クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ニューオーリンズ

終日建設作業をした後の疲れた筋肉、岩だらけの平原の向こうから低く斜めにさしこんでくる錆色の太陽の光には、どこかひどく滑らかで優美なところがあって、何の前触れもなく、自分は幸福だと感じられたのだ。ちょうどその瞬間、アルカディイがフォボスから呼んできたので、上機嫌で答えた。
 「ちょうど一九四七年のルイ・アームストロングのソロみたいな気分なんだ」
 「どうして一九四七年なんだい」向こうが訊ねる。
 「つまりね、あの年彼は一番幸せそうな音を出してたんだ。一生のうち大体はあの人の音には鋭いエッジが立ってて、ほんとにすばらしいんだけど、でも一九四七年にはもっとすばらしくて、肩の力の抜けた流れるような喜びがあるからなんだよ。あとにも先にも絶対に聞けない音だ」
 「やつにとっちゃいい年だったんだな」
 「そのとおりだよ。とんでもない年だったんだから。二十年もひっどいビッグ・バンドで過ごしてだよ、ホット・ファイヴのような小さなグループにもどったんだ。それって若い頃に自分がリーダーだったバンドだよ。そしたらどうだい、懐かしい曲、懐かしい顔まで何人もいる——しかも何もかも最初のときよりも良くなってるんだよ。録音技術もギャラもお客たちもバンドも自分の能力も・・・若さの泉みたいな感じだったに違いないんだ」
——キム・スタンリー・ロビンスン『レッド・マーズ』上・207頁

 昨日見聞したのは残念ながら1947年のものではない。1955年、1964年、1967年の映像だ。だけど、これらの映像を見、音を聴いて、あらためてこの一節が思い出されたのは、そこに現れるサッチモの姿と音楽があまりにすばらしかったからだ。

 もちろんサッチモの名前と顔は知っている。音楽だって聞いたことはある。これはたぶんあたしだけのことではなく、サッチモの名前と顔の知名度に匹敵するのはビートルズぐらいだろう。サッチモはジャズを大きく踏み越えているのだ。世の「ジャズおやじ」どもがサッチモを気に入らないのは、たぶん、そのためだ。後生大事に抱えこんでいる「ジャズ」など眼中にないようなフリをしているとその眼には映るのだろう。

 それでも昨日は来る客はたぶん爺どもばかりではないかと思ってはいた。その予測は嬉しくも裏切られて、ほとんどがごく若い人びと、女性もたくさんいる。より自在に、自分の感性に忠実に、サッチモの音楽を楽しんでいる。

 いずれ劣らぬ一騎当千のバンド・メンバーに支えられて、サッチモはとにかく明るい。それはあくまでも明るくあろうとする意志と、どこにあっても、どんなところでも、明るくならざるをえない性格とが融合したもののようにみえる。

 一連の映像にライトモチーフがあるとすればそれは〈What A Wonderful World〉だ。1967年、ヴェトナムへ送られる直前の兵士たちにこの歌を唄いかけるサッチモから始まり、ラストはオーストラリアの芸人がこの歌をバックに見せる、両手を使ったみごとというしかない影絵のパフォーマンスまで、この歌はサッチモの遺したものを象徴しているようにみえる。生前この歌はほとんどヒットしなかったそうだ。レコード会社の社長が、この歌のプロデューサーもサッチモの声も曲も大嫌いで、まともなプロモーションをしなかったらしい。ヒットしたのは1985年の映画『グッドモーニング、ヴェトナム』で使われてからという。

 この歌はこの世はすばらしいと朗々と唄いあげる曲ではない。隣に座ったサッチモが、こちらの肩に手をかけて、一語一語打ち込むように、語りかけてくる。今がそういう世界なんだというよりは、本来すばらしい世界なんだから、もう一度そういう世界に造ってゆこうぜという訴えだ。どんなに悲惨な世界でも、これをすばらしい世界にしてゆくんだという意志が、底抜けに明るく、ユーモアたっぷりで、何事にもめげない積極的な性格にまでなっている、その現れだ。

 バンド・メンバーたちの圧倒的な演奏とサッチモの唄が作り出す音楽が、ヨーロッパ各地の、アフリカはガーナの、あるいはニューヨークの聴衆を熱狂させるのは、まったく当然だと思えてくる。これで熱くならないやつは人間じゃねー、とわめきたくなってくる。聴衆だけではない、サッチモのバンドと共演する若きバーンスタインの指揮するニューヨーク・フィルの楽団員たちも、初めはどこか遠慮がちだったのが、サッチモのバンドとやりとりを始めると、がらりと音が変わる。共演できて光栄なのは我々の方ですというバーンスタインの言葉にはその通りだろうと納得する。

 昨日拝見したのは、主にアメリカのテレビ番組用に作られた映像で、フィルムで撮影していたので残っていたものだ。元は16ミリのフィルムで、今はデジタル化して、DVDに収めてある。メインは1955年にサッチモが音楽大使としてヨーロッパに派遣された際にCBSがスタッフを同行させて作り、1957年に放映した1時間強のドキュメンタリーだ。わが国でも『サッチモは世界を廻る』のタイトルで公開されたが、当時はニュース映画専門館で上映された由。

 これは楽しい。アルプスの上、というよりも、その間を飛ぶプロペラ旅客機の中で演奏するサッチモのバンドから始まり、空港での歓迎、ステージの演奏、観客の表情の変化、そして、小さなクラブでの、地元のバンドとの共演と追ってゆく。はじめは気難しい顔をしていた客が、どんどんノっていって、最後は大喝采する。音楽に踊らされる姿は、後にロックのコンサートやクラブで見られるのと同じだ。

 独立前夜のガーナへの「帰郷」では、ヨーロッパと同じく、地元の音楽で迎えられたのに、自分たちの音楽で返礼すれば、それまでジャズなど聞いたこともなかったはずの住民たちが踊りだす。

 いや聞いたこともなかったというのは誇張かもしれない。ガーナは英国の植民地だったから、英国経由あるいは英語圏ということで直接アメリカからレコードなどが入っていただろう。また、当時首相で後に大統領になるエンクルマはじめ、イギリスやアメリカに留学し、そこでジャズに触れていた人間もいたはずだ。しかし、生で、「ホンモノ」を聴くのは初めてという人間が圧倒的大多数ではあったはずだ。そしてその初めての体験がサッチモであったことは、おそらく、その中の少なからぬ人びとにとってラッキーであっただろう。後にアフリカン・ジャズを代表することになるヒュー・マセケラも、サッチモからトランペットを贈られている。

 サッチモのユーモアのセンスが最もよく出たのは1964年東ベルリンでの公演だ。一向に鳴りやまない喝采に対して、閉じたカーテンの間から、まずネクタイをはずして出てきて挨拶し、次には寝間着のガウン姿で出てきて挨拶する。

 これらの映像を蒐集、整理されて、字幕まで添えてあたしらが見られるようにしてくださったのは、外山喜雄氏ご夫妻だ。夫妻はサッチモに惚れこむあまり、1968年、当時最も安かったブラジルへの移民船に同乗してニューオーリンズに渡る。氏はトランペット、夫人はバンジョーをよくするから、現地で音楽演奏の仕事を見つけ、2年、滞在する。その後、日本ルイ・アームストロング協会を設立される。見習いたいとは思うが、あたしなどには到底できないなあ。

 サッチモという人は人間の器が大きかったのだろう。そしてその器の大きさは音楽だけに留まらなかったのだろう。だから、演奏だけ聞いても、おそらくよくわからない。こうして映像を見て、そのふるまい、仕種、そして何よりも、あの笑顔、がま口=サッチェル・マウスすなわちサッチモと言われた大きな口に真白い歯がまぶしく輝くあの笑う顔を見て、初めてその一端に触れることができるのだろう。

 そのサッチモの映像を見せてくださった外山ご夫妻、場所を設営された後藤マスターはじめ「いーぐる」関係者の皆様に、心より感謝する。(ゆ)


レッド・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)
キム・スタンリー ロビンスン
東京創元社
1998-08-26



サッチモ・アット・シンフォニー・ホール+11
ルイ・アームストロング
ユニバーサル ミュージック
2017-09-20


 今日は切れ味がいい。と最初の1曲〈January 15th〉で思う。アニーのギター、じょんのフィドル、トシのバゥロン、すべてディテールがはっきり聞える。PAのサウンドの良さもあるだろう。やや、小さいかとも思えたが、むしろ微細な装飾音の入り方や、ギターの細かいカッティング、バゥロンの微妙な音の変化がよくわかる。後半のハチャトゥリアン楽団でも思ったが、アイリッシュ・ミュージックというのは、より微細で微妙な変化を求める。アイリッシュは螺旋を描くが、その螺旋はまずは内側へ巻いてゆくものなのだ。

 ジョンジョンフェスティバルはそうした中でも、より大きなパターンを大事にしていて、テンポや音量、スケール感を劇的に動かし、その対比によって従来アイリッシュ・ミュージックには稀なほどのダイナミズムを生み出している。と思っていた。それが、どうも勘違いとまではいかなくても、認識が浅かったのではないかと昨夜は気がついた。

 そうした大きなパターンの内部で、より細かく小さな動き、アイリッシュ・ミュージックの本質により近い動きも相当にハイレベルに入れていて、そこがしっかりしているからこそ、大きな動きのダイナミズムが明瞭にうちだされてくるのでないか。

 3人の技量がまた一段上がったようにも聞える。カナダでは時間が短かかったためかもしれないが、アンサンブルの一体感の方がはっきり感じられた。誤解を恐れずに言ってしまえば、細かいところはある程度犠牲にしても、ダイナミズムを求めている、と見えた。昨夜はそれぞれのソロもあり、個々の実力が前面に出ていた。そのせいか、まるで秘密の特訓でもしたのかと思えるほど、それぞれに「巧い」。スローな部分はもちろんだが、かなりのハイ・スピードで演奏しながらも、その中に多彩な装飾音やオカズ、あるいは小技をこれでもかと言うように入れてゆくのが、まったく無理がない。滑らかに、華やかに、音楽が浮き上がり、走ってゆく。

 トシさんのバゥロン・ソロは久しぶりに聴いたが、これもやはり一枚皮が剥けたようで、バゥロンの演奏スタイルに新局面を開いているとも聞えた。

 じょんは初っ端から全開で、はじめの1曲が終ったとき、トシさんが弓が切れるんじゃないかと心配したほどだった。スローな曲での中音域の響きのふくらみには陶然となってしまう。

 アニーのギターのキレの良さに、そもそも3人の調子が良いと気がついたくらいだが、リールのメロディをフィドルとユニゾンしたのも良かった。後で訊くと別に特別の練習はしていないそうだが、他のバンドでの経験が大きくモノを言っているのだろう。


 ハチャトゥリアン楽団を聴くのはこれが二度め。初めは、ジョンジョンフェスティバルとの前回の対バンの時。女性のトランペットとの二枚看板が印象的だった女性のトロンボーンがおらず、男性のクラリネットが加わり、ドラムスも変わったようだ。クラリネットはハイトーンを駆使して良いソロを連発して、これはこれですばらしい。

 かれらはニューオーリンズの音楽をベースにしている。というのだが、ディキシーランド・ジャズのフリをしながら、志向しているのはドクター・ジョンの換骨奪胎ではないかと思う。インストの技量もハンパではないが、やはりこのバンドは丸山氏のヴォーカルがキモだ。たぶん何をうたってもすばらしいだろう、第一級のシンガーだ。それこそドクター・ジョンとの共演を聴いてみたい。

 ハイライトはレパートリィの交換でやった〈古い映画の話〉。まるでかれのために書かれた曲だった。ぜひ、何らかの形で録音に残してほしい。丸山氏は英語もネイティヴなみで、第三部合同演奏での〈ダニー・ボーイ〉には聴きほれた。このうたには近年、奈加靖子版や、トリコロール《うたう日々》でのハンツ・アラキ&コリーン・レイニィ版といった新鮮な解釈が出ているけれど、昨夜の丸山版は正面から突破していて、まだまだこういうことも可能なのだと思い知らされた。

 バンドとしてのハイライトは、一昨年のゴールデン・ウィークに、日本ツアー中に急死したニューオーリンズのトランペッター、Travis Hill に捧げた〈ミスティ〉。

 ヴォーカルといえば、じょんはシンガーとしても昨夜は新生面を見せていて、〈Sweet Forget-me-not〉も良かったが、目を瞠った、というか耳をそばだてたのは、これも合同でやった〈Country Road〉日本語版での歌唱。これでは丸山氏とタメを張っていた。

 それにしてもこうして並ぶと、アメリカ音楽は外向的だ。これはたぶんアメリカの文化の奥深く刻まれた基本的性格なのだろう。アメリカ人たちがアイリッシュやケルトをやるときに、問題になるのはたぶんそこだ。本人たちはおそらく気がついていないから、さらに問題は大きくなる。むろんプラスもあって、『リバーダンス』の成功もそこにある。

 それに比べると日本語ネイティヴの方がアイリッシュ・ミュージックには基本的に合っている。志向性がまったくぴったりではないにせよ、だいたい同じ方を向いている。

 そういうところはこの二つのバンドにも現れていて、ジョンジョンフェスティバルの方が無理がないように聞える。あたしがそちらに慣れていることもあるかもしれないが、それだけではないだろう。ハチャトゥリアンは流れにさからうとまではいかなくても、ある抵抗を排除することに努めているように聞える。アイリッシュをやるのも、ニューオーリンズをやるのも、本質的な違いはないはずだが、日本語ネイティヴがデフォルトで志向する向きとの角度はかなり違うようだ。

 演る方はともかく、聴く方としては、この対比はまことに面白い。それにはこの二つが、方向性は離れているとしても、波長は同じであるらしいことも作用している。アイリッシュ・ミュージックとの、あるいはニューオーリンズ音楽との距離のとり方が似ていると言おうか。

 昨夜のライヴには "Gumbo! & Irish" という名前がついていて、一見正反対に見えるが、意外に相性が良いのではないか。ジャンバラヤでギネスを飲むのも乙ではないか、と思えてくる。次のときには、飲物と料理の方でもそういう試みをしてみたい。

 連休の最終日、さすがに街の人通りは多少減っていたし、Cay に入ったときは、思わず、今日はライヴですよね、と確認してしまったくらい静かだったが、始まってみれば、結構熱心なファンが集まっていたようだ。場所柄か、若いカップルも多かった。そのうち、皆さん、子連れで来てくれるようになるといいな。(ゆ)
 

 今年は「回復」の年だった。回復は一直線にはいかない。良くなかったかと思うと、別のところに災難が噴きだす。悪くなったり、良くなったりを繰り返すうちに、悪くなる程度がだんだん小さくなってくる。ある日、気がついてみると、半年前、1年前に比べると、全体として良くなっている。

 回復はまた信仰でもある。再び良くなることを信ずる。少しずつではあっても、全体として、明日は今日よりも良くなっていると信ずる。おのれのカラダとココロを信ずる。その回復力を信ずる。

 回復はもう一つ、覚悟でもある。以前とまったく同じ状態になることはない、と覚悟する。ディザスターは痕を残す。カラダもココロも変える。変わってしまったものは、元へはもどらない。その変化を受け入れる。変わったカラダとココロと相談し、無理はしない。急がず、ゆっくりと、されど休まず。一歩とは言わない。半歩、あるいは5センチきざみでずるすると進む。

 そうしてやってきた年の末に、その「努力」へのごほうびをいただいた。自分では「努力」したつもりはなく、ただひたすらもっと楽になりたいと、毎日やるべしと思ったことを続けてきたにすぎない。それでいいのだと言われた、おまえのやっていること、やってきたことはそれでいい、それをこれからも続けよと言われた、という方が近いのだろう。

 ごほうびをくれたのは、直接にはジョンジョンフェスティヴァルハチャトゥリアン楽団だけど、たぶん、ほんとうにくれたのは「音楽の神様」なのだ。この国の伝統からいえば弁財天、元はヒンドゥーのサラスヴァティー。かれらの音楽がもととしている伝統からすればムーサイ。

 人間には様々な定義があるが、最も基本的なところでいえば、人間は音楽する存在だ。「言語」や「社会」は、地球上の他の生きものたちも使う。音楽するのは人間だけだ。何の役にもたたない、ただただ楽しく時を過ごすやり方。人間は音楽をしなくては生きていけず、音楽なくしては人間ではなくなる。それで人間以上になれるわけではない。この場合、人間が人間でなくなるというのは、生きものとしてのレゾン・デートルを失うことだ。音楽を失えば、ヒトは滅びる。

 その音楽をわれらに与えてくれた神様はまた心の広い方でもあって、ぼくのようなちっぽけな存在にもごほうびをくださる。

 まずはジョンジョンフェスティヴァル。JJF のセカンドが《歌とチューン》と題されているように、かれらはうたにこだわる。わが国のアイリッシュ・バンドはインスト志向だ。わが国だけではなくて、北米などでも傾向は同じ。アイリッシュ・ミュージックの魅力はまずチューンにあらわれる。その中で、JJF はうたにこだわる。といってとびぬけたうたい手がいるわけではない。だからそのうたは手探りだ。

 今回はトシさんがうたった。正直、リハ不足だ。実際、急に決めたらしい。しかし、今、この時に、この場でこのうたをうたいたい、うたわずにはいられない。その想いはよくわかる。むしろリハ不足のところに、やむにやまれぬ想いが現れる。ここが音楽の玄妙なところ。空っぽのまま上手にうたわれるよりも、ずっと実がこもる。

 一方でじょんはうたもうまくなった。録音ではまだ頼りないところもあるが、もうすっかりうたが板についている。ちゃんとうたいおさめられるか、はらはらどきどきすることもない。ゆったりとうたに身をゆだねられる。

 母の胎にいるときからうたっていました、というような人ではない人たちが、手探りでうたいつづけるのを見、聴くのは嬉しい。アイリッシュ・ミュージックをベースにする音楽家たちが、日本語でうたうことにこだわるのを見、聴くのは嬉しい。この JJF の姿には、今年の総決算がこもっていた。

 ハチャトゥリアン楽団を見るのは初めてで、したがって、その音も一切聴かないまま、ライヴに臨んだ。予測もあえてしなかった。そうして、かれらはまた新しい世界を開いてくれたのだった。

 白紙で臨んだものの、ニューオーリンズの古い音楽、という看板から反射的に連想するものはあった。それをかれらはあっさりと、いとも簡単にとびこえ、独自の音楽を展開してみせた。ちょうど、JJF がアイリッシュから出発し、基本的な語彙と語法を依拠しながら、独自の音楽を展開しているように。

 まず、上手い。5人のメンバーの各々としても、バンドとしても、とんでもなく上手い。テクニックの点では JJF がかすむほど上手い。そして、カッコいい。上手いことは、どんな素人にも一目瞭然ではあっても、その上手さが鼻につかない。一直線にカッコいい。

 トロンボーンとトランペットがフロントだが、ブラス・バンドではない。むしろポスト・モダンと呼びたいスタイルだ。バンジョーは鮮かなソロもとり、そして、ちょっとルイ・アームストロングを思わせるダミ声で、心にくいばかりのうたを披露する。チューバはチャンスを与えられれば、踊りながら吹いてみせる。そしてシュアにビートをキープしながら遊びまくるドラムス。これはもう新世紀の音楽ではないか。

 伝統へのリスペクトはゆるぎないが、一方でそこにとらわれることもない。奔放に、そして細やかに、ヴァーチャルなニューオーリンズの宇宙を築いてみせる。そのカッコよさ。

 フロントの二人が女性、というのも、かれらにとってはごくあたりまえ、まったく何の不思議もないことではあるのだろう。しかし、ぼくの眼には、新鮮で、まぶしく、美しく映る。

 そうして、この二つの有機体が一体となって見せてくれた世界の豊饒さ。これがあるから、これを聴けるから、これを体験できるから、人は生きていけるのだ。

 ザムザを埋めたお客さんたちは20代から30代、半分以上が女性。ぼくなどは最年長だ。オヤジどもは、いつまでも「ナツメロ」にひたらずに、これを聴け。今の、最先端の音楽がここにある。

 かくて波瀾万丈の2012年は暮れる。おそらくはさらに波瀾万丈の年が明けようとしている。それでもこれがあれば大丈夫。この音楽を続けてくれれば大丈夫。生きのびることができるだろう。崖っ縁の綱渡りを続けることができるだろう。

 ありがとう、ジョンジョンフェスティヴァル。ありがとう、ハチャトゥリアン楽団。あなたがたの上にも、音楽の神様の祝福あれ。(ゆ)

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