クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:フィドル

 こういうところでライヴをやってくれるおかげで、ふだん行かない珍しいところに行ける。珍しいとは失礼かもしれないが、このライヴがなければ、まず行くはずのない場所だ。一度来れば、二度目からはハードルが下がる。

 御殿場線に乗るのは生まれてから2度目。最初は御殿場でのハモニカクリームズのライヴに往復した。4年前のやはり秋。御殿場線の駅の中でも谷峨は寂しい方で、これに比べれば御殿場は大都会。言われなければ、こんなところでアイリッシュのライヴがあるなどとは思いもよらない。どころか、降りてもまだ信じられない。それでも駅からそう遠くはないはずで、スマホの地図を頼りに歩く。りっぱな県道が通っているが車もめったに通らない。一緒に降りた地元の人らしき老夫婦は、近くの山陰に駐めてあった軽トラックに乗りこんだ。その先をどんどん行き、角を曲がったとたん、コンサティーナの音が聞えてきた。おお、まちがいない。ここだ、ここだ。

 この店は「スローンチャ」と名づけたライヴ・シリーズを続けていて、今回が18回目。ギターのサムはここでやるのはこれが5回めか6回めになるそうな。他に客がいるのかと思ったら、ちゃんと先客もいて、後から何人もやってくる。半分くらいは車で来たのだろう。

 ここはパンが売りもので、昼飯にクロックムッシュなど二つ三つ買って食べる。なかなか美味。雨が降っていなければ、家で食べるためにいくつか買いこんでいたところではある。飲物ははじめはガマンしてコーヒーにしたが、後でやはり耐えきれずにギネスを飲む。久しぶりでこちらも美味。マスターの話を聞いていると、ビールが美味いそうだが、もう飲めないカラダになってしまった。

 店の建物は宿泊施設を増やすために工事中で手狭ということもあって、すぐ外にモダンなスタイルの天幕を張った下がステージ。その正面、建物から斜めの位置にももう一つ天幕を張って、こちらは客席。少し距離があり、PAを入れている。外の天幕の下で聴くと、音は最高だった。

 生憎の雨模様で、後半、薄暗くなってくると、いささか冷えてきたけれど、山肌を埋めた木々をバックに、脇では薄の穂が揺れている中で聴くアイリッシュはまた格別。サムに言わせれば、この天気もアイルランドになる。

 このトリオでやるのは今回の二連荘が初めてだそうだ。沼下さんのフィドルを生で聴くのはパンデミック前以来だが、どこか芯が太くなって、安定感が増したように聞える。音色がふらつかない。それが須貝さんのフルートと実によく合う。考えてみると、須貝さんがフィドラーとやるライヴを見るのは実に久しぶりだ(記録をくってみたら、2017年の na ba na 以来だった)。この二人のユニゾンは気持ちがいい。片方がハーモニーにずれるのも快感。やはりあたしはフィドルの音、響きが好きなのだ、とあらためて思いしらされる。そして須貝さんのフルートとならぶと、両方の響きにさらに磨きがかかる。須貝さんのフルートには相手を乗せてともに天空を駆けてゆく力があるようだ。

 サムのギターも全体の安定感を増す。一番近いのはスティーヴ・クーニィだとあたしは思っている。派手なことはやらないが、ふと耳がとらわれると、ずんずんと入ってくる。この日は音のバランスも見事に決まっていて、3人の音が過不足なく聞える。それも快感を増幅する。

 前半はオーソドックスなユニゾンを軸に、ジグ、リール、ホーンパイプ? ポルカと畳みかける。曲も地味ながら佳曲が並ぶ。トリッキィなこともやらないし、冒険もしない。そこが気持ちいい。つまり、うまくいっているセッションを聴いている気分。先日の木村・福島組のようなすっ飛んだ演奏もいいし、こういうのもいい。どちらも可能で、どちらも同じくらい愉しい。というのは、アイリッシュの美味しいところではある。

 そう、そして八ヶ岳と木村・福島組の時と同じような幸福感が湧いてきた。それをモロに感じたのは2番目のセットの3曲目のリールが始まったとき、3曲目に入ったとたん、ふわあと浮きあがった。このリールはどちらかというとマイナーなメロディなのだが、気分はメアリ・ポピンズの笑いガスでも吸ったようだ。浮上した気分はワルツでも前半最後のストラスペイでも降りてこない。

 ワルツはベテラン蛇腹奏者 Josephine Marsh の作。その昔サンフランシスコ・ケルティック・フェスティバルに行った時、公式のコンサートがはねてからのパブのセッションで、ロレツも回らないほどべろんべろんに酔っばらいながら、見事な演奏をしていたあのおばさん、いや、あの時はお姉さんでしたね。

 後半は前半よりヴァラエティに富むスタイルということで、ソロでやったり、オリジナルをやったりする。

 スタートはスローなジグのセットで2曲目がいい曲。次はフィドルのソロのリールで始め、一周してからフルートとギターが加わる。シンコペーションのところ、フルートが拍をとばさずに、細かい音で埋めるのが面白い。

 次はフルートのソロで、スロー・エアから2曲目が須貝さんのオリジナル。鳥がモチーフなので、こういうロケーションで聴くのは最高だ。セットの3曲目〈Rolling Wave〉の演奏がいい。

 さらにギターのソロ。サムのオリジナルで〈喜界島の蝶々〉。これを〈町長〉と勘違いした人がいたそうな。そういうタイトルの曲を作るのも面白いんじゃないか。そこから〈Rolling Wave〉と同名異曲。このタイトルの曲はあたしの知るかぎりもう1曲ある。

 後半のワルツは前半のしっとりワルツと対照的な〈Josephin's Waltz〉。元気闊達な演奏で、フィドルとフルートが交替に相手のメイン・メロディにつけるハーモニーが美味しく、この曲のベスト・ヴァージョンの一つ。もう一度聴きたい。

 ラストは〈Mountain Road〉をたどれば〈Mountain Top〉に行くとのことで、この組合せ。スロー・テンポで始め、2周目(だと思う)でテンポを上げ、3周目でさらにもう一段速くする。かっこいい。マーチ、ストラスペイ、リールと曲の変化でテンポを上げるのは定番だけど、曲はそのままでテンポを上げるのも面白い。そのまま2曲目に突入して、最高の締めくくり。ここでようやくエンジン全開。

 アンコールのスライドがまたいい。セットの2曲目、途中で音を絞って3人でユニゾン、ギターがリズムにもどってまた音を大きくするのに唸る。尻上がりに調子が出てきて、第三部があれば文句ないところだけれど、山あいはもう暗くなりかけ、御殿場線の国府津行きの電車の時刻(1時間に1本)も迫ってきたので、それは次回に期待しよう。

 このトリオもいいし、ロケーションもいいので、どちらも次があれば行くぞと思いながら、また降りだした雨の中を駅に急いだ。(ゆ)

 40年ぶりということになろうか。1970年代後半、あたしらは渋谷のロック喫茶『ブラックホーク』を拠点に、「ブリティッシュ・トラッド愛好会」なるものをやっていた。月に一度、店に集まり、定例会を開く。ミニコミ誌を出す。一度、都内近郊の演奏者を集めてコンサートをしたこともある。

 「ブリティッシュ・トラッド」というのは、ブリテンやアイルランドやブルターニュの伝統音楽やそれをベースにしたロックやポップスなどの音楽の当時の総称である。アイルランドはまだ今のような大きな存在感を備えてはおらず、あたしらの目からはブリテンの陰にあってその一部に見えていた。だからブリティッシュである。トラッドは、こうした音楽のレコードでは伝統曲のクレジットとして "Trad. arr." と書かれていることが多かったからである。フランスにおけるモダンな伝統音楽の優れた担い手である Gabriel Yacoub には《Trad. Arr.》と題した見事なソロ・アルバムがある。

 この愛好会についてはいずれまたどこかで書く機会もあろう。とまれ、そのメンバーの圧倒的多数はリスナーであって、プレーヤーは例外的だった。そもそもその頃、そうした音楽を演奏する人間そのものが稀だった。当時明瞭な活動をしていたのは北海道のハード・トゥ・ファインド、関西のシ・フォークぐらいで、関東にはいたとしても散発的だった。バスコと呼ばれることになる高木光介さんはその中で稀少な上にも稀少なフィドラーだった。ただ、かれの演奏している音楽が特異だった。少なくともあたしの耳には特異と聞えた。

 その頃のあたしはアイルランドやスコットランドやウェールズやイングランドや、あるいはブルターニュ、ハンガリーなどの伝統音楽の存在を知り、それを探求することに夢中になっていた。ここであたしにとって重要だったのはこれらがヨーロッパの音楽であることだった。わが国の「洋楽」は一にも二にもアメリカのものだったし、あたしもそれまで CSN&Y で洗礼を受けてからしばらくは、アメリカのものを追いかけていた。「ブラックホーク」で聴ける音楽も圧倒的にアメリカのものだった。そういう中で、アメリカ産ではない、ヨーロッパの音楽であることは自分たちを差別化するための指標だった。

 もちろんジャズやクラシックやロックやポップス以外にも、アメリカには多種多様な音楽があって、元気にやっているなんてことはまるで知らなかった。とにかく、アメリカではない、ヨーロッパの伝統音楽でなければならなかった。だから、アメリカの伝統音楽なんて言われてもちんぷんかんぷんである。オールドタイム? なに、それ? へー、アパラチアの音楽でっか、ふうん。

 高木さんの演奏する音楽がオールドタイムであるとは聞いても、またその演奏を聴いても、どこが良いのか、何が魅力なのか、もう全然まったく理解の外だった。ただ、なにはともあれ愛好会の定例会で生演奏を聞かせてくれる貴重な存在、ということに限られていた。不遜な言い方をすれば、「ブリティッシュ・トラッド」ではないけれど、生演奏をしてくれるから、まあいいか、という感じである。

 こういう偏見はあたし一人のものではなかった。当時は若かった。若者は視野が狭い。また誰も知らないがおそろしく魅力的な対象を発見した者に特有の「原理主義」にかぶれてもいた。たとえば上記のコンサートには「オータム・リヴァー・バレー・ストリング・バンド(つまり「秋川渓谷」)」と名乗るオールドタイムのバンドも参加していたのだが、その演奏を聞いた仲間の一人は、こんなのだめだよ、トラッドじゃないよ、と言いだしたものだ。

 振り返ってみると、オールドタイムをやっている人たちも居場所を求めていたのだろう。当時、アメリカの伝統音楽といえばブルーグラスとカントリーだった。この人たちも結構原理主義者で、オールドタイムは別物としてお引取願うという態度だったらしい。実際、ある程度聴いてみれば、オールドタイムがブルーグラスでもカントリーでもないことは明瞭ではある。音楽も違うし、音楽が演奏される場も異なる。ブルーグラスもカントリーもあくまでも商業音楽であり、オールドタイムは共同体の音楽だ。共同体の音楽という点ではまだ「ブリティッシュ・トラッド」の方に近い。もちろん「ブリティッシュ・トラッド」も商業音楽としてわが国に入ってきていたけれども、共同体の音楽という出自を忘れてはいないところは、そもそもの初めから商業音楽として出発したブルーグラスやカントリーとは別のところに立っていた。

 さらに加えて、高木さんの演奏は、その頃からもう一級だった、という記憶がある。オールドタイムという音楽そのものはわからなくても、演奏の技量が良いかどうかは生を聴けばわかるものだ。少なくともそうでなければ、よくわからない音楽の演奏を愉しむことはできない。

 当時の高木さんはどこか栗鼠を思わせる細面で、小柄だけどすらりとしたしなやかな体、伸ばした髪をポニーテールにしていた。このスタイルもおしゃれなどにはまったく無縁のあたしにはまぶしかった。

 と思っていたら、いきなり高木さんの姿が消えたのである。定例会に来なくなった。あるいはあたしが長期の海外出張で定例会を休んでいた間だったかもしれない。オールドタイムを学ぶために、アメリカへ行ってしまったのだった。そう聞いて、なるほどなあ、とも思った。念のために強調しておくが、その頃、1970年代、80年代に、留学や駐在などではなく、音楽を学びに海外に行くなどというのはとんでもないことだった。しかも高木さんのやっているオールドタイムには、バークリーのような学校があるわけでもない。各地の古老を一人ひとり訪ねあるいて教えを乞うしかないのだ。それがいかにたいへんなことかは想像がついた。同時にそこまで入れこんでいたのか、とあらためてうらやましくもなった。ちなみに、アイルランドやスコットランドやイングランドの伝統音楽を学びに現地に行った人は、あたしの知るかぎり、当時は誰もいない。例外として東京パイプ・ソサエティの山根氏がハイランド・パイプを学びに行っていたかもしれない。

 それっきり、オールドタイムのことは忘れていた。はっきりとその存在を認識し、意識して音源を聴きあさるようになったのは、はて、いつのことだろう。やはり Mozaik の出現だったろうか。その少し前から、ロビンさんこと奥和宏さんの影響でアメリカの伝統音楽にも手を出していたような気もするが、決定的だったのはやはり2004年のモザイクのファースト《Live From The Powerhouse》だっただろう。ここに Bruce Molsky が参加し、当然レパートリィにもオールドタイムの曲が入っていたことで、俄然オールドタイムが気になりだした、というのが実態ではなかったか。

Live From the Powerhouse
Mozaik
Compass Records
2004-04-06



 そこでまずブルース・モルスキィを聴きだし、ダーク・パウエルを知り、そして少したってデビューしたてのカロライナ・チョコレート・ドロップスに出くわす。この頃、今世紀の初めには古いフィドル・ミュージックのヴィンテージ録音が陸続と復刻されはじめてもいて、そちらにも手を出した。SPやLP初期のフィールド録音やスタジオ録音、ラジオの録音の復刻はCD革命の最大の恩恵の一つだ。今では蝋管ですら聴ける。オールドタイムそのものも盛り上がってきていて、この点でもブルース・モルスキィの功績は大きい。後の、たとえば《Transatlantic Sessions》の一エピソード、モルスキィのフィドルとマイケル・マクゴゥドリックのパイプ、それにドーナル・ラニィのブズーキのトリオでオールドタイムをやっているのは歴史に残る。



 かくてオールドタイムは、アイリッシュ・ミュージックほどではないにしても、ごく普通に聴くものの範囲に入ってきた。その何たるかも多少は知りえたし、魅力のほどもわかるようになった。そういえば『歌追い人 Songcatcher』という映画もあった。この映画の日本公開は2003年だそうで、見たときに一応の基礎知識はすでにもっていた覚えがあるから、あたしがオールドタイムを聴きだしたのは、やはりモザイク出現より多少早かったはずだ。


Songcatcher
Hazel Dickens, David Patrick Kelly & Bobby McMillen
Vanguard Records
2001-05-08


 一方、わが国でも、アイリッシュだけでなく、オールドタイムもやりますという若い人も現れてきた。今回高木さんを東京に呼んでくれた原田さんもその一人で、かれのオールドタイムのライヴを大いに愉しんだこともある。いや、ほんと、よくぞ呼んでくれました。

 高木さんはアメリカに行ったきりどうなったか知る由もなかったし、帰ってきてからも、関西の出身地にもどったらしいとは耳にした。「愛好会」そのものも「ブラックホーク」から体良く追い出されて実質的に潰れた。あたしらは各々の道を行くことになった。それが40年を経て、こうして元気な演奏を生で聴けるのは、おたがい生きのびてきたこそでもある。高木さんは知らないが、あたしは死にぞこなったので、嬉しさ、これに過ぎるものはない。

 まずは高木さんすなわち Bosco 氏を呼んだ原田豊光さんがフィドル、Dan Torigoe さんのバンジョーの組合せで前座を努める。このバンジョーがまず面白い。クロウハンマー・スタイルで、伴奏ではない。フィドルとのユニゾンでもない。カウンター・メロディ、だろうか。少しずれる。そのズレが心のツボを押してくる。トリゴエさんは演奏する原田さんを見つめて演奏している。まるでマーティン・ヘイズを見つめるデニス・カヒルの視線である。曲はあたしでも知っている有名なもので始め、だんだんコアなレパートリィに行く感じだ。

 フィドルのチューニングを二度ほど変える。これはオールドタイム特有のものらしい。アパラチアの現場で、ソース・フィドラーたちが同様に演奏する曲によってチューニングを変えているとはちょっと思えない。こういうギグで様々な曲を演奏するために生じるものだろうが、それにしても、フィドルのチューニングを曲によって変えるのは、他では見たことがない。それもちょっとやそっとではないらしく、結構な時間がかかる。それでいて、「チューニングが変わった」感じがしないのも不思議だ。あたしの耳が鈍感なのかもしれないが、曲にふさわしいチューニングをすることで、全体としての印象が同じになるということなのか。チューニング変更に時間がかかるのは、原田さんが五弦フィドルを使っていることもあるのかもしれない。

 二人の演奏はぴりりとひき締まった立派なもので、1曲ごとに聴きごたえがある。最後は〈Bonapart's Retreat〉で、アイルランドの伝統にもある曲。同じタイトルに二つのヴァージョンがあり、それを両方やる。バンジョー・ソロから入るのも粋だ。これがアイリッシュの味も残していて、あたしとしてはハイライト。この辺はアイリッシュもやる原田さんの持ち味だろうか。

 この店のマスターのお父上がフィドラーで、バスコさんの相手を務めるバンジョーの加瀬氏と「パンプキン・ストリング・バンド」を組んで半世紀ということで、2曲ほど演奏される。二人でやるのはしばらくぶりということで、ちょっとぎごちないところもあるが、いかにも愉しくてたまらないという風情は音楽の原点だ。

 真打ちバスコさんはいきなりアカペラで英語の詩ともうたともつかないものをやりだす。このあたりはさすがに現場を踏んでいる。

 そうしておもむろにフィドルをとりあげて弾きだす。とても軽い。音が浮遊する。これに比べればアイリッシュのフィドルの響きは地を穿つ。あるいはそう、濡れて重みがあるというべきか。バスコさんのフィドルは乾いている。

 今でもわが国でアイリッシュ・ミュージックなどでフィドルを弾いている人は、クラシックから入っている。手ほどきはクラシックで受けている。まったくのゼロからアイリッシュ・ミュージックでフィドルを習ったという人はまだ現れていない。高木さんはその点、例外中の例外の存在でもある。見ているとフィドルの先端を喉につけない。鎖骨の縁、喉の真下の窪みの本人から見て少し左側につけている。

 加瀬さんがバンジョーを弾きながら2曲ほど唄う。これも枯れた感じなのは、加瀬さんのお年というよりも音楽のキャラクターであるとも思える。もっともあたしだけの個人的イメージかもしれない。

 バスコ&加瀬浩正のデュオは2001年に Merl Fes に招かれたそうで、大したものだ。そこでもやったという7曲目、バスコさんが唄う〈ジョージ・バック?(曲名聞きとれず)〉がハイライト。オールドタイムはからっとして陽はよく照っているのだが、影が濃い。もっとも、この日最大のハイライトはアンコールの1曲目、バスコ&加瀬デュオに原田、ダニーが加わったカルテットでの〈Jeff Sturgeon〉(だと思う)。オールドタイムでは楽器が重なるこういう形はあまりないんじゃないか。このカルテットでもっと聴きたい。

 それにしても、あっという間で、ああ、いいなあ、いいなあと思っていたら、もう終っていた。良いギグはいつもそうだが、今回はまたひどく短かい。時計を見れば、そんなに短かいわけではないのはもちろんだ。

 原田さんの相手のダン・トリゴエさんは、あの Dolceola Recordings の主催者であった。UK Folk Radio のインタヴューで知った口だが、ご本人にこういうところで会うとは思いもうけぬ拾いもの。このギグも、御自慢の Ampex のプロ用オープン・リール・デッキで録音していた。動いているオープン・リール・デッキを目にするのはこれまた半世紀ぶりだろうか。中学から高校にかけて、あたしが使っていたのは、Ampex とは比較にもならないビクターの一番安いやつだったけれど、FM のエアチェックに大活躍してくれた。オープン・リールのテープが回っている姿というのは、LPが回っているのとはまた違った、吸い込まれるようなところがある。CDの回るのが速すぎて、風情もなにもあったものでない。カセットでは回っている姿は隠れてしまう。

 帰ろうとしたときに加瀬さんから、自分たちもブラックホークの「ブリティッシュ・トラッド愛好会」に出たことがあるんですけど覚えてませんか、と訊ねられたのだが、申し訳ないことにもうまったく記憶がない。だいたい、愛好会でやっていたこと、例会の様子などは、具体的なことはほとんどまったく、不思議なほどすっぽりと忘れている。ほんとうにあそこで何をやっていたのだろう。

 このバスコさんを招いてのギグは定例にしたいと原田さんは言う。それはもう大歓迎で、ぜひぜひとお願いした。オールドタイムにはまだまだよくわからないところもあって、そこがまた魅力だ。(ゆ)

Bosco
Bosco
Old Time Tiki Parlou
2023-04-07



バスコ・タカギ: fiddle, vocals
加瀬浩正: banjo, vocals
原田豊光: fiddle
Dan Torigoe: banjo

 チーフテンズのフィドラー、ショーン・キーンが亡くなった。享年76。7日日曜日の朝、突然のことだったそうな。心臓が悪いとのことだったから、何らかの発作が起きたのか。

 これでチーフテンズで残るはケヴィン・コネフとマット・モロイの二人になった。

 ショーンのフィドルはバンドの華だった。チーフテンズの歴代メンバーは全員が一騎当千のヴィルチュオーソだったけれど、ショーン・キーンのフィドルとマット・モロイのフルートはその中でも抜きんでた存在だった。そして、この二人は技量の点でも音楽家としてのスケールの大きさの点でも伯仲していた。ただ、マットにはどこか「求道者」の面影がある一方で、ショーンは明るいのだ。

 美男子というのとは少し違うが、背筋をすっくと伸ばしてフィドルを弾く姿は、バンド随一の長身がさらに伸びたようで、誰かがギリシャ神話の神のどれかが地上に降りたったようと言っていたのは当を得ている。後光がさしていると言ってもいい。表面いたって生真面目だが、その芯にはユーモアのセンスが潜んでもいる。

 そして、そのフィドルの華麗さ。圧倒的なテクニックを存分に披露しながら、それがまったく鼻につかず、テクだけで魂のない演奏に決してならない。アイリッシュ・ミュージックは実はジャズ同様、「テクニックのくびき」がきついものだが、また一方でテクニックだけいくら秀でても、たとえばセッションの「道場破り」をやるような人間は評価されない。

 ショーンのフィドルは華麗なテクニックにあふれながら、同時にその伝統を今に担い、バンドの仲間たちと、リスナーとこれをわかちあえる歓びに満ちて、輝いている。マットがテクだけだとか、輝いていないというわけではもちろんなく、これはもう性格の違いだ。チーフテンズの顔といえばパディ・モローニだが、チーフテンズの音楽の上での顔はショーン・キーンのフィドルなのだ。モローニだって、その気になれば有数のパイパーだが、音楽の上でそれを前面に押し出すことはしなかった。

 ショーン・キーンのフィドルがチーフテンズの音楽の顔であることの一つの象徴は《In China》のラスト・トラック〈China to Hong Kong〉冒頭のフィドルだけの演奏だ。中国のどこかの伝統曲とおぼしき曲をアイリッシュ・ミュージックのスタイルで弾いて、しかも一個の曲として聴かせてしまうトゥル・ド・フォースだ。異なる伝統同士の異種交配のひとつの理想、ひとつの究極だ。

 ショーン・キーンにはチーフテンズ以外にもソロや、マット・モロイとの共演の録音がある。そこではチーフテンズとは別の、伝統のコアにより近い演奏が聴ける。ショーン個人としては、むしろこちらの方が本来やりたかったこととも思える。こうしたソロ・アルバムを作ることで、チーフテンズとのバランスをとっていたのかもしれない。

 76歳という享年は今の時代若いと思えるが、チーフテンズの一員としての活動やソロ・アルバムによって与えてくれた恩恵ははかりしれない。心からの感謝を捧げるばかりだ。(ゆ)

0223日・木

 Martin Hayes, Shared Notes 読了。面白い。いろいろな意味で面白いのは、かれの録音に通じる。学校の作文以外、文章を綴ったことがない、という割りには、平易な言葉で深遠なことをさらりと言ってのける。音楽の核心をわかりやすい表現で伝える。まずは、よほど頭がいいのだ。

 幼少年期の東クレアの農村地帯で偉大なフィドラーの父のもと、伝統音楽にどっぷり浸って育ち、その最良の部分を魂に刻みこまれて、音楽以外のことをやりたいとも思えなくなりながら、当時はそれで食べられるわけもなく、結局アメリカへ逃げださざるをえなくなる。その点ではかれの世代のアイルランドの若者の辿る一つの典型でもあるのだろう。ただ、そこからがこの人の真骨頂。もともと、少年期に伝統音楽に浸り、コンペティションにも出るのだが、音楽への態度が同世代の人たちとはまるで違っている。音楽が刻みこまれた魂の奥底に耳を傾け、そこから流れでてくるものに忠実に演奏しようとする。およそ少年の態度ではない。こと音楽に関しては、この人はまったく年齡不相応なのだ。そのことは成長してからも変わらない。

 いろいろ失敗もするし、辛い目にも遭うが、つまるところ自分が受けついだ音楽にたちもどり、そこに正直に生きることで道が開けてくる。その際、この人は結果がどうなるかということをまったく考えない。自分の中の音楽に忠実にふるまえば、結果はおのずとついてくることを信じる。自分の音楽そのものと、それに忠実であるプロセスを信頼する。そして今のかれの位置、アイリッシュ・ミュージックの伝統の化身であると同時に、その最も先鋭なところを切り開く開拓者であるその位置は、一重にその信頼がもたらしたものだ。

 もちろん、これは自伝であるから、マーティン・ヘイズとしてはそう考えたい、ということではある。とはいえ、そう言われて納得してしまうだけの説得力もまたある。かれの音楽という動かしがたい要素が厳然として存在するからだ。

 ここには、かれが取組んできた様々なユニット、プロジェクトについて、その胚胎から結実までの内幕も率直に書かれている。これを読みながら聴きなおせば、一段と興趣は深まる。

 生まれてからパンデミック直前までの己の歩みをたどるなかに、音楽についての様々なコメントが鏤められている。読みながら、いやもう、いちいち、膝を叩いて、そうだ、そうだよ、まさにあんたの言うとおりと、そればかり言っていた。マーティン・ヘイズとグレイトフル・デッドは同じことをしていると、あらためて納得できる。ここにはデッドは出てこないが、聴けば同じことをやっていると共感するはずだ。

 それにはまた、かれが実に幅広く、様々な音楽を聴いていることもある。あたりまえではあるのだが、ミュージシャンは自分がやっている音楽、ジャンルの外を聴こうとしないことも少なくない。ひとつにはアイリッシュ・ミュージックという確固たる基盤がゆるぎなくでんとあって、いつでもそこに戻って立つことができることは大きいだろう。伝統音楽はみなそうだが、だからこそ、何が来てもコラボレーションできる。

 ここにはまた、1度や2度読んだだけでは呑みこみきれないたくさんのことが書かれている。まずは、彼の録音を一つひとつ聴きなおしながら、ゆっくりと読みなおそう。次には彼が聴いている音楽をともに聴きながら読みなおすこともできる。さらには、かれの足跡の背景を勉強して読みなおすことになるだろう。この本を入口としてアイリッシュ・ミュージックの世界にもう1度入りなおそう。



##本日のグレイトフル・デッド

 0223日には1966年から1993年まで7本のショウをしている。公式リリースは4本。うち完全版1本。


1. 1966 Unknown Venue, Unknown, Unknown

 演奏・録音箇所不明で日付がどうしてわかるのか、正直わからないが、ともあれこの日、どこかで演奏したテープが残っていて、6曲収められている。そのうち冒頭の〈Standing on the Corner> Mindbender (Confusion's Prince)〉7分弱が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。音質は後の録音に比べると良くないが、聴けないわけではない。ヴォーカルは左に寄り、ドラムスは右に寄る。

 どちらもオリジナルで1966年にのみ演奏された。どちらもガルシアがリード・ヴォーカル。

 〈Standing on the Corner〉は当時のバンド全員によるオリジナル。この録音も入れて、記録があるのは4回。これが一番古く、最新は19660729日のヴァンクーヴァーで、これを含むショウはファースト・アルバムの50周年記念盤でリリースされた。

 〈Mindbender (Confusion's Prince)〉はガルシアとレシュの共作。196511月の The Emergency Crew 名義のデモ録音の1曲でそちらは《The Birth Of The Dead》で聴ける。この日の録音はライヴでの今のところ唯一のもののようだ。

 未完成ないしどうということはない曲だが、すでにバンドとしての性格は出ている。必ずしもピグペンが常にフロントに立っていたわけでもないこともわかる。


2. 1968 The Kings Beach Bowl, Kings Beach, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。1時間強の演奏全体が《Dick's Picks, Vol. 22》でリリースされた。《Dick's Picks, Vol. 22》ではこのショウと翌日のショウの全体が2枚の CD に収められている。

 1時間強の一本勝負。冒頭〈Viola Lee Blues〉から〈Turn On Your Lovelight〉までノンストップ。これに〈Born Cross-Eyed> Spanish Jam〉がアンコールの形。エネルギーの塊となって驀進する。ピグペンの存在感の大きさに納得する。演奏技術とか、音楽性の豊かさとか、美しいメロディとか、そういういわば既存の尺度からははずれたパフォーマンス。この当時のロックの範疇だが、これを生で体験するのは、音楽を聴くよりもトリップに近い。やっている方も、音楽演奏でトリップ体験を生みだそうとしているようだ。それも、自分たちがまずそういう状態になり、それを共有するという態度。自分たちはクールに醒めて、聴衆に体験してもらうのではない。おそらくジャズのミュージシャンが演奏する態度に近い。

 スパニッシュ・ジャムの淵源は何だろう。マイルスの《Sketches Of Spain》をガルシアやレシュは当然聴いているはずだ。が、それだけでもないような気もする。


3. 1970 Austin Municipal Auditorium, Austin, TX

 1時間強のショウ。05曲目の〈Monkey And The Engineer〉から10曲目の〈Uncle John's Band〉までアコースティック・セット。そのうち06曲目の〈Little Sadie〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 〈Little Sadie〉は19世紀にまで遡ると言われる古い伝統歌で、様々なタイトルのついた様々なヴァージョンがある。ガルシアがここで歌っているのは1930年に Clarence Ashley が録音したヴァージョンに近い。このタイトルのもとでは、アシュリーのヴァージョンがスタンダードだそうだ。デッドはこの曲を19691219日フィルモア・オーディトリアムで初演し、1970年と1980年に、合わせて7回演奏している。スタジオ盤収録は無し。

 ガルシアはおそらくデッド以前のフォーキー時代にも歌っていたと思われ、自分のソロ・プロジェクトのショウでも40回ほど演奏している。いずれもほとんどがアコースティック。ガルシアの録音としてはデヴィッド・グリスマン、トニー・ライスとの《The Pizza Tapes》にある。

 この日、ウィンターランドではグレイトフル・デッドのためのベネフィット・コンサートが行われている。出演はジェファーソン・エアプレイン、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、サンタナ、イッツ・ア・ビューティフル・デイ、ダン・ヒックス&ヒズ・ホット・リックス。


4. 1971 Capitol Theater, Port Chester, NY

 このヴェニュー6本連続の5本目。これも良いショウのようだ。


5. 1974 Winterland Arena, San Francisco, CA

 4.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続の中日。第二部2・3曲目〈Weather Report Suite> Stella Blue2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。これも今年5月の《Dave's Picks, Vol. 42》でリリースされることが予告されている。

 どちらも見事だが、とりわけ〈Stella Blue〉コーダに向かうガルシアのソロには背筋に感動の戦慄が走る。

 〈Weather Report Suite〉は三部からなり、〈Prelude〉はウィア作曲のインストルメンタル、〈Part 1〉はウィアとエリック・アンダースンの共作、〈Let It Grow (Part 2)〉はバーロゥ&ウィアの作。19730908日、ニューヨーク州ユニオンデイルで初演。組曲としての最後は19741018日のウィンターランド。大休止の後は〈Let It Grow〉のみが演奏され、最後は19950702日。組曲としては47回演奏。スタジオ盤は《Wake Of The Flood》収録。〈Let It Grow〉は275回演奏。演奏回数47位。

 〈Prelude〉は中世音楽風で、ジョン・レンボーンあたりが弾いてもおかしくない。

 〈Stella Blue〉はハンター&ガルシア。19720617日、ハリウッドで初演。19950706日まで計328回演奏は32位。スタジオ盤は《Wake Of The Flood》収録。ガルシアのスロー・バラードの中でも最高の名曲と思う。名演も多い。


6. 1992 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。Drums にババ・オラトゥンジが参加。

 デビュー曲が二つ。第一部5曲目の〈Way To Go Home〉と第一部クローザーの〈Corrina〉。

 〈Way To Go Home〉はハンター作詞、ウェルニク&ブララヴ作曲。19950628日まで、計92回演奏。スタジオ盤無し。

 〈Corrina〉はハンター作詞、ハート&ウィア作曲。19950709日のラスト・ショウまで、計77回演奏。スタジオ盤無し。《Ready Or Not》のタイトルはこの曲の詞からとられた。

 《Ready Or Not》は1992年以降にデビューしてスタジオ盤が存在しないオリジナル曲をライヴ音源で集めたもの。選ばれた音源がそれぞれの歌のベスト・ヴァージョンとは限らないが、すべて公式では他にリリースされていないショウからとられている。収録曲とショウは以下の通り。

Liberty – 1994-10-14, Madison Square Garden, New York, NY

Eternity – 1995-04-02, The Pyramid, Memphis, TN

Lazy River Road – 1993-03-25, Dean Smith Center, Chapel Hill, NC

Samba in the Rain – 1995-03-30, The Omni, Atlanta, GA

So Many Roads – 1992-06-23, Star Lake Amphitheatre, Burgettstown, PA

Way to Go Home – 1992-06-28, Deer Creek Music Center, Noblesville, IN

Corrina  – 1994-10-14, Madison Square Garden, New York, NY

Easy Answers – 1993-09-13, The Spectrum, Philadelphia, PA

Days Between – 1994-12-11, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA


7. 1993 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の最終日。

 第二部オープナー〈Iko Iko〉で、シキル・アデプチュとデルガード・コールマンがマルディグラ・パレードをした。第二部半ばの Drums からアンコールまでオーネット・コールマンが参加。Drums Space にはコールマンに加えて Graham Wiggins がディジリドゥーで参加。

 ロビー・ロバートソンの〈Broken Arrow〉が第一部5曲目でデビュー。19950702日まで、計35回演奏。スタジオ盤収録無し。

 これは AUD を聴いた。コールマンのアルバム《Virgin Beauty》でのガルシアの客演はかなりうまくいっているが、こちらは上々の出来、とまでは言えない。コールマンの個性が強すぎて、デッドの音楽に溶けあわず、バンドはいささか持てあましている。ジャズのサックス奏者としては、ブランフォード・マルサリス、デヴィッド・マレィとコールマンが共演していて、マルサリスはまるで昔からのメンバーのように溶けこんでいる。マレィも AUD で聴くかぎり、まずまずうまくいっている。デッドの音楽は表面は柔軟そうに見えるが、中心にはごく硬い芯があり、容易な混淆や交配を許さない。コールマンの音楽も性格は同じで、いわば磁石の同極のようなものだろう。(ゆ)


1225日・土

 家族の用件で上京。徃きは Martin Hayes, Shared Notes を読む。これはいい。email とセット・リスト以外に書くということはしていない、とは思えない。ゴーストライターがいるのではないかと思ってしまうほどよく書けている。話題の選択、並べ方も適切。夫人がとっていたオンラインの自伝講座の恩恵というが、それだけでこうは書けない。頭がいいことも確かだ。ものごとの核心を見抜いて、適確な表現をさぐりあててゆく。

 巻末の謝辞に野崎さんの名前があるのは、当然ではあろう。

Shared Notes: A Musical Journey
Hayes, Martin
Transworld Ireland
2022-01-14

 

 夜、着いたばかりの Amulech のケーブル SW-HP10Live につけ、M11Pro でデッド 1979-12-28 を聴く。明らかに音は onso よりも良い。ちょっと高域がギラつくが、これはエージングでとれるだろう、たぶん。HE400i NightOwl Carbon も変身する。NightOwl Carbon が復活。



##本日のグレイトフル・デッド

 クリスマスの日には30年間を通じて1本もショウをしていない。完全休日。30年で1本のショウもしていない日が365日の間にもう1日ある。加えて7回ある2月29日にはやはり休んでいる。


1118日・木

 Journal of Music Toner Quinn によるマーティン・ヘイズの自伝 Shared Notes 熱烈な書評を見て、AbeBooks で注文。アマゾンは来年1月刊だよんとたわけたことをぬかす。Penguin のサイトには1014日刊行と出ているKindle を売るためか。新刊のキンドルは高い。電子版でも Apple なら半額だ。

 しかし、いいタイトルだ。音楽は共有されて初めて存在できる。アイリッシュ・ミュージックはその性格がことさら剥出しになる。


 そのアマゾンによるロバート・ジョーダン『時の車輪』の映像化の出だしは評判がいいが、ブランドン・サンダースンによる完結篇までやるのか。邦訳はそこまで完結していないけれど、これを機会に邦訳が出るか。それにしても、シリーズの途中で邦訳打切りになるのが多過ぎる。



##本日のグレイトフル・デッド

 1118日には1966年から1978年まで3本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 3日連続の初日。共演は James Cotton Blues Band, Lothar & the Hand People。セット・リスト不明。

 James Henry Cotton (1935-2017) はブルース・ハープ奏者、シンガー、ソングライター。1950年代、ハウリン・ウルフのバンドでブルース・ハープを始め、マディ・ウォーターズに呼ばれてシカゴに移り、ウォーターズのバンドリーダーとなる。1965年自分のバンドを結成。このショウのポスターにも「シカゴより」とある。

 Lothar & the Hand People 1965年にデンヴァーで結成、1966年にニューヨークに移る。テレミンやムーグ・シンセサイザーを最初に使いはじめたロック・バンドとして、短命ながら後のエレクトロニクス音楽の勃興に大きな影響を与えた、と言われる。Lothar は使っていたテレミンに与えられた名前で、the Hand People たるバンド・メンバーは John Emelin (vocals), Paul Conly (keyboards, synthesizer), Rusty Ford (bass), Tom Flye (drums) それに Kim King (guitar, synthesizer)。デッドはじめ、バーズ、ラヴィン・スプーンフル、キャンド・ヒートなどと共演した。


2. 1972 Hofheinz Pavilion, Houston, TX

 後半9曲のうち、冒頭の〈Bertha〉からラスト前の〈Sugar Magnolia〉の8曲が《Houston, Texas 11-18-1972》でリリースされた。曲数では全体の3分の1。これ以外の録音は The Vault には無い由。

 これにも含まれる〈Playing in the Band〉がキャリア全体のベストの1本、と言われる。この1972年秋の PITB はとにかく、どれもこれも長くて凄い。1968年6月の初演から4年経って、当初の5分ほどのあっさりした曲は30分のモンスターに成長した。この後は、間に他の曲をはさむ形になる。まとまった1曲としてはこの頃が頂点。演奏回数の総数610回はトータルで2位。1位は〈Me and My Uncle〉だから、デッドのオリジナルとしてはトップ。うち公式にリリースされている録音は今のところ126本。


3. 1978 Uptown Theatre, Chicago, IL

 8.50ドル。開演8時。前半7曲目〈Stagger Lee〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 「ジョーンズタウンの大虐殺」が起きた日。当初は集団自殺とされていたが、今ではむしろ大量殺人とみなされているようだ。ガイアナに移住する前、ジム・ジョーンズの人民寺院は本部をサンフランシスコに置いて急速に成長し、市政に影響を与えるまでになった。もっともデッド周辺との接触は確認されていない。

 こうしたカルトはアメリカのサイケデリック文化の流れを汲み、その文化の源流にはデッドも関っているが、デッドはなべて宗教的なものとは距離を置いていた。もっとも、デッドにとっては音楽、その演奏が礼拝、宗教行為であり、デッドヘッドのデッドへの信奉の仕方は宗教に近い。もっとも「カルト」をマイノリティの一種とするなら、デッドヘッドの広がりと浸透はむしろアメリカの主流をなす流れの一つではある。(ゆ)


4月7日・水

 玉川土手を山に向かって歩いていると、山の斜面が様々な緑色の斑になり、その中に淡いピンクが点在する。そこに斜めに陽があたっているのに嬉しくなる。

 散歩のお伴は Claudia Schwab のソロ・ファースト Amber Sands。やはりダーヴィッシュ支援で、これまたたいへん面白い。アイルランド、インド、その他の影響がそれぞれまだ剥出しなのもたのしい。聞きこんでゆくといろいろと発見がありそうだ。録音もいい。

Amber Sands
Claudia Schwab
CD Baby
2014-04-26



 Wさん@ICF から講座への反応をいただく。まことにありがたい言葉で、やった甲斐があったと胸をなでおろす。あたしのような者の体験でも、分野を限ればそれなりに人様が聞いても面白いものになるらしい。Zoom の後半に話した、あたしがいかにアイリッシュ・ミュージックに親しむようになったか、という話はブログに書いてみるのも一興かもしれない。


 オーストラリアのベンチャー企業が開発した NuraLoop が面白そうだ。AV Watch の本田雅一氏の記事にあるように、録音音楽伝達末端の音質調整にデジタルが入ることで、オーディオは完全に変わるだろう。

 

 スピーカーでも Genelec の SAM の技術は Apple や Nura と同様のアプローチだ。あちらは耳ではなく部屋の特性を測定して調整する。

 音源はデジタルになったけれど、音に変換して再生する部分ははイヤフォン、ヘッドフォンも含めて、アナログによるアプローチだった。イヤフォン、ヘッドフォン、スピーカーのボディやドライバ、ケーブルの素材や形状というのはアナログだ。カスタム IEM で耳型をとってそれに合わせて作るのも典型的なアナログだ。耳型をデジタルで作る方法もあるけれど、耳型という点ではアナログだ。Nura はいわばヴァーチャル耳型をとるわけだ。耳型をとるのは遮蔽能力を高めるためだが、デジタルを徹底すれば、遮蔽能力はアクティヴ・ノイズ・キャンセリングにまかせ、その上で聞え方を直接測定するのが当然だ。この測定の技術、ANC の技術はまだ向上するだろう。何をどう測るかの方式は一つではないはずだ。さらに測定したものを再生に活かす技術も様々なものが出てきて、向上するだろう。フル・デジタル化することで、音質改善のコストが劇的に下がる。

 ただし、耳そのものの質を向上させるわけではない。壊れた耳や壊れた脳が「聴いて」いるものを補正するわけじゃない。音楽を聴いて愉しむには、それなりの訓練がいる。後藤さんの「ジャズ耳」はその一つの表現だけど、耳は「鍛える」ことができるし、またすべきなのだ。ただ、それはオーディオ的に音質を改善することとは別のことではある。

 ゼンハイザーがコンシューマー部門のアウトソーシングを探っているのも、こういう状況を見てのことかもしれない。デジタルの恩恵を受けるのはまだエンド・ユーザーのレベルで、音楽製作の現場ではアナログでなければならない場面は残る。個々のエンジニアやプロデューサーだけに合わせた音で作ってしまっては売物にならない。

 NuraLoop の懸念は再生装置との接続で、M11Pro と Bluetooth でつないだ場合の音質がどうなるか。有線もあるにしても、イヤフォン側のケーブル形状が固有だから、サード・パーティー製でのリケーブルはできない。デフォルトは無線だろう。とまれ、試してみる価値はありそうだ。


 「そんな高齢化時代を迎えたいまだからこそ、地域にとってなくてはならない存在感が一層際立つ。(中略)『ご年配のお客様の中には、話し相手として私たちが来るのを待ち望んでいる方も少なくありませんから』と顔をほころばせる。地域のお客様の心の拠り所として愛され続け、61年目の春を迎えた」
 
 というのは結構なことだが、この地域の住民の平均年齡が若返り、新たな住民が増えることは期待できるのだろうか。それがなければ、『昔は世帯人員も5人、6人というのが当たり前でしたからね。それが今は高齢のご夫婦や単身世帯ばかりになってしまいました。購買力が落ちるのも当然です』という流れが続き、住民が死に絶えたところで、この店の商売も絶えるのか、70年目の春は迎えられるのかと他人事ながら気になってしまう。いや、埼玉の一角であるこの地域の話だけではなく、神奈川の一角である、今住んでいるこの辺りも状況は同じなのだから、他人事ではすまない。(ゆ)

Granny's Attic, Off The Land, 2016
 すばらしい。3人とも歌えて、コーラスもばっちりだが、コーエン・ブライスウェイト=キルコインとジョージ・サンソムの二人が交互にリード・ヴォーカルをとる。歌によっては一連ごとに交替する。どちらも一級のうたい手。イングランドのうたを堪能する。コーエンの声はちょっと癖があり、好みが別れるかもしれない。どちらかというとソロの方がよく響くか。この人、名前は立派なアイリッシュだが、やっている音楽はばりばりのイングリッシュ。最近のイングリッシュ・バンドらしく、ダンス・チューンもいい。どれもフィドルのルイス・ウッドのオリジナルというのはちょっと驚く。伝統にのっとった佳曲揃い。このフィドルが引っぱり、メロディオンが合わせ、ギターがドライブする。よくスイングする。このあたりはやはりアイリッシュやスコティッシュの影響だろう。

 これはセカンドになるようだ。ファーストは自主リリースで、公式サイトにも無い。

Cohen Braithwaite-Kilcoyne: vocals, melodeon, anglo concertina
George Sansom: vocals, guitar
Lewis Wood: fiddle, mandolin, vocals

Tracks
01. Away To The South'ard
02a. Lacy House {Lewis Wood}
02b. Right Under The Bridge {Lewis Wood}
03. False Lady
04. Horkstow Grange
05. The Death Of Nelson
06. Rod's
06a. Mr Adam's Scottische {Lewis Wood}
06b. Portswood Hornpipe {Lewis Wood}
06c. Steamkettle {Lewis Wood}
07. Poor Old Man
08. The Coalowner & The Pitman's Wife
09. After The Floods {Lewis Wood}
10. Country Hirings
11. Two Brothers {Trad. & Lewis Wood}

All songs trad. except otherwise noted.

Produced by Doug Bailey
Recorded by Doug Bailey @ WildGoose Studio, 2015-12/2016-01

Off the Land
Granny's Attic
Imports
2016-09-02


 日曜日の11時開演という、ちょっと異例のスケジュールにもかかわらず、大勢のお客様にご来場いただき、御礼申し上げます。

 今回はスコットランドの高等音楽教育機関である Royal Conservatoire of Scotland の卒業生と在学生がゲスト、しかも日本人として初の卒業生で、正直、イベントが成立するだけの人が集まるか不安もありました。

 もっとも、事前の打合せでお二人から伺った話から、内容は面白いものになるという自信はありました。一番難しかったのは、盛り沢山の内容をどう詰めこむか、というところで、これは進行役のトシバウロンが、うまくコントロールしてくれました。

 レジュメに書きながらあそこに盛りこめなかったことの1つは、RCS があるグラスゴーという街の性格です。スコットランドはエディンバラとグラスゴーの二つが飛びぬけた大都市で、3番手のアバディーンを遙かに引き離しています。その二つの大都市はかなり性格が異なるそうなのです。

 スコットランドは、グラスゴーの西にあるクライド湾からネス湖に平行に北東に引いた線で、南東側ロゥランドと北西側ハイランドに大きく分けられます。ロゥランドは歴史的にイングランドとの結び付きが強く、英語が支配的です。ハイランドはスコットランド独自のゲール語文化圏で、アイルランドとの結び付きが強いです。英語は第1言語ですが、独自のゲール語であるガーリックもしぶとく生きのびています。人口はロゥランドに集中していて、三つの大都市もいずれもロゥランドに属します。

 そのうちエディンバラは行政と経済の中心地であり、スコットランドの首都としての機能がメインです。グラスゴーは対照的に文化の中心地であり、今や、世界でも有数の大規模な音楽フェスティヴァルになった Celtic Connections もグラスゴーで開かれます。

 グラスゴーがそうなったのには、ハイランド文化圏が近いことも作用しているのではないかと、あたしは睨んでいます。

 質疑応答で出た質問について少し補足します。

 アイルランドやスコットランドの音楽については比較的知られているが、ウェールズはどうなのか。

 ウェールズもケルト文化圏の例にもれず、伝統音楽は盛んです。とりわけハープの伝統と合唱の伝統に厚いものがあります。telyn と呼ばれるハープは松岡さんや梅田千晶さんが使われているものに似た小型のものから、人の背を遙かに越える大型のものまで、いくつかの種類があります。また、中世以来のハープ伝統が途切れずに伝わってもいます。ハープ伝統がつながっているのはウェールズだけです。

 ウェールズのゲール語はキムリア語と呼ばれます。ゲール語はほとんどの地域で少数派になっていて、存続や拡充の努力がおこなわれていますが、ウェールズだけはキムリア語がメインの言語になっています。南部の首都カーディフのあたりでも、今ではキムリア語が多数派になっているそうです。そのキムリア語による合唱と即興詩の伝統が続いています。

 一方、1970年代後半から、他地域のフォーク・リヴァイヴァルの影響を受けて、モダンな伝統音楽をやる若者たちが現れてきました。何度か波がありますが、今は三度めか四度めの波が来て、盛り上がっています。今年初めて Wales Folk Awards が選定され、その最終候補に残った楽曲のプレイリストが Spotify にあります。

 これを聴けば、今の、一番ホットなウェールズ伝統音楽の一角に触れられます。一方で、ここにはばりばり現役のベテラン勢はほとんどいないことにもご注意。

 ご質問でもう1つ、スコットランド音楽の伝統的楽器に打楽器は無いのか。

 ケルト系音楽全体に言えることですが、ほぼメロディ楽器だけで、打楽器は伝統的には使われていませんでした。ケルト系だけではなく、ヨーロッパの伝統音楽全体にも言えることで、ヨーロッパはやはりメロディが主体です。

 最近、というのは1970年代以降、アイルランドのバゥロンのような打楽器が使われるようになりました。バゥロンはその柔軟性、表現力の広さから、伝統音楽以外のポピュラー音楽、ロックやカントリーなどでも使われていますが、スコットランドでもプレーヤーが増えています。

 一方、ハイランド・パイプによるパイプ・バンドではサイド・ドラムまたはスネアと大太鼓は欠かせません。パイプ・バンドは19世紀にイングランドの差金で始まったと言われますが、ハイランド・パイプとスネアと大太鼓からなるあの形態は、スコットランド人にとってはたまらない魅力があるようです。スネアと大太鼓の華麗な撥捌き(叩いている時だけでなく、叩かない時も)はパイプ・バンドの魅力の大きな要素の1つです。

 スコットランド音楽もあそこでお見せできたのは氷山の一角なので、奥には広大な世界があります。そのあたりは松岡さんもおられることだし、これからおいおい紹介していけるだろうと思います。〈蛍の光〉Auld Lang Syne の古いヴァージョンのような美しい音楽は山ほどあります。(ゆ)

 菜花は西調布の駅からほど近いところで、ふだんはレストランらしい。トシバウロンがプロデュースして、ここでケルトや北欧の音楽のライヴを定期的に開く企画「菜花トラッド」の皮切りがこのデュオである。

 ここは須貝知世さんのデビュー・アルバム《Thousands of Flowers》レコ発で来たことがある。広々とした板の間で、テーブルや椅子もいずれも木製。生楽器の響きがいい。このイベントは食事付きとのことで、この日は二人が演奏するアイリッシュ・ミュージックに合わせてアイリッシュ・シチュー。実に美味。量もあたしのような老人にはちょうどいいが、トシさんには足らないかもしれない。

 この二人ではしばらく一緒にやっていなかったとのことで、ゆったりと始める。ホーンパイプからスローなリールのセット。次もゆったりとしたジグ。そのゆったり具合がいい。

 マイキーはクレアの出で、フィドルもそちらだが、西クレア、ケリィに近い方だろう。ポルカやスライドの盛んな地域で、もちろんそれも演るのだが、この日はとにかく走らない。勢いにのって突っ走るのは、まあ誰でもできるが、こんな風にゆったりと、充分にタメて、なおかつ曲の備えるグルーヴ、ノリが湧き出るように演奏するのは、そう簡単ではないはずだ。このあたりはやはりネイティヴの強み、血肉になっている伝統から、どっしりと腰のすわった安定感がにじみ出る。安定しきったその流れにただひたすら身をまかせられるのは、アイリッシュ・ミュージックの醍醐味のひとつではある。

 伝統音楽にはそれぞれに固有のグルーヴ、ノリがある。アイリッシュにはアイリッシュの、スコティッシュにはアイリッシュと似ているが、やはりスコティッシュならではのノリがある。スウェーデンのポルスカのノリはまた別だ。そういうノリを身につけるのは、ネイティヴなら幼ない頃から時間をかけられるし、どっぷりと浸ることもできるが、伝統の外では難易度は高い。一つの方法はダンスの伴奏、アイリッシュならケイリ・バンドなどで、ダンスの伴奏をすることかもしれない。トヨタ・ケーリー・バンドのメンバーは一晩で何時間もぶっつづけで、それも半端ではないテンポで演奏することで鍛えられていて、他のアンサンブルで演るときも抜群の安定感を体験させてくれる。

 それでもやはり、優秀なネイティヴが備える安定感は次元がまた別だ。マイキーがこの国に住んで、音楽をやってくれていることは、あたしなどには本当にありがたい。

 かれはまったくの1人でもすばらしい音楽を聴かせてくれるだろうが、アイリッシュは基本的にソーシャルな音楽だ。つまり、一緒にやって初めて本当に面白くなる。だから高橋さんのような相手がいることはマイキーにとっても嬉しいことだろう。

 高橋さんはこの日は得意のバンジョーは弾かず、ギターに徹していたが、かれのギターはミホール・オ・ドーナルを祖型とする従来のものからは離れている。ストロークで使うコードやビートの刻み方も違うし、ピッキングでメロディを弾くことも多い。フィドルやホィッスルとユニゾンしたりさえする。あるいは前半の最後にやったスロー・エアのように、アルペジオからさらに音を散らして、ちょっとトリップでもしているような感覚を生む演奏。かれは長年、アイルランドでプロの伝統音楽家として活動していて、伝統のコアをきちんと身につけているが、一方で、というよりもおそらくはそれ故に、実験にも積極的だ。そのギターは相当にダイナミックで、マイキーのむしろ静謐な演奏と好一対をなす。

 ライヴのプロデュースをするトシさんももちろんプロデュースだけして、黙って腕組みして見ているはずはない。バゥロンで参加して、ソロまでとる。こういう時にはジョンジョンフェスティバルのようなバンドの時よりもかれの個性が現れる。そして、見るたびに進化しているのには感心する。いつも新鮮な響きを、あのシンプルな太鼓から叩きだしてみせる。

 実は最近、あるきっかけでザッパに復帰したり、ジミヘンとかサンタナとか、今でいう「クラシック・ロック」熱が再燃していて、アイリッシュはほとんど聴いていなかったのだが、こういうライヴを見聞すると、カラダとココロがすうっとして、落着いてくるのを実感する。このレベルのライヴが期待できるのなら、この「菜花トラッド」は毎回来たくなろうというものだ。とりあえず次回は来月23日、奥貫史子&梅田千晶、フィドルとハープのデュオだそうだ。この組合せで見たことはないから楽しみだ。ケープ・ブレトン大会になるのか、クレツマー祭になるのか。

 それにしても、菜花のアイリッシュ・シチューはおいしかった。次は何か、とそちらも楽しみ。ごちそうさまでした。(ゆ)

 いやしかし、ここまで対照的になるとは思わなんだ。やはりお互いにどこかで、意識しないまでも、対バン相手に対する距離感を測っていたのかもしれない。これがもし na ba na と小松&山本の対バンだったならば、かえってここまで対照的にはならなかったかもしれない。

 対照的なのが悪いのではない。その逆で、まことに面白かったのだが、各々の性格が本来のものから増幅されたところがある。違いが先鋭化したのだ。これも対バンの面白さと言えようか。

 須貝&梅田のデュオは、この形でやるのは珍しい。メンバーは同じでも、トリオとデュオではやはり変わってくる。トリオでの枠組みは残っていて、一応の役割分担はあるが、自由度が上がる。それにしても、こうして二人として聴くと、須貝さんのフルートの音の変わっているのに気がつく。もともと芯の太い、朗らかな音だったのが、さらにすわりが良くなった。〈Mother's Lullaby〉では、これまでよりも遅いテンポなのだが、タメが良い。息切れせず、充分の余裕をもってタメている。一方でリールではトリオの時よりもシャープに聞える。中藤さんと二人揃うと、あの駘蕩とした気分が生まれるのだろうか。あるいは梅田さんのシャープさがより前面に出てくるのか。

 小松&山本は初っ端から全開である。音の塊が旋回しながら飛んできて、こちらを巻きこんで、どこかへ攫ってゆくようだ。

 今回は良くも悪しくも山本さん。メロディをフィドルとユニゾンするかと思えば、コード・ストロークとデニス・カヒル流のぽつんぽつんと音を置いてゆくのを同時にやる。一体、どうやっているのか。さらには、杭を打ちこむようにがつんと弾きながら、後ろも閉じるストローク。ビートに遅れているように聞えるのだが実は合っている、不思議な演奏。

 その後の、ギター・ソロによるワルツがしっとりとした曲の割に、どこか力瘤が入ってもいるようだったのだが、終ってから、実は「京アニ」事件で1人知人が亡くなっていて、今のは犠牲者に捧げました、と言われる。うーむ、いったい、どう反応すればいいのだ。

 これは小松さんにもサプライズだったようだが、そこはうまく拾って、ヴィオラのジグ。これも良いが、フィドルでも低音を多用して、悠揚迫らないテンポで弾いてゆく。こういう器の大きなフィドルは、そう滅多にいるものではない。

 最後にせっかくなので、と4人でやったのがまた良かった。のんびりしているのに、底に緊張感が流れている。2曲めでは、初めフィドルとギターでやり、次にフルートとハープに交替し、そこにフィドルとギターが加わる。フィドルはフルートの上に浮かんだり、下に潜ったり、よく遊ぶ。そこから後半は一気にスピードに乗ったリール。この組合せ、いいじゃないですか。

 やはり対バンは楽しい。たくさん見てゆけば、失敗に遭遇することもあるだろうが、今のところはどの対バンも成功している。失敗するにしても、おそらくは収獲がたくさんある失敗になるのではないか。(ゆ)


はじまりの花
na ba na ナバナ
TOKYO IRISH COMPANY
2015-11-15


Thousands of Flowers
須貝知世
TOKYO IRISH COMPANY
2018-09-02



 こういう音楽を聴くと、アイルランドは不思議なところだとあらためて思う。こういう音楽が生まれて、今に伝えられて、わがものとして演奏し、楽しんでいる人たちがいる。そして21世紀のこの国でこうして生で奏でられ、それを熱心に聴く人たちがいる。これはほとんど奇跡ではあるまいか。

 まずゆるいのである。コンサートというあらたまったものというよりは、終演後、村上淳志さんが言っていたように、友人の家の居間かキッチンで、くつろいでいる感覚だ。音楽を聴くことが目的で集まってはいるけれど、演る方も聴く方も、それだけに執着することもない。音楽は場の中心にあって、その場にいる人たちをつないではいるが、他は全部捨てて集中する、なんてことは、どちらもない。むしろ、音楽が奏でられているこの空間と時間を共有する、シェアすることが歓びになる。

 昼間の hatao & nami のライヴからたまたま一緒になった石原さんと話していて我ながらあらためて腑に落ちたのは、アイリッシュ・ミュージックのキモはこの共有、シェアというところにある、ということだった。セッションというのはそれが最も裸の形で顕われたものだが、アイリッシュ・ミュージックの演奏にはどんな形のものにも、それがある。つまりオレがアタシが演っているこの音楽を聴け、聴いてくれ、ではない。アタシはオレはこういう音楽を演るのがとても楽しいので、よかったら一緒に聴きましょう、なのだ。アイリッシュの現地のミュージシャンたちが来るようになってまず印象的だったのは、誰もかれも楽しそうに演ることだった。なにやら深刻なことを真剣にやっているんだからこちらも集中しなければ失礼だ、なんてことはカケラも無い。ここでこうして演っているのがとにかく楽しくてしかたがない、という表情が全身にみなぎっている。それを見て音楽を聴いていると、すばらしい音楽がさらにすばらしくなる。

 キャサリンとレイを中心としたこのライヴは、たとえばトリフォニーのアルタンのライヴよりもさらにずっとゆるい。シェア、共有の感覚が強い。

 どちらかというとハープがメインということで、演奏されるのはハープの曲、カロランやその関係の曲が多い。これがまたいい。キャサリンも言っていたように、日曜の夜をのんびりと楽しむのにふさわしい音楽だ。アイリッシュ・ミュージックとて、なにもいつもダンス・チューンでノリにのらなければならないわけでもない。渺渺たるスロー・エアに地の底に引きこまれなくてもいい。速すぎず遅すぎず、まさに、カロランが生きていたときも、こんな風に人びとは集まって、その音楽を中心にくつろいでいたんじゃないか、と思えてくる。ただ、そこに集まっていたのは当時のアイルランドの貴族やその係累で、ここでは、アイルランドとは縁もゆかりもない、遙か遠い島国に生まれ育った人たちであるというのが、違うわけだ。

 あらためて考えてみればこれは凄いことなのだが、それはまあ別の機会にしよう。キャサリンとレイの音楽は、300年の伝統の蓄積を元にして、時空を超える普遍性を備えるにいたっている。わけだが、それをそんなに凄いこととは露ほども感じさせない、そういうものでもある。あたかもその音楽は、われわれ自身の爺さん祖母さんたちが炉辺で演っていたもののように聞える。

 レイはギターも弾くが、ぼくらが聴きなれたようにコード・ストロークをしない。ピッキングでメロディを弾く。ハープとユニゾンする。これはなかなか新鮮だ。ギターによるカロラン・チューン演奏はそろそろ伝統といってもいいくらいになってきたかとも思うが、まずたいていはソロで、ハープとのユニゾンは初めて聴く。こういうユニゾンが、ぴたりと決まっていながら、またゆるく聞えるのは、この二人のキャラクターでもあろうか。

 レイは歌もいい。〈Mary and the Soldier〉はポール・ブレディにも負けない。もっと歌は聴きたかった。

 ゲストがたくさん。奈加靖子さんが唄い、村上さんがハープをソロで弾き、二人と合わせる。これもゆるい。いや、奈加さんの歌はますますピュアになっているけれど、この場ではいい具合に溶けている。そして、サプライズ。小松大さんがフィドルで入って、キャサリンがピアノを弾いて、レイと二人でケイリ・スタイルのダンス・チューン。これがなんともすばらしい。演っている方も気持ちよかったのだろう、最後の最後のアンコールにもう一度やる。

 そうそう肝心なのは、ゆるいはゆるいのだが、ぐずぐずに崩れ、乱れてしまうことがない。一本筋が通っているというと、またちょっと違うような気もする。しぶとい、といおうか。どこか、底の方か、奥の方か、よくわからないのだが、どこかでゆるいままに締まっている。ヘンな言い方だが、そうとしか今のところ言いようがない。それで思い出すのは、大昔、サンフランシスコのケルティック・フェスティヴァルに行ったとき、夜のパブのセッションで、たまたま隣に座っていた妙齢の女性がろれつも回らないほどぐでんぐでんになっていたのが、やおらアコーディオンを持つや、まったく乱れも見せずに鮮やかに弾きつづけていた姿だ。これが Josephin Marsh だった。

 それにしても、二人とも現地ではともかく、こちらではまったく無名、本人たちはそこらへんにいるおばちゃんおじちゃんで、見栄えがするわけでもない。それが小さな会場とはいえ昼夜2回の公演が満杯、ワークショップも盛況、というのだから、世の中変わったものである。大阪から追っかけで来ていた人たちも何人かいた。

 まあ、それも主催の松井ゆみ子さんの人脈と人徳のなせるわざではあろう。まことにいい思いをさせていただいて、ありがとうございました。

 会場は西荻窪の駅からは20分ほど歩く。東京女子大の裏、善福寺公園のほとりにある洒落たホール。面白いのは、入口に近い、部屋の真ん中のところにミュージシャンたちがいて、リスナーはその両側からはさむ。アトホームなゆるさはあの形からも生まれていたようでもある。日曜日の夜、そろそろ花粉のシーズンも終わりに近づき、まさに空気がゆるい。(ゆ)

 うーん、存在感が違うなあ。フィドルを弾きだしたとき、まずそう思った。かれくらいになると、技術がどうとかいうレヴェルではもちろん無いわけだし、受け取っているのはまぎれもなく音楽なのだが、感じるのは一個の人間がそこにいる、という実感なのだ。昔、「ブラックホーク」の音楽の真髄を、松平さんは「人がそこにいてうたう」と表現した。ジョン・カーティという人がそこにいて、フィドルでうたっている。

 これがアイルランドでも稀なことは、かれに関して、"It's John Carty.  That's enough." と言われていることからもわかる。たぶん、トミィ・ピープルズなんかも、こんな具合だったんじゃないか。Paddy Glackin はドーナル・ラニィと一緒だったから、むしろ親しみの方が先に立った。

 まあ、シチュエーションというのはあるかもしれない。あの狭いところで、目の前に本人がいる。周りは皆、音楽を聴きにきている客。それも年配の人が多いのは城田さんの昔からのファンが多いからだろうが、城田さんのライヴもアイリッシュが多いから、皆さん、それなりに良いものを体験してきていて、耳もできている。カーティ本人もそれを感じているのか、ちょっと窮屈そうではある。それで演奏が変わるわけでは無いが、リラックスした様子はあまりなく、1曲終わると、横で高橋さんや城田さんがしゃべっているのを見るでもなく、前屈みになって両手に持ったフィドルの胴の裏を眺めていたりする。もともとそういう性格なのかもしれないが。

 音楽は今さらあたしなんぞがどうこう言えるものではない。フィドルもバンジョーも、テナー・ギターも、芯が太くかつしなやかで、ただもう聞き惚れる、というよりも、たまたま空いていて座った席が珍しくも前の方だったから、モロに全身に音楽を浴びる感じになる。

 この存在感は圧倒的で、たまらない魅力であると同時に、アイリッシュ・ミュージックの異質性をひしひしと伝えてくる。これも、先日来、「異文化」としてのアイリッシュ・ミュージックについて、考えつづけていることもあったかもしれない。どんなに慣れ親しんでも、常日頃、どっぷりとそれに漬かっていて、ほとんどそれと意識することもなくなっていても、アイリッシュ・ミュージックがあたしにとって異文化であることに変わりはないことに、ようやくこの頃気がついた。そして異文化であり続けるからこそ、いつまでも飽きることなく、この音楽にひたっていられることにも気がついた。その異文化が、ジョン・カーティという形をとって、目の前で鳴っている。

 対象がどこか自分とは異質であって、完全に自分の中に消化吸収されてしまわないことが、あたしにとっては必要なのだ。それは日常性への反撥なのかもしれない。とにかくどこかに非日常性、おのれが生まれ育った文化とは異なる要素が無いと、最低限の魅力も感じない。そして、それを感じることで、かろうじて生きていられる。世の中には自分とは異なる存在がいると実感することが、生きてゆくのに必要なのだ。

 同様の性質を持つとして、日常の、ごくありふれたものやことにもそうした異質性を感じることができる人もいるかもしれない。それはかなり幸せな状態ではないかとも思う。が、あたしにはそういう能力は無いのだ。異質性は自分の外にあって、否応なくそれをつきつけられないと、感じられない。

 アイリッシュ・ミュージックにこれだけ漬かりこんだのは、おそらくその異質性があたしにとって最も大きく、むしろ、あたしの日常とはまるで正反対の対極にあるからではなかったか、とこの頃思う。それを理解したいとか、消化吸収したいとか、そういうことではない。そういう観点から言えば、異質なまま、おのれの中に取り込みたい、抱えこみたい、というのが一番近い。取り込んで、抱えこんでどうする、というものでもない。ただ、異質なものを抱えこむことが、生きてゆくのに必要だ、というだけのことだ。これはもう体質で、たまたまそういう体質に生まれついてしまったのだ。

 ジョン・カーティのような存在のありがたさは、日頃慣れ親しんで、ほとんど日常的になっているアイリッシュ・ミュージックが、やはり実は異文化の産物であることを、再び、まざまざと実感させてくれるところにある。

 遙か昔、The Boys Of The Lough が初来日し、アイルランドやスコットランドの伝統音楽の生の形に初めて触れたときの衝撃の正体もこうしてみると今はわかる。当時、その衝撃によって、それまで自覚していなかった「壁」が崩壊し、これらの伝統音楽の本質にようやく触れることができるようになったと考えた。具体的には、それまで退屈でアルバム片面聴きとおすのがやっとだった、アイルランドやスコットランドの伝統音楽のダンス・チューン集、ということは器楽録音のほとんどを、楽しんで聴けるようになった。それまでのあたしは歌ものばかり選んで聴いていたのだ。

 ボーイズ・オヴ・ザ・ロックのライヴによって、あたしはその音楽の異質性に初めて直接触れることができた。そして、アイルランドやスコットランドの伝統音楽のようなもの、他のヨーロッパ、だけでなく、世界各地の伝統音楽は皆そうだが、こういう音楽の異質性は録音だけではなかなかわからない。それを演ずる人間の存在感が伴うことが必要なのだ。録音では、我々は、聴くところを選択できる。同質な部分だけ選んで聞き取ることが可能だ。ライヴではそうはいかない。目の前にいる人間の、ある部分だけ選んで聴くなどというわけにはいかない。

 もっともそれだけの存在感、異質性を感じさせるだけの存在感を備えた人は、そう多くはない。あるいは、その存在感の現れ方が違うとも言えよう。パディ・モローニなどは、同胞ではない相手にはその異質性をできるかぎり感じさせないように、自ら律している。彼の場合はもう習い性になってしまっているから、おそらくそれを止めようとしても、生の自分を出そうとしても、できなくなってしまっているのだろう。

 ジョン・カーティはそんなことはしない。かれの場合、パディ・モローニとは逆に、異質性を出さないようにするなどということは想像の外だろう。かれはそこにいて音楽を演奏する。それだけのことだ。そして、あたしには、上の言葉を発した誰かと同じく、それだけで充分だ。

 生身のジョン・カーティを連れてきて、目の前で演奏するのを体験することを可能にしてくれた高橋創さんには感謝の言葉もない。そして、これまた見事なサポート、おしゃべりと音楽の双方でみごとに引き立ててくださった城田じゅんじさんにも深く感謝する。すばらしいサウンドでこの体験を完璧なものにしてくれた音響担当の原田豊光さん、そして会場のラ・カーニャのマスターはじめスタッフにもありがとう。(ゆ)

At Complete Ease
John Carty & Brian Rooney
CD Baby
2011-08-16


I Will If I Can
John Carty
Racket
2009-06-01


Cat That Ate the Candle
John Carty & Brian Mcgrath
Traditions Alive Llc
2011-04-19
 


At It Again
John Carty
Shanachie
2003-08-26


 何とも不思議な味の、とても面白い一夜だった。原田さんはちょっと規格外のところがあって、関東ではこういう人はまずいない。そのキャラがそのまま現れたようなライヴだ。

 まずレパートリィが面白い。ご本人はアイリッシュがメインと言われて、確かに曲の数からいえばアイリッシュが大半を占めるが、ここにオールドタイムとそしてアラブ・フィドルが入る。実は音楽のジャンルよりもフィドルという楽器そのものに惚れていることに、比較的最近気がついたのだそうだ。アラブの音楽はチュニジアのミュージシャンに習っているそうで、いずれ本格的なアラブ・アンダルース音楽も聴かせていただきたいものだが、この日はベリーダンス向けの曲。そのせいか、アイリッシュに混じってもあまり違和感がない。あるいはそういう曲を選んだのか。

 オールドタイムの方は、ひょっとするとこれがルーツなのではと疑われるほどはまっている。関西ではバスコこと高木光介さんとも演っていたそうだが、関東では他にはほとんどいない。もっともじょんもブルース・モルスキィは大好きと言っていたから、いずれこちらでもオールドタイムが頻繁に聞けるようになるかもしれない。

 その昔、ブラックホークで高木さんが演っていた頃は、オールドタイムは何とも単調に聞えて、どこが良いのかさっぱりわからんかった。周りもほぼ同様で、高木さんは孤軍奮闘だったけれど、まったく意に介さず、一人我が道を行っていた。そのうちアメリカに行ってしまい、もどって来たときは故郷に帰ったから、もう長いこと会ってはいないが、こちらは少しずつオールドタイムの面白さがわかるようになってきた。何度も書くが、そのブルース・モルスキィがドーナル・ラニィとマイケル・マクゴールドリックと三人でオールドタイムをやっている Transatlantic Sessions のビデオは、このシリーズの中でもベストの一つだ。


 原田さんのオールドタイムを聴いていて、こちらがルーツと思ってしまう理由の一つは、かれのフィドルに独特の響きがあって、それがあたしにはオールドタイムのあのアクセント、ぐいと伸ばす音のアクセントにつながって聞えるからでもある。原田さんが好きだというポルカにそのつながりが最もはっきりと響く。

 この響きは、なんとも言葉にし難いが、聞けばわかるので、共演の高橋さんもあれはいいと言っている。いつどういうときに出るのか、まだよくわからないが、とてもいい具合にアクセントになっていて、ふわっと身体が軽くなる。

 こういうレパートリィの組合せとともに、この日のギグをユニークなものにしていたのはベリーダンサーの存在だ。それぞれタイプの違うお二人で、生のベリーダンスを見るのも初めてだし、生演奏をバックにするのも当然初めて。これまたどこまでが決まっていて、どこからが即興なのか、わからないのも面白い。最初と最後や、途中のキーポイントは決めてあって、途中、即興になるのだろうか。それにしても、フィドルとギターの伴奏というのは、あまり無いんじゃなかろうか。

 前半2曲はベリーダンスのための曲だそうだが、2曲めはほとんどアイリッシュに聞える速い曲。ベリーダンスは、どちらかというと上半身の踊りで、腕と手の動きもポイントなのは、わが国の踊りに通じる。アイリッシュのようなパーカッシヴな動きはほとんど無い。それと、ベリーと言う名前の通り、腰を使う。腰というより、腰を中心とした腹部。臍のあたりの筋肉を細かく震わせるのも技のうちらしい。文楽の人形の動きを連想させる。あちらはこんなに細かくは動かないし、たぶん動かせないだろうが。

 後半はなんとアイリッシュでベリーダンスを踊る。スローなリールで始め、途中からテンポを本来のものに上げる。踊り手は1曲は布を使い、もう1曲では先が大きく広がる扇を使う。これが結構合っている。ベリーダンスはもちろんエロティックな要素も活かすので、アイリッシュ・ミュージック自体にその要素はほぼ皆無だから、そこがうまく合うのかもしれない。ダンサーは客にもからむ。広くない店内が踊り手の周りだけキャバレーになる。こういう猥雑さは、アイリッシュだけの時にはまず現れない。

 そう、この猥雑さなのだ。アイリッシュは時にあまりに「健全」すぎる。潔癖すぎるのだ。まあ、音楽というもの自体が「ピュア」なものを求める傾向はあるにしても、アイリッシュはそこを強調しすぎる傾向がやはりある。エロもグロもあっての人間なので、アイリッシュももっと貪欲に猥雑になっていい。いや、いいというより、なるべきだ。

 原田さんの音楽は猥雑なのだ。そこがすばらしい。猥雑でありながら、下品にならない。ここは大事なところで、下劣になってしまっては、猥雑さも失われる。アイリッシュが潔癖なのは、ちょっとでもゆるめると、とめどなく崩れてしまうことを自覚しているからかもしれない。本性はとことん下品なので、そうなるのを防ぐためにことさらに潔癖をめざすわけである。外から見るとそれが魅力に感じられるわけだが、だからといってその潔癖さだけを受け継ごうとすると本質からはかえって離れることになる。アイリッシュほど「下品」ではない我々としては、むしろ猥雑なくらいがちょうど良くなる。

 あるいは我々もまた実は、本性のところではアイリッシュに負けないくらい「下品」ではあるのかもしれない。アイリッシュとは別の形で潔癖なところを演じているのだろう。とすれば、そんな仮面をひき矧がすためにも、もっと猥雑さが必要だ。

 オールドタイムもアラブも、あるいはことフィドルによる音楽であれば、何であれ呑みこもうとする原田さんの姿勢は、あたしには理想的でもある。原田さんの良いところは、一つひとつの要素は徹底しているのだ。アイリッシュやオールドタイムやアラブはそれぞれに突き詰めている。それぞれに突き詰められたものが、まったく同列に提示されることで生まれる猥雑さが面白いのだ。いずれはスカンディナヴィアやハンガリー、あるいはギリシャや中東のフィドル属にも挑戦してほしい。

 その原田さんの相棒として、高橋さんがまた理想的だ。これが長尾さんやアニーではこうはなるまい。高橋さんは面白い。アイリッシュの伝統の、最も本質的なところはちゃんと摑んで実践していながら、一方で、そこにはまらないものも何なく抱きとめる懐の深さもある。アラブ音楽の伴奏をギターでやってしまえるのは、高橋さんぐらいではないか。以前も披露した小学校の校歌も名曲の感を新たにする。谷川俊太郎作詞、林光作曲という豪華版だ。1曲、フィドルとバンジョーでやったリールもいい。

 アンコールはまたオールドタイムで、ダンサーたちも加わり、いやもう楽しいのなんの。

 ぜひぜひ、このギグは続けてほしい。原田さんはアイリッシュ・ミュージックで、緊縛ショーとのコラボもやったことがあるそうで、まあそれはやはり合わないだろうと思うけれど、もっといろいろなものとのコラボを見てみたい。そして、高橋さんとの録音も欲しいものではある。

 やはりあたしは、いろいろなものがほうり込まれた猥雑な音楽が大好きなのだと確認させられた夜であった。猥雑を煮詰めてピュアに見えるというのも好きだけれど。(ゆ)

 名古屋をベースに活動するフィドルの小松大さんとギターの山本哲也さんのデュオがセカンド・アルバムを出した、そのレコ発ツアーの一環。ハコは下北沢のとあるビルの地下にあるライヴハウス。ステージ背後には木製の壁が立ち上がり、上端は丸く前に張出している。これなら生音でも良さそうだ。店のサイトを見ると、アイリッシュ系とは毛色の違うミュージシャンが多いが、環境そのものは生楽器との相性が悪いわけではない。小松さんたちももちろん演るのは初めてだが、雰囲気がいいと気に入っている。あんまりライヴハウス然としていないところは面白い。ただ、入口がわかりにくくて、ビルの前に着いてから、さあ、どこから入るのだとしばし途方に暮れる。それにしても、音楽のライヴができるこういう施設は下北沢にいったいいくつあるのだろう。新陳代謝も激しいんじゃないか。

 MCの調子が今一つ、と小松さんは言うが、何も言わずに次の曲を始めたり、延々と曲についてしゃべったり、メリハリがきいている。この日も冒頭、何も言わずにいきなり演奏を始め、2曲やったところでマイクをとる。

 前から思ってはいたが、この二人、ますますマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルに似てきた。演奏スタイルもだが、雰囲気が似ている。小松さんのフィドルはマーティンと同じく、イースト・クレアがベースで、リールでも急がず慌てず、ゆったりと弾いてゆく。なごむ。血湧き肉踊るよりも、ゆったりとおちついてくる。いい気分だ。

 小松さんはヴィオラもやるせいか、フィドルもあまり高域にいかない。高音が大好きで、なにかというと高く行こうとするアイリッシュ・ミュージックでは珍しい。この点もイースト・クレアに習っているのか。この重心を低くとる演奏が、ますます気持をおちつかせ、なごませてくる。

 レコ発ということもあり、新作《Shadows And Silhouettes》をほぼ収録順に演ってゆく。ああ、音が膨らむ、いい湯だ、じゃない、いい中域だ、と思ったら、やはりヴィオラだった。

 ヴィオラというのは不思議な位置にある。クラリネットも音域の違うタイプがいろいろあり、低いものはバスクラと呼ばれるが、楽器としては独立したものではない、と聞いたことがある。ヴィオラもサイズと音域にいくつか異なる種類があるそうだが、いずれにしてもヴァイオリンとは別物とされている。クラシックでは両方演る人はまずいないらしい。しかし、クラシックのオーケストラ、カルテットではヴィオラは必須だ。弦楽だけの室内オケでもヴィオラはいる。ヴィオラのいないトリオは、トリオロジーのように、クラシックの範疇からははみ出てしまう。ヴァイオリンとチェロの間をつなぐ楽器が必要なのだ。

トリオロジーII~誰が殺した、ヴィオラ・プレイヤー?
トリオロジー
BMGインターナショナル
2000-07-05



 一方、フィドルがほぼ唯一の擦弦楽器であるルーツ系ではまったく使われない。ヴェーセンのミカルは例外だ。むしろ彼のおかげで、ヴィオラもそんなに特別なものではなくなっているほどだ。

 似たものにアイルランドの Caoimhin O Raghallaigh が使っている hardanger d'Amore がある。こちらはハーダンガー・フェレのヴィオラ版のようなものだ。当然伝統楽器ではなく、最近作られたものである。これを演る気はないか、と小松さんに訊いてみようと思っていて、忘れた。

 ヴィオラの音の膨らみ方は、同じ音域をフィドルでやってもまったく違う。これはもう物理的な違いが音に出ているのだろう。音が膨らむことではチェロもそうだが、ヴィオラの膨らみにはチェロにはない華やぎがある。コケティッシュになるぎりぎり寸前で止まっているのが、フィドルとは一線を画す。逆に気品と言ってしまうと、やはり言い過ぎになる。洗練が足りないわけではないが、親しみがもてる。人なつこいのだ。

 とすれば、人なつこい音楽であるアイリッシュなどではもっと使われてもいいような気がするが、それにはやはりサイズが大きすぎるのであろうか。

 だから、ヴィオラでダンス・チューンを弾く小松さんの存在は貴重である。もっともっと弾いてもらいたい。アルバム1枚、ヴィオラで通してほしい。無伴奏ヴィオラ・ダンス・チューン集をつくってほしい。いや、その前に、ヴィオラ・ソロを聴いてみたい。

 二人がマーティン&デニスに似てきたのは、山本さんのギターがデニス・カヒルに似てきたことも大きいだろう。演奏している小松さんの顔を見つめている表情まで似ている。小松さんの方は、これまたマーティンのように眼を瞑って弾いている。セッティングの妙か、新しい楽器のせいか、この日はベースの音がいい具合に深く響いて、気持がよかった。アンコールにソロで弾いた〈Danny Boy〉も良かった。この曲は歌われるより、こういうソロ楽器で聴く方が好きだ。

 表面的に明るくはないのだが、後味は清々しい。いい音楽にゆったりと浸かって、さっぱりとまことによい心持ち。こうして一度生で聴いておくと、録音を聴いても、これが甦り、重なって、格別の味わいになる。聴いてから見るか、見てから聴くか。どちらでもいいが、両方やるのが理想ではある。これから名古屋へ帰ってのレコ発ライヴでは小松崎健さんがゲストだそうだ。〈Lord Inchiquin〉は健さんとやるので、そちらにとっておきました、と言われると、見にいきたくなるではないか。(ゆ)

dk-ty-sas

 とても初めてのギグとは思えない息の合い方だ。レベルの高いミュージシャン同士だからといって、いつも息が合うというものでもないはずだ。これはひょっとするとミホール・オ・ドーナル&ケヴィン・バークとか、アリィ・ベイン&フィル・カニンガムとかと肩を並べるコンビになるかもしれない。

 いろいろな意味でかなり細部まで練られているのも、いつものアイリッシュ・ミュージックのギグとはいささか趣を異にする。音楽はすばらしいが、それ以外は結構ルーズで、いい加減で、だらだらしている、というのも、アイリッシュらしくてあたしは嫌いではないが、なるほど、アイリッシュでもやろうと思えばこういう風にもできるのだ。

 演奏曲目が印刷された洒落たカードや関係のある映像のスライドが用意され、カードには数字が書かれた別の小さなカードが付随していて、これでビンゴをやる。賞品はマイキィ特製のソーダ・ブレッドと紅茶のセットや、次回ギグのチケットだ。

 このコンビならフィドルとギターを延々と聴けるものと予想していたら、これも良い方に裏切られる。同じ楽器ばかりだと飽きますよね、と高橋さんは言うが、あたしはそうでもない。演奏の質がある閾値を超えると、おんなじ組合せでもいくらでも聞いていられる。もっとも、様々に楽器を変えるのももちろん楽しい。マイキィがホィッスルも巧いのは以前 O'Jizo のライヴにゲストで出たのを聞いて承知していた。

 マイキィのフィドルには良い意味の軽みを感じる。俳諧の、それも蕉風というよりは蕪村や一茶の軽みだ。剽軽というのとはちょと違う。強いて似たものをあげれば、Ernie Graham の〈Belfast〉のバックのフィドルが一番近いか。マイキィがもっと年をとると、あの飄々とした、可笑しくて、しかも哀愁に濡れた響きを聞かせるかもしれない。不思議なことにあたしはアイルランドのフィドルに哀愁を感じたことがない。スロー・エアでも、フィドルで奏でられると明るくなる。明るくて哀しい演奏もないではないが、哀しさはずっと後景に退く。これがパイプとかフルートとかだと哀愁に満ちることもあるのだが、フィドルはどうやっても哀しくならないところがある。アイルランドでは。スコットランドのフィドルは対照的に陰が濃いときがある。マイキィのフィドルの軽みは、あるいはアイルランドでは最も哀愁に近くなってゆくかもしれない。

 面白いのはホィッスルの音色にも同様の軽みが聞えることだ。これもどうもあまりこの楽器で聞いた覚えがない。

 高橋さんの演奏は芯が太く、どちらかというと重い。鈍重というのではもちろん無く、重みがあるということだ。高橋さんのギターの師匠は城田じゅんじさんだそうだが、城田さんのギターはむしろ軽い。このあたりは音楽家としての性格で、良し悪しの話ではないが、相性はそれによって変わってくる。たぶんマイキィと城田さんではあまり合わないだろう。高橋さんの重みを含んだ音がマイキィの軽みにちょうどぴったりなのだ。

 この日はギターの方が音が大きめで、その動きがよくわかる。相当に複雑なことをしている。ビートをキープするだけでなく、時にはユニゾンでメロディを奏でたり、ハーモニーをつけたりもする。それが音楽をエキサイティングにする。聴いていると熱くなってくる。いつもは否が応なく耳に入ってくるフィドルは、軽さもあってか、耳を傾むけさせる。集中を促すのだ。なかなか面白い体験だ。

 楽器の選択だけでなく、選曲もバラエティに富み、テンポも変える順序にしている。まずリールのセットで始め、次はスローな曲、その次はジグのセット、という具合。前半にギターの、後半にフィドルのソロも入れる。これが各々にまた良い。ハイライトはまず前半のワルツ。その次のスロー・エアで、ひとしきり演奏してからマイキィがそのメロディのもとになっている歌のアイルランド語詞を朗読する。なかなか良い声だ。それからジグにつなげるのも良い。

 後半で、ひきたかおりさんがゲストで入り、この前の高橋さんのギグの折りにも唄った〈Down By The Sally Garden〉の日本語版を、ロゥホィッスルとギターの伴奏でうたう。この歌詞はすばらしいし、ひきたさんの唄もまた良し。ぜひ、唄がメインのギグもやってください。

 アンコールは何も考えていなかったらしく、その場で楽器は何を聴きたいかと客席に問いかける。結果、フィドルとバンジョーの組合せでのリールのセットになり、これがもう一つのハイライト。良いセッションを聴いた気分。

 正直、客の入りは心配していたのだが、お二人の人脈は幅広く、満杯。新しいデュオの、まずは上々の出だしではなかろうか。来年ぐらいには録音も期待しよう。(ゆ)

 フィドラーのトミィ・ピープルズが今月3日、70歳で亡くなったそうです。近年は曲作りだけで、演奏はできない状態だったようです。アイリッシュのフィドルの大御所的存在で、もっと高齢の印象でした。アイルランドでは大統領が追悼の意を表しています。

 後年のピープルズは伝統を一身に体現するような、ちょっと近寄りがたい外見でしたが、何といってもかれの第一の貢献といえばボシィ・バンドの創設メンバーであることでしょう。少なくともあたしにとってはそうです。

 ボシィのフィドルといえばケヴィン・バークですが、かれは二代目でした。バークとドーナル・ラニィはトミィ・ピープルズとトニィ・マクマホンの代わりに参加するわけですが、ドーナルによれば、二人が入ったとき、すでにボシィのレパートリィやスタイルは確立していて、二人がつけ加えるようなことはなかったと言います。ドーナルはともかく、バークについてはどうやらその通りです。かれはボシィ以前に1枚、Smithonian Folkways にアルバムがありますし、おそらくもっと有名なのはアーロ・ガスリーの The Last Of The Brooklyn Cowboys で1曲弾いているものでしょう。これらで聞かれるフィドルはむしろメロウな、流麗といってもいいものです。それがボシィに参加した途端、がらりと変身し、「機関車」と呼ばれるアグレッシヴなフィドルになります。それにはパディ・キーナン、マット・モロイのフロントの二人の影響も大きかったでしょうが、前任者であるトミィ・ピープルズの残したものもあったはず。

 ボシィ・バンドの特徴としては、演奏スタイルとともに、曲の組合せの巧さがあります。これにもトニー・マクマホンとともにピープルズの貢献が大きいそうです。やはりドーナルの話では、この二人は良い組合せを作る才能がとびぬけていて、ボシィのレパートリィの組合せはほとんどが二人の考えたものの由。

 では、そのピープルズがボシィを脱けたのはなぜかと言えば、実は酒でした。アイリッシュのミュージシャンで酒で体を壊したり、若い頃飲みすぎて、アルコールを禁じられたりしている人は少なくありません。ピープルズだけではなく、たとえばクリスティ・ムーアなどもそうですし、他にも何人もいます。もっとも偉いのは、ピープルズもムーアも、一度酒で失敗した後はみごとにこれを断って、復帰したことです。ボシィ・バンドはピープルズの脱けた後に、アイリッシュ・ミュージックの現代化をやってのけ、今にいたるまでアイリッシュのバンドのひな型になるわけですが、ピープルズの方はアイリッシュ・ミュージックのフィドル伝統を伝える柱石になります。

 ディスコグラフィはこちら

 ボシィ・バンドのファーストを別とすれば、ソロの最初の2枚、1枚はポール・ブレディ、もう1枚はダヒィ・スプロールのギターを相手にしたもの、それにマット・モロイ、ポール・ブレディとの3人のアルバムはあたしの愛聴盤であります。

 娘さんの Siobhan も優れたフィドラーとして活躍してます。あたしは親父さんより好きかもしれない。

 リアム・オ・フリンに続く訃報で、やはり一つの時代が終りつつあるということでありましょう。(ゆ)

High Part of the Road
Tommy Peoples
Shanachie
1994-11-23


Iron Man
Tommy Peoples
Shanachie
1995-04-18


Matt Molloy / T Peoples / P Br
Matt Molloy
Green Linnet
1993-01-05


 フィドルが重なる音には胸がときめいてしまう。3本、4本、あるいはそれ以上重なるのも各々に良いけれど、2本の重なりには、どこか原初的な力を感じる。それも、伴奏もないフィドル2本だけの音には、ひどく甘いところと峻厳なところが同居している。どこまでも気持ち良いのだが、その気持ち良さに背筋を真直ぐにさせるものが含まれる。

 これはアイリッシュに限られないし、ユニゾンでなくてもいい。ウェールズには無伴奏2本フィドルの伝統があるが、ここではメロディは片方でもう片方はドローン的な演奏をする。ハンガリーには、特有の三本弦のリズム専門のフィドルがあって、普通のフィドルと組む。リズム専門のフィドルは弦が山なりではなく、フラットに並んでいて、三本が垂直になるように持ち、弓も当然真直ぐ上下に引く。

 とはいえ、ユニゾンの2本フィドルの響きは格別だ。と、昨夜のライヴを体験してあらためて思う。アンコールのセットで、各々が1曲ずつソロで弾き、最後の曲を二人で弾いたのは、2本のユニゾンの威力をまざまざと叩きこんできた。今夜の気持ち良さの源を確認させられた。

 大木さんはカナダ出身だし、原田さんはオールドタイムが原点だそうだが、昨夜はほとんどがアイリッシュで、それもあまり聴いたことのない珍しい曲が多い。これも気持ちが良い。聴いたことのない佳曲を生で初めて聴くのは歓びなのだ。まあ、初物を歓ぶのはすれっからしの証なのかもしれない。録音でも、知っている人と名前を初めて聴く人の録音が並んでいると、知らない方を選ぶ。知らない蕎麦屋を見つけると、とにかくモリの1枚でも食べたくなるのと同じだ。

 一応ソースも紹介されるのだが、知らない人ばかりなのも嬉しいし、一方で Yvonne & Liz Kane の名前が出てくるのも、をを、聴いたことのある名前だ、あの録音は良かった、と嬉しい。フランス人でアイルランドのラジオを聞いてアイリッシュ・ミュージックにハマったという人も出てくる。ラジオは偉大だと思ったりもするが、今は YouTube が代わりだろうか。今、ジャズを盛り上げている人たちは YouTube を聴きあさっているそうでもある。

 前半の最後にオールドタイム、後半の初めにカナディアンが出てきて、これがまたいい。カナダはオンタリオの曲で、原田さんが指がツりそうと言っていたが、後で訊くと実際オンタリオの曲はフィドルでは弾きにくいキーを使ったりして、わざと難しくしている由。オンタリオでは独自のフィドル・コンテストが盛んで、それはオリジナル曲の面白さとそうした技術の高さを競うものなのだそうだ。オンタリオ出身というとピラツキ兄弟がいますよ、と大木さんに教えられる。もっともチーフテンズのステージではそういう曲はあまりやっていない。とはいえ、聴いている分にはたいへん面白いのは確かだ。ケベックとその周辺のフレンチ・カナディアンの曲にも面白い曲が多いが、そちらはそんなに難しくはない由。シャロン・シャノンが有名にした〈Mouth Of The Tobique〉はフレンチ・カナディアンがアイリッシュのレパートリィに入った代表だろう。

 原田さんはポルカが大好きだそうで、昨夜もたくさんやる。聴いていると原田さんのポルカはどこかオールドタイムにノリが通じるところがある。ポルカにはもともとそういう要素があるのかもしれない。

 大木さんは何よりもリールが一番しっくりくるという。もっともこの二人がやるリールは駘蕩としたところがあって、ノリにノってがんがん行く感じではない。むしろジグの方が速いと思えるくらいだ。

 はじめのうちは原田さんが昨年初めての海外旅行でアイルランドに行き、イミグレで30分引っかかった話などして、しゃべりが長くなりそうだったが、実際にはそんなこともなく、フィドルの音をたっぷりと浴びられる。いやあ、堪能しました。そう簡単には実現しないことは承知の上で、ぜひぜひ、またやっていただきたい。こういうのは、誰とでもOKというわけでもないだろう。今回は原田さんがセッションで知り合った大木さんのフィドルの響きに惹かれたのがきっかけと言う。

 そうそう、1曲だけ、ハーダンガー・ダモーレを大木さんが弾いたのも良かった。この楽器は Caoimhin O Raghallaigh が演っていて面白いと思っていたから、現物を見て、生音を聴けたのも嬉しい。もっとも共鳴弦があるから、チューニングはかなり面倒そうではある。

 ホメリの空間はこういう音楽にはぴったりだ。居心地がよくて、極上のセッションを友人の家で聴いている気分になる。ごちそうさまでした。(ゆ)

 先日のグレイトフル・デッドのイベントの準備でてんてこ舞いしているところへ、もう一つ仕事が重なってパニックになり、酒井さん宛欠席届けを出したら、次のライヴはいつになるかわからない、来ないと後悔しますよ〜とほとんど脅迫状が返ってきた。ならばと褌を締めなおして仕事を片付けて駆け付けた。結論から言えば、やはり来て良かった。

 メンバーが各々忙しく、このバンドのライヴは久しぶりで、1曲め〈かぼちゃごろごろ〉はまるで挨拶のようなものですね、と熊谷さんからコメントがでる。かつてはフロントとリズム・セクションの役割分担が明瞭で、そこが面白みであったのだが、こうして聴くと、バンドとしての一体感が濃厚になっている。面白くなくなったわけではなく、バンド内部のやりとりが、表面からは見えなくなっているので、音楽そのものはより肌理が細かく、滑らかになり、深く入ってくる。

 それが最も発揮されたのは前半4曲目の〈Fanny Power; しゃぼん玉〉で、ここで熊谷さんがスティックでサイド・ドラムの縁を叩いたのが実に美味しかった。この曲はカロラン・チューンから童謡につなげて、なおかつ、コーダでは高梨さんのコンサティーナがファニー・パワーを、酒井さんのフィドルがしゃぼん玉を、同時に奏でる。もう、こたえられません。
 
 わが国のメロディを採用するのは、後半、最後近く、確かアイリッシュの伝統曲(だったと思う、もう記憶が曖昧)と長崎民謡のでんでれでーこーを組み合わせる曲でも使われて、これまた実に良い。

 こういう試みは《DUO!》の〈月夜の台所〉にもあって、このバンドのウリの一つになってきた。ぜひ、どんどんやっていただきたいものだ。うまい組合せさえ見つかれば、あとはそう難しくないはずだ。もっとも、そういううまい組合せを見つけるのが、センスと根気の要るところではあるが。

 今回は新曲披露会でもあって、北海道ツアーに取材したものが多かった。〈知床の夜〉はロシア風味のある変拍子の曲、フィドル、コンサティーナ、アコーディオンによるジンギスカン鍋の曲、蟹、氷下魚(コマイと読む)、ヤマベの魚セット、それに〈鮭三景〉改め〈鮭の神話〉、いずれも美味。ジンギスカン鍋は、熊谷さんの故郷鹿追のおおさかやという店独特のものだそうだ。こういう曲を聴くと食べたくなる。

 ハーディングフェーレの曲ももちろんあって、〈とりとめのない話〉が前半のラスト、新曲〈理不尽な話〉が後半のオープナー。後者はハーディングフェーレとロウ・ホイッスルの二人だけで、この二つは案外よく合う。とはいえ、今回は前者の壮大なスケールを実感できたのが収獲。

 アンコール用のはずだった〈蕎麦喰う人びと〉を本番ラストにやってしまったのでやる曲がないということでリクエストを募ってアンコールは〈ラムチョコレート〉。高梨さんの作る曲にはほんとうに食べ物がインスピレーションの源になったものが多い。魚の名前の曲も、泳いでいるやつよりは食べ物としてみている。前半には〈Tea Time Polka〉もやった。どれも聴いていると、タイトルになっているものを食べたくなるから不思議だ。そうしてみると、アイリッシュにもスコティッシュにも、食べ物や飲物がタイトルに入っている曲はほとんど無いなあ。Whiskey はいくつかあるけれど。

 この直後に録音に入るとのことで、この日のライヴはそのための助走の意味もあったらしい。秋には出るそうで、これは実に楽しみだ。国内アーティストの録音は昨年も豊作だったけれど、今年はわかっているだけでもそれに輪をかけた充実ぶりだ。収獲の周期が来ているということか。

 家でひたすらデッドを聴いているのもそれはそれで極楽だが、やはりこうして生で良い音楽に浸れるのは、何物にも換えがたい。いや、ほんとにごちそうさまでした。(ゆ)


duo!!
tipsipuca ティプシプーカ
ロイシンダフプロダクション
2016-04-10


Growing グロウイング
tipsipuca ティプシプーカ
ロイシンダフプロダクション
2015-07-19


 アイリッシュ・ミュージックが音楽によるおしゃべりなら、無伴奏ソロ演奏や歌唱は何だろう。

 独り言ではないし、独白でもない。勝手なことをわめき散らすには程遠い。こういう場合よく持ち出される、自分との対話というのとも違うように思う。

 というのも、アイリッシュ・ミュージックの無伴奏の歌唱や演奏では、演奏している、うたっている当人の存在が前面に出てこないのだ。音を出しているのは確かにひとりの個人だが、その人の個性をひしひしと感じる、のとは違う。これが他のジャンルの無伴奏では事情がまた違ってくる。

 クラシックは作曲家の専制が強いが、こと無伴奏になると演奏者の存在が前面に出てくる。この場合には作曲家と演奏者の一対一の対話になる。もともとクラシックでは無伴奏の演奏は珍しい部類だし、無伴奏歌唱はまず無い。このことはそれ自体、観察考察に値する面白い現象ではあるが、それはまた別の機会に讓る。

 ジャズでも無伴奏は少ないが、これはまた演奏者の個性、存在がすべての世界、くだけた言い方をすれば、「俺が、俺が」の世界だから、そこに響いているのは、演奏者の人間そのものだ。

 ポップス、ロックなどでアコギ一本というのはほとんど一つのジャンルといってもいいぐらいだが、これもジャズに準ずるし、他の楽器、ベースやドラムスの無伴奏ソロは、演奏の一部ではあっても、それで1本のライヴをする、1枚アルバムを作るというのは聞いたことがない。

 伝統音楽の世界では、アイリッシュに限らず無伴奏は、そこらじゅうにあるとは言えないまでも、ごく普通に行われる。アイリッシュやスコティッシュのバグパイプやハープは無伴奏が標準だ。伝統音楽のシンガーたるもの、無伴奏でうたって聞かせなければ一人前とは言われない。

 伝統音楽は、クラシックやジャズやロックやポップスのような商品として売るための音楽ではなく、本来はコミュニティの活性剤、潤滑剤、生活必需品であり、おしゃべりの一部、井戸端会議、床屋の政談の類だ。ここは肝心のところだが、アイリッシュ・ミュージックは芸術やグルメではない。日用品、生活雑貨であって、日々の暮しに欠かせないものなのだ。暮しに欠かせないからこそ、伝統として受け継がれてきている。

 もちろん、それに限られるわけではないし、そうでなければならないと誰かが決めているわけではない。もっと自然発生的で、おおいに民主的に動く。ハイランド・パイプのピブロックやアイリッシュのシャン・ノース歌唱のように、芸術として極められるものもある。それに、もともとの伝統継承の場から離れたところでは、また在り方が変わりもする。

 とはいえ、伝統音楽では無伴奏が尋常のことであるのは、やはり生活の場でおこなわれてきたからだろう。生活しながら音楽をするとなると、いつも誰かが傍にいて伴奏をつけてくれるわけにはいかない。

 となると伝統音楽、ここではもう一度アイリッシュ・ミュージックにもどってみれば、無伴奏の演奏、歌唱には演奏者、シンガーの個性というよりも、生活、暮しぶりが顕れる。つまりは生活しているコミュニティ、社会、そして伝統との関わりが出てくる。

 伝統は、なにもどこかの博物館に後生大事に保存されているわけではなく、〇〇保存会が守っているものでもなく、われわれのカラダとココロに刷りこまれている。したがって日々新たな要素が加わり、生生流転している。つまりは伝統音楽の無伴奏歌唱や演奏は、今というその時点での伝統が、演奏者やシンガーを通じて現れている。それが充実した音楽であるのは、演奏者やシンガーの暮しが充実し、その属するコミュニティが生き生きとしているところから生まれる。

 伝統はまた時空をも超えることができる。ここがまた音楽の玄妙なところでもあるが、異なる伝統から生まれている音楽を人は演奏し、うたうことができる。ということは、自分が生まれ育ったわけではない伝統からの音楽の出口になりうる。あるいはこれをして、異なる伝統に憑依されると言ってもいいかもしれない。

 さいとうさんや中村さんの無伴奏の演奏を聴き、見ていると、そのことを実感する。元来まるで縁の無いはずの伝統が、ここに憑依して、音楽として流れでてくる。まことに不思議なことが、目の前で起きている。それは不思議であると同時にまるであたりまえとも感じられる。他ではちょっと味わえない感覚だ。

 録音で聴いて感じたことが、生演奏でも確認できる。あの感覚は錯覚でも勘違いでもなかったと確認できる。これもまた嬉しい。

 そしてその伝統は聴いているこちらにも乗り移ってくるようでもある。アイリッシュ・ミュージックはそのように作用する。演奏される音楽を聴いているというよりも、自分の中にある音楽が目覚め、湧いてくるように感じる。少なくとも、良い演奏を聴くとそう感じる。あるいはそう感じる演奏が良い演奏だと思う。

 この日はまず中村さんがワン・ステージ、ギターとそしてうたも交えて演奏し、後半、さいとうさんが、先日出た《Re:start》を再現する形で演奏した。せっかく二人いるのだからと、最後に二人で演奏したのがまた良かった。互いの演奏が刺戟しあい、反響し、渦巻がより大きく、速く、タイトになってゆく。終ってから、一人でやっていると二人で演りたくなり、二人で演ると一人で演ることがどういうことかまた見えてくると二人が口をそろえていたのも印象的だ。

 あれから二人のソロの録音を繰り返し聴いている。聴いていると心がおちつく。荒らだち騒いでいても鎮まり、澄んでくる。無伴奏ソロはそのようにも作用する。(ゆ)


guitarscape
Hirofumi Nakamura 中村大史
single tempo / TOKYO IRISH COMPANY
2017-03-26



Re:start
さいとう ともこ
Chicola Music Laboratry
2018-03-04


 先日は下北沢 B&B での「アイリッシュ・フィドル入門」に多数お越しいただき、まことにありがとうございました。

 小松大さんは名古屋からの参加で、今回は「セント・パトリック・ディ」関連のイベントや Intercollegiate Celtic Festival でお忙しい合間を縫っての出演ながら、熱い語り口と演奏で、かなり手応えのある講座になったかと思います。あらためて御礼もうしあげます。

 講座でもおことわりしましたが、フィドルは対象としては大きすぎて、まとめるのにかなり迷いました。今回はああいう形になりましたが、ほんとうは優に2回分ぐらいのテーマであります。可能なら、将来、「アドバンスド講座」として、掘り下げてみるのも面白いかな、とやってみて思いました。小松さんも、まだまだ語り足りないことがたくさんあるようですし。

 音源などについては、イベントの前振りに書いた記事に挙げてありますので、そちらをどうぞ。

 それにしても、フィドルは面白いですね。若手もどんどん出てきてます。このことはフィドルに限らず、アイリッシュ・ミュージック全体、ヨーロッパの伝統音楽全体に言えることですけど、フィドルは演奏人口が多いだけに、人材も豊冨です。Danny Diamond とか、Cathal Caulfield とか、あるいはスコットランドの Ryan Young とか、実に面白い。この人たちが30代、40代になった時が楽しみです。それまで生きていたいと改めて思います。

 わが国でもさいとうともこさんの《Re:start》のような録音が出てきたり、北海道の小松崎操さんはじめ、すぐれたフィドラーはたくさんいるので、これからソロがどんどん出ると期待してます。大学生でもえらく巧い人たちがいるとも聞きました。ICF とか、一度見てみたいものではあります。


 で、次はバンジョーです。05/16(水)です。講師は高橋創さん。高橋さんはギタリストとして知られてますが、アイルランドでは自分で選べるときはもっぱらバンジョーを弾き、また John Carty などにも師事していたそうです。平日の真昼間ですが、アイリッシュ・バンジョーをテーマのイベントはまだわが国では稀かもしれません。正直、次はバンジョーでいきます、と言われたときには、えっと驚きました。あたしもあらためて勉強しなおさないと。Gerry O'Connor や Enda Cahill、Angelina Carberry とか大好きですが、好きなミュージシャンのことだけしゃべって終るわけにもいきませんしね。(ゆ)

 さいとうさんの初のソロはフィドルのソロ・アルバムだ。オーヴァー・ダブなども無い。1本のフィドルの音だけ。

 アイリッシュ・ミュージックに伴奏は不要、ということは『アイリッシュ・ミュージック・セッション・ガイド』にも言明されている。実際、フィドルをソロで、1本だけで弾くのは、演奏の現場では珍しいことではないだろう。とはいうものの、こと録音となると、実に珍しいものになる。SP録音の時代から、フィドルには伴奏がついていた。マイケル・コールマンやジェイムズ・モリソンがいつもピアノ伴奏で弾いていたとは思えないが、販売するための録音としては伴奏が必要だとレコード会社、あるいはプロデューサーという者が当時いたとして、そういう人間が判断したわけだ。フィールド録音ではフィドル1本もあるが、それは記録や研究を意図しているので、鑑賞用とは一応別である。

 パイプやハープは、独りでメロディとコードを演奏できるから、それらのソロ録音では、伴奏がつかないのが普通だ。フルートや蛇腹ではやはり無伴奏はごく稀である。一部のトラックは無伴奏でも、アルバム丸々1枚そっくり無伴奏というのは、思い出せない。フランキィ・ケネディ追悼のオムニバスが無伴奏のフルート・ソロを集めているが、あれはちょっと意味合いが異なる。

 演る方にしてみても、アルバム1枚無伴奏で通すのは、なかなか度胸の要ることではなかろうか。エクボだけでなく、アバタも顕わになる。隠そうとして化粧すれば、それとわかってしまう。ミスを勢いでごまかすわけにもいかない。

 もちろん、伴奏者がいたとしても、マイナスの面をカヴァーしてもらおうというのは甘えだろう。伴奏はそうではなく、対話を通じて音楽を単独では到達できないところへ浮上させるためのもののはずだ。それがいないということは、独りだけで目指すところへ登ってゆくことになる。迷っても音楽の上で迷いをぶつける相手はいない。

 あらためて見てみると、無伴奏のフィドルのソロ録音はかなり敷居が高いものに思える。ところが、だ。さいとうさんの演奏には高い敷居を超えようという意識がまるで無いのだ。

 というよりも、演奏している、フィドルを弾いている、それを録音しているという意識すら感じられない。音楽がただただ湧きでて、流れてくる。広大厖大な音楽がどこかを流れていて、その流れがさいとうともこという存在をひとつのきっかけ、泉のひとつとして、実際の音、メロディとして形をとっている。本人はいわば音楽の憑代であって、演奏者としてはもちろん、人間としての姿も消えている。

 譬えはあまりよくないかもしれないが、オーディオの理想は機器が消えることである。スピーカーとか、プレーヤーとかは消えて、ただひたすら音楽が聞えてくる。それが最高のオーディオ・システムだ。

 実際はどうか、わからない。実はひどく悩み、迷い、ああしまったと思いながら弾いているのかもしれない。しかし、そんなことはカケラも見えないし、聞えない。いい音楽が、最高のとか天上のとか、そんなんではない、シンプルにいい音楽が、ぴったりのテンポで、どんぴしゃの装飾音と音色の変化を伴い、聴く者を包む。その流れのなかにどっぷりと漬かって、ただひたすら気持ち良い。こちらも音楽を聴くという意識が消えてゆく。ただただ流れに運ばれて、曲が、トラックが終るとふと我に返り、次のトラックが始まるとまた運ばれて、1枚が終るとどこか別のところにいる。別の自分になったようだ。

 演奏されているのは確かにアイリッシュ・ミュージックであり、演奏のスタイルも手法もその伝統に則っている。アイリッシュ・ミュージックの伝統から生まれたものにはちがいない。伝統というものはこのような作用もするものなのだ。

 ここでもう一度、あらためて振り返ってみれば、この音楽を生んえでいるのはやはり一個の人間である。音楽の憑代になりうる人間。その存在を消して、音楽そのものを流しだすことのできる人間。そこで存在は消えても、この音楽をカタチにしているのはさいとうともこという、宇宙でただ一人の人間だ。さいとうともこがいなければ、この音楽は存在しない。

 これを名盤とか傑作とか呼びたくはない。今年のベスト・ワンは決まったとか、そういう騒ぎもしたくない。黙って、今日もこれを聴く。昨日も聴いた。明日も聴くだろう。普段着の、お気に入りのシャツ。ついつい袖を通してしまい、毎日洗濯しては着ているシャツ。それに身を包まれていると、安らかで、動きやすくて、生きていることが楽しくなる。

 こういう音楽はアイリッシュ・ミュージックからしか生まれない。と言っては傲慢であろう。とはいえ、アイリッシュ・ミュージックを聴いてきて心底良かった、と思えることも否定しない。

 ジャケットではアイリッシュ・パブのカウンターに腰をかけ、和服にベレー帽といういでたちで、眼をつむり、フィドルを弾いている。粋と艷のきわみだ。(ゆ)


さいとうともこ《Re:start》
Chicola Music Laboratory CCLB-0001

さいとうともこ: fiddle

Tracks
01. Eleanor Plunkett {Turlough O'Carolan}
02a. Maids of Selma
02b. Up in the air
02c. Buttermilk Mary
03a. Roscommon
03b. Three scones of Boxty
03c. Killavil
04a. Newmarket
04b. Ballydesmond #3
04c. Rattlin' Bog
05. Da Slockit Light {Tom Anderson}
06a. Rolling waves
06b. Cliffs of Moher
07a. Tuttle's
07b. House of Hamil
07c. Curlew
08a. Father O'Flynn
08b. Out on the ocean
08c. Mouse in the kitchen
09a. Lord Inchiquin {Turlough O'Carolan}
09b. Give me your hand
10a. Down by the Salley gardens
10b. Paddy's trip to Scotland
10c. Mother's delight
10d. Reconciliation

Recorded by いとう・ゆたか (bus-terminal Record)
Designed by よしお・あやこ
Photo by いしかわ・こうへい
http://tomokosaito.net/news

 アイリッシュ・ミュージックの各楽器に焦点をあてる入門講座の第5回にとりあげるのはフィドルです。

 なお、会場の下北沢 B&B は昨年末に引っ越しています。すぐ近くへの転居ですが、ウエブ・サイトで場所のご確認をお忘れなきよう。


アイリッシュ・フィドル入門
アイルランドのフィドルを見る・聴く・知る

日時:3月11日(日)13:30-16:00(13:00 開場)
会場:本屋B&B(世田谷区北沢 2-5-2 BIG BEN B1F)
料金:2000円+1drink order(500円)
出演:小松 大(フィドル)
   トシバウロン(バウロン)
   おおしまゆたか(著者・訳者)


 アイリッシュといえば、これがなくては始まらない楽器、それがフィドルです。演奏人口から言えば圧倒的に多数、おそらく全演奏者数の8割はフィドラーといっていいんじゃないでしょうか。本来は真先にとりあげるべき楽器だったでしょう。

 とはいえ、このシリーズをイリン・パイプから始めたのは、なかなか味のあることではなかったかと思ってもいます。アイルランド音楽は過去200年ほど、パイプを伝統の中心、要、核として、回ってきました。これに並べてみるとフィドルは、それぞれの時代の要請に応じて音楽伝統に外から衝撃を与えて揺さぶり、新たな位相への転換を促してきたと言えます。

 フィドルはフレットレスで、理論上、どんな音でも出すことが可能です。この点で伝統楽器の中ではユニークな存在です。そしてそのためにフィドラーは規格はずれの存在とみなされてきました。いわば禁断の楽器を操る怪しい人間と思われたのです。フィドラーは音楽には欠かせないけれども、同時になるべく遠ざけておきたい存在でした。むしろ、そのせいでしょうか。フィドルはアイルランドだけでなく、ブリテン、北欧、東欧はじめ、ヨーロッパでフィドルが演奏されていないところはありません。しかも、楽器の形と基本的奏法はすべて同じ。こんな楽器は他にはありません。

 クラシックのオーケストラでもヴァイオリンがメインで圧倒的最大勢力であるところを見ると、ヨーロッパの人びとにとってこの楽器が何か特別の魅力を備えていることは想像がつきます。フィドル/ヴァイオリンは演奏する姿勢、楽器の持ち方からして人間の生理に反していると思われますけど、それもまた実にヨーロッパ的とも見えます。

 閑話休題。アイリッシュ・ミュージックにおけるフィドルはアイルランド全土で演奏されてきました。地域に特徴的なスタイルがあると言われるのも、どこででも演奏されてきたからです。歴史的にも、とりわけ20世紀以降の、録音技術の発明によって生まれたモダン・アイリッシュ・ミュージックにおいて、フィドルは独特の大きな役割を果してきました。

 アイリッシュ・ミュージックの史上初の録音は19世紀末のイリン・パイプのものとされていますが、音楽伝統全体に最初にインパクトを与えたのはフィドルの録音です。マイケル・コールマン、ジェイムズ・モリソン、パディ・キロランに代表されるアメリカ在住のフィドラーによるSP録音によって、現代のアイリッシュ・ミュージックは幕を開けました。

Past Masters of the Irish Fiddle Music
Various Artists
Topic Records
2001-10-09



 なぜアメリカか。まず、録音技術そのものがアメリカで開発され発展しました。そしてそのテクノロジーを使い、音楽を録音して販売するビジネスを立ち上げたのもアメリカ資本でした。アメリカ人以外には、誰もそんなことを思いつかず、また万一思いついたとして、それにカネを注ぎこもうと考えなかったのです。

 アイリッシュ・ミュージックにとってはもう一つの条件がありました。名手が多数、アメリカに移民していたのです。19世紀後半からの大量の移民によって、アイルランドの伝統音楽も大西洋を渡っていました。シカゴの警察署長オニールは身の回りにいたミュージシャンたちだけをソースとして、こんにちにいたるまでアイリッシュ・ミュージックのバイブルとされている楽曲集を編むことができました。そこに掲載・収録されている楽曲はすべて、移民たちが持ち込んだものです。

 名手たちの演奏は、最新のテクノロジーの衣をまとい、一層輝きを増したことでしょう。文字通りそれは一世を風靡し、かれらのスタイル、レパートリィを人びとはこぞって模倣、エミュレートします。SP盤に聞かれるフィドルは、アイリッシュ・ミュージックを統一した、とまで言われました。

 もちろん、そんなことはありません。今のように、世界の片隅で起きたことが、一瞬で全世界の知るところとなるわけではありません。まだまだ実にのんびりした時代です。SP盤を聴ける環境がどこにでもあったわけでもなく、人びとはラジオも持っていませんでした。それでも、それ以前の、ローカルの外の響きといえば、せいぜいが時偶やってくる旅回りのパイパーやフィドラーぐらいという状態に比べれば、天と地ほどの開きがあります。それはコペルニクス的転回と呼ばれるに値します。各地の共同体内でそれぞれ独自に展開されていた伝統がかき回され、混淆しはじめたのです。

 アイリッシュ・ミュージックの録音は1920〜30年代のSP録音によるものの後は不毛の時期が続きます。独自の録音産業が成立するにはアイルランドは貧しすぎました。ましてや伝統音楽が録音・販売に値するとは考えられていませんでした。ほとんど唯一の例外が1959年の Paddy Canny, P. J. Hayes, Peadar O'Loughlin & Bridie Lafferty による《All-Ireland Champions - Violin》です。2001年に《AN HISTORIC RECORDING OF IRISH TRADITIONAL MUSIC FROM COUNTY CLARE AND EAST GALWAY》としてCD復刻されたこの録音は、当時LPはあっという間に廃盤になったものの、コピーのテープがミュージシャンの間で珍重・重宝されます。ここでもフィドルの録音が、頼りになる規範となったのでした。

 そして1970年代、プランクシティ〜ボシィ・バンドによる革命でアイリッシュ・ミュージックが新たな段階に入った時、これを牽引したのは、パディ・キーナンのパイプ、マット・モロイのフルートとならんで、ケヴィン・バークのフィドルでした。そして後世への影響から見れば、バークのフィドルがボシィ・バンド・サウンドの象徴となったのです。


BOTHY BAND
BOTHY BAND
OLD HAG YOU HAVE KILLE
2017-06-16


 我々異国でかの国の伝統音楽に触れた人間にとっては、その前にもう一人、忘れられないフィドラーがいます。デイヴ・スウォブリックです。かれは独学でフィドルを身につけていて、ベースはスコットランドだと思いますが、その演奏は独自のものでした。フェアポート・コンヴェンションというロック・バンドのリーディング楽器として、かれのフィドルはアイリッシュやスコティッシュのダンス・チューンを、ロックのビートに載せてみせました。プランクシティやボシィ・バンドやデ・ダナンや、あるいはチーフテンズよりも前に、ぼくらがアイリッシュ・チューンを最初に聴き、その魅力のとりこになったのは、スウォブリックのフィドルによってだったのでした。

リージ・アンド・リーフ+2
フェアポート・コンヴェンション
USMジャパン
2010-11-24



 1990年代「ケルティック・タイガー」の追い風に乗ってアイリッシュ・ミュージックが世界音楽になっていった時、その先頭に立ったのもフィドルでした。マレード・ニ・ウィニーを中心としたアルタンです。アルタンがナマのまま演ってみせたドニゴールのスタイルとレパートリィは、それまで伝統音楽の主流ではほぼ無視されていました。ヨーロッパの周縁アイルランドのそのまた周縁ドニゴールの伝統が沈滞したシーンに活を入れ、そのまま世界に飛び出していった、そのドラマの主人公は、フィドルだったのです。


Ceol Aduaidh
Mairead Ni Mhaonaigh & Frankie Kennedy
Green Linnet
1994-02-04


 そして90年代末、20世紀を締め括くるとともに、次のステップへ踏み出したのもフィドルの録音でした。マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルの《The Lonesome Touch》。1997年のことです。本来のものから遙かにテンポを落して演奏されるダンス・チューンは、曲に潜むスリルとサスペンスをあらためてあぶり出しました。アイリッシュ・ミュージックは他のどんな音楽にも肩をならべる同時代性を備えていることが天下に宣言されたのでした。


The Lonesome Touch
Martin Hayes and Dennis Cahill
Green Linnet
2015-12-27


 最近のインタヴューで、ヘイズはこのアルバムを作るときに、チャーリー・ヘイデンとパット・メセニーの《Beyond The Missouri Sky》をお手本にしたと述べています。アイリッシュ・ミュージックに真の革新をもたらしたショーン・オ・リアダ、ポール・ブレディ、アンディ・アーヴァインは皆、伝統の外からやってきたとも述べています。そういうヘイズ自身もまた、アイルランド伝統の外に霊感の源泉を求めています。


Beyond the Missouri Sky
Charlie Haden & Pat Meth
Verve
2009-08-10



 フィドルはアイリッシュ・ミュージック演奏の現場を支配し、したがって伝統に対して保守的な姿勢をとるようにみえます。一方でフィドルは他には並ぶもののない柔軟性によって、常に伝統を脱皮させる契機を孕んでいます。

 ヘイズは The Gloaming や Martin Hayes Quartet、さらにはケヴィン・クロフォード、ジョン・ドイルとのトリオ、ジャズやクラシックまで含めた幅広いミュージシャンとの共演を集めたソロを予定するなど、その活動は留まるところを知りません。

Gloaming
Gloaming
Imports
2014-01-28


The Blue Room
Martin Hayes Quartet
Imports
2017-11-03



 そのヘイズの後を襲って、アイリッシュ・ミュージックを揺さぶり、その外延を広げようとしている人としてクィヴィーン・オ・ライアラ Caoimhin O Raghallaigh がいます。The Gloaming に hardanger d'amore で参加している人です。フィドラーだったオ・ライアラは、まずハルディング・フェーレでアイリッシュ・ミュージックを演奏するようになり、さらにこの楽器に改訂を加えて、10弦のハーダンガー・ダモーレと呼びます。レパートリィも、アイルランドの伝統曲から、ジャズやクラシックの語彙、手法を取り入れたオリジナルにまで広がってきています。


Kitty Lie Over
Mick O'Brien Agus Caoimhin O Raghallaigh
CD Baby
2007-05-29



Where One-Eyed Man Is King by Caoimhin O' Raghallaigh
Caoimhin O' Raghallaigh
CD Baby
2007-05-29



 というような話を、今回のフィドル講座でできればいいなと思っています。小松大さんは、実演と実践者の言葉によって、こうしたフィドルの二面性、双極性を、具体的なものにしてくれるでしょう。

 フィドルはアイリッシュ・ミュージックで最も普遍的な楽器であるために、フィドルについて語ることは、アイリッシュ・ミュージック全体について語ることにもなります。これは他の楽器とは異なる、フィドルならではの面白さでもあります。(ゆ)

 チェロの音が好きだ。生まれかわったらフィドラーになりたいと書いたことがあるが、実はチェロ弾きになりたい。しかし、フィドルに相当するものがチェロにはない。これはクラシック専用、ということにどうやらなっている。そりゃ、バッハとかコダーイとか、あるいはドヴォ・コンとか、いい曲はたくさんあるが、もっといろいろ聴きたいではないですか。その昔、クラシック少年からロックにはまるきっかけはピンク・フロイド《原子心母》の中のチェロのソロだった。

 クラシックのコンサートにはほとんど行かないから、チェロを生で聴ける機会もほとんどない。トリオロジーという、弦楽四重奏からヴィオラを除いたトリオのライヴぐらいだ。このトリオはクラシック出身だが、とりあげる曲は遙かに幅広く、アレンジも面白く、このライヴもたいへん面白かった。なにより、ユーモアがいい。ファースト・アルバムのタイトルも《誰がヴィオラ奏者を殺したか》。

 そのチェロの音を、生で、至近距離で、たっぷりと聴けたのが、まず何よりも嬉しい。しかも、ホメリのあの空間は、チェロにはぴったりで、ふくよかな中低域がさらに豊饒になる。

 おまけにそのチェロが、ケルト系のダンス・チューンをがんがんに弾いてくれるのだ。やはりチェロでダンス・チューンを弾くのは簡単ではなく、これまでにもスコットランドの Abbey Newton、アメリカの Natalie Haas、デ・ダナンにも参加した Caroline Lavelle ぐらい。もちろん生で聴いたことはまだ無い。それが目の前で、フィドルとユニゾンしている。いやもう、たまりまへん。

 アイルランド人はとにかく高音が好きで、低音なんて無くてもへいちゃら、というよりも、邪魔と思っている節がある。われわれ日本語ネイティヴは低音が好きで、どんなに高域がきれいでも、低音が不足だと文句を言う。チェロの中低域は、バゥロンやギターの低音とはむろん違う。何よりもまずあのふくらみ。ヴィオラにもあって、それも大好きだが、チェロのふくらみはこれはやはり物理的なものであって、ヴィオラでは出ない低い音にふくらんでゆくところ、まったくたまりまへん。

 フィドルにハーモニーをつけるときにそれが出ることが多いが、そういう音は無いはずのダンス・チューンでも、どこか底の方に潜んでいて、あまりにかすかで余韻とも言えない、音の影のような感じがするのはプラシーボだろうか。しかし、目の前でチェロがダンス・チューンを奏でているというだけで、あたしなどはもう陶然としてしまう。

 ハーモニーをつけるアレンジはギターがお手本のようではあるが、チェロは持続音だからドローン的にもなる。ドローンと違うのは、チェロの音はむしろ細かく動くところがある。ギターではビートが表に出るが、チェロではメロディ本来の面白さが前面に出る。

 チェロを聴くと、フィドルの音源が点であることがよくわかる。チェロは面から出てくる。それには楽器の表がこちらを向いているということもあるだろう。しかし、ハープもやはり点から出てくる。そして、ケルト系の音楽では、ほぼ全ての楽器で点から音が出る。音の出るところが複数あるパイプですら、面にはならない。チェロの音のふくらみには、面から音が出るということもあるにちがいない。ハープとのデュオでやったカトリオナ・マッケイの〈Blue Mountains〉では、弦をはじいていたが、やはり面から出る。これは録音ではまずわからない。ライヴで聴いて、見て、初めてわかることだ。

 これが組み合わさると、チェロのハーモニーによって、ダンス・チューンのメロディがより明瞭に押し出されてくる。こういう聞え方は、ケルト系ではまず体験したことがない。

 冒頭のスローなチューンでのチェロのふくらみにまずやられて、ずっと夢うつつ状態だったが、後半のスウェーデンの〈うるわしのベルムランド〉で、チェロがずっと低域でほとんど即興のように奏でたのには、まいりました。そして、アンコールのポルカ。ポルカは意外にチェロに合うらしい。ユニゾンがきれいにはまる。

 このチェロの巌氏をこの世界に引きずり込んだのは中藤さんだそうだが、その中藤さんのフィドルもこの日ばかりはチェロの陰にかすんでしまった。それでも、カロラン・メドレーの2曲めでは、彼女本来の、これまたフィドルには珍しいほどのふくらみのある響きを堪能できた。

 カロランに続く、ヘンデルとバッハも良かった。この組合せはもちろん作曲家の「想定外」だが、あらためて曲の良さがよくわかる。クラシックの作曲家は「想定外」の価値をもっと認めた方がいい。バッハの〈アヴェ・マリア〉では、チェロの中低域の響きがさすがに存分に発揮されたが、ハープの左手がそれに劣らないほど面白かった。

 カロランの同時代者としてはヘンデルよりはジェミニアーニで、カロランとの作曲合戦の伝説も残っている。ヘンデルが小室哲哉だという梅田さんの説はその通りだろう。バッハは田舎の宮廷楽長だったから、むしろ地方公務員。今で言えば、県立ホールの会館長というところだが、ヘンデルはオラトリオの上演をビジネスにしていたわけだ。

 それにしても、これはすばらしい人が現れた。他の人たちとの共演も聴いてみたい。むろん、まずこのトリオでの充分な展開をおおいに期待する。

 中藤さんも梅田さんも、ふだんやっていることとは違うことがやりたいと思って、このトリオを始めたそうだ。こういうところが、頼もしい。もっともトリコロールもなにやらとんでもないことをやっているようで、こちらとしてはいろいろ楽しみが後から後から出てきて、嬉しい悲鳴だ。

 ということで、春のゲン祭りのゲンは弦であったわけだが、カタカナにしたのは、まだまだ隠れた、壮大な意図があるのであらふ。

 さて次は、梅田さんの「追っかけ」で、03/06のホメリ。今度は奥貫さん、高橋さんとの、これまた初顔合せ。ケープ・ブレトン祭りになるか。(ゆ)

 デイヴ・フリンはこのツアーの告知で初めて聞く名前で、まったく何の予備知識もなく、ライヴにでかけた。聞けば5年前2013年にやはり小松さんの手引きで初来日しているそうな。

 結論から言えば、すばらしいミュージシャンに出逢えたことを感謝する。この人は確実に新しい。本人はポール・ブレディ&アンディ・アーヴァインとかボシィ・バンドを聴いて伝統音楽への興味を掻きたてられたと言うが、やはり世代は着実に代わっている。もちろん、あの世代とは天の運も地の時も違う。あの時代には、若い世代が伝統音楽をやることそのものが大変なことだった。伝統音楽はアイルランドにあっても、「田舎のジジババ」のやるものだったのだ。都会の若者たちにとっては1にも2にもロックンロールだった。それをひっくり返したのがクリスティ・ムーアであり、ドーナル・ラニィであり、ミホール・オ・ドーナルであり、あるいはアレック・フィンであった。

 しかし時代は変わって、このデイヴ・フリンのように、伝統音楽からクラシックからジャズからロックから、興味のあるものは何でもやってしまう、そしてそうしたジャンルの垣根を溶かしてしまって、どれにとっても新しいものを生み出している人たちが現れている。Padraig Rynne や Jiggy などもそうなのだろう。キーラはその先駆とも言えるかもしれない。そして、あちらではあたしなどが知らない、優れた人たちが、おそらく陸続と現れているのだ、きっと。

 フリンはまずギタリストとして出色だ。Wikipedia などの記事を見ると、エレキ・ギターでロックを弾くことから出発しているようだが、それにしては細かいニュアンスに満ちた、繊細なスタイルだ。メロディとリズムを同時に弾くところなどは、リチャード・トンプソンにも通じる。トニー・マクマナスよりはジョン・レンボーンだろう。ピックは使わず、コード・ストロークは中指以降の3本で上から叩くようにする。

 小松さんによればチューニングも特殊で、上4本をフィドルやマンドリンと同じにしているという。ダンス・チューンのメロディを弾くとき、うたの伴奏をするとき、小松さんのフィドルの相手をするとき、それぞれにチューニングを変えていた。

 ギターでダンス・チューンのメロディを演奏するのも、アイルランドでは少なくともあたしは初めてだ。ブズーキやマンドリンでメロディを演奏する人たちはいるが、ギターでは皆無というのがこれまでの認識だった。アイルランド以外ではトニー・マクマナスがいるし、ディック・ゴーハンもやるし、マーティン・シンプソン、ピエール・ベンスーザン、Gille de Bigot、Dar Ar Bras、Colin Reid などなど多彩な人たちがいるが、アイルランドではいなかった。Sarah McQuaid はアイルランド録音しているが、もとはアメリカ人だ。

 どちらかというと遅めのテンポ、装飾音を忠実につけてゆくよりは、ベースやコードも付けながら、全体のイメージを重視する。音量は大きくはないが、明瞭で、メリハリがある。どこかジャズの、それも80年代以降のギタリストたち、ジョン・スコフィールドとか、最近のカート・ローゼンウィンケルあたりに通じるところもある。ジャズのような即興をやるわけではないが、音楽から受ける印象が似ている。クールで控え目でクリア、一方で注ぎこまれているエネルギーの量、そこで燃えているものの大きさはハンパではない。

 2曲ほど披露したうたもいい。伝統音楽を直接ベースにしているものではないが、アイルランドからしか出てこないものでもあると聞える。ジミィ・マカーシィやノエル・ブラジルたちともまた違う。やはりもう少しジャズ寄りだ。

 全体に押し出しではなく、引っ込んで、聴く者の集中を誘う。

 同じことは後半、小松さんのフィドルに合わせたときにも言えた。相手を煽ることはしないが、ただ着実に土台を支えるというのでもない。音量は小さく、客席に聞かせるよりは、相手のプレーヤーに向かって演奏している。当然といえば当然だが、人に聴かせるときには、少なくとも並んで、ともに聴かせようとするのが普通だ。デニス・カヒルですら、ひたすらマーティン・ヘイズに注目しているものの、全く聴衆を無視しているわけでもない。周りにどう聞えるかは意識している。フリンも聴衆を無視するところはないが、かれにとって聴衆はいわば意識の外にあるのだろう。

 そしてその効果、相手のプレーヤーに対する効果ははっきりしていて、小松さんのフィドルは着実に熱を発してくる。もともとかれのフィドルの響きがあたしは大好きなのだが、独特のふくらみを孕んだその響きが一層艷やかになる。エロティックと言いたいくらいだ。いやらしいところはまったく無い、フィドルという楽器に可能なかぎりなまめかしい響きが引き出されてくる。

 年末からずっとグレイトフル・デッドのライヴ音源をひたすら聴きつづける毎日で、一昨日、ようやくそれが一段落した直後だったから、この二人の生の音はことさらに胸に染みる。こんなよい響きで聴けるのは、やはり生の、ライヴの場での特権だ。

 今年のライヴ初めは、かくてまことにめでたい一夜となった。デイヴ、小松さん、そしてグレインの加藤さんに心から感謝する。ごちそうさまでした。

 小松さんとは3月11日、下北沢の B&B で、アイリッシュ・フィドルの講座を予定している。本に囲まれたあの空間で、小松さんのフィドルの響きを聴くだけでも、足を運ばれる価値はあるでしょう。(ゆ)

 ヴィオラの音は好きだ。たぶん最初に意識したのはヴェーセンで、次がドレクスキップだった。五弦ヴァイオリンはヴィオラの音域まで行くけれど、やはり響きが違う。ボディが大きいだけ、深くなる。もともとはオーケストラに必要でおそらく重宝がられたのだろう。さもなければ、こんな中途半端な楽器が残ろうとは思えない。ヴァイオリンの次はチェロになるのが自然だ。とはいえ、この深い響きもヴィオラが生き残ってきた理由の一つにはちがいない。

 小松さんはもともとクラシックではヴィオラ専門なのだそうだ。今でもクラシックでヴィオラを弾くこともある由だが、かれのフィドルに他のフィドラーでは、アイルランドやアメリカも含めて、聴いたことのない響きが聴けるのはたぶんそのせいだろう。いや、その点では、ジャンルを問わず、フィドルからああいう響きを聴いたことはない。金属弦とナイロン弦の違いだけではないはずだ。

 この響きは録音でも明らかだが、その本領はやはりライヴでしか味わえない。技術的に録音するのも難しいし、再生もたいへんだ。響きの深み、音の高低ではなく、音そのものがふくらんでゆく様は、ライヴでしかたぶん聴けない。

 その響きは演っているほうもたぶん好きなので、それを活かすためだろう、テンポがあまり速くない。リールなどでも、じっくりゆっくり弾く。このデュオでも始めは速く演奏していたらしいが、だんだん遅くなってきたとMCでも言っていた。それはよくわかる。響きとテンポのこの組合せはひどく新鮮だ。マーティン・ヘイズがゆっくり弾くのと、共通するところも感じる。意識してこのテンポに設定しようというのではなく、自然にこういうテンポにどうしてもなってしまう、おちついてしまうのだ。だから聴いていてそれは心地良い。最後にやった7曲のメドレーでもテンポは上がらない。

 ヴィオラで弾いたダンス・チューンも良かった。もちろんこんな試みは、本国でもほとんどいないし、これまたやはり生でしか本当の音は聴けない。うーん、ヴィオラを録音できちんと聴くのは結構難しいぞ。と生を聴いてあらためて思う。それとは別に、メロディが低域に沈みながら浮遊してゆくときのなんともいえない艷気は、ほとんどアイリッシュとは思えない領域。アイリッシュ・ミュージックは基本的に高音が大好きな音楽だから、こういう艷気は初めてだ。

 山本さんのギターが小松さんのフィドルにまたよく似合う。これはトニー・マクマナスだなあと思って聴いていたら、お手本はトニー・マクマナスと後で伺って納得した。コード・ストロークやカッティングよりもアルペジオを多用する。なので空間が拡がり、小松さんの響きがより浮かび上がるのだ。デニス・カヒルも入っているようで、音数がマクマナスよりも少ない感じもある。その少なさが、さらに空間を拡大する。そうみると、この二人、音楽的スタイルは違うが、あのデュオに一番近いのかもしれない。音楽の哲学がだ。

 山本さんはギター・ソロも披露し、そこでもリールのメドレーを弾いたし、フィドルとユニゾンもしたり、これまでわが国のアイリッシュ・ミュージック界隈にはあまりいなかったタイプのギタリストだ。もうすぐソロ・アルバムも出されるとのことで、こちらも楽しみだ。アプローチは対照的だが、中村大史さんのソロと聴き比べるのも面白そうだ。

 二人ともチューンに対しては貪欲で、珍しいが良い曲を掘り出すのが好きらしい。聴いたことのある曲がほんの数曲というのも、珍しくもありがたい体験だ。定番を面白く聴かせてもらうのも楽しいが、聴いたことのない曲をどんどんと聴けるのは、また格別だ。それにしても、カトリオナ・マッケイの〈Swan LK51〉は人気がある。演っていて楽しいのだろう。

 お客さんにいわゆる「民間人」はどうやらいなかったようで、お二人の知合いも多かったようだ。無理もないところもあるが、チーフテンズしか聴いたことのない人が聴いてどう思うか、訊ねてみたい気もする。次の東下は11月19日。ドレクスキップの野間さんと浦川さんのデュオとの対バンの由。これまた楽しみだ。(ゆ)

 ジョンジョンフェスティバルのワンマン・ライヴをちゃんと見た覚えがどうも無い。確かプラスの形で、複数のアクトの一つとして見たことがある気がする。3人だけの、本来のトリオで見たのは、あるいはカナダで見たのが初めてだったかもしれない。

 カナダでの演奏はどれもすばらしかったが、長くて30分なので、さあこれから、というところで終るという、やや欲求不満になる感じは否めなかった。こちらもやはり興奮しているので、フラストレーションが溜まってしかたがないというところまではいかないし、2日間で4本のステージは少なくはなかった。それでも、時間をかけて初めて現れる姿というものはある。とりわけ、たっぷり聴いた、堪能した、という満足感。むろん、出来がすばらしければ、それだけもっともっとと欲求も募る。しかし、そういう時、本当に満足するなんてことはありえなくなる。

 スケールが大きくなっている。カナダでも演奏のスケールの大きなことには感服したのだが、さらに一枚剥けた感じがする。個々のミュージシャンとしても、バンドとしても、カナダの時よりも深みが増し、密度が濃くなっている。おもしろいのは、その一方で新鮮な、ほとんど初々しいと言いたくくらい、生まれでたばかりの無邪気さもある。普通はこうなると成熟とか風格とかいった表現を使いたくなるが、これらの言葉は今のジョンジョンフェスティバルにはふさわしくない。

 昨夜とりわけ感心したのはまずうた。〈By the Time It Gets Dark〉でのコーラスでのじょんとアニーの声のハモりにぞくぞくする。〈思ひいづれば〉でのじょんコブシがまたいい。力がよい具合に抜けていて、声が自然にゆらゆらと廻る。重力とちょうど釣合がとれて、どの方向にもするすると動いてゆく。

 例えばドロレス・ケーンのような意味でじょんが一級のシンガーとは言えないかもしれないが、どうやら最適の発声法を掴んだようにもみえる。そうなると、一級のシンガーにも無い浮遊感があらわれる。いわゆるクルーナーのようなリスナーを引きずりこもうという下心もない。しかし、いつの間にか、聴く者の心の襞にするりと入りこんでいる。

 アニーのハーモニーもそのじょんの声によく合っている。あるいはこれも合わせているのだろうか。二人だけなのに、もっとたくさんの声が響いているようでもある。

 ジョンジョンフェスティバルはじっくり聴かせるところと、熱く乗せるところの使いわけがうまい。うまいというよりも、人間離れしている感じだ。3人がおたがいにぐるぐる猛スピードでつむじ風を巻きながら、すっ飛んでいくときでも、どこかで冷静なコントロールが利いている。

 いや、ちょっと違うようでもある。3人とも完全にキレていて、どうにも止まらなくなっているのは明らかなのだ。じょんの顔には、押えようとしても押えられない笑顔が現われて消えない。向う側に行ってしまっている。同時にそのバンドを冷静に見ているもう一つのバンドがすぐ裏の次元にいるらしい。もう一つのそのバンドの存在を、3人は意識しない。バンドがいることはわかっているのだろう。しかし、存在そのものを感じてはいない。そうした意識が忍びこむ余地もなくなっているのだ。

 そしてそのもう一つの冷静なバンドにするりと入れ替わる。それはもうするりと、スイッチが切り替わるのではなく、自然に入れ替わる。

 昨夜はそのことが見えたようだ。一度見えると、同じことがカナダでも起きていたのだとわかる。ただ、昨夜の方がより入れ替わりがスムーズだし、二つのバンドの差が大きい。

 これに似たことはラウーが来たときもあったのだが、ラウーでは3人とも表情が冷静だ。内実はわからないが、外見ではクールそのものだった。音楽の白熱とのその落差が面白かった。

 ジョンジョンフェスティバルは外見もイッてしまっている。どこへ行くのか、端から見れば心配になるかもしれない。しかし、その音楽に一体化していると、どこへ行こうとまるで気にならない。そんなことはどうでもいい。そして、ジョンジョンフェスティバルはちゃんと元のところへ戻してくれるのだ。

 求道会館は生音がすばらしいが、昨夜は200人満員ということでPAが入っていた。その様子はちょうどカナダのケルティック・カラーズと同じだった。使っているスピーカーも同じで、あるいは他も同様のものかもしれない。同様に音はすばらしく良かった。

 それにしても、立ち見の人もいて、しかも皆さんお若い。あたしはたぶん最年長だったろうが、嬉しいことではある。土曜ということもあったし、クリスマス・イヴでカップルで来ていた方もいたのか、若い男性も多かった。ちょっとおとなしいかなあというところもなきにしもあらずだが、あるいは大人なのかな。それにしても、わが国の聴衆はスタンディング・オーヴェーションというものをしないねえ。あれはなかなかいいもんだと思うんだが。

 新作CDもたくさん売れたようで、サイン会も長蛇の列で、なかなか終りそうもないので、一足先に失礼させていただいた。出てくると、近くの教会の前で、蠟燭をもってキャロルをうたっている人たちがいた。まったくクソったれと悪態のひとつもつきたくなる2016年の年の瀬だが、いのちの洗濯をしてもらって、なんとか年を越せそうだ。ジョンジョンフェスティバルの3人、そしてこのコンサートを支えてくれたすべての人びとに心から感謝。あなたがたの上に、祝福あれ。(ゆ)

 世事にうとくなって、スウォブリックの死去さえ、ひと月以上経ってから知る有様だが、知った以上はひとこと書かないわけにはいかない。

 スウォブリックを初めて聴いたのは、いわゆるケルト系ダンス・チューン、より正確にはアイリッシュのダンス・チューンを初めて聴いたのと同時だった。すなわち、かれが演奏するアイリッシュのダンス・チューンを聴いたのだった。

 バンドはフェアポート・コンヴェンション。録音は1977年に出た《LIVE AT L.A. TROUBADOUR》。いわゆる「フルハウス」フェアポートがその絶頂期にアメリカはロサンゼルスの有名なライヴハウスに出たときのライヴ。この録音は権利関係の問題からか、ついにCDになっていない。

 数年してロサンゼルスに滞在していた時、このライヴハウスに行ってみた。手前がバー、その奥がホールという普通の構造。ホールはかなり細長く、入って右手、長い方の辺に低いステージがある。客席は三階ぶんくらいまであったと記憶する。当時はポスト・パンクの頃で、その時出ていたバンドも1曲2分くらいの、メロディの起伏のほとんどない曲を次々にやっていた。客で来ているらしい若い娘が2人、ステージの前に出て、体をまっすぐに立て、両腕をぴたりと胴につけて細かく跳ねながら、それに合わせて首を左右に高速で振るという、ダンスともいえない動作を曲が演奏されている間ずっとしていた。2人がまったく同じ動作をステージの前、左右に別れてやっているのは、ロボットに見えた。

 フェアポートの《トゥルバドール》を聴いたのはもちろん渋谷のブラックホークで、冒頭のマタックスの「カン、カン」に続いてスウォブリックのファズ・フィドルが弾きだした途端、体に電流が走った。この「カン、カン」からして、アイルランドのケイリ・バンドへのオマージュであり、パロディであると知るのは、遙か後年、そのケイリ・バンドの録音を聴いた時だ。

 ここでフェアポートがやっているのは踊るための音楽ではなくて、聴かせる、聴くための音楽で、松平さんが「一瞬も眼を離せないボクシングの試合」に譬えた、スウォブリック、トンプソン、マタックスのせめぎ合いは、フェアポート自身、空前にして絶後である。それが最高潮に逹するのはB面の〈Mason's Apron〉で、ここでの印象があまりに強いので、この曲は誰のものを聴いてものったりくたりに聞える。

 スウォブリックの最大の功績は、アイリッシュやスコティッシュのダンス・チューンをロック・バンドのドライヴで演奏するスタイルを作ったことだ。これと並んで大きいのが、フィドルをロック・バンドのリード楽器にしたことだ。そしてどちらも、スウォブリックを本当の意味で継承する存在はその後出ていない。

 スウォブリックはしかしそれだけの存在ではなかった。次にかれのフィドルが深い刻印をあたしの感性に刻んだのは、サイモン・ニコルとのデュエットで出した《CLOSE TO THE WIND》での〈シーベグ・シーモア〉だった。ニコルのアコースティック・ギターから始まり、スウォブリックのフィドルも生だ。デイヴ・ペッグが途中からベースで加わる。2人に支えられて、スウォブリックは奔放な変奏を重ねる。この曲は演奏者を狂わせる、とかれはどこかで言っている通り、曲を極限まで展開してみせる。《トゥルバドール》とは対極的な静かな狂気だ。やがてペッグが離れ、おちついてゆくのだが、最後の最後にひらめかせる捻りに、あたしはいつも投げとばされて伸びる。来ることはむろんわかっていて、身構えてもいるのだが、いつも投げとばされる。

 この曲には名演も数あるなかで、この演奏はダントツでベストだ。誰に聴かせても、途中から黙りこむ。そしておわると皆一様に溜息をつく。

 もう一つ、スウォブリックのフィドルの冴えに感銘したのは歌伴だ。相手はマーティン・カーシィではない。カーシィとのデュオは文句はつけようがないが、本当の良さがまだあたしにはわからない。たぶん聴き込み不足なのだろう。

 スウォブリックの歌伴のひとつの究極はA・L・ロイドの〈The Two Magicians〉だ。この曲自体、ロイドが様々な版から編集した、ほとんど創作といってよいものだが、これがロイドとスウォブリックの飄逸なうたとフィドルで演奏されると、なんともたまらないおかしみがにじみ出る。解釈のしかたによっては、このうたは今では政治的に正しくないとされかねないが、本来は知恵比べ、一種のゲーム、ユーモアとエスプリをたたえた遊びをうたったものなのだ、とこれを聴くとわかる。スウォブリックのフィドルの軽みはロイドのうたを浮上させ、舞い上がらせ続ける。

 スウォブリックのキャリアのハイライトは他にもたくさんある。晩年の、本人のふんふんという唸り声だけが伴奏のソロ・ライヴもいい。「フルハウス」フェアポートの再編による《SMIDDYBURN》が出たときには狂喜乱舞したし、今でも聴けば興奮する。マーティン・ジェンキンズとの Whippersnapper は目立たないが重要な実験だ。

 録音も多い。全部きちんと聴こうとすれば、残りの人生がつぶれそうだ。フィドルという楽器の可能性がそこに尽くされているとは言わないが、これだけいろいろなフィドルを弾ける人間はまあ一世紀に一人ではないか。かれが数ある楽器のなかから、フィドルをおのれの楽器として選びとったことは人類にとってとても幸せなことだった。そう、かれはフィドルを選びとったのだ。フィドルを含む伝統の中に育ったのではない。だからこそ、あれほど多種多様なフィドルを弾けたのだ。あたしにとって、かれはフィドラーであって、断じてヴァイオリニストではなかった。

 スウォブリックの前にスウォブリック無く、スウォブリックの後にスウォブリックはいない。

 さらば、スウォブ。ありがとう。合掌。(ゆ)

 あたしなんかもアイリッシュだけ聴くということができない。ふるさとにもどるのはいいもんだが、しばらくするとふるさとは飽きてくる。あたしは東京生まれの東京育ちで、ふるさとと言えるものを持っていないからなのかもしれない。とまれ、また旅に出て、聴いたことのない土地や人びとの聴いたことのない音楽を探索したくなる。

 大渕愛子さんがギターの大橋大哉さんと組んでいる 橙 Duo は大渕さんのアイリッシュ以外の音楽をやりたい欲求から生まれているらしい。上のような理由からこれには共感する。そしてそこから生まれている音楽にも共感する。

 ふるさとから離れても、ふるさとに似たもの、共通する要素のあるもの、共振するようなものを求めるものだ。つまりルーツ音楽、伝統音楽であって、こんにちどこにでもあるポップス、ヒップホップ、ロックを求めるわけではない。

 橙 Duo の音楽も、根っこにアイリッシュがあることが良い方に作用している。無理をしていない。無理矢理アイリッシュと対極になるようなことをしようとはしていない。音楽が歪まないのだ。

 大橋氏のギターはジャズやボサノヴァあたりがベースと覚しいが、神経が細やかだ。でしゃばらないが存在感はしっかりある。そういう点では長尾さんはじめアイリッシュのすぐれたギタリストに通じる。この存在感が主役を引き立たせるのだ。演劇や映画だって、主役だけがめだって、脇役はみな大根ではいいものになるはずがない。音楽ではそれ以上に脇役は大事だし、聴きようによっては主客は逆転する。デュオではとりわけ主客は流動する。それがデュオの面白さでもある。

 この日は実は中村大史さんがアコーディオンとブズーキで客演していたのだが、抑えに抑えた演奏で、あくまでも2人を立てていた。しかもかれが加わることで確実に音楽が豊饒になる。フィドルとユニゾンしたり、ドローンで支えるアコーディオンや小さく裏メロをかなでるブズーキが心憎い。こういうところが中村さんの頼もしさだ。

 橙はメンバーのオリジナルを演奏するプロジェクトで、この日は3枚めになる Vol.0 のリリース・ライヴという触れこみ。どれも愛らしい小品という趣。一方でかなり複雑で工夫の深い曲でもあって、何度か聴かないと味わいが沁みてこないようでもある。半分は大渕さんがうたう。

 大渕さんのうたは中性的でもあり、感情をこめない。これまたアイリッシュ的であって、感情は演奏そのものには現れず、聴く人間の内部に入ってから醗酵する。ノーマイクということもあって、ますますその傾向が強まる。じっくり録音を聴きたくなる。

 曲が短かいせいか、ギターの持ち替えやチューニングのためか、MCが多めで、楽しい。ミュージシャンの日常の音楽生活の機微にも触れる、かなり突っこんだ話も聞けた。

 とはいえハイライトはアンコールのアイリッシュのセットでした。

 ここは千駄木の、谷中銀座にも近いカフェ兼写真館で、会場は1階のカフェのテーブルと椅子を並べかえ、ミュージシャンは通りに面した一面ガラスの壁を背にする。外の路地を通る人は聴衆を見ることになる。20人も入ればいっぱいで、ミュージシャンとの距離はひどく近い。このライヴの数日前が3周年だそうで、アンコール前にハッピバースデーが始まったのはそれかと思ったら、大渕さんの誕生日祝いだった。大台にのってひどく気が楽になったそうだ。

 ここでは今年9月にハモクリ・アコースティック・トリオ版のライヴが予定されている。これは楽しみだ。(ゆ)

 結局バンド名の由来を訊くのを忘れた。なんでもないような名前だが、一度聞くと忘れがたい。まさに彼女たちの音楽そのままの名前ではある。

 昨年夏に一度、鎌倉でライヴを見ているが、当然のことながら、まるで別のバンドに成長していた。CDは聴いていたのだが、どうも結びついていなかった。生の演奏を見るのにはこういう効用もある。聴いている音楽とそれを演っている生身の人間が重なりあい、焦点が定まるのだ。

 まず目を瞠ったのは中藤さんのおちつき。そう思ってみると、彼女のライヴ演奏を見るのはこれが初めてだった。tricolor はなぜかいつも行き違ってしまって、いまだに見ていない。この姿を見ると、これはあちらもぜひ生を見なくてはと褌を締めなおした。

 あれはもう5年前になるのか。奇しくも同じ霜月三十日、表参道の Cay で行なわれた Tokyo Irish Generation のレコ発ライヴの司会をしていたのが中藤さんだった。自分でもこんなところにいるのが信じられない、というような初々しい司会ぶりだったと記憶する。

 それがどうだろう、風格すら漂わせた佇まい。tricolor の《旅にまつわる物語》での彼女のフィドルの深さには驚嘆していたが、なるほど、これならばさもありなん。生で聴くフィドルもコンサティーナも、それはそれは豊かな響きで、このトリオでも土台をささえている。

 須貝さんも、一度上野の水上音楽堂で、豊田さんとのトライフルを聴いただけで、あの時はステージは遙か彼方だったから、この近距離では初めて。今回は作曲もいくつも手掛けていて、それがまた良い。アイルランド留学中の淋しさから生まれたものが多いようだが、人間、一度はとことん孤独になるのも悪くはない、と思わせる。

 梅田さんのハープは生梅でも見たし、ゲーム音楽のライヴでも聴いているが、今回は彼女のオリジナルが中心でもあり、演奏でもいろいろ面白い試みをしている。1回弦を弾いた音をレバーを上下させて変化させるのは初めて見た。彼女も大好きというスコットランドの Corrina Hewat は目にも止まらぬ早業で複雑にレバー操作を繰り返す名手だが、そのヘワットでもこんな技はやったことがないだろう。

 伝統楽器はどれも制限があり、そこが面白いところなのだが、ハープという楽器のもつ制限はその中でも他とかけ離れたところがあって、他の楽器と合わせるのが難しい。ハープの入ったアンサンブルは、現地でもあまりない。チーフテンズとスコットランドの Whistlebinkies、ウェールズのかつての Ar Log や最近の Calan ぐらいか。そういうところから見ると、梅田さんはハープの限界を拡げることに熱心なようでもあり、むしろアラン・スティーヴェルに近いかもしれない。今のところ、エレクトリック・ハープを使うつもりは無さそうだが、いつか聴いてみたい気もする。

 それにしても、こうして生で聴くと na ba na のオリジナルはどれも佳曲だ。確かに静かな曲ばかりだが、耳に優しいだけでなく、耳に残る。耳だけでなく、胸にまで落ちてくる。いつまでも聴いていたくなる。

 他でも書いたことだけれど、tipsipuca の高梨さんや、大阪の nami さんも含め、すぐれた作曲家の出現は嬉しいかぎりだ。

 このタワー6階のインストア・ライヴはワールド・ミュージック担当のカツオ氏の企画・進行によるが、若い女性ばかりのトリオを前にして、いささかやりにくそうではある。あるいはこういうアイリッシュやケルト系の音楽は、これまでインストア・ライヴでやってきた音楽とは性質が違うのかなと思ったりもするが、ぜひぜひこれからも続けていただきたい。当面次は年明け、1月16日(土)(日)15:00 の奈加靖子さんが決まっている。

 奈加さんの新作《BEYOND》は、ライナーを書いた手前あまり大きな声では言えないが、傑作です。ぜひ、このタワーレコードで買うてくだされ。渋谷まで行けない人は下のリンクからどうぞ。

 na ba na のライヴは12月26日、玉川上水・ロバハウス。今回のCDの録音エンジニアでもあるシンガー・ソング・ライター Sasakura さんがゲストだそうで、こちらも楽しみ。(ゆ)
 

はじまりの花
na ba na ナバナ
TOKYO IRISH COMPANY
2015-11-15



Beyond
奈加靖子
cherish garden
2015-12-13


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