クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:パンデミック

08月23日・火
 昨夜は眠いが寝つかれず。うつらうつらして0300、0400、0530、0830にトイレに起きる。やはり異物を入れたので、体が懸命に排出しようとしたのだろう。1030起床。起きたものの、半分ぼんやりしている。午後3時頃、すっきりしてくる。あるいは接種から24時間経ったからか。少し動いてみる。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月23日には1968年から1987年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1968 Shrine Auditorium, LA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。1時間半弱の一本勝負。共演タジ・マハル他、とポスターにはある。初期のデッドはタジ・マハルとよく一緒になる。
 6曲目〈Alligator〉からクローザーの〈Caution (Do Not Stop On Tracks)> Feedback〉までが《Two From The Vault》でリリースされ、同じトラックが《The Golden Road》収録の《Anthem Of The SUn》のボーナス・トラックでもリリースされた。オープナーの〈That’s It for the Other One〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。時間にして半分強がリリースされたことになる。

2. 1969 Pelletier Farm, St. Helens, OR
 土曜日。"Bullfrog 2" という3日間にわたるフェスティヴァルの楽日で、デッドはヘッドライナー。この日のみの出演。タジ・マハル共演。フェスティヴァルに参加した他のミュージシャンはいずれも地元のローカル・アクトらしい。DeadBase XI によれば Mixed Blood, The Portland Zoo, Sabbatic Goat, River, Sand, Notary Sojac, Searchin Soul, The Weeds, New Colony, Chapter Five, The Trilogy, Bill Feldman, Donn Ross, Ron Bruce。
 2時間弱一本勝負のテープが残っている。選曲はこの年の典型的なもの。

3. 1971 Auditorium Theatre, Chicago, IL
 月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。
 第一部4曲目〈Sugaree〉、クローザー前の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉、第二部オープナー〈Truckin'〉から12曲目の〈Sugar Magnolia〉までの計12曲が《Road Trips, Vol. 1, No. 3》でリリースされた。この時期〈The Other One〉の中に〈Me and My Uncle〉をそっくり取り込むという試みをしていて、なかなか面白い。
 ヴェニューは1889年オープンの歌劇場で、音響は全米でも最高と言われる。DeadBase XI の Thomas Flannigan によれば、ジェファーソン・エアプレインのライヴ・アルバム《30 Seconds Over Winterland》は、ウィンターランドの聴衆のノイズが30秒間入って、その他はすべてここでの1972年のコンサートの録音だそうだ。
 1976年にここでデッドがやった時、デッドヘッドの一人が踊っていて古いカーテンに偶然火をつけてしまい、以来、デッドは出入り禁止になった。
 ショウはかなり良い。聴衆はシスコやニューヨークほど洗練されておらず、space では口笛やわめき声で文句たらたらだったが、最後にはもっとやれえと叫んでいた、と Paul Scotton が DeadBase XI で書いている。

4. 1980 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 土曜日。11.50ドル。開演7時。このヴェニューでの最初のショウ。ここではひどいショウはやらない。この時も見事な出来という。

5. 1987 Calavaras County Fairgrounds, Angel's Camp, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。サンタナ、デヴィッド・リンドレー&エル・レヨ・エックス前座。開演3時。
 第一部クローザー〈Iko Iko〉〈All Along The Watchtower〉にカルロス・サンタナ参加。
 サンタナよりもリンドレーとガルシアの共演があればなあ、と思う。
 ショウはすばらしいそうだ。(ゆ)

08月22日・月
 図書館上の寿荘で COVID-19のワクチン接種4回目。モデルナ。比較的混んでいて、15分前に入って、接種そのものは1402終了。1417まで休憩して出る。注射された左腕上腕の筋肉、力が入ると痛い。頭がぼんやり。ものごとを考えられず。早々に寝る。

 夜、寝る前に書庫の窓を閉めようとすると、草雲雀が鳴いている。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月22日には1968年から1993年まで4本のショウをしている。

 1947年のこの日、Donna Jean Godchaux 旧姓 Thatcher がアラバマ州フロレンスに生まれた。夫キースをジェリィ・ガルシアに引き合わせてバンドに入れた後、コーラスとして参加を要請され、1971年大晦日に初ステージ。1979年02月17日を最後に、キースとともに離脱。

 グレイトフル・デッドのメンバーの紅一点。デッドはジファーソン・エアプレインとは同僚だったし、ジャニス・ジョプリンとも仲が良かったが、女性を積極的に登用しようとはしなかった。60年代のイメージとは裏腹に、デッドの現場はかなりマッチョで、ウーマン・リブの考えからは程遠かった。バンド・メンバーのパートナーたちも、裏で各々のメンバーを支える役割に徹している。もっとも、サン・ラファルのオフィスを預るスタッフも含めて、この女性たちはかなり優秀で、彼女たちのサポートが無ければ、デッドは早々に潰れていただろう。見方を変えれば、そうした優秀な女性たちを周囲に集めたという点では、デッドのメンバーにも甲斐性があったと言えよう。

 一方でガルシアは意志の強い女性に弱いところがある。ライヴ会場でドナがガルシアの袖をつかんで、夫のキースを売り込んだ、というより捩じ込んだという話は、相手がガルシア以外では成立しなかったろう。ピグペンに代わる鍵盤奏者を見つけるのが焦眉の急になっていたという事情はあったにしても、である。

 ドナのおかげで、デッドはキースとともにドナという女性シンガーを手に入れ、それによってピグペンのバンドから決定的に離陸する。ドナの声は70年代デッドを特徴づける。〈Playing in the Band〉や 〈The Wheel〉、あるいは〈Looks Like Rain〉、〈Danicn' in the Street〉などの曲はドナの声が入ることで形を整える。一方〈Cassidy〉〈The Music Never Stopped〉などはドナの声を前提に作られているように聞える。あるいは1976-10-09 オークランド(Dick's Picks, 33)での〈One More Saturday Night〉のように、後ろで流す彼女のスキャットがうたに新たな様相を加えることもあった。

 女声が入ることは、音楽をカラフルにする。音の性質が異なるし、発想も異なる。集団での演奏を旨とするデッドにあっては、他のメンバーとは違う角度からアプローチする。デッドを貫く「双極の原理」がここでも作用して、ドナの声とうたは、ジェリィ・ガルシア・バンドとは異なってバック・コーラスに留まらず、デッドの音楽をより複雑で豊饒なものにしている。ガルシアとウィアの声は必ずしも相性が良いとはいえないが、ドナの声がその間にはいって両者をつなぐ。それはまた他のメンバーへの刺激ともなった。ドナが参加していた間に1972年と1977年の2度、バンド史上のピークが生まれるのは偶然ではないだろう。そして全体としてみても、70年代はバンドが最も幸福な10年間だ。

 ドナの歌唱スタイルは1974〜76年の休止期を境に変わる。休止期前は役割を定めかねているところがある。専用のモニター・スピーカーが用意されず、自分の声が聞えないので、とにかく大きく張りあげたという事情もあるようだ。休止期以後、それまでレシュが担当していた高域のハーモニーを肩代わりする。それによって力を抜くことを覚え、上記のスキャットのように、音楽の流れに見事に溶けこみ、ふくらませるようになる。参加する曲も大幅に増え、参加の仕方もより重要になる。また、ハーモニーは必ずしも上ではなく、ウィアが上でドナが下になることもある。1970年代後半のコーラスの美しさはデッドのキャリアの中でも輝いている。ドナを嫌うデッドヘッドは少なくないが、この時期には皆沈黙する。


1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA
 木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。カレイドスコープ、アルバート・コリンズ共演。3ドル。
 第一部3曲、第二部6曲のセット・リストがあるが、テープによるものらしい。第一部はもう1曲やったという情報もある。
 選曲、演奏は1969年のパターンが始まっている。

2. 1972 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
 月曜日。このヴェニュー4本連続の2本目。4.50ドル。開演7時。
 これは DeadBase の編者の一人 Mike Dolgushkin の最初のショウで、そのレポートを書いている。これを見るまでに、ドルガシュキンはソロも含めてレコードは全部買い、テープも少し聴いていたから、何をやるかはだいたいわかっていた。それでも第一部後半の〈Playing In The Band〉と第二部の〈The Other One〉には有頂天になった。会場に入る前に比べて、一千倍も気分が良くなっていた。

3. 1987 Calavaras County Fairgrounds, Angel's Camp, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。サンタナ、デヴィッド・リンドレー&エル・レヨ・エックス前座。開演3時。
 第一部クローザー〈Good morning Little Scoolgirl〉〈In the Midnight Hour〉にサンタナが参加。
 ショウ自体はすばらしい。
 開演前、近くで第二次世界大戦中の双発機による模擬空中戦のショーがあり、ステージ裏に二人、パラシュート降下した。これに対する歓声を自分に対するものと勘違いしてガルシアは張り切った。
 場所はオークランドのほぼ真東200キロの山の中の町。ここで 'Mountain Aire' という名称で10年続いた一連のコンサートの最後。

4. 1993 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。インディゴ・ガールズ前座。26ドル。開演2時。
 90年代ベストの1本、と言われる。オープナーの〈Jack Straw〉でギターの調子がおかしく、ウィアはギターを振り回して八つ当たり?したらしい。(ゆ)

08月05日・金
 昨夜ははじめ2時間起きにトイレに起きる。0000過ぎの後は0530過ぎ。その後、目は覚めるがトイレに行きたくはならず。1030起床。一応回復。午後、散歩もする。

 水曜日の昼にいきなり家のネット接続が切れた件、プロバイダの Asahi-Net も、回線の NTT も自分のところが原因ではないという。NEC のルータは初期化して再設定してもダメ。結局、どこも他に押しつけあってラチがあかない。全部総とっかえするしかないか。

 振込しようと近くの郵便局に行くと、局員2人が COVID-19陽性で今週一杯 ATM も含めて閉鎖。ここは局長以下、パート含めて5、6人のスタッフで、そのうち2人というのは率が高いな。


%本日のグレイトフル・デッド
 08月05日には1966年から1989年まで7本のショウをしている。公式リリースは2本。

1. 1966 Pender Auditorium, Vancouver, BC
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。前売2.50(カナダ)ドル、当日3(カナダ)ドル。
 セット・リスト不明。

2. 1967 O'Keefe Center, Toronto, ON, Canada
 土曜日。このヴェニュー6日連続の千秋楽。共演ジェファーソン・エアプレイン、ルーク&ジ・アポスルズ。この日もマチネーとソワレの二度ショウをやった。セット・リストの全体は不明。
 夜のショウのクローザー〈Alligator〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 夜のショウの〈Turn On Your Lovelight〉が初演とされる。ピグペンの持ち歌として1972年05月24日のロンドンまで演奏され、1981年に一度、オランダで、1982年に二度演奏された後、1984年に本格的に復帰。ウィアをリード・シンガーとして1995年06月19日のジャイアンツ・スタジアムまで計348回演奏された。演奏回数順では26位。〈Black Peter〉より1回多く、〈Loser〉より4回少ない。スタジオ盤収録無し。アナログ時代の公式リリースでは1969-01-26, Avalon Bollroom の演奏が《Live/Dead》収録。
 原曲はボビー・ブランドが1961年に録音して年末にシングル・リリース、翌年初め、R&Bチャートで2位。作詞作曲はブランドのバンドのリーダー Joseph Scott。なお、本来のタイトルは〈Turn On Your Love Light〉。デッド世界では "Lovelight" のスペルが使われる。

3. 1970 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA
 水曜日。一部、二部ともに30分強のアコースティック・セット。デヴィッド・ネルソンがマンドリンとヴォーカル、マーマデュークがバス・ヴォーカルで参加。

4. 1971 Hollywood Palladium, Hollywood, CA
 木曜日。このヴェニュー2日連続の初日。前売5ドル、当日5.30ドル。開演8時。終演?時。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。ポスター等には "The Grateful Dead Dance" と銘打たれている。

5. 1974 Civic Convention Hall Auditorium, Philadelphia, PA
 月曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。6ドル。開演7時。
 第一部5曲目〈Me And Bobby McGhee〉から第二部クローザー〈One More Saturday Night〉まで、第一部から4曲、第二部から11曲計15曲2時間弱が《Dick's Picks, Vol. 31》でリリースされた。
 出来は最高で、とりわけ第一部クローザー〈China Cat Sunflower> I Know You Rider; Around and Around〉もすばらしいが、第二部〈Scarlet Begonias〉からの後半はデッドの最高の音楽が聴ける。とりわけ〈Scarlet Begonias〉は単独ヴァージョンのベストというだけでなく、〈Fire on the Mountain〉とのペアでもこれだけの演奏は無いと思えるほど。〈He's Gone〉から〈Truckin'〉以下クローザーまでのメドレーも決定的と思える演奏が続く。
 この時期、デッドは内外のトラブルを抱えて内情は青息吐息だったわけだが、そんなことはまったくここには現れてこない。あるいはそれだからこそ、音楽が良くなるということか。

6. 1979 Oakland Auditorium, Oakland, CA
 日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。9.50ドル。開演8時。
 第二部 drums と space の間の〈Ollin Arrageed〉にハムザ・エル・ディン参加。
 この2日間はミドランドのベイエリア・デビューで、すでによく溶けこんで、ショウも良くなっていた由。

7. 1989 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時半。
 この時期悪いショウはないはずだが、これはことにすばらしいらしい。
 第二部2曲目の〈Playing In The Band〉の時、ビデオないし映写でガルシア、ウィア、レシュ、ミドランドが、マウント・ラシュモアの大統領たちの形に映しだされた。(ゆ)

07月11日・月
 田川建三さんの講座で軽井沢往復。これまではパンデミックの最中で、新幹線は徃きも帰りもガラガラだったが、前回6月は帰りに親子連れが目立った。今回はおばさんたちのグループが多い。軽井沢まで指定席はほぼ満席。軽井沢でどっと降りる。帰りの自由席も軽井沢ではほとんど空で来て、乗ったのは4、5人だったが、本庄早稲田と高崎でどっと乗ってくる。来月は感染者数の急増もあり、また8月の軽井沢の混雑は都心以上なので休みと決定。

 今日の田川さんはいつもの調子にもどる。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月11日には1968年から1981年まで4本のショウをしている。公式リリースは1本。

1. 1968 Shrine Exhibition Hall, Los Angeles, CA
 木曜日。共演 Blue Cheer。セット・リスト不明。

2. 1969 NY State Pavilion, Flushing Meadow Park, Queens, New York, NY
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。

3. 1970 Fillmore East, New York, NY
 日曜日。このヴェニュー4日連続のランの3日目。第一部アコースティック・セット、第二部ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、第三部エレクトリック・セット。
 第一部9曲目で〈Rosalie McFall〉がデビュー。1980年10月27日まで計18回演奏。すべてアコースティック。
 元は〈Rosa Lee McFall〉のタイトルで、Charlie Monroe の作詞作曲、モンロー・ブラザーズの1949年のシングル。このシングルは78回転と45回転の両方でリリースされた。45回転の商業リリースの最も初期のものと言われる。
 チャーリーはビル・モンローの兄で、兄弟は当初モンロー・ブラザーズとして活動し、後、それぞれにグループを率いた。モンロー・ブラザーズではまだブルーグラスのフォーマットは固まっておらず、音楽としてより多様なので、ブルーグラス・ファンではないあたしにはこちらの方が面白い。

4. 1981 Alpine Valley Music Theater, East Troy, WI
 土曜日。9.75ドル。開演7時。第二部オープナー〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 録音は聴いていたが、これが初めてのショウである人は、デッドのショウが録音でわかるものだけではないことに気がついた。また別の初めてデッドのショウに来た人間にとって、ニュー・ジャージーからウィスコンシンまでこのためだけにやって来る人間がいるのが理解できなかった。
 イースト・トロイはシカゴの北150キロほど、ミシガン湖畔から西に少し入ったところ。アメリカはこういう人里離れたところに、コンサート会場やアリーナがある。(ゆ)

06月30日・木
 老母の4回目のワクチン接種をネットで予約する。新宿区の集団接種会場の数はがくんと減っていて、前回までの近くの出張所ではもうやらない。一番近いのは区役所の分庁舎になる。4回目をやれやれと言う一方で、受け皿を小さくしている。

 近くのクリニックでやってくれ、ということらしいが、老母は行ったことのない医者は嫌がる。町中の医者は中が狭くて、バリアフリーなど考慮していないところも意外に多い。今どき、歩行器ぐらいで眉をひそめるところはまず無いだろうが、おふくろの世代は「他人に迷惑をかけるな」と叩きこまれている。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月30日には1973年から1995年まで9本のショウをしている。公式リリースは1本。
 ちなみに DeadBase XI によれば6月は最もショウの多い月で、253本。2位は3月、246本。3位10月、242本。最少は1月の90本。夏休みをとるので、7月8月は8位と9位。春と秋に活動し、夏と冬に休む、と言えそうだ。6月のアメリカは平均すれば初夏の、比較的良い気候なのだろう。

1. 1973 Universal Amphitheatre, Universal City, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。
 最高のショウの1本らしい。
 ここは当時屋根が無かったが、この日はそよとの風も無く、とんでもなく暑かった。第一部クローザー前の〈Black Peter〉でガルシアが "Just then the wind came squalling through the door…(ちょうどその時、扉から一陣の風が吹きこんできた……)" と歌ったところで、涼しい風が場内に吹きこんできて、客席から一斉に息を呑む声があがった。それから終演まで、そよ風が吹きつづけた。と Louis Woodbury が DeadBase XI で書いている。

2. 1974 Springfield Civic Center Arena, Springfield, MA
 日曜日。6ドル。開演6時半。
 セット・リストがごく珍しい、稀な組合せで、こういう時は調子が良い。この年のベストの1本にも数えられるそうだ。
 05月12日に始まった初夏のツアーの打ち上げ。3週間休んで、07月19日から夏のツアーに出る。

3. 1979 Portland International Raceway, Portland, OR
 土曜日。10ドル。開演午前10時。マッギン、クラーク&ヒルマンとデヴィッド・ブロンバーグ・バンドが前座。
 2つの前座とデッドの第一部の間、雨が降っていた。
 第二部6曲目〈He's Gone〉は前日に亡くなったローウェル・ジョージに捧げられた。

4. 1984 Indianapolis Sports & Music Center, Indianapolis, IN
 土曜日。12.50ドル。開演8時。
 かなり良いショウらしい。
 ヴェニューは全米クレー・コート・テニス選手権も行われた屋外テニスコートで、収容人員は5,500。

5. 1985 Merriweather Post Pavilion, Columbia, MD
 日曜日。16ドル。開演6時。
 第二部オープナー〈Shakedown Street〉がデッド史上最高の演奏の一つの由。

6. 1986 River Bend Music Center, Cincinnati, OH
 月曜日。16.50ドル。開場正午、開演7時。雨天決行。ディラン&トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとのツアーの1本。

7. 1987 Kingswood Music Theatre, Maple, ON, Canada
 火曜日。開場3時半、開演6時半。
 第二部4曲目〈Eyes Of The World〉の後、ウィアとミドランドの2人でジャムをする。
 かなり良いショウのようだ。第二部冒頭から〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain> Estimated Prophet> Eyes Of The World〉と続くだけでも悪いはずはない。

8. 1988 Rochester Silver Stadium, Rochester, NY
 木曜日。18.50ドル。開演7時。
 第二部5〜7曲目〈Believe It Or Not; Truckin> He's Gone〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 第二部オープナー〈Green Onions〉はこれが最初で最後の演奏。オリジナルはブッカーT&MG's の1962年のシングル。初めB面としてリリースされ、数ヶ月後、ABを引っくり返して再リリースされ、ポップ・チャートで3位、ソウル・チャートで1位となる。クレジットは Steve Cropper/ Al Jackson/ Booker T. Jones/ Lew Steinberg。
 〈Believe It Or Not〉はハンター&ガルシアの曲だが、7回しか演奏されなかった。この演奏は06月23日に続く2回目で、後半、ガルシアは熱唱、かなり良い演奏だ。悪い曲ではなく、演奏しにくそうでもなく、定番にならなかったのは惜しい気もする。
 〈Truckin> He's Gone〉、前者はきっちりした演奏で、歌の後のギター・リフの登り詰めも十分に高く、その後のドーンも決まる。快感。その後、ジャムに行かずに後者に移る。これはまた明るいヴァージョン。やつが消えてせいせいした、よかったよかった、万歳と歌う。コーダの "Nothing gonna bring him back." のリピートもいかにも楽しげで、戻ってくるなよー。メロディもどんどん変えてゆく。これほど表情が変わる曲は珍しい。この3曲を聴いただけでも、ショウが非常に良いとわかる。

9. 1995 Three Rivers Stadium, Pittsburgh, PA
 金曜日。32.50ドル。開演6時。Rusted Root 前座。第一部5曲目〈When I Paint My Masterpiece〉でウィアがアコースティック・ギター。
 Rusted Root は1990年にピッツバーグで結成されたワールドビート・ロック・バンド。1994年に《When I Woke》がヒットする。
 第二部の最初の一音が鳴ると同時に激しい雨が降りだした。そのため第二部は〈Rain〉〈Box of Rain〉〈Samba in the Rain〉〈Looks Like Rain〉と続いた。〈Looks Like Rain〉の途中で雨が止んだ。
 最悪と言われるこの夏のツアーの1本でも、これが最初で、そしてまずたいていは最後のショウになった人たちにとっては人生を変える体験にもなりえた。最悪のショウでも、デッドのショウは他のものとはまったく異なる体験なのだろう。
 クローザーの〈Standing on the Moon〉、アンコール〈Gloria〉はこれが最後。(ゆ)

0316日・水

 昨日、COVID-19のワクチン接種3回目を受けた家人は、注射されたところの筋肉の痛みに加え、今日になって発熱。上下した後、午後、38度になり、もらっておいた解熱剤を飲む。38度あって、だるいと言いながら、なんだかんだ家事をしている。えらいもんだ。あたしなどは37度でももう起きあがれない。

 夜半、デッドを聴いていて、〈Eyes of the World〉のすばらしいジャムに陶然としていると地震。なかなか揺れがおさまらないので、ヘッドフォンを外して様子を見る。ここは震度4だが、特にモノが落ちることもない。が、揺れ方と揺れている時間が、3/11の時にあまりに似ているので背筋が寒くなる。音楽にもどって聴きつづける気になれず、今日はもう仕舞いにして、あれこれニュースをネットで物色した後、寝る。

 11年目のこれも余震ということになるのか。大きな地震があるたびに、次はこっちだ、と思う。このままいつまでも関東に大地震が来ないということはない。どうせ来るものなのだから、さっさと来てくれ、あたしらがまだ元気なうちに、と思ったりもする。



##本日のグレイトフル・デッド

 0316日には1967年から1994年まで8本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版1本。


1. 1967 Whisky-A-Go-Go, San Francisco, CA

 残っているポスターではこの日までの7日連続のショウ。ただし、これも実際に行われたかは不明。


2. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA

 土曜日。このヴェニュー3日連続の中日。オープナーからの3曲〈Dark Star > China Cat Sunflower > The Eleven〉が《So Many Roads》でリリースされた。

 この3曲、まだ演奏されはじめて間がなく、いずれも速いテンポ。歌が始まるのも早い。1968年にはこの組合せが多く演奏される。

 DS ではガルシアのソロが長くなりだしていて、充実している。CCS もまだ跳ねてはおらず、流れるように演奏される。〈I Know You Rider〉と組み合わされるのは翌年秋。The Eleven はガルシアよりもレシュがリードをとる。ガルシアは遠慮しているのか、やりにくいのか、前2曲ほど積極的にソロを弾かない。どちらも良いジャム。なお、《So Many Roads》ではフェイドアウトする。


3. 1973 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uinondale, NY

 金曜日。5.50ドル。開演7時。このヴェニュー2日連続の初日。中2日休んで、再びここでやる。

 オープナーの〈China Cat Sunflower> Jam> I Know You Rider〉が2015年の、第一部7曲目〈Box Of Rain〉が2014年の、各々《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 〈China Cat Sunflower> Jam> I Know You Rider〉はこのセットのお手本のような演奏。CCS 後半のジャムがすばらしい。

 〈Box Of Rain〉ではドナがよい働きをしている。レシュのぎくしゃくした歌唱が、彼女がつけるハーモニー・コーラスによって角が丸くなり、歌としての品位が上がっている。


4. 1988 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 水曜日。このヴェニュー3日連続の初日。18.50ドル。開演7時。第一部がことに良いショウの由。


5. 1990 Capital Center, Landover, MD

 金曜日。開演7時半。このヴェニュー3日連続の最終日。全体が《Spring 1990》でリリースされた。

 ちょっととぼけた〈Let The Good Times Roll〉で始めたせいか、第一部は前日よりはおちついて、引き締まった演奏が続く。〈New Minglewood Blues〉はかつてはカウントをとってウィアがいきなり歌いだしていたが、ここではイントロがつく一方で、全体によく弾む。ミドランドの声と鍵盤の貢献が大きい。クローザー前の〈Bird Song〉でガルシアのギターのギアが入る。MIDI でいろいろと音を変える。すると霊感が湧くらしく、面白いフレーズが流れ出てくる。第一部クローザーの〈Blow Away〉はミドランドの曲ではベストだと思う。いいリフだ。

 第二部は前日の煽られて、前のめりの感覚がもどる。緊張と弛緩が同居しているのが、デッドの良いショウの特徴だが、緊張の方にバランスが傾く。オープナーの〈Scarlet Begonias〉からいつもの〈Fire on the Mountain〉に行かずに〈Estimated Prophet〉に行くのも、前のめりの現れに見える。しかし、この後半のガルシアのソロがすばらしく外しまくる。エッジが立っているのは〈Ship Of Fools〉では裏目に出ているところもあるが、〈Man Smart (Woman Smarter) 〉でのガルシア、ウィア、ミドランドの声の掛合いから、一度ぴしゃりと曲が終り、数拍間があって、ガルシアが前の曲の流れを引き継いで始めるジャムでは、即興をより奔放にする。DrumsSpace を経て、〈The Other One〉で再びインテンシヴになったところで〈Stella Blue〉。こういうところがデッドたる所以。しかも、センチメンタルにならない。デッドの音楽には何でもあるが、欠けているものもある。安易な感傷性と陳腐さだ。この曲などセンチメンタルの極致になってもおかしくないが、そうはならない。なぜ、そうならないのか、まだよくわからない。しかし、この湿ってもドライでもない、しかし感情の量では不足のない演奏は気持ちが良い。アンコールのストーンズ〈The Last Time〉で声を合わせるガルシアとウィアに足許をすくわれる。


6. 1992 The Spectrum, Philadelphia, PA

 月曜日。開演7時半。このヴェニュー3日連続の中日。かなり良いショウだった由。


7. 1993 Capital Centre, Landover , MD

 火曜日。開演7時半。このヴェニュー3日連続の初日。当時の副大統領アル・ゴアが来ていたという。


8. 1994 Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL

 水曜日。27.50ドル。開演7時半。このヴェニュー3日連続の初日。ガルシアのヴォーカルが良かった由。(ゆ)


0311日・金

 夜中、頻繁にトイレに起きる。膀胱満杯。微熱がある感じで、眼が覚めても寝た気はしない。どうしても郵便局に行かねばならず、出かける前に念のため熱を測るが平熱。ただ、頭はぼんやりしている。午後になってだんだんダルさが募り、1500前、寢てしまう。1800過ぎまで眠る。だいたい1〜2時間おきに小用に通うのは2回目と同じ。目覚めると、空腹感を覚えて、食事するとだいぶ回復。全体としては2回目と同じ状態。



##本日のグレイトフル・デッド

 0311日には1967年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1967 Whisky-A-Go-Go, San Francisco, CA

 土曜日。このヴェニュー7日連続の2日目。セット・リスト不明。


2. 1968 Memorial Auditorium, Sacramento, CA

 月曜日。3ドル、3.50ドル、4ドル。開演7時半。ポスターによれば、共演クリーム。となれば、デッドはたぶん前座。セット・リスト不明。


3. 1971 University Centre Ballroom, Northern Illinois University, DeKalb, IL

 これはどうやらキャンセルされたらしい。


4. 1992 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 水曜日。開演7時半。このヴェニュー3日連続の初日。ブルース・ホーンスビィ参加。


5. 1993 Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL

 木曜日。開演7時半。このヴェニュー3日連続の最終日。Space に続いて Ken Nordine "word jazz" を2曲やった。

 Ken Nordine (1920-2019) はアメリカの声優、シンガー。深く響く声の持ち主で、コマーシャルや映画の予告篇に多数登場し、「名前は知らなくても、皆その声は知っている」と言われた。

 1957年に The Fred Katz Group とともにアルバム《Word Jazz》を発表したことで知られる。ジャズ・コンボの演奏をバックに小噺、ジョークを語る形。その「曲」にはなかなかシュールなものもある。

 デッドとの縁は1990年に、大晦日のオークランドからのラジオ放送の総合司会をガルシアから依頼されたことによる。放送のため、ノーダインはガルシア、ハート、それにハムザ・エル・ディンとともに即興を録音する。ここから《Devout Catalyst1991と《Upper Limbo1992のアルバムが生まれる。

 1990年の大晦日年越しショウはブランフォード・マルサリス、リバース・ブラス・バンド、ハムザ・エル・ディンが参加し、全体が FM で全国放送された。(ゆ)


0310日・木

 親族の勤務先の職域接種で3回目のワクチン接種。前2回はファイザーで、今回はモデルナ。都心まで出かける必要はあるが、会場そのものはがらがら。解熱剤をもらい、15分待機して、ぶらぶらと帰る。普段は階段を使うところも今日はエスカレータ。歩く速度もわざとゆっくり。入浴はできるが、注射した箇所はこするな。今日は何ごとも無い。

 着くのが早すぎたので、あたりを散歩。文京区の古いところで、大通りからちょっと入ったところに出世神社なるものがある。春日局の拝領地があったところの由。神社の境内?は狭い公園になっていて、社殿のすぐ脇の斜面を利用してすべり台が造られたりしている。こうなると、あまりありがたみは無い。それでも注連縄などは新しい。

 樋口一葉が近くに住んだという銘板もある。それでたしかみすず書房が近いはずだがと思いだす。紙工とか印刷とか製本とか、出版を支える仕事の小さな会社がいくつもある。目についたところでは一番元気そうなのは紙工が社名についた会社。ただ紙工は昔は本の函を作るのがメインだったと思うが、今は何をやっているのだろう。



##本日のグレイトフル・デッド

 0310日には1967年から1993年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。


1. 1967 Whisky-A-Go-Go, San Francisco, CA

 金曜日。このヴェニュー7日連続の初日。7本連続ではない。休み無しの1週間通し公演。San Francisco Chronicles に小さな告知があり、会場の宣伝も残っている。後半?の宣伝には The Coasters が前座とある。セット・リスト不明。

 会場は有名なロサンゼルスのヴェニューの支店。

 The Coasters 1955年にロサンゼルスで結成されたリズム&ブルーズ・グループで、1950年代、一連のヒットを持った。現在も現役。ロックンロールの殿堂入りした最初のグループ。キャリアからいえば、デッドが前座をしてもおかしくないが、この頃は人気が衰えていたからだろうか。


2. 1981 Madison Square Garden, New York , NY

 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。12.50ドル。開演7時半。これも良いショウの由。


3. 1985 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA

 日曜日。Drums の後の〈Stella Blue〉が良い由。1980年代以降はこの位置で歌われることが多くなり、印象深い演奏も増える。


4. 1993 Rosemont Horizon Arena, Rosemont, IL

 水曜日。開演7時半。このヴェニュー3日連続の中日。前日とは打って変わってパワフルなショウの由。(ゆ)


0304日・金

 白内障手術のため入院する母に付き添う。病院は COVID-19 対策のため、面会を中止しているため、付添いもナース・ステーションまでで、病室には入れない。ということだったが、結局、病室まで確認。ただし、午後の手術には立会えず。



##本日のグレイトフル・デッド

 0304日には1994年にだけショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1994 Blockbuster Desert Sky Pavilion, Phoenix, AZ

 金曜日。23ドル。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの初日。

 ヴェニューは屋根の下に8,000、屋外に12,000の座席をもつ半屋外アンフィシアター。199011月オープン。柿落しはビリー・ジョエル。デッドがここでやったのはこの3日間のみ。

 アリゾナ州フェニックスでは19680622日が初めてで、2度目が19700308日。そして3度目で最後がこの時。(ゆ)


0303日・木

 母の白内障手術の入院のための検査に付き添う。レントゲンと PCR 検査。レントゲンは肺炎が無いかどうか。PCR 検査は陽性なら連絡が来て中止。だが、連絡は来ず。



##本日のグレイトフル・デッド

 0303日には1966年から1992年まで7本のショウをしている。公式リリース無し。


1. 1966 A.I.A.A. Hall, Los Angeles, CA

 広告によれば "The Psychedelic Experience" なる映画の上映の余興らしい。午後8時と10時とあるのは2回上映したのか。セット・リスト不明。


2. 1967 Winterland Arena, San Francisco, CA

 "The First Annual Love Circus" というイベントで、デッドのウィンターランド・デビュー。前売3ドル、当日3.50ドル。午後7時から午前7時まで。セット・リスト不明。

 共演ラヴ、モビー・グレープ、ローディング・ゾーン、Blue Crumb Truck Factory

 この最後のものは不明。


3. 1968 Haight Street, San Francisco, CA

 通りの真ん中に駐めたトラックの荷台で演奏したフリー・コンサート。8曲のテープとセット・リストが残るが不完全。


4. 1971 Fillmore West, San Francisco, CA

 水曜日。3.50ドル。チケットには "Airwaves Benefit" というスタンプが押されている。単独のショウ。


5. 1981 Cleveland Music Hall, Cleveland, OH

 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。


6. 1987 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 火曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。17.50ドル。開演8時。第二部オープナーの〈Iko Iko〉でダーティ・ダズン・ブラス・バンド?が参加。デッドが始めてダーティ・ダズンが合わせようとしたがうまくいかず、次にダーティ・ダズンがニューオーリンズ・スタイルでどーんと始め、デッドはほとんど呑みこまれたが、すばらしい演奏になる。


7. 1992 The Omni, Atlanta, GA

 火曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。23.50ドル。開演7時半。ブルース・ホーンスビィ参加。良いショウの由。(ゆ)


0227日・日

 花粉の季節が始まる。かみさんが結構激しい花粉症なので、これから5月の連休明けまでは、洗濯物を外に干せず、部屋干しになる。今はまだ洗濯物が多いので、狭い室内でいかにたくさん、効率的に干すか、様々に工夫をしている。愉しそうにやっていて、ほとんど芸術的だ。かみさんがまだ仕事をしていた去年の今頃はあたしが干していたはずだが、どうやっていたか、もう忘れている。少なくとも、こんな芸術的な曲芸はしていなかったはずだ。

 かみさんが仕事をやめたのは、教員免許の更新制度にひっかかって、免許が失効したためだが、別の愉しみを見つけたようでもある。文科省が今頃になって免許更新制度廃止すると言いだしたのは、かみさんのように、免許失効とともに完全に辞める教員が「想定を上回って」、人手不足がどうしようもなくなったためだ。昨年春は、教員免許更新制度で期限が来た教員が年金フル支給開始年齡に達した初めての年だった。免許更新制度などというものを「後出しじゃんけん」で作ったらどうなるか、初めて明らかになったわけだが、文科省官僚にはこの当然の結果が予測できなかったというのだろうか。

 義弟夫人は都の小学校教員で、ただでさえ人手不足のところへパンデミックが加わり、さらに今回は小学生の罹患が増え、そこから感染する親の教員が続出して、現場はパニック状態だそうだ。児童・生徒の患者が増えれば学級閉鎖になるが、担任が感染しても学級閉鎖にはならない。一方で、オンライン授業といっても、小学生が画面の前でおとなしくしているはずもなく、成立しているのかどうかすらあやしい。限界を超えているのは、医療現場だけではない。物流など、いわゆるエッセンシャル・ワークと急にもちあげられている仕事の現場はどこも同じだろう。

 うーむ、さて、では、あたしに何ができるか、となると、とにかく身をつつしんで、感染リスクを下げ、免疫力を上げて、感染してもそうとは気がつかないでいられるようにする、くらいしか思いつかん。



##本日のグレイトフル・デッド

 0227日には1969年から1994年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本。うち完全版1本。


1. 1969 The Fillmore West, San Francisco, CA

 木曜日。このヴェニュー4日連続の初日。ここからの4本の録音から選抜されたものが《Live/Dead》の核をなした。後、《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》で4本とも全体がリリースされた。

 このショウについては第二部3・4曲目〈Dark Star> St. Stephen〉が《Live/Dead》でリリースされ、第一部3曲目の〈That's It for the Other One〉が《So Many Roads》でリリースされた。またアンコールの〈Cosmic Charlie〉が《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》からの抜粋《Fillmore West 1969 (3CD)》に収録された。さらに、2018年のレコード・ストア・ディ向けに、この初日の全体がアナログ・ボックスでリリースされた。

 第二部冒頭の2曲〈Dupree's Diamond Blues〉と〈Mountains Of The Moon〉でガルシアがアコースティック・ギターを弾く。後者の後半ではソロもとる。かなり良い。デッド以前の録音集《Before The Dead》では達者なギターが聴けるから、エレキでなければだめというわけではない。優れたギタリストでアコースティック・ギターは弾けるがエレキはダメという人はいるが、逆はまずいない。エレキがダメな人も、テクニカルなレベルではなくて、審美的なレベルでエレキが使えないだけだ。

 〈Dark Star〉から〈Turn On Your Lovelight〉の並びはここでもハイライトで、《Live/Dead》で前半だけとったのは不思議。長さとしては似たようなもので、アナログ片面に入るから、判断の基準としては演奏の出来であろうか。しかし、この4日間の出来はどれも甲乙つけ難し。比べて優劣がつけられるようなものでもない。判断した本人たちも、明瞭な理由はないのかもしれない。むろん、理由はなくても判断ははっきりしていることはありうる。

 アンコールは〈Cosmic Charlie〉だが、どうにもしまらない演奏だ。この曲はこの4日間ではこの日と0301日にやっているが、どちらもひどい。演奏よりもまず曲がひどい。ガルシアは曲作りにまだ慣れていなかったと言うが、それだけでもないだろう。短期間でレパートリィから落ちるのは、単に演奏が難しいだけではないはずだ。こういう曲を聴きたいという強い欲求がどこから生まれるのか。アメリカ人は感性が違うのか。出来の悪い子ほどかわいいのと同じ心理か。出来の悪い曲を四苦八苦しながら演奏する姿がいとおしいのか。


2. 1970 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA

 金曜日。このヴェニュー3日連続の初日。3.50ドル。コマンダー・コディ&ヒズ・ロスト・プラネット・エアメン共演。

 2時間半近い一本勝負。ここの音響はひどかったらしい。


3. 1977 Robertson Gym, University Of California, Santa Barbara, CA

 日曜日。8.50ドル。開演7時半。クローザーからアンコールの3曲〈Morning Dew〉〈Sugar Magnolia〉〈Johnny B. Goode〉が《Dave’s Picks, Vol. 29》でリリースされた。この年らしく、全体も良いショウと言われる。残りもきちんと出してもらいたいものだ。

 この3曲だけでも、ショウの出来の良さは察しられる。どれも各々の曲のベスト・ヴァージョンの一つ。面白いのは、この3曲はどれも軽やかに演奏される。肩に余計な力が入っていない。

 〈Morning Dew〉ではエモーショナルになるところでも余裕を残し、過剰な思い入れを排する。むしろ、距離をとってクールに唄い、演奏する。歌の後のインスト・パートは初め、ごく静かに始まり、徐々に音量を上げ、激しさを増してゆくが、最後の爆発でも目一杯ではない。最後の "It doesn't matter anyway." もむしろ余韻を愉しむ。

 1度終って、あらためてウィアが始める〈Sugar Magnolia〉でもまずテンポに余裕がある。イントロでガルシアが弾くギターは蕪村の俳諧のような軽みをもって、ふふふと笑っている。歌の後の間奏パートでは、春の歓びが湧いてくる。"Sunshine Daydream" で、ウィアとドナの息がぴったり合う。この二人のための曲に聞える。

 いつもは重く激しく演奏されるロックンロール・ナンバーまでもが軽やかだ。愉しそうな演奏の最後、コーダでガルシアのギターが自在に駆けまわる。


5. 1981 Uptown Theatre, Chicago, IL

 金曜日。このヴェニュー3日連続の中日。

 第二部オープナーから〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain> Estimated Prophet> Eyes Of The World〉という並びはこれが唯一だそうだ。この4曲、あるいは一組のペアと2曲はどれもバンドにも聴衆にも最も人気が高い曲に数えられ、同じショウの中で演奏されることは少なくないが、全部連続してやるのは稀らしい。たいていは前のペアと後のペアの間に何かはさまるか、第二部の Drums> Space パートの前後に別れるとかする。


5. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 木曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。マルディグラ祝賀で、第二部冒頭〈Iko Iko > Man Smart (Woman Smarter)〉でマルディグラのパレードが行われ、Michael Doucet & Beausoleil が共演。高さ10メートルの骸骨が現れて踊った。天井から10人ほどがワイヤで操り、本当に踊る。〈Man Smart (Woman Smarter)〉の最後に向かってだんだん低くなり、最後は片腕だけが天を指し、最後の音とともにそれも崩れた。

 Michael Doucet & Beausoleil はニューオーリンズのケイジャン/ザディコ・バンド。ドゥーセットはフィドル、アコーディオンなどを演奏し、歌も作り、歌う。1975年にボーソレイユの前身になるバンドを始め、1977年にファースト・アルバムを出す。今も現役。あたしなどはデッドを聴きはじめる遙か前、1980年代から聴いていて、旧馴染のミュージシャンがデッドと共演しているのを見るのは嬉しい。


6. 1994 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 日曜日。このヴェニュー3日連続の最終日。26.5ドル。開演7時。第二部後半で〈The Other One〉から〈Wharf Rat〉に移る前に、一瞬〈Cosmic Charlie〉をやりかけて止め、〈Wharf Rat〉を始めた。これに対し、聴衆から「ブー」が起こった。

 〈Cosmic Charlie〉は19681008日サンフランシスコ初演で、1969年と70年に各々20回ほど演奏されてレパートリィから落ちる。1976年に復活して数回演奏され、最後は19760925日、メリーランド州ランドーヴァー。トータル45回。スタジオ盤は《Aoxomoxoa》。この曲についてガルシアは、これを作った時にはまだハンターとともに曲を作りだしたばかりで、ステージで演奏することはまるで考えていなかったから、あまりにテクニカルなことを詰めこみすぎて、ライヴでまっとうに演奏できる自信がついに持てなかった、と言っている。レパートリィから落ちるには、それなりの理由がある。

 デッドヘッドは古い歌への郷愁が強い。60年代の曲で、長いこと演奏されないというだけで価値があるとする傾向がある。〈Wharf Rat〉よりこっちを聴きたい、とまで言われると正直ついていけないのだが、ショウに通っていなかったせいだろうか。ライヴで聴くことに価値があるのかもしれないが、全ての曲をやるわけにもいかないだろう。この年、このバンドは143曲もの異なる曲を演奏している。

 この歌に関しては、1980年代半ばに "Bring back Cosmic Charlie" キャンペーンが行われたこともあるそうだ。デッドは自分たちが演奏したいもの、演奏して愉しいものしか演奏しないから、こういうリクエストに応えることはまずしない。あるいはそれは承知の上で、こういう形で「遊んで」いたのだろうか。この「ブー」も本気ではなく、そんなことでバンドが気を悪くすることはない、と信じていた故の遊びであろうか。

 ただこの歌にはユーモアの感覚がはっきり出ている。デッドはユーモアのセンスには事欠かないが、後の時期ではより目立たない、隠れたものになることは確かだ。ストレートなユーモアよりも、風刺やほのめかしが多くなる印象がある。ステージ上のやりとりは諧謔に満ちてはいても、音楽はかなりシリアスに聞える。そうしてみると、こういうユーモラスな歌を聴きたいという欲求はより理解できる。(ゆ)


0225日・金

 市から Covid-19 ワクチン3回目接種券到着。

 公民館に行き、本5冊受け取り。借りてきた本の1冊は Helen Swick Perry, The Human Be-In, 1970 の邦訳『ヒッピーのはじまり』。昨年5月、作品社から出たもの。原書は古書でも140ドルとかしている。邦訳には当時のポスター、写真、記事などのヴィジュアルもついていて、とにかくこいつを読むべえ。

ヒッピーのはじまり
ヘレン・S・ペリー
作品社
2021-05-31

 

 もう1冊は Johann Hari, Chasing The Scream: The First and Last Days of the War on Drugs, 2015 の邦訳『麻薬と人間』。こっちはベストセラーだけあって、原書も安いが、これも翻訳をまず読んでみんべえ。『スターリングラード攻防戦』のように、よほどひどければ原書に行けばよい。邦訳は昨年2月、またしても作品社。ここは田川建三さんの『新約聖書 訳と注』を出している。こうなると今、一番面白い版元と言ってもいい。

麻薬と人間 100年の物語
ヨハン・ハリ
作品社
2021-01-29

 

 あとの2冊はジギスムンド・クルジジャノフスキイの作品集2冊。まあ、これは買ってもいいんだが、念のため確認。河出からもう1冊出ている。河出の『神童のための童話集』の訳者がキンドルで2冊出している。

 あたし的にはグラドの輸入元のナイコム名義でスパムが来る。送付元を確認するとアドレス末尾が .pk だからパキスタン。これも本当にそこから来ているかはわからん。ナイコムのサイトを見たらアナウンスがあった。eイヤホンの親会社のK氏からも、自分の名前でスパムが出回っているとお詫びのメール。今時、なりすまされるのは本人の落ち度ではなかろう。どこやらの中間のサーバが侵入されたんじゃないか。ナイコム、eイヤホンとは過去にメールのやりとりをしていた。



##本日のグレイトフル・デッド

 0225日には1966年から1995年まで5本のショウをしている。公式リリースは1本。


1. 1966 Cinema Theatre, Los Angeles, CA

 Sunset Boulvard Acid Test。2ドル、メンバーは1ドル。開演午前零時。8曲のセット・リストが残っている。


2. 1967 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。オーティス・ラッシュ&ヒズ・シカゴ・ブルーズ・バンドとキャンド・ヒート共演。セット・リスト不明。


3. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 この年最初のショウ。このヴェニュー3日連続の初日。開演7時。

 第一部8曲目、クローザー前の〈Cassidy〉が《Without A Net》で、5曲目〈Stagger Lee〉が昨年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 ローリング・ストーンズの〈The Last Time〉が第一部7曲目でデビュー。19950706日まで、計70回演奏された。スタジオ盤収録は無し。

 〈Stagger Lee〉はガルシアのヴォーカルが遠くて、ほとんど聞えないのが難点だが、演奏はいい。

 〈Cassidy〉は宝石の一つ。《Without A Net》はレシュの選曲で、こういうのを拾うあたり、さすがだ。ウィアとミドランドが左右に別れて聞えるが、ちゃんとデュエットになっている。この曲はドナがいた時に、おそらく彼女の声を念頭に置かれて書かれている。ミドランドは見事にドナの代役をつとめて、この歌のしぶとさが滲みでる。それに誘われたか、3番の後のインストルメンタルが不定形のジャムになる。全員参加、誰がリードともわからない集団即興。長くはないが、それもまたよし。これぞ、デッドを聴く醍醐味。あっさりと、一見、何の合図もなく、コーラスにもどるところもカッコいい。この年のこの時期の異常なまでの好調さがよくわかる。


4. 1994 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 この年最初のショウ。このヴェニュー3日連続の初日。春節記念。24.50ドル。開演7時。

 この年のショウは85本。前年より4本増えた。レパートリィは143曲。うち前年には演奏されなかったものが12曲。新曲は3曲。〈Samba in the Rain〉〈If The Shoe Fits〉〈Childhood’s End〉。興収では5位。ローリング・ストーンズ、ピンク・フロイド、イーグルス、バーブラ・ストライザンドに次いだ。

 1月にバンドは「ロックンロールの殿堂」入りをした。その式典にガルシアだけは欠席し、等身大の写真の切抜きが代わりに出た。

 〈Samba in the Rain〉はハンターの詞にウェルニクが曲をつけた。6月8日にサクラメントで初演。1995年7月9日のラスト・ショウまで38回演奏。スタジオ盤収録無し。

 〈If The Shoe Fits〉は Andrew Charles 作詞、レシュ作曲。6月9日サクラメントで初演。1995年3月24日まで計17回演奏。スタジオ盤収録無し。

 〈Childhood’s End〉はレシュの作詞作曲で7月20日インディアナ州ノーブルヴィルで初演。1995年7月9日のラスト・ショウまで計11回演奏。

 レシュの2曲は《Ready Or Not》にも入らず、公式リリースでは出ていない。

 ニコラス・メリウェザーはどれもポテンシャルはあるが、十分に育つだけの時間が無かったとしている。


5. 1995 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。開演7時。(ゆ)


0219日・土

 母の COVID-19 ワクチン3回目の接種に付添う。東京23区はどこもそうだろうが、今受けているのはほとんどが老人。そのまたほとんどに付添いがいる。区の方も慣れたもので、「同伴者」の札を用意していて、首からかける。あたしもそうだが、付き添っているのもすでに老人の範疇にいる人ばかり。30分待機してから出る。今日のところは体調に変化はないようだ。4回目があるかねえ、と母が言う。言われてみれば、あるかもしれない。



##本日のグレイトフル・デッド

 0219日には1966年から1995年まで、8本のショウをしている。公式リリースは2本。うち完全版1本。


1. 1966 Northridge Unitarian Church, Los Angeles, CA

 ノースリッジのアシッド・テストを、DeadBase 0206日とし、アウズレィ・スタンリィはこの日としている。ロサンゼルスへの移動を考えれば、この日とみる方が合理的。いずれにしてもセット・リストが残る性格のものではない。


2. 1969 Fillmore West, San Francisco, CA

 この日、ここでデッドが演奏したことはどうやら確かだが、どういう性格のギグかがはっきりしない。DeadBase 50 は、これは "Celestial Synapse" と呼ばれるイベントとし、『サンフランシスコ・クロニクル』のレヴューに触れられているランチョ・オロンパリの Don McCoy によるスピーチが、この日のものとして残っているテープにあることや、ステージ上でのチャントもこのイベントでのこととされているものに合致することを根拠としている。


3. 1971 Capitol Theater, Port Chester, NY

 このヴェニュー6本連続ランの2本目。前日に続き、全体が《Three From The Vault》でリリースされた。なお、このランからは次の次、0221日のショウも全体が《Workingman's Dead50周年記念盤でリリースされた。

 前日に勝るとも劣らないすばらしいショウ。ハート離脱の穴を埋めようと、クロイツマンだけでなく、全員が奮起している。もしここで無様なショウをやれば、それはハートのせいということになり、それは自分たちとしても許せない、ということもあったかと思われる。ハート離脱の原因を皆、承知している。

 面白いのは、前日初演の〈Bertha〉はまだ完全に固まってはいないものの、曲としては完成しているのに対し、ずっと前から演奏している〈Playing in the Band〉が未完成である印象があることだ。もっともこの曲には完成ということがなく、その姿が常に変化しつづける性格なのかもしれない。そう思ってみると、デッドのレパートリィにはこういう性格の曲がいくつかある。〈Dark Star〉がそうだし、〈The Other One〉〈Bird Song〉などもそうだ。〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉もその一つに数えてもいいかもしれない。いずれもデッドの音楽を特徴づけ、代表する曲だ。

 引き締まった演奏が続くが、ラストに向かって、その場にいないハートへの各自の想いがかちりとハマったのか、〈Good Lovin'〉で演奏のレベルがぐんと上がる。ピグペンが全盛期なみのラップを繰り出し、これにガルシアがエネルギッシュなギターで応え、さらにバンドが反応する。終り良ければすべて良し。


4. 1973 International Amphitheatre, Chicago, IL

 6ドル。開演7時。セット・リストが今一つはっきりしない。判明しているものは少なすぎる。その中で、第二部オープナーからの3曲〈He's Gone> Truckin'> The Other One〉計42分超が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。ただ、これも〈He's Gone〉の途中でテープがクリップし、最後は音が揺らいで曲の途中で切れている。《30 Days Of Dead》以外ではリリースできないかもしれない。

 演奏はすばらしい。〈He's Gone〉では、最後の "Nothing gonna bring him back" を延々と繰返しながら、ドナとウィアが自由に叫び、その背後でキースがユーモアたっぷりに音数の少ないピアノで合の手を入れるのが面白い。その後のガルシアのソロも味わいがある。ベースがリフを始め、ガルシアが応じて、次に移行。〈Truckin'〉後半のジャムは曲を離れて進み、独得の浮遊感を生みだす。〈The Other One〉に移ってもそれは変わらず、混沌と秩序の同居が続く。42分を超えて、テープが切れるのはまことに惜しい。


5. 1982 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA

 このヴェニュー2日連続の初日。良いショウの由。


6. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。15ドル。開演8時。

 第二部オープナーの〈Truckin'〉で、バンドがパクられたところの歌詞に、聴衆は大歓声で応えた。この歌は1971年2月にニューオーリンズでバンドが麻薬所持で逮捕されたことを題材にしているから、この年正月にガルシアがやはり麻薬所持で逮捕されたことに反応したわけである。演奏も良いものだそうだ。


7. 1991 Oakland County Coliseum Arena, Oakland, CA

 この年最初のショウ。このヴェニュー3日連続の初日。春節記念。開演7時。

 第一部クローザーとして〈New Speedway Boogie〉が、19700920日以来、21年ぶりに演奏された。

 この曲はハンター&ガルシアの作で、オルタモントの一件を歌ったもの。事件の2週間後、19691220日、フィルモア・オーディトリアムで初演。復活後は年数回演奏されて、19950702日インディアナ州ノーブルヴィルが最後。計55回演奏。スタジオ盤は《Workingman's Dead》収録。

 1991年には77本のショウを行い、139曲を演奏した。新曲は無し。しかし、音楽的にはデッドのキャリアの中でも特筆すべき年と言われた。要因の一つはブルース・ホーンスビィの参加だろう。かれのピアノやアコーディオンによってガルシアが刺激された。この時期になると、ガルシア以外のバンドは四半世紀のライヴを通じて完成の域に達していて、ショウの出来はガルシアの出来次第とも言える状態になっている。全体としてのスイッチが入るかどうかは残っているが、そのスイッチのオン・オフも、ガルシアの調子にかかる比率が増えるように見える。バンドの演奏にとって最大の不安定要因がガルシアということはまたガルシアに対する見えない圧力としても作用するようになる。かけている方も、かけられている方も、それと意識しない、ステルスな圧力だ。ホーンスビィが入ることで音楽的な刺激を受けたガルシアはこの圧力をやはり無意識のうちに分散することができたのだろう。


8. 1995 Delta Center, Salt Lake City, UT

 この年最初のショウ。このヴェニュー3日連続の初日。28ドル。開演7時半。

 デッド結成30周年、だが、ガルシアの健康はボロボロで、バンドはとても30周年を祝える状態では無い。結局、0709日シカゴのショウが最後となる。この年最初のこの3日間はおそらくこの年のベストのラン。

 この年、デッドのショウは47本。レパートリィは143曲。うち13曲は前年には演奏されなかった。ショウの本数は少なくとも収入はその減少を補って余りあり、3,350万ドル。イーグルス、ボーイズ IIメン、R.E.M. に次いで4位だった。最後の0708日、09日のシカゴ、ソルジャーズ・フィールドでのショウもローリング・ストーンズ、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、イーグルスのものに次いで単独のコンサートとして4番目の規模。もし通年でツアーをしていれば、興収でトップになっただろう。これをひと言で言えば、デッドは大きくなり過ぎたのだ。その重みがガルシアを圧し潰し、バンドを圧し潰した。(ゆ)


0204日・金

 歯医者に行った帰り、交差点の横断歩道を渡っていて、軽のバンにあやうく轢かれそうになる。停まりそうにないと気づいて、あわてて前に飛びのく。当ってくると思った瞬間、後ろの右の方で急ブレーキの音。飛びのく前、一瞬、目に入ったところでは、運転手は脇見していた。右側でおばあさんが「まあ」と言う声が聞えた。ふり返ってみるが、運転席は暗くて見えず。

 運転している人間がまともだという前提は危険だ。運転している人間は基本的に危険であると思わなくてはいけない。運転している車がプロのものであってもだ。

 それに神奈川では救急医療が崩壊しているから、事故にあってはいられない。


 Bandcamp Friday につき、CD7枚注文。しかし、送料が高い。やはり、今回はどこも上がっている。困ったことである。CD の作り方にもミュージシャンの性格が出る。モノは作り手の性格を否が応なく出してしまう。デジタル・データは作り手の性格を隠す。



##本日のグレイトフル・デッド

 0204日には1968年から1979年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1968 Gym, South Oregon College, Ashland, OR

 クィックシルヴァーとの北西部ツアー。前売2.50、当日3.00ドル。8時から12時まで。セット・リスト不明。


2. 1969 The Music Box, Omaha, NB

 テープからすると、1時間半強の一本勝負らしい。

 The Liberation Blues Band というローカルのブルーズ・ロック・バンドが前座を勤めた。1968年から1年ほど続いたバンドで録音は無いようだ。


3. 1970 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA

 全体が《Download Series: Family Dog at the Great Highway》でリリースされた。

 1時間半弱、全部で9曲。短かいが、かっちりとコンパクトにまとまったショウ。とりわけ突出したパフォーマンスはないが、全体としてエネルギーが漲っている。

 このショウは撮影され、オープナーの〈Hard To Handle〉と、前半クローザーの〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が "San Francisco Rock: A Night at the Family Dog" というテレビ番組の一部に使われた。YouTube に上がっている。当時の雰囲気がよくわかる。ステージの下でも上でも女性たちが踊っている。レシュとウィアとクロイツマンはきれいに髭をあたっている。映像で見ると別の感動がある。


 この番組ではデッドの他、ジェファーソン・エアプレインとサンタナの映像も使われた。最後に3つのバンドからのメンバーが参加したジャムが行われた。参加したのは、デッドからはガルシアとハート、エアプレインからはポール・カントナー、ヨウマ・カウコネン、ジャック・キャサディ、グレイス・スリック、サンタナからカルロス・サンタナ、マイケル・カラベッジョ、マイケル・シュリーヴ。


4. 1978 Milwaukee Auditorium, Milwaukee, WI

 全体で18曲のうち、以下の4曲が公式リリースされた。

第一部

05. Row Jimmy 9:13 30 Days of Dead 2014

07. Candyman 6:55 30 Days of Dead 2012

08. It's All Over Now 7:39 Dick's Picks, Vol.  18

第二部

11. Dupree's Diamond Blues 4:37 Dick's Picks, Vol.  18

 前日、翌日と並んでこの日もとても調子が良い、とわかる。どの曲でもガルシアは面白く、味わいのあるギターを聴かせる。また、ドラムスが叩きだす、バネの効いたビートがすばらしい。〈Row Jimmy〉ではレゲエをとりいれながら、レゲエのビートになりきらないところが愉しい。〈Dupree's Diamond Blues〉は前年10月に8年ぶりに復活しているが、60年代のものとはまったく見違えるほどユーモラスな良い演奏で、この歌に適切な演奏スタイルのキモをようやく摑んでいる。その手応えがあったからこそ復活したのだろう。ある曲を長く間があいて復活させる時は、デッドは周到な準備をしている。何らかの形で、残りのトラックもリリースしてほしい。


5. 1979 Dane County Coliseum, Madison, WI

 7.50ドル。開演7時。第二部が良い由。(ゆ)


0126日・水

 佐々木さんが Ascii.jp のコラムでオーディオ製品の品薄と値上がりは一時的な現象ではないかもしれないと指摘している。製品の値上がりは流通コストの値上がりだけでなく、部品の値上がりと品薄によるところが大きい、と聞く。オーディオ回路を構成する基本的な部品が枯渇しているのだそうだ。

 パンデミックはオミクロン株の登場で先が見えたと WHO も言うくらいだが、パンデミック自体は収まっても、それが引き起こした混乱や変化は少なくとも当面は停まらないだろう。ウクライナ危機もパンデミックが引金になったとも見えるし、これから思わぬところで影響が出てくるとも思える。先日はガス湯沸器の部品が無くて製品が作れず、壊れると交換できないので、鍋で風呂のお湯をわかした、という話がとりあげられていた。

 パンデミックはこれまで隠れていたり、見えなかったりしたことやものを暴露しているが、そういう流れも止まらないんじゃないか。もっとも、それは必ずしも悪いことではなくて、隠れていた欠陥を直したり、見えなくてなおざりにされていたことに正面から向かったりするチャンスでもある。

 オーディオの世界だっていろいろとヘンなことはあるわけで、まずは部品の不足や値上がりという形をとっているけれど、次にはもっと根本的なところで変化が起きるだろうと不安ながら、期待もしている。



##本日のグレイトフル・デッド

 0126日には1968年から1993年まで、3本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1968 Eagles Auditorium, Seattle, WA

 4ドル。午後9時から午前2時まで。このヴェニュー2日連続の1日目。2223日とは異なり、この2日間については、地元紙とワシントン大学の学内紙の調査で、確認されている。ポスターも残っている。

 この日のものか、23日のものか、定かではないテープがあり、Dead.net 23日のものとして、《Road Trips, Vol. 2 No. 2》とそのボーナス・ディスクで後半の7曲をリリースしている。しかし、上記の事情から、こちらの方が確実性が高い。

 ボーナス・ディスクは所持せず。本篇の方には〈Beat It on Down the Line〉〈It Hurts Me Too〉の2曲。前者は後に比べると性急なまでのアップテンポ。ウィアは興奮して声が上ずり、一気に駆けぬける。始める前に「いくつにする?」と誰か、クロイツマンかが訊いて、ガルシアがこれを増幅する。誰かが「17」か「9」と言ったらしく、ガルシアが、どっちにするんだ、とダメを押す。結局17になる。この数は曲の頭のドン・ドン・ドンという踏みならしをいくつにするか、という話。後者ではハーモニカ・ソロに続くギター・ソロはなかなか良い。ガルシアのブルーズ・ギターは時にはかなりのものになる。

 〈Beat It on Down the Line〉は Jesse Fuller のクレジット。ウィアがリード・ヴォーカルで、19660519日、アヴァロン・ボールルームで初演。19941003日ボストンが最後。計328回演奏。スタジオ盤はファースト。

 〈It Hurts Me Too〉はエルモア・ジェイムズ&タンパ・レッドのクレジット。ピグペンのヴォーカルとハーモニカによるブルーズ・ナンバー。上と同じく19660519日、アヴァロン・ボールルームでデビュー。19720524日、ロンドンが最後。計57回演奏。スタジオ盤収録無し。ピグペンのバンド離脱とともにレパートリィから消える。


2. 1969 Avalon Bollroom, San Francisco, CA

 このヴェニュー3日連続の最終日。1時間強。二部に別れていたかは定かではないが、記録はどれも二部に分けている。もっとも全部で7曲。第一部後半の〈Clementine> Death Don't Have No Mercy〉が《Aoxomoxoa50周年記念版で、第二部後半の〈The Eleven> Turn On Your Lovelight〉が《Live/Dead》で、各々リリースされた。《Live/Dead》の B面は〈St. Stephen> The Eleven〉のメドレーだが、同じ日の録音ではないわけだ。後に出た《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》で聴いてみると、02-27の〈The Eleven〉は演奏はこちらの方が良いと思われるが、SBD すなわちサウンドボード録音のテープがなんらかの理由で途中切れていて、その部分を AUD すなわち聴衆録音で補っている。これはデジタルで初めて可能なので、《Live/Dead》の1969年当時は無理だっただろう。その後の〈Turn On Your Lovelight〉は02-2719分で、時間的にはLP片面に入るが、出来としてはこの01-27の方がかちっとまとまっている。02-27ではピグペンの即興ヴォーカルのノリが良く、「デッドらしい」のだが、デッドのショウ、パフォーマンスに接していないとその面白さを味わえないかもしれない。《Live/Dead》リリース当時はデッドのショウを直に体験した人間の数はもちろんまだ多くはない。デッドのライヴがどんなものか紹介するには01-26のヴァージョンの方が適切ではある。

 〈Clementine〉はハンター作詞、レシュ作曲。《Aoxomoxoa》録音中にこの曲の録音もしたが、アルバムには収録されなかった。19680120日、カリフォルニア州ユーレカで初演。19690126日のアヴァロン・ボールルームまで、5回演奏されたのみ。レシュの曲に多い、摑みどころのないメロディ。ギターの音量ツマミを回して弦をはじく音を消す手法をガルシアが聞かせて、客席が湧く。ただ、どちらかといえばガルシアよりもレシュのベースとトム・コンスタンティンのオルガンが舞台をさらっていく。最後はコンスタンティンが縦横のオルガンを聞かせ、それがおちつくのを待って入れ替わるようにして途切れなくガルシアが次の曲を始める。

 〈Death Don't Have No Mercy〉は通常レヴェレンド・ゲイリー・デイヴィスの曲とされるが、これもどうやらその前からの伝統曲が土台としてあるようだ。ガルシアがリード・ヴォーカルのブルーズ・ナンバー。19660108日、フィルモア・オーディトリアムで初演。19700321日、ニューヨーク州ポートチェスターまでは定期的に演奏される。そこでレパートリィから落ち、198909月に復活、最後は19900402日のアトランタまで、計48回演奏。ここではブルーズ・ロック・バンドとしてのデッドの実力が聴ける。この頃のガルシアは後年よりも明らかに歌が巧い。

 〈The Eleven〉もハンター作詞、レシュ作曲。こちらは比較的わかりやすい。確実な日付と場所としては196801月17日カルーセル・ボールルームが初演。19700424日、デンヴァーまで計99回演奏。スタジオ盤収録無し。タイトル通り11拍子で、1968年、1969年に特徴的なレパートリィ。とりわけ1969年には、《Live/Dead》収録の〈Dark Star> St. Stephen> The Eleven> Turn On Your Lovelight〉の組合せが集中的に演奏された。この時期のジャムでは、レシュのベースがリードをとることが多い、その代表的な曲。


3. 1993 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland,, CA

 23.50ドル。開演7時。このヴェニュー3本連続の最終日。第二部後半〈Space> The Other One> Stella Blue> Turn On Your Lovelight〉とアンコール〈Gloria〉にカルロス・サンタナが参加。ガルシアも大いに張り切ったようだ。(ゆ)


1107日・日

 アメリカでは本のための紙も布も製本用の糊も本を運ぶトラックの運転手も足らず、出版がどんどん遅れている。大手中小を問わないそうだ。

 昨日は仕事で一緒になった人から恐しい話を聞く。その人はスタジオ用やコンシューマ用の音響機器を設計・製造する仕事をしているのだが、モノ不足がハンパではない。不足しているのは半導体だけではなく、いろいろな部品、コネクター類も欠品や納期未定になっている。象徴的なのはノイトリックのバランス・コネクタ。半導体だけでなく、世界的に樹脂が不足している。つまりプラスティックが無い。原因は最大の生産国であるアメリカの生産量が落ちているためらしい。なぜ、落ちているのかはわからない。アルミの値段も暴騰している。これはパソコンなどにも跳ねかえるだろう。今のノート・パソコンのボディはたいていアルミの塊からの削りだしだ。

 こちらでできる防衛策は、今のうちに買える中で、一番良いものを買っておくことか。そしてそれをできるだけ長く使うようにする。

 リスクはできるだけ分散して小さくするのが基本だ。でかい蓄電池を1個買うよりも、携帯用バッテリーをいくつも持つ。

 そこまでひどくはならないだろう、と期待したいが、そういう期待は往々にしてはずれる。



##本日のグレイトフル・デッド

 1107日には1968年から1987年まで6本のショウをしている。公式リリースは1本。


1. 1968 Fillmore West, San Francisco, CA

 ポスターとチケットが残っているが、セット・リスト不明。


2. 1969 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 2時間弱の一本勝負の録音が出回っているが、元が2セットだったか一本勝負だったかは不明。ラストの〈Turn On Your Lovelight〉が《Dick’s Picks, Vol. 16》で、その前の〈That's It for the Other One〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 前者はピグペンの持ち歌だが、ここではウィアがよく対抗し、バンドのインストもかなりなもの。後者はやや荒いところもないことはないが、いい演奏。

 始まって3曲目に〈The Star Spangled Banner〉が短かく演奏されたらしい。スライド・ホィッスルでの演奏で、誰がやったのか不明。


3. 1970 Capitol Theater, Port Chester, NY

 4日連続の3日目。この日もエレクトリック・セットを二つやっている。


4. 1971 Harding Theatre, San Francisco, CA

 このヴェニュー2日目。3ドル。 二晩とも4時間15分のショウ。こちらはFM放送されてブートが出回っている。

 会場は1階500、2階300の小劇場。頭もたれまで付いた座席が快適。〈Dark Star〉と〈The Other One〉が共に演奏されるのは珍しい。


5. 1985 Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY

 このヴェニュー2日連続の1日目。どちらも同じくらい良い由。


6. 1987 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。開演8時。稀有なことにアンコール三度。(ゆ)


1002日・土

 仕事で横浜に出る。自主ロックダウンが解けた最初の週末、天気も上々とて、人手はたくさん。訪問先がホテルだったので、結婚式らしい振袖姿の女性も複数いる。解除を見越していたのか。

 今年2月、人間ドックのために泊まった新宿のホテルはがらがらで、値段はパンデミック前の半分に下がっていて、さらにチェックインの時、満室なので部屋をアップグレードさせていただきます、と言われる。一方で高級と言われるホテルは逆にパンデミック以前の倍あるいはそれ以上に値段を上げているそうな。それで稼働率3割の方が、半分にして満室にするより、利益率は高いし、高くても来る客は付属のレストランなどでカネを落としてくれるという計算。客が少なければサーヴィスの質を上げられて、来た客はよりいい気分になれるから、また来る。なるほど。

 とはいえ、人間ドックの時は、朝早くて、朝食抜きだからホテルを使ったけど、普段は使うあてもないのよねえ。それ以外にこれまで都心のホテルに泊まったのは、仕事を除けば、自分たちの結婚式の時と、義父が年とってから年末年始をかみさんの一族と一緒に過ごした時だけだ。


##1002日のグレイトフル・デッド

 1966年から1994年まで10本のショウをしている。公式リリースは4本。

1. 1966 Commons, San Francisco State College, San Francisco, CA

 トリップ・フェスティヴァルの3日目。この日、午後3時まで、ということになっていた。この日の録音は残っている。また、この日、Merry Pranksters の放送があり、ガルシアはそこでオルガンを弾いたようだ。

2. 1969 Boston Tea Party, Boston, MA

 Bonzo Dog Band とのダブル・ビル。会場は1967年から1970年まで運営されたコンサート会場で、DeadBase XI によれば定員1,500。この時期、名の通ったロックやブルーズのアクトは軒並ここに出ている。フィルモア・イーストのボストン版というところ。このヴェニューは元々の場所が火事にあったため、この時期はかつてのライヴァル The Ark の場所に移っていた。デッドがこの年4月に出た同じ会場で、今回はヴェニューの名前が変わっていたわけだ。ここにはこの10月と年末ぎりぎりの2度、どちらも3日連続で出ている。

 当時のライヴ評によればガルシアはペダルスティールを弾き、トム・コンスタンティンがオルガンを弾いている。

 ちなみにボンゾ・ドッグ・バンドはまだ『モンティ・パイソン』が放映されていなかったアメリカでは、まっとうに受けとめられなかったらしい。

03. 1972 Springfield Civic Center Arena, Springfield, MA

 秋のツアー前半の最終日。前半5曲目〈Bird Song〉が2012年の、後半2曲目の〈He's Gone〉が2018年の《30 Days Of Dead》で、各々リリースされた。

 どちらも見事な演奏。とりわけ後者。ブリッジのハーモニーがよく溶けあっている。始めのうち、トラブルかウィアのギターが聞えないが、コーラスには参加している。後半、演奏を延々と続け、コーラスが再度入る。この2度のコーラスをはさんでガルシアのソロが三度。どれも愉しい。

 後者、演奏の前に、後ろから押されて前の方の客が潰されそうになっている、と言って、ウィアがおれが Step と言ったら、みんな一斉に一歩下がってくれ、とアナウンス。バンドのバックとともに掛け声を出す。後に、"Step back game" と名付けて、恒例の行事となる。座席がなかったり、あるいは聴衆が座席を無視して、前に押しかけていたのだろう。

04. 1976 Riverfront Coliseum, Cincinnati, OH

 後半オープナーの〈The Music Never Stopped〉が2016年の、後半の後半〈The Other One> Stella Blue> The Other One> Sugar Magnolia〉の30分を超えるメドレーが2017年の《30 Days Of Dead》で、各々リリースされた。

 いずれも質の高い演奏で、この日は調子が良い。いわゆるオンになっている。

05. 1977 Paramount Theatre, Portland, OR

 2日連続の2日目。この2日間の録音は Betty Board tapes の一部。ということは、今後公式リリースされる可能性が大きい。

 〈Casey Jones〉でガルシアがブリッジを歌いだすタイミングをとりそこね、長いジャムをやって再度ガルシアが入るところへもどったため、この歌のベスト・ヴァージョンの一つが生まれた、そうだ。

06. 1980 Warfield Theatre, San Francisco, CA

 15本連続の6本目。第三部、エレクトリック・セットの後半2〜4曲目〈Comes A Time> Lost Sailor> Saints of Circumstances〉が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 この秋の一連のレジデンス公演からは《Reckoning》《Dead Set》の二つのライヴ・アルバムが作られ、アコースティック・セットもエレクトリック・セットもともに非常に質の高い演奏であることは明白だ。全貌をボックス・セットの形でなるべく早くリリースしてもらいたい。と、この3曲のメドレーを聴くとあらためて思う。この2枚の50周年記念は2030年なわけで、それまで生きているかどうか、自信は無いのだ。

Reckoning
Grateful Dead
Arista
1990-11-27

 
デッド・セット
グレイトフル・デッド
BMGインターナショナル
2000-09-06

07. 1981 Rainbow Theatre, London, England

 ロンドンでの4本連続の初日。

08. 1987 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA

 3日連続の初日。後半冒頭からの3曲〈China Cat Sunflower> I Know You Rider; Man Smart, Woman Smarter〉の映像が《All The Years Combine Bonus Disc》でリリースされた。

 このボックス・セット、数年前に買ったまま、今だに見ていない。これを機会に見ようとしたら、再生装置が無かったのだった。つくづく、あたしは映像人間ではない。 

09. 1988 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA

 3本連続の最終日。

10. 1994 Boston Garden, Boston, MA

 6本連続の5本目。前日の余韻はまだあったようだ。(ゆ)


5月24日・月

 市から案内が来たので新型コロナ・ワクチン接種予約をネットでやると1回目は7月末、2回目はその3週間後。最速でこの日付。50代以下は秋以降か。6月に入るとかかりつけ医でもできるようになるというけど、老人はともかく、この辺りでは今どきかかりつけ医なんていない人間の方が多い。東京まで通勤している人たちは大規模接種会場をめざす手もあるが、一都三県の住民は誰でもめざせるから、混雑なんてもんじゃないだろう。1日1万人だそうで、1ヶ月休みなしにやって30万人。焼け石に水くらいにはなるか。


 Apple Music のロスレス、ハイレゾ対応の詳細が明らかになってきて、ハイレゾをどうやって聴くか、かしましい。一番簡単で音も良いのは AirPlay 対応の DAP や DAC、DAC付きのAVアンプに飛ばして聴く形だろう。もちろん USB-DAC などかまして有線でも聴けるけれど、無線に慣れてると面倒なんじゃないか。普段ワイヤレス・イヤフォンなんぞ使わないあたしだって、AirPlay の便利さは一度味わうと戻れん。FiiO の M11Pro、あるいはもうすぐ出る M11Plus なら、ハイレゾをさらに DSD に変換できるから、今でも十分ハイレゾになる。

 AirPods 一族ではハイレゾが聴けないのはやはりがっかり。AirPods Max を買う気が一気に失せた。イヤフォンやヘッドフォンに AirPlay を仕込むのは、そんなに難しいのだろうか。WiFi は Bluetooth とは別のチップが要るとか。


 あるオーディオ・サイトで薦められていたハリィ・ベラフォンテのカーネギー・ホールのライヴ完全盤 から Danny Boy を聴く。なるほど絶唱。ここまでくるとアイルランドとは関係なく凄い。録音も凄い。MacBook Air の Tidal から AirPlay で M11Pro に飛ばし、DSD変換。イヤフォンは Unique Melody の 3D Terminater に DITA の OSLA ケーブルを奢った。この組合せ、少し音が練れてきて、たまらん。この先、どうなるか、楽しみじゃ。この音源は Tidal のマスターではない HiFi だけど、ヘタなマスターより音がいい。いいというレベルではないくらいいい。演奏と録音があまりに凄いので、Danny Boy から Shenandoah まで聴いてしまう。英語 > フランス語 > スペイン語 > 英語のうた。どれもまるで母語に聞える。こんなうたい手もいないだろう。Danny Boy も Shenandoah もこれ以上はできないくらい遅いテンポ。Danny Boy はオケ、Shenandoah はギター1本。こいつはあらためて全部聴こう。(ゆ)


 

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