クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:バンジョー

 40年ぶりということになろうか。1970年代後半、あたしらは渋谷のロック喫茶『ブラックホーク』を拠点に、「ブリティッシュ・トラッド愛好会」なるものをやっていた。月に一度、店に集まり、定例会を開く。ミニコミ誌を出す。一度、都内近郊の演奏者を集めてコンサートをしたこともある。

 「ブリティッシュ・トラッド」というのは、ブリテンやアイルランドやブルターニュの伝統音楽やそれをベースにしたロックやポップスなどの音楽の当時の総称である。アイルランドはまだ今のような大きな存在感を備えてはおらず、あたしらの目からはブリテンの陰にあってその一部に見えていた。だからブリティッシュである。トラッドは、こうした音楽のレコードでは伝統曲のクレジットとして "Trad. arr." と書かれていることが多かったからである。フランスにおけるモダンな伝統音楽の優れた担い手である Gabriel Yacoub には《Trad. Arr.》と題した見事なソロ・アルバムがある。

 この愛好会についてはいずれまたどこかで書く機会もあろう。とまれ、そのメンバーの圧倒的多数はリスナーであって、プレーヤーは例外的だった。そもそもその頃、そうした音楽を演奏する人間そのものが稀だった。当時明瞭な活動をしていたのは北海道のハード・トゥ・ファインド、関西のシ・フォークぐらいで、関東にはいたとしても散発的だった。バスコと呼ばれることになる高木光介さんはその中で稀少な上にも稀少なフィドラーだった。ただ、かれの演奏している音楽が特異だった。少なくともあたしの耳には特異と聞えた。

 その頃のあたしはアイルランドやスコットランドやウェールズやイングランドや、あるいはブルターニュ、ハンガリーなどの伝統音楽の存在を知り、それを探求することに夢中になっていた。ここであたしにとって重要だったのはこれらがヨーロッパの音楽であることだった。わが国の「洋楽」は一にも二にもアメリカのものだったし、あたしもそれまで CSN&Y で洗礼を受けてからしばらくは、アメリカのものを追いかけていた。「ブラックホーク」で聴ける音楽も圧倒的にアメリカのものだった。そういう中で、アメリカ産ではない、ヨーロッパの音楽であることは自分たちを差別化するための指標だった。

 もちろんジャズやクラシックやロックやポップス以外にも、アメリカには多種多様な音楽があって、元気にやっているなんてことはまるで知らなかった。とにかく、アメリカではない、ヨーロッパの伝統音楽でなければならなかった。だから、アメリカの伝統音楽なんて言われてもちんぷんかんぷんである。オールドタイム? なに、それ? へー、アパラチアの音楽でっか、ふうん。

 高木さんの演奏する音楽がオールドタイムであるとは聞いても、またその演奏を聴いても、どこが良いのか、何が魅力なのか、もう全然まったく理解の外だった。ただ、なにはともあれ愛好会の定例会で生演奏を聞かせてくれる貴重な存在、ということに限られていた。不遜な言い方をすれば、「ブリティッシュ・トラッド」ではないけれど、生演奏をしてくれるから、まあいいか、という感じである。

 こういう偏見はあたし一人のものではなかった。当時は若かった。若者は視野が狭い。また誰も知らないがおそろしく魅力的な対象を発見した者に特有の「原理主義」にかぶれてもいた。たとえば上記のコンサートには「オータム・リヴァー・バレー・ストリング・バンド(つまり「秋川渓谷」)」と名乗るオールドタイムのバンドも参加していたのだが、その演奏を聞いた仲間の一人は、こんなのだめだよ、トラッドじゃないよ、と言いだしたものだ。

 振り返ってみると、オールドタイムをやっている人たちも居場所を求めていたのだろう。当時、アメリカの伝統音楽といえばブルーグラスとカントリーだった。この人たちも結構原理主義者で、オールドタイムは別物としてお引取願うという態度だったらしい。実際、ある程度聴いてみれば、オールドタイムがブルーグラスでもカントリーでもないことは明瞭ではある。音楽も違うし、音楽が演奏される場も異なる。ブルーグラスもカントリーもあくまでも商業音楽であり、オールドタイムは共同体の音楽だ。共同体の音楽という点ではまだ「ブリティッシュ・トラッド」の方に近い。もちろん「ブリティッシュ・トラッド」も商業音楽としてわが国に入ってきていたけれども、共同体の音楽という出自を忘れてはいないところは、そもそもの初めから商業音楽として出発したブルーグラスやカントリーとは別のところに立っていた。

 さらに加えて、高木さんの演奏は、その頃からもう一級だった、という記憶がある。オールドタイムという音楽そのものはわからなくても、演奏の技量が良いかどうかは生を聴けばわかるものだ。少なくともそうでなければ、よくわからない音楽の演奏を愉しむことはできない。

 当時の高木さんはどこか栗鼠を思わせる細面で、小柄だけどすらりとしたしなやかな体、伸ばした髪をポニーテールにしていた。このスタイルもおしゃれなどにはまったく無縁のあたしにはまぶしかった。

 と思っていたら、いきなり高木さんの姿が消えたのである。定例会に来なくなった。あるいはあたしが長期の海外出張で定例会を休んでいた間だったかもしれない。オールドタイムを学ぶために、アメリカへ行ってしまったのだった。そう聞いて、なるほどなあ、とも思った。念のために強調しておくが、その頃、1970年代、80年代に、留学や駐在などではなく、音楽を学びに海外に行くなどというのはとんでもないことだった。しかも高木さんのやっているオールドタイムには、バークリーのような学校があるわけでもない。各地の古老を一人ひとり訪ねあるいて教えを乞うしかないのだ。それがいかにたいへんなことかは想像がついた。同時にそこまで入れこんでいたのか、とあらためてうらやましくもなった。ちなみに、アイルランドやスコットランドやイングランドの伝統音楽を学びに現地に行った人は、あたしの知るかぎり、当時は誰もいない。例外として東京パイプ・ソサエティの山根氏がハイランド・パイプを学びに行っていたかもしれない。

 それっきり、オールドタイムのことは忘れていた。はっきりとその存在を認識し、意識して音源を聴きあさるようになったのは、はて、いつのことだろう。やはり Mozaik の出現だったろうか。その少し前から、ロビンさんこと奥和宏さんの影響でアメリカの伝統音楽にも手を出していたような気もするが、決定的だったのはやはり2004年のモザイクのファースト《Live From The Powerhouse》だっただろう。ここに Bruce Molsky が参加し、当然レパートリィにもオールドタイムの曲が入っていたことで、俄然オールドタイムが気になりだした、というのが実態ではなかったか。

Live From the Powerhouse
Mozaik
Compass Records
2004-04-06



 そこでまずブルース・モルスキィを聴きだし、ダーク・パウエルを知り、そして少したってデビューしたてのカロライナ・チョコレート・ドロップスに出くわす。この頃、今世紀の初めには古いフィドル・ミュージックのヴィンテージ録音が陸続と復刻されはじめてもいて、そちらにも手を出した。SPやLP初期のフィールド録音やスタジオ録音、ラジオの録音の復刻はCD革命の最大の恩恵の一つだ。今では蝋管ですら聴ける。オールドタイムそのものも盛り上がってきていて、この点でもブルース・モルスキィの功績は大きい。後の、たとえば《Transatlantic Sessions》の一エピソード、モルスキィのフィドルとマイケル・マクゴゥドリックのパイプ、それにドーナル・ラニィのブズーキのトリオでオールドタイムをやっているのは歴史に残る。



 かくてオールドタイムは、アイリッシュ・ミュージックほどではないにしても、ごく普通に聴くものの範囲に入ってきた。その何たるかも多少は知りえたし、魅力のほどもわかるようになった。そういえば『歌追い人 Songcatcher』という映画もあった。この映画の日本公開は2003年だそうで、見たときに一応の基礎知識はすでにもっていた覚えがあるから、あたしがオールドタイムを聴きだしたのは、やはりモザイク出現より多少早かったはずだ。


Songcatcher
Hazel Dickens, David Patrick Kelly & Bobby McMillen
Vanguard Records
2001-05-08


 一方、わが国でも、アイリッシュだけでなく、オールドタイムもやりますという若い人も現れてきた。今回高木さんを東京に呼んでくれた原田さんもその一人で、かれのオールドタイムのライヴを大いに愉しんだこともある。いや、ほんと、よくぞ呼んでくれました。

 高木さんはアメリカに行ったきりどうなったか知る由もなかったし、帰ってきてからも、関西の出身地にもどったらしいとは耳にした。「愛好会」そのものも「ブラックホーク」から体良く追い出されて実質的に潰れた。あたしらは各々の道を行くことになった。それが40年を経て、こうして元気な演奏を生で聴けるのは、おたがい生きのびてきたこそでもある。高木さんは知らないが、あたしは死にぞこなったので、嬉しさ、これに過ぎるものはない。

 まずは高木さんすなわち Bosco 氏を呼んだ原田豊光さんがフィドル、Dan Torigoe さんのバンジョーの組合せで前座を努める。このバンジョーがまず面白い。クロウハンマー・スタイルで、伴奏ではない。フィドルとのユニゾンでもない。カウンター・メロディ、だろうか。少しずれる。そのズレが心のツボを押してくる。トリゴエさんは演奏する原田さんを見つめて演奏している。まるでマーティン・ヘイズを見つめるデニス・カヒルの視線である。曲はあたしでも知っている有名なもので始め、だんだんコアなレパートリィに行く感じだ。

 フィドルのチューニングを二度ほど変える。これはオールドタイム特有のものらしい。アパラチアの現場で、ソース・フィドラーたちが同様に演奏する曲によってチューニングを変えているとはちょっと思えない。こういうギグで様々な曲を演奏するために生じるものだろうが、それにしても、フィドルのチューニングを曲によって変えるのは、他では見たことがない。それもちょっとやそっとではないらしく、結構な時間がかかる。それでいて、「チューニングが変わった」感じがしないのも不思議だ。あたしの耳が鈍感なのかもしれないが、曲にふさわしいチューニングをすることで、全体としての印象が同じになるということなのか。チューニング変更に時間がかかるのは、原田さんが五弦フィドルを使っていることもあるのかもしれない。

 二人の演奏はぴりりとひき締まった立派なもので、1曲ごとに聴きごたえがある。最後は〈Bonapart's Retreat〉で、アイルランドの伝統にもある曲。同じタイトルに二つのヴァージョンがあり、それを両方やる。バンジョー・ソロから入るのも粋だ。これがアイリッシュの味も残していて、あたしとしてはハイライト。この辺はアイリッシュもやる原田さんの持ち味だろうか。

 この店のマスターのお父上がフィドラーで、バスコさんの相手を務めるバンジョーの加瀬氏と「パンプキン・ストリング・バンド」を組んで半世紀ということで、2曲ほど演奏される。二人でやるのはしばらくぶりということで、ちょっとぎごちないところもあるが、いかにも愉しくてたまらないという風情は音楽の原点だ。

 真打ちバスコさんはいきなりアカペラで英語の詩ともうたともつかないものをやりだす。このあたりはさすがに現場を踏んでいる。

 そうしておもむろにフィドルをとりあげて弾きだす。とても軽い。音が浮遊する。これに比べればアイリッシュのフィドルの響きは地を穿つ。あるいはそう、濡れて重みがあるというべきか。バスコさんのフィドルは乾いている。

 今でもわが国でアイリッシュ・ミュージックなどでフィドルを弾いている人は、クラシックから入っている。手ほどきはクラシックで受けている。まったくのゼロからアイリッシュ・ミュージックでフィドルを習ったという人はまだ現れていない。高木さんはその点、例外中の例外の存在でもある。見ているとフィドルの先端を喉につけない。鎖骨の縁、喉の真下の窪みの本人から見て少し左側につけている。

 加瀬さんがバンジョーを弾きながら2曲ほど唄う。これも枯れた感じなのは、加瀬さんのお年というよりも音楽のキャラクターであるとも思える。もっともあたしだけの個人的イメージかもしれない。

 バスコ&加瀬浩正のデュオは2001年に Merl Fes に招かれたそうで、大したものだ。そこでもやったという7曲目、バスコさんが唄う〈ジョージ・バック?(曲名聞きとれず)〉がハイライト。オールドタイムはからっとして陽はよく照っているのだが、影が濃い。もっとも、この日最大のハイライトはアンコールの1曲目、バスコ&加瀬デュオに原田、ダニーが加わったカルテットでの〈Jeff Sturgeon〉(だと思う)。オールドタイムでは楽器が重なるこういう形はあまりないんじゃないか。このカルテットでもっと聴きたい。

 それにしても、あっという間で、ああ、いいなあ、いいなあと思っていたら、もう終っていた。良いギグはいつもそうだが、今回はまたひどく短かい。時計を見れば、そんなに短かいわけではないのはもちろんだ。

 原田さんの相手のダン・トリゴエさんは、あの Dolceola Recordings の主催者であった。UK Folk Radio のインタヴューで知った口だが、ご本人にこういうところで会うとは思いもうけぬ拾いもの。このギグも、御自慢の Ampex のプロ用オープン・リール・デッキで録音していた。動いているオープン・リール・デッキを目にするのはこれまた半世紀ぶりだろうか。中学から高校にかけて、あたしが使っていたのは、Ampex とは比較にもならないビクターの一番安いやつだったけれど、FM のエアチェックに大活躍してくれた。オープン・リールのテープが回っている姿というのは、LPが回っているのとはまた違った、吸い込まれるようなところがある。CDの回るのが速すぎて、風情もなにもあったものでない。カセットでは回っている姿は隠れてしまう。

 帰ろうとしたときに加瀬さんから、自分たちもブラックホークの「ブリティッシュ・トラッド愛好会」に出たことがあるんですけど覚えてませんか、と訊ねられたのだが、申し訳ないことにもうまったく記憶がない。だいたい、愛好会でやっていたこと、例会の様子などは、具体的なことはほとんどまったく、不思議なほどすっぽりと忘れている。ほんとうにあそこで何をやっていたのだろう。

 このバスコさんを招いてのギグは定例にしたいと原田さんは言う。それはもう大歓迎で、ぜひぜひとお願いした。オールドタイムにはまだまだよくわからないところもあって、そこがまた魅力だ。(ゆ)

Bosco
Bosco
Old Time Tiki Parlou
2023-04-07



バスコ・タカギ: fiddle, vocals
加瀬浩正: banjo, vocals
原田豊光: fiddle
Dan Torigoe: banjo

9月21日・火

 気がつくと、家の前の染井吉野の葉が半分落ちて、だいぶ空が見えるようになっていた。桜の葉は長い時間をかけてぽろぽろ落ちてゆく。花とは逆。

 Copperplate からのCD着。買いのがしていたものばかりで、目玉は Angelina Carberry のCD3枚。ここにまとまってあるのを発見して、大喜びで注文したら、その直後、彼女が TG4 の Gradam Ceoil Musician of the Year に選ばれたのは嬉しいシンクロニシティ。それにしても、この人、おやじさんがアコーディオン奏者のせいか、アコーディオンとやるのが大好きだ。


 ここはロンドンにあるアイリッシュ・ミュージック専門CD屋で、なかなかの品揃え。ダブリンの Claddagh がレコード屋としてはものの役に立たなくなってしまった穴を少しは埋めてくれる。
 

##本日のグレイトフル・デッド

 9月21日は1972年から1993年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1972 The Spectrum, Philadelphia, PA

 秋のツアーの一貫。料金5ドル。開演夜7時半。《Dick’s Picks, Vol. 36》として完全版がリリースされた。

 この頃はまだぎっちり満員ということには必ずしもならなかったらしい。フロアはかなり余裕があり、立ってステージに近寄るのもよし、椅子に座って見るのもよし、という感じだったそうな。

 しかし演奏は黄金の年72年のベストの一つ。前半は力のはいった充実した歌をじっくり聴かせ、最後にきて15分超の〈Playing in the Band〉のすばらしいジャムが爆発する。後半は40分近い〈Dark Star〉はじめ、2時間を超える。演奏時間が長いほど質も良くなるのがこの頃のデッドのショウ。それにしても、この録音はCD4枚組、4時間近い。聴くのもたいへん。アウズレィ・スタンリィの録音で音はクリア。実際のショウはもちろんもっとずっと長く、終演は深夜0時は優に超えていただろう。「最長」はいつだったかの大晦日の年越しライヴで真夜中少し前に出てきて朝までやり、プロモーターのビル・グレアムが客に朝食をふるまった、というのがあるけれど。


2. 1973 The Spectrum, Philadelphia, PA

 同じヴェニュー2日連続の2日目。料金5ドル。前日は6ドル。どちらも残っているチケットの半券から。場内の位置が違うのかな。後半の前半にジョー・エリスとマーティン・フィエロ参加。アンコールにも参加したらしい。

 前日はひどい出来だったが、こちらはうって変わって絶好調だった由。


3. 1974 Palais des Sports, Paris, France

 2度目のヨーロッパ・ツアー最終日。第二部として演奏された〈Seastones > Playin in the Band〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。


4. 1982 Madison Square Garden, New York , NY

 2日連続の2日目


5. 1991 Boston Garden, Boston, MA

 6本連続2本目。料金23.50ドル。開演夜7時半。


6. 1993 Madison Square Garden, New York , NY

 6本連続5本目。(ゆ)


 うーん、存在感が違うなあ。フィドルを弾きだしたとき、まずそう思った。かれくらいになると、技術がどうとかいうレヴェルではもちろん無いわけだし、受け取っているのはまぎれもなく音楽なのだが、感じるのは一個の人間がそこにいる、という実感なのだ。昔、「ブラックホーク」の音楽の真髄を、松平さんは「人がそこにいてうたう」と表現した。ジョン・カーティという人がそこにいて、フィドルでうたっている。

 これがアイルランドでも稀なことは、かれに関して、"It's John Carty.  That's enough." と言われていることからもわかる。たぶん、トミィ・ピープルズなんかも、こんな具合だったんじゃないか。Paddy Glackin はドーナル・ラニィと一緒だったから、むしろ親しみの方が先に立った。

 まあ、シチュエーションというのはあるかもしれない。あの狭いところで、目の前に本人がいる。周りは皆、音楽を聴きにきている客。それも年配の人が多いのは城田さんの昔からのファンが多いからだろうが、城田さんのライヴもアイリッシュが多いから、皆さん、それなりに良いものを体験してきていて、耳もできている。カーティ本人もそれを感じているのか、ちょっと窮屈そうではある。それで演奏が変わるわけでは無いが、リラックスした様子はあまりなく、1曲終わると、横で高橋さんや城田さんがしゃべっているのを見るでもなく、前屈みになって両手に持ったフィドルの胴の裏を眺めていたりする。もともとそういう性格なのかもしれないが。

 音楽は今さらあたしなんぞがどうこう言えるものではない。フィドルもバンジョーも、テナー・ギターも、芯が太くかつしなやかで、ただもう聞き惚れる、というよりも、たまたま空いていて座った席が珍しくも前の方だったから、モロに全身に音楽を浴びる感じになる。

 この存在感は圧倒的で、たまらない魅力であると同時に、アイリッシュ・ミュージックの異質性をひしひしと伝えてくる。これも、先日来、「異文化」としてのアイリッシュ・ミュージックについて、考えつづけていることもあったかもしれない。どんなに慣れ親しんでも、常日頃、どっぷりとそれに漬かっていて、ほとんどそれと意識することもなくなっていても、アイリッシュ・ミュージックがあたしにとって異文化であることに変わりはないことに、ようやくこの頃気がついた。そして異文化であり続けるからこそ、いつまでも飽きることなく、この音楽にひたっていられることにも気がついた。その異文化が、ジョン・カーティという形をとって、目の前で鳴っている。

 対象がどこか自分とは異質であって、完全に自分の中に消化吸収されてしまわないことが、あたしにとっては必要なのだ。それは日常性への反撥なのかもしれない。とにかくどこかに非日常性、おのれが生まれ育った文化とは異なる要素が無いと、最低限の魅力も感じない。そして、それを感じることで、かろうじて生きていられる。世の中には自分とは異なる存在がいると実感することが、生きてゆくのに必要なのだ。

 同様の性質を持つとして、日常の、ごくありふれたものやことにもそうした異質性を感じることができる人もいるかもしれない。それはかなり幸せな状態ではないかとも思う。が、あたしにはそういう能力は無いのだ。異質性は自分の外にあって、否応なくそれをつきつけられないと、感じられない。

 アイリッシュ・ミュージックにこれだけ漬かりこんだのは、おそらくその異質性があたしにとって最も大きく、むしろ、あたしの日常とはまるで正反対の対極にあるからではなかったか、とこの頃思う。それを理解したいとか、消化吸収したいとか、そういうことではない。そういう観点から言えば、異質なまま、おのれの中に取り込みたい、抱えこみたい、というのが一番近い。取り込んで、抱えこんでどうする、というものでもない。ただ、異質なものを抱えこむことが、生きてゆくのに必要だ、というだけのことだ。これはもう体質で、たまたまそういう体質に生まれついてしまったのだ。

 ジョン・カーティのような存在のありがたさは、日頃慣れ親しんで、ほとんど日常的になっているアイリッシュ・ミュージックが、やはり実は異文化の産物であることを、再び、まざまざと実感させてくれるところにある。

 遙か昔、The Boys Of The Lough が初来日し、アイルランドやスコットランドの伝統音楽の生の形に初めて触れたときの衝撃の正体もこうしてみると今はわかる。当時、その衝撃によって、それまで自覚していなかった「壁」が崩壊し、これらの伝統音楽の本質にようやく触れることができるようになったと考えた。具体的には、それまで退屈でアルバム片面聴きとおすのがやっとだった、アイルランドやスコットランドの伝統音楽のダンス・チューン集、ということは器楽録音のほとんどを、楽しんで聴けるようになった。それまでのあたしは歌ものばかり選んで聴いていたのだ。

 ボーイズ・オヴ・ザ・ロックのライヴによって、あたしはその音楽の異質性に初めて直接触れることができた。そして、アイルランドやスコットランドの伝統音楽のようなもの、他のヨーロッパ、だけでなく、世界各地の伝統音楽は皆そうだが、こういう音楽の異質性は録音だけではなかなかわからない。それを演ずる人間の存在感が伴うことが必要なのだ。録音では、我々は、聴くところを選択できる。同質な部分だけ選んで聞き取ることが可能だ。ライヴではそうはいかない。目の前にいる人間の、ある部分だけ選んで聴くなどというわけにはいかない。

 もっともそれだけの存在感、異質性を感じさせるだけの存在感を備えた人は、そう多くはない。あるいは、その存在感の現れ方が違うとも言えよう。パディ・モローニなどは、同胞ではない相手にはその異質性をできるかぎり感じさせないように、自ら律している。彼の場合はもう習い性になってしまっているから、おそらくそれを止めようとしても、生の自分を出そうとしても、できなくなってしまっているのだろう。

 ジョン・カーティはそんなことはしない。かれの場合、パディ・モローニとは逆に、異質性を出さないようにするなどということは想像の外だろう。かれはそこにいて音楽を演奏する。それだけのことだ。そして、あたしには、上の言葉を発した誰かと同じく、それだけで充分だ。

 生身のジョン・カーティを連れてきて、目の前で演奏するのを体験することを可能にしてくれた高橋創さんには感謝の言葉もない。そして、これまた見事なサポート、おしゃべりと音楽の双方でみごとに引き立ててくださった城田じゅんじさんにも深く感謝する。すばらしいサウンドでこの体験を完璧なものにしてくれた音響担当の原田豊光さん、そして会場のラ・カーニャのマスターはじめスタッフにもありがとう。(ゆ)

At Complete Ease
John Carty & Brian Rooney
CD Baby
2011-08-16


I Will If I Can
John Carty
Racket
2009-06-01


Cat That Ate the Candle
John Carty & Brian Mcgrath
Traditions Alive Llc
2011-04-19
 


At It Again
John Carty
Shanachie
2003-08-26


 とても初めてのギグとは思えない息の合い方だ。レベルの高いミュージシャン同士だからといって、いつも息が合うというものでもないはずだ。これはひょっとするとミホール・オ・ドーナル&ケヴィン・バークとか、アリィ・ベイン&フィル・カニンガムとかと肩を並べるコンビになるかもしれない。

 いろいろな意味でかなり細部まで練られているのも、いつものアイリッシュ・ミュージックのギグとはいささか趣を異にする。音楽はすばらしいが、それ以外は結構ルーズで、いい加減で、だらだらしている、というのも、アイリッシュらしくてあたしは嫌いではないが、なるほど、アイリッシュでもやろうと思えばこういう風にもできるのだ。

 演奏曲目が印刷された洒落たカードや関係のある映像のスライドが用意され、カードには数字が書かれた別の小さなカードが付随していて、これでビンゴをやる。賞品はマイキィ特製のソーダ・ブレッドと紅茶のセットや、次回ギグのチケットだ。

 このコンビならフィドルとギターを延々と聴けるものと予想していたら、これも良い方に裏切られる。同じ楽器ばかりだと飽きますよね、と高橋さんは言うが、あたしはそうでもない。演奏の質がある閾値を超えると、おんなじ組合せでもいくらでも聞いていられる。もっとも、様々に楽器を変えるのももちろん楽しい。マイキィがホィッスルも巧いのは以前 O'Jizo のライヴにゲストで出たのを聞いて承知していた。

 マイキィのフィドルには良い意味の軽みを感じる。俳諧の、それも蕉風というよりは蕪村や一茶の軽みだ。剽軽というのとはちょと違う。強いて似たものをあげれば、Ernie Graham の〈Belfast〉のバックのフィドルが一番近いか。マイキィがもっと年をとると、あの飄々とした、可笑しくて、しかも哀愁に濡れた響きを聞かせるかもしれない。不思議なことにあたしはアイルランドのフィドルに哀愁を感じたことがない。スロー・エアでも、フィドルで奏でられると明るくなる。明るくて哀しい演奏もないではないが、哀しさはずっと後景に退く。これがパイプとかフルートとかだと哀愁に満ちることもあるのだが、フィドルはどうやっても哀しくならないところがある。アイルランドでは。スコットランドのフィドルは対照的に陰が濃いときがある。マイキィのフィドルの軽みは、あるいはアイルランドでは最も哀愁に近くなってゆくかもしれない。

 面白いのはホィッスルの音色にも同様の軽みが聞えることだ。これもどうもあまりこの楽器で聞いた覚えがない。

 高橋さんの演奏は芯が太く、どちらかというと重い。鈍重というのではもちろん無く、重みがあるということだ。高橋さんのギターの師匠は城田じゅんじさんだそうだが、城田さんのギターはむしろ軽い。このあたりは音楽家としての性格で、良し悪しの話ではないが、相性はそれによって変わってくる。たぶんマイキィと城田さんではあまり合わないだろう。高橋さんの重みを含んだ音がマイキィの軽みにちょうどぴったりなのだ。

 この日はギターの方が音が大きめで、その動きがよくわかる。相当に複雑なことをしている。ビートをキープするだけでなく、時にはユニゾンでメロディを奏でたり、ハーモニーをつけたりもする。それが音楽をエキサイティングにする。聴いていると熱くなってくる。いつもは否が応なく耳に入ってくるフィドルは、軽さもあってか、耳を傾むけさせる。集中を促すのだ。なかなか面白い体験だ。

 楽器の選択だけでなく、選曲もバラエティに富み、テンポも変える順序にしている。まずリールのセットで始め、次はスローな曲、その次はジグのセット、という具合。前半にギターの、後半にフィドルのソロも入れる。これが各々にまた良い。ハイライトはまず前半のワルツ。その次のスロー・エアで、ひとしきり演奏してからマイキィがそのメロディのもとになっている歌のアイルランド語詞を朗読する。なかなか良い声だ。それからジグにつなげるのも良い。

 後半で、ひきたかおりさんがゲストで入り、この前の高橋さんのギグの折りにも唄った〈Down By The Sally Garden〉の日本語版を、ロゥホィッスルとギターの伴奏でうたう。この歌詞はすばらしいし、ひきたさんの唄もまた良し。ぜひ、唄がメインのギグもやってください。

 アンコールは何も考えていなかったらしく、その場で楽器は何を聴きたいかと客席に問いかける。結果、フィドルとバンジョーの組合せでのリールのセットになり、これがもう一つのハイライト。良いセッションを聴いた気分。

 正直、客の入りは心配していたのだが、お二人の人脈は幅広く、満杯。新しいデュオの、まずは上々の出だしではなかろうか。来年ぐらいには録音も期待しよう。(ゆ)

 昨日は下北沢B&Bでの「アイリッシュ・バンジョー入門」にお越しいただき、ありがとうございます。正直、想いの外に多数の方が来ていただいたのには驚きもし、歓びもしました。それに熱気、英語でいう enthusiasm の度合いが他の楽器よりも一段と深いと思われました。バンジョーというのは不思議な楽器です。

 まず音がでかい。でかいだけでなく、華やかでもあり、どこにいてもそれとわかるし、他の楽器と一緒にやると他を圧倒する。無伴奏で弾いても自立できる。

 ところがお山の大将にはなりません。常に、どこにあっても脇役。無伴奏でいても脇役に見えます。派手で華やかに響くのに、主役にならない。なれないのではなく、そもそもそういう可能性がありません。

 バンジョーが不可欠の要素であり、おそらく最も密接な関係をもっているブルーグラスであってさえ、バンジョーは主役ではないでしょう。主役はマンドリンであり、フィドルであり、何よりもヴォーカルです。

 アイリッシュのバンジョーはブルーグラスのバンジョーとは異なります。姿形も違うし、使われ方も違います。いとこではあるかもしれませんが、住んでいる環境はまったく違う。ところが、中心からはどうやってもはずれるという性格は共通します。

 アイリッシュ・ミュージックにおけるバンジョーの歴史は古いです。バゥロンやギターなどよりもずっと古い。伝統の中に確固たる地位を占めていることでは、弦楽器の中ではフィドルに次ぎます。メロディ楽器であることは、撥弦楽器の中でもギターやブズーキとは比較にならないほど「王道」に近くもあります。

 にもかかわらず、バンジョーには日陰者の印象がつきまといます。ダブリナーズのバーニー・マッケナによって1960年代に桧舞台に上がりますが、マッケナ自身も含めて、バンジョーにはスーパー・スターがいません。パイプのリアム・オ・フリン、パディ・キーナン、フルートのマット・モロイ、アコーディオンのジャッキィ・デイリー、ギターのミホール・オ・ドーナル、ポール・ブレディ、フィドルのケヴィン・バーク、フランキィ・ゲイヴィン、マーティン・ヘイズあるいはシャロン・シャノンのような、その楽器を代表し、演奏スタイルや地位をがらりと変えてしまうミュージシャンは、バンジョーでは未だ現れていません。

 かくいうあたしはと言えば、1998年にジェリィ・オコナーの《Myriad》が出るまで、バンジョーの存在は知っていても音を聴いたことはほとんどありませんでした。いや、聴いてはいたはずです。デ・ダナン初期のメンバーであったチャーリー・ピゴットや Stockton's Wing の Kieran Hanrahan はバンジョーを弾いていました。しかしその音や存在が意識の表面に出てくることはありませんでした。

 そういう意味では《Myriad》は衝撃でした。バンジョーはこんなに凄いことがやれるのか。それまでアイリッシュ・ミュージックでは体験したことのないダイナミズム、スピード感、そして華やかさに目眩く想いでした。1998年といえば、ケルティック・タイガーが咆えまくっていた頃で、アイリッシュ・ミュージックも空前の盛り上がりを続けて、すばらしい録音も目白押しに出ていました。その中でも《Myriad》は光り輝いていたようにみえました。これによってアイリッシュ・ミュージックのバンジョーは新たな時代に入った、とも見えました。

 もっとも後から思えば伏線はちゃんとあったので、1990年代初めに出た「スーパー・グループ」Four Men And A Dog はカハル・ヘイデンとミック・デイリィの二人のバンジョー奏者を擁し、デイリィと交替するもう一人のジェリィ・オコナーもバンジョーを弾きました。そこではやはりバンジョーのサウンドはアンサンブルの一部として機能していて(これはまたこれで凄いことですが)、目立つことはなかったものの、バンジョーの存在はより切実なものとして、意識化に刷りこまれていたのでしょう。

 オコナー、ヘイデン、あるいはソーラスのシェイマス・イーガン、さらにはスコットランドのエイモン・コイン、そして現在 We Banjo 3 を率いるエンダ・スカヒルと、華やかなバンジョーをいやが上にも華やかに演奏するスーパー・プレーヤーの流れがあるように思われます。とはいえ、こういう人たちも、バンジョーといえばこの人と誰もが指折る存在というわけではありません。例えば五弦であればベラ・フレックに相当する存在はアイリッシュ・バンジョーにはどうやらいないのです。

 一方で、そういう人たちとは別にもっと地味な曲をよりシンプルに、ほとんどつつましいとまで言えるスタイルで弾く一群のミュージシャンがいます。ということを、あたしは今回の講座のための勉強で学びました。高橋さんに教えてもらったところが大きいのですが、これは大きな収獲でした。というのも、ここにはアイリッシュ・ミュージックの根幹に通じる糸が隠れていたからです。

 バンジョーは高橋さんによれば、アイリッシュ・ミュージックには向いていない。音を伸ばせませんし、すべての音を弾いて出さねばなりません。他の楽器の音と混じりにくい。そうした「欠点」によって、アイリッシュ・ミュージックのキモが逆にあぶり出されるのです。音が伸びないことで、メロディの構造がはっきりします。全ての音が明瞭に弾かれますから、装飾音の入れ方やメロディのアレンジもよくわかります。ダンス・チューンを繰り返すごとにミュージシャンがどのようにメロディを変えているか、手にとるようにわかります。そして、バンジョーでアイリッシュ・ミュージックを活き活きと演奏するために必要な呼吸。これは高橋さんが師匠のジョン・カーティから言われたことだそうですが、フルートの息の吹き入れ方、息継ぎのやり方をよく見て、それをバンジョー演奏に組込むようにする。あるいはフィドルで音を伸ばすところをバンジョーでも出そうとしてみる。そうすると、音にアクセントがついてメロディに立体感が生まれ、曲が躍動しはじめます。

 もちろんこうしたことはスーパーなバンジョーを展開するミュージシャンたちも押えています。とはいえそれ以上にバンジョーによる伝統音楽表現をより深めようと目指す人たちがいます。たとえば高橋さんの師匠のジョン・カーティであり、高橋さんの友人の Patrick Cummins であり、女性のバンジョー奏者の道を切り開いた Angelina Carberry であり、ピアニストとしての方が有名な Brian McGrath であり、あるいはつい先日すばらしい録音を出した Shane Mulchrone です。

 スーパーでなければディープというわけではなく、ディープな人がいつもいつもひたすら地味にシンプルにやっているわけでもないことは当然です。こうした分類は、現在のシーンを外から眺めた場合、こう見ることもできるという一例に過ぎないことは念のため申しそえます。また、各々の傾向は、本人の性格や生まれ育った環境から生まれるところもあり、各自が意識して選びとっている割合はそう大きくはないでしょう。一応はこう分けてみることで、全体の把握がしやすくなる方便です。

 ただ、これはなかなか面白い現象ではあって、五弦でも片方にベラ・フレックのような人がいれば、いわば対極には Dirk Powell のような人もいるし、一方で Abigail Washburn のような人も出てくるのを見ると、バンジョーという楽器に備わる性格の現れとも見えます。

 さらに言えば、アイリッシュで使われるテナー・バンジョーは、他ではほとんど見ることがありません。フィドルやアコーディオン、フルートなどの笛、そしてバグパイプは広範囲な音楽で多種多様の使われ方をしていますが、バンジョーだけは、他にはディキシーランドをはじめとするニューオーリンズの土着音楽ぐらいです。アメリカで奴隷たちの想像力によって生まれた折衷ないし混血楽器というバンジョーの出自からすれば、アメリカとアイルランドの強い結びつきを示すとも言えそうです。しかし、レパートリィでは共通するものの多いスコットランドにすら、バンジョーが広まっていないのは、この楽器の不思議の一つでもあります。バンジョーでストラスペイをやっても結構カッコいいのではないかと想像したりもしますが。

 閑話休題。昨日は、質疑応答でも味のある質問をいただき、話がふくらみました。バンジョーにはそうした深みに誘う力、というと大袈裟かもしれませんが、どこかそうした魅力があるともみえました。

 昨日聴いた音源を挙げておきます。

Mike Flanagan (1898-?, Watrerford)
Paddy In London (1942), from Treasure Of My Heart

Treasure of My Heart
Various
Ace Records
1993-08-31

 

Barney McKenna of the Dubliners
The Mason's Apron (live), from The New Electric Muse

New Electric Muse
Various
Essential
1996-08-12

 

Gerry O'Connor of Tipperary
The Findhorn Set=Sean Sa Ceo; The Glass Of Beer; The Sailor's Bonnet, from Myriad

Myriad
GERRY O'CONNOR
MYRIAD
2017-06-16

 

Cathal Heyden
The Liverpool Hornpipe/ John Mosai MC Ginleys, from Live In Belfast

Live in Belfast
Cathal Hayden
Hook
2007-03-19

 

John Carty
Steam Packet/ Kiss The Maid Behind The Barrel, from I Will If I Can

I Will If I Can
John Carty
Racket
2009-06-01

 

Angelina Carberry
Dermot Crogan's Jig/ Hardiman's Fancy, from An Traidisiun Beo

Traidisiun Beo
Angelina Carberry
Imports
2008-04-15

 

Shane Mulchrone
Cuaichin Ghleann Neifinn (Air), from Solid Ground


 いつものことですが、講師の高橋創さんには多くのことを教わり、感謝しています。トシバウロンにもいつもながら達者な司会進行でありがたいことでした。そして会場の本屋B&Bのスタッフの皆さまにも感謝。本屋で飲むビールはなぜか旨いですね。(ゆ)

 先日は下北沢 B&B での「アイリッシュ・フィドル入門」に多数お越しいただき、まことにありがとうございました。

 小松大さんは名古屋からの参加で、今回は「セント・パトリック・ディ」関連のイベントや Intercollegiate Celtic Festival でお忙しい合間を縫っての出演ながら、熱い語り口と演奏で、かなり手応えのある講座になったかと思います。あらためて御礼もうしあげます。

 講座でもおことわりしましたが、フィドルは対象としては大きすぎて、まとめるのにかなり迷いました。今回はああいう形になりましたが、ほんとうは優に2回分ぐらいのテーマであります。可能なら、将来、「アドバンスド講座」として、掘り下げてみるのも面白いかな、とやってみて思いました。小松さんも、まだまだ語り足りないことがたくさんあるようですし。

 音源などについては、イベントの前振りに書いた記事に挙げてありますので、そちらをどうぞ。

 それにしても、フィドルは面白いですね。若手もどんどん出てきてます。このことはフィドルに限らず、アイリッシュ・ミュージック全体、ヨーロッパの伝統音楽全体に言えることですけど、フィドルは演奏人口が多いだけに、人材も豊冨です。Danny Diamond とか、Cathal Caulfield とか、あるいはスコットランドの Ryan Young とか、実に面白い。この人たちが30代、40代になった時が楽しみです。それまで生きていたいと改めて思います。

 わが国でもさいとうともこさんの《Re:start》のような録音が出てきたり、北海道の小松崎操さんはじめ、すぐれたフィドラーはたくさんいるので、これからソロがどんどん出ると期待してます。大学生でもえらく巧い人たちがいるとも聞きました。ICF とか、一度見てみたいものではあります。


 で、次はバンジョーです。05/16(水)です。講師は高橋創さん。高橋さんはギタリストとして知られてますが、アイルランドでは自分で選べるときはもっぱらバンジョーを弾き、また John Carty などにも師事していたそうです。平日の真昼間ですが、アイリッシュ・バンジョーをテーマのイベントはまだわが国では稀かもしれません。正直、次はバンジョーでいきます、と言われたときには、えっと驚きました。あたしもあらためて勉強しなおさないと。Gerry O'Connor や Enda Cahill、Angelina Carberry とか大好きですが、好きなミュージシャンのことだけしゃべって終るわけにもいきませんしね。(ゆ)

先日アップした記事でこれは五弦バンジョーのアルバムと書いておりましたが、あれは四弦であるとのご指摘をいただきました。
    
    あらためてよくよく聴きなおしてみると、確かに四弦の音であります。まことに申し訳ありません。わが不明をお詫びいたします。
    
    「四弦ではなく、五弦であることがこのアルバムのキモである」

などと大見得を切ってしまいましたが、これは

    「四弦を五弦のように弾いているところがこのアルバムのキモである」

と訂正させてください。

    四弦バンジョーをパキパキと切れ味鋭く転がすのももちろん素敵ですが、あえてそのスピードとキレを捨てて、あくまでも優しく弦をかきならす城田さんの演奏は、バンジョーという楽器の潜在能力をあらためて思い知らせてくれています。
    
    それと、ここでの城田さんの演奏には、今のぼくのような、「死にそこなった」人間にはひときわありがたい味があります。バンジョーのような楽器、アイリッシュ・ミュージックのような音楽には、あるいは似合わないかもしれませんが、これを「わびさび」の味と言ってみたい。枯れる、というほどおさまりかえったものではなく、けれどもどこか「悟った」感じ、諦めるのではなく、すべてを肯定しながら肝心のおおもとだけはがんとして讓らない頑固さから生まれる感じがあります。
    
    なにか、誰も彼もが「被災者」としてなぐさめてもらいたがっているような風潮のなかで、苛酷な運命にひるまずに生きながらえていることを、単純に、さりげなく、それでいいのだ、と言ってくれている。
    
    運命にひるまずに、といっても、別に「毅然として」ではなく、愚痴をこぼし、ぼやき、泣き言を言いながら、ぐずぐずとやっているのであります。ただ、諦めはしない。
    
    大腸がんは手術の予後は消化器系のがんの中では良い方と言われますが、死亡原因としては、がんの中で女性ではトップ、男性でも肺がんに次いで第二位でもある由。胃がんによる死亡が減っているのに対し、大腸がんによる死者数は増えているそうです。
    
    抗がん剤治療を受けても、再発率がゼロになるわけではない。5年以内生存率が最高95%になるというので、最低でも5%の人は5年以内に死亡しているわけです。その5%に入らないという保証は誰にもできません。
    
    当然この数字には放射能の影響は入っていません。放射能の影響がどう出るかは判定も難しいでしょうが、がんの再発率が高くなることは、まあまずまちがいありますまい。
    
    「お迎えはいつ来てもいい。でも、今日でなくてもいい」(佐野洋子氏の言葉)と、今日も生きのびたことを感謝しながら、しぶとく生きてゆく。死が「あんたの番だよ」と肩を叩く、その瞬間まで。
    
    精気あふれる演奏や音楽よりも、ここでの城田さんの訥々とした演奏と音楽に、そんな「無条件の生の肯定」を感じてしまうのであります。(ゆ)

    米PBS の "Our State" という番組で放映されたカロライナ・チョコレート・ドロップスのすばらしい紹介ビデオがネットで見られます。



Our State - The Carolina Chocolate Drops from Pete Bell on Vimeo.

    ノース・カロライナの故郷のフェスティヴァルでのものを中心とした演奏シーンに、メンバーのインタヴューを重ねたもの。

    番組の末尾近く、リアノンがフィドルで聴かせる曲が興味深いです。これはまだCDとしては録音されていないはず。

    念のためつけ加えておくと、カロライナ・チョコレート・ドロップスはご覧のとおり全員黒人のオールドタイム・トリオ。全員が黒人というのはオールドタイムでは珍しい。たぶん、初めて。で、このリアノンが、名前からもわかるようにウェールズの血を引き、ジャスティン(眼鏡をかけていない方)の祖父はアイルランド移民です。

    カロライナ・チョコレート・ドロップスという秀逸な名前はかれらの発明とおもっていたら、なんと1920年代にテネシー・チョコレート・ドロップスというバンドがあったのだそうです。録音も残っていて、こちらで聴けます。

    "Hear the songs" をクリックするとミュージシャン名のリストが出ます。

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