12月30日・木
The Complete Chronicles Of Conan, Centenary Edition 着。ハワードの書いたコナンものを、未発表の原稿、草稿、断片にいたるまで原形のまま集成。ハワード生誕百周年記念版。早速編者 Stephen Jones の後記を一読。友人のホフマン・プライスが語るハワードのエピソードが面白く、無気味でもある。ホフマン・プライスとその新妻を乗せて車を運転していた時、不意にスピードを落とした。道端にちょっとした茂みが見えていた。助手席のホフマン・プライス越しにドア・ポケットから拳銃をとりだし、構えてちらりとあたりを見回し、ピストルを戻してまたスピードを上げた。
「まさかそんなことはないと思うが念のためだ。自分のように敵が多い人間はいつも用心していないといけない。味方でない者は敵だ」
こういう感覚は母親が醸成したものだったのだろうか。
この解説のネタになっている Weird Tales の表紙を描いた Margaret Brundage、ハワードの高校の教師 Novalyne Price Ellis の存在も興味深い。Brundage の絵は出来不出来が激しいが、良いものは時代を超えている。
ということで、今年もおつきあいいただき、まことにありがとうございました。
##本日のグレイトフル・デッドは1年一周するまで続きます。来年はいよいよ腰を据えてデッドを聴く予定。他のことをする余裕はおそらく無いでしょう。手許にある公式リリースされたショウのアーカイブ音源は現在トータル760時間強。毎日3時間聴いて250日超。公式以外にも聴きたい、聴かねばならぬものはたくさんあります。幸い、デッドのショウはいくら聴いても飽きるということがありません。というよりも、聴けば聴くほどもっと聴きたくなります。本当に良い音楽とはそういうものではあります。
植草甚一がジャズについて書いた最初の文章は「ジャズを聴いた600時間」でした。あたしもまずは「グレイトフル・デッドを聴いて1000時間」を目指すことになりましょう。植草がジャズを聴きだした年齡からは20年ほど遅れていますが、人間の器からすればそんなものです。あれほどアメリカ文化に精通した植草もわからなかったデッドに、還暦過ぎてハマるのも、ひとつの縁ではあります。もっとも、ライヴのアーカイブ録音がこれだけ出なければ、あたしにしても、やはりわからないままではあったでしょう。植草にしても、アメリカ文化の全部をわかっていたわけではなかった。1人の人間にそれは無理です。一方で今グレイトフル・デッドを相手にすることは、アメリカの文化全体を相手にすることでもあります。
とまれ、デッドにならって、ノンシャランと真剣にまいるといたしましょう。
という舌の根も乾かぬうちに、正月はマーティン・ヘイズの回想録を読まねばなりません。いや、面白い。
では、皆さま、よいお年をお迎えください。
##本日のグレイトフル・デッド
12月30日には1966年から1991年まで16本のショウをしている。この数字は28日に続く3番目。公式リリースは3本。
01. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
2日連続の年越しショウ1日目。ジファーソン・エアプレイン、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスとデッドという顔ぶれ。2.50ドル。午後9時〜午前2時とチケットにある。セット・リスト不明。
02. 1967 Psychedelic Supermarket, Boston, MA
前日に続く2日目。この年最後のショウ。この2日間のショウはもともとは12-08/09 に予定されていた。
かくて、ファースト・アルバムを出し、ロバート・ハンター、ミッキー・ハートが加わった、バンドとしての本格的な始動の年が暮れる。
03. 1969 Boston Tea Party, Boston, MA
大晦日に向けての3日連続のランの中日。
04. 1977 Winterland, San Francisco, CA
大晦日に向けての4本連続のランの3本目。第二部3曲目〈Estimated Prophet〉からクローザー〈Sugar Magnolia〉までが《Dick’s Picks, Vol. 10》でリリースされた。
見事な演奏だが、とりわけ〈Estimated Prophet〉のガルシアのソロが尋常でない。時折りガルシアの演奏を他の全員がサポートする、通常のジャズのような形になることがある、その一つだけれど、このソロはキャリア全体を通じてもベストの一つ。〈St. Stephen〉はこの曲の最後から2番目の演奏。最後の演奏は翌年の大晦日。
05. 1978 Pauley Pavilion, University of California, Los Angeles, CA
前売8.50ドル、当日10ドル。開演7時半。とりわけ第二部が良い由。
06. 1979 Oakland Auditorium, Oakland, CA
大晦日に向けての5本連続のランの4本目。
このショウでは廊下で踊る連中のために外にもスピーカーが備えられた。第二部 Space のすぐ後の〈Truckin'〉の最中、ダンスがあまりに激しく、床が抜けた。ビル・グレアム・プレゼンツのスタッフはたちまち修理し、翌日行ってみると真新しいコンクリートの表面に「〈Truckin'〉の追憶のために」という趣旨のことばが彫ってあった。
07. 1980 Oakland Auditorium, Oakland, CA
大晦日に向けての5本連続のランの4本目。
08. 1981 Oakland Auditorium, Oakland, CA
大晦日に向けての5本連続のランの4本目。
09. 1982 Oakland Auditorium, Oakland, CA
大晦日に向けての5本連続のランの4本目。13.30ドル。開演8時。エタ・ジェイムズとタワー・オヴ・パワーがアンコールで参加。
10. 1983 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA
大晦日に向けての4本連続のランの3本目。開演8時。オープナーの2曲〈Bertha > Greatest Story Ever Told〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
〈Bertha〉の4:00直前から10秒ほど音が途切れる。なんらかの事故で音が入っていないらしい。もっとも良い AUD があれば今ならばつなぐのは可能なはず。"anymore" の繰返しは10回。GSET ではヴォーカルの裏でガルシアがすばらしいスライドを聴かせる。
どちらも元気いっぱいの演奏で、オープナーでこれなら全体も良いにちがいない。いずれ全体のリリースを期待。
11. 1985 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
大晦日に向けて2日連続の初日。15ドル。開演8時。15ドル。開演8時。第二部オープナーの〈The Mighty Quinn (Quinn The Eskimo)〉が《Postcards Of The Hanging》でリリースされた。
ガルシアの持ち歌で、デッドとしてはこれが初演。この後はアンコールで演奏されることが多い。ちなみにこの日のアンコールは〈It's All Over Now, Baby Blue〉。
原曲は《The Basement Tapes》セッションの1曲で、その録音は《The Bootleg Series, Vol. 11: The Basement Tapes Complete》で初めて公式リリースされた。ディランの公式リリースとしては《Self Portrait》でのワイト島フェスティヴァルでのライヴ録音が初出。
12. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA,
大晦日に向けての4本連続のランの3本目。開演8時。ネヴィル・ブラザーズが前座。第二部にも参加した由。 Drums にハムザ・エル・ディンが参加。
この年、コリシアムはヒューイ・ルイスが押えたために、ビル・グレアムはこの年越しランをずっと狭いこのヴェニューにせざるをえなかった。
13. 1987 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
大晦日に向けての4本連続のランの3本目。17.50ドル。開演7時。
14. 1989 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
大晦日に向けての4本連続のランの3本目。20ドル。開演7時。
15. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
大晦日に向けての4本連続のランの3本目。22.50ドル。開演7時。ブルース・ホーンスビィ参加。第一部クローザーは彼の〈Valley Road〉。
16. 1991 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
大晦日に向けての4本連続のランの3本目。23.50ドル。開演7時。第二部半ば Drums に先立つジャムから Drums にアイアート・モレイラが参加。(ゆ)