クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

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 30 Days Of Dead も今年で11年。来年はあるか。
 
 グレイトフル・デッドの公式サイト Dead.net において、毎年11月、1ヶ月間、毎日1本、原則として未発表のライヴ音源を 320kbps の MP3 ファイルで無料で公開する企画だ。公開に際して演奏の日時場所は伏せられ、正確に当てた者には抽選で毎日1本賞品が当たり、最後に正解者の中から豪華賞品が当たる。正解と当選者は翌日公表される。
 
 初めはそんなこと当てられっこないだろう、無茶苦茶だ、と思ったものだが、ちゃんと当選者がいる。ということはわかる人にはわかるわけだ。そして、デッドのライヴ音源を聴きすすむに連れ、各時期の特徴が呑みこめてくると、おおまかな見当はつくようになった。とはいえ、正確にいつと当てるには相当にテープを聴きこんでいる必要がある。

 30本は時期も場所もばらばらだが、公開された日を追って聴いたり、ショウの日付に沿って、下ったり上ったりして聴いていったり、トラックの長さ順または逆順で聴いたり、あるいはこれを素材に架空のショウを組み立ててみたり(いつものデッドのショウ全体の公式リリースに換算すると、2〜3本分)、いろいろと遊べる。

 デッドの音楽の良さはライヴを聴かないとわからない。理想は1本のショウ全体を聴く、それも何本も聴くことだが、とりあえず、その片鱗に触れるチャンスとしては最適だ。なにしろタダなのだ。

 公開されたファイルはしばらくの間、そのまま公開されていて、ダウンロードもできる。昨年まではだいたい翌年1月いっぱいぐらいでサイトから消えていたが、今年はコロナ禍もあるのか、新たに今年の 30 Days が始まる直前まで公開されていた。

 2020年は 1969-07-03 から 1994-07-03 までの音源がリリースされた。

 年別本数。
66 0
67 0
68 0
69 1
70 2
71 3
72 2
73 1
74 1
76 0
77 1
78 1
79 0
80 1
81 3
82 1
83 0
84 1
85 1
86 1
87 1
88 0
89 3
90 1
91 2
92 1
93 1
94 1
95 0

 これまでとは様相が変わり、1980年以降の時期からのピックアップがぐんと増えている。早い時期では使える素材が少なくなったとか、今後、この後期からの公式リリースを増やすことへの布石とか、理由はいろいろではあろう。ピグペンがいないデッドを認めないとか、1980年以降は聴く価値が無いとかいう「原理主義者」(どんなものにも原理主義者はいるものだ)は別として、全ての時期をできるだけまんべんなく聴きたいあたしは喜んでいる。もちろん80年代90年代からの公式リリースが少ないのにはそれなりの理由があるわけだし、今回の Dave's Picks, Vol. 36 にもその一端は垣間見えるが、それを凌いでバンドのキャリア後半15年間からのリリースを増やしてくれることを期待する。

 合計時間 6:51:45 は2019年、2018年に継ぐ3番目の長さ。
 
 最短は第06日, Little Sadie; 2:58
 2015年の 1970-09-20, Fillmore East, New York, NY での〈Operator〉; 02:33 に継ぐ短かさ。

 最長は第17日, Shakedown Street> Estimated Prophet> Eyes Of The World; 35:51
 2019年の 1973-02-19, International Amphitheatre , Chicago, IL からの〈He's Gone> Truckin’> The Other One〉; 42:13 に継ぐ長さ。

 従来のものとダブったトラック。
04. Bird Song; 2014年とダブり。
12. Playing in the Band; 2014年とダブり。
13. Here Comes Sunshine; 2017年とダブり。
18. Terrapin Station; 2017年とダブり。

 今回初めて録音が公式リリースされたショウは以下の12本。
1970-02-23, Austin Municipal Auditorium, Austin, TX
1971-04-13, Scranton Catholic Youth Center, Scranton, PA
1980-04-01, Capitol Theatre, Passaic, NJ
1981-10-10, Stadt Halle, Bremen, West Germany
1981-11-30, Hara Arena, Dayton, OH
1981-12-06, Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL
1984-06-21, Kingswood Music Theatre, Maple, ON, Canada
1986-04-01, Providence Civic Center, Providence, RI
1990-10-20, Internationales Congress Centrum, Berlin, Germany
1991-04-27, Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
1992-12-12, Oakland Coliseum Arena, Oakland, CA
1994-07-03, Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA

 やはり1980年以降が多い。1980年代前半はとりわけこれまで公式リリースが少ない。この時期の公式録音はカセット・テープにされていて、そのために長いジャムなどが途中で切れるケースが頻繁にあり、それがショウ全体のリリースの障碍になっているという話もある。とはいえ、今回のリリースやこれまで出ているものからしても、決してレベルが低いわけではないので、何とか全体のリリースを増やしてもらいたいものだ。

 これで1曲でも公式リリースされたショウは合計で531本。全体が丸ごとリリースされたショウは2020年11月末現在で220本。

 今回初めて 30 Days に登場した曲。
01. Jack-A-Roe {Trad.}
03. Never Trust a Woman {Brent Mydland}
06. Little Sadie {Trad.}

 これで 30 Days に登場した名前のついた曲は、The Other One と Let It Grow を独立に数えて、122曲。デッドのレパートリィの重要な曲は網羅されている。

 来年の Dave's Picks の最初の2つ、Vol. 37 と 38 はそれぞれ、1978-04-15,William And Mary Hall, College Of William And Mary, Williamsburg, VA と 1973-09-08, Nassau Coliseum, Uniondale, NY と発表された。別に文句は無いが、今年も後半の2つは1980年代だったので、来年も期待しよう。Vol. 38 にはボーナス・ディスクが付き、これには 1973-09-07 のショウが収められるそうだ。本体が後にCDや配信で一般リリースされても、ボーナス・ディスク収録の音源はこれまで再リリースされたことが無い。Dave's Picks のボーナス・ディスクは年間予約だけの特典だ。年間予約の締切は来年1月8日。日本までの送料15.99USD。

 今年リリースされた《Workingman's Dead》と《American Beauty》の50周年記念デラックス版にはそれぞれに1973年2月のショウが1本まるまる収録されている。これでデッドのライヴがどういうものか、その片鱗に触れた向きには、Dave's Picks 2021 の年間予約を薦める。そこから、個別のCDや配信で手に入る1972年春のヨーロッパ・ツアーや、1990年春のツアーへ進むと、デッドの真髄を味わえる。引きこもり生活には最高だ。あたしは1972年のヨーロッパ・ツアーを聴いてハマりました。(ゆ)


Workingman's dead -DELUXE-
Grateful Dead
Rhino
2020-07-10



American.. -Deluxe-
Grateful Dead
Rhino
2020-10-30



 9月下旬からそろそろとライヴに行きだした。しかし、どこかまだ腰が定まらない。かつてのように、いそいそわくわくというわけにはいかない。おそるおそるというほどでもないが、おたがい仮の姿のようなところがある。いや、ミュージシャンたちはそのつもりではないだろう。むしろ、一層魂をこめて、一期一会、次は無いかもしれないというつもりでやっているのだろう。問題はこちらにある。リハーサル、と言ってみるか。ライヴを見るのに練習もへったくれもないと言われるだろうが、毎月2、3回、多いときには週に2回というペースでなにかしらのライヴに通っていると、勢いがついているのだ。ランナーズ・ハイというのはこういうものではないかとすら思えてくる。それがぱたりと止まった。それは、まあ、いい。ちょうど仕事も佳境に入って、正直、ライヴに行かずにすむのがありがたいくらいだった。

 その仕事も一段落ついた頃、配信ライヴを見たり、ぽつりぽつりとライヴに行ってみたりしだした。どうも違う。同じではない。COVID-19は今のところ無縁だが、こちらの意識ないし無意識に影響を与えているのか。

 ひとつの違いは音楽がやってくる、そのやってくるあり方だ。ひょっとするとライヴがあった、そこに来れたというだけで野放図に喜んでしまっているのだろうか。どこを見ても、なにが聞えても、すばらしいのだ。個々の音、とか、楽曲とか、どの演奏とか、そんな区別などつかない。もう、全部手放しですばらしい。音が鳴りだすと、それだけで浸ってしまい、終ると目が覚める感覚。どんな曲だったか、どんな演奏だったか、何も残っていない。手許を見れば、曲目だけは一応メモしてあるが、それだけで、いくら眺めても、個々の曲の記憶はさっぱりない。ただ、ああ、ありがたや、ありがたや、と想いとも祈りとも呪文ともつかないものがふわふわと湧いてくる。

 今回はいくらか冷静になれた。冷静というよりも、酔っぱらっていたのが、少し冷めたと言う方が近いかもしれない。

 真先に飛びこんできたのは加藤さんのサックスの音。これまでの加藤さんのサックスはやわらかい、どんな大きく強い音を出してもあくまでもやわらかい響きだった。この日の加藤さんの音の押し出しは、これは無かった。パワフルだが力押しに押しまくるのではなく、音が充実していて、ごく自然に押し出されてくる。確信と自信をもってあふれ出てくる。たとえば最盛期のドロレス・ケーンのような、本物のディーヴァの、一見何の努力もせずに自然にあふれてくるように流れでる声に似ている。力一杯でもない。八分の力ぐらいだろうと見える。それでもその音はあふれ出て空間を満たし、聴く者を満たす。

 次に浮かびあがったのは Ayuko さんの声。谷川俊太郎の「生きる」に立岩潤三さんが曲をつけた、というよりもその曲をバックに自由に読む。後のMCでは読む順番もバラし、自由に入れかえていたそうだ。普通に朗読するように始まったのが、読む声も音楽もいつしかどこまでも盛り上がってゆく。いつもの「星めぐりの歌」は、これまでいろいろ聴いたなかで最もテンポが遅い。そして、ラスト、立岩さんの〈Living Magic〉のスキャット。

 そこまではわかった。らしい。アンコールの〈エーデルワイス〉が歌いおさめられると、やはり夢から覚めた。ふっと、われに返る。立岩さんが何をやっていたか、shezoo さんが何をやっていたか、覚えていない。あれだけダイナミック・レンジの広い各種打楽器の音が配信できちんと伝わるだろうか、いや、このシンバルを生で聴けてよかったと思ったのは覚えている。〈Moons〉のピアノのイントロがまた変わったのもぼんやり浮かんでくる。

 ライヴ、生の音楽をそのまま体験するのは、やはり尋常のことではないのだ、とあらためて思いしらされる。音楽の送り手と受け手が、その音楽が鳴っている空間を共有することには、時空を超越したところがある。非日常にはちがいないが、読書や映画やゲームに没頭するのとは決定的に異なる。パフォーマンス芸術ではあるが、演劇や舞踏の劇場空間とも違う。何なのだろう、この異常さは。

 あたしはたぶんその異常さに中毒してしまっているのだ。ライヴの全体に漬かってしまって、ディテールがわからないのは、禁断症状の一種なのかもしれない。もう少しまた回数を重ねれば、靄が晴れてきて、細部が聞えるようになるのだろうか。

 このライヴは同時配信されて、まだ見ることもできるが、見る気にはなれない。以前はライヴはそれっきりで、再現のしようもなかった。そしてそれで十分だった。いや、一期一会だからこそ、さらに体験は輝くのだ。

 ライヴの配信、あるいは配信のみのライヴというのは、また別の、新しい媒体なのだ。まだ生まれたばかりで、手探り、試行錯誤の部分も大きい。梅本さんから苦労話もいろいろ伺ったが、おそらくこれからどんどんそのための機材、手法、インフラも出てくるだろう。それはそれでこれから楽しみにできる。

 しかし、ライヴの体験は、その場で音楽を共有することには、代わるものがない。COVID-19は世界のもろさをあらためて見せつけている。世界は実に簡単に、派手な効果音も視覚効果もなく、あっさりと崩壊する。その世界のなかで、生きていることの証としてライヴに行く。それができることのありがたさよ。

 この日はハロウィーン。そしてブルー・ムーン。雲一つない空に冷たく冴えかえる満月に、思わず遠吠えしそうになる。(ゆ)


夜の音楽
Ayuko: vocals
加藤里志: saxophones
立岩潤三: percussion
shezoo: piano


 いや、もう最高。さいこう。サイコー!

 対バンの楽しみは片方が初体験の時が一番愉しい。tricolor はいろいろな場で見ていて、録音も聴き込んでいる。かたや kuumori はメンバーすら知らなかった。むろん、故意に知らなかったのだ。

 先行は tricolor。いきなり〈アニヴァーサリー〉で始めるという反則技。と思ったら、長尾さんが、今日はどれくらいはじけられるかがテーマです、と言って、マスクをして歌をうたう。お客として来ていた熊谷太輔さんを呼びこんで、1月、同じハコでやったセッション・ライヴの時にやった曲、長尾さんの〈Hare's March〉をやる。kuumori のドラマー、長尾さんとは旧知の田嶋トモスケさんをゲストに迎える。全体に、演奏のテンションがいつになく高い。たしかにはじけている。このトリオはどちらかといえば、肩に力の入らない、ぶだん着の音楽をぶだん着のままで演奏するのが身上で、またそれがライヴでも魅力だった。今回は気合いがどんと入っている。ライヴができる歓びがそのまま音にあらわれている。

 それを浴びるこちらも嬉しい。〈アニヴァーサリー〉が始まったとたん、全身の力がほーっと抜ける。不足していた栄養分を注入されて、ココロとカラダが歓んでいる感覚がひしひしと湧いてくる。飢えていたのだ。生演奏に、ライヴに。生演奏そのものは、02/22のいーぐるでのイベントで、三味線を1曲聴いているけれど、それくらいでは、むしろ飢餓感をかきたてられる方が大きかった。そうだ、やはりぼくらには音楽が必要なのだ。ライヴが必要なのだ。こういう危機の時にこそ必要なのだ。百年前の関東大震災の夜、バスキングに出た添田唖蝉坊の一行の演奏に、人びとが家々から飛びだしてきて、大歓迎したという話を思い出す。

 ぼくらは危険がいっぱいの世界に生きている。今は新型コロナがクローズアップされているけれど、温暖化による極端な気象はいつなんどき災厄を生みかねない。去年の台風では相模川は文字通りのぎりぎりセーフだったけど、今年も大丈夫という保証は無い。それに、いずれ近いうちに地震もくる。要はリスクの大きさを見定めて、バランスをとって生きてゆくしかない。

 新型コロナは正体がわからず、我々に免疫が無いことが不安を生んでいるわけだが、免疫は感染しなければ獲得できない。虎穴に入らずんば虎子を得ず。病気にかかりたくはないが、かかるときはかかる。新型コロナで死ななくても、がんで死ぬこともある。専門家によれば、この新型コロナウィルスが消滅することは無い。これから数年の間にわが国の大多数の人間が一度は感染する。できることは爆発的感染のピークの山をできるだけ低く、遅くすること。それは成功しつつあるように見えるけれど、一方でピークが長く延びる可能性もある。

 いずれにしても、いくらマスクをつけても、感染しない保証など無い。それはインフルエンザやノロも同じ。どちらもやはり治療法は無い。症状が出れば対症療法しかできない。個人としてできることは、感染しないことよりも、感染しても症状が出ないようにすることだ。つまり、免疫力を上げるように努めることだ。

 免疫力を上げる一番手っ取り早い方法は笑うことである。アメリカの編集者として有名なノーマン・カズンズは免疫疾患のひとつとされる膠原病を喜劇の映画を見て笑うことで治し、『笑いと治癒力』を書いた。

 もう一つ、手軽な方法は感動することだ。文学でも美術でもパフォーマンス芸術でも、何でもいい、感動すること。カタルシスはその一部、おそらくは重要な部分だが、それに限られないだろう。どちからといえば感涙にむせるよりも、おもしろかったあ\(^O^)/と万歳する方がたぶん効果的。

 kuumori のライヴは最高の音楽と至高の笑いを結びつけて、免疫力向上機能をこれ以上ないほどたっぷり備えていた。音楽を聴きながら、こんなに気持ちよく笑ったのは、ほんとうに久しぶりだ。かれらはコミック・バンドではない。冗談を連発するわけでもない。音楽だけとりだせば、技術も志もセンスも第一級のクオリティだ。何よりも音楽の根柢に潜む「狂気」を表面すれすれに湛えている。

 どこか「狂って」いない音楽はBGMでしかない。耳を傾むけるに価する音楽には狂気が宿る。狂っている場所も狂い方も様々だが、必ずある。モーツァルトもジョン・レノンもマイルスも、皆、狂っていた。

 kuumori の4人のメンバーはそれぞれに狂気を表に出す。長尾さん流に言えば、はじける。最も派手にはじけていたのはバンジョーの桑原達也(以下敬称略)。デヴィッド・ボウイにちょっと雰囲気が似ている。バンジョー自体はベラ・フレックも真青。ダブル・ベースの刀禰和也は特定の条件下ではじけることにしているらしい。そのベースの骨太なことは、あたしは生ではこれまで聴いたことがない。ドラムスの田嶋友輔は、久しぶりに見るけれど、ドラマーとしての器がぐんと大きくなっている。刀禰+田嶋の生みだすグルーヴの快感こそは、狂ったリズム・セクションの真骨頂。そして、リーダーとして一見一番おちついているように見えるギター(マヌーシュ・ジャズで使う、穴が小さな楕円形のアコースティック・ギター)&ヴォーカルの加勢明は、たぶん、狂い方が一番徹底している。

 歌がまたいい。日本語ポピュラー・ソングの王道ど真ん中を行くメロディに、視点を巧妙にずらした、予想を裏切る歌詞をのせる。唄いあげるのではなく、むしろ、坦々と唄う。静かな狂気だ。

 始まった途端に思わず座りなおしたが、一発がんとまともにくらったのは3曲めの〈ブルーグラス〉。このバンドの素顔が現れた。バンジョーのソロに背筋に戦慄が走る。その後はもうずっと上がりっぱなし。繰り出される曲のどれもこれもびんびんと響いてくる。7曲目〈ビューティフル〉からアニーがアコーディオンで参加し、音の厚みがぐんと増す。バンジョー桑原とアニーの丁々発止も底抜けに愉しい。アンコールでは桑原が頭のうしろでバンジョー・ソロをかませば、アニーもあのでかいアコーディオンを頭に載せて弾く。

 kuumori のはじけ方が頂点に達したのは、〈さおり行きの各駅停車〉での桑原のパフォーマンスで、満場爆笑の渦。

 ああ、これですよ。ライヴの愉しさ、ここにあり。もちろん、いろいろな条件がうまく重なった。良い条件とばかりは限らない、悪い条件もまたポジティヴな作用をしていた。それも含めてすべてがうまくはまり、回転したときのライヴは、ここまで行けるのだ。こうなれば、ウィルス、何するものぞ。

 演っている方も気持ち良いのだろう、演奏は終る気配もなく続き、とうとう打ち上げた時にはすでに23時。最終深夜バスに乗るため、挨拶もそこそこに、下北沢駅への坂道をダッシュするのもまた愉しからずや。ミュージシャン、空飛ぶこぶたやのスタッフ、そして共にライヴを愉しんだお客さんたちに、感謝また感謝。(ゆ)

 今年のビッグ・ボックス《June 1976》が発表されました。

 リリースは3月20日。5本のショウを完全収録。CD15枚組。限定12,000セット。価格は 149.98USD。日本までの送料は12.99USD。

 例年よりずっと早い。David Lemiuex が Seaside Chat でも認めていますが、後半にもう1つ、あるいはもっとでかいのを出すらしい。今年は《Workingman's Dead》と《American Beauty》の50周年記念盤が出るはず。それが従来より大きなものになるのでしょうか。そう言えば《Live/Dead》の50周年記念盤は出ませんでした。もっとも、あれはもう出すものがあるとも思えません。

 このボックスは復帰して最初のツアーの前半で、これまで出ていなかった日のショウを収めます。1976年6月3日、1974年10月20日以来の1年半におよぶ休止に終止符を打ち、デッドはライヴ活動を再開します。3日と翌4日はオレゴン州ポートランドでショウを行ない、9日から東部へのツアーに出ます。

 このツアーは以下の通り。前半はこれまでにも単発で完全版の公式リリースが出ていて、今回のボックスで06/19まではほぼ全部出ることになります。06/12が半分、06/18の1曲が出ていませんが、このリリースの形からすると、テープ損傷などで出せないのかもしれません。録音はベティ・カンター=ジャクソン。いわゆる「ベティ・ボード」の一環で、一昨年、デッドの The Vault にめでたく収められたテープの一部。Dave's Picks, Vol. 28 と Download Sereies, Vol. 4 はやはりベティ・カンター=ジャクソンの録音。記述が無い Road Trips, Vol. 4 No. 5 も録音の質からして、おそらく同じ。

1976-06-09, Boston Music Hall, Boston, MA; Road Trips, 4-5
1976-06-10, Boston Music Hall, Boston, MA; June 1976 Box
1976-06-11, Boston Music Hall, Boston, MA; June 1976 Box
1976-06-12, Boston Music Hall, Boston, MA; Road Trips, 4-5, 30 Days 2013, 2014, 2019
1976-06-14, Beacon Theatre, New York, NY; June 1976 Box
1976-06-15, Beacon Theatre, New York, NY; June 1976 Box
1976-06-17, Capital Theater, Passaic, NJ; Dave's, 28
1976-06-18, Capitol Theatre, Passaic, NJ; Download, 04
1976-06-19, Capitol Theatre, Passaic, NJ; June 1976 Box
1976-06-21, Tower Theatre, Upper Darby, PA; Download, 04
1976-06-22, Tower Theatre, Upper Darby, PA; Download, 04
1976-06-23, Tower Theatre, Upper Darby, PA; Dave's, 28
1976-06-24, Tower Theatre, Upper Darby, PA
1976-06-26, Auditorium Theatre, Chicago, IL
1976-06-27, Auditorium Theatre, Chicago, IL
1976-06-28, Auditorium Theatre, Chicago, IL; Download, 04; Dave's, 28
1976-06-29, Auditorium Theatre, Chicago, IL; So Many Roads

 このツアーは休止前の Wall of Sound が設営可能な大規模な会場は避け、収容人数4,000以下の比較的小さなヴェニューを選んでいます。デッドとしてはこの規模の会場が最も肌身に合っていたようです。1980年代後半以降の巨大スタジアムは大きすぎました。各会場の収容人数、そこでの演奏回数、最初と最後はこうなります。

Boston Music Hall, Boston, MA = 2,700, 15=1971-04-07/ 1978-11-14
Beacon Theatre, New York = NY, 2,894, 2 この時のみ
Capital Theater, Passaic, NJ = 3,200、10=1976-06-17/ 1980-04-01
Tower Theatre, Upper Darby, PA = 3,119, 4 この時のみ
Auditorium Theatre, Chicago, IL = 3,875, 10=1971-08-23/ 1977-05-13

 いずれも当時、ロックのコンサート会場として人気がありました。もっともボストン・ミュージック・ホールは当初クラシック専門のホールとして建てられています。ニューヨークのビーコン・シアターはオールマン・ブラザーズ・バンドが根城にしたことで有名です。

 このツアーでは、史上初めて、通販でチケットを販売しました。今ではあまりにもあたり前なチケットを通販で売ることはデッドの発明になり、その後、バンドを支える太い柱に成長します。

 これはデッドにとっては第2の黄金期の始まりです。1年半の休養はバンドをほとんど一新させます。ミッキー・ハートが完全復帰し、レミューも上記 Seaside Chat で指摘しているように、ドナ・ジーン・ガチョーのコーラスがすばらしい。ライヴを休んでいる間に作って出した《Blues For Allah》からのレパートリィが加わります。面白いことに、このアルバムは収録曲がまっ二つに別れます。〈The Music Never Stops〉〈Crazy Fingers〉そして〈Help on the Way> Spilknot!> Franklin's Tower〉はレパートリィに定着しますが、それ以外の曲はほとんど、または全くライヴでは演奏されません。

 《Mars Hotel》からの曲も新たな展開を見せはじめます。〈Scarlet Begonias〉がまだ単独で、そしてそれだけで十分に展開されるのはこの時期の愉しみの一つです。

 発売までひと月ありますが、その間は1976年の復習と、もうすぐやって来る Dave's Picks, Vol. 33: 1977-10-29, Evans Field House @ Northern Illinois University, DeKalb, IL のディグで過すといたしましょう。(ゆ)

 やあっぱり、対バンは面白い。こういう対バンが無いと Loup-Garou というバンドの存在は知らないままだった。なぜ、この名前なのかは訊くのを忘れた。

 アコーディオンの田中さんが両方のメンバーであることで、瓢箪から駒でできた企画らしい。話をもちかけられたルーガルーの最初の反応が「正気ですか」というものだった、というのは、見ようによっては絶大な自信と言えなくもない。実際に見てみれば、年に一度しかライヴはしないというのがもったいないバンドだ。

 芸大Gケルトの同期でやっていたもののうち、この6人が残ったそうだが、やはり残るにはそれだけの理由があるものだ。いや、別に論理的な明確な理由というものではなくとも、聴けば納得がゆく。

 編成はフィドル、アコーディオン、パイプ(チャンター)&ホィッスル、ハープ、ブズーキ、バゥロン&フルート。こういうところにハープが入るのは面白いし、このハーパー、なかなか面白い。メンバーの中で一番ノリノリになる。楽器のイメージとはほとんど真逆のキャラのようだ。ソロないしもう少し小さな編成で聴いてみたい。

 セツメロゥズのレコ発ライヴで話を聞いたときにはとにかくリールが好きで、リールしかやらない、とのことで楽しみにしていたのだが、案に相違して、ジグだのマズルカだのもやる。それはそれで楽しいが、一度はリールばかり延々と演るのを見たくはある。

 というのも、さすがにGケルトで鍛えられているだけあって、演奏力は立派なもので、これでケイリ・バンドではない形でリールを畳みかけてくるのを浴びてみたいと思わせる。感心したのは選曲と組合せの巧さだ。今回オリジナルは無いとのことで、既存の曲を選んで組み合わせているはずだが、どのセットにもああいい曲だなあと思わせる曲が1曲はあって、これがキモになってセットを引き締めている。そして組合せ、配列が巧みに工夫されている。つなぎ方やイントロも冴えている。自然な流れと意表を突く意外性が無理なく同居している。こういうのは訓練で身につくとも思えないので、やはりセンスを磨いているのだろう。メンバーは演奏するよりも踊る方が好きとのことだから、ダンサーとしてのセンスも作用しているのかもしれない。

 ぜひ、リールばかりのライヴを体験したいが、今年はもうやったから次は来年、なのだそうだ。

 セッティングの転換が休憩時間になったが、田中さんは出ずっぱりで、終ってから、くたびれましたー、とにこにこしながら言う。

 今回はブズーキの音が大きく設定されていて、こうなると、このバンドのキモはこのブズーキなのだということがよくわかる。アンサンブルの土台でもり、ドライブでもあって、フロントとパーカッションをつないで押し出す。熊谷さんはむしろ楽しそうに遊んでいるのだ。

 とはいえ今回のハイライトは〈Bridget Cruise〉で、これまでよりまた少しだがテンポを落とし、ほとんどフリーリズム寸前になる。アレンジも変えていると聞える。後半、いきなりアップテンポになる、その対照もいい。次の〈Waterman's〉はもうすっかり自分たちの曲になっている。かつては巧まざるスリルとサスペンスだったのが、今は余裕でスリリングだ。そして〈Up in the Air〉でリズム・セクションがシンコペーションするのが、またカッコいい。

 アンコールはもちろん全員。バゥロンとパーカッションのイントロがまず聴かせる。これだけの大所帯でしかも生音となると、パーカッションのドライヴが効いてくる。ビッグバンドはやっぱり愉しい。大きいことはいいことだ。

 これもぜひ毎年恒例にして欲しい。次は全員一緒にやる曲をもっと増やしてもらいたい。

 それにしても、なんで、人狼なんだろう。(ゆ)

Loup-garou
(メンバー詳細聞き取れず。不悪)

セツメロゥズ
沼下麻莉香: fiddle
田中千尋: accordion
岡皆実: bouzouki
熊谷太輔: percussion

 この組合せでの新年ライヴは今年で6回めだそうだが、あたしは初体験。ついでに Cocopelina のライヴも初体験で、ようやく念願が果たせた。

 tricolor の対バンは、最初は全員でやって、おもむろに順番を決める、または決めずに入り乱れてやるというのが定番になっているらしい。今回は中藤、斎藤のダブル・フィドルを長尾さんがギターで支える形で始まった。ゆったりとしたテンポの曲で、長尾さんもフィンガー・ピッキングなど入れて、ソフトな出だし。それから、それぞれの女性陣が代表してあっち向いてほいで順番を決める。

 負けた Cocopelina が先攻。いきなり新曲のリールのセット。バンジョー、フィドル、ギターの組合せで、テンポが速すぎず、遅くならず、実にどんぴしゃ。このテンポどりの巧さは終始変わらず、このユニットの1つのウリだろう。そして録音よりも、ライヴで初めてわかる類のものでもある。つまり、どれもこれも同じテンポというのではなく、その曲に最も合うテンポを探りあてていて、それをきちんとあてはめてくる。演奏している間もどっしりと安定しているのはもちろんだ。そしてこのセットでは、ゆったりしているその底で、ひそやかな緊張感が張りつめているのが快感。

 次は岩浅氏がバンジョーをフルートに持ち替えて、ジグからポルカを2曲連ねるセット。こういう曲種の組合せは新鮮。岩浅氏はローランド・カークばりに、長短のホィッスルを2本同時にくわえて、ドローンをつけるなんてこともやってみせる。バンジョーもフルートも達者なものだが、この日はどちらかというとフルートを持った方が冴えていた感じ。後半、フルートとギターの演奏から2周めにフィドルが加わってフルートがハーモニーに回るところ、さらにホィッスルに持ち替えて3曲めに導き、またフルートにもどるあたり、こう書くとあわただしそうだが、本人はいたってのんびりとあわてず騒がずやっている。そしてその次、フルートのスロー・エアからのセットがハイライト。リールを2曲続けてからジグに行く。このメドレーのユニゾンがすばらしい。

 こういう対バンでは各々のバンドの性格がより明瞭になる。どちらもトリオで、編成も似ているが、Cocopelina はどちらかというと正面突破型だ。それを推進しているのが山本氏のギター。この人のギターは音がまとまらずに発散される。それがきりっとしたさいとうさんのフィドルと、やはり輪郭のはっきりした岩浅氏のフルートやバンジョーを包みこんで押し出す。このギターの音のバランスが実に良い。

 この日のサウンド・エンジニアは昨年の同じ場所での tricolor + きゃめる に続いて原田さんで、いやもう、すばらしい音だった。どの楽器も明瞭で、本来の響きで歌い、しかもバランスがしっかりとれている。前回も良い音だったが、このハコの機材、癖にも慣れたのだろうか、さらに良くなって、ほとんど完璧。アコースティックのライヴ・サウンドはこうこなくっちゃ。

 Cocopelina の演奏が一段落ついたところで、プレゼント・タイム。メンバーがそれぞれ、思い思いに持ってきたお土産を聴衆に配るのだが、今回は入場時にひらがなを書いた紙片が渡されていて、メンバーがランダムに言うひらがなを持っている人が当選という形式。本や食べ物や手芸作品などなど。ミュージシャンがお客にプレゼントする、というのも珍しいが、なかなか楽しい。

 このプレゼント・タイムは休憩でもあって、すぐに tricolor の演奏。Cocopelina に比べると、こちらは洗練を突きつめようとするところがある。ビートの刻み方、フレーズの展開、緻密なアレンジにこだわるようにみえる。最初の〈Lucy〉の3曲目はその象徴。Cocopelina の演奏には、何もかも忘れて身を委ねられると思えるのに対し、tricolor の音楽は、細部のキメに身悶えさせられる。

 ここにはピアノがあるので、アニーがピアノも弾く。すると全体がどっしりと腰が座る。中藤さんがコンサティーナで、ピアノ、ギターの形でスロー・エアからリールというセットがハイライト。アニーが先日のソロでも唄っていた〈じかきうた〉は、あらためていい曲だ。

 アンコールはもちろん全員で、2本のフィドルが微妙に音程をずらして遊ぶのが楽しい。この大所帯でアニーがアコーディオンを持つと、アンサンブルの厚みがどんと増す。これあ、いいなあ。これですよ、これ。この部厚いユニゾンの愉しみ。

 どちらのユニットも10年やっていて、音楽に余裕がある。オトナの音楽だ。やはり正月にはこういう感じで聴きたい。年があらたまるというのは、それで過ぎた年のことが何も彼もご破算になるわけではないけれど、それでも、気持ちを前向きに切替える契機にはなる。こういう音楽はその切替えを後押ししてくれる。

 さいとうさんが昨年生まれたお嬢さんを連れてきていて、3ヶ月という赤ちゃんがどういう風の吹き回しか、あたしの顔を見てはきゃっきゃっと笑みくずれてくれるので、何とも嬉しくなる。良い音楽に加えて、この笑顔で、大いに元気をいただきました。(ゆ)

Cocopelina
さいとうともこ: fiddle
岩浅翔: flute, whistles, banjo
山本宏史: guitar



tricolor
中藤有花: fiddle, concertina, vocal
長尾晃司: guitar, mandolin
中村大史: bouzouki, guitar, accordion, vocal

 今年のライヴ納め。別に選んだわけではなく、たまたまだが、このバンドで1年を締めくくれるのはめでたいことではある。ちなみに来年のライヴ開きは、この日アナウンスのあった中村大史さんのホメリでのソロ・ライヴになった。

 今年のグルーベッジは何といっても林正樹氏との共演が強烈だったが、バンドにとっても節目になったように見える。あれから2度見たわけだが、その前とはギアの入り方が変わった。この位のレベルになると、個々の技量は完成の域に達しているので、問題はバンドとしての練度、アレンジとアンサンブルのつながり方の密度、そしてその日の調子ということになる。ハコや聴き手の状態も作用するが、今のグルーベッジにはどんなハコでも、どんな聴き手でも自分たちの世界に巻きこんで持ってゆく力がある。その力の保有量と出し方のコントロールが、林氏との共演の後で違ってきたのだ。バンドとして備えている蓄電池の容量がまず増えた。そしてそこからいつどこでどのように力を流すかのコントロールがより適確に自在になった。

 もともと高かったバンドとしての練度がより上がった。というよりも、内部でのつながり方がより緊密になり、互いの反応速度が速くなっている。アレンジを毎回変えているように聞える、その流れがごく自然で滑らかだ。2曲目の〈タイム・トラベル〉は互いに雰囲気のまったく異なる短かいフレーズをつなげて、めまぐるしく色調が変転するのが、アンサンブルのフットワークが軽いから、聴く方も身も心も軽くなって、一緒に飛んでゆく。こういう快感は他では味わったことがない。

 各々の調子が良いのは3曲目、ゆったりしたレゲェのビートにのせた〈水槽の中の人魚〉でソロを回すところに出る。このたっぷりとタメをとったテンポはとてもいい。もっと聴きたい。

 その調子の良さとアンサンブルの密度の高さは5曲目の〈水模様〉でハイライトになる。中間部のフリーの即興がたまりまへん。それぞれが勝手なことをやるのがそのまま集団即興になり、密度を保ったまま曲にもどる。このフリーの集団即興はもう少し聴いていたかったが、こういうものは少し物足りないくらいがちょうどいいのであろう。

 後半はバンドとしても今年のライヴ納めもあって、アップテンポの曲を畳みかける構成で、これはこれで文句はないが、後半冒頭の〈mono etude〉のようなスローなバラードをじっくりと、それこそ延々と展開するのを聴きたくもある。このバンドに課題があるとすれば、こういう曲でアップテンポな曲とまったく同等に有無を言わさず聴衆を巻きこんで運んでゆくことだろうか。


 今年は行くライヴを絞ったつもりだったが、それでも平均すると毎週1本は行っていた勘定になり、貧乏人にはまだ多いなあ。来年はもう少し減らしたい。(ゆ)

Groovedge
中村大史[ギター・アコーディオン]
秦コータロー[アコーディオン・ピアノ]
大渕愛子[フィドル]
渡辺庸介[パーカッション]


Live Lab. Groovedge feat.林正樹 [DVD]
中村大史(g.)
アトス・インターナショナル
2019-11-27



 昼間のアウラとライヴ・ダブル・ヘッダーの後半。

 カルマンはハンマー・ダルシマー、馬頭琴、バゥロンのトリオだが、3人とも歌を唄う。馬頭琴の岡林さんはもともとホーミィもやり、オルティンドーも唄うが、バゥロンのトシさんが近頃本気で唄いだし、それにつられてか小松崎さんも唄う。3人で声を合わせたりもする。もちろんアウラのメンバーのような正規教育をうけた専門家ではないが、それなりに精進もしていて、アウラでは逆に不可能な歌を聴かせてくれる。このあたりが音楽の玄妙なところだ。楽器はそれぞれに目的が決まっていて、その中で最高の音が出るようになっている。声は目的が定まっていない。どのようにでも使える。そして千変万化する。アウラのような極美のハーモニーもあれば、カルマンのような、合うというよりはズレていることが愉しいものがある。

 とはいえ、まずは器楽だ。これは菜花でのルーツ・ミュージック・ライヴ・シリーズ「菜花トラッド」の一環で、これまではPAを入れていたが、今回は生音。これが成功している。最も成功していたのは馬頭琴。馬頭琴も近頃は前面に木を張って、音量を大きくしたタイプが主流だそうだが、岡林さんの楽器は山羊革を張った古風なもの。この響きがたまらない。どこまでも深く、音が内部に膨らんでいって、時空から抜けでたように聞える。澄んだ音だが、ピュアというよりも、いろいろな滋養が溶けこんで、複数の旨みが交響しあっているようでもある。

 岡林さんはこれでアイリッシュ・チューンも弾きこなしてしまうが、楽器のほうも別に無理をしている様子でもないのが、不思議でもあり、あたりまえでもある。本当の名手は、楽器に本来想定されていない歌をうたわせて、あたかも初めからそのために作られているように聴かせることができるものなのだろう。

 小松崎さんのダルシマーは地味な響きがする。この楽器は結構ハデにもなりうるが、健さんの演奏はいい具合にくすんで、おちついている。楽器のせいか、技術によるものかわからない。たぶん、両方のからみ合いではあろう。おそらくは年齡の要素もあるはずだ。いい年の取り方をしている。枯淡の境地、というとよぼよぼの老人に聞えるだろうか。凄いとすぐわかることをやっているわけではないが、聴いていると、いつの間にか引きこまれ、抜けられなくなる。こういう風になるには、技ばかりいくら磨いても無理で、人としての生き方がかかわってくる。

 トシさんのバゥロンは対照的に凄みが出てきた。1曲やったソロも特別に変わったことをやるわけではないのだが、別の世界に運ばれる。とはいえ、それよりも、アンサンブルでの何でもないビートの付け方に年季が入ってきた気がする。生音ということもあって、ブラシを使い、音量を下げ、当りをソフトにしながら、芯はしっかりしている。他の2つの楽器がアンプ無しに増幅される。

 最初はこの組合せでアンサンブルが成り立つのかと思ったりもしたが、生音で何度か聴いていると、無いほうが不思議になってくるから不思議に面白い。

 たぶん、ひとつにはあんまりがっちり決めこまず、ゆるくやっているのもハマっているのだろう。細部まで緻密に計算するのではなく、互いに相手の周りをふうわりとまわるように、相手の反応をうかがいながら、良い意味でいいかげんにやる。そういうことができるのも、各々が達人だからではあるが、そのゆるい円舞のなかに引きこまれると、遙か彼方まで世界が広がるのは、アンサンブルの醍醐味だ。

 このユニットの歌は楽しい。トシさんはこのところ凝っているマウス・ミュージック、リルティングを披露し、また良くなっている。打楽器奏者だからか、ビートの拾い方が巧い。これを伴奏に踊れるだろう。輪唱、ユニゾン、ハーモニーと、繰り出す技も結構多彩だ。アウラでは声の出し方は皆同じで、だからこそハーモニーが綺麗に響くわけだが、こちらは発声のしかたも三人三様で、揃っていてもズレている。そこが何とも楽しい。音楽ではどちらもアリなのだ。ということは、どんなものでも、どちらもアリなのだ。岡林さんはオルティンドーを聴かせて、これももっと聴きたい。

 菜花トラッドでは食事が付く。この日はモンゴルへのトリビュートで、ホーショールと呼ばれる揚げぎょうざというかミートパイというか、がメインで、これにじゃがいもと人参を小さな賽の目に切って茹でてマヨネーズであえたものとレタスのサラダがつく。ホーショールの中の肉はたぶん豚肉。いつもながら、実に旨い。味付けがうまくて、調味料などなしに、ぱくぱく食べられる。野菜もサラダもまことに結構。揚げたてて熱々。何度来てもたまりまへん。

 菜花はクラフト・ビールを出す店に改装するそうで、新装オープンまで菜花トラッドもお休み。そちらはまた楽しみではありますなあ。(ゆ)

カルマン
小松崎健: hammered dulcimer, vocals
岡林立哉: 馬頭琴, khoomii、 vocals
トシバウロン: bodhran, vocals

流離う音楽
Karman カルマン
KONPEIカムパニー
2014-05-25


 ともに活動しはじめて10周年ということで実現した初めての共演は、それはそれは楽しいもので、次は20周年というのに、反射的に行くぞ、と思ってしまったほどだ。それまで生きているかどうかもわからないのはすっぽりと忘れていた。しかし、10年後にこの連中がどうなっていて、どんな音楽を聴かせてくれるか、ぜひ生身で体験したいものではある。

 先日の tricolor となつやすみバンドとの共演と同じく、どちらかが前半、片方が後半という対バン形式ではなく、まず全員が出てきて、一緒に各々のレパートリィを1曲ずつやる。どちらもライヴでも何度も聴いているが、ダブル・フィドルがまず気持ちがいい。後で酒井さんにそう言うと、あたしもそうなんです、フィドルが重なると、これだよ、これと思います、と拳を握りしめた。彼女は北欧の音楽を演ることも多く、フィドルが重なることの醍醐味はよく知っている。ハルディング・フェーレを弾いていて、フィドルに移ると、音が重ならないのが寂しいのだそうだ。アイリッシュでも同じで、アルタンが一度トリプル・フィドルになった時期の録音は格別だ。

 さらにここにはピアノがあるので、アニーがピアノに座ったのがまたいい。グルーベッジに林正樹氏が加わったのと同様の効果で、ビートがよく弾む。

 2曲やったところで、各々単独での演奏になるが、どちらが先にやるかは、アニーが音頭をとって、その場で中藤さんと酒井さんがあっち向いてホイの勝負で決める。2回めであっさり酒井さんが勝って、きゃめる先攻。

 このバンドは見る度に巧くなっているように見えるのは錯覚だろうか。毎回誰かが着実に巧くなっていると見える。今回は高梨さんのホィッスルと成田さんのコンサティーナ。どちらもどっしりと安定感が増している。高梨さんは憧れというブライアン・フィネガンに肩を並べるまでは行かないまでも、楽器の自在な操り方はだいぶ近づいてきた。元々レベルが高いミュージシャンが巧くなったように見えるのは、かなり精進していると思うのだが、悲壮感はかけらも無い。まずは〈Northen Lights〉と〈Smokey Leaf〉で、どちらもスローで始まり、途中でアップテンポに切り替わるが、その出し入れも堂に入ってきた。ハイライトはこのセクション最後の〈Carry On〉で、ブズーキのピッキングとフィドルのソロが聞き物。

 替わった tricolor はやはり10年、演奏しつづけているという〈Lucy〉で始める。うーん、貫禄があるなあ。きゃめるの音楽がカラフルに華やいでいるのに並ぶと、tricolor の音楽は奔放な筆づかいで描く水墨画の趣が出てくる。筆を運ぶ向きと速度を制御しているのは長尾さんのギターのようだ。刻み方とタイミングを細かく操るところは、グレイトフル・デッドのボブ・ウィアも連想する。

 4曲めに中藤さんが打合せなしに高梨さんを呼びこんで、《Bigband》で高梨さんが参加した曲をやる。アニーはアコーディオン。これがハイライト。

 そしてまた全員で4曲。こうなると音の厚みが快感。アニーはブズーキにファズをかけて弾きまくる。ほとんどヘビメタだ。そして最後は期待どおり〈Anniversary〉。この曲はやはり大勢でやるのが愉しい。Bigband のライヴの高揚感を思い出す。いやあ、体が浮きましたね。

 アンコールも各々のレパートリィから1曲ずつ。〈春風の祝福〉とポルカのセット。20周年と言わず、毎年一度はやってほしい。tricolor は毎年年始は Cocopelina とのあけましておめでとうライヴをやっているそうだから、これから毎年年末はきゃめるとの忘年ライヴをやるのはいかがですか。次はもっとメンバーの入替えて、様々な組合せで聴いてみたい。

 土曜の昼間で、小さいお子さんもいて、昼間から呑む泡盛も旨い。それにしても、今年のライヴは豊作だ。(ゆ)

キネン
トリコロール
Pヴァイン・レコード
2019-05-15


PARTY!
きゃめる
ロイシンダフプロダクション
2019-08-11


 グルーベッジの前回のライヴの時、大渕さんが10月7日に次郎吉で自分が主催するライヴをやります、グルーベッジも出ます、というので、何をやるのかよくわからないまま、出かける。行ってみたら、大渕さんの10年来の友人という、アメリカはオレゴン州ポートランドのシンガー・ソング・ライター Kathryn Claire という人の新譜来日ツアーのラストだった。新作《Eastern Bound For Glory》は会場では売られていたが、まだ正式発売前。

 オレゴン州ポートランドときて、はてどこかで聞いた名前だと思っていたら、ハンツ・アラキと数枚、アルバムを共作していた。アルバムはうっかり聞き逃していたが、こうなると、聞かねばならない。

 今回はしかし、アイリッシュやケルト色は無く、いわゆるアメリカーナだ。大渕さん選抜のバックバンドもすばらしく、極上のアメリカーナを生で聴けた。こういう音楽を生で聴けるのは、あたしには貴重でありがたい体験。まずは、大渕さん、ご苦労様でございました。

 前半はグルーベッジ。前回、林正樹氏を迎えてのライヴは、今年最高、のみならず生涯でも最高のライヴの一つだった。今回はカルテットにもどっての、かっちりとバンドとしてまとまった、切れ味抜群の演奏。

 ナベさんはポップだというのだが、あたしにはトンガって、かつシャープ、しかも密度の濃いその音楽はむしろジャズに近く聞える。切れ味という点では、大渕さんのもう一つのバンド、ハモニカクリームズも負けないが、あちらはシャープな側面とルーズな側面の出し入れ、押し引きのバランスが身上だ。グルーベッジにはどこまでも切れ味を研いでいこうとする姿勢がある。ソロの即興にしても、ジャズや前衛音楽を指向して、どこまで切りこめるか、行けるところまで行ってやれと突っこんでゆく。それでいて一触即発の方へは傾かず、アンサンブルとしてのまとまりと絡み合いをさらに緻密にしてゆく。それはたぶん、ナベさんの性格もあるのかもしれない。ドレクスキップも後期になるにつれ、そういうところが現れていた。これをポップだというのなら、シャープなポップと言うべきか。そんなものがありえるとして、それが今回一番端的に現れていたと聞えたのは〈Cloud 9〉。


 キャスリン・クレアはフィドルも弾くそうだが、今回はバックバンド付きのせいか、あるいは大渕さんがいるせいか、本人は弾かず。大渕さんはキーボードに2曲ほどフィドルを弾き、MCもこなす。

 正直、こういうアメリカーナのシンガー・ソング・ライターは、優れた人も星の数ほどいて、誰を聴くかはもう筋をたどるしかない。何かの縁、赤い糸とは言わないが、天の、ないしはミューズの導きで出会うのをたぐるわけだ。キャスリンは日本には子どもの頃、数年滞在したこともある由で、その時通った、在日アメリカ人の子弟が通うアメリカン・スクールでソングライティングのワークショップもやったそうだ。

 キャスリンはシンガーとして一級で、重心の低い声も好み。歌作りとしても、厳しい内容を明るいメロディに載せられる人だ。このあたりがアイリッシュの流れを汲んでいるところ。ハイライトは最新作に入っている〈Dead in the Water〉。ここでの大橋氏のギター・ソロが見事。

 もう一つのハイライトはアンコール。グルーベッジのメンバーも加わっての、ジョン・デンヴァーの、たしか〈悲しみのジェット・プレーン〉という邦題がついていたヒット曲だが、思いきりアップテンポの緊張感漲る演奏が、曲の隠れた良さを展開してくれた。各メンバーにソロも回し、最高のエンディング。

 バックバンドのメンバーは大渕さんが最高と信じるメンバーを集めましたということだが、いずれも一騎当千の強者。とりわけ、ギターは大渕さんが「橙」というユニットを組んでいる相手でもある。あちらはアコースティック・ギターで、むしろ黒子に徹するところがあるが、エレキを持って、大渕さんと丁々発止するところも見たい。

 こういうシンガー・ソング・ライターなら、このバンド・サウンドも最高だが、本人のギターと大渕さんのフィドルだけというのも一度見たかった。キャスリンは結構頻繁に来日しているようだから、将来、そういうチャンスもあることを期待しよう。

 お客には大渕さんの人脈か、大渕さんと同年輩の女性が多いが、キャスリンなら、あたしと同世代の、アメリカーナが好きな爺さんたちも楽しめるはずだ。まずは、会場で買った3枚のCDとハンツとの共作を聴き込むことにしよう。(ゆ)


Kathryn Claire: vocal, guitar
大渕愛子: keyboards, fiddle
大橋大哉: electric guitars
吉川知宏: drums
藤野俊雄: bass


GROOVEDGE
渡辺庸介: percussions
大渕愛子: fiddle
中村大史: guitar
秦コータロー: accordion


Emigrant's Song/the Labourer's Lament
Hanz Araki & Kathryn Claire
Imports
2013-08-13


Bones Will Last
Kathryn Claire
CD Baby
2017-03-24




 セカンド《by the way》レコ発ライヴということで、短かいセットを3つ。パート1と3は主に新譜から、パート2は主にファーストからの選曲、という構成。もっともCD自体は10-13発売。

 ライヴになるとフロントの二人の安定感が際立ってくる。録音では、今回のセカンドではアレンジに工夫を凝らし、楽器の絡み合いも念入りに考えていて、そこが大きな魅力の一つなのだが、ライヴになると、フィドルとアコーディオンのユニゾンの滑らかさが何とも言えぬ快感を生む。もともとこの二つの楽器の組合せはアイリッシュ・ミュージックの面白さの核を体現しているところがあって、音のキャラクターとしても似合いの一組なのだが、沼下さんと田中さんの組合せにはそれとは別に、ミュージシャン同士として、互いにハマっているところが聞える。沼下さんによれば特に意識して装飾音などを合わせているわけではないそうだが、細かいところまでよく一致する。音色の合い方と装飾音まで含めたフレーズの合い方が相俟って、ユニゾンの極致とすら思えてくる。とにかく気持ちが良い。このユニゾンによって、カルテットがトリオに聞えたりする。

 一方で、では初めから終りまでトリオかというと、そんなことにならないのが、今のこのバンドの面白さだ。録音よりユニゾンが前面に出るとはいえ、アレンジの冒険があちこちで飛び出してくる。カルテットが今度はビッグバンドにも聞える。CDでも冒頭にはいっているオープニングの曲はその典型だ。異なるビートが並行して進んでいって、やがて一つになり、また別れ、融合する。全体に筋を通して引き締めているのが岡さんのブズーキで、熊谷さんのパーカッションが、時に先頭になって引張り、あるいは地面の下から持ち上げ、そして世界をどーんと拡大する。時には、そこで聴いている空間よりも大きく破裂させる。

 このバンドはそもそも岡さんと沼下さんが熊谷さんと演りたいと思って始まっているが、熊谷さんの演奏の深化が魅力でもある。たとえばパート1ラストの〈House Party〉のスライドのドラミング、パート2〈マルシェの散歩道〉での、他の3人によるユニゾンを浮上させるダイナミズム。極めつけは、新譜の目玉でもある〈Waterman's〉。マイケル・マクゴールドリックによる8分の9拍子と8分の11拍子の組合せのこの曲は、バンドとしての初演からやっている。初めの頃は、変拍子を必死になって叩いていたのが、どんどん良くなってきて、今ではもう余裕をもって遊んでいる。わざとビートをズラすのがいい。そうするとフロントの演奏も良くなって、今回のハイライト。新譜の演奏はこれまでで最高と思えたが、それすら凌駕している。

 速い曲ばかりでなくて、パート2〈ヒコーキ雲とビール〉では、録音よりもテンポを落とし、アレンジも変えて、面目一新。ファーストの曲をセカンドの精神で組み直しているのだ。そういえば他でもテンポのコントロールが一段と冴えて、緩急の差が破綻なしにより大きくなり、劇的効果が効いている。ポリリズムとさえ言えそうな複数のテンポ、ビートと緩急の出し入れは、これからのこのバンドのテーマになってゆくのだろう。そうすると、フロントの二人のメロディ演奏の安定していることが大きくモノを言ってこよう。

 アンコールはもちろん新譜でも最後に入っている〈Shee Beg Shee Mor〉。二人で弾いているのかと思ったら、3人が右手だけで弾く。今回はこれに熊谷さんが低域で茶々を入れるのがまたいい。録音でも、今回も、3人のフレーズはまったくの即興だそうだ。

 こうなると、アイリッシュをベースにしながら、もう少しジャズに振れたアンサンブルも聴きたくなってくる。今回も一瞬、それを連想させる場面もあって、ココロが躍った。

 生きてるだけでとられる税金がまた上がるので鬱になりかけていたのが、救われた気分。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

沼下麻莉香(フィドル)
田中千尋(ボタンアコーディオン)
岡皆実(アイリッシュブズーキ)
熊谷太輔(パーカッション)


Blow
セツメロゥズ
ロイシンダフプロダクション
2018-01-14


 今回はトリオ。やはりあたしはトリオの方が好みだ。ドラムスが入って、強力にドライヴするハモクリも良いのだが、3人各々の演奏が内部までしっかり聴けて、その絡みもよくわかる方が面白い。どこでユニゾンして、どこでハーモニーになり、どこは掛合で、どこはソロをとるか。ギターのカッティングの変化、ハモニカの楽器の交換による音色の変化、フィドルのエフェクタの切替。超高速パッセージで突っ走りながら、そういう細かい変化を織りこんでゆくのが、このバンドの醍醐味だ。ゆったりじっくりはどちらかというと、個々のソロを展開するための母体になる。

 トリオのせいか、いつもよりフィドルの音量が大きく、よく聞えるのも嬉しい。それに呼応するように、ハモニカでとんでもなく高い音域の楽器を使うのがまた面白い。ブルターニュのバグパイプ、ビニューと同じくらい。

 もう一つ、今回の特殊事情はロケーション。スケジュールの都合で、メンバーのうち二人は22:25発御殿場線最終国府津行きに乗らねばならない。あたしも同じ電車に乗らねばこの日のうちに帰れないから調べたが、万一これを逃すと、新松田までタクシーを飛ばすことになり、1.5万はかかる。終演時刻の縛りがきついのだ。

 もちろん、こういうことは初めてではないだろうが、緊張感はやはり質が違う。限られた時間に全精力をぶち込む勢いが違う。このバンドの場合、演奏の切れ味が一段とシャープになる。たとえば、〈Speak Easy Roll〉イントロのハモニカ・ソロ。いつ聞いてもこのソロは凄いが、テンポをまだ上げないところの密度の濃さ。

 そしてその次の〈時間泥棒〉。録音も含めて、これまでに聴いた最高の〈時間泥棒〉かもしれない。何が凄いか。間奏部の即興はもちろんだが、メインのメロディを細かく、ごくわずか崩したりオカズを加えたり、あるいは4分の1拍ずらしたりして変形する、そのスリルがたまらない。一見、ラフに奔放に演奏しているように見せながら、実はおそろしく緻密に演っているその対称の妙。それはこのバンドの音楽全体に言えるが、この曲にはその手法のメリットが凝縮されている。

 聴衆の反応がまたいい。清野さんがアオるせいもあるのだろうが、それだけでなく、演奏の機微に敏感に反応する。ほとんどは地元ないしその関係者だろうか。帰りの電車にはあたしらの他にはそれらしき人はいなかった。あるいは皆さん、車で来ていたのか。

 御殿場線は初めて乗る。やはり初めて乗る線は楽しい。乗り鉄というほどではないが、列車に乗るのは好きで、ずっと外を眺める。箱根の外輪山の外側を通るので、山の陰になり、暗くなるのが早い。今度はもっと明るい時間にのんびりと乗りに来よう。

 早く着いたので、会場の場所を確認しようと歩いていたら、旨そうなラーメン屋があり、ちょっと迷ったがどうせ食事はせねばならないし、思いの外、寒かったので、入ってみる。煮干しダシの品を頼んで、なかなかの味でござんした。

 ふだん行かないような場所でのライヴはやはり面白い。そこへ行くことそのものがまず面白く、いつもとは雰囲気の違うところで聴くと、音楽も新鮮だ。山小屋でのアイリッシュ・ミュージック・キャンプも行きたい。今年は仕事とかち合ってしまったが、いずれ、チャンスがあるだろう。(ゆ)


ステレオタイプ
ハモニカクリームズ
Pヴァイン・レコード
2018-03-28


 今年最高のライヴ。今年は水準の高いライヴが多く、先週のザ・なつやすみばんど+ tricolor はじめ、「今年最高!」がいくつもあるのだが、これは「夢の共演」の実現がそのまま期待どおりに期待を超えてくれて、身も心もとろける想い。

 林氏のライヴは何回か見ていて、どれもすばらしいものだったが、どちらかというと隙間の多い、むしろ静かな思索系の音楽の印象が強かった。グルーベッジのような、「はしゃぎ系」の、精神としてはジャズよりもロック寄りのアンサンブルで氏のピアノを聴くのは初めてだ。それがどうなるのだろうというのが、期待のポイントの一つだったわけだ。

 まず面白いかったのは林氏が入ることで、グルーベッジのバンドとしての性格が顕わになったこと。大渕さんがいることと、ドラムス系のパーカッションがいるから、あたしが見ている中で編成とサウンドが一番近いのはハモニカクリームズだ。ハモクリのアンサンブルは清野さんを中心として、ハープとフィドルのフロントが引張る形だ。個々のミュージシャンの展開の積み重ねになる。グルーベッジではバンドの中心はナベさんのパーカッションになる。これがアコーディオンとフィドルのフロントを押し出す。アニーも含めてソロも少なくないが、他の3人の演奏はパーカッションにつながっていて、バンド全体のアンサンブルとしての性格が強い。

 ハモクリにドラムスが入る形で見ることが多いのだが、ハモクリのドラムスは田中さんも含めて、アンサンブルの土台を据えて、ビートをキープする役割だ。グルーベッジのナベさんはおとなしくビートをキープするよりも、自分から走りだす。いわば、ナベさんのパーカッションがキント雲となって他のメンバーを載せて、天翔ける。ビートのキープはアニーのギターが担う。

 そこに林氏のピアノが加わると、リズム・セクションが充実する。終演後にアニーも言っていたが、ギターだけだと時に充分ではないと感じていたところへ、ピアノによって厚みが加わり、奥行も深くなる。カルテットのグルーベッジに何か欠けているわけではないが、ピアノが加わったクィンテットは理想により近い。

 それにしても林氏のピアノ表現の多彩多様なことにはあらためて驚かされる。何気ない、どこにでもありそうなフレーズがさらりと入れるだけで、音楽の全体の味わいがぐんと深くなる。かと思うと、おそろしくトンガった不協和音を叩きこんで、突如別世界を現出させる。他のメンバーを煽り、またより奔放な展開を誘う。

 冒頭4曲、グルーベッジのカルテットで演奏し、5曲目に林氏が入ったのだが、これがまず凄い。グルーベッジのメンバーは林氏が入るというだけで一段ギアが切り替わる。曲は〈パラドックス〉で、アコーディオンからソロを回してゆくのを、ピアノが裏でさらに煽る。フィドルから受けたギターはいきなりテンポを変えてロックンロールになり、さらにぐんとテンポを落としてブルーズになり、これをピアノが受けて見事なブルーズ・ピアノで入り、またもとの曲にもどる。これだけでも来た甲斐があると思っていたら、後半にさらに凄いものが待っていた。

 せっかくだからとやった林氏の2曲は、この世のものとも思えない至福の音楽。1曲めの〈ブルー・グレイ・ロード〉は間を奏でるのレパートリィとして馴染んだ曲だが、ここでもソロを回して、まったく別の様相を見せる。この日はどの曲でも秦さんのアコーディオン・ソロがすばらしい。何をどう精進するとこうなるのであろうか。繰り出してくるフレーズがいちいち腑に落ち、胸に染みる。

 2曲めは林氏の「五十音シリーズ」の1曲〈ソタチ〉、「ソ」の音が全体の音の4分の3を占めるという曲で、なるほど同じ音が連発されるのだが、これがまた面白い。林氏の曲は、理詰めで始まりながら、そしてその理屈がずっと筋を通しながら、同時に破天荒にすっ飛ぶのが特徴なのだが、その象徴のような曲。演奏の難易度は相当に高そうだが、皆さん、それは楽しそうに演る。

 ピアノが入った演奏を聴いていると、どこかでこういう感覚は味わったことがあるな、と思えてきていた。この2曲を聴いたところで思い当たった。ザッパなのだ。ナベさんはテリィ・ポジオだ。

 幸いにこの日のライヴはビデオ収録され、CSの Music Air ライブ・ラボで10/27、24:00から放映される由。こいつはちゃんと録画しなければいけませんぜ、皆さん。

 それにしてもぜひぜひ、この形は続けてほしい。林氏も楽しそうだったし、グルーベッジも林氏と演ることでさらにまた1枚も2枚も剥けそうだし、録音も作ってほしいと切に願う。

 いやあ、ほんと、生きててよかった。(ゆ)

Groovedge
 秦コータロー: keyboard accordion
 大渕愛子: fiddle
 中村大史: guitar
 渡辺庸介: percussion

林正樹: piano



 ザ・なつやすみバンドの sirafu 氏が、アイルランドのパブ・セッションみたいだとMCで言う。その通り、良いセッションの現場に居合わせて、音楽を浴びている感覚だ。

 対バンというと、二つのアクトのどちらかが前、もう片方が後、最後に一緒に、というのが定型だが、今回は違う。両方のバンドのメンバーがいきなり全員出てきたのには驚いた。いったいどうなるのだ、全部一緒にやるのか。という危惧は、最初の1曲で雲散霧消した。まあ、tricolor が関わってヘンなことになるはずはない。tricolor がイントロの形で1曲演り、そのまま後をうけてザ・なつやすみバンドが演奏する。ああ、いいバンドだ。その後は tricolor だけで2曲ほど演ると、ザ・なつやすみバンドが演り、《うたう日々》で中川氏が唄っていた曲を全員で演る。さらには、片方の演奏にもう片方のメンバーが加わる。

 この二つのユニットの音楽はかなり傾向が異なる。tricolor はアイリッシュをはじめとするケルト系伝統音楽をベースにしたインストゥルメンタルがメインだし、ザ・なつやすみバンドは中川氏のオリジナルの歌が主軸だ。中川氏の音楽の土台はまだよくわからないが、いろいろと入ってもいるようだ。ただ、そこにはケルト系の要素はまず無い。レコードだけ聞いていると、この二つが一緒に演るということはおよそありそうにないと思えるだろう。それが、まったく違和感が無い。各々のキャラはちゃんと立っている一方で、全員で演ってもまるでずっと一緒にやっているように聞える。

 一つにはメンバーの音楽的な懐が皆深い。伝統音楽をやっていると深くなるものだが、ザ・なつやすみバンドのメンバーも負けていない。ジャズが共通の土台のように思えるが、それだけでは無いはずだ。中でも sirafu 氏は別格で、天才と言っていい。演奏する楽器としては現時点ではスティールパンが一番ハマっていたが、トランペットもギターも笛もマンドリンも見事。とにかく音楽のセンスがいい。この点では中村アニーが好一対で、かれもアコースティック・ギター、アコーディオン、ホィッスル、最後にはエレクトリック・ギターまで演っていた。アニーはずっと見てきているから、そうは思っていなかったが、こうして並ぶと、sirafu氏が天才なら、アニーも天才だ。

 この場合の天才はモーツァルトやポール・マッカトニーやコルトレーンの天才とは異なる。音楽をいいものにするコツを心得ていて、その適確なことが尋常でないのだ。ミュージシャンというよりはプロデューサー的な側面だ。他は全く同じメンバーで同じ曲を演っても、その人が入ると入らないのではまるで別物になってしまう。ドーナル・ラニィが典型だ。sirafu 氏やアニーがドーナルと同列というわけではまだ無いが、あのレベルになる資格は充分にある。

 こういう音楽的なセンスの良さはもちろん二人だけではなくて、一級のミュージシャンは皆備えている。というより、このセンスがある人が一級と認められる。tricolor もザ・なつやすみバンドも、他のメンバーも一級だ。一級の集団を天才が引っぱっているわけだ。そういう仕組みが、こうして対バンすると見えてくる。それも、定型ではなくて、このごっちゃの形だからこそ見えてきたのだろう。

 もう一つには、この二つのユニットは音楽に対する態度が共通している。ザ・なつやすみバンドは毎日を夏休みにするために音楽を演っている。tricolor も毎日のぶだん着の音楽を演っている。毎日の暮らしに欠かせないものとして音楽を演っている。音楽無しには1日も生きていけない人間のための音楽を演っている。BGMとして聞き流してもいいし、じっくりと全身全霊で聞き入ることもできる音楽を演っている。

 音楽にもいろいろある。カネを儲けるための音楽や、理想の一点を求めるための音楽や、ふだんの自分とは別の存在になるための音楽や、おしゃべりするための音楽や、いろいろある。そういう中でこの二つのユニットが各々に演っている音楽は、なぜ音楽を演るのかという点でかなり共通している。一緒に演る時に基盤にできる共通の部分が大きい。

 このライヴを見ていて思い出したのは John John Festival と馬喰町バンドの対バンだった。あれも前半後半分担ではなく、二つのバンドが対面して位置し、1曲ずつ交替に演奏し、互いに勝手に相手の演奏に参加していい、という、今回とよく似た形のものだった。JJF と馬喰町バンドも音楽への態度に共通するところが大きかった。

 アニーは JJF のメンバーでもあるが、あちらで見せる顔は tricolor で見せる顔とまたキャラが異なる。ザ・なつやすみバンドのメンバー、たとえば sirafu 氏が別のユニットをやっているとすれば、それもまた見てみたい。全く異なるキャラの音楽が聴けるだろうし、それもまたきっと面白いにちがいない。

 それにしても、ザ・なつやすみバンドは今回初めて見聞したのだが、メンバーは皆さん素敵だ。それぞれに、他のユニットもされているのなら、追っかけをしたくなる。あたしはパーカッショニストに弱いので、村野氏はふーちんと並ぶ女性ドラマーとして嬉しくなる。

 ザ・なつやすみバンドの名前を初めて聞いたのは tricolor の《うたう日々》に中川理沙氏が参加した時で、いい名前だと思ったものの、録音を聴くまでにはいかなかった。中川氏は《うたう日々》のレコ発ライヴにも参加していて、眼の前にいるのに、透明な幕を隔てた「異界」でうたっているような存在感が面白かった。ザ・なつやすみバンドでもそれは変わらないが、自作を唄うので、いくぶん「異界」が近くなっていた感じではある。

 会場はホテル地下のレストランだが、座席は両端に少しあるだけで、大半は立ち見。2時間以上立ちっぱなしでさすがにくたびれ、終演後はたまたま遭遇したアニーにだけ挨拶して、早々に退散した。また少し雨が降ったのか、外の空気はそれほど熱くない。なつやすみももう終りだ。(ゆ)

 いやあ、浴びた、浴びた。ハモクリの快感はここにある。あたしにとってかれらの音楽は、とりわけライヴは、聴くのではない、浴びるのだ。会場の大小は関係ない。大きければ大きいだけ、小さければ小さいなりに、浴び方が変わるだけだ。どちらかというと小さなところで浴びるのが好きなのは、あたしの人間のスケールが小さいからだろう。大きいところに放りだされると、どうしていいかわからなくなってしまう。野外などでは、音楽なんぞ、浴びていられなくなる。

 ここのところハモクリのライヴは対バンが続いていた。それはそれで相手方との出会いがあって楽しい。前回の古川麦も、その前の踊ろうマチルダも、いいミュージシャンで、出逢えて嬉しい。

 とはいえ、何はばかるところなくハモクリの音楽を浴びられる快感はまた格別だ。対バンではなかなか聞けない大渕さんの歌も聴けて、堪能しました。歌は唄いつづければうまくなるので、高い声が無理なく出るようになっている。

 大渕さんのフィドルも変わっている印象。一つはワウワウやファズのエフェクタの使い方が一段と巧妙になった。ハープがむしろ高音へ飛んでゆくのに呼応して、五弦ヴァイオリンの低い方へ低い方へと下ってゆくのも気持ちがよい。アイリッシュ的なソロでは、弓と指がそれぞれにまるで別のことをしているように聞えるし、見える。さらに、これもエフェクタを使うのか、音の輪郭をぼかす。音のエッジを立てない。以前の彼女のフィドルからはちょっと考えられないのだが、これまた妙に気持ちが良い。

 ドラムスの渡辺拓郎氏は、清野さん、長尾さんの同窓だそうで、小田原出身ということもあるらしい。ふだんはメジャーなバンドのメンバーの由。シュアーなロック・ドラマーというところ。ぐいぐいとドライヴするよりも、どっしり構えて、フロントが勝手にできるように支える。

 こういうとき、ロックにいかずにむしろジャズ的になるのが、このバンドの面白いところではある。

 ここは小さい。小田原の駅からは5分ほど歩いた、国道1号、東海道に面した古い家を改造した店だ。店の前の東海道は正月には駅伝のルートになるはずだ。正面から入った土間にバンドが位置し、聴衆はそこから上がった板の間に靴をぬいであがる。前半は入りきれずに外で聞いていた人もいたとかで、後半はどんどん詰めこみ、みな立ち見で踊る。クライマックスでは、狭いなかで輪をつくっている人たちもいる。それがごく自然に見えるバンドではあり、音楽ではある。いつもとは違うロケーションも楽しい。次は御殿場だ。(ゆ)

ステレオタイプ
ハモニカクリームズ
Pヴァイン・レコード
2018-03-28


 na ba na の音楽はのんびりしている。急がない。ミュージシャン同士の緊迫したからみ合いもない。リールでさえも、ゆるやかだ。

 わざとそうしているようでもない。この3人が集まると、ごく自然にこういう音楽になる、と響く。むしろ、こういう音楽ではない形、スピードに乗ったチューンや、丁々発止のやりとりが出るとなると、どこか無理がかかっているのと見えるのではないかとすら思う。もっとも、いずれそのうち、そういう形が現れないともかぎらない。ある形に決まっていて、それからは絶対にはずれません、というようなところも無いからだ。

 na ba na のライヴは久しぶり。須貝さんの産休もあって、ライヴ自体が久しぶりではないか。須貝さんがコンサティーナを弾いたり、コンサティーナ2台のデュエットをしたり、スウェーデンの曲をやったり、新機軸も結構ある。が、ことさらに、新しいことやってます、というのではない。これまた自然にこうなりました、というけしき。

 梅田さんも中藤さんも、きりりと引き締まるときには引き締まるから、このゆるやかにどこも緊張していないキャラクターは主に須貝さんから出ているのだろう。須貝さんはまだ若いが、どこか「肝っ玉かあさん」の雰囲気がある。ゆるやかで緊張はなくても、だらけたところも無い。芯は1本、太いものが、どーんと、というよりはしなやかに通っている。通っていることすらも、あまり感じさせない。インターフェイスはどこまでも柔かい。

 それにしても生音が気持ち良い。ここは10人も入れば一杯の店だが、天井が高く、片側の壁、ミュージシャンの向い側の壁は全面が木製。ミュージシャンは細長い店の長辺の一つに並ぶ。すると音が広がり、膨らんで、重なりあう。なんの増幅もなしに、3人の音がよく聞える。

 今回、とりわけ快かったのはフィドル。中藤さんのフィドルはよく膨らむのが、さらに一層増幅され、中身のたっぷり詰まった響きが、いくぶん下の方から浮きあがってくる。もう、たまりまへん。

 なんでも速く演ればいいってもんじゃあないよなあ、とこういう音楽を聴くと思う。もっとも、なんでもゆっくり演ればいいってもんでは、一層ないだろう。技術的にはゆっくり演る方が難易度は高そうだ。ヘタで速く演れませんというのは脇に置くとして、意図的に遅くするのとも、このトリオのゆるやかさは異なる。こういうものは性格だけでもなく、日常生活の充実もあるはずだ。いや、幸せオンリーというわけじゃない。そんなことはあるはずがない。日常生活は幸せと不幸がいつも常にないまぜになっているものだ。そのないまぜを正面から受け止めて最善を尽すことを楽しむ。不幸を他人のせいに転嫁するかわりに、自分を高めることで不幸を幸いに転換しようと努める。そういう実践が半分以上はできているということではなかろうか。

 という理屈はともかく、彼女たちの音楽を聴いていると、今日も充実していたと実感できる。(ゆ)

はじまりの花
na ba na ナバナ
TOKYO IRISH COMPANY
2015-11-15


 三重の松阪をベースにするバンド、カンランが7年ぶりに出したセカンド・アルバム《Yggdrasill》はファーストから格段の進化・深化を遂げた傑作で、ぜひ生を見たいと思っていたから、このレコ発ライヴには飛びついた。

 カンランはマンドーラとニッケルハルパのトリタニタツシさん、ヴォーカルのアヤコさん、それにパーカッションのカリム氏のトリオで、主に北欧の伝統音楽とそれをベースにしたオリジナル、さらには日本語の民謡を料理する。

 北欧音楽をやるバンドとしてはまずドレクスキップが有名だろうが、トリタニさんは彼らよりもずっと前から北欧の音楽を演奏してきている。ドレクスキップにとってもモデルの一つだったはずだ。この日は都合がつかなかったパーカッションの代理として、榎本翔太さんがゲストとして全面参加していた。

 "Yggdrasill" は北欧神話に出てくる世界樹であることは言うまでもない。地下の黄泉の世界から天上の神々の世界まで貫いてそびえる巨樹だ。フェロー諸島にこの名前のバンドがあり、来日もしたアイヴォールがリード・ヴォーカルをしていた。

 このセカンドではまずシンガーのアヤコさんの進境が著しい。著しいというよりも、ファーストとは別人のように自信にあふれ、溌剌と唄う。その声がまずすばらしい。ぎっちりと中身の詰まった声が、ごく自然に溢れでて、流れるというよりも飛んでくる。どこにも力が入っておらず、大きくもなく、唄いあげることもしないが、貫通力が抜群だ。口も大きく開いていない。美しい声ではないかもしれないが、聴いていてひどく気持ち良い声だ。いつまでも聴いていたくなる、また聴いていられる声、聴くほどにもっと聴きたくなる声だ。

 同時に、どこか妖しい魅力を備えていて、異界の巫女の声のようでもあり、喜んで聴いていると搦めとられて離れられなくなりそうでもある。呪術的という点ではヴァルティナに通じるところもあるが、もっと重心が低く、そう、神々の世界を翔びまわるフェアリィというよりは、我々の棲むこの世界に根をおろしたもののけの声だ。

 スタイルもいい。一見あるいは一聴、坦々と唄って、感傷も感情もこめることがない。聴きようによっては単調に、無表情に響くかもしれない。唄っている間、表情は変わらない。手の動きや位置で多少強調感をつけることもあるくらいだ。しかし、そこがかえって気持ちが良いのだ。歌にこめられた感情をうたい手が表に出さないのは伝統音楽の一つの大きな特徴だが、それだけではないものがアヤコさんの歌にはある気がする。単に感情を現さないだけでなく、それを凝縮し、ぎりぎりまで固めたものをぽんと押し出す。無表情に見えるのは、あまりにぎりぎりまで押し固められているからだ。それが声にのって飛んでくる。ぽんぽんとカラダに当る。当ってそのまま入りこむ。なんという快感。歌よ、終ってくれるな。この声をいつまでも浴びていたい。

 今回は日本語で唄われている曲が多い。北欧の伝統曲にオリジナルの日本語歌詞をつけたもの、メロディもオリジナルのもの、そして日本語の民謡。民謡は別として、日本語の歌詞がまた面白い。内容も面白いが、それとともに相当に練りこまれていて、音の響きとして面白く、メロディにのっている。それが楽曲全体の気持ち良さをさらに増す。

 トリタニさんはニッケルハルパのわが国における開拓者の1人だが、ベースの楽器はギターで、やはりマンドーラの方が特徴が出るようにみえる。このマンドーラは一般に販売されているものではなく、ギリシャのブズーキを基に、クラシックのマンドリン奏者だった人が製作者と協力して作ったもので、世界でも両手で数えられるくらいの本数しか存在しないそうだ。同じくギリシャのブズーキをもとにアレ・メッレルが独自に改造したのがスウェディッシュ・ブズーキ。アイリッシュ・ブズーキに比べると5コースで、5本めの最低音の弦はフレットをはずして、より低いベースが出るようにしている。という話は後で伺った。

 トリタニさんの楽器はこれらに比べるとボディが大きく、ラウンドバックで、音がより太く、強い。アレ・メッレルもドーナル・ラニィも、ブズーキの音を前面に出すよりも、むしろアンサンブルの中のミュージシャンたちに聞かせるように演奏する。トリタニさんのマンドーラはそれよりも自己主張が大きく、アンサンブルに組込むのにはずいぶん試行錯誤したそうだ。今のシンプルなトリオの形はその成果、一個の結論ではある。もっともこの日、アンコールでジョンジョンと合体したとき、アニーの弾いたピアノが加わった形はなかなか良かった。

 このマンドーラを操るトリタニさんはほとんど天才の域である。コード・ストロークやメロディを奏でるピッキングや、その他、何をどうやっているのか、あたしなどにはわからないことをいとも簡単に、少なくとも簡単そうにやってのける。顔にはもう少しで微笑みといっていいが、そうは言いきれない表情が浮かんでいる。楽しくてたまらず、嬉しくてたまらず、思わず顔がにやけそうになるのを締めているようでもあり、心ここにあらず、音楽にひたりこんでいるようでもある。

 榎本さんはもちろんニッケルハルパで、この人はリードをとっても、サポートに回っても、バランスのとり方が実に適切で巧い。擦弦楽器で適切な歌伴をするにはかなりのセンスの良さを要求される。榎本さんのこのセンスはすばらしい。CD ではパーカッションが入るわけだが、その不在の穴をまったく感じない。これが本来だと思えてしまうほどだ。それでも、1曲、トシさんが加わった時は、ヴォーカル、マンドーラ、ニッケルハルパとの組合せをもっと聴きたくなる。

 この日はカンランのレコ発ライヴということで、John John Festival は前座である。トシさんは「露払い」と言う。かれらのライヴを見るのは、CDとして出た求道会館以来。今年の JJF のテーマはアニーがピアノを弾くことだそうで、半分くらいピアノを弾く。ロバハウスのピアノは小型のアップライトで、ちょっと音がくぐもった感じがするが、今回はそれがちょうどいい。そして、ギターからピアノになると、じょんのフィドルの音が浮上する。じょん自身の進境と相俟って、フィドルの艶かしさが一層映える。これは先々が楽しみだ。最後は例によって歌でしめくくる。その1曲目、もうおなじみの〈思いいづれば〉はほとんどア・カペラでうたうが、ぎりぎりまでテンポを落として回すコブシがこれまでとは一段ちがうほど気持ち良い。ラスト〈海へ〉のハーモニーも堂に入ってきた。

 アヤコさんのヴォーカルを軽く増幅した以外はすべて生音で、ここはやはり生音がほんとうに快い。ニッケルハルパの倍音もよく響く。

 トリタニさんとはトシさんをまじえて、昨日、5時間、飲みながらあれこれおしゃべりしてたいへん楽しかったのだが、カンランの名前の由来を訊くのをすっかり忘れていた。(ゆ)

ユグドラシル
カンラン
Sahara Bleu record
2019-05-19


 このところハモクリは対バンばかり見ている。前回は踊ろうマチルダで、この出会いも喜んだが、今回の古川麦も引き合わせてくれたことに感謝する。

 本人の歌とギターと口笛、ダブル・ベース、それにドラムス。ドラムスはハモクリと同じ田中佑司。この田中氏は tricolor のレコ発の時の田中氏で、繊細で陰翳の細やかなドラマーだ。清野さんに言わせれば「大人のドラムス」。ハモクリでのドラミングが「コドモのドラムス」とは思わないが、フロントを乗せる乗せ方がシンプルでないことは確か。tricolor の時のドラミングとももちろん違って、これまでのところでは一番ジャズに近い。あたしにはとても面白い一面ではある。この人のドラミングはもっといろいろな組合せ、シチュエーションで見てみたい。

 ダブル・ベースの千葉広樹氏も凡百のベーシストではない。もっとも今のところ、「平凡な」ベーシストというのは幸いにして見たことがない。ダブル・ベースを人前で弾こうというほどの人は、誰も彼も一騎当千、一国一城の主だ。千葉氏はソロもとり、アンコールでは田中氏とも渡り合って、むしろこれを煽っていた。

 古川氏はまず英語がうまい。というよりこれはネイティヴの英語だ。発音はアメリカンだが、楽曲は必ずしもアメリカンというわけでもない。どこか、アメリカにはないシャープなところがあって、はじめはカナダかなと思った。後でバイオを見ると、カリフォルニア生まれでオーストラリアで育つとあるのに納得。

 古川氏の英語には日本語ネイティヴの訛が無い。音楽にも日本語ネイティヴがアメリカなどの音楽をやる時の訛が無い。そこがひどくさわやかだ。訛は無い方が常にいいわけではない。あった方が味が出ることもあり、それはケース・バイ・ケースだ。古川氏の場合には、無いことがプラスに出ている。

 それは発声法にも出ていて、最近の若い日本語ネイティヴのうたい手に共通する裏声的な発声ではなく、もっと地声に近く、無理がない。聞いていてストレスを感じない。すなおに耳に、そしてカラダに入ってくる。

 ギターのセンスも面白い。鮮かなフィンガーピッキングを聞かせるかと思うと、コード・ストロークで展開するソロがそれはスリリングだったりする。

 さらに面白かったのは、エフェクタなのだろうか、その場で弾いたり唄ったりしたものを録音してリピートさせ、それに歌やギターをかぶせるということをする。一人で自分の声にハモったりする。あらかじめ録音しておいたものではないらしい。

 そうしたセンスと手法が、なんとも新鮮だ。日本語と英語の往復にも無理がない。両方に軸足を置いている。日本語の世界にも英語の世界にも根を下ろしながら、中途半端でもないし、どちらかに足をとられることもない。ハイブリッドと簡単に片付けられるものでもなさそうだ。そこには人知れぬ本人の努力と苦労があるはずだが、明らかにこれまで日本語の歌の世界には無かった、新鮮な感覚がある。英語がモノマネでもないし借り物でもない。それがそのまま日本語にも通じている。どちらか一方に偏るのではなく、共存している。

 ベースとドラムスの二人も、リズム・セクションというよりは、ユニットとして、古川氏のそうしたスタンスを理解し、共鳴していると聞える。トリオでやることで、陰翳がより深くなり、細部が浮かびあがる。


 ハモクリは半年に1度ぐらいの間隔で見ると、変化がわかっておもしろいでしょう、と終演後に清野さんに言われた。今のハモクリに変化を求めているわけではないが、この日は冒頭にやった新曲がまずみごと。フィドルとハープが別々のメロディを奏でながら、全体として統一されたグルーヴを生んでゆく。これはスリリングだ。

 これまではどちらかといえば、アイリッシュ流のユニゾンで、ハープとフィドルが細かい音の動きをぴたりと一致させてゆく。そのフレーズ、メロディが、ケルトとブルーズの融合した、ハモクリ節とでも呼びたくなるユニークなもので、意表を突く展開がソリッドなグルーヴに乗ってゆくところにスリルがあった。それはこの夜も同じで、おなじみの曲のスリリングなことは変わらないのだが、冒頭の曲に現われた傾向が今後、新たな流れになってゆくとすれば、ハモクリのもう1本の柱になってゆく可能性もあろう。

 もう一つ新鮮だったのは、アンコールの最後、全員にソロを回したときの長尾さんの演奏。これまでもあったかもしれないが、組合せが違うせいか、をを、こういうこともやるのかという意外性を感じた。もっとふつうにああいうコード・ストロークの展開を入れてもいいように思う。というよりも、もっと聞きたい。

 元住吉は別件で何度か降りたことがあるが、いつも駅の周辺か、川沿いに日吉の方へ下っていたので、その向こうにああいう小屋があるとはこれまたいささか意外ではある。チキン・カレーはたいへん美味でござんした。(ゆ)

 MCもなくいきなり始まった1曲目、1周目が終る頃には、とんでもないものが始まったという感覚が沸々と湧いてきた。

 7枚目、バンド結成10周年の節目の新作《キネン》のレコ発。昨日はそこに収録された曲を全部披露した。当然、新曲ばかりであるわけだが、アルバムでも冒頭の〈Lorient〉がまず凄い。

 編成が並みでない。マリンバ、チェロ、ドラムス、それにフィドルが加わる。サウンドとしてはまずマリンバ。

 マリンバはいわゆる木琴だが、これで奏でられるダンス・チューンが実に新鮮なのだ。ダルシマーはアメリカでは普通だし、わが国でも小松崎さんがいるけれど、マリンバでケルト系ダンス・チューンが演奏されるのを聴くのは初めてかもしれない。こういう柔かい音はケルト系の楽器ではあまり無い。フルートやロウ・ホイッスルも、ソフトに見えて、実はかなりシャープな音だ。マリンバの音の柔かさは格別だ。どこか別の空間で鳴っているようでもある。これが加わると、空間が埋まる。それまで穿いていたとはわからなかった穴が埋まる感じだ。単に密度が高くなるというよりも、カラフルになる。それも多彩な色が常に変化してゆく。

 マリンバ担当はぷうぷうという笛や、カスタネット、あるいはヌンチャクにも似て紐の先の玉が掌に握った玉に当たって音が出るものなど、かなり多彩な各種パーカッションも操って、さらに全体のサウンドがカラフルになる。加えてコーラス、そして1曲《うたう日々》からの曲ではリード・ヴォーカルもとる。現代風な、常世離れした発声で、シンガーとしてもかなり良い。

 チェロは中藤さんの旧友で、これまでも「ゲンまつり」で聞いていた巌さん。ケルト系でチェロは世界的にもまだまだ少ないが、これからかなり面白くなるだろうと期待している。その期待の星の一人だ。チェロが入ると低域が締まるのだが、ベースとは違って、チェロもやはり柔かい。低域が膨らみながら締まる。これがあたしなどにはたまらない快感なのだ。もちろん音が細かく動くダンス・チューンもこなして、tricolor やジョンジョンフェスティバルなどのトリオにチェロが入ったカルテットももっと聴きたくなる。

 ドラムスはハモニカクリームズでおなじみの田中祐司さん。あちらではパワーハウス・ドラミングで猛烈にプッシュするが、ここではこまやかな叩き方で、むしろアクセント的に動く。と思うと、ここぞというところでバーンと底上げする。あらためてすばらしいドラマーではある。かれは鍵盤も巧く、後半冒頭で1曲、ピアノも披露する。

 フィドルは沼下さん。おそらくこうした編成でフィドルの厚みを増すためではあるだろうが、中藤さんとの呼吸もぴたりと合って、複数フィドルのユニゾンの快感を堪能する。

 今回は3人それぞれが今一番やりたいことをやりました、と言うことだが、その点での驚きはまず長尾さんの歌。ここ半年、急に唄いたくなったのでヘタも顧ず、録音してしまい、人前でも唄ってしまった、という。当然まだヘタではあるが、唄いたいという気持ちはかえって直接に伝わってくる。お仕事でやる音楽を否定するつもりはないが、やはりその人がやりたいと心底感じている音楽がそのままストレートに伝わるものこそ最高だと思う。唄は唄いつづけていればうまくなるものだ。唄では一日の長がある中村さんだって、最初の頃はヘタだった。

 中村さんの〈夢のつづき〉はやはり名曲だと昨日も思ったが、それよりも驚いたのは後半のヒップホップだ。プロパーのヒップホップはどうにも聴く気になれないのだが、これはいい。これは音楽の一部として機能している。聴いて楽しい。

 このヒップホップに象徴的に現れていたが、ライヴ全体が新しいことをやろうという実験精神の噴出なのだ。思えばこうした動きは《うたう日々》から表に顕われていて、前作《BIGBAND》で爆発したのだが、それがまた形を変え、よりラディカルになって走りだしたけしきだ。

 やりたいことができるというのは、簡単なことではない。それには実力や運だけでなく、蓄積が必要だ。10年という時間と経験の積み重ねの上に初めて可能になったことは、長尾さんも言っていた。それがここに凄みとなって出ている。そう、すばらしいとか、いいライヴというよりも、最初から最後まで、凄いとしか言いようのないものが漲っていた。

 このバンドもそもそもの初めはこの3人でやりたいというところから出発しているはずだ。初期の頃はしかし意欲よりも、3人がごく自然に集まり、ごく自然に生まれるものをごく自然にやっている気配が濃厚だった。組合せは O'Jizo の豊田さんが中藤さんに入れ換わっただけだが、トリオの性格、めざす所はほとんど対照的だ。O'Jizo はより先鋭的に、演奏と楽曲の質をとことん突き詰めようとする。tricolor はそうした意識的な部分がごく小さい、と見えていた。

 たぶん、今でも意識的に何かをめざしているのではおそらく無い。やりたいことをやるのも、そうすることが今一番自然に感じられるからなのだろう。少なくとも、昨夜の演奏からはそういう感覚が伝わってきた。

 この10年は、わが国のケルト系音楽がほとんど無から現れ、シーンが確立されてきた時期だ。10年前、tricolor、ジョンジョンフェスティバル、O'Jizo、ハモニカクリームズといったバンドがほぼ時を同じくして出現した。それ以前から活躍していた人びとも雑え、またソロでやる人たちもいて、今やあたしなどには天国の日々だ。その中で tricolor は当初むしろ周縁でささやかにやっていたのが、いつの間にかシーンのど真ん中で、新機軸を次々に打出し、全体を引っ張る存在になっている。それも、あたしたち頑張ってます、などというところはカケラも無いままに。

 昨日も、途中で、今日初めて tricolor のライヴを見る方と中藤さんが誘うと、3分の1ほどの手が挙がった。

 10年を記念して新譜を出す一方で、10年前に出したデビュー・アルバム《Vol. 1》も再発している。そう、これを機にあらためて最初から聴き直してみたくもなる。10年で7枚というのは、立派なものだ。こういうところも、このバンドが舞台の真ん中にいることに通じる。録音を出していればいいというものではもちろんないけれど、繰り返し聴ける録音は頼りになるのだ。この上はぜひ10周年記念ライヴのライヴ盤を出してもらいたいと願う。

 前週末からの疲労が尾を引いているところもあったのだが、凄い音楽にずいぶんと元気をもらう。これで当分、やっていけそうだ。(ゆ)

 前回の、ユニットとしては初のライヴは見逃したので、初めてのライヴだ。服部阿裕未、高梨菖子、岡皆実のトリオ。服部さんはヴォーカルとアコーディオン、高梨さんが笛とコンサティーナ、岡さんはブズーキに徹する。むろんすべて生音で、こういうユニットだとホメリの音の良さが活きてくる。岡さんのブズーキは、たとえばきゃめるなどの時よりもずっと抑えた弾き方だが、たっぷりと響いてくる。蛇腹二種の音も、それぞれの特徴がよくわかる。

 こういう時、一番不利なのは声だが、服部さんの歌も明瞭によく聞える。もちろん、脇の二人、あるいはご本人のアコーディオンも、バランスを考えているのだろう。

 先日の O'Jizo のものとはまた対照的に、ここに来る客はミュージシャンの関係者だったり、あたしのようにずっと追っかけをしていたり、ホメリのファンだったり、いずれにしても、リスナーとしては白紙ではない。ミュージシャンの方も、片方では耳の肥えた聞き手を相手にしなくてはならないと同時に、あれこれ気を使う必要もない。歌について、楽器について、あるいは音楽とはまるで関係のない個人的体験について、ざっくばらんに、おしゃべりする。まことにゆるいライヴだ。ライヴというよりも、会場の性格もあって、友人の家のリビングで、一杯やりながら、友だちの演奏を聴いている気分だ。

 このユニットの特色の一つは服部さんの歌にある。歌がメインのユニット、というのはまだわが国では珍しい。ようやくバンドとしての形ができてきました、と後で服部さんは言っていたが、そういう手探りでいろいろ試行錯誤しているのがそのまま出るのを聴くのも、実は楽しいものである。バンドと一緒にこちらも成長してゆくような気分になる。あたしのような老人にとっては、若返った気分にもなる。

 初回を見ていないから比較はできないが、今のこのユニットに最もうまくはまっていたのは、後半の〈Johnny Is Gone for a Soldier〉だった。あたしでも名前がわかるホーンパイプ〈Rights of Man〉ではさみ、歌自体もやや速いミドル・テンポで、闊達に唄う。この歌はお手本にしている PPM のヴァージョンもそうだが、哀しみを前面に出すことが多いのだが、こういう明るい演奏の方が、むしろ歌のリアリティが現れるように思う。

 歌では高梨さんの二つもいい。昨年春、服部、高梨にクボッティが加わったトリオでも唄われて良かった〈春を待つ〉がさらに良くなっている。新曲〈金魚の夢のうた〉もかなりの佳曲。高梨さんにはもっと歌を作って欲しい。

 今回あらためて驚いたのは服部さんのノリの良さである。後で聞いたら、豊田さんからもあなたのノリはまるでアイルランドのネイティヴのものだから、ぜひケイリ・バンドに入ってくれと誘われた由。これはおそらく天性のものなのだろう。誰にでも身につけられるものでもないのかもしれない。演奏技術とは別のことである。前半終り近く、高梨さんがコンサティーナで、蛇腹2台でやったリールのセットがハイライト。難しくて、高梨さんはずっとこればかりコンサティーナで練習していて、昨日のリハでもメロメロだったそうだ。終った時に、高梨さんが思わず「できたー!」と叫んだくらい。テクニックから言えば、もっとずっと巧く弾きこなす人はわが国にもいるだろうが、このノリが出せるかは保証の限りではない。とにかく、聴いていて気分が良くなる。昂揚してくる。これはもう聴いているだけでわかることは、この曲に送られた拍手が一際大きく、長かったことが証ししている。上記ホーンパイプの成功も、おそらくここにある。

 もう1曲、後半の〈Swedish Jig〉もすばらしい。わが国ではまだまだ珍しいアコーディオンということもあるから、服部さんにはどんどんとライヴをやってほしいものだ。

 岡さんは歌伴でも良いセンスを発揮する。背景を提供するというよりも、うたい手に沿って、唄を押し上げる。どこで習ったのか、誰をお手本にしているかは知らないが、やはり御本人も歌が好きなのだろう。その岡さんが、服部さんに唄ってもらいたいと持ち込んだのが、スザンヌ・ヴェガの〈The Queen and the Soldier〉というのだから。あたしはこれは Alyth McCormack で知ったのだが、ダーヴィッシュもやっているそうだ。ここでこういうものが聴けるとは、嬉しい驚き。これも、これからどう育ってゆくか、楽しみである。

 これは良いバンドが現れたものだ。歌好きのあたしとしては、多少時間はかかろうとも、ぜひぜひ大成してもらいたい。やっぱり、歌はええ。(ゆ)

 堪能した。音の良いホールで、アコースティック楽器のアンサンブルを、ほぼ生音に近く、極上の音楽を聴くことの快感を心ゆくまで味わえた。こんな体験は求道会館のヴェーセン以来だ。

 こういう条件が揃ったライヴを聴くと、音楽を良い音で聴くことのありがたさが身に染みる。常日頃は録音をヘッドフォンで聴いているのだが、良い音とはどういうものかの基準を否応なく体験させてもらった。オーディオは錯覚によってファンタジィを作りだすので、おのずから生音とは違ってくる。とはいえ、そこで聞える音が良いかどうかの基準はやはり生音にあるわけで、スタジオのモニターから聞える音では無いはずだ。何かというと「スタジオ・モニター」がもてはやされるのはスピーカーがメインだった昔も、ヘッドフォン、イヤフォンが中心になった今も変わらないが、メーカーもリスナーも、皆さんもっとライヴを、生音を聴くべきだ。

 ライヴの生音といってもいろいろある。電気楽器を使うかアコースティックか、フルオケとトリオ、ヴォーカルの有無、それぞれに異なる。あたしの場合、一番多いのは小編成のアコースティック楽器のヴォーカルも含めたアンサンブル。となると、今回のライヴのような形が理想になる。

 O'Jizo は音楽だけでなく、ライヴそのものの組立ても堂に入ってきた。選曲と構成に非のうちどころが無い。新作からの曲が多いのは当然としても、それだけではないし、テンポの緩急、MC をはさむタイミングがすばらしい。冒頭、新作と同じ曲で始めて、あのトラックのラストの手品を期待していたら、間髪を入れずに次の曲へ移ったのには唸った。ラストはアップテンポでしめくくるのはいわばお約束だが、アンコールに〈ウィステリア〉をもってきたのはまことに粋だ。

 MC はほぼ豊田さんだけだが、これまた巧いものである。アイリッシュ関係ではしゃべり過ぎないことが肝心だが、内容と分量が適切で、話の切り上げもいい。アイリッシュ・ミュージックのマニアが集まるわけではないし、O'Jizo のファンばかりとも限らないこういうオープンな場での聴衆の傾向の把握とそれへの対応がしっかりできている。経験を積んでいるということではあるが、苦労もずいぶんされたことだろう。

 その音楽がまたいい。この点では先日の内藤&城田&高橋トリオから tipsipuca+ へとハシゴしたのと同じく、日曜日のジョン・カーティから O'Jizo への変化がうまく作用してくれた。かれらの音楽がニセモノとかサルマネとかいうことではむろん無い。それはまことに独創的な、このバンドにしか生みだしえないものだし、我々だけに限って通用するものではないことは、アメリカでの成功が一つの証左となる。つまり、ここではアイリッシュ・ミュージックの異質性が O'Jizo の中で醗酵することにより、あたし好みの味になっている。わが国の水でわが国で収獲した小麦でわが国で醸造したギネスがあるとすれば、それが一番近い。

 メロディの捻り、ハーモニーの展開、あるいはビートのアクセントの置き方、どれもいちいちツボにはまってくる。オリジナルももちろんだが、伝統曲を組み合わせるセットの作り方にも、それは現れる。《Via Portland》からの〈Three G〉や、後半でやった新作からの〈Cameronian Highlander〉など、もう、たまりまへん。

 14時開演のアフタヌーン・コンサートというので、あたしもいささかみくびっていたが、蓋を開けてみると、2時間たっぷりのフルのライヴ。いい気分で外に出ると、まだまだ日没までは間があるというのは何となく嬉しいものである。

 この話をいただいた時、平日の昼間でお客さんが来るんですか、と思わず訊き返したら、平日の昼間だからこそ来られるお客さんもいますと言われた、と豊田さんが言う。確かにその通りで、老人などは陽が落ちても外をうろうろするのは嫌だという人も結構いる。シフト制の勤務で、平日が休みという若い人も少なくなかろう。今回はいなかったけれど、子ども連れではやはり夜の外出は難しい。平日の昼間のライヴはもっと増えてほしい。

 ここは長津田駅前の再開発で作られた一角で、駅からはショッピングモールしか見えないので、こんな素敵なホールが陰にあるとは知らなんだ。クラシックの室内楽が多いようだが、これなら、アイリッシュやノルディック、ジャズなどにも良いだろう。(ゆ)

 想像を遙かに超えた音楽だった。

 初めてのライヴだが、国内の初物としては例外的に「予習」を充分に積んでライヴに臨んだ。tricolor の《BIGBAND》ライヴの時よりも聴き込んでいたかもしれない。しかし、そこから想像していたものとはまるで別物の音楽を聴かせてくれたのだ。

 まず驚いたのは、加藤さんの上達ぶりだ。上達と言っては失礼になるかもしれない。テクニックだけではない。音楽家としての器がひとまわりもふたまわりも大きくなっている。加藤さんのそうした変身は『夢十夜』全夜上演の時にも明らかだったが、あの時よりもさらに一段と大きくなっている。もっともあちらはあくまでも朗読がメインだったので、こちらは音楽だけでの勝負ではある。

 それが最も明瞭に現れたのは後半トップの〈鳥の歌〉。テーマでも即興でも、揺るぎのない土台の上に、芯が一本ぴいんと通った美しい音がおおぶりの絵を描いてゆく。太い筆で黒々と一気にしかし悠揚迫らず書いてゆく。音を伸ばす時の響きが微動だにしないままに伸びてゆくその快感! 即興では shezoo さんがかなり煽るのにしっかり応えてゆくが、クラスタの連続になっても乱れている感じがしない。壮大な建築物が構築されてゆくようだ。サキソフォーンという楽器は、なんというか、もっとヤクザな楽器ではなかったか。

 歌のバックをつけるときでは、確固たる存在感がありながら、その存在感によって歌を押し上げる。今回は歌が多かったのだが、そのどれにあっても、シンガーを立てながら、器楽としても存分に唄う。あたしとしては理想に近い。

 その歌がまたすばらしい。Ayuko さんはうたい手としては実に幅の広い人で、それこそ歌であれば、ばりばりのジャズやソウルからど演歌まで唄える、それもそれぞれのスタイルのメリットを充分に活かしながら、なおかつ自分の歌としてうたえる人とみえる。例によって shezoo さんの名曲〈Moons〉も良かったが、その次の〈朧月夜〉にまずノックアウトされる。

 しかし本当の圧巻は後半2曲め〈星めぐりの歌〉とフォークルの〈悲しくてやりきれない〉の連続パンチ。もう何もかも忘れて聴き入る。惹きこまれる。日本語の歌をライヴで聴くことの醍醐味、ここにあり。これは到底コトバにならない。生きててよかった。

 その後のユーミン〈春よ、こい〉もいい。アンコールのクルト・ワイルもいい。もう、この人の唄うものなら何でもいい。何でも聴きましょう、とい気になる。shezoo さんが誘ってくれなければ、この方たちと演ることは無かったと言われるが、まったく、shezoo さんがこのバンドを組んでくれなければ、あたしがこのうたい手の歌に会うことは無かっただろう。いやもう、感謝感謝である。

 パーカッションの立岩さんは、終演後にいろいろお話しさせていただいて楽しく、ザッパの《In New York》が好きとおっしゃるのには嬉しくなった。あたしもあれが一番好きだ。ダラブッカや大型で浅いチューナブルのバゥロン、シンバル、鈴(膝に付けたりもしていた)などを駆使して、ここぞというところに、くぅー、たまらんというアクセントを入れてくる。アンコールでは、バゥロンをブラシで軽く叩くのが粋。今回はどちらかというと押えていたようにも思うが、もう少し広いハコで、存分に「叩きまくる」のを聴いてもみたい。今日は「音や金時」で、パーカッションのソロがあるそうだが、残念ながら、John Carty と重なってしまった。3月の「夜の音楽」はエアジンだから、期待しよう。ゆかぽんともうお一人の打楽器奏者のトリオで、ホメリで演られたこともあるそうで、あそこにゆかぽんがフルサイズのビブラフォンを持ちこんだというのに驚く。また演る計画というから、それは何としても見に行かなければ。それにしても shezoo さんが組むパーカショニストはほんとうに面白い人ばかりだ。

 その shezoo さんは、このバンドではバンマスではなく、一人のメンバーとして対等に参加しているとのことで、ピアノも弾きまくる。とりわけ良かったのは前半最後、〈君の夏のワルツ〉のソロ(ここでは冒頭のシェイクスピア、ソネット第18番の朗読でも、Ayuko さんがメリハリをつけて、朗読と歌の間を綱渡りするのがすばらしい)。即興でもかなり羽目を外し、他のメンバーを煽る。こういう shezoo さんを見て聴くのは楽しい。まあ、たとえば トリニテでこういうことをすれば、おそらくぶちこわしになるだろう。以前はあそこでも shezoo さんにもっと羽目を外してもらいたいと思ったこともあったが、何度かライヴを見ているうちに、そうではないことが腑に落ちてきた。そういう意味では、来月のエアジンでの「七つの月」の時に、それぞれの組合せで shezoo さんがどう変貌するのかも見てみたいものの一つではある。

 ヴォーカル以外はすべて生音。こういうところも小さいハコならでは。極上と食べたミュージシャンが口を揃えるピザはお腹いっぱいで食べられなかったし、座るところに迷ったりもしたが、音楽はもうちょっとこれ以上のものはなかなか無い。今年のベスト・ワンは決まった、とはまだ言わないが、5本の指には充分入ってくるだろう。3月のエアジンが実に楽しみだ。

 ここも駅からはほど近く、吉祥寺という街はこういう店を(あたしには)隠していて、あなどれない。(ゆ)

夜の音楽
Ayuko: vocals
加藤里志: saxophones
立岩潤三: percussion
shezoo: piano
 

 昨年秋に出した新作《Storyteller》の10月のレコ発では熊谷さんが持病の腰痛の発作で急遽欠席。トリオでのライヴとなり、それはそれでこんなことでもなければ見られない貴重な体験ではあった。

 熊谷さんはその後、良い整体師と巡り会い、簡単ながら効果抜群の「体操」を教授されてすっかり回復。以前よりもずっと調子が良くなったそうな。そこでこのリベンジ、二度目のレコ発とはあいなった。先日のきゃめると同じく、tipsipuca+ 初体験のお客さんも多いが、皆さん、これでファンになったことだろう。

 冒頭、《Growing》のタイトル曲。ギター、ロウ・ホイッスル、フィドル、パーカッションによるこの曲が始まってしばらくして、自分が感動しているのに気がついた。録音でもライヴでももう何度も聴いていて、良い曲ではあるが、どこかほっとした、緊張していたのが抜けていくような感動だ。

 このほっとした感覚、どこかいるべきところに戻ってきた感覚はその後も続く。〈眠る前の話〉のような、ハーディングフェーレの曲でも変わらない。というよりもこの曲にいたって、そのよってきたるところがぼんやり見えてきた。この曲は担当楽器もあって北欧ベースと思っていたし、実際そういう狙いもあるはずだが、それがいかにも日本的なメロディであることに気がついたのである。

 次の〈長崎のモナハンさん〉で、ことはほぼ決定的になった。これは〈Miss Monahan〉に長崎の〈でんでんりゅうば〉を組み合わせている。こういう組合せはこのバンドのウリのひとつではある。

 レパートリィのほとんどは高梨さんのオリジナルだ。フォームはジグやリールやポルカといったアイリッシュのダンス・チューンのものを借りているし、メロディ・ラインや音階のような構造もアイリッシュをエミュレートしている。しかし、作曲者は日本語ネイティヴであって、曲に込められた感性、感覚はアイリッシュのものではなく、日本語のものだ。あたしも日本語ネイティヴであって、ほっとしたというのは音楽の日本語的要素に対してなのだ、きっと。これはいわばアイルランドで栽培された米とアイルランドの水で仕込まれた日本酒に近い。それを邪道として排除するか、それも面白いではないか、と愉しむか。あたしは飲んでみて旨ければよしとする。

 アイルランドのネイティヴがやったってダメなアイリッシュ・ミュージックは存在する。録音になるのはフィルターがかかるから滅多に無いが、それでも皆無ではないし、アイルランドのネイティヴが全員音楽の天才なんてことはありえない。ダメなものはダメなのだ。

 昼間の3人の音楽は、アイリッシュ・ミュージックとしておそろしく質の高い演奏であって、アイルランドのネイティヴのトップ・クラスと肩を並べる。内藤さんや城田さんがよく一緒に演っているフランキィ・ギャヴィンやパディ・キーナンのレベルだ。だからあれはあたしにとって異文化になりうる。

 tipsipuca+ の音楽はその意味では異文化ではない。日本語ネイティヴによる日本語の音楽だ。アイリッシュ・ミュージックのフォームと構造を借りた、日本語のソウル・ミュージックなのだ。あたしは演歌などよりも遙かにこの音楽に日本語のソウルを感じる、というだけのことだ。

 それが最も端的に、圧倒的な形で現れたのが、ゲストの Azumahitomi さんがご自分で詞をつけた〈とりとめのない話〉だった。正月に豆のっぽと共演したさいとうともこさんがスウェーデン語の歌詞のついた〈Josephine's Waltz〉を唄ったのにも感動したが、こちらは日本語の歌詞だけに、そしてその歌詞の内容に、さらに感動が大きい。tipsipuca+ 版のこの曲はギターとパーカッションがドライヴするアップテンポな解釈でほとんど別の曲の趣だが、歌詞がつくと、あらためて名曲度が増すのは〈Josephine's Waltz〉と同じだ。

 Azuma さんはシンセサイザーの名手でもあって、アナログ・シンセを持ち込み、次の〈鮭の神話〉に乱入する。いやあ、面白い。楽しい。ご本人も楽しかったらしく、tipsipuca+ のこの後のツアーに同行したいと言い出し、その場で決まってしまった。

 熊谷さんが入ったバンドを聴くと、やはりこちらがこのバンドの本来の姿だと思う。ダイナミクスの次元が違う。ラスト近く〈肴ジグ〉でのサイドドラムのヘリ打ちなど、熊谷さんがいることのありがたさが身に沁みる。この人はドラム・キット中心ではあるが、細かい鳴り物を入れるのも得意で、これがまた曲をふくらませる。

 それにアニーのギターがリズム・カッティングから解放されて、フィドルとメロディをユニゾンしたり、上記〈肴ジグ〉では、コード・ストロークでもフィンガーピッキングでもない、よくわからないがとても面白い音で裏メロをつけたりもする。音楽が全体として立体的に、そして内部もより緻密になる。

 それにしても Azuma さんとの組合せはすばらしい。シンガーとしての Azuma さんは力いっぱい拳を握るところと、ふわあと抜くところの出し入れが巧く、すばらしいソウル・シンガーだ。こういう人がこういうアンサンブルでこういう歌をうたうのはもっともっと聴きたい。録音でも聴きたい。

 ダブル・ヘッダーはもともと厳しいが、今回は全く対照的で、しかもどちらもとても良い音楽を堪能させてくれて、正直、へとへとになった。しかし、こうして続けて体験することで、あらためて見えたことは、あたしにとってはかなり重要なことでもある。これだからライヴ通いはやめられない。(ゆ)


Storyteller
tipsipuca ティプシプーカ
ロイシンダフプロダクション
2018-09-23



Growing グロウイング
tipsipuca ティプシプーカ
ロイシンダフプロダクション
2015-07-19


 相変らず高い水準で安定している。それでも、ライヴの度に新たな面を見せてくれるのが彼女たちの楽しいところだ。今回のテーマはテンポ。同じ曲をテンポを変えて、たいていははじめゆっくりと、次に速い、いわば本来の速さでやる。これが面白い。テンポによって曲の感じががらりと変わる。

 それが最も顕著に出たのは成田さんの〈Smoky Leaf〉。佳曲だが、これはまだ録音がなく、ライヴでしか聴けない。先日の豆のっぽでもやっていたが、カルテットでゆっくりやると、どこか神秘的な、謎めいたけしきが出る。不気味な味わいと言ってもいい。この味わいは、これまでのきゃめるには無いもので、あるいは案外、本質のところに根差すかもしれない。本人たちも意識してはいないキャラクターだ。ところが、後半、速く演奏されると、その味わいが消えて、フツーの曲になる。フツーといっても、きゃめるなりにフツーなので、この曲はハイライト。

 やはりテンポが変わって面白かったのが、アンコール。前半のスローなところでのバゥロンがかなり良い。もう一つが〈Northern Lights Set〉で、はじめスローでやり、後半速くなる。その変わり目のところにブレイクを入れたのは工夫。

 そして3曲目で〈Butterfly〉をゆっくり演ったのも新鮮だ。

 テンポというよりもビートだが、冒頭〈高知の正月〉と最後のアンコールその2〈そして終電〉 b パートのシンコペーションは快感だった。

 もう一つ、愉しかったのが、クラシックのバロックの風味を感じたこと。2曲目の〈乾杯ポルカ〉の a と c のパート、それにアンコールその2の〈そして終電〉の a パート。彼女たちはもともとはクラシックの訓練を受けてはいるが、それとのつながりではないようにも思える。どちらかといえば、むしろカロラン経由ではなかろうか。

 会場は渋谷の再開発の一環で、宮下公園と明治通りをはさんだ反対側に新たにできた複合ビルの1階のカフェ。こういう所はライヴになるとテーブルを片付けるところが多いが、今回は普段のままのゆったりとした席の配置だったのは、ありがたかった。半分強がきゃめるのライヴ初体験だったのは、先日の酒井さんの結婚披露フェスのおかげかな。

 今年はきゃめる十周年で、さてこれからどんな音楽を聴かせてくれるか。(ゆ)

Wonder Garden
きゃめる
ロイシンダフプロダクション
2017-07-23


 当然のことながら、2日連続の2日めは前日とはまったく形を変えてきた。まずドラムス、パーカッションの田嶋ともすけ、バンジョーの高橋創の両氏がサポートで加わる。楽器はすべてPAを通す。ステージ上にユニークな装飾を施す。そしてスペシャル・ゲスト。前日が、会場の性格を活かし、いわば「すっぴんで勝負」だったとすれば、この日は年に一度のお祭りだ。

 田嶋さんの演奏を見るのは実に久しぶりだが、大きく成長している。テクニックもだが、音がよく太り、そして強い芯がぴんと通っている。これはJJFはもちろん、もっといろいろな組合せで見たい。

 高橋さんのバンジョーは、水を得た魚のよう、というのはこういうことをさすのだろう。じょんのフィドルの弦が切れてやりきれなかったのでと言って第2部で再演したチューンでのフィドルとの「バトル」はもちろんだが、その他でもいたるところでバンジョーが入るのが、曲を立体化し、全体の演奏を豊饒にしていた。必ずしも伝統に固執せず、結構即興で自由に弾くのも楽しい。これまでわが国には本格的なアイリッシュ・バンジョー・プレーヤーがいなかったこともあるが、バンジョーがアンサンブルの中でこれほど新鮮に響くのは珍しくも嬉しい。高橋さんにはぜひバンジョー・アルバムを出していただきたい。

 トクマルシューゴ氏はあえて何も聴かずに臨んだ。海外からデビューしたのも、JJFと一緒にやろうというのも面白い。〈藤色の夜明け〉も〈サリー・ガリー〉も、異質の音楽が出逢う面白さがいっぱいだ。もともと器楽曲に歌を持ち込む、それも伝統的なものではなく、ポップスを持ち込むのが、こんなにスリリングになるとは、確かに予想外だった。この形はもっといろいろな曲で試してもいいんじゃないか。というよりも、聴いてみたい。

 けれどもまったく意表を突かれたのは、まずトクマル氏自身の曲で、ここではJJFがまるでもう何十年も一緒にやっているように聞えた。そしてアンコールの〈海へ〉。この1曲のためだけでも、今日来た甲斐はあった、と思えた。なんといってもトクマル氏の歌唱だ。一級のうたい手によって唄われると、まるで本人のオリジナルに聞える。トシさんもじょんもアニーも、グレイトフル・デッドのジェリィ・ガルシアのように、うたい手として一級ではないが、味のある唄を聴かせるうたい手なのだ。それがJJFのウリでもある。しかし、一級のうたい手によって唄われる〈海へ〉は、まったく新しい様相を見せる。もともと良い歌だと思ってはいたが、ここまで良い歌だとはまるで思いがけなかった。

 とはいうものの、なのである。あたしが一番感銘を受けたのは第2部冒頭、3人だけで演った2つのチューンのセットだった。3人とも座り、両側の二人は向き合う。最初はスコットランド、2番めはアイルランドの曲を組み合わせたもの。ごくありふれた、と言うと語弊があろうか。曲そのものは選びぬかれてもいるし、アレンジも凡庸からは程遠いが、表面的にはギミックも派手なところもない、アイリッシュやスコティッシュのダンス・チューンのどこにでもありそうな演奏だ。なんでもない曲をさりげなく演る。それでいて聞えてくる音楽は極上。まさに、今、ここでしか聴けない。ああ、もう他に何も要らない。良い音楽に浸って、幸福感がふつふつと湧いてくる。バンドの実力はこういうところに出る。

 冒頭、じょんのフィドルのマイクの調子が悪く、スタートが遅れ、さらに2曲めの途中でフィドルの弦が切れた。これもまたライヴというものだ。何が起きるかわからない。演奏者だって常にベストの状態で演奏しているわけではない。今回はたまたま切れてしまったから、かえって弦を貼りかえるしかなくなった。たとえば、切れそうなことに気がついて、これをかばいながら最後まで演る、ということもありえるはずだ。

 そういうハプニングや事故があるからライヴは面白いのだ。演奏する側の条件、聴くこちら側の体や心の調子、会場の状態、すべてが最高にどんぴしゃに合うことなど、むしろ稀だろう。一度交換した弦の調子が悪く、お客として来ていたベチコさんが渋谷の楽器店に弦を買いに走ることになった。こんなことは、他のコンサートなどではありえないだろうが、それもライヴの忘れられない記憶の一部になってしまうのがアイリッシュのゆるさではある。

 ステージ上の装飾は天然の素材を使いながら、シュールリアリスティックな要素も盛り込んだもので、これまたJJFの世界にふさわしい。トシさんの上に、円錐の下に房がたくさん垂れた形に藁を編んだと見えるものが下がっていた。立ち上がったとき、トシさんがこの中に頭を入れてバゥロンやタンバリンを叩くのが、さらにシュールな世界を生んでいた。なんか夢に出てきそうでもある。

 年が暮れるまでにはまだ何本かライヴに行くことにしているが、今年のライヴはやはりこれで締めくくり、という想いが帰り道に湧いてきた。すばらしいライヴをたくさん見られたし、おかげでこのクソッタレな世界でなんとか生き延びられ、どうやら年も越せそうだ。その2018年の掉尾を飾るのはこの2日間の饗宴ではある。アイリッシュをベースとして、そこから生まれる音楽の様々な相をたっぷりと味わうこともできた。これを可能にしてくれたミュージシャン、スタッフ、関係者の皆さんに、最大の感謝を捧げる。

 いやさ、ほんとに、いいライヴだったあよ。(ゆ)

 久しぶりに見るジョンジョンフェスティバルはまた一回り大きくなっていた。かれらのような確立しているバンドに成長というのはどうもふさわしくない気もするけれども、その変化の質には成長とどうしても呼びたくなるところがある。

 個々のメンバーのライヴは見ている。アニーはつい先日も O'Jizo で見たし、toricolor でも、セツメロゥズでも、あるいは福江元太さんとの組合せでも、さらにはソロでも見ている。トシさんとじょんは、これもつい先日、高橋創さんとのトリオを見た。このトリオのことを思い出して、その時にトシさんが「今日はバンドでもないので」と言ったことの意味が、ようやく腑に落ちた。

 メンバーが一人入れ替わるだけで、まったく別の存在になるのは、セツメロゥズとキタカラの違いでも実感していた。けれどもバンドであるかないかはまた次元が異なってくる、と昨日のジョンジョンフェスティバルを見るとわかる。つまりはメンバー間の結びつきの緊密さがまるで違う。それが最も鮮明に聞えたのは6曲めの〈Dear Gordon〉だ。

 このバンドのウリの一つはダイナミズムだ。テンポの速い遅い、音量の大小、音質の軽い重いの対照にメリハリをつけ、より明瞭に提示、展開することで楽曲に備わる魅力をとことん引き出す。これは本来アイリッシュをはじめとするケルト系の伝統音楽、というよりもヨーロッパの伝統音楽ではもともとはほとんど見られない。かれらの独自の工夫である。しかもそれを一つの流れとして、無理のない形で見せる。様々な要素の大きな変化が自然に聞えるような楽曲を選び、順番を考え、アレンジを施す。大音量でトップスピードで疾走していたのがすっとゆっくりに、小さな音になっても、唐突に聞えないようにしている。これが広く訴える力を発揮するのは、一昨年、カナダの Celtic Connections で大喝采を受けたことでもよくわかる。

 今年はオーストラリアをツアーして、同様の反応を引き起こしたそうだが、一方で、地元とは異なる嗜好をもつ人びとを相手にすれば、同じことを繰り返しているわけにもいかない。それに、やはり演っている方もつまらないだろう。そうしたツアーを重ねるところで、JJF流も進化・深化していったにちがいない。

 その成長を子細に分析するのは他にまかせたいが、ひとつ言えるのは、ダイナミズムのレベルが複相になっていることだ。これまでは対照の軸の方向は様々でも、軸に沿っての変化はシンプルだった。たとえば音が大きいか小さいかの変化であったものが、その中でさらにもう一段の変化が起きる。どう変化しているかを細かく聞き取るのは、昨日の録音から作られるというライヴ・アルバムを待ちたいけれども、そこで生まれる効果、音楽の姿は魔法に近い。

 あたしがハマりこんでいるグレイトフル・デッドのライヴでは、ある曲から次の曲へ途切れ無しにぱっと移ることをよくやる。よくやる、というよりもそれが普通だ。時にはまるで正反対の性格の曲に、一瞬で切り替わる。決めていたわけではない。デッドはライヴにあたってセット・リストを作らなかった。何をやるか、ステージの上で、その場で、即席で決めていた。それでいて、綿密な打合せでもしてあったかのように、スムーズに移ってゆく。その様子は魔法かテレパシーにしか見えない。

 JJFの場合には、まだそこまで行ってはいないだろう。つまり、まったくの即興で、その場で次の曲を決めてゆくことはしていないだろう。けれども、聞えている音楽、それを聴く体験としてはきわめて近い。

 全体としては、アレンジがより肌理細かく、シャープに聞える。それを可能にするテクニックも、個人としても、ユニットとしても上がっている。個人としてのテクニックの上達が最も明瞭に顕れたのはトシさんのバゥロン・ソロで、いつものほほんとした顔をしていながら、ここまで上達するには日頃よほど精進しているんだなあ、と感心してしまった。やっていることはむしろシンプルで、バゥロン・ソロではよくあるように可能なかぎり多彩な音をいかに組み合わせるかではなく、とんでもなく細かく、しかも底の硬い音を連ねてゆくのが説得力を生んでいる。

 アニーも随所で速いチューンをギターでフィドルとユニゾンする。ギターがユニゾンするのは実にスリリングだ。回数から言えば、今年一番多く見たのはアニーの出るライヴだった気もするが、見るたびに巧くなっているようにすら思える。

 そういう点ではもともと高いレベルだったじょんのフィドルは、上達の度合いがはっきりわからないのは不利かもしれないが、ゆったりと音を延ばすときの響きが一段と豊かに、広がりをもって聞える。昨日は増幅をできるだけ抑えて、生音に近い音だったから、なおさらたっぷりと響いた。

 3曲の歌もそれぞれに良い。じょんが思いきりコブシを回す〈思いいづれば〉、リードを交替し、ハーモニーを効かせる〈海へ〉は、それぞれにハイライト。

 休憩なしの90分一本勝負。求道会館という会場のもつ音響、雰囲気もあって、他とは一線を画し、一頭地を抜いた体験。グレイトフル・デッドのライヴ、コンサートはなぜか「ショウ」と呼ばれるのだが、尊敬の意味も込めて「今年最高のショウ」と呼びたい。さて、今日の二日目はどうなるか。(ゆ)

 アコーディオン奏者の coba が主催し、2002年から2022年までかけて蛇腹楽器誕生200周年を祝うという企画の17回目。coba の音楽を聴くのはもちろん、ライヴも初体験。これだけの企画を17年間続けていることにまず感服。

 出演者は全員が3曲または15分の割当。これは coba 自身も例外ではない。最初の出番の者だけ3曲で、最後に coba が30分なり1時間なり演るのだろうと思っていたら、どの出番もみな3曲なのには正直驚いた。この企画はフェスティヴァルであるとともにショウケースでもある。蛇腹楽器の多様性を具体的に示そうとしている。

 あたしがこれを見に行ったのはひとえに tipsipuca+生梅と内藤希花さんが出るからだった。

 tipsipuca+生梅という組合せは、その編成を聞いただけで見たくなった。中原直生さんの演奏を見るのも久しぶりだ。なんとトップバッターで出てくる。アニーが不在の5人編成。これがなかなか聴かせる。蛇腹楽器の祭典ということで、高梨さんはコンサティーナ。前後をリールのメドレーではさんで、真ん中の〈Fanny Power; しゃぼん玉〉がミソ。どの曲も例によって秀逸なアレンジで、音楽に幅が出る。楽器がぶつからない。生梅が加わるのが、単純にプラスになる。それに生梅はやはり強力だ。中原さんは二人目のお子さんがまだ小さいので、出番がすむとすぐ帰った由。かれらが先頭になったのにはそれもあったのかもしれない。

 次はメグリという若い女性2人のアコーディオン・デュオ。衣裳にも凝ったヴィジュアル系というところだが、演奏はなかなかどうして堂に入ったもので、タンゴをベースとしたオリジナルを演る。音域が低めの鍵盤と高めのボタンの2種類の大型アコーディオン。アイリッシュのアコーディオンを見慣れた目には、この日出たアコーディオンはどれも大きく、重そうに見える。coba 自身、年をとって楽器を重く感じるようになったと白状する。しかし座る者は誰もいない。この若い女性2人も立ったまま、それもハイヒールでやっている。ラストで舞台前面に大型のアコーディオンが6台、ずらりと並ぶのは壮観だ。

 3番目が内藤さん。独りで出るのかと思ったら、城田じゅんじさんと鍵盤奏者を従えてのトリオ。2曲をまずコンサティーナで演る。ジョセフィン・マーシュの曲。ぴろりぴろりというフレーズが印象的なあれだ。2曲が〈Hector the Hero〉からフィル・カニンガムの曲へのメドレーで、カニンガムの曲は難曲をあざやかに弾きこなして、会場から喝采が湧く。しかし、個人的には最後、coba さんから許しが出たのでと言って弾いた3曲めのフィドルに驚倒してしまう。〈Leaving Brittany〉からスコティッシュへのメドレー。内藤さんの生を見るのも久しぶりで、こんなになっていようとは。音楽家としての格が違うのだ。MCはいつもの内藤さんだが、音楽は堂々たるもので、フランキィ・ギャヴィンの後を見事に継いでいる。この格に匹敵していたのは、この日他には coba だけだった。

 こういう大きな、といってもそれほど大きいわけではないが、いつも彼女のライヴを見るのは、精々30人ほどの小さなところで、至近距離だから、それに比べれば遙かに大きい空間で、本格的なPAが入って聴くのはほとんど初めてということもある。こういうところで聴いて初めてわかる実力というものがあるのだ。これならば、もっとずっと大きなハコ、たとえばダブリンのナショナル・コンサート・ホールで見てみたい。トリフォニーの大ホールで、マレード・ニ・ウィニーと並んでも遜色ないだろう。

 これの後に出る人はかわいそうだと思ったら、主催者もわかっていたのだろう、次は毎年出ているというコミック・バンド、ボカスカジャン。トリオの1人が不在とのことで coba が代役で入ってコバスカジャン。脚が震えたと後で言っていたが、どうしてどうして、立派なもの。大いに笑わせて休憩。

 後半のトップは Tellers Caravan。左からホィッスルとクラリネットの持ち替え、ヴァイオリン、ダブル・ベース、アコーディオン、ギター。左の2人が女性、他は男性。これに朗読およびアナウンスの女性が声だけで出る。この声が場を設定し、それにふさわしいオリジナルの音楽をバンドが演奏する。後でサイトを見ると昨年結成。アルバムが1枚ある。皆まだ若い。たぶん30前後。いずれも達者で、少なくとも女性2人とアコーディオンはクラシックの訓練を受けているだろう。楽曲も面白い。3曲めは小人たちのダンス・チューンだったが、クラシックの作曲家が作る感じの曲。ケルトのダンス・チューンに慣れた耳には、ドイツのどこかの曲に聞える。悪くはないが、ビートの感覚が半歩遅れる。

 次は漫才のおしどり。昨年の「みわぞう祭り」で初めて見て感服した。今回も短かいながら、切れ味のいいギャグを連発。マコさんは達者なアコーディオンも披露する。

 大トリ前のトリは、どうやら coba の御弟子さんらしい杉山卓という若いアコーディオニスト。Bellow Lovers Night 第1回では高校生として客席最前列にいたと言う。ギターとベースのトリオでオリジナルをやる。巧いし、曲も悪くないし、どこといって欠点も見当らないが、うーん、あたしには今一つピンとこない。もう一つ突き抜けたところが欲しい。むしろ、まだ20歳というベーシストに光るものがある。

 coba は1人で登場し、なんとカラオケをバックにアコーディオンを弾きまくる。カラオケであるからには、録音からそんなに離れるわけにはいかないが、それをあたかも即興のように聴かせてしまう。自分の名前で客が集まっている以上、出ないわけにはいかないが、しかし本音は、自分は舞台の袖でにやにやしながらみんなを見ていたい、というところか。とはいえ、これならやはり一度はきちんとバンドをしたがえたライヴを見る価値はある。

 最後はほぼ全員が揃っての大合奏。1曲めの〈To The Moon〉ではハープとヴァイオリンを活かしたアレンジ。もう1曲はいつもやっている曲だそうで、リズム・セクションも含めて全員に1小節ずつソロを回す。ちゃんと気配りしている。熊谷さんが大活躍。腰はすっかり良いそうで、むしろ前より調子が良いらしい。年明けのtipsipuca+レコ発のリベンジが楽しみだ。そういえば、来年の Vol. 18 にはセツメロゥズで出るのだろうか。ここで田中千尋さんのアコーディオンが聴けるとすれば面白いだろう。

 客席は珍しくも幅の広い老若男女。若い男もたくさんいるのは coba の人徳だろうか。メグリのファンか。これなら午後から一組30分ぐらいずつ、たっぷり聴きたいとも思うし、それなら1万くらい出してもいいが、それは最後の2022年のときだろうか。それまでは生き延びて、ともに祝いたいものではある。空には半月とオリオンとシリウス。(ゆ)

 見るたびに成長している。それも前が未熟で、より成長したというわけではない。見るたびに、立派なものだと思いながら、次にはまた前よりも成長していると感じる。延びしろがある、ということなのだろうが、ことはそう簡単ではなかろう。

 もちろん経験を積むとはそういうことだ。実力は変わらなくても、経験を積むことで出てくるものは違ってくる。とすれば、経験もまた実力のうちではある。環境は異なるし、音楽演奏にとって必ずしもベストのものでないにしても、定期的に「ダブリナーズ」でライヴを続けていることは、目立たないところで蓄積されているにちがいない。

 まずはとにかくバランスがいい。ホメリは原則生音であるわけだが、過去にはブズーキに小さなアンプを使っていたこともある。それがまったく何の増幅もしないまま、どんぴしゃのバランスなのだ。4人の音がそれぞれ鮮明に、そしてアンサンブルとして聞える。

 話を聞くとまずは楽器。岡さんのブズーキはアイルランドのジョー・フォーリィ製で、以前使っていたものよりも大型で、鳴りも響きもまるで違うそうだ。これを初めて使われたのは神保町の楽屋の時だったと記憶するが、その時は一応アンプを通していたから、それほど大きな衝撃ではなかった。今回はアンサンブルの中の生音が気持よい。後半の〈春風の祝福〉ではフィンガーピッキングも綺麗だ。

 もう一つはバゥロンの奏法。成田さんはやはり意識している由だが、音量を絞ってもしっかりと聞える叩き方を身につけている。どういうコツなのかまでは訊くのを忘れたが、おそらく音をよりシャープに、力を入れずに鋭く音を出している。

 ホメリはもともと生楽器の音がよく響くところだが、4人のアンサンブルがこんなに気持ち良く楽しめたのは初めてだと思う。

 楽曲も新鮮だ。新曲もあれば、他の編成でやっているものを持ちこむのもある。後半の〈Smokey Leaf〉がハイライト。この曲は笛の難易度が相当に高いが、もちろん難しくすることが目的ではなく、楽器の特性を引き出し、聴いて楽しい曲にしようとして結果としてそうなっている。それにしても、これはいい曲だ。

 いい曲が今回はとりわけ多い気もする。冒頭〈君とサンドイッチ〉の3曲め、後半冒頭のホーンパイプ〈月夜の散歩道〉、そしてアンコールの〈Summer Party〉がとりわけ印象に残る。

 〈始まりの街〉の3曲めで高梨さんと酒井さんが遊ぶところ、後半の〈Carry On〉で酒井さんがジャズにゆくところも、このバンドの面白いところではある。

 きゃめるも来年結成十周年で、記念の計画をたてているそうだ。ライヴ録音を出すのはいかが。総決算にも、次の十年への布石にもなると思うが。

 久しぶりにホメリ名物のサンドイッチも食べられて、いや、何もかも美味しゅうございました。(ゆ)


Wonder Garden
きゃめる
ロイシンダフプロダクション
2017-07-23


 デ・ダナンの創設メンバーであり、アイリッシュ・ミュージックにブズーキを導入した張本人の一人、そして、デ・ダナンのアルバム・ジャケットも手掛けたアーティストでもあったアレック・フィンが74歳で亡くなった、とのニュースが入ってきました。つい先月、フランキィ・ゲイヴィンとの40年ぶりのデュエット・アルバムを出したばかりでした。

 デ・ダナンはプランクシティ、ボシィ・バンドに続いて、ほぼ時を同じくして現われました。この二つがかなりきっちりとアレンジした音楽をつくっていったのに対し、デ・ダナンはコネマラの入口スピッダルの町のバブでのセッションから、いわば自然発生的に生まれ、セッションの雰囲気を濃厚に残した、ややルーズなスタイルの音楽を作りました。フランキィ・ギャヴィンのフィドル、チャーリー・ピゴットのバンジョー、ジョニィ・リンゴ・マクドノーのバゥロンを柱にして、地に足の着いたドライヴが効いた、ユーモラスな味わいが身上でした。そのアンサンブルを裏で支えていたのが、アレック・フィンのブズーキです。

 かれのブズーキはギリシャ伝来のラウンドバック、複弦3コースのもので、アンディ・アーヴァインやドーナル・ラニィたちが改造・発展させたフラットバック、4コースの、後に「アイリッシュ・ブズーキ」と呼ばれたものとは異なります。

 またアレック・フィンはほとんどストロークをせず、メインのメロディの裏でピッキングをつけるのが基本です。カウンター・メロディやハーモニーに近いのですが、明瞭にそういうものというよりは、曲を推進するような作用をします。まったく独自のスタイルで、フォロワーと言える人もほとんどいません。

 このブズーキがフロントのユニゾンのつんのめりを引きとめて、ゆったりと聞えるようなタメを生んでいます。デ・ダナンの音楽の「ゆるさ」の源泉はここにあるとぼくは思っています。

 アレック・フィンはまたすばらしいグラフィック・アーティストでもあり、そのおかげでデ・ダナンのアルバム・ジャケットは同時代のアイリッシュ・ミュージックのアルバムの中でかけ離れて質の高いものになりました。たとえば3枚目《Mist Covered Mountain》の、若冲を髣髴とさせる鳥の群像には、初めて手にしたとき息を呑みましたし、アイリッシュ・ミュージックのアルバム・ジャケットとして歴代ベストの一つであります。

 リアム・オ・フリン、トミィ・ピープルズに続いて、1970年代半ばにこんにちのモダンなアイリッシュ・ミュージックを生み出していったアイルランド・フォーク・リヴァイヴァルの第一世代の一人を、今年失ったことになります。そういう時期に来ていることをあらためて思い知らされます。アイリッシュ・ミュージックは着実に新たな時期に入ろうとしています。

 追悼の意味もこめて、デ・ダナン初期の傑作アルバムがCD化されますように。とまれ、アレック・フィンの冥福を祈るものです。合掌。(ゆ)

 新作《Storyteller》レコ発、なのだが、パーカッションの熊谷さんが持病の腰痛の発作勃発で涙の欠席。急遽トリオという形になる。とはいえ、高梨さんも言うように、そこがアイリッシュの柔軟なところで、どんな形でもできてしまう。ギターの音をやや大きめにとって、打楽器の欠如をまるで感じさせない。初めて見る人はこういうバンドだと思うだろう。

 初っ端、あたしの大好きな〈北海道リール〉から始まるので、嬉しくなる。つくづくこれは名曲だ、と聴くたびに思う。とりわけ b. の〈牡蠣〉から c. の〈帆立〉への流れ。くー、たまりまへん。

 次の〈かぼちゃごろごろ〉のホーンパイプになる後半がいい。中村さんのギターのカッティングが冴えて、曲全体がスイングする。次の〈鮭の神話〉の c. の変拍子もそうだが、バンド全体としてのリズム感覚が一皮も二皮も剥けている。それが決定的になったのは、前半最後の〈とりとめのない話〉。新作では冒頭に置かれて、いきなりのノックアウト・パンチになっているテンポを上げたヴァージョン。これあ、すげえ。

 アンサンブルの安定感もぐんと増している。こちらでは高梨さんのコンサティーナの進境が大きい。もうセカンド楽器とかいうレベルは完全に脱けている。11月には tipsipuca と生梅という組合せで、横浜・赤レンガ倉庫の Bellows Lovers Night に出るそうだが、パイプの鞴だけでなく、このコンサティーナも大いに活躍するにちがいない。新作からの〈Genghis Khan's Polka〉の躍動感はハイライトのひとつ。

 酒井さんのハーダンガー・フェレもいよいよ味が出てきた。こちらは後半冒頭に高梨さんのロゥホィッスルとデュオでノーPAでやった新作からの〈むかしばなし〉にまず陶然となる。が、後半も終り近くの〈眠る前の話〉での、半音下げたチューニングの響きには、異界に連れてゆかれる想いがわいてくる。後で訊くと、チューニングそのものは前の曲と同じらしいが、半音下げただけで、なんともいえぬふくよかさが出る。

 高梨さんの MC も絶好調で、直前の北海道ツアーでのごちそうの数々をいかにも旨そうに話す。聞いていると、北海道は風景もさることながら、食べ物が抜群に旨そうだ。あたしは札幌のビール園ぐらいしか知らないが、確かにあそこで飲むビールは他のどこにもない旨さがあるし、ジンギスカンも絶品ではある。知床の帆立は食べてみたいぞ。もっとも、鹿肉は食べなかったらしい。

 熊谷さんの欠席は残念だが、おかげでおそらく滅多にないトリオで見られたのは収獲。熊谷さんが復帰してのリベンジ・ライヴも来年には見られるだろう。新作を聴くにつけ、そちらはまたたいへん楽しみ。

 それにしてもこの新作には喜ぶ。国内の録音は、今年も昨年に輪をかけて豊作だ。(ゆ)


Storyteller
tipsipuca ティプシプーカ
ロイシンダフプロダクション
2018-09-23


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