クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:パーカッション

 フィドルのじょんがオーストラリアから帰って(来日?)してのライヴ。明後日にはオーストラリアに戻るとのことで、今回はジョンジョンフェスティバルは見られなかったので、最後にライヴが見られたのは嬉しい。原田さんに感謝。

 本邦にもフィドルの名手は増えているけれども、じょんのようなフィドラーはなかなかいない。音の太さ、演奏の底からたち上がってくるパワーとダイナミクス、そしてしなやかな弾力性。どちらかといえば細身の体つきだが、楽器演奏と肉体のカタチはあまり関係がないのだろうか。肉体の条件がより直接作用しそうなヴォーカルとは別だろうか。もっとも、本田美奈子も体つきは細かった。

 今回は原田さんのフィドルとの共演。アイリッシュでフィドルが重なるのは、北欧の重なりとはまた別の趣がある。響きがより華やいで、北欧の荘厳さに比べると豪奢と言いたくなるところがある。この日は時にじょんが下にハーモニーをつけたりして、より艶やかで、濃密な味が出ていた。じょんのフィドルには時に粘りがあらわれることがあって、ハーモニーをつける時にはこれがコクを増幅する。と思えば、2本のフィドルが溶けあって、まるで1本で弾いているようにも聞える。もっともここまでの音の厚み、拡がりは1本では到底出ない。複数のフィドルを擁するアンサンブルはなぜか、本邦では見かけない。あちらでは The Kane Sisters や Kinnaris Quintet、あるいは Blazin' Fiddles のようなユニットが愉しい。身近でもっと聴きたいものではある。昨年暮の O'Jizo の15周年記念ライヴでの中藤有花さんと沼下麻莉香さんのダブル・フィドルは快感だった。あの時は主役のフルートを盛りたてる役柄だったが、主役で聴きたい。

 原田&じょんに戻ると、前半の5曲目で原田さんがフィドルのチューニングを変えてやったオールドタイムがまずハイライト。じょんは通常チューニングで同じ曲をやるのだが、そうすると2本のフィドルが共鳴して、わっと音が拡がった。会場の壁や天井を無視して拡がるのだ。原田さんの楽器が五弦であることも関係しているのかもしれない。別に共鳴弦がついているわけではないが、普通のフィドルよりも音が拡がって聞えるように感じる。普断はハーディングフェーレを作っている鎌倉の個人メーカーに特注したものだそうだ。それにしても、パイプの中津井氏といい、凄い時代になったものだ。

 この日の三人目はパーカッションの熊本比呂志氏。元々は中世スペインの古楽から始めて、今はとにかく幅広い音楽で打楽器を担当しているそうな。あえてバゥロンは叩かず、ダラブッカを縦に置いたもの、サイドドラム、足でペダルで叩くバスドラ、カホン、ダフ、さらにはガダムの底を抜いて鱏の皮を貼った創作楽器を駆使する。ささやくような小さな音から、屋内いっぱいに響きわたる音まで、おそろしく多種多様な音、リズム、ビートを自在に叩きだす。

 上記オールドタイムではダフで、これまた共鳴するようなチューニングと演奏をする。楽器の皮をこする奏法から、おそろしく低い音が響く。重低音ではない、羽毛のように軽い、ホンモノの低音。

 その次の、前半最後の曲で、再度チューニング変更。今度はじょんも変える。ぐっと音域が低くなる。そして2本のフィドルはハーモニーというより、ズレている。いい具合にズレているので、つまりハーモニーとして聞える音の組合せからほんの少しズレている。ピタリとはまっていないところが快感になる。この快感はピタリとはまったハーモニーの快感よりもあたしは好きである。倍音がより濃密に、しかも拡がって聞える。

 この曲での熊本氏のパーカッションがおそろしくインテンシヴだ。緊張感が高まるあまり、ついには浮きあがりだす。

 リズムの感覚はじょんも原田さんも抜群なので、4曲目のスライドではフィドルがよくスイングするのを、カホンとサイドドラムとバスドラでさらに浮遊感が増す。

 最大のハイライトは後半オープナーのケープ・ブレトン三連発。ストラスペイからリールへの、スコットランド系フィドルでは黄金の組合せ。テンポも上がるのを、またもやインテンシヴな打楽器があおるので、こちらはもう昇天するしかない。

 より一般的なレパートリィで言えば、後半2曲目のジグのセットの3曲目がすばらしかった。Aパートがひどく低い音域で、Bパートでぐんと高くなる。後で訊いたらナタリー・マクマスターの曲〈Wedding Jig〉とのことで、これもケープ・ブレトン、アイリッシュではありませんでした。

 オールドタイムをとりあげたのは原田さんの嗜好で、おかげで全体の味わいの幅が広がっていた。味が変わると各々の味の旨味も引立つ。こういう自由さは伝統から離れているメリットではある。じょんは来年までお預けだが、原田さんと熊本さんには、誰かまた別のフィドラーを迎えてやって欲しい。(ゆ)


 いやもうすばらしくて、ぜひとももう一度見たいと思った。演る方も愉しいのだろう、どうやら続くようで、実に嬉しい。

 デュオを組んだきっかけは、昨年秋の時の話とはちょっと違っていて、新倉さんが名古屋、渡辺さんが岐阜でライヴをやっていて、新倉さんが渡辺さんのライヴを見に行こうとしたら会場のマスターがどうせなら楽器を持ってきたらと誘ったのだという。とまれ、このデュオが生まれたのは、音楽の神様が引合せたのだろう。

 今回、お二人も言うように、チェロと打楽器の組合せはまずこれまで無かったし、他にも無いだろう。この場合、楽器の相性よりも、本人たちがおたがい一緒に演りたい相手と思ったところから出発しているにちがいない。むろん、チェロと打楽器のための曲などあるはずもなく、レパートリィから作る必要がある。というのは、何をしようと自由であるとも言える。試行錯誤は当然にしても、それ自体がまた愉しいと推察する。

 この日はバッハやグリーグ、クレズマー、北欧の伝統曲、それに二人のオリジナルという構成で、完璧とは言えなくても、ほぼどれも成功していた。あるいはお二人の技倆とセンスと有機的つながり、それにそう、ホールの魔術が作用して成功させていたというべきか。

 開演前、渡辺さんが出てきてハマー・ダルシマーのチューニングをする。後でこれについての説明もしていたこの楽器が今回大活躍。ステージ狭しと広げられた各種打楽器の中で、使用頻度が一番高かったのではないか。旋律打楽器としてはむしろ小型で、ビブラフォンなどよりは扱いやすいかもしれない。チューニングは厄介だが。

 オープニングは二人が客席後方から両側の通路を入ってきた。各々手でささえた鉢のようなものを短い棒で叩いている。金属製の音がする。ステージに上がって台の上に置き、ナベさんがしばしソロ。見ていると鉢のように上が開いているわけではなく、鼓のように何か張ってあるらしい。それを指先で叩く。これも金属の音がする。なかなか繊細な響きだ。

 と、やおら新倉さんが弓をとりあげ、バッハの無伴奏組曲第一番のプレリュードを始める。ここは前回と同じ。

 このホールの響きのよさがここで出る。新倉さんもハクジュ・マジックと繰り返していたが、楽器はノーPAなのに、実に豊かに、時に朗々と鳴る。この会場には何度も来ているが、ホールの響きがこれほど良いと聞えるのは初めてだ。チェロはことさらこのホールに合っているらしい。それはよく歌う。いつもはあまり響かない最低域もよく響く。サイド・ドラムのような大きな音にもまったく負けない。

 しばしチェロの独奏が続いて、ナベさんが静かに入ってくる。はじめは伴奏の雰囲気がだんだん拮抗し、次のサラバンドの後、今度は打楽器の独奏になる。この響きがまたいい。大きくなりすぎないのは、叩き方によるだけでもないようだ。残響を含めてホールの響きに自然にそうなるようにも見える。

 サイド・ドラムでマーチ風のビートを叩きはじめるとチェロがジーグを始める。これが良かった。ちゃんと踊っているのだ。先日聴いたアイルランドのチェリスト Ailbhe McDonagh の録音もそうだが、ダンス・チューンになっている。この組曲の各パートはダンス曲の名前になっているんだから、元々はダンス・チューンのはずである。バッハの曲はそうじゃないという確固たる根拠があるのか。作曲者はチェロの独奏を前提にしているが、打楽器が加わることでダンス・チューンになるのなら、どんどん入るべし。この曲全体をこのデュオで録音してほしい。それとは別に新倉さんのソロでも聴きたいものではあるが。

 新倉さんはクラシックだけでなく、東欧の伝統音楽も好きだそうで、そこでクレズマー。これもいい。チェロでクレズマーというのは初めて聴いたが、ハマー・ダルシマーとの組合せもハマっていて、もっと聴きたい。二人で口三味線するのもいい。これがまずハイライト。

 次のグリーグ〈ソルヴェイグの唄〉からスウェーデンのポルスカへのつなぎも自然。ポルスカをチェロで弾くのはたいへんそうだが、楽しそうでもある。ハマー・ダルシマーの共鳴弦がそれは美しく響く。この曲でのチェロの響きが今回のベスト。こうなると、この会場で酒井絵美さんのハーダンガー・フィドルを聴いてみたいものだ。

 新倉さんはいろいろな楽器に興味があるそうで、京都の楽器屋で見かけた口琴を買ってしまったり、カザフスタンの撥弦楽器を持ちこんだりしている。口琴は結局ナベさんが担当し、チェロと合わせる。口琴もカザフの楽器も音がひどく小さいが、このホールではしっかり聞えるのが、まさに魔法に思える。

 撥弦楽器を爪弾くのにハマー・ダルシマー、それにガダムだろうか、これまた音の小さな壺型の打楽器と声を合わせたのがまたハイライト。新倉さんのオリジナルでなかなかの佳曲。

 ラストは前回もやったナベさんのオリジナルの面白い曲。中間部でふくらむチェロの響きに陶然となる。アンコールはイタリアのチェロ奏者の曲で、さすがにチェロのための曲で楽器をいっぱいに使う。

 今回はこのホールが続けているリクライニング・コンサートで、座席を一列置きに空けていて、シートを後ろに倒せる。もともとそういう仕掛けにしてある。とはいえ、ゆっくりもたれてのんびり聞くというには、かなりトンガったところもあって、身を乗出して耳を開いて聴く姿勢になる。

 いやしかし、このデュオはいい。ぜひぜひ録音も出してほしい。

 それにしてもハマー・ダルシマーの採用はナベさんにとってはターニング・ポイントになるのではないかという気もする。このデュオ以外でも使うだろう。これからどう発展してゆくかも楽しみだ。

 この日は昼と夜の2回公演があって、どちらにするか迷ったが、年寄りはやはり明るいうちに帰りたいと昼間を選んだ。このところ真冬に逆戻りしていたが、またエネルギーをいただいて、ほくほくと帰る。ありがたや、ありがたや。次は6月だ。(ゆ)

 このところ、積極的に音楽を聴く気にも、本を読もうという気にもなれなかった。日々、暮らしに必要なことやルーチンをこなしながら、茫然と過してしまう。

 というのはやはり能登の地震のショックなのではないか。と思ったのは、このライヴに出かける直前だった。年末にはようやくデッド本が向かうべき方向が見えてきたし、エイドリアン・チャイコフスキーに呼ばれてもいて、よっしゃひとつ読んでやろうやという気分になっていたはずだった。年が明けてしばらくは毎年恒例のことで過ぎる。元旦は近隣の神社、どれも小さく普断は無人の社に初詣してまわる。2日、3日は駅伝で過ぎ、3日、駅伝が終ったところで3年ぶりに大山阿夫利神社へ初詣に行った。そして、4日、5日と経つうちに、どうもやる気が起きない。こりゃあボケが始まったのかという不安も湧いた。それがひょっとすると元旦に大地震というショックの後遺症、PTSD といっては直接の被害者の方々に失礼になろうが、その軽いものに相当するやつではなかろうか、とふと思ったのだった。

 ライヴのことはむろん昨年のうちに知り、即予約をしていて、今年初ライヴがこれになることに興奮もし、楽しみにもしていた。はずだった。それが、いざ、出かけようとすると、腰が重いのである。これという理由もなく行きたくない、というより、さあライヴに行くぞという気分になれない。

 ライヴというのは会場に入ったり、演奏が始まったりするのがスタートなのではない。家を出るときからイベントは始まっている。ライヴに臨む支度をしていく。そういう心構えを作っていく。それがどこかではずれると、昨年末の「ケルティック・クリスマス」のように遅刻なんぞしたりしてしまうと、せっかく作った心構えが崩れて、音楽をすなおに楽しめなくなる。

 しかし、こういう時、なんとなく気が進まないといってそこでやめてしまうと、後々、後悔することになることもこれまでの経験でわかっている。だから、半ば我が身に鞭打って出発したのだった。

 そうしたら案の定である。開演時刻と開場時刻を間違えていて、いつもなら開場前に来て開くのを待っているのが、今回は予約客のほとんどラストだった。危ない危ない。席に座るか座らないかで、ミュージシャンたちが前に出ていった。努めて気を鎮める。

 そうして始まった。いや、始まったのだろうか。shezoo さんも石川さんも、永井さんの方を見つめている。永井さんは床にぺたりと座りこんで、何やらしているようだ。遅く来たために席は一番後ろで、音を聴く分にはまったく問題ないが、永井さんが床の上でしていることは前の人の陰になって見えない。やむなく、時々立ちあがって見ようとしてみる。

 そのうち小さく、静かに音が聞えてきた。はじめは何も聞えなかったのが、ごくかすかに、聞えるか聞えないかになり、そしてはっきりと聞えだした。何か軽く叩いている。いろいろなものを叩いている。その音が少しずつ大きくなる。が、ある大きさで止まっている。すると、石川さんが声を出しはじめた。歌詞はない。スキャットでうたってゆく。しばらく2人だけのからみが続く。一段落したところでピアノがこれまた静かに入ってきた。

 こうして始まった演奏はそれから1時間半以上、止まることがなかった。曲の区切りはわかる。しかし、まったく途切れなしに演奏は続いている。たいていは永井さんが何かを鳴らしている。ピアノが続いていることもある。そうして次の曲、演目に続いてゆく。

 いつものライヴと違うのは曲のつなぎだけではない。エアジンの店内いたるところにモノクロの小さめの写真が展示されている。そして奥の壁、ちょうど永井さんの頭の上の位置にスクリーンが掲げられて、ここにも写真が、こちらはほとんどがカラーで時折りモノクロがまじる写真がスライド・ショー式に写しだされる。このスクリーンを設置するために、永井さんは床に座ったわけだ。各種の楽器も床の上や、ごく低い位置に置かれている。

 写真はいずれも古い木造の校舎。そこで学んだり遊んだりしているこどもたちからして小学校だ。全部ではないが、ほとんどは同じ学校らしい。背景は樹々の繁った山。田植えがすんだばかりの水田の手前の道に2人の男の子が傘をさして立ち、その間、田圃のずっと向こうに校舎が見える写真もある。

 写真は荒谷良一氏が1991年に撮影したものという。それから30年以上経った昨年春、この写真によって開いた写真展を shezoo さんが訪れ、そこでこのコラボレーションを提案した。写真から shezoo さんはある物語を紡ぎ、それに沿って3人各々のオリジナルをはじめとする曲を選んで配列した。それには、川崎洋編になる小学校以下の子どもたちによる詩集『こどもの詩』文春新書から選んだ詩の朗読も含まれる。この詩がまたどれも面白い。そして音楽と朗読に合わせて荒谷氏が写真を選んでスライド・ショーに組立てた。

 後で荒谷氏に伺ったところでは、教科書用の写真を撮るのが仕事だったことから、教科書会社を通じて小学校に頼んで撮らせてもらった。こうした木造校舎は当時すでに最後に残されたもので、どこか壊れたら修理はできなくなっていた。撮影して間もなく、みな建替えられていった。小学校そのものが無くなった例も多い。

 写真展のために作った写真集を撮影した小学校に送ったところ、そこに当時新任教師として写っていた方が校長先生になり、子どもの一人は PTA 会長になっていたそうな。

 shezoo さんが写真から紡いだ物語は、完成した1本のリニアな物語というよりは、いくつもの物語を孕んだ種をばら播いたけしきだ。聴く人が各々にそこから物語を引きだせる。言葉で語ることのできない物語でもある。音楽と写真が織りなす、言葉になれない物語。あるいは物語群。ないしいくつもの物語が交差し、からみあい、時には新たな物語に生まれかわるところ。それでいて、ある一つの物語を語っている。それがどんな物語か、何度も言うが、ことばで説明はできない。聴いて、見て、体験するしかない。幸いに、このライヴはエアジンによって配信もされていて、有料ではあるが、終った後でも見ることができる。あたしがここで縷々説明する必要もない。

 打楽器は実に様々な音を出す。叩くのが基本だが、加えてこする、振る、かき乱す、たて流す、はじく、などなど。対象となる素材もまた様々で、木、革、金属、プラスティック、石、何だかわからないもの。形もサイズもまた様々。今回は大きな音を出さない。前回のライヴでは、時にドラム・キットを叩いて他の2人の音がかき消される場面もあって、その時は正直たまらんと思った。しかし後で思いかえしてみれば、それはそれでひとつの表現であるわけだ。ここでは打楽器が他を圧倒するのだという宣言なのだ。今回、打楽器はむしろ比較的小さな音を出すことを選んだ。ひとつには映像、写真とのコラボレーションという条件を考慮してでのことだろう。また、前回は大きな音を試したから、今回は小さな音でどこまでできるかを試すという意味もあるだろう。とまれ、この選択はみごとにうまく働き、コラボレーションの音楽の側の土台をがっしりと据えていた。曲をつないだのはその一つの側面だが、途切れがまったく無いことによる緊張の高まりをほぐすのが大きかった。永井さんの演奏にはユーモアがあるからだ。

 石川さんも shezoo さんもユーモアのセンスには事欠かないが、ふたりともどちらかというと、あまり表に出さない。隠し味として入れる方だ。永井さんのユーモアはより外向的だ。演奏にあらわれる。そして器が大きい。他の2人のやることをやわらかく受けとめ、ふさわしく返す。

 石川さんはスキャットで始める。歌詞が出たのは4曲目〈Mother Sea〉、「海はひろいな〜、おおきいな〜」というあの歌の英語版である。当初、このメロディはよく知ってるが、なんの歌だっけ、と思ったくらい意表を突かれた。

 とはいえ、詞よりもスキャットをはじめ、これも様々な音、声を使った即興の方に耳が引っぱられる。詞が耳に入ってきたのは、後半も立原道造の詩に shezoo さんが曲をつけた〈薄明〉。絶唱といいたくなる、ここから演奏のギアが変わった。その次、小学校3年生の詩「ひく」に続いて打楽器が炸裂する。次のカール・オルフ〈In Trutina〉がまた絶唱。テンションそのまま〈雨が見ていた景色〉と今度は5年生の詩「青い鳥へ」を経て、〈からたちの花〉の「まろいまろい」の「い」を伸ばす声に天国に運ばれる。しめくくる shezoo さんの〈両手いっぱいの風景〉は、まさに今、ひとつの物語をくぐりぬけてきた、体験してきたことを打ちこんでくる。もう一度言うが、どんな話だと訊かれても、ことばでは答えられない物語。そして、打楽器が冒頭の、今日の演奏を始めた低いビートにもどる。ゆっくりとゆっくりとそれが小さくなり、消えてゆく。

 渡されたプログラムでは、いくつかの曲と詩がひとまとまりにされていて、どこかで休憩が入るものと思いこんでいたから、まったく途切れもなく続いてゆくのに一度は戸惑った。それが続いてゆくのにどんどん引きこまれ、気がつくと今いる時空は、音楽が途切れなく続くことによって現れたものだった。

 語りおえられたことが明らかになって夢中で喝采しながら、生まれかわった気分になっていた。そして、ここへ来るまで胸をふさいでいたものが晴れているのを感じた。それが能登の地震によるショックだったとようやくわかったのである。やはり人間に音楽は必要なのだ。

 今回はそれに木造校舎で学び遊ぶ子どもたちの姿が加わった。その姿はすでに失われて久しい。二度ともどることもない。それでも写真は記憶、というよりは記憶を呼びおこす触媒として作用する。そこで呼びおこされる記憶は必ずしも見る人が実際に体験したものの記憶とは限らない。木造校舎は地球からの贈り物の一つだからだ。映像と音楽の共鳴によって物語による浄化と再生の力は自乗されていた。

 関東大震災の夜、バスキングに出た添田唖蝉坊の一行は人びとに熱狂的に迎えられた。阪神淡路大震災の際、避難所でソウル・フラワー・モノノケ・サミットが演奏した時、人びとはそれまで忘れようとしていた、抑えつけていた涙を心おきなく流した。

 音楽はパンではない。しかし、人はパンのみにて生きられるものでもない。音楽は人が人であるために必要なのだ。このすばらしいライヴで今年を始められたことは、期せずして救われることにもなった。shinono-me、荒谷良一氏、そして会場のエアジンに心から感謝。(ゆ)

shinono-me
石川真奈美: vocal
永井朋生: percussion
shezoo: piano

荒谷良一: photography, slide show



 トリニテの音楽は予備知識なしでそのまま丸ごと呑みこむのが肝心だ。何かに似ているとか、こういうものだとか、なんらかの予備知識をもって臨むのは、その魅力を半分以下にする。

 とはいえメンバーを見て、どういうことをこれまでやってきているかを知れば、少なくとも、こうはならないだろうという見当はつく。たとえばの話、へびめたにはならないだろうし、重低音が響くクラブ・サウンドにもなるまい。来年には忘れられているチャート狙いの計算された製品でもないはずだ。

 にもかかわらず。

 実際にライヴに接してみると、そうした予想はことごとく裏切られることになった。トリニテの音楽はジャンルを超えるとか、ジャンルにあてはまらない、というのではない。あらゆるジャンルを横断し、内蔵しているのだった。へびめたもクラブ・サウンドも、ムード音楽も、チャート・ポップスすらそこには含まれる。

 ただし、すべては換骨奪胎されて原型をとどめない。トリニテの音楽の一部に溶け込んで生まれ変わっている。

 その全体はといえば、精妙で大胆で変幻常なく、演奏が終わった後も別の次元にまで伸びてずっと続いている。そう、sheezo さんがふと口にされたサグラダ・ファミリアのように。ゲストのヴィヴィアン佐藤氏が話されていた、どこにでもできる建築のように。確固とした実体でありながら、ひとつところに留まらない。行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。そしてまたそれは液体ではなく、むしろ固体と呼ぶべき存在感をたたえ、同時に虹にも似た霊妙で遊離した位相をも備えている。

 音楽という運動にできることを、ある極限までとことんつきつめようとする。そうした志向では、たぶんジャズと呼ばれる音楽と共通するところが一番多い。聴いているうちに浮かんできたのは、一番近いのは近年のジョン・ゾーンではないか。音楽そのものが近いのではなく、立ち位置と志向が近い。

 要素としてはここではユダヤ音楽はあったとしてもごく薄い。かわりに日本的な、「子守唄音階」のような、あるいは民謡のような響きがどこかで常に流れている。この違いは当然のことでもある。加えて、ジョン・ゾーンの方が我が強そうだ。そうした違いを超えて、トリニテとジョン・ゾーンのめざすところと、その結果生まれているものは共鳴しているように聞こえる。あるいはそれは21世紀はじめの時空と真向から切り結ぶ音楽として、当然のことかもしれない。

 一方でジョン・ゾーンがあくまでどこかでジャズをひきずっている、という言い方が不適当ならば、ジャズにみずからをつなぎとめているのに対して、トリニテにとってジャズはツールのひとつだ。便利で最も強力なもののひとつではあっても、不可欠ではない。

 その上で、トリニテの音楽は、まっさらの状態で聴いてこそ、真価を発揮することを、もう一度確認しておく。

 前半は《prayer》には入っていない曲ばかり5曲。後半はヴィヴィアン佐藤氏のトークとスライドショーから、《prayer》全曲の演奏。それにアンコールに次作《月の歴史》のための新曲。

 前半の各曲はかならずしも新しい作品というわけではなかったようだ。どれもよく練りこまれて、今すぐ次の録音を出してもいいと思われた。とはいえ、後半の演奏は圧倒的だった。パッケージでの演奏から一段とテンポをゆっくりにおとし、タメを効かせてじっくりと進ませる。曲によってはアレンジをまったく変えて、まるで別の曲に変身させている。

 録音ではわからない作曲された部分と演奏者にまかされた即興の部分の区別が、ライヴではよくわかる。といってもがらりと様相が変わるのではもちろんない。演奏者の表情や音楽そのものの録音との違いからそれと分別される。全体に岡部氏の打楽器は控え目で、もう少ししゃしゃり出てもよいのではないか、と思えた。

 不満といえばそれくらいで、最初から最後まで、これ以上の音楽体験はありえない、という感覚がずっと続いた。

 壷井さんは、一昨年秋の Tokyo Irish Generation レコ発ライヴでオオフジツボの一員として見ているが、あの時は遠かったこともあって、あまり印象が残っていない。今回は目の前で、たっぷりと演奏を味わうことができた。おそらくクラシックの訓練をみっちり積まれたのだろうが、演奏している姿はまことに端正で無駄がなく、出てくる音とは対照的ですらある。

 小森さんは渋さ知らズで見ているはずだが、あそこではやはり大所帯の一員で見分けがつかなかったらしい。録音よりも出番が多かったし、楽器の特性からか、演奏する姿も壷井さんよりもむしろワイルド、その上お茶目なところもあって、見ていて楽しくなる。

 岡部さんは楽譜を見ながら演奏することが多く、かなり綿密に作曲されているらしい。一方で、このバンドの要はやはり打楽器なのだと確認できた。

 sheezo さんのピアノは音楽の土台を据えているのだが、坦々と弾いているわけでもなく、どっしり構えているというのでもない。姿だけだとむしろ即興でやっているようにすらみえる。他の3人の即興以上にスポンテイニアスなところもあって、トリニテの音楽の変幻自在な性格はそこから生まれているようでもある。

 演奏する姿は皆クールで、リラックスして、かたくるしいところもしゃちこばったところもまるでない。にもかかわらず、あるいはそれ故にというべきか、音楽そのものは緊迫感に満ちている。頭から落ちてくるものを間一髪避けていく、あるいは片端から崩れてゆく吊り橋を駆けわたっていく緊張感が張りつめている。一方でその危機自体を楽しみ、自ら引きよせているようでもある。そして、一番底の方にはひと筋のユーモアが絶えず流れている。

 清も濁も、旨味も苦味も、快感も痛みも、すべて呑みこんで、しかもおそろしく純度が高い。神々の飲み物、不老不死の妙薬はこういうものか。

 ほんとうに良いものとは、プラスの要素だけでできているのではない。プラスとマイナスと両方を備え、なおかつ充足した悦びを与えるものなのだ。

 これはおそらく、広い会場で大勢の聴衆のなかでは味わえない。ステージと客席の区別がほとんどない空間で、少数の、音楽自体に選ばれた者のひとりとして、初めて体験できることなのだ。ぼくが音楽を聴くのではない。音楽がぼくに流れこむ。そして何か別のものに変える。

 どこまでも個別、自分だけの体験であると同時に自我をかたちづくるかりそめの壁、自意識とか、世間とか、あるいは民族とか組織といった抽象的な束縛が雲散霧消して、広いところにほおり出される。ただ一人ほおり出されながら、すべてとつながっている。そこにはぼくだけしかいないのに、孤独でもなく、孤立してもいない。かぎりなく広く大きく活発なネットワークを織りなすノードのひとつになっている。一つひとつのノードをつないでいるのが音楽だ。音でありフレーズであり静寂であり全体である。

 人間が生きるのは、こういう体験を味わうためなのだ。「安心」や「安全」のためではない。ましてや「安定」でもない。そんな「安易」なものは、人類が生まれてこの方、手に入れた者は無かったし、今もいないし、これからも出現しないだろう。そうしたものは人間とは相容れない。かろうじてバランスをとりながら崖っぷちを渡ってきたので、それこそが人間をここまで生き延びさせてきた。これからもうまく落ちないで渡っていかれるかどうかはむろんわからない。しかし、それをやめてしまえば、その瞬間に人間は消滅することは確かだ。

 良い音楽は、そのことをもう一度、心に刻んでくれる。それをかみしめた夜だった。(ゆ)

このページのトップヘ