
CD Baby
2007-05-29



Where One-Eyed Man Is King by Caoimhin O' Raghallaigh
Caoimhin O' Raghallaigh
CD Baby
2007-05-29



 というような話を、今回のフィドル講座でできればいいなと思っています。小松大さんは、実演と実践者の言葉によって、こうしたフィドルの二面性、双極性を、具体的なものにしてくれるでしょう。

 フィドルはアイリッシュ・ミュージックで最も普遍的な楽器であるために、フィドルについて語ることは、アイリッシュ・ミュージック全体について語ることにもなります。これは他の楽器とは異なる、フィドルならではの面白さでもあります。(ゆ)

 下北沢の風知空知でピーター・バラカンさんとやらせていただいているグレイトフル・デッドを聴くイベントの3回め。04/10(火)です。今回から整理番号付きの予約になったそうです。


 第1回はイントロとして、グレイトフル・デッドの全体像を示そうと試みました。

 第2回はカヴァー集。カヴァー曲のほとんどはスタジオ録音には収録されておらず、ライヴ音源でしか聴けません。今回の一連のイベントの趣旨は、デッドのライヴ音源を聴こうというもので、カヴァーはまさにその趣旨にぴったりでした。

 とはいえ、これはいわば搦め手からのアプローチです。

 そこで第3回は正面から、デッドのレパートリィの根幹をライヴ音源で聴くことにしました。

 デッドのレパートリィの何が最も重要かは、モノサシを換えていかようにも設定できます。とはいえ、最も客観的なのは数字でしょう。すなわち、演奏回数の最も多いものという基準で選曲をしてみます。

 この数字は Deadlists のものをベースにしています。ここで曲名で検索すると、いつどこでやったか、リストがずらっと出てきます。その本数が基準です。

 最多は〈Me And My Uncle〉。2位が〈Playing In The Band〉。3位が〈The Other One〉(〈That's It For The Other One〉時代も含む)。4位〈Sugar Magnolia〉。ここまでが600回以上。

 500回以上は〈Not Fade Away〉〈China Cat Sunflower〉〈I Know You Rider〉〈Truckin'〉と続きます。このうち〈Not Fade Away〉は前回聴いているので、今回は対象からはずします。〈China Cat Sunflower〉〈I Know You Rider〉はともに550回を超えますが、今回は1曲として演奏されたものを対象とします。それでも533回で5位。

 400回以上になるといきなり増えて10曲あります。このうち〈Around And Around〉と〈Bertha〉は既に聴いたので、これらも今回ははずします。

 500回以上は残りの6曲全部、400回以上は残り8曲から選んで聴いてみます。ご覧の通り軒並み「大曲」です。10分超えはざらで、20分超えも少なくありません。また、長くできる曲は長ければ長いほど演奏が良くなる傾向があります。したがって、多くて12、3曲。おそらくは10曲ぐらいが限界となるでしょう。

 また、〈Playing In The Band〉〈The Other One〉〈Truckin'〉などは、途中で別の曲に途切れずに転換し、後でまた戻るという、サンドイッチ構成になることもよくあります。これはまた大変に面白いのですが、今回は個々の曲にまず集中することにして、1曲で完結している演奏から選んでいます。

 なお300回台は24曲、200回台は26曲あります。いずれ、これらも各々聴いてみたいものです。ちなみに〈Scarlet Begonias〉は単独で314回、〈Fire On The Mountain〉とのペアでは230回、演奏されています。「スカベゴ・ファイア」は「チャイナ・ライダー」と並ぶ組曲の傑作ですが、組まれたのは比較的遅く、1977年3月から。それ以前に「スカベゴ」単独で100回近く演奏されており、こちらにも捨てがたい名演がいくつもあります。


 4回め以降のテーマについてはまだまったく白紙ですが、アイデアだけはいろいろ出ています。30 TRIPS AROUND THE SUN のボックスセットをネタにしたもの。あのセットからは各年から代表曲1曲ずつを選んで編んだベスト集が一般発売されていますが、それとは別の曲ばかりで裏ベストないしワースト集を編む。2回ないし3回に分けることになるでしょう。あるいは、逆にある年、例えば大いなる転換の年1970年に集中して聴く。人名をタイトルに含む曲を集める。「水」をモチーフとした曲を集める。各々にかなり沢山あります。前者では〈Althea〉がマイブーム。後者は何てったって〈Wharf Rat〉。メンバー一人ひとりに焦点を当てて、各々の特色がよくわかるような曲を集める。人によっては結構難しいかも。ガルシアのスロー・バラードばかり聴いてみる。これは相当にコアなファン向けですかね。等々。

 とまれ、風知空知のオーディオ・システムはほんとうに素晴らしいので、何を聴くにしても新鮮で、楽しいです。

 ということで、04/10(火)、下北沢でお目にかかりましょう。(ゆ)


03/02追記
 当初、イベントの日付として 04/10 と 04/11 が混在していました。どうも、すみません。04/10(火)が正しい日付です。どうぞ、よしなに。

 ジプシー音楽の関口義人さんが主宰する
地球音楽のイベント「音樂夜噺」が、
4月から会場を目黒に移して再始動するそうです。

 今度はまたレストランで、
PAは日本METの協力で
BauXar Jupity 301
 を中心にしたものになる予定。
これまでより格段に質の良いサウンドで聞けるはずです。

 4月はピーター・バラカンさんと高橋健太郎氏がゲストとのことで、
かなりおもしろいものが期待できます。
ピーターさんにはイングランドをかけるようにそそのかしてみよう。

 以下、主宰者からの口上。

--引用開始--
 昨年12月以来、他のイベントとの関連などで事実上のお休みを
していた「音樂夜噺」が4月からオープンしたばかりの目黒のレストラン
/カフェ/ギャラリー"LUBERO"(ルベロ)に会場を移して再スタートします。
毎回土曜の開催で、これまでよりいくらか長めに間隔を空けて参加してくだ
さる方にも負担の少ない形を考えています。

 音樂夜噺は2005年の11月のスタートから大勢の皆さんに支持されて
「ワールド・ミュージック」として括られる世界の様々な音楽を紹介して
来ました。

 そして最初の年は渋谷、翌年は新宿と既に約2年間のささやかな歴史を
刻んできました。ここまでに60人にも及ぶそれぞれのジャンル・地域の
音楽に通じた論者の皆さんをお招きしてきました。

 さて4月に新たなスタートを切る「夜噺」は通算第26夜となります。
そして今回も再始動にふさわしい素晴らしいゲスト・スピーカーを
お招きしました。下記の通りです。

「新・音樂夜噺」スタート特別プログラム

「ワールド・ミュージックの向かう場所」

04/19(土)
会場:目黒レストランLUBERO
開場:14:20
開演:15:00(終演17:30)
料金:予約1,800円 当日2,300円 ともに 1 drink 付き

論者:高橋健太郎(音楽プロデューサー、音楽評論家)
   ピーター・バラカン(ブロードキャスター)
司会:関口義人(新・音樂夜噺 主宰)

 評論活動をはじめプロデューサーとしても幅広いお仕事をされ、
ポップ/ロックのフィールドからワールド・ミュージックにま
で広角的で鋭い視野を持たれる高橋健太郎さん。
 テレビ、ラジオで活躍され、夜噺の初回にもご参加下さった
世界中のポップ・ミュージックの熱心なリスナーでもある
ピーター・バラカンさん。
 かたやロック、ポップの視点から、またかたやソウルを初めとする
ブラック・ミュージック・リスナーの視点から。お2人によって
80年代後半から現在に至るまでのワールド・ミュージックの展開
やここから先、ワールド・ミュージックはどこへ向かうのか?を
予測なども含めて大いに語って頂きます。約2時間半の内容を予定
しています。

 既に会場の場所や詳細をアップしておりますのでHP
ご参照下さい。

 なお会場はそう広くありませんので予約をお店に入れて頂きたい
と思います。
--引用終了--

Thanx! > 関口さん

 6月のチーフテンズ来日記念イベントの一環として、ピーター・バラカンさんによるトーク・ショーが東京・渋谷であるそうです。


★ピーター・バラカン・トーク・ショー

「ザ・チーフタンズを語る」
04/28(土)18:30open/ 19:00 start
渋谷 Uplink Factory
前売2,000円(1ドリンク付き)/当日2,500円
問合せ・予約 アップリンク


 秘蔵の映像、裏話てんこ盛りになるらしい。

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