クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:ハープ

 Peatix からの知らせで、マイケル・ルーニィ、ジューン・マコーマックとミュージック・ジェネレーション・リーシュ・ハープアンサンブルの公演の知らせ。パンデミック前に松岡莉子さんが手掛けていた企画が、二度の延期を経て、ようやく実現したものの由。ルーニィとマコーマックの夫妻だけでも必見だが、九人編成のハープ・アンサンブルが一緒なのはますます逃せない。即座にチケットを購入。






 笛とハープは相性が良い。が、ありそうであまりない。マイケル・ルーニィ&ジューン・マコーマックというとびきりのデュオがいて、それで充分と言われるかもしれないが、相性の良い組合せはいくつあってもいい。梅田さんは須貝知世さんともやっていて、これがまた良いデュオだ。

 このデュオはもう5回目だそうで、いい感じに息が合っている。記録を見ると前回は3年前の9月下旬にやはりホメリで見ている。この時は矢島さんがアイルランドから帰国したばかりとのことでアイリッシュ中心だったが、今回はアイリッシュがほとんど無い。前日のムリウイでの若い4人のライヴがほぼアイリッシュのみだったのとは実に対照的で、これはまたこれで愉しい。

 スウェディッシュで始まり、おふたり各々のオリジナル、クレツマーにブルターニュ。マイケル・マクゴールドリックのやっていた曲、というのが一番アイリッシュに近いところ。どれもみな良い曲だけど、おふたりのオリジナルの良さが際立つ。異質の要素とおなじみの要素のバランスがちょうど良い、ということだろうか。3曲目にやった矢島さんの曲でまだタイトルが着いていない、作曲の日付で「2022年07月22日の1」と呼ばれている曲は、サンディ・デニーの曲を連想させて、嬉しくなる。

 矢島さんは金属フルート、ウッド・フルート、それにロゥホィッスルを使いわける。どういう基準で使いわけるのかはよくわからない。スウェディッシュやクレツマーは金属でやっている。梅田さんの na ba na のための曲は、一つは金属、もう一つはウッド。どちらにしても高域が綺麗に伸びて気持ちがよい。矢島さんの音、なのかもしれない。面白いことに、金属の方が響きがソフトで、ウッドの方がシャープに聞える。このフルートの風の音と、ハープの弦の金属の音の対比がまた快感。

 もっとも今回、何よりも気持ちが良かったのはロゥホィッスル。普通の、というか、これまで目にしている、たとえばデイヴィ・スピラーンやマイケル・マクゴールドリックが吹いている楽器よりも細身で、鮮やかな赤に塗られていて、鮮烈な音が出る。この楽器で演られると、それだけで、もうたまらん、へへえーと平伏したくなる。これでやった2曲、後半オープナーのマイケル・マクゴールドリックがやっていた曲とその次のブルターニュの曲がこの日のハイライト。ブルターニュのメドレーの3曲目がとりわけ面白い。

 マイケル・マクゴールドリックの曲では笛とハープがユニゾンする。梅田さんのハープは積極的にどんどん前に出るところが愉しく、この日も遠慮なくとばす。楽器の音も大きくて、ホメリという場がまたその音を増幅してもいるらしく、音量ではむしろフルートよりも大きく聞えるくらい。特に改造などはしていないそうだが、弾きこんでいることで、音が大きくなっていることはあるかもしれないという。同じメーカーの同じモデルでも、他の人の楽器とは別物になっているらしい。

 クローザーが矢島さんとアニーの共作。前半を矢島さん、後半をアニーが作ったそうで、夏の終りという感じをたたえる。今年の夏はまだまだ終りそうにないが、この後、ちょっと涼しくなったのは、この曲のご利益か。軽い響きの音で、映画『ファンタジア』のフェアリーの曲を思い出すような、透明な佳曲。

 前日が活きのいい、若さがそのまま音になったような新鮮な音楽で、この日はそこから少しおちついて、広い世界をあちこち見てまわっている感覚。ようやく、ライヴにまた少し慣れて、身が入るようになってきたようでもある。

 それにしても、だ、梅田さん、そろそろCDを作ってください。曲ごとにゲストを替えて「宴」にしてもいいんじゃないですか。(ゆ)

1204日・土

 奈加靖子さん『緑の国の物語』のCDを聴く。定番曲ばかりだが、こういう定番曲を新鮮に、瑞々しく聞かせてくれるのが奈加さんの身上。
緑の国の物語 アイルランドソングブック [ 奈加靖子 ]
緑の国の物語 アイルランドソングブック [ 奈加靖子 ] 

 前作《Slow & Flow》の流れを受けてゆったりと歌う。鳥の声が入っているのは屋外で、樹の下ででも聴いている気分。〈Molly Malone〉ではモリーが売りあるいた街の様子がまず聞える。

 この歌での力の抜き方がすばらしい。これだけゆっくりで、ここまで力を抜いて、なおかつ、崩れずに聞かせられるのは、大したものだ。

 〈Danny Boy〉は終始低いレジスターで歌う。これはいい。そう、このメロディは高くなるのに任せないことで本当に美しくなる。対照的に〈Irish Lullaby〉では、スタンザの最後のところは十分に高く伸ばす。〈An Mhaighdean Mhara はことさらにテンポを落とす。一つひとつの音をたっぷりと伸ばす。その響きの快さ。

 第3章は前2章と少し毛色が変わる。ここの曲は伝統というより、アイルランドの今を映しだす。奈加さんの中ではたぶんシームレスにつながっているのだろう。これが伝統ではないとは言わない。ただ、音楽伝統の中核からは離れたところに立っていると、あたしには聞える。
 むろん、それがまずいわけでもなく、歌唱の価値を落すわけでもない。こういう伝統の捉え方もあるのが、あたしには興味深いのだ。この先に、あるいはここと並んで、たとえばコアーズやもっと若い人たちの音楽を伝統に連なると捉えている人たちもいるだろう。伝統とはそれくらいしぶとい柔軟性を備えているものだ、ということを、あらためて思い知らされる。

 それにしてもアイルランド共和国の国歌はまるで国歌らしくない。兵士たちがこういう歌で気勢を上げていたというなら、悪辣なイングランド人たちにしてやられるのも当然とも思える。というのはやはり偏見であらふ。



##本日のグレイトフル・デッド

 1204日には1965年から1990年まで6本のショウをしている。公式リリースは3本。


1. 1965 Big Nig's House, San Jose, CA

 San Jose Acid TestGrateful Dead としての初めてのギグと言われる。当初かれらは The Warlocks と名乗ったが、同名のバンドのレコードをレシュがレコード店で見つけたことから、改名した。と言われるが、この先行バンドの存在は確認されていない。

 改名の事情がどういうものであれ、また新しい名前の出現のしかたがどうであれ、The Warlocks のままでは、こういう事態にはならなかっただろうことは想像がつく。やはり Grateful Dead という突拍子もない、印象の悪い名前であって初めてこの異常な現象が起きているのだ。Dead Head という呼称、死のイメージがあふれるその世界、他に比べられるものの無い、唯一無二のその音楽は、Grateful Dead という名前と共にその芽が出た。こう名乗るとともに、かれらは死んだ。死んだ以上、恐れるものは何も無い。身を捨てた。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。身を捨ててこそ、初めて可能になることがある。


2. 1969 Fillmore West, San Francisco, CA

 3ドル。4日連続の出演の初日。共演 Flock、ハンブル・パイ。

 The Flock 1966年頃シカゴで結成されたジャズ・ロック・バンドで、1969年と70年にコロンビアからアルバムを出している。ヴァイオリンの Jerry Goodman の最初のバンド。グッドマンはこの後マハヴィシュヌ・オーケストラに参加する。

 約2時間の一本勝負。〈Uncle John's Band〉の1101日に続く2回目の演奏で、完成形としては初めてとされる。1週間後の3回目の演奏は《Dave's Picks, Vol. 10》で出ている。

 2日後に迫ったローリング・ストーンズ、CSN&Yなど大物がたくさん出るフリー・コンサートの会場が直前になって二転三転し、結局オルタモント・スピードウェイになったことが、ビル・グレアムによるバンド紹介の中心だった由。

 当初はゴールデン・ゲイト公園で開催の予定で、混乱を避けるため、直前まで発表しない申し合わせになっていたのを、ミック・ジャガーが早々に漏らしてしまったために、公園を管理するサンフランシスコ市当局が会場提供を降りた。そこで Sears Point Raceway に移されたが、24時間経たないうちにさらにオルタモントに変更になった。と、いう事情はよく知られているだろう。


3. 1971 Felt Forum, Madison Square Garden, New York, NY

 このヴェニュー4日連続の初日。3.50ドル。

 会場はマディソン・スクエア・ガーデンのメイン・アリーナの下にある多目的ホールで、現在は Hulu Theater と呼ばれる。1968年のガーデンのオープンから1990年代初めまで、Felt Forum と呼ばれた。座席数はコンサートで2,0005,600。オープン直後から1970年代初めにかけて、様々なロック・アクトがここでコンサートをしている。デッドのここでの演奏はこの4日間のみ。

 オープナー〈Truckin'〉が2018年、第一部10曲目の〈Comes A Time〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。前者では歌の後、いいジャムを展開する。後者、ガルシアの歌が絶好調。


4. 1973 Cincinnati Gardens, Cincinnati, OH

 曲数で半分が《Winterland 1973》のボーナス・ディスクでリリースされた。

 開演6時の予定が実際に始まったのは11時だった由。


5. 1979 Uptown Theatre, Chicago, IL

 このヴェニュー3日連続の中日。第二部ドラムス前の〈Estimated Prophet> Franklin's Tower〉とそれに続くジャムが《Dave's Picks, Vol. 31》でリリースされた。

 各々の歌の後のジャム、後者で一度止まりかけるのがテンポを変えてまた復活するのが楽しい。


6. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 22.50ドル。開演7時。セット・リスト以外の他の情報無し。(ゆ)


というサイトに松岡莉子さんの New Biginnings について書きました。

 最初に聴いたとき、こりゃあ、いい、どこかに書こうと思ったまま書けないでいたのですが、依頼をいただいて、即座に頭に浮かんだのがこのアルバムでした。書くためにあらためて聴きなおしだして、いや、やっぱりいいアルバムです。

New Beginnings
松岡莉子
New Beginnings
2020-03-03

 

 今回はこのアルバムの「大胆さ」の方に焦点を当てましたけれど、伝統へのリスペクトもしっかりと地に足が着いたものです。留学先で地元だけでなく、いろいろなところから来ている人たちとつきあったのも大きかったのではないかな。

 サイトにはこれからいろいろな人がいろいろなアルバムについて書かれるようです。(ゆ)

 日曜日の11時開演という、ちょっと異例のスケジュールにもかかわらず、大勢のお客様にご来場いただき、御礼申し上げます。

 今回はスコットランドの高等音楽教育機関である Royal Conservatoire of Scotland の卒業生と在学生がゲスト、しかも日本人として初の卒業生で、正直、イベントが成立するだけの人が集まるか不安もありました。

 もっとも、事前の打合せでお二人から伺った話から、内容は面白いものになるという自信はありました。一番難しかったのは、盛り沢山の内容をどう詰めこむか、というところで、これは進行役のトシバウロンが、うまくコントロールしてくれました。

 レジュメに書きながらあそこに盛りこめなかったことの1つは、RCS があるグラスゴーという街の性格です。スコットランドはエディンバラとグラスゴーの二つが飛びぬけた大都市で、3番手のアバディーンを遙かに引き離しています。その二つの大都市はかなり性格が異なるそうなのです。

 スコットランドは、グラスゴーの西にあるクライド湾からネス湖に平行に北東に引いた線で、南東側ロゥランドと北西側ハイランドに大きく分けられます。ロゥランドは歴史的にイングランドとの結び付きが強く、英語が支配的です。ハイランドはスコットランド独自のゲール語文化圏で、アイルランドとの結び付きが強いです。英語は第1言語ですが、独自のゲール語であるガーリックもしぶとく生きのびています。人口はロゥランドに集中していて、三つの大都市もいずれもロゥランドに属します。

 そのうちエディンバラは行政と経済の中心地であり、スコットランドの首都としての機能がメインです。グラスゴーは対照的に文化の中心地であり、今や、世界でも有数の大規模な音楽フェスティヴァルになった Celtic Connections もグラスゴーで開かれます。

 グラスゴーがそうなったのには、ハイランド文化圏が近いことも作用しているのではないかと、あたしは睨んでいます。

 質疑応答で出た質問について少し補足します。

 アイルランドやスコットランドの音楽については比較的知られているが、ウェールズはどうなのか。

 ウェールズもケルト文化圏の例にもれず、伝統音楽は盛んです。とりわけハープの伝統と合唱の伝統に厚いものがあります。telyn と呼ばれるハープは松岡さんや梅田千晶さんが使われているものに似た小型のものから、人の背を遙かに越える大型のものまで、いくつかの種類があります。また、中世以来のハープ伝統が途切れずに伝わってもいます。ハープ伝統がつながっているのはウェールズだけです。

 ウェールズのゲール語はキムリア語と呼ばれます。ゲール語はほとんどの地域で少数派になっていて、存続や拡充の努力がおこなわれていますが、ウェールズだけはキムリア語がメインの言語になっています。南部の首都カーディフのあたりでも、今ではキムリア語が多数派になっているそうです。そのキムリア語による合唱と即興詩の伝統が続いています。

 一方、1970年代後半から、他地域のフォーク・リヴァイヴァルの影響を受けて、モダンな伝統音楽をやる若者たちが現れてきました。何度か波がありますが、今は三度めか四度めの波が来て、盛り上がっています。今年初めて Wales Folk Awards が選定され、その最終候補に残った楽曲のプレイリストが Spotify にあります。

 これを聴けば、今の、一番ホットなウェールズ伝統音楽の一角に触れられます。一方で、ここにはばりばり現役のベテラン勢はほとんどいないことにもご注意。

 ご質問でもう1つ、スコットランド音楽の伝統的楽器に打楽器は無いのか。

 ケルト系音楽全体に言えることですが、ほぼメロディ楽器だけで、打楽器は伝統的には使われていませんでした。ケルト系だけではなく、ヨーロッパの伝統音楽全体にも言えることで、ヨーロッパはやはりメロディが主体です。

 最近、というのは1970年代以降、アイルランドのバゥロンのような打楽器が使われるようになりました。バゥロンはその柔軟性、表現力の広さから、伝統音楽以外のポピュラー音楽、ロックやカントリーなどでも使われていますが、スコットランドでもプレーヤーが増えています。

 一方、ハイランド・パイプによるパイプ・バンドではサイド・ドラムまたはスネアと大太鼓は欠かせません。パイプ・バンドは19世紀にイングランドの差金で始まったと言われますが、ハイランド・パイプとスネアと大太鼓からなるあの形態は、スコットランド人にとってはたまらない魅力があるようです。スネアと大太鼓の華麗な撥捌き(叩いている時だけでなく、叩かない時も)はパイプ・バンドの魅力の大きな要素の1つです。

 スコットランド音楽もあそこでお見せできたのは氷山の一角なので、奥には広大な世界があります。そのあたりは松岡さんもおられることだし、これからおいおい紹介していけるだろうと思います。〈蛍の光〉Auld Lang Syne の古いヴァージョンのような美しい音楽は山ほどあります。(ゆ)

 ふだんはアイルランド在住の村上淳志さんが一時帰国してワークショップなどやられていて、その仕上げとして、主にクラシック・ハープの演奏者向けにアイリッシュ・ハープについて解説する講座をやるので遊びに来ませんかと誘われた。村上さんの話ならきっと面白いにちがいないと、ほいほいとでかける。

 場所は六本木ヒルズの向かいのビルの上。正面全面ガラス張りのセミナールーム。40人ほどだろうか。クラシック向けといいながら、結構アイリッシュ方面の人たちもいたようだ。ワークショップに参加された方もいたのだろう。

 アイリッシュ・ハープとは何ぞや、がテーマではある。ということはアイリッシュ・ミュージックをハープを通じて語ることになる。ルーツ・ミュージックでは楽器と音楽の結びつきが強い。アイリッシュ・ミュージックとは何ぞやを語ろうとすれば、歌は別として、どれかの楽器に即して語るしかない。抽象的なアイリッシュ・ミュージックというものは存在しない。

 村上さんはよく整理されていて、まずセッション、次に装飾音、そして楽器としての特性を解説する。その各々に話が面白いのは、やはり現地で日々、実際に音楽伝統に触れているからだ。

 セッションはユニゾンだ、というのはあたしらには常識だが、それが横につながる感覚だ、というのはミミウロコだ。ハーモニーは縦に重なる感覚になる。アイリッシュ・ミュージックはユニゾンだからつまらないと言ったクラシック音楽関係者がいたらしいが、心底そう信じているのなら、その人間はクラシック音楽そのものもわかっていない。ユニゾンとハーモニーはクラシック音楽の両輪ではないか。

 むろんハーモニーの快感とユニゾンの快感は質が異なる。ただ、ユニゾンの快感の方がより原初的、人間存在の核心に近い感じがする。

 それにユニゾンは単純でない。ユニゾンが快感になるには、ただ同じメロディを同じテンポで演奏すればいいわけではない。表面、簡単に見えながら、内実では繊細で微妙で複雑な調整をしている。それに装飾音だ。

 この装飾音の説明が面白い。カットとかランとか passing note とか、さらにハープが得意とするトリプレットや finger slide や、ハープ流ダブル・ストップを実演しながら紹介する。これは強力だ。入れる時と入れない時を交互に演って比べるのは、まさにメウロコだ。ダブル・ストップというのは村上さんがそう呼んでいるのだそうで、どこにでも通じるものではないらしいが、フィンガー・スライドとともに、近頃巷で流行っている由。

 そしてハーパーにはお待ちかね、ハープ奏法のテクニック。これは主に左手の使い方。10度の多用、つまり10度離れた二つの音を同時に弾くもので、マイケル・ルーニィの影響というのは以前、ハープ講座の時に聞いた。

 ハープ特有のシンコペーションとか、レバー式のハープなればこそ可能になるキーチェンジとか、かなり高度なテクニックではないかと思われる話がぽんぽん出てくる。クラシックのグランド・ハープはペダルで全部の弦の音程を一斉に上下できる。レバー式は1本ずつ手で上げ下げしなければならない、と思いきや、アイリッシュ・ミュージックの曲では五音音階が多いから、オクターヴの1番上は使わないことが多い。するとそこの弦のレバーは動かさずにキーが転換できてしまう。と書いても、実はあたしはよくわかっていない。とにかく、動かすレバーと動かさないレバーの組合せで、グランド・ハープには不可能な技ができてしまう。右手と左手の音階を別々にしたりすらできる。

 これはクラシックのハーパーにはちょっとしたショックではなかろうか。

 そうそう、主な対象はクラシックの演奏者だから、ちゃんと楽譜がレジュメに入っていて、装飾音もきっちり書いてある。

 後半は曲種の紹介。今回は、ジグ、リール、ホーンパイプ、ポルカ、エア、ハープ・チューン、その他という分類。ハープ・チューンはカロランやらその仲間たちの曲。その他にはバーンダンス、フリン、マーチ、ワルツ、マズルカ、セット・ダンスなどが含まれる。

 もちろん各々に実演する。どれもさすがの演奏だが、最後に演奏したその他の曲種、スロー・エア〈黄色い門の町〉から〈Sally Gally〉のメドレーがすばらしい。アレンジもきっちりしていて、これを聞けただけでも、来た甲斐があった。

 最後はお薦めのCDの紹介。村上さんがえらいのは、ハープだけではなく、他の楽器のCDも薦めるところだ。中には自分が演奏する楽器の録音しか聞かないという人もいるが、それではその演奏している楽器も上達しないことを、村上さんはちゃんとわかっている。アイリッシュ・ミュージックを体に染みこませるには、いろいろな楽器の演奏も聞かねばならない。

 ここであたしにご指名があって、20枚ほどあがっているCDで、1枚だけと言われたらどれを選ぶか、と訊ねられる。あたしが選んだのは Brian McNamara《A Piper's Dream》。クラシックではハープはどちらかというと日陰の存在だが、アイリッシュ・ミュージックではハープは女王さま。ただし、臣下がいない。ハープの後を継いだ王様がイリン・パイプ。他の楽器はパイプをエミュレートしようとする。だから、アイリッシュ・ミュージックのCDを何か1枚ならば、まずパイプを聴いてください。

 マクナマラのこのCDはかれのソロ・デビュー作で、タイトル通り、パイパーにとって会心の、これぞ理想の音楽ができた、と言える傑作だ。音楽の新鮮さ、パイプの響きの美しさ、演奏の質の高さ、選曲と組合せの巧さ、まあ、これ以上のものは無いでしょう。

A Piper's Dream
Brian Mcnamara
Claddagh



 村上さんは冒頭でアイリッシュ・ミュージックの性格として、千差万別であり、変化し続ける音楽だ、と言ってのけた。かれは一見華奢で、線が細そうに見えるが、実はこういう根源的なことをさらりと言える大胆不敵な人物なのだ。

 梅雨の晴れ間とまではいかないが、とにかく雨は降りそうもない日曜日。ヒルズやミドタウンの喧騒もどこか遠い世界のように感じる。浮世離れしているといえば、これほど浮世から離れたものもないようなアイリッシュ・ハープの話ではある。が、それ故に、浮世に風穴をひとつひょうと穿けたような、村上さんの話であり、ハープ演奏だった。(ゆ)

 こういう音楽を聴くと、アイルランドは不思議なところだとあらためて思う。こういう音楽が生まれて、今に伝えられて、わがものとして演奏し、楽しんでいる人たちがいる。そして21世紀のこの国でこうして生で奏でられ、それを熱心に聴く人たちがいる。これはほとんど奇跡ではあるまいか。

 まずゆるいのである。コンサートというあらたまったものというよりは、終演後、村上淳志さんが言っていたように、友人の家の居間かキッチンで、くつろいでいる感覚だ。音楽を聴くことが目的で集まってはいるけれど、演る方も聴く方も、それだけに執着することもない。音楽は場の中心にあって、その場にいる人たちをつないではいるが、他は全部捨てて集中する、なんてことは、どちらもない。むしろ、音楽が奏でられているこの空間と時間を共有する、シェアすることが歓びになる。

 昼間の hatao & nami のライヴからたまたま一緒になった石原さんと話していて我ながらあらためて腑に落ちたのは、アイリッシュ・ミュージックのキモはこの共有、シェアというところにある、ということだった。セッションというのはそれが最も裸の形で顕われたものだが、アイリッシュ・ミュージックの演奏にはどんな形のものにも、それがある。つまりオレがアタシが演っているこの音楽を聴け、聴いてくれ、ではない。アタシはオレはこういう音楽を演るのがとても楽しいので、よかったら一緒に聴きましょう、なのだ。アイリッシュの現地のミュージシャンたちが来るようになってまず印象的だったのは、誰もかれも楽しそうに演ることだった。なにやら深刻なことを真剣にやっているんだからこちらも集中しなければ失礼だ、なんてことはカケラも無い。ここでこうして演っているのがとにかく楽しくてしかたがない、という表情が全身にみなぎっている。それを見て音楽を聴いていると、すばらしい音楽がさらにすばらしくなる。

 キャサリンとレイを中心としたこのライヴは、たとえばトリフォニーのアルタンのライヴよりもさらにずっとゆるい。シェア、共有の感覚が強い。

 どちらかというとハープがメインということで、演奏されるのはハープの曲、カロランやその関係の曲が多い。これがまたいい。キャサリンも言っていたように、日曜の夜をのんびりと楽しむのにふさわしい音楽だ。アイリッシュ・ミュージックとて、なにもいつもダンス・チューンでノリにのらなければならないわけでもない。渺渺たるスロー・エアに地の底に引きこまれなくてもいい。速すぎず遅すぎず、まさに、カロランが生きていたときも、こんな風に人びとは集まって、その音楽を中心にくつろいでいたんじゃないか、と思えてくる。ただ、そこに集まっていたのは当時のアイルランドの貴族やその係累で、ここでは、アイルランドとは縁もゆかりもない、遙か遠い島国に生まれ育った人たちであるというのが、違うわけだ。

 あらためて考えてみればこれは凄いことなのだが、それはまあ別の機会にしよう。キャサリンとレイの音楽は、300年の伝統の蓄積を元にして、時空を超える普遍性を備えるにいたっている。わけだが、それをそんなに凄いこととは露ほども感じさせない、そういうものでもある。あたかもその音楽は、われわれ自身の爺さん祖母さんたちが炉辺で演っていたもののように聞える。

 レイはギターも弾くが、ぼくらが聴きなれたようにコード・ストロークをしない。ピッキングでメロディを弾く。ハープとユニゾンする。これはなかなか新鮮だ。ギターによるカロラン・チューン演奏はそろそろ伝統といってもいいくらいになってきたかとも思うが、まずたいていはソロで、ハープとのユニゾンは初めて聴く。こういうユニゾンが、ぴたりと決まっていながら、またゆるく聞えるのは、この二人のキャラクターでもあろうか。

 レイは歌もいい。〈Mary and the Soldier〉はポール・ブレディにも負けない。もっと歌は聴きたかった。

 ゲストがたくさん。奈加靖子さんが唄い、村上さんがハープをソロで弾き、二人と合わせる。これもゆるい。いや、奈加さんの歌はますますピュアになっているけれど、この場ではいい具合に溶けている。そして、サプライズ。小松大さんがフィドルで入って、キャサリンがピアノを弾いて、レイと二人でケイリ・スタイルのダンス・チューン。これがなんともすばらしい。演っている方も気持ちよかったのだろう、最後の最後のアンコールにもう一度やる。

 そうそう肝心なのは、ゆるいはゆるいのだが、ぐずぐずに崩れ、乱れてしまうことがない。一本筋が通っているというと、またちょっと違うような気もする。しぶとい、といおうか。どこか、底の方か、奥の方か、よくわからないのだが、どこかでゆるいままに締まっている。ヘンな言い方だが、そうとしか今のところ言いようがない。それで思い出すのは、大昔、サンフランシスコのケルティック・フェスティヴァルに行ったとき、夜のパブのセッションで、たまたま隣に座っていた妙齢の女性がろれつも回らないほどぐでんぐでんになっていたのが、やおらアコーディオンを持つや、まったく乱れも見せずに鮮やかに弾きつづけていた姿だ。これが Josephin Marsh だった。

 それにしても、二人とも現地ではともかく、こちらではまったく無名、本人たちはそこらへんにいるおばちゃんおじちゃんで、見栄えがするわけでもない。それが小さな会場とはいえ昼夜2回の公演が満杯、ワークショップも盛況、というのだから、世の中変わったものである。大阪から追っかけで来ていた人たちも何人かいた。

 まあ、それも主催の松井ゆみ子さんの人脈と人徳のなせるわざではあろう。まことにいい思いをさせていただいて、ありがとうございました。

 会場は西荻窪の駅からは20分ほど歩く。東京女子大の裏、善福寺公園のほとりにある洒落たホール。面白いのは、入口に近い、部屋の真ん中のところにミュージシャンたちがいて、リスナーはその両側からはさむ。アトホームなゆるさはあの形からも生まれていたようでもある。日曜日の夜、そろそろ花粉のシーズンも終わりに近づき、まさに空気がゆるい。(ゆ)

 チェロの音が好きだ。生まれかわったらフィドラーになりたいと書いたことがあるが、実はチェロ弾きになりたい。しかし、フィドルに相当するものがチェロにはない。これはクラシック専用、ということにどうやらなっている。そりゃ、バッハとかコダーイとか、あるいはドヴォ・コンとか、いい曲はたくさんあるが、もっといろいろ聴きたいではないですか。その昔、クラシック少年からロックにはまるきっかけはピンク・フロイド《原子心母》の中のチェロのソロだった。

 クラシックのコンサートにはほとんど行かないから、チェロを生で聴ける機会もほとんどない。トリオロジーという、弦楽四重奏からヴィオラを除いたトリオのライヴぐらいだ。このトリオはクラシック出身だが、とりあげる曲は遙かに幅広く、アレンジも面白く、このライヴもたいへん面白かった。なにより、ユーモアがいい。ファースト・アルバムのタイトルも《誰がヴィオラ奏者を殺したか》。

 そのチェロの音を、生で、至近距離で、たっぷりと聴けたのが、まず何よりも嬉しい。しかも、ホメリのあの空間は、チェロにはぴったりで、ふくよかな中低域がさらに豊饒になる。

 おまけにそのチェロが、ケルト系のダンス・チューンをがんがんに弾いてくれるのだ。やはりチェロでダンス・チューンを弾くのは簡単ではなく、これまでにもスコットランドの Abbey Newton、アメリカの Natalie Haas、デ・ダナンにも参加した Caroline Lavelle ぐらい。もちろん生で聴いたことはまだ無い。それが目の前で、フィドルとユニゾンしている。いやもう、たまりまへん。

 アイルランド人はとにかく高音が好きで、低音なんて無くてもへいちゃら、というよりも、邪魔と思っている節がある。われわれ日本語ネイティヴは低音が好きで、どんなに高域がきれいでも、低音が不足だと文句を言う。チェロの中低域は、バゥロンやギターの低音とはむろん違う。何よりもまずあのふくらみ。ヴィオラにもあって、それも大好きだが、チェロのふくらみはこれはやはり物理的なものであって、ヴィオラでは出ない低い音にふくらんでゆくところ、まったくたまりまへん。

 フィドルにハーモニーをつけるときにそれが出ることが多いが、そういう音は無いはずのダンス・チューンでも、どこか底の方に潜んでいて、あまりにかすかで余韻とも言えない、音の影のような感じがするのはプラシーボだろうか。しかし、目の前でチェロがダンス・チューンを奏でているというだけで、あたしなどはもう陶然としてしまう。

 ハーモニーをつけるアレンジはギターがお手本のようではあるが、チェロは持続音だからドローン的にもなる。ドローンと違うのは、チェロの音はむしろ細かく動くところがある。ギターではビートが表に出るが、チェロではメロディ本来の面白さが前面に出る。

 チェロを聴くと、フィドルの音源が点であることがよくわかる。チェロは面から出てくる。それには楽器の表がこちらを向いているということもあるだろう。しかし、ハープもやはり点から出てくる。そして、ケルト系の音楽では、ほぼ全ての楽器で点から音が出る。音の出るところが複数あるパイプですら、面にはならない。チェロの音のふくらみには、面から音が出るということもあるにちがいない。ハープとのデュオでやったカトリオナ・マッケイの〈Blue Mountains〉では、弦をはじいていたが、やはり面から出る。これは録音ではまずわからない。ライヴで聴いて、見て、初めてわかることだ。

 これが組み合わさると、チェロのハーモニーによって、ダンス・チューンのメロディがより明瞭に押し出されてくる。こういう聞え方は、ケルト系ではまず体験したことがない。

 冒頭のスローなチューンでのチェロのふくらみにまずやられて、ずっと夢うつつ状態だったが、後半のスウェーデンの〈うるわしのベルムランド〉で、チェロがずっと低域でほとんど即興のように奏でたのには、まいりました。そして、アンコールのポルカ。ポルカは意外にチェロに合うらしい。ユニゾンがきれいにはまる。

 このチェロの巌氏をこの世界に引きずり込んだのは中藤さんだそうだが、その中藤さんのフィドルもこの日ばかりはチェロの陰にかすんでしまった。それでも、カロラン・メドレーの2曲めでは、彼女本来の、これまたフィドルには珍しいほどのふくらみのある響きを堪能できた。

 カロランに続く、ヘンデルとバッハも良かった。この組合せはもちろん作曲家の「想定外」だが、あらためて曲の良さがよくわかる。クラシックの作曲家は「想定外」の価値をもっと認めた方がいい。バッハの〈アヴェ・マリア〉では、チェロの中低域の響きがさすがに存分に発揮されたが、ハープの左手がそれに劣らないほど面白かった。

 カロランの同時代者としてはヘンデルよりはジェミニアーニで、カロランとの作曲合戦の伝説も残っている。ヘンデルが小室哲哉だという梅田さんの説はその通りだろう。バッハは田舎の宮廷楽長だったから、むしろ地方公務員。今で言えば、県立ホールの会館長というところだが、ヘンデルはオラトリオの上演をビジネスにしていたわけだ。

 それにしても、これはすばらしい人が現れた。他の人たちとの共演も聴いてみたい。むろん、まずこのトリオでの充分な展開をおおいに期待する。

 中藤さんも梅田さんも、ふだんやっていることとは違うことがやりたいと思って、このトリオを始めたそうだ。こういうところが、頼もしい。もっともトリコロールもなにやらとんでもないことをやっているようで、こちらとしてはいろいろ楽しみが後から後から出てきて、嬉しい悲鳴だ。

 ということで、春のゲン祭りのゲンは弦であったわけだが、カタカナにしたのは、まだまだ隠れた、壮大な意図があるのであらふ。

 さて次は、梅田さんの「追っかけ」で、03/06のホメリ。今度は奥貫さん、高橋さんとの、これまた初顔合せ。ケープ・ブレトン祭りになるか。(ゆ)

 矢野あいみという人は知らないが、後の3人が出るんなら行かにゃなるめえと出かけると、やはり発見がありました。こういう発見ないし出会いは楽しい。tipsipuca プラスを追い掛けてふーちんギドと出会ったのに通じる。

 矢野氏はハープの弾き語りであった。梅田さんのものより小型の、膝の上にも載せられるサイズ。実際には膝の上に載せては弾きにくかろう。音域は当然高く、また響きもシャープ。この楽器を選んだきっかけは訊きそこなったが、声に合っているのも理由の一つだろう。

 矢野氏はこの声のアーティストだ。シンガーというよりも、声を使った表現という方がより正確だろう。うたは大きな割合を占めるが、うたうことがすべてではない。最もめだつのはホーミーのように2つの声を同時に出すテクニックで、ホーミーとは違うそうだが、効果は似ている。ホーミーの場合、高い方が倍音で額のあたりから出てくる感じだが、矢野氏のは2つの音の差がもう少し小さく、両方とも口のあたりから出てくる。これをうたの中に組込む。ホーミーの場合、それが行われている間はアーティストの表現のすべてを覆ってしまい、その場を支配する。それとはやはり異なって、うたの一部の拡大、表現の形としてはあくまでもうただが、その表情を多彩に豊かにする。

 このオーヴァートーンだけでなく、様々なテクニックないしスキルを駆使して、様々な声を出す。一番得意というか出しやすい声というのはあるようで、ここぞというところに使われると、倍音成分の多い声に、それだけで他は要らなくなる。不遜かもしれないが、歌詞もどうでもよくなる。

 シンガーというのは声の質だけで決まってしまうところがある。この声がうたってくれれば、歌詞の内容も、極端な場合にはメロディすらも要らなくなることがある。あたしにとってはアイリス・ケネディの声などはその例だ。絶頂期のドロレス・ケーンの声にもそういう瞬間がある。

 矢野氏はその気になればそれだけで勝負できる声をお持ちではないかと思う。それとも今の声は訓練の結果、得たものなのだろうか。いずれにしても、この声とテクニック、そしてハープの響きの相乗効果はかなりのもので、陶酔のひと時を過ごさせてもらった。おそらくハープを使っていることが一層効果を高めているので、ピアノやギターでも聴いてみたいが、隙間の大きい、発音と余韻の差が大きいハープの響きが効いているのだろう。

 あまりライヴはされていないようだが、ソロでも、あるいはこの日のようなバンドと一緒でも、もっと聴きたくなる。

 この日のプログラムは矢野氏が、ヴォイス・トレーニングの「お弟子さん」である服部氏に声をかけ、服部氏が高梨、梅田両氏に声をかけたということのようだ。服部氏も4曲うたったが、なんといっても中村大史さんの〈気分〉がいい。うたそのものもいいが、それを演奏する3人の「気分」がちょうどいい。それが一番よく出ていたのは高梨さんの笛。

 ライヴといっても、拳を握って、よおし聴くぞ、というのばかりがいいとはかぎらない。こういう、のんびりした、インティメイトな、友人の家のサロンのようなものもいいものである。ホメリだとその感じがさらに増幅される。強烈な感動にカタルシスをもらう、とか、圧倒的パフォーマンスに押し流される、とかいうことがなくても、ほんわかと暖かくなって、体のこわばりがとれてゆくのもまた良きかな。

 別にアイリッシュとうたう必要もないし、スコティッシュでもイングリッシュでもアフリカンでもいいわけだが、アイリッシュを掲げると親しみが増すというはどうもあるらしい。知らない人でも気軽に聴いてみようか、という気になりやすい。アイリッシュに人気があるのは、そういうところもあるのだろう。(ゆ)

 今回ほど強烈にスコットランドの音楽にひたったことは無かった。

 これまでにもスコットランドのミュージシャンは何組も来ている。遙か太古の時代のボーイズ・オヴ・ザ・ロックのアリィ・ベイン、ずっと下ってシーリス、カパーケリー、ナイトノイズの一員として来たジョン・カニンガム、ラウーのエイダン・オルーク、最近ではチーフテンズに同行したアリス・マコーマック、チェリッシュ・ザ・レディースのシンガーとして来たハンナ・ラリティ。

 The Celtic Connections にも一度行った。ディック・ゴーハン、アーチー・フィッシャー、ブライアン・マクニール、コリーナ・ヘワット、ダギー・マクリーンもそこで見た。

 それぞれに強烈な体験だったが、アイリッシュとのジョイントであったり、スコティッシュだけの時にも聴いているものがこれはスコットランド音楽であるぞとどこかで意識していた、と振り返ってみて思うのである。

 今度のレイチェルジョイのライヴでは、ごく素直に、当然のこととしてスコットランド音楽が流れこんできた。

 一つにはこちらの感覚がようやく追いついてきたこともあるのだろう。アイリッシュとスコティッシュの違いが自然に、感覚としてわかるようになってきた。それにはまたいろいろな要因があるけれど、『アイルランド音楽──碧の島から世界へ]の刊行をきっかけに、トシバウロンとやってきたアイリッシュ・ミュージックの講座のおかげが大きい。この準備のために、ここ1年ばかり、あたしとしては珍しく集中してアイリッシュを、それも様々な形で聴き込んできた。それによってまずアイリッシュへの感覚が多少とも磨かれてきた。おかげで他の地域の音楽への感覚も磨かれたわけだ。

 もう一つはワークショップに参加したためだろう。これまではワークショップはやはり楽器やダンスで、歌はまず無かった。ワークショップそのものには興味はあったが、楽器は何もできないし、ダンスを始めるには年をとりすぎていて、どちらも行きづらい。だから歌のワークショップは嬉しかった。

 一方で危惧もあった。スコットランドの伝統歌のワークショップなんて受講者がいるのか、成立するのかと当初危ぶんだ。まあ最悪、ジョイと二人だけというのもまたいいか、少なくとも相手がまるでいないよりはいいんじゃないか、と思ったりもした。蓋をあけてみれば、ハープフェスティバルでは満員、単独ライヴの前のものも用意した資料が足りなくなるほど。しかも男性が何人もいたのには驚くとともに喜んだ。

 ワークショップは90分でスコティッシュ・ゲール語(ガーリック)の歌を3曲、waulking song、子守唄、mouth music を習った。ジョイがワン・フレーズずつ発音するのを耳で聴くだけで真似る。ワン・フレーズから1行、2行、3行、1スタンザとだんだん増やしてゆく。初めは基本的イントネーションだけの発音。次にメロディにのせる。メロディにのせてからは繰り返してだんだん速くしてゆく。

 ガーリックの発音は難しい。ジョイは普通よりは大きく口を開いてゆっくり発音するけれど、口の中の舌の動きや位置まではわからない。とにかく聞きとれた音をできるだけ近く真似るだけだ。それだけで普段は使わない筋肉を使うから、1曲めの途中でもう口の中や周囲がくたびれてくる。記憶力も衰えていて、2番をやると1番は忘れている。それでも、楽しい。歌をうたえるようになるというよりは、歌を聴くときに参考になることが学べるのではないかという期待で参加したのだが、知らないうたを習うというのはそれだけでも楽しい。なんでこんな楽しいのか、とすぐ考えてしまうのが悪い癖だが、とにもかくにも楽しい。

 知らない言語で意味もわからなくても楽しい。実際、ウォウキング・ソングの歌詞にはあまり深い意味はなく、むしろリズムを作るためのものだし、プーシュ・イ・ブイア(と聞こえた)とガーリックで言うマウス・ミュージックすなわち口三味線でダンス・チューンを演奏するものはもっと意味はない。子守唄は子守唄で、日本語のもののような子守りをする女たちの心情は託されていないから、内容はシンプルだ。もちろん意味がわかれば、また別の楽しさがあるけれど、わからなくてもうたうことは楽しめる。ひょっとするとわからない方が純粋にうたう楽しみがわかるとさえ言えるかもしれない。

 この三種類のうたはスコットランドの音楽に特徴的なものだ。ウォウキング・ソングは他の地域には無い。マウス・ミュージックではストラスペイがやはりスコットランドならではだ。それに言葉で演奏すると、楽器で演奏するよりスコットランド特有のノリが明瞭になる。子守唄というのはどこの地域でもローカルな特徴を示す。

 ここでまず90分、どっぷりとスコットランドの音楽に浸ったのは、ライヴとは別の楽しさで、うたのワークショップは病みつきになりそうだ。

 最後にテーブルを用意して、ジョイが持ってきた細長いタータンの布を使ってウォウキング・ソングがうたわれた、布をテーブルに叩きつけて縮ませる作業をやらされた。本来これは女性だけで行われていたわけだが、むろんそんなヤボなことはいわない、交替して男性も含めた参加者全員がやってみた。こういう作業のためのうたは身体を実際に動かしながらうたう方がやはり体験が深くなる。シャンティもそうなのだろう。この作業そのものは終日続けられるもので、朝家事をすませると女たちは作業するところに出かけてゆき、織りあがってきた布を次から次へと処理する。当然今は一種の文化保存活動として行われているので、実際の生産工程には入っていない。

 いささか驚いたのはジョイはガーリックのネイティヴではないそうだ。この日は日本在住のジョイの友人が来ていて、二人はガーリックで日常会話をしていた。ガーリックを教えたり、テレビ、ラジオなどの仕事もあるので、日常でガーリックを普通に使ってもいるが、第二言語として習ったのだそうだ。というのも両親が話さなかったためで、ジョイ自身はガーリックにはうたから入ったという。スコットランドの他のシンガーたちも事情は同じでジュリー・ファウリスもネイティヴではない由。一方、現在ではスコットランドでもガーリックが復興していて、各地に学校もできている。

 コンサートではまず na ba na が前座を勤めて、4曲演奏。左に中藤、中央に須貝、右に梅田という配置。〈Maypole〉〈散歩〉〈月下美人〉それにアイリッシュ・ポルカ。レイチェルとジョイも楽しんだようで、〈月下美人〉は気に入ったようだ。梅田さんのハープにレイチェルも感嘆していた。このバンドももっとたっぷりと聴きたいものである。

 レイチェルとジョイのライヴは基本的にはアイリッシュ・ハープ・フェスティバルでの拡大版。ジョイのダンスが1曲しか見られなかったのは、まあしかたがないか。レイチェルのソロはむしろ少なく、ジョイのうたをたっぷりと聴けたのは嬉しい。もっともその歌でもサビでは奔放なハープが炸裂する。ジャズ的な即興をどんどん入れてくる。こういう時伴奏と旋律を同時に奏でられるハープは強味を発揮する。後で確認したら、やはりかなり意識して即興を入れているとのことだった。このあたりはアイルランドのハーパーにはほとんど見られない。

 ジョイも録音ではジャズ・コンボをバックにうたったトラックもあり、ハイライトの一つだ。あちらではライヴもしているそうで、そういうのを見てもみたいが、行かないとだめだろうなあ。もっともわが国のミュージシャンで相手できる、というか面白い共演をできる人たちもいるはずではある。

 レイチェルのハープは坦々と演奏するよりも音の強弱、音量の大小を強調してアクセントをつける。ハープ・フェスティバルでもうたわれた、「最も哀しく、美しいうたのひとつ」では、そのメリハリのつけ方が絶妙で、うたの美しさが引き立つ。こういうのはギターなどでも可能だろうが、ハープの方が遙かに振幅が大きく、劇的な世界が生まれる。伝統歌では歌唱は劇的にはならないが、ハープの伴奏はその静謐さを壊さずに劇的にできる。スーザン・マキュオンの《Blackthorn: Irish Love Songs》冒頭の〈Oiche fa Fheil’ Bride (On Brigid’s Eve)〉での Edmar Castaneda のハープはその好例だ。

 ジョイはアカペラも披露し、ウォウキング・ソング、子守唄、船漕ぎ唄、バラッド、刈り取り唄と、多様なうたを聴かせる。ハーモニウムでドローンをつけたりもする。最後にこのドローンとハープでうたった子守唄が良かった。アンコールではハープ・フェスティバルでもアンコールにした有名曲のメドレー。〈Auld Lang Syne〉では皆さん日本語をうたいましょう、というので最後は場内の合唱になる。うーん、しかしこのうた、もう一つのより古いメロディの方が好きなのよ。あちらでももちろん日本語の歌詞は乗るので、次はそちらでうたいたいものではある。ジョイもそちらの方が好きだそうだ。

 久しぶりに近くのモンゴル料理屋での打ち上げにも参加する。ここはトシさんが Karman で共演している岡林立哉さんの縁だそうだが、確かに料理はどれもこれも旨い。トシさんが夢にまで見たという、羊肉の小籠包は絶品だ。ようやくのことで生まれて初めて馬乳酒を飲むこともできた。井上靖の西域小説を愛読してきた身としては、一度は味わってみたかったのだ。味見した梅田さんが顔をしかめていたのも無理はないが、これは慣れると案外いけるかもしれない。アイレイのシングル・モルトのクレオソート臭に近いか。

 二人のライヴを見て、あらためてスコットランドを聴こうという気持ちが出てきた。まずはジョイとレイチェルのCDを改めて聴きこんでみよう。二人が持参したCDはきれいに完売した由。ジョイのバッグを買う。書いてある文字は A Little Gaelic Bag という意味だそうだ。

 二人を呼んでくれたトシバウロン、このライヴの仕込みを担当された梅田さん、その他、関係者の皆さんには心から感謝する。ありがとうございました。(ゆ)



Tri
Rachel Hair Trio
Imports
2015-06-23


The Lucky Smile
Rachel Hair
March Hair
2009-02-07


No More Wings
Rachel Trio Hair
Imports
2012-02-07





Faileasan (Reflections)
Joy Dunlop
2013-01-22


Dasgadh
Joy Dunlop
Sradag Music
2010-02-02


Fiere
Joy Dunlop & Twelfth Day
Joy Dunlop
2012-06-05


 「アイリッシュ」ハープと銘打たれてはいるが、今回のゲストの二人はスコットランドからとはどういうわけだ、と言った不粋な人はたぶんいなかっただろう。ワークショップはレイチェル・ヘアのスコティッシュ・ハープ、ジョイ・ダンロップのスコティッシュ伝統歌謡講座、どちらも満員盛況。その成果は夜のコンサートで早速発揮されて、ジョイの披露したマウス・ミュージックで客席から声が合わされた。それも英語ではない、スコティッシュ・ゲール語、いわゆるガーリックでだ。教師も優秀なら、習う方も熱心に集中されていたのだろう。

 スコットランドへの露払いを、栩木伸明さんとともに村上さんから仰せつかったわけだが、どれくらいそれができたかははなはだ心許ない。もちろん栩木さんや村上さんのせいではなく、あたしの問題である。ご来場された方々には少しでもスコットランド音楽の面白さを感じていただけたら幸いだが、昨日の補足をこれからこのブログでもやる予定ではいます。話せなかったことはまだまだたくさんある。たとえば昨日はもっぱらインストルメンタルに話が傾いたけど、スコットランドはアイルランドよりもうたの比重が大きい。なによりロバート・バーンズという巨人の存在は、ほんの一言でも触れるべきだったので、終ってしまってから、それこそ「しまった」とホゾを噛んだのでありました。

 とはいえ、スコットランド音楽のすばらしさに触れるには、あたしなどが千万言を費すよりも、レイチェルとジョイの音楽を聴いてもらう方が遙かにいい。

 というよりも、彼女たちの音楽は、スコットランドと言わず、アイルランドと言わず、あるいはヨーロッパのどこと言わず、およそ今の伝統音楽の理想の形なのである。伝統音楽の最先端であり、かつ伝統音楽のコアに限りなく近い。英語の 'radical' には「過激な」と「根源的な」との、一見相反する二つの意味がある。この二つが実は同じものの二つの側面であることは、このことからもわかるけれど、レイチェルとジョイの音楽はまさに 'radical' そのものだ。

 二人は何よりもまずいま「旬」である。ミュージシャンとしてのキャリアから言えば、助走から最初の飛躍をして新たな段階に乗り、大きく花開いた時期にある。自分のやっていることの手応えを摑み、やることなすこと面白く、新鮮なエネルギーに満ちあふれている。

 それが最もはっきり現れていたのはレイチェルのハープの、ほとんどパーカッションと呼びたい響きだ。レイチェルがハープをがんがんはじく様は、指が肉ではなく、もっと遙かに強靭な物質でできているようにみえる。増幅などしていない、完全な生音のはずなのに、ホールの効果もあるのか、それまで出てきたどんなハープよりも、大きく明瞭に響く。坂上真清さんの金属弦よりも大きい。アイルランドに比べて、スコットランドのハープ奏者は一音一音明確に演奏する傾向があるが、その中でも際立ち、メロディよりもリズム、ビートが前面に立つ。

 リズムをはっきり押し出すのはスコットランドの性格の特徴と言えるかもしれない。われわれのレクチャーでも栩木さんが指摘されたが、マウス・ミュージックでも、スコットランドのものを聴くとその点がいやでもわかる。

 スコットランドにはウォーキング・ソング waulking song という、もともとは作業のためのうたが伝えられている。スコットランド西部、アウター・ヘブリディーズ諸島で特産のツイードの布地をテーブルに叩きつけて縮ませる作業の際、多人数でおこなう作業のタイミングを合わせるのと、退屈をまぎらわせるためにうたわれていたものだ。今は人が手で叩きつけることは、布地の生産のためにはおこなわれていないが、うたは独自の生命をもって生き残っている。帆船の作業歌だったシー・シャンティと同じだ。ちなみにこの作業はスコットランド移民の多いカナダ東部ノヴァ・スコシアのケープ・ブレトンにも伝わり、milling frolicks として残っている。実際にどんな作業かは YouTube などに動画がたくさんある。

 ウォーキング・ソングがとんでもなくカッコいい音楽になることを最初に示したのは、カパーケリーの四作め《SIDEWAULK》冒頭のトラックだった。以後、様々なミュージシャンたちが様々な形にアレンジ、展開し、ジョイも自身の録音でとりあげていることは、あたしらのレクチャーでも紹介した。

Sidewaulk
Capercaillie
Green Linnet
2015-12-27

 

 生演奏と録音は別物であることは承知しているが、こういううたを生で聴くとあらためてそのことを思い知らされる。活きの良さが違うのだ。これはもうどうしようもない。音楽というものの玄妙さとしか言いようがない。これを味わえただけでも、このライヴを見た甲斐があった。

 ところがだ。ハイライトは別にあった。スコットランドのうたで最も美しいうたはまず例外なく哀しいうただと言ってジョイがうたいだした。レイチェルのハープもここでは打楽器的な性格を抑える。そうするとこの人のハープはそれはそれはリリカルになる。

 スコットランドのメロディはアイルランドのものよりも起伏が大きい、とあたしは思う。音が飛躍する、つまり急に低く沈んだり、高く跳んだりもする。これがはまると、聴いていてなにと名付けようもないもので胸がいっぱいになってくる。ガーリックでうたわれる言葉の意味などまったくわからないのに、うたにこめられた深い感情が聴く者の中にあふれだす。

 たぶん哀しいのだ。どこまでも哀しい。その哀しさのどこかに光、とまではいえない、ほのかな明るさが滲みだす。希望まで固まらない、その種のようなもの。むしろかすかな祈りだろうか。しかもその何かを感じていることの幸福感も確かにある。人はこれをカタルシスと呼ぶのかもしれない。

 人の声とハープの響きだけで織りなされる綾織りは、なにかひとつでもそこに加われば汚れてしまうような豪奢な美しさに満ちる。

 レイチェルはふだんダブルベースとギターとのトリオで活動しているが、昨夜はその二人の代わりにトシバウロンが1曲参加した。これが良かった。トシさんも実に様々な相手と実に様々なシチュエーションで共演する経験を重ねていて、ハープを相手にするコツも完璧にモノにしている。ベースとギターの代役というよりも、新しい形を作っていた。傍で聴いていたジョイが、あなたたち二人でツアーしなさいよ、と言っていたのも道理だ。

 コンサートでは主催者の村上淳志さん、hatao & nami坂上さん、そしてトリがレイチェルとジョイという演目で、それぞれに個性豊かで、いわばよくできた幕の内弁当をいただいたようだ。それぞれは短いのに、充実しているのである。

 昨夜のサプライズはしかし、3番目に出たもう一人の主催者、木村林太郎さんの「秘密兵器」Anona だった。木村さんのハープにチェロ、ヴァイオリン、バゥロン、それに1曲イルン・パイプが入る。ここまではまあそう驚くことではないが、これに男女総勢20人だろうか、コーラスが加わった。全員が黒一色の衣裳にそろえ、MCとか説明を一切省いたミニマルな進行、うたはすべてラテン語(に聞えた)でレチタティーボを含むクラシックの唱法による音楽はアヌーナに対する、木村さんたちのオマージュというよりは挑戦だろう。昨夜はひとつの組曲として提示されたが、より拡大された形を、別の機会に聴いてみたい。

 今年で3回目になる「東京アイリッシュハープ・フェスティバル」は、ミュージシャンたち自身が企画から設営、運営、進行まで担当した、手作りそのもののイベントだ。リハーサルの時間もまともにとれないなかで、そうした苦労も楽しんでおられるように見える。これまで東京、大阪、東京と来て、来年はまた大阪での開催を予定されているそうだが、これならこちらも時間とカネを作って行くだけの価値はある。

 レイチェル・ヘアとジョイ・ダンロップはフェスティバルとは別に、今週末、伊丹と東京でワークショップとコンサートがある。今度は二人だけのフル・コンサートで、二人の音楽に思うさま浸れるだろう。ジョイは、アンコールでちょっとだけ披露したダンスももっと見せてくれるはずだ。東京は nabana がオープニングを勤めるから、そちらも楽しみだ。

  フェスティバルを企画・運営された村上さん、木村さんはじめ関係者の方々、レイチェルとジョイを招いたトシバウロン、それに、つたないあたしの相手を勤めてくださった栩木伸明さんに心から感謝する。ありがとうございました。(ゆ)

 昨日は下北沢のB&Bでの「アイリッシュ・ハープ入門 アイルランドのハープを見る・聴く・知る」にご来場いただき、ありがとうございました。

 昨年春に上梓しました『アイルランド音楽──碧の島から世界へ』の刊行記念として始めたこのイベントも通算7回目となりました。ありがたいことです。毎回、教えられることが多くて、送り手のはずのぼくらが一番楽しんでいるんじゃないかとも思えますが、音楽はそういうところがどこかについてまわります。ぼくなども聴くだけで十分楽しいのですが、実は演奏している人が一番楽しいわけです。

 今回の講師の村上淳志(むらかみ・じゅんし)さんはふだんはダブリンに住んでらっしゃるので、アイリッシュ・ハープの「現在」まっただ中で活動されているわけで、そのあたりの活きの良さが、他の回とはまた違った面白さをかもし出していたと思います。

 ハープはアイリッシュ・ミュージックの中でもやや特異な位置にあります。なんといってもまず楽器が美しい。会場に入って村上さんが楽器をケースから取出した瞬間、会場のスタッフから「ほおお」というため息とも嘆声ともつかぬものがあがりました。楽器は本来音が出てナンボのはずですが、ハープだけはその姿が美術品にもなります。「ブライアン・ボリューのハープ」が博物館に飾られているのは、必ずしも歴史的な意義、価値からだけではないでしょう。

 また美しさだけでなく、アイリッシュ・ハープのサイズも魅力のひとつだろうと思います。グランド・ハープよりもぐっと身近なサイズです。一方、現在の主流である34弦のものは、かわいいと言えるほど小さくはない。しっかりとした存在感があります。

 ハープはまずアイルランドの歴史の上でシンボルとなってきました。今でも国の紋章とされて、硬貨にも刻まれています。楽器が国の紋章になっているのは、世界でもアイルランドぐらいではないでしょうか。

 もともとハープはアイルランドの社会でとても高い地位にありました。ハーパーは詩人でもあり、その詩は氏族社会の歴史を語り、氏族のアイデンティティを保つ役割を果たしていました。他の楽士たちは一段下で、ハーパーは特別席を与えられていました。

 時代が下るにつれ、この氏族社会がゆるみ、崩れてゆくとハーパーの地位も下がってきます。カロランの時代、18世紀前半には、ハーパーはお抱えというよりは貴族の館をツアーし、貴族のために音楽をつくり、演奏するようになっていました。かれらはまた外界のニュースをもたらすメディアとしての役割もはたします。

 そして19世紀に古来からの氏族社会が消滅するにしたがい、ハープの伝統は一度途絶えます。代わって社会の最上位となったプロテスタントの地主階級たちが抱えたのは、イリン・パイパーでした。

 アイリッシュ・ミュージックのなかで伝統が一度完全に切れたのはハープだけです。1792年の Belfast Harp Festival などのおかげで、楽曲だけは残ってきましたが、それをどう演奏したのか、左手の使い方はどうだったのか、はまったくわかりません。現在復興されているのは、残された記録や情況証拠、あるいは論理的必然などを重ねて推測されたものです。

 ハープはその歴史的経緯から、アイリッシュ・ミュージックのレパートリィの圧倒的な部分を占めるダンス・チューンを演奏しませんでした。単純に「考えられないこと」だったのです。これはスコットランドのハイランド・パイプにあって、ダンス・チューンの演奏は「余技」、ceol beag = small music と呼ばれて、一段低く見られていたことに通じます(ちなみにでは「本曲」ceol mor = big music は何かというと、それがpiobaireachd ピブロックです。ピブロックとは何かというと話が長くなるので、それはまた別の機会に)。

 第二次世界大戦後にハープは劇的に復興しますが、それで演奏されたのはまず歌の伴奏であり、次にカロラン・チューンでした。ダンス・チューンが演奏されはじめるのは1980年代はじめです。

 もう一つ、ハープが特異なのは、ソロで演奏されることが圧倒的に多いことです。ハープはピアノの中の弦を外に出して縦にし、指で弾く(本当はハープが先で、ピアノが後ですが)形ですから、両手を使って1台でメロディとリズムが完結できます。さらに音量が他の楽器に比べて小さいことがあります。ハープが入ったアンサンブル、バンドはごく例外です。チーフテンズとクラナドと Dordan ぐらいでしょう。また、ハープの録音でも、他の楽器と共演することは例外に属します。

 その特異な性格にもかかわらず、ハープもまたアイリッシュ・ミュージック全体の盛り上がりによって、こんにち演奏者もレパートリィも格段に増えています。セッションに参加することも珍しくなくなってきました。かつての特殊な地位から、ようやく「普通の楽器」になってきた、と言えるかもしれません。

 一方で、ハープの魅力、なかんづく、その音色の繊細な美しさは、他の楽器にはないすっきりとした品位を備え、高貴な薫りをかもし出します。おそらくこれからも新たな奏法やスタイルが生みだされ、アンサンブルへの参加も増え、新しい魅力が現れるにちがいありません。

 こうした流れを昨日は音源でたどってみました。

Mary O’Hara (1935-)
The Leprechaun from 1958, SONGS OF IRELAND
 メアリ・オハラは1950年代末、ハープを伴奏としたうたによって国際的なスターになりました。天才肌の人で、クラシックの声楽の訓練を受けていますが、アイルランドの伝統歌をそのスピリットのままにうたいました。個人的に今回最大の発見でした。もっとクラシック寄りの人にみえて、まともに聴いたことがなかったのですが、村上さんに薦められてあらためて聴いて仰天した次第。まずシンガーとして第一級で、とりわけこの初期の録音はすばらしい。正規の訓練を受けたことは良い方に作用し、うたを型にはめるのではなく、その美しさをストレートに伝えています。

 ハープの演奏も革新的で、たとえばこの曲ではうたのメロディとは異なるメロディを弾き、ハーモニクスなども効果的に採り入れています。

 オハラによって長い間眠っていたハープが桧舞台に引き出され、あらためて注目をあびたのでした。

Down By the Glenside-Songs of Ireland
Mary O'Hara
Essential Media Afw
2011-10-24



The McPeake Family (= Kathleen)
The Derry Hornpipe from 1962 from WILD MOUNTAIN THYME
 マクピーク・ファミリーはベルファストの音楽一家で、1960年代、アイリッシュ・ミュージック不毛の時代に多くの録音を残し、音楽伝統、とりわけイリン・パイプの伝統をノーザン・アイルランドで伝えました。

 そのスタイルは独特で、2本のパイプをユニゾンにしてうたの伴奏をします。ハープはこれにコードでビートをつけています。このハープはピアノの動きをそのまま適用したものですが、パイプとハープの組み合わせはこんにちにいたるまで、他に例がありません。チーフテンズでも、この二つだけという組み合わせはありません。

 一見プリミティヴに響きますが、よく聴くとかなり練り上げた、洗練された音楽をやっています。かれらによってもハープの存在は光を当てられました。

ワイルド・マウンテン・タイム
ザ・マクピーク・ファミリー
ライス・レコード
2010-04-25

 


Grainne Yeats (1940-2008)
Fanny Power from 1992, THE BELFAST HARP FESTIVAL
 第二次世界大戦後のアイルランドでハープが復興する立役者がこの人。記録を渉猟し、試行錯誤を重ねて、かつてのハープの演奏法を推測しました。こんにちの、とりわけ金属弦のハープ演奏はこの人が推測したものを受け継いでいます。

 アイリッシュ・ハープには金属弦、ガット弦、ナイロン弦、そしてカーボン・ファイバー弦があります。また半音を出して、様々なキーの曲を1台で演奏できるようにする機構についても、いろいろな方式があります。こうした構造上の話も昨日は村上さんがかなり突っ込んで話されました。

 このCDは、ベルファスト・ハープ・フェスティヴァル200周年を記念してリリースしたもので、このフェスティヴァルに集まったハーパーたちのレパートリィを録音しています。

 このフェスティヴァルは正式には Belfast Harpers' Assembly と呼ばれ、1792年4月23日に開かれました。当時、消える寸前になっていた放浪ハーパーの伝統を憂えたベルファストの有志がアイルランド全土のハーパーに呼びかけ、一堂に集めようとしたものですが、様々な理由から集まったのは11人、うち一人はウェールズのハーパーでした。このうちアイリッシュの10人の演奏した曲が楽譜に記録されました。当然クラシックの慣習、理論に従った形で採譜されていますし、右手のメロディのみですが、その希少性から、こんにちのハープ音楽の基礎資料になっています。

Belfast Harp Festival
Grainne Yeats
Gael Linn
1994-05-16

 


Derek Bell (1935-2002)
Fanny Power from 1975, CAROLAN'S RECEIPT
 世界で最も有名なアイリッシュ・ハーパーでしょう。デレクによってアイリッシュ・ハープの存在を知り、その音楽に触れた人はひじょうに多い。

 デレクはまたカロラン復興の一方の立役者でもあります。この1975年のLPは、全篇カロランの曲だけで構成された初めての録音でもあります。

 今回は同じ曲をグローニャ・イェーツと聞き比べてみました。デレクの演奏がクラシックの語法に則り、メロディを構成する音と音の間に装飾音を入れるよりも、メロディそのものの変奏を主体にしているのがよくわかります。

Carolans Receipt
Derek Bell
Cladd
2011-11-29

 


Maire Ni Chathasaigh (1956-)
The Flax In Bloom; Lough Allen; McAuliffe’s from 1988, THE LIVING WOODS
 アイリッシュ・ハープでダンス・チューンを演奏することを始めたパイオニアがモイア・ニ・カハシーです。おそらく1970年代末から始めていたと思われますが、その成果が明確な形で世に出たのは1985年のLP《THE NEW STRUNG HARP》でした。当時これを聴いたときの新鮮な衝撃は忘れられません。

 ダンス・チューン演奏の要諦のひとつは装飾音の入れ方ですが、モイアはこれをパイプの演奏から学んでいます。

 アイリッシュ・ミュージックにおいて装飾音の入れ方の標準、お手本となるのがパイプであるのは面白いところです。他の楽器、フィドルやフルート、アコーディオンはパイプの装飾音を模倣する、エミュレートする傾向が明瞭に見られます。

Living Wood
Chathasaigh Maire Ni
Black Crow (UK)
1994-09-05

 


Laoise Kelly (1973-)
Compliments To Sean Maguire; The Saratoga; President Garfield’s from 1999, JUST HARP
 1999年のこのCDでリーシャ・ケリーが登場したとき、まずそのジャケットの笑顔にノックアウトされました。彼女の登場がハープに与えた衝撃はシャロン・シャノンが登場したとき、アイリッシュ・ミュージックに与えた衝撃に相当します。それまでフォーマルな、ほとんどいかめしいという印象だったハープの雰囲気ががらりと変わり、明るくはじけた、楽しいものになったのです。

 村上さんによれば彼女の演奏は誰の影響も見えない、まったくユニークなもので、楽器も現在主流のレバー式ではなく、古いブレード式のものを使っているそうです。ベース弦を積極的に活用するスタイルは奔放で、そのダンス・チューン演奏はほとんどクラブ・サウンドと呼びたいくらいです。

 彼女は教えるのは苦手と公言していもいる由ですが、その影響はむしろこれから出てくるかもしれません。

Just Harp
Laoise Kelly
Claddagh
1999-02-22

 


Michael Rooney
Land’s End from  2006, LAND’S END
 いま現在、主流となっているハープ演奏のスタイルを確立したのがこの人。もともとは Janet Harbison の教え子の一人ですが、ハーパーとしてはまさに出藍の誉れ、師を完全に超えてしまった例です。

 ルーニィは十度奏法と呼ばれる、左手を開いて十度の和音を出すのを多用するスタイルを編み出し、これが現在、若いハーパーがこぞって採用するようになっています。

 もう一つこの人が凄いのは作曲の才能で、ハープのために作曲したその曲が数多く、アイリッシュ・ミュージック広く一般のレパートリィとして採り入れられています。セッションの場でも普通に演奏される、というのは、ばりばり現役の人では他にはリズ・キャロルくらいでしょうか。


 ハープはこうして見ると、アイリッシュ・ミュージックの流れのなかでは、バゥロンよりもブズーキやギターよりも新しいと言えるかもしれません。村上さん自身は、マイケル・ルーニィの影響をやはり受けていますが、そこから脱出して、自分なりのスタイルを編み出そうと努力されているそうです。かれの演奏はアイルランドではちょっと聴いたことのない繊細さを備えていて、ルーニィと並ぶ一方の雄になる可能性は十分もっていると思います。演奏者としてのこれからの活躍を大いに期待します。

 来年4月9日には第3回のハープ・フェスティヴァルが東京で開かれる予定です。村上さんはじめ、わが国のハーパーたちが一堂に会する楽しいイベントです。また今回はスコットランドからトップ・ハーパーの一人 Rachel Hair がその親友 Joy Dunlop とともに来日します。スコットランドのハープは clarsach と呼ばれることが多いですが、楽器そのものはアイルランドのものと同じです。スコットランドでは現在アイルランド以上にハープは盛り上がっています。そのベストを直接体験できます。公式サイトがまもなく立ち上がるそうですので、乞うご注目。


 このアイリッシュ・ミュージックの楽器シリーズは次はフィドルを予定しています。時期はまだ未定で、たぶん来年春。フィドルはなんといってもアイリッシュ・ミュージックのメイン楽器なので、いろいろ大変ではありますが、それだけまた楽しみでもあります。(ゆ)

 結局バンド名の由来を訊くのを忘れた。なんでもないような名前だが、一度聞くと忘れがたい。まさに彼女たちの音楽そのままの名前ではある。

 昨年夏に一度、鎌倉でライヴを見ているが、当然のことながら、まるで別のバンドに成長していた。CDは聴いていたのだが、どうも結びついていなかった。生の演奏を見るのにはこういう効用もある。聴いている音楽とそれを演っている生身の人間が重なりあい、焦点が定まるのだ。

 まず目を瞠ったのは中藤さんのおちつき。そう思ってみると、彼女のライヴ演奏を見るのはこれが初めてだった。tricolor はなぜかいつも行き違ってしまって、いまだに見ていない。この姿を見ると、これはあちらもぜひ生を見なくてはと褌を締めなおした。

 あれはもう5年前になるのか。奇しくも同じ霜月三十日、表参道の Cay で行なわれた Tokyo Irish Generation のレコ発ライヴの司会をしていたのが中藤さんだった。自分でもこんなところにいるのが信じられない、というような初々しい司会ぶりだったと記憶する。

 それがどうだろう、風格すら漂わせた佇まい。tricolor の《旅にまつわる物語》での彼女のフィドルの深さには驚嘆していたが、なるほど、これならばさもありなん。生で聴くフィドルもコンサティーナも、それはそれは豊かな響きで、このトリオでも土台をささえている。

 須貝さんも、一度上野の水上音楽堂で、豊田さんとのトライフルを聴いただけで、あの時はステージは遙か彼方だったから、この近距離では初めて。今回は作曲もいくつも手掛けていて、それがまた良い。アイルランド留学中の淋しさから生まれたものが多いようだが、人間、一度はとことん孤独になるのも悪くはない、と思わせる。

 梅田さんのハープは生梅でも見たし、ゲーム音楽のライヴでも聴いているが、今回は彼女のオリジナルが中心でもあり、演奏でもいろいろ面白い試みをしている。1回弦を弾いた音をレバーを上下させて変化させるのは初めて見た。彼女も大好きというスコットランドの Corrina Hewat は目にも止まらぬ早業で複雑にレバー操作を繰り返す名手だが、そのヘワットでもこんな技はやったことがないだろう。

 伝統楽器はどれも制限があり、そこが面白いところなのだが、ハープという楽器のもつ制限はその中でも他とかけ離れたところがあって、他の楽器と合わせるのが難しい。ハープの入ったアンサンブルは、現地でもあまりない。チーフテンズとスコットランドの Whistlebinkies、ウェールズのかつての Ar Log や最近の Calan ぐらいか。そういうところから見ると、梅田さんはハープの限界を拡げることに熱心なようでもあり、むしろアラン・スティーヴェルに近いかもしれない。今のところ、エレクトリック・ハープを使うつもりは無さそうだが、いつか聴いてみたい気もする。

 それにしても、こうして生で聴くと na ba na のオリジナルはどれも佳曲だ。確かに静かな曲ばかりだが、耳に優しいだけでなく、耳に残る。耳だけでなく、胸にまで落ちてくる。いつまでも聴いていたくなる。

 他でも書いたことだけれど、tipsipuca の高梨さんや、大阪の nami さんも含め、すぐれた作曲家の出現は嬉しいかぎりだ。

 このタワー6階のインストア・ライヴはワールド・ミュージック担当のカツオ氏の企画・進行によるが、若い女性ばかりのトリオを前にして、いささかやりにくそうではある。あるいはこういうアイリッシュやケルト系の音楽は、これまでインストア・ライヴでやってきた音楽とは性質が違うのかなと思ったりもするが、ぜひぜひこれからも続けていただきたい。当面次は年明け、1月16日(土)(日)15:00 の奈加靖子さんが決まっている。

 奈加さんの新作《BEYOND》は、ライナーを書いた手前あまり大きな声では言えないが、傑作です。ぜひ、このタワーレコードで買うてくだされ。渋谷まで行けない人は下のリンクからどうぞ。

 na ba na のライヴは12月26日、玉川上水・ロバハウス。今回のCDの録音エンジニアでもあるシンガー・ソング・ライター Sasakura さんがゲストだそうで、こちらも楽しみ。(ゆ)
 

はじまりの花
na ba na ナバナ
TOKYO IRISH COMPANY
2015-11-15



Beyond
奈加靖子
cherish garden
2015-12-13


 木村林太郎さんがMCで、「ようこそ、たどり着いてくださいました」と言っていたが、実際、会場の Eggman Tokyo East があるはずの道に曲がった時には、一度道を間違えたかと、もう1本先をうかがったぐらいだった。ビジネス街というにはいささかくたびれてはいるがオフィスビルが並んでいて、生活や文化の匂いがまったくない。そういうところを通って、しかし中に入ると一種不思議な熱気に、そこだけぽっかりと地中にあいた「妖精の丘」の下にある宮廷にでも迷いこんだけしきだ。

 先日の高円寺 Grain のライヴで木村さんからこういうイベントがあります、と言われて初めて気がついた体たらくで、今日の本番は売切れていたが、昨日の「前夜祭」はまだ余裕があるとのことで、とにかく村上さんを生で聴けるというのでライヴのダブル・ヘッダーになったものの、まず行って良かった。

 木村さんのMCによれば、このフェスティバルの言い出しっぺは村上さんだが、実際に動いたのはどうやら木村さんらしい。音楽家としても一流だが、オーガナイザーとしても相当なもので、これだけの面子を揃えて、小さい会場とはいえ、満員にしたのは立派だ。当然、次回以降への期待も大きくなるが、まず大丈夫だろう。

 「アイリッシュハープ」と銘打たれてはいるが、昨夜もウェールズやブルターニュのようなハープの盛んな地域はもちろん、コーンウォールや北欧、さらにはオリジナルと、性格も肌触りも多彩なレパートリィが披露されたのは、伝統からは一度離れている強味ではある。向こうでも、国際的なハープ・フェスティヴァルなどでは多彩な音楽が聴けるだろうが、一組のミュージシャンが多彩なレパートリィを披露するのはあまりなかろう。そうしたレパートリィが重なることで、各地域の代表がそれぞれに奏でるのとはまた違った、一段とからみあったレゾナンスが湧きあがる。

 それにして、同じタイプのハープ、しかも時にはメーカーまで同じ楽器を使いながら、それぞれに鮮やかな個性を見せてくれたのは面白かった。

 ハーパーズ・カフェのお二人は、とにかくハープを弾くのが好きで好きでたまらない、という様子が初々しい、というと失礼かもしれない。一方で、レパートリィの幅の広さでは一番貪欲だし、響きの異なる2台のハープ、22弦と29弦とのことだが、これを重ねることで生まれる音のズレを増幅するアレンジも周到だ。このデュオをこの Eggman のような、距離の近いところで聴けたのは幸運でもあった。広いホールではなく、まさにリビングのようなところで、お茶をいただきながら聴く午後を過ごしてみたい。そうそう、溝の口の Birdland Cafe のようなところで聴ければ最高だ。あそこは紅茶ではなくコーヒーだが。

 木村林太郎さんのデュオ、ラノッホは、まさに妖精の扮装で現われた。Grain での素顔も良かったが、たしかにこうした演出がぴったりはまる。ちょっと世離れしたところが、このデュオにはある。木村さんのヴォーカルは、故ミホール・オ・ドーナルを思わせるところがあるな、と昨日は思った。表面和らかいが、奥には確固たる芯がぴんと通っている。そしてどんな時にも変わらない温もりを発する。菅野さんはクラシックの方と聞いていたが、木村さんのハープによく合う。このお二人も、あまり広くないところで、じっくりと聴いてみたい。

 hatao & Nami のナミさんは今回はハープだけだが、前回聴いた時よりもハープが遙かにうまくなっている。というと生意気のようだが、前回はまだメインはあくまでピアノで、ハープは「余技」あるいは修行中のようなところがあった。今回は楽器が体の一部になっている。こうなると彼女のセンスの良さが存分に発揮されて、ハープがまるで別の楽器に聞こえる。これまでこの楽器からは聴いたことがないように思えるくらい、新鮮に響く。まあ、前回はわざと隠していたのかもしれない。今度はハープをメインに造っているというセカンド・アルバムは実に楽しみだ。

 そして「真打ち」村上淳志さん。生で聴くかれのハープは想像をはるかに超えて繊細だ。ダンス・チューンをやっても、とてもそうは聴こえない。というよりは、それは人間が踊るための音楽ではなく、フェアリーやレプラコーンのような、別世界の住人たちが踊るための音楽なのだ。もともとハープはダンス・チューンを演奏するための楽器ではなかった。それが始まったのはせいぜいが1970年代で、モイア・ニ・カハシーたちの功績ではあるが、その過程でハープが置き去りに、という表現が乱暴なら、棚上げにしてきた繊細さを、村上さんのハープは再度とりもどそうとしているようでもある。神話ではならぶ者のないハープの名手、長い腕のルーはその演奏で、神々を踊らせ、泣かせ、そして眠らせた、というその神々を踊らせたのはこういうハープではなかったか。ご本人が意図したことではなく、むしろ性格の反映なのかもしれないが、かれがハープに出会ったのは、天の配剤かもしれない。またそこには、本物の芸術家が見せる「途上感」がある。今でもトップのレベルだが、ここで終わりではなく、これからまだまだ先がある、という感覚だ。かれがさらに精進と経験を重ねたその先に聴かせるものを聴いてみたい。それを聴くためだけになんとか生き延びたい。そう思わせられる。

 もっと短かいのかと思っていたら、それぞれたっぷり時間をとり、終演は22時を回っていた。たまたま出口のそばにいた hatao さんにだけ挨拶してあわてて帰途につく。「前夜祭」だけでこの充実ぶりとすれば、本番はいったいどうなるのか。今回は行けないが、「第2回」を期待しよう。(ゆ)

 ほとんど2年ぶりに見る内藤さんは大きく成長していた。いや、そんな言い方はもうふさわしくない。一個のみごとな音楽家としてそこにいた。城田さんと対等、というのももはやふさわしくないだろう。かつては城田さんがリードしたり、引っ張ったりしていたところがまだあったが、そんなところも皆無だ。城田さんも、まるでパディ・キーナンやコーマック・ベグリーを相手にしているように、淡々とギターを合わせる。

 今日は〈サリー・ガーデン〉や〈庭の千草〉のような「エンタメ」はやりません、コアに行きます、と城田さんが言う。コアといってもアイリッシュだけではない。いきなりオールドタイムが来た。城田さんがもっと他の音楽、ブルーグラスもやろう、と言うのに内藤さんがむしろオールドタイムをやりたい、アイリッシュ、オールドタイム、ブルーグラスはみんな違うけれど、オールドタイムはどこかアイリッシュに近い、と言うのにうなずく。ブルーグラスは商業音楽のジャンルだが、アイリッシュとオールドタイムは伝統音楽のタイプなのだ。

 それにホーンパイプ。アイリッシュでもホーンパイプはあまり聴けないが、ぼくなどはジグよりもリールよりも、あるいはハイランズやポルカよりも、ホーンパイプが一番アイリッシュらしいと思う。〈The Stage〉はものすごく弾きにくい曲なんです、と内藤さんが言う。作曲者は19世紀のフィドラーだが、ひょっとするとショウケース用かな。

 その後も生粋のアイリッシュというのはむしろ少なく、アメリカのフィドラーのオリジナルやスコティッシュや、ブロウザベラの曲まで登場する。ブロウザベラは嬉しい。イングリッシュの曲だって、ケルト系に負けず劣らず、良い曲、面白い曲はたくさんある。速い曲も少なく、ミドルからスローなテンポが多いのもほっとする。

 コンサティーナもハープももはや自家薬籠中。コンサティーナの音は大きい、とお父上にも言われたそうだが、アコーディオンよりは小さいんじゃないか、とも思う。音色がどこか優しいからだろうか。ニール・ヴァレリィあたりになると音色の優しさも背後に後退するが、内藤さんが弾くとタッチの優しさがそのまま響きに出るようだ。

 今回の新機軸は城田さん手製のパンプレット。このバードランド・カフェのライヴ専用に造られたもの。主に演奏する曲の解説だが、曲にまつわる様々な情報を伝えることは、伝統音楽のキモでもある。伝統音楽というのは、音楽だけではなくて、こうした周囲の雑多な情報や慣習や雰囲気も含めた在り方だ。

 ここは本当に音が良い。まったくの生音なのに、城田さんのヴォーカルも楽器の音に埋もれない。それだけ小さく響かせているのかもしれないし、距離の近さもあるだろうが、こういう音楽はやはりこういうところで聴きたい。

 今回はイエメンとニカラグアをいただく。あいかわらず旨い。美味さには温度もあるらしい。熱すぎないのだ。あんまり熱くするのは、まずさを隠すためかもしれない。家では熱いコーヒーばかり飲んでいるが。

 終わってから、先日音だけはできたという、フランキィ・ギャヴィンとパディ・キーナンとの録音で、内藤さんの苦労話を聞く。今年の秋には二人を日本に招く予定で、それには間に合わせたい、とのこと。しかしこの二人の共演録音はまだ無いはずだし、ギターが城田さんで、内藤さんも数曲加わってダブル・フィドルもある、となると、こりゃ「ベストセラー」間違いなし。それにしても、内藤さんの話をうかがうと、アイリッシュの連中のCDがなかなか出ないのも無理はない、と思えてくる。

 城田さんは晴男だそうだが、近頃多少弱くなったとはいえあたしが雨男で、店の常連でこのデュオの昔からのファンにもう一人、やはり強烈な雨男がおられる、ということで、昨日は途中から雨になった。お店の近くの二ヶ領用水沿いの枝下桜は雨の中でも風情があって、帰りはずっと用水にそって歩いてみた。満開の樹とまったく花が咲いていない樹が隣りあわせ、というのも面白い。(ゆ)

 ジャズの文脈でハープを演奏する古佐小基史さんが、今年も日本公演をされるそうです。

 今回は尺八奏者との共演で、新曲もありますね。

 また、オークヴィレッジの稲本正氏とのジョイント・イベントもあります。そうかー、古佐小さんは森に住んでいるのかー。日本では森はすなわち山になってしまうんで、なかなか住みづらいところがあります。ちと、うらやましい。


 日本では、秋の感じられる四季の移り変わりの美しい季節になってきたことと思います。
 
 領土問題、デフレに円高と日本には国難の続く中、今年も、皆様のお陰を持ちまして日本公演を開催させていただけることとなりました。心より御礼申し上げます。

 今回は尺八奏者、中村仁樹さんとのデュオ公演、稲本正さんとのジョイント講演/公演を予定しております。今年は、ハープという西洋楽器、ジャズという西洋音楽のスタイルの中に、「和」の雰囲気の感じられる音楽を意識してプログラムを準備しております。

 古佐小基史/中村仁樹デュオ ビデオ画像リンク    


東京公演
古佐小基史(ハープ)&中村仁樹(尺八)デュオコンサート
 卓越したテクニックとスリリングな即興演奏により、伝統の古典楽器
に新たな生命を吹き込むジャズハーピスト: 古佐小基史と新世代尺八奏者:
中村仁樹によるデュオ。
演奏曲目;霊峰(作曲・古佐小)、花舞(作曲・中村)、荒城の月、他
【日時】11/10(土)
    昼の部15:00(14:30開場)/夜の部19:00(18:30開場)
【場所】GGサロン
    〒171-0044東京都豊島区千早1-16-14(東京メトロ有楽町線、副都心線要町駅徒歩3分)
【入場料】 ☆前売券 3,000円 ☆当日券 3,500円
【チケットお問い合わせ】愛媛サポーターズ 那須やよい
            電話:03-6303-3577 
            携帯:090-6000-3888
               e-mail


松山公演
古佐小基史(ハープ)&中村仁樹(尺八)デュオコンサート(1)
 伝統の古典楽器に新たな生命を吹き込むジャズハーピスト:古佐小基史と
新世代尺八奏者:中村仁樹によるデュオ。オリジナル曲を中心に、ジャズ、
ブルースなど多様なスタイルでの即興演奏。
【日時】10/27(土)
    20:00(19:30pm開場)
【場所】 MONK
                 愛媛県松山市三番町1-10-16(三番町ローソンの東) 089-945-9512
【入場料】前売券 3,000円 当日券 3,500円  
【チケット・お問い合わせ】090-4505-2158(能智)
                                       090-5143-0631(松本)


古佐小基史(ハープ)&中村仁樹(尺八)デュオコンサート(2)
 松本紀生のアラスカの大自然の写真、プラネタリウムの星空、そして幻想的な
ハープと尺八の音楽。
【日時】10/28(日)
    16:00(15:30開場)
【入場料】前売券 大人(高校生以上)3,000円  小人 1,500円   
               当日券 大人(高校生以上)3,500円  小人 2,000円
【チケット・お問い合わせ】ミュージック・オフィス松山 090-5277-4705(山之内)
             コミュニティーセンターこども館 089-943-8228


講演:稲本正+ハープ演奏 古佐小基史 「森へ〜自然が教えてくれたこと〜」
 森に生きる人——稲本正(オークヴィレッジ代表)と、森に暮らす人ー古佐小基史(アメリカ在住ハーピスト)による講演と音楽演奏とともに、地球の美しさに思いをめぐらすひと時を。
【日時】11/04(日)
    13:30(13:00開場)
【場所】 愛媛大学南加記念ホール
    〒790-8577愛媛県松山市道後道後樋又10-13
【会 費】 1,000円  
【チケット・お問い合わせ】子供たちは明るい未来をNET
             090-7782-2107(井上) 
                                       090-4973-3267(鍵矢)


宇和島公演
古佐小基史(ハープ)&中村仁樹(尺八)デュオ チャリティー・ディナーショー
 伝統の古典楽器に新たな生命を吹き込むジャズハーピスト: 古佐小基史と
新世代尺八奏者:中村仁樹によるデュオ。オリジナル曲を中心に、ジャズ、
ブルースなど多様なスタイルでの即興演奏を、ディナーとともにお楽しみください。
【日時】10/26(金)
    18:00ディナー開始(17:30開場)
             〒798-0020愛媛県宇和島市高串1-435-1
【料  金】 5,000円(ディナー付き、飲み物別) 
【チケット・お問い合わせ】クアライフ 0895-24-7788
           国際ソロプチミスト宇和島 090-4783-1698(中村)


Thanx! > 古佐小さん

ハープの生山早弥香さんとフルートの hatao さんのライヴが来月、熊本と福岡であるそうです。
    

★09/17(土)調べ、ケルトの風に乗って(アイリッシュ・ハープ&アイリッシュ・フルート)
【出演】生山早弥香(アイリッシュ・ハープ)、hatao(アイリッシュ・フルート)
【時間】18:00開場、18:30開演、20:00終演予定
【場所】熊本市下通1-4-9ニコニコビル2F バーJUNX
【チケット】前売り2,500円(ドリンク付き)、当日3,000円(ドリンク付き)※座席は限りがあります。
【チケット購入&お問い合わせ】096-288-5138 または 080-1540-5418
【内容】アイルランド音楽メインの内容

★09/24(土)ケルトの国の調べ〜アイリッシュ・ハープ&アイリッシュ・フルートのコンサート〜
【出演】生山早弥香(アイリッシュ・ハープ)、hatao(アイリッシュ・フルート)
【時間】開場&お食事・13:00〜 コンサート・14:00〜
【場所】福岡市中央区大宮2丁目1-31 U/TERRACE 1F Gallery&直方焼きそばやすむら
【料金】前売り2,500円(ドリンク付き)、前売り3,500円(ランチ&ドリンク付き)、
(当日 [1] 3,000円(ドリンク付き)、当日 [2] 4,000円(ランチ&ドリンク付き)です。)
【購入】店頭購入・やすむら092-531-8803
生山アイリッシュ・ハープ教室0977-84-5508、メール・song@tambourine-japan.com
【内容】アイルランド音楽メインの内容
*定員25名ですので、お早めにご購入下さい。お食事つきとドリンクのみの二種類のチケットからお選びいただけます。


Tambourine
135-148 Tsukahara
Yufuin-cho,Yufu-shi
Oita-ken 879-5101
Japan
email: sayaharp@gmail.com
------------------
sayaka ikuyama website

東京で活躍するハープ弾き語り、木村林太郎氏のコンサートが京都は一乗寺であるそうです。関西で彼の演奏を観ることができる機会は滅多にないとのことで、貴重なチャンスでしょう。

〜Harp de Siesta〜

ハープでシエスタ。
暑い夏の昼下がり。
どこか懐かしいアイルランドやウェールズ、スコットランドの曲を、歌とハープ演奏でお聞かせします。
お昼寝しちゃっても大丈夫。 こころ穏やかな夏のひとときをお楽しみ下さい。
休憩時間には美味しい手作りお菓子とお茶をどうぞ。

日時:08/21(土)13:00〜
料金:2,000円(お茶と美味しい手作りお菓子つき)
場所:いちなん3Fパーティールーム
出演:木村林太郎(歌とハープ)
         kumi(アイリッシュハープ)
予約:いちなん
         京都市左京区一乗寺北大丸町51
         Tel: 075-721-6937(18:00-23:00)


Thanx! > 今尾公美 (kumi)さん

    この場合のハープはブルース・ハープのハープではなく、竪琴。楽器はペダルのある形ですが、クラシックで一般的なグランド・ハープよりはひと回り小さな、ケルティック・ハープに近いサイズです。

2010-08-01追記
    ビデオでは小型の楽器に見えるんですが、実際にはフルサイズのグランド・ハープである、との指摘をいただきました。
    フランスのカマックというハープだそうで、「従来のハープに比べてペダル操作の戻りが早く、速いジャズの演奏には大変適しています」とのこと。
   
    そのハープで主にジャズを弾くのがこの古佐小氏で、カリフォルニアをベースに活動しているらしい。
   
    ハープといえば、スーザン・マキュオンの《BLACKTHORN》でコロンビア人のハーパーが大活躍していて、かれもジャズを志向してました。
   
    で、その古佐小氏が、オレゴンのリード楽器担当ポール・マッキャンドレスとのデュオで来日するそうです。YouTube にはプロモ・ビデオがあがってます。これを見るかぎり、本番のライヴは相当期待できます。詳しくは下記特設サイトをどうぞ。




 《オレゴンのリード奏者 ポール・マッキャンドレス + ハープ奏者古佐小基史 来日コンサート》

清澄で耽美的な世界と親しみやすさを併せ持つ驚異の芸術集団オレゴンのリード奏者ポール・マッキャンドレスと、ジャズ・ハープで新地平を切り開いている古佐小基史による注目のデュオ公演!!

☆とき:10/01(金)18:30開場 19:00開演
☆ところ:音楽の友ホール
(東京メトロ東西線 神楽坂駅1番出口より徒歩1分)
〒162-8716 東京都新宿区神楽坂6-30
TEL:03-3235-2115
☆チケット:前売り4,000円   当日4,500円
       発売中 全席自由 整理券による番号順の入場等はありません。
☆チケット販売:disk union下記の店舗, e+(イープラスチケットサービス)
  Disk Union  *お茶の水ジャズ館/TEL:03-3294-2648
   *新宿ジャズ館/TEL:03-5379-3551
*新宿プログレッシブロック館/TEL:03-3352-2141
*渋谷ジャズ/レアグルーヴ館/TEL:03-3461-1161
*吉祥寺ジャズ&クラシック館/TEL:0422-23-3533
*横浜関内店/TEL:045-661-1541

☆コンサート特設サイト

☆コンサート情報ブログ



Thanx! > 飯野さん@M-23 PRODUCE

    この場合のハープはブルース・ハープのハープではなく、竪琴。楽器はペダルのある形ですが、クラシックで一般的なグランド・ハープよりはひと回り小さな、ケルティック・ハープに近いサイズです。
   
    そのハープで主にジャズを弾くのがこの古佐小氏で、カリフォルニアをベースに活動しているらしい。
   
    ハープといえば、スーザン・マキュオンの《BLACKTHORN》でコロンビア人のハーパーが大活躍していて、かれもジャズを志向してました。
   
    で、その古佐小氏が、オレゴンのリード楽器担当ポール・マッキャンドレスとのデュオで来日するそうです。YouTube にはプロモ・ビデオがあがってます。これを見るかぎり、本番のライヴは相当期待できます。詳しくは下記特設サイトをどうぞ。




 《オレゴンのリード奏者 ポール・マッキャンドレス + ハープ奏者古佐小基史 来日コンサート》

清澄で耽美的な世界と親しみやすさを併せ持つ驚異の芸術集団オレゴンのリード奏者ポール・マッキャンドレスと、ジャズ・ハープで新地平を切り開いている古佐小基史による注目のデュオ公演!!

☆とき:10/01(金)18:30開場 19:00開演
☆ところ:音楽の友ホール
(東京メトロ東西線 神楽坂駅1番出口より徒歩1分)
〒162-8716 東京都新宿区神楽坂6-30
TEL:03-3235-2115
☆チケット:前売り4,000円   当日4,500円
       発売中 全席自由 整理券による番号順の入場等はありません。
☆チケット販売:disk union下記の店舗, e+(イープラスチケットサービス)
  Disk Union  *お茶の水ジャズ館/TEL:03-3294-2648
   *新宿ジャズ館/TEL:03-5379-3551
*新宿プログレッシブロック館/TEL:03-3352-2141
*渋谷ジャズ/レアグルーヴ館/TEL:03-3461-1161
*吉祥寺ジャズ&クラシック館/TEL:0422-23-3533
*横浜関内店/TEL:045-661-1541

☆コンサート特設サイト

☆コンサート情報ブログ



Thanx! > 飯野さん@M-23 PRODUCE

ダブリン在住のハーパー、村上淳志さんの動画。





この他にも〈Star above the Garter> Lonesome Jig〉もやっています。〈Take 5〉やマイケル・ナイマンのピアノ曲もやっていて、かなり意欲的。こういう挑戦はもっとどんどんやっていただきたい。


いやしかし、こういう人もいるんですね。(ゆ)


Thanx! > miyasun

    本誌8月号は明日の昼までには配信できそうです。


    ところで、今年の「ケルティック・クリスマス」で来日するクリス・スタウト&カトリオナ・マッケイが属するフィドラーズ・ビドの新作《ALL DRESSED IN YELLOW》 がシェトランドでリリースされ、そのうち2曲が MySpace にアップされてます。
   
    かれらのライヴの魅力が初めて録音で捕えられたと思います。この断片を聴くかぎり、たしかにこれまでの録音から突破してます。ようやく録音とライヴの違いを体で実感して、音作りに生かせるようになった、というけしき。そうなれば鬼に金棒。これは楽しみです。(ゆ)

 今年もグローニャ・ハンブリーが武蔵野に来るそうです。

 アイリッシュ・ハープの若手としてはナンバー1といってもいい存在。前回と同じ守安夫妻との共演で、会場も前回と同じ東京・三鷹の武蔵野文化会館の小ホール。前回は完全ノーPA でしたが、今回はどうかな。アイリッシュ・ハープの音はそう大きなものではないので、なるべく前の席がお薦めです。

 電話予約開始は 03/02(日)10:00。
申し込み先は武蔵野文化事業団 Tel: 0422-54-2011。
(受付時間10:00〜22:00/無休)
前回は3日で完売したそうです。

 公演そのものは 06/08(日)15:00 開演。
料金は全席指定席2,000円。
毎度のことながら破格の値段。

 グローニャの CD は3枚あります。どれも良いですが、どれか1枚なら最新作《THE THORN TREE》でしょう。


Thanx! > 額田さん@武蔵野文化事業団

 ケルティック・ハープの坂上真清さんのグループ
Sa.Ka.Na のクリスマス・ライヴがあるそうです。

 もうクリスマスですか。
巷ではイルミネーションの飾り付けもはじまってました。
年々、早くなるような気がする。

 詳しくはこちら


『ケルティック・ハープ&フィドル☆クリスマス・ライブ』

12/09 (日)
横浜・野毛『Le Temps Perdu』 ル・タン・ペルデュ
18:00スタート 30分×3ステージ
チャージ 500円 +1ドリンクオーダー(要)
(ライブチャージ 投げ銭制)
お問い合わせ 045-242-9777 (予約可)


12/25 (火)
東京・荻窪『サンジャック
18:30開場  19:30 開演
チャージ 2500円+要1ドリンクオーダー(ミニオードブル付き)
ご予約は メール にて承ります


Thanx! > 坂上さん

 えー、ほとんど恒例になってしまっていますが、今月も配信が遅れます。今のところ、22日配信予定です。乞御容赦。


 先頃チーフテンズに同行して来日したハープのトリーナ・マーシャルのお兄さんチャーリィは日本在住の薩摩琵琶奏者。トリフォニー・ホールでは例の、アンコール前の参加各ミュージシャンのソロ回しで、いきなり出てきて琵琶でダンス・チューンを披露してました。なんでも開演1時間前にやらないかと言われたそうな。

 彼は尺八も良くし、先日、その琵琶・尺八とトリーナのハープとの共演を聞く機会がありました。琵琶の曲からアイリッシュへつなげたり、アイリッシュ・チューンを尺八とハープでやる形でしたが、実にすばらしいもの。新しい音楽が生れる現場を見せてくれました。この2人なら、アイリッシュ・ミュージックにも、薩摩琵琶にも、新しい可能性を開けるでしょう。将来、ぜひ2人でアルバムを作って欲しい。(ゆ)

 どうやらチーフテンズの準メンバーと言ってもいいくらいのトゥリーナ・マーシャルの初のソロの国内盤が《アイリッシュ・ハープ》としてプランクトンから出ています。

 そのブックレットに曲目解説を書いたんですが、1ヶ所、ミスがありました。最後のトラック〈Rakish Paddy/ The bucks of Oramore/ The mortgate burn〉のところで、

「2つの曲からなるメドレー」

とありますが、これは明らかに

「3つの曲からなるメドレー」

の間違いです。
 申し訳ありませんが、そのように読みなおしてください。

 ゲラでも見過ごしてました。こういう、大きく目立つところの間違いが見過ごされることはままあるんですが、やってもうた。

 まあ、こういうところは気にしないで、音楽を楽しんでください。この録音はほんとうにすばらしいです。(ゆ)

 5月のグローニャ・ハンブリーの来日ツアーのうち、05/13(日)の武蔵野市民文化会館小ホールでの公演のチケットが 02/16(金)10:00 から発売になります。

 例によっていつもあっという間に売りきれることが予想されるのでご注意。スイング・ホールではなく、文化会館の小ホールなので、多少余裕はあるかもしれません。

 ハープの坂上真清さんがセカンドCDを出されたそうです。

 7年ぶりとのことで、メインはカロランの知られざる名曲を再評価しようというもの。

 トリニティのサイトでは9月末に発売となってますが、遅れてたのかな。

 なんにしても、めでたい。

 "O'Carolan" の表記ですが、筆者は O'Sullivan の決定版伝記の記述にしたがい、"O'" は読まずに「カロラン」にしてます。
 この伝記は全曲楽譜集とセットになった大部のものですが、翻訳したら売れるのかなあ。あんまり読みやすいものではないんですけどね。

   *   *   *   *   *

 この度7年ぶりとなる坂上真清の 2nd CD が発売になりました。主なコンセプトはアイルランドにおける最も高名なハープ奏者兼作曲家でアイルランド吟遊詩人の伝統が途絶える最後の時代を生きたトゥアーロウ・オ・キャロラン(Turlough O'Carolan  1670-1738) のまだあまり知られていない名曲に光を当てるという物です。またここ数年コンサートで演奏してきて評判の良かったオリジナル曲も同時収録しています。ハープはオ・キャロランの時代に主に使用されていた金属の弦を張ったハープを使用し 演奏方法も当時の伝統に従い伸ばした爪を使って弾くというスタイルをとっています。

 オ・キャロラン自身に関する事やCDのもっと詳しい内容は発売元であるトリニティーエンター・プライズのHPにアップしていますのでそちらをご覧下さい。


『アイルランド最後の吟遊詩人〜オ・キャロランの世界』

〜 The Last Irish Bard 〜     TRCD0013
価格  税込¥2,300
販売元 トリニティー・エンタープライズ
全国大型CD店での御注文、またネットサイトではトリニティーのHP、HMV 、タワーレコード 、アマゾン(近日中の予定) 、YAHOOショッピングなどから御購入が可能です。

収録曲
1 ゴールウェイ卿のための哀歌
   LOrd Galway's LamentatiOn
2 マーヴェン・プラット  〜  あともう一杯
   Mervyn Pratt         One Bottle More
3 深き海       〜   キーン・オハラ
   The Seas Are Deep      Kean O'Hara
4 ラスモア  *
   Lusmore
5 ダニエル・ケリー 
   Daniel Kelly  
6 リクソン婦人   〜   活気あふれて
   Lady Wrixon        All Alive
7 ドーナル・オブライエン 〜 マーガレット・マローン 
   Donal O'Brien        Margaret Malone 
8 リトル・アニータ   *
   Little Anita
9 イザベラ・バーク 
   Isabella Burke 
10 リチャード・キューサック  〜  プランクスティー・オキャロラン
   Richard Cusack          Planxty O'Carolan
11 暗くもの悲しげな若者 
   The Dark, Plaintive Youth 
12 魂と体の別離     〜     ペギー・モートン 
   Separation Of Soul and Body    Peggy Morton
13 サンセット・チャイルド   *
   Sunset Child

*オリジナル


Thanx! > 坂上さん

 日本アイルランド協会の年次大会が、11月下旬、滋賀県の滋賀大学彦根キャンパスで開かれるそうです。

 今年は山下理恵子さんのダンスに関する研究、菊地恵子さんのカロランに関する研究の発表もあります。
 スティッフ・リトル・フィンガーズに関する研究、なんてのもありますね。

 個人的にはジョン・バンヴィルに関する発表にもちょっと食指が動きます。アイルランドでノーベル文学賞に一番近い人ではないかな。

 研究発表や講演、シンポジウムのタイトルだけ上げておきます。詳しくは協会のウェブ・サイトをどうぞ。


   *   *   *   *   *

日本アイルランド協会 2006年度年次大会

Conference of Irish Studies

  アイルランド研究年次大会は、アイルランド研究を各分野から総合的に捉えるために 研究交流の一層の充実を期して年一回開催されます。活発な議論が展開されることを期待しております。

11/25(土)-- 26(日)
会場: 滋賀大学彦根キャンパス第二校舎棟

★プログラム
▼11/25(土)
<研究発表> 10 : 20−12 : 20

1) 山下理恵子「アイリッシュ・ダンスのナショナル・アイデンティティとしての形成」
 司会 山本拓司
2) 斎藤真琴「海の上の出来事―『ローカリティの歴史研究』に向けて」
 司会 山本 正
3) 伊藤範子「John Banville の作品における『海』」
 司会 海老澤邦江
4) 菊地恵子「ターロック・オカロランとハープ音楽」         
 司会 太田 眞

<講 演>  14 : 00−15 : 00
 藤本黎時「イェイツ研究余滴―夢か現実か―」
 司会 池田寛子

<シンポジウム> 15 : 20−17 : 50
  テーマ「イースター蜂起(1916)をめぐって」
  司会  本多三郎「イースター蜂起研究の課題とシンポジウムのねらい」
  報告  高神信一「蜂起はどのように計画され、どのように決行されたか
              ―1867年フィーニアン蜂起との比較を通じて」
     堀越 智「イースター蜂起90年に考える」

▼11/26(日)
<研究発表>   10 : 00−12 : 10
5) 山田朋美「戦間期日本におけるアイルランド認識」
 司会 齋藤英里
6) 九谷浩之「もう一つのアルスターとパンク:Westの Fodder とStiff Little Fingers」
 司会 星野恵里子         
7) 佐藤泰人「北アイルランドの詩とコミュニティー」
 司会 佐藤 亨

<テーマ発表>   13 : 00−15 : 40
 テーマ:「ターラの丘」
 司会・構成:佐野哲郎
 発表:盛 節子「ターラ王権の歴史的位置付け」
    松村賢一「王権の終焉―『ダーデルガの館の破壊』をめぐって」
    眞鍋晶子「19世紀以降のターラの丘―Gone with the Windとアメリカ移民」    

☆お問い合わせ・連絡先☆
日本アイルランド協会事務局


Thanx! > 山本さん

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