クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ノルディック

 今年の録音のベストは『ラティーナ』のオンライン版に書いたので、そちらを参照されたい。

 今年最後の記事は、今年見て聴いたライヴのうち、死ぬまで忘れえぬであろうと思われるものを挙げる。先頭は日付。これらのほとんどについては当ブログで書いているので、そちらをご参照のほどを。ブログを書きそこねた3本のみ、コメントを添えた。

 チケットを買っておいたのに、風邪をひいたとか、急な用件とかで行けなくなったものもいくつかあった。この年になると、しっかり条件を整えてライヴに行くのもなかなかたいへんだ。


01-07, マタイ受難曲 2023 @ ハクジュ・ホール、富ケ谷
 shezoo さんの《マタイ》の二度目。物語を書き換え、エバンゲリストを一人増やす。他はほぼ2021年の初演と同じ。

 どうもこれは冷静に見聞できない。いつものライヴとはどこか違ってしまう。どこがどう違うというのが言葉にできないが、バッハをこの編成で、非クラシックとしてやることに構えてしまうのか。いい音楽を聴いた、すばらしい体験をした、だけではすまないところがある。「事件」になってしまう。次があれば、そしてあることを期待するが、もう少し平常心で臨めるのではないかと思う。





05-03, ジョヴァンニ・ソッリマ、ソロ・コンサート @ フィリアホール、青葉台
 イタリアの特異なチェロ奏者。元はクラシック畑の人だが、クラシックでは考えられないことを平然としてしまう。この日も前半はバッハの無伴奏組曲のすばらしい演奏だが、後半はチェロで遊びまくる。もてあそばれるチェロがかわいそうになるくらいだ。演奏の途中でいきなり立ちあがり、楽器を抱え、弾きながらステージを大きく歩きまわる。かれにとっては、そうしたパフォーマンスもバッハもまったく同列らしい。招聘元のプランクトンの川島さんによると、本人曰く、おとなしくクラシックを演っていると退屈してくるのだそうだ。世には実験とか前衛とかフリーとか称する音楽があるが、この破天荒なチェロこそは、真の意味で最前衛であり、どんなものにも束縛されない自由な音楽であり、失敗を恐れることなどどこかに忘れた実験だ。音楽のもっているポテンシャルをチェロを媒介にしてとことんつき詰め、解放してゆく。と書くと矛盾しているように見えるが、ソッリマにあっては対極的なベクトルが同時に同居する。そうせずにはいられない熱いものが、その中に滾っている。感動というよりも、身も心も洗われて生まれかわったようにさわやかな気持ちになった。









09-18, 行川さをり+shezoo @ エアジン、横浜
 恒例 shezoo さんの「七つの月」。7人の詩人のうたを7人のうたい手に歌ってもらう企画の第5夜「月と水」。

 行川さんの声にはshezoo版《マタイ受難曲》でやられた。《マタイ》のシンガーの一人としてその声を聴いたとたんに、この声をいつまでも聴いていたいと思ってしまった。《マタイ》初演の時のシンガーの半分は他でも見聞していて、半分は初体験だった。行川さんは初体験組の一人だった。初演の初日のあたしの席はステージ向って右側のかなり前の方で、そこからでは左から2番めの位置でうたう行川さんの姿は見えるけれども顔などはまるで見えなかった。だから、いきなり声だけが聞えてきた。

 声にみっしりと「実」が詰まっている。実体感がある。振動ではなく、実在するものがやってくる。同時によく響く。実体のあるものが薄まらずにどんどんふくらんでゆく。行川さんの実体のある声があたしの中の一番のツボにまっすぐにぶつかってくる。以来、shezoo版《マタイ》ときくと、行川さんのあの声を聴けることが、まず何よりの愉しみになった。

 《マタイ》や《ヨハネ》をうたう時の行川さんの比類なく充実した声にあたしは中毒しているが、それはやはり多様な位相の一つでしかない。というのは「砂漠の狐」と名づけられたユニット、shezoo さんと行川さんにサックスの田中邦和氏が加わったトリオのライヴで思い知らされたし、今回、あらためて確認させられた。

 行川さんの声そのものはみっしり実が詰まっているのだが、輪郭は明瞭ではない。器楽の背景にくっきりと輪郭がたちあがるのではない。背景の色に声の色が重なる。それも鮮かな原色がべったりと塗られるのではない。中心ははっきりしているが、縁に向うにつれて透明感が増す。声と背景の境界は線ではなくグラデーションになる。一方でぼやけることはない。声は声として明瞭だが、境界はやわらかくゆらぐ。やわらかい音の言葉はもちろんだが、あ行、か行、た行のような強い音でもふわりとやわらかく発せられる。発声はやわらかいが、その後がよく響く。あの充実感は倍音の重なりだろうか、響きのよさの現れでもあると思われる。余分な力がどこにも入っていないやわらかさといっばいに詰まった響きが低い声域でふくらんでくると、ただただひれ伏してしまう。

 やわらかさと充実感の組合せは粘りも生む。小さな声にその粘りがよく感じられる。そもそも力一杯うたいあげることをしない。力をこめることがない。声は適度の粘りを備えて、するりと流れだしてくる。その声を自在に操り、時には喉をふるわせ、あるいはアラビア語風のインプロを混ぜる。

 shezoo さんの即興は時にかなりアグレッシヴになることがあるが、この柔かくも実のしまった声が相手のせいか、この日は終始ビートが明瞭で、必要以上に激さない。行川さんによって新たな側面が引きだされたようでもある。

 行川さんにはギターの前原孝紀氏と2人で作った《もし、あなたの人生に入ることができるなら》という傑作があるが、shezoo さんとのデュオでもぜひレコードを作ってほしい。





12-17, アウラ、クリスマス・コンサート @ ハクジュ・ホール、富ケ谷


 来年がどうなるか、あいかわらずお先真暗であるが、だからこそ生きる価値がある。Apple Japan合同会社社長・秋間亮氏の言葉を掲げておこう。

「5年後のことを計画する必要はない。自分がいま何に興味を持ち、何に意欲を燃やしているかに集中すればいい」

 おたがい、来年が実り多い年になりますように。(ゆ)

 告白するとフリスペルはまったく知らなかった。これが二度目の来日というのに驚いた。どうしてこのライヴのことを知ったのか、つい先日のことのはずだが、もう忘れている。とまれ、とにかく知って行ったのは嬉しい。これもまた呼ばれたのだ。呼んでくれたことに感謝多謝。そしてこの人たちを招いてくれたハーモニー・フィールズにも感謝多謝。

 もう一つ告白すれば、このライヴに行こうと思ったのは、渡辺さんが出るからでもあった。この前かれのライヴを見たのは、パンデミック前だから、もう3年以上前になるはずだ。ドレクスキップ以来、ナベさんの出るライヴはどれもこれも面白かったから、見逃したくない。共演の新倉瞳氏はあたしは知らなかったが、チェロは好きだから、これまた歓迎だ。

 ほぼ定刻、二人が出てきて背後の仏像に一礼、客席に一礼して位置につき、いきなりナベさんがなにやら金属の響きのするものを叩きだした。音階の出せる、平たいものを短かい撥らしきもので細かく叩く。うーん、芸の幅が広がっている。後ではハマー・ダルシマーまで操る。操る楽器の種類が増えているだけではないことは、曲が進むにつれてどんどんあらわになっていった。

 ひとしきり演ってから、やおらチェロがバッハの〈無伴奏チェロ組曲〉第1番を弾きだしたのにまずのけぞる。すばらしい響きだ。演奏者の腕と楽器とそしてこの場の相乗効果だろう。するとそこにナベさんがどんとからんだ。その音の鋭さにまたのけぞる。もうのけぞってばかりいる。こりゃあ、面白い。この二人の「前座」が終って休憩になったとき、隣にいた酒井絵美さんが、「うわあ、面白い。これだけで来た甲斐がありました」と言ったが、まったく同感とうなずいたことであった。

 それにしてもナベさんの音のシャープなこと。音の鋭さではふーちんが一番だと思っていたが、こうなってくるとどちらが上とも言えない。

 曲はバッハの後はナベさんのオリジナルが二つ。一つは雨上がりのまだ木の枝や草の葉の先から雫が垂れているときの感じ。もう一つは京都からナベさんの故郷・綾部に向かう山陰線が、長いトンネルと深い峡谷の連続を抜けてゆく、その峡谷がくり返し現れる情景を曲にしたもの。それぞれに面白い曲なのに加えて、ナベさんの口パーカッションにもいよいよ年季が入ってきて、表現の幅がぐんと広がり、深くなってもいる。いやもう、こんなになっていたとは、クリシェではあるが「別人28号」の文句が否応なく浮かんできた。

 ナベさんの曲作りのルーツにはケルトや北欧があり、ここの音楽は音の動きが細かい。フィドルが盛んなのは、そのせいもある。その細かい動きをチェロでやるのは大変で、チェロでケルトや北欧をやろうという人は、ヨーロッパでも5本の指で数えられるくらいだ。新倉さんは果敢にこれに挑戦している。演奏する姿を見ると気の毒になるくらいで、だからなるべく見ないようにする。そうすると、いやもう、立派なものではないか。こういう人が出てきてくれるのは嬉しい。というか、こういう人がこういうことをやってくれるのは嬉しい。

 二人のステージの最後にフリスペルのリーダー、ヨーラン・モンソンを呼ぶ。元はといえば、昨年この同じヴェニューでモンソン氏とナベさんのライヴを見た新倉さんがナベさんに電話をかけてきて、そのライヴがいかに凄かったか、さんざんしゃべった挙句、一緒にできないかとぼそっと言ったのが今回のきっかけだったのだそうだ。そのライヴはまったく知らず、見逃したのは残念だが、こうして新たにすばらしいライヴが実現したのだから、文句は言えない。

 トリオでやるのはスウェーデンの伝統曲。モンソンさんは例のコントラバス・フルートを持ちだす。とても楽器とは見えないシロモノだが、この人の手にかかると、まさに低音の魅力をたっぷりと味わわせてくれる。クリコーダー・カルテットのコントラバス・リコーダーも似たところがある。あちらはヨーロッパに実際にあったものらしいが、こちらはモンソンさんのオリジナル、のはずだ。クリコーダーのはどちらかというとドローン的な役割だが、モンソン流はよりダイナミックで時にアグレッシヴですらある。そして、この演奏も「ロック調」と本人が言うとおり、即興も加えたたいへんに面白いものだった。

 フリスペルとは要するにスウェーデン版のクリコーダー・カルテットではないか、と後半を見てまず思った。むろん、相当に異なる。まずカルテットではなくトリオだし、今回はとりわけサポートでパーカッションが入っている。一方で笛を操って千変万化、おそろしく多様で多彩、かつオーガニックな音楽を聴かせるところは共通する。なによりも遊びの精神たっぷりなのが似ている。

 前半最後のトリオでの演奏であらためて気がついたのは、ヨーラン・モンソンという人は遊ぶのがうまいのだ。それも自分が遊ぶだけでなく、他人をのせて一緒に遊ぶのがうまい。見ていて思い出したのはフランク・ロンドンだ。もう四半世紀の昔、セネガルのモラ・シラと来て、梅津和時、関島岳郎、中尾勘二、桜井芳樹、吉田達也と新宿のピット・インでやった時のあの遊ぶ達人ぶりが髣髴と湧いてきた。もう6年前になる、ジンタらムータとのライヴもなんともすばらしかった。そのロンドンと同じくらい、モンソンのミュージシャンとしての器は大きく、音楽で遊び、遊ばせる点でも同等の達人だ。このフリスペルはそのモンソンがバンドとして一緒に遊ぶために作ったのだろう。サポートの打楽器奏者も、かれが選んだだけのことはある。

 バンドとして遊ぶとなると一期一会とはまた違った工夫が必要になろう。ここで鍵を握っているのはアンサンブルではめだたない方のアグネータ・ヘルスロームだとあたしは見た。1曲、位置を変えてステージの上手の方に立ったとき、指はまったく動かないのに、音はちゃんと動いているのには驚いた。舌と唇?でやっていたらしいが、ほとんど魔法だ。ディジリドゥーの扱いも堂に入ったもので、インプロまでやってみせる。コントラバス・フルートが2台揃うのを目の前にするのはまた別の感動がある。

 モンソンとともにリードをとるクラウディア・ミュッレルはルーマニアの出身だそうで、彼女のお祖父さんが演っていたという伝統曲はハイライト。2曲のうち、二つ目は森で熊に会ったという、嘘かほんとかわからない話で、パーカッションのイェスペル・ラグストロムが、みごとな日本語のナレーションを入れる。むろん丸暗記だろうが、不自然さはほとんどない。そして、モンソンが日本人女性と日本であげた結婚式でフリスペルが演奏したというウェディング・マーチがまたハイライト。スウェーデンには結婚式のためにウェディング・マーチを作って贈る習慣があるそうで、いい曲がたくさんあるが、これはまた最高の1曲。

 ラグストロムは大小の片面太鼓、カホン、ダラブッカなどに加えて、小型の鉄琴を使う。これがなかなか面白い。膝の上に乗るようなサイズなので、リズムにはおさまらないがメロディにもなりきらない音が出てくる。

 面白い楽器といえば、モンソンが見たこともないものを使っていた。小型の方形の胴の上に4本の鉄弦?を張り、これを木製の太く短かい撥で叩く。これまたリズムともメロディともつかない音が出る。

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 渡辺、新倉が加わっての、スペインはサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼のための音楽もすばらしい。観光バスで回る四国のお遍路とは違って、この巡礼路はわざとなのか、今でもあまり文明化されておらず、巡礼する人はちゃんと歩くらしい。

 二人はラストのダンス・チューン、800年前から伝わる〈La Rotta〉でも参加した。この曲を初めて聴いたのは、イングランドのアルビオン・カントリー・バンドの《Battle Of The Field》1976で、その時から様々な形で聴いているが、この6人によるものはベストといってもよかった。おまけにここではソロを回す。新倉さんがチェロでしっかり即興をするのに興奮する。こういうこともできる人なのね。

 アンコールは、笛3本で始め、低音担当のヘルストロームがモンソンが使っているのよりさらに短く、一段高い音域の笛に持ち替え。最後にラグストロムが、ごく短く、細い、ほとんど楊枝の様な笛を高く鳴らして終わり。会場、大爆笑。

 いやあ、堪能しました。今月はいろいろ忙しくて、ライヴは最小限に絞っているのだが、その中でこういうものにでくわしたのは、まさに大当り。ハーモニー・フィールズの主催するライヴはちゃんとチェックしなくてはいけない。(ゆ)


ヨーラン・モンソン Goran Mansson:リコーダー、パーカッション
アグネータ・ヘルストローム  Agneta Hellstrom:リコーダー、ディジュリドゥ
クラウディア・ミュッレル  Claudia Muller:リコーダー、口琴
​<サポートゲスト>
イェスペル・ラグストロム Jesper Lagstrom:パーカッション

渡辺庸介:パーカッション
新倉瞳:チェロ

5月25日・火 > 最新版 2021-06-10

 頼まれたことから思いついて、ケルト系、北欧系、その他主にヨーロッパのルーツ・ミュージックを志向する国内アーティストでCDないし音源をリリースしている人たちをリストアップしてみる。この他にもいるはずだし、ゲーム関連を入れるとどんと増えそうだが、とりあえず、手許にあるもの。ソロも独立に数えてトータル95。

3 Tolker
Butter Dogs
Cabbage & Burdock
coco←musika
Cocopeliena
Craic
Drakskip
Emme
fiss
Gammal Gran
Handdlion
Hard To Find
Harmonica Creams
hatao
hatao & nami
John John Festival
JungRAvie
Kanran
Koji Koji Moheji(小嶋佑樹)
Koucya
Luft
Norkul TOKYO
O'Jizo
oldfields
Rauma 
Rinka
Satoriyakki
Si-Folk
tipsipuca
Toyota Ceili Band
Tricolor
u-full & Dularinn
あらひろこ
安城正人
稲岡大介
上野洋子
上原奈未
生山早弥香
扇柳トール
大森ヒデノリ
岡大介
岡林立哉
おとくゆる
樫原聡子
風とキャラバン
神永大輔
亀工房
川辺ゆか&赤澤淳
木村林太郎
きゃめる
櫛谷結実枝
熊沢洋子
功力丈弘
五社義明
小松大&山崎哲也
さいとうともこ
酒井絵美
坂上真清
佐藤悦子 勝俣真由美
セツメロゥズ
高垣さおり
高野陽子
田村拓志
ちゃるぱーさ
東京ヨハンソン
豊田耕三
内藤希花&城田じゅんじ
中村大史
奈加靖子
生梅
西海孝
猫モーダル
野間友貴
馬喰町バンド
秦コータロー
服部裕規
バロンと世界一周楽団
日花
ビロビジャン
鞴座
福江元太
ポッロヤキッサ
本田倫子
マトカ
丸田瑠香&柏木幸雄
村上淳志
守安功&雅子
安井敬
安井マリ
山崎明
悠情
遊佐未森
ロバの音楽座

 整理の意味も含めて、全部聴きなおして紹介するか。データベースにもなるだろ。(ゆ)

2021-06-10 改訂
2021-06-08 改訂

2021-06-02 改訂
2021-05-31 改訂
2021-05-28 改訂
2021-05-27 改訂

4月3日・土

 モノを探して書庫をひっくり返すと副産物で Jeff VanderMeer の Dradin In Love 初版著者サイン本が出てくる。どこかで売れるかな。各章の扉として1ページのモノクロ・イラストが挿入されている。クレジット頁によれば Buzzcity Press は The Silver Web という雑誌をメインに出している。シリーズ・エディタは Ann Kennedy となっていて、今のヴァンダミア夫人。いつ、どこで買ったか、まったく覚えがない。出た当時に買っているはずで、Mark V. Ziesing あたりだろうか。この時にはまだまったく海のものとも山のものともわからなかったはずだ。

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 エアコンのリモコンにフィルタ異常と出るので、生協経由で掃除を申し込む。夜、連絡があり。据付を調べると2007年と判明。10年以上経つので部品が無く、故障した場合は直せない。とのことで、キャンセル。買換えを計画せざるをえない。今のところ、まだ動いてはいる。

 散歩の供はまず Ale Moller, Hans Ek, Lena Willemark, Vasteras Sinfonietta, The Nordan Suite。アレ・メッレルとリェナ・ヴィッレマルクが ECM から出した Nordan と Agram の2枚はスウェーデンと言わず、およそルーツ・ミュージックから生まれた最高の音楽のひとつで、これはその続篇というよりも、コンパニオン、対になるアルバムだろう。ECM の2枚は贅肉を削ぎおとした最小限のアンサンブルで、悽愴なまでに美しいが、こちらはフルオケとルーツ楽器、ヴォーカルとの協奏曲の形式による荘厳な作物。どちらも聴くたびに違って聞えるぐらい、おそろしくダイナミックな音楽でもある。

The Nordan Suite
Moller, Ale / Willemark, Lena / Vasteras Sinfonietta
Prophone
2015-01-27


Nordan
Bjorn Tollin
Ecm Import
2000-06-06


Agram
Moller
Ecm Import
2000-06-06



 協奏曲とは言っても、ヴォーカルとフィドル、パイプ、セリフロイト、マンドーラなどをオケが支えるホモフォニーに終っていないところがいい。例によってCDがどこかにまぎれこんで確認できないが、まあ、アレが中心になって編曲しているのだろう。クラシック用とされている楽器、管や弦が水を得た魚のように活き活きとルーツ楽器と対等に五分に渡り合い、ほんもののポリフォニーを作ってゆく。それを切り裂くリェナの「牛呼び」の声。

 録音もばっちりで、こいつは歩きながらだけでなく、腰を据えて、フルサイズのヘッドフォンでも聴こう。どこかのオーディオ屋にもっていって、スピーカーの試聴と称して聴いてもみるかな。

 続いては Bandcamp で買ったアンディ・アーヴァインの Rainy Sundays…Windy Dreams。CD化された時と同じ、LPでは裏面に使われていた写真を表にしたジャケットは同じ。確かにこちらの方が写真としては面白い。1980年に、その前のポール・ブレディとの共作とほぼ同じメンバーで作ったアンディの初のソロ。出た時の鮮烈な印象は忘れられない。

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 それまで聴いていたクリスティ・ムーアやポール・ブレディのソロは例えばニック・ジョーンズ、ヴィン・ガーバット、ディック・ゴーハンといった人たちのソロの直系の子孫と聞くこともできた。ポール・ブレディなどは少なくともこの当時はこうしたイングランドやスコットランドのシンガーたちへの憧れというよりもコンプレックスが明らかだ。フランスのガブリエル・ヤクーもそうだが、1970年代にはイングランドやスコットランドのロゥランドがお手本だった。

 けれどもアンディのこのソロは違った。ひどく新鮮で、地の底から湧いてくるような熱気をたたえて迫ってきた。冒頭の15分を超える移民のうたのメドレーの生々しさに吹っ飛ばされた。ちょうど同じ頃、ドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーも Farewell To Eirinn を出してアイルランドにとって「移民」の持つ重さを感じだしてもいた。この2曲目、Farewell To Old Ireland のリフでのドーナルのブズーキとアンディのマンドラ(とクレジットにはある)のシンコペーションのカッコよさ! CDを買いそこねたので、聴くのは本当に久しぶりだが、みずみずしさは少しも損われていない。

Farewell to Eirinn
Faulkner, John
Green Linnet
1993-01-05



 それにしても声が若いのを除けば、音楽的にはもうこの時点で完成しているのは、あらためて凄い。ドーナルのプロデュースに隙はなく、エネルギッシュなのだが、隅々まで丁寧に作っている。聴き直して今回面白かったのは本来ラストだったアンディの自作のタイトル曲で、ガーヴァン・ギャラハーのベース、ポール・バレットのシンセに、キース・ドナルドのサックスという、この中では変則的で後のムーヴィング・ハーツの原型のような編成。このドナルドのサックスがすばらしい。その後、あちこちでこの人の参加した録音は聴いているが、これがベストではないか。こんなに吹ける人なら、もっとちゃんと聴いてみたい。

 B面のルーマニアの Blood and Gold から Paidushko Horo の流れも後の East Wind や『リバーダンス』でのロシアン・ダンス・シークエンスをこの時点で完全に先取りしている。Blood and Gold はその後あちこちでカヴァーされているけれど、Bandcamp にあるアンディのノートによると、この曲は本来16分の5拍子なのに、みんな8分の6拍子のジグにしてしまっているとあるのは笑える。アンディはやっぱり最高だ。自伝を書いてるそうで、早く読みたいぞ。

 ギミックも何も無い。凝ったデザインのコスチューム、派手なライトショー、入念なステージ・パフォーマンスなどというものには、元々無縁な音楽ではあるのだが、それでも音楽をより魅力的なものにしようとする努力は皆それなりにしている。ここで言うのは音楽そのものではなく、演奏に付随する様々な仕掛けのことである。たとえばギグのタイトル(「春のゲンまつり」)であったり、意外な組合せの対バンであったり、レコ発ライヴであったり、新しい楽器の導入であったり、という具合だ。それが悪いなどと言うわけではもちろん無い。反対にそういう努力はリスナーだけでなく、演奏者自身にとっても必要なはずだ。

 昨夜の二つのユニットのライヴには、そういう仕掛けが、最低限のものすら見えなかった。その故だろうか、にもかかわらず、だろうか、現れた音楽はそれはそれは素晴らしいもので、これだけのライヴはこれまでに何度体験できたろうか。今年のベスト、とかそういうレベルとはまたどこか別の軸での話である。この一夜だけの、全宇宙の全歴史の中で一度だけ起きた、あの時あの場にいた人間だけが共有し、それぞれの心と体の中に記憶として沁みこんだ何か。音楽体験として根源的なものに触れて、共振したという記憶。

 1つの要因はこの演奏が入念に準備し、練りあげたものでは無かったということかもしれない。後で梅田さんが繰り返していたのが、3 Tolker のメンバーは各々に忙しく、リハーサルの時間もなかなかとれず、3人揃うのはライヴの場だけという状態なので、こうして一緒にやれるのが嬉しくてしょうがない、ということだった。その歓びがそのまま音楽になってあふれ出ていたのだ、あれは。

 3人各々のミュージシャンとしての質がもともと高いし、北欧の音楽を愛することでの連帯感もあって、3人の音が文字通り共鳴しているのだ。共鳴は北欧の音楽の基本的性格だ。ハーディングフェーレやニッケルハルパのように共鳴弦の方が演奏弦よりも多い楽器だけでなく、シンプルなフィドルを重ねて共鳴させることも大好きだ。

 3 Tolker は各々の伝統の現地からは離れていることを活かして、ノルウェイ、スウェーデン、フィンランド、デンマークの各々の曲を自在に往来する。本来の伝統ではニッケルハルパでデンマークの曲を演奏することはありえない。それを言えば、ハープがいるのは、北欧でもハープの人気は高くなっているそうだが、まだまだ稀な類だ。しかしそういう反則技が反則にはまったく聞えない。まあ、こちらが各々の伝統に育っているのではないことも作用しているだろうが、それはむしろ幸運なことだとすら思えてくる。こういう音楽が聴けるなら、反則したっていいじゃないか、いや、どんどん反則してくれ。

 それが最も端的に現れていたのは、3曲め、スウェーデンのワルツからポルスカへのメドレー。ワルツを弾くハープはほとんどバロック音楽に響き、そこからニッケルハルパの低域の共鳴が流れ広がると、ふうわりと体が浮く。ハープの左手のベースのアクセントがツボをビンビン押えて、フィドルが優雅に大胆に遊ぶと、そこはもう異世界だ。隣りにいた品のいいおばあさんが、思わず声をあげたのもむべなるかな。ここには魔法が働いている。

 後半のトリオもパーマネントなものではない。松岡さんとキャメロンは RCS の同窓で、折りに触れて一緒に演奏している仲だそうだが、トシさんが入るのはまた別である。このトリオでここふた月ほど、各地で演奏してきていて、トシさんによれば、どんどん良くなってきているとのことだったが、こうしてライヴを見ると、クリス・スタウト&カトリオナ・マッケイも一番始めの頃はこうだったんじゃないか、と思えてくる。

 松岡さんはカトリオナを見てスコティッシュのハープを志し、RCS、Royal Conservatoire of Scotland に留学して、Corrina Hewat に師事したという。演奏する姿はカトリオナを髣髴とさせる。何よりも楽器を右側に少し傾むけて支え、左手を弦に叩きつけるようにするのは迫力がある。ハープはその姿もあるし、自立できる、つまり演奏者が支えたりしなくても立っていられる唯一の楽器だから、他の楽器に比べると演奏者が楽器に奉仕しているように見えなくもない。それが、こうして傾むけると、弾き手が楽器を自在に操り、他の楽器と同じようにこき使っているように見える。後で訊いたら、始めはやはり真直ぐにして弾いていたのだが、なぜか腰が痛くてたまらなくなり、その解決策として傾けることにおちついたのだそうだ。この辺は伝統音楽の柔軟なところでもある。

 カトリオナには一度インタヴューさせてもらったが、本人は何とも天然な人だった。キャラクターの地はまったく対照的だが、シャロン・シャノンの天然さにも通じるところがあった。それが、いざ演奏するとなると、がらりと雰囲気が変わって、ハープをぶん回し、弾きたおし、楽器を限界以上に駆使する。ように見える。インタヴューしたのは初来日の時だから、音楽的には今の桁外れものとは直接は比べるべくもないが、それでも既にあのデュオの音楽はすっ飛んでいた。

 松岡さんの演奏にも、それに通じる、どこか箍がはずれたところがある。いい意味で、収まるべきところに収まらない。どんな枠をはめようとも、常にそこからはみ出してゆこうとする勢いがある。松岡さんがスコットランドの音楽に惹かれたのも、そこに共鳴したのかもしれない。アイリッシュではこういう音楽は生まれにくい。シャロン・シャノンの存在はあるにしても、アイリッシュにはどこまでも求心的な志向があり、スコティッシュは遠心を志向する。どちらも一方通行ではなく、主に向かう方向とは対極にあるものを常に意識してはいるけれど。そして松岡さんも、MCの時と、演奏している時の雰囲気がこれまた対照的だ。

 キャメロンはスコットランド本土のすぐ北のオークニーの伝統をベースにしている。母親がオークニーの出身であり、当然親戚も多く、音楽一族であるそうだ。本人は一度クラシックを学ぶが、やがてルーツに遡っていったそうだ。

 クラシックを一度学んだことはプラスに作用していると聞える。この点はハラール・ハウゴーやナリグ・ケイシーのように、両方の技法を使えることはメリットだろう。キャメロンの場合、それに加えて、音色の点でも良い結果を生んでいるのではないかと思える。これは証明はたぶんできないし、本人もわからないだろう。あたしのまあ直感みたいなものだ。つまりかれのフィドルの音色に感じられるふとやかな艷は、伝統的というよりももっとパーソナルなところから生まれているのではないか、ということだ。そして意識してそういう響きを出そうとしているのではなく、むしろ抑えようとしても出てきてしまうものでもあるだろう。一方でこのふくらみには伝統が作用している可能性ももちろんある。2曲め、オークニーの伝統曲のワルツでのふくらみにまずノックアウトされたからだ。

 あたしがこの艷のある響きが好きなのは、中低域でひときわこの艷が深みを帯びるからでもある。フィドルよりもヴィオラやチェロ、ハープやピアノでも左手が気になるようになったのは、たぶん年のせいもあるだろう。ケルト系の音楽のキモは高域の輝きにあることは承知の上で、そこが輝くものよりも、中低域がふくよかな演奏に接すると、顔がにやけてしまう。

 キャメロンのフィドルには端正なところもあって、そこがまた気持ちがよい。一方で、優等生的なところも無いではない。たとえばエイダン・オルークのような、闇の世界とでも呼びたい突きぬけたところがあってもいいな、と思えることもある。別にエイダンのようになれ、というのでは無いし、無理に作るものでも無いのは無論のことだが。まあ、これからまたいろいろと吸収して、一回りも二回りも大きくなるだろう。昨日も 3 Tolker を聴いて、北欧音楽に開眼したようだったし。

 トシさんはなるべく裏方に徹しようとしていたが、それでもフィル・カニンガムの曲のジャズ的解釈でのブラシは新境地だったし、1曲披露したマウス・ミュージックも進境を見せていた。あたしの好みではちょっと発声がきれいすぎるのだが、これはまあまた変わってゆくだろう。

 この松岡、ニュウエル、トシバウロンのトリオは今日は西調布の菜花でのライヴ、そして明日は下北沢 B&B でのトーク&ライヴがある。

 菜花でのライヴはトシさんがキュレーターをしている「菜花トラッド」の3回め。ここのライヴは食事付きで、毎回、ライヴに合わせた特別メニューが食べられる。とにかく旨いし、料理込みの料金なので、他のライヴよりもお得だ。料理の旨いライヴハウスも少なくないが、ここのは特別と、太鼓判を押しておく。

 明日のイベントはあたしも参加して、RCS について、いろいろと伺い、またトリオでの演奏もある。現地の大学や大学院で、クラシックではなく、伝統音楽を学ぶとはどういうことか、費用や授業内容などの基本的なところから、日常生活の細かいことまで、生の声を直接聞ける。準備として、お二人から聞いた話はたいへんに面白く、これならあたしも留学してみたいなどとあらぬことを思ってしまうくらいだ。予約が無くてもOKなので、当日ふらりと来られるのも薦める。

 キャメロンはこれを最後に帰国する。このトリオの音楽を聴けるのは、当分無いので、その意味でも貴重。生演奏は一期一会、たとえ同じメンバーでやっても、次の音楽はまた違う。(ゆ)


3 Tolker
酒井絵美: fiddle, hardandingfel
榎本翔太: nickelharpa, vocals
梅田千晶: harp, vocals

松岡莉子: harp
Cameron Newell: fiddle
トシバウロン: bodhran, vocals

 梅田週間第二弾。前回と楽器が同じフルートの須貝さんとのデュオ。

 楽器は同じだが、音も雰囲気もまるで違うのが面白い。あるいは使う楽器の違いもあるのかもしれない。矢島さんの楽器については知らないが、須貝さんのものはオーストリアのマイケル・グリンター製で、たしか豊田さんも同じメーカーの楽器を使っていたと記憶する。グリンター氏はアイリッシュ・フルートのメーカーとしては世界でも1、2を争う人気だったが、昨年末、交通事故で亡くなられたのだそうだ。この日はそのグリンター氏に捧げるということで、須貝さんが珍しくも無伴奏ソロでスロー・エア〈Easter Snow〉を吹いた。これがまずハイライト。

 独断と偏見で言わせてもらえば、パイプに最も合う曲種はジグだ。ホィッスルにはホーンパイプ。フィドルはリールで、アコーディオンにはポルカ。そしてフルートにはスロー・エアである。フルートは息継ぎをしなければならない。ホィッスルも同じだが、音を出すのに必要な息の量が格段に違うので、ホィッスルでは息継ぎは少なくてすむ。フルートは結構頻繁に必要だ。一つひとつの音を延ばすスロー・エアでは、息継ぎのタイミングをはかるのが簡単ではない。一方で、うまく合うと、それがアクセントになって、メロディが引き立つ。他の楽器ではまず不可能な形で「入魂の」演奏になる。自分が演奏している楽器を作った人への鎮魂歌はその実例だった。

 後半のオープニングはスウェーデンの曲を2曲。まずはポルスカをロウ・ホイッスル、次に〈夏のワルツ〉をコンサティーナで演る。これまたスウェーデンの伝統ではありえない組合せで、新鮮だ。とりわけワルツではコンサティーナがよくうたう。

 今週は梅田週間なので、普段よりも梅田さんの音に集中して聴いてみる。曲によってパターンを変え、さらにリピート毎に変え、同じことを繰り返すことがない。基本的には左手がベースで右手がハーモニーだが、コードをストロークするかわりに複数の弦を同時に弾く。ハーモニーのつけ方にも、カウンターを奏でるのとメロディにより添うのがまず目立つ。右手も左手と一緒にコードを弾くこともあり、左手も時には右手のもう一つ下でメロディに添うこともある。Shannon Heaton の〈Bluedress Waltz〉では、アルペジオの音に強弱を付け、曲の表情に陰翳を生む。これもハープのほぼ独壇場だ。

 会場は京王線・仙川駅から歩いて10分ほど、桐朋学園の裏にあたる人家を改造したスペース。普段は陶芸のギャラリーで、時にカフェにもなるそうだ。二人は入口を入ったところのタタキで演奏し、聴衆は一段上がった木の床に並べられたテーブルと椅子に座る。最大15名とのことで、実際には11名。心地良いハウス・コンサートの趣。生音も気持ち良く響いて、ハープの音がいつになく明瞭に聞える。輪郭がくっきりしている。同時に例えば低音弦のサステインが沈んでゆくのが実感できる。聴く方の位置が高いことも作用しているのかもしれない。

 須貝さんの〈Mother's Lalluby〉には、あらためて良い曲だと認識させられる。須貝さんは一見どっしり構えた肝っ玉母さんのイメージがますます染み込んでいるが、一方で奥にはかなり繊細な魂があることも垣間見える。坦々とサポートする梅田さんが母親に見えてくる。

 休憩時間に、クリーム・チーズ・ケーキと紅茶がふるまわれる。まずこのチーズ・ケーキが絶品でありました。これだけのチーズ・ケーキは食べたことがない、と思われるほどの旨さ。紅茶も美味で、こういう紅茶にはなかなかお目にかかれない。

 展示されている陶器で、鈴木卓氏のマグはカップが下のほうへふっくらと膨らんで、まことに良い具合で、わずかにクリームの入った白の無地もよかったのだが、把手のサイズがあたしの手には小さすぎた。どうも国内産のコーヒー・マグはみなさん、下の方を細くするものばかりで、どっしりと安定した形はこれまで見たことがなかった。今メインに使っている銀座・月光荘謹製のマグはまずまず気に入っているが、もうちょっと大振りのものがあればなあ。

 仙川には美味しいパン屋さんがあるそうだが、ライヴ終演後では売り切れとのことで、やむなく次善の策をとる。(ゆ)

須貝知世: flute, whistle, low whistle, concertina
梅田千晶: harp

 いやあ、もう、サイコーに気持ち良い。ダブル・パイプはドローンが出ただけで有頂天になってしまうんですと中原さんは言う。パイパーはパイプを演奏していると脳内麻薬が出てきて、にやにやしてしまうと鉄心さんも言う。聴いている方でもいくぶん量は少ないだろうが、快感のもとは出ている。パイプの音の重なりには他には無い気持ち良さがある。スコットランドのパイプ・バンドの快感もおそらく同様のものなのだ。

 それにしてもイリン・パイプの音の重なりは実際に、生で聴かないと、その本当の気持ち良さはたぶんわからない。この日はまず午前中雨が降って、湿度がパイプにちょうど良いものになった。会場はレストランで、ミュージシャンたちの背後は白壁だが、上の方が少し丸くなっている。天井も円筒形。ここは以前、さいとうともこさんを聴いたが、生楽器が活きるヴェニューだ。この日もアコースティック・ギターに軽く増幅をかけた他はすべて生音。

 イリン・パイプのデュオは中原さんと金子鉄心さんが臨時に組んだもの、というよりパイパーが二人いるから一丁一緒にやるかという感じのセッションで、この日のライヴの本来の趣旨からはいささかずれるのだが、これを聴くというより体験できたのは、まことに得難く、ありがたく、生きてて良かったレベルのものでありました。

 ふだん関西で活動している鞴座が東下するので、中原さんがそれを迎えてフィドルの西村さんをひっぱり出してデュオのライヴを仕込んだ、というところらしい。西村さんとのデュオは断続的に10年ほど前からやっているそうだが、この日は久しぶりに人前で演奏するものだという。とはいえ、二人の呼吸はぴったりで、フィドルとパイプのデュオの楽しさを満喫する。

 そろそろデュオという名のとおり、速い曲をたったかたったか演るのではなく、ゆったりとした演奏なのも肩の力がいい具合に抜ける。ジグをゆっくり演奏するのがこんなに良いものとは知らなんだ。ホーンパイプ、いいんですよねー、というのにはまったくその通りと相槌をうつ。何度でも言うが、ホーンパイプこそはアイリッシュのキモなのだ。ホーンパイプをちゃんとホーンパイプとして聴かせられるのが、アイリッシュ・ミュージックのキモを摑んでいる証である。では、どういうのがちゃんとしたホーンパイプか、というのは、いつものことだが言葉では表しがたい。あえて言えば、あの弾むノリをうまく弾ませられるかどうかが明暗を分ける。一方で弾んでばかりではやはり足りなくて、あの粘りをうまく粘れるか、もポイントだ。

 このデュオは基本的にユニゾンだが、時々、片方がドローンだけやったり、また一カ所、フィドルがソロで始めたのがあって、すぐにユニゾンになったのには、もう少しソロで聴いていたかった。ワンコーラスくらい、それぞれに無伴奏のソロでやるのもいいんじゃないかとも思う。それにしても、これだけ中原さんのパイプをじっくり聴くのも久しぶりのような気もする。

 そろそろデュオは6曲ほどで、鉄心さんが呼びこまれ、3曲、ダブル・パイプとこれにフィドルが加わる形で演る。これが聴けただけでも来た甲斐があった。

 休憩の後、鞴座の二人に今回は録音でもサポートし、エンジニアもやられている岡崎泰正氏がアコースティック・ギターで加わる。岡崎氏は1曲〈Gillie Mor〉ではヴォーカルも披露する。スティングがお手本らしいが、なかなか聴かせた。

 鞴座は鞴を用いた楽器のユニットということで、レパートリィはアイルランドやらクレズマーやらブルガリアやら、おふたりの心の琴線に響いた音楽のエッセンスをすくい上げ、オリジナルとして提示する。その曲、演奏には、わずかだが明瞭なユーモアの味が入っているのが魅力だ。ルーツ・ミュージックをやる人たちは往々にしてどシリアスになりがちだが、鞴座の二人の性格からだろうか、聴いているとくすりと笑ってしまう。どこが可笑しいとか、ここがツボだという明瞭なものがあるわけではない。吉本流にさあ笑え、笑わんかい、と押しつけたり騒いだりもしない。別に笑いをとろうと意識していないのだ。ただ、聴いていると顔がほころんできて、にやにやしてしまう。鉄心流に言えば、脳内麻薬が降りてきているのだろう。

 藤沢さんはもっぱら鍵盤アコーディオンのみだが、鉄心さんはパイプだけでなく、ソプラノ・サックスやらホィッスルやらもあやつる。これがまたとぼけた味を出す。鉄心さんのとぼけた味と、藤沢さんのいたってクールな姿勢がまた対照的で、ボケとツッコミというのでもなく、二人の佇まいにふふふとまた笑いが出る。

 岡崎氏のギターも長いつきあいからだろう、いたって適切、サポートのお手本の演奏だ。

 アンコールは全員で〈Sally Garden〉。これが意外に良かった。2周めでは鉄心さんのパイプがハーモニーに回り、これまた美味。

 もう一度それにしても、ダブル・パイプはまた聴きたい。鉄心さんだけでもやって来て、一晩、イリン・パイプだけ、なんてのをやってくれないものか。

 All in Fun は料理も旨く、生楽器の響きも良く、また来たい。大塚の駅前は都電が走っていてなつかしいが、幸か不幸か、電車は来なかった。来ていたら反射的に乗ってしまいそうだ。(ゆ)

そろそろデュオ
中原直生: uillean pipes, whistles
西村玲子: fiddle

鞴座
金子鉄心: uillean pipes, soprano saxophone, whistle
藤沢祥衣: accordion
+
岡崎泰正: acoustic guitar, vocal


The First Quarter Moon
鞴座 Fuigodza
KETTLE RECORD
2019-02-17


フイゴ座の怪人
鞴座
KETTLE RECORD
2016-12-17


鞴座の夜 A Night At The Fuigodza
鞴座
KETTLE RECORD
2004-10-31






トリケラ旅行紀
鞴座
KETTLE RECORD
2012-07-22


おはなし
鞴座
KETTLE RECORDS
2014-09-14


ふいごまつり
鞴座
KETTLE RECORD
2008-11-09


 北欧好きの3人が集まったトリオの、ライヴを見るのは初めてで、ここで見られるたのはまず最高の体験だった。ここは本当に音が良い、とあらためて確信する。ニッケルハルパもハルダンゲル・フェレも共鳴弦が命の楽器だ。スカンディナヴィアは実に共鳴が好きだ。榎本さんと酒井さんがそれぞれの楽器の共鳴弦の鳴り方を一音だけ弾いて聞かせてくれた、その共鳴が消えてゆくのがはっきりと聞える。こんなに明瞭に聞けたのは初めてだ。ヴェーセンの求道会館もよくわかったが、今回は至近距離でもある。

 実際に演奏すると、それぞれの楽器の音がまた明瞭に独立し、かつ溶けあうのもまた手にとるようにわかる。共鳴弦のある楽器の場合、この溶けあうというのはポイントだ。共鳴弦同士が溶けあってくれず濁ってしまっては、せっかくの共鳴が共鳴にならない。生楽器はノーPAがベストだが、こと共鳴弦楽器に限っては、いつもノーPAが良いとは限らない。ここはそこが理想的だ。それが最高に発揮されるのはユニゾンで、ニッケルハルパとハルダンゲル・フェレのユニゾンの、ほとんど艷気と呼びたくなる豊饒さを堪能できたのがまず収獲。

 考えてみれば、この二つの楽器のユニゾンというのは、伝統の中ではありそうでなかなか無い類。ひょっとするとここでしか聞けないかもしれない。これにハープが加わるのは、さらに稀になる。ノルディックの音楽でハープは少しは出てきているとはいえ、まだまだ異端だと、この日も梅田さんが言っていた。せっかくだからと、ハープのソロでスウェーデンの曲もやる。こういうのを聴くと、どうしてスカンディナヴィアにハープが無いのかと不思議になる。共鳴が不足なのか。ならば、共鳴弦のあるハープを誰か発明してもよさそうなものだ。そんなものは不可能だろうか。しかし、ハープは隣同士の弦が共鳴することもよくある。フィンランドにはハープを横に倒したカンテレがあるわけだが、スウェーデンとノルウェイには何もない。それとも、かつてはあって、消えてしまったのか。一方で残っていないというのは、やはりそれを面白いと思う人間がいなかったということの現れでもある。

 曲はスウェーデン、ノルウェイ、フィンランド、デンマーク産のものをやってゆく。スウェーデン、ノルウェイあたりの曲は独特のスイング感がたまらない。ハーモニーまでが揺れる。榎本さんも酒井さんも、この揺れるスイングはもう体に染みついていて、揺れがしっかりと地に足が着いている。と言うとヘンかもしれないが、揺れが安定している。揺れの軸がぶれないのだ。

 やはりスウェーデン、ノルウェイの曲が多いが、後半冒頭にやったハラール・ハウゴーの曲がすばらしい。これが今回のハイライト。

 ハイライトはもう一つあって、榎本さんがリードで3人が唄う。こういう音楽をやっていると、どうして唄わないのかとあまりに頻繁に言われるので、唄うことにしました。というので、アカペラでまず榎本+梅田のユニゾンからハーモニー。はじめスウェーデン語でうたい、次に榎本さんがつけた日本語歌詞。これが抱腹絶倒。もっと聞きたい。

 外は暑いけれど、中はすっかり北国の気分。真昼のコンサートというのもいいものだ。(ゆ)


3 Tolker
酒井絵美: fiddle, hardanger fiddle, vocal
榎本翔太: nyckelharpa, vocal
梅田千晶: harp, vocal

公式サイト

 na ba na の音楽はのんびりしている。急がない。ミュージシャン同士の緊迫したからみ合いもない。リールでさえも、ゆるやかだ。

 わざとそうしているようでもない。この3人が集まると、ごく自然にこういう音楽になる、と響く。むしろ、こういう音楽ではない形、スピードに乗ったチューンや、丁々発止のやりとりが出るとなると、どこか無理がかかっているのと見えるのではないかとすら思う。もっとも、いずれそのうち、そういう形が現れないともかぎらない。ある形に決まっていて、それからは絶対にはずれません、というようなところも無いからだ。

 na ba na のライヴは久しぶり。須貝さんの産休もあって、ライヴ自体が久しぶりではないか。須貝さんがコンサティーナを弾いたり、コンサティーナ2台のデュエットをしたり、スウェーデンの曲をやったり、新機軸も結構ある。が、ことさらに、新しいことやってます、というのではない。これまた自然にこうなりました、というけしき。

 梅田さんも中藤さんも、きりりと引き締まるときには引き締まるから、このゆるやかにどこも緊張していないキャラクターは主に須貝さんから出ているのだろう。須貝さんはまだ若いが、どこか「肝っ玉かあさん」の雰囲気がある。ゆるやかで緊張はなくても、だらけたところも無い。芯は1本、太いものが、どーんと、というよりはしなやかに通っている。通っていることすらも、あまり感じさせない。インターフェイスはどこまでも柔かい。

 それにしても生音が気持ち良い。ここは10人も入れば一杯の店だが、天井が高く、片側の壁、ミュージシャンの向い側の壁は全面が木製。ミュージシャンは細長い店の長辺の一つに並ぶ。すると音が広がり、膨らんで、重なりあう。なんの増幅もなしに、3人の音がよく聞える。

 今回、とりわけ快かったのはフィドル。中藤さんのフィドルはよく膨らむのが、さらに一層増幅され、中身のたっぷり詰まった響きが、いくぶん下の方から浮きあがってくる。もう、たまりまへん。

 なんでも速く演ればいいってもんじゃあないよなあ、とこういう音楽を聴くと思う。もっとも、なんでもゆっくり演ればいいってもんでは、一層ないだろう。技術的にはゆっくり演る方が難易度は高そうだ。ヘタで速く演れませんというのは脇に置くとして、意図的に遅くするのとも、このトリオのゆるやかさは異なる。こういうものは性格だけでもなく、日常生活の充実もあるはずだ。いや、幸せオンリーというわけじゃない。そんなことはあるはずがない。日常生活は幸せと不幸がいつも常にないまぜになっているものだ。そのないまぜを正面から受け止めて最善を尽すことを楽しむ。不幸を他人のせいに転嫁するかわりに、自分を高めることで不幸を幸いに転換しようと努める。そういう実践が半分以上はできているということではなかろうか。

 という理屈はともかく、彼女たちの音楽を聴いていると、今日も充実していたと実感できる。(ゆ)

はじまりの花
na ba na ナバナ
TOKYO IRISH COMPANY
2015-11-15


 三重の松阪をベースにするバンド、カンランが7年ぶりに出したセカンド・アルバム《Yggdrasill》はファーストから格段の進化・深化を遂げた傑作で、ぜひ生を見たいと思っていたから、このレコ発ライヴには飛びついた。

 カンランはマンドーラとニッケルハルパのトリタニタツシさん、ヴォーカルのアヤコさん、それにパーカッションのカリム氏のトリオで、主に北欧の伝統音楽とそれをベースにしたオリジナル、さらには日本語の民謡を料理する。

 北欧音楽をやるバンドとしてはまずドレクスキップが有名だろうが、トリタニさんは彼らよりもずっと前から北欧の音楽を演奏してきている。ドレクスキップにとってもモデルの一つだったはずだ。この日は都合がつかなかったパーカッションの代理として、榎本翔太さんがゲストとして全面参加していた。

 "Yggdrasill" は北欧神話に出てくる世界樹であることは言うまでもない。地下の黄泉の世界から天上の神々の世界まで貫いてそびえる巨樹だ。フェロー諸島にこの名前のバンドがあり、来日もしたアイヴォールがリード・ヴォーカルをしていた。

 このセカンドではまずシンガーのアヤコさんの進境が著しい。著しいというよりも、ファーストとは別人のように自信にあふれ、溌剌と唄う。その声がまずすばらしい。ぎっちりと中身の詰まった声が、ごく自然に溢れでて、流れるというよりも飛んでくる。どこにも力が入っておらず、大きくもなく、唄いあげることもしないが、貫通力が抜群だ。口も大きく開いていない。美しい声ではないかもしれないが、聴いていてひどく気持ち良い声だ。いつまでも聴いていたくなる、また聴いていられる声、聴くほどにもっと聴きたくなる声だ。

 同時に、どこか妖しい魅力を備えていて、異界の巫女の声のようでもあり、喜んで聴いていると搦めとられて離れられなくなりそうでもある。呪術的という点ではヴァルティナに通じるところもあるが、もっと重心が低く、そう、神々の世界を翔びまわるフェアリィというよりは、我々の棲むこの世界に根をおろしたもののけの声だ。

 スタイルもいい。一見あるいは一聴、坦々と唄って、感傷も感情もこめることがない。聴きようによっては単調に、無表情に響くかもしれない。唄っている間、表情は変わらない。手の動きや位置で多少強調感をつけることもあるくらいだ。しかし、そこがかえって気持ちが良いのだ。歌にこめられた感情をうたい手が表に出さないのは伝統音楽の一つの大きな特徴だが、それだけではないものがアヤコさんの歌にはある気がする。単に感情を現さないだけでなく、それを凝縮し、ぎりぎりまで固めたものをぽんと押し出す。無表情に見えるのは、あまりにぎりぎりまで押し固められているからだ。それが声にのって飛んでくる。ぽんぽんとカラダに当る。当ってそのまま入りこむ。なんという快感。歌よ、終ってくれるな。この声をいつまでも浴びていたい。

 今回は日本語で唄われている曲が多い。北欧の伝統曲にオリジナルの日本語歌詞をつけたもの、メロディもオリジナルのもの、そして日本語の民謡。民謡は別として、日本語の歌詞がまた面白い。内容も面白いが、それとともに相当に練りこまれていて、音の響きとして面白く、メロディにのっている。それが楽曲全体の気持ち良さをさらに増す。

 トリタニさんはニッケルハルパのわが国における開拓者の1人だが、ベースの楽器はギターで、やはりマンドーラの方が特徴が出るようにみえる。このマンドーラは一般に販売されているものではなく、ギリシャのブズーキを基に、クラシックのマンドリン奏者だった人が製作者と協力して作ったもので、世界でも両手で数えられるくらいの本数しか存在しないそうだ。同じくギリシャのブズーキをもとにアレ・メッレルが独自に改造したのがスウェディッシュ・ブズーキ。アイリッシュ・ブズーキに比べると5コースで、5本めの最低音の弦はフレットをはずして、より低いベースが出るようにしている。という話は後で伺った。

 トリタニさんの楽器はこれらに比べるとボディが大きく、ラウンドバックで、音がより太く、強い。アレ・メッレルもドーナル・ラニィも、ブズーキの音を前面に出すよりも、むしろアンサンブルの中のミュージシャンたちに聞かせるように演奏する。トリタニさんのマンドーラはそれよりも自己主張が大きく、アンサンブルに組込むのにはずいぶん試行錯誤したそうだ。今のシンプルなトリオの形はその成果、一個の結論ではある。もっともこの日、アンコールでジョンジョンと合体したとき、アニーの弾いたピアノが加わった形はなかなか良かった。

 このマンドーラを操るトリタニさんはほとんど天才の域である。コード・ストロークやメロディを奏でるピッキングや、その他、何をどうやっているのか、あたしなどにはわからないことをいとも簡単に、少なくとも簡単そうにやってのける。顔にはもう少しで微笑みといっていいが、そうは言いきれない表情が浮かんでいる。楽しくてたまらず、嬉しくてたまらず、思わず顔がにやけそうになるのを締めているようでもあり、心ここにあらず、音楽にひたりこんでいるようでもある。

 榎本さんはもちろんニッケルハルパで、この人はリードをとっても、サポートに回っても、バランスのとり方が実に適切で巧い。擦弦楽器で適切な歌伴をするにはかなりのセンスの良さを要求される。榎本さんのこのセンスはすばらしい。CD ではパーカッションが入るわけだが、その不在の穴をまったく感じない。これが本来だと思えてしまうほどだ。それでも、1曲、トシさんが加わった時は、ヴォーカル、マンドーラ、ニッケルハルパとの組合せをもっと聴きたくなる。

 この日はカンランのレコ発ライヴということで、John John Festival は前座である。トシさんは「露払い」と言う。かれらのライヴを見るのは、CDとして出た求道会館以来。今年の JJF のテーマはアニーがピアノを弾くことだそうで、半分くらいピアノを弾く。ロバハウスのピアノは小型のアップライトで、ちょっと音がくぐもった感じがするが、今回はそれがちょうどいい。そして、ギターからピアノになると、じょんのフィドルの音が浮上する。じょん自身の進境と相俟って、フィドルの艶かしさが一層映える。これは先々が楽しみだ。最後は例によって歌でしめくくる。その1曲目、もうおなじみの〈思いいづれば〉はほとんどア・カペラでうたうが、ぎりぎりまでテンポを落として回すコブシがこれまでとは一段ちがうほど気持ち良い。ラスト〈海へ〉のハーモニーも堂に入ってきた。

 アヤコさんのヴォーカルを軽く増幅した以外はすべて生音で、ここはやはり生音がほんとうに快い。ニッケルハルパの倍音もよく響く。

 トリタニさんとはトシさんをまじえて、昨日、5時間、飲みながらあれこれおしゃべりしてたいへん楽しかったのだが、カンランの名前の由来を訊くのをすっかり忘れていた。(ゆ)

ユグドラシル
カンラン
Sahara Bleu record
2019-05-19


 堪能した。音の良いホールで、アコースティック楽器のアンサンブルを、ほぼ生音に近く、極上の音楽を聴くことの快感を心ゆくまで味わえた。こんな体験は求道会館のヴェーセン以来だ。

 こういう条件が揃ったライヴを聴くと、音楽を良い音で聴くことのありがたさが身に染みる。常日頃は録音をヘッドフォンで聴いているのだが、良い音とはどういうものかの基準を否応なく体験させてもらった。オーディオは錯覚によってファンタジィを作りだすので、おのずから生音とは違ってくる。とはいえ、そこで聞える音が良いかどうかの基準はやはり生音にあるわけで、スタジオのモニターから聞える音では無いはずだ。何かというと「スタジオ・モニター」がもてはやされるのはスピーカーがメインだった昔も、ヘッドフォン、イヤフォンが中心になった今も変わらないが、メーカーもリスナーも、皆さんもっとライヴを、生音を聴くべきだ。

 ライヴの生音といってもいろいろある。電気楽器を使うかアコースティックか、フルオケとトリオ、ヴォーカルの有無、それぞれに異なる。あたしの場合、一番多いのは小編成のアコースティック楽器のヴォーカルも含めたアンサンブル。となると、今回のライヴのような形が理想になる。

 O'Jizo は音楽だけでなく、ライヴそのものの組立ても堂に入ってきた。選曲と構成に非のうちどころが無い。新作からの曲が多いのは当然としても、それだけではないし、テンポの緩急、MC をはさむタイミングがすばらしい。冒頭、新作と同じ曲で始めて、あのトラックのラストの手品を期待していたら、間髪を入れずに次の曲へ移ったのには唸った。ラストはアップテンポでしめくくるのはいわばお約束だが、アンコールに〈ウィステリア〉をもってきたのはまことに粋だ。

 MC はほぼ豊田さんだけだが、これまた巧いものである。アイリッシュ関係ではしゃべり過ぎないことが肝心だが、内容と分量が適切で、話の切り上げもいい。アイリッシュ・ミュージックのマニアが集まるわけではないし、O'Jizo のファンばかりとも限らないこういうオープンな場での聴衆の傾向の把握とそれへの対応がしっかりできている。経験を積んでいるということではあるが、苦労もずいぶんされたことだろう。

 その音楽がまたいい。この点では先日の内藤&城田&高橋トリオから tipsipuca+ へとハシゴしたのと同じく、日曜日のジョン・カーティから O'Jizo への変化がうまく作用してくれた。かれらの音楽がニセモノとかサルマネとかいうことではむろん無い。それはまことに独創的な、このバンドにしか生みだしえないものだし、我々だけに限って通用するものではないことは、アメリカでの成功が一つの証左となる。つまり、ここではアイリッシュ・ミュージックの異質性が O'Jizo の中で醗酵することにより、あたし好みの味になっている。わが国の水でわが国で収獲した小麦でわが国で醸造したギネスがあるとすれば、それが一番近い。

 メロディの捻り、ハーモニーの展開、あるいはビートのアクセントの置き方、どれもいちいちツボにはまってくる。オリジナルももちろんだが、伝統曲を組み合わせるセットの作り方にも、それは現れる。《Via Portland》からの〈Three G〉や、後半でやった新作からの〈Cameronian Highlander〉など、もう、たまりまへん。

 14時開演のアフタヌーン・コンサートというので、あたしもいささかみくびっていたが、蓋を開けてみると、2時間たっぷりのフルのライヴ。いい気分で外に出ると、まだまだ日没までは間があるというのは何となく嬉しいものである。

 この話をいただいた時、平日の昼間でお客さんが来るんですか、と思わず訊き返したら、平日の昼間だからこそ来られるお客さんもいますと言われた、と豊田さんが言う。確かにその通りで、老人などは陽が落ちても外をうろうろするのは嫌だという人も結構いる。シフト制の勤務で、平日が休みという若い人も少なくなかろう。今回はいなかったけれど、子ども連れではやはり夜の外出は難しい。平日の昼間のライヴはもっと増えてほしい。

 ここは長津田駅前の再開発で作られた一角で、駅からはショッピングモールしか見えないので、こんな素敵なホールが陰にあるとは知らなんだ。クラシックの室内楽が多いようだが、これなら、アイリッシュやノルディック、ジャズなどにも良いだろう。(ゆ)

 昨年秋に出した新作《Storyteller》の10月のレコ発では熊谷さんが持病の腰痛の発作で急遽欠席。トリオでのライヴとなり、それはそれでこんなことでもなければ見られない貴重な体験ではあった。

 熊谷さんはその後、良い整体師と巡り会い、簡単ながら効果抜群の「体操」を教授されてすっかり回復。以前よりもずっと調子が良くなったそうな。そこでこのリベンジ、二度目のレコ発とはあいなった。先日のきゃめると同じく、tipsipuca+ 初体験のお客さんも多いが、皆さん、これでファンになったことだろう。

 冒頭、《Growing》のタイトル曲。ギター、ロウ・ホイッスル、フィドル、パーカッションによるこの曲が始まってしばらくして、自分が感動しているのに気がついた。録音でもライヴでももう何度も聴いていて、良い曲ではあるが、どこかほっとした、緊張していたのが抜けていくような感動だ。

 このほっとした感覚、どこかいるべきところに戻ってきた感覚はその後も続く。〈眠る前の話〉のような、ハーディングフェーレの曲でも変わらない。というよりもこの曲にいたって、そのよってきたるところがぼんやり見えてきた。この曲は担当楽器もあって北欧ベースと思っていたし、実際そういう狙いもあるはずだが、それがいかにも日本的なメロディであることに気がついたのである。

 次の〈長崎のモナハンさん〉で、ことはほぼ決定的になった。これは〈Miss Monahan〉に長崎の〈でんでんりゅうば〉を組み合わせている。こういう組合せはこのバンドのウリのひとつではある。

 レパートリィのほとんどは高梨さんのオリジナルだ。フォームはジグやリールやポルカといったアイリッシュのダンス・チューンのものを借りているし、メロディ・ラインや音階のような構造もアイリッシュをエミュレートしている。しかし、作曲者は日本語ネイティヴであって、曲に込められた感性、感覚はアイリッシュのものではなく、日本語のものだ。あたしも日本語ネイティヴであって、ほっとしたというのは音楽の日本語的要素に対してなのだ、きっと。これはいわばアイルランドで栽培された米とアイルランドの水で仕込まれた日本酒に近い。それを邪道として排除するか、それも面白いではないか、と愉しむか。あたしは飲んでみて旨ければよしとする。

 アイルランドのネイティヴがやったってダメなアイリッシュ・ミュージックは存在する。録音になるのはフィルターがかかるから滅多に無いが、それでも皆無ではないし、アイルランドのネイティヴが全員音楽の天才なんてことはありえない。ダメなものはダメなのだ。

 昼間の3人の音楽は、アイリッシュ・ミュージックとしておそろしく質の高い演奏であって、アイルランドのネイティヴのトップ・クラスと肩を並べる。内藤さんや城田さんがよく一緒に演っているフランキィ・ギャヴィンやパディ・キーナンのレベルだ。だからあれはあたしにとって異文化になりうる。

 tipsipuca+ の音楽はその意味では異文化ではない。日本語ネイティヴによる日本語の音楽だ。アイリッシュ・ミュージックのフォームと構造を借りた、日本語のソウル・ミュージックなのだ。あたしは演歌などよりも遙かにこの音楽に日本語のソウルを感じる、というだけのことだ。

 それが最も端的に、圧倒的な形で現れたのが、ゲストの Azumahitomi さんがご自分で詞をつけた〈とりとめのない話〉だった。正月に豆のっぽと共演したさいとうともこさんがスウェーデン語の歌詞のついた〈Josephine's Waltz〉を唄ったのにも感動したが、こちらは日本語の歌詞だけに、そしてその歌詞の内容に、さらに感動が大きい。tipsipuca+ 版のこの曲はギターとパーカッションがドライヴするアップテンポな解釈でほとんど別の曲の趣だが、歌詞がつくと、あらためて名曲度が増すのは〈Josephine's Waltz〉と同じだ。

 Azuma さんはシンセサイザーの名手でもあって、アナログ・シンセを持ち込み、次の〈鮭の神話〉に乱入する。いやあ、面白い。楽しい。ご本人も楽しかったらしく、tipsipuca+ のこの後のツアーに同行したいと言い出し、その場で決まってしまった。

 熊谷さんが入ったバンドを聴くと、やはりこちらがこのバンドの本来の姿だと思う。ダイナミクスの次元が違う。ラスト近く〈肴ジグ〉でのサイドドラムのヘリ打ちなど、熊谷さんがいることのありがたさが身に沁みる。この人はドラム・キット中心ではあるが、細かい鳴り物を入れるのも得意で、これがまた曲をふくらませる。

 それにアニーのギターがリズム・カッティングから解放されて、フィドルとメロディをユニゾンしたり、上記〈肴ジグ〉では、コード・ストロークでもフィンガーピッキングでもない、よくわからないがとても面白い音で裏メロをつけたりもする。音楽が全体として立体的に、そして内部もより緻密になる。

 それにしても Azuma さんとの組合せはすばらしい。シンガーとしての Azuma さんは力いっぱい拳を握るところと、ふわあと抜くところの出し入れが巧く、すばらしいソウル・シンガーだ。こういう人がこういうアンサンブルでこういう歌をうたうのはもっともっと聴きたい。録音でも聴きたい。

 ダブル・ヘッダーはもともと厳しいが、今回は全く対照的で、しかもどちらもとても良い音楽を堪能させてくれて、正直、へとへとになった。しかし、こうして続けて体験することで、あらためて見えたことは、あたしにとってはかなり重要なことでもある。これだからライヴ通いはやめられない。(ゆ)


Storyteller
tipsipuca ティプシプーカ
ロイシンダフプロダクション
2018-09-23



Growing グロウイング
tipsipuca ティプシプーカ
ロイシンダフプロダクション
2015-07-19


 つまりは酒井絵美祭りである。酒井さんが属するきゃめるノルカル Tokyotipsipuca+ の三つのバンドがそれぞれ新録を出したのを口実に、一堂に会したライヴをやろうというわけだ。あたしとしてはアラブ音楽も聴きたかったが、そこまでやると時間が足らないのはわかるから、将来、「酒井絵美4Days」が実現するまで待ちましょう。

 こうして三つ並ぶと、似たようなコンセプトながら方向性がまるで異なるのがよくわかる。酒井さんも懐が深い。もっともそれぞれのバンドの他のメンバーにしても、これ以外のところでの活動ではまたそれぞれにまるで方向性の違うことをやっているにちがいない。実際、中村大史さんなどはジョンジョンフェスティバルや O'Jizo ではそれぞれに異なったことをやっているし、劇音楽やクラシックの活動もある。そういう懐の深さが、それぞれの音楽の深みを生み、多様性を増して、面白くしているのだろう。

 きゃめるのこの日のハイライトは岡さんのブズーキで、PAのせいか、いつもよりはっきり聞えたし、演奏もすばらしかった。アンサンブルの土台をしっかり支えながら、遊びを要所要所に入れてゆくコツを掴んだようでもある。となると成田さんのバゥロンはこういう時はもっと音を大きくしてもいいんじゃないか。それもあるのか、ちょっとおとなしく感じた。次は「空飛ぶバゥロン」が聴きたい。

 個人的に最大の収獲だったのはノルカル Tokyo。タワーレコードでのインストアしか見たことがなかったので、ようやくこのバンドの実力の一端に触れることができた。というのも、モーテンさんのスケールの大きさは、やはりこういうちゃんとしたライヴで初めて発揮されるからだ。口琴やセリフロイトも良かったが、なんといっても感心したのはピアノ。高梨さんの参加した4曲め〈太陽の季節〉でのブルース・ピアノ、そして圧巻は6曲め〈真白な家路〉、もとは讃美歌というこの曲でのジャズ・ピアノ。北欧の曲はジャズと相性がいいのかもしれない。もっともっとずっと聴いていたかった。次は単独でのライヴを見たい。熊谷さんと高梨さんが加わっての演奏も良かったから、ティプシプーカ同様、ノルカル Tokyo+ というヴァージョンがあってもいい。

 tipsipuca+ はバンドとしてさらに熟成していて、いよいよ旬になってきた。熊谷さんのパーカッションがよりカラフルになり、グルーヴをドライヴするよりも空間を設定するようになったのと、何といっても高梨さんのプレーヤーとしての進境がすばらしい。これまでもうまかったが、この日はさらにうまくなっているのがはっきりわかる。トリッキーな離れ業をやるのではなく、安定感が抜群だ。こうなるにはよほど精進を積まれたにちがいない。練習は嫌いだそうだが、秘かになにか掴んだのか。

 さすがに酒井さんは最後ヘトヘトのようだったが、長時間というよりも、性格の異なる音楽を続けざまにやるのがくたびれるのだろう。それぞれに衣裳も変えていたし。とはいえ、聴いている方はフルコースのご馳走をふるまわれて、たいへんに楽しい。もっともメイン・ディッシュばかりで、おなかはいっぱい。まあ、この上デザートというのは贅沢が過ぎますな。(ゆ)

 メンバーと演奏曲目リスト。曲名はよく聞きとれなかったものもあるので正確ではありません。

きゃめる
 酒井絵美:フィドル
 高梨菖子:ホィッスル
 成田有佳里:バゥロン
 岡皆実:ブズーキ、コンサティーナ

1. お仕事ポルカ
2. すだちのふるさと
3. 阿波踊りの曲
4. Dear Yamaguchi;かわらそば;ういロード
5. ほろ酔いワルツ
6. ベートーヴェン・セット


ノルカル Tokyo
 酒井絵美:フィドル、ハルディング・フェーレ
 Morten J. Vatn: セリフロイト、口琴、ピアノ

1. フーデーシュー
2. いやな奴
3. おじいさん節
4. 太陽の季節
5. エリック・ミチザネの子守唄
6. 真白な家路
7. スーパーハーディング


tipsipuca+
 酒井絵美:フィドル
 高梨菖子:ホィッスル、コンサティーナ
 中村大史:ギター、アコーディオン
 熊谷太輔:パーカッション

1. Growing
2. Fish and Chips
3. カボチャごろごろ
4. とりとめのない話
5. 鮭三景
a. アイルランド・サーモン
b. 信州サーモン
c. ときしらず
6. 北海道リール・セット

アンコール(全員)
1. ショコタンズ・ワルツ
2. ノルディッシュ

 レコード屋に行く、ということがほとんどなくなってしまったのは、諸事情のなせるわざとはいえ、やはり淋しいことではありました。何かおもしろそうなものはないかなー、とふらりと入り、ジャケットとか、入っている曲に惹かれて、何の気なしに買ってみたら大当り、そこから新しい世界が開ける、という体験は、ネット上ではまだ再現できていません。

 しばらく前からぼくがレコード屋に行くのは、仕事の上で緊急に必要になって駆け込むことがほとんど。それも定番とか大メジャーからのリリースのような類を求めてのことでした。つまり、このコーナーの存在を知るまでは、です。

 近年、わが国の若い演奏家たちがアイリッシュやケルトなどヨーロッパのルーツ・ミュージックを積極的にとりあげ、見事な成果を上げていることはそれなりに知られていると思いますが、かれらがリリースしてきたCDが一堂にまとめられたのは初めてでしょう。しかも、このコーナーはなんとかフェアやシーズン限定ではないそうです。こうして見るとなかなか壮観です。

2015-11タワレコ渋谷6F2 のコピー
 

 それだけでなく、このコーナーの開設を記念してのインストア・ライヴが今月1日日曜日にありました。それもこの日だけの特別編成のバンドです。

 メンバーはまずフィドルが3人。ジョンジョンフェスティバルのじょん、ソノラの沼下麻莉香、ティプシプーカの酒井絵美。加えてギター&ヴォーカルのティム・スカンラン、それにトシバウロン。

 彼女たちがやっているのはアイリッシュ・ベースですが、トリプル・フィドルというのはアイリッシュでは珍しい。一時のアルタンくらいでしょう。

 フィドルを重ねるのはノルウェイの伝統音楽やシェトランドのフィドラーズ・ビドで聴けますし、そういえば The Strings Sisters が女性ばかり6人のフィドラーを集めて大成功してました。さらに The Strings Sisters の主唱者カトリオナ・マクドナルドがリーダーの Blazin' Fiddle もありますね。

 という具合にフィドルを多数重ねるのは相当に面白いのですが、この3人の場合、ユニゾンではなく、微妙にハモるのです。伝統一本槍でなく、ベースにあるクラシックやアラブなど他の音楽の素養が良い方向に作用しているのでしょうが、こういうアンサンブルはあまり他で聴いた覚えがありません。カウンターメロディなども交えながら、クラシックのひたすら綺麗なハーモニーではなく、一方、アイルランドに時々聴かれるハーモニーまでいかないズレの面白さでもない。アレンジは「適当に」やったそうですが、この浮遊感たっぷりの、なんともよい具合の「中途半端」さはそれはそれは魅力的です。

 若い女性3人がならぶのも、ぱっと花が咲いたようで、あたりが明るくなっていました。

 この3人をはさんで左にティム、右にトシ。ティムはギター、ハーモニカ、それにフット・パーカッション。トシさんは最近よく使っている、ミュートのできるタンバリンとバゥロン。ティムは1曲、〈Two Sisters〉を披露しましたが、伝統メロディではあるものの、ふつうとは違うヴァージョンで、しかもテンポをミドルから後半アップに上げるという、こちらもちょっと変わった演奏が新鮮でした。フィドルも美味しくからんで、古いバラッドの解釈として出色でした。

 それ以外に演奏したのは、3人がそれぞれふだん活動しているバンドのレパートリィから1曲ずつ。ティプシプーカの〈北海道リール〉には、ティプシプーカのメンバーでこの曲の作曲者である高梨菖子さんがホィッスルで加わりました。高梨さんの作る曲はどれもたいへん面白いのですが、〈ソーラン・リール〉〈牡蠣〉〈帆立〉のメドレーであるこの〈北海道リール〉は傑作です。

 まったく予定外のアンコールも含め、40分ほどの演奏でしたが、これだけで終らせるのはもったいない組合せでありました。並べられた椅子は全部埋まり、立ち見もかなりいましたが、あの場に居合わせたのはラッキーと言えると思います。

 このコーナーにちなんだインストア・ライヴはこれからもあるそうで、とりあえず今月29日、na ba na(ナバナ) のライヴがあります。

 na ba na はフィドルの中藤有花、フルートの須貝知世、ハープの梅田千晶のトリオで、今月15日にデビュー録音《はじまりの花》がリリースされます。タワーレコード渋谷でこのCDを買うと、当日サインをもらえるそうです。この録音は伝統ベースながらメンバーのオリジナルを集めていて、聴くほどに味の出るスルメ盤です。これについてはまたあらためて。


 さらにその後には奈加靖子さんの新作《BEYOND》も控えていて、こちらも来年インストア・ライヴがあるそうです。これにはライナーを書いてしまったのであまり大きな声では言えませんが、傑作!であります。

 タワーレコード渋谷店のこのコーナーはこれからも充実させていくそうですから、関連CDのリンクも張ってはおきますが、行ける方はぜひタワーレコード渋谷店6階に行って買ってください。(ゆ)



Premiere
Sonora
ロイシンダフプロダクション
2015-06-07


Growing グロウイング
tipsipuca ティプシプーカ
ロイシンダフプロダクション
2015-07-19


歌とチューン
John John Festival
Tokyo Irish Company
2012-03-25


 

 モバイル・オーディオの「賢者」で、プロはだしのカメラマンでもあるささきさんが、今年のノルディック&ケルティック・ミュージック・パーティーのレポートを書いておられます。
http://vaiopocket.seesaa.net/article/420355672.html

 こちらは動画もたくさん入ってます。(ゆ)

 ウッド・フルート、各種ホイッスル、セリフロイト、さらに「秘密兵器」ノーサンブリアン・パイプまで操る hatao と、ピアノとハープの nami のデュオの 1st CD《SILVER LINE》リリース記念ツアーの最終日。満員御礼。30代を中心に結構幅広い客層で、あたしより上、60代と見える御夫婦も一組。あるいは関係者かもしれないが、結構ノリノリで体も動いて聞き入っておられた。楽器演奏をされる方も多かったようで、hatao さんが今日の特典として、CD収録曲の楽譜を配ってます、と披露したときには歓声があがった。

 CDには3年間ためてきたレパートリィを入れた、とのことだが、飛び入りでバゥロンを添えたトシさんの証言によれば、デュオの発端はすでに6年前の由。時間をかけてじっくり熟成してきたその跡はCDにも明らかだが、ライヴを重ねてさらに良くなっているのだろう。むろんCDはライヴとは別物ではあるわけだが、そこで聞き慣れた曲も初めて聴くようにあらためて新鮮だ。うーん、ライヴ録音出してほしいなあ。

 デュオという形式は難しいが、うまくゆくと他の形態ではまずできない自由度の高い、多彩な表現が可能になる。ある時は贅肉を削ぎおとした、すぐれた俳句のような演奏もできる。ある時は二人だけとは思えない、重厚重層な伽藍も構築できる。昨日のお二人はそのうまくいっている時を存分に味わわせてくれた。

 もっともこのお二人の場合、どちらかというと音が重層的で、全体として豪奢な雰囲気になる。削るよりも足してゆく。多種多様な音色で奔放な即興を展開する笛と、土台を支えると見せながらはっとするような合の手をはさむピアノ。リズミカルな曲では、ビートを刻むというよりは清冽な水の流れるよう。このあたりは個人的な性格もあるのかもしれない。あるいは演奏のスタイルに由来するのか。または両方か。とまれ、スケールの大きい音楽に包みこまれる感覚だ。


 楽器で驚いたのはセリフロイト、柳の笛で、なんと教則本まで出されたそうだが、これは鮮烈。この笛にもいろいろサイズがあるようで、以前セベスチェーン・マールタが来てやったのはもう少し長かったような気がする。アレ・メッレルもこれが得意で、来日したときにはハイライトのひとつだったけど、hatao さんはアレとならべて聴いてみたい。この笛2本というのも、向こうであるかどうか知らないが、面白いんじゃないか。

 ほとんど唯一、簡潔にしてやわらかい演奏を聞かせてくれたのが、〈結婚行進曲〉。ノルウェイの伝承曲で、あちらにはひとつのジャンルとして式の中で新郎新婦がフィドラーに先導されて歩く際に演奏される曲がたくさんあるそうな。これもその一つで、自分たちの結婚式でこの曲を聴きたかったという反応が多い由。

 とはいえ、昨日の演奏はむしろぐっと気持をおさえて、新たな門出を祝う喜びというよりは、我が子を送りだす親の哀しみに重心を置いていたように思う。不謹慎かもしれないが、あたしの葬式の折りにでも流してもらえるといいかな、これで送られると思うと気持ちもやすらぐなあ、という想いが聴きながら湧いてきた。そこからの連想か、ふだんはまず思い出すこともない父親の死んだときのことも湧いてきて、なぜかほっと息がゆるんだ。

 前半でバグパイプももってきてます、と口をすべらせたので、後半、ノーサンブリアン・パイプも披露。曲はスコットランドのニール・ゴゥの〈Neil Gow's lament for the death of his second wife〉。このパイプはまだわが国ではやる人がごく少ないので、生で聞けるのは嬉しい。これは将来、本格的なノーサンブリアン・チューンの演奏も期待できる。イルン・パイプでも中原直生さんが出てきたが、このパイプはなぜか本国でも女性にすぐれた演奏者がめだつから、こちらでも女性パイパーを期待する、というのはジェンダーか。まあ、YouTube に Kathryn Tickell の演奏がいろいろあるので、検索されたし。このパイプはイルン・パイプより小型で、立って演奏できるのもポイント。hatao さんも立ってやられた。

 6年半ぶりに会う、というトシさんが、アンコールで飛び入り。hatao さんのソロ《Enihsi 縁》収録のスロー・エア〈Coolin〉をイントロにしたリールのメドレーをやる。これはまた hatao さんのホイッスルが別人のように熱くなる。

 今月初めの上野のケルティック・ノルディック・ミュージック・パーティにシャナヒーで来られたときには、もろに風邪を引いて行けなかったので、ついに上原奈未さんにお眼にかかれたのは嬉しかった。やはり生き延びたことはありがたい。嬉しくなって、近くのパブで旨いギネス片手におしゃべりに夢中になり、終電ぎりぎり。(ゆ)


SILVER LINE
hatao & nami
h & n
2014-06-08


縁 - enishi -
hatao
BLUE HAT RECORDS
2011-05-18


Ljus
シャナヒー (Shanachie)
Smykke Boks
2013-04-10

大きく飛躍した 2nd アルバム《星と人》をリリースした京都のノルディック・バンド、ドレクスキップが、東京で発売記念ライヴをするそうです。
    
    成長いちじるしいパーカッションもフルセットで揃えるそうで、気合の入った演奏が期待されます。

    かれらがどういうバンドかはまずはこれをご覧ください。


   
    フィドル、ヴィオラ、12弦ギター、パーカッションのカルテット。スウェーデンのヴェーセンがモデルであることはもちろんですが、今のかれらは単なるフォロワー、コピーバンドの域は完全に脱して、独自の道を突き進んでます。オリジナル曲も多いですが、これがまた名曲、佳曲揃い。

    東京でフル・セットのワンマンはなかなか見られません。ハコも名にしおうスタパだし、「旬」のバンドを体験するにはもってこいのところ。

    これは見たい。見たいなあ。んが、うーむ、編集部はまだ無理だなあ。むむむ……。

    
Drakskipセカンドアルバム発売記念ツアー

『全力航海』〜つながれ、人の輪!

05/14(土)
18:00open/19:00start
前売2500円/当日3000円+ワンドリンク ※高校生以下1000円+ワンドリンク
東京・吉祥寺 STAR PINE’S CAFE

【予約】
*ドレクスキップ各ライブ会場にて、前売チケット販売しております。
*スターパインズカフェ予約フォーム
*e+ 予約フォーム


Thanx! > 野間さん

    本誌を配信した後でドレクスキップの榎本さんからメール。今回は珍しく予定日を守って配信したので、すまん、間に合わなんだ。いつもなら余裕で間に合うんだけど(^_-)。
   
    とにかく、今度の土日にドレクスキップは東京・西早稲田でたてつづけにライヴをします。
   
    まず土曜日は fractale というバンドと対バン。

08/08(土)西早稲田 BLUE DRAG
    open 18:00/ start 19:30
    Charge¥2,000+1drink

fractale
    カジカ(Violin)/ 佐々木憲(Accordion)/ 河野文彦(Guitar)

    日曜日はまず真っ昼間、13:00 から池袋メトロポリタンプラザの HMV でインストア・ライヴ。快挙ですね。もちろん無料なので、これまで聞いたことのない方もぜひ、かれらの生演奏に接してください。そして気に入ったらアルバムを買いましょう。傑作です。問い合わせはお店(Tel: 03-3983-5501)まで。

    その夜はドレクスキップ、O'Jizo、waits という豪華な共演が、同じ BLUE DRAG です。時間、料金も同じ。

08/09(日)西早稲田 BLUE DRAG
O'Jizo
    豊田耕三:Irish Flute&Whistles/ 長尾 晃司:Guitar/ 内藤 希花:Fiddle/ 中村 大史:Bouzouki & Accordion

Waits

    下田 理:Guitar & Vocal/ 山口 幸孝:Fiddle/ 吉川 知宏:Drums

    うーん、両方行きたいがムリ。どちらかというと fractale は聞いたことがないので、そちらに行こうかな。(ゆ)
   

Thanx! > 榎本翔太さん@ドレクスキップ

 来年4月に来日するヴェーセンのチケットが今夜午前〇時に発売になります。とりあえず東京と札幌の分だけのようですね。くわしくはこちら

 今のところ発表されているスケジュール。
2009/04/23(木)すみだトリフォニーホール
2009/04/29(水/祝)札幌 生活支援型文化施設コカリーニョ

 トリフォニーは小ホールだそうです。

 札幌は先日スヴェングがやったところで、すばらしいヴェニューらしい。

 ドレクスキップの演奏を聴いていると、あらためてヴェーセンが見たくなりました。(ゆ)

後刻追記
 今夜じゃないですね。あすの夜中です。どうも先日、熱を出してからボケてます。

 デンマークの至宝、ハウゴー&ホイロップが今度の「ケル・クリ」でのライヴをもって解散することが、招聘元のプランクトン社長川島さんのブログで発表になりました。

 10年やって、ひと区切りつけようということで、別に喧嘩別れするわけではないようなので、将来、また別の形でこの二人が一緒にやるところを見られるではありましょう。

 とはいえ、デュオとしての「マジック」、1+1が10にも100にも、時には無限大にもなる二人の組合せの妙を体験できるのは、やはり今回が最後でしょう。世にデュオは多いですが、この二人はこの形式の意味を完全に書き換えてしまいました。たった二人なのに、変幻自在、大胆さと繊細さがまったく同時に現われる、スリルと美しさに満ちた音楽。いやおそらくこれは三人以上では不可能なので、二人だからこそ産み出せるものでしょう。

 デュオならではの豊饒の点では、マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルも負けていませんが、あちらがあくまでもアイリッシュ・ミュージックに収束してゆくのに対し、ハウゴー&ホイロップの音楽はデンマークの地にどっしりと足を踏んばりながら、どんどん広がってゆきます。そういえば、先日のラウーの音楽とも共鳴しているかもしれません。

 思えばあれはもう何年前だろう、グラスゴーの Celtic Connections で、何の予備知識もなく、なにかの「前座」で出てきたかれらのステージに釘付けになって、こいつら何者?と仰天した、その新鮮な驚きを、毎回追体験させてくれるのも、ハウゴー&ホイロップの特異なところです。

 解散を惜しむのではなく、祝福するつもりで、相模大野に行こうと思います。(ゆ)

 昨晩は武蔵野スイング・ホールソフィア・カールソンの初来日。再来日熱望。

 完全に誤解をしていたのでありました。生身のソフィアは、へたに触れれば粉々になってしまうような繊細さと、大地に深く根をおろしてどんな嵐がこようがびくともしない靭さを兼ね備えた、類稀なるうたい手でありました。後半は裸足になってしまうくらい「天然」の妖精でもありました。笛も達者、ギターもよく、まさに音楽をするために生まれてきた人。

 前半はじっくりとソフィアのうたを聞かせます。MCはほとんどないのも潔い。北欧にすぐれたうたい手は少なくありませんが、ソフィアのうたのうまさはちょっと次元が異なる気もします。

 後半はノルウェイから参加のギデオン・アンデションがマンドリンでアイリッシュ・チューンを聞かせたり、そのギデオンがカホンで相方をつとめてオッレ・リンデルがすばらしいパンデレイタを披露したり、ヴァラエティに富んだ趣向。

 三人のバック陣は一騎当千なのは当然として、ヒロインの繊細さを包みこむようなサポートで、息もぴったり。自分にとって大事な仲間としてひとりひとりていねいにソフィアが紹介するのもほほえましく、楽しいものでした。

 スイング・ホールの特性を活かして、ときにマイクをはずれて生の声や笛で聞かせたりもします。牛飼い唱法もしっかり披露。

 サウンド・エンジニアも連れてきていて、かぎりなくアコースティックに近い音で聞けたのもうれしいもの。一方でグスタフ・ユングレンのラップ・スティール(?)を使った幻想的な音も不思議なくらいぴたりと合っていました。それにしても、このホールで聞くダブル・ベースの音は格別でした。

 こういう繊細さと強靭さが同居したうたい手は、これまで北欧では聞いたことがなかったとおもいます。というよりも、ヨーロッパを見渡しても、滅多にいるものではない。近い人といえばアルタンのマレードがアイルランド語でうたうときか。でもおそらく一番近いのはアン・ブリッグスでしょう。もちろん天の時も地の利も違うし、音楽そのものも違いますが、ミュージシャンとしての在り方が似ています。

 ですから、ソフィアにはぜひうたい続けてほしい。40歳、50歳になったときの彼女のうたを聞いてみたい。それまではなんとか命長らえて、よぼよぼの爺になって、成熟したソフィアのうたにひたりたい。

 満席の聴衆もソフィアの音楽の良さがよくわかる人ばかりで、1曲ごとに拍手が大きくなり、その反応にまたミュージシャンが昂揚する理想的なライヴ。休憩と終演後にはCDが飛ぶように売れ、サイン会には長蛇の列ができていました。このうたい手と時空を同じくして生きるありがたさをしみじみと嚼みしめながら、家路についたことでした。(ゆ)

はオリジナル・メンバーではありませんね。
何を考えていたんだろう。

 昨日配信しました本誌情報篇のなかで、
ラーナリム来日メンバーのエンマ・ビョーリンを
オリジナル・メンバーと書いていますが、

まるで勘違い

でありました。まことに申しわけありません。

 エンマについてはノルディック・ノーツの
ラーナリムのページにもちゃんと説明があります。


Thanx! > マスター@やなぎ

 北海道限定のようですが、カンテレのあらひろこさんが今度の日曜日にラジオに出演されるそうです。タイトルも

STV・ラジオスペシャル「カンテレの世界へ」

だそうです。

 やはり北国生れの楽器は北国の人びとに好まれるということでしょうか。

 あらさんの公式サイト

 MySpace

 先日、ラジオ番組内で私のアルバム《MOON DROPS》をご紹介いただい
たのがおかげさまでご好評いただいたそうで、あらたに、ラジオスペシャルと
して取り上げていただくことになりました。

 よろしければ、ラジオのダイヤルを合わせてみて下さい。

 STV・ラジオスペシャル「カンテレの世界へ」
 パーソナリティ:宮永真幸アナウンサー
 ゲスト:あらひろこ
     小野寺淳子(旅行ジャーナリスト)
 放送:01/27(日)21:30〜22:00 STVラジオ


Thanks! > あらさん

 クリスマスも過ぎ、
心静かに新しい年を迎えたいところですが、
そうは簡単に問屋が卸してくれません。
せめて、こういうものでつかの間の息抜き。

 東京公演の「ミート・ザ・バンド」の「起こし」も読めるようになっています。

 個人的には
デンマークとノルウェイの両親のもと、
スウェーデン南端に生まれたという
アレ・メッレルの出自が目鱗でした。
たがいに異なる音楽をつなぐかれの位置が
すとんと納得されました。

 フリーフォートももちろんすばらしいのだけれど、
アレの仕事としては
近年のアレ・メッレル・バンドが出色。
北欧とアフリカとバルカンを中心に
これぞ真の「世界音楽」。
しかも、いいかげんな混ぜあわせではなく、
それぞれの素材の味を生かしながら、
全体として新しい味を作っています。

 今年でたセカンド《DJEF DJEL》は基本になってる「出汁」の取り方と
「鍋奉行」たるアレの采配の妙で、
稀に見る旨い音楽です。


Thanx!>やまだまさん

 気品があるのである。
崩れない。
どんなに音楽が白熱し、生死の境も消えそうになっても、
何かがぴいんと一本通っていて、
演奏する三人の姿にも、
聞こえている音楽そのものも、
いや、ライヴという総体的な体験の全体が、
揺るがないのである。

 似たものは他にも感じたことはある。
たとえばアルタン。
たとえばメルセデス・ペオン。
たとえばマリア・デル・マール・ボネット。

 だけど、フリーフォートほど、
まぎれもない「気品」を感じさせる存在はなく、
ライヴもない。

 器が大きい。
フリーフォートの演奏する音楽は、
あくまでもスウェーデンの伝統音楽であり、
しかもその素材はかぎりなくコアに近いが、
しかし、実際に体験する音楽には、
今われわれの生きるこの世界、この宇宙が
全部共振している。
今われわれの抱くあらゆる感情が
喜びや楽しみだけでなく、怒りや哀しみまでも
そこに溶かしこまれ、
美しく、ダイナミックな音楽に昇華している。

 伝統音楽、ルーツ・ミュージックは本来、そのように作用する。
その作用をフリーフォートほど十全に展開し、
聴くものの胸に流しこんでくる音楽家は、そうはいない。
しかも、あれだけの気品を感じさせながら、となると、
まず他には見あたらない。

 たまたま1週間の間隔で
ヴェーセンとフリーフォートを見る
という幸運にめぐまれた。
こうなるといやでも違いが見えてくる。

 ヴェーセンはより音楽に集中している。
器楽演奏の可能性を、極限まで展開し、試している。
ヴェーセンのライヴはだから、純粋な音楽体験だ。
贅肉というものの一切ない、
研ぎすまされた、
豊穰きわまる体験だ。

 フリーフォートは音楽と同時に
音楽を生むもの、音楽を支えるものも伝えようとしている。

 音楽は単独で存在している活動ではけっしてない。
むしろ音楽は人生の中では小さな一部でしかない。
小さいものであるにもかかわらず、
いや、ひょっとすると小さいものだからこそ、
人はそれをたいせつに想い、
注意深く扱い、
愛情をそそぐ。
無数の愛情がかさなり、響きあって
音楽は生きつづけている。
その想い、
無数の人びとが注いできた
愛情と共鳴をも、
溶かしこんで演奏しようとする。

 フリーフォートのライヴに、
「気品」としかいいようのない何かがそなわるのは、
そのためではないか。

 体験するわれわれが、
ことばにも形にもならないもの、
数値化することも抽象化することもできないなにか、
それでもなお、とほうもなくゆたかなものを
あたえられるように感じるのは
あの「気品」のおかげではないか。

 しかしなによりもうれしいのは、
この体験が一方通行ではないと知ることだ。
ここまでのレヴェルになると、
ライヴ体験は双方向になる。
音を発しているのは確かにミュージシャンだが、
音とともに発せられた何かは
聴衆の反応となって返ってゆく。
それがいっそう演奏を深め、高め、満たす。
深められ、高められ、充実した演奏が
さらに聴衆の反応を引き出す。
やがて双方向の反応は
どちらからどちらへゆくのかもわからなくなる。

 終演後、簡単に言葉を交わした3人は、
聴衆の反応のすばらしさを
たたえる言葉を惜しまなかった。
ツアーの最後に、
フリーフォートの3人にとっても、
すばらしい体験ができたことをよろこんでいた。

 北とぴあのつつじホールも
すばらしい環境だった。
大きさも、ちょうどよかった。
もちろん、フリーフォートはもっと大きな会場でも
あるいは屋外でも
十分に実力を発揮できる人たちである。
今回は、しかしミュージシャンと聴衆がおたがいに親密になることと、
かれらの楽器や声の響きの美しさをストレートに伝えられることで、
ちょうど適当な大きさと音響だった。


 三度目の正直、
というと前2回に失礼になるかもしれないが、
ただ、今回初めて、フリーフォートというグループの真の姿、
その音楽の真髄に
触れることができたと思う。

 このチャンスをあたえてくれた
すべての裏方、招聘元、主催者のかたがたに、
こころから感謝します。
まことに、ま・こ・と・に、ありがとうございました。(ゆ)

 もう来日まで1週間をきったフリーフォート動画が、もう一つ追加されてます。

 3人によるポルスカの演奏ですが、
もう1曲よりも遙かにリズムの変化が大きく、もうたまりません。
いや、三拍子であることは変わらないので、
これは何が変化する、というべきか。
これぞ、ビート?>洲崎さん

 パートが変わるところで確かに「伸びたり縮んだり」してるんですが、
しかし、よくもまあ、こんなにうまくそろうもんだ。
これは打合わせとか、そういうレベルでは無く、
どこかとんでもなく深いところで3人の波長が合っているんでしょう。
飛び抜けた力量のミュージシャンが、おたがい相性が良く、
しかも永年やっていることで到達する境地、でしょうか。

 それにしても気持がいい。
このうねり。
このグルーヴ。
特にマンドーラをある時はかき鳴らし、ある時はメロディを追いかける
アレ・メッレル(一番手前)の体の動き。

 こういううねるリズムないしビート、グルーヴは、
ケルト系ではちょっと味わえません。
ロックン・ロールとかレゲエとか、ドラムスが入るポピュラー音楽でもダメ。
いま話題のトランス系でもまず無い。
東欧であるかな。
偶数拍子だと難しいんじゃないですか。
三拍子とか五拍子とか、奇数でないと。
アラブ音楽にはありそうですね。
それにしても、こういうゆったりとうねる感じは、
スカンディナヴィアならではだと思う。
ポルスカの快感というのは、これなんだな、きっと。

 同じうねりは、
こちらももうすぐ来る、じゃない、もう来てるヴェーセンにも、
ラーナリムにも、
ハウゴー&ホイロップにもあります。
マリ・ボイネや先日来たアイヴォールのような
シンガーにもある気がします。

 さあ、明後日はヴェーセンだ。(ゆ)

 いよいよ来日の迫ったフリーフォートの動画が追加されています。
 いずれも前のと同じ、一昨年の来日の時の「ミート・ザ・バンド」の模様。

 ひとつはアレ・メッレルの角笛。女性が声でやるところを、男性はこの角笛を使って、山の上の放牧地で連絡をしたり、家畜を集めたりした由。

 しかしこれがアレの手にかかると、立派な楽器として妙なる音楽を奏でてしまいます。

 もう一つは、アレのハーモニカとペール・グドムンドスンのフィドル。ハーモニカはやはりアコーディオンの代わりとして使われていたようです。ブルース・ハープはハーモニカの中の特定の種類を指すそうですが、これはどうかな。


 しかし、まあ、アレはなんでもうまいなあ。最初のソロはワン・マン・バンドで、すべての楽器を一人でやってましたが。


Thanx! > やまだまさん@音楽を聞く仲間の会

 これはすばらしい。

 もうすぐやってくるフリーフォートのリード・シンガー、レーナ・ヴィッレマルクがお得意の牛飼い唱法を披露しているムービー

 前回、一昨年の来日の時、神戸のライヴの前にファンとの交流会「ミート・ザ・バンド」で披露したクゥーラの映像です。

 クゥーラというのは、元々はスカンディナヴィアの山岳地帯で、牛や羊の番をしていた女たちが、その牛や羊を呼びあつめる時にうたったもの。動物とのコミュニケーションだけでなく、牛飼い、羊飼い同士の通信にも使われたらしい。いわばアナログ版のケータイですな。

 今回は東京でも「ミード・ザ・バンド」があります。ワークショップもあるのかな。そのうち、また、こういう方法が必要になるかもしれないし。(ゆ)

 来月来日するノルディック・ルーツ音楽の最高峰、スウェーデンのフリーフォートのライヴ音源が、来日専用サイトに追加されています。

 今回追加されたのは例のとんでもない高音を駆使する牛飼いの唱法〈クゥーラ〉と有名なバラッド〈魔法にかけられた妊婦のバラッド〉の2曲。

 この録音は記録のためにとっておいたライン録りなので、クゥーラの高音が教会堂の高く広い空間に響きわたる様は聞こえませんが、ライヴの感じはよくわかります。

 こういうバラッドを聞くと、レーナ・ヴィッレマルクはフィドルもすばらしいけれど、やはり、シンガーとして得難い存在ですね。


 フリーフォートのライヴ映像は北欧のルーツ音楽映像専用サイトにいくつか上がっています。1999年のものなので、ちょっと古いですが。

〈Agram/Polska efter Roligs Per

〈Forgaves / Polska

〈Tjugmyren

 ECMから出たレーナとアレ・メッレルの「ノルダン」プロジェクトの2枚目、夏をテーマにした《AGRAM》の後です。このプロジェクトのライヴも生で見たいですが、もうやらないのかなあ。


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 今度の日曜日に、東京で、こんなイベントがあるそうです。日本でのハーディングフェーレの第一人者樫原さんの実演付き。

 クラシックではありますが、別の視点からの解釈を聞くと、それまで見えなかったもとの音楽の姿が見えることがありますね。

 「ときじく」というのは「季節にかかわらず」の意味らしい。

 くわしくは日本・ノルウェー音楽家協会へどうぞ。


★グリーグ没後100年記念講演会

≪エドヴァルド・グリーグ――ときじくの作曲家≫

 10/14(日)16:30開場/17:00開始
 重要文化財自由学園明日館講堂
 2,000円[全席自由]
 コンサートとのセット券 3,000円

【講師】A・O・ヴォルスネス氏(オスロ大学音楽学部教授)
 1945年生。1970年からオスロ大学で教鞭をとり、98年に教授となった。1973-82年ノルウェー国立音楽大学でも教員を務めた。77年から1年間、エール大学に研究員として所属した。これまでにノルウェー王国外務省音楽委員会及びノルウェー文化評議会音楽部会の役員を務めている。ノルウェーにおける電子音楽の公的機関であるNoTAMの設立者でもある。現在、国際エドヴァルド・グリーグ協会会長。ノルウェー科学・文学院メンバー。「エドヴァルド・グリーグ全集」の校訂や「ノルウェー音楽史」の監修など著作多数。
【通訳】 小林ひかり
【演奏】 樫原聡子(ハーディングフェーレ)

★第14回演奏会 グリーグ没後100年記念演奏会 Vol. 3

≪ノルウェーの踊りと民謡〜グリーグが見た田舎の情景≫

 10/14(日) 18:30開演
  重要文化財自由学園明日館講堂
  2,000円[全席自由]
  ※セミナーとのセット券 3,000円
【企画】小林ひかり、樫原聡子
【曲目】
 ノルウェー舞曲 Op.35 より
 スロッテル(ノルウェーの農民の踊り)Op.72 より
 ハーディングフェーレによる原曲とピアノのための編曲
  第2曲 ヨン・ヴェスタフェのスプリンガル
  第4曲 丘のハリング
  第8曲 粉挽きの若者による婚礼行進曲
  第14曲 ヴォッセヴァンゲンの花嫁トロルの旅
  ヴァイオリン・ソナタ第2番ト長調 Op.13(フルート&ピアノ用編曲)より第1楽章
  牛を呼ぶ声
  山の夕べ Op.68-4
  25のノルウェーの民謡と踊り Op.17 より
   第23曲 私のおばあさんを見たかい?
   第24曲 婚礼の調べ
  19のノルウェーの民謡 Op.66 より
   第1曲 牛を呼ぶ声
   第10曲 明日は君の婚礼の日
   第14曲 オーラの谷で、オーラの湖で 
   第18曲 私は深く想いめぐらす
   第19曲 イェンディーネの子守歌
   交響的舞曲 Op.64 より第4楽章
【出演】
 池内保子(フルート)、石橋なつか(ホルン)、樫原聡子(ハーディングフェーレ)
 堺多恵(ピアノ)、平夏穂(ピアノ)、長崎美穂子(ピアノ)、小林ひかり(お話)


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