F&SF すなわち Fantasy & Science Fiction, さらに正確には The Magazine of Fantasy & Science Fiction がこの秋創刊70周年を迎え、最新号はその記念として All-Star Issue になっている。久しぶりに Robert Silverberg の名前が表紙にあって、何を書いたのかと見てみたら、小説ではなくエッセイだった。

"Three Scores and Ten" 直訳すれば「20の3倍と10」だが、これは日本語で言えば古希にあたる年齡を表す決まり文句。そう題されたエッセイは70年前、まだ作家になる前、10代前半のシルヴァーバーグがこの雑誌の創刊を知り、いかにそれを待ちこがれたか、から回想している。35セントという定価が当時、いかに高く、清水の舞台から飛びおりるつもりで買ったかということ。The Magazine of Fantasy と題された創刊号はあまり好みではなかったが、The Magazine of Fantasy and Science Fiction とタイトルの変わった2号、3号と読むうちに無くてはならぬものになったこと。そして早速に作品を送り、当然のことながらてんで相手にされなかったこと。次々に送るうちに、返却される原稿に付いてくる断り状がはじめは印刷された定型のものだったのが、やがて編集長アンソニー・バウチャーの手書きのものになり、ついにはもう一息だから次作を期待するという返事をもらったこと。直後、ニューヨークのコンヴェンションでバウチャー本人に会え、あらためて励まされたこと。帰って書き、送った作品に対して、ついに、とうとう、採用を知らせる手紙が来たこと。そこにはこれを皮切りに、多数の作品を期待すると書かれていたこと。1957年5月号にその短篇 "Warm Man"(未訳)が掲載され、表紙に自分の名前が出たこと。

シルヴァーバーグが F&SF に発表した作品はしかし多くはない。長篇2本に中短編が12本だ。しかし中短編のうちの1本は Born with the Dead で、掲載されたのはシルヴァーバーグの個人特集号だった。長篇の1本は Lord Valentine's Castle で、単行本に先立ち、4回にわたって分載されている。

個人特集号の話が来たときのことは、OTHER SPACES, OTHER TIMES (2009) で別に回想している。F&SF の個人特集号は新作、第三者による論評、そして当時までの詳細な書誌を掲載するもので、表紙ももちろん本人を描く。その数は少なく、対象となったのは例外的な書き手だ。1974年という時点でその対象に選ばれたことはシルヴァーバーグにとっては一握りのトップ作家の1人として認められたことだった。その抜擢に応えて書いたのが Born with the Dead、邦訳は佐藤高子さんによる「我ら死者とともに生まれる」。1960年代に新生シルヴァーバーグと呼ばれた大化けをしたかれがさらに一段、作家としてのレベルを上げたものであり、生涯の代表作の一つとなった。この結末の部分は、妻とともに映画を見ていて思いつき、上映の終った映画館の座席で一気に書きあげたという。
『ヴァレンタイン卿の城』は1980年代開幕とともに登場し、マジプーアのシリーズの幕を切って落とした。シルヴァーバーグの厖大な作品群の中で、一つだけ挙げよと言われれば、ためらわずにこのシリーズになるだろう。ルーシャス・シェパードと同様、あるいは同期のエリスン同様、シルヴァーバーグもシリーズ化をはじめから意図して書くことをしていない。そしてこのシリーズも2本の長篇よりも、2冊にまとめられている中短編の方が面白かったりする。

F&SF 初登場が1957年という、かれのキャリアの中で早い時期であるのも興味深い。シルヴァーバーグのプロ雑誌デビューは1954年、19歳の時で、この年は2本。翌年も2本。その次、1956年が大当りの年で、一気に54本にジャンプする。3年めの1957年には実に85本の作品を発表している。2週間に3本だ。その中にこの1本がある。次に F&SF に載るのは1958年2月。さらにその次は5年あいて、1963年2月のショートショート、さらに5年あいて1968年10月のノヴェレット。この時はもうニュー・シルヴァーバーグになっていたはずだ。
「小説工場」の異名をとり、各種ペンネームを使い分け、同じ雑誌の同じ号に複数の作品が載ることはごく普通で、時にはある雑誌の1冊まるまる全部かれの作品だけで埋まっていたこともある、その中で F&SF デビューを果している。F&SF は作品の質の高さがウリであり、そこに採用されるようシルヴァーバーグが必死になったのもそのためだ。かれは生活のために書きなぐりながら、当初からクオリティのより高い作品を書こうと努力していた。1960年代半ばにフレデリック・ポールの Galaxy 誌を舞台にそれまでとは見違えるように質の高い作品を書き出し、New Silverberg と呼ばれたのは突然変異ではなく、下地はすでにできていて、チャンスを待っていたのだ。
おそらくシルヴァーバーグだけではなく、エリスンにしても、ギャレットにしても、シェクリィにしても、当時の若い書き手にとって、F&SF誌は作家としての技量と器を磨き、作品の質を高めるための動機となってもいたのだ。こういう存在、これもロール・モデルと呼べるだろうが、それもまた今の時代には消えようとしているものの一つだ。とはいえ、小説、ここではサイエンス・フィクション、ファンタジィ、ホラーの小説とりわけ中短編ではオンライン・マガジンを含めた雑誌は選抜システムとして、フィルターとして機能している。代表的なオンライン・マガジンである Clarkesworld に送られてくる原稿の数は毎月1,000本を下らないというのだから。(ゆ)