クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:フィドル

 チェロの音が好きだ。生まれかわったらフィドラーになりたいと書いたことがあるが、実はチェロ弾きになりたい。しかし、フィドルに相当するものがチェロにはない。これはクラシック専用、ということにどうやらなっている。そりゃ、バッハとかコダーイとか、あるいはドヴォ・コンとか、いい曲はたくさんあるが、もっといろいろ聴きたいではないですか。その昔、クラシック少年からロックにはまるきっかけはピンク・フロイド《原子心母》の中のチェロのソロだった。

 クラシックのコンサートにはほとんど行かないから、チェロを生で聴ける機会もほとんどない。トリオロジーという、弦楽四重奏からヴィオラを除いたトリオのライヴぐらいだ。このトリオはクラシック出身だが、とりあげる曲は遙かに幅広く、アレンジも面白く、このライヴもたいへん面白かった。なにより、ユーモアがいい。ファースト・アルバムのタイトルも《誰がヴィオラ奏者を殺したか》。

 そのチェロの音を、生で、至近距離で、たっぷりと聴けたのが、まず何よりも嬉しい。しかも、ホメリのあの空間は、チェロにはぴったりで、ふくよかな中低域がさらに豊饒になる。

 おまけにそのチェロが、ケルト系のダンス・チューンをがんがんに弾いてくれるのだ。やはりチェロでダンス・チューンを弾くのは簡単ではなく、これまでにもスコットランドの Abbey Newton、アメリカの Natalie Haas、デ・ダナンにも参加した Caroline Lavelle ぐらい。もちろん生で聴いたことはまだ無い。それが目の前で、フィドルとユニゾンしている。いやもう、たまりまへん。

 アイルランド人はとにかく高音が好きで、低音なんて無くてもへいちゃら、というよりも、邪魔と思っている節がある。われわれ日本語ネイティヴは低音が好きで、どんなに高域がきれいでも、低音が不足だと文句を言う。チェロの中低域は、バゥロンやギターの低音とはむろん違う。何よりもまずあのふくらみ。ヴィオラにもあって、それも大好きだが、チェロのふくらみはこれはやはり物理的なものであって、ヴィオラでは出ない低い音にふくらんでゆくところ、まったくたまりまへん。

 フィドルにハーモニーをつけるときにそれが出ることが多いが、そういう音は無いはずのダンス・チューンでも、どこか底の方に潜んでいて、あまりにかすかで余韻とも言えない、音の影のような感じがするのはプラシーボだろうか。しかし、目の前でチェロがダンス・チューンを奏でているというだけで、あたしなどはもう陶然としてしまう。

 ハーモニーをつけるアレンジはギターがお手本のようではあるが、チェロは持続音だからドローン的にもなる。ドローンと違うのは、チェロの音はむしろ細かく動くところがある。ギターではビートが表に出るが、チェロではメロディ本来の面白さが前面に出る。

 チェロを聴くと、フィドルの音源が点であることがよくわかる。チェロは面から出てくる。それには楽器の表がこちらを向いているということもあるだろう。しかし、ハープもやはり点から出てくる。そして、ケルト系の音楽では、ほぼ全ての楽器で点から音が出る。音の出るところが複数あるパイプですら、面にはならない。チェロの音のふくらみには、面から音が出るということもあるにちがいない。ハープとのデュオでやったカトリオナ・マッケイの〈Blue Mountains〉では、弦をはじいていたが、やはり面から出る。これは録音ではまずわからない。ライヴで聴いて、見て、初めてわかることだ。

 これが組み合わさると、チェロのハーモニーによって、ダンス・チューンのメロディがより明瞭に押し出されてくる。こういう聞え方は、ケルト系ではまず体験したことがない。

 冒頭のスローなチューンでのチェロのふくらみにまずやられて、ずっと夢うつつ状態だったが、後半のスウェーデンの〈うるわしのベルムランド〉で、チェロがずっと低域でほとんど即興のように奏でたのには、まいりました。そして、アンコールのポルカ。ポルカは意外にチェロに合うらしい。ユニゾンがきれいにはまる。

 このチェロの巌氏をこの世界に引きずり込んだのは中藤さんだそうだが、その中藤さんのフィドルもこの日ばかりはチェロの陰にかすんでしまった。それでも、カロラン・メドレーの2曲めでは、彼女本来の、これまたフィドルには珍しいほどのふくらみのある響きを堪能できた。

 カロランに続く、ヘンデルとバッハも良かった。この組合せはもちろん作曲家の「想定外」だが、あらためて曲の良さがよくわかる。クラシックの作曲家は「想定外」の価値をもっと認めた方がいい。バッハの〈アヴェ・マリア〉では、チェロの中低域の響きがさすがに存分に発揮されたが、ハープの左手がそれに劣らないほど面白かった。

 カロランの同時代者としてはヘンデルよりはジェミニアーニで、カロランとの作曲合戦の伝説も残っている。ヘンデルが小室哲哉だという梅田さんの説はその通りだろう。バッハは田舎の宮廷楽長だったから、むしろ地方公務員。今で言えば、県立ホールの会館長というところだが、ヘンデルはオラトリオの上演をビジネスにしていたわけだ。

 それにしても、これはすばらしい人が現れた。他の人たちとの共演も聴いてみたい。むろん、まずこのトリオでの充分な展開をおおいに期待する。

 中藤さんも梅田さんも、ふだんやっていることとは違うことがやりたいと思って、このトリオを始めたそうだ。こういうところが、頼もしい。もっともトリコロールもなにやらとんでもないことをやっているようで、こちらとしてはいろいろ楽しみが後から後から出てきて、嬉しい悲鳴だ。

 ということで、春のゲン祭りのゲンは弦であったわけだが、カタカナにしたのは、まだまだ隠れた、壮大な意図があるのであらふ。

 さて次は、梅田さんの「追っかけ」で、03/06のホメリ。今度は奥貫さん、高橋さんとの、これまた初顔合せ。ケープ・ブレトン祭りになるか。(ゆ)

 デイヴ・フリンはこのツアーの告知で初めて聞く名前で、まったく何の予備知識もなく、ライヴにでかけた。聞けば5年前2013年にやはり小松さんの手引きで初来日しているそうな。

 結論から言えば、すばらしいミュージシャンに出逢えたことを感謝する。この人は確実に新しい。本人はポール・ブレディ&アンディ・アーヴァインとかボシィ・バンドを聴いて伝統音楽への興味を掻きたてられたと言うが、やはり世代は着実に代わっている。もちろん、あの世代とは天の運も地の時も違う。あの時代には、若い世代が伝統音楽をやることそのものが大変なことだった。伝統音楽はアイルランドにあっても、「田舎のジジババ」のやるものだったのだ。都会の若者たちにとっては1にも2にもロックンロールだった。それをひっくり返したのがクリスティ・ムーアであり、ドーナル・ラニィであり、ミホール・オ・ドーナルであり、あるいはアレック・フィンであった。

 しかし時代は変わって、このデイヴ・フリンのように、伝統音楽からクラシックからジャズからロックから、興味のあるものは何でもやってしまう、そしてそうしたジャンルの垣根を溶かしてしまって、どれにとっても新しいものを生み出している人たちが現れている。Padraig Rynne や Jiggy などもそうなのだろう。キーラはその先駆とも言えるかもしれない。そして、あちらではあたしなどが知らない、優れた人たちが、おそらく陸続と現れているのだ、きっと。

 フリンはまずギタリストとして出色だ。Wikipedia などの記事を見ると、エレキ・ギターでロックを弾くことから出発しているようだが、それにしては細かいニュアンスに満ちた、繊細なスタイルだ。メロディとリズムを同時に弾くところなどは、リチャード・トンプソンにも通じる。トニー・マクマナスよりはジョン・レンボーンだろう。ピックは使わず、コード・ストロークは中指以降の3本で上から叩くようにする。

 小松さんによればチューニングも特殊で、上4本をフィドルやマンドリンと同じにしているという。ダンス・チューンのメロディを弾くとき、うたの伴奏をするとき、小松さんのフィドルの相手をするとき、それぞれにチューニングを変えていた。

 ギターでダンス・チューンのメロディを演奏するのも、アイルランドでは少なくともあたしは初めてだ。ブズーキやマンドリンでメロディを演奏する人たちはいるが、ギターでは皆無というのがこれまでの認識だった。アイルランド以外ではトニー・マクマナスがいるし、ディック・ゴーハンもやるし、マーティン・シンプソン、ピエール・ベンスーザン、Gille de Bigot、Dar Ar Bras、Colin Reid などなど多彩な人たちがいるが、アイルランドではいなかった。Sarah McQuaid はアイルランド録音しているが、もとはアメリカ人だ。

 どちらかというと遅めのテンポ、装飾音を忠実につけてゆくよりは、ベースやコードも付けながら、全体のイメージを重視する。音量は大きくはないが、明瞭で、メリハリがある。どこかジャズの、それも80年代以降のギタリストたち、ジョン・スコフィールドとか、最近のカート・ローゼンウィンケルあたりに通じるところもある。ジャズのような即興をやるわけではないが、音楽から受ける印象が似ている。クールで控え目でクリア、一方で注ぎこまれているエネルギーの量、そこで燃えているものの大きさはハンパではない。

 2曲ほど披露したうたもいい。伝統音楽を直接ベースにしているものではないが、アイルランドからしか出てこないものでもあると聞える。ジミィ・マカーシィやノエル・ブラジルたちともまた違う。やはりもう少しジャズ寄りだ。

 全体に押し出しではなく、引っ込んで、聴く者の集中を誘う。

 同じことは後半、小松さんのフィドルに合わせたときにも言えた。相手を煽ることはしないが、ただ着実に土台を支えるというのでもない。音量は小さく、客席に聞かせるよりは、相手のプレーヤーに向かって演奏している。当然といえば当然だが、人に聴かせるときには、少なくとも並んで、ともに聴かせようとするのが普通だ。デニス・カヒルですら、ひたすらマーティン・ヘイズに注目しているものの、全く聴衆を無視しているわけでもない。周りにどう聞えるかは意識している。フリンも聴衆を無視するところはないが、かれにとって聴衆はいわば意識の外にあるのだろう。

 そしてその効果、相手のプレーヤーに対する効果ははっきりしていて、小松さんのフィドルは着実に熱を発してくる。もともとかれのフィドルの響きがあたしは大好きなのだが、独特のふくらみを孕んだその響きが一層艷やかになる。エロティックと言いたいくらいだ。いやらしいところはまったく無い、フィドルという楽器に可能なかぎりなまめかしい響きが引き出されてくる。

 年末からずっとグレイトフル・デッドのライヴ音源をひたすら聴きつづける毎日で、一昨日、ようやくそれが一段落した直後だったから、この二人の生の音はことさらに胸に染みる。こんなよい響きで聴けるのは、やはり生の、ライヴの場での特権だ。

 今年のライヴ初めは、かくてまことにめでたい一夜となった。デイヴ、小松さん、そしてグレインの加藤さんに心から感謝する。ごちそうさまでした。

 小松さんとは3月11日、下北沢の B&B で、アイリッシュ・フィドルの講座を予定している。本に囲まれたあの空間で、小松さんのフィドルの響きを聴くだけでも、足を運ばれる価値はあるでしょう。(ゆ)

 ヴィオラの音は好きだ。たぶん最初に意識したのはヴェーセンで、次がドレクスキップだった。五弦ヴァイオリンはヴィオラの音域まで行くけれど、やはり響きが違う。ボディが大きいだけ、深くなる。もともとはオーケストラに必要でおそらく重宝がられたのだろう。さもなければ、こんな中途半端な楽器が残ろうとは思えない。ヴァイオリンの次はチェロになるのが自然だ。とはいえ、この深い響きもヴィオラが生き残ってきた理由の一つにはちがいない。

 小松さんはもともとクラシックではヴィオラ専門なのだそうだ。今でもクラシックでヴィオラを弾くこともある由だが、かれのフィドルに他のフィドラーでは、アイルランドやアメリカも含めて、聴いたことのない響きが聴けるのはたぶんそのせいだろう。いや、その点では、ジャンルを問わず、フィドルからああいう響きを聴いたことはない。金属弦とナイロン弦の違いだけではないはずだ。

 この響きは録音でも明らかだが、その本領はやはりライヴでしか味わえない。技術的に録音するのも難しいし、再生もたいへんだ。響きの深み、音の高低ではなく、音そのものがふくらんでゆく様は、ライヴでしかたぶん聴けない。

 その響きは演っているほうもたぶん好きなので、それを活かすためだろう、テンポがあまり速くない。リールなどでも、じっくりゆっくり弾く。このデュオでも始めは速く演奏していたらしいが、だんだん遅くなってきたとMCでも言っていた。それはよくわかる。響きとテンポのこの組合せはひどく新鮮だ。マーティン・ヘイズがゆっくり弾くのと、共通するところも感じる。意識してこのテンポに設定しようというのではなく、自然にこういうテンポにどうしてもなってしまう、おちついてしまうのだ。だから聴いていてそれは心地良い。最後にやった7曲のメドレーでもテンポは上がらない。

 ヴィオラで弾いたダンス・チューンも良かった。もちろんこんな試みは、本国でもほとんどいないし、これまたやはり生でしか本当の音は聴けない。うーん、ヴィオラを録音できちんと聴くのは結構難しいぞ。と生を聴いてあらためて思う。それとは別に、メロディが低域に沈みながら浮遊してゆくときのなんともいえない艷気は、ほとんどアイリッシュとは思えない領域。アイリッシュ・ミュージックは基本的に高音が大好きな音楽だから、こういう艷気は初めてだ。

 山本さんのギターが小松さんのフィドルにまたよく似合う。これはトニー・マクマナスだなあと思って聴いていたら、お手本はトニー・マクマナスと後で伺って納得した。コード・ストロークやカッティングよりもアルペジオを多用する。なので空間が拡がり、小松さんの響きがより浮かび上がるのだ。デニス・カヒルも入っているようで、音数がマクマナスよりも少ない感じもある。その少なさが、さらに空間を拡大する。そうみると、この二人、音楽的スタイルは違うが、あのデュオに一番近いのかもしれない。音楽の哲学がだ。

 山本さんはギター・ソロも披露し、そこでもリールのメドレーを弾いたし、フィドルとユニゾンもしたり、これまでわが国のアイリッシュ・ミュージック界隈にはあまりいなかったタイプのギタリストだ。もうすぐソロ・アルバムも出されるとのことで、こちらも楽しみだ。アプローチは対照的だが、中村大史さんのソロと聴き比べるのも面白そうだ。

 二人ともチューンに対しては貪欲で、珍しいが良い曲を掘り出すのが好きらしい。聴いたことのある曲がほんの数曲というのも、珍しくもありがたい体験だ。定番を面白く聴かせてもらうのも楽しいが、聴いたことのない曲をどんどんと聴けるのは、また格別だ。それにしても、カトリオナ・マッケイの〈Swan LK51〉は人気がある。演っていて楽しいのだろう。

 お客さんにいわゆる「民間人」はどうやらいなかったようで、お二人の知合いも多かったようだ。無理もないところもあるが、チーフテンズしか聴いたことのない人が聴いてどう思うか、訊ねてみたい気もする。次の東下は11月19日。ドレクスキップの野間さんと浦川さんのデュオとの対バンの由。これまた楽しみだ。(ゆ)

 ジョンジョンフェスティバルのワンマン・ライヴをちゃんと見た覚えがどうも無い。確かプラスの形で、複数のアクトの一つとして見たことがある気がする。3人だけの、本来のトリオで見たのは、あるいはカナダで見たのが初めてだったかもしれない。

 カナダでの演奏はどれもすばらしかったが、長くて30分なので、さあこれから、というところで終るという、やや欲求不満になる感じは否めなかった。こちらもやはり興奮しているので、フラストレーションが溜まってしかたがないというところまではいかないし、2日間で4本のステージは少なくはなかった。それでも、時間をかけて初めて現れる姿というものはある。とりわけ、たっぷり聴いた、堪能した、という満足感。むろん、出来がすばらしければ、それだけもっともっとと欲求も募る。しかし、そういう時、本当に満足するなんてことはありえなくなる。

 スケールが大きくなっている。カナダでも演奏のスケールの大きなことには感服したのだが、さらに一枚剥けた感じがする。個々のミュージシャンとしても、バンドとしても、カナダの時よりも深みが増し、密度が濃くなっている。おもしろいのは、その一方で新鮮な、ほとんど初々しいと言いたくくらい、生まれでたばかりの無邪気さもある。普通はこうなると成熟とか風格とかいった表現を使いたくなるが、これらの言葉は今のジョンジョンフェスティバルにはふさわしくない。

 昨夜とりわけ感心したのはまずうた。〈By the Time It Gets Dark〉でのコーラスでのじょんとアニーの声のハモりにぞくぞくする。〈思ひいづれば〉でのじょんコブシがまたいい。力がよい具合に抜けていて、声が自然にゆらゆらと廻る。重力とちょうど釣合がとれて、どの方向にもするすると動いてゆく。

 例えばドロレス・ケーンのような意味でじょんが一級のシンガーとは言えないかもしれないが、どうやら最適の発声法を掴んだようにもみえる。そうなると、一級のシンガーにも無い浮遊感があらわれる。いわゆるクルーナーのようなリスナーを引きずりこもうという下心もない。しかし、いつの間にか、聴く者の心の襞にするりと入りこんでいる。

 アニーのハーモニーもそのじょんの声によく合っている。あるいはこれも合わせているのだろうか。二人だけなのに、もっとたくさんの声が響いているようでもある。

 ジョンジョンフェスティバルはじっくり聴かせるところと、熱く乗せるところの使いわけがうまい。うまいというよりも、人間離れしている感じだ。3人がおたがいにぐるぐる猛スピードでつむじ風を巻きながら、すっ飛んでいくときでも、どこかで冷静なコントロールが利いている。

 いや、ちょっと違うようでもある。3人とも完全にキレていて、どうにも止まらなくなっているのは明らかなのだ。じょんの顔には、押えようとしても押えられない笑顔が現われて消えない。向う側に行ってしまっている。同時にそのバンドを冷静に見ているもう一つのバンドがすぐ裏の次元にいるらしい。もう一つのそのバンドの存在を、3人は意識しない。バンドがいることはわかっているのだろう。しかし、存在そのものを感じてはいない。そうした意識が忍びこむ余地もなくなっているのだ。

 そしてそのもう一つの冷静なバンドにするりと入れ替わる。それはもうするりと、スイッチが切り替わるのではなく、自然に入れ替わる。

 昨夜はそのことが見えたようだ。一度見えると、同じことがカナダでも起きていたのだとわかる。ただ、昨夜の方がより入れ替わりがスムーズだし、二つのバンドの差が大きい。

 これに似たことはラウーが来たときもあったのだが、ラウーでは3人とも表情が冷静だ。内実はわからないが、外見ではクールそのものだった。音楽の白熱とのその落差が面白かった。

 ジョンジョンフェスティバルは外見もイッてしまっている。どこへ行くのか、端から見れば心配になるかもしれない。しかし、その音楽に一体化していると、どこへ行こうとまるで気にならない。そんなことはどうでもいい。そして、ジョンジョンフェスティバルはちゃんと元のところへ戻してくれるのだ。

 求道会館は生音がすばらしいが、昨夜は200人満員ということでPAが入っていた。その様子はちょうどカナダのケルティック・カラーズと同じだった。使っているスピーカーも同じで、あるいは他も同様のものかもしれない。同様に音はすばらしく良かった。

 それにしても、立ち見の人もいて、しかも皆さんお若い。あたしはたぶん最年長だったろうが、嬉しいことではある。土曜ということもあったし、クリスマス・イヴでカップルで来ていた方もいたのか、若い男性も多かった。ちょっとおとなしいかなあというところもなきにしもあらずだが、あるいは大人なのかな。それにしても、わが国の聴衆はスタンディング・オーヴェーションというものをしないねえ。あれはなかなかいいもんだと思うんだが。

 新作CDもたくさん売れたようで、サイン会も長蛇の列で、なかなか終りそうもないので、一足先に失礼させていただいた。出てくると、近くの教会の前で、蠟燭をもってキャロルをうたっている人たちがいた。まったくクソったれと悪態のひとつもつきたくなる2016年の年の瀬だが、いのちの洗濯をしてもらって、なんとか年を越せそうだ。ジョンジョンフェスティバルの3人、そしてこのコンサートを支えてくれたすべての人びとに心から感謝。あなたがたの上に、祝福あれ。(ゆ)

 世事にうとくなって、スウォブリックの死去さえ、ひと月以上経ってから知る有様だが、知った以上はひとこと書かないわけにはいかない。

 スウォブリックを初めて聴いたのは、いわゆるケルト系ダンス・チューン、より正確にはアイリッシュのダンス・チューンを初めて聴いたのと同時だった。すなわち、かれが演奏するアイリッシュのダンス・チューンを聴いたのだった。

 バンドはフェアポート・コンヴェンション。録音は1977年に出た《LIVE AT L.A. TROUBADOUR》。いわゆる「フルハウス」フェアポートがその絶頂期にアメリカはロサンゼルスの有名なライヴハウスに出たときのライヴ。この録音は権利関係の問題からか、ついにCDになっていない。

 数年してロサンゼルスに滞在していた時、このライヴハウスに行ってみた。手前がバー、その奥がホールという普通の構造。ホールはかなり細長く、入って右手、長い方の辺に低いステージがある。客席は三階ぶんくらいまであったと記憶する。当時はポスト・パンクの頃で、その時出ていたバンドも1曲2分くらいの、メロディの起伏のほとんどない曲を次々にやっていた。客で来ているらしい若い娘が2人、ステージの前に出て、体をまっすぐに立て、両腕をぴたりと胴につけて細かく跳ねながら、それに合わせて首を左右に高速で振るという、ダンスともいえない動作を曲が演奏されている間ずっとしていた。2人がまったく同じ動作をステージの前、左右に別れてやっているのは、ロボットに見えた。

 フェアポートの《トゥルバドール》を聴いたのはもちろん渋谷のブラックホークで、冒頭のマタックスの「カン、カン」に続いてスウォブリックのファズ・フィドルが弾きだした途端、体に電流が走った。この「カン、カン」からして、アイルランドのケイリ・バンドへのオマージュであり、パロディであると知るのは、遙か後年、そのケイリ・バンドの録音を聴いた時だ。

 ここでフェアポートがやっているのは踊るための音楽ではなくて、聴かせる、聴くための音楽で、松平さんが「一瞬も眼を離せないボクシングの試合」に譬えた、スウォブリック、トンプソン、マタックスのせめぎ合いは、フェアポート自身、空前にして絶後である。それが最高潮に逹するのはB面の〈Mason's Apron〉で、ここでの印象があまりに強いので、この曲は誰のものを聴いてものったりくたりに聞える。

 スウォブリックの最大の功績は、アイリッシュやスコティッシュのダンス・チューンをロック・バンドのドライヴで演奏するスタイルを作ったことだ。これと並んで大きいのが、フィドルをロック・バンドのリード楽器にしたことだ。そしてどちらも、スウォブリックを本当の意味で継承する存在はその後出ていない。

 スウォブリックはしかしそれだけの存在ではなかった。次にかれのフィドルが深い刻印をあたしの感性に刻んだのは、サイモン・ニコルとのデュエットで出した《CLOSE TO THE WIND》での〈シーベグ・シーモア〉だった。ニコルのアコースティック・ギターから始まり、スウォブリックのフィドルも生だ。デイヴ・ペッグが途中からベースで加わる。2人に支えられて、スウォブリックは奔放な変奏を重ねる。この曲は演奏者を狂わせる、とかれはどこかで言っている通り、曲を極限まで展開してみせる。《トゥルバドール》とは対極的な静かな狂気だ。やがてペッグが離れ、おちついてゆくのだが、最後の最後にひらめかせる捻りに、あたしはいつも投げとばされて伸びる。来ることはむろんわかっていて、身構えてもいるのだが、いつも投げとばされる。

 この曲には名演も数あるなかで、この演奏はダントツでベストだ。誰に聴かせても、途中から黙りこむ。そしておわると皆一様に溜息をつく。

 もう一つ、スウォブリックのフィドルの冴えに感銘したのは歌伴だ。相手はマーティン・カーシィではない。カーシィとのデュオは文句はつけようがないが、本当の良さがまだあたしにはわからない。たぶん聴き込み不足なのだろう。

 スウォブリックの歌伴のひとつの究極はA・L・ロイドの〈The Two Magicians〉だ。この曲自体、ロイドが様々な版から編集した、ほとんど創作といってよいものだが、これがロイドとスウォブリックの飄逸なうたとフィドルで演奏されると、なんともたまらないおかしみがにじみ出る。解釈のしかたによっては、このうたは今では政治的に正しくないとされかねないが、本来は知恵比べ、一種のゲーム、ユーモアとエスプリをたたえた遊びをうたったものなのだ、とこれを聴くとわかる。スウォブリックのフィドルの軽みはロイドのうたを浮上させ、舞い上がらせ続ける。

 スウォブリックのキャリアのハイライトは他にもたくさんある。晩年の、本人のふんふんという唸り声だけが伴奏のソロ・ライヴもいい。「フルハウス」フェアポートの再編による《SMIDDYBURN》が出たときには狂喜乱舞したし、今でも聴けば興奮する。マーティン・ジェンキンズとの Whippersnapper は目立たないが重要な実験だ。

 録音も多い。全部きちんと聴こうとすれば、残りの人生がつぶれそうだ。フィドルという楽器の可能性がそこに尽くされているとは言わないが、これだけいろいろなフィドルを弾ける人間はまあ一世紀に一人ではないか。かれが数ある楽器のなかから、フィドルをおのれの楽器として選びとったことは人類にとってとても幸せなことだった。そう、かれはフィドルを選びとったのだ。フィドルを含む伝統の中に育ったのではない。だからこそ、あれほど多種多様なフィドルを弾けたのだ。あたしにとって、かれはフィドラーであって、断じてヴァイオリニストではなかった。

 スウォブリックの前にスウォブリック無く、スウォブリックの後にスウォブリックはいない。

 さらば、スウォブ。ありがとう。合掌。(ゆ)

 あたしなんかもアイリッシュだけ聴くということができない。ふるさとにもどるのはいいもんだが、しばらくするとふるさとは飽きてくる。あたしは東京生まれの東京育ちで、ふるさとと言えるものを持っていないからなのかもしれない。とまれ、また旅に出て、聴いたことのない土地や人びとの聴いたことのない音楽を探索したくなる。

 大渕愛子さんがギターの大橋大哉さんと組んでいる 橙 Duo は大渕さんのアイリッシュ以外の音楽をやりたい欲求から生まれているらしい。上のような理由からこれには共感する。そしてそこから生まれている音楽にも共感する。

 ふるさとから離れても、ふるさとに似たもの、共通する要素のあるもの、共振するようなものを求めるものだ。つまりルーツ音楽、伝統音楽であって、こんにちどこにでもあるポップス、ヒップホップ、ロックを求めるわけではない。

 橙 Duo の音楽も、根っこにアイリッシュがあることが良い方に作用している。無理をしていない。無理矢理アイリッシュと対極になるようなことをしようとはしていない。音楽が歪まないのだ。

 大橋氏のギターはジャズやボサノヴァあたりがベースと覚しいが、神経が細やかだ。でしゃばらないが存在感はしっかりある。そういう点では長尾さんはじめアイリッシュのすぐれたギタリストに通じる。この存在感が主役を引き立たせるのだ。演劇や映画だって、主役だけがめだって、脇役はみな大根ではいいものになるはずがない。音楽ではそれ以上に脇役は大事だし、聴きようによっては主客は逆転する。デュオではとりわけ主客は流動する。それがデュオの面白さでもある。

 この日は実は中村大史さんがアコーディオンとブズーキで客演していたのだが、抑えに抑えた演奏で、あくまでも2人を立てていた。しかもかれが加わることで確実に音楽が豊饒になる。フィドルとユニゾンしたり、ドローンで支えるアコーディオンや小さく裏メロをかなでるブズーキが心憎い。こういうところが中村さんの頼もしさだ。

 橙はメンバーのオリジナルを演奏するプロジェクトで、この日は3枚めになる Vol.0 のリリース・ライヴという触れこみ。どれも愛らしい小品という趣。一方でかなり複雑で工夫の深い曲でもあって、何度か聴かないと味わいが沁みてこないようでもある。半分は大渕さんがうたう。

 大渕さんのうたは中性的でもあり、感情をこめない。これまたアイリッシュ的であって、感情は演奏そのものには現れず、聴く人間の内部に入ってから醗酵する。ノーマイクということもあって、ますますその傾向が強まる。じっくり録音を聴きたくなる。

 曲が短かいせいか、ギターの持ち替えやチューニングのためか、MCが多めで、楽しい。ミュージシャンの日常の音楽生活の機微にも触れる、かなり突っこんだ話も聞けた。

 とはいえハイライトはアンコールのアイリッシュのセットでした。

 ここは千駄木の、谷中銀座にも近いカフェ兼写真館で、会場は1階のカフェのテーブルと椅子を並べかえ、ミュージシャンは通りに面した一面ガラスの壁を背にする。外の路地を通る人は聴衆を見ることになる。20人も入ればいっぱいで、ミュージシャンとの距離はひどく近い。このライヴの数日前が3周年だそうで、アンコール前にハッピバースデーが始まったのはそれかと思ったら、大渕さんの誕生日祝いだった。大台にのってひどく気が楽になったそうだ。

 ここでは今年9月にハモクリ・アコースティック・トリオ版のライヴが予定されている。これは楽しみだ。(ゆ)

 結局バンド名の由来を訊くのを忘れた。なんでもないような名前だが、一度聞くと忘れがたい。まさに彼女たちの音楽そのままの名前ではある。

 昨年夏に一度、鎌倉でライヴを見ているが、当然のことながら、まるで別のバンドに成長していた。CDは聴いていたのだが、どうも結びついていなかった。生の演奏を見るのにはこういう効用もある。聴いている音楽とそれを演っている生身の人間が重なりあい、焦点が定まるのだ。

 まず目を瞠ったのは中藤さんのおちつき。そう思ってみると、彼女のライヴ演奏を見るのはこれが初めてだった。tricolor はなぜかいつも行き違ってしまって、いまだに見ていない。この姿を見ると、これはあちらもぜひ生を見なくてはと褌を締めなおした。

 あれはもう5年前になるのか。奇しくも同じ霜月三十日、表参道の Cay で行なわれた Tokyo Irish Generation のレコ発ライヴの司会をしていたのが中藤さんだった。自分でもこんなところにいるのが信じられない、というような初々しい司会ぶりだったと記憶する。

 それがどうだろう、風格すら漂わせた佇まい。tricolor の《旅にまつわる物語》での彼女のフィドルの深さには驚嘆していたが、なるほど、これならばさもありなん。生で聴くフィドルもコンサティーナも、それはそれは豊かな響きで、このトリオでも土台をささえている。

 須貝さんも、一度上野の水上音楽堂で、豊田さんとのトライフルを聴いただけで、あの時はステージは遙か彼方だったから、この近距離では初めて。今回は作曲もいくつも手掛けていて、それがまた良い。アイルランド留学中の淋しさから生まれたものが多いようだが、人間、一度はとことん孤独になるのも悪くはない、と思わせる。

 梅田さんのハープは生梅でも見たし、ゲーム音楽のライヴでも聴いているが、今回は彼女のオリジナルが中心でもあり、演奏でもいろいろ面白い試みをしている。1回弦を弾いた音をレバーを上下させて変化させるのは初めて見た。彼女も大好きというスコットランドの Corrina Hewat は目にも止まらぬ早業で複雑にレバー操作を繰り返す名手だが、そのヘワットでもこんな技はやったことがないだろう。

 伝統楽器はどれも制限があり、そこが面白いところなのだが、ハープという楽器のもつ制限はその中でも他とかけ離れたところがあって、他の楽器と合わせるのが難しい。ハープの入ったアンサンブルは、現地でもあまりない。チーフテンズとスコットランドの Whistlebinkies、ウェールズのかつての Ar Log や最近の Calan ぐらいか。そういうところから見ると、梅田さんはハープの限界を拡げることに熱心なようでもあり、むしろアラン・スティーヴェルに近いかもしれない。今のところ、エレクトリック・ハープを使うつもりは無さそうだが、いつか聴いてみたい気もする。

 それにしても、こうして生で聴くと na ba na のオリジナルはどれも佳曲だ。確かに静かな曲ばかりだが、耳に優しいだけでなく、耳に残る。耳だけでなく、胸にまで落ちてくる。いつまでも聴いていたくなる。

 他でも書いたことだけれど、tipsipuca の高梨さんや、大阪の nami さんも含め、すぐれた作曲家の出現は嬉しいかぎりだ。

 このタワー6階のインストア・ライヴはワールド・ミュージック担当のカツオ氏の企画・進行によるが、若い女性ばかりのトリオを前にして、いささかやりにくそうではある。あるいはこういうアイリッシュやケルト系の音楽は、これまでインストア・ライヴでやってきた音楽とは性質が違うのかなと思ったりもするが、ぜひぜひこれからも続けていただきたい。当面次は年明け、1月16日(土)(日)15:00 の奈加靖子さんが決まっている。

 奈加さんの新作《BEYOND》は、ライナーを書いた手前あまり大きな声では言えないが、傑作です。ぜひ、このタワーレコードで買うてくだされ。渋谷まで行けない人は下のリンクからどうぞ。

 na ba na のライヴは12月26日、玉川上水・ロバハウス。今回のCDの録音エンジニアでもあるシンガー・ソング・ライター Sasakura さんがゲストだそうで、こちらも楽しみ。(ゆ)
 

はじまりの花
na ba na ナバナ
TOKYO IRISH COMPANY
2015-11-15



Beyond
奈加靖子
cherish garden
2015-12-13


 レコード屋に行く、ということがほとんどなくなってしまったのは、諸事情のなせるわざとはいえ、やはり淋しいことではありました。何かおもしろそうなものはないかなー、とふらりと入り、ジャケットとか、入っている曲に惹かれて、何の気なしに買ってみたら大当り、そこから新しい世界が開ける、という体験は、ネット上ではまだ再現できていません。

 しばらく前からぼくがレコード屋に行くのは、仕事の上で緊急に必要になって駆け込むことがほとんど。それも定番とか大メジャーからのリリースのような類を求めてのことでした。つまり、このコーナーの存在を知るまでは、です。

 近年、わが国の若い演奏家たちがアイリッシュやケルトなどヨーロッパのルーツ・ミュージックを積極的にとりあげ、見事な成果を上げていることはそれなりに知られていると思いますが、かれらがリリースしてきたCDが一堂にまとめられたのは初めてでしょう。しかも、このコーナーはなんとかフェアやシーズン限定ではないそうです。こうして見るとなかなか壮観です。

2015-11タワレコ渋谷6F2 のコピー
 

 それだけでなく、このコーナーの開設を記念してのインストア・ライヴが今月1日日曜日にありました。それもこの日だけの特別編成のバンドです。

 メンバーはまずフィドルが3人。ジョンジョンフェスティバルのじょん、ソノラの沼下麻莉香、ティプシプーカの酒井絵美。加えてギター&ヴォーカルのティム・スカンラン、それにトシバウロン。

 彼女たちがやっているのはアイリッシュ・ベースですが、トリプル・フィドルというのはアイリッシュでは珍しい。一時のアルタンくらいでしょう。

 フィドルを重ねるのはノルウェイの伝統音楽やシェトランドのフィドラーズ・ビドで聴けますし、そういえば The Strings Sisters が女性ばかり6人のフィドラーを集めて大成功してました。さらに The Strings Sisters の主唱者カトリオナ・マクドナルドがリーダーの Blazin' Fiddle もありますね。

 という具合にフィドルを多数重ねるのは相当に面白いのですが、この3人の場合、ユニゾンではなく、微妙にハモるのです。伝統一本槍でなく、ベースにあるクラシックやアラブなど他の音楽の素養が良い方向に作用しているのでしょうが、こういうアンサンブルはあまり他で聴いた覚えがありません。カウンターメロディなども交えながら、クラシックのひたすら綺麗なハーモニーではなく、一方、アイルランドに時々聴かれるハーモニーまでいかないズレの面白さでもない。アレンジは「適当に」やったそうですが、この浮遊感たっぷりの、なんともよい具合の「中途半端」さはそれはそれは魅力的です。

 若い女性3人がならぶのも、ぱっと花が咲いたようで、あたりが明るくなっていました。

 この3人をはさんで左にティム、右にトシ。ティムはギター、ハーモニカ、それにフット・パーカッション。トシさんは最近よく使っている、ミュートのできるタンバリンとバゥロン。ティムは1曲、〈Two Sisters〉を披露しましたが、伝統メロディではあるものの、ふつうとは違うヴァージョンで、しかもテンポをミドルから後半アップに上げるという、こちらもちょっと変わった演奏が新鮮でした。フィドルも美味しくからんで、古いバラッドの解釈として出色でした。

 それ以外に演奏したのは、3人がそれぞれふだん活動しているバンドのレパートリィから1曲ずつ。ティプシプーカの〈北海道リール〉には、ティプシプーカのメンバーでこの曲の作曲者である高梨菖子さんがホィッスルで加わりました。高梨さんの作る曲はどれもたいへん面白いのですが、〈ソーラン・リール〉〈牡蠣〉〈帆立〉のメドレーであるこの〈北海道リール〉は傑作です。

 まったく予定外のアンコールも含め、40分ほどの演奏でしたが、これだけで終らせるのはもったいない組合せでありました。並べられた椅子は全部埋まり、立ち見もかなりいましたが、あの場に居合わせたのはラッキーと言えると思います。

 このコーナーにちなんだインストア・ライヴはこれからもあるそうで、とりあえず今月29日、na ba na(ナバナ) のライヴがあります。

 na ba na はフィドルの中藤有花、フルートの須貝知世、ハープの梅田千晶のトリオで、今月15日にデビュー録音《はじまりの花》がリリースされます。タワーレコード渋谷でこのCDを買うと、当日サインをもらえるそうです。この録音は伝統ベースながらメンバーのオリジナルを集めていて、聴くほどに味の出るスルメ盤です。これについてはまたあらためて。


 さらにその後には奈加靖子さんの新作《BEYOND》も控えていて、こちらも来年インストア・ライヴがあるそうです。これにはライナーを書いてしまったのであまり大きな声では言えませんが、傑作!であります。

 タワーレコード渋谷店のこのコーナーはこれからも充実させていくそうですから、関連CDのリンクも張ってはおきますが、行ける方はぜひタワーレコード渋谷店6階に行って買ってください。(ゆ)



Premiere
Sonora
ロイシンダフプロダクション
2015-06-07


Growing グロウイング
tipsipuca ティプシプーカ
ロイシンダフプロダクション
2015-07-19


歌とチューン
John John Festival
Tokyo Irish Company
2012-03-25


 

 ほとんど2年ぶりに見る内藤さんは大きく成長していた。いや、そんな言い方はもうふさわしくない。一個のみごとな音楽家としてそこにいた。城田さんと対等、というのももはやふさわしくないだろう。かつては城田さんがリードしたり、引っ張ったりしていたところがまだあったが、そんなところも皆無だ。城田さんも、まるでパディ・キーナンやコーマック・ベグリーを相手にしているように、淡々とギターを合わせる。

 今日は〈サリー・ガーデン〉や〈庭の千草〉のような「エンタメ」はやりません、コアに行きます、と城田さんが言う。コアといってもアイリッシュだけではない。いきなりオールドタイムが来た。城田さんがもっと他の音楽、ブルーグラスもやろう、と言うのに内藤さんがむしろオールドタイムをやりたい、アイリッシュ、オールドタイム、ブルーグラスはみんな違うけれど、オールドタイムはどこかアイリッシュに近い、と言うのにうなずく。ブルーグラスは商業音楽のジャンルだが、アイリッシュとオールドタイムは伝統音楽のタイプなのだ。

 それにホーンパイプ。アイリッシュでもホーンパイプはあまり聴けないが、ぼくなどはジグよりもリールよりも、あるいはハイランズやポルカよりも、ホーンパイプが一番アイリッシュらしいと思う。〈The Stage〉はものすごく弾きにくい曲なんです、と内藤さんが言う。作曲者は19世紀のフィドラーだが、ひょっとするとショウケース用かな。

 その後も生粋のアイリッシュというのはむしろ少なく、アメリカのフィドラーのオリジナルやスコティッシュや、ブロウザベラの曲まで登場する。ブロウザベラは嬉しい。イングリッシュの曲だって、ケルト系に負けず劣らず、良い曲、面白い曲はたくさんある。速い曲も少なく、ミドルからスローなテンポが多いのもほっとする。

 コンサティーナもハープももはや自家薬籠中。コンサティーナの音は大きい、とお父上にも言われたそうだが、アコーディオンよりは小さいんじゃないか、とも思う。音色がどこか優しいからだろうか。ニール・ヴァレリィあたりになると音色の優しさも背後に後退するが、内藤さんが弾くとタッチの優しさがそのまま響きに出るようだ。

 今回の新機軸は城田さん手製のパンプレット。このバードランド・カフェのライヴ専用に造られたもの。主に演奏する曲の解説だが、曲にまつわる様々な情報を伝えることは、伝統音楽のキモでもある。伝統音楽というのは、音楽だけではなくて、こうした周囲の雑多な情報や慣習や雰囲気も含めた在り方だ。

 ここは本当に音が良い。まったくの生音なのに、城田さんのヴォーカルも楽器の音に埋もれない。それだけ小さく響かせているのかもしれないし、距離の近さもあるだろうが、こういう音楽はやはりこういうところで聴きたい。

 今回はイエメンとニカラグアをいただく。あいかわらず旨い。美味さには温度もあるらしい。熱すぎないのだ。あんまり熱くするのは、まずさを隠すためかもしれない。家では熱いコーヒーばかり飲んでいるが。

 終わってから、先日音だけはできたという、フランキィ・ギャヴィンとパディ・キーナンとの録音で、内藤さんの苦労話を聞く。今年の秋には二人を日本に招く予定で、それには間に合わせたい、とのこと。しかしこの二人の共演録音はまだ無いはずだし、ギターが城田さんで、内藤さんも数曲加わってダブル・フィドルもある、となると、こりゃ「ベストセラー」間違いなし。それにしても、内藤さんの話をうかがうと、アイリッシュの連中のCDがなかなか出ないのも無理はない、と思えてくる。

 城田さんは晴男だそうだが、近頃多少弱くなったとはいえあたしが雨男で、店の常連でこのデュオの昔からのファンにもう一人、やはり強烈な雨男がおられる、ということで、昨日は途中から雨になった。お店の近くの二ヶ領用水沿いの枝下桜は雨の中でも風情があって、帰りはずっと用水にそって歩いてみた。満開の樹とまったく花が咲いていない樹が隣りあわせ、というのも面白い。(ゆ)

 自分のイベントにかまけてうっかりしていましたが、ヴェーセンが今週来ますね。

 結成25周年、初来日から十年、と2つの節目が重なっためでたいツアーです。
http://www.mplant.com/vasen/index.html

11/16(日)山形 文翔館
11/18(火)神戸 芸術センター シューマンホール
11/19(水)名古屋 秀葉館
11/20(木)東京・渋谷 Duo Music Exchange
11/21(金)福岡 大名MKホール

 ヴェーセンらしく、一風変わった場所でのライヴが多いですね。東京が一番普通だな。

 その東京は JPP が共演ということで、これは見ものです。一大フィドル合戦\(^O^)/。
個人的には JPP の方が興味津々ですけど、これはどちらもいい勝負。

 しかし、もう十年か。それでも今世紀中、というのもびっくり。
3人のなかではミカルが一番年をとった感じ、というのはそれだけ初めは若かったですね。
ローゲルは昔からいい歳こいたおっさんだった。
ウーロフもこうして写真見ると歳とったなと思うが、かれは永遠の青年みたいなところがある。

 これまでの来日では、初見参の南青山のマンダラで見たとき、3人ともデカイなあ、と思ったことと、前回の本郷は求道会館でのかぎりなくノーPAに近いライヴが強烈に残ってます。

 さて、今回はどうなるかな。(ゆ)

 ドーナル、あなたは偉い。

 ボシィ・バンドのあの切迫感きわまるビートを生みだしていたのは、あなたのブズーキだったのだね。

 ということは、この40年間のアイリッシュ・ミュージックのビートを生みだしたのは、あなたのブズーキだったのだ。

 古希も近くなって、おさまりかえることなどみむきもせず、若いとき以上につっこんでゆく様には熱くなる。

 あなたの演奏を生で体験する恩恵には何度もあずかってきたけれど、これほど切迫感、緊張感に満ちた演奏は初めてだった。あなたの核心にある熱い塊に触れた実感をもてたのも、これが初めてだった。

 それにはおそらく、パディのまったるこゆるぎもしないフィドルのせいもあるのだろう。そのおちつきはらった演奏によって、全体の切迫感がさらに強くなる。

 これもまたまぎれもなくアイリッシュ・ミュージックの本質にちがいない。アイリッシュ・ミュージックの核心にあるビート、メロディの奥底に潜む熱い鼓動を、誰の眼にもあきらかな形で引き出してみせるのが、あなたのブズーキなのだ。

 その様子を見ていると、こちらの方が先にいってしまいそうだが、どうか、80になっても90になっても、その熱いビートを、鼓動をたたきつづけられんことを。

 この姿をまのあたりにする機会をもうけてくれたのざきようこさんに感謝する。(ゆ)

 11月上旬、列島西部5箇所で公演する。

 6回めの来日、となると、アイリッシュとしては、日本に住んでたドーナル・ラニィは別として、チーフテンズに継ぐ回数になるのかな。それで、今回はわが国伝統文化とのコラボレーションがモチーフなのだそうな。会場も、東京こそトッパンホールだけれど、その他は日本画家の作品を集めた美術館とか、小泉八雲ゆかりの寺とか、ちょっと変わったところばかり。もっとも、あの二人の音楽は、ヘタなライヴハウスよりも、そういう歴史が蓄積された、あるいは聖別された空間の方が共鳴が大きくなるだろうね。

 トッパンホールでは尺八の田辺冽山氏が「前座」で、共演もあるとか。

 それも面白そうだけど、個人的には小諸の美術館で聴いてみたい。北信はその頃ならもうそろそろ晩秋よりは初冬で、聴きおわって出てきた時に感じるものが、東京なんかとはまるで違うはずだから。

 まったく根拠はないのだけれど、アイリッシュ・ミュージックって、この列島では信州とか北海道で聴くのがベストと思う。

 チケット販売はそれぞれの公演に掲げてある他、すべて The Music Plant にて扱っている。


11/03(土)東京 トッパンホール
オープニングアクト 田辺冽山(尺八)
18:00開場 18:30開演
前売 6,000円(指定)5,500円(自由 e+のみ)
チケット販売
 トッパンホール・チケットセンター 03-5840-2222
 e+(自由席のみ)

18:00開場 18:30開演
前売 3,500円
問い合せ 天地窯 090-4153-0301

11/06(火)名古屋 秀葉院
18:30開場 19:00開演
前売 4,000円 当日4,500円

11/08(木)京都 永運院
18:30開場 19:00開演
前売 6,000円

11/10(土)松江 洞光寺
18:00開場 18:30開演
前売 3,500円 当日4,000円



Thanx! > のざきさん@ミュージック・プラント

ライヴを見るのは2回目。デュオとしてのラ・カーニャでのライヴはたしか3回目。定期的に回を重ねられているのは重畳。前回からもだいぶ変わっている。
    
    ひとつには内藤さんが力をうまく抜けるようになってきていて、スローな曲や本来うたの曲などの演奏の味わいが深くなっている。もともとクラシックの技法もとりいれた多彩なフレージングや音色がすばらしいが、それとはまた別の次元で、表現の幅も広くなった。
    
    こういうことは他での活動、たとえば O'Jizo での演奏にも良い形で波及しているはずだ。あちらはまた対照的に、ぴーんと張りつめた緊張感が快いのだけれど、うまくリラックスしてこそ本物の緊張感が生まれるというものだ。
    
    おそらくは城田さんの感化によるものだろう。意識しないでも一緒にやっていると伝染し、沁みこんでくるものなのだ、きっと。城田さんが伴奏者というより、パートナーとして幅広いミュージシャンたちから引っぱりだこなのも、たぶん、そういうふうに、一緒にやっているとリラックスして、ふだんなかなか表に出てこないような深いところからの音楽が湧いてくるからではなかろうか。
    
    内藤さんが手に入れたままほおっておいたハープを手にとる気になったのも、そうしてリラックスして気持ちに余裕が生まれたせいではないか。新しいことに挑戦する意欲が湧いてくるには、余裕が大事。
    
    もちろん技術的にはまだまだだが、さすがにミュージシャンとして天性のものを持っている人だから、音楽として楽しく聴かせてくれる。精進されればハープでも一級の演奏ができるようになるはずだ。フィドルへの良いフィードバックもあるだろう。
    
    それにしてもお二人によるホーンパイプの味わいは格別で、もっとホーンパイプをやってほしい。ホーンパイプをあまり国内の人たちはやらないが、ぼくなどはあれこそがアイリッシュの要と思っている。ジグやリールに比べるとどことなくとぼけたユーモアを感じるのもアイリッシュらしい。まあ、ノってしまえば恰好がつくジグやリールとは違って、ホーンパイプをまっとうに演奏するのは、ネイティヴ以外には難しいのかもしれない。それだけにホーンパイプの良い演奏に出逢うと嬉しくなる。
    
    とはいえハイライトはフランキー・ギャヴィン(と城田さんは発音する)と一緒にやったという〈Jewish reel〉。あの曲があんなにクレツマーを取り入れているとは、初めて気がついた。フランキーの演奏を聴きかえしてみなければならない。
    
    それとムーヴィング・ハーツの曲。いま確認できないけれど、あれはドーナル・ラニィの曲のはず。アイリッシュ・ビートのお約束をわざとはずしてゆく変則リズムが気持ちよく決まっていた。アイリッシュのノリはやはりスイングだと確認する。
    
    城田さんのバンジョーやうた、ブルーグラスのフィドル・チューンもあって、それはまたすばらしいものだけれど、前回よりもそうした脇道は少なく、アイリッシュを中心としたヨーロッパ・ルーツ音楽に重心が移っている感じではある。この辺は、今夏に二人ともアイルランドに行き、音楽三昧してきた影響かもしれない。
    
    待望のアルバム《KEEP HER LIT!》も完成したそうで、11/16の発売。とにかく楽しみである。録音にはライヴとは違った楽しみがあるので、こうして定期的にライヴに接することができる人たちでも録音は楽しみだ。何より好きなだけ何度も同じ演奏を聴きこめる。演奏もそうだろうが、良い演奏を何度も聴きこむことで聴く力も鍛えられる。というより、それしか聴く力を鍛える方法は無いだろう。
    
    アルバムを持って11月に西の方を回った後、12/22(木)に吉祥寺の Mandala-2 でレコ発ライヴがある。ここにはアルバムでもゲスト参加しているベースの河合徹三氏が加わる。
    
    以下、レコ発ツアーのスケジュール。

11/12(土)徳島・寅家(088-677-3233) 開演20:00
    前売 3,000円/ 当日3,500円 1ドリンク付き
11/13(日)高知・Caravan Sary(088-873-1533)開演18:30
    前売 3,000円/ 当日3,500円 1ドリンク付き
11/19(土)群馬・Sound Tam(027-385-3220)開演18:30
    前売 3,000円/ 当日3,500円
11/26(土)京都・都雅都雅(075-361-6900)開演19:00
    前売 3,000円/ 当日3,500円 別途飲食
11/27(日)名古屋・オキナワAサインバー KOZA(052-221-5244)開演15:30
    3,000円 1ドリンク付き
12/22(木)東京・Manda-la2(052-221-5244)開演19:30
    前売 3,000円/ 当日3,500円+1ドリンク・オーダー
    
    
    以下は城田じゅんじさんのライヴ・スケジュール。

10/30(日)浜松・東上池川公会堂 開演17:00
    3,000円 限定50席
    居酒屋ぴっぴ 0534-74-2778
11/05(土)中川イサト+城田じゅんじ@秩父・ホンキートンク 開演18:30
    前売4,000円 当日4,500円+オーダー
11/10(木)松山・スタジオOWL 開演19:30
    前売3,000円 当日3,500円 1ドリンク付き
11/11(金)高松 BEATLES 開演20:30
    前売3,000円 当日3,500円 1ドリンク付き


    そうそう、それと内藤さんが参加する O'Jizo もCDが出て、レコ初ライヴが今週末蒲田である。このアルバムは凄いよ。今年のベストの1枚。

10/22(土) O’Jizo 1st album《Highlight》発売記念ライブ

日本キリスト教団 蒲田教会
12時オープン / 13時スタート

前売2000円 / 当日2500円
問い合せ:tokyoirishcompany@gmail.com

    昼間なのはありがたいのだが、あたしは今週入院して抗がん剤投与を受けるので、土曜日はダウンしている。まことに残念。ご盛会を祈る。

Live in Seattle    マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルの昨日のライヴの感想を書こうと思ったのだが、とうてい言葉にならない。あれは誰かに言葉で伝えて共有するよりは、ただ胸の奥深くしまっておくべき体験なのだろう。その場に居合わせた人びとならば見知らぬ人間とでも共有できるが、その外には伝えられない。何をどう言おうと、まったくかけ離れたものにしかならない。そう、演奏はこの世のものとも思えなかったが、観客もすばらしかった。初めての人もいたのかもしれないが、会場全体が、店のスタッフまで含めて、音楽に集中していた。いや、生きものだけでなく、 あの場の空気の全分子、建物やバーの備品や酒までもが、聞きほれているようだった。それがあの二人の音楽の力なのだ、といわれれば、それはその通り。しかしそれは二人の音楽が強引に吸いこんでゆくというよりは、一人ひとりの人間、一つひとつのものの中に音楽に感応する部分を見つけ、喚起し、そこで人間やものの方から自発的に音楽に入りこんでゆくのだ。二人の音楽に集中し、ひたりこむことが、他のどんなことよりも、呼吸や鼓動よりも自然な行為であるように。
   
    二人の音楽はアイリッシュ・ミュージックにはちがいない。しかもその最も奥の核心に直結してもいる。それと同時に、ローカルな枠組みとは対極にある、宇宙全体にも通じようかと思える普遍性があふれでてくる。音楽というメディアに可能なかぎりディープで崇高でワイルドでユーモラスな表現。クラシック・マニアならバッハのオルガン曲に、ジャズ・ファンならばコルトレーンの絶頂期の演奏に、ロック命の人ならジミ・ヘンとジャニスの魂の叫びに、聴こえているだろう「何か」。言葉では言いつくせぬ、音楽でしか表現できない宇宙の感情。その場、その時の、1回かぎり、再現不能な体験。
   
    二人と同時代に生まれあわせたことを、二人のライヴを体験できるチャンスを与えられたことを、ただひたすら感謝する。(ゆ)

Welcome Here Again    明日は今月の通常号の配信予定日ですが、例によって遅れます。21日には何とか配信したいと思っています。
   
   
    マーティン・ヘイズ&デニス・カヒル来日ツアーが始まっています。

    アイリッシュ・ミュージックのアイリッシュネスを突きつめることで、ローカルの枠を完全に越えた、類稀な音楽です。アイリッシュ・ミュージックが持つ普遍性をこれほど生命力あふれる形で味わわせてくれる音楽家はそう多くありません。つまり、異邦人とか、生まれた文化とは違うことを意識させないのです。
   
    同時にジャンルやフォーマットの枠も越えていることでも、これほどのものは滅多にありません。アイリッシュ・ミュージックが好きな方はもちろん、ジャズ好きでも、ロック・ファンでも、クラシック・マニアでも、それぞれに大いに楽しめます。ちょっともう奇蹟とでも呼びたいくらいです。
   
    そしてかれらの本当の姿は「生」にあります。ライヴでこそ、その真価がわかります。どうか、この「体験」を共有されんことを。(ゆ)

    米西岸、というより北米随一のアイリッシュ・フィドラー、デイル・ラスさんが11月に来日するそうです。東京で一日だけのライヴがあります。ワークショップなどは今は計画はないようですが、主催者に問い合わせてみてください。
   
    場所はトッパンホール。飯田橋の駅から歩いて10分ほど。ノーPAだそうです。

    公式サイトはこちら

    公式ブログはこちら

--引用開始--
Dale Russ Concert in Toppan Hall
中世から現代へ アイルランド伝統音楽の潮流をたどる

11/13(金)18:30開場 19:00開演
トッパンホール 〒112-0005文京区水道1-3-3

デール・ラス (Fiddle: The Suffering Gaels)
フィン・マクギンティ(Guiter/Vocal: The Suffering Gaels)
赤澤淳 (Irish Bouzouki:Si-Folk)
宇野浩子 (Concertina)
坂上真清 (Irish Harp)
ジェイ・グレッグ (Fiddle)
ジム&和美・エディガー (Accordion/Fiddle/Guiter他)
*出演者は予告なく変更になる場合があります。

*全自由席 4000円 学生 3000円(学生チケットはトッパンホールのみ取り扱い)
※トッパンホールクラブ会員割引 500円(学生除く)

*チケット発売中!
トッパンホールチケットセンター TEL: 03-5840-2222
チケットぴあ Pコード:335-796 TEL: 0570-02-9999

*お問合せ:Seikai.Bunko@gmail.com 050-3328-6677(夜間19-23:00のみ)

    シアトル最古のアイリッシュ・トラッド・バンド、サファリングゲールスのフィドラーとして活躍してきデール・ラス氏の演奏を軸に、常に民衆と共にあり進化してきたアイルランド伝統音楽の流れをたどります。長年デュオを組んできたフィン・マクギンティ氏を初めとして豪華なゲストをお迎えしました。

    フィンさんは現在アイルランドに移住され、デールさんとのデュオを聞くチャンスがほとんどないと思います。

    また、一度生音源でゆっくり聞いてみたかった方はこの機会に是非。

    全国チケットぴあ および トッパンホールチケットセンターでチケット販売中です。よろしくお願いします。
--引用終了--


Thanx! > 藤村さん@青海文庫

    本誌8月号は明日の昼までには配信できそうです。


    ところで、今年の「ケルティック・クリスマス」で来日するクリス・スタウト&カトリオナ・マッケイが属するフィドラーズ・ビドの新作《ALL DRESSED IN YELLOW》 がシェトランドでリリースされ、そのうち2曲が MySpace にアップされてます。
   
    かれらのライヴの魅力が初めて録音で捕えられたと思います。この断片を聴くかぎり、たしかにこれまでの録音から突破してます。ようやく録音とライヴの違いを体で実感して、音作りに生かせるようになった、というけしき。そうなれば鬼に金棒。これは楽しみです。(ゆ)

Welcome Here Again    11月にマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルが来ます。今のところスケジュールがバラバラに公表されているので、まとめておきます。

    チケットはいずれもまだ発売にはなってません。
   
    東京でも公演がありますが、まだ未発表。いつ発表かな(^_-)。




11/19(木)札幌 ザ・ルーテルホール
オープニングアクト:RINKA (小松崎操、星直樹)
11/21(土)東京・三鷹 武蔵野スイング・ホール
11/23(月・祝)愛知県長久手町 文化の家


    もしまだ聴いたことがない、という方はまずこれをどうぞ。

    米PBS の "Our State" という番組で放映されたカロライナ・チョコレート・ドロップスのすばらしい紹介ビデオがネットで見られます。



Our State - The Carolina Chocolate Drops from Pete Bell on Vimeo.

    ノース・カロライナの故郷のフェスティヴァルでのものを中心とした演奏シーンに、メンバーのインタヴューを重ねたもの。

    番組の末尾近く、リアノンがフィドルで聴かせる曲が興味深いです。これはまだCDとしては録音されていないはず。

    念のためつけ加えておくと、カロライナ・チョコレート・ドロップスはご覧のとおり全員黒人のオールドタイム・トリオ。全員が黒人というのはオールドタイムでは珍しい。たぶん、初めて。で、このリアノンが、名前からもわかるようにウェールズの血を引き、ジャスティン(眼鏡をかけていない方)の祖父はアイルランド移民です。

    カロライナ・チョコレート・ドロップスという秀逸な名前はかれらの発明とおもっていたら、なんと1920年代にテネシー・チョコレート・ドロップスというバンドがあったのだそうです。録音も残っていて、こちらで聴けます。

    "Hear the songs" をクリックするとミュージシャン名のリストが出ます。

 デンマークの至宝、ハウゴー&ホイロップが今度の「ケル・クリ」でのライヴをもって解散することが、招聘元のプランクトン社長川島さんのブログで発表になりました。

 10年やって、ひと区切りつけようということで、別に喧嘩別れするわけではないようなので、将来、また別の形でこの二人が一緒にやるところを見られるではありましょう。

 とはいえ、デュオとしての「マジック」、1+1が10にも100にも、時には無限大にもなる二人の組合せの妙を体験できるのは、やはり今回が最後でしょう。世にデュオは多いですが、この二人はこの形式の意味を完全に書き換えてしまいました。たった二人なのに、変幻自在、大胆さと繊細さがまったく同時に現われる、スリルと美しさに満ちた音楽。いやおそらくこれは三人以上では不可能なので、二人だからこそ産み出せるものでしょう。

 デュオならではの豊饒の点では、マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルも負けていませんが、あちらがあくまでもアイリッシュ・ミュージックに収束してゆくのに対し、ハウゴー&ホイロップの音楽はデンマークの地にどっしりと足を踏んばりながら、どんどん広がってゆきます。そういえば、先日のラウーの音楽とも共鳴しているかもしれません。

 思えばあれはもう何年前だろう、グラスゴーの Celtic Connections で、何の予備知識もなく、なにかの「前座」で出てきたかれらのステージに釘付けになって、こいつら何者?と仰天した、その新鮮な驚きを、毎回追体験させてくれるのも、ハウゴー&ホイロップの特異なところです。

 解散を惜しむのではなく、祝福するつもりで、相模大野に行こうと思います。(ゆ)

 フィドルの功刀丈弘、ギターの岡崎泰正の両氏が昨年春に組んだユニット

Caol Ila(カリラ)

の東京でのライヴが8月下旬にあるそうです。

 予約受付開始は 07/12(土)23:00 より。
 予約などくわしくはこちら

 このユニット名って、アイレイ(アイラ)・ウィスキーの銘柄かしら。

☆日時
08/23(土)open 18:00/start 19:30
08/24(日)open 17:00/start 18:30

☆場所
中目黒・楽屋

というおいしいライヴがあることに、つい先日、教えられるまで気がつきませんでした。

 まあ、金子さんのファンの方はご存知だったでしょうが、一応。

 詳しくはこちら

06/19(木)18:30 open 19:30 start
東京・祐天寺 FJ's

 小さな店なので、予約しないと入れないかもしれないそうです。


 なお、ドーナルは22日に、上野・水上音楽堂での「ピース・ミュージック・フェスタ」に、梅津和時、近藤ひろみ両氏とのトリオで出ます。本誌には載せていますが、念のため。(ゆ)

 シェトランドのフィドル・バンド、
Fiddler's Bid フィドラーズ・ビドが11月に来日、
東京は武蔵野文化会館小ホールの1回だけだそうです。

 チケット発売は 06/05(木)10:00 電話予約開始。


フィドラーズ・ビド東京公演

11/11(火)19:00 開演
武蔵野文化会館小ホール
全席指定 3,500円
予約、問合せ 武蔵野文化事業団

 あのフィドル4本の響きがあの小ホールでどう聞こえるか、楽しみであります。

 録音とライヴは違うものですが、
かれらの場合、その差があまりに大きすぎるところが玉に瑕。
超絶技巧フィドルが4本揃うリールの連発は、どんな想像も絶します。
たぶん。
ロック、というよりパンクですね。(ゆ)

 いきなり TLS の見本誌が送られてきたのには、少々驚いた。昔、数年間定期購読していたせいか。向こうでも新聞の購読者数が減っているとは聞いていたが、こういうことまでしなくてはならなくなったとすると心配。これだけのものはネット上ではまだ読めないから、この書評紙はなくなってほしくないが、今は定期購読しているだけの余裕がない。

 せっかく来たのだからと、パラパラやる。読んでみたいと思わせるものがたちまち2、3冊。書評としてとりあげられているものだけでなく、広告にもそそられるものがある。

 本にまつわる軽い話題をとりあげる "NB" のコーナーが最終頁に移っていた。J. C. というイニシャルはアメリカ文学とスコットランド担当の編集者 James Campbell だろう。

 四っつの話題のうち、当ブログの趣旨からして一番はなんといっても史上初のシェトランド語詩集の出版。Robert Alan Jamieson の Nort Atlantik Drift。エディンバラの Luath Press から。

 シェトランドはアリィ・ベイン、カトリオナ・マクドナルド、フィドラーズ・ビドの故郷で、曲のタイトルはたしかにスコッツでもガーリックでもないなとは漠然と感じてはいたが、詩集が出るとイメージががらりと変わる。そういえば、琉球語の詩集というのもあるのだろうな。シェトランド語と英語の差は琉球語と日本語の差ほど大きくはないようだけど。

 タイトルはもちろんメキシコ湾流の末流で、これのおかげでシェトランドやフェロー諸島は緯度にくらべてずっと気候が穏かだ。詩集の内容は詩人がおさない頃「体験したというよりは目撃した生活様式、商船の船乗りたちの様子」を描いているそうな。詩人のサイトには写真があり、朗読も聞ける。島のあちこちで詩人が自分で録音しているので音はよくないが、背後の「ノイズ」がことばを立体化する。鳥の声、潮騒、風のうなり、船のエンジン音、なにやらわからない作業の音。それだけでは無味乾燥な騒音だが、ことばが重なると、意味はまるでわからないのに、「風景」が見えてくる。

 この「朗読」と100枚のモノクロ写真で構成した48分の AV ショーも用意されている。

  さりげない。
  ちょんちょんと弦をこすり、次の瞬間、曲に入る。
  と、世界が変わる。

  マーティンとデニスの音が鳴っている間、ぼくらは別世界にいる。
「日常世界ではしらないような感情」に満たされた世界。
うちくだくことも押し戻すこともできない何かが、
二人の手の先からとうとうとあふれ出てくる。

  あふれ出て空間を満たし、
ぼくの体を満たし、
心を満たす。
するとさらわれる先は生死の境。
もうほんの少しでも増えたなら、
あっさりと幽明の境を越えてしまうだろう。
それもまたよし。

  いや、そうではない。
よしも何もないのだ。
もっと静かにすみきった、
まったき抱擁。
かすかなやるせなさが残って
一層歓びを深くする。

  音楽はいつか止む。
ぼくらはいつか捕まり殺される。
しかし殺すものもまた、そうせざるをえない。
ぼくらを捕え殺すのがかれらの道、義務、ダルマだからだ。
命とはその原理の表象につきる。
音楽はその命の表象につきる。

  マーティンとデニスの音楽には余分なものがなにもない。
同時に音楽のすべてがある。
ジャズもクラシックもポップスも
無伴奏もフルオケもロック・バンドも
伝統も前衛も
アルタミラの洞窟に響いていた音も
太陽が滅ぶ時にたてるだろう音も
すべてを備え、生みだしてゆく。

  あえてハイライトをあげるなら、
後半、スロー・エアからマーチを経て展開されたメドレー。
そうだ、もう遠慮は要らない。
長い長いメドレーにこそひたりたい。

  あえてアイルランドにひきつけるなら、
この二人の音楽はアイルランドの伝統からしか現れない。
長い「逸脱」の積み重ねの末に
この二人とその音楽を生みだしたことで
アイルランドは称えられるべし。
そしてまたここから次なる伝統が流れだす。

  マーティンとデニスに感謝を。
  のざきさんに感謝を。
  武蔵野文化財団に感謝を。



Special thanks to Mr Naka
(ゆ)

 ケヴィン・バーク率いるケルティック・フィドル・フェスティヴァルの
3年ぶりの5作目《EQUINOX》が
バークが設立した新レーベル Loftus Music からリリースされています。

 公式発売は2月だそうですが、
上記サイトでは購入可能です。
試聴もできます。

 うーむ、2005年の4作目《PLAY ON》を見逃していたぞ。
バークはグリーン・リネットとは例外的にうまく行っていたらしい。

 メンバーは

Kevin Burke: Fiddle
Christian Lemai/tre: Fiddle
Andre/ Brunet: Fiddle & Foot-tapping
Ged Foley: Guitar

 アイリッシュ、ブレトン(ブルターニュ)、フレンチ・カナディアンの
三つの地域のスタイルとレパートリィのフィドルの、
何と言ったらいいんだろう、
融合というにはたがいの個性が際立っているし、
合奏というにはバンドとして一体化しているし、
饗宴、でしょうか。

 発売に合わせて、
アメリカ東部のツアーをおこなう由。

 なお、現在はクリスチャン・ルメートルは抜けて、
アイリッシュではおなじみの John Carty が入ってます。
ジョンはバンジョーも弾くので、
バンドのサウンドはまた変わってるようです。

 ちなみに、このレーベルは
自分が関わる録音をリリースするためにバークが設立したもので、
これまでにパトリック・ストリートの、
5年ぶりの新作《ON THE FLY》
自身が友人のギタリスト Cal Scott と作った《ACROSS THE BLACK RIVER》
を出しています。

 どちらもすばらしく、
パトリック・ストリートはあいかわらず成熟したアイリッシュ・ミュージック。
ケヴィン・バークのほうは、
前作のライヴからはいくぶん以前の「機関車」と呼ばれた頃にもどった感じもありますが
基調はマーティン・ヘイズにも通じる音数の少ない、ゆったりした音楽。(ゆ)

 ピート・クーパー Pete Cooper というと、
少し長くイングランド音楽に親しんでいる人はご存知かと思います。
1979年の Holly Tannen とのデュエット・アルバム
《FROSTY MORNING》が鮮烈でしたし、
1986年にはベテランの Peta Webb とこれもすぐれたアルバム
《THE HEART IS TRUE》を出しています。

 その後は各地域のフィドル演奏に関心をうつし、
現在はロンドン・フィドル・スクールを主催しているそうです。

 おもしろいのは、
アイルランド、スコットランド、東ヨーロッパなど
各地のフィドルを弾きわけていて、
それぞれの教則本まで出しています。
フィドルでは比較的「後進地帯」のイングランド出身者ならではでしょう。

 そのピート・クーパーが Tokyo Fiddle Club の招きで
来年4月に来日し、
東京と大阪でワークショップとコンサートを開くそうです。

 これまで来日したフィドラーは
どちらかというとある一つの伝統の中で育った人たちが多かったので、
ピートさんのように、複数のフィドル伝統を身につけた人によるワークショップは
貴重かと思います。
伝統からは一度離れたところからアプローチしている点で、
われわれと同じ立場だからです。

 また、かれは自身すぐれたシンガーでもあります。

 ワークショップの予約方法など、
くわしい情報はまだ未発表ですが、
とりあえず日程だけ決まっているそうです。

 今後のくわしい情報はこちらをどうぞ。


 東京のコンサート会場は、
最近、アイリッシュをはじめとするルーツ系のライヴがおこなわれて
評価の高い「明日館」です。
なんとか、行きたいところ。


【大阪】
☆ワークショップ
2008/04/02(水)(夜)
会場:フィドル 倶楽部

☆コンサート
2008/04/3(木)(夜)
会場:フィドル 倶楽部


【東京】
☆コンサート
2008/04/04(金)19: 00開演
会場:自由学園明日館(池袋)
ギター伴奏:深江健一    
入場料:一般3,500円(Tokyo Fiddle Club 会員3,000円)

☆ワークショップ
2008/04/05(土)18: 00(予定)
会場:青少年記念オリンピックセンター(参宮橋)
受講費:一般 4,000円(Tokyo Fiddle Club 会員3,500円)

2008/04/06(日)14:00(予定)
会場:中野サンプラザ グループ室
受講費:一般3,500円(CCE会員3,000円)


Thanx! > 木村多美子さん@Tokyo Fiddle Club

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