クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 かれらの横浜でのライヴは初めてらしい。あたしはこちらの方が都内よりも来やすいからありがたい。ただ、この時間帯は昼飯をどこで確保するかに悩む。ましてやこの日は休日で、横浜駅周辺はどこもかしこも長蛇の列。サムズアップで開演前に食べるというのがおたがいの幸せのためではあるのだろう。もっともこの日はサムズアップでもなぜか一時ハンバーガーが品切れになってしまっていた。事前にサムズアップの1階下のハンバーガー屋で一応腹拵えしていたので、軽くすませるつもりでナチョスを頼んだら、ここのはひどく量が多いことを忘れていた。始まる前にお腹一杯。

 このバンドはジャズで言う二管カルテットになるのだとここで見て気がついた。ただ管の組合せはトランペットとアルト・サックスのような対等なものというよりは、ソプラノ・サックスとバスクラないしトロンボーンという感じ。

 加えてリズム・セクションの役割分担が面白い。今回あらためて感服したのはジョン・ジョー・ケリィの凄さ。最後に披露したソロよりも、普通、というのもヘンだが、通常の曲での演奏だ。ビートをキープしているだけではなく、細かく叩き方を変えている。アクセントの位置や強弱、叩くスピードもメロディのリピートごとに変えていて、まったく同じ繰返しをすることはほとんど無い。そしてそれがバンド特有のグルーヴを生むとともに、演奏全体を面白くしている。となると、バゥロンはドラムスよりはむしろピアノとベースの役割ではないか。エド・ボイドのギターがむしろドラムスに近い。

 ただ、ジョン・ドイルやわが長尾晃司とは違って、エドはあまり低音を強調しない。六弦はほとんど弾いていないのではないかと思えるほどで、低域はバゥロンに任せているようにも見える。ドラムスでもバスドラはあまり踏まず、スネアやタム、シンバルをメインにしていると言えようか。

 このバンドの売物はブライアン・フィネガンの天空を翔けるホィッスルであるわけだが、今回はどういうわけかセーラ・アレンのアルト・フルートに耳が惹きつけられた。もっぱらホィッスルにハーモニーやカウンター・メロディをつける、縁の下の力持ち的な立ち位置だが、近頃はバスクラやチューバのような低音管楽器に耳が惹きつけられることが多いせいか、ともするとセーラの音の方が大きく聞える。ひょっとするとPAの組立てのせいでもあったのか。それともあたしの耳の老化のせいか。耳の老化は高域が聞えなくなることから始まる。オーディオ・マニアは年をとるにつれて聞えづらくなる高域を強調するような機器や組合せを好むと言われ、あたしもたぶんそうなのだろうが、楽器では低域の響きを好むようになってきた。チェロとかバスーンとかトロンボーンやバスクラ、ピアノの左手という具合。それにホィッスルは嫌でも耳に入ってくるから、アルト・フルートが増幅されると両方聞えることになる。

 フルックの出発点はマイケル・マクゴールドリックも加わったトリプル・フルートだったわけだけれども、ブライアン・フィネガンはやはりホィッスルの人だと思う。ソロでもほとんどホィッスルで演っている印象だ。かれの作る曲はフルートの茫洋としたふくらみよりも、時空を貫いてゆくホィッスルの方が面白みが増すように思う。

 第一部ラストの曲で、今回のツアーで出逢ったバンドのメンバーということで、レコードでと同じくトロンボーンが参加する。ライヴではいつもはトロンボーンがいないので、エドが音頭をとって客に歌わせているのだそうだ。レコードにより近い組立てで聴けたのは良しとしよう。

 客層はいつもとは違っていて、とりわけ、ブライアンがフルート吹いてる人はいるかと訊ねた時、1本も手が上がらなかったのにはちょっと驚いた。アイリッシュをやっている人でフルート奏者は少なくないはずだが、誰もフルックは見にこないのか。それともたまたま横浜にはいなかったのか。そりゃ、フルックはイングランド・ベースでアイルランドのバンドではないが、それはナマを見ない理由にはならないだろう。マイケル・マクゴールドリックだってイングランド・ベースだし。それともみんな、豊田さんも参加した東京の方に行ってしまったのか。


 会場で配られたチラシに Caoimhin O Raghallaigh 来日があって狂喜乱舞。今一番ライヴを見たい人の1人だが、向こうに行かねば見られないと諦めていたのだ。万全を期して、これは行くぞ。のざきさん、ありがとう。(ゆ)


 月例ラ・カーニャでの紅龍ライヴ。いつもの永田さんのピアノに向島ゆり子さんのヴィオラ・ダ・モーレ、小沢アキさんのギター。今回は永田さんの歌は無し。

 向島さんの楽器は共鳴弦を入れて10本。実際に弓が触れるのは5本に見えた。実になんともふくよかで、中身が詰まった、たっぷりとした響きがすぱあんと広がる。こりゃあ、いい。演奏する方も、これを弾けるのが嬉しくてしかたがないのがありありとわかる。いつも以上に熱が入っている。今回はまずこれがハイライト。

 ところでウィキペディアではヴィオラ・ダ・モーレの弦は6〜7本とある。今世紀に入って造られたハーダンガー・ダモーレなら十弦だが、そちらに近いのだろうか。ひょっとして折衷された新しい楽器だろうか。胴のサイズはヴィオラに見えた。

 この日のもう1つのハイライトは紅龍さん本人の歌である。絶好調と言っていい。声もよく出ているし、息の長短も自在で、伸びるべきところでは十分によく伸びる。歌うのも愉しそうだ。新譜お披露目ツアーでライヴを重ねたおかげだろうか。ギターもほとんど小沢さんのアコースティックに任せて、歌うことに専念しているようでもある。聴き慣れた歌もそれはそれは瑞々しい。

 オープナーはディラン〈時代は変わる〉。アンコールの2曲目のクローザーもディラン〈風に吹かれて〉。どちらも日本語版。完全に自分の歌としてうたっているのは当然ながら、今、ここでこれらを歌うことがまさに時宜を得ている。まさに今歌うべき、歌われるべき歌を、今にふさわしく歌っている。この2曲だけでなく、この日の歌はどれも、いつにもまして心に沁みてきた。どの歌にも切実に共鳴するものが、あたしの内にあった。そういう状態にあたしがいたということかもしれない。とはいえ、歌はあたしのために作られたわけでもなく、あたしだけのために歌われているわけでもない。それで個々の事情に共鳴してくるのは、より広く、あたしと似た状態にある人間の心の琴線を鳴らす、普遍的に訴えるものがこめられているからだろう。

 3曲目 Spooky Joe の歌のアヴァンギャルドなイントロでの向島さんの演奏、〈兵士のように詩人のように〉で小沢さんが弾くマンドリンそっくりのアコースティック・ギターが、特に印象に残る。

 〈野良犬の話〉と〈旅芸人の唄〉。2枚のソロに収められたうたのいずれにも隙は無いけれども、この二つには紅龍さん本人の音楽家としての行き方、人間としての在り方の自画像が聞える。そこにあたし自身を重ねて聴くのは、どういう風の吹きまわしか、自分でもわからない。わからないけれども、憧れと呼んでもいい感情が湧いてくる。ひとつの理想像でもある。完全無欠という理想ではなく、そのように生きてみたいと望む姿だ。性格からして不可能だし、実行したならたちまち野垂れ死ぬことは目に見えているにしても、望んでしまう。

 あたしの見るかぎり、新作を出した後のライヴは、演るたびに良くなっている。声はますます充実し、伸びるのが長くなっている。歌唄いとしての存在感、説得力が目に見えて大きくなっている。シンガーとしての紅龍はこれからが黄金期ではないか。いずれライヴ・アルバムも作ってほしい。

 日曜夜の下北沢は完全に観光地で、終ってから入ろうと思っていたカレー屋は夜も9時近いのにまだ長蛇の列。真冬に戻った中で老人は並んでなどいられない。さっさと退散したことであった。(ゆ)

 真黒毛ぼっくすはバンマスの大槻ヒロノリが病気療養中で欠席。対バンが決まった時には元気だったが、その後入院し、外泊許可が降りなかった。バンドの存在はこの日まで知らなかったが、1985年からやっている。検索してみると外泊許可が降りないのも無理はない。アルコール漬けといい、歌う様子といい、作る曲といい、まるでシェイン・マゴーワンではないか。年はあたしとあまり変わらないだろう。ということはシェインともそれほど離れていないはずだ。

 このバンマスの不在は他のメンバーにとっては気の毒だが、かなり踏んばって、それなりに聴かせる。大槻の穴は埋めようがないにしても、全員が歌い、コーラスを張るのは妙に感動させられる。大槻の帰還への祈りもこめられていそうだ。

 出色は〈夏のロビンソン〉。東直子の歌集『青卵』から選んだ歌に大槻が曲をつけたもの。歌の一つずつをメンバー全員がもち回りで歌う。こうなると歌の上手い下手は関係なくなる。ここにはいない大槻の霊、死んでいるわけではないが、その生霊が各々に憑いているようでもある。歌そのものの面白さも聴きものだ。とりわけラスト全員でくり返す「夏のロビンソン」の歌は、俵万智に始まる現代短歌の一つの到達点にあたしには聞える。

 穴埋めの一環としてあがた森魚がゲストで参加したのは、あたしにはもうけもの。この人のライヴに接することができて嬉しい。大槻はあがたがアイドルで、ソングライターのロールモデルであったらしい。過去に共演もしている由。曲名アナウンス無しで、前口上で始め、え、ひょっとしてと思っていると〈大道芸人〉のイントロ、フェアポート・コンヴェンションの〈Walk a while〉のあれがいきなり始まった時にはのけぞった。まさかこれを生で聴けるとは。

 あたしはあがたの良いリスナーではない。《乙女の儚夢》と《噫無情》しか聴いていない。それで持っていたイメージとは実物は百八十度違って、大いにはじけるタイプのミュージシャンなのだった。次の〈赤色エレジー〉も祝祭になる。大槻の替わりに、あがたがこのバンドをバックバンドにしてもいいんじゃないかとさえ思う。

 アンコールでも松浦湊がイントロとコーラスを担当して〈最后のダンスステップ〉を大はしゃぎでやる。オリジナルのイントロは緑魔子だが、松浦も負けてはいない。「お酒は少ししか飲めませんが」のところで客席爆笑。

 ナスポンズは皮が何枚も剥けていた。狂気が影をひそめ、というより音楽に練りこまれて、音楽の質が格段に上がっている。アレンジの妙、アンサンブルの呼吸、メンバー同士の間合いが熟して、完全に一個の有機体のレベル。松浦もリード・シンガーとしてすっかり溶けこんでいる。アルバム制作はこのままライヴを録ってしまえばいいではないかと反射的に思ってもみたが、むしろこれは出発点で、このバンドの本当の凄みが出てくるのは、これからだと思いなおす。

 いきなり〈サバの味噌煮〉で始め、〈アフター・ワッショイ〉で締める。2曲目でギターとキーボードの掛合いが白熱する。その次〈星めぐり〉からブルーズ・ナンバーをはさんで、レンコンの歌までのひと続きがハイライト。レンコンでは上原が「先生」となってすばらしい演技を披露する。松浦のあえぎ声との差し手引き手がぴったり。ことこのバンドで出るかぎり、「ユカリ」の替わりに「センセー」が愛称になる勢いだ。ステージ上のメンバー全員にビールが配られた後の〈お買物〉がまたすばらしい。やはり名曲だ。

 アンコールはまずあがたが真黒毛ぼっくすのメンバーをひき連れてギターをかき鳴らし、歌いながら客席を回る。ステージに戻り両バンド入りみだれて〈ラヂヲ焼き〉〈最后のダンスステップ〉とやり、最後は松浦が真黒毛のレパートリィ(曲名を忘れた)を歌って幕。ナズポンズのライヴは毎回違い、何が起きるかわからないところがいい。あがた森魚と松浦湊もいい組合せだ。文中敬称略。(ゆ)

ザ・ナスポンズ
松浦湊: vocal, guitar
小湊みつる: keyboards, vocal
上原 “ユカリ” 裕: drums, vocal
新井健太: bass, vocal
春日 “ハチ” 博文: guitar, vocal

真黒毛ぼっくす
田中マチ: drums, vocal
宮坂洋生: double bass, vocal
橋本史生: guitar, vocal
田村カズ: trumpet, vocal
川松桐子: trombone, vocal
大槻さとみ: accordion, vocal
宮田真由美: keyboards, vocal

あがた森魚: vocal, guitar

 クロコダイルは久しぶりで、原宿から歩いていったら場所がわからなくなってうろうろしてしまった。おまけにカモノハシに頼んでおいた予約が通っておらず、一瞬、どうなることかと思った。が、ライヴそのもののすばらしさに、全部ふっ飛んだ。

 思うに、歌にはそれにふさわしい形が決まっているのだ。少なくとも、初めて世に生まれでるにあたってふさわしい形がある。

 一方ですぐれた歌はどんな形でうたわれても伝わるものでもある。無伴奏でも、フルオケ伴奏でも、ソロでもコーラスでも、フリー・リズムでもヒップホップでも。松浦湊の歌もいずれはそうやってカヴァーされていくだろう。いって欲しい。いくにちがいない。

 それでも今は松浦自身のうたで聴くのが一番だ。そして、このバンド、ナスポンズの形で聴くのがベストである。と、ライヴを見て確信した。

 松浦のソロもベストの形だ。とりわけソロのライヴはあの緩急の呼吸、ゆるみきったおしゃべりと、カンカンにひき締まった演奏の往来によって、比べるものもない。歌そのものの本質が露わにもなる。

 だが、このバンド、この面子のバンドこそは、松浦の歌に次元の異なる飛翔力を与える。この乗物に乗るとき、松浦の歌はまさに千里を翔ける。ナスポンズは松浦の歌にとっての觔斗雲だ。同時にガンダムでもある。ナスポンズという衣をまとうことで、松浦の歌は超常的な能力を備えて、世界を満たし、その場にいる者ごと異世界へと転移する。ナスポンズの最初の音が鳴ったとたん、クロコダイルが占める時空はまるごと飛びたち、それぞれに異なる世界を経巡る旅に出る。レコードによってカラダに沁みこんでいるはずの歌が、まったく新たな世界としてたち現れる。

 この面子でなければ、これは不可能だ。そう思わせる。ひとつにはメンバーのレベルが揃っている。全員が同じレベルというよりは、バランスがとれている。そして狂い方が、狂うベクトルがほぼ同じだ。もっともこの狂うベクトルは松浦の歌によって決まっているところも大きい。むしろ、松浦の歌に感応して狂うそのベクトルが同じ、というべきか。そしてどこまで狂うことができるかのレベルがそろっている、というべきなのだろう。このことは録音だけではわからない。生を、ライヴを見て、演奏している姿を見て、音を聴いて初めて感得できる。

 最初から最後まで、顔はゆるみっぱなしだった。傍から見ればさぞかし呆けた様子だっただろう。〈アサリ〉も〈サバ〉も〈わっしょい〉ももちろんすばらしいが、ハイライトはまず〈喫茶店〉、そして買物のうた。さらに〈どうどう星めぐり〉で、松浦の狂気が炸裂する。

 それにしても、つくづく音楽とは狂気の産物だとあらためて思う。音楽を作るとき、演るとき、人は狂っている。聴くときも少しは狂っている。聴くのは作者、演奏者の狂気のお裾分けにあずかる行為だ。少しだけ狂うことで、日常から外れる。日常から外れ、狂うことで正気を保つ。これがなければ、このクソったれな世界でまっとうに生きようとすることなどできるはずがない。そして松浦の歌はそのコトバと曲によって、クソったれな世界が正常であるフリをしていることを暴く。つまるところ、この世界で崩壊もせず暮らしているのだから、われわれは皆狂っているのだ。

 金ぴか、きんきらきんのパンタロンとしか呼びようのない衣裳で松浦が出てきたときには一瞬ぎょっとなったが、歌いだしてしまえば、派手でもなんでもなく、その音楽にふさわしく、よく似合う。時間の経つのを忘れる体験をひさしぶりにする。

 対バンの相手、玉響楽団はうつみようこを核にして、形の上はナスポンズと共通する。狂い方がナスポンズほど直接的ではない。うつみと松浦のキャラクター、世代の違いだろう。うつみのライヴは初体験で、なるほどさすがにと納得する。ちなみにベストは八代亜紀〈雨の慕情〉。実にカッコよかった。それにしても、この人とヒデ坊が並びたっていたメスカリン・ドライブはさぞかし凄かったにちがいない。ただ、あたしにはいささか音がデカすぎた。万一のために持っている FitEar の耳栓をしてちょうどよかった。おもしろいことに、ナスポンズはそこまで音がデカくなく、耳栓なしで聴いてもOKだった。

 ナスポンズはほぼ月一でライヴを予定している。毎月はムリだがなるべくたくさん見ようと思う。当面次は9月。

 夜も10時を過ぎると明治通りも人が少なくなっていた。めったにないほどひどくさわやかな気分で表参道の駅に向かって歩く。敬称略。(ゆ)



玉響楽団 第壱巻「たまゆ~ら」
玉響楽団
ミディ
2017-03-01


 ここは2回目。前回は昨年10月の、須貝知世、沼下麻莉香&下田理のトリオだった。その時、あまりに気持ちよかったので、今回の関東ツアーのスケジュールにここがあったのを見て、迷わず予約した。すずめのティアーズとの共演にもものすごく心惹かれたのだが、仕事のイベントの直前でどうなるかわからないから、涙を呑んだ。後でトシさんからもう共演は無いかもしれないと言われたけど、前座でもなんでも再演を祈る。

 前回も始まったときは曇っていて、後半途中で雨が降りだし、降ったり止んだり。今回も後半途中で予報通り降りだす。次も雨なら、なにかに祟られているのか。

 前回は無かった木製の広いベランダが店の前に張りだす形にできていて、バンドははじめここに陣取る。PA が両脇に置かれている。リスナーは店の中からそちらを向くか、ベランダの右脇に張られたテントの中で聴く。PA は1台はそちら、もう1台が店の中に向いている。バックの新緑がそれは綺麗。前回は紅葉にはちょっと早い感じだったが、今回は染井吉野が終ってからゴールデン・ウィークまでの、新緑が一番映える時期にどんぴしゃ。こういう背景でこういう音楽を聴けるのはあたしにとっては天国だ。

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 このトリオを見るのはほぼ1年ぶり。前回は昨年2月。是政のカフェで、アニーが助っ人だった。その時はこの人たちをとにかく生で見られるというだけで舞いあがってしまっていた。とりわけみわさんだ。トシさんは他のバンドでも何度も見ている。鉄心さんも鞴座の生を見ている。みわさんはその時が初めてで、録音を聴いて永年憧れていたアイドルに会うというのはこういう気持ちかと思った。

 二度目としてまずは最高のロケーション、環境だ。そう、あの八ヶ岳アイリッシュ音楽フェスティヴァルのどこかで見られるとすれば、肩を並べるかもしれない。そういえば、去年あそこで一緒になった方も見えていて、今年の日程を教えてもらった。今年は9月第一週末、6〜8日だそうだ。よし、行くぞ。まだゲストも決まっていないそうだが、須貝さんとサムはいるし、セッションはそこらじゅうであるだろうから、あとはたとえ誰も来なくたってかまわない。

 で、みわトシ鉄心である。前回、これはあたしにとって理想のバンドだと思ったが、その理想のバンドがますます理想に近づいている。あるいは、ああ、あたしにとって理想のバンドとはこういう存在だったのだ、と気づかせてくれるレベルになっている。リルティングでのジグの1曲目からアンコールまで、ただただひたすらいい気持ち、そう、あの幸福感に包まれていた。

 既存のバンドで一番近いのはたぶん Cran だ、とあたしは思った。あちらは男性ばかりのトリオ、やはりパイプがいて、ギターならぬブズーキがいる。そして三声のコーラスで聴かせる。女声がいるということではスカラ・ブレイがあった。あちらはギター伴奏の四声。となるとみわトシ鉄心はクランとスカラ・ブレイのいいとこ取りをしていることになる。




 それにしてもだ、女声と男声のハーモニー、それも混声合唱団ではなく、少人数のハーモニー・コーラスには他のヴォーカルにはない蠱惑的と言いたい魅力が宿る。グレイトフル・デッドでも、1970年代半ば、76〜78年にかけての、ボブ・ウィアとドナ・ジーン・ガチョーの2人のコーラス、あるいはこれにジェリィ・ガルシアが加わった3人でのコーラスは、デッド30年の音楽の中でも一際輝く瞬間を何度も味わわせてくれる。デッドやスカラ・ブレイと同じく、みわトシ鉄心も地声で歌う。そこから、たとえばマンハッタン・トランスファーとは違って、土の薫りに包まれ、始源の響きが聞えてくる。そして、このトリオの面白いのは、みわさんがリードをとるところだ。

 今回まず感じいったのは、コーラスの見事さ。これが最も端的に現れたのはアンコールのそれもコーダのコーラスだった。これには圧倒された。とはいえ、オープナーの曲からずっと3人でのハーモニーがぴたりと決まってゆくのが実に快感。たぶんそれには鉄心さんの精進が効いているのではないか。前回はどこか遠慮がちというか、自信がもてないというか、歌いきれていない感覚がわずかながらあった。そういう遠慮も自信のなさも今回は微塵も見えない。しっかりとハモっていて、しかもそれを愉しんでいる。

 そうなのだ、3人がハモるのを愉しんでいるのだ。これは前回には無かったと思う。ハモるのは聴くのも愉しいが、なによりもまず歌う方が愉しいのだ。たぶん。いや、それは見ていて明らかだ。ぴたりとハモりが決まるときの快感は、音楽演奏の快感の中でも最高のものの一つではないかと、これは想像ではあるが、ハーモニーが決まることで生まれる倍音は外で聴くのもさることながら、中で自分の声もその一部として聞えるのはさらに快感だろう。

 だからだろうか、アレンジにおいても歌の比重が増えていて、器楽演奏の部分はずっと少ないように思えた。とはいえ、チューン演奏ではメインになるパイプの飄々とした演奏に磨きがかかっている。パイパーにもいろいろいて、流麗、華麗、あるいは剛直ということばで表現したくなる人たちもいる。鉄心さんのパイプのように、ユーモラスでいい具合に軽い演奏は、ちょっと他では聴いたことがない。

 ユーモラスな軽みが増えるなんてことは本来ありえないはずだ。よりユーモラスに、より軽くなる、わけではない。軽いのではない。軽みと軽さは違う。ところが、その性質が奥に隠れながら、それ故により明瞭に感じられる、不思議なことが起きている。あるいは歌うことによりのめり込んだからだろうか。

 みわさんはもともと一級のうたい手で、今さらより巧くなるとは思えないが、このトリオで歌うことのコツを摑んだのかもしれない。

 たぶん、そういうことなのだろう。各々個人として歌うことだけでなく、この3人で歌うことに習熟してきたのだ。楽器でもそういうことはあるだろうが、声、歌の場合はより時間がかかると思われる。その習熟にはアレンジの手法も含まれる。それが最も鮮明に感じられたのは〈古い映画の話〉。この歌も演奏されるにしたがって形を変えてきているが、ここに至って本当の姿が現れたと聞えた。

 それにしても、実に気持ち良くて、もうどれがハイライトかなどというのはどこかへ飛んでいた。ハイライトというなら始めから最後まで全部ハイライトだ。それでも後になるほど、良くなっていったようにも思う。とりわけ、休憩後の後半は雨を考慮して、バンドも中に入って屋内で生音でやる形にした。途中で雨が降りだしたから、まことに時宜を得た措置だったのだが、それ以上に、直近の生音での演奏、そしてコーラスには何度も背筋に戦慄が走った。

 そうそう、一番感心したのは、前半クローザーにやった〈オランモアの雄鹿〉。仕掛けがより凝って劇的になった上に、鉄心さんのとぼけた語りがさらに堂に入って、腹をかかえて笑ってしまった。

 バンドもここの場所、環境、雰囲気を気に入ったようだし、マスターもこの音楽には惚れたようで、これからも年に一、二度はやりましょうという話になっていたのは、あたしとしてはまことに嬉しい。「スローンチャ」のシリーズだけでなく、ほかのアクトもできるだけ見に来ようと思ったことであった。

 帰り、同じ電車を待っていた50代とおぼしきサラリーマンのおっさんが、「寂しいところですねえ、びっくりしました」と話しかけてきた。確かに谷峨の駅は寂しいかもしれないが、だからといって土地そのものも寂しいわけではない。(ゆ)

 パンデミックをはさんで久しぶりに見るセツメロゥズは一回り器が大きくなっていた。個々のメンバーの器がまず大きくなっている。この日も対バンの相手のイースタン・ブルームのステージにセツメロゥズのメンバーが参加した、その演奏がたまらない。イースタン・ブルームは歌中心のユニットで、セツメロゥズのメインのレパートリィであるダンス・チューンとは違う演奏が求められるわけだが、沼下さんも田中さんも実にぴったりの演奏を合わせる。この日は全体のスペシャル・ゲストとして高梨菖子さんもいて、同様に参加する。高梨さんがこうした曲に合わせるのはこれまでにも見聞していて、その実力はわかっているが、沼下さんも田中さんもレベルは変わらない。こういうアレンジは誰がしているのかと後で訊ねると、誰がというわけでもなく、なんとなくみんなで、と言われて絶句した。そんな簡単にできるものなのか。いやいや、そんな簡単にできるはずはない。皆さん、それぞれに精進しているのだ。

 もう一つ後で思いついたのは、熊谷さんの存在だ。セツメロゥズは元々他の3人が熊谷さんとやりたいと思って始まったと聞くが、その一緒にやったら面白いだろうなというところが効いているのではないか。

 つまり熊谷さんは異質なのだ。セツメロゥズに参加するまでケルト系の音楽をやったことが無い。多少聞いてはいたかもしれないが、演奏に加わってはいない。今でもセツメロゥズ以外のメインはジャズやロックや(良い意味での)ナンジャモンジャだ。そこがうまい具合に刺激になっている。異質ではあるが、柔軟性がある。音楽の上で貪欲でもある。新しいこと、やったことのないことをやるのが好きである。

 そういう存在と一緒にやれば、顕在的にも潜在的にも、刺戟される。3人が熊谷さんとやりたいと思ったのも、意識的にも無意識的にもそういう刺戟を求めてのことではないか。

 その効果はこれまでにもいろいろな形で顕れてきたけれども、それが最も面白い形で出たのが、セツメロゥズが参加したイースタン・ブルーム最後の曲。この形での録音も計画されているということで、今から実に楽しみになる。

 そもそもこのセツメロ FES ということからして新しい。形としては対バンだが、よくある対バンに収まらない。むしろ対バンとしての形を崩して、フェスとうたうことで見方を変える試みとあたしは見た。そこに大きくひと役かっていたのが、木村林太郎さん。まず DJ として、開演前、幕間の音楽を担当して流していたのが、実に面白い。いわゆるケルティック・ミュージックではない。選曲で意表を突くのが DJ の DJ たるところとすれば、初体験といいながら、立派なものではないか。MC でこの選曲は木村さんがアイルランドに留学していた時、現地で流行っていたものという。アイルランドとて伝統音楽がそこらじゅうで鳴っているわけではないのはもちろんだ。伝統音楽はヒット曲とは別の世界。いうなれば、クラシックやジャズといったジャンルと同等だ。そして、伝統音楽のミュージシャンたちも、こういうヒット曲を聴いていたのだ。そう見ると、この選曲、なかなか深いものがある。金髪の鬘とサングラスといういでたちで、外見もかなりのものである。これは本人のイニシアティヴによるもので、熊谷さんは DJ をやってくれと頼んだだけなのだそうだ。

 と思っていたら、幕間にとんでもないものが待っていた。熊谷さんのパーカッションをサポートに、得意のハープをとりだして演りだしたのが、これまたわが国の昔の流行歌。J-POP ではない、まだ歌謡曲の頃の、である。原曲をご存知ない若い方の中にはぽかんとされていた人もいたけれど、知っている人間はもう腹をかかえて笑ってしまった。アナログ時代には流行歌というのは、いやがおうでもどこかで耳に入ってきてしまったのである。デジタルになって、社会全体に流行するヒット曲は出なくなった。いわゆる「蛸壺化現象」だ。

 いやしかし、木村さんがこんな芸人とは知らなんだ。ここはぜひ、適切な芸名のもとにデビューしていただきたい。後援会には喜んではせ参じよう。

 これはやはり関西のノリである。東京のシーンはどうしても皆さんマジメで、あたしとしてはもう少しくだけてもいいんじゃないかと常々思っていた。これまでこんなことをライヴの、ステージの一環として見たことはなかった。木村さんにこれをやらせたのは大成功だ。これで今回の企画はめでたくフェスに昇格したのだ。

 しかし、今回、一番に驚いたのはイースタン・ブルームである。那須をベースに活動しているご夫婦だそうで、すでに5枚もアルバムがあるのに、あたしはまったくの初耳だった。このイベントに行ったのも、ひとえにセツメロゥズを聴きたいがためで、正直、共演者が誰だか、まったく意識に登らなかった。セツメロゥズが対バンに選ぶくらいなのだから悪いはずはない、と思いこんでいた。地方にはこうしたローカルでしか知られていないが、とんでもなく質の高い音楽をやっている人たちが、まだまだいるのだろう。そう、アイルランドのように。

 小島美紀さんのヴォーカルを崇さんがブズーキ、ギターで支える形。まずこのブズーキが異様だった。つまり、ドーナル・ラニィ型でもアレック・フィン型でも無い。赤澤さんとも違う。ペンタングル系のギターの応用かとも思うが、それだけでもなさそうだ。あるいはむしろアレ・メッレルだろうか。それに音も小さい。聴衆に向かってよりも、美紀さんに、共演者たちに向かって弾いている感じでもある。

 そしてその美紀さんの歌。この声、この歌唱力、第一級のシンガーではないか。こんな人が那須にいようとは。もっとも那須が故郷というわけではなく、出身は岡山だそうだが、ともあれ、この歌はもっと広く聴かれていい。聴かれるべきだ、とさえ思う。すると、いやいや、これはあたしだけの宝物として、大事にしまっておこうぜという声がささやいてくる。

 いきなり "The snow it melt the soonest, when the winds begin to sing" と歌いだす。え、ちょっ、なに、それ。まさかここでこんな歌を生で聴こうとは。

 そしてイースタン・ブルームとしてのステージの締めくくりが〈Ten Thousand Miles〉ときた。これには上述のようにセツメロゥズがフルバンドで参加し、すばらしいアレンジでサポートする。名曲は名演を引き出すものだが、これはまた最高だ。

 この二つを聴いていた時のあたしの状態は余人には到底わかるまい。たとえて言えば、片想いに終った初恋の相手が大人になっていきなり目の前に現れ、にっこり微笑みかけてきたようなものだ。レコードでは散々いろいろな人が歌うのを聴いている。名唱名演も少なくない。しかし、人間のなまの声で歌われるのを聴くのはまったく別の体験なのだ。しかも、第一級の歌唱で。

 この二つの間に歌われるのはお二人のオリジナルだ。初めの2曲は2人だけ。2曲目の〈月華〉がいい。そして沼下さんと熊谷さんが加わっての3曲目〈The Dream of a Puppet〉がまずハイライト。〈ハミングバード〉と聞えた5曲目で高くスキャットしてゆく声が異常なまでに効く。高梨さんの加わった2曲はさすがに聴かせる。

 美紀さんのヴォーカルはアンコールでもう一度聴けた。1曲目の〈シューラ・ルゥ〉はこの曲のいつもの調子とがらりと変わった軽快なアップ・テンポ。おお、こういうのもいいじゃないか。そして最後は別れの歌〈Parting Glass〉。歌とギターだけでゆっくりと始め、これにパーカッション、ロウ・ホイッスル、もう1本のブズーキ、フィドルとアコーディオンと段々と加わる。

 昨年のみわトシ鉄心のライヴは、やはり一級の歌をたっぷりと聴けた点で、あたしとしては画期的な体験だった。今回はそれに続く体験だ。どちらもこれから何度も体験できそうなのもありがたい。関西より那須は近いか。この声を聴くためなら那須は近い。近いぞ。

 念のために書き添えておけば、shezoo さんが一緒にやっている人たちにも第一級のシンガーは多々いるが、そういう人たちとはまた別なのだ。ルーツ系の、伝統音楽やそれに連なる音楽とは、同じシンガーでも歌う姿勢が変わってくる。

 後攻のセツメロゥズも負けてはいない。今回のテーマは「遊び」である。まあ、皆さん、よく遊ぶ。高梨さんが入るとさらに遊ぶ。ユニゾンからするりと外れてハーモニーやカウンターをかまし、さらには一見いや一聴、まるで関係ないフレーズになる。こうなるとユニゾンすらハモっているように聞える。最高だったのは7曲目、熊谷さんのパーカッション・ソロからの曲。アフリカあたりにありそうなコトバの口三味線ならぬ口パーカッションも飛び出し、それはそれは愉しい。そこからリールになってもパーカッションが遊びまくる。それに押し上げられて、最後の曲が名曲名演。その次の変拍子の曲〈ソーホー〉もテンションが変わらない。パンデミックは音楽活動にとってはマイナスの部分が大きかったはずだが、これを見て聴いていると、まさに禍福はあざなえる縄のごとし、禍があるからこそ福来たるのだと思い知らされる。

 もう一つあたしとして嬉しかったのは、シェトランドの曲が登場したことだ。沼下さんが好きなのだという。そもそもはクリス・スタウトをどこの人とも知らずに聴いて惚れこみ、そこからシェトランドにはまったのだそうだ。とりわけラストのシェトランドのウェディング・マーチはいい曲だ。シェトランドはもともとはノルウェイの支配下にあったわけで、ウェディング・マーチの伝統もノルウェイからだろう。

 沼下さんは自分がシェトランドやスコットランドが好きだということを最近自覚したそうだ。ダンカン・チザムとかぜひやってほしい。こういう広がりが音楽の深化にも貢献しているといっても、たぶん的外れにはなるまい。

 今月3本のライヴのおかげで年初以来の鬱状態から脱けでられたようである。ありがたいことである。皆さんに、感謝感謝しながら、イースタン・ブルームのCDと、熊谷さんが参加している福岡史朗という人のCDを買いこんで、ほくほくと帰途についたのであった。(ゆ)

イースタン・ブルーム
小島美紀: vocal, accordion
小島崇: bouzouki, guitar

セツメロゥズ
沼下麻莉香: fiddle
田中千尋: accordion
岡皆実: bouzouki
熊谷太輔: percussion

スペシャル・ゲスト
高梨菖子: whistle, low whistle

 4年ぶりのこの二組による新年あけましておめでとうライヴ。前回通算6回目は2020年の同月同日。月曜日、平日の昼間、会場は下北沢の 440。今回、最後にあちこちへのお礼を述べた際、中藤さんが思いっきり「440の皆さん、ありがとう」と言ってしまったのも無理はない。3年の空白はそれだけ大きい。言ってしまってから、しゃがみこんでいたのも頬笑ましかった。

 まず初めに全員で出てきて1セット。ジグの定番曲を3曲連ねる。その3曲目のBパートでさいとうさんと中藤さんのダブル・フィドルが高く舞いあがるところでまず体が浮く。昨年末、同じ会場での O'Jizo の15周年記念ライヴでは中藤さんと沼下さんのダブル・フィドルが快感だったのに負けない。沼下さんとの組合せだと流麗な響きになるのが、この組合せだと華麗になる。今回はいたるところでこのダブル・フィドルに身も心も浮きあがったのがまず何よりありがたいことだった。本格的にダブル・フィドルをフィーチュアしたバンドを誰かやってくれないか。その昔、アルタンの絶頂期、《The Red Crow》《Harvest Storm》《Island Angel》の三部作を前人未踏の高みに押しあげていたのも、ダブル、トリプルと重なるフィドルの響きだった。

 演奏する順番を決めるのはじゃんけんで、tricolor 代表はゲストの石崎氏、Cocopelina 代表はお客さんの一人。お客さんの勝ちで Cocopelina 先攻になる。

 かれらの生を見るのは一昨年の11月以来。その間に昨年末サード・アルバムを出していた。それによる変化は劇的なものではないが、深いところで進行しているようだ。アンサンブルのダイナミズム、よく遊ぶアレンジ、そして選曲と並べ方の妙、というこのバンドの長所に一層磨きがかかっている。新譜からの曲だけでなく、その後に作った新曲もどんどん演る。

 4曲目の〈Earl's Chair〉は実験で、有名なこの曲だけをくり返しながら、楽器編成、アレンジを次々に変えてゆく。アニーがブズーキで参加するが、通常の使い方ではなく、エフェクタでファズをかけたエレクトリック・ブズーキの音にして、ロック・バンドのリード・ギターのノリである。これはアンコールでも再び登場し、場の温度を一気に上げていた。

 この日は互いのステージに休んでいる方のメンバーが様々な形で参加した。気心の知れた、たがいの長所も欠点も知りつくしている仲だからこその芸だろうか。これが全体の雰囲気をゆるめ、年頭のめでたさを増幅もする。それにこうした対バン・ライヴならではの愉しさでもある。

 サポートの点で特筆すべきはバゥロンの石崎氏で、終始冷静にクールに適確な演奏を打ちだす。どちらかというと、ビートを強調してノリをよくするよりも、ともすれば糸の切れた凧のようにすっ飛んでいきかねないメンバーの手綱を上手にさばいていると聞えた。tricolor の時にも Cocopelina の時にも飄々と現れてぴたりとはまった合の手を入れるのには唸ってしまった。

 プレゼント・タイムの休憩(今回のプレゼントのヒットは岩瀬氏が持ってきたマイク・オールドフィールド《Amarok》のCD。昨年こればかり聴いていたのだそうだ)をはさんでの tricolor も怠けてはいない。オープナーの〈Migratory〉はもう定番といっていいが、1曲目でアコーディオンとフィドルがメロディを交錯させるのは初めて聴いた。2曲目〈Three Pieces〉の静と動の対照の鮮かさに陶然とする。次のセットの4曲目が実に良い曲。

 次の〈カンパニオ〉というラテン語のタイトルのセットでさいとうさんが加わり、まずコンサティーナ。長尾さんがマンドリン、アニーがギターのカルテット。持続音楽器と非持続音楽器のユニゾンが快感。2曲目でダブル・フィドルとなっての後半、テンポ・アップしてからには興奮する。締めは例によって〈ボン・ダンス〉。しかし、手拍子でノルよりも、じっと聴きこまされてしまう。この曲もまた進化している。

 どちらもアコースティック楽器がほとんどなのに、演奏の変化が大きく、多様性が豊富で、ステージ全体が巨大な万華鏡にも見えてくる。年明け一発めのライヴにまことにふさわしい。今年は元旦からショックが続いたから、こういう音楽が欲しかった。ショックの核の部分は11日の shinono-me+荒谷良一が大部分融解してくれたのに重ねて、今年初めてのアイリッシュ系のライヴでようやく2024年という年が始まった。ありがたや、ありがたや。

 それにしても、この二つ、演奏とアレンジのダイナミック・レンジの幅が半端でなく大きいから、サウンド担当の苦労もまた大変なものだ。エンジニアの原田さんによると、終った時にはくたくたになっているそうな。あらためてすばらしい音響で聴かせてくれたことに感謝する。(ゆ)


さいとうともこ: fiddle
岩浅翔: flute, whistles, banjo
山本宏史: guitar

中藤有花: fiddle, concertina, vocal
長尾晃司: guitar, mandolin
中村大史: bouzouki, guitar, accordion, vocal

Special Guest
石崎元弥: bodhran, percussion, banjo

 まずはこのようなイベントがこうして行われたことをすなおに喜ぼう。新鮮な要素は何も無いにしても、やはり年末には「ケルティック・クリスマス」が開かれてほしい。

 今年、「ケルティック・クリスマス」が復活と聞き、そこで来日するミュージシャンの名前を見て、うーん、そうなるかー、と溜息をついたことを白状しておく。ルナサやダーヴィッシュがまずいわけではない。かれらの生がまた見られるのは大歓迎だ。それにかれらなら、失望させられることもないはずだ。会場の勝手もわかっている(と思いこんでいたら、実はそうではなかった)。パンデミックの空白を経て、復活イベントを託す相手として信頼のおける人たちだ。

 しかし、ルナサもダーヴィッシュもすでに何度も来ている。反射的に、またかよ、と一瞬、思ってしまったのは、あたしがどうしようもないすれっからしだからではある。キャシィ・ジョーダンが開巻劈頭に言っていたように、ダーヴィッシュは結成44年目。ルナサももうそろそろ四半世紀は超える。みんなそろって頭は真白だ。どういうわけか、ルナサもダーヴィッシュもステージ衣裳を黒で統一していたから、余計映える。例外は紅一点キャシィ姉さんだけ。

 この日はいろいろと計算違い、勘違いをした上に判断の誤りも加わり、あたしとしては珍しくも開演時間に遅刻してしまった。ルナサの1曲目はすでに始まっていた。この曲が終ってようやく客席に入れてもらえたが、客席は真暗だから、休憩、つまりルナサが終るまでは入口近くの空いている席に座ることになった。バルコニー席の先頭を狙ってあえてA席にしたのだが、チケットには3階とあった。この距離でステージを見るのは初めてで、これはこれで新鮮ではある。距離が離れているだけ、どこかクールにも見られる。いつもなら目はつむって、音楽だけ聴いているのだが、これだけ距離があると、やはり見てしまう。そのせいもあっただろうか。2曲目を聴いているうちに、ルナサも老いたか、という想いがわいてきた。

 あるいはそれは、遅刻したことでこちらの準備が整わず、素直に音楽に入りこめなかったせいかもしれない。ライヴというのは微妙なバランスの上に成りたつものだ。演奏する側がたとえ最高の演奏をしていたとしても、聴く方がそれを十分に受けとめられる状態にないと音楽は失速してしまう。そういう反応が一定の割合を超えると、今度は演奏そのものが失速する。

 3曲目のブルターニュ・チューンで少しもちなおし、次のルナサをテーマにしたアニメのサントラだといって、看板曲をやったあたりからようやく乗ってきた。このメドレーの3曲目で今回唯一の新顔のダンサーが登場して、かなりなまでに回復する。

 このダンサー、デイヴィッド・ギーニーは面白かった。アイルランドでも音楽伝統の濃厚なディングルの出身とのことだが、それ故にだろうか、実験と冒険に遠慮がない。華麗でワイルドで、一見新しい世代とわかるその一方で、その合間合間にひどく古い、と言うよりも根源的な、いわゆるシャン・ノース・スタイルの動作とまでいかない、空気がまじる。やっていることはマイケル・フラトリーよりもずっとアメリカンとすら思えるが、節目節目にひらめく色が伝統の根幹につながるようだ。だから新奇なことをやっても浮かない。とりわけ、ダーヴィッシュの前に無伴奏で踊ったのは、ほとんどシャン・ノース・ダンスと呼びたくなる。芯に何か一本通っている。

 その次のキリアンの作になる新曲が良く、ようやくルナサと波長が合う。そしてその次のロゥホイッスル3本による抒情歌で、ああルナサだなあと感じいった。あたしなどにはこういうゆったりした、ゆるいようでいてピシリと焦点の決まった曲と演奏がこのバンドの魅力だ。

 全体としてはメロウにはなっている。あるいは音のつながりがより滑らかになったと言うべきか。若い頃はざくざくと切りこんでくるようなところがあったのが、より自然に流れる感触だ。音楽そのもののエネルギーは衰えていない。むしろこれをどう感じるか、受けとるかでこちらの感受性の調子を測れるとみるべきかもしれない。

 休憩になってチケットに記された席に行ってみると、三階席真ん前のど真ん中だった。左に誰も来なかったのでゆったり見られた。狙っていた2階のバルコニー右側先頭の席は空いていた。

 後半冒頭、ギーニーが出てきて上述の無伴奏ソロ・ダンシングを披露する。無伴奏というのがまずいい。ダンスは伴奏があるのが前提というのは、アイリッシュに限らず「近代の病」の類だ。

 山岸涼子の初期の傑作『アラベスク』第二部のクライマックス、バレエのコンテストでヒロインの演技中伴奏のピアニストが途中で演奏をいきなり止める。しかしヒロインは何事もないようにそのまま無伴奏で踊りつづけ、最後まで踊りきる。全篇で最もスリリングなシーンだ。あるいは何らかのネタがあるのかもしれないが、有無を言わせぬ説得力をもってこのシーンを描いた山岸涼子の天才に感嘆した。

 クラシック・バレエとアイリッシュではコンテクストはだいぶ違って、アイリッシュ・ダンスには無伴奏の伝統があるが、踊る動機は同じだろう。

 歌や楽器のソロ演奏と同じく、無伴奏は踊り手の実力、精進の程度、それにその日の調子が露わになる。そして、この無伴奏ダンスが、あたしには一番面白かった。これを見てしまうと、音楽に合わせて踊るのが窮屈に見えるほどだった。

 ダーヴィッシュはさすがである。ルナサとて一級中の一級なのだが、ダーヴィッシュの貫禄というか、威厳と言ってしまっては言い過ぎだが、存在感はどこか違う。ユーロビジョン・ソング・コンテストにアイルランド代表として何度も出ていることに代表される体験の厚みに裏打ちされているのだろうか。

 そしてその音楽!

 今回は最初からおちついて見られたこともあるだろう。最初の一音が鳴った瞬間からダーヴィッシュいいなあと思う。ところが、いいなあ、どころではなかった。次の〈Donal Og〉には完全に圧倒された。定番曲でいろいろな人がいろいろな形で歌っているけれども、こんなヴァージョンは初めてだ。うたい手としてのキャシィ・ジョーダンの成熟にまず感嘆する。一回りも二回りも大きくなっている。この歌唱は全盛期のドロレス・ケーンについに肩を並べる。いや、凌いですらいるとも思える。そしてこのアレンジ。シンプルに上がってゆくリフの快感。そしてとどめにコーダのスキャット。この1曲を聴けただけでも、来た甲斐がある。

 ダンスも付いたダンス・チューンをはさんで、今度はキャシィ姉さんがウクレレを持って、アップテンポな曲でのメリハリのついた声。これくらい自在に声をあやつれるのは楽しいにちがいない。聴くだけで楽しくなる。この声のコントロールは次の次〈Galway Shore〉でさらによくわかる。ウクレレと両端のマンドリンとブズーキだけのシンプルな組立てがその声を押し出す。

 そして、アンコールの1曲目。独りだけで出てきてのアカペラ。

 ダーヴィッシュがダーヴィッシュになったのは、セカンド・アルバムでキャシィが加わったことによるが、40年を経て、その存在感はますます大きくなっていると見えた。

 とはいえダーヴィッシュはキャシィ・ジョーダンのバック・バンドではない。おそろしくレベルの高い技術水準で、即興とアレンジの区別がつかない遊びを展開するのはユニークだ。たとえば4曲目でのフィドルとフルートのからみ合い。ユニゾンが根本のアイリッシュ・ミュージックでは掟破りではあるが、あまりに自然にやられるので、これが本来なのだとすら思える。器楽面ではスライゴー、メイヨーの北西部のローカルな伝統にダブリンに出自を持つ都会的に洗練されたアレンジを組合わせたのがこのバンドの発明だが、これまた40年を経て、すっかり溶けこんで一体になっている。そうすると聴いている方としては、極上のミュージシャンたちが自由自在に遊んでいる極上のセッションを前にしている気分になる。

 アンコールの最後はもちろん全員そろっての演奏だが、ここでキャシィが、今日はケルティック・クリスマスだからクリスマス・ソング、それも史上最高のクリスマス・ソングを歌います、と言ってはじめたのが〈Fairy Tale of New York〉。アイルランドでは毎年クリスマス・シーズンになるとこの曲がそこらじゅうで流れるのだそうだ。相手の男声シンガーを勤めたのはケヴィン・クロフォード。録音も含めて初めて聴くが、どうして立派なシンガーではないか。もっと聴きたいぞ。

 それにしてもこれは良かった。そしてようやくわかった。中盤で2人が「罵しりあう」のは、あれは恋人同志の戯れなのだ。かつてあたしはあれを真向正直に、本気で罵しりあっていると受けとめた。実際、シェイン・マゴゥワンとカースティ・マッコールではそう聞えた。しかし、実はあれは愛の確認、将来への誓い以外の何者でもない。このことがわかったのも今日の収獲。

 最後は全員でのダンス・チューンにダンサーも加わって大団円。いや、いいライヴでした。まずは「ケルクリ」は見事に復活できた。

 キャシィ姉さんのソロ・アルバムを探すつもりだったが、CD売り場は休憩中も終演後もごった返していて、とても近寄れない。老人は早々に退散して、今度は順当に錦糸町の駅から帰途についたことであった。(ゆ)

 パート3の合同演奏で、ジェ・ドゥーナのフィドルの舞さんは涙で唄えなくなってしまった。後を追いかけているバンドに自分たちの曲がうたわれ、新たな光を当てられるのを目の当たりにするのは感情を揺さぶられるだろう。いかに揺さぶられても、泣いてしまって演奏できなくなるのはプロじゃない、というのは酷だ。

 その少し前、後手のジェ・ドゥーナの3曲目を浴びていて、あたしも涙がにじんできた。こちらはワケがわからない。音楽に感動したからか。それも無いとはいえない。これは佳い曲だ。しかし、そういう時は背筋にぞぞぞと戦慄は走っても、涙まではにじんでこないのがふつうだ。あたしが老人だからか。それもあるかもしれない。老人はなにかと涙もろくなる。老人夫婦がおしゃべりしていても、子どもたちの小さい頃とか、死んだ親たちのこととかを思いだして、涙が出てくることは珍しくない。だけど、目の前の音楽は過去のことではない。いま、ここで、起きている。自分はそこに浸っている。

 そう、たぶん、いま、ここ、ということなのだ。不思議にいのちながらえて、いま、ここで、この音楽を浴びていられることが、むしょうに嬉しかったのではないか、と今、これを書きながら思う。自分が生きのびていることと、ジェ・ドゥーナが出現してくれたことが、ともに嬉しかったのだ。

 ジェ・ドゥーナは生を見たかった。月見ルのHさんから教えられて、録音を2枚聴いて、ぜひ生を見たい、と思った。ようやく生を見られたかれらは、期待以上だろうという期待をも軽く超えていた。

 まず驚いたのはその音楽がすでに完成していることだ。メンバー各自の技量の高さは言うまでもない。時に舌を巻くほどに皆巧いが、若い人たちの技量が高いことは世界的な現象でもあって、今さら驚くことではない。少なくとも人前でやろうという程の人たちは、ジャンルを問わず、実に巧いことは経験している。駅前の路上で演奏している人たちだって、技術だけはりっぱなものだ。ジェ・ドゥーナの技術はまた一つレヴェルが違うが、伝統音楽やそれを土台にした音楽は、ジャズ同様、テクニックのくびきがきついので、それだけをとりだして評価すべきものでもない。

 その高い技術によって実現されている音楽は、すでに独自の型を備え、その型を自在に駆使して、新鮮な音楽を次々にくり出す。そこには未熟さも、将来に期待してくださいというような甘えも一切無い。胸がすくくらいに無い。今持てるものをすべて、あらいざらいぶち込んでもいる。それが、先ほどの、いま、ここ、の感覚を増幅する。とにかく音楽の活きがよい。とれたて、というよりも、いま、ここで一瞬一瞬生まれている。そのみずみずしさ!

 見ていると、即興と聞えるところも緻密なアレンジをほどこしているようでもあり、入念なリハーサルを重ねているはずだが、そうは聞えない。たった今、思いつきで、というよりも内からあふれ出てくるものをそのまま出しているけしきだ。

 アレンジをしている時は内からあふれ出てくるのかもしれない。それをアレンジとして定着させるにはくり返し演奏しているはずだが、くり返しによって音楽がすり切れることがまるでない。名手、名演というのはそういうものではある。クラシックは楽譜通りに演奏するものだが、名演とそうでないものは截然とわかる。キンクスのレイ・デイヴィスは最大のヒット曲〈You Really Got Me〉を、文字通り数えきれない回数ステージで演奏しながら、毎回、いつも初めて演奏するスリルを感じると言う。おそらく音楽を新鮮で優れたものにするのは、その能力、演りつくしたとみえる楽曲を、初めて演奏するスリルをもって演奏できる能力なのだろう。ジェ・ドゥーナはそれを備えている。

 そしてそのアレンジが新鮮なのだ。いやまずその前に曲そのものがいい。ベースにしているアイリッシュ・ミュージックのダンス・チューンには無数の曲があり、もう新しいものはできないとも思えるが、ジェ・ドゥーナの作る曲はわずかに規範からはずれていて、はっとさせられる。しかも、何度聴いても、はっとさせられる。どこがどうはずれているのか、あたしなどにはわからないが、はずれかたが遠すぎず、近すぎず、絶妙としか言いようがない。

 そしてその佳いメロディーを展開するアレンジのアイデアが、やはりアイリッシュ・ミュージックの慣習からはずれている。ルナサが出てきたとき、そのアレンジのアイデアの豊冨なことと効果的なことに驚いた。プランクシティ以来のアイリッシュ・ミュージックの現代化はいかにアレンジするかの積み重ねでもあるけれど、ルナサはその中でも抜きんでていた。ジェ・ドゥーナのアレンジのアイデアはそこからまた一歩踏みだしている。おそらくクラシックの素養が働いているのではないかと思うが、それだけでは無いようでもある。ジャズの香りが漂うこともある。ヒップホップも入っているのは、今の時代、むしろ無いほうがおかしい。かと思えば、たとえばギターのアルペジオなどには1970年代とみまごうばかりの響きが聞える。

 こうした要素を演奏としてまとめあげるセンスがいい。確固として揺るぎない伝統を柱とする音楽に外からアプローチする場合、こういうセンスの有無は大きくモノを言う。このセンスはおそらくは先天性のもので、眠っているものを目覚めさせることはできても、全く無い人間が訓練で身につけられるものではないだろう。曲は面白いものが作れても、アレンジのセンスの無い人はいる。アレンジのセンスが必要ないジャンルやフォームもある。とまれ、ジェ・ドゥーナのメンバーはこのアレンジのセンスをあふれるほどに備えていることは確かだ。

 生を見てあらためて思う、ここまで音楽とスタイルを完成させてしまって、次にどこへ行くのだろう。余計なお世話ではあるが、初めにやりたいことをやり尽くしてしまって燃えつきたバンドを見てきてもいる。老人は心配性なのだ。若い時のように、時間が無限にあるとはもう感じられないからだ。そうわかっているから、心配が半分、そんな杞憂はあっさりはねのけてくれるだろうという期待が半分である。当人たちにとってはあっさりなどではないかもしれないが、傍から見る分には涼しい顔をして、またあっと言わせてくれるだろう。

 一方でことさらに変わる必要もないとも思える。無理に変わろうとして、崩れてしまっては元も子もない。むしろ、今の形をとことんまで深く掘りさげてゆくのもまた愉しからずや。いずれにしても、JJF を超えてゆくのを、JJF にはやりたくてもできないことをやるのを見たい。めざせ、ブドーカン! いや、そうではない。あんなところでジェ・ドゥーナを見たくはない。もっと音のまともな、もっと親密な、そして大きな空間で見たい。あるいは別の、あたしなどには思いもつかない姿を見たい。こちらとしては、とにかく、生きてそれを見られるよう、養生と精進に努めるばかりだ。


 ジョンジョンフェスティバルも収まりかえってはいなかった。じょんはオーストラリア、トシバウロンは京都、アニーは東京で、ふだん、おいそれとはリハーサルもできないと思われるが、そんなことは微塵も感じさせない。ネット上でやってもいるのだろうか。

 JJF が先に出てきたときには、ほほお、先手ですかと思い、すぐに、さすがだなと思いなおした。そして音が出た瞬間、うむうと唸った。じょんのフィドルがまた変わっている。切れ味が増している。パンデミックがとにもかくにも収まって、ヨーロッパにも行き、ライヴの機会が増えたからだろうか。アニーがピアノに座るケープ・ブレトン様式のラストの8曲メドレーは、JJF ならではの演奏。貫禄といっては重すぎるか、風格を見る。

 初めて対バンして、7曲も一緒にやるのは前例が無いとトシさんが言っていたが、この合同演奏は良かった。ダブル・フィドルの華麗な響き、ホィッスルのジャズ風の遊び、アニーが持ち替えるマンドリンやピアノの粋、ギター2本の重なり、そしてパーカッション二人の叩き合い。JJF の曲での口パーカッションも効いていた、と記憶する。久しぶりにほぼ立ちっぱなしだったが、もう1、2時間はそのまま聴いていたかった。アンコールの〈海へ〉が終るまで、足の痛みも感じなかった。会場を出て、外苑前の駅に向かって坂を登りだしたら、脚ががくがくしてきた。

 それにしても良いものを見せて、聴かせていただいた。生きるエネルギーをいただいた。ミュージシャンにも、Hさんにも感謝多謝。(ゆ)

 バンド結成60周年記念で出ていたクラダ・レコードからのチーフテンズの旧譜10枚の国内盤がめでたく来週03月15日に発売になります。ちょうどセント・パトリック・ディの週末ですね。

ザ・チーフタンズ 1 (UHQCD)
ザ・チーフタンズ
Universal Music
2023-03-15

 

 いずれも国内初CD化で、リマスタリングされており、おまけに「高音質CD」だそうです。これらはもともと録音もよいので、その点でも楽しめるはずです。

 今回再発されるのは1963年のファースト・アルバムから1986年の《Ballad Of The Irish Horses》までで、ヴァン・モリソンとの《Irish Heartbeat》以降の、コラボレーション路線のチーフテンズに親しんできたリスナーには、かれらだけの音楽が新鮮に聞えるのではないでしょうか。ファーストから《Bonapart's Retreat》までは、バンドの進化がよくわかりますし、《Year Of The French》や《Ballad Of The Irish Horses》では、オーケストラとの共演が楽しめます。《Year Of The French》はなぜか本国でもずっとCD化されていなかったものです。

イヤー・オブ・ザ・フレンチ (UHQCD)
ザ・チーフタンズ
Universal Music
2023-03-15



 以前にも書きましたが、このライナーを書くために、あらためてファーストから集中的に聴いて、かれらの凄さにあらためて感嘆しました。まさに、チーフテンズの前にチーフテンズ無く、チーフテンズの後にチーフテンズ無し。こういうバンドはもう二度と出ないでしょう。

 言い換えれば、これはあくまでもチーフテンズの音楽であって、アイリッシュ・ミュージック、アイルランドの伝統音楽をベースにはしていますし、アイリッシュ・ミュージック以外からは絶対に出てこないものではあるでしょうが、アイリッシュ・ミュージックそのものではありません。伝統音楽の一部とも言えない。

 それでもなお、これこそがアイリッシュ・ミュージックであるというパディ・モローニの主張を敷衍するならば、そう、デューク・エリントンの音楽もまたジャズの一環であるという意味で、チーフテンズの音楽もアイリッシュ・ミュージックの一環であるとは言えます。

 ただ、ジャズにおけるエリントンよりも、チーフテンズの音楽はアイリッシュ・ミュージックをある方向にぎりぎりまで展開したものではあります。それは最先端であると同時に、この先はもう無い袋小路でもあります。後継者もいません。今後もまず現れそうにありません。現れるとすれば、むしろクラシックの側からとも思えますが、クラシックの人たちの関心は別の方に向いています。

 ということはあたしのようなすれっからしの寝言であって、リスナーとしては、ここに現れた成果に無心に聴きほれるのが一番ではあります。なんといっても、ここには、純朴であると同時にこの上なく洗練された、唯一無二の美しさをたたえた音楽がたっぷり詰まっています。

 ひとつお断わり。この再発の日本語ライナーでも「マイケル・タブリディ」とあるべきところが「マイケル・タルビディ」になってしまっています。前に出た《60周年記念ベスト盤》のオリジナルの英語ライナーが Michael Tubridy とあるべきところを Michael Turbidy としてしまっていたために、そちらではそうなってしまいました。修正を申し入れてあったのですが、どういうわけか、やはり直っていませんでした。

 ですので、「マイケル・タルビディ」と印刷されているところは「マイケル・タブリディ」と読みかえてくださいますよう、お願いいたします。なお、本人はメンバーが写っている《3》のジャケットの右奥でフルートを抱えています。

ザ・チーフタンズ 3 (UHQCD)
ザ・チーフタンズ
Universal Music
2023-03-15



 もう一つ。来週土曜日のピーター・バラカンさんの「ウィークエンド・サンシャイン」でこの再発の特集が予定されています。あたしもゲストに呼ばれました。そこではこの再発とともに、Owsley Stanley Foundation から出た、《The Foxhunt: San Francisco, 1973 & 1976》からのライヴ音源からもかけようとバラカンさんとは話しています。(ゆ)



 とにかく寒かった。吹きつける風に、剥出しの頭と顔から体温がどんどん奪われてゆく。このままでは調子が悪くなるぞ、という予感すらしてくる。もう今日は帰ろうかと一瞬、思ったりもした。

 この日はたまたま歯の定期検診の日で、朝から出かけたが、着るものの選択をミスって、下半身がすうすうする。都内をあちこち歩きまわりながら、時折り、トイレに駆けこむ。仕上げに、足休めに入った喫茶店がCOVID-19対策でか入口の引き戸を少し開けていて、そこから吹きこむ風がモロにあたる席に座ってしまった。休むつもりが、体調が悪くなる方に向かってしまう。

 それでもライヴの会場に半分モーローとしながら向かったのは、やはりこのバンドの生はぜひとも見たかったからだ。関西ベースだから、こちらで生を見られるチャンスは逃せない。

 デビューとなるライヴ・アルバムを聴いたときから、とにかく、生で見、聴きたかった。なぜなら、このバンドは歌のバンドだからだ。アイリッシュやケルト系のバンドはどうしてもインスト中心になる。ジョンジョンフェスティバルやトリコロールは積極的に歌をレパートリィにとりいれている。トリコロールは《歌う日々》というアルバムまで作り、ライヴもしてくれたけれど、やはり軸足はインストルメンタルに置いている。歌をメインに据えて、どんな形であれ、人間の声を演奏の中心にしているバンドは他にはまだ無い。

 キモはその音楽がバンド、複数の声からなるところだ。奈加靖子さんはソロだし、アウラはア・カペラに絞っている。バンドというフォーマットはまた別の話になる。ソロ歌唱、複数の声による歌と器楽曲のいずれにも達者で自由に往来できる。

 あたしの場合、音楽の基本は歌なのである。歌が、人間の声が聞えて初めて耳がそちらに向きだす。アイリッシュ・ミュージックでも同じで、まず耳を惹かれたのはドロレス・ケーンやメアリ・ブラックやマレード・ニ・ウィニーの声だった。マレードとフランキィ・ケネディの《北の音楽》はアイリッシュ・ミュージックの深みに導いてくれた1枚だが、あそこにマレードの無伴奏歌唱がなかったら、あれほどの衝撃は感じなかっただろう。

Ceol Aduaidh
Frankie Kennedy
Traditions (Generic)
2011-09-20

 

 歌は必ずしも意味の通る歌詞を歌うものでなくてもいい。ハイランド・パイプの古典音楽ピブロックの練習法の一つとしてカンタラックがある。ピブロックは比較的シンプルなメロディをくり返しながら装飾音を入れてゆく形で、そのメロディと装飾音を師匠が声で演奏するのをそっくりマネすることで、楽器を使わずにまず曲をカラダに叩きこむ。パイプの名手はたいてがカンタラックも上手い。そしてその演奏にはパイプによるものとは別の味がある。

 みわトシ鉄心はまだカンタラックまでは手を出してはいないが、それ以外のアイルランドやブリテン島の音楽伝統にある声による演奏はほぼカヴァーしている。これは凄いことだ。こういうことができるのが伝統の外からアプローチしている強味なのだ。伝統の中にいる人たちには、シャン・ノースとシー・シャンティを一緒に歌うことは、できるできないの前に考えられない。

 中心になるのはやはりほりおみわさんである。この人の生を聴くのは初めてで、今回期待の中の期待だったが、その期待は簡単に超えられてしまった。

 みわさんの名前を意識したのはハープとピアノの上原奈未さんたちのグループ、シャナヒーが2013年に出したアルバム《LJUS》である。北欧の伝統歌、伝統曲を集めたこのアルバムの中で一際光っていたのが、河原のりこ氏がヴォーカルの〈かっこうとインガ・リタ〉とみわさんが歌う〈花嫁ロジー〉だ。この2曲は伝統歌を日本語化した上で歌われるが、その日本語の見事さとそれを今ここの歌として歌う歌唱の見事なことに、あたしは聴くたびに背筋に戦慄が走る。これに大喜びすると同時にいったいこの人たちは何者なのだ、という思いも湧いた。

Ljus
シャナヒー (Shanachie)
Smykke Boks
2013-04-10



 みわさんの声はそれから《Celtsittolke》のシリーズをはじめ、あちこちの録音で聴くチャンスがあり、その度に惚れなおしていた。だから、このバンドにその名前を見たときには小躍りして喜んだ。ついに、その声を存分に聴くことができる。実際、堂々たるリード・シンガーとして、ライヴ・アルバムでも十分にフィーチュアされている。しかし、そうなると余計に生で聴きたくなる。音楽は生が基本であるが、とりわけ人間の声は生で聴くと録音を聴くのとはまったく違う体験になる。

 歌い手が声を出そうとして吸いこむ息の音や細かいアーティキュレーションは録音の方がよくわかることもある。しかし、生の歌の体験はいささか次元が異なる。そこに人がいて歌っているのを目の当たりにすること、その存在を実感すること、声を歌を直接浴びること、その体験の効果は世界が変わると言ってもいい。ほんのわずかだが、確実に変わるのだ。

 今回あらためて思い知らされたのはシンガーとしてのみわさんの器の大きさだ。前半4曲目のシャン・ノースにまずノックアウトされる。こういう歌唱を今ここで聴けるとはまったく意表をつかれた。無伴奏でうたいだし、パイプのドローンが入り、パイプ・ソロのスロー・エア、そしてまた歌というアレンジもいい。かと思えば、シャンティ〈Leave Her Johnny〉での雄壮なリード・ヴォーカル。女性シンガーのリードによるシャンティは、女性がリードをとるモリス・ダンシングと同じく、従来伝統には無かった今世紀ならではの形。これまた今ここの歌である。ここでのみわさんの声と歌唱は第一級のバラッド歌いのものであるとあらためて思う。たとえば〈Grey Cock〉のような歌を聴いてみたい。ドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーの《Broken Hearted I'll Wander》に〈Mouse Music〉として収められていて、伝統歌の異界に引きずりこまれた曲では、みわさんの声がドロレスそっくりに響く。前半ラストの〈Bucks of Oranmore〉のメロディに日本語の歌詞をのせた曲でのマジメにコミカルな歌におもわず顔がにやけてしまう。

 この歌では鉄心さんの前口上で始まり、トシさんが受ける。これがまたぴったり。何にぴったりかというと、とぼけぶりがハマっている。鉄心さんの飄々としたボケぶりとたたずまいは、いかにもアイルランドの田舎にいそうな感覚をかもしだす。村の外では誰もしらないけれど、村の中では知らぬもののいないパイプとホィッスルの名手という感覚だ。どんな音痴でも、音楽やダンスなんぞ縁はないと苦虫を噛みつぶした顔以外見せたことのない因業おやじでも、その笛を聴くと我知らず笑ったり踊ったりしてしまう、そういう名手だ。

 鉄心さんを知ったのは、もうかれこれ20年以上の昔、アンディ・アーヴァインとドーナル・ラニィが初めて来日し、その頃ドーナルと結婚していたヒデ坊こと伊丹英子さんの案内で1日一緒に京都散策した時、たしか竜安寺の後にその近くだった鉄心さんの家に皆で押しかけたときだった。その時はもっぱらホィッスルで、パイプはされていなかったと記憶する。もっとも人見知りするあたしは鉄心さんとはロクに言葉もかわせず、それきりしばし縁はなかった。名前と演奏に触れるのは、やはりケルトシットルケのオムニバスだ。鞴座というバンドは、どこかのほほんとした、でも締まるところはきっちり締まった、ちょっと不思議な面白さがあった。パンデミック前にライヴを見ることができて、ああ、なるほどと納得がいったものだ。

The First Quarter Moon
鞴座 Fuigodza
KETTLE RECORD
2019-02-17



 この日使っていたパイプは中津井真氏の作になるもので、パンデミックのおかげで宙に浮いていたものを幸運にも手に入れたのだそうだ。面白いのはリードの素材。本来の素材であるケーンでは温度・湿度の変化が大きいわが国の風土ではたいへんに扱いが難しい。とりわけ、冬の太平洋岸の乾燥にあうと演奏できなくなってしまうことも多い。そこで中津井氏はリードをスプルースで作る試みを始めたのだそうだ。おかげで格段に演奏がしやすくなったという。音はケーンに比べると軽くなる。ケーンよりも振動しやすいらしく、わずかの力で簡単に音が出て、その分、音も軽くなる由。

 これもずいぶん前、リアム・オ・フリンが来日して、インタヴューさせてもらった時、パイプを改良できるとしたらどこを改良したいかと訊ねたら、リードだと即答された。アイルランドでもリードの扱いには苦労していて、もっと楽にならないかと思い、プラスティックのリードも試してはみたものの使い物にはならない、と嘆いていた。もし中津井式スプルース・リードがうまくゆくとすれば、パイプの歴史に残る改良になるかもしれない。少なくとも、温度・湿度の変化の大きなところでパイプを演奏しようという人たちには朗報だろう。鉄心さんによれば、中国や韓国にはまだパイパーはいないようだが、インドネシアにはいるそうだ。

 鉄心さんのパイプ演奏はレギュレーターも駆使するが、派手にするために使うのではなく、ここぞというところにキメる使い方にみえる。時にはチャンターは左手だけで、右手でレギュレーターのレバーをピアノのキーのように押したりもする。スプルースのリードということもあるのか、音が明るい。すると曲も明るくなる。

 パイプも立派なものだが、ホィッスルを手にするとまた別人になる。笛が手の延長になる。ホィッスルの音は本来軽いものだが、鉄心さんのホィッスルの音にはそれとはまた違う軽みが聞える。音がにこにこしている。メアリー・ポピンズの笑いガスではないが、にこにこしてともすれば浮きあがろうとする。

 トシさんが歌うのを初めて生で聴いたのは、あれは何年前だったか、ニューオーリンズ音楽をやるバンドとジョンジョンフェスティバルの阿佐ヶ谷での対バン・ライヴの時だった。以来幾星霜、このみわトシ鉄心のライヴ・アルバムでも感心したが、歌の練度はまた一段と上がっている。後半リードをとった〈あなたのもとへ〉では、みわさんの一級の歌唱に比べても、それほど聴き劣りがしない。後半にはホーミーまで聴かせる。カルマンの岡林立哉さんから習ったのかな。これからもっと良くなるだろう。

 そもそもこのバンド自体が歌いたいというトシさんの欲求が原動力だ。それも単に歌を歌うというよりは、声による伝統音楽演奏のあらゆる形態をやりたいという、より大きな欲求である。リルティングやマウス・ミュージックだけでなく、スコットランドはヘブリディーズ諸島に伝わっていた waulking song、特産のツイードの布地を仕上げる際、布をテーブルなどに叩きつける作業のための歌は圧巻だった。これが元々どういう作業で、どのように歌われていたかはネット上に動画がたくさん上がっている。スコットランド移民の多いカナダのケープ・ブレトンにも milling frolics と呼ばれて伝わる。

 今回は中村大史さんがゲスト兼PA担当。サポート・ミュージシャンとしてバンドから頼んだのは、「自由にやってくれ」。その時々に、ブズーキかピアノ・アコーディオンか、ベストと思う楽器と形で参加する。こういう時の中村さんのセンスの良さは折紙つきで、でしゃばらずにメインの音楽を浮上させる。それでも、前半半ば、トシさんとのデュオでダンス・チューンを演奏したブズーキはすばらしかった。まず音がいい。きりっとして、なおかつふくらみがあり、サステインもよく伸びる。楽器が変わったかと思ったほど。その音にのる演奏の闊達、新鮮なことに心が洗われる。このデュオの形はもっと聴きたい。ジョンジョンフェスティバルでオーストラリアを回った時、たまたまじょんが不在の時、2人だけであるステージに出ることになったことを思い出してのことの由。この時の紹介は "Here is John John Orchestra!"。

 みわトシ鉄心の音楽はあたしにとっては望むかぎり理想に最も近い形だ。ライヴ・アルバムからは一枚も二枚も剥けていたのは当然ではあるが、これからどうなってゆくかも大変愉しみだ。もっともっといろいろな形の歌をうたってほしい。日本語の歌ももっと聴きたい。という期待はおそらくあっさりと超えられることだろう。

 それにしても、各々にキャリアもあるミュージシャンたち、それも世代の違うミュージシャンたちが、新たな形の音楽に乗り出すのを見るのは嬉しい。老けこむなと背中をどやされるようでもある。

 是政は西武・多摩線終点で、大昔にこのあたりのことを書いた随筆を読んだ記憶がそこはかとなくある。その頃はまさに東京のはずれで人家もなく、薄の原が拡がっていると書かれていたのではなかったか。今は府中市の一角で立派な都会、ではあるが、どこにもつながらず、これからもつながらない終着駅にはこの世の果ての寂寥感がまつわる。

 会場はそこからほど近い一角で、着いたときは真暗だから、この世の果ての原っぱのど真ん中にふいに浮きあがるように見えた。料理も酒もまことに結構で、もう少し近ければなあと思ったことでありました。

 帰りは是政橋で多摩川を渡り、南武線の南多摩まで歩いたのだが、昼間ほど寒いとは感じず、むしろ春の匂いが漂っていたようでもある。風が絶えていた。そしてなにより、ライヴで心身が温まったおかげだろう。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

みわトシ鉄心
ほりおみわ: vocals, guitar
トシバウロン: bodhran, percussion, vocals
金子鉄心: uillean pipes, whistle, low whistle, vocals

中村大史: bouzouki, piano accordion
 

 凄い、というコトバしか出てこなかった。美しいとか、豪奢とか、堂々たるとか、感動的とか、音楽演奏のポジティヴな評価を全部呑みこんだ上で、凄い、としか言いようがない。

 ミュージシャンたちはあっけらかんとしている。何か特別なことをした、という風でもなく、いつもやってることをいつもやってるようにやっただけ、という顔をしている。ほとんど拍子抜けしてしまう。あるいは心中では、やった、できた、と思っていても、それを表には出さないことがカッコいい、と思っているのか。

 しかし、とんでもないことをやっていたのだ、あなたたちは、と襟を摑んでわめきたくなる。

 ピアニスト、作曲家の shezoo さんがやっている2つのユニット、トリニテ透明な庭が合体したライヴをやると聞いたとき、どうやるのか、ちょっと見当がつかなかった。たとえば前半透明な庭、後半トリニテ、アンコールで合奏、みたいなものかと漠然と想像していた。

 実際には5人のミュージシャンが終始一貫、一緒に演奏した。その上で、トリニテと透明な庭各々のレパートリィからの曲を交互に演奏する。すべて shezoo さんの曲。例外はアンコールの〈永遠〉で、これだけ藤野さんの曲。トリニテに藤野さんが参加した、とも透明な庭に、壷井、北田、井谷の三氏が参加したとも、おたがいに言い合っていたが、要は合体である。壷井、藤野のお2人はオオフジツボでも一緒だ。

 結論から言えば、この合体による化学変化はどこから見ても聴いても絶大な効果を生んでいる。各々の長所を引き出し、潜在していたものを引き出し、どちらからも離陸した、新たな音楽を生みだした。

 その構造をうんと単純化して乱暴にまとめれば、まずは二つ、見えると思う。

 まず一つはフロントが三人になり、アレンジを展開できる駒が増え、より複雑かつ重層的で変化に富む響きが生まれたこと。例えば後半2曲め〈Moons〉でのフーガの部分がヴァイオリン、クラリネット、そしてピアノの代わりにアコーディオンが来て、ピアノはリズム・セクションに回る。持続音楽器が三つ連なる効果はフーガの面白さを格段に増す。

 あるいは前半3曲目〈Mondissimo 1〉のテーマで三つの持続音楽器によるパワー全開のユニゾン。ユニゾンはここだけでなく、三つの楽器の様々な組合せで要所要所に炸裂する。

 アコーディオンはメロディも奏でられるが、同時にハーモニーも出せる。ピアノのコード演奏と相俟って、うねりを生んで曲のスケールを増幅する。

 もう一つは即興において左端のピアノと右端のアコーディオンによって、全体が大きくくるまれたこと。トリニテの即興は、とりわけ Ver. 2 になってからよりシャープになり、鋭いカドがむきむき湧いてくるようになった。それが透明な庭の響きによってカドが丸くなり、抑制が効いている。羽目を外して暴れまわるかわりに、やわらかい網をぱんぱんにふくらませながら、その中で充実し、熟成する。それは shezoo 版〈マタイ受難曲〉で、アンサンブルはあくまでバッハの書いた通りに演奏しながら、クラリネットやサックスが自由に即興を展開するのにも似ている。大きな枠の中にあえて収められることで、かえって中身が濃くなる。

 その効果はアンサンブルだけでなく、ソロにも現れる。ヴァイオリンはハーモニクスで音色を千変万化させると思うと、思いきりよく切れこんでくる。そしてこの日、最も冴えていたのはクラリネット。オープナー〈Sky Mirror〉のソロでまずノックアウトされて、これを聴いただけで今日は来た甲斐があったと思ったのは甘かった。後半3曲目〈蝙蝠と妖精の舞う空〉のソロが止まらない。ごく狭い音域だけでシンプルに音を動かしながら、テンションがどんどん昇ってゆく。音域も徐々に昇ってゆき、ついには耳にびんびん響くまでになる。こんなになってどう始末をつけるのだと思っていたら、きっちりと余韻さえ帯びて収めてみせた。コルトレーンに代表されるような、厖大な数の音を撒き散らしてその奔流で圧倒するのとは対極のスタイルだ。北田さん本人の言う「ジャズではない、でも自由な即興」の真骨頂。そう、グレイトフル・デッドの即興の最良のものに通じる。耳はおかしくなりそうだったが、これを聴けたのは、生きててよかった。

 前回、山猫軒ではヴァイオリンが支配的で、クラリネットは控え目に聞えたのだが、今回は存分に歌っている。

 山猫軒で気がついたことに、井谷氏の語彙の豊冨さがある。この人の出す音の種類の多いことは尋常ではない。いざとなればマーチやワルツのビートを見事にキープするけれども、ほとんどの時間は、似たような音、響きが連続することはほとんどない。次から次へと、様々にかけ離れた音を出す。スティック、ブラシ、細い串を束ねたような撥、指、掌などなどを使って、太鼓、スネア、各種シンバル、カホン、ダフ、ダラブッカ、自分の膝などなどを叩き、こすり、はじく。上記〈蝙蝠と妖精の舞う空〉では、目の前に広げてあった楽譜の束をひらひらと振って音をたてている。アイデアが尽きることがない。その音はアクセントとして、ドライヴァーとして、アンサンブルをあるいは持ち上げ、あるいは引張り、あるいは全体を引き締める。

 ピアノもカルテットの時の制限から解放されて、より伸び伸びと歌っている。カルテットではピアノだけでやることを、今回はアコーディオンとの共同作業でできているように聞える。その分、余裕ができているらしい。shezoo さんがアレルギー性咽頭炎で掠れ声しか出ないことが、むしろプラスに作用していたようでもある。

 始まる前はいささかの不安さえ抱いていたのが、最初の1曲で吹飛んだ後は、このバンドはこれが完成形なのではないか、とすら思えてきた。トリニテに何かが不足していたわけではないが、アコーディオンが加わる、それもこの場合藤野さんのアコーディオンが加わることで、アニメのロボットが合体して別物になるように、まったく別の生き物に生まれかわったように聞える。こういう音楽を前にしては、浴びせかけられては、凄いとしか出てこない。唸るしかないのだ。1曲終るごとに拍手が鳴りやまないのも無理はない。4+1あるいは2+3が100になって聞える。

 終演22時過ぎて、満月の下、人影まばらな骨董通りを表参道の駅に向かって歩きながら、あまり寒さを感じなかった。このところ、ある件でともすれば奈落の底に引きこまれそうになっていたのだが、どうやらそれにも正面からたち向かう気力をもらった具合でもある。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

透明なトリニテの庭
壷井彰久: violin
北田学: clarinet, bass-clarinet
井谷享志: percussion
藤野由佳: accordion
shezoo: piano 
 

 さいとうさんのフィドル・ソロや、やはりさいとうさんの Jam Jumble のライヴは見ているが、ココペリーナとしてのライヴは初めて。アルバムとしては2枚目、フル・アルバムとしては初の《Tune The Steps》には惚れこんでいたから、ライヴはぜひ見たかった。パンデミックもあって、4年待つことになった。この年になると4年待てたことにまず歓んでしまう。

 生で聴くとまず音の芯が太い。さいとうさんのフィドルの音の芯がまず太いのだが、フルートとギターも芯がしっかりしている。

 面白いのはフルートと対照的にバンジョーがむしろ繊細だ。普通はもっと自己主張する楽器だが、ここでは片足を後ろに退いている。その響きとフィドルの音の混ざり具合が新鮮。

 線の太さと繊細さの対照はギターでも聞える。曲のイントロやつなぎのパート、フィドルまたはフルートのどちらかだけとのデュオの形では、かなり緻密な演奏なのが、トリオになってビートを支えると太くなる。

 もっとも、ギターという楽器はどちらも可能で、アニーにしても長尾さんにしても、やはり繊細さと線の太さが同居している。のだが、それに気付いたのがこのトリオを生で見たとき、というのも面白い。アイルランドやアメリカなどのギタリストにはあまりいないようにも思える。ミホール・オ・ドーナルはそうかな。

 録音ではイントロやつなぎを中心に、かなり大胆でモダンなアレンジをしている部分と、ギターにドライヴされるユニゾンで迫る部分の対比がこのバンドの肝に見えた。それは生でも確認できたのだが、曲のつなぎは2曲目の b から c へのようにさらに面白くなっている。

 生で気がついたのはメインの部分でもさいとうさんか岩浅氏のどちらかがメロディを演奏し、もう片方がそこからは外れて即興をしている。ドローンもよく使う。これをごく自然に、まるでそもそもこういう曲ですよ、と素知らぬ顔でやる。つまり対比させるというよりも、同じ地平でやっている。

 見方によってどちらにもとれる。ユニゾン主体の、実にオーセンティックな演奏にも聞えるし、少々無茶な実験もどんどんしてゆく前衛的演奏にも聞える。両極端が同居している。

 選曲にもそれは現れて、耳タコの定番曲と聴いた覚えのない新鮮な曲が入り乱れる。

 ひと言でいえば、よく遊んでいる。こんなに遊ぶアンサンブルを他に探せば、そう Flook! が近いか。ココペリーナの方が伝統曲を核にしているし、あえて言えばココペリーナの方が洗練されている。どこか上方の文化の匂いが漂う。

 歌が2曲。前半の〈青い月〉と後半の〈Hard Times Come Again No More〉。どちらも良いが、後者では他のお二人もコーラスを合わせたのがハイライト。チューンでのハイライトは後半冒頭〈Cup of Tea〉から〈Earl's Chair〉のメドレーに聴きほれる。

 今回は石崎元弥氏がバゥロンとパーカッションでサポート。これが実に良い。これまた、もともとカルテットだと言われてもまるで不思議がないほどアンサンブルに溶けこんでいた。後半冒頭、トリオでやったのもすっきりとさわやかだったが、石崎氏が入ると、演奏のダイナミズムのレベルが一段上がる。

 さいとうさんのフィドルのどっしりとした存在感に磨きがかかったようでもある。フィドルでもフルートでも、こういう肝っ玉母さん的なキャラはあたしの好みなのだ。ソロは別格だし、Jam Jumble も楽しいが、やはりココペリーナをもっと聴きたくなる。

 満席のお客さんにはミュージシャン仲間が顔を揃えていた。あたしのように楽器がまったくできない人間は2、3人ではなかったか。これもまたこのバンドの人徳であろう。(ゆ)

Cocopelina
さいとうともこ: fiddle, concertina, vocals
岩浅翔: banjo, whistle, flute, vocals
山本宏史: guitar, vocals

石崎元弥: bodhran, percussion, banjo

07月25日・月
 朝、起きると、深夜、吉田文夫氏が亡くなったという知らせが、名古屋の平手さんからメールで来ていた。あの平手さんがメールを送ってくるのはよほどのことだ。吉田氏は平手さんが主催している滋賀県高島町でのアイリッシュ・ミュージック・キャンプの常連でもあったから、平手さんにとっては喪失感は大きいだろう。あたしはついに会うことがかなわなかった。もう一昨年になるか、25周年ということで初めてでかけたキャンプには、吉田氏は体調不良で見えなかった。がんの治療をしていることは聞いていた。

 吉田氏は関西でアイルランドやスコットランドなどの伝統音楽を演奏する草分けの1人だった。関東のあたしらの前にはシ・フォークのメンバーとして現れた。シ・フォークは札幌のハード・トゥ・ファインドとともに、まだ誰もアイリッシュ・ミュージックのアの字も知らない頃から、その音楽を演奏し、レコードを出していた稀少な存在だった。この手の音楽を愛好する人間の絶対数、といっても当時はタカの知れたものだが、その数はおそらく一番多かったかもしれないが、関東にはなぜかそうしたグループ、バンドが生まれなかったから、あたしらはハード・トゥ・ファインドやシ・フォークに憧れと羨望の眼差しを送っていたものだ。その頃はライヴに行くという習慣がまったく無かったので、どちらにしてもツアーで来られていたのかもしれないが、バンドとしての生を見ることはなかった。

 今世紀も10年代に入る頃から、国内のアイリッシュ・ミュージック演奏者が爆発的に出てきたとき、吉田氏の名前に再会する。関西の演奏者を集めた Celtsittolke のイベントとオムニバス・アルバムだ。東京でトシバウロンが Tokyo Irish Company のオムニバス・アルバムを作るのとほぼ同時だったはずだ。

 Celtsittolke には正直仰天した。その多彩なメンバーと多様な音楽性に目を瞠り、熱気にあてられた。関東にはない、猥雑なエネルギーが沸騰していた。関東の演奏家はその点では皆さんまじめで、行儀が良い。関西の人たちは、伝統に敬意を払いながらも、俺らあたしら、勝手にやりたいようにやるもんね、とふりきっている。そのアティテュードが音楽の上でも良い結果を生んでいる。アイリッシュ・ミュージックの伝統は、ちっとやそっと、揺さぶったところで、どうにかなるようなヤワなものではない。どんなものが、どのように来ても、あっさりと呑みこんでゆるがない。強靭で柔軟なのだ。そのことを、関西の人たちはどうやってかはわからないが、ちゃんとわきまえているようでもある。少なくとも吉田氏はわきまえていたようだ。Celtsittolke はそうした吉田氏が長年積み重ねてきたものが花開いたと見えた。

 結局、その生演奏にも接しえず、言葉をかわしたこともなかったあたしが、吉田氏について思い出を語ることはできない。今はただ、先駆者の一人として、いい年のとり方をされたのではないかと遠くから推察するだけだ。アイリッシュ・ミュージックやスコットランドの伝統音楽と出逢い、ハマりこんだことは人生において歓びだったと思いながら旅立たれたことを願うのみである。合掌。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月25日には1972、74、82年の3本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1972 Paramount Theatre, Portland, OR
 火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。シアトル、ポートランドのミニ・ツアー。どちらも "Paramount Theatre"。シアトルのには "Northwest" がついているが。
 ピークのこの年らしいショウの1本という。

2. 1974 International Amphitheatre, Chicago, IL
 木曜日。二部としてレシュとラギンの〈Seastones〉が演奏された。
 第三部9・10曲目、〈Uncle John's Band> U.S. Blues〉が2015年の、第一部3曲目〈Black-Throated Wind〉が2016年の、第一部2曲目の〈Loose Lucy〉が2019年の、アンコール〈Ship Of Fools〉が2020年の、〈Loose Lucy; Black-Throated Wind〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。つまり5曲がリリースされていることになる。
 きっちりした演奏。Wall of Sound の時期で音は良い。この日の録音はベースがはっきり聞える。ウィアのギターが小さめ。キースはこの頃にはすでにピアノだけではなく、オルガンも弾いている。
 この5曲はどちらかというと歌を聞かせる曲で、ガルシアは曲ごとに歌い方を変えている。〈Loose Lucy〉ではメリハリをつけ、〈Uncle John's Band〉ではややラフに、時にメロディを変え、〈Ship Of Fools〉ではごく丁寧に。〈U.S. Blues〉はギアがちょっとはずれて、歌詞が不安定。結局、ちゃんとケリを着けはする。
 〈Black-Throated Wind〉はウィアの独壇場になる曲。良い曲なのだが、ウィアの曲は時に、きっちりと構成が決まっていて、崩しようがないことがある。これはその典型。ずっと聴いていると、だんだん息が詰まってくる。

3. 1982 Compton Terrace Amphitheatre, Tempe, AZ
 日曜日。10ドル。開演7時半。
 1週間ぶりのショウで夏のツアーのスタート。08月10日までの12本。アリゾナ、コロラド、テキサス、オクラホマ、ミズーリ、ミネソタ、ウィスコンシン、アイオワを回る。
 ショウは良いものだそうだ。(ゆ)

1218日・土

 この人もキャリアは長いが、自分の名前を冠したバンドは初めてのはず。それだけアンサンブルを重視しているのだろう。一応ブルーグラスの編成だが、音楽はオブライエン節でブルーグラスではない。この人はブルーグラスから出発していると思うが、その資質はもっと広く、根も深い。

 そう、この人の歌は根が深い。個人よりもそれが出てきた背後の存在を感じさせる。アイリッシュと相性が良いのもそこではないか。

 存在感としてはヴォーカルは別として、まずフィドル。そしてベース。

Tim O'Brien Band
O'Brien, Tim
Howdy Skies
2019-03-22



##本日のグレイトフル・デッド

 1218日には1965年から1994年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1965 The Big Beat Club, Palo Alto, CA

 Big Beat Acid Test。セット・リスト不明。


2. 1973 Curtis Hixon Convention Hall, Tampa, FL

 このヴェニュー2日連続の初日。ポスターによると WFSO または WFJO というラジオ局が主催した「自転車に乗ろう」キャンペーンの一環らしい。ラジオ局の名前のロゴがどちらにも読める。どちらのラジオ局もタンパ、セント・ピータースバーグ一帯にかつて存在した。

 翌日同様、すばらしいショウの由。


3. 1993 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 3日連続のランの中日。


4. 1994 Los Angeles Sports Arena, Los Angeles, CA

 開演7時半。第一部5曲目〈El Paso〉でウィアがアコースティック・ギター。(ゆ)


1217日・金

 散歩連続3日めで、ナイキのヒモつきのもので歩いても、左足裏の痛みは薄れてくる。あるいは筋肉痛のようなものか。


Top Floor Taivers, A Delicate Game

 シンガーの Claire Hastings、フィドルの Grainne Brady、ピアノの Tina Rees にクラルサッハの Heather Downie が加わったカルテット。曲により Tia Files のパーカッションがつく。
 

 ヘイスティングスは2015年度 BBC Radio Scotland Young Traditional Musician 受賞者。リースもアイリッシュ・ダンサーだが、ピアノで2010年度の最終候補となっている。ダウニーはハープで2015年の最終候補。ブレディだけはキャヴァン出身のせいか、この賞には縁がない。もっとも彼女も現在はグラスゴーがベース。

 という、若手トップの「スーパー・グループ」のデビュー・アルバム。この人たち、巧いだけでなく、センスもいい。アレンジの才もある。トンプソンの〈1952 Vincent Black Lightning〉がまるでスコッチ・バラッドに聞える。いずれもかなり個性的な音を出すが、アンサンブルとしてのまとまりは大したものだ。

 全篇歌のアルバムなので、ヘイスティングスの シンガーとしての器の大きさが耳を惹くとはいえ、これまでのソロ・アルバムに比べれば、バンドとして機能していて、これからが楽しみ。見事なデビュー。


##本日のグレイトフル・デッド

 1217日には1970年から1993年まで4本のショウをしている。公式リリースは1本。


1. 1970 The Matrix, San Francisco, CA

 このヴェニュー2日連続の2日目。残っているテープによると5曲45分強のショウ。これも前日と同じくデヴィッド・クロスビー、ガルシア、レシュ、ハートによるものらしい。デッドのショウとは言えないだろう。


2. 1978 Fox Theatre, Atlanta, GA

 セット・リスト以外の情報無し。


3. 1986 Oakland-Alameda County Coliseum Arena

 16.50ドル。開演8時。ガルシアの昏睡からの復帰三連チャンの最後。Drums Babatunde Olatunji が参加。

 ガルシアは楽屋でもたいへん元気でご機嫌だった由。


4. 1992 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー5本連続の千秋楽でこの年の千秋楽。第二部クローザーとアンコールの各々2曲ずつが《Dick’s Picks, Vol. 27》でリリースされた。

 見事な締め括り。〈Throwing Stone> Not Fade Away〉、そして〈Baba O'Reily> Tomorrow Never Knows〉というアンコール。全員がすばらしい演奏をしている。そしてアンコールでのウェルニクは讃えられてあれ。こういう演奏、歌唱を聴くと、この人も凡庸なミュージシャンではなかった。バンドによって引っぱりあげられた部分はあるにしても、引っぱりあげられるだけのものは備えていたのだ。


5. 1993 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 この年最後のラン、このヴェニューでの三連チャン初日。24.50ドル。開演7時。(ゆ)


1002日・土

 仕事で横浜に出る。自主ロックダウンが解けた最初の週末、天気も上々とて、人手はたくさん。訪問先がホテルだったので、結婚式らしい振袖姿の女性も複数いる。解除を見越していたのか。

 今年2月、人間ドックのために泊まった新宿のホテルはがらがらで、値段はパンデミック前の半分に下がっていて、さらにチェックインの時、満室なので部屋をアップグレードさせていただきます、と言われる。一方で高級と言われるホテルは逆にパンデミック以前の倍あるいはそれ以上に値段を上げているそうな。それで稼働率3割の方が、半分にして満室にするより、利益率は高いし、高くても来る客は付属のレストランなどでカネを落としてくれるという計算。客が少なければサーヴィスの質を上げられて、来た客はよりいい気分になれるから、また来る。なるほど。

 とはいえ、人間ドックの時は、朝早くて、朝食抜きだからホテルを使ったけど、普段は使うあてもないのよねえ。それ以外にこれまで都心のホテルに泊まったのは、仕事を除けば、自分たちの結婚式の時と、義父が年とってから年末年始をかみさんの一族と一緒に過ごした時だけだ。


##1002日のグレイトフル・デッド

 1966年から1994年まで10本のショウをしている。公式リリースは4本。

1. 1966 Commons, San Francisco State College, San Francisco, CA

 トリップ・フェスティヴァルの3日目。この日、午後3時まで、ということになっていた。この日の録音は残っている。また、この日、Merry Pranksters の放送があり、ガルシアはそこでオルガンを弾いたようだ。

2. 1969 Boston Tea Party, Boston, MA

 Bonzo Dog Band とのダブル・ビル。会場は1967年から1970年まで運営されたコンサート会場で、DeadBase XI によれば定員1,500。この時期、名の通ったロックやブルーズのアクトは軒並ここに出ている。フィルモア・イーストのボストン版というところ。このヴェニューは元々の場所が火事にあったため、この時期はかつてのライヴァル The Ark の場所に移っていた。デッドがこの年4月に出た同じ会場で、今回はヴェニューの名前が変わっていたわけだ。ここにはこの10月と年末ぎりぎりの2度、どちらも3日連続で出ている。

 当時のライヴ評によればガルシアはペダルスティールを弾き、トム・コンスタンティンがオルガンを弾いている。

 ちなみにボンゾ・ドッグ・バンドはまだ『モンティ・パイソン』が放映されていなかったアメリカでは、まっとうに受けとめられなかったらしい。

03. 1972 Springfield Civic Center Arena, Springfield, MA

 秋のツアー前半の最終日。前半5曲目〈Bird Song〉が2012年の、後半2曲目の〈He's Gone〉が2018年の《30 Days Of Dead》で、各々リリースされた。

 どちらも見事な演奏。とりわけ後者。ブリッジのハーモニーがよく溶けあっている。始めのうち、トラブルかウィアのギターが聞えないが、コーラスには参加している。後半、演奏を延々と続け、コーラスが再度入る。この2度のコーラスをはさんでガルシアのソロが三度。どれも愉しい。

 後者、演奏の前に、後ろから押されて前の方の客が潰されそうになっている、と言って、ウィアがおれが Step と言ったら、みんな一斉に一歩下がってくれ、とアナウンス。バンドのバックとともに掛け声を出す。後に、"Step back game" と名付けて、恒例の行事となる。座席がなかったり、あるいは聴衆が座席を無視して、前に押しかけていたのだろう。

04. 1976 Riverfront Coliseum, Cincinnati, OH

 後半オープナーの〈The Music Never Stopped〉が2016年の、後半の後半〈The Other One> Stella Blue> The Other One> Sugar Magnolia〉の30分を超えるメドレーが2017年の《30 Days Of Dead》で、各々リリースされた。

 いずれも質の高い演奏で、この日は調子が良い。いわゆるオンになっている。

05. 1977 Paramount Theatre, Portland, OR

 2日連続の2日目。この2日間の録音は Betty Board tapes の一部。ということは、今後公式リリースされる可能性が大きい。

 〈Casey Jones〉でガルシアがブリッジを歌いだすタイミングをとりそこね、長いジャムをやって再度ガルシアが入るところへもどったため、この歌のベスト・ヴァージョンの一つが生まれた、そうだ。

06. 1980 Warfield Theatre, San Francisco, CA

 15本連続の6本目。第三部、エレクトリック・セットの後半2〜4曲目〈Comes A Time> Lost Sailor> Saints of Circumstances〉が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 この秋の一連のレジデンス公演からは《Reckoning》《Dead Set》の二つのライヴ・アルバムが作られ、アコースティック・セットもエレクトリック・セットもともに非常に質の高い演奏であることは明白だ。全貌をボックス・セットの形でなるべく早くリリースしてもらいたい。と、この3曲のメドレーを聴くとあらためて思う。この2枚の50周年記念は2030年なわけで、それまで生きているかどうか、自信は無いのだ。

Reckoning
Grateful Dead
Arista
1990-11-27

 
デッド・セット
グレイトフル・デッド
BMGインターナショナル
2000-09-06

07. 1981 Rainbow Theatre, London, England

 ロンドンでの4本連続の初日。

08. 1987 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA

 3日連続の初日。後半冒頭からの3曲〈China Cat Sunflower> I Know You Rider; Man Smart, Woman Smarter〉の映像が《All The Years Combine Bonus Disc》でリリースされた。

 このボックス・セット、数年前に買ったまま、今だに見ていない。これを機会に見ようとしたら、再生装置が無かったのだった。つくづく、あたしは映像人間ではない。 

09. 1988 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA

 3本連続の最終日。

10. 1994 Boston Garden, Boston, MA

 6本連続の5本目。前日の余韻はまだあったようだ。(ゆ)


9月30日・木

 今日は比較的気温は暖かかったけれど、つくつく法師が聞えなかった。昼過ぎから雨が降ったせいか。明日も雨の予報で、台風が去った後、復活するか。もっとも、もう10月。今まで残っていた方が遅いくらいではある。


##9月30日のグレイトフル・デッド

 1966年から1993年まで10本のショウをしている。公式リリースは2本。

01. 1966 Commons, San Francisco State College, San Francisco, CA

 サンフランシスコ州立カレッジ、キャンパスでのトリップ・フェスティヴァル。アシッド・テストのひとつ。金曜日午後3時から日曜日の午後3時まで。チケットは2ドル。共演は Mimi Farina, The Only Alternative, The Committee & Congress of Wonders。つまり、イベント全体はノンストップで続く中、デッドとこういうミュージシャンたちが、順番にステージに立っては一定時間演奏していたのだろう。

 アシッド・テストなので、セット・リストは無し。

02. 1967 Straight Theater, San Francisco, CA

 2日連続の2日目。

03. 1969 Cafe Au Go Go, New York, NY

 3日連続の2日め。

 〈China Cat Sunflower > I Know You Rider〉の組合せが初めて演奏された。〈China Cat Sunflower〉はメキシコにいたロバート・ハンターがガルシアに送った一群の詞の一つで、スタジオ版は《Aoxomoxoa》収録。1968-01-17, Carousel Ballroom で初演。〈I Know You Rider〉は1966-03-12、ロサンゼルスの Danish Center で初演。この二つは以後最後までほぼ組み合わせて計533回演奏された。〈China Cat Sunflower〉単独では557回。〈I Know You Rider〉単独は548回。回数順では組合せでも各々単独でも6位。

04. 1972 Reeves Field, American University, Washington, DC

 学生ユニオンが主催した屋外でのフリー・コンサート。天気はよく、演奏も上々だったそうな。

05. 1976 Mershon Auditorium, Ohio State University, Columbus, OH

 6.50ドル。夜8時開演。前半最後の〈Scarlet Begonias〉が《Live At Cow Palace: New Years Eve 1976》のボーナスCD《Spirit of '76》でリリースされた。が、持っていない。後半冒頭の〈Lazy Lightnin' > Supplication〉が2014年と2018年の2度、《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 Supplication でのジャムがいい。デッド流ポリフォニーになったり、ピアノとウィアのリズム・セクションを土台に、ガルシア、レシュ、2人のドラマーが各々にリードをとったり、一瞬の弛みもなく変化してゆく。その中を貫いてゆくガルシアのギターがまた絶好調。

06. 1980 Warfield Theatre, San Francisco, CA

 15本連続の5本目。第一部アコースティック・セット、最後から2番目の〈Oh Babe It Ain't No Lie〉が《Reckoning》でリリースされた。原曲は Elizabeth Cotton

 ガルシアのヴォーカルはあまりにソフトで、歌詞がほとんど聞きとれない。この歌はデッドとしては15回、1980年の一連のレジデンス公演の後、翌年3回、1984年に1回のみ。なお10-23 Radio City Music Hall でのヴァージョンが2004年の《Reckoning》再発の際、ボーナス・トラックとしてリリースされている。

 スタジオ盤はガルシアのソロ《Reflections1975 のアウトテイクが、2005年の《All Good Things》ボックス・セットでのリリースの際に収められた。ガルシアの個人プロジェクトのアコースティック・セットでは何度も歌われている。他のヴァージョンも聴くと、歌詞はいくらかはっきりしているが、どうやら、声はできるだけ出さずに、歌詞もできるだけ明瞭に発音しないように、つぶやきとして唄おうとしているようだ。歌よりも、シンプル極まりない、ただ、のんびりとポロンポロン弾いているようで、妙に耳が惹きつけられるギターがメイン。

All Good Things: Jerry Garcia Studio Sessions
Garcia, Jerry
Rhino / Wea
2004-04-19

 

 このジェリィ・ガルシア・バンドやジェリィ・ガルシア・アコースティック・バンドのライヴ音源を聴いていると、アコースティックの編成はこちらの方がふさわしく、やりたいこともでき、デッドの面子でアコースティックでやる意義はあまり無い。とガルシアは判断したのかもしれない、と思えてくる。ベース一つとっても、ジョン・カーンとフィル・レシュではまったく別世界なのだが、レシュのスタイルはやはりエレクトリックで真髄を発揮するものではある。デッドをメリー・プランクスターズのバス "Further" に喩えれば、アコースティックのデッドはロバの挽く四輪馬車ともいえて、それはやはりカッコ悪い。というより、つまらない。愉しくない。とバンドが考えたとしてもおかしくはない。デッドがデッドになるためには、最低限のスピードは必要なのだ。

07. 1981 Playhouse Theatre, Edinburgh, Scotland

 この年2度めのヨーロッパ・ツアー初日。チケット5ポンド。開演7時。スタンリー・マウスのポスターがすばらしい。

08. 1988 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA

 3日連続の初日。

09. 1989 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA

 3日連続の中日。この年の最短と思われる短いショウ。MIDI を本格的に導入して、新しいおもちゃで遊んでいるけしきだったらしい。

10. 1993 Boston Garden, Boston, MA

 6本連続、千秋楽。(ゆ)


9月18日・土
##
本日のグレイトフル・デッド

 9月18日には1970年から1994年まで11本のショウをしている。うち公式リリースは5本。しかも完全版が2本ある。これを全部聴いていると、それだけで1日が終る。残念ながら、生きてゆくためには、そんなことはできない。しかし、一度やってみたいよ、朝から晩まで1日デッド三昧。ただ、完全版2本はちょときつい。


01. 1970 Fillmore East, New York, NY

 このヴェニュー4日連続の2日め。第3部の14曲め〈Operator〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。ピグペンのオリジナルのクレジット。ピグペンのヴォーカルはかれにしては自信がなさげ。右でギロをやっているのは誰だろう。NRPS の誰かか。

 三部構成だったが、第1部は2曲だけ。アコースティック・セット。ただし2曲目〈Black Peter〉の途中でガルシアがいきなり演奏を止め、すまないが、こんなのやってられねえ、と言って、そのまま第2部の New Riders Of The Purple Sage のステージに移った。そのためこのセットは1時間。ガルシアはペダルスティール。3曲でウィアがヴォーカル。第3部エレクトリック・デッドはアンコールまで入れて2時間超。


02. 1973 Onondaga County War Memorial, Syracuse, NY

 このショウは存在が疑問視されている。チケットの売行が思わしくなかったためにキャンセルされたという説もあり、元々予定に無かったという説もある。DeadBase XI ではキャンセルされた可能性とある。


03. 1974 Parc Des Expositions, Dijon, France

 2度目のヨーロッパ・ツアーもフランスに入り、ディジョンでのショウ。《30 Trips Around The Sun》の一本として完全版がリリースされた。元はアルルに予定されていたが、Wall of Sound を収められる会場が無かったらしい。録音はキッド・カンデラリオ。


04. 1982 Boston Garden, Boston, MA

 東部ツアーの一貫。料金12.50ドル。この会場では合計24回演奏しているが、この次にここに戻るのは9年後の1991年9月。その時にはここで6本連続でやっている。なぜ、これだけ間が空いたかという理由として、この日、火事の際の非常口でバンド(のクルー?)がロブスターを焼いているのを見つかり、2度と来るなと言われたという説がある。


05. 1983 Nevada County Fairgrounds, Grass Valley, CA

 屋外のショウで開演午後2時。料金14.00ドル。会場は松の木に囲まれた芝生の由。


06. 1987 Madison Square Garden, NY

 5本連続のレジデンス講演の真ん中。午後7時半開演。料金18.50ドル。前日は休みで、NBC のテレビに出演。《30 Trips Around The Sun》の一本として完全版がリリースされた。デヴィッド・レミューはこれをこの年のベストのショウと言う。

 1987年は〈Touch of Grey〉のヒットによってデッドの人気が爆発した年で、7月6日にリリースした《In The Dark》はこの9月までにミリオン・セラーを記録し、この月の間にゴールドとプラチナ・ディスクを獲得。旧作の《Shakedown Street》《Terrapin Station》もゴールドとなる。夏にはボブ・ディランとツアーをしたため、この年のレパートリィ数は150曲に上った。また Bob Bralove の協力でミッキー・ハートが MIDI を導入し、またたく間に他のメンバーにも広がる。これ以後のデッドのサウンドはがらりと変わる。

イン・ザ・ダーク
グレイトフル・デッド
ワーナーミュージック・ジャパン
2011-04-06

 



テラピン・ステーション
グレイトフル・デッド
ワーナーミュージック・ジャパン
2011-04-06


07. 1988 Madison Square Garden, New York , NY

 9本連続の4本目。前日は休み。


08. 1990 Madison Square Garden, New York , NY

 6本連続の4本目。ブルース・ホーンスビィ参加。Road Trips, Vol. 2, No. 1》にアンコールの1曲〈Knockin' On Heaven's Door〉、同ボーナス・ディスクに前半から3曲、後半から4曲収録された。ボーナス・ディスクは持っていない。後半の〈Foolish Heart〉の後の〈ジャム〉は《So Mony Roads》にも収録。

 上記〈Knockin' On Heaven's Door〉ではホーンスビィはアコーディオン。冒頭や中間でいいソロも聞かせる。デッドのこの歌のカヴァーはみな良いが、これは中でも最もゆっくりしたテンポで、ベストの一つ。この時期のガルシアが歌うと、まるで古老が親しい友の葬儀で歌っているように聞える。

 ジミヘン20回目の命日。


09. 1991 Madison Square Garden, New York, NY

 9本連続千秋楽。


10. 1993 Madison Square Garden, New York , NY

 6本連続の3本目。〈Drums〉の最中、クロイツマンがイッてしまう。ハートはスティックをヒップポケットに突き刺して、一瞬にやりとしてその姿を眺めたが、すぐにクロイツマンの背後に回って、大きく両腕をはばたかせた。そうだ。


11. 1994 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA

 このヴェニュー3日連続の最終日。後半2曲め〈Saint Of Circumstance〉が2017年の〈30 Days Of Dead〉でリリースされた。この時はこの曲は〈Iko Iko〉からのメドレー。ガルシアの調子はまずまずで、全体の演奏はすばらしい。ただ、以前ならガルシアのギター・ソロを待っていたようなところで、あえて待たなくなっているようにも思える。(ゆ)


9月8日・水

 LRB のチャーリー・ワッツについてのブログに孫引きされた Don Was のコメントを読んで、Tidal で『メイン・ストリートのならず者』デラックス版の〈Loving Cup〉の正規版と別ヴァージョンを聴いてみる。まことに面白い。別ヴァージョンが採用されなかったのはよくわかるが、あたしとしてはこちらの方がずっと面白い。ミック・テイラーのギターもたっぷりだし、何よりもドン・ウォズが「リズムの遠心力でバンドが壊れる寸前」という有様が最高だ。こうなったのは、ワッツがいわば好き勝手に叩いているからでもあって、ストーンズのリズム・セクションの性格が陰画ではあるが、よく現れている。


 対してデッドの場合も、ドラムスがビートを引張っているわけではない。この別ヴァージョンでのワッツ以上に好き勝手に叩くこともある。けれどもリズムが遠心力となってバンドが分解することはない。遠心力ではなく、求心力が働いている。ドン・ウォズの言葉を敷衍すれば、おそらくデッドでは全員がビートを同じところで感じている。だから、誰もビートを刻んでいなくても、全体としてはなにごともなくビートが刻まれてゆくように聞える。このことは Space のように、一見、ビートがまったく存在しないように聞えるパートでも変わらない。そういうところでも、ビートは無いようにみえて、裏というか、底というか、どこかで流れている。ジャズと同じだ。デッドの音楽の全部とはいわないが、どんな「ジャズ・ロック」よりもジャズに接近したロックと聞える。ジャズそのものと言ってしまいたくなるが、しかし、そこにはまたジャズにはならない一線も、意図せずして現れているようにも聞える。デッドの音楽の最も玄妙にして、何よりも面白い位相の一つだ。デッドから見ると「ジャズ・ロック」はジャズの範疇になる。



 FiiO から純粋ベリリウム製ドライバーによるイヤフォン発表。直販だと FD7 が7万弱。FDX が9万。同じ純粋ベリリウム・ドライバーの Final A8000 の半分。DUNU Luna も同じくらいだが、今は中古しかないようだ。FiiO のはセミオープンだから、聴いてみたい。FDX はきんきらすぎる。買うなら FD7 だろう。ケーブルが FDX は金銀混合、FD7 は純銀線。それで音を合わせているのか。どちらも単独では売っていない。いずれ、売るだろうか。いちはやく YouTube にあがっている簡単なレヴューによれば、サウンドステージが半端でなく広いそうだ。こんな小さなもので、こんなに広いサウンドステージが現れるのは驚異という。



##本日のグレイトフル・デッド

 1967年から1993年まで8本のショウ。


1. 1967 Eagles Auditorium, Seattle, WA

 シアトルへの遠征2日間の初日。ポスターが残っていて、デッドがヘッダー。セット・リスト無し。

 ピグペン22歳の誕生日。当時ガルシア25歳。クロイツマン21歳。レシュ27歳。ウィア20歳。ハンター26歳。

 ビル・グレアムは、この日デッドは Fillmore Auditorium に出ていた、と言明しているそうだ。


2. 1973 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 前日に続いて同じヴェニュー。この日のショウは《Dave's Picks, Vol. 38》に完全収録された。残っているチケットによると料金は5.50ドル。

 ガルシアのギターが左、ウィアのギターが右。

 珍しくダブル・アンコール、それも〈Stella Blue > One More Saturday Night〉というまず他にない組合せ。さらに後半4曲目〈Let Me Sing Your Blues Away〉ではキースがリード・ヴォーカルをとる。この曲はロバート・ハンターとキースの共作でこの時が初演。同月21日まで計6回演奏。《Wake Of The Flood》が初出。〈Here Comes Sunshine〉とのカップリングでシングル・カットもされた。

 〈Weather Report Suite〉も組曲全体としてはこの日が初演。

 演奏はすばらしい。この年は前年のデビュー以来のピークの後で、翌年秋のライヴ停止までなだらかに下ってゆくイメージだったが、こういう演奏を聴くと、とんでもない、むしろ、さらに良くなっていさえする。もっとちゃんと聴いてみよう。


3. 1983 Red Rocks Amphitheatre, Morrison, CO

 3日連続同じヴェニューでのショウの最終日。


4. 1987 Providence Civic Center, Providence, RI

 3日連続同じヴェニューでのショウの中日。


5. 1988 The Spectrum, Philadelphia, PA

 同じヴェニューで4本連続のショウの初日。


6. 1990 Coliseum, Richfield, OH

 前日に続いて同じヴェニュー。後半3曲目〈Terrapin Station〉の後のジャムが《So Many Roads》に収録された。


7. 1991 Madison Square Garden, New York , NY

 1988年に続いて MSG で9本連続という当時の記録だった一連のショウの初日。ブルース・ホーンスビィ参加。


8. 1993 Richfield Coliseum, Richfield, OH

 秋のツアー初日で、同じヴェニューで3日連続の初日。(ゆ)


 Skull & Roses 50周年記念盤ボーナス・ディスクに一部が収録されたので、あらためて聴いてみる。
 この日のショウは FM放送されたのでアナログ時代からブートが出ている。音質はかなり良く、放送局からの流出だろう。今回公式リリースされたトラックはそれと入替えて聴く。

 この日はデッドがフィルモア・ウェストに出た最後の日。フィルモア・ウェストは2日後、7月4日にクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスが大トリを勤めて閉鎖された。以後デッドの「ホーム」は音楽専用施設に改装されたウィンターランドになる。

 フィルモア・ウェストの建物はデッドがジェファーソン・エアプレインなどと共同で経営した Carousel Ballroom と同じもので、収録人数は2,500。DeadBase 50 ではカルーセルとフィルモア・ウェストを合わせて59回演奏としている。Deadlists によれば、フィルモア・ウェストだけでは45回。

 今回公式リリースされたのは前半最後の Good Lovin' と後半のほとんどになる。セット・リストでみるとこうなる。

One                                14
01. Bertha [5:47]; 8:03
02. Me And Bobby McGee [5:38]; 7:09
03. Next Time You See Me [3:50]; 5:30
04. China Cat Sunflower [4:50] > 5:43
05. I Know You Rider [5:47]; 7:04
06. Playing In The Band [4:54]; 8:05
07. Loser [6:33]; 9:51
08. Ain't It Crazy (aka The Rub) [3:34]; 5:16
09. Me And My Uncle [3:10]; 3:50
10. Big Railroad Blues [3:35]; 3:50
11. Hard To Handle [7:19]; 8:17
12. Deal [6:13]; 6:30
13. The Promised Land [2:46]; 3:32
14. Good Lovin' [17:16] Grateful Dead 50th 17:47

Two 12
15. Sugar Magnolia [6:41]; 6:59
16. Sing Me Back Home [9:48] ; Grateful Dead 50th 10:16
17. Mama Tried [2:47] ; Grateful Dead 50th 3:08
18. Beat It On Down The Line 2:06
19. Cryptical Envelopment [2:02] > Grateful Dead 50th 2:25
20. Drums [5:16] > Grateful Dead 50th 5:13
21. The Other One [15:40] ; Grateful Dead 50th 15:51
22. Big Boss Man [5:18] ; Grateful Dead 50th 5:27
23. Casey Jones [5:36]; 6:32    (Fillmore: The Last Days)
24. Not Fade Away [3:49] > Grateful Dead 50th 3:57
25. Goin' Down The Road Feeling Bad [7:22] > Grateful Dead 50th 9:39
26. Not Fade Away [3:35] Grateful Dead 50th 2:35

Encore
27. Johnny B. Goode [3:43]; 3:59 (Fillmore: The Last Days)


 この日の演奏をデッドは気に入っておらず、『フィルモア最後の日』には入れないでくれとグレアムに求め、グレアムは怒りくるった。結局 Casey Jones と Johnny B. Goode が収録される。一方でデッドはグレアムに LSD の入った飲物を飲ませるというイタズラをしかけ、グレアムはその体験を大いに喜んだ、と伝えられている。

 しかし、あらためて聴いてみれば、前半こそ、今一つの観はあるものの、前半の半ば過ぎ、Hard to Handle でスイッチが入った後は第一級の演奏が続く。むしろ、Dave's Picks あたりできっちりと出してほしかった。同じく FM放送からのブートが出ている 1971-12-10 は、10月に出るボックス・セットに合わせて独立でもリリースするのを見れば、今回こういう中途半端な形で出したのはやはりデッドのアーカイヴにあるテープに問題があったのだろう。

 その Hard to Handle では珍しく、ウィアもソロをとり、これもなかなか良い。

 公式リリースといえば、Live/Dead の元になったフィルモア・ウェストでのショウの完全版を出したように、Skull & Roses の元になったニューヨークでのショウの完全版を期待しているのだが、これもテープに問題があるのかもしれない。

 1971年は前年、Workingman's Dead と American Beauty で大きく舵を切った、その方向性はゆるがないものの、ここで新たに入ったレパートリィはまだ消化過程で、未完成のものが多い。それぞれの曲がどうなってゆくか、手探りしているところがある。5分しかない Plyaing in the Band で冒頭ウィアは歌詞が出てこない。全体としては曲のアレンジがシンプルで、とりわけコーダがあっさりしている。後にはコーラスになる曲をまだ独りで歌っていたり、リピートがほとんど無かったりする。Mama Tried や The Other One でのウィアのヴォーカルがやや遅めで、余裕があるのも手探りの一つだろう。

 The Other One は Cryptical Envelopment で前後がはさまれ、Drums はごく短かい組曲から、後ろの Cryptical Envelopment が落ち、ドラムスが明瞭に膨らんできている。この後、さらに序奏の Cryptical Envelopment も消えて、特徴的な最低域から駆けあがるベースに始まる形になる。ここでは2番の歌をはさんで前後に〈スペース〉的なジャムを展開しているのが面白い。この不定形なジャムももっと拡大してゆく。過渡期の形だが、このスペースになりそうでなりきらないジャムも面白い。

 一方、Deals でのガルシアのヴォーカルは発音がひどく明瞭だ。ガルシアは歌がヘタだと言われ、実際にそういう部分もあることは否定できないが、Before The Dead のオールドタイム、ブルーグラス時代やこの時期のガルシアはうたい手として、むしろウィアよりも上とも言える。フォーキー時代の録音ではギター一本で十分聴かせるものもある。少なくとも休止期までのガルシアはシンガーとしても精進していたように見える。1980年代以降、うたい手として「ヘタ」になるのは、むしろ意識してそういうスタイルを作ろうとしていたのではないか。ひとつにはブレント・ミドランドの加入で、うたい手として張り合うことをあえて避けたのかもしれない。デッドはインストルメンタルでの緊張感が半端ではなく強烈だから、この上ヴォーカルでも張り合ったのでは、自分たちもリスナーも保たないと、直観したのかもしれない。

 もう一つの可能性として、体力の問題も考えられる。歌はギター演奏に比べれば格段に体力を要求される。いわば指だけ動かしていればいいギター演奏に対して、歌は全身運動だ。1980年代以降、基礎体力が衰えて、両方にエネルギーを割くことが難しくなったのではないか。あの力の抜けた、ふにゃふにゃしたヴォーカル・スタイルは意識してそう作ったというよりは、いわば自然に、否応なくそうなっていったのかもしれない。1986年夏の糖尿病による昏睡にいたるまで、ガルシアが自分の健康の維持には無頓着だったことは明らかで、好物のアイスクリームが常食という時期すらあった。1990年代に入ってのガルシアの容貌はとても50代前半の人間のものではない。

 このショウにもどれば、ブートの音質も悪くないが、公式リリースではまず背景ノイズが消えて、楽曲がより浮上する。一つひとつの楽器、声の輪郭がはっきりする。ブートではピグペンのオルガンがほとんど聞えないが、公式ではちゃんと聞える。ブートでは眼前でやっている感じだが、公式ではホールの広がりがわかる。ガルシアとウィアとピグペンで距離感が異なるのもよくわかる。マイクとの距離のとりかただろうか。ガルシアはやや遠く、ウィアが一番近い。

 ガルシアのギターもこの時期、変わりはじめている。1970年頃から始めた、デッドとは別のソロのギグの成果とも見える。かつてのブルース・ギターをベースとしたものから、明らかにジャズ寄りの手法、フレーズが増えてくる。ここでの Hard to Handle、Good Lovin'、Not Fade Away などのギターはそうした新しいスタイルの代表だ。起伏の少ない、メロディが明瞭にならない、いわゆるロック・ギターとは別世界の演奏だ。もちろんジャズ・ギターとも違う。Good Lovin' ではレシュのベースとのほとんどバッハ的なポリフォニーと言えるものまで聴ける。

 ガルシアのギターは超絶技巧を披瀝しないから、人気投票などでは上位に来ないが、ごくシンプルな音やフレーズを重ねてそれは充実した音楽を生みだしたり、起伏のない、明瞭なメロディにもならないフレーズを連ねて、身の置きどころのないほど満足感たっぷりの音楽体験をさせてくれる。ジャズやインド、アラブの古典音楽の即興のベストのものに並べても遜色ないレベルの演奏を聴かせる。音楽的な語彙が豊冨だし、表現の抽斗の数も多くて、中が深い。こういうギタリストは、ロックの範疇ではまず他にいないし、ジャズでも少ないだろう。ザッパはもっと超絶技巧的だ。むしろ、ザッパと共演したシュガーケイン・ハリスのヴァイオリンの方が近い気がする。

 ラストの Not Fade Away > GDTRFB > NFA はこの時期、ショウの締め括りの定番。2度めの NFA ではピグペンもヴォーカルに参加して、元気がある。ただ、かれが入っている割に十分展開しきったとまでは言えない。

 1971年はいろいろなことが起きている。ハートとピグペンの離脱、キースの参加、レコード会社の設立、デッドヘッドへの呼び掛けと応答。春にはショウの中で、聴衆を巻きこんで、超能力の実験に参加してもいる。そしてこの時期、大学でのショウを積極的に行いはじめる。当時はめだたなかったが、デッドがショウを行った大学はスタンフォード、コーネル、ラトガース、プリンストン、コロンビア、イエール、ジョージタウン、ワシントン、ウィリアム&メアリ、MIT、UCBA、UCLA などなど、アメリカでもトップ・クラスの名門が多い。ここでデッドのファンになった学生たちが、後々デッドヘッドの中核を形成する。こうした大学の卒業生はアメリカ社会の上層部に入るから、デッドヘッドはそうした上層部にも広がる。上院議員やノーベル賞受賞者もいる。後々への布石がたくまずして置かれた年だった。

 1971年は翌年のピークへの助走の時期という認識でいたのだが、こうして聴いてみると、過渡期には過渡期なりの面白さがある。これを機会に71年を集中的に聴いてみるかという気になる。(ゆ)

 グレイトフル・デッドの今年のボックス・セットが発表になりました。セント・ルイスでの1971年12月から1973年10月までの7本のショウの完全版。《Listen To The River》のタイトルは〈Broken-down Palace〉の歌詞から。川はデッドの歌に繰返し出てくるモチーフです。13,000セット限定。
 
1971-12-09, Fox Theatre, St. Louis, MO
1971-12-10, Fox Theatre, St. Louis, MO
1972-10-17, Fox Theatre, St. Louis, MO
1972-10-18, Fox Theatre, St. Louis, MO
1972-10-19, Fox Theatre, St. Louis, MO
1973-10-29, Kiel Auditorium, St. Louis, MO
1973-10-30, Kiel Auditorium, St. Louis, MO

 録音は1971年が  Rex Jackson, 1972年が Owsley "Bear" Stanley, 1973年が Kidd Candelario。いずれも録音の名手で、これまでの実績からしても、音質は良いはず。

 1971年は先日50周年記念盤が発売になった Skull & Roses のバンドにキース・ガチョーが入った形。1972年ではピグペンが抜けています。

 David Lemiuex の seaside chat によれば、ライナーの一つを72年、73年のショウのプロモーターを勤めた人物が書いているそうで、こういう立場の人がライナーを書くのは珍しい。写真などもたくさん入っているそうで、楽しみです。これがあるから物理CDを買うのをやめられない。もう一つ、デッドのマネージャーだった Sam Cutler も書いているそうで、これも面白いでしょう。メインのライナーなおなじみニコラス・メリウェザー。

 日本への送料は15.99で合計215.97USD です。Dead.net のこの送料を見ても、他の出版社などの送料がなんであんなに高いのか、わからん。扱うヴォリュームの問題なのか。そりゃ、こちらは天下のワーナー・ブラザーズですけど。

 今回はCDのセットを注文すると1971-12-10のショウからデジタル・ダウンロードが3曲付いてきます。Sugaree、Mr. Charlie、Playing in the Band。このショウのみ、独立でCDが出ます。このショウは FM放送されて、有名なブートがあるのでその対策かな。また1972-10-18のショウの一部が Dead.net 限定でアナログ2枚組で出ます。

 同じ場所での3年にわたるショウをまとめるのは一昨年の Giants Stadium Box を踏襲してます。この形だと、バンドの音楽の変化がよくわかります。今回はとりわけバンドが急速に変化していた時期で、いろいろと楽しみ。Giants Stadium は売り切れるまで時間がかかってましたけど、今回はあっという間でしょう。

 St. Louis でのショウは20本。ミズーリ州では32回ショウをしているので、3分の2はセント・ルイスでやっています。

1968-05-24, National Guard Armory
1968-05-25, National Guard Armory
1969-02-06, Kiel Auditorium
1969-04-17, Washington University
1970-02-02, Fox Theatre
1970-10-24, Kiel Opera House
1971-03-17, Fox Theatre
1971-03-18, Fox Theatre
1971-12-09, Fox Theatre
1971-12-10, Fox Theatre
1972-10-17, Fox Theatre
1972-10-18, Fox Theatre
1972-10-19, Fox Theatre
1973-10-29, Kiel Auditorium
1973-10-30, Kiel Auditorium
1977-05-15, St. Louis Arena
1979-02-11, Kiel Auditorium
1979-12-09, Kiel Auditorium
1981-07-08, Kiel Auditorium
1982-08-04, Kiel Auditorium

 ショウ完全版の公式リリースはこれまでに4本。
1969-04-17, Washington University, St. Louis, MO > Download Series 12
1970-02-02, Fox Theatre, St. Louis, MO > Dave's Picks, Vol. 06
1971-03-18, Fox Theatre, St. Louis, MO > 30 Trips Around The Sun
1977-05-15, St. Louis Arena, St. Louis, MO > May 1977

 Washington University は1853年設立の私立総合大学で、2018年時点で学生数15,000(学部、大学院半々)、教員数3,800余。ここに関係したノーベル賞受賞者は25人の由。スタンフォードとかコーネルなどと同じレベルでしょう。

 セント・ルイスの Fox Theatre は1929年に映画館としてオープンし、1978年に一度閉鎖。改装されて1982年に再開。収容人員は4,500。デッドはこれくらいのサイズの会場が一番好きだったようです。なお、デッドが演奏した Fox Theatre はもう一つアトランタのものがあります。サイズはほぼ同じ。あちらでは1977年から85年にかけて計9回演奏。

 Kiel Auditorium は1934年にオープンし、1991年に閉鎖された屋内アリーナで、収容人員は9,500。DeadBase 50 よると10,500。デッド以外にも様々なコンサートの会場となりましたが、最も有名なのはプロレス会場としてらしい。

 Kiel Opera House はオーディトリアムのステージと背中合わせにステージが作られている施設で、こちらの収容人員は 3,100、リノベーションされて現役。オーディトリアムとの仕切りを取り払って、広くも使えたそうな。

 St. Louis Arena は1929年オープン、1994年に閉鎖された多目的屋内アリーナで、収容人員はこの当時はアイス・ホッケーで18,000。コンサートではもう少し少なかったでしょう。

 National Guard Armory というのは今は使われていない建物らしく、ここに写真があります。

 この名前の建物はもちろん全米各地にあるわけですが、デッドが演奏したのはこのセント・ルイスのものだけ、それも1968年5月の2回だけです。このショウを見てデッドに入れこみ、デッドのショウを見るためにセント・ルイスからサンフランシスコ郊外に引越した人物のコメントが 30 Trips Around The Sun 付録の本に収録されています。2回とも明確なセット・リストは残っていませんが、このコメントによると、バンド・メンバーの一人、おそらくピグペンではないかと思われますが、最後の〈Morning Dew〉でマイクをステージにあった直径6フィートの巨大なゴングに叩きつけ、あるいはマイクでさすって異様な音を出し、バンドもこれに合わせて、圧倒的なクライマックスになったそうです。演奏を終ったバンド・メンバーが、今のはいったい何が起きたんだ、という顔をしているのをみて、こいつら、とことん見てやると決意した由。

 それにしても半世紀前の録音がつい昨日録音されたもののように聴けるのはテクノロジーの恩恵ですなあ。これらのショウが行われていた当時、半世紀前の録音といえばSP盤しかなかったわけで、レコードを手に入れるのも、それを再生するのも、えらく苦労しなければなりませんでした。(ゆ)

 昨年ハロウィーン以来という夜の音楽のライヴ。パンデミックの半年の間に音楽の性格が少し変わったようでもある。あるいは隠れていた顔が現れたというべきか。こういうユニットの顔は一つだけとは限らないし、また常に変わっているのが基本とも言えるだろうから、やる度に別の顔が見えることがあたりまえでもあろう。また、パンデミックはライヴそのものだけでなく、リハーサルや個々の練習にも影響を与えるだろう。もっとも今回の練習とリハーサルはかなり大変だったとも漏らした。

 2曲を除いて「新曲」、それも普通、こういうユニットではやらないラフマニノフとかラヴェルとかを含む。そりゃあ、リハーサルは大変だったろう。

 どの曲もこのユニットの音楽になりきっているのはさすがだが、いつもの即興が目に見えて少ないのはちょっと物足らなくもある。楽曲の消化の度合いが足らないのではなく、演奏の方向がそちらに向かわないのだろう。つまり、このユニットでやるというフィルターを通すとカオスの即興をしなくても、十分ラディカルになる。

 もっともバリトン・サックスを前面に立てて、真正面から律儀にやったラフマニノフやヴィラ・ロボスと、Ayuko さんがゴッホの手紙の一節の朗読をぶちこみ、思いきりカオスに振ったラヴェルで演奏の質やテンションが変わらないのは面白く、凄くもある。しかもこの3曲をカオスをストレートの2曲ではさんでやったのは新境地でもあった。

 一方で、新曲ではない2曲、加藤さんの〈きみの夏のワルツ〉と shezoo さんの〈イワシのダンス〉は、さらに磨きがかかって、とりわけ後者はこの曲のベスト・ヴァージョンといえる名演。

 ラスト3曲〈夏の名残のバラ〉、ジュディー・シルの〈The Kiss〉、アンコールの〈Butterfly〉(Jeanette Lindstrom & Steve Dobrogosz) のスロー・テンポ三連発も下腹に響いてきた。決して重くはないのに、むしろ浮遊感すらある演奏なのに、じわじわと効いてくる。

 今回は加藤さんと Ayuko さんが、それぞれの限界に挑戦して押し広げるのを、立岩さんと shezoo さんが後押しする形でもある。ただ、挑戦とはいっても、しゃにむに突進して力任せに押すのとは違う。このユニットでこの曲をやったら面白そうだと始めたらハマってしまい、気がついたら、いつもはやらないこと、できそうにないことをやっていたというけしきだ。こういうところがユニットでやることの醍醐味だろう。

 エアジンは全てのライヴを配信している。カメラは8台、マイクも各々のミュージシャン用の他に数本は使っている。途中でも結構細かくマイクの位置を調整したりしている。このユニットではとりわけ立岩さんのパーカッションがルーツ系で、ダイナミック・レンジが大きく、捉えるのがたいへんなのだそうだ。アラブで使われるダフなどは、倍音が豊冨で、ビビっているようにも聞えてしまう。確かに、冒頭で枠を後から掌底でどんと叩いた時の音などは、たぶん生でしか本当の音はわからないだろう。

 パンデミックで、ライヴに行くのも命懸けだが、その緊張感が音楽体験の質をさらに上げるようでもある。(ゆ)

夜の音楽
Ayuko: vocal
加藤里志: saxophones
立岩潤三: percussions
shezoo: piano


 2016年のコーク・フォーク・フェスティヴァルとケルティック・コネクションズでのワンショット・プロジェクトがきっかけで、バンドとして活動をはじめ、ライヴを重ねてきたそうで、今回、初のフル・アルバムを作ろうとしているそうです。メンバーは

Donal Lunny: bouzouki, guitar
Pauline Scanlon: vocals
Jarlath Henderson: vocals, guitars, uilleann pipes and whistles
Padraig Rynne: concertina
Aidan O'Rourke: fiddle
Sharon Howley: cello
Davie Ryan: drums
Ewen Vernal: bass
Graham Henderson: keyboards

 アイルランド、スコットランドの合同ですね。エイダン・オルーク、ポゥドリグ・リン、ジャーラス・ヘンダスンというフロントは超強力。これにチェロが入るのは面白い。

 Davie Ryan というドラマーは初耳だと思ったらポゥドリグ・リンと一緒にやってました。ユエン・ヴァーナルはカパーケリーのメンバーで、プロデューサー的な仕事もしてます。

 ポーリーン・スカンロンとドーナルが録音で一緒になるのは初めてかな。これも楽しみ。

 大西洋にかける弧というのは虹のことかもしれませんが、"arc" はテレビのメロドラマのひとくくりをさすことから、最近ではひとまとまりの物語、たとえばシリーズの全体をさすようにもなってます。そういう意味もあるのかも。

 あたしはアナログ盤をプレッジしました。デジタル・ダウンロード付きなので、アナログ盤は飾り用。皆さま、よしなに。(ゆ)

 散歩に出ると、半導体エネルギー研究所本社脇の玉川にかかる橋の上に燕が5、6羽舞っている。渡りの直後のせいか、まだ子育てしていないせいか、ひどく元気。昨年は28日だったので、1週間早い。川はさすがに少し水量が増えている。風が冷たい。
 
 O'Jizo の新作 MiC: Music in Cubic。また新境地を開いている。毎回、もうこれ以上のものはできないだろうと思うのだが、それを凌ぐ進境を見せる。それも方向転換などの裏技ではなく、正面突破してくる。今回目立つのは中村さんのアコーディオンだが、それ以上に楽曲がいい。感覚のツボにずぼずぼとはまってくる。1曲だけマイケル・マクゴールドリックの曲があるが、それが突出しない。このパンデミックの最中に、これだけのものを作るのには感嘆する。あるいは最中だからこそか。本当に実力のあるアーティストは条件が厳しいときほど底力を発揮するのだろう。トータル30分未満というのも、ヘビロテにはちょうどいい。

MiC -Music in Cube-
O'Jizo
TOKYO IRISH COMPANY
2021-03-14

 

 Rachel Hair & Ruth Keggin のクラウドファンディングに参加。ケギンはマン島のシンガー。これは楽しみだ。


 Delany, Letters From Amherst、4通め。1991-03-16。前3通と宛先は異なるが、書いていることは日常の主なできごと、自分の動静。実際、この前の、叔父ヒューバートの葬儀について書いた3通め(のコピー?)を同封し、先にそちらから読んでくれと言う。こうして、自分の日常のできごとを複数の人間に手紙で知らせているのだろうか。

 ここに収められた手紙はそれぞれ、中心に一つのイベントを置いている。今回はマサチューセッツ大学の若い教師の焼身自殺だ。ブッシュ政権のイラク進攻に抗議してのことだった。このことを報じる新聞を可能なかぎり集めてみるが、記事は混乱している。現場がすぐそこに見えるレストランの名前からして、正確に報道しているものは少ない。この時期、全米各地で抗議の焼身自殺が相次いだが、ディレーニィのほとんど目の前で起きたこのことは、大学全体にもディレーニィ個人にも深い傷を残す。大学では学部長が6人辞任し、学長、副学長も不在となり、評議会も解散状態になる。ディレーニィの学部長も辞任したので、かれはまた学部長代理をする羽目になる。この年度には州外から優秀な学生が集まり、とりわけ大学院のクラスはエキサイティングなことになっているのが救いではある。しかし、ある日、現場の前の例のレストランで朝食を食べていると、食べおえる頃に急に吐気を覚え、地下のトイレで食べたものをあらいざらいもどしてしまう。その勢いはまるで自分も含めたレストラン全体が混乱の結節点となって、自分が存在論的船酔いにでもなったようだった。

 この嘔吐の場面は後から思いかえして書いているわけだが、それにしてもその客観化の徹底には舌を巻く。これが作家の眼というものか。

 この嘔吐が事件とその余波、報道をめぐる混乱に同調したものかどうかは、本人にもわからない。しかし、こうして書かれてみれば、まったく無関係とは言えないだろう。

 もう一つ、あらためて気がついたのは、ディレーニィは移動にバスを使っている。前の手紙からこの時までの間にメイン州オロノのメイン大学に1週間、特別講義に行くのにもバスを使う。ボストンでの乗り継ぎを含め、片道9時間。アマーストとマンハタンの往復にもバスを使っている。こちらは片道4時間半。車を持っていないのはわかる。バスを利用しているのはもちろんディレーニィだけではないし、利用者が一定以上いるからバスが走っているわけだが、アメリカでは車は必須と思いこんでいたから、ちょっと意外。東部の人間にはあたりまえのことなのだろうか。そう言えば John Crowley の The Solitude も主人公が長距離バスで移動している途中で降りてしまうところから始まっていた。Wikipedia によれば、アマーストを通る路線をやっているバス会社は二つある。(ゆ)

Letters from Amherst: Five Narrative Letters (English Edition)
Delany, Samuel R.
Wesleyan University Press
2019-06-04


 土曜日は雨で出られなかった分、今日は長距離を歩く。お供は Show of Hands《Now We Are Four - Live》。昨年出て、買っていなかったもの。元のデュオにベース、ヴォーカルの Miranda Sykes が加わったトリオになってもう長いが、今度はバゥロンの Cormac Byrne が加わってカルテットになった、そのお披露目の一昨年秋のツアーからのライヴ集。CD2枚組で1枚目はいろいろな組合せのデュオ、2枚目がカルテットのバンドとしての録音。

sohnwaf




























 公式サイトでCDを買うと、ファイルがダウンロードできる。MP3 だが、このアルバムのものは 48KHz の 320bps という変わったフォーマットで、確かに音は良い。CDが来ればリッピングしなおすが、当面はこれで聴ける。

 コーマック・バーンはアイルランドでも指折りのバゥロン奏者のはずで、かれがこのイングランドのバンドに加わった経緯は知らないが、ここではバゥロンだけでなく、様々なパーカッションも操る。トシバウロンと同じような形。Show of Hands は打楽器なしに30年やってきて、別に不足も感じなかったが、かれには何か感じるものがあったのだろうか。入ってみれば違和感もなく、まるで最初からこの編成でやっているようにも聞える。

 正直、かれらの録音を聴くのは久しぶりだが、最初の MC からさりげなく演奏を始めるあたり、貫禄というか、場慣れというか、イングランド最高のライヴ・アクト、いや、ルーツ系ではヨーロッパでも最高の一つと感嘆する。最初から最後まですばらしいのひと言だが、とりわけ感銘を受けるのはミランダのヴォーカルがフィーチュアされたトラック、そしてバンドとしての質の高さ。フィル・ビアのフィドルがフィーチュアされる〈Cousin Jack〉から〈Santiago〉、そして〈The Galway Farmer〉と畳みかけるあたり。うー、たまらん。

 COVID-19 が収まっても、もうヨーロッパに行くのはしんどいが、こうして聴いてると、かれらの生を見るためだけに、最後に一度だけ行くかなあと思ったりもする。(ゆ)

 気温は低いのだろうが、陽光が強くて、暖かい。

 散歩で下古沢の北側の縁を回ると、市が造っている新しい道の工事現場を見下ろす。道路本体ではなく、排水池らしい。このあたりは前は山林だったはずで、林業が行われていたのかどうか。踏みつけ道の脇に、無名の社があるので参詣。一応鳥居があり、それとは直角に社がある。どこにも名前はない。後でネットで調べても出てこない。扉は閉まっている。そこが一帯の頂上で、少し下った奥の方に、こちらは以前は畑だったらしい庭ともつかないところに桜の大きな樹があって、もうそろそろ満開。地上では2本に別れているが、地下ではつながっているのかもしれない。

 散歩のおともは The John Kirkpatrick Band, Welcome To Hell, 1997。あらためて聴くと、この人のシンガーとしての偉大さに打たれる。リチャード・トンプソンも長年精進して、今では第一級のうたい手だが、ジョンカークの前では色を失う。同世代ではもちろん、イングランドの伝統歌の男声のうたい手として、肩を並べられるのはマーティン・カーシィぐらいではないか。それに、こういう組立て、ドラムス、ベース、エレクトリック・ギターというロック仕立ての編成をバックにこれだけ堂々と歌えるのは、他には見当らない。ジョン・タムスもいいが、カークパトリックに比べてしまうと弱いと聞える。サイモン・ニコルはB級。男声女声の枠をはずせばイライザがかろうじてタメを張れるか。しかも、このアルバム、ほとんどがかれのオリジナル。いずれもイングランドの伝統に深く根差した佳曲。蛇腹の天才、シンガー、作曲家と天は三物をこの人に与えた。近年イングランドのダンス・チューンの名曲佳曲がぞくぞく発掘・復刻されているけれど、ここにはその先駆もあって、《Morris On》 以来、イングランドのダンス・リヴァイヴァルは常にこの人がリードしてきたことをあらためて思い知らされる。

 Graeme Taylor のエレクトリック・ギターは、分をわきまえて、かつカークパトリックの歌や蛇腹を強力にプッシュする。かつての耳をふさぎたくなるやり過ぎは完全に影をひそめた。Michael Gregory のドラムスもやはり進化はうかがえるもので、曲によってビートをきっちり叩き分けるし、何よりダンス・チューンでの躍動感はなかなかの水準。

 久しぶりに聴いて、傑作の観新た。ジョンカークの数多い録音の中でも五指に入る。

John Kirkpatrick: vocals, accordion, concertina
Dave Berry: bass, double bass, electric bass, tuba
Michael Gregory: drums, percussion
Paul Burgess: fiddle, recorder, keyboards, chorus
Graeme Taylor: guitar, banjo, mandolin, chorus


Complete John Kirkpatrick Band
Kirkpatrick, John Band
Fledg'ling UK
2013-08-06



 FiiO M11Pro は生産完了になっていた。そろそろ次が出る頃ではある。

 Elizabeth Hand, Glimmering 改訂版着。キム・スタンリー・ロビンスンの序文はこの作品そのものよりも、この作品が使っている近未来のディストピアという形、サブジャンルの効果、威力を説く。著者のまえがきによると、発表された1997年当初は近未来の警告の書としての性格が強かったわけだが、この2012年改訂版の数年前に、むしろ改変歴史ものとして読めるのではないかとイギリスのある批評家から示唆を受けたことで、復刊を考えはじめた。2009年後半に、気候変動についてした講演の聴衆の一人から改訂のアイデアをもらった。書いてから14年たって初めて読みなおし、改訂することにした。かなりのカットをほどこした上で、先の聴衆の一人で親しくなった人物の提言を受けて、ラストのトーンを初版よりもいくらか希望を持てるものにしている。

 ということで、予定していた順番をすべて捨てて、これを読みはじめる。なんといっても、破局が起きるのが1997年3月26日、メイン・キャラの一人 Jack の誕生日、ときては読まないわけにいかない。

Glimmering
Hand, Elizabeth
Underland Press
2012-06-26


 COVID-19 が始まって一度停まったライヴ通いが再開したのはこのユニットのライヴだった。そして今年最後のライヴもこのユニット。それはもうすばらしいもので、生の音楽を堪能させていただいた。

 あたしにとって生の音楽が再開したそのライヴのゲストが桑野氏。それはそれはすばらしかったのはリスナーにとってだけでなく、むしろミュージシャンにとって一層その感覚が強く、ぜひもう一度、ということになった。加藤さんは甲府でのライヴで、やはり忘れがたい演奏をして、これまた透明な庭のお二人が熱望しての再演。

 ということで、今回は全曲を4人全員でやる。前回は桑野さんはお休みで、shezoo、藤野のデュオでやる時もあったが、今回はゲストというよりも完全にバンドである。このままカルテットとしてやってもいいんじゃないか、いや、むしろやって欲しいと思えるほどの完成度。単に優れたミュージシャンが集まりましただけでは、こうはならない。この4人の相性が良いというか、化学反応、それも良い反応が起きやすい組合せなのにちがいない。

 shezoo さんのバンドはいろいろ見ているが、いつもその組合せの妙に感心する。こういうハマった組合せをよくもまあ見つけてくるものよ、と見るたびに思う。しかも、その各々に個性が異なる。shezoo さんは共通だし、加藤さんのように他にも共通するメンバーもいるが、どのバンドも各々に音楽の性格が違う。そして新しいものほど、メンバー間の関係がより対等になっているようにもみえる。あたしにとっては一番古いトリニテはshezoo さんの楽曲を演奏する楽隊という性格が基本だが、最近の夜の音楽はバンマスというか、言いだしっぺは shezoo さんだが、一度バンドが動きだすと、楽曲も持ちよりだし、音楽を作るプロセスも対等だ。トリニテではやはりフロントの二人とリズム・セクションという役割分担がどうしてもできる。最近のユニットではそこも対等になっている。この透明な庭はデュオということもあって、今回も藤野さんがしきりにあおっていたように、MCも二人ができるだけ対等に担当する。

 桑野、加藤が加わった4人での演奏は、アレンジは作曲者がやったようだが、どちらも全員をフィーチュアすることを目指したらしい。それがまず現れたのが2曲めの藤野さんの〈晩夏光〉。加藤さんのバリトン・サックスが下から全体を持ちあげる中でヴァイオリンがどこかクラシック的なメロディを奏で、そのままソロに突入する。桑野さんはライヴはほとんどやらず、「ひきこもり」で音楽を作り、演っているそうだが、こういうソロはもとライヴで聴きたい。と、うっとりしていたら、バリトン・サックスのソロが炸裂して驚いた。こういう言い方はもう失礼かもしれないが、加藤さんは見る度に進歩している。腕が上がっている。よほどに精進しているはずだ。単に練習しているだけでなく、いろいろ聴き、見て、読んで、広く深く吸収もしているはずだ。音楽家としての厚みが増している。次の shezoo さんの〈空と花〉でもヴァイオリンからサックスへソロを渡し、そしてラストの音の消え方が絶品。前半最後の shezoo さんの〈タワー〉では藤野さんのアコーディオンから、加藤さんがバリトンとアルトを持ちかえて、各々にソロをかます。アコーディオンの音色が美しい。

 アコーディオンに限らず、サックスもヴァイオリンも音色が実に美しい。バランスもばっちりで、先週も思ったことだが音倉のPAのエンジニアさんはすばらしい仕事をしている。

 後半は新曲を並べる。透明な庭のセカンドのためのものだそうだ。はじめ shezoo さんの曲が3曲並ぶ。どれも良かったが、ハイライトはやはり〈Dreaming > バラコーネ1〉。前回桑野さんが加わった時のダントツのベストだったけれど、加藤さんが加わって音の厚みとダイナミズムがさらに大きくなる。そうなると藤野さんが高域で小さく奏でるソロの美しさが引き立つ。この曲、演る度に変化し、良くなってゆく。この先、どうなるか、実に楽しみだ。

 次の藤野さんの〈ヒライス〉の中間部でアコーディオンとヴァイオリンがケルト系のダンス・チューンのようなフレーズをユニゾンで演ったのには降参しました。粋だよなあ。

 全員羽目を外しての即興でも、一瞬もダレることもなく、ムダな音も無い。いつもはライヴだけで満足してしまうが、今回はアーカイヴでもう一度聴きたいと思う。このまんまDVDにしてもいいんじゃないか。

 shezoo さんはこの後、来年2月の『マタイ受難曲2021』に向けて本格的な準備に入るので、それまでは透明な庭はお預けになる。COVID-19 がどうなるか、予断は許されないが、ライヴを再開できたら、ぜひまたこのカルテットでやっていただきたい。

 『マタイ』はもちろん2日ともチケットを買いました。とにかく無事、公演ができますように。そして、それにできるかぎり万全のコンディションで行けますように。

 ライヴ通いについては回数が激減したのはやむをえないが、行けたライヴはどれもすばらしかった。とりわけ、3月の、ライヴそのものが中断された直前のクーモリと Tricolor の対バンとこの「百年に一度の花」は中でも際立つ。終り良ければなべて良し。困難な条件を乗りこえてライヴを開催してくれたミュージシャンたちと会場のオーナー、スタッフの皆さんには、感謝の言葉もない。ありがとうございました。(ゆ)

Invisible Garden
透明な庭
qs lebel
2020-02-01


 30 Days Of Dead も今年で11年。来年はあるか。
 
 グレイトフル・デッドの公式サイト Dead.net において、毎年11月、1ヶ月間、毎日1本、原則として未発表のライヴ音源を 320kbps の MP3 ファイルで無料で公開する企画だ。公開に際して演奏の日時場所は伏せられ、正確に当てた者には抽選で毎日1本賞品が当たり、最後に正解者の中から豪華賞品が当たる。正解と当選者は翌日公表される。
 
 初めはそんなこと当てられっこないだろう、無茶苦茶だ、と思ったものだが、ちゃんと当選者がいる。ということはわかる人にはわかるわけだ。そして、デッドのライヴ音源を聴きすすむに連れ、各時期の特徴が呑みこめてくると、おおまかな見当はつくようになった。とはいえ、正確にいつと当てるには相当にテープを聴きこんでいる必要がある。

 30本は時期も場所もばらばらだが、公開された日を追って聴いたり、ショウの日付に沿って、下ったり上ったりして聴いていったり、トラックの長さ順または逆順で聴いたり、あるいはこれを素材に架空のショウを組み立ててみたり(いつものデッドのショウ全体の公式リリースに換算すると、2〜3本分)、いろいろと遊べる。

 デッドの音楽の良さはライヴを聴かないとわからない。理想は1本のショウ全体を聴く、それも何本も聴くことだが、とりあえず、その片鱗に触れるチャンスとしては最適だ。なにしろタダなのだ。

 公開されたファイルはしばらくの間、そのまま公開されていて、ダウンロードもできる。昨年まではだいたい翌年1月いっぱいぐらいでサイトから消えていたが、今年はコロナ禍もあるのか、新たに今年の 30 Days が始まる直前まで公開されていた。

 2020年は 1969-07-03 から 1994-07-03 までの音源がリリースされた。

 年別本数。
66 0
67 0
68 0
69 1
70 2
71 3
72 2
73 1
74 1
76 0
77 1
78 1
79 0
80 1
81 3
82 1
83 0
84 1
85 1
86 1
87 1
88 0
89 3
90 1
91 2
92 1
93 1
94 1
95 0

 これまでとは様相が変わり、1980年以降の時期からのピックアップがぐんと増えている。早い時期では使える素材が少なくなったとか、今後、この後期からの公式リリースを増やすことへの布石とか、理由はいろいろではあろう。ピグペンがいないデッドを認めないとか、1980年以降は聴く価値が無いとかいう「原理主義者」(どんなものにも原理主義者はいるものだ)は別として、全ての時期をできるだけまんべんなく聴きたいあたしは喜んでいる。もちろん80年代90年代からの公式リリースが少ないのにはそれなりの理由があるわけだし、今回の Dave's Picks, Vol. 36 にもその一端は垣間見えるが、それを凌いでバンドのキャリア後半15年間からのリリースを増やしてくれることを期待する。

 合計時間 6:51:45 は2019年、2018年に継ぐ3番目の長さ。
 
 最短は第06日, Little Sadie; 2:58
 2015年の 1970-09-20, Fillmore East, New York, NY での〈Operator〉; 02:33 に継ぐ短かさ。

 最長は第17日, Shakedown Street> Estimated Prophet> Eyes Of The World; 35:51
 2019年の 1973-02-19, International Amphitheatre , Chicago, IL からの〈He's Gone> Truckin’> The Other One〉; 42:13 に継ぐ長さ。

 従来のものとダブったトラック。
04. Bird Song; 2014年とダブり。
12. Playing in the Band; 2014年とダブり。
13. Here Comes Sunshine; 2017年とダブり。
18. Terrapin Station; 2017年とダブり。

 今回初めて録音が公式リリースされたショウは以下の12本。
1970-02-23, Austin Municipal Auditorium, Austin, TX
1971-04-13, Scranton Catholic Youth Center, Scranton, PA
1980-04-01, Capitol Theatre, Passaic, NJ
1981-10-10, Stadt Halle, Bremen, West Germany
1981-11-30, Hara Arena, Dayton, OH
1981-12-06, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL
1984-06-21, Kingswood Music Theatre, Maple, ON, Canada
1986-04-01, Providence Civic Center, Providence, RI
1990-10-20, Internationales Congress Centrum, Berlin, Germany
1991-04-27, Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
1992-12-12, Oakland Coliseum Arena, Oakland, CA
1994-07-03, Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA

 やはり1980年以降が多い。1980年代前半はとりわけこれまで公式リリースが少ない。この時期の公式録音はカセット・テープにされていて、そのために長いジャムなどが途中で切れるケースが頻繁にあり、それがショウ全体のリリースの障碍になっているという話もある。とはいえ、今回のリリースやこれまで出ているものからしても、決してレベルが低いわけではないので、何とか全体のリリースを増やしてもらいたいものだ。

 これで1曲でも公式リリースされたショウは合計で531本。全体が丸ごとリリースされたショウは2020年11月末現在で220本。

 今回初めて 30 Days に登場した曲。
01. Jack-A-Roe {Trad.}
03. Never Trust a Woman {Brent Mydland}
06. Little Sadie {Trad.}

 これで 30 Days に登場した名前のついた曲は、The Other One と Let It Grow を独立に数えて、122曲。デッドのレパートリィの重要な曲は網羅されている。

 来年の Dave's Picks の最初の2つ、Vol. 37 と 38 はそれぞれ、1978-04-15,William And Mary Hall, College Of William And Mary, Williamsburg, VA と 1973-09-08, Nassau Coliseum, Uniondale, NY と発表された。別に文句は無いが、今年も後半の2つは1980年代だったので、来年も期待しよう。Vol. 38 にはボーナス・ディスクが付き、これには 1973-09-07 のショウが収められるそうだ。本体が後にCDや配信で一般リリースされても、ボーナス・ディスク収録の音源はこれまで再リリースされたことが無い。Dave's Picks のボーナス・ディスクは年間予約だけの特典だ。年間予約の締切は来年1月8日。日本までの送料15.99USD。

 今年リリースされた《Workingman's Dead》と《American Beauty》の50周年記念デラックス版にはそれぞれに1973年2月のショウが1本まるまる収録されている。これでデッドのライヴがどういうものか、その片鱗に触れた向きには、Dave's Picks 2021 の年間予約を薦める。そこから、個別のCDや配信で手に入る1972年春のヨーロッパ・ツアーや、1990年春のツアーへ進むと、デッドの真髄を味わえる。引きこもり生活には最高だ。あたしは1972年のヨーロッパ・ツアーを聴いてハマりました。(ゆ)


Workingman's dead -DELUXE-
Grateful Dead
Rhino
2020-07-10



American.. -Deluxe-
Grateful Dead
Rhino
2020-10-30



 9月下旬からそろそろとライヴに行きだした。しかし、どこかまだ腰が定まらない。かつてのように、いそいそわくわくというわけにはいかない。おそるおそるというほどでもないが、おたがい仮の姿のようなところがある。いや、ミュージシャンたちはそのつもりではないだろう。むしろ、一層魂をこめて、一期一会、次は無いかもしれないというつもりでやっているのだろう。問題はこちらにある。リハーサル、と言ってみるか。ライヴを見るのに練習もへったくれもないと言われるだろうが、毎月2、3回、多いときには週に2回というペースでなにかしらのライヴに通っていると、勢いがついているのだ。ランナーズ・ハイというのはこういうものではないかとすら思えてくる。それがぱたりと止まった。それは、まあ、いい。ちょうど仕事も佳境に入って、正直、ライヴに行かずにすむのがありがたいくらいだった。

 その仕事も一段落ついた頃、配信ライヴを見たり、ぽつりぽつりとライヴに行ってみたりしだした。どうも違う。同じではない。COVID-19は今のところ無縁だが、こちらの意識ないし無意識に影響を与えているのか。

 ひとつの違いは音楽がやってくる、そのやってくるあり方だ。ひょっとするとライヴがあった、そこに来れたというだけで野放図に喜んでしまっているのだろうか。どこを見ても、なにが聞えても、すばらしいのだ。個々の音、とか、楽曲とか、どの演奏とか、そんな区別などつかない。もう、全部手放しですばらしい。音が鳴りだすと、それだけで浸ってしまい、終ると目が覚める感覚。どんな曲だったか、どんな演奏だったか、何も残っていない。手許を見れば、曲目だけは一応メモしてあるが、それだけで、いくら眺めても、個々の曲の記憶はさっぱりない。ただ、ああ、ありがたや、ありがたや、と想いとも祈りとも呪文ともつかないものがふわふわと湧いてくる。

 今回はいくらか冷静になれた。冷静というよりも、酔っぱらっていたのが、少し冷めたと言う方が近いかもしれない。

 真先に飛びこんできたのは加藤さんのサックスの音。これまでの加藤さんのサックスはやわらかい、どんな大きく強い音を出してもあくまでもやわらかい響きだった。この日の加藤さんの音の押し出しは、これは無かった。パワフルだが力押しに押しまくるのではなく、音が充実していて、ごく自然に押し出されてくる。確信と自信をもってあふれ出てくる。たとえば最盛期のドロレス・ケーンのような、本物のディーヴァの、一見何の努力もせずに自然にあふれてくるように流れでる声に似ている。力一杯でもない。八分の力ぐらいだろうと見える。それでもその音はあふれ出て空間を満たし、聴く者を満たす。

 次に浮かびあがったのは Ayuko さんの声。谷川俊太郎の「生きる」に立岩潤三さんが曲をつけた、というよりもその曲をバックに自由に読む。後のMCでは読む順番もバラし、自由に入れかえていたそうだ。普通に朗読するように始まったのが、読む声も音楽もいつしかどこまでも盛り上がってゆく。いつもの「星めぐりの歌」は、これまでいろいろ聴いたなかで最もテンポが遅い。そして、ラスト、立岩さんの〈Living Magic〉のスキャット。

 そこまではわかった。らしい。アンコールの〈エーデルワイス〉が歌いおさめられると、やはり夢から覚めた。ふっと、われに返る。立岩さんが何をやっていたか、shezoo さんが何をやっていたか、覚えていない。あれだけダイナミック・レンジの広い各種打楽器の音が配信できちんと伝わるだろうか、いや、このシンバルを生で聴けてよかったと思ったのは覚えている。〈Moons〉のピアノのイントロがまた変わったのもぼんやり浮かんでくる。

 ライヴ、生の音楽をそのまま体験するのは、やはり尋常のことではないのだ、とあらためて思いしらされる。音楽の送り手と受け手が、その音楽が鳴っている空間を共有することには、時空を超越したところがある。非日常にはちがいないが、読書や映画やゲームに没頭するのとは決定的に異なる。パフォーマンス芸術ではあるが、演劇や舞踏の劇場空間とも違う。何なのだろう、この異常さは。

 あたしはたぶんその異常さに中毒してしまっているのだ。ライヴの全体に漬かってしまって、ディテールがわからないのは、禁断症状の一種なのかもしれない。もう少しまた回数を重ねれば、靄が晴れてきて、細部が聞えるようになるのだろうか。

 このライヴは同時配信されて、まだ見ることもできるが、見る気にはなれない。以前はライヴはそれっきりで、再現のしようもなかった。そしてそれで十分だった。いや、一期一会だからこそ、さらに体験は輝くのだ。

 ライヴの配信、あるいは配信のみのライヴというのは、また別の、新しい媒体なのだ。まだ生まれたばかりで、手探り、試行錯誤の部分も大きい。梅本さんから苦労話もいろいろ伺ったが、おそらくこれからどんどんそのための機材、手法、インフラも出てくるだろう。それはそれでこれから楽しみにできる。

 しかし、ライヴの体験は、その場で音楽を共有することには、代わるものがない。COVID-19は世界のもろさをあらためて見せつけている。世界は実に簡単に、派手な効果音も視覚効果もなく、あっさりと崩壊する。その世界のなかで、生きていることの証としてライヴに行く。それができることのありがたさよ。

 この日はハロウィーン。そしてブルー・ムーン。雲一つない空に冷たく冴えかえる満月に、思わず遠吠えしそうになる。(ゆ)


夜の音楽
Ayuko: vocals
加藤里志: saxophones
立岩潤三: percussion
shezoo: piano


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