クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:フィンランド

 夕食後、虫の知らせか、めずらしく Twitter をながめているとあらひろこさんの訃報が入ってくる。闘病されていた由。とすると昨年11月に「ノルディック・ウーマン」のステージで見たのが最後。ステージではご病気の様子などはカケラも無く、すばらしい音楽の一翼を担っていた。

 あらさんの生は何度か見ているはずだが、記録に残っているのは2019年10月、馬頭琴の嵯峨治彦さんのデュオ Rauma にハープの木村林太郎さんが加わった時のものだけだ。あれは実にすばらしかった。

 今でこそカンテレもごく普通の楽器で、本朝では本国フィンランド以外で、フィンランドとは無縁の地域としては演奏者人口が最も多い、と他ならぬあらさんに伺った。そうなったことには、あらさんの尽力が大きいのだろう。単に演奏し、作曲する音楽家としての活動にとどまらない、器の大きなところが、あらさんには感じられた。ごく浅いおつきあいしかしていないのに、そう感じられるくらいだ。

 どんなものであれ、異邦の文物が根を下ろすには、それにとらわれたことを幸運としてすべてを捧げる人間が必要だ。

 ご自身の音楽にも器の大きなところは出ている。伝統に深く掘りすすみながら、同時に外からの要素を大胆に注入する。馬頭琴とのデュオというのは、伝統の外にいるからこそ可能なのだし、また伝統にしっかりと根をおろしているからこそ、そこから生まれる音楽に魂が宿る。一方で、鍛えられたバランス感覚と、冒険を愉しむ勇敢さを必要とする危うい綱渡りでもある。そういうことができる人間を一言でいえば、スケールの大きな英雄だ。

 あらさんの音楽を初めて聴いたのはいつだったろう。たぶん2007年のセカンドの《Moon Drops》ではなかったか。2004年のファーストの《Garden》は後追いというかすかな記憶がある。手許に残された音楽はあまりに少ないが、どれも珠玉と呼ぶにふさわしい。

 人は来り、人は去る。されど、音楽は残る。(ゆ)

 5年ぶりの来日とのことで、前回2017年の来日は見逃していた。あたしが見たのはその前年の初来日で、神谷町の寺の本堂でのライヴだった。この時は個々の楽曲はすばらしいのだが、全体としてはどうも単調で、あまり楽しめなかった記憶がある。

 今回はその時の印象とは見違えるばかりで、楽曲、編曲、演奏、構成、四拍子そろったすばらしいコンサート。人の声とそのハーモニーの多彩な響きを堪能させていただいた。こうなるとヴァルティナと肩を並べる、しかも対照的な音楽を聴かせてくれる。見ようによってはこちらの方が一層洗練されている。ヴァルティナはむしろ野生が華麗なテクノロジーの衣をまとっている。

 中央、椅子の前に大型38弦のカンテレが置かれ、その他に肩から吊るして体の前でギターのように弾く15弦のカンテレを各々が持つ。少ないときはどれか一つ、多い時は大型と小型3台。大型の楽器の前には4人のメンバーが交替で座る。ここに座った者が一応リード・ヴォーカルもとるようだ。

 小型の方はもっぱらリズム・ギターの役割。大型はメロディに加えてベースの役割が大きい。この低音は倍音たっぷりで、しかも芯が通って、軽いのに浸透力がある。ホールいっぱいに拡がってゆくのがなんとも快い。

 前半は劇的な構成で、とりわけ、4曲目『千と千尋の神隠し』のテーマ・ソングを日本語とフィンランド語で歌ったのがまずハイライト。先日の「ノルディック・ウーマン」と同じく、ただ日本産の歌をサービスしてますではない。まず完全に自分たちの音楽として消化したうえで演奏している。正直、歌詞など、こちらの方がすなおに入ってくるし、楽曲の良さもあらためて染みてくる。

 続くマイヤがリードをとる曲では、ヴァルティナを想わせる呪術的な響きが現れてぞくぞくする。あたしなどはこの響きに最もフィンランド的なものを感じてしまう。その次はベース・ワークがすばらしく、コーラスも重心が低くしてなお美しい。そしてその次7曲目。ユッタが大型の前に座り、まずハーモニクスのイントロからモダンな展開をした後のコーラスが、これまで聴いたこともないほど荘厳で可憐でしかも尖っている。歌詞のないコーラスでの即興に身がよじられる。底にビートが流れていて、時に表に現れる。声の重なりが倍音を生み、それがまた全体を増幅する。

 続くのはフィンランドとは親戚のハンガリーの伝統歌をフィンランド語に置きかえた歌。ロメオとジュリエットのストーリーをもつ歌だそうで、メロディは確かにハンガリーに聞えるけれど、これまた自家薬籠中のものにしている。

 プログラムには無いアカペラの曲で前半を締めくくる。

 ここまでで、もう十分来た甲斐はあったし、パンデミックの前からしても、指折りのライヴと思う。

 後半は前半ほどドラマチックではないのだが、どれもこれも前半で上がったままの高い水準の曲と演奏が続く。熊の歌のようなユーモラスなところも顔を出す。小型のカンテレの方がチューニングに手間がかかるらしく、その間をやはりメンバーが交替に MC をする。クリスマスは何が楽しみか。ユッタが音楽ソフト用の新しいプラグインをおねだりしたというのが印象に残る。この人がリードをとる曲はよりモダンで尖った感覚がある。ラストは無印良品のCDにも入れた伝統曲。生で聴くとまた格別。そしてアンコールは〈聖夜〉「きよしこの夜」のフィンランド語版。カンテレの響きが一段と映え、最後の余韻が消えてゆくのに背筋に戦慄が走る。こういう終り方をされると、もうこの後は何があっても余計になる。

 ここは西国分寺駅前にある、定員400人程のホール。客席の傾斜が急で天井が高い。カンテレや声のハーモニーを美しく聴かせてくれる。外に出ると着込んでいても寒気に身がひきしまるけれど、こういう音楽にはやはりこの寒さがふさわしい。(ゆ)

 Rauma はカンテレのあらひろこさんと馬頭琴の嵯峨治彦さんのデュオで、今年で結成10周年の由。きゃめるも Tricolor も Rauma もみんな10年前に始まっている。

 Rauma は10年目にして初めてのCD《深い海》を出し、そのレコ発ツアー、秋の章、千秋楽がこのライヴ。ハープの木村さんが華を添える。

 カンテレという楽器の音を初めて聴いたのは、まだCDが無い、LP全盛の頃の Martti Pokela のアルバムだった。ジャケットの絵などから、前に水平に置いて指で弾く、ツィター属のひとつとはわかったが、その響きはまったく聴いたことのない深いものだった。

Kantele the Old & New
Martti Pokela
Arc Music
1994-06-15



 あらためてあらさんに確認したら、共鳴弦があるわけでなく、張られている弦が互いに共鳴してああいう響きになるのだそうだ。弾く弦そのものの共鳴を増幅、利用する楽器はおそらく他には無いのではないか。

 ご多分に漏れず、本家のフィンランドでも第二次世界大戦後は一時廃れるが、マルティ・ポケラの登場で息を吹き返し、彼がシベリウス・アカデミーで講座を開くにいたって、若い世代にも広がっているそうだ。わが国はフィンランド国外で、フィンランド移民もほとんどいないところでは最も演奏者数が多いと言われているらしい。

 カルデミンミットなどでカンテレそのものの生演奏は聴いたこともあるはずだが、あらさんの演奏はまた格別だ。フィンランドも含め、世界でも有数の演奏者によるものなのだから。

 Rauma はこれに馬頭琴が組み合わさる。というのも、おそらくは世界でも他に例は無いだろう。フール・フーントゥがフィンランドに行って、共演したことはあるかもしれないが。

 馬頭琴とホーミィといえばあたしはまず岡林立哉さんなのだが、嵯峨さんも優れた演奏家だ。モンゴルやトゥバの伝統音楽を演奏する人はわが国でも増えていて、この日使われた、これも伝統的な撥弦楽器のドシュプルールは何と国産というのには驚いた。

 嵯峨さんの馬頭琴はどちらかというと柔かく、艷があって、あらさんのカンテレとよく合う。岡林さんの演奏は、比べてみると骨が通って、より原初的な響きがある。

 《深い海》はすっかり愛聴盤で、とりわけタイトル曲がすばらしい。終り近く、カンテレが〈てぃんさぐの花〉のメロディをさりげなく混ぜるのがたまらない。今回はレコ発で、アルバム内の曲が多かったが、ふだんはもっと即興が多いのだそうで、こういう遊びもそういう即興の中から生まれたものなのだろう。

 とはいえ、ハイライトだったのは、嵯峨さんがドシュプルールを伴奏にホーミィもまじえ、トゥバ独特のダミ声で唄ったトゥバの現代曲、ソ連時代の国策道路建設を称える曲。本来、愛国歌の一種のはずだが、日本語の歌詞もまじえて今うたわれると、すばらしい批判の歌になる。ドシュプルールのビートもあって、まるでブルーズなのだ。砂漠のブルーズがあるなら、こちらは草原のブルーズだ。

 これに合わせるカンテレがまたスリリング。カンテレの弦にもハープのようなレバーがついているが、弾いておいてこのレバーを操作し、音を揺らす。スライド・ギターの効果だ。たぶん、こんな奏法は伝統には無いと思われるが、ドシュプルールのビートとの掛合いはそれは愉しい。

 それに続く、ポケラ作曲の〈トナカイの子守歌〉はアルバムにも入っている曲で、カンテレと馬頭琴の溶け合い方が一層美しい。ポケラのトナカイはもちろんサーメの人びとのトナカイだが、トゥバにもトナカイの放牧をやっている人たちがいるのだそうだ。

 さらに木村さんが加わってのトリオも面白い。まずは嵯峨さんが、自分の生まれた年のヒット曲です、といってやった〈名前のない馬〉。しかも日本語版である。原曲はリアルタイムで聞いてもいて、好きな曲のひとつでもあるが、日本語でうたわれるとまた別物。そして、ここでのカンテレの間奏がみごとの一言。あらさんは伝統はきっちり身につけているが、だからこそだろう、冒険も好きなのだ。

 〈エレノア・プランケット > バタフライ〉のメドレーでは、ハープ、馬頭琴、カンテレがそれぞれにリードを取り、またハーモニーをつける。

 3人でのアンコールはアヌーナの Michael McGlynn が娘が生まれた時に作った〈アシュリン〉で、カンテレのソロから始まり、馬頭琴が受け、ハープがピッキングでハーモニーをつける。こういうのを聞いていると、トリオでの録音も欲しくなる。

 木村さんは前座で唄いまくる。こちらでは『閑吟集』からの「山椒哀歌」に続けて、〈私の小舟〉から〈The Flower of Maherally〉につなげたのがハイライト。

 木村さんは伝統歌もいいが、オリジナルも聴きごたえがある。ご母堂の実家、秋田の鹿角で霊感を得て、藤野由佳さんが詞をつけたという曲は出色。高域のリフが言わんかたなく美しい。

 音楽に心のすみずみまで洗われた一夜だった。

 Rauma の名前の由来がなかなかに深いものであったが、ここには書けない。(ゆ)


訂正 2019-10-27
 Martti Pokela は男性だという指摘をいただき、訂正しました。このジャケットですっかり女性だと思いこんで、確認したこともありませんでした。どうも、すみません。
Thanx > 坂上さん

 今年で3回めのイベントにようやく行くことができた。去年は行く気満々だったのに熱が出て病欠したのだった。

 梅雨入り直前のせいか、それとも気候変動のせいか、からりと晴れて、陽射しは強いが、日陰は涼しい。風もあって、休憩後の後半は上着が必要なくらいだった。上野公園も人がいっぱい。昼食を薮で食べて、公園の方へ狭い路地を横切っていったのだが、たくさんある居酒屋が真昼間からどこも満杯。この催しは無料なので、何をやってるんだと覗きにくる人も結構いたようだ。トライフルのときだったか、ふらりと入ってきて近くに座った若い夫婦は、旦那の方が小型カメラでビデオを撮っていたが、海外からの観光客に見えた。トライフルが終わると席を立っていった。

 ノルディックとケルティックのルーツ・ミュージックをやっている人たちが一堂に会しましょう、というのは、まったく無理が無いとは言わないが、それほど奇想天外でもない。昨日もそうだったが、両方やっている人も少なくないし、向こうでも Two Duos Quartet や North See Crossing もいる。ルーツにどっぷり浸りこんで、奥義を極めることをめざすのはすばらしいことではあるが、一方でおおらかに、一緒にやれば楽しいんじゃない、とどんどんやってしまうのも同じくらい嬉しく楽しい。どちらもありだし、むしろ片方だけでは何かが抜け落ちる気もする。このイベントはすべてがいい具合にゆるくて、こういう感覚をしばし忘れていたことを思い出させてくれた。

 まず、会場がゆるい。水上音楽堂は屋根はあるが、ステージの両脇は大きく開放されていて、外の音もふつうに入ってくる。日比谷の野音よりも道路に近い。いっとき、いくつものサイレンの音も響いた。鳥たちも自由に出入りして、小松崎健さんとあらひろこさんのときには、ステージの上でしきりに小鳥が囀っていた。座席は部厚い板のシートで、階段状になり、背凭れもあるので、前の席の背に足をかけることもできる。木製のベンチというのはやはり適度にやわらかい。昼間のビールで酔っぱらったか、寝ている人もいた。好きな姿勢でいられるし、いろいろ姿勢を変えることもできる。お客さんも多くはないから、席の移動も結構自由だ。入口の反対側の端では、Musikanterrna の人たちがニッケルハルパの音出しをしたりしている。

 こういうイベントにはやはり飲食があるのは楽しい。ビールは旨かった。アウグストが出していた2種類を両方飲んだけれど、どちらも個性的で、昼ビールも手伝っていい気分。ゆるい気分がますますゆるむ。もっとも広告にはあった焼き鳥は見当らず、食べ物はもっとあってもいい。そう、これはフォークフェスの気分だ。小さなお子さんを連れた若い夫婦も何組かいたし。子ども向けの企画やお菓子なんかがあってもいいな。

 音楽もゆるい。ステージに集中しなくてもいい。もちろんしてもいい。コンサートやライヴのように、よおし、聴くぞ、とかまえなくてもいい、というだけのこと。興がのれば身を乗出し、酔いがまわればいい気分でうとうとし、友だちがくればおしゃべりに精を出し、好きなように楽しめる。

 音楽の質が低いかといえばそんなことはさらさらない。結構実験的な試みもある。豊田さんたちのフルート3本のトライフルは、昨日がデビューとのことだったが、ぜひぜひ続けてほしい。3人が10本のフルートを取っ替え引っ替えしていたが、メンバーも取っ替え引っ替えするのはどうだろう。Gypsy Pot ももっとちゃんと聴いてみたい。ちょうど北海道勢やティム・スカンロンたちがやってきておしゃべりしていたので、あんまり聴けなかったが、これは結構すごいバンドではないか。ニッケルハルパが13本集合した Musikanterna は見ものだった。個人的収獲は実行委員長が参加する Johanson Saga で、二度目に聴くその委員長のヴォーカルがすばらしかった。中学生と聞く息子さんのフィドルも堂に入った演奏で、将来が楽しみだ。かれの成長を見られるほど長生きしたくなる。ヴォーカルといえば、トリのあんじょんでじょんがうたったのも良かった。

 こんなすてきな催しがタダというのはありがたい。向こうでもフリー・コンサートは結構あるようだが、自治体がカネを出したりしている。東京都にそんな粋なふるまいを期待するのはムダだから、実行委員長や坂上さんたちの踏ん張りに応援するしかないが、有料にしてもいいとは思う。タダだから、ふらりと入ってくる人もいるというのであれば、ネット上の資金あつめなども使ってはどうだろう。こういうところでないと買えないのも多いのでCDは買い込んだが、Tシャツは売ってなかったなあ。

 せめてあたしが生きている間は続けてほしい。たとえヨイヨイになったとしても、車椅子に乗せられて、点滴を吊るし、酸素ボンベが離せなくなっても、これだけは連れていってもらいたい。会場でいい音楽や駆けまわる子どもたちの歓声に包まれて死ねれば本望だ。まわりには大迷惑だろうが。(ゆ)

 自分のイベントにかまけてうっかりしていましたが、ヴェーセンが今週来ますね。

 結成25周年、初来日から十年、と2つの節目が重なっためでたいツアーです。
http://www.mplant.com/vasen/index.html

11/16(日)山形 文翔館
11/18(火)神戸 芸術センター シューマンホール
11/19(水)名古屋 秀葉館
11/20(木)東京・渋谷 Duo Music Exchange
11/21(金)福岡 大名MKホール

 ヴェーセンらしく、一風変わった場所でのライヴが多いですね。東京が一番普通だな。

 その東京は JPP が共演ということで、これは見ものです。一大フィドル合戦\(^O^)/。
個人的には JPP の方が興味津々ですけど、これはどちらもいい勝負。

 しかし、もう十年か。それでも今世紀中、というのもびっくり。
3人のなかではミカルが一番年をとった感じ、というのはそれだけ初めは若かったですね。
ローゲルは昔からいい歳こいたおっさんだった。
ウーロフもこうして写真見ると歳とったなと思うが、かれは永遠の青年みたいなところがある。

 これまでの来日では、初見参の南青山のマンダラで見たとき、3人ともデカイなあ、と思ったことと、前回の本郷は求道会館でのかぎりなくノーPAに近いライヴが強烈に残ってます。

 さて、今回はどうなるかな。(ゆ)

 北海道限定のようですが、カンテレのあらひろこさんが今度の日曜日にラジオに出演されるそうです。タイトルも

STV・ラジオスペシャル「カンテレの世界へ」

だそうです。

 やはり北国生れの楽器は北国の人びとに好まれるということでしょうか。

 あらさんの公式サイト

 MySpace

 先日、ラジオ番組内で私のアルバム《MOON DROPS》をご紹介いただい
たのがおかげさまでご好評いただいたそうで、あらたに、ラジオスペシャルと
して取り上げていただくことになりました。

 よろしければ、ラジオのダイヤルを合わせてみて下さい。

 STV・ラジオスペシャル「カンテレの世界へ」
 パーソナリティ:宮永真幸アナウンサー
 ゲスト:あらひろこ
     小野寺淳子(旅行ジャーナリスト)
 放送:01/27(日)21:30〜22:00 STVラジオ


Thanks! > あらさん

 とんがりやまさんのブログで話題沸騰(^_-)の「ロイツマ・ガール」の歌詞を日本語にしてみました。

 まあ、あのフィンランド語のわけのわからなさが魅力のひとつではありまして、こんなことするのは野暮の骨頂かもしれません。

 とはいえ、なかには知りたい向きもいるかもしれませんし、こういうのを見ると反射的に日本語にしてみたくなるのは「翻訳屋」の職業病ともいえます。

 できればどなたか、これを元に、あのメロディでうたえるようにしていただくとまたおもしろいかも。

 なお、フィンランド語など難しくて到底歯が立ちませんので、元にしたのはアメリカ盤を出してる Northside のサイトに上がっている英訳です。Northside に感謝。



イエヴァのポルカ


となりでポルカ響いてくると
あたしの足がとんとんしだす
イエヴァのかあさん、娘を見はるが
イエヴァはうまくその目をくらます
かあさんダメだって、聞くやついない
みんなおどりまくってるのにさ

イエヴァはにこにこ、フィドルはきいきい
みんなが寄って、イエヴァばんざい
みんな汗だく、だれが気にする
イケメン男、元気のいいやつ
汗がとんでも、だれが気にする
おどりまくってるときにさ

イエヴァのかあさん、ひきこもる
しずかな部屋で、賛美歌うなる
それでイケメン、ちょとおたのしみ
となりの家で、明かりをおとして
としよりの文句、だれが気にする
おどりまくってるときにさ

(スキャット)

ポルカとぎれて、これから本番
さっきのイケメン、ナンパのお時間
娘と帰る、ダンスおわれば
そこで待ってる、かあさんカンカン
でもイエヴァ、泣くなよしよし
すぐにまた、いっしょにおどるよ

ようおばさん、わめくのやめろよ
じゃなきゃ責任、オレはとらんぜ
だまって部屋に、ひっこんでいりゃ
あんたはケガなし、娘はくどかれる
イケメン男、むちゃやるからな
おどりまくると

そうそう、オレにワナはきかない
あんたにゃ、オレはつかまらん
東へ行こうが、西へ行こうが
イエヴァとオレは結婚するんだ
イケメン男、内気じゃないぜ
おどりまくってるときにはさ

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