クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ノーザン・アイルランド

05月08日・日
 ノーザン・アイルランドの今回の選挙結果が5年後に統一アイルランドを生むとは思えない。今のところは。一方で、Northern Ireland Protocol が承認される可能性は大きい。

 ユニオニストは平和は望んでいるかもしれないが、平等も和解も望んではいない。彼らが望んでいるのは、100年前にノーザン・アイルランドが生まれた時に享受していた経済的、社会的な優位を保ったまま、聖金曜日合意のメリット、経済的繁栄を確保することだ。

 ユニオニストが NIP に反対するのは、はたして理念としてGBから分離される、さらには公式に分離されることにつながると見ているからだけだろうか。より実際的な経済的理由があるのではないか、とも思える。もっともNIP はユニオニストが関れないところで決められた。そこにユニオニストの利益に対する配慮は無い。

 実際にはノーザン・アイルランドはすでにUKからは分離している。というよりもユニオニストは自分たちに都合のよい部分のみ連合している。ブリテンでは認められている妊娠中絶はノーザン・アイルランドだけでは認められていない。そこではすでに分離しているわけだ。

 ユニオニストにとって心配すべきは、シン・フェーンが第一党になったことよりも、Alliance が議席を倍増して第3党になったことだろう。シン・フェーンの得票数を見ても、ここに投票したカトリックの数がとりわけ増えたことはおそらく無い。増えたのはプロテスタント側のはずだ。つまり、カトリックと対等に共存してもいいと考えるプロテスタントの数がぐんと増えたわけだ。ここに投票した人びとはもはやユニオニストとは呼べない。

 タリバーンやプーチン政権、あるいはビルマ/ミャンマー政府のように、武力によって既得権益を確保する道はないユニオニストとしては、ノーザン・アイルランド新政権の成立をできるかぎり引き延ばし、なるべく早く、どんなに遅くとも NIP の承認投票が予定されている2024年12月までに次の選挙が行われるようにもってゆくしかない。そこで第一党を取り戻せる保証はないが、とにかく、なんとしても、それこそどんな手段を使ってでも、そこで第一党の地位を回復することが必要不可欠だ。

 今回の選挙自体、第一党だった DUP がノーザン・アイルランド行政府の首相を辞任することで行政府を崩壊させたために行われた。DUP は今回の選挙でも第一党になれると思っていたわけだ。道義からすれば、そこで選挙に負けたからと言って、行政府参加を拒否するいわれは無い。しかし、ユニオニストは道義にしたがって行動することはノーザン・アイルランド誕生の時から放棄している。

 ノーザン・アイルランドのシン・フェーン党首ミシェル・オニールがノーザン・アイルランドを率いると思うと胸くそが悪くなる、とユニオニストたちはのたまわったと報じられている。これまでナショナリスト=カトリックたちは、ユニオニストがノーザン・アイルランドを率いることにほとほと嫌気がさしているのだ、ということには思いいたらない。

 ユニオニストにとって最大の悲劇は、自分たちが持っていると思っている既得権益がとうの昔に実質を失なっていることを認め、その認識にしたがって行動することができない点だ。これはノーザン・アイルランドの特殊事情のようにも見える。一方で、いつのどこであろうと、既得権益にしがみつく者は遅かれ早かれ、同様の幻想に囚われ、新たな権益を獲得するチャンスも失うことになることを、身をもって示してくれているとも見える。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月08日には1968年から1981年まで8本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1968 Electric Circus, New York, NY
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。この3日間は早番、遅番の2回ショウをしているようだ。全体のセット・リストは不明。

2. 1969 Unknown, Unknown, CA
 木曜日。場所は不明なのに、この日、ショウがあったという記録ないし記憶は残っている。

3. 1970 Farrell Hall, SUCNY, Delhi, NY
 金曜日。SUCNY は当時の呼び方らしく、現在ここは State University of New York のキャンパスの一つ。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座を勤めたようだ。録音が一部、おそらくショウの最後の部分しか残っておらず、全体のセット・リストは不明。残っている録音の音質もひどいらしいが、演奏そのもののおかげで救われている由。
 場所はアップステートでもコーネルのあるイタカよりは南、ニューヨーク州中部になる。キャッツキル山地中の盆地の一つ。

4. 1977 Barton Hall, Cornell University, Ithaca, NY
 日曜日。コーネル大学の学生向け前売6.50ドル、それ以外と当日7.50ドル。開演8時。このヴェニューではこれを皮切りに1980年、1981年それぞれともに5月にショウをしている。いずれも公式リリースがある。この1977年と1981年は完全版が出ている。
 第一部クローザー〈Dancing In The Street〉が回顧ボックス・セットの第2集《Beyond Description》でリリースされた後、全体が《May 1977: Get Shown The Light》でリリースされた。また単独の CD としても一般発売されている。このショウの録音は2011年にアメリカ連邦議会図書館の the National Recording Registry に収められた。いわば録音の国宝ないし重文に相当するものと言えるだろう。
 デッド史上最高のショウとして名高いが、いや、〇〇の方がいい、これは過大評価だ、という声も絶えない。クローザーの〈Morning Dew〉1曲のおかげだ、という人もいる。このショウの評価をめぐるネット上の議論はとびぬけて長く熱い。いずれにしても、1990-03-29とともに、デッドのショウの最良の実例ではある。グレイトフル・デッドというバンドの一つの到達点にちがいない。
 コーネル大学のあるアップステート、ニューヨーク州北部は寒いところで、この日も雪が積もっていたそうな。

5. 1979 Recreation Hall, Penn State University, University Park, PA
 火曜日。10ドル。開演8時。05月08日のショウに外れなし、といわれる。

6. 1980 Glens Falls Civic Center, Glens Falls, NY
 木曜日。すばらしいショウの由。

7. 1981 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
 金曜日。このヴェニュー3本連続の中日。開演8時。第二部 Space にケン・キージィがハーモニカで参加。すばらしいショウの由。

8. 1984 Silva Hall, Hult Center for the Performing Arts, Eugene, OR
 火曜日。このヴェニュー3日連続の楽日。18ドル。開演8時。
 ケン・キージィ&メリー・プランクスターズがサンダー・マシーンで Space に参加し、ために不気味な雰囲気になったが、全体としてはすばらしいショウの由。(ゆ)

    遅くなりましたが、本誌メルマガ7月号を本日 21:00 からの予定で配信しました。未着の方はご一報ください。
   
   
    ノーザン・アイルランドの夏の行進季節の問題について、南の共和国の姿勢も変わってきているようです。
   
    07/12 のオーグリムの戦い記念の行進について、全アイルランドの祝日にしてはどうかという提案が、前副首相からなされています。記事はこちら
   
    つまり、セント・パトリック・ディのようなお祭として、祝ってはどうか、というわけです。
   
    北のプロテスタントに対して一方的な譲歩を求めるのではなく、たがいに相手の祝日を祝いあおうというのは、建設的な提案だと思います。
   
    現実にはまだまだそうした気運が高まるというわけにはなかなかいかないでしょうが、こういう提案がなされたということ自体が、まずは解決へ向けての第一歩ではあります。(ゆ)

    お暑うございます。気温は高いのですが、どうも空が真夏の空ではありません。入道雲がもくもく湧いてきません。なんか、こう、秋の空、という感じです。
   
    それで調子を崩した、というとうまい口実になるのですが、そうは問屋が都合よくおろしてくれませんで、本日は本誌メルマガ今月号の配信予定日ですが、諸般の事情により、遅れます。えー、今回は3日ぐらい、と思ってます。
   
   
    ノーザン・アイルランドではいわゆる「行進シーズン」ですが、やはり今年はいろいろと変化が出てきているようであります。
   
    先日07/12の、いわばプロテスタントによる示威行進の「本番」のひとつ、1691年7月12日のオーグリムの戦いにおけるプロテスタント王ウィリアム3世軍のカトリック王ジェイムズ2世軍に対する勝利を祝う行進ですが、この時に、毎年事件が起きているベルファストのアードイン Ardoyne 地区で大規模な暴動が起き、警官90名が負傷しました。
   
    これで一番怒りくるったのはどうやら、地元ではなく、ロンドンの政府だったようです。
   
    こういう暴動や衝突は毎年繰り返されているので、そのたびに警備や被害の復旧で多額の金がつぎこまれているわけです。今回もすべて合わせると数百万ポンド、と言われていますが、今後はこういう警備の費用はロンドンは出さない、と、連合王国政府高官が宣言しました
   
    このベルファスト、アードイン地区のクラムリン・ロードはカトリックとプロテスタントの居住区が接触しているところで、伝統的にプロテスタントの行進ルートになっています。
   
    だいたい、このプロテスタントの行進はカトリックに対する優越を見せつけるためのものですから、昔からわざわざこういう問題の起きやすいところをルートにしているところが多い。
   
    で、カトリックの発言権が強まってくると、当然事件が起きるわけです。地元では住民が協議会などを作って、おたがい妥協できるやり方を考え、近年はノーザン・アイルランド政府もこういう調停をバックアップするようになったわけですが、おさまらないのはプロテスタント側です。行進の主体はオレンジ団の地元支部、ロッジといいますが、このオレンジ団が伝統的権利を主張してルート変更などは受け入れず、そもそもカトリック側との協議の場にもつかない、ということも屡々です。
   
    英国政府としては、地元のトラブルは地元で解決せい、そんなローカルの特殊事情にブリテンの納税者のカネを使うことはない、と怒ってしまった、というのが今回の事情のようですが、先の政府高官は、オレンジ団行進のルート変更で問題が解決するなら、さっさとルート変更すべきだ、と言ったとも伝えられています。
   
    なにせ、今のロンドン政府は保守党政府です。伝統的にはノーザン・アイルランドでは常にプロテスタント側に立ってきました。その保守党政府の中からこういう発言が出るというのは、相当イラついているのでしょう。もちろんその背景には、予算削減という事情もあります。各地の納税者にきつい予算カットを呑んでもらう手前、ローカルな特殊事情で余計なカネはもう出せないとなるのは当然といえば当然。
   
    しかも、その争点が、生死にかかわることでもない。行進をしなければ、あるいは行進を伝統的なルートでおこなわないならば、住民の生活に重大な支障が出る、というわけでもありません。単にノーザン・アイルランドのプロテスタントの感情が満足できない、というだけのことです。
   
    むろん、この感情面での不満は、それはそれで地元住民にとっては小さな問題ではありませんが、福祉事業の削減とか、住民サービスの削減とかいうことに比べれば、緊急性が低くなるのはこれまた当然であります。ましてや、ノーザン・アイルランドの特殊事情とは縁のない、イングランドやスコットランドやウエールズの人びとから見れば、いったい、あいつらは何のために毎年暴動を起こしているのか、そして毎年同じことが同じ時期に起きるとわかっていながら、それを取り締まりもできない地元政府と警察は何をやっている、ということになるのもまたまったくその通り。
   
    というのも、こういう夏の行進の暴動や騒ぎで逮捕される人間はきわめて少数だからです。暴動を起こしても責任が問われないのであれば、当然暴動によって得る利益は大きくなり、ますます暴動が起きるようになる。
   
    地元住民はカトリックばかりでなく、プロテスタントも暴動はごめんだ、という空気になってきたようで、実際、どうやら暴動の主体はノーザン・アイルランドの他の地域からやってきた人びとらしい。
   
    今年ノーザン・アイルランド警察は特殊チームを編成し、暴動の間、暴徒の側をビデオや写真で撮影したそうです。暴動参加者の特定と逮捕に結びつけるためですが、はたして効果があるか。
   
    というわけで、警備の費用がロンドンからもらえなければ、ノーザン・アイルランド政府の予算内でまかなうしかないわけで、するとただでさえ削減されている中から、余計な出費を強いられることになります。これはプロテスタントにとっても困ることになる。
   
    今回の英国政権の与野党交替は、ノーザン・アイルランドの社会、ひいては共和国も含めたアイルランド全体に、意外に大きな変更をもたらすかもしれません。(ゆ)

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