チェロの音が好きだ。生まれかわったらフィドラーになりたいと書いたことがあるが、実はチェロ弾きになりたい。しかし、フィドルに相当するものがチェロにはない。これはクラシック専用、ということにどうやらなっている。そりゃ、バッハとかコダーイとか、あるいはドヴォ・コンとか、いい曲はたくさんあるが、もっといろいろ聴きたいではないですか。その昔、クラシック少年からロックにはまるきっかけはピンク・フロイド《原子心母》の中のチェロのソロだった。
クラシックのコンサートにはほとんど行かないから、チェロを生で聴ける機会もほとんどない。トリオロジーという、弦楽四重奏からヴィオラを除いたトリオのライヴぐらいだ。このトリオはクラシック出身だが、とりあげる曲は遙かに幅広く、アレンジも面白く、このライヴもたいへん面白かった。なにより、ユーモアがいい。ファースト・アルバムのタイトルも《誰がヴィオラ奏者を殺したか》。
そのチェロの音を、生で、至近距離で、たっぷりと聴けたのが、まず何よりも嬉しい。しかも、ホメリのあの空間は、チェロにはぴったりで、ふくよかな中低域がさらに豊饒になる。
おまけにそのチェロが、ケルト系のダンス・チューンをがんがんに弾いてくれるのだ。やはりチェロでダンス・チューンを弾くのは簡単ではなく、これまでにもスコットランドの Abbey Newton、アメリカの Natalie Haas、デ・ダナンにも参加した Caroline Lavelle ぐらい。もちろん生で聴いたことはまだ無い。それが目の前で、フィドルとユニゾンしている。いやもう、たまりまへん。
アイルランド人はとにかく高音が好きで、低音なんて無くてもへいちゃら、というよりも、邪魔と思っている節がある。われわれ日本語ネイティヴは低音が好きで、どんなに高域がきれいでも、低音が不足だと文句を言う。チェロの中低域は、バゥロンやギターの低音とはむろん違う。何よりもまずあのふくらみ。ヴィオラにもあって、それも大好きだが、チェロのふくらみはこれはやはり物理的なものであって、ヴィオラでは出ない低い音にふくらんでゆくところ、まったくたまりまへん。
フィドルにハーモニーをつけるときにそれが出ることが多いが、そういう音は無いはずのダンス・チューンでも、どこか底の方に潜んでいて、あまりにかすかで余韻とも言えない、音の影のような感じがするのはプラシーボだろうか。しかし、目の前でチェロがダンス・チューンを奏でているというだけで、あたしなどはもう陶然としてしまう。
ハーモニーをつけるアレンジはギターがお手本のようではあるが、チェロは持続音だからドローン的にもなる。ドローンと違うのは、チェロの音はむしろ細かく動くところがある。ギターではビートが表に出るが、チェロではメロディ本来の面白さが前面に出る。
チェロを聴くと、フィドルの音源が点であることがよくわかる。チェロは面から出てくる。それには楽器の表がこちらを向いているということもあるだろう。しかし、ハープもやはり点から出てくる。そして、ケルト系の音楽では、ほぼ全ての楽器で点から音が出る。音の出るところが複数あるパイプですら、面にはならない。チェロの音のふくらみには、面から音が出るということもあるにちがいない。ハープとのデュオでやったカトリオナ・マッケイの〈Blue Mountains〉では、弦をはじいていたが、やはり面から出る。これは録音ではまずわからない。ライヴで聴いて、見て、初めてわかることだ。
これが組み合わさると、チェロのハーモニーによって、ダンス・チューンのメロディがより明瞭に押し出されてくる。こういう聞え方は、ケルト系ではまず体験したことがない。
冒頭のスローなチューンでのチェロのふくらみにまずやられて、ずっと夢うつつ状態だったが、後半のスウェーデンの〈うるわしのベルムランド〉で、チェロがずっと低域でほとんど即興のように奏でたのには、まいりました。そして、アンコールのポルカ。ポルカは意外にチェロに合うらしい。ユニゾンがきれいにはまる。
このチェロの巌氏をこの世界に引きずり込んだのは中藤さんだそうだが、その中藤さんのフィドルもこの日ばかりはチェロの陰にかすんでしまった。それでも、カロラン・メドレーの2曲めでは、彼女本来の、これまたフィドルには珍しいほどのふくらみのある響きを堪能できた。
カロランに続く、ヘンデルとバッハも良かった。この組合せはもちろん作曲家の「想定外」だが、あらためて曲の良さがよくわかる。クラシックの作曲家は「想定外」の価値をもっと認めた方がいい。バッハの〈アヴェ・マリア〉では、チェロの中低域の響きがさすがに存分に発揮されたが、ハープの左手がそれに劣らないほど面白かった。
カロランの同時代者としてはヘンデルよりはジェミニアーニで、カロランとの作曲合戦の伝説も残っている。ヘンデルが小室哲哉だという梅田さんの説はその通りだろう。バッハは田舎の宮廷楽長だったから、むしろ地方公務員。今で言えば、県立ホールの会館長というところだが、ヘンデルはオラトリオの上演をビジネスにしていたわけだ。
それにしても、これはすばらしい人が現れた。他の人たちとの共演も聴いてみたい。むろん、まずこのトリオでの充分な展開をおおいに期待する。
中藤さんも梅田さんも、ふだんやっていることとは違うことがやりたいと思って、このトリオを始めたそうだ。こういうところが、頼もしい。もっともトリコロールもなにやらとんでもないことをやっているようで、こちらとしてはいろいろ楽しみが後から後から出てきて、嬉しい悲鳴だ。
ということで、春のゲン祭りのゲンは弦であったわけだが、カタカナにしたのは、まだまだ隠れた、壮大な意図があるのであらふ。
さて次は、梅田さんの「追っかけ」で、03/06のホメリ。今度は奥貫さん、高橋さんとの、これまた初顔合せ。ケープ・ブレトン祭りになるか。(ゆ)