クラン・コラ・ブログ(アイルランド音楽の森)

 アイリッシュ・ミュージックなどのケルトをはじめ、世界各地のルーツ音楽を愉しむブログです。そうした音楽の国内の音楽家も含みます。加えて主宰者の趣味のグレイトフル・デッド。サイエンス・フィクション、幻想文学などの話もあります。情報やメモ、ゴシップ、ただのおしゃべりなどもあります。リンク・フリーです。

タグ:フェスティバル

 今年のサマソニのメインの出演者発表、と DM が来る。海外から招聘する22のアクトだそうだ。これまではまったく関心が湧かなかった。そんなものを聴くのに手間暇かけられるか、という反応がせいぜいだった。ところが、今はストリーミングというものがある。簡単に全部聴けてしまう。となると聴きたくなるのが人情というもの。

 え、違う?

 いや、あたしは聴きたくなってしまうのである。とにかく、名前も聞いたことのない人たちである。今売れっ子のはずである。そういう人たちはどんな音楽をやっているのか。来年はいないかもしれないではないか。いなくならないまでも、忘れられている可能性も小さくはなかろう。ここで聴かなければ、いつ聴く。

 というわけで、この22のアクトの、Tidal や Apple Music で一番上に出てきたトラックを聴いてみた。こういうところでトップに出てくるのは、再生回数が一番多い、つまり今一番人気ということだろう。ほとんどは3分前後、長くて5分、一つだけ7分半があったが、ヒットするには長くてはいけないというのは、この百年、変わっていないらしい。

 タイの Bright だけ、Tidal に無かったのは、英語で歌っていないからだろうか。Apple Music では曲名もタイ語表記で、そのままではまるでわからん。

 22の中で面白いと思ったのが2つ。Olivia Dean と Jon Batiste。ディーンは英国、バティストがアメリカ。この2人だけは、やりたい音楽をやっている。他は全部、売りたい音楽をやっている。後者は音楽である前に商品だ。

 もっともどれも商品としては一級である。売るためにカネをかけている。いろいろ工夫もしている。どれもヴォーカルがくっきりしっかり中央前面に据えられていて、インストルメンタルに埋もれることはまったく無い。聴かせたい焦点が明瞭だ。聴いていて不快にはならない。カネをやるからもう一度全部聴けと言われたら、聴いてもいいと思える。カネをもらっても二度と聴きたくないというものも、世の中にはごまんとある。

 工夫の中でおっと思ったのは AJR の〈World’s Smallest Violin〉。短かいフレーズを繰返しながら、ヴァイオリンの音から始めてシームレスにどんどんといろいろな音に変えてゆく。テクノロジーを使うのに想像力を働かせている。ただ、それが売れるための工夫におわり、そこから新しいものが生まれてはいない。あるいは他にもっと展開しているのかもしれないが、そこまで追いかける気にはなれない。

 全体の傾向として、アメリカのアーティストはそれぞれどこか際立って他と違うところがある。他人とは違うことをやろうとしていると見える。あるいは自然に否応なくやってしまう。UK のミュージシャンたちは他人と似ることを気にしない。同じようになるのを避けようとしない。Underworld は他と違うことをやっているようだが、7分半の曲を聴いているうちに気がつくと寝ていた。

 UK の今のジャズはどれもこれもユニークで実に面白いのに、ポップスやロックはどれもこれも似たようなものになるのも、別の意味で面白い。やはりジャズはやりたい音楽なのだ。

 米英以外の、イタリア、ノルウェイ、アイスランド、南アフリカとタイのミュージシャンは、言語も含めてそれぞれのローカルな要素は皆無と言っていい。タイだけはタイ語で歌っているところがローカルだが、それ以外はメロディもアレンジも演奏もすべてアメリカン・スタンダード。近所の中華料理屋の BGM でよくかかっている中国語以外はまったくアメリカのポップスというものと同じ。

 22曲、1時間20分。時にはこういうことをやってみるのも無駄ではない。結論としては、Olivia Dean と Jon Batiste 以外は聴かなくてもいいということだが、それが確認できたのは収獲。とにかく聴いてみないことにはわからんのだから。そりゃ、そういうものだろうという推測はつくが、推測だけで切りすてるのはゴーマンであろう。それにこの2人のような発見もある。

 もう一つ、Yoasobi や Ado のようなものばかりが世界で売れているわけではないこともわかった。その点ではヒット狙いのものは昔からあまり変わっていないようでもある。20世紀末からヒット曲がどれもこれも似たようなものになり、多様性が減ったという調査結果をシカゴ大学が出していたと記憶する。米英以外の地域、文化から出てくるものが、アメリカのヒット曲そっくりというのも、その傾向の現れだろう。

 K-pop は少し違って、音楽とは別の、より土台に近いところのローカル性が現れていると見える。和魂洋才ならぬ韓魂洋才と言ってみるか。とすると、ここに出てくる米英以外の地域出身者たちは、魂までアメリカに売っている。こういう音楽をやるのに、各々の地域でやる必要も必然も無いだろう、とあたしなどには見える。どの地域にも立派に世界に通用するローカル音楽があるのに、と思ってしまうのは、また逆の偏見だろうか。(ゆ)

 7月の下旬に須貝知世&木村穂波デュオのライヴに行ったら、8月最終週末にこんなイベントがあります、とアナウンスがあった。聞いた途端に行こうと思った。その時はわからなかったが、呼ばれていたのだ。

 少し経って、あらためて路線や乗換えを調べだして、行こうと思ったことが自分で不思議になった。誰かに誘われるとか、仕事がらみでないかぎり、あたしが自分で動くということはまず無い。どっしり根を下ろした人間なので、そういうフェスティヴァルがあると聞いただけで行こうという気になるのは、いつものあたしなら考えられないのだ。

 山梨というのも作用したかもしれない。これが茨城とか群馬とかだったら、おそらく動かなかったにちがいない。山梨は神奈川からは隣になる。実際に行ってみれば、北杜市は山梨でも一番奥で、結構な時間がかかった。結局は群馬や茨城に行くのとそう変わらないかもしれない。とはいえ、気分としてはすぐお隣りである。一方、都心を越えてその向こうへゆくのは、心理的に負担がかかる。都心は壁なのだ。

 しかし、たぶん一番大きいのは、須貝さんには人を呼ぶ力があるのだ。それは表現が強すぎるというなら、その周りに人が集まってくる星まわりに生まれている。あるいはそれを人徳と呼んでもいい。そういう力、星まわり、人徳はどうやら北杜市に移ってから身についたもののようでもある。いや、それよりはもともと備わっていたものが、北杜市という土地の持っているものとの相乗効果で顕在化したのだろう。それはいろいろな形であらわれていたが、何よりもこのフェスティヴァルそのものが生まれたのは、須貝さんが移住したからである。

 昨年に続いて今年が第2回目。会場は清里一帯の4ヶ所。あたしはそのうち3ヶ所を訪れることになった。8月最後の週末金曜日夜の hatao & sam のライヴに始まり、日曜午後の tricolor のライヴまでの2日半。規模も参加者の数も小さなものではあったけれど、なんとも愉しい。参加者のほとんどが何らかの楽器をやっていて、その人たちはもちろん愉しかっただろう。

 日曜日に小海線が止まってしまい、小淵沢の駅まで車で送ってくださったのは名古屋から来ていた方で、昨年も参加し、あまりに愉しかったので、名古屋に帰ってからあちこち言いふらしたそうな。そのおかげで今年は名古屋から5人見えていたという。

 観光に来たついでにやってきたイングランド人一家も大いに愉しんでいた。日曜の朝食後、食堂で自然発生で始まったセッションのとき、母親は生涯2番目に愉しいとまで言っていた。母親とその二人の息子は、観光で京都に来て、京都の「ケルトの笛屋さん」でフェスティヴァルのチラシを見、オーガナイザーの斎藤さんに水曜日に電話をかけてきたのだそうだ。オクスフォードでスロー・セッションを10年主催していて、母親と長男はフィドル、次男はギターを持ってきていた。3人ともなかなかの遣い手で、とりわけ長男は一級のフィドラーだった。こういう人たちがやってくるというのも、須貝さんが呼んだのだ。かれらが帰ってから宣伝して、来年は海外からの参加者が増えるかもしれない。

 一方で、あたしのような、楽器演奏にはまるで縁のない人間でも、その場にいることがひどく愉しかった。ふり返ってみれば、土曜日の午後、折りからの土砂降りの雨の中に着いた瞬間から1日半、どっぷりとアイリッシュ・ミュージックに漬かりこんで、その間、ずっと幸福感に包まれていた。あの土地一帯がしあわせの国で、そこに入ると誰でもいつでも幸福感に包まれる。まるでそんな感覚。日曜の夜、新宿行きの臨時特急の座席にすわりこんで、初めてくたくたにくたびれていることに気がついた。休みなしに、幸福感に包まれつづけるのは、くたびれることなのだ。それにしてもあの愉しさは、いったい、どこから生まれていたのだろう。

 まず第一に挙げるべきはオーガナイザーとスタッフのチームの尽力だ。それぞれの企画がスムーズに運んでゆく。計画に無理がないし、スタッフの動きも急いでもいないし、無駄がない。少なくともそう見えるし、実際にもそうでなければこうはいかない。

 オーガナイザーの斎藤さんによると、昨年は当初からフェスティヴァルをやろうと計画していたわけではなく、別の形で始めながら、途中で、えい、フェスティヴァルにしちゃえとやったそうだ。今年は始めからフェスティヴァルをする計画をたてた。フェスティヴァルの一つの特徴は、複数の企画が同時に別々のところで進行することだ。参加者はそのうちどれかを選ぶ。選ぶ方は簡単だが、用意する方は単純に作業が同時進行するイベントの数だけ倍になるわけではない。そのまた倍くらいの作業量になる。そうした量も大きく、質も求められる作業をこなしてイベントが滑らかにおこなわれるようにするのは誰にでもできることではない。企画・立案・運営にたずさわったスタッフの皆さんには心からの感謝を表します。

 とはいえ、後から思うと、それだけではない。単にみごとに仕事をしているだけではなかった。参加した者が、そこにいること、参加していることが愉しいと感じられる何かを発散していたようだった。それが地元住民主体だったろうスタッフの方々からたちのぼるのか、北杜という風光からたちのぼるのか、その合体なのか、あたしにはまだわからない。とにかく、少なくともあたしはあそこにいる間じゅうその魔法にかけられていたように感じられる。

 あたしは土曜日午後の木村穂波さんによるアイルランドの歴史と音楽の講演と、その夜の須貝知世&木村穂波デュオによる投げ銭ライヴを見た。日曜日は午前中、長尾晃司さんによる伴奏についてのワークショップを見学し、午後、tricolor のライヴを見る。正式のプログラムには入っていなかったが、土曜日夜のライヴの後はセッションとなり、何といってもこれがハイライトだった。

 木村さんの講演の会場は「八ヶ岳コモンズ」。なかなか面白い施設で、廃校になった小学校をそのまま、机や椅子の備品も含めて貸出しているようだ。図工室では機械の音がしてなにやら作っていたし、体育館では夏休みの課外授業らしきことをやっていた。

 講演の会場は階段状になった音楽教室。黒板の上に幕を下ろしてスライドを映し、その前で木村さんがアイルランドの歴史のポイントを話す。そしてそれに関連する楽曲を hatao、須貝、木村の三氏が演奏する。

 この形は面白い。歴史と音楽の結びつけ方は少々強引なところもあるが、アイリッシュ・ミュージックの楽曲は裏で歴史とかたく結びついていることを具体的な形で示すのは効果的だ。聴衆はことばの上だけではなく、音楽を伴なった体験として記憶する。より深く刻まれる。

 木村さんは現地に住んでの体験もまじえるから、話がより具体的に、生々しくなる。ノーザン・アイルランド社会の分断の実際もよくわかる。もっとも、分断されているとはいえ、ユニオニスト、ナショナリストそれぞれの居住地域の間に壁があるわけではなく、人間はその気になりさえすれば自由に往来できる。とすれば、その境界に住んでいる人間はいるはずだから、どういう暮らしをしているのかも気になってくる。

 休憩をはさんで質疑応答。共和国とノーザン・アイルランドの音楽は違うのか。ジャガイモ飢饉の時はジャガイモが全滅したというが、その時アイルランドの人たちは何を食べていたのか。アイリッシュ・ミュージックは貧乏人の音楽だが、貧乏人が楽器を買えたのか。ドイツではナチスと結びついたため、フォーク・ミュージックは戦後タブーとなったが、アイルランドで伝統音楽とナショナリズムの結びつきはあるのか。いや、面白い。

 共和国とノーザン・アイルランドで音楽が違うわけではない。ただし、ノーザン・アイルランドでは意識して伝統音楽を選んでやっている。
 ジャガイモ以外には食べるものが無かったので、たくさんの人が死んだ。
 楽器を買えたかどうかは不明。
 アイルランドでも伝統音楽とナショナリズムは結びつく傾向がある。ナショナリズムの表現として伝統音楽をやっている人も少なくない。

 あたしなりに補足すれば、ノーザン・アイルランドでアイリッシュ・ミュージックをやっているのはナショナリストに限られる。かつてはプロテスタントのユニオニストたちにもアイリッシュ・ミュージックをやっている人もいたのだが、1960年代以降、いわゆるノーザン・アイルランド紛争が始まると次第に減り、今はまったく消えてしまったそうだ。ユニオニストの伝統音楽としては7月12日を中心とするいわゆるオレンジ行進に付添うファイフ&ドラム・バンドぐらいだ。一方、カトリックのナショナリストがアイリッシュ・ミュージックを熱心にやるのは、自分たちの帰属意識の表現でもあり強化手段でもあるのは、共和国と通じる。

 楽器はパイプを除けば、皆工夫して手に入れていたようだ。アコーディオン、コンサティーナは工業製品でかなり安く流通していたし、フィドルは手許にある材料で作ってもいた。ブリキのフィドルも残っている。ホィッスル、フルートはもっと簡単に作れる。パイプは地主・領主などの富裕層が買い与え、御抱えのパイパーとして雇うという慣習があった。かつてのハープの地位にパイプがとって替わったわけだ。

 また楽器は演奏者から演奏者へ代々受け継がれてもいた。今でこそ、アイリッシュ・ミュージック用の楽器は優れた製作者が何人もいて、良い楽器が次々に生まれているが、かつてはそうではなかった。例えばフルートは19世紀イングランド製が最高とされて、古い楽器が大切に使われていた。アイリッシュ・ミュージックの楽器は自分の所有物ではなく、一時的な預かりものであって、死ねば次の人に渡すべきものと考えられてもいた。パイプもリアム・オ・フリンが使っていたセットはレォ・ロウサムが作ったもので、Na Piobairi Uliieann が管理し、オ・フリンの前はウィリー・クランシーが使っていた。今は Colm Broderic という若手パイパーに貸与されている。

 講演が終ると hatao さんの軽トラ改造キャンピングカーに乗せてもらって、宿である竹早荘に向う。



 ここは宿泊だけでなく、その晩の須貝&木村デュオの投げ銭ライヴと翌日の長尾さんの伴奏ワークショップの会場でもある。

 昔なつかしい民宿の趣で、枕カバー、掛布団カバー、シーツは自分でそれぞれかけるし、扉に鍵なんかない。トイレ、洗面所は共同。周囲は雑木林。ウエブ・サイトの写真は真冬に撮ったものだろうが、夏は緑一色の真ん中にある。この建物の前の庭では焚き火もできる。周りは静かで、夜は虫の声もあまり聞えなかった。そういえば、蝉の声もほとんど聞いた覚えがない。標高1300メートル前後だからか。

 夕食はビュッフェ方式。和食とエスニックの折衷のような、何だかわからないが旨い。味噌汁もあって、実になっている菜っ葉がふだん味噌汁では食べつけないものだが妙に旨く、訊いたら空芯菜だった。ご飯もあったが、おかずだけでお腹がいっぱい。デザートに配られたバナナのアイスクリームがまた絶妙で、ますますお腹いっぱい。

 こうしていい気分になったところで、須貝&木村デュオのライヴとなる。ギターは長尾さん。このデュオはアニー、先日の松野氏、そして今回の長尾さんと見ているが、それぞれ味わいは違いながら、全体の印象は変わらない。根幹のデュオの音楽はゆるがない。その味の違いを書きわけるのは無理だが、今回は音楽の流れがめだっていると聞えた。前回の松野氏の時はビートの存在が大きくて、跳ねている印象だった。ギターそのものは逆で、長尾さんの方がビートが強く、松野氏はより柔かいのは面白い。

 今回は曲を何回くり返すかはあまり厳密に決めていないそうで、ものによっては興にのって何度もリピートする場面もある。なかなかいい。

 それにしてもこのデュオは本当にいい。聴くたびに良くなる。アイリッシュ・ミュージックでは楽器の組合せはジャズ以上に自由だが、フルートとアコーディオンという組合せはあまり聞かない。若さにまかせて突走るのでもなく、わざわざ誰も知らないような曲を探してくるような偏屈でもなく、いわゆる玄人好みの渋い演奏だけでもない。華やかさがあって、バランスが実にちょうどいい。最初に聴いた頃に比べると、須貝さんのフルートが太くなっている。自ら北杜市に移住しようとしていて、今回のフェスティヴァルでもスタッフの一角をつとめていたサムは、北杜市に来てから須貝さんの笛の音が太くなったという。たぶん単純に太くなっただけではないのだろうが、表面では太く聞える。人を呼びよせる人徳が表に出てきたのが、フルートの音にも現れているのだろう。

 このお二人にはぜひぜひ、アルバムを作って欲しい。今のこの音楽を形として残しておいてほしい。音楽の姿は常に変わっているからだ。変わったその姿もいいはずだが、今のこの音楽とは違うものになる。

 長尾さんのサポートも例によって見事で、極上の音楽を堪能する。

 ところが、もっとすばらしいものがその後に待っていたのだ。ライヴが終って少しして同じ食堂で始まったセッションである。入りたい人は全員どうぞというので20人以上が円く座る。その外側にも何人かいる。まだ楽器を始めたばかりの人たちだ。その中の一人は1曲しか参加できなかったけれど、すごく愉しかったと後で言っていた。

 イングランドからの3人も楽器を持ってきた。それから真夜中12時の門限まで、延々途切れることなく続いたセッションは、たぶんこのフェスティヴァルの華であり、これが最高と、参加していた人たちは誰もが思ったのではないか。

 はじめはなるべく全員がやれるような曲が出ていた。最年少の斎藤さんの9歳の息子さんもホィッスルで曲出しをする。面白いのは日本人はほぼ全員参加している曲にイングランド人たちは入らない。知らないらしい。逆にかれらが出す曲についていく人は少ない。hatao さんとか須貝さん、木村さんぐらいだ。こういうものにもお国柄が出るらしい。1時間半ほどたったあたりでちょっと休憩の形になり、そこで半数が抜けた。風呂に入る人もいれば、寝る人もいる。それからがまた凄かった。須貝さんの旦那がフルートで渋いスロー・エアを披露もした。かれに会ったのは引越す前、東京でだが、その時はこんな姿は想像できなかった。気がつけばサムの夫人もコンサティーナを手にしている。ここに来るとみんなこうなるのだろうか。イングランド人の兄貴のフィドル・ソロも出た。これにはサムがギターでいいサポートをつけた。音楽は違うが雰囲気は完全にマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルである。あたしはとにかくもう陶然として、ひたすら音楽を浴びていた。いいセッションはリスナーにとっても最高の音楽なのだ。

 あとで気がついたが、フィドルを持っていたのは、イングランド人二人と斎藤さんだけだった。笛が圧倒的に多い。次に蛇腹。バゥロンが一人。わが国のネイティヴにとってフィドルは敷居が高いらしい。斎藤さんもごく小さい頃ヴァイオリンを習った、習わされた経験を持っている。わが国にもフィドルの名手は多いが、皆クラシックから入っている。アイリッシュでゼロからフィドルを始めてモノにしている人はまだいないのか。

 日曜日の朝御飯はもう少し普通の和食に近く、これまた結構な味。コーヒーも旨い。コーヒーさえ旨ければ、あたしは文句は言わない。

 朝食が終って少しして、またセッションが始まった。今度は数人で、イングランドの二人が引張る形。この時だけ、ここだけではなく、結構あちこちで自然発生的にセッションがあったらしい。そういえば、夕食前、宿の庭の焚き火を囲んでやっている人たちもいた。そういう即席のセッションもフェスティヴァルならではだろう。

 誰が考えたのか知らないが、伴奏ワークショップというのはなかなか乙な企画だ。長尾さんという恰好の講師が来たからかもしれない。どちらかというと講義形式で、リール、ホーンパイプ、ジグ、スライド、ポルカとリズム別に伴奏をつける勘所を簡潔に説明し、実演する。実演には須貝さんがフルートでつきあう。須貝さんが同じ曲を演奏するのに、違う手法で伴奏をつけてみたりする。伴奏の付け方で曲の印象が変わるのがわかる。こういうのはリスナーにとってもありがたく、面白い。

 参加者は多くないが、どなたも自分なりにかなり明確な問題意識をもって臨んでいたようだ。具体的な質問がぽんぽん出る。

 以前、トシバウロンとやった楽器別アイリッシュ・ミュージック講座のギターの講師にも長尾さんを頼んだのは、この人は自分のやっていることをきちんと言語化できるからだ。質問にもていねいに答えている。こういう人がわが国アイリッシュ・ミュージックの弦楽器伴奏の第一人者であることの幸運を、われわれはもっと噛みしめるべきだろう。

 参加した最後のイベントは森の音楽堂での tricolor のライヴだ。午前中は伴奏ワークショップと同じ時間帯にここで中藤、中村両氏によるスロー・セッションが行われていた。



 ここは響きがとてもいい。スロー・セッションでも楽器の響きがそれはきれいだったそうだ。

 面白いのは、客席側は平面に椅子を並べることもできるが、階段状の座席がステージ対面の壁に折り畳まれる形で造りつけになっていて、電動でこれが前にすべり出る。座席もスイッチ一つで起きあがる。最後部は天井近くまで届く。席は当初、平面に設営されていたが、ミュージシャンの要請もあり、この階段席に変更になった。あたしは大喜びで最上段の真ん中に座った。平面と階段ではそれだけで音も違う。階段のどの段にすわるかでも変わる。中段から下が普通にはおそらくベストだろうが、tricolor のサウンドの設定もあるのか、最上段で聴くフィドルとコンサティーナの音があたしには実に魅力的だったのだ。

 オープナーは〈マイグレーション〉。これで始めて〈アニヴァーサリー〉で締める、というのが、このところの tricolor のライヴの定番らしいが、この2曲の威力をあらためてライヴで体験すると、それもまことにもっともだとしか思えない。〈マイグレーション〉が始まったとたん、実に久しぶりに生で聴くその音に、ああ、帰ってきたと涙腺がゆるんだ。ここでゆるんだ涙腺は、ラストの〈アニヴァーサリー〉にいたって、とうとう溢れだした。この2曲、とりわけ〈アニヴァーサリー〉ラストの爛僖奪侫Д襯戰覘瓩砲亘睨,宿る。レコードですら聴くたびにこみあげてくるものがある。ましてやライヴである。ほとんど3年ぶりのだ。それも、清里という「しあわせの国」で。

 もちろんこのふたつだけではない。前半6曲目、須貝さんが入っての〈マウス・マウス〉の弾む愉しさ。後半オープナーの〈Railway Polka〉もいい。アニーがアヴァンギャルドなアコーディオンを聞かせる。須貝さんは出てからは出ずっぱり。その次がまた凄い。今年出した絵本とCDをセットにした Nook に収録の〈Ennistymon Set〉。これには hatao さんも加わってのクインテット。須貝さんはホィッスルを手にする。音の厚みにぞくぞくする。そしてお待ちかね〈夢のつづき〉。アニーはもうシンガーとしても一級だ。須貝さんのフルートの太い音がアニーの声と溶け合って、あたしは桃源郷にいる。続く〈ボンダンス〉で、アニーが手拍子を求める。聴衆には演奏者も多いからか、ここまでダンス・チューンでも手拍子が出ない。それにしても愉しい曲で、あたしはリールから盆踊りビートに戻るところがとりわけ好き。もとに戻るところの愉しさは、グレイトフル・デッドで味をしめた。〈アニヴァーサリー〉では再び hatao さんが加わり、今度はダブル・フルート。アニーはピアノに回る。アンコールは午前中のスロー・セッションでやったポルカを本来のテンポでやって幕。

 開演前、休憩、終演後にロビーで hatao さんがケルトの笛屋さんを開店していて、人だかりが絶えない。斎藤さんの息子さんは初めて目にし、吹いてみたのだろう、高価なホィッスルに夢中になっていた。

 ひとつお願い。今回は個々のイベントごとにチケットを買う形しかなかった。どのイベントにも自由に出入りできる通し券ないしパスの形のチケットも販売してください。

 今夜はこの北杜市のアイリッシュ・ミュージック・コミュニティの核でもある Bull & Bear で打上げがあるそうだが、帰らねばならない。清里ではまだかんかん陽が照っていたが、小淵沢まで降りてくると、周囲には山が迫り、陽は夕焼けを残してすでに山の向うに入っていた。甲州の山は険しい。小淵沢から新宿までの間に二つの駅にしか止まらない特急は、夕闇の底を縫ってひた走る。来年も来るべえ。生きてあるかぎり、杖をついてでもひとりで動けるかぎり、このフェスティヴァルが開かれているかぎりは何度でもまた来よう。来年は24、25日になるか。いつの間にか眠っていて、ふと気がつくと列車は八王子に着こうとしていた。(ゆ)

2023-09-10 追記
 イングランドからの3人の楽器は本人たちが持ちこんだものではなく、かれらの依頼でオーガナイザーが手配して貸したものだった由。後で教えられた。
 

 ウッドストックの言い出しっぺの一人 Michael Lang が8日に77歳で亡くなったというニュース。4人の創設者の中では、最もアクティヴに関っていたようにみえる。194412月生まれだから、ガルシアより2歳下、ハートの1歳下、クロイツマンの1歳半上。1969年のウッドストック当時25歳。

 デッドもウッドストックに出てはいる。が、演奏に満足できず、映像、録音のリリースは断った。昨年出たフェスティヴァル全体の録音の完全版ボックス・セットに初めて演奏の全貌が収められた。もっとも、全部を買わせようという商魂が嫌で、あたしは買わなかった。デッドのせいではないにしてもだ。

 デッドは多数のアクトが限られた時間で演奏するフェスティヴァル形式は苦手で、ウッドストックの前年のモンタレー・ポップ・フェスティヴァルにも出てはいるが、演奏はすばらしかったという評価もある一方で、ザ・フーとジミヘン、オーティス・レディングとジャニス・ジョプリンの間で、影は薄い。

 オルタモントは会場入りしたものの、雰囲気のあまりの殺伐さに嫌気がさして、ステージに上がらずに引き揚げた。

 フェスティヴァルの演奏で良かったのは、1982年ジャマイカでの Jamaica Wold Music Festival ぐらいのようだ。この時は出演者が誰も彼も時間にルーズで、スケジュールは押しに押し、初日トリのデッドがステージに上がったのは午前3時、というからデッドには合っていた。

 集めた聴衆の数では19730728日、オールマン・ブラザーズ・バンドとザ・バンドと合同で Watkins Glen 60万人を集め、史上最大のロック・コンサートと言われる。単独では19770903日、ニュー・ジャージー州の Raceway Park に単独で10万人を集めた。これはこの年、ハートの自動車事故のために夏のツアーができなかったお詫び(?)のショウ。こちらは《Dick's Picks, Vol. 15》として公式リリースされた。ちなみにこれは Dick LatVala が手掛けた最後の《Dick's Picks》。リリース直前にラトヴァラが急逝したため、現在のアーカイヴ管理者のデヴィッド・レミューがこの後を引き継いだ。


##本日のグレイトフル・デッド

 0109日には30年間で一度もショウをしていない。まったくショウをしていない日が365日のうちに4日ある、その1つ。前に2日と書いたが、ふたつ見逃していた。(ゆ)


9月17日・金

 Washington Post 書評欄のニュースレター Book Club が報じる The National Book Festival の記事を見ると、詮無きこととは知りながら、うらやましさに身の震える想いがする。今年は10日間、オンラインでのヴァーチャル・イベントで100人を超える著者が、朗読、講演、対談、インタヴュー、質疑応答などに参加する。児童書、十代少年少女、時事問題、小説、歴史と伝記、ライフスタイル、詩と散文、科学というジャンルだ。こういう一大イベントが本をテーマに開かれるということ、それを主催するのが議会図書館であるということ、そして、これがもう20年続いているということ。これを見ると、本というもの、そしてそこに形になっている文化への態度、考え方の違いを感じざるをえない。わが国は先進国、BRICs で唯一、本の売上がここ数十年減り続けている国だ。パンデミックにあっても、あるいはパンデミックだからこそ、世界のいわゆる四大出版社は昨年軒並、売上を大きく伸ばした。



 このフェスティヴァルは9/11の直前、2001年9月8日に、当時のブッシュ大統領夫人ローラの提唱で始まった。オバマ大統領夫人ミシェルは他のことに忙しくて、このフェスティヴァルを顧る余裕が無かったので、イベントは大統領一家からは独立する。当初はワシントン、D..のナショナル・モールで屋外で開かれていたが、2013年からワシントン・コンヴェンション・センターに移る。参加者はのべ20万人に達していたそうだ。そして昨年パンデミックのためにオンラインに移行するわけだが、これによって逆にワシントン、D..のローカル・イベントから、本物の全国=ナショナルなイベントになった。

 夫人はブック・フェスティヴァルから離れたにしても、オバマ氏は読書家として知られ、今でも毎年シーズンになると、推薦図書のリストを発表して、それがベストセラーになったりする。それもかなり幅広いセレクションで、政治、経済、時事に限られるわけではない。 わが国の元首相でこういうことができる人間がいるだろうか。大統領としては最低の評価がつけられながら、元大統領としてはベストと言われるカーター氏も一家あげての読書家で、夕食に集まるときには、各々が食卓に本を持ってきて、食事をしながら本について語りあう、というのを読んだこともある。

 と顧ると、本、活字、言葉をベースとした文化の層の厚さの彼我の差にため息をつかざるをえない。わが国では本が売れないのも無理はない、という諦観にとらわれてもしまう。確かにわが国にはマンガがある。しかし、マンガでは表現できないものもまたあまりに多いのだ。それにマンガが表現しようとしないことも多すぎる。

 こういうイベント、お祭がアメリカ人は大好きで、またやるのが巧い、というのもあるだろう。本のイベントの原型はSF大会ではないかとあたしは思っているけれど、ワールドコンだけでなく、今ではローカルな大会=コンヴェンションやスターウォーズ、スタートレック、ゲームなどのジャンル別の大会も花盛りだ。もちろんどれも今は中止、延期、オンライン化されているけれど、今後も増えこそすれ、減ることはあるまい。

 コミケやそれにならったイベントはわが国において、こうしたフェスティヴァル、コンヴェンションに相当する役割を果たせるだろうか。そもそものイベントの趣旨、志向しているところが違うようにも見える。それともわれわれはモノの売買を通じてでないと、コミュニケーションを始めることができないのだろうか。

 ブック・フェアも性格が異なるように思える。とはいえ、わが国でもこのナショナル・ブック・フェスティヴァルに相当するイベントを開くとすれば、例えば東京ブック・フェアが門戸を広げ、著者や編集者をより巻き込む形にすることが近道ではないかという気もする。

 パンデミックはそれまで見えなかったことをいろいろ暴露しているけれど、文化、とりあえず活字文化の層の薄さもその一つではある。

 ほんとうは活字文化だけではない。文化全体、文化活動そのものが薄いことも明らかになった。パンデミックの前、ライヴや芝居や展覧会などに青年、中年の男性の姿がほとんど無いのが不思議だったのだが、何のことはない、彼らは仲間内で飲むのに忙しくて、そんなものに行っているヒマが無かったのだった。


##本日のグレイトフル・デッド

 9月17日には1966年から1994年まで8本のショウをしている。うち公式リリースは2本。


1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA

 前日に続き、同じヴェニュー。


2. 1970 Fillmore East, New York, NY

 4日連続の初日。料金5.50ドル。三部制で第一部はアコースティック。ガルシアはペダルスティールを弾き、ピグペンはピアノを弾くこともあり、New Riders Of The Purple Sage David Nelson が一部の曲でマンドリンで参加。第二部が30分弱の NRPS。第三部がエレクトリック・デッド。この4日間はいずれも同じ構成。


3. 1972 Baltimore Civic Center, Baltimore, MD

 このヴェニュー3日連続の最終日。料金5.50ドル。夜8時開演。《Dick’s Picks, Vol. 23》としてアンコールのみ除いてリリースされた。前半の〈Bird Song〉(10分超、ベスト・ヴァージョンの一つ)、〈China Cat Sunflower > I Know You Rider〉(11分、Rider のジャム最高!)から〈Playing in the Band〉(18分、最高!)への並び、それに後半、1時間超の〈He's Gone > The Other One > Sing me back home〉のメドレー。CD3枚組でも全部入らない黄金の72年。ロック・バンドのコンサートの契約書には普通「最長演奏時間」の項目がある。どんなに長くなっても、これ以上はやらないよ。デッドのショウの契約書には「最短演奏時間」の項目があった。どんなに短かくても、これだけは演奏させろ。長くなる方は無制限。

 演奏はピークの年72年のそのまた一つのピーク。1972年は公式リリースされたショウの本数も、ショウ全体の完全版のリリースの数でも30年間のトップだけど、この年のショウは全部出してくれ。と、こういう録音を聴くと願う。まあテープ、今ならネット上のファイルやストリーミングを聴けばいいんだけどさ。でも、公式リリースは音が違うのよねえ。


4. 1973 Onondaga County War Memorial, Syracuse, NY

 同じヴェニュー2日間の初日。だが、翌日のショウには疑問符がつく。開演午後7時。後半2曲目〈Let Me Sing Your Blues Away〉から最後まで〈Truckin'〉を除き、トランペットのジョー・エリスとサックスのマーティン・フィエロが参加。その〈Let Me Sing Your Blues Away〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 ピアノ左端、ガルシアのギター右。キースのヴォーカルはピアノの右。そのキースの声とピアノの間でフィエロがサックス。彼はロック・バンド向けのサックス奏者ではある。だいぶ慣れてきて、キースはピアノも愉しそうだ。


5. 1982 Cumberland County Civic Center, Portland, ME

 料金10.50ドル。夜8時開演。〈Throwing Stones〉初演。前半最後から2番目。


6. 1991 Madison Square Garden, New York, NY

 9本連続の8本目。


7. 1993 Madison Square Garden, New York , NY

 6本連続の2本目。開演夜7時半。


8. 1994 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA)

 3日連続の中日。開演夜7時。(ゆ)


 カナダはノヴァ・スコシア、ケープ・ブルトンで毎年10月に開かれるケルティック・ミュージックの祭典 Celtic Colours に行ってきます。目当てはもちろん、今年フェスティヴァル・デビューするジョンジョンフェスティバルの追っかけです。

 「ケルティック・カラーズ」には一度行きたかったんですが、ジョンジョンフェスティバルが正式に招待されたというので、思いきって行くことにしました。ほとんど密着同行取材の形です。

 明日夜出発、11日夕方帰着というスケジュール。ケープ・ブルトンはやはり遠くて、ノヴァ・スコシアの州都ハリファックスで一泊し、翌日車で5時間かけてようやく着く形。現地には実質2日ぐらいしかいないことになります。

 他のアクトも見たかったのですが、今月15日(土)には下北沢B&Bでアイリッシュ・フルートの講座が予定されているので、とにかく今回はジョンジョンフェスティバルのパフォーマンスだけを見てきます。

 それでも行くだけでもいろいろ見聞はできるでしょうから、ここをはじめ、あちこちで報告はします。

 そうそう、もうすぐ公式のアナウンスがあると思いますが、『クラン・コラ』が復刊しますので、そちらにも載せられるでしょう。復刊はぼくたちではなく、別の、もっと若い人たちによるものです。


 アイリッシュ・フルートの講座については、先日、講師の豊田耕三さんとトシバウロンと打合せしました。毎度のことながら、こうしてある楽器に焦点を当てると、アイリッシュ・ミュージックのまた新たな側面が浮き上がってきて、それは楽しい。豊田さんからいろいろ説明を受けながら聞きなおしてみると、なあるほど、フルートによるアイリッシュの面白さがわかります。

 フルートはアイリッシュ・ミュージックの中ではどちらかというと日陰者だったのが、マット・モロイの出現で一気に表舞台に踊りでた観があります。この大枠はまあゆるがないのですが、細かく見ていくと、結構いろいろなことがあります。

 マット以前、フルートはアイルランド西部の、リートリム、ロスコモンからクレアあたりにいたる縦に細長い地域で盛んだったんですが、そういう狭いなかでもやはりローカルなスタイルの違いなどもあるんですね。もちろん、今では、フィドル同様、ローカル・スタイルが必ずしも一定地域に限られるわけではないんですが、かえってあるスタイルにこだわる演奏者もいます。こういうのをわかって聴くとまた面白い。

 ということで、皆さま、よしなに。(ゆ)

 今年で3回めのイベントにようやく行くことができた。去年は行く気満々だったのに熱が出て病欠したのだった。

 梅雨入り直前のせいか、それとも気候変動のせいか、からりと晴れて、陽射しは強いが、日陰は涼しい。風もあって、休憩後の後半は上着が必要なくらいだった。上野公園も人がいっぱい。昼食を薮で食べて、公園の方へ狭い路地を横切っていったのだが、たくさんある居酒屋が真昼間からどこも満杯。この催しは無料なので、何をやってるんだと覗きにくる人も結構いたようだ。トライフルのときだったか、ふらりと入ってきて近くに座った若い夫婦は、旦那の方が小型カメラでビデオを撮っていたが、海外からの観光客に見えた。トライフルが終わると席を立っていった。

 ノルディックとケルティックのルーツ・ミュージックをやっている人たちが一堂に会しましょう、というのは、まったく無理が無いとは言わないが、それほど奇想天外でもない。昨日もそうだったが、両方やっている人も少なくないし、向こうでも Two Duos Quartet や North See Crossing もいる。ルーツにどっぷり浸りこんで、奥義を極めることをめざすのはすばらしいことではあるが、一方でおおらかに、一緒にやれば楽しいんじゃない、とどんどんやってしまうのも同じくらい嬉しく楽しい。どちらもありだし、むしろ片方だけでは何かが抜け落ちる気もする。このイベントはすべてがいい具合にゆるくて、こういう感覚をしばし忘れていたことを思い出させてくれた。

 まず、会場がゆるい。水上音楽堂は屋根はあるが、ステージの両脇は大きく開放されていて、外の音もふつうに入ってくる。日比谷の野音よりも道路に近い。いっとき、いくつものサイレンの音も響いた。鳥たちも自由に出入りして、小松崎健さんとあらひろこさんのときには、ステージの上でしきりに小鳥が囀っていた。座席は部厚い板のシートで、階段状になり、背凭れもあるので、前の席の背に足をかけることもできる。木製のベンチというのはやはり適度にやわらかい。昼間のビールで酔っぱらったか、寝ている人もいた。好きな姿勢でいられるし、いろいろ姿勢を変えることもできる。お客さんも多くはないから、席の移動も結構自由だ。入口の反対側の端では、Musikanterrna の人たちがニッケルハルパの音出しをしたりしている。

 こういうイベントにはやはり飲食があるのは楽しい。ビールは旨かった。アウグストが出していた2種類を両方飲んだけれど、どちらも個性的で、昼ビールも手伝っていい気分。ゆるい気分がますますゆるむ。もっとも広告にはあった焼き鳥は見当らず、食べ物はもっとあってもいい。そう、これはフォークフェスの気分だ。小さなお子さんを連れた若い夫婦も何組かいたし。子ども向けの企画やお菓子なんかがあってもいいな。

 音楽もゆるい。ステージに集中しなくてもいい。もちろんしてもいい。コンサートやライヴのように、よおし、聴くぞ、とかまえなくてもいい、というだけのこと。興がのれば身を乗出し、酔いがまわればいい気分でうとうとし、友だちがくればおしゃべりに精を出し、好きなように楽しめる。

 音楽の質が低いかといえばそんなことはさらさらない。結構実験的な試みもある。豊田さんたちのフルート3本のトライフルは、昨日がデビューとのことだったが、ぜひぜひ続けてほしい。3人が10本のフルートを取っ替え引っ替えしていたが、メンバーも取っ替え引っ替えするのはどうだろう。Gypsy Pot ももっとちゃんと聴いてみたい。ちょうど北海道勢やティム・スカンロンたちがやってきておしゃべりしていたので、あんまり聴けなかったが、これは結構すごいバンドではないか。ニッケルハルパが13本集合した Musikanterna は見ものだった。個人的収獲は実行委員長が参加する Johanson Saga で、二度目に聴くその委員長のヴォーカルがすばらしかった。中学生と聞く息子さんのフィドルも堂に入った演奏で、将来が楽しみだ。かれの成長を見られるほど長生きしたくなる。ヴォーカルといえば、トリのあんじょんでじょんがうたったのも良かった。

 こんなすてきな催しがタダというのはありがたい。向こうでもフリー・コンサートは結構あるようだが、自治体がカネを出したりしている。東京都にそんな粋なふるまいを期待するのはムダだから、実行委員長や坂上さんたちの踏ん張りに応援するしかないが、有料にしてもいいとは思う。タダだから、ふらりと入ってくる人もいるというのであれば、ネット上の資金あつめなども使ってはどうだろう。こういうところでないと買えないのも多いのでCDは買い込んだが、Tシャツは売ってなかったなあ。

 せめてあたしが生きている間は続けてほしい。たとえヨイヨイになったとしても、車椅子に乗せられて、点滴を吊るし、酸素ボンベが離せなくなっても、これだけは連れていってもらいたい。会場でいい音楽や駆けまわる子どもたちの歓声に包まれて死ねれば本望だ。まわりには大迷惑だろうが。(ゆ)

    今年のフェスティヴァルの情報が公式ブログでついに公開になってます。

    といっても期日と場所だけですが、沖縄県外から行かれる人は早めに飛行機など押えた方がよろしいかと。

期日: 9/20(日)〜21(月・祝)
場所:沖縄県宜野湾市宜野湾海浜公園屋外劇場

    イベントの内容、出演ミュージシャンなどはこれから少しずつ発表になるそうな。フジ・ロック方式ですな。上記公式ブログを定期的にチェックのこと。

    さあて、どうやって旅費をひねりだすか。(ゆ)

 早くも今年のセント・パトリックス・ディのイベントです。ポーグス系のアイリッシュ・パンクのバンドを中心に、伝統系のミュージシャン、ダンサー、DJの集まるイベントが、東京・新宿であるそうです。

   *   *   *   *   *

今年もやりますよ!!
みなさん遊びにきてください!!

03/25 (sun) St. Patrick's Day 『THE WILD ROVER』
新宿ロフト  open & start 17:00
ticket 2500円/3000円
01/27から一斉発売
前売り:お問い合わせ
チケットぴあ  : 0570-02-9999 / P:251-109
ローソンチケット: 0570-084-003 / L:32290
新宿LOFT     : 03-5272-0382

BAND
main stage
-paddy beat floor-

・THE CHERRY COKE$
・JUNIOR
・The Croagh Patrick
・OLE DICK FOGGY
・MAFFICK

sub stage
-tradditional music floor-

・ Whirlpool's End
・THE MOON STOMPERS
・ROYAL SHAMROCK
・TUK TUK SKIP

BAGPIPERS SESSION

DANCE
・IRISH DANCERS

DJ
・HIDETO(ROOTS MUSIC NIGHT)
・KIRK(ROOTS MUSIC NIGHT)
・KAKEI(F.E.G.A)
・鉄魂(DOODLIN'BABER SHOP)
     &more

主催
・THE WILD ROVER
・MOON STOMP

協賛
・ペルノ・リカール・ジャパン(株) JAMESON
・サッポロビール(株) GUINNESS

協力
・六本木PADDY FOLEY'S 
・渋谷THE DUBLINERS'
・四ツ谷THE Morrigan's
・LOVE2SKULLS
・ROOTS MUSIC NIGHT

 来年4月、"PUNK SPRING" の第2回があるそうです。出演にポスト・ポーグス・バンドのドロップキック・マーフィーズが入っています。

 公式サイトはこちらですが、まだあまり情報は出ていません。


第2回PUNK SPRING
出演予定アーティスト第1弾…Dropkick Murphys他
<東京公演>
開催日時…2007/04/01(日)/開場11:00/開演13:00
会場…千葉市・幕張メッセ
最寄り駅…JR京葉線海浜幕張駅海側
チケット代…8000円(別途ドリンク代)
<大阪公演>
詳細近日発表予定


Thanx! > 島田和之さん

このページのトップヘ