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Banjolina って、本当に Angelina Carberry の呼び名か?
9月21日・火
気がつくと、家の前の染井吉野の葉が半分落ちて、だいぶ空が見えるようになっていた。桜の葉は長い時間をかけてぽろぽろ落ちてゆく。花とは逆。
Copperplate からのCD着。買いのがしていたものばかりで、目玉は Angelina Carberry のCD3枚。ここにまとまってあるのを発見して、大喜びで注文したら、その直後、彼女が TG4 の Gradam Ceoil Musician of the Year に選ばれたのは嬉しいシンクロニシティ。それにしても、この人、おやじさんがアコーディオン奏者のせいか、アコーディオンとやるのが大好きだ。
ここはロンドンにあるアイリッシュ・ミュージック専門CD屋で、なかなかの品揃え。ダブリンの Claddagh がレコード屋としてはものの役に立たなくなってしまった穴を少しは埋めてくれる。
##本日のグレイトフル・デッド
9月21日は1972年から1993年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1972 The Spectrum, Philadelphia, PA
秋のツアーの一貫。料金5ドル。開演夜7時半。《Dick’s Picks, Vol. 36》として完全版がリリースされた。
この頃はまだぎっちり満員ということには必ずしもならなかったらしい。フロアはかなり余裕があり、立ってステージに近寄るのもよし、椅子に座って見るのもよし、という感じだったそうな。
しかし演奏は黄金の年72年のベストの一つ。前半は力のはいった充実した歌をじっくり聴かせ、最後にきて15分超の〈Playing in the Band〉のすばらしいジャムが爆発する。後半は40分近い〈Dark Star〉はじめ、2時間を超える。演奏時間が長いほど質も良くなるのがこの頃のデッドのショウ。それにしても、この録音はCD4枚組、4時間近い。聴くのもたいへん。アウズレィ・スタンリィの録音で音はクリア。実際のショウはもちろんもっとずっと長く、終演は深夜0時は優に超えていただろう。「最長」はいつだったかの大晦日の年越しライヴで真夜中少し前に出てきて朝までやり、プロモーターのビル・グレアムが客に朝食をふるまった、というのがあるけれど。
2. 1973 The Spectrum, Philadelphia, PA
同じヴェニュー2日連続の2日目。料金5ドル。前日は6ドル。どちらも残っているチケットの半券から。場内の位置が違うのかな。後半の前半にジョー・エリスとマーティン・フィエロ参加。アンコールにも参加したらしい。
前日はひどい出来だったが、こちらはうって変わって絶好調だった由。
3. 1974 Palais des Sports, Paris, France
2度目のヨーロッパ・ツアー最終日。第二部として演奏された〈Seastones > Playin in the Band〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
4. 1982 Madison Square Garden, New York , NY
2日連続の2日目。
5. 1991 Boston Garden, Boston, MA
6本連続2本目。料金23.50ドル。開演夜7時半。
6. 1993 Madison Square Garden, New York , NY
6本連続5本目。(ゆ)
John Carty @ ラ・カーニャ、下北沢
高橋創 & Mikie O'Shay @ ラ・カーニャ、下北沢
アイリッシュ・バンジョー講座御礼
アイリッシュ・フィドル講座、御礼
城田じゅんじ《MUSIC FROM DISTANT SHORE》お詫びと訂正
あらためてよくよく聴きなおしてみると、確かに四弦の音であります。まことに申し訳ありません。わが不明をお詫びいたします。
「四弦ではなく、五弦であることがこのアルバムのキモである」
などと大見得を切ってしまいましたが、これは
「四弦を五弦のように弾いているところがこのアルバムのキモである」
と訂正させてください。
四弦バンジョーをパキパキと切れ味鋭く転がすのももちろん素敵ですが、あえてそのスピードとキレを捨てて、あくまでも優しく弦をかきならす城田さんの演奏は、バンジョーという楽器の潜在能力をあらためて思い知らせてくれています。
それと、ここでの城田さんの演奏には、今のぼくのような、「死にそこなった」人間にはひときわありがたい味があります。バンジョーのような楽器、アイリッシュ・ミュージックのような音楽には、あるいは似合わないかもしれませんが、これを「わびさび」の味と言ってみたい。枯れる、というほどおさまりかえったものではなく、けれどもどこか「悟った」感じ、諦めるのではなく、すべてを肯定しながら肝心のおおもとだけはがんとして讓らない頑固さから生まれる感じがあります。
なにか、誰も彼もが「被災者」としてなぐさめてもらいたがっているような風潮のなかで、苛酷な運命にひるまずに生きながらえていることを、単純に、さりげなく、それでいいのだ、と言ってくれている。
運命にひるまずに、といっても、別に「毅然として」ではなく、愚痴をこぼし、ぼやき、泣き言を言いながら、ぐずぐずとやっているのであります。ただ、諦めはしない。
大腸がんは手術の予後は消化器系のがんの中では良い方と言われますが、死亡原因としては、がんの中で女性ではトップ、男性でも肺がんに次いで第二位でもある由。胃がんによる死亡が減っているのに対し、大腸がんによる死者数は増えているそうです。
抗がん剤治療を受けても、再発率がゼロになるわけではない。5年以内生存率が最高95%になるというので、最低でも5%の人は5年以内に死亡しているわけです。その5%に入らないという保証は誰にもできません。
当然この数字には放射能の影響は入っていません。放射能の影響がどう出るかは判定も難しいでしょうが、がんの再発率が高くなることは、まあまずまちがいありますまい。
「お迎えはいつ来てもいい。でも、今日でなくてもいい」(佐野洋子氏の言葉)と、今日も生きのびたことを感謝しながら、しぶとく生きてゆく。死が「あんたの番だよ」と肩を叩く、その瞬間まで。
精気あふれる演奏や音楽よりも、ここでの城田さんの訥々とした演奏と音楽に、そんな「無条件の生の肯定」を感じてしまうのであります。(ゆ)
The Carolina Chocolate Drops の紹介ビデオ
Our State - The Carolina Chocolate Drops from Pete Bell on Vimeo.
ノース・カロライナの故郷のフェスティヴァルでのものを中心とした演奏シーンに、メンバーのインタヴューを重ねたもの。
番組の末尾近く、リアノンがフィドルで聴かせる曲が興味深いです。これはまだCDとしては録音されていないはず。
念のためつけ加えておくと、カロライナ・チョコレート・ドロップスはご覧のとおり全員黒人のオールドタイム・トリオ。全員が黒人というのはオールドタイムでは珍しい。たぶん、初めて。で、このリアノンが、名前からもわかるようにウェールズの血を引き、ジャスティン(眼鏡をかけていない方)の祖父はアイルランド移民です。
カロライナ・チョコレート・ドロップスという秀逸な名前はかれらの発明とおもっていたら、なんと1920年代にテネシー・チョコレート・ドロップスというバンドがあったのだそうです。録音も残っていて、こちらで聴けます。
"Hear the songs" をクリックするとミュージシャン名のリストが出ます。