クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ドイツ語

09月04日・日
 ジャン・パウル『気球乗りジャノッツォ』を読む。うん十年前に買ったまま積読になっていた。読む時がようやく満ちたのだ。と思うことにしている。

 ローマ生まれのいたずら者の毒舌家ジャノッツォが気球に乗ってドイツの上を遊覧し、アルプスの手前で雷に打たれて墜落、死ぬ2週間の「航行日誌」。本文140ページの、長さから言えばノヴェラになる。パウルの作品としては短かい方だ。

 この本の成立は少々変わっている。パウルは畢生の大作『巨人』を1800年から4分冊で刊行する際、その各巻に付録を付ける。読者サーヴィスでもあり、また本篇では抑制した(ほんとかよ)脱線癖を発揮するためでもあった。その第二巻に付けられた二つの付録の片方がこの作品。もう片方は当時の文学、哲学への批判と、自作への批評に対する反駁のエッセイ。ということはこの小説と同じコインの片面をなすのだろう。

 1783年モンゴルフィエが気球で初めて上昇に成功。2年後の1785年、ブランシャールが気球で英仏海峡横断に成功。という時代。気球で旅をする話はこれが初めてではないが、気球によって地表の上を旅することがリアリティをもって書かれたのはおそらく初めてではないか。サイエンス・フィクションの歴史でジャン・パウルの名は見た覚えがないけれど、ここにはほとんどサイエンス・フィクションと呼べるシーンや叙述も出てくる。

 原題をまんま訳すと『気球船乗りジャノッツォの渡航日誌』。人が空を飛ぶのは始まったばかりで、それに関する用語はまだない。したがってパウルは気球を空飛ぶ船に見立てて、航海術の用語を使い、シャレもそれに従っている。そこで訳者は「気球船」と訳す。

 宇宙空間を飛ぶのをやはり我々は船が進むのに見立てている。実際は地表の上を飛ぶのとは違い、完全に三次元の動きになるから、新しい用語や表現が必要になるはずだ。たとえば、右舷、左舷だけでは足らなくなる。斜め45度への移動を呼ぶ用語も作らねばならない。航空術ではすでにあるのか。しかし惑星表面では惑星の重力が働くから上昇下降ですむが、上下のない宇宙空間の移動はまた別の話だ。

 閑話休題。ここではまだ空を飛ぶことすら新しい。城壁に囲まれた市街地に降りても、住人は相手が空から降りてきたことを理解できず、どの門から入ったのかと執拗に問いただしたりする。上空から見る、俯瞰するのは、当時大部分の人間にとってはまだ神の視点、目線だったはずだ。その作用を利用してもいる。ジャノッツォは神ではないが、有象無象でもない。一段上の存在になりうる。そうして上から見ることで見えてくる人間のばかばかしさを、ジャノッツォの口を借りて、パウルは縦横無尽に切りきざみ、叩きつぶす。

 「陽気なヴッツ先生」も同じだが、パウルの批判、嘲笑、痛罵には、自分もその対象に含んでいるところがある。ジャノッツォが怒りくるっているのは相手だけでなく、そういうやつらと否応なく関らねばならない自分にも怒っている。ように見える。絵を見ている自分もその絵に含まれるエッシャーの絵のような具合だ。高みにあって、地上からは一度切れた快感とともに、その地上にやはりつながれていることを自覚してもいる。自分だけは違う、などとは思わない。ジャン・ジャック・ルソーに心酔し、フランス語風に Jean Paul と名乗りながら、「ジャン・ポール」ではなく、ジャン・パウルと仏独混合読みされてきた、そう読ませるものが、その作品にある気がする。そしてそこが、自分のことは棚に上げてしまう凡俗とは一線を画して、パウルの批判、嘲笑、痛罵をより痛烈に、切実にしている。確かに直接の対象である同時代、18世紀末から19世紀初めのドイツの事情そのものはわからなくなっていても、パウルが剔抉している欠陥自体は時空を超えて、21世紀最初の四半世紀にも通底する。どころか、むしろますますひどくなってはいないか。ネット上でグローバルにつながりながら、一人ひとりは、昔ながらの、それこそ18世紀以来のローカルな狭い価値観にしがみつく俗物根性の塊のままではないか。

 ここにはまた地上では絶対に見られない美しさもある。第十一航。オークニーの南にいる、というのだから、いつの間にかここでは北海の上に出ているらしい。その海と空のあわいにあって、ジャノッツォの目に映る光景は、訳者も言うように一篇の散文詩だ。同時代のゲーテと違って、パウルは詩作はしなかったらしいが、散文による詩と呼べる文章は他にもいくつもある。こういう光景を想像でき、そしてそれを文章で表現することを開拓しているのだ、この人は。

  解説で訳者が指摘している著者の話術の効果として3番目の、語る者と語られるものの関係を多重化することで、作品世界とそこで起きていることにリアリティを与える、小説世界の独立性を確保することは、その後の小説の展開を先取りしているし、現代的ですらある。

 ゲーテの古典主義とは袂を別ち、ロマン派の先駆とみなされるのも当然と思われるあふれるばかりの想像力を備え、嵐のような譬喩を連ねて、時にはほとんどシュールレアリスムと呼びたくなるところまで行く。こういうのを読むと、ドイツ語もやっときゃよかった、と後悔する。

 とまれ、ジャン・パウルは読まねばならない。ドイツ文学史上の最も独創的なユーモア長篇作家、と訳者は呼ぶ。

ジャン・パウル『気球乗りジャノッツォ』古見日嘉=訳, 現代思潮社/古典文庫10, 1967-10, 170pp.


%本日のグレイトフル・デッド
 09月04日には1966年から1991年まで6本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 日曜日。3ドル?。チラシには「月曜夜の入場料はすべて3ドル」とあり、その前の週末の入場料は別のように見える。が、そちらの料金はどこにもない。前売料金無し。ちなみにこの前の金・土はジェファーソン・エアプレインがヘッドライナー。後の月曜日は Martha & the Vandellas がヘッドライナー。
 クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ共演。セット・リスト不明。
 デッドにとってこのヴェニューでの初のヘッドライナー。
 Martha & the Vandellas は1957年にデトロイトで結成された黒人女性コーラス・トリオ。1960年代、モータウンの Gordy レーベルから一連のヒットを出した。1967年以降は Martha Reeves & The Vandellas と名乗る。1972年解散。

2. 1967 Dance Hall, Rio Nido, CA
 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。

3. 1979 Madison Square Garden, New York , NY
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。11ドル。開演7時半。
 これも良いショウだそうだ。

4. 1980 Providence Civic Center, Providence, RI
 木曜日。
 第二部3曲目〈Supplication Jam〉からアンコール〈U.S. Blues〉までの10曲が《Download Series, Vol. 07》でリリースされた。

5. 1983 Park West Ski Area, Park City, UT
 日曜日。
 紫の煙をたなびかせながらパラシュートで会場に降りた男がいたそうな。
 ショウは見事。

6. 1991 Richfield Coliseum, Richfield, OH
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時半。08月18日以来、夏休み明けのショウ。
 平均より上の出来の由。(ゆ)

09月03日・土
 今日は歯医者の定期点検。今日はヒマと見えて、先生が雑談する。夜のホメリのライヴまで時間があり、たまたま見つけた喫茶店、カフェではなく、昔ながらの喫茶店に籠もって読書。コーヒーは旨いが、タバコがフリーで二度とは来ない。こういう喫茶店は好きなのだが、タバコをフリーにしないと客が逃げてやっていけないのか。

 読んだのは岩波文庫版ジャン・パウルの「陽気なヴッツ先生」。すばらしい。極端なまでの戯画化と思っていると、いつの間にか戯画のまま等身大の、愛すべき肖像になっている。ラストのヴッツ先生死去のシーンの美しさ。ほとんどファンタジィ、しかも書き手がファンタジィを意図しないのにファンタジィになっているところがいい。ジャン・パウルはやはり読まねばならん。

陽気なヴッツ先生 他一篇 (岩波文庫)
ジャン パウル
岩波書店
1991-03-18



 夜はホメリで梅田千晶さんと矢島絵里子さんのライヴ。昨日とはうって変わって、アイリッシュ抜き。ブルターニュ、スウェーデン、クレツマーとオリジナル。これまた極上のライヴ。これも別記。 


%本日のグレイトフル・デッド
 09月03日には1967年から1988年まで6本のショウをしている。公式リリースは5本、うち完全版2本。

1. 1967 Dance Hall, Rio Nido, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。"Russian River Rock Festival" と銘打たれたイベント。8曲のセット・リストがある。
 オープナー〈In The Midnight Hour〉が《Fallout From The Phil Zone》で、6曲目〈Viola Lee Blues〉が《The Golden Road》所収のファースト・アルバムのボーナス・トラックでリリースされた。
 《Fallout From The Phil Zone》のレシュのライナーによれば、聴衆は25人ほどだったが、全身全霊をこめて演奏した。なお、録音はモノーラル。

2. 1972 Folsom Field, University of Colorado, Boulder, CO
 日曜日。学生3.50ドル、一般4.50ドル。開場10時半、開演正午。雨天決行。ポスターには「5時間」の文字がある。
 第二部クローザー前の〈He’s Gone> The Other One> Wharf Rat〉が《Dick's Picks, Vol.36》でリリースされた。
 全体としてもすばらしいそうだ。

3. 1977 the Raceway Park, Englishtown, NJ
 土曜日。10ドル。開演2時。06月09日以来のショウ。ミッキー・ハートの交通事故による負傷で夏のツアーはキャンセルとなった。その「お詫び」のショウ。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジとマーシャル・タッカー・バンドが前座。WNEW で放送された。10万とも15万とも言われる人が集まり、デッド単独としては最大の聴衆。前夜には数万人がゲート前に集まり、混乱を避けるため、午前3時にゲートが開かれた。もっとも DeadBase XI の Ken Kaufman によれば15万人の6分の1はマーシャル・タッカー・バンドがお目当てで、デッドが出る前に立ち去った。さらに MTB とデッドの間の時間に、女性が出産した。医療ヘリが飛んできて、場所をあけてくれとアナウンスが繰返された。終演後、親子ともに元気と発表された。
 デッドはこの後また3週間休んで、月末から秋のツアーに出る。
 全体が《Dick's Picks, Vol. 15》でリリースされた。

4. 1980 Springfield Civic Center Arena, Springfield, MA
 水曜日。10.50ドル。開演7時半。
 全体が《Download Series, Vol. 07》でリリースされた。
 〈Althea〉〈Candyman〉〈Hight Time〉〈He's Gone〉〈Black Peter〉〈Brokedown Palace〉と「哀しい」曲が集中したショウ。

5. 1985 Starlight Theatre, Kansas City, MO
 火曜日。14.50ドル。開演7時半。
 第一部クローザー〈The Music Never Stopped> Don't Ease Me In〉が2011年の、オープナー〈Feel Like A Stranger > They Love Each Other〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 第二部オープナーが〈Cryptical Envelopment> The Other One> Cryptical Envelopment〉で、〈Cryptical Envelopment〉はこの年06月に13年ぶりに復活してこれが復活後5回目の演奏で最後でもある。
 〈Feel Like A Stranger〉、最後のコーラスでウィア、ガルシア、ミドランドが歌いかわすのが見事。

6. 1988 Capital Centre, Landover, MD
 土曜日。このヴェニュー4本連続の2本目。
 アンコールの2曲目、ショウの最後に〈Ripple〉が演奏されて聴衆は狂喜乱舞した。1981年10月16日以来で、デッドとしてはこれが最後の演奏。この時の演奏はガンで死のうとしていた若者のリクエストに答えたもの。(ゆ)

08月21日・日
 シュティフターがあまりに面白いので、買ってあるはずの本を探して、前に本を積んで普段アクセスできない奥になっている本棚を捜索。『晩夏』を除いて無事発見。ついでにいろいろ、探していた本が出てくる。ピーター・S・ビーグルの第2作品集 The Rhinoceros Who Quoted Nitzsche が見つかったのは嬉しい。よし、あらためて作品集を読むぞ。ストルガツキー兄弟の本も出てくる。読み返したかったデヴィッド・リンゼイの長篇第二作 The Haunted Woman も見つかる。これは『アークチュルスへの旅』とはうって変わって、ほとんど古典的な幽霊屋敷譚として始まりながら、どんどん逸脱していく傑作という記憶があるが、結末を忘れてしまっている。いやあ、読む本はほんとにキリがない。

 しかし『晩夏』はどこへ行った? こうなるとまた別の本棚を捜索せねばならぬ。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月21日には1968年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。3ドル。カレイドスコープ、アルバート・コリンズ共演。
 すばらしいショウのようだ。

2. 1972 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 月曜日。このヴェニュー4本連続の初日。
 ピークのこの年のベスト・ショウの呼び声が高い。
 〈Black-throated Winds〉の後でレシュが、ピグペンはヨーロッパでヘパティティスを貰ってきたので、半年間は野菜を食べる他は何もしてはいけないことになっている、と説明した。
 ここでの〈Dark Star〉は他に似たもののないユニークで無気味で不思議な演奏だと、ヘンリー・カイザーが DeadBase XI で書いている。これはおそらくかれのアルバム《Eternty Blue》のためのリサーチの一環だろう。このアルバムはデッドのカヴァー・アルバムでも出色の1枚。選曲も、参加ミュージシャンも面白い。〈Dark Star〉で〈A Love Supreme〉をはさむということをやっている。

3. 1980 Uptown Theatre, Chicago, IL
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。13.50ドル。開演7時半。
 第一部は古い曲中心。第二部はドラマーたちのソロで始まり、〈Uncle John's Band〉がほぼ第二部全体をはさむ。アンコールに〈Albama Getaway〉というのも珍しく、すばらしいショウだそうだ。

4. 1983 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演2時。
 オープナーが〈Cassidy〉は珍しい。ので、これも良いショウのようだ。

5. 1993 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。06月26日以来、ほぼ2ヶ月ぶりのショウ。26ドル。開演2時。
 インディゴ・ガールズ前座。第二部4曲目〈Truckin'〉から〈Good Morning Little Schoolgirl > Smokestack Lightnin'〉、drums> space 後の〈The Last Time〉まで、ヒューイ・ルイスがハーモニカで参加。
 ヴェニューも、ユージーンの街もデッドとデッドヘッドに良い環境を提供し、ショウはすばらしいものになった。
 母親に連れられてきていた幼ない女の子にもガルシアは好ましい印象を与えたらしい。(ゆ)

08月20日・土
 文庫棚の整理をしていて出てきた岩波文庫のシュティフター『森の小道・二人の姉妹』をふと読みだしたら止まらなくなって、「森の小道」を一気読みしてしまう。これはいいノヴェラだ。甘いといえば甘いのだが、どこにも無理がない。語りそのものも、語られている人間たちとそのふるまいも、まったく自然に流れる。現実はこんなもんじゃない、などというのは野暮に思えてくる。こういうことがあってもいいじゃないか。

森の小道・二人の姉妹 (岩波文庫)
シュティフター
岩波書店
2003-02-14



 シュティフターは昔出ていた作品集も有名な『晩夏』も買ってあるが、例によって積読で本棚の奥に埋もれている。これは掘り出さないわけにはいかない。

 なぜかドイツ語の小説が読みたくなる。それも長いやつ。ムージル、ブロッホ、ヤーン、マン兄弟、ヨーンゾン。それにジャン・パウル。『巨人』はどういうわけか地元の図書館にあって、読みかけたことがある。なるほどマーラーの曲はこの通りだと思えるほど、なかなか話が始まらないので、その時は落っこちたが、今なら読めそうだ。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月20日には1966年から1987年まで7本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。セット・リスト不明。共演ソプウィス・キャメル。

2. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 火曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。3ドル。共演カイレイドスコープ、アルバート・コリンズ。セット・リスト不明。
 ポスターによればコリンズは同じヴェニューの直前16〜18日の3日間、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、イッツ・ア・ビューティフル・デイのランにも出ている。

3. 1969 Aqua Theater, Seattle, WA
 水曜日。1時間半強、一本勝負のテープが残っている。アウズレィ・スタンリィのマスター・テープに "8/21/69" とあるために DeadBase 50 でも21日とされているが、ポスターでは20日になっている、として DeadLists では20日にしているので、それに従う。
 ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、Sanpaku 共演。
 7曲目〈New Minglewood Blues〉から次の〈China Cat Sunflower〉とそれに続くジャムにチャールズ・ロイドがフルートで参加。
 2曲目で〈Easy Wind〉がデビュー。ロバート・ハンターの作詞作曲。ピグペンの持ち歌で、1971年04月04日まで45回演奏。スタジオ盤は《Workingman's Dead》所収。ハンター自身のアルバムでは《Live '85》所収。途中でテンポが急激に変わるユニークな構造。
 Sanpaku の名前は日本語の「三白眼」の「三白」から来ていると思われるが、詳細不明。言葉そのものは1960年代半ばに英語に取り入れられているそうだ。

4. 1972 San Jose Civic Auditorium, San Jose, CA
 日曜日。
 ここも名演、力演、熱演を生むヴェニューで、このショウも見事だそうだ。

5. 1980 Uptown Theatre, Chicago, IL
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時半。

6. 1983 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。学生12.50、一般13.50ドル。開演2時。
 全体に熱いショウの由。デッドは大学で演るのが好きらしい。多目的ホールでも、ここやグリーク・シアターのような立派なところでも、選り好みはしない。

7. 1987 Park West Ski Area, Park City, UT
 木曜日。16.25ドル。
 ユタ州では1969年04月12日から1995年02月21日まで9本のショウをしていて、いずれも外れはないという。このショウも目を瞠る出来だそうだ。(ゆ)

08月14日・日
 公民館に往復。本を3冊返却、4冊受け取り。借りた本はいずれも他の図書館からの借用なので、2週間で返さねばならない。家人が横浜市内に勤めていたときには、横浜市立図書館から借りられたので、自前でまかなえたから延長できた。県立から借りたのが一度あったくらいだ。『宮崎市定全集』全巻読破できたのも、そのおかげだった。厚木はビンボーで、図書館蔵書も少ない。

 ワシーリー・グロスマンの『システィーナの聖母』は茅ヶ崎市立図書館から。所収のアルメニア紀行を確認するため。これは後3分の1ほどを占める。ということで買うことにしよう。が、NYRB 版は NYRB original で、160ページあるから、邦訳よりは分量がありそうだ。英訳も買うか。グロスマンの本としては The People Immortal も邦訳されていない。『人生と運命』の前にあたるのが Stalinglad で、The People Immortal が扱うのはさらに前のバルバロッサ作戦酣で赤軍が敗走している時期だそうだ。そこで、いかなる手段を用いてもナチス・ドイツ軍の進攻を止めろと命じられたある師団の話、らしい。

システィーナの聖母――ワシーリー・グロスマン後期作品集
ワシーリー・グロスマン
みすず書房
2015-05-26

 
Stalingrad
Grossman, Vasily
NYRB Classics
2019-06-11

 
The People Immortal
Grossman, Vasily
MacLehose Press
2022-08-18



 アンソロジー『フィクション論への誘い』は横浜市立図書館から。師茂樹氏のエッセイを読むため。プロレスについて書いている。一読、こよなく愛するファンであることがひしひしと伝わってくる。
 プロレスにまつわる記憶では、学生の時、なぜか高田馬場で友人とたまたま夕飯を食べに入った食堂のテレビで、猪木の試合を中継していた。見るともなしに見ていると、いかにもプロレスと思われるまったりとした進行だったのが、ある時点で猪木が「怒る」ことでがらりと変わった。中継のアナウンサーが「猪木、怒った、怒った」と、いかにもこれはヤバいという口調になった。つまりヒールの反則が過ぎたのに猪木が怒った、というシナリオ(「ブック」と呼ばれるそうだ)だったのだろう、と後で思いついたのだが、その時の猪木の変身、本気で怒っている様子、それによる圧倒的な強さは見ていてまことに面白いものだった。後でああいう台本だろうと思ってはみたものの、その瞬間はいかにも猪木が怒りのあまり、そうした打合せや台本を忘れはてて、本気を出しているとしか見えなかった。師氏がここで言うように、本当に思わず本気で怒ってしまったのかどうか、わからないところはまた面白いが、あの猪木の変身ぶりは、プロレスも面白くなるものだ、というポジティヴな印象を残した。猪木といえば、河内音頭の〈アントニオ猪木一代記〉が真先に出てくるのだが、その次にはあの時の印象が湧いてくる。

 ハンス・ヘニー・ヤーン『岸辺なき流れ』上下は鎌倉市立図書館から。第三部『エピローグ』をカットした形。訳者の紹介によればカットするのも無理は無いとは思われる。これもまた未完なのだ。完成しないのは20世紀文学の宿命か。プルーストもムージルもカフカも未完。『鉛の夜』に使われた部分もある由。この上下を2週間では読めないから、買うしかないな。

岸辺なき流れ 上
ハンス・ヘニー・ヤーン
国書刊行会
2014-05-28


岸辺なき流れ 下
ハンス・ヘニー・ヤーン
国書刊行会
2014-05-28



%本日のグレイトフル・デッド
 08月14日には1971年から1991年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1971 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
 アンコールの1曲目〈Johnny B. Goode〉の前にデヴィッド・クロスビーのために〈ハッピー・バースディ〉が演奏された。これと続く〈Uncle John's Band〉の2曲のアンコールにクロスビー参加。
 オープナーの〈Bertha〉が《Huckleberry Jam》のタイトルの1997年の CD でリリースされた。限定2万枚でベイエリア限定販売。1960年代末にアメリカで最初の家出少年少女のための避難所としてオープンされた Huckleberry House の資金援助のためのベネフィットCD。

2. 1979 McNichols Arena, Denver, CO
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。9.35ドル。開演7時。
 第一部6曲目で〈Easy To Love You〉がデビュー。ジョン・ペリィ・バーロゥ作詞、ブレント・ミドランド作曲。1980年09月03日で一度レパートリィから落ち、1990年03月15日に復活して1990年07月06日まで、計45回演奏。スタジオ盤は《Go To Heaven》収録。ミドランドの曲でデッドのレパートリィに入った最初の曲。バーロゥとの共作としても最初。演奏回数では〈Far from Me〉の73回に次ぐ。
 この初演ではウィアがほぼ同時に〈Me and My Uncle〉を始める。ウィアは第二部2曲目〈Ship of Fools〉でも〈Lost Sailor〉を歌いだすので、おそらくは意図的、少なくとも2度目は意図的ではないか、という話もある。
 ショウ全体は良い出来。

3. 1981 Seattle Center Coliseum, Seattle, WA
 金曜日。この日がシアトル、翌日ポートランド、その次の日ユージーンと、北西部3日間の初日。9.50ドル。開演7時。
 第二部で4曲目〈Playing In The Band〉の後の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉がとんでもなく速かった。

4. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。22.50ドル。開演7時。
 第二部が始まるとともに霧が立ちこめて、そのため第二部は〈Cold Rain And Snow〉〈Box Of Rain〉〈Looks Like Rain〉と続いたので、聴衆は大喜び。さらに〈Crazy Finger〉をはさんで〈Estimated Prophet〉でウィアが "I'll call down thunder and speak the same" と歌うのと同時に、ステージの遙か後方のシエラ・ネヴァダの麓の丘の上で稲妻が光った。(ゆ)

 みみたぼはシンガーの石川真奈美さんとピアノの shezoo さんのデュオ。あたしは初体験だが、もう4年やっているのだそうだ。「みみたぼ」って何だろうと思ったら、「みみたぶ」と同じ、と辞書にある。どういう訛かわからないが、みみたぶではユニットの名前にはならないか。

 歌とピアノは対等に会話するが、ピアノが歌を乗せてゆくこともある。逆はどうだろう。やはり難しいか。一方で、ピアノが歌に反応することはありそうだし、実際そう聞える瞬間もある。そういう瞬間を追いかけるのも愉しそうだ。次はそうしてみよう。今回2人のからみが一番良かったのは、後半最初のリチャード・ロジャースの〈Blue Moon〉。

 歌は石川さんのオリジナル、shezoo さんのオリジナル、ジャズのスタンダード、バッハ、歌謡曲。この振幅の大きさがいい。

 中でもやはりバッハはめだつ。石川さんも参加した2月の『マタイ』で歌われた曲。あの時の日曜日の方を収録した DVD がもうすぐ出るそうだ。いや、愉しみだ。あれは生涯最高の音楽体験だった。生涯最高の音楽体験はいくつかあるけれど、その中でも最高だ。今、ここで、『マタイ』をやることの切実さに体が慄えた。その音楽を共有できることにも深く歓んだ。DVD を見ることで、あの体験が蘓えるのが愉しみなのだ。石川さんもあれから何度か、いろいろな形でこの歌を歌われてきた、その蓄積は明らかだ。それはまた次の『マタイ』公演に生きるだろう。

 バッハの凄さは、どんな形であれ、その歌が歌われている時、その時空はバッハの時空になることだ。クラシックの訓練を受けているかどうかは関係ない。何らかの形で一級の水準に達している人が歌い、演奏すれば、そこにバッハの時空が現出する。

 その次のおなじみ〈Moons〉が良かった。石川さんはもちろん声を張って歌うときもすばらしいが、この日はラストに小さく消えてゆく、その消え方が良かった。消えそうで消えずに延ばしてゆく。『マタイ』の前のエリントンもそうだし、この〈Moons〉、そしてホーギー・カーマイケルの〈Skylark〉。

 ここでは封印していた?インプロが出る。でも、いつものように激しくはならない。音数が少なく、むしろ美しい。

 shezoo 流インプロが噴出したのは後半2曲目〈Blue Moon〉の次の〈砂漠の狐〉。これが今回のハイライト。いつもよりゆっくりと、丁寧に歌われる。グレイトフル・デッドもテンポが遅めの時は調子が良いけれど、こういうゆったりしたテンポでかつ緊張感を保つのは簡単ではないだろう。ラスト、ピアノが最低域に沈んでゆくのにぞくぞくする。

 エミリー・ディキンスンの詩におふたり各々が曲をつけたのも面白かったが、ラストの立原道造の〈のちの想いに〉に shezoo さんが曲をつけたものが、とりわけ良かった。声がかすれ気味なのが歌にぴったり合っていた。

 アンコールの歌謡曲〈星影の小道〉が良かったので、終演後、服部良一の〈昔のあなた〉をリクエストする。雪村いづみがキャラメル・ママをバックに歌った《スーパージェネレーション》で一番好きな曲。歌詞もメロディも雪村の歌唱も、そしてバックも完璧。〈胸の振子〉もいいけれど、このデュオには〈昔のあなた〉の方がなんとなく合う気がする。

スーパー・ジェネレイション
雪村いづみ
日本コロムビア
1994-11-21


 このアンコール、ア・カペラで歌いだし、ピアノに替わり、そしてピアノとうたが重なる、そのアレンジに感じ入る。

 shezoo さんは以前はインストルメンタルが多かったけれど、ここ数年はシンガーとつるむことが多くなっているのは嬉しい。いいうたい手を紹介してもらえるのもありがたい。願わくは、もっと録音を出してくれますように。配信だけでも。(ゆ)


5月6日・木

 ドーナルの新バンド Atlantic Arc の新譜のクラウドファンディングは成功したと通知。出だしがのんびりで大丈夫かと心配したが、あっちこっちでニュースになって集ったらしい。

 ジェリィ・ガルシア公式サイトから GarciaLive, Vol. 16: 1991-11-15, Madison Square Garden, NY, NY の案内。ジャケット・デザイン一新。モダンになった。今度のTシャツもまずまずかっこいい。

 散歩の帰りに公民館に寄り、本2冊ピックアップ。『ローベルト・ヴァルザー作品集』の第1巻と第5巻。

 「少なくともヴァルザーの主要作品と目されてきたものは、ほぼすべて日本語に訳出されたことになるだろう」第5巻, 359pp.

 しかしヴァルザーの「主要作品」は3本の長篇小説ではあるまい。「現在のズーアカンプ版全集で二十巻中の十五巻を占め、さらに遺稿集六巻にも所収されている計千数百篇にもなる散文小品」(第1巻, 373pp.)であるはずだ。この作品集の最初の3巻は長篇のみ。散文小品が入っているのは4、5の2巻で、第4巻は37篇、第5巻は「フェリクス場面集」を24篇と数えると41。計78篇。1割どころか5%ぐらいか。ここに収められたものはもちろん精選されたものであるだろうが、ヴァルザーの場合、「ベスト」とか「ワースト」とかは無意味だ。もう3冊ぐらいは散文小品だけの巻、それにミクログラムばかり集めた1巻が欲しい。『詩人の生』と『絵画の前で』はどうか。昔読んだ飯吉光夫編訳の『ヴァルザーの小さな世界』が出てこないので、『ヴァルザーの詩と小品』としてみすずから出なおしたものも図書館で頼んでみよう。重複は少ない。みすず版はいくらか増補されてもいるようだ。

ローベルト・ヴァルザー作品集5
ローベルト ヴァルザー
鳥影社
2015-10-30

 

 折りよく、とりあえず注文してみた New Directions + Christine Burgin による Microscripts が届く。編訳は Susan Bernofsky。全部で526枚遺されたミクログラムのうち29枚を選び、現物の表裏をカラーの実物大で複製し、その英訳を添える。2010年にハードカヴァーで出たものに4枚追加した2012年のペーパーバック。1枚に複数の話が書かれているものもあるらしい。巻頭に訳者による解説、巻末にベンヤミンのヴァルザー論と表紙の絵を描いている Maira Kalman によるイラスト・エッセイを収める。

Microscripts
Walser, Robert
New Directions
2012-11-21



 カルマンは雪の上に倒れているヴァルザーの写真を見て、ヴァルザーに惚れこんでしまったのだそうだ。ヴァルザーは1956年のクリスマスの日に日課の散歩に出て、途中で心臓発作を起こし、倒れて死んでいるのが発見された。享年78歳。散歩は『作品集』第4巻収録の傑作「散歩」はじめ、いくつもの文章に書かれているように、ヴァルザーにとっては書くことと並んで、晩年書かなくなってからは、何よりも大事な活動だった。かれは散歩するために生きていた。その途次に斃れたのはだからいわば「舞台の上」で、「現役」のまま死んだことになる。カルマンの言うとおり、そんなに悪い死に方ではない。むしろ、本人としては本望ではなかったか。あたしなどもこういう死に方をしたいものだ。

 というわけで、ヴァルザー熱は当分冷めそうにない。(ゆ)

5月2日・日曜

 『ローべルト・ヴァルザー作品集4』読了。

 
ローベルト・ヴァルザー作品集4: 散文小品集I
ローベルト・ヴァルザー
鳥影社
2012-10-17


わたしの書く散文小品は、わたしの考えるところでは、ある長い、筋のない、リアリスティックな物語の部分部分を成している。あれやこれやの機会に作成したスケッチは、一つの長篇小説のあるいは短めの、あるいは長めの章なのだ。先へ先へと書き継いでゆくその小説は、同じ一つの小説のままで、それは大小さまざまに切り刻まれて、ページもとれてばらばらになった〈わたしの本〉と名づけてもらってもよいものだ。
「ヴァルザーについてのヴァルザー」203pp.

 この感覚はよくわかる。リニアに続く物語というよりは、断片が集まってあるイメージを生むような形。見る角度によって見えるものが変わるもの。ヴァルザーの作品は全部読むのが理想だが、読めるものだけでイメージを見ることはできる。読む数が増えるほどに、読む深さが増すほどに、イメージはより精細に鮮明になる。そして、そのイメージは一定ではない。新たな作品を読むごとに、イメージは変わる。おそらく読むたびに変わる。

言葉の中にはそれを呼び覚ますことこそ喜びであるような未知の生のごときものが息づいている、そう願いつつ望みつつ、わたしは言葉の領域で実験を続けているのです。
「わたしの努力奮闘」213pp.

 ヴァルザーがその全作品を通じて書こうとしていた〈わたしの本〉とは、つまりこの「未知の生のごときもの」を呼び覚ます、その奮闘の軌跡であろう。それは呼び覚まされたか。完全に目覚めていないまでも、完き姿を現してはいないまでも、その朧げな存在、影よりは濃い、実体よりは薄い存在は感じられる。ような気がする。結局それは誰がどう奮闘しようと、この世に完全に呼びだし、明瞭に描ききることはかなわない、朧げなその影を暗示する、あるいは喚起することしかできないものではあろう。そしてヴァルザーは、可能なかぎりそれに「成功」した。その文章を読む快楽、翻訳を読んでも湧きあがってくる快感を感じられるのは、「成功」と呼んでいい。そこまで到達した書き手の一人として、唯一人、佇んでいる。

 そして巻末の「散歩」が凄い。この人、基本的に饒舌なのだ。もっともドイツ語で書く人間が寡黙ないし文章の節約をするわけではない。ゲーテの小説は長いし、マンの『魔の山』はほとんどおしゃべりだけでできてるし、『ヨセフとその兄弟』も饒舌の塊だ。ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』も『ひらめ』もとにかくしゃべる。カフカの書簡。それを思えば、インド・ヨーロッパ語族は饒舌になるのか。『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』、ガルシア=マルケスを筆頭とするラテン・アメリカ文学、ポルトガルのジョゼ・サラマーゴ、バルザックにシャトーブリアンにサン・シモンにカサノヴァにプルーストにロベール・メルル。ディケンズ、ギボン、チャーチル、Anthony Powell、Francis Parkman、William T. Vollman。そしてもちろんトルストイ、ドストエフスキー、レスコフ、トロツキー、グロスマン。中国語は基本的に節約する。漢字を書くのは労力を要する。『西遊記』『紅楼夢』は節約してなおかつあれだけの量になる。日本語も節約を旨とする。俳句は究極の節約だ。日本語では饒舌は悪徳だ。日本語から見るとヴァルザーの饒舌は過剰に見える。しかし、おそらく、ドイツ語から見れば過剰ではない。あるいは過剰であることは悪いはずはなく、まず良いことなのだ。フランスのスーパーが日本に店を開いた時、売物の野菜、果物を店頭に山と積み上げてみせた。ヨーロッパではそれは普通、デフォルトで、商品が豊かであることはより新鮮で安いことも意味する。日本では「やり過ぎ」に見える。日本語ネイティヴはものが豊かであることに慣れていない。この列島は有史以来つい最近までずっと貧しかった(急に豊かになってしまうと、その豊かさをどう使っていいのかわからない)。貧しいなかでいかに豊かに生きるかに腐心してきた。言葉もそれに倣う。なるべく少ない字数でなるべく多くのことを言おうとする。しかし、量はある閾値を超えると質に転換する。そして、ある量でしか言えない、伝わらないこともある。質だけで量をすべて代用はできない。ヴァルザーは一篇ずつは短かい。しかし、千数百篇にのぼる全体としての量は少なくはないだろう。そしてその一つひとつにはすさまじい、と日本語ネイティヴには見える饒舌が詰めこまれている。

 しかし、待てよ。そうすると、饒舌が詰めこまれた、しかも分量が少ない作品は文章量が多いのか。この場合、情報量は別だろう。しゃべりまくりながら、実質的には何ひとつ言わないこともできる。ヴァルザーにはそういう作品もある。ただし、ではそれが無価値かというとそうはならない。何も言わずにしゃべりまくる文章を読むことが快感になる。そして、その快感は情報が詰めこまれた文章を読む快感とは性格が異なる。

 饒舌という言葉にはそのテクストによって伝えられる情報の質と量への評価も含まれる。文字数、言葉の数では過剰でも、伝えられる情報の質が低く、量が少ないものという含みがある。しかし、ヴァルザーによって明らかになるのは、言葉が充分に多ければ、中身の質と量が問題にならなくなる、ということだ。これは量から質への転換とはまた別だ。あるいはヴァルザーの特異性はここにあるのだろうか。

 いや、ヴァルザーの場合にはその文章によって何が語られているか、ではなく、どう語られているか、が問題なので、語られている情報の量、実質的に伝えられることが可能な情報の量は作品の出来の良し悪しを左右しない。たぶん、そこがまず特異なのだ。そしてどう語られているかの良し悪し、つまり良く語られているか、悪く語られているかの判断基準が作品によって違う。

 ここに収録されているのは選びぬかれたもので、「悪く」語られているものは無い。とはいうものの、ヴァルザーのスタイル、手法であれば、「悪く」語りようはないだろう。十分に語られているか、語られきっていないか、の違いではないか。こういう時、翻訳でしか読めないことのもどかしさを痛感する。出来の「悪い」作品を読めない。そして全体像はそれも読まねば、ほんとうのところはわかりようがない。全部読んだからといって、わかるとは限らないが、とにもかくにも全部、少なくとも出来の悪いとされる作品も読むことが前提となる。

 もう一つの側面。この饒舌は筆にまかせて垂れながしたもの、書き散らしたものではない。むしろ、おそらく彫琢に彫琢を重ねた末の「饒舌」であり「過剰」だ。どうしてもこうなってしまう、あふれ出てしまうことが無いのではなく、それも計算に入れた上で文章を練りに練りあげて各々の形になっている。彫琢というと日本語では主に削ることを意味するが、ここではそうではない。これもおそらく言語の性格の違いだ。マーヴィン・ピークも『ゴーメンガスト』を書くのに、まず最後まで一通り書いておき、それから文章や言葉、表現をつけ加えていった。第三部『タイタス・アローン』は著者の死によってその原型のまま残され、前の2冊が完成形だ。

 とまれヴァルザーの存在はドイツ語作家の世界にあらためて眼を開かされる。まずはシュティフターだろう。ヴァルザーも愛でるブレンターノ。そしてジャン・パウル、ムージル。『ヨセフ』にも再度挑戦だ。

 少なくともこの第4巻は買ってもいいか。


 Audirvana からイベントへの誘いが来るが、Mac で音楽を聴くことがほぼ無くなってしまったので、起動することはまず無いなあ。(ゆ)

 Washington Post Book Club のミュースレターで Amanda Gorman の詩を訳すことが白人にできるか、という議論が持ち上がっているという話。カタラン語の訳者ははずされ、オランダ語の訳者は辞任したという。翻訳という仕事の性質を理解しない行き過ぎ。あまりにアメリカ的発想。Washington Post も "weird" と言っている。中東、トルコまで含めたアジア諸国はどうなるのだ。アラビア語はいるかもしれないが、ペルシャ語や北欧の諸言語はどうだ。文芸翻訳は専門家ではだめなのだ。母語話者である必要がある。詩の翻訳となればなおさらだ。詩の翻訳が可能か、あるいはどこまでいけば翻訳として認められるかは、また別の問題。

 夜、ローベルト・ヴァルザー『ヤーコプ・フォン・グンテン』読了。凄え。傑作とか名作とか、そんな枠組みは超えている。こいつは英訳でも読んでみよう。記録を見たら、なんと1991年に読んでいた。完全に忘れていた。筑摩の『ローベルト・ヴァルザーの小さな世界』でヴァルザーに最初に夢中になった時らしい。当時、他に邦訳はこれしかなかった。当然、眼のつけ所も感応するところも異なる。今の方がよりヴィヴィッドに、切実に迫ってくる。

 今回まず連想したのはマンの『魔の山』だった。どちらも閉鎖空間にたまたま入りこんだ、ほとんど迷いこんだ人物に、入ったことで自らの新たな位相が現われ、その空間を通じて世界と向き合う。そこに映しだされる世界像に読者は向き合うことになるのだが、ヴァルザーの世界像は平面ではなく、読む者の内面に浸食し、やがて読者の世界をも覆いつくす。そしてその世界は徹底的におぞましく、それ故に蠱惑に満ちる。

 どこかに着地しそうでしない文章。通常の価値判断のことごとく逆手をとる態度。人間らしく生きることが、この上なく非人間的な人間を生みだす人間の「原罪」を読む者はつきつけられる。冷徹に観察されて、美しい文章で描かれた、その原罪がごろんと目の前にころがされる。

 マンの『魔の山』は19世紀までの、第一次世界大戦で滅ぶことになる世界、人間は自分のやることをコントロールできると信じられた世界を提示する。ヴァルザーが見ているのは、カフカの『城』が建つ世界であり、竜のグリオールが横たわる世界であり、夜空に燐光が明滅して電波受信がロシアン・ルーレットになった世界のもう一つの顔だ。この世界はつい先日読んだ山尾悠子『山の人魚と虚ろの王』の世界にもつながっており、文章の気息、着地しそうでしない叙述も共通する。一つひとつは短かい断片を重ねてゆくスタイルも同じだ。

 ヴァルザーの場合、マンのような息長く、読む者を引きずるように長く話を続けることはできなかったらしい。結局3冊めのこれが最後の長篇となり、他はすべてごく短かい。ショートショートと呼ぶにはオチがない。もともとオチを期待するような話ではなく、デビュー作である『フリッツ・コッハーの作文集』にある「作文」というのが一番近いようだ。とにかく、ヴァルザーは読めるものは全部読まねばならない。

ローベルト・ヴァルザー作品集3: 長編小説と散文集
ローベルト・ヴァルザー
鳥影社
2013-05-31


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