クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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08月12日・金
 Penguin の サイトで、Tik Tok 内の #booktok がパンデミックによるロックダウン以後のこの2年で出版界に革命を起こしているということで、フォロワーが多く、投稿も面白い数人の自宅を訪問して本人に会ってみたの記事は面白い。日本語 tik tok ではこういう現象は無いらしい。日本語文学を紹介しているユーザーが出てくる。



 日本語ネイティヴの若者は活字を読まないか。もっとも中年、老人はもっと読まないな。英語ネイティヴの方が活字を読む量が多いのは確か。日本語は漢字かな混じり文で、「絵」としての漢字を拾えば、だいたいの内容はとれる。マンガはこれを拡張したものだ。漢字が絵、かながネームだ。そのせいか、活字中毒者は稀だ。表音文字はとにかく一語一語読まねば意味を取れないから、その文化に育った人は文字を読む癖がつく。活字中毒になりやすい。

 韓国はハングルばかりになって、ほぼ表音文字だけになったわけだが、漢字を使っていた頃に比べて活字を読むようになったのだろうか。

 #booktok に集まり、また発信しているのは女性が圧倒的らしい。ここでも男性は一人だけだ。また #booktok でバズって、ベストセラーとなる本には、多様性をキーワードとするものが多いこともわかる。ここに登場するのにも、ナイジェリア、インド、中東、ソマリアをルーツとする人びとがいる。文化、言語、種族、または LGBT、あるいはそうしたものが混淆したもの、しかもそれらに限られない多様性。彼女たちは発信者だが、同時に #booktok のコミュニティから学ぶことも多いと口をそろえる。自分は多様な本を読むと思っていても、世の中にはさらに多様な書き手、多様な世界があると教えられる。

 読書によって映画や SNS やマンガなどには不可能な体験ができることも繰返し語られる。テレビ画面を見るときには、まずたいていは片手にスマホを持っているが、本を読む時には電話も置き、集中することができる。幼ない頃から転居を、それも国境を超える転居を繰返して、ADHD と診断された人にとって、どっしりと落着いて、安定できる環境を本を読むことは提供する。あるいは、本を読むときには、そこから自分だけの、オリジナルの「映画」を作ることができる。好きなキャストで自分が監督になって、どんな CG でも不可能な映像を思い描くことができる。自分だけが見ることができるし、人が違えば同じ本から違う「映画」が、その人だけの「映画」ができる。それって、魔法と呼んでもいいものじゃないか。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月12日には1966年から1991年まで7本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。共演ジェファーソン・エアプレイン。セット・リスト不明。

2. 1967 Grande Ballroom, Detroit, MI
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。共演 Rationals, Southbound Freeway, Bishops, Ashmollyan Quintet。セット・リスト不明。

3. 1972 Sacramento Memorial Auditorium, Sacramento, CA
 土曜日。前売4.50ドル。開演7時半。
 この年の夏に悪いショウは無し。

4. 1979 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 日曜日。9.35ドル。開演7時。この年だけは単独だが、当初3日間の予定だったのが、後の2日は雨で会場が変更になった。こういう屋外のヴェニューでのショウは雨天決行が普通だが、あまりに雨がひどかったらしい。ここでのショウの常として、ごく出来の良いショウのようだ。
 第二部5曲目〈Estimated Prophet〉が《So Many Roads》でリリースされた。
 確かにベスト・ヴァージョンの一つ。間奏のガルシアのギターがまず聴かせる。ウィアが歌をフェイドアウトさせる後ろでミドランドが電子ピアノでぱらぱらと音を散らすようにソロをとり、そのまましばらく続ける。こういう芸当は彼にしかできない。その後を引きとるガルシアに、レシュ、ウィアも加わって、バンド全体のすばらしいジャムになる。《So Many Roads》ではフェイドアウトだが、いずれ全体をリリースしてほしい。

5. 1981 Salt Palace, Salt Lake City, UT
 水曜日。07月14日以来のショウ。夏のツアーのスタート。
 第二部クローザー近く〈Morning Dew〉を歌いながら、ガルシアはずっと涙を流し続けた。頬をつたい落ちる涙が2本の川のようだった。

6. 1987 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。17ドル。開演7時。
 とりわけ第一部の流れが自然なのと、第二部後半に聴き所が多いそうな。

7. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。22.50ドル。開演7時。06月28日以来のショウ。ここで3日間、ショアライン・アンフィシアターで3日間やり、09月初旬から秋のツアーに出る。
 1ヶ月半の間があいた割には、エンジンのかかりは良く、第一部クローザー前の〈Bird Song〉からはすばらしい出来の由。(ゆ)

06月27日・月
 最近、WiFi の調子が今ひとつ悪い。ウエブ・サイトが表示されても、画像が出なかったりする。WiFi を一度切ってまた入れると出てくる。ルータが悪いのではないかと、新しいのを買ってきてつないでみる。ところがフレッツ光のモデムが認識しない。古いルータに戻すとちゃんと認識する。考えてみたら、ウチはBフレッツでずっと変えていないのだった。もうそんなサービスは NTT のサイトでも出てこない。

 そこで現行のものに変えられるのか、確認しようとしたが、NTT東日本の電話は全然つながらない。電話ではウエブ・サイトも見てくれ、と言うのだが、ウエブ・サイトを見ると、問合せはここへ電話しろとフリー・ダイアルの番号が表示される。そこへ電話して、まったくダメである。あちこち探して、メールでの問合せページを見つけて送ってみた。その返事が木で鼻をくくったように、ここへ電話しろとまたフリー・ダイアルの番号が示される。メールで問い合わせる方法は無い、とも言う。

 やはり、どこか勘違いしてるんじゃないか。それとも、大男、総身に知恵が回りかね、を地で行っているのか。あるいは、いまさらBフレッツなんぞ契約しているようなヤツはいちいち相手にしてられねえ、ということか。

 ということで、ちょうどチラシが入ってきた KDDI を試してみるか、という気になる。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月27日には1969年から1995年まで8本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1969 Veterans Auditorium, Santa Rosa, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。3ドル。ポスターが読みにくい。1時間半の一本勝負。
 7曲目の〈Dire Wolf〉が《The Golden Road》所収の《Workingman's Dead》のボーナス・トラックでリリースされた。ここではウィアがヴォーカルをとっている。ガルシアはペダルスティールに専念。ガルシアは1曲目〈Ol' Slewfoot〉とクローザー〈Green Green Grass Of Home〉でもペダルスティール。〈Ol' Slewfoot〉に NRPS の  Peter Grant がバンジョーで参加。
 サンタ・ローザはサンフランシスコの北北西70キロほどの街。

2. 1970 Canadian National Exhibition Hall, Toronto, ON, Canada
 土曜日。前売14カナダ・ドル。当日16カナダ・ドル。有名な Trans Continental Pop Festival の一環。カナダのトロントからヴァンクーヴァーまで列車を仕立て、ミュージシャンたちを乗せて、行く先々でフェスティヴァル形式でコンサートを開く、という企画。結局途中で中断してしまうが、中断するまでの間の列車の中は四六時中音楽のパーティー状態で、参加したミュージシャンたちは生涯最高の体験と口を揃える。この時の模様は《Festival Express》としてビデオが出ている。

Festival Express
Festival Express
Shout Factory
2014-02-11



 参加したミュージシャンとしてポスターに掲げられているのは
ザ・バンド
ジャニス・ジョプリン
デラニー&ボニー&フレンズ
グレイトフル・デッド
エリック・アンダースン
テン・イヤーズ・アフター
トラフィック
イアン&シルヴィア&ザ・グレイト・スペクルド・バード
シャ・ナ・ナ
バディ・ガイ
トム・ラッシュ
ジェイムズ&ザ・グッド・ブラザーズ
Buckstone Hardware
シー・トレイン

 Buckstone Hardware は1967年にトロントの北200キロほどの街 North Bay で結成された。当初はカルテットで The Riffkin と名乗り、5人目を加えてこの名前に改名。1969年初めにトロントに移り、シングルを1枚発表。このフェスティヴァルに参加したのがキャリアのピークらしい。

 デッドにとっても影響は大きく、これで音楽への姿勢が変わったとも言われる。形として最も明瞭なのが〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉で、この時、列車の中でガルシアがデラニー・ブラムレットから習い、レパートリィの定番として300回近く演奏されることになる。

 この日と翌日、トロントでの公演があり、デッドのパートの一部のテープが残っている。デッドはトラックの荷台でアコースティック・セットを無料でやったという証言もある。


0. 1974 From The Mars Hotel release
 この日《Grateful Dead From The Mars Hotel》が発売。バンド7作目のスタジオ盤。Grateful Dead Records として2枚目。

From the Mars Hotel (Dig)
Grateful Dead
Grateful Dead / Wea
2006-03-07



 ジャケットに上下逆様にして反転したレタリングで "Ugly Rumours" という文句が印刷されている。このアルバムの別称としてこれが使われることがある。イラストは Mary Ann Mayer。

 The Mars Hotel はアルバムを録音したサンフランシスコの CBS スタジオの近くにあった建物。これを取り壊す映像が The Grateful Dead Movie の中にある。
 このスタジオは元々は Coast Recorders というスタジオで、デッドは1967年にここで〈The Golden Road (To Unlimited Devotion〉のシングルを録音している。その後、CBS が買取り、改修して使っていた。ガルシアはこの年、アート・ガーファンクルの《Angel Clare》の録音セッションで、ここで演奏したことがあった。

 録音は1974年03月31日から04月19日にかけて行われた。エンジニアは Roy Segal。シーガルは1960年代末から活動していたエンジニア。有名なところではビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーの《Cheap Thrill》を手掛けた。ローラ・ニーロ、スライ&ザ・ファミリー・ストーンなども担当している。

 ミュージシャンのクレジット。
Jerry Garcia - lead guitar, vocals
Bob Weir - guitar, vocals
Phil Lesh - bass, vocals
Keith Godchaux - keyboards
Donna Jean Godchaux - vocals
Bill Kreutzmann - drums

With;
Ned Lagin - synthesizer (on Unbroken Chain)
John McFee - pedal steel (on Pride Of Cucamonga)


 トラック・リスト。
A面
U.S. Blues;(Hunter/Garcia)
China Doll;(Hunter/Garcia)
Unbroken Chain;(Lesh/Peterson)
Loose Lucy;(Hunter/Garcia)

B面
Scarlet Begonias;(Hunter/Garcia)
Pride of Cucamonga;(Lesh/Peterson)
Money Money;(Weir/Barlow)
Ship of Fools;(Hunter/Garcia)

 このアルバムにも録音されながら落とされた曲は無い。

 初演年月日順
China Doll 1973-02-09
Loose Lucy 1973-02-09
U.S. Blues 1974-02-22
Ship of Fools 1974-02-22
Scarlet Begonias 1974-03-23
Money Money 1974-05-17
Unbroken Chain 1995-03-19

 〈Pride of Cucamonga〉はデッドのライヴでは演奏されず。ポスト・デッドの様々なバンドではライヴで演奏されている。

 終演年月日順
Money Money 1974-05-21
China Doll 1994-10-11
Ship of Fools 1995-06-25
Scarlet Begonias 1995-07-02
Loose Lucy 1995-07-05
U.S. Blues 1995-07-08
Unbroken Chain 1995-07-09

 演奏回数順。
U.S. Blues 332
Scarlet Begonias 314
Ship of Fools 225
China Doll 114
Loose Lucy 98
Unbroken Chain 10
Money Money 3
Pride of Cucamonga 0

 〈Money Money〉は3回しか演奏されていないが、その3回とも公式リリースで出ている珍しい例。

 どの曲も悪くなく、曲調や性格もヴァラエティに富み、アレンジや演奏もしっかりしていて、当時のポピュラー音楽のアルバムとして、むしろ質は高い方と思われる。チャートでは Pop Album 年間で16位だから、まったく売れなかったわけでもない。この年、対抗馬となりそうなのはバッド・カンパニーのデビュー・アルバムと、クラプトンの《461 Ocean Boulvard》だが、前者はともかく、後者ではこちらの方が出来は良い、とあたしなどは思う。もっとも、クラプトンは《レイラ》以外、良いと思ったもことは無いけれど。

 デッドの音楽が不思議なのは、ライヴでは熱烈なファンを早い時期から獲得しながら、〈Touch of Grey〉までヒット曲が出ていないことだ。デッドの音楽はアメリカの若者の心の琴線に触れる、それも単に触れるだけではなくて、線が切れるかと思えるほど揺らすものがある一方で、表向きの楽曲としてはポピュラーなものにならなかった。ここに収められた曲も、〈Money Money〉と〈Pride of Cucamonga〉を除いて、ショウのレパートリィとしてはいずれも人気が高い。演奏回数の少ない〈Unbroken Chain〉にしても、デッドヘッドの非公式アンセムとされて、これをライヴで聴くことはデッドヘッドにとって長年の夢だった。

 むろん、スタジオ版はライヴ版に比べるべくもないにせよ、デッドのショウには行かないが、その音楽は好きだ、という人間がもっといてもいいとも思える。実際にそういう人も皆無ではないが、しかしごく少数のようだ。

 それはなぜか。スタジオ盤の質がはっきり悪いならば別だが、同じ条件であるはずの他のアルバム、たとえばそれこそ《461 Ocean Boulvard》は1位になり、こちらはならないのは、知名度の違いだけなのか。

 ベストセラーの1位になるような音楽、あるいは本でも、映画でも、飛び抜けて大量に売れるものは、どこかで媚びている。と言うときつすぎるかもしれないが、想像力をとことんまで解放してはいないところがある。ポール・マッカトーニーのように、そもそもとことんまで突きつめるということができないが、それでも質の高い作品を生む人もいるから、突きつめることがいつもベストであるわけではない。しかし、デッドのようにとことんまで突きつめることができ、それを生き甲斐としているクリエイターが突きつめない、あるいは突きつめられないでできた作品は、訴える力が弱くなる、それも自乗に反比例して弱くなる、のかもしれない。

 デッドはスタジオではとにかく窮屈でしかたがなかった。押し込められ、伸び伸びできないと感じていた。ライヴではとことんまで行けるが、スタジオでは行けなかった。突きつめられなかった。

 再びクラプトンにご登場願えば、かれは寸止めの名人である。Apple も同じくらい寸止めの名人だ。どちらも、最後の一分を残す。人はそこに安心する。とことん突きつめて尖ってしまったものを前にすると、たいていの人は退く。デッドのショウはとことん突きつめて、その向こうに飛び出してしまう。それは共感できる人間にとってはたまらない解放感を与える。人生をそこで変えるほどの解放感を与える。いつもそれが起きるわけではない。しかしいずれ起きることはわかっているから、デッドヘッドはできるかぎりたくさんのショウを見ようとする。1990年代への不満は、「それ」が起きる頻度が従前に比べてずっと減ると感じたからかもしれない。


3. 1976 Auditorium Theatre, Chicago, IL
 日曜日。このヴェニュー4日連続のランの2日目。6.50ドル。

4. 1983 Poplar Creek Music Theatre, Hoffman Estates, IL
 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演8時。
 かなり良いショウの由。

5. 1984 Merriweather Post Pavilion, Columbia, MD
 水曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演6時。
 この年ベストの1本らしい。

6. 1985 Saratoga Performing Arts Center, Saratoga Springs, NY
 木曜日。9ドル。開演8時15分。
 第一部クローザーの〈Hell In A Bucket > Don't Ease Me In〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 すばらしいショウのようだ。

7. 1987 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演4時。
 第一部6曲目〈Just Like Tom Thumb's Blues〉は聴衆からの "We want Phil!" に対して、「わかった、今日だけな」と言って演奏した。
 このランのベストのショウとも言われる。

8. 1995 The Palace, Auburn Hills, MI
 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。27.50ドル。開演7時。
 第一部クローザー前の〈Eternity〉でウィアがアコースティック・ギター。
 オープナーの2曲〈Greatest Story Ever Told〉〈Bertha〉はこれが最後。(ゆ)

1208日・水

 A&Cオーディオのヒッポさんが Diretta を誉めているので、どんなものかと調べてみる。しかし Mac ユーザにはなかなか敷居が高いと判明する。

 あたしなりに整理すると、 Diretta はイーサネットで外部記憶装置内の音源ファイルを送りだす際の伝送技術だ。当然ながら、送り手側と受け手側の両方で Diretta をサポートしている必要がある。

 イーサネット・ポートを備えた DAC LAN DAC とかネットワーク・トランスポートとか呼ばれる。このジャンルで Diretta に対応しているのはスフォルツァートのみ。もう一社、イタリアのメーカーも対応しているそうだが、国内販売は無い。

 その他の世に出ている大多数の DAC にはイーサネット・ポートは無いし、あっても Diretta をサポートしてはいないので、イーサネットを USB に変換するブリッジが必要になる。このブリッジは SPEC とオリオスペックから出ている。 ヒッポさんは SPEC のブリッジを試して、CDP よりも音が良くなった、と認めている。

 上流、音源としては外部記憶装置または Windows PC が必要になる。Mac 用の HOST ドライバは開発中というのが2年半前の話。その後、どうなったのか、検索しても出てこない。2年経っても何も出てこないのは、開発できなかったのだろう。

 となると、Mac ユーザとしては対応する外付記憶装置に頼ることになるが、IOデータの fitada または Soundgenic しか無い。

 第1の問題は fitada/ Soundgenic のものはルータに有線でつなぐ必要があること。つながないと再生やコントロールできない。ルータまで延々ケーブルを引き回す必要がある。無線ルータが無意味になる。あるいは親子システムが必要になる。Soundgenic にはネットワーク・コネクタは1個しか無いから、別途ハブが必要になる。この点、Soundgenic のサイトのイラストは誤解を招きやすい。fitada Music App をインストールした iOS/Android 機器であたかも無線で直接コントロールできるように描いているが、実際には Soundgenic をルータにつなぎ、そのルータと iPad などを無線でつなぐ必要がある。

 問題の二つ目、ハード・ディスクは使っているうちにクラッシュすることを覚悟しておかなければならないが、fitada Soundgenic のハード・ディスクは特別製でおいそれと交換はできない。fitada SSD もあるが、最大2TB 60万超。今や 1TB マイクロSDカードが1.5万の時代なのだ。2TB SSD が入ったものになんで60万も出さねばならんのだ。いい音の環境を追求するというよりも、ハード・ディスクや SDD をいかに高く売るかを追求した製品のように見えてくる。

 こうなると Diretta は音は良いかもしれないが、現状ではカネと手間暇かける価値は無い、と結論せざるをえない。これなら、Mac で再生したい音源は AirPlay で飛ばして、対応する DAP なりストリーマなりで受けて、好みの DAC に入れた方が遙かに手間がかからずに音楽が楽しめる。聞き比べてみれば音は違うとしても、比較せずに聴く分には十分満足できるし、それなりに音を良くするためにいろいろ遊ぶこともできる。

 まあ、オリオスペックないし他のメーカーがマイクロSDカードやそれに準ずるメディアを使って、もっと安価で無線で直接コントロールできる Diretta 用音源装置を出せば、また検討の余地は出てこよう。

 Windows PC の代わりにラズパイないし専用コンピュータでもいいわけで、オリオスペックは Diretta 用コンピュータやラズパイを出していたが、コンピュータは販売終了、ラズパイは品切れ納期未定になっている。

 Windows PC を買えって? バカ言え、あの醜い画面を見たくないから Mac を使っているのだ。あの画面を見ただけで、せっかくの音楽が台無しだ。


 しかし、そう、デジタル・アウトだけ装備した DAP をどこか作ってくれないものか。好みの DAC につなぐためのもので、本体に再生機能はなくていい。サイズは多少大きくてもいいから、マイクロSDカード・スロットを複数備えたもの。最大で8枚くらいは欲しい。その読み出しと出力にハイエンド級の物量やシステム(例えば USB Bulk Pet 転送。これって転送するデータの量と速度を一定にするという点では Diretta と同じでないの?)を投入したもの。スマホやタブレットのアプリで再生やコントロールをする。だから本体にコントロール画面は無くていい。AirPlay サポート。マイクロSDカードは装着したままファイルの出し入れもできる。ライブラリは全部一括して扱える。値段は、そうなあ、10万以内。5万ならベスト。そんなもの、誰も買わん、かねえ。



##本日のグレイトフル・デッド

 1208日には1973年から1994年まで、5本のショウをしている。公式リリースは1本。


1. 1973 Cameron Indoor Stadium, Duke University, Durham, NC

 前売5ドル、当日6ドル。開演7時。第一部クローザー一つ手前の〈Weather Report Suite〉が2011年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 2011年にはまだあたしはデッドにハマっていないので、この年の《30 Days Of Dead》は持っていない。全体として良いショウとのこと。


2. 1989 Great Western Forum, Inglewood, CA

 3日連続このヴェニューでの初日。19.50ドル。開演8時。

 イングルウッドはロサンゼルス国際空港のすぐ東、大ロサンゼルスの一角。ヴェニューは19671230日にオープンした多目的屋内アリーナで、収容人数は17,500。屋内に柱の無い構造で、このサイズのアリーナとしては最初のもの。1966年から1999年まで、NBA のロサンゼルス・レイカーズの本拠地として、東のマディソン・スクエア・ガーデンと並び称されるスポーツ会場だった。2012年、西のコンサート拠点として開発する意図でマディソン・スクエア・ガーデンを所有する会社が買収したが、2020年、NBA のロサンゼルス・クリッパーズのオーナーがさらに買収している。現在は単に The Forum と呼ばれる。

 デッドはここでこの年の2月と12月の2度、3連チャンをしている。


3. 1990 Compton Terrace Amphitheatre, Chandler, AZ

 2日連続の2日目。21ドル。開演1時。

 セット・リストを除くそれ以外の情報無し。


4. 1993 Los Angeles Sports Arena, Los Angeles, CA

 25ドル、開演7時半。ポスターによればロサンゼルス、サンディエゴ、オークランドのミニ・ツアー。ロサンゼルスはこの日から3日間。

 セット・リストを除くそれ以外の情報無し。


5. 1994 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 27.50ドル、開演7時。

 第一部クローザー前の〈Eternity〉で、ウィアがアコースティック・ギター。

 セット・リストを除くそれ以外の情報無し。(ゆ)


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