散歩に出ると、半導体エネルギー研究所本社脇の玉川にかかる橋の上に燕が5、6羽舞っている。渡りの直後のせいか、まだ子育てしていないせいか、ひどく元気。昨年は28日だったので、1週間早い。川はさすがに少し水量が増えている。風が冷たい。
O'Jizo の新作 MiC: Music in Cubic。また新境地を開いている。毎回、もうこれ以上のものはできないだろうと思うのだが、それを凌ぐ進境を見せる。それも方向転換などの裏技ではなく、正面突破してくる。今回目立つのは中村さんのアコーディオンだが、それ以上に楽曲がいい。感覚のツボにずぼずぼとはまってくる。1曲だけマイケル・マクゴールドリックの曲があるが、それが突出しない。このパンデミックの最中に、これだけのものを作るのには感嘆する。あるいは最中だからこそか。本当に実力のあるアーティストは条件が厳しいときほど底力を発揮するのだろう。トータル30分未満というのも、ヘビロテにはちょうどいい。
Rachel Hair & Ruth Keggin のクラウドファンディングに参加。ケギンはマン島のシンガー。これは楽しみだ。
Delany, Letters From Amherst、4通め。1991-03-16。前3通と宛先は異なるが、書いていることは日常の主なできごと、自分の動静。実際、この前の、叔父ヒューバートの葬儀について書いた3通め(のコピー?)を同封し、先にそちらから読んでくれと言う。こうして、自分の日常のできごとを複数の人間に手紙で知らせているのだろうか。
ここに収められた手紙はそれぞれ、中心に一つのイベントを置いている。今回はマサチューセッツ大学の若い教師の焼身自殺だ。ブッシュ政権のイラク進攻に抗議してのことだった。このことを報じる新聞を可能なかぎり集めてみるが、記事は混乱している。現場がすぐそこに見えるレストランの名前からして、正確に報道しているものは少ない。この時期、全米各地で抗議の焼身自殺が相次いだが、ディレーニィのほとんど目の前で起きたこのことは、大学全体にもディレーニィ個人にも深い傷を残す。大学では学部長が6人辞任し、学長、副学長も不在となり、評議会も解散状態になる。ディレーニィの学部長も辞任したので、かれはまた学部長代理をする羽目になる。この年度には州外から優秀な学生が集まり、とりわけ大学院のクラスはエキサイティングなことになっているのが救いではある。しかし、ある日、現場の前の例のレストランで朝食を食べていると、食べおえる頃に急に吐気を覚え、地下のトイレで食べたものをあらいざらいもどしてしまう。その勢いはまるで自分も含めたレストラン全体が混乱の結節点となって、自分が存在論的船酔いにでもなったようだった。
この嘔吐の場面は後から思いかえして書いているわけだが、それにしてもその客観化の徹底には舌を巻く。これが作家の眼というものか。
この嘔吐が事件とその余波、報道をめぐる混乱に同調したものかどうかは、本人にもわからない。しかし、こうして書かれてみれば、まったく無関係とは言えないだろう。
もう一つ、あらためて気がついたのは、ディレーニィは移動にバスを使っている。前の手紙からこの時までの間にメイン州オロノのメイン大学に1週間、特別講義に行くのにもバスを使う。ボストンでの乗り継ぎを含め、片道9時間。アマーストとマンハタンの往復にもバスを使っている。こちらは片道4時間半。車を持っていないのはわかる。バスを利用しているのはもちろんディレーニィだけではないし、利用者が一定以上いるからバスが走っているわけだが、アメリカでは車は必須と思いこんでいたから、ちょっと意外。東部の人間にはあたりまえのことなのだろうか。そう言えば John Crowley の The Solitude も主人公が長距離バスで移動している途中で降りてしまうところから始まっていた。Wikipedia によれば、アマーストを通る路線をやっているバス会社は二つある。(ゆ)
Delany, Samuel R.
Wesleyan University Press
2019-06-04


