クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:バーンズ

    本日14時予定で配信しました。未着のかたはご一報ください。


    本文から溢れた記事ひとつ。

●スコットランド新譜 (Scottish n)
    スコットランドの Foot Stompin' Records の新譜情報です。

*《The Bonnie Blue》The Corries
ベテラン・デュオによるライヴ録音。愛国歌とコミック・ソングが持ち味。

*《Shouts》Gary Innes & Ewan Robertson
アコーディオンのゲイリィ・イネスが、BBC Radio Scotland Young
Traditional Musician 2008 受賞のギタリスト/シンガー Ewan Robertson と
組んだセカンド。

*《Only Time Can Tell》Sandy Marshall
'Sannock' としても知られるパースシャ出身のシンガー・ソング・ライター。
「シャノック」はスコットランド語でサンディの古称。

*《In Northern Towns Like These》David Heavenor
エディンバラのシンガー・ソング・ライター。

*《THER WAS A LAD: Songs Of Burns》Various Artists (CD)
バーンズ生誕250周年記念オムニバス。収録曲からすると再録かも。収録ミュー
ジシャンは Old Blind Dogs, Steam Jenny, Kingdom, Borealis, Iron Horse,
The Hudson Swan Band, Gaberlunzie and Canterach など。

*《BURNS AN' A' THAT》 (DVD) Scottish Fiddle Orchestra
バーンズの生涯を音楽とナレーションで描いたカンタータ〈Til A'the Seas
Gang Dry〉と序曲として〈Tam O' Shanter & Cutty Sark〉を収録。

Complete Songs of Robert Burns Linn Records の《THE COMPLETE SONGS》によるロバート・バーンズのうた探訪、その10。第5集 (1998) 収録。シンガーは Ian F Benzie。

バーンズ自身はこのうたをベストの作品と考えていて、何度も推敲した後が残っていて、ここにおちつくまでに少なくとも二つの大きな版があるそうです。ここに掲げた歌詞大意の原詞は Canongate 版が最終形態としているもので、1795年8月に無署名で The Glasgow Magazine に発表されました。

当時としてはこの内容は反体制的で、反逆を扇動するものとして、バーンズは逮捕されてもおかしくはありませんでした。発表の翌年にはロンドンの政府支持の雑誌 Oracle が、こちらはバーンズを作者と名指しして転載しています。この転載はバーンズの承認を得たものではなかったらしい。実際、政府の監視網にはひっかっかっていたことはほぼまちがいないと推定されています。ましてやバーンズは当時酒・タバコにかかる税金を扱う公務員でした。逮捕・告発をまぬがれたのは、ひとえにかれの病が重かったためとされています。

一方でここにうたわれていることはバーンズの本音でもありました。フランス革命やトム・ペインの『人間の権利 The Rights of Man』の刺激を受けてその本音が結晶したのです。Canongate 版が引く David Daiches によれば、このうたは念入りに構成を練られていて、真正直な貧しさから徳性と身分のずれを具体的に例を挙げて描写してゆき、最後には祈りにして予言であるものに高まります(Canongate, 515pp.)。バーンズが病のなかでこのうたに注ぎこんだエネルギーはなみなみならぬ大きなものだったにちがいありません。

イアン・F・ベンジーは Old Blind Dogs のリード・シンガー。OBD は1990年代はじめに登場して、The Iron Horse とともにスコットランド音楽を再活性化したバンド。ベンジーはソロとして2枚のアルバムがあります。CSRB では第1、第2、第5集に計7曲参加しています。

ここでのフィドルは OBD の同僚 Johnny Hardie。ブズーキは Jamie McMenemy。バトルフィールド・バンドの創設メンバーであり、ブルターニュに渡って Kornog に参加しました。すぐれたシンガーでもあります。ホイッスルはカパーケリーのマーク・ダフ。


(歌詞大意)
それでも人は人


真正直な貧しさに
うなだれる必要などあるだろうか
びくびくしている奴隷は置き捨てていこう
むしろあえて貧しさを選ぶのだ
たとえこの苦労を誰にも認めてもらえずとも
それがどうした
身分など遥か異国の切手も同然
人が立派かどうかはそんなものにはかかわりない

食事が質素だからとて
粗いウールを身にまとおうとてそれがどうした
絹を喜ぶは愚か者、ワインを求めるは悪党ども
人が人かはそんなことにはかかわりない
そうさ、やつらの金ピカはただの見かけだおし
たとえ極貧であろうとも
真正直な人間は
人のなかの王なのだ

領主と呼ばれてる、あいつが見えるだろ
そっくり返って歩いたり、にらみつけたり
やつの言葉に何百人もひれ伏すかもしれないが
それでもあいつはただの阿呆
肩から帯をかけて、勲章つけていたって
独立不羈の気概を持つ人間は
あれを見て大笑い

王族は人をナイトに叙せる
伯爵だって公爵だっておもいのまま
でも真正直な人間にはそんな権力もかなわない
篤く信じられるには、あんなふうになってはいけない
あいつらの威厳だって
真の分別、誇り高き人となり
それこそは何よりも貴いもの

だから祈ろう、その日が来るように
その日は必ず来ると信じて
分別と人となりがこの地上において
勝利をおさめる日が来ることを
どんなにそうは見えなくとも
その日は必ずやってくる
世界中の人間にとって
たがいが兄弟となる日が

Complete Songs of Robert Burns 昨日 01/25 はロバート・バーンズの250回目の誕生日でした。これを記念してのリン・レコードのフリー・ダウンロード最終回はもちろんこのうた。うたうのは Ronnie Brown。ベテラン・グループ The Corries の創設メンバー。《THE COMPLETE SONGS》第3集収録。


 コリーズは1960年代はじめから活動したグループで、アイルランドのダブリナーズに相当する存在といっていいと思います。トリオとして出発しますが、実質的にはブラウンと Roy Williamson のデュオとして有名です。

 バーンズのうたとして文句なく最も有名なこのうたが、生前発表されたことはなく、どこまでがバーンズの作であるかについても議論がある、というのはちょっと驚きです。Canongate 版によれば、1796年12月に The Scots Musical Museum に発表されたときの署名は 'Z' で、これはオリジナルに何らかの改変を加えたときにバーンズが使っていたものの由。そして、似たコーラスのフレーズを持つブロードサイド・バラッドを引用している全集もあるそうです。また、かなり詩句の異なる同題のうたも存在します。

 とはいうものの、第3、第4連は完全に自分の創作だと詩人自身が語ったという証言があり、改作としても、相当な改変がほどこされて、バーンズの言う「土着の天才の火が注入された」部分が多いものになっている。また、バーンズは完全な創作を「伝統歌」だと装う癖もあった。と Canongate 版は結論しています。

 バーンズが無から生みだしたのではないにせよ、このうたが不朽の名作に変身したのはバーンズの手を経たおかげであることは確かでしょう。そもそも「創作」とは、古きものの改訂以上のものでしょうか。

 ここでうたわれているメロディは通常「蛍の光」として知られるものとは異なります。ここでうたわれている方がどうやら古いらしく、またスコットランドの伝統畑のうたい手たちはこちらのメロディを好むようです。ぼくもはじめはとまどいましたが、何度も聴くうちに美しく古びた盃のような味わいがしみこんできて、今ではむしろこちらの方がしっくりなじみます。


(歌詞対訳)
古い古い友だちを忘れることなどありはしないさ
忘れて二度と思いださない、そんなこともあるはずがない
昔なじみを忘れるなんて、あるはずがないだろう
なつかしいはるか昔のよしみのことを

コーラス
昔のよしみで、わが友よ
昔のよしみで
たがいに一杯ふるまおうじゃないか
昔のことを思いだして

おぬしには一杯おごろうよ
おれにも一杯おごってくれ
おたがい一杯ずつふるまおう
昔のことを思いだして

コーラス

二人して丘を駈けまわったものだった
きれいなひなぎくをよく摘んだものだった
くたびれた足をひきずってあてどなくうろついたこともあったっけ
なつかしきあの頃

コーラス

二人して小川で舟をこいだものだ
夜明けから夕食になるまで
ただ、二人を隔てる海は広く逆巻いていた
なつかしきあの頃から

コーラス

さあ手を出してくれ、頼りになる相棒よ
おぬしの手を貸してくれ
そうして思い出の一杯をくもうじゃないか
昔のことを思いだして

コーラス

Robert Burns The Complete Songs, Vol.6 リン・レコードのロバート・バーンズ生誕250年記念《THE COMPLETE SONGS》からのフリー・ダウンロード、今週はこのうた

 うたうのはメイ・マッケナ。第6集(1999)に収録。〈Ae fond kiss〉に続く登場です。

 Canongate 版では〈Lord Gregory〉のタイトルです。エディンバラの出版業者ジョージ・トムソンのために書かれ、1793年1月23日に送られた作品。古歌〈The bonnie lass of Lochryan〉を改作したもの。1798年の A SLECT COLLECTION OF ORIGINAL SCOTTISH AIRS FOR THE VOICE  に発表されました。

 なんといってもこのうたはメロディが秀逸。裏切られても諦められない男をかきくどく、その心を闇夜にたとえる詞にまことにふさわしい。どこか静かな狂気さえ感じられます。ホイッスルの音はさながら夜のなかにさらに黒く立つ城をめぐって吹きつのる風の音ですが、その風はまた、見棄てられた女の心の荒野にびょうびょうと啼いてもいるようです。

 決っして声を上げることのないメイ・マッケナの歌唱は諦めきったようでいて、本人もどうすることもできない哀しみと怨みを深く沈めています。なにものかに憑かれたようなホイッスルはカパーケリーのマーク・ダフ、そして肺腑をえぐるハープはコリーナ・ヘワット。《THE COMPLETE SONGS》全曲のなかでも屈指の名演。

(歌詞対訳)
暗い、くらいわ、この丑三つ時
嵐のたくましく吼えたける夜
あわれ寂しくさまよう者のあなたの城をたずねれば
グレゴリー様、どうか扉をお開きになって

父の家を追われました
あなたを愛したばかりに
せめて情けをおかけください
愛はむりだとおっしゃるならば

グレゴリー様、あの茂みを思いだしてくだされ
うるわしきアーヴィンのほとりにあった茂みを
乙女の妾が初めてあなたを見初めたところ
それまでずっとずっと拒んでいたのに

何度、殿は誓われたでしょう
殿にはいつもいつまでも妾しかおらぬと
そして嘘もつけない妾の心はたわいもなく
殿のお言葉を露疑いもしませんでした

なんと頑ななのでしょう、グレゴリー様のお心は
そのお胸には暖い血の一滴も流れてはおらぬよう
殿はまさに天翔ける矢のごとし
どうか妾に安らぎをお与えください

天に逆巻くいかづちよ
この身はすすんで贄となりましょう
けれどもどうか妾が愛する人はお見逃しください
天と妾へのあの方の裏切りをお許しください

Burns: The Complete Songs, Vol. 8 リン・レコードのロバート・バーンズ生誕250年記念《THE COMPLETE SONGS》からのフリー・ダウンロード、今週はこのうた

 うたうのはカリン・ポルワート。第8集(2000)に収録。カリンは〈My heart's in the Highlands〉に続く登場です。

 このうたはふつう〈The battle of Sherramuir〉のタイトルで知られていて、1790年2月の発表。バークレー派別名ベレア派と呼ばれるプロテスタントの一派を立てたジョン・バークレー尊師(1734-98)が書いたブロードサイド・バラッド〈お玉舐めのウイルとお椀舐めのトムの会話 Dialogue between Will Lick-Ladle and Tom Clean-Cogue〉をバーンズが改作したものです。シェリフムーア(詩の中では「シェラムーア」)の戦いの当日の、二人の羊飼いの会話の形をとっています。

 シェリフムーアの戦いは、1715年のジャコバイト反乱、いわゆる老僭王の反乱の帰趨を決めた戦い。1715年11月13日、スターリングに近いダンブレインの野で、マール伯率いる12,000のハイランド軍(白山形章)を、アーガイル公率いる4,000のロンドン政府軍(黒山形章)が迎え撃つ形で戦われました。勝敗は混沌として、双方が勝ちを宣言しましたが、ジャコバイト側に有力者の死傷が多く、反乱は勢いを失います。老僭王チャールズ・スチュアートは戦いの1ヶ月後にようやくスコットランドに上陸しますが、反乱側の士気を上げることができず、フランスへ逃げ帰り、反乱は終熄します。

 なおバーンズの曾祖父がこの反乱に加わっていて、このために30年後の「45年反乱」の際、忠誠を疑われ、それがもとでバーンズ家は一家離散、バーンズの父ウィリアムは故郷を離れることになります。バーンズ自身が心情的にジャコバイト側に立つ、その淵源です。

 この詩はかつては「武勲詩」のひとつと見なされていましたが、Canongate 版はそうではなく、むしろこれはバーレスクであって、形態と内容の緊張によってこの詩が映しだしているのは戦争が英雄的なものなどではなく、戦争の体験も理解も、その核心は首尾一貫したものなど無い混沌であるという洞察である、としています。

 同書に引用されている William Donaldson の  The Jacobite Song: Political Myth and National Identity, 1988 の中での分析は納得のゆくものです。

「頭韻、母音韻、行中韻をたたみかけ、息もつかせず物語を運んでゆくバーンズの筆力」を讃えてから、(ドナルドソンは)こうつけ加える。

『驚くほど若々しいこの[力業]はあっぱれとしか言いようがない長所をいくつも備える。その時その場に居合わせて、戦闘を目の当たりにしている感覚を最初から最後まで維持している(ここに描かれた事件は詩人が生まれる30年前に起きたものであると自分に言いきかせなければならないほどだ)。戦闘に参加しているなかでも庶民と、まちがう存在としての人間に焦点を当てていること。従来英雄的とされているものの本質が徹底して暴かれ、同時に暖かい眼で見られていること。
 この還元的手法が最もはっきりわかるのは第5連、アンガス党のタイミングのよい撤退が、戦闘意欲を失ったためだけでなく、まったくばかばかしいほどそれとは異なるもうひとつの欲求のためだったためであると明かされるところだ。激しい戦闘と夥しい流血にもかかわらず、全体に読者が受ける印象は滑稽なものだ。
 バーンズの描写力は日常の現実に深く根ざした映像を描きだし、そこでは叙事詩的なものと月並みなものは愚かしいまでに絡みあい、人口に膾炙した諺的表現が多用されて、情け容赦なく価値を収縮する効果を発揮する。従来偉大なものとされてきたものを茶番劇と化したこの作品は、人間を軍服や戦列によって人間性をはぎとれられた塊として扱うことを拒むことによって、根本的な人間性を回復している』(THE CANONGATE BURNS, 345-6pp.)

 カリンの歌唱もこのうたの滑稽な味をよく出していて、各連のおわりにあるリフレインでは思わすクスリと笑いがわいてきます。スリリングかつ飄々としたホイッスルを吹き、コンガを叩いているのはフレイザー・ファイフィールド。コーラスをつけているのは、カリンの先輩で共作アルバムも作っているジル・ボウマン。ジルにもバーンズのうたを集めたアルバムがあります。


(歌詞対訳)
おや、いくさをよけて来たのかい
それともいっしょに羊の面倒みてくれるのかね
それともシェラムーアに行ってきたのかい
あそこで戦いを見てきたかね
見た見た、そりゃ烈しいものだった
沢は血の川だったし
こわくて心臓はどきどき
人が倒れる音が聞こえて、埃はもうもう
タータンを着て森から湧きでたクランの男ども
三王国につかみかかった

黒の山形章をつけた赤コートの兵士たち
迎え撃つのにぬかりない
突っこんで押しだして、血が噴きだす
倒れた死体は数知れず
大アーガイルが先頭に立ち
ざっと20マイルは広がって
クランの戦士たちを倒してゆくのはさながらボウリングでピンを倒すよう
だんびら振りまわして、切り裂き、突き刺し
突っこんで切り倒して叩き潰すから
不運な男たち次々と倒れる

だが、見よ、キルトをつけた勇者たち
派手なズボンをぴったりと着こなし
ホイッグどもに、盟約派の旗印に、真っ向から挑みゆく
長く厚い戦列をなせば
銃剣は盾を圧倒する
何千もの勇士が突撃し
ハイランドの怒りを抜きはなつ
死の刃を受け、息を切らし
やつらは鳩のようにすくみあがって逃げてゆく

まさか、そんなことがあるものか
追いかけたのは北の方だよ
この眼で見たんだ、騎馬のやつらを
フォース湾へと押しもどした
ダンブレインじゃおれの眼の前で
全軍で橋を渡り
スターリングへと尻に帆かけてまっしぐら
ところが、なんたることか、市門はぜんぶ閉まってる
逃げたやつら、哀れな赤服
こわくて気を失うやつが続出さ

おれの妹ケイトがオートミールと
水をもって門に行った
ケイトが言うには、反乱軍の一部が
パースやダンディーに逃げていた
敵の左翼を率いた将軍はいくさのやり方を全然知らない
アンガス一族の一党はてんでガッツがなかった
まわりのクランたちが血を流したあの日
ポリッジの椀を敵にとられるんじゃないかとこわくなり
攻撃にすくみあがって
すたこら村へ帰っちまった

ハイランドのクラン側で
勇士たちがたくさん倒れた
パンミュア卿は戦死されたか
捕まっちまったんじゃないかと思う
さてどっちも逃げたこのいくさをうたにしないか
犬死にした者もいれば、死んで花を咲かせた者もいる
とはいえ大半はただこの世におさらばしただけ
ひどい乱戦で、マスケット銃が弔鐘を鳴らし
トーリーたちが倒れ、ホイッグどもは地獄へと
ひと塊に潰走したよ

Robert Burns The Complete Songs, Vol.6 Linn Records の《THE COMPLETE SONGS OF ROBERT BURNS》によるロバート・バーンズのうた探訪、その6。第6集 (1999) 収録。シンガーは James Malcolm。

 典型的なジャコバイト・ソング。第2〜4連はバーンズのオリジナルと考えられています。

 1603年にエリザベス1世の死によってテューダー朝の王統が絶え、血縁であったスチュアート朝スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位し、同君連合として事実上の連合王国が成立します。このスチュアート朝はクロムウェルによる中断を経て、1688年名誉革命によって王位を追われ、連合王国の王にはオランダ公ヴィーレムがウィリアム3世として迎えられます。スコットランドでは追われたジェームズ2世/7世およびその直系の子孫を立ててスチュアート朝を復興しようとする勢力があり、かれらは「ジャコバイト」と呼ばれました。

 ジェームズはカトリックだったため、アイルランドに進出してロンドン政府転覆をはかりますが、1690年にボイン川で破れてフランスに逃げ帰ります。アイルランドではこれ以後、プロテスタント優位時代、いわゆる Ascendency の時代になるわけです。

 一方、スコットランドでは1715年、1745年の二度の反乱に破れて、ジャコバイトは政治的には完全に力を失います。この反乱まではジャコバイトはハイランドのゲーリック文化に属する、いわば古い勢力が中心でしたが、反乱を潰したロンドン政府がスコットランド文化を徹底的に弾圧したことと、ロンドン政府側を支持したにもかかわらず、経済的見返りがなかったことから、ロゥランドの英語圏スコットランド人の間にも反イングランド感情が広がりました。そして特に1745年の通称「ボニー・プリンス・チャーリー」の反乱のヒーロー、ヒロインたちにこの感情が託されて、たくさんのジャコバイト・ソングが生まれます。

 これらのジャコバイト・ソングは、アイルランドのレベル・ソングと同様な役割を担い、スコットランドの英語による伝統音楽の一部として、小さくない部分をつくってきました。バーンズのうたの中でも、ジャコバイト・ソングは人気の高いものです。

 この録音でのギターとハーモニカはジェイムズ・マルコム自身。マルコムは一時オールド・ブラインド・ドッグスに参加したりしていますが、基本的にはソロの人。ハーモニカをよくするように、ブルースが出発点のようですが、録音はほとんど伝統音楽ないし伝統音楽をベースにしたオリジナルです。《THE COMPLETE SONGS》では4、5、6の各集に計8トラック参加。

 打楽器はおそらく Stevie Lawrence でしょう。Old Blind Dogs とともに1990年代のスコティッシュ・シーンを引っ張った The Iron Horse で名をあげますが、元々はグラスゴーでパブ・ロックをやっていて、80年代にルーツに転向しています。セッション・ミュージシャン、プロデューサーとして多彩な活動をしていますが、最近では何といってもレッド・ホット・チリ・パイパーズがめだちます。

 以下の歌詞大意で、「ホイッグ」はジェームズ2世に王の資格なしとしたイングランド議会の1688年の決議を、スコットランド議会が1689年に追認した際、その決議を指導した一派をさします。かれらは長老派教会を代表し、ジェームズのカトリック信仰を不満としたのでした。

 また「薊」はスコットランドの紋章、「薔薇」はヨーク公でもあったジェームズの紋章です。


(歌詞大意)
コーラス:
かえれ、出ていけ、ホイッグどもよ
かえれ、出ていけ、ホイッグども
やくざな裏切り者の一党め、おまえらがいて
良いことなどなにもない

薊は生き生きと美しく
薔薇もきれいに咲きそろう
そこへ来たホイッグどもは6月の霜
われらが花はみな枯れた

コーラス

代々伝えしわれらが王冠は地に落ちて
悪魔が塵に埋めつくした
歴代の王の名をやつの黒い本に封じこめた
ホイッグどもに力を与えたのも悪魔の輩

コーラス

われらが教会と政府の衰えた様は
わたしにはもはやうたいようもない
ホイッグどもはまさに災厄
われらがもはや栄えることなし

コーラス

断固たる復讐の神の眠って久しいが
その目覚めに立ち会うことのあらんことを
神よ、王族どもの野兎のように
狩られる日を到来させたまえ

コーラス

Robert Burns: The Complete Songs, Vol. 1 リン・レコードのロバート・バーンズ生誕250年記念《THE COMPLETE SONGS》からのフリー・ダウンロード、今週はこのうた

 なお  Canongate 版全詩集では〈The gardener wi' his paidle〉のタイトルになっています。1790年発表。"paidle" はスコットランド語で「鍬」のこと。鍬で触れるだけでなんでも肥料を入れる力を備えた男のうた。

 うたうのは、今は亡きトニィ・カフ (1954-2001)。かれは Alba、Jock Tamson's Bairns、Ossian の三つのバンドを渡りあるいて活躍。いずれも1970年代後半にスコットランド音楽を大いに発展させたグループです。アルバはハイランド・パイプを初めてフィーチュアしたアンサンブルで人気を博しました。あとの二つは80年代にかけて、スコットランドのうたをうたうバンドとして大きな業績を残しました。

 ハイランド・パイプを前面にたてたロック・バンドが近頃流行のようですが、その源はこのアルバです。ここにいたパイパーが移籍した The Tannahill Weavers が流れを受け継ぎ、発展させ、後には Battlefield Band、The Iron Horse、Deaf Shepherd と続きます。とこれは余談。

 カフはこの《THE COMPLETE SONGS》シリーズ立ち上げにもかなり貢献しているそうで、第1集、2集に10曲うたっています。この録音はシリーズ劈頭、第1集 (1995) の1曲めを飾りました。


 カフは参加できませんが、今月24日、バーンズ250回目の誕生日の前日に、グラスゴーで開かれる Celtic Connections のイベントのひとつとして、《THE COMPLETE SONGS》参加ミュージシャンたち60名以上が勢揃いしてバーンズのうたをうたうコンサートが開かれます。正午から真夜中まで12時間ノン・ストップという前代未聞、空前絶後のイベント。見るほうもたいへんですが、まさに一生に一度の体験でしょう。なんらかの記録はとられるはずですから、ライヴ盤も期待しましょう。(ゆ)


(歌詞対訳)
薔薇の皐月の花とともにやってきて
村の家々を一面明るい緑にかざるころ
それはそれは忙しくなるのが
鍬の手をもつあの農夫

水きよらかにながれ落ち
啼く鳥はみな愛をうたい
そよ風はかぐわしい薫りで包むよ
鍬の手をもつあの農夫

壮麗な朝に野うさぎがおどろくは
早くからの朝食にそっと忍びよられたから
すると朝露をかきわけて一心に耕すのは
鍬の手をもつあの農夫

日の西に沈むころ
カーテンを引いて自然が休むころ
最愛の妻の待つもとへと飛んで帰るよ
鍬の手をもつあの農夫も

Robert Burns The Complete Songs, Vol.6 《THE COMPLETE SONGS OF ROBERT BURNS》からバーンズのうたの紹介シリーズ、その3、かな。第6集 (1999) 所収。シンガーは John Morran。

 バーンズはやたら女性に惚れやすかったそうですが、そのかれの水準としても強烈に惚れこんだのがこのうたを捧げられた Deborah Duff Davis。小柄なウェールズ娘で、おそらく結核とおもわれる病気で若くして亡くなっています。デボラは改革思想の持ち主でもあり、政治的に共鳴することでバーンズの想いはさらに強まることになりました。

 John Morran は女性ハイランド・パイパーを擁して好アルバムを連発したバンド Deaf Shepherd のリード・シンガー。《THE COMPLETE SONGS》では5〜8集に計12曲を録音。最多登場の一人です。ダギー・マクリーンのバック・バンドの出身。マリンキィの近作のプロデューサーでもあります。

 伴奏のピアオ・アコーディオンは Sandy Brechin。1990年代半ばにスコティッシュ・シーン爆発の先頭を切ったバンド Burach のメンバー。ソロもあります。


(歌詞対訳)
そなたの愛らしい顔をみると
抱きたくなって、身悶えしてしまう
脈動する心臓はふくれあがって破裂せんばかり
このちっちゃな生きものがぼくの手からすり抜けはしないか

コーラス
小さくきれいな生きものよ、愛くるしい生きものよ
すてきに小さな生きものよ、そなたがぼくのものならば
この胸に抱きしめたい
この宝ものをなくしてしまわないように

美しく、愛らしく、頭がよくておしとやか
ひとつの星座にそろって輝く
そなたを仰ぎ見つめるのがぼくの仕事
わが魂の女神さま

コーラス


 これで今年の更新は切り上げます。新年3日まではネットから離れます。皆さま、良いお年をお迎えください。(ゆ)

Robert Burns: The Complete Songs, Vol. 9 リン・レコードのロバート・バーンズ生誕250年記念フリー・ダウンロード、今週はこのうた。《THE COMPLETE SONGS, Vol. 9》(2001) 収録。うたうのは、今やスコットランドの若手シンガー・ソング・ライター筆頭のカリン・ポルワート。年明けに発表になる BBC Radio 2 Folk Awards で Folk Singer of The Year にノミネートされています。

 カリンのうたは伝統音楽どっぷりというよりはもう少し都会的に洗練されていて、知性が感情をうまく御しています。声域は低く、狭く、うたも「うまいっ」とうならされる類のものではないのですが、うたが孕む感情の核心を的確に掴んで、控え目にこれを提示します。そこに生まれる説得力、うたを聴く者の皮膚の裏側にしみこませる力には非凡なものがあります。このうたも、ややもすれば感傷的になるところを、いるべきところに住めない悲しみをいつくしむようにさしだしています。

 カリンの先達のひとり、ダギー・マクリーンの代表作〈Caledonia〉はこのうたへの反歌とも聴こえますし、アンディ・アーヴァインのやはり代表作〈My hearts in Ireland tonight〉もその霊感の源泉のひとつはここでしょう。あるいはまた「ふるさとは遠きにありて思ふもの」の一節も思いおこされます。ついに帰ることはできないと知ったとき、故郷ははるか遠くから想ってこそふるさととなると考えることでかろうじて均衡を保つ精神の、血を吐くような、静かな叫びです。

 なお、コーラスは〈The strong walls of Derry〉というブロードサイド・バラッドからとられており、その他の詩はバーンズの自作です。

 スコットランド以外のミュージシャンがこのうたをうたう時、"Highlands" を「ハイランズ」と発音することがありますが、これはやはりスコッチの発音で「ヒーランズ」とうたわないと感じが出ません。もっともバーンズの詩の魅力のひとつはこのスコットランド語独得の発音にあるので、どのうたにも同じことが言えます。ちなみに "heart" も「ハート」ではなく、「ヘァルト」です。

 伴奏はハープとフルート。

 クラルサッハ(スコティッシュ・ハープ)は Iain Hood。この人はどうやらセッション・ミュージシャンで、結婚式などのイベントの仕事がメインのようです。

 フルートは Eddie Maguire。ベテラン・バンド The Whistlebinkies のメンバー。もっとも、クラシックの作曲家としての方があちらでは有名らしい。

 ウイッスルビンキーズはキャリアに比べて地味な存在でしたが、《A WANTON FLING》(1996) 以降のアルバムはかなりの出来。


(歌詞大意)
ごきげんよう、ハイランドよ、さらば北国
豪胆の生まれるところ、値千金の国
いづこにさまよい、いどこにさすらうとも
ハイランドの山々こそは、一生わが最愛のところ

コーラス:
わが魂はハイランドにあり、ここにはあらず
わが想いはハイランドにありて、鹿を追う
荒々しい鹿を追い、雄鹿の足跡をたどる
いづこに行こうと、わが想いはハイランドにあり

ごきげんよう、雪をいただいて聳える峰よ
ごきけんよう、広い谷よ、緑の渓谷よ
ごきげんよう、からみあって昼なお暗き森よ
ごきげんよう、瀬音高くほとばしる流れよ

コーラス

           Burns: The Complete Songs, Vol. 8
  バーンズ生誕250年記念カウント・ダウンの Linn Records のフリー・ダウンロード、今週は〈Ae fond kiss〉です。

 シンガーは Mae McKenna。Linn の《THE COMPLETE SONGS OF ROBERT BURNS》 の第8集に収録。

 バーンズのうたのなかでも最も有名なもののひとつです。原詩と試訳です。

甘いくちづけをひとつ、それてお別れ
ごきげんよう、お達者で、これで今生の別れ
胸の奥で心臓からしぼられる涙よ、そなたからは離れまい
せめぎあうため息とうめきよ、そなたのなすがまま
運命の女神の男を哀しませるとは誰が言うぞ
希望の星に見すてられるというのに
わたしには輝きに心楽しい星とてない
黒暗の絶望に包まれるのみ

ひとりよがりの想いこみを責めはすまい
わがナンシィにあらがえる者などいない
ひと目見れば、皆惚れこむ
愛さずにはいられぬ、いついつまでも
あれほど深く愛さなければ
あれほどいちずに愛さなければ
会うことさえなければ、別れることもなかった
心破れることもなかった

ごきげんよう、初恋の、誰よりも美しい人よ
ごきげんよう、この上なく、いとしい人よ
ありとあらゆる歓びと冨の御身にあらんことを
平安と歓びと愛と愉悦のあらんことを
甘いくちづけをひとつ、それてお別れ
ごきげんよう、お達者で、これで今生の別れ
胸の奥で心臓からしぼられる涙よ、そなたからは離れまい
せめぎあうため息とうめきよ、そなたらのなすがまま


Ae fond kiss, and then we sever;
Ae fareweel, alas, for ever!
Deep in heart-wrung tears I'll pledge thee,
Warring sighs and groans I'll wage thee.
Who shall say that Fortune grieves him,
While the star of hope she leaves him?
Me, nae cheerful twinkle lights me;
Dark despair around benights me.

I'll ne'er blame my partial fancy,
Naething could resist my Nancy:
But to see her was to love her;
Love but her, and love for ever.
Had we never lov'd sae kindly,
Had we never lov'd sae blindly,
Never met-or never parted,
We had ne'er been broken-hearted.

Fare-thee-weel, thou first and fairest!
Fare-thee-weel, thou best and dearest!
Thine be ilka joy and treasure,
Peace, Enjoyment, Love and Pleasure!
Ae fond kiss, and then we sever!
Ae fareweeli alas, for ever!
Deep in heart-wrung tears I'll pledge thee,
Warring sighs and groans I'll wage thee.


 バーンズは実はかなり多情な人だったようですが、最愛の相手はやはりこの詩が生まれるきっかけとなった Agnes MacLehose だったのでしょう。絶唱、といっていいとおもいますが、うたとしてうたわれるとむしろ噴きだす想いをおさえ、諦めようとつとめる姿が浮かびあがることが多い。

 このヴァージョンでは、メイ・マッケナが珍しく無伴奏でうたっています。メロディも他では聞けないもので、一般的なメロディよりも表面と内面の落差と葛藤がより強く感じられます。

 メイ・マッケナは60年代から活動しているベテランですが、歌唱にやや甘いところがあって、正直愛すべきB級という印象でした。それが CSRB ではその甘さがバーンズのうたの波長と合ったのか、むしろうたの生地をあらわにしています。Vol. 6 と 8 に計7曲うたっているどれも名唱です。(ゆ)

csrg04 来年1月25日は、ロバート・バーンズ生誕250年の記念日にあたります。それを記念して《THE COMPLETE SONGS OF ROBERT BURNS》(以下 CSRB)を出している Linn Records がこれから毎週1曲、フリー・ダウンロードを提供するそうです。

 最初の提供曲は〈O my Luve's like a red, red rose〉。 Davy Steele がうたって、CSRB 第四集に収録。詞と対訳を載せます。


恋人は真赤な薔薇


わたしの想う人はあかいあかい薔薇
水無月に萌えいづる薔薇の華
かの人はさながらメロディ
ここちよく耳に戯れる旋律

かわいい人よ、そなたのうるわしさに
わたしは深くふかく恋におちた
いつまでもそなたへの愛は変わらない
たとえ海がみな干上がろうと

たとえ海が干上がろうと
岩がみな日輪の熱に溶けようと
そなたへの愛は変わらない
命の砂の落ちつづけるかぎり

いまはさらば、わたしにはそなただけ
いまはただ、しばしの別れ
必ず帰るよ、愛しい人
たとえ一万里のかなたまで行くはめになろうとも


O my Luve's like a red, red rose,
That's newly sprung in June:
O my Luve's like the melodie,
That's sweetly play'd in tune.

As fair art thou, my bonie lass,
So deep in luve am I;
And I will luve thee still, my dear,
Till a' the seas gang dry.

Till a' the seas gang dry, my dear,
And the rocks melt wi' the sun;
And I will luve thee still, my dear,
While the sands o' life shall run.

And fare-thee-weel, my only Luve!
And fare-thee-weel, a while!
And I will come again, my Luve,
Tho' 'twere ten thousand mile!

as sung by Davy Steele in CSRB04


 なおこのうたは CSRB12 で、Tich Frier もうたっています。

 バーンズのうたのなかでも最も有名なラヴ・ソングといわれる定番曲。他にも無数の録音があります。スコットランドのみならず、アイルランドやイングランドはじめ、英語圏で広くうたわれています。

 もっとも詞は、特に第二連以降、英語圏の伝統歌に頻繁に現れる定型句をつなげたにすぎません。このうたが愛唱される理由はひとえに第一連の真赤な薔薇のイメージのおかげでしょう。"r" 音の繰り返しは華麗かつ甘やかな印象を生みだします。"June bride" への連想も働きます。薔薇は香りも喚起します。後に旋律がくれば、ここでは視覚、嗅覚、そして聴覚が刺激されます。味覚は別としても、触覚がありません。うたの語り手は想い焦がれる相手に触れたことがない、触れることができないのかもしれません。

 なお、「命の砂」は「砂時計」の謂です、念のため。

 うたい手のデイヴィ・スティール(1948-2001)はスコットランドの生んだ最高のシンガーの一人。もう一人の「最高のシンガー」というより、スコットランド・フォークに王がいるとすれば(本人はそう呼ばれることを毛嫌いするでしょうが)この人以外にはいないディック・ゴーハンをして、「デイヴィといっしょだと伴奏をつけるのがなにより好きだった」と言わしめたうたい手です。

 かれはまさにディック・ゴーハンの衣鉢を継ぐうたい手としてぼくらの前に現われました。初めてその名に注目したのは、そのゴーハンがプロデュースしたソロの 1st 《SUMMERLEE》(1990) でした。しかし、この時すでに Drinker's Drouth と Ceolbeg というふたつのバンドを経験しており、この後 Battlefield Band にも参加します。かれがいた時期のバトルフィールド・バンドはこのバンドの長いキャリアのなかでも結成当初につぐ黄金期にかぞえられるでしょう。夫人はスコットランドを代表するハーパーですぐれたうたい手でもある Mary MacMaster。

 デイヴィ・スティールは CSRB では4集と5集で計7曲をうたっています。(ゆ)

このページのトップヘ