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原田豊光, John, 熊本比呂志@ムーンストンプ、高円寺
須貝知世、沼下麻莉香&下田理 @ Desture, 谷峨、山北町
Bosco @ カラビンカ、目黒
R.I.P. Sean Keane
マーティン・ヘイズ自伝
02月23日・木
Martin Hayes, Shared Notes 読了。面白い。いろいろな意味で面白いのは、かれの録音に通じる。学校の作文以外、文章を綴ったことがない、という割りには、平易な言葉で深遠なことをさらりと言ってのける。音楽の核心をわかりやすい表現で伝える。まずは、よほど頭がいいのだ。
幼少年期の東クレアの農村地帯で偉大なフィドラーの父のもと、伝統音楽にどっぷり浸って育ち、その最良の部分を魂に刻みこまれて、音楽以外のことをやりたいとも思えなくなりながら、当時はそれで食べられるわけもなく、結局アメリカへ逃げださざるをえなくなる。その点ではかれの世代のアイルランドの若者の辿る一つの典型でもあるのだろう。ただ、そこからがこの人の真骨頂。もともと、少年期に伝統音楽に浸り、コンペティションにも出るのだが、音楽への態度が同世代の人たちとはまるで違っている。音楽が刻みこまれた魂の奥底に耳を傾け、そこから流れでてくるものに忠実に演奏しようとする。およそ少年の態度ではない。こと音楽に関しては、この人はまったく年齡不相応なのだ。そのことは成長してからも変わらない。
いろいろ失敗もするし、辛い目にも遭うが、つまるところ自分が受けついだ音楽にたちもどり、そこに正直に生きることで道が開けてくる。その際、この人は結果がどうなるかということをまったく考えない。自分の中の音楽に忠実にふるまえば、結果はおのずとついてくることを信じる。自分の音楽そのものと、それに忠実であるプロセスを信頼する。そして今のかれの位置、アイリッシュ・ミュージックの伝統の化身であると同時に、その最も先鋭なところを切り開く開拓者であるその位置は、一重にその信頼がもたらしたものだ。
もちろん、これは自伝であるから、マーティン・ヘイズとしてはそう考えたい、ということではある。とはいえ、そう言われて納得してしまうだけの説得力もまたある。かれの音楽という動かしがたい要素が厳然として存在するからだ。
ここには、かれが取組んできた様々なユニット、プロジェクトについて、その胚胎から結実までの内幕も率直に書かれている。これを読みながら聴きなおせば、一段と興趣は深まる。
生まれてからパンデミック直前までの己の歩みをたどるなかに、音楽についての様々なコメントが鏤められている。読みながら、いやもう、いちいち、膝を叩いて、そうだ、そうだよ、まさにあんたの言うとおりと、そればかり言っていた。マーティン・ヘイズとグレイトフル・デッドは同じことをしていると、あらためて納得できる。ここにはデッドは出てこないが、聴けば同じことをやっていると共感するはずだ。
それにはまた、かれが実に幅広く、様々な音楽を聴いていることもある。あたりまえではあるのだが、ミュージシャンは自分がやっている音楽、ジャンルの外を聴こうとしないことも少なくない。ひとつにはアイリッシュ・ミュージックという確固たる基盤がゆるぎなくでんとあって、いつでもそこに戻って立つことができることは大きいだろう。伝統音楽はみなそうだが、だからこそ、何が来てもコラボレーションできる。
ここにはまた、1度や2度読んだだけでは呑みこみきれないたくさんのことが書かれている。まずは、彼の録音を一つひとつ聴きなおしながら、ゆっくりと読みなおそう。次には彼が聴いている音楽をともに聴きながら読みなおすこともできる。さらには、かれの足跡の背景を勉強して読みなおすことになるだろう。この本を入口としてアイリッシュ・ミュージックの世界にもう1度入りなおそう。
##本日のグレイトフル・デッド
02月23日には1966年から1993年まで7本のショウをしている。公式リリースは4本。うち完全版1本。
1. 1966 Unknown Venue, Unknown, Unknown
演奏・録音箇所不明で日付がどうしてわかるのか、正直わからないが、ともあれこの日、どこかで演奏したテープが残っていて、6曲収められている。そのうち冒頭の〈Standing on the Corner> Mindbender (Confusion's Prince)〉7分弱が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。音質は後の録音に比べると良くないが、聴けないわけではない。ヴォーカルは左に寄り、ドラムスは右に寄る。
どちらもオリジナルで1966年にのみ演奏された。どちらもガルシアがリード・ヴォーカル。
〈Standing on the Corner〉は当時のバンド全員によるオリジナル。この録音も入れて、記録があるのは4回。これが一番古く、最新は1966年07月29日のヴァンクーヴァーで、これを含むショウはファースト・アルバムの50周年記念盤でリリースされた。
〈Mindbender (Confusion's Prince)〉はガルシアとレシュの共作。1965年11月の The Emergency Crew 名義のデモ録音の1曲でそちらは《The Birth Of The Dead》で聴ける。この日の録音はライヴでの今のところ唯一のもののようだ。
未完成ないしどうということはない曲だが、すでにバンドとしての性格は出ている。必ずしもピグペンが常にフロントに立っていたわけでもないこともわかる。
2. 1968 The Kings Beach Bowl, Kings Beach, CA
このヴェニュー3日連続の中日。1時間強の演奏全体が《Dick's Picks, Vol. 22》でリリースされた。《Dick's Picks, Vol. 22》ではこのショウと翌日のショウの全体が2枚の CD に収められている。
1時間強の一本勝負。冒頭〈Viola Lee Blues〉から〈Turn On Your Lovelight〉までノンストップ。これに〈Born Cross-Eyed> Spanish Jam〉がアンコールの形。エネルギーの塊となって驀進する。ピグペンの存在感の大きさに納得する。演奏技術とか、音楽性の豊かさとか、美しいメロディとか、そういういわば既存の尺度からははずれたパフォーマンス。この当時のロックの範疇だが、これを生で体験するのは、音楽を聴くよりもトリップに近い。やっている方も、音楽演奏でトリップ体験を生みだそうとしているようだ。それも、自分たちがまずそういう状態になり、それを共有するという態度。自分たちはクールに醒めて、聴衆に体験してもらうのではない。おそらくジャズのミュージシャンが演奏する態度に近い。
スパニッシュ・ジャムの淵源は何だろう。マイルスの《Sketches Of Spain》をガルシアやレシュは当然聴いているはずだ。が、それだけでもないような気もする。
3. 1970 Austin Municipal Auditorium, Austin, TX
1時間強のショウ。05曲目の〈Monkey And The Engineer〉から10曲目の〈Uncle John's Band〉までアコースティック・セット。そのうち06曲目の〈Little Sadie〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
〈Little Sadie〉は19世紀にまで遡ると言われる古い伝統歌で、様々なタイトルのついた様々なヴァージョンがある。ガルシアがここで歌っているのは1930年に Clarence Ashley が録音したヴァージョンに近い。このタイトルのもとでは、アシュリーのヴァージョンがスタンダードだそうだ。デッドはこの曲を1969年12月19日フィルモア・オーディトリアムで初演し、1970年と1980年に、合わせて7回演奏している。スタジオ盤収録は無し。
ガルシアはおそらくデッド以前のフォーキー時代にも歌っていたと思われ、自分のソロ・プロジェクトのショウでも40回ほど演奏している。いずれもほとんどがアコースティック。ガルシアの録音としてはデヴィッド・グリスマン、トニー・ライスとの《The Pizza Tapes》にある。
この日、ウィンターランドではグレイトフル・デッドのためのベネフィット・コンサートが行われている。出演はジェファーソン・エアプレイン、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、サンタナ、イッツ・ア・ビューティフル・デイ、ダン・ヒックス&ヒズ・ホット・リックス。
4. 1971 Capitol Theater, Port Chester, NY
このヴェニュー6本連続の5本目。これも良いショウのようだ。
5. 1974 Winterland Arena, San Francisco, CA
4.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続の中日。第二部2・3曲目〈Weather Report Suite> Stella Blue〉が2016年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。これも今年5月の《Dave's Picks, Vol. 42》でリリースされることが予告されている。
どちらも見事だが、とりわけ〈Stella Blue〉コーダに向かうガルシアのソロには背筋に感動の戦慄が走る。
〈Weather Report Suite〉は三部からなり、〈Prelude〉はウィア作曲のインストルメンタル、〈Part 1〉はウィアとエリック・アンダースンの共作、〈Let It Grow (Part 2)〉はバーロゥ&ウィアの作。1973年09月08日、ニューヨーク州ユニオンデイルで初演。組曲としての最後は1974年10月18日のウィンターランド。大休止の後は〈Let It Grow〉のみが演奏され、最後は1995年07月02日。組曲としては47回演奏。スタジオ盤は《Wake Of The Flood》収録。〈Let It Grow〉は275回演奏。演奏回数47位。
〈Prelude〉は中世音楽風で、ジョン・レンボーンあたりが弾いてもおかしくない。
〈Stella Blue〉はハンター&ガルシア。1972年06月17日、ハリウッドで初演。1995年07月06日まで計328回演奏は32位。スタジオ盤は《Wake Of The Flood》収録。ガルシアのスロー・バラードの中でも最高の名曲と思う。名演も多い。
6. 1992 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
このヴェニュー3日連続の中日。Drums にババ・オラトゥンジが参加。
デビュー曲が二つ。第一部5曲目の〈Way To Go Home〉と第一部クローザーの〈Corrina〉。
〈Way To Go Home〉はハンター作詞、ウェルニク&ブララヴ作曲。1995年06月28日まで、計92回演奏。スタジオ盤無し。
〈Corrina〉はハンター作詞、ハート&ウィア作曲。1995年07月09日のラスト・ショウまで、計77回演奏。スタジオ盤無し。《Ready Or Not》のタイトルはこの曲の詞からとられた。
《Ready Or Not》は1992年以降にデビューしてスタジオ盤が存在しないオリジナル曲をライヴ音源で集めたもの。選ばれた音源がそれぞれの歌のベスト・ヴァージョンとは限らないが、すべて公式では他にリリースされていないショウからとられている。収録曲とショウは以下の通り。
Liberty – 1994-10-14, Madison Square Garden, New York, NY
Eternity – 1995-04-02, The Pyramid, Memphis, TN
Lazy River Road – 1993-03-25, Dean Smith Center, Chapel Hill, NC
Samba in the Rain – 1995-03-30, The Omni, Atlanta, GA
So Many Roads – 1992-06-23, Star Lake Amphitheatre, Burgettstown, PA
Way to Go Home – 1992-06-28, Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
Corrina – 1994-10-14, Madison Square Garden, New York, NY
Easy Answers – 1993-09-13, The Spectrum, Philadelphia, PA
Days Between – 1994-12-11, Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
7. 1993 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
このヴェニュー3日連続の最終日。
第二部オープナー〈Iko Iko〉で、シキル・アデプチュとデルガード・コールマンがマルディグラ・パレードをした。第二部半ばの Drums からアンコールまでオーネット・コールマンが参加。Drums と Space にはコールマンに加えて Graham Wiggins がディジリドゥーで参加。
ロビー・ロバートソンの〈Broken Arrow〉が第一部5曲目でデビュー。1995年07月02日まで、計35回演奏。スタジオ盤収録無し。
これは AUD を聴いた。コールマンのアルバム《Virgin Beauty》でのガルシアの客演はかなりうまくいっているが、こちらは上々の出来、とまでは言えない。コールマンの個性が強すぎて、デッドの音楽に溶けあわず、バンドはいささか持てあましている。ジャズのサックス奏者としては、ブランフォード・マルサリス、デヴィッド・マレィとコールマンが共演していて、マルサリスはまるで昔からのメンバーのように溶けこんでいる。マレィも AUD で聴くかぎり、まずまずうまくいっている。デッドの音楽は表面は柔軟そうに見えるが、中心にはごく硬い芯があり、容易な混淆や交配を許さない。コールマンの音楽も性格は同じで、いわば磁石の同極のようなものだろう。(ゆ)
Martin Hayes, Shared Notes 到着
12月25日・土
家族の用件で上京。徃きは Martin Hayes, Shared Notes を読む。これはいい。email とセット・リスト以外に書くということはしていない、とは思えない。ゴーストライターがいるのではないかと思ってしまうほどよく書けている。話題の選択、並べ方も適切。夫人がとっていたオンラインの自伝講座の恩恵というが、それだけでこうは書けない。頭がいいことも確かだ。ものごとの核心を見抜いて、適確な表現をさぐりあててゆく。
巻末の謝辞に野崎さんの名前があるのは、当然ではあろう。
夜、着いたばかりの Amulech のケーブルを SW-HP10Live につけ、M11Pro でデッド 1979-12-28 を聴く。明らかに音は onso よりも良い。ちょっと高域がギラつくが、これはエージングでとれるだろう、たぶん。HE400i も NightOwl Carbon も変身する。NightOwl Carbon が復活。
##本日のグレイトフル・デッド
クリスマスの日には30年間を通じて1本もショウをしていない。完全休日。30年で1本のショウもしていない日が365日の間にもう1日ある。加えて7回ある2月29日にはやはり休んでいる。
マーティン・ヘイズ自伝
11月18日・木
Journal of Music の Toner Quinn によるマーティン・ヘイズの自伝 Shared Notes の熱烈な書評を見て、AbeBooks で注文。アマゾンは来年1月刊だよんとたわけたことをぬかす。Penguin のサイトには10月14日刊行と出ている。Kindle を売るためか。新刊のキンドルは高い。電子版でも Apple なら半額だ。
しかし、いいタイトルだ。音楽は共有されて初めて存在できる。アイリッシュ・ミュージックはその性格がことさら剥出しになる。
そのアマゾンによるロバート・ジョーダン『時の車輪』の映像化の出だしは評判がいいが、ブランドン・サンダースンによる完結篇までやるのか。邦訳はそこまで完結していないけれど、これを機会に邦訳が出るか。それにしても、シリーズの途中で邦訳打切りになるのが多過ぎる。
##本日のグレイトフル・デッド
11月18日には1966年から1978年まで3本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
3日連続の初日。共演は James Cotton Blues Band, Lothar & the Hand People。セット・リスト不明。
James Henry Cotton (1935-2017) はブルース・ハープ奏者、シンガー、ソングライター。1950年代、ハウリン・ウルフのバンドでブルース・ハープを始め、マディ・ウォーターズに呼ばれてシカゴに移り、ウォーターズのバンドリーダーとなる。1965年自分のバンドを結成。このショウのポスターにも「シカゴより」とある。
Lothar & the Hand People は1965年にデンヴァーで結成、1966年にニューヨークに移る。テレミンやムーグ・シンセサイザーを最初に使いはじめたロック・バンドとして、短命ながら後のエレクトロニクス音楽の勃興に大きな影響を与えた、と言われる。Lothar は使っていたテレミンに与えられた名前で、the Hand People たるバンド・メンバーは John Emelin (vocals), Paul Conly (keyboards, synthesizer), Rusty Ford (bass), Tom Flye (drums) それに Kim King (guitar, synthesizer)。デッドはじめ、バーズ、ラヴィン・スプーンフル、キャンド・ヒートなどと共演した。
2. 1972 Hofheinz Pavilion, Houston, TX
後半9曲のうち、冒頭の〈Bertha〉からラスト前の〈Sugar Magnolia〉の8曲が《Houston, Texas 11-18-1972》でリリースされた。曲数では全体の3分の1。これ以外の録音は The Vault には無い由。
これにも含まれる〈Playing in the Band〉がキャリア全体のベストの1本、と言われる。この1972年秋の PITB はとにかく、どれもこれも長くて凄い。1968年6月の初演から4年経って、当初の5分ほどのあっさりした曲は30分のモンスターに成長した。この後は、間に他の曲をはさむ形になる。まとまった1曲としてはこの頃が頂点。演奏回数の総数610回はトータルで2位。1位は〈Me and My Uncle〉だから、デッドのオリジナルとしてはトップ。うち公式にリリースされている録音は今のところ126本。
3. 1978 Uptown Theatre, Chicago, IL
8.50ドル。開演8時。前半7曲目〈Stagger Lee〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
「ジョーンズタウンの大虐殺」が起きた日。当初は集団自殺とされていたが、今ではむしろ大量殺人とみなされているようだ。ガイアナに移住する前、ジム・ジョーンズの人民寺院は本部をサンフランシスコに置いて急速に成長し、市政に影響を与えるまでになった。もっともデッド周辺との接触は確認されていない。
こうしたカルトはアメリカのサイケデリック文化の流れを汲み、その文化の源流にはデッドも関っているが、デッドはなべて宗教的なものとは距離を置いていた。もっとも、デッドにとっては音楽、その演奏が礼拝、宗教行為であり、デッドヘッドのデッドへの信奉の仕方は宗教に近い。もっとも「カルト」をマイノリティの一種とするなら、デッドヘッドの広がりと浸透はむしろアメリカの主流をなす流れの一つではある。(ゆ)
ICF講座、デジタルの衝撃
玉川土手を山に向かって歩いていると、山の斜面が様々な緑色の斑になり、その中に淡いピンクが点在する。そこに斜めに陽があたっているのに嬉しくなる。
音源はデジタルになったけれど、音に変換して再生する部分ははイヤフォン、ヘッドフォンも含めて、アナログによるアプローチだった。イヤフォン、ヘッドフォン、スピーカーのボディやドライバ、ケーブルの素材や形状というのはアナログだ。カスタム IEM で耳型をとってそれに合わせて作るのも典型的なアナログだ。耳型をデジタルで作る方法もあるけれど、耳型という点ではアナログだ。Nura はいわばヴァーチャル耳型をとるわけだ。耳型をとるのは遮蔽能力を高めるためだが、デジタルを徹底すれば、遮蔽能力はアクティヴ・ノイズ・キャンセリングにまかせ、その上で聞え方を直接測定するのが当然だ。この測定の技術、ANC の技術はまだ向上するだろう。何をどう測るかの方式は一つではないはずだ。さらに測定したものを再生に活かす技術も様々なものが出てきて、向上するだろう。フル・デジタル化することで、音質改善のコストが劇的に下がる。
「そんな高齢化時代を迎えたいまだからこそ、地域にとってなくてはならない存在感が一層際立つ。(中略)『ご年配のお客様の中には、話し相手として私たちが来るのを待ち望んでいる方も少なくありませんから』と顔をほころばせる。地域のお客様の心の拠り所として愛され続け、61年目の春を迎えた」
03-26: イングリッシュ・トリオ
スコットランド音楽入門 トーク&フィドル・ハープ・ライヴ@本屋B&B、下北沢、御礼
マイキー・オシェイ&高橋創 @ 菜花、西調布
須貝知世&梅田千晶 vs 小松大&山本哲也 @ Bar? CCO、下北沢
Catherine Rhatigan & Ray Coen @ 葉月ホールハウス、西荻窪
John Carty @ ラ・カーニャ、下北沢
原田博光&高橋創 @ ムーンストンプ、高円寺
Dai Komatsu & Tetsuya Yamamoto @ Bar? CCO、下北沢
高橋創 & Mikie O'Shay @ ラ・カーニャ、下北沢
Tommy Peoples, R.I.P.
大木利朗&原田豊光 @ ホメリ、四谷三丁目
ティプシプーカ・プラス @ 楽屋、神保町
中村大史、さいとうともこ@ホメリ、四谷三丁目
アイリッシュ・フィドル講座、御礼
さいとうともこ《Re:start》
アイリッシュ・フィドル入門@下北沢の本屋B&B
フィドルはアイリッシュ・ミュージック演奏の現場を支配し、したがって伝統に対して保守的な姿勢をとるようにみえます。一方でフィドルは他には並ぶもののない柔軟性によって、常に伝統を脱皮させる契機を孕んでいます。
というような話を、今回のフィドル講座でできればいいなと思っています。小松大さんは、実演と実践者の言葉によって、こうしたフィドルの二面性、双極性を、具体的なものにしてくれるでしょう。